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2014年3月

日記:共同体生成になぜ文化や芸術活動が必要なのか?

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女川の獅子舞
 人類は共同体を維持するために、文化、芸術活動を、どうしても必要としてきた。それはなぜか? たとえば、今回の震災においても、宮城県女川町から以下のような報告があった。
 女川は、入り江が入り組んでいることもあり、最大四十三メートルの津波に襲われ、今回の震災でもっとも被害の激しい自治体となった。家屋の八割が流出し、人口の八・七%がなくなられた。
 神山梓さんは、東北大学の大学院進学と共に、研究目的のために女川町に移住、今回の震災ではボランティアからそのまま町の復興推進課員となり、女川の地域再生のために奔走してきた。彼女は、文化庁のヒアリングに答えて、以下のように述べている。

 女川町の集落にはそれぞれ「獅子振り」という獅子舞の一種が伝わっている。竹浦集落は、地域の伝統文化である獅子振りをいち早く復興させ、集落の人々が、獅子振りを通じて、励まし合い、団結できたことが、自立的な復興の取組に繋がったと思う。

 女川町にある十五の集落の中で、竹浦集落は、高台移転についてもっとも早く合意形成ができた。これは文化の力によるものと考えている。コミュニティをつなぐものは、これまで培ってきた文化の力とそれを支える人々の心。その心から発せられる復興こそ真の復興であり、本当のコミュニティの再構築だと思う。

 私は、二〇一二年の世界文明フォーラムで神山さんにお目にかかったが、実際に他の地域でも、獅子舞の復活が早い地域ほど、高台移転の合意形成が早く進む傾向が見られたという。
    ----平田オリザ『新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要』岩波書店、2013年、16-17頁。

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共同体を再建するとき、そのひな形は殆どの場合、権力の側が用意し、私たちは自主的に選択している「つもり」で実はそのレールを走っているだけということが多い。

だとすれば、それに抵抗する形の自生の知と力はどこにあるのか。その対極に位置する文化に存在するのではないだろうか。

しかもそれはクールジャパンのごとき国威発揚とは連動しえない、どちらかといえば国家や権力にとって敵というよりも目障りだから処分しちまえ!といったところから立ち上がるのではないだろうか。

獅子舞のエピソードはそれを示唆している。


 


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新しい広場をつくる――市民芸術概論綱要
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覚え書:「今週の本棚・本と人:『カノン』 著者・中原清一郎さん」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『カノン』 著者・中原清一郎さん
毎日新聞 2014年03月30日 東京朝刊

 (河出書房新社・1800円+税)

 ◇記憶交換で問われる人間存在--中原清一郎(なかはら・せいいちろう)さん

 主人公、歌音(カノン)のラストの叫びに胸を突かれた。「ラストは初めから決めていました。そこへ向かって書いていきました」。子を思う母の愛情を主軸に据え、高齢化社会や先端医療における思考実験を盛り込んだSFをものした。読者の心と体に、未知の違和感やおかしみがはい上ってくるに違いない。問われるのは人間存在の根源だ。

 舞台は約10年後、近未来の日本。記憶をつかさどる脳の海馬の移植が可能になっている。末期がんで余命わずかながら意識は晴明な58歳の男性・北斗と、肉体は健康ながら急速に記憶を失いつつある32歳の女性・歌音が脳間海馬移植に臨む。その目的は、歌音の4歳の男の子から母親を失わせないため。夫や子供、職場の同僚の目には今までと変わらぬ歌音とはいえ、その中身は北斗なのだ。

 著者の本名は外岡秀俊。東大在学中の1976年に書いた小説『北帰行』で注目されたが、翌年に朝日新聞社に入って記者となり、編集局長まで務めた。11年に早期退職して故郷の札幌へ戻り、母と毎晩のように語らった。「僕は北斗と同じく、仕事人間でした。子育てにはノータッチ。でも、母の昔話を聞いていると、私を育てるのに注いだエネルギーのものすごさを初めて知りました」。その感慨が歌音の造形に生きた。

 読み進めるうちに、人格とは何かを突き詰めたくなる。イコール記憶なのか。それが心なのか。それはどこにある?脳か肉体か、それらの外側か。記憶交換により北斗が入り込んだ歌音は子育てに苦悶(くもん)する。北斗の精神と歌音の肉体の激しいせめぎ合いでもある。荒唐無稽(むけい)な設定かと思うと、化粧の仕方の習得に始まって、世の男たちの目線(歌音は美人だ……)もリアルに描かれる。この本のために、ファッション雑誌を山のように買って勉強したという。

 「少子高齢化が進む中で生産性を維持するには、女性と高齢者と移民がもっと市場に参入するしかない。今の男社会は門前払いしている。介護も子育ても、お母さん一人に押しつけていては未来はないと思います」

 自分とは異質な存在を理解し、受け入れることで立てる地平。その明るさと強さを歌い上げた。<文と写真・鶴谷真>
    --「今週の本棚・本と人:『カノン』 著者・中原清一郎さん」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140330ddm015070046000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『天地人-三才の世界』=尾池和夫・竹本修三編著」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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今週の本棚:養老孟司・評 『天地人-三才の世界』=尾池和夫・竹本修三編著
毎日新聞 2014年03月30日 東京朝刊

 (マニュアルハウス・5000円+税)

 ◇宇宙と地球の常識を自ら考えるための講演集

 ふつうの小説本より判型が一回り大きい。持ったら重い。開いたら活字がぎっしり、しかも横書き、五百頁(ページ)あまり。活字離れといわれて久しいこの世の中で、いまどきこんな本、だれが読むんだ。

 とりあえずそう思って、たまたま時差ボケの頭で読みだしたら、いつの間にか釣り込まれた。途中でいったん寝たけど、二日で読んでしまった。ああ、面白かった。

 表題がまず凝っている。「天地人」なら、NHK大河ドラマの解説じゃないか。そう思って副題を見ると「三才の世界」。ハテ、幼児教育本か。そうではなくて『和漢三才図会(ずえ)』の三才。もっといえば『易経(えききょう)』でさらには『孟子』。宇宙物理学の佐藤文隆が最後にそういう解説を書いている。さすがに京都人は学がありますなあ。私は根っからの関東人、我が家に近いお寺は太田道灌の屋敷跡。いまごろ山吹の花が出てきたって、遅すぎるわ。

 天は天文学、地は地球物理学、その二つの分野の専門家たちが、人つまり人文系の、いうなればなにもわからない人たちに、自分の専門分野をわかるように説明する。そういう趣旨の会合が七回、国際高等研究所などで開かれた、その記録である。もちろん人文系の人も逆に自分の分野から話をする。十人いるが、その中で京大教授の金文京、漫画家で四月から京都精華大学学長の竹宮惠子、冷泉家の冷泉貴実子などが話している。

 二〇〇九年から一二年までかかっているので、途中で東北の大震災があった。編者の一人である尾池和夫は元京大総長、当時の国際高等研究所長、地震学者だから、東北地方太平洋沖地震について時宜を得た話をしている。地震と震災は違う。震度とマグニチュードは違う。そういうところから話してくれるから、たしかに素人向きである。次の南海地震は二〇三八年。ちゃんとそう書いてある。まあ、そのあたりと思っておけば間違いないということか。私は十分に死んでいないけど。

 編者のもう一人、竹本修三は測地学で、そんな学問があるとは知らない人も多いであろう。最初がその話で、地球の形や大きさ、重力の状態を物理学的に調べる、さらにその時間的変化を調べる。そういう分野である。メートルという単位は地球の大きさから定められた。それを知る人は多いであろう。でもそのためには地球の大きさを正確に測る必要がある。それをしたのがフランスで、世界のあちこちで測定を行った。とくにペルーに行った測量隊は九年かけて、緯度一度の距離を測って帰ってきたという。帰るときに現地の役人に測量杭(くい)は非常に重要なものだから、絶対残しておいてくれと頼んだら、役人はわかったという。安心して帰ったら、役人はその測量杭を引っこ抜いて、鍵のかかる部屋にしまいこんだ。素人はたいていそういう話しか覚えていないので、学者はあまり面白い話をしないのかもしれない。

 以下同様で、というとずいぶん乱暴な紹介になってしまうが、一回に三、四人ずつ話すので総計二十余人、それに各回の討論、質疑応答の記録が付属している。これらも現場の雰囲気を表わして興味深い。

 通読してわかる部分もわからない部分もある。それでいいわけで、全部がわかるはずがない。天文学や地球に関する学問とはどういうものか、それを知り、多少の常識を学び、さらに自分でものを考える面白さを知ればいいと思う。科学音痴を自称する人にもぜひ読んでいただきたい。だれだって宇宙の中の、地球に住んでいるんですからね。 
    --「今週の本棚:養老孟司・評 『天地人-三才の世界』=尾池和夫・竹本修三編著」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140330ddm015070018000c.html:title]

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天地人 三才の世界 宇宙・地球と人間の関わりの新しいリテラシーの創造
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覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『脱「成長」戦略-新しい福祉国家へ』=橘木俊詔・広井良典著」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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今週の本棚:中村達也・評 『脱「成長」戦略-新しい福祉国家へ』=橘木俊詔・広井良典著
毎日新聞 2014年03月30日 東京朝刊

 (岩波書店・1900円+税)

 ◇工業化と成長に続く「定常状態の社会」に向けて

 民主党政権も自民党政権も、中身に違いはあるものの「成長戦略」を掲げてきたという点では、共通している。経済問題のあれこれを、何はともあれGDPというパイの拡大によって解決するという構えである。そうした発想に真っ正面から異を唱えたのが、この対談本である。「成長戦略」と同じ土俵でそれに反対する「反成長」論ではなく、異なる土俵で経済の真の発展を構想する「脱成長」論、これが本書の立ち位置である。

 広井氏はあたかも「鳥の目」を具(そな)えているかのように、橘木氏は「虫の目」を具えているかのように、それぞれに異なる眼差(まなざ)しで問題に切り込んでゆく。基本的な問題意識を共有しているという信頼感のゆえであろう、率直な疑問や異論をぶつけ合いながら、ほど良い緊張を保ちつつ議論は展開されてゆく。現在の日本は、GDPというパイの大きさで見るならば、すでにかなりの水準にまで到達している。重要なのは、むしろそのパイの分け方の問題、つまり福祉・社会保障のあり方ではないのか、と。

 これまでの福祉国家論は、経済成長とセットで考えるというのが通例であったのだが、今やそれは地球的な資源・環境制約と相容(あいい)れなくなっている。目指すべきは、資源・環境制約と両立しながら、福祉・社会保障が充実した、いわば「緑の福祉社会」であり「脱成長の福祉国家」、つまり定常状態の社会なのだという。広井氏は、百万年前にまでさかのぼって人類史の大鳥瞰(ちょうかん)図を描いてみせる。人類は、狩猟採集社会の中で拡張を続けた後に定常状態を迎えた。次に農耕社会の中で拡張を続けた後に定常状態を迎えた。そして今、工業社会の中での拡張期を経て、まさに定常状態に入りつつあるというのである。

 橘木氏もまた、そうした定常状態論を受け容れつつも、むしろ足下の日本の現実に注目し、格差拡大の現状に分け入り生活保護の実態を語る。福祉・社会保障をより厚いものにしてミニマムの条件をクリアするならば、むしろ所得はほどほどの水準であってもいい。もしも高福祉を求めるのであれば、当然のことながら高負担を受け容れるべきで、その負担は、社会保険によるよりも税によるものへとシフトすべきである、と。そして両氏はともに、主要な財源として一五%以上の消費税を提唱する。

 興味深い指摘がある。経済問題を見る際の、時間軸上の射程についてである。市場経済は、たとえば金融取引に象徴されるように、瞬時の選択と行動によってその成果が判定されてしまう。しかし、われわれが暮らす地域コミュニティ、それを包み込む自然環境は、より長期の時間軸の下でその持続可能性を判断しなければならない。時間軸の射程を長くとった時の経済的成果と、短期のそれとはおよそ異なるものであって、今やよりいっそう長期の時間的視野で問題を見きわめなければならないというのである。

 最後に疑問点を一つ。二〇〇四年をピークに日本の人口は長期的な減少のプロセスに入った。今世紀の半ばには一億人を割り、今世紀末には五千万人を割ると予測されている。他の諸国には例を見ない急速な減少である。もしもGDPの定常状態を目標とするのであれば、その場合には、人口減少に伴い一人当たりのGDPは増え続けることになる。一方、もしも一人当たりGDPの定常状態を目標とするのであれば、GDPは定常状態どころかマイナス成長でもよいということになる。本書で定常状態として想定しているのは、果たしてどちらであろうか。 
    --「今週の本棚:中村達也・評 『脱「成長」戦略-新しい福祉国家へ』=橘木俊詔・広井良典著」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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脱「成長」戦略――新しい福祉国家へ
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覚え書:「はじまりの土地:東北へ 寂しき思想、潔癖なひ弱さ=赤坂憲雄」、『毎日新聞』2014年03月29日(土)付。


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はじまりの土地:東北へ 寂しき思想、潔癖なひ弱さ=赤坂憲雄
毎日新聞 2014年03月29日 東京朝刊


(写真キャプション)この海は奄美へ続く 福島第1原発事故で避難指示解除準備区域に指定されている福島県南相馬市小高の海岸。島尾敏雄は幼年期から繰り返しこの地を訪れた=福島県南相馬市小高で、小関勉撮影

 二〇一一年四月二一日、福島県南相馬市小高。夕暮れ。その先には道がなかった。なぎ倒された信号機のわきに車を止めて、外に出た。〇・三九マイクロシーベルト。路肩をえぐられたアスファルトの道の下には、がれきと、泥の海が広がっていた。いっさいの音が奪われた世界。いや、ふと気がつくと、かすかな潮騒の音が遠く聴こえていた。数百メートルかなたのうす闇のなかに、海のへりが見えた。

 そのとき、その海が島尾敏雄という名前に結びつくことはなかった。ほんの数年前に、小さな島尾敏雄論のために奄美を訪ね、それから、この小高近辺を歩きまわっていたのだった。しかし、すっかり忘却していた。風景はまったく切断されており、繋(つな)がらなかった。わたしがはるかに眺めた海のへりは、数年前に見つけた両墓制という珍しい墓が残る浜辺であり、戦争の頃に大学生の島尾がいとこたちと遊んだ村上海岸であったが、そのことに気づいたのは、うかつにもずっと後のことだった。

 わたしはいま、東北の思想や文学について語るときには、島尾敏雄という作家を欠かすことができないと感じている。ところが、島尾が東北との関わりにおいて語られることは、けっして多くはない。「東北の島尾」に光が当てられる場面は少ない、ということだ。島尾はもっぱら、奄美との関わりにおいて、「奄美の島尾」として語られてきたのである。その提起した「ヤポネシア論」などは、たいへん刺戟(しげき)的な海からの日本文化論であるが、あきらかに奄美と東北を二つの定点として抱え込んでいた。にもかかわらず、「東北の島尾」はあくまで淡い遠景に留(とど)まるのである。

 島尾の故郷は、南相馬市小高である。ただし、生まれ育った土地というわけではない。両親の故郷であり、それゆえに、島尾はくりかえし小高を訪れ、そこに幼年期からの記憶を刻んでいる。島尾はいま、小高の父母の墓に葬られている。その墓に詣でたのは、六、七年ほど前の夏であったか。その取材のときには、村上海岸まで足を延ばしたが、そこで埋め墓と詣り墓という二つの墓をもつ両墓制に遭遇した。東日本大震災の折に津波に洗われ、いま両墓制は跡形もなくなったと聞いている。

