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覚え書:「はじまりの土地:東北へ 寂しき思想、潔癖なひ弱さ=赤坂憲雄」、『毎日新聞』2014年03月29日(土)付。


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はじまりの土地:東北へ 寂しき思想、潔癖なひ弱さ=赤坂憲雄
毎日新聞 2014年03月29日 東京朝刊


(写真キャプション)この海は奄美へ続く 福島第1原発事故で避難指示解除準備区域に指定されている福島県南相馬市小高の海岸。島尾敏雄は幼年期から繰り返しこの地を訪れた=福島県南相馬市小高で、小関勉撮影

 二〇一一年四月二一日、福島県南相馬市小高。夕暮れ。その先には道がなかった。なぎ倒された信号機のわきに車を止めて、外に出た。〇・三九マイクロシーベルト。路肩をえぐられたアスファルトの道の下には、がれきと、泥の海が広がっていた。いっさいの音が奪われた世界。いや、ふと気がつくと、かすかな潮騒の音が遠く聴こえていた。数百メートルかなたのうす闇のなかに、海のへりが見えた。

 そのとき、その海が島尾敏雄という名前に結びつくことはなかった。ほんの数年前に、小さな島尾敏雄論のために奄美を訪ね、それから、この小高近辺を歩きまわっていたのだった。しかし、すっかり忘却していた。風景はまったく切断されており、繋(つな)がらなかった。わたしがはるかに眺めた海のへりは、数年前に見つけた両墓制という珍しい墓が残る浜辺であり、戦争の頃に大学生の島尾がいとこたちと遊んだ村上海岸であったが、そのことに気づいたのは、うかつにもずっと後のことだった。

 わたしはいま、東北の思想や文学について語るときには、島尾敏雄という作家を欠かすことができないと感じている。ところが、島尾が東北との関わりにおいて語られることは、けっして多くはない。「東北の島尾」に光が当てられる場面は少ない、ということだ。島尾はもっぱら、奄美との関わりにおいて、「奄美の島尾」として語られてきたのである。その提起した「ヤポネシア論」などは、たいへん刺戟(しげき)的な海からの日本文化論であるが、あきらかに奄美と東北を二つの定点として抱え込んでいた。にもかかわらず、「東北の島尾」はあくまで淡い遠景に留(とど)まるのである。

 島尾の故郷は、南相馬市小高である。ただし、生まれ育った土地というわけではない。両親の故郷であり、それゆえに、島尾はくりかえし小高を訪れ、そこに幼年期からの記憶を刻んでいる。島尾はいま、小高の父母の墓に葬られている。その墓に詣でたのは、六、七年ほど前の夏であったか。その取材のときには、村上海岸まで足を延ばしたが、そこで埋め墓と詣り墓という二つの墓をもつ両墓制に遭遇した。東日本大震災の折に津波に洗われ、いま両墓制は跡形もなくなったと聞いている。

 『ヤポネシア考』に収められた、民俗学者の谷川健一との対談「飢餓をみつめる思想」には、島尾の東北観が赤裸々に語られている。たとえば、島尾は「浅い東北」である相馬は知っているが、「奥の方」の南部や津軽には行ったことがなかった。そこで、とりたてて宮沢賢治に惹(ひ)かれることはないが、賢治を通して「東北」を知りたくて、その文学の背景の土地を歩いたことがある、という。島尾はその頃、奄美に住んでいたはずだが、「何か自分で持ちながら持て余していた東北性のようなもの」に気づかされたらしい。おそらく、島尾は奄美を仲立ちとして、「東北」を再発見していたのである。

 いかなる「東北」が見いだされていたのか。たとえば、「東北人は権力を使う立場に立つとはにかむようなところがある」という。わたしは唐突に、津軽の太宰治を思い浮かべる。太宰はまさに、権力者の一族であることに恥じらい続けた人ではなかったか。あるいは、東北の思想家には「どっちかというと異端の人が多い」ともいう。島尾その人も、また同じく相馬の出身であった埴谷雄高も、まさしく異端の名にふさわしい作家ではなかったか。

 それにしても、九州の水俣に出自をもつ谷川健一とのやり取りがおもしろい。微細なズレをはらんで、絶妙であった。

 谷川 一つ云(い)えることは飢餓を主題とした思想家ですね。飢え、渇き、これは他にはないですね。

 島尾 なる程、主流になれない体質を東北人は持っている気がする。原敬にしても石原莞爾などにしても。

 谷川 米内光政もそうですね。何かさびしいんですね。

 島尾 そう、どこか寂しいんです。根を張って財閥と結んだり、皇室と結んだりするところが薄いんです。(略)

 谷川 きれいというか、さみしいというか、それだけひ弱いんですね。政治的に云えば。

 大きな展開はない。しかし、二人が直観的に掴(つか)みだしていたものは、東北の精神史の古層にしっかり届いていたかと思う。たしかに、東北の思想はその飢餓(ケガチ)の風土を抜きにしては語ることがむずかしい。そして、東北の思想はどこか寂しいのである。ケガチと寂しさなどは、宮沢賢治を読み解くキーワードそのものではなかったか。この寂しさは、そのままにある種の潔癖さや、それゆえのひ弱さにも通じているにちがいない。

 震災後の東北を歩きながら、幾度となく、東北が抱え込んでいる恥じらい・寂しさ・潔癖・ひ弱さといった精神性を目撃してきた気がする。それはしかし、東北の外にある人々には理解されにくい。なぜ、東北の、福島の人々は怒りや哀(かな)しみをむきだしに見せず、沈黙の底に佇(たたず)んでいるのか。そう、海の向こうからやって来た知識人に詰問されたことがあった。東北は寂しいが、このままでは終わらない、とわたしは呟(つぶや)くように思う。(あかさか・のりお=学習院大教授、民俗学) 
    --「はじまりの土地:東北へ 寂しき思想、潔癖なひ弱さ=赤坂憲雄」、『毎日新聞』2014年03月29日(土)付。

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