 『ヤポネシア考』に収められた、民俗学者の谷川健一との対談「飢餓をみつめる思想」には、島尾の東北観が赤裸々に語られている。たとえば、島尾は「浅い東北」である相馬は知っているが、「奥の方」の南部や津軽には行ったことがなかった。そこで、とりたてて宮沢賢治に惹(ひ)かれることはないが、賢治を通して「東北」を知りたくて、その文学の背景の土地を歩いたことがある、という。島尾はその頃、奄美に住んでいたはずだが、「何か自分で持ちながら持て余していた東北性のようなもの」に気づかされたらしい。おそらく、島尾は奄美を仲立ちとして、「東北」を再発見していたのである。

 いかなる「東北」が見いだされていたのか。たとえば、「東北人は権力を使う立場に立つとはにかむようなところがある」という。わたしは唐突に、津軽の太宰治を思い浮かべる。太宰はまさに、権力者の一族であることに恥じらい続けた人ではなかったか。あるいは、東北の思想家には「どっちかというと異端の人が多い」ともいう。島尾その人も、また同じく相馬の出身であった埴谷雄高も、まさしく異端の名にふさわしい作家ではなかったか。

 それにしても、九州の水俣に出自をもつ谷川健一とのやり取りがおもしろい。微細なズレをはらんで、絶妙であった。

 谷川 一つ云(い)えることは飢餓を主題とした思想家ですね。飢え、渇き、これは他にはないですね。

 島尾 なる程、主流になれない体質を東北人は持っている気がする。原敬にしても石原莞爾などにしても。

 谷川 米内光政もそうですね。何かさびしいんですね。

 島尾 そう、どこか寂しいんです。根を張って財閥と結んだり、皇室と結んだりするところが薄いんです。(略)

 谷川 きれいというか、さみしいというか、それだけひ弱いんですね。政治的に云えば。

 大きな展開はない。しかし、二人が直観的に掴(つか)みだしていたものは、東北の精神史の古層にしっかり届いていたかと思う。たしかに、東北の思想はその飢餓(ケガチ)の風土を抜きにしては語ることがむずかしい。そして、東北の思想はどこか寂しいのである。ケガチと寂しさなどは、宮沢賢治を読み解くキーワードそのものではなかったか。この寂しさは、そのままにある種の潔癖さや、それゆえのひ弱さにも通じているにちがいない。

 震災後の東北を歩きながら、幾度となく、東北が抱え込んでいる恥じらい・寂しさ・潔癖・ひ弱さといった精神性を目撃してきた気がする。それはしかし、東北の外にある人々には理解されにくい。なぜ、東北の、福島の人々は怒りや哀(かな)しみをむきだしに見せず、沈黙の底に佇(たたず)んでいるのか。そう、海の向こうからやって来た知識人に詰問されたことがあった。東北は寂しいが、このままでは終わらない、とわたしは呟(つぶや)くように思う。(あかさか・のりお=学習院大教授、民俗学) 
    --「はじまりの土地:東北へ 寂しき思想、潔癖なひ弱さ=赤坂憲雄」、『毎日新聞』2014年03月29日(土)付。

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覚え書:「みんなの広場 言葉でこそ理解しあえること」、『毎日新聞』2014年03月28日(金)付。


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みんなの広場
言葉でこそ理解しあえること
高校生・16(岩手県花巻市)

 相手が話しかけてこなければ何を考えているのか私ははっきりとは分からない。私が言わなければ相手も私の気持ちを理解してくれているとは限らない。

 新学期になってクラス替えがあると、今まで話す機会のなかった人が大勢いる状況になる。表情やしぐさだけで何を伝えたいのかが分かるときもあれば、全然推測できないこともある。 実際に話をすると、相手の人柄や趣味などがよく理解できる。第一印象とはかなり違っていて、話してみないと分からないと感じた経験もけっこうある。以心伝心という言葉もあるが、接する人全員とこのような関係を結ぶことはできない。コミュニケーションを取り、初めて分かり合える。

 新学年を迎えたら、言葉で考えや気持ちを伝えたり、言葉で相手を理解したりできるよう人とのコミュニケーションを多く持とうと私は思う。 
    --「みんなの広場 言葉でこそ理解しあえること」、『毎日新聞』2014年03月28日(金)付。

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日記:市場原理は、辺境ほど、末端ほど、荒々しく働く。


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 かつては、県庁所在地レベルの地方都市なら、変わった並びの書籍や古本屋が何軒もあったはずだ。商店街の店舗の多くは家賃を払わなくていい環境にあるから、日銭さえ入って来れば、どうにか商売は続けられる。街の本屋は雑誌を売って生計を立て、あとは好きな本だけを商っていられた。しかし、今、人びとは、雑誌はコンビニで買うし、欲しい本はネットでも手に入れることができる。そうなってくると、この手の、経済原理に抗おうとするマニアックな本屋が生き延びられるのは、東京や大阪といった大都市圏のみということになる。地方ほど、無駄が許容できなくなっているのだ。
 では、そういった地方都市に、小さな書店は要らないのだろうか。私は、このような小さな書店が、文学少年、文学青年の魂のゆりかごになっていたのではないかと思う。本屋で立ち読みをしていると、普段無口な店主が近づいてきて、「お前もそろそろいい歳なんだから、ツルゲーネフでも読めよ」と勧める。「次はドストエフスキーか」と先回りして、売れるあてのない岩波文庫を仕入れておいてくれる。書店や古本屋さんだけではない。街の写真館が、ジャズ喫茶が、ライブハウスが、画廊が、地域の文化の重層性を支えてきたのではあるまいか。それら地域の文化を下支えしてきた小さな空間が、根こそぎなくなっていく。
 繰り返す。市場原理は、辺境ほど、末端ほど、荒々しく働く。
 これまでもみてきたように、文化芸術は、すぐに金になるものではない(すぐに金になる部分の話もあとでするが)。だとするならば、地方ほど、行政が介入して文化を支えていかなければ、辺り一面、ぺんぺん草も生えない状態になってしまう。
    --平田オリザ『新しい広場をつくる 市民芸術概論綱要』岩波書店、2013年、27-28頁。

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バブルが崩壊してこのかた、社会も個人も、公共の世界も私的営利の世界も、「効率」という規準が全てを裁断し、無駄と思われるものを徹底的に排除してきた。

しかし、そこから浮かび上がる光景とは何だろうか。広がる無縁と格差の前に、そのお慰みとして「愛国」がひとびとに受容され、どんどん同じ顔になってきている。

メンタリーだけの問題ではない。中心部から郊外へ向けて車を少し走らせてみると、日本全国どこでも同じ光景ではないか。

ショッピングモールとチェーン店。両者との「効率」のたまものだ。しかし「効率」と引き替えに私たちは一見すると「無駄」にみえる「文化」というものを失ってしまったのではないか。

新自由主義よろしく市場原理で、すべてをやろうとして私たちはそれに失敗したのだ。

確かに「うれない」ものは淘汰される。しかし市場原理を掲げた新自由主義が実際のところ、仲間内のデキレースで市場原理とはほど遠いものであったことを想起すれば、完全な「市場原理」という発想こそ噴飯ものだろう。

日本の精神風土は、公的領域が「国家」にのみ収斂されやすいから、公的領域を「国家」だけに限定する必要もないがだからといって国家がごり押しして本来負担すべきものを放擲して、必要のないところにリソースをそそぐのが現在の日本だから、公的負担の議論になると一筋縄でいかないところはあるとは思う。しかしながら、そろそろ、効率や市場原理で全てを説明するのろいから脱出すべきではないだろうか。


 

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『憲法第九条 大東亜戦争の遺産』=上山春平・著」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『憲法第九条 大東亜戦争の遺産』=上山春平・著
毎日新聞 2014年03月30日 東京朝刊

 (明月堂書店・2400円+税)

 一昨年死去した新京都学派の哲学者が、1960年代に記した憲法論をまとめた。戦争体験に基づきつつ、実に自由な発想で憲法をとらえていたことに今更ながら驚いた。

 戦中に人間魚雷回天の乗組員だった著者は、「あの戦争」を「大東亜戦争」と呼ぶ。「太平洋戦争」と呼べば、米国の立場に日本人を同一化させてしまう。戦争肯定ではなく戦争責任を引き受けるため、著者は「大東亜戦争」という言葉を選んだ。

 現行憲法を「押しつけ」と認め、自分は必ずしも護憲論者ではないとする。ただし、非武装規定を含むこの憲法は、国際社会に「押しつけられた」一種の国際的な協約だとみる。つまり、米国はもちろん、中国やソ連など制定を承認した国々は、非武装日本の安全を保障する責任がある。だからこそ、この憲法は従来の(武装を前提とした)主権国家概念を超える契機を持つ、人類初の憲法だとも評価する。

 今の論壇と真逆の、いわば身体感覚に裏打ちされた思考の強さを感じた。ちなみに、解題を元京大助手、たけもとのぶひろが記している。全共闘時代のペンネーム、滝田修で知られる人物だ。(生)
    --「今週の本棚・新刊:『憲法第九条 大東亜戦争の遺産』=上山春平・著」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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憲法第九条 大東亜戦争の遺産―元特攻隊員が託した戦後日本への願い
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『イギリスからの手紙』=林望・著」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『イギリスからの手紙』=林望・著
毎日新聞 2014年03月30日 東京朝刊

 (東京堂出版・1800円+税)

 ベストセラーになった『イギリスはおいしい』などのエッセーで知られ、昨年は『謹訳源氏物語』(全10巻)で毎日出版文化賞特別賞を受賞した書誌学者・国文学者、リンボウ先生の原点を示す一冊だ。

 著者は1984年4月から約1年間、初めてイギリスを訪れ、滞在した。その間に日本にいる家族にあてた手紙100通余を収録している。家探しに始まり、スーパーでの買い物、自炊のようす、知り合った多彩な国々の人々、何人かの学者との出会い、いくつかのトラブル。筆致はいつも具体的でユーモアに富み、当地と日本の違いに思いをはせ、ときどき、文明への考察が入る。

 たとえば、ロンドンの街角で見かけるホームレスの人々を通して、イギリス社会の失業者の悲惨さに思いが至る。彼らはコミュニケーションを求めているといい、個人主義や民主主義が行き着いた競争社会の「淋(さび)しさ」を実感する。そして、ドラキュラやフランケンシュタインにまで想像は広がっていく。

 絵の入った2人の子供への手紙も楽しい。全編を通して温かな文章だ。そこから、本来の仕事の充実ぶりも伝わってくる。(重) 
    --「今週の本棚・新刊:『イギリスからの手紙』=林望・著」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:鼎談書評 若い思想家の本 評者・松原隆一郎、高橋源一郎、中島岳志」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。


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今週の本棚:鼎談書評 若い思想家の本 評者・松原隆一郎、高橋源一郎、中島岳志
毎日新聞 2014年03月30日 東京朝刊

 ◇評者 松原隆一郎(東大教授・社会経済学) 高橋源一郎(作家・文芸評論家) 中島岳志(北海道大大学院准教授・政治学)

 ◆『永続敗戦論-戦後日本の核心』 白井聡・著(太田出版・1700円+税)

 ◇服従、拒絶の二重基準--中島氏

 松原 昨今、わが国では急速な右傾化が見られますが、一方で若い思想家が興味深い日本論、国家論を次々に発表しています。白井聡さんの『永続敗戦論』から始めましょう。

 中島 この本の面白さは、「永続敗戦」と「敗戦の否認」という真逆のものがコインの裏表のように続いている、そのダブルスタンダードこそ日本の「戦後レジーム」であるという主張にあります。米国に服従することで敗戦を永続化させながら、アジア諸国には敗戦そのものを拒絶する。そして戦前期の支配の構造を資本主義の名の下に戦後も継続する。パックス・アメリカーナの後、パックス・アジアの時代に即して、こんなことはもうやめよう、と説く。今の時代にとても有効な視座だと思います。

 ◇進行する「人格障害」--高橋氏

 高橋 出だしはあまり面白くない(笑い)。歴史的事象を連ねてガンガン意見を言う人なので、ある種、イデオロギッシュな左翼に近い読みにくさがあります。それが次第に快感に変わってくる。後半では、永続敗戦を「国体」と呼び、戦前の国体との連続性に言及します。これは異様な発見でした。国体とは不可侵で目に見えないもの。戦後民主主義を含む敗戦を否認する構造そのものが国体であって、それが護持されたと結論づける。そして敗戦の否認に最も積極的にかかわった昭和天皇の“永続敗戦責任”を問う。フックの利いた仮説で非常に説得力がある。

 松原 米国は永遠に日本を庇護(ひご)するのか。彼らはあくまで国益で動いているから、ビン=ラディン同様に「傀儡(かいらい)の分際がツケ上がるな」と切り捨てかねない。実際、今回のTPP協議の決裂の仕方はそんな感じでした。ところが日本は米国にもたれかかる居心地の良さにかまけて、何が戦後の出発点で密約されたのか忘れたかのようです。日本人の誰が悪かったのかと議論するときりがないから、中国とは内々にA級戦犯のみが悪かったという話にして国交を結んだ。だから合祀(ごうし)されたA級戦犯を切り離さなければ参拝できないのに、安倍晋三首相は靖国神社に行ってしまう。密約の中で曖昧にしてきたのに、知ってか知らずか、現政権はそれを越えようとする。前提たるサンフランシスコ講和条約さえ否定しかねないわけで、そうしたら戦争状態に戻ってしまう。日本の今の危うさをよく照らし出しています。

 中島 最近、近隣諸国との間で起きた問題はみな同根と強調していますね。棚上げにしてきた尖閣諸島問題もそう。中国にすれば「それは約束した話じゃないか」となる。

 高橋 「日朝平壌宣言」の話もずいぶん長く書かれていました。

 中島 日本では、北朝鮮との国交回復を拉致問題に還元して考えるけれど、先方にしたら戦争がまだ終わっていない。戦後補償などの条件をのむバーター取引に応じたら、それを一方的に破棄された。金正日・前総書記によると、日本の政治家は「男らしくない」となる。白井さんは、敗戦の否認が継続していると言う。彼はレーニンの研究者ですが、結論はリベラル保守の私と同じところに落ち着く。昨今の若手論壇の面白い現象です。

 高橋 白井さんは「現実はこうだから、こう振る舞うしかない」というリアリズムを保守の一つの定義にします。ところが、保守も非保守もリアリストでない状況の下、永続敗戦構造が維持されてきた。内田樹さんによれば「解離性人格障害」で、70年近く続いている。実は東日本大震災で多くの日本人が隠蔽(いんぺい)構造に気付き、正気になりかけました。でも、沖縄の普天間問題など反動もあり、ものすごい勢いで元に戻ってしまう。今、障害はむしろ進行している。

 松原 その解離感覚を「密教と顕教」と呼んでいます。竹島も尖閣も、一方が実効支配を続けつつ、解決せざるをもって解決とみなす「密教」が戦後のルールなのに、「『顕教』以外いやだ」という石原慎太郎さんのような使い回しのきかない人が出てきた。毎日のように汚染水が流出しているのに「アンダーコントロール」と言い切り、原発再稼働に邁進(まいしん)する。同時にM9級の地震を前提に国土強靱(きょうじん)化を進めていることとの整合性がない。時の政治指導者に「自分が責任を取る」という意識が見えません。その空恐ろしい感覚が描かれています。

 ◆『日本人はなぜ存在するか』 與那覇潤・著(集英社インターナショナル・1000円+税)

 ◇「文脈」に頼らず考える--松原氏

 松原 次は與那覇潤さんですね。最初に「文系学問オードブル」とあって、一般教養を教える大学での授業が再現されています。日本人は仲間内のあうんの呼吸ともいうべきコンテクスト(文脈)に頼りがちですが、それを外してみると意外に話が通じない。それでも通用するのが教養であって、グローバル化の時代にこそ文脈に頼らない教養が必要だと説きます。なかでも「日本」という言葉から我々の思い込みを外して、意外な意味を取り出す手つきは鮮やかです。前半では日本人や日本史、日本国籍、日本文化等々、後半ではナショナリズムといった応用問題を扱います。そこで一貫して使われるのが社会学用語の「再帰性(リフレキシビティ)」。対象について言及したことが対象自体に影響するという考え方ですね。高校を出たばかりの大学生に「自明だと思っていても、そうではないんだよ」と教えています。

 高橋 そこから各論に入り、「日本人」を考える場合に出てくる四つの指標が16に分かれ、一つ抜いて15のパターンがあると書かれています。

 松原 普通、「日本人」といえば唯一の定義ができそうに思えますが、実は15もある。けれども国際化すれば、これらのどれを意識するかが問題になります。学生の目から鱗(うろこ)が落ちるかどうか分かりませんが、安倍首相には解毒剤として服用してほしいということでしょうか。

 高橋 目から鱗といえば、旧植民地出身者の参政権の問題があります。参政権を「与える」と言われるが、正確に言えば「返す」なんです。そんなふうに、幾つもの重要な事柄が放置され、知らないことにされてきた。それを抑えたトーンで諄々(じゅんじゅん)と説くわけですが、本当はすごく力がこもっている。最後に緊張を緩めるとメッセージ性が強く出て、泣きたいような気持ちになる。僕は、こういうの結構好きなんです(笑い)。彼には『中国化する日本』(文藝春秋)という切れ味鋭い本もありますね。

 ◇大胆な「文明論」へ--中島氏

 中島 「中国は嫌いと言うけれど、本当は中国みたいになろうとしているんでしょう」と問いかけた本ですね。その予言通り、安倍首相が立憲主義を否定するかのようなことを言い始め、中国化しながら中国を批判する逆説が生じている。橋下徹大阪市長も似ていますが、そういう時代に何らかのメスを入れようとする強烈な知的欲求が感じられる、時代的な本でした。

 松原 お二人は選挙で決着をつけようとする点でも共通している。今、生きている人間が将来を決める、過去も清算できる、と。

 中島 英国の作家・批評家、チェスタトンは「今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない」として「死者の民主主義」を重視しました。英国の保守が憲法を明文化せず、慣習法を重んじる理由です。死者に制約されることこそ、保守を掲げる為政者の一般的な態度。何事もトップダウンで決定するのはある意味、反保守的です。この本はそういう反論の土台を作ってくれました。

 高橋 とはいえ、再帰性で全ての細胞を初期化するけれど、その先を選ぶのは君たち、という提示の仕方ですね。選択肢が示されないので少しだけ不満も残ります。吉野源三郎からフーコーまで引用しているが、やはり、あなたの立ち位置はどこなんだ、と思わせる部分もあります。

 中島 確かに、我々が再帰的に何を引き受けるべきなのか、もう少し問うてほしいという気もしました。でも、日本の古代から近代、さらには中国史も読み込んで、各分野の専門家の批判にも屈せずに書き続けていることは高く評価したいですね。

 松原 再帰的に引き受けるとは、思想的には自己決定と功利主義の組み合わせだと要約していますが、それはどうか。サンデルもリベラリズムや共同体主義を追加しています。東大駒場(教養学部)出身ですが、要約の大胆さは京大的かな(笑い)。

 中島 そうなんです。例えば、梅原猛さんなどには「日本文化はこうなんだ」と言い切る大胆な蛮勇がありました。彼は今後、京都学派的なものの継承者になれるかもしれない。

 高橋 すごいのか、とんでもないのか分からないような(笑い)。

 ◆『奥さまは愛国』 北原みのり、朴順梨・著(河出書房新社・1400円+税)

 ◇憎悪表現に潜む身体性--高橋氏

 高橋 男性の硬い2冊に続くのは、フェミニストの北原みのりさんと元・在日三世の朴順梨(パクスニ)さんが、ヘイトスピーチに加わった女性たちの実態を探るドキュメンタリーです。従軍慰安婦はウソだと主張する人たちは右翼的で貧しく、孤立しているイメージがある。でも、実際に会ってみると、言葉はきつくても話は通じる普通の人たちでした。2人は左翼系デモの硬直化した言葉に「そっちも嫌」と考えるほどフェア。マイノリティーとしての孤独が共感になって、憎悪を表現する相手を過剰に理解しようと寄り添ってしまう。

 松原 ヘイトスピーチでは「死ね」とか「帰れ」といったささくれ立った言葉が行き交いますが、デモの現場には自分たちに似た女性たちがいると、共感さえしてしまう。この言葉と感情のズレは何なのか。クラクラした感じが繰り返されます。

 中島 この本の一つの結論は、極端な右傾化の原因を女性の絶望に求めています。不安の反転というのは従来の典型的な議論で、反論も出始め、まだ決着がつかない状態です。これは論争になるポイントで、2人も論理的には十分に説明できない。1990年代以降の若者の右傾化現象は、たてまえの世界に対するレジスタンスと捉えるべきだと思います。この構造を北原さんたちは確かに捉えている感覚がある。

 高橋 與那覇さんの本に「大きな物語は終焉(しゅうえん)した」とありました。逆に「小さな物語」は口語的、身体的な言葉で表される。戦後民主主義は「大きな物語」です。当初は希望に満ち、一種のフィジカルな喜びを伴って発せられたのに、ある時期から身体性が消えたことに気付かなかった。今、うごめく欲望に誰が形を与えるのか。身体性を持った言葉の取り合いが起きています。先んじたのはネトウヨで、それによく反応できたのが、北原さんたちだった。

 ◇言葉と感情のズレ--松原氏

 松原 「男性は面白くない」と迷いなく切り捨てていますね。フェミニズムは、オヤジの大きな言葉は処理し終わったんだ、と。けれども女性たちのヘイトスピーチには、小さな言葉に宿るはずの身体感覚がある。

 中島 確かに言葉の問題は大きいですね。左翼の失効した理念型の言葉に対し、橋下市長は「バカ○○」と一喝することで場を支配してしまう。北原さんはそうした場面を、明治天皇の玄孫(やしゃご)、竹田恒泰さんの講演の現場から描こうとします。乱暴であるがゆえに拍手と笑いが起こり、聴衆の女性たちに響いてしまう。突っ込みたいけれど言葉にならないので「トイレに行きたかった」と書く。北原さん特有の身体的な直感です。私はこの拒絶的感覚に寄り添いながら、現象を論理化したい。

 高橋 竹田さんの話に恋人として華原朋美さんが出てきますが、交際を否定しましたね。ソチ五輪出場選手に関して「国家を背負ってニヤニヤするな」とか「メダルを噛(か)むな」と批判したのについていけない、と。身体的拒絶を竹田さんに向けていてある意味、北原さんに近い。北原さんはおそらく喜んでいますよ(笑い)。

 松原 朋ちゃんは身体感覚が希薄かと思っていたんだけど、逆でした。鋭敏なアンテナを備えていた。

 中島 「噛むな」に対して「嫌だ」という感覚は重要ですね。

 高橋 鋭い身体的反応。この国にもまだ希望がありますね(笑い)。=鼎談(ていだん)書評は随時掲載 
    --「今週の本棚:鼎談書評 若い思想家の本 評者・松原隆一郎、高橋源一郎、中島岳志」、『毎日新聞』2014年03月30日(日)付。

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覚え書:「論点:道徳の教科化」、『毎日新聞』2014年03月28日(金)付。


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論点:道徳の教科化
毎日新聞 2014年03月28日 東京朝刊

(写真キャプション)深澤久氏=澤圭一郎撮影

 小中学校で教えられている「道徳」を「特別な教科」として位置付ける議論が、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」で始まった。いじめ問題を発端に、子供たちの徳育の充実を図る考えだが、「価値観の押し付けになるのではないか」など懸念もある。

 ◇授業の充実へ教師育成を--深澤久・教育誌「教師のチカラ」編集委員

 道徳は教科にする必要はない。実践を踏まえての私の結論だ。

 「道徳教育」と「道徳の時間」とは違う。「道徳教育」は、簡潔に言えば人として正しい行いができる人間を育てる教育であり、授業時間や掃除、休み時間といった学校生活の全ての場が対象になる。「道徳の時間」は週1時間ペース(年間34-35時間)で、義務教育である小・中学校の授業だ。

 政府の教育再生実行会議の提言では「学校や教員によって充実度に差がある」状況を変えるために「教科化」が必要だ、としている。だが、国語や算数をみれば明らかなように、教科にすれば差がなくなるわけではない。重要なのは「教科」に変えることではなく、現在の道徳授業の中身を充実させることだ。

 教師になりたての頃の私は「全ての教育活動が道徳教育なのだから、わざわざ授業をする必要はない」と考え、道徳授業を軽視していた。

 だが数年後、小学校時代に担任した教え子の病死が、この考えを変えた。わずか14歳だった。「早くよくなりたい」と言っていたのにかなわなかった。「命の大切さ」を子供たちに伝えたい、と痛烈に思った。子供たちは、言葉では「命は大切」と知っている。通り一遍の授業では彼らの心には響かない。教職数年目だった私はこんな授業を考えた。

 「あなたにとって大切な人は?」と子供たちに問う。家族や友人が多い。「その人に値段を付けるとするといくら?」。クラスは騒然となり、彼らは可能な限り高い値段を言う。次に、水・炭素・アンモニアなど人体を構成する成分表を示し「合計3000円」と示す。すると「それらを集めても人間は作れない」などと反論が出てくる。その後、「いじめで自殺」「日航機墜落事故」の二つの新聞記事を示し、最後に「授業のテーマと感想」を書かせる。彼らは本気で考え、書き、積極的に発言した。このように新聞記事やさまざまな本、写真から教材を開発し、道徳授業をしてきた。

 道徳のテレビ番組を見せて感想を書かせるだけの授業や「結論見え見え」の読み物資料で感じたことを言わせるような授業ばかりをどれだけやっても、無駄だ。子供たちは「どう答えれば先生は『満足』するか」をすぐに見抜く。

 教科化とは関係なく、子供たちが夢中になる授業を作り上げなければいけない。教師の道徳授業を作る力の向上が必要なのだ。

 文部科学省や教育委員会には、教師が意欲的に研修できる体制の確立や時間の確保をしてほしい。

 仮に検定教科書が作られるにしても、教師の創意・工夫は生かされねばならない。教科書教材の使用が義務付けられ、教師の手作り教材を含めた他の教材の使用が妨害・禁止されるようなら、検定教科書などない方がいい。現在の副読本で何ら問題はない。

 さらに評価の問題もある。「数値での評価はなじまない」ということではない。今も指導要録(通知表の原簿)には「行動の記録」という欄があり、教師は子供たち一人一人を評価している。これが子供の道徳性の評価だ。その上で道徳教科の評価をすればダブることになり、さらに教師を忙しくさせるだけだ。ピント外れの議論だと思う。

 実行会議の提言でも明らかだが、「道徳の教科化」の背景には「いじめ」問題がある。だが、週1時間の教科「道徳」の授業をしていれば「いじめ」がなくなるわけではない。「いじめ」防止は大切だがそれ以上に、兆候をできるだけ早くつかみ、手を打つことが決定的に重要だ。

 「いつもは自分から元気にあいさつする子が今日はしない」「昨日から笑顔がなくなりうつむいている」。こうした子供の姿を見逃さない眼力を教師は磨かねばならない。

 道徳を教科化すれば全てが解決するかのような幻想に惑わされてはならない。子供のエネルギーを正しい方向で発揮させていく教育の本道を、悩みながらも学んでいく教師たちの育成こそが最も重要なことだと考える。【聞き手・澤圭一郎】

 ◇体系的学習に教科書必要--持田浩志・東京都武蔵村山市教育長

 道徳は、子供たちに人として生きるための基本を教える教育活動で、学校教育の根本でもある。教育基本法は、教育の目的に「国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成」を掲げているからだ。道徳教育を否定することは、学校教育を否定するのと同じだ。道徳を教科にすることが必要だ。

 学校の授業は、学習の狙い、教材、活動、評価によって成り立つ。狙いとは、子供にどのような力をつけさせたいかということであり、道徳では、どのような価値を自覚させるかということだ。教材は、狙いを効率的に達成するために、子供と学習内容を仲立ちする。最も重要なのは教科書だ。

 今の道徳にも副読本がある。だが、出版社によって内容がまちまちだ。教員や学校独自の教材を使って授業をしても、全国で統一的水準を維持するのは難しい。教員の創意工夫は大事だが、道徳で学ぶべきだとされる学習指導要領の項目をきちんと入れた検定教科書を作り、他の教科と同じように資料集などで教科書を補完しながら学習すれば充実する。

 道徳の教科化に反対する人たちは「価値の押しつけは良くない」という。価値とは何か。押しつけとは何か。「うそをついてはいけない」「約束を守る」と教えることは、価値の押しつけだろうか。小学校1、2年生に対して、最初から「うそをついてもいい」というのでは、学校教育は成り立たない。発達段階に応じた教育が必要だ。

 道徳心は自然に身につくものではない。例えば、小学校低学年の学習指導要領にある「気持ちよいあいさつ」「約束やきまりを守る」などの項目は、自然と身につくか。教えられることで初めて、その価値に気づくのだ。道徳の内容を体系的に指導計画に取り入れ、繰り返し学習することで、子供は「人間」として成長する。現在、日本社会が機能しているのは、これまできちんと道徳を教えられてきたからではないか。昔は学校ではなく、親や地域社会による教育だったが、今はそれが希薄になっている。学校で教える必要性は、以前より増している。

 今の道徳の授業が形骸化しているのは、イデオロギー論争に巻き込まれて子供に寄り添った議論がされてこなかったからだ。不慣れな教員でも授業しやすいように、教員研究会で考えた授業のパターンがいいとされてきた。それは1単元を1時間で終わらせる内容だ。国語で長い物語を読むなら7時間、社会にも12時間の単元があるのに、道徳では1時間で完結する内容が望ましいとされてきた。短い教材しか使えない。1人の偉人の生き方を学ぶことも否定されてきた。しかし、教育の基本は「まねる」ことだ。生き方を考えさせるには「ああいう人になりたい」と思えるロールモデルに出会うことが必要だ。聖徳太子や伊能忠敬ら日本の先人から、生き方を考えさせたい。

 学校で教える以上、学習の狙いにどこまで近づいたかを測ることは必要だ。それが評価だ。短距離走の記録を持っているような子でも、体育で球技が苦手なら、その単元では低い評価になる。それでも体育では「教員にその子の運動能力を評価できるのか」などという議論にはならない。学校教育の評価とは、教員が設定した狙いに対する到達度を測るものだから当然だ。ほかの教科では子供の達成度を測るのに、道徳では不要だというのはおかしい。また、教員は今も、指導要録で子供の「行動の記録」をつけている。勤労や奉仕、公正・公平について、満足できる状況であれば丸印をつける評定をしている。これまで、教科でない道徳の評価基準は研究されてこなかったため、今は適切な基準はないが、他の教科同様、「関心意欲態度」「思考判断表現」「技能」「知識理解」の観点別の評価ができるはずだ。

 市内の小学校で4月から、評価基準を作る研究を始める。子供に自己評価させ、教員が行動や作文で評価する方法などを考えている。道徳教育は今のままで良いだろうか。何もしなければ子供は変わらない。【聞き手・岡礼子】

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 ◇文科省、18年度の開始が目標

 「道徳の教科化」を巡っては、政府の教育再生実行会議が昨年2月にまとめた第1次提言「いじめと体罰対策」の中に盛り込まれた。これを受け、文部科学省の有識者会議は同12月、道徳を「特別の教科」として格上げ▽将来的に検定教科書を導入する--などの報告書をまとめ、文科相に提出。今年3月から中央教育審議会(中教審)で議論が開始された。同省は来年度中にも学習指導要領の改定や教科書の検定基準の作成を進め、2018年度の教科化を目指す意向だ。今年4月からは先行して同省が新たに作成した副教材「私たちの道徳」が使われる。07年の第1次安倍内閣の時にも、中教審で道徳の教科化が議論されたが、慎重意見が多く見送られた。

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 「論点」は金曜日掲載です。opinion@mainichi.co.jp

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 ■人物略歴

 ◇ふかさわ・ひさし

 1955年生まれ。80年から群馬県高崎市などで公立小教諭。道徳教育研究団体代表も20年務める。2012年退職。「道徳授業原論」(日本標準)など。

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 ■人物略歴

 ◇もちだ・ひろし

 1950年生まれ。民間企業に勤務した後、東京都公立小教諭、都教育庁指導主事、文京区立誠之小校長などを経て、2007年度から現職。 
    --「論点:道徳の教科化」、『毎日新聞』2014年03月28日(金)付。

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覚え書:「(声)人権意識希薄すぎる入国管理局」、『朝日新聞』2014年03月28日(金)付。

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(声)人権意識希薄すぎる入国管理局
2014年3月28日

フリーライター(東京都 65)

 「入管職員の違法な制圧行為による窒息死だった」

 4年前、日本での在留期限が切れたガーナ人男性が成田空港から強制送還される際に急死した事件をめぐって、東京地裁は、そう事実認定した。2020年に開催される東京五輪で、多くの外国人を迎える日本にとって衝撃的な事件であり判決だ。法務省・入国管理局はもとより、日本全体がこの事件を猛省し対応を改めない限り、五輪を開催する資格はないのではないかと思う。

 報道などによると、男性は手足に手錠をされタオルで口を猿ぐつわのようにふさがれて座席で前かがみに押さえられていた。両手首もプラスチック製の結束バンドでズボンのベルトに固定されていた。人間扱いしない残虐な行為というほかなく人権感覚を疑わざるを得ない。
    --「(声)人権意識希薄すぎる入国管理局」、『朝日新聞』2014年03月28日(金)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 家族のあり方 政治が左右=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年03月26日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障論
家族のあり方 政治が左右
配偶者控除見直しの行方注視を
湯浅誠 社会活動家

 先日、若者の低投票率に関するニュースをテレビで見た。「自分の幸せと政治が結びつかない」という意見が多かったという。若者に限らず、こうした声は少なくない。
 これは自然なことである。日々の私的な生活に政府が露骨に介入するようなことは、誰だって勘弁してほしい。
 だが一方、私たちの日常生活が政治と無関係でいられないのも事実だ。
 典型的なのが「家族のあり方」だ。個人の選択の問題と思われるようなことが、実は政治から強い働きかけを受けている。家族のあり方を自由に選択したつもりでも、実は政治が道筋をつけていて、私たちはそれをなぞっただけということもある。
 結婚して妻となった女性がどう働くかは、夫の働き方や子どもの育ち方、ひいては家族のあり方に大きな影響を与える家族の重大事だ。妻は考える。
 結婚までに10年以上積んだ仕事のキャリアを生かしたい。でも、子どもの帰りは早いし、夫の帰りは遅い。延長保育は高いし、ベビーシッターは不安。それに、中途半端に働くくらいならパートの方がトク。子どものためにもその方がいい……。

 これは妻の自由な選択であり、その選択は尊重されるべきでだ。だが同時に、妻がパートを選択するよう、政治が道筋をつけているとも言える。
 妻の年収が103万円以下(月収約8・5万円)なら、妻には所得税がかからず、オットは配偶者控除を受けられる。だが、103万円を超えると控除額が減り、さらに103万円を超えると、妻にも社会保険料や健康保険料がかかるようになる。
 収入が増えるほど控除が減って、支払う税金が増えるなんて、金額以上に損した気分になりそうだ。月に8万円分働くのも15万円分働くのも、たいして変わらない気がしてくる。多くの妻がパートを選ぶ背景に、政治が決めた税制の影響があるとも言える。
 ただでさえ「母親は家で子育てすべきだ」という価値観は根強いのに、税制がさらに、結婚した女性が働く時のハードルを高くしていると感じる。にもかかわらず、夫の収入は増えないし、保険料や教育費は上がる一方。妻が働きに出なければならない圧力も強まっている。
 前からも後ろからも風を受けながら、進む方向を決めなければならない女性たちの苦しさは、男性にはなかなか想像できない。せめて、税制くらいは中立であるべきではないか。
 先ごろ、政府の経済財政諮問会議と産業競争力会議の合同会議の場で、阿倍晋三首相が配偶者控除の見直しを指示した。今後の推移に注目したい。
ことば 配偶者控除 配偶者の年収が103万円以下の場合、所得税の課税対象額から38万円を差し引く。実質的な高額所得世帯の優遇で、既婚女性が年収の上限を気にして就労調整するため「女性の社会進出を妨げる」との批判もある。配偶者控除を廃止すれば、1兆円超の税収増が見込まれる。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 家族のあり方 政治が左右=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年03月26日(水)付。

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覚え書:「『なんで英語やるの?』の戦後史 [著]寺沢拓敬」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。


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「なんで英語やるの?」の戦後史 [著]寺沢拓敬
[掲載]2014年03月23日   [ジャンル]歴史 教育 

 中学校の学習指導要領で外国語が必修になるのは2002年のこと。ついこの前までは制度上は選択科目に過ぎなかった。戦後初期は名実ともに選択科目だった英語が「事実上の必修」となったのは1950年代から60年代にかけて。「3年間のうち一度は学ぶ」から「すべての生徒が3年間学ぶ」ようになった。背景には英語教師の運動による、高校入試への英語導入や、ベビーブームの影響(生徒増で増えた英語教師に、生徒数が落ち着いた後に余裕ができた)があるとみる。農村部にも目配りしつつデータを渉猟するとともに、50年代の加藤周一の必修反対論など英語教育をめぐる議論も追う。「英語が必修でない日本」もあり得たのか、と想像させる。
    ◇
 研究社・2940円
    --「『なんで英語やるの?』の戦後史 [著]寺沢拓敬」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「岩本素白 人と作品 [著]来嶋靖生」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。


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岩本素白 人と作品 [著]来嶋靖生
[掲載]2014年03月23日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

 岩本素白(1883~1961)の文章を、親友だった野尻抱影は「時代物の結城紬(つむぎ)のような、渋い、きめの細かい随筆」と書き、その人となりを森銑三は「市井の隠者」と評した。東京・品川に生まれ、学識深く、麻布中学や早稲田大学で長く教えた。早稲田の国文科では素白のために「随筆文学」の講座を設けたそうだ。江戸の名残がまだ濃い明治を追憶した名編『東海道品川宿』はもともと文芸誌「槻(つき)の木」に連載され、その第1回の原稿は著者が素白から直接受け取ったという。窪田空穂はじめ友人、同時代人、教え子ら多くの人が書き残した素白像をたんねんに集め、生涯をたどる。両親ともに幕府方の武家だったというのに納得。
    ◇
 河出書房新社・1890円 
    --「岩本素白 人と作品 [著]来嶋靖生」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「酒飲みで人情家、仕事一途 安西水丸さんを悼む 作家・嵐山光三郎」、『朝日新聞』2014年3月26日(水)付。


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酒飲みで人情家、仕事一途 安西水丸さんを悼む 作家・嵐山光三郎
2014年3月26日05時00分

 三月十四日夜、立川志らくの落語会で、安西水丸が隣席に坐(すわ)っていた。「この歳(とし)になってなんでこんなに忙しいんだろう」と恨むような顔をしていうから、その話を今週の週刊朝日に「のんきなとーさんは悲しい」と題して書いた。水丸に同情しつつも、挑発してやろう、という気があった。落語会のあとは、タクシーで青山の水丸事務所まで送って、自宅へ帰った。水丸が鎌倉の家で倒れたのはその三日後の三月十七日で、十九日に亡くなった。脳出血だった。

 ああ水丸よ。酒飲みで、女好きで、人情家で、仕事一途で、せっかちで、好き嫌いがはげしい薄情の水丸よ。手品みたいに消えてしまったね。

 一九八八年二月、水丸と一緒にニューヨークへ行き、かつて水丸がマスミ夫人と暮らしていたアパートを訪ねた。古ぼけたアパートがあり、水丸が住んでいた部屋の窓に赤いバラの鉢があるのを見つけた。階段を上がると屋上のテラスにも冬バラが咲いていたが、葉は変色してしなびていた。そのとき水丸が作った句は、うろおぼえだが、

 冬バラに冬バラの虫生きており

 というものだった。真紅(しんく)のバラの花弁の奥を赤い小さい昆虫が這(は)っていた。

 水丸とはじめて会ったのは一九七一年で、水丸も私も二十九歳だった。ニューヨークのデザイン会社をやめて帰国し、私が勤めていた東京都千代田区四番町の平凡社へ水丸が入ってきた。たちまち仲良くなり、水丸の娘用に『ピッキーとポッキー』という絵本を作った。水丸はその原本を福音館書店に売りこんで、一年後に刊行された。いまもロングセラーとなっている。昨年十一月に、その俳句絵本を刊行して、一月に原画展をした。これから夏祭りバージョンを仕上げる予定だったが、水丸は「夏祭りは登場動物が多いからなるべく出演者を少なくしてね」といってきた。

 水丸、南伸坊、嵐山の三人で、小型の俳画カレンダーを作って、友人に配って十年余となるが、これも今年で終了となる。

 なにごとも始まりと終わりがある。あれも、これもと楽しかった日々の記憶が重なり、空漠の彼方(かなた)へ消えていく。水丸の絵は一本の線が、水平線となってピンと張られている。その線を崩して、うまくなってしまった手をなだめ、自在に動かして、見えざる天然へ預けようとした。水丸、という人名を書くだけで、うろたえ、ただ喪失のなかを漂うばかりである。

    *

 あらしやま・こうざぶろう 1942年生まれ。平凡社「太陽」元編集長。『悪党芭蕉』(2006年)で泉鏡花賞・読売文学賞。『ピッキーとポッキー』はシリーズ化されている。 
    --「酒飲みで人情家、仕事一途 安西水丸さんを悼む 作家・嵐山光三郎」、『朝日新聞』2014年3月26日(水)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11049042.html:title]

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覚え書:「経済観測 仕事は尊厳=気仙沼ニッティング代表取締役・御手洗瑞子」、『毎日新聞』2014年03月27日(木)付。

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経済観測
仕事は尊厳
気仙沼ニッティング代表取締役 御手洗瑞子

 2012年1月。スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムに参加する機会に恵まれました。この年設定されていた四つのテーマのうちの一つが「成長と雇用」で、このテーマに関するセッションは特に人気でした。
 議論を聞き改めて認識したのは、雇用不足は先進国のみならず世界中で起こっているということ。日本にいると、雇用が人件費の安い国に流出しているという側面に注目しがちですが。新興国や途上国でも雇用不足は申告であり、その背景には希望職種と求人のミスマッチなどが指摘されます。また、企業が生産性向上を追求していく中で、必要とされる仕事の数そのものが減っていく、ということもあるのでしょう。ある国際機関の代表の「人が時間をかけて作った商品が市場で評価されるようにならないと、雇用不足は解決しない」との言葉は本質を突いたものであったと思います。
 こうした議論の中で繰り返し出てきた言葉があります。それは、「人間にとって仕事は、尊厳の源である」というもの。この会議に参加する直前まで、私は東北の被災地におり、まさに「仕事がない状況とは、ときに人の自信や誇りを奪う」ということを痛感していました。失業保険や支援で暮らせるからよいというものではなく、人が健全でいるためには「仕事をし、役に立っている実感」が必要なのだと。
 東北の被災地では今、「人が手をかけて付加価値を高めた、市場で評価される商品をつくろう」という動きがあります。弊社もそれを目指しており、働く人が誇りを持てる仕事をつくりたいと思っています。もし東北で、日本で、それができたら、人件費の高い国であるからこそ、世界にとって勇気の出るモデルになるのではないでしょうか。
    --「経済観測 仕事は尊厳=気仙沼ニッティング代表取締役・御手洗瑞子」、『毎日新聞』2014年03月27日(木)付。

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書評:宮崎賢太郎『カクレキリシタンの実像 日本人のキリスト教理解と受容』吉川弘文館、2014年。


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宮崎賢太郎『カクレキリシタンの実像 日本人のキリスト教理解と受容』吉川弘文館、読了。第一人者の著者は30年近くに渡る聞き取り調査に基づき、「カクレキリシタン」とは隠れたキリスト者ではなく日本化した土着信仰としてその受容を考察する一冊。 

「『カクレキリシタン』が今日まで大切に伝えてきたものは本当にキリスト教だったのか」(編集者)。キリスト教解禁後、カトリックに戻らなかった信者は多い。弾圧に耐え守り抜いたのは何か。著者は現行のキリスト教とは異なる日本的受容と見て取る。

ラショは確かに意味の分からない経文として伝承されるように、弾圧に耐えたキリシタン像(内面)だけでないその豊かな内実(外面の伝承)を本書は明らかにする。単純な連続否定は横に置くが、絶対下における受容の足跡に学ぶ点は多い。

昭和前期の「日本的基督教」の主張に比べると、評者はキリスト教のキリシタン化にはまだその断絶よりも僅かな連続性に光明を見る。それが先祖崇拝との混交としても次代へ伝え続けたところに魂があるからだ。権力馴致でない「和服の~」を再考するきっかけになろう。
※「和服の~」つうのは遠藤周作のいう「和服のキリスト教」であって、これも単純なシンクレティズムによる変容や、「皇運を扶翼する」といったかたちの権力に連動した土着化でもない、「輸入品」ではない、同地の理解といいますか、土着化でありながら、異なるものと連動したものといいますか。

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覚え書:「英子の森 [著]松田青子 [評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。


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英子の森 [著]松田青子
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)  [掲載]2014年03月23日   [ジャンル]文芸
■〈わたし〉は空虚な器なのか

 〈大人になる〉とは、自分の前に広がる無数の可能性のほとんどを諦めることだ。だが、商品であれサービスであれ情報であれ現代社会が提示するおびただしい選択肢は、自分は万能細胞のようにまだ何にでもなりうるのではないかと幻想・妄想させる。松田青子は誰もが抱えるこの幼児性、未成熟への固執を意地悪なほど浮き彫りにする。
 暗闇で職業当てゲームをする人たちを描いた短編「わたしはお医者さま?」では、各人は医者や消防士など既存の職業に飽き足らず、〈ペンギンナデ〉とか〈切手専門の額装屋〉といった自分が本当になりたい職業(?)を紙に書き、自ら掲げる。それらは自分だけのユニークな「夢の職業」に思える。だが紙を照らす懐中電灯が渡されるたびに、受け取った当人が「わたしは……」と、一様にその夢を語り出す。結局どの〈わたし〉も己の現実を受け入れられないという点で、懐中電灯と同様に交換可能なアイテムにすぎないのである。
 では我々はどこに自我の拠(よ)り所を求めればよいのか。表題作の主人公の英子にとっては英語である。そんな娘を、母・高崎夫人は応援する。英語は娘が、自分や姑(しゅうとめ)のような主婦としての一生から逃れるための手段なのだ、と。だが短期留学1年程度の彼女くらいの英語力の人間は掃いて捨てるほどいる。英子の周囲には正規社員にはなれないが、英語を使う仕事を諦めきれない〈痛い〉同類ばかりだ。
 作中で英子が訪れる「森」とは、各人物たちの夢や無意識の世界なのだろう。それが人工的な色調や模様で彩られたとことん薄っぺらい場所なのが不気味である。
 〈わたし〉とは、メディアやネット空間を満たす紋切り型の言葉や欲望を載せた空疎な器に過ぎないのか。現代社会の表層をそっくりコピペして突きつけられたかのような居心地の悪さ。もちろん松田青子は確信犯である。
    ◇
 河出書房新社・1575円/まつだ・あおこ 79年生まれ。著書に『スタッキング可能』がある。
    --「英子の森 [著]松田青子 [評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「ピース [著]ジーン・ウルフ [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。


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ピース [著]ジーン・ウルフ
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2014年03月23日   [ジャンル]文芸 
■なんと魅惑的な曖昧と不安定

 ジーン・ウルフは、まったくもって一筋縄でいかない作家である。日本でもマニアックな人気を誇る彼は、あえてジャンル分けをするならSF/ファンタジーの小説家ということになるのだろうが、フィクションに、生半可な理解や納得よりも謎と混乱を求める、全てのすれっからしの読者に、過剰なまでの満足を与えてくれる。『ピース』は、ウルフが1975年に発表した比較的初期の長編小説である。
 語り手の「ぼく」は、オールデン・デニス・ウィア、アメリカ中西部の片田舎の町キャシオンズヴィル(ちなみに架空の地名)に独居する老人である。この土地の旧家の最後の末裔(まつえい)であり、裕福な実業家として人生をまっとうし、すでに引退しているらしい彼は、広大な屋敷内をうろつきながら、幼年時代から現在までの自らの過去を、とりとめもなく、むやみと断片的に、だが濃密に回想する。少年の頃に同居していた美人の叔母オリヴィアと、その3人の求婚者たちの思い出は、やがて複雑怪奇な渦を描いて、あっけなく時間と空間を跳び越え、無数の不可思議な物語を紡いでゆく。神話や幻想、妄想や夢に属するとおぼしきエピソードが、次々と語り出されては、横滑りし、枝分かれし、肝心な所でなぜか中絶し、いつのまにか別の話に変化してしまったりする。すべての出来事が、どこからどこまでが本当にあったことなのか、誰が本当のことを話しているのか、そもそも「ぼく」の語りは、果たして信頼に足るものなのか、まるきり定かでなくなってゆく。だがしかし、その曖昧(あいまい)と不安定の、すこぶる魅惑的なことといったら!
 訳者の西崎憲は、解説でこう述べる。「ウルフは嘘(うそ)をつかない。ただ描写するだけだ。嘘をつく人間を」。これこそ、まさにウルフの真骨頂だ。小説を読む悦(よろこ)び、物語を読む愉(たの)しみ、その底なしの深み、そのおそろしさを、とことん味わわせてくれる傑作である。
    ◇
 西崎憲・館野浩美訳、国書刊行会・2520円/Gene Wolfe 31年生まれ。作家。『ケルベロス第五の首』など。 
    --「ピース [著]ジーン・ウルフ [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「ル・コルビュジエ 生政治としてのユルバニスム [著]八束はじめ [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。


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ル・コルビュジエ 生政治としてのユルバニスム [著]八束はじめ
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2014年03月23日   [ジャンル]政治 人文
■反転する地域主義と普遍主義

 モダニズム建築の「神様」としてたてまつられてきたル・コルビュジエが、フーコー的な権力分析の手法によって、見事なまでに解体され、裸にされた。
 従来のコルビュジエ評価は二分される。19世紀以前の旧態依然とした様式建築、装飾的建築を粉砕した、合理主義者、改革者としてのコルビュジエ。対極の評価は、20世紀流、工業社会流の殺伐とした非人間的空間の原型を作った、犯罪者としてのコルビュジエである。
 著者は、そのどちらでもない新しいコルビュジエ像を提示する。天使でもなく、悪魔でもない。著者は、それをコルビュジエの中の矛盾として説明せずに、コルビュジエの必然的、宿命的遍歴として示す。
 一般にコルビュジエは、国際主義者、グローバリストと考えられてきた。しかし、著者の描くコルビュジエは、スイスの片田舎のユグノーの家に生まれ、地域主義者としてスタートし、活動領域の拡大につれて、1920年代に国際主義者に転じ、30年代には、地中海人というアイデンティティーにめざめ、再び地域主義に復帰する。コルビュジエのトレードマークとも呼べるフラットルーフの白い箱が、国際主義の象徴から、地中海の地域主義のシンボルへと反転したのである。
 地域主義と普遍主義は対立するものではなく、カードの裏表のように容易に反転可能であるという、フーコー的認識が視座にある。普遍主義の権化とも見えるナポレオン3世が、いかにフランスの地域主義を育てたか、そしてフランスの植民地政策が拡張主義でありながら、いかに地域主義的であったかが示される。
 この複雑なネジレがコルビュジエ建築の強さを生んだ。地域主義を目的として海外からも建築家を招いた、熊本アートポリスに著者は関わった。このプロジェクトの「ネジレ」に対する、著者の個人的感想も聞きたくなった。
    ◇
 青土社・2940円/やつか・はじめ 48年生まれ。芝浦工業大学教授(建築論)。『メタボリズム・ネクサス』など。 
    --「ル・コルビュジエ 生政治としてのユルバニスム [著]八束はじめ [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「潮の騒ぐを聴け [著]小川雅魚 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。


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潮の騒ぐを聴け [著]小川雅魚
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2014年03月23日   [ジャンル]文芸 

■地方色豊かな随筆の傑作

 著者に会ってみたい。これは読後感で最大のほめ言葉だろう。読み終わって、著者が身近な人に思える。酒を酌みながら、お話をしたい。もっともっと、いろんなことを聞きたい。著者の顔を見てみたい。
 こんな気持ちになったのは、久しぶりである。久しぶりに面白い本を読んだ。エッセイ集の、傑作である。書名もいい。潮騒(しおさい)を聴けでなく、潮の騒ぐ、である。もっともなぜいいのか。理由を問われると答えられぬ。ひいき目というやつだろう。
 著者の名は本名だろうか。「まさな」と読むようだが、むずかしい。漢字は異なるが、まさなは正しくないことで、まさなごとは、戯れごと、冗談ごとをいう。本書の三分の一は、本文の注釈ページである。注釈が、もう一つの本文になっている。つまり、読み応えのある内容なのである。
 たとえば、著者の故郷・渥美半島の大アサリについて、話が始まる。アサリの潜水漁から、ミル貝の美味に話が移り、突然、美空ひばりの名が出て、ここで注釈番号が入る。読者は急いで指示の注釈ページを開かねばならぬ。すると、ひばりが三歳で百人一首をそらんじていた、という話題がある。伝説でなく、ひばりの守(も)りをした人の直話とある(百首のうち九十五首、九十二首、七十五首との説も)。
 ひばりのジャズが絶品で、ミル貝を肴(さかな)に聴けば地上の楽園と述べ、潜水病の話になり、潜水名人の体験談となる。海の底は案外に騒がしく、網を引く滑車が海底を転がる音、漁船のエンジン音、格段にうるさいのが、伊勢湾に入ってくる駆逐艦の超音波探信儀の音という。
 著者の話法は縦横無尽で逸脱自在、注釈ページが必要なわけ。インド学者松山俊太郎の博学ぶりから、元投手の池永正明訪問に及ぶ。支離滅裂のようだが、どっこい、一本の綱に綯(な)ってある。地方色豊かで、世間知の宝庫。これぞ随筆の王道。著者は、何者
    ◇
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    --「潮の騒ぐを聴け [著]小川雅魚 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「デジタルで学ぼう:無料オンライン講座が開講 東大の教授らが来月から」、『毎日新聞』2014年03月25日(火)付。


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デジタルで学ぼう:無料オンライン講座が開講 東大の教授らが来月から
毎日新聞 2014年03月25日 東京朝刊

(写真キャプション)無料のオンライン講座について説明する本郷和人教授

 東京大や慶応大、早稲田大の教授による無料オンライン講座(MOOC=マッシブ・オープン・オンライン・コース)が4月に開講する。米国では2012年から、ハーバード大やスタンフォード大など有名大学の講義の無料配信が始まり、1講義に数万人が登録するなど注目を集めている。日本での取り組みを紹介する。

 ●昨秋に推進協議会を設立

 きっかけとなったのは、昨年10月に設立された日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC)だ。日本向けのMOOCを提供したいと、東京大の山内祐平准教授ら大学、企業関係者が呼び掛け人となり、白井克彦・放送大学学園理事長が理事長に就任した。

 東京大は当時、既に米のMOOCサービスに参加して講座を配信し、京都大も参加が決まっていたが、講座はいずれも英語で、日本で受講するにはハードルが高い。また、参加は各国のトップ大学に限られるという制約もあった。そこで日本では、企業が配信専用サイトを運営し、同協議会が公認する形で、日本語の講座を無料配信することになった。

 ●受講は専用サイトで登録

 4月に開講する講座は、NTTドコモなどが運営するウェブサイト「gacco(ガッコ)」(http://gacco.org/)に登録して受講する仕組みだ。登録に必要なのは名前とメールアドレス、ニックネームのみ。約10分の動画を1週間に10本程度視聴し、リポートなどの課題を提出する。サイト内の電子掲示板を使って質問したり、参加者同士で議論したりすることもできる。担当教授が参考資料を指定していれば、自分で読んで勉強する。オンライン講座といっても、一般的な大学の講義を受ける感覚に近く、一定の期間内に受講を終えなければならない。担当教授が決めた修了条件を満たせば、修了証を取得できる。

 ●「若い人に聴いてほしい」

 4月14日にはまず、東京大の本郷和人教授による「日本中世の自由と平等」が開講し、5月19日に慶応大の村井純教授の「インターネット」が続く。現在、受講登録を受け付けており、受講者は数千人規模になる見込みという。

 本郷教授は「ぜひ、若い人に聴いてほしい」と語る。史料編さんが専門の本郷教授は、歴史嫌いの若者が多いことを心配している。「歴史の授業で暗記させられるからだと思うが、年号など覚える必要はなく、答えが決まっている学問でもない」と強調する。

 実際の講義では、歴史小説などで「戦国大名たちは天下統一をしたいと思っていた」などと書かれることに異論があることを示したいという。「いろいろな視点でみたり、分析したり、みんなで語り合って、人と時代との関わりを考えるのが歴史の醍醐味(だいごみ)だ」。誰でも参加できるMOOCで、それを多くの人に味わってもらいたいと考えている。

 本郷教授、村井教授の後は、「マンガ・アニメ・ゲーム論」(氷川竜介・明治大客員教授ら)、「化学生命工学が作る未来」(吉田宗弘・関西大教授ら)など9講座が予定されている。

 ●米コーセラには700万人登録

 一方、米国のMOOCのサービスには、スタンフォード大の教員が始めたCoursera(コーセラ)や、マサチューセッツ工科大(MIT)とハーバード大の教員によるedx(エデックス)などがある。コーセラには現在、世界約100大学が参加、約700万人が登録している。

 米国でMOOCが急速に広がったきっかけは、スタンフォード大の教員がオンラインで無料配信した人工知能入門の講座に90カ国16万人が登録したことだったという。受講者の規模に驚き、次々とサービスが始まった。東大がコーセラで配信した、村山斉・カブリ数物連携宇宙研究機構長の講座も世界144カ国の約4万8000人が登録した。

 大学で学ぶには、入学し、授業料を払って講義を聴くことが一般的だったが、MOOCが普及すれば、遠隔地からでも、働きながらでも、年齢に関係なく、必要な勉強ができることになる。【岡礼子】 
    --「デジタルで学ぼう:無料オンライン講座が開講 東大の教授らが来月から」、『毎日新聞』2014年03月25日(火)付。

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覚え書:「(世界発2014)キリシタンに脚光 バチカンで法王『弾圧耐え信仰守った』」、『朝日新聞』2014年03月26日(水)付。


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(世界発2014)キリシタンに脚光 バチカンで法王「弾圧耐え信仰守った」
2014年3月26日05時00分

(写真キャプション)祈りの言葉「オラショ」を披露する生月島のキリシタンたち=いずれも長崎県平戸市の「島の館」、石田博士撮影

 カトリックの総本山バチカンで、日本の「キリシタン」が脚光を浴びている。日本に強い関心を持つフランシスコ法王が、弾圧に耐えた歴史を「信徒の模範」とたたえ、長く保管されてきた史料について日本側との共同研究が始まる。明治期の「信徒発見」から来年で150周年。今も独自の信仰を保つ人々を「古いキリスト教徒」として再評価すべきだという声が出ている。

 ■史料1万点、共同研究へ

 「偉大なことです。彼らは孤立し、隠れていましたが、常に神の民の一員でした」。フランシスコ法王は1月15日のスピーチで、日本のかくれキリシタンを称賛した。バチカンの公式見解を伝える「オッセルバトーレ・ロマーノ」紙は翌日付の1面で、「日本のキリスト教徒に学ぼう」との見出しを掲げた。

 フランシスコ法王は、日本にキリスト教を伝えたザビエルと同じイエズス会。若い頃は日本での布教を希望するなど、日本への関心が高いとされる。

 バチカン図書館は今年から、日本の人間文化研究機構などと協力し、キリシタン関連史料を調べる「マレガ・プロジェクト」を始める。史料は1万点。パシーニ館長は「キリシタン関連史料がこれほどまとまった形で見つかる例は日本にもない」と意義を語る。

 プロジェクト名のマレガ神父はイタリア出身。1929年に日本に渡り、長く大分県で伝道した。多くの史料を集めて「豊後切支丹(ぶんごきりしたん)史料」を刊行したが、原本は見つかっていなかった。

 2011年、図書館内に保管されていた包みから大量の日本語の史料が見つかった。これがマレガ神父の集めた文書だった。

 パシーニ館長によると、図書館には未整理の史料を調べる職員が約10人いる。だがキリスト教の成り立ち上、ギリシャ語とラテン語が中心。アラビア語や日本語などの言語を担う「東洋担当」は1人だけで、研究は進んでこなかった。

 それが、フランシスコ法王就任後の昨年11月、研究に関する協定が結ばれた。今後6年かけて目録作りや画像データのウェブ公開を進める。館長は「遠い国と文化交流を進めるという図書館の活動を法王は支えてくれている」と話す。

 日本側代表の大友一雄・国文学研究資料館教授は「今回の資料のうち9割が未解明。弾圧がどのようなものだったか、研究の仕方が大きく変わる。世界の他の地域の宗教弾圧との比較、検討にもつなげられるだろう」と期待する。

 ■長崎、受け継がれる信仰

 着物姿で正座した男性たちが、念仏に似た祈りの言葉を唱えた。終盤、それは賛美歌のような響きに変わった。欧州ではもう誰も歌っていない古い聖歌だ。

 東シナ海を望む長崎県平戸市の生月島(いきつきしま)。昨年11月、壱部(いちぶ)集落のかくれキリシタンが唱える「歌オラショ」が、郷土博物館「島の館」で一般に公開された。

 生月島はかくれキリシタンの信仰が今も残る。

 16世紀中ごろ、イエズス会が布教を始めた。禁教令で「海が赤く染まった」という厳しい弾圧を受けても信仰は受け継がれた。

 明治時代に禁教が終わっても多くは独自の信仰を捨てず、昭和初期には約1万人の島で8割がキリシタンだった。だが過疎や高齢化の中で、伝統を受け継ぐ人は減少している。今は島の人口6千人のうち、かくれキリシタンは約400人。世界で主流派のカトリック信者は300人だという。

 信者の一人、舩原(ふなばら)正司さん(51)は「見つかれば殺されるという苦しい時代も、ご先祖は儀式を続けてきた。私たちも続けたい」と話す。「島の館」学芸員でキリシタン史を研究する中園成生さんは語る。「キリシタンの存在を、歴史的文脈でとらえなおす時期に来ている」

 宣教師が日本から追放された後、キリシタンは「元通りでなければいけない」とラテン語の祈りの言葉を暗唱し続けた。特に、歌オラショは「日本に最初に入ってきた西洋音楽が保たれたもの」だという。

 歌オラショの原曲であるグレゴリオ聖歌の譜面は、皆川達夫・立教大名誉教授が82年にマドリードの国立図書館で発見した。

 昨年11月、この聖歌を指揮者の西本智実さん率いる合唱団がバチカン・サンピエトロ大聖堂でのミサで披露。弾圧を生き延びた歌が、カトリックの総本山に響いた。

 長崎県は、生月島の人々にとっての聖地を含む「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の世界遺産登録を目指す。バチカンからは「登録を支援する」との手紙が届いているという。(生月島〈長崎県〉=石田博士)

 ■250年経て残る儀式、驚き アニバレ・ザンバルビエリ パビア大教授(宗教史)

 弾圧を恐れて潜伏する信徒は現代でもイスラム諸国や北朝鮮にいる。しかし、日本のキリシタンは極めて組織化されていた。250年たっても、すべての儀式が残っていたのは驚きだ。今の「キリシタン」をキリスト教徒とみなすか否かについては議論が分かれる。仏教や神道の影響を受けているとされるためだ。だが、私は彼らを「古いキリスト教徒」と呼ぶべきだと考える。地域の文化と混じり合うことはしばしば起きる。法王でさえ、彼らを信徒の模範として語った。彼らをキリスト教徒とみなさない理由はない。

 ■法王のスピーチ(要旨)

 彼らは17世紀はじめ、厳しい迫害を受けました。多くの殉教者が出ました。聖職者は追放され、何千人もの信者が殺されました。日本に司祭は残りませんでした。みな追放されたのです。

 信徒の共同体は非合法とされながら信仰を守り、人目につかない場所で祈りました。子どもが生まれた時には父や母が子に洗礼を授けました。約250年後、宣教師が日本に戻った時、何千人ものキリスト教徒が公の場に出て、教会は再び栄えることができました。

 隠れていても彼らは強い共同体精神を保ちました。洗礼が彼らをキリストのもとに一体としたからです。これは偉大なことです。彼らは孤立し、隠れていましたが、常に神の民の一員でした。教会の一員でした。私たちはこの歴史から、多くを学ぶことができるのです!
    --「(世界発2014)キリシタンに脚光 バチカンで法王『弾圧耐え信仰守った』」、『朝日新聞』2014年03月26日(水)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11049101.html:title]


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覚え書:「書評:魯迅出門 丸川 哲史 著」、『東京新聞』2014年03月23日(日)付。


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魯迅出門 丸川 哲史 著

2014年3月23日


◆世界史的に語り直す
[評者]佐藤賢=首都大学東京助教
 いま魯迅から世界を語ることは可能だろうか? かつて中国が「革命」とともに語られた時代は遠く過ぎ去り、文化大革命、第二次天安門事件を経て、現代思想の対象として取り上げられることはなくなり、それにともなって魯迅も専ら研究の場でのみ語られるようになった。
 「入門」ではなく「出門」を掲げる本書は、魯迅を研究の領域から解き放つ。そしてもう一度世界史的視野から語り直そうと、「虐殺」「メディア」「ネーション」といった切り口から独創的な魯迅論を展開する。著者は魯迅の仕事が「中国を『現代中国』へと書き換え、生成させることにあった」と述べる。この「現代中国」は単なる時代区分ではなく、中国が近代世界と出会う上で不可避な捩(ねじ)れを含むものであったことを表すための鍵(キー)概念である。魯迅の闘いとはまさにこの捩れとの闘いだった。またそれは西欧近代から<他者>と位置づけられた地域で思想に向かう者が共通して直面する問題であったといえる。
 かつて考えられなかった姿で中国が資本主義世界に入ったいま、西欧近代という尺度のみでは測りきれない現代中国の経験がもつ特殊性を、いかに普遍的に説明するのか? 同時代の中国知識人との対話の産物でもある本書の問いは、中国の内外を問わず、世界史的な思想課題たりうるだろう。
  (インスクリプト・3150円)
 まるかわ・てつし 1963年生まれ。明治大教授。著書『帝国の亡霊』など。
◆もう1冊 
 魯迅著『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇』(竹内好訳・岩波文庫)。封建的な中国社会に巣くう病根を描いた短編集。
    --「書評:魯迅出門 丸川 哲史 著」、『東京新聞』2014年03月23日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014032302000167.html:title]

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覚え書:「書評:水軍遙かなり 加藤 廣 著」、『東京新聞』2014年03月23日(日)付


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水軍遙かなり 加藤 廣 著  

2014年3月23日

◆丹念に描く戦国の物作り
[評者]末國善己=文芸評論家
 斬新な歴史解釈に定評のある加藤廣の新作は、九鬼水軍を率いた守隆の波乱に満ちた生涯を描く大作である。
 物語は海を眺めるのが好きな八歳の守隆が、信長に引き立てられ志摩国の盟主になった父の嘉隆、水平線の先に何があるのかという疑問に答えてくれた合理主義者の信長、最先端の天文学と航海術を教えてくれた徐・ブラデスタたちの薫陶を受けながら成長していくので、青春小説の爽やかさがある。
 当然ながら、海戦シーンのスペクタクルは圧倒的。著者は、北条家に仕えた有名な忍びの風魔党が北条水軍の一部隊だったとしており、嘉隆・守隆父子が、旋回の速い竜骨を持つ船と夜間でも操船できる高い技術を持つ風魔水軍を、どのようにして破るのかが、前半のクライマックスになっている。
 海軍力は、その国の技術力を測る指針になる。そのため作中には、戦国時代の船舶、武器、方位磁針の製造といった物作りも丹念に描かれていく。当時の職人がヨーロッパの先端技術を短期間に習得し、独自の形にアレンジするところは、技術立国日本の原点を見る思いがするのではないだろうか。
 なかでも、信長の命を受けて嘉隆が建造した鉄甲船の意外な真実や、守隆が李舜臣の考案した亀甲船(きっこうせん)の弱点を見抜く場面は、驚きも大きいはずだ。
 さらに著者は、交易にも海防にも使える水軍を描くことで、貿易による利益を確保しながら日本の独立を守るためには、軍事力はどのようにあるべきなのかという現代的な問題にも切り込んでいるだけに、考えさせられる。
 嘉隆、守隆が生きたのは、天下の覇者が、信長、秀吉、家康と入れ替わった激動の時代。そのため、本能寺の変で信長が倒れると、秀吉につくか家康につくかで悩み、関ケ原の合戦では家中が分裂するなど、常に難しい舵(かじ)取りを迫られる。これは派閥の動向を見ながら、生き残りの道を模索するサラリーマンを彷彿(ほうふつ)とさせるので、守隆の苦悩には思わず共感してしまうだろう。
  (文芸春秋・1943円)
 かとう・ひろし 1930年生まれ。作家。著書『求天記』『安土城の幽霊』など。
◆もう1冊 
 加藤廣著『信長の棺』(上)(下)(文春文庫)。本能寺の変の後、消えた信長の遺骸を追う歴史ミステリー。作家七十五歳のデビュー作。 
    --「書評:水軍遙かなり 加藤 廣 著」、『東京新聞』2014年03月23日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014032302000169.html:title]

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覚え書:「意味としての心―「私」の精神分析用語辞典 [著]北山修 [評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。


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意味としての心―「私」の精神分析用語辞典 [著]北山修
[評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)  [掲載]2014年03月23日   [ジャンル]人文 医学・福祉 

■言葉による治療、別の物語に変換

 過去に書いた論考や随筆や事典原稿を集めたら精神分析の用語辞典になった。それほど著者は言葉による治療にこだわってきた。
 心のあがき、軋(きし)み、焦り、躓(つまず)き、へたれ……。ひとの心は千々に乱れ、もつれる。やりきれないこと、割り切れないこと、鬱憤(うっぷん)や塞ぎがどんどん溜(た)まってくる。
 そこには「心の台本」というべきものがあり、それを「悲劇やまずい筋書き」として、つまりは失敗や転倒として反復しているうちに、ひどくこじれて問題行動や症状になって出る。
 なぜ何をしてもいつもこうなんだろう……。そんなふうに吐きだされた言葉を聴き、そこに潜む「心の台本」を探り、それをともに読みながらさらに別の物語へと変換してゆく。これが著者のいう精神分析療法の基本だ。
 ただ、それらの言葉とほんとうに言いたいことのあいだには、つねに「変質や変換」の操作がはさまり、あいだにずれや隔たりが生まれる。表と裏、表面と深層の齟齬(そご)がつねにそこにはある。そしてそうした二重性を抱え込んだまま、他人とのコミュニケーションが、自己の理解が進行する。
 が、「ほんとうは……」と語ることじたいが騙(かた)りである可能性はいつもある。意味不明なところ、どうでもとれるところ、在不在のあわいに、ひとはおのれの取り消しがたい思いを込めるからだ。だから読むということが必要になる。
 そういう綾(あや)は、ちょっとした冗談や言い損じ、あるいは言葉遊びや戯れ歌のなかに、曖昧(あいまい)なままに表現されもする。そのすべてが精神医療の対象であり、かつ治療にヒントを与えてくれる。だから著者は長い治療歴をふり返り、日本語こそが先生だったという。
 この辞典には同音異義語がよく出てくる。語源的に根拠があるかないかに関係なく、語は連想を煽(あお)る。そこには病理的な誤解もあれば創造的な誤解もある。たとえば「ち」の項。チは霊/血であり、チチは乳/父である。そして、知、痴、チンチン、チツ、クチ……と連想が破天荒に広がる。が、これらの語、じつはみな精神分析の重要な対象だったのである。
 この辞典から人生指南を学び取るには「羨(うらや)ましい」を、精神科医の仕事を知りたいなら「売春婦」を、考現学として読むなら「なれ」を、哲学的思考の種がほしければ「橋」を、駄洒落(だじゃれ)の深い意味にふれるには「ゆ」の項を、まずはお読みいただきたい。
 治療においても、自分のやりなおしにおいても、「腑(ふ)に落ちる」ということが大事。そのヒントがこの本のなかには詰まっている。霜山徳爾、多田道太郎らが試みてきた日常の基本語からする人間論に連なる書物である。
    ◇
 みすず書房・3570円/きたやま・おさむ 46年生まれ。精神科医・ミュージシャン・作詞家。著書に『悲劇の発生論』『劇的な精神分析入門』『最後の授業』など。「戦争を知らない子供たち」でレコード大賞作詞賞。 
    --「意味としての心―「私」の精神分析用語辞典 [著]北山修 [評者]鷲田清一(大谷大学教授・哲学)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「国際メディア情報戦 [著]高木徹 [評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。


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国際メディア情報戦 [著]高木徹
[評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学)  [掲載]2014年03月23日   [ジャンル]政治 社会 

■世界の舞台裏での熾烈な戦い

 1992年の大統領選。現職のブッシュ(父)に挑むクリントン。テレビ討論会。会場から女子学生が国家財政の赤字について質問をした。カメラはスタジオ全体を広く捉えていた。その画面の隅で、質問の最中、ブッシュはチラリと腕時計を見た。この一瞬が命取りになった。この場面は繰り返し放送されることになる。「そんな質問は時間がもったいない」といわんばかりの傲慢(ごうまん)なイメージが人々の脳裏に深く刻み込まれた。
 これが本書のキーワードのひとつ「サウンドバイト」である。長い映像からワンシーンだけを意図的に切り出し、敵を倒す武器、あるいは味方を称揚する戦略として活用する。ブッシュはこれにやられたが、小泉純一郎は最大限に利用した。今や世界の舞台裏では、銃弾を使わないもうひとつの戦い、つまり情報戦が密(ひそ)かに、かつ熾烈(しれつ)なまでに見えない砲火を交わしている。
 ボスニア政府をクライアントとするPR会社ルーダー・フィン(PRとは広告のことではなく、イメージ戦略)のエキスパート、ジム・ハーフは、外相のテレビ出演における間の取り方を指導し、民族浄化という言葉を編み出してセルビア側にレッテルを貼り、ミロシェビッチ大統領をサダム・フセインに勝るとも劣らぬ極悪人に仕立て上げた。
 オバマの選挙、アルカイダのオープンソース・ジハード、はては五輪開催地争奪戦にいたるまで、あらゆる局面の背後にプロの仕事師たちが暗躍している。彼らはことを有利に進めるため、イメージを演出し、メディアを巧みに操作する。本書はその知られざる現場を活写して、テレビのスペシャル特番のごとく読者の関心を一気にわしづかみにする。それもそのはず、著者は大宅賞など総なめのノンフィクション界の旗手で、現役のNHK敏腕ディレクター。ときに、メディア情報戦で劣勢続きの自分の職場についてはどう捉えているのだろうか。
    ◇
 講談社現代新書・840円/たかぎ・とおる 65年生まれ。90年にNHK入局。『ドキュメント 戦争広告代理店』など。 
    --「国際メディア情報戦 [著]高木徹 [評者]福岡伸一(青山学院大学教授・生物学)」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場:復興予算を個人の生活支援に」、『毎日新聞』2014年03月26日(水)付。


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みんなの広場
復興予算を個人の生活支援に
中学生・13(東京都文京区)
毎日新聞 2014年03月26日

 最近、新聞で東日本大震災の復興予算が使い切れずに基金として積み上がっているという記事を見つけた。自治体の職員が足りないなどの理由で予算を使い切ることができないらしい。

 僕はお金があるなら、被災者の生活に使うべきだと思う。この前、ニュースで配給が足りずに困っている人や支援がないので生活に苦しんでいる人たちの特集をしていた。

 僕は3年たった今でも生活がままならない人がいることに驚いた。それだけでない。使われた予算の中で、被災者の暮らし向上に回されたのはたったの8%程度であるという。いまだに仮設住宅で生活する人がたくさんいるのに、わずか8%しか使われていないのだ。

 なぜ「人」ではなく「事業」に使おうとするのだろうか。僕は疑問に思う。復興予算なのだから町の復興だけでなく、個人の生活の復興にも使ってほしい。 
    --「みんなの広場:復興予算を個人の生活支援に」、『毎日新聞』2014年03月26日(水)付。

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Photo


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日記:靖国神社で「不戦を誓い、平和の国を誓う」ことは可能なのか?


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 「私はその迫害者に対しても責任を負うている」と述べることで、レヴィナスは、「怨恨」(ルサンチマン)の道徳を覆そうとした。けれども、迫害者に対する責任は無条件な要請ではなかった。「私は私が蒙る迫害に対しても責任を負うている--、私はある場所でこう言った。これは私があまり引用したくない言葉だ。なぜなら、この言葉はそれとは別の考察によってのみ補完されなければならないからだ。つまり、この言葉は迫害される者が私である場合にのみあてはまるのである! 私の『隣人』、『私の民族』はすでにして他人であり、彼らのために、私は正義を要請する。」(15/141-2)
 危険な言葉である。というのは、戦争はつねに他人を護るという口実のもとになされ、「正義の戦争」を装うからだ。たしかにレヴィナスは、「戦争に対してなされる正義の戦争においても、ほかならぬこの正義ゆえに不断におののき、なおも震撼しなければならない」(10/413)、と言っている。けだしレヴィナスは、「正当な暴力」という口実によって戦争が恒常化されていく危険性を指摘しているのだろう。しかし、なぜ「戦争に対してなされる正義の戦争」と言うことが可能なのか。そのためには、悪しき戦争を仕掛ける者たちがあらかじめ存在しているのでなければならないが、ではなぜ、護るべきわが隣人と「わが憎悪なき敵」(DL/339)が区別され、分割されるのか。--筆者がレヴィナスの思想をとおして辿り着いたのは、この単純な問いだった。
 単純ではあるが、われわれが存在することそれ自体の意味の変革はひとえにこの問いに掛かっているように思われる。レヴィナスは、この問いを前にした逡巡のうちに筆者を置き去りにする。ないものねだりで、そう言うのではない。むしろ逆に、この逡巡のうちにこそ、筆者のレヴィナス「経験」が存在している、と言えようか。
    --合田正人『レヴィナス 存在の革命へ向けて』ちくま学芸文庫、2000年、36-37頁。

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25日の火曜日に用があって、靖国神社に行って来ました。twitterでその雑感を残しましたが、少し補足して印象録としておきます。

靖国神社への訪問は、大学時代、相撲部の試合で訪れて以来なので、20年ぶりになりますでしょうか。そのときは参拝してから、そのまま、本殿裏手の土俵で時間を過ごしたので、ほとんど印象に残っておりません。今回は遊就館が目的でしたが、閉館時間直後に到着しましたので、館内の特別展示(「大東亜戦争七十年展」)をざっくりまわって、それからゆっくりと境内を散策しました。

おおむね、江川紹子さんの記事「国内問題として首相の靖国参拝を考える」で「昭和10年代の価値観が今も」継続し「感動を戦争肯定に導いて教化する」施設と論評しておりましたが、まずそれはイエスです。

[http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20140119-00031744/:title]

靖国神社という施設の特徴とその問題点を余すところなく紹介できていると思います。

さて、2013年12月26日、安倍晋三首相は現職総理として7年ぶりに靖国神社に参拝しましたが(※1)、首相はここで、「二度と戦争を起こしてはならないと過去への痛切な反省に立ち、今後とも不戦を誓う意味で参拝した」(※)その心情を表現していますが、考えたいのは靖国神社で「不戦を誓い、平和の国を誓う」ことが可能なのかどうなのかということです。

(※1)[http://sankei.jp.msn.com/pdf/2013/12/131226yasukuni.pdf:title]
(※2)[http://www.huffingtonpost.jp/news/abesusumusan-yasukunisanpai:title]

1時間近く、境内を散策しましたが、結論から言えば靖国神社で「不戦を誓い、平和の国を誓う」ことは不可能だろうということです。

江川紹子と認識を共有するならば、「昭和10年代の価値観が今も」継続するその社には「大東亜戦争」に対する反省は微塵もない。間違いではなかったという美化に立脚するから誓うことは不可能だ。

そして、僕が歩いて発見したのは、「大東亜戦争」だけに限らず……そして控えめに表現したとしても……「戦争は人間にとって、どちらかいえば良くはない」という認識がこれっぽちも存在しないことだ。

絶対悪という言葉がある。例えば権力批判において権力は絶対悪であるという文脈で使用される如く、様々な利点が仮にあったとしても、その存在そのものがトータルに人間にとって、所与のものとして悪であるという形而上的立場からの批判である。

戦争そのものを絶対悪と捉える視座は存在するし、僕もどちらかといえばそれに近い。しかし、絶対悪の存在を担保することには、その対象が戦争でなくても弱くなることは否めない。だから今回はそうしたアプローチを取らずに控えめに考えてみようと思うが、戦争はアプリオリな絶対悪でないとしても、アポステオリに現実的にそして歴史的に悪であることは否定できない。

だとすれば、どこまでも「やむをえなかった」「戦争が人類を進歩させた」という「弁解」でそれを理解するよりも、どこまでもそれを絶えず相対化させていく必要はあるのだろうと思う。

戦争に関しては、これも歴史的にそして現在的にも「善い戦争」「悪い戦争」という二分論でそれを肯定する立場がある。しかし、善い戦争であろうが、悪い戦争であろうが、人間の存在にとってそれを毀損するものである以上、「肯定」することは不可能だ。だとすれば、靖国神社は「大東亜戦争」のみならずすべての戦争を「否定」することができない場所である以上、「今後は戦争をしない」という意義での「不戦を誓う」場所ではない。

そして、平和を戦争の対義語と捉える必然はないけれども、「不戦」を誓う場所でないし、「場合によっては戦争は必要だ」という立場を取る以上、これまた「平和を誓う」ことは不可能である。

しかし、こういう議論をすると、安倍首相よろしく「英霊に尊崇の念を表するのは当たり前のことだ」とか、戦没施設はどこの国にも存在するから「日本だけではない」という意見が出てくる。しかし冷静に考えてみて欲しい。

「国のために死んだ」ではなく「国に殺された」のが実像だし、そういう局面にしか舵を切ることしかできなかった「政治家」の「無能」が問題なのだ。

そして「どこの国でもやっている」から賛美してもよいのだといえば、それも違う。悪事を叱責された子供が「ほかの子もやっているよ」では理屈にならないのと同じだ。

戦争を相対化・否定できない施設で不戦の誓い・平和の誓いなど根本的に不可能であるということだ(その意味では靖国以外の各国の施設もほとんどアウトになってしまう訳ではありますが。

そしてもうひとつ。「正義のための戦争」に「死んだ」のでなければ「浮かばれない」という意見も存在する。しかし、先に言及したとおり、加害者も被害者も総ての人間にとってマイナスとして存在する戦争に正義もなければヘッタクレもない。人間にとって悪である戦争を否定することによってこそ、その人間は「浮かばれる」のではないだろうか。それを反省して弔うという立場に立たない限り、欺瞞の論理であるし、それこそ死を冒涜することに繋がる。

(程度にもよるけど)政治家のパワーゲームとしての剣戟は否定しない。しかし、それに動員されるのは私たち一人一人だ。だとすれば、私自身は、……それが如何にお花畑的であるとしても……戦争そのものを完全に相対化させる視座を持ち合わせない限り、「やむを得ない」とのフレーズで不幸の連鎖は続いてしまうのだ。その不幸の連鎖を断つことこそ死者たちへの「尊崇の念」になるはずだ。

ほんと、正義の戦争だのという議論から卒業するしかない。

ふっかけられたからやったという理屈も存在する。しかしこれも、おまえの役者が下やろうという話しだし、ほかの国でもやっているやんと言っても、やってるからええという話ではない訳で、その隷属から自由になり未来を作るしか、不幸の連鎖を止めることは不可能だ。ここからスローガンとしての愛国やら反戦から自由になり、「不戦の誓い」と「平和の誓い」はアクチュアルなものとなる。

繰り返しになるが、様々な理屈をこねて戦争を否定できないことこそ問題なのである。

さて、以下は、印象記。


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今回、遊就館にて「大東亜戦争七十年展」が開催されておりましたが、ここでは、散華した英霊たちの遺書や遺品を中心に、いかに若者たちが理不尽な巨悪と戦い、無念を抱きつつ死んでいったのかという構成。勿論、そこには戦った相手の視座も、戦場となったアジアの大地と民衆への眼差しは全く存在しないから、先の戦争を反省しようという展示とはほど遠いもので、偉大な先達たちに涙という感動病で構成されている。しかし、その若者たちを戦場へ送り出した当体こそ理不尽な巨悪であることを忘れてはいけないだろう。

空襲で焼き殺されて「なんでじゃー」と感動(憤慨)するけど、その国籍を背負った人間が、よその土地で食料を奪って焼き払う。勿論、その当地の人も同じく憤慨する。しかし、前者は後者を想像しない。想像力をたくましくすれば善い戦争などはないのだ(同時に、良いも悪いもないから免罪でもないのも念のため)。


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遊就館の1Fロビーに零戦52型が展示。「ほう、日本の技術はすごい」とはおっちゃんが感心しておりましたが、その技術というのは個々の職人の卓越した技能で、確かにそれは誇るべきでしょうが、戦争をやるなら、銘刀を鍛えるような卓越した技術・技能が必要になるのではない。工業規格がなく部品の互換すら不可能だったのが過去の日本。国力としての大量生産の問題を横にしても、工芸品では世界とは戦えないという話で、昨今も、日本人は手先が器用だから、戦争になっても凄い兵器を作ってぶちまかす式の「日本の技術は世界一ィィィィィ」っていう御仁が多いのですが、それ美術工芸やで、という話な訳で勘弁して欲しいなあと思います。


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「もう一度、強い日本へ」とか「自らの身は顧みず」なので、過去に悲劇が在ったわけで、このなんとも「芳しい」お土産の数々……。


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境内に、東京裁判のパール判事の碑があった。判事の東京裁判での無罪論は親日・反白人としての免罪論ではない。すべての戦争を無効化するためには、すべての責任を追及しなければならぬというそれである。碑の瞳は何か寂しげであった。

南部宮司勘弁してくれ。

崇高さのかけらも存在しない。


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覚え書:「今週の本棚・本と人:『民間交流のパイオニア 渋沢栄一の国民外交』 著者・片桐庸夫さん」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『民間交流のパイオニア 渋沢栄一の国民外交』 著者・片桐庸夫さん
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊

 (藤原書店・4830円)

 ◇重い示唆を持つ実業人の思想--片桐庸夫(かたぎり・のぶお)さん

 太平洋戦争の影がしのびよる時代、海の向こうの人々から「グランド・オールド・マン」と称(たた)えられ、尊敬を一身に集めた実業人がいた。「論語と算盤(そろばん)」を座右に置いて500に及ぶ日本企業の礎を築きながら、自らは財閥をつくらず、「公益の実践者」の立場を貫いた渋沢栄一(1840-1931)。

 「『日本資本主義の父』と呼ばれる渋沢ですが、政治・軍事と一線を画す経済的互恵への信念や高い倫理意識の下、実業界代表団の相互交流を通じた「国民外交」を展開し、米国、中国、韓国との外交関係を改善に導こうと献身的に活動したことは、あまり知られていません」

 著者は40年前、1925年に創設された「太平洋問題調査会」(IPR)に関する史料に遭遇する。そして、今でこそ一般的な国際NGO(非政府組織)の草分けとなる会議の推移を、自らの大きな研究テーマの一つに据えた。IPRは当時、欧州中心の国際連盟、南北アメリカの汎米会議に並ぶ「3大国際会議」に数えられた。その中心が渋沢だった。「IPRには『国連が国家機関ならば、こちらは民間主体で』という、渋沢の先進的な思想が息づいていました」

 米議会で24年、「日本人に真珠湾攻撃の精神的準備をさせた」とさえ言われる排日移民法が可決された後も、すでに80代半ばにさしかかった渋沢は、日本IPRの評議員会会長として、急速に悪化する両国関係をつなぎ止めようと心を砕く。

 外交関係には、当事国双方のナショナリズムの動向が大きな影響を及ぼす。「政府が国民の不満をそらすためにナショナリズムを煽(あお)っても、簡単には流されない相互理解の土壌を日ごろの多層的な交流の中から構築しなければならない。渋沢は身をもってそう示したのです」

 渋沢の没後、日米は不幸な戦争に突入した。「しかし、たとえ成功とは言えなくても、その思想や活動は改めて検討すべき対象になるはず」と考える。

 ひるがえって今、そうした「国民外交」を主導できる実業人がどれだけいるだろうか。群馬県立女子大教授として続けられた渋沢研究の集大成は、喫緊の難題を抱える日中、日韓外交に重い示唆を与える一冊となった。<文と写真・井上卓弥>
    --「今週の本棚・本と人:『民間交流のパイオニア 渋沢栄一の国民外交』 著者・片桐庸夫さん」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140323ddm015070035000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:白石隆・評 『IMF-世界経済最高司令部 20カ月の苦闘 上・下』=ポール・ブルースタイン著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。


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今週の本棚:白石隆・評 『IMF-世界経済最高司令部 20カ月の苦闘 上・下』=ポール・ブルースタイン著
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊


 (楽工社・各1995円)

 ◇通貨危機に挑んだ金融政策中枢のドラマ

 「アジア通貨危機」は1997年7月、タイにはじまり、インドネシア、韓国に伝染して、1998年にはロシア、ブラジルと世界に拡(ひろ)がっていった。また、インドネシアではスハルト体制が崩壊し、ロシアではデフォルト(債務不履行)が起きた。しかし、それでも、米国では「世界は救われた」「危機は封じ込められた」という見方が一般的となった。韓国の危機は2回目のIMF救済策で封じ込められ、ブラジルでも2回目のIMFプログラムがうまくいった。1999年春には「世界的な危機は終わった」と宣言された。

 1997-99年、危機に陥った国の人々は確かに「辛(つら)い思い」をした。しかし、これらの国が危機に陥ったのは、その経済システムに「クロニー・キャピタリズム(縁故資本主義)」、腐敗、銀行の監督体制などの構造問題があったからである。そういう見方が定着した。『タイム』誌は1999年はじめ、「世界救済委員会」というタイトルで、アメリカのロバート・ルービン財務長官、ローレンス・サマーズ同副長官、アラン・グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長の写真を表紙に掲載した。この3人がIMFと協力し、危機を封じ込めた、世界は救われた、ということだった。

 本当にそうだったのか。危機のまえには、これらの国々に巨額の資金が流入していた。金融市場がパニックをおこすと、その巨額の資金が一時に逃げ出して危機となった。そればかりではない。パニックをおこした金融市場はIMFの救済策にも期待されたような反応をしなかった。それが何度もくりかえされた。IMFが巨額の融資パッケージを発表すると、通貨が暴落し、危機がますます深刻化した。タイでは、IMF主導の170億ドルの救済策が発表された直後、それまですでに大幅に下落していたタイ・バーツがさらに値を下げた。インドネシアでは、330億ドルの融資パッケージがとりまとめられ、銀行16行が閉鎖されると、他の銀行でとりつけがおこった。

 1997年12月のIMFの1回目の韓国救済策はまったく効果がなかった。2回目の救済策はうまくいった。韓国政府の改革への政治的意思が確認され、韓国の金融機関に債権をもつ国際銀行が「資金を引き上げない」と合意したからだった。ロシアでは1998年7月にIMF主導の220億ドルの融資パッケージが供与された。しかし、その1ケ月後、ロシア政府はルーブルを切り下げ、国債を事実上、デフォルトした。その結果、ヘッジファンドのロング・ターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が破綻寸前となり、アメリカの金融市場も危機に直面した。また、ブラジルでは、1999年、IMFが410億ドルの融資プログラムをまとめたあと、政府が固定相場制を放棄し、ブラジル・レアルは対ドルで40パーセント下落した。国際的な対立も表面化した。米国と日本は危機への対応、さらにはアジア通貨基金の創設で対立した。

 本書は、アジア通貨危機で危機対応にあたった政策決定中枢を「最高司令部」と呼ぶ。ここにはIMFに加え、米国の財務省とFRB、さらには日本、ドイツをはじめとするG7の国々の財務省、中央銀行、世界銀行もふくまれる。本書は、この「最高司令部」の危機対応は「最高」でもなければ、「司令部」というほどの力もなかったということを、タイ、インドネシア、韓国、ロシア、ブラジルにおける危機対応を丁寧に物語ることで明らかにする。

 冷戦終焉(しゅうえん)以降、金融のグローバル化は急速に進んでいる。米国在住の個人と企業が国境を越えて債券、株式、その他の証券を売買した金額だけを見ても、その総額は1980年の2490億ドルから1990年には5兆ドル、1997年には17兆5000億ドルに拡大している。また、新興市場では、海外から流入する民間資金の合計は1984-90年の1880億ドルから1991-97年の1兆430億ドルに増加した。このようにきわめて巨額のお金が国境を超えて瞬時に行き交う時代には、金融市場がパニックに陥ると、すぐどこかで流動性危機となって表面化する。1997-99年の危機はそれがどれほど怖いものだったかを示した。また、IMFの危機対応も実は試行錯誤の連続だった。本書は、危機とそれへの対応を一つの壮大なドラマとして見事に描いている。

 本書は、アジア通貨危機において、「最高司令部」が危機にどう対応したか、これをIMFと米国政府に焦点を合わせて物語る。したがって、日本、ドイツ、さらには危機に陥った国々の対応について突っ込んだ分析はない。しかし、日本の対応については、たとえば榊原英資元財務官の証言があるし、インドネシア政府の危機対応についてはギナンジャール・カルタサスミタ元経済調整大臣の回顧録がある。そうした証言と合わせ読むと、本書のおもしろさは倍加する。(東方雅美訳) 
    --「今週の本棚:白石隆・評 『IMF-世界経済最高司令部 20カ月の苦闘 上・下』=ポール・ブルースタイン著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「書評:滅亡へのカウントダウン 人口大爆発とわれわれの未来(上)(下) アラン・ワイズマン著 鬼澤忍訳」、『東京新聞』2014年03月23日(日)付。


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滅亡へのカウントダウン 人口大爆発とわれわれの未来(上)(下) アラン・ワイズマン著 鬼澤忍訳

2014年3月23日

◆少子化日本、転換モデルに
[評者]石弘之=環境学者
 本書は、世界的なベストセラーになった『人類が消えた世界』(鬼澤忍訳・同社)につづくワイズマンの新作。すでに七十億人を超えて四日半ごとに百万人の割合で増加をつづける世界人口が、政治、経済、環境、資源などに今後どのような危機をもたらすのか。各国の現場や専門家を訪ねて足でまとめあげた労作だ。
 国連は昨年、二〇五〇年までに世界人口が九十六億人に達するとする新たな推計をまとめた。これまでの予測よりも三億人が増えたため、人口爆発への危機感が再燃している。
 世界人口は、このまま増加がつづけば二一〇〇年には百億人を超える可能性がある。著者は、十八世紀末にマルサスが提示した人口増加と食糧不足による貧困と破滅というシナリオを、環境悪化、水不足、エネルギー需要などさまざまな側面から補強する。
 第一章はイスラエルの原理派ユダヤ教徒からはじまる。自派の勢力を拡大する目的で、一家族平均七人近い子どもをつくる。このために、エルサレム市内の彼らの居住地域は人口過剰で荒廃し、貧困層に転落した世帯が多い。
 次々に繰り出される事実やエピソードには、意表をつかれるものが多い。先進国では総じて人口の停滞が問題と思っていたが、英国は旧植民地からの移民の流入のために急激に人口が増え、二〇五〇年までに西欧で最大の人口国となりそうだ。この増加を牽引(けんいん)しているイスラム系住民に対する警戒心から、人種排斥が激しくなっている。
 日本についても一章を割く。国内では悲観論が渦巻く少子化や人口減を、著者は肯定的にとらえる。知的で教育水準の高い日本人は、人口が持続可能なレベルに転換する最善の機会を示す国であるとも言い切る。
 結論は「人道的に人口を減らせなければ、自然が整理解雇通知の山を人類に手渡すことになる」。人口圧で崩壊した自然が人類を養いきれなくなる、という警告だ。
(早川書房・各2100円)
 Alan Weisman 1947年生まれ。米国のジャーナリスト。
◆もう1冊 
 P・R・エーリックほか著『人口が爆発する!』(水谷美穂訳、新曜社)。気象・資源などの観点から世界的人口増加に警鐘を鳴らす。 
    --「書評:滅亡へのカウントダウン 人口大爆発とわれわれの未来(上)(下) アラン・ワイズマン著 鬼澤忍訳」、『東京新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「書評:歌よみ人 正岡子規 病ひに死なじ歌に死ぬとも 復本 一郎 著」、『東京新聞』2014年03月23日(日)付。


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歌よみ人 正岡子規 病ひに死なじ歌に死ぬとも 復本 一郎 著

2014年3月23日

◆自筆稿行方不明の謎
[評者]齋藤愼爾=俳人・文芸評論家
 正岡子規の短い生涯に果たした文学的業績は、その光芒(こうぼう)を放つ凄絶(せいぜつ)な詩魂と影響力の強さによって、後世の私たちを今なお圧倒せずにおかない。享年三十四の早世は天才モーツァルトのそれにほぼ等しいが、宿痾(しゅくあ)の結核と脊髄カリエスで病床六尺の空間に呻吟(しんぎん)する晩年の八年間はモーツァルトとは無縁のものである。
 子規には百六十余の雅号があるが、自ら墓碑銘に残したいと望んだのは「子規、獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)、竹ノ里人」である。「竹ノ里人」は子規の住んだ根岸が、呉竹(くれたけ)の根岸の里と称されたことから来ている。
 著者は「竹の里人」に興味を持つ。つまり従来の「俳人子規」偏重の傾向からの離脱、「歌よみ人」としての子規に照準を合わせての評価の試みである。副題は「神の我に歌をよめとぞのたまひし病ひに死なじ歌に死ぬとも」の子規歌に拠(よ)る。短歌革新のための歌論『歌よみに与ふる書』は、その意気込みをこめてか、「竹の里人」の雅号で発表されている。
 『墨汁一滴』『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』からの自在適切なる引用、著者の俳論「褻(け)」と「晴(はれ)」の応用、多彩な挿話など興趣は尽きない。就中(なかんずく)、子規の自筆歌稿『竹乃里歌』の所在不明事件は圧巻。容疑者は伊藤左千夫、長塚節ら七弟子に柳田国男、折口信夫を巻き込んでの犯人捜し、真相に着地する名探偵岡野弘彦の登場と上質なミステリを読む気分になる。
 (岩波現代全書・2415円)
 ふくもと・いちろう 1943年生まれ。国文学者。著書『子規とその時代』など。
◆もう1冊 
 伊集院静著『ノボさん』(講談社)。文芸に打ち込むノボさん(正岡子規)と夏目漱石の友情を描く青春小説。
    --「書評:歌よみ人 正岡子規 病ひに死なじ歌に死ぬとも 復本 一郎 著」、『東京新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 人種差別を許さない意識を」、『毎日新聞』2014年03月24日(月)付。


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みんなの広場
人種差別を許さない意識を
大学生・21(東京都国立市)

 先日、友人と浦和レッズの無観客試合について話をした。友人は「海外にはフーリガンと呼ばれる暴力的で過激なサポーターもいる。それに比べれば、今回の横断幕は大したことはないのでは」という意見だった。そうではないと思う。言葉による人種差別もれっきとした暴力である。
 イギリスに留学していた時、人種や出身地で人を差別したり、侮蔑的な発言をしたりすると処罰される法律があると聞いた。実際に留学中の昨年1月、韓国人のサッカー選手に人種差別発言をした英国人サッカーファンが有罪判決を受けるという事件があった。
 欧州ではナチスのユダヤ人迫害の歴史の教訓から、ドイツ以外の国でも人種差別に対する目が厳しいようだ。今回のような横断幕を公の場で堂々と掲げるなど、欧州では考えられない。言葉や発言による差別も、大きな衝撃となって人を深く傷つけることを相手の立場になって考えてほしい。日本でも人種差別を許さない意識が広がればと思う。
    --「みんなの広場 人種差別を許さない意識を」、『毎日新聞』2014年03月24日(月)付。

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覚え書:「貧者の教会」(上)(中)(下)、『毎日新聞』2014年03月20日(木)~22日(土)付。


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貧者の教会:法王就任1年/上 伝統捨てて「南」へ 増す影響力、首脳の訪問続々
毎日新聞 2014年03月20日 東京朝刊

(写真キャプション)執務室の窓に姿を見せた法王を写真に撮るフィリピン人女性信徒=バチカンのサンピエトロ広場で2014年3月9日、福島良典撮影

 3月9日、バチカンのサンピエトロ広場。日曜の祈りの集いでフランシスコ・ローマ法王(77)が姿を現すと、フィリピン人女性信徒、アイリ・ボニファシオさん(27)が歓声を上げた。「法王はアジアに関心がある。(昨年11月には)台風被害を受けたフィリピンのために言葉をくださった」。アジア重視路線を肌で感じている。

 法王は8月に初のアジア訪問として韓国を訪れる。日本全国のキリスト教カトリックの司教で作る「日本カトリック司教協議会」や長崎県は来年の訪日を招請。2016年にはフィリピンを訪れる可能性がある。8年弱の在位中に欧州11カ国を歴訪しながら、アジアは訪れなかった前任のベネディクト16世(86)とは対照的だ。

 「先々代の故ヨハネ・パウロ2世(ポーランド出身)は『欧州法王』で、欧州の思想を(ソ連など)域外に輸出した。ベネディクト16世(ドイツ出身)は欧州域内に閉じこもった」。バチカン専門記者のピエロ・スキアバッツィ氏(55)が分析する。

 だが、南米アルゼンチン出身のフランシスコ法王は日本にキリスト教を伝えた宣教師、フランシスコ・ザビエル(1506-52年)らが創設した修道会イエズス会の出身。視線は欧州でなくアジア、アフリカ、中東など「南」に向いている。

 「支援が必要な人に寄り添う『貧者の教会』を掲げる法王は『南の法王』だ。欧州は眼中にない」(スキアバッツィ記者)。欧州でカトリック教会の地盤沈下が進み、アジア、アフリカなどでの信徒数拡大が頼みの綱というお家事情もある。

 軍隊を持たない最小国家バチカンは世界各国で暮らす計約12億人のカトリック信徒に信仰を通じて影響力を及ぼす究極のソフトパワーだ。法王が昨年9月にシリア内戦の平和的解決を訴え、軍事攻撃の回避に向けた環境を整えたように世界政治の潮流を左右するケースもある。

 昨年3月の就任以来、影響力に着目した各国首脳の「法王詣で」が起きている。昨年はイスラエル、パレスチナ、ヨルダンなどの中東首脳やプーチン露大統領と会談。今月27日には「ソフトパワーの法王とハードパワー・米国のオバマ大統領との頂上会談」(同)がバチカンで実現する。

 バチカンのロンバルディ報道官は「首脳との会談の話題は平和と国際社会の連帯が多い」と指摘する。だが、法王の外交は単なる平和主義ではなく、大国との力関係や教会の利益を重視する「リアル・ポリティクス」(現実主義政治)に近い側面がある。

 アサド政権寄りのキリスト教徒がイスラム系反体制派の攻撃を受けるシリア内戦。昨年9月、法王が米国の好戦論に異を唱え、サンピエトロ広場で開いた平和集会に駆けつけたシリア人は政権支持派だけだった。「反体制派は法王の軍事攻撃回避の呼びかけがアサド大統領を利すると考え、不参加を決めた」。在欧反体制派ジャーナリストが明かす。

 一方、ウクライナ南部クリミア半島を巡るロシアとウクライナの対立では双方に「誤解」を解消するよう促す控えめな発言が目立つ。17日には反ロシア派のウクライナの聖職者と面会し「保護」を約束したが、プーチン大統領との関係を損なわないようにとの気兼ねがのぞく。

 歴代法王の伝統的な欧州中心主義の殻を破り、世界を見据えるフランシスコ法王。反戦平和の理想と、紛争地の信徒を守る現実的な使命との間でどう折り合いを付けるか。バチカン外交の真価が問われる。

    ◇

 フランシスコ法王がカトリック史上初の中南米出身法王に就任して19日で1年がたった。法王によって何がどう変わったのか。バチカンのいまを報告する。【ローマ福島良典】

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 ◇法王の外国首脳との会見

2013

 5・18 メルケル独首相

 7・22 ルセフ・ブラジル大統領

 8・29 アブドラ・ヨルダン国王

10・17 アッバス・パレスチナ自治政府議長

11・14 ナポリターノ伊大統領

11・25 プーチン露大統領

12・2  ネタニヤフ・イスラエル首相

2014

 1・24 オランド仏大統領

 3・27 オバマ米大統領(予定)

 4・3  エリザベス英女王(予定)
    --「貧者の教会:法王就任1年/上 伝統捨てて『南』へ 増す影響力、首脳の訪問続々」、『毎日新聞』2014年03月20日(木)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140320ddm007030093000c.html:title]

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貧者の教会:法王就任1年/中 「情」で人心つかむ
毎日新聞 2014年03月21日 東京朝刊

(写真キャプション)フランシスコ・ローマ法王のファン雑誌「私の法王」の広告看板もローマにお目見えした=2014年3月10日、福島良典撮影

 昨年8月7日、イタリア北部ペーザロに住む会社員、ミケーレ・フェッリさん(42)の電話が鳴った。「こんにちはミケーレ、フランシスコ法王です」。聞こえてきたのはフランシスコ・ローマ法王(77)のアルゼンチンなまりのイタリア語だった。驚くミケーレさんに法王は受け取った手紙の内容を話し始めた。

 ガソリンスタンドを経営していたミケーレさんの長兄、アンドレアさん(51)が2カ月前、金庫のカギを奪おうとした従業員のマケドニア人の男(25)に殺された。キリスト教カトリックの神父の依頼で、無職だった18歳の時に雇い入れ、約7年間、家族同然の付き合いをしていた男だった。

 ミケーレさんは17歳の時に交通事故に遭い、車椅子生活を送っている。2歳年上の次兄はダウン症だ。アンドレアさんは一家の大黒柱だった。ミケーレさんは法王あての手紙に「もう神を許すことはできない」と抗議の言葉を記していた。

 「手紙を読んで涙が出ました」--。法王は以来、ミケーレさんの母親に数カ月おきに電話をかけ続けている。最近は3月3日に電話があった。「法王が私たち一家のために祈ってくれる。それで母も自分たちも前に歩き出す力を得られた」

 支援が必要な社会的弱者に慈悲と救いの手を差し伸べる「貧者の教会」を目標に掲げる法王。不幸に見舞われたイタリア内外の信徒に直接電話をかけることで知られている。飾らない人柄で人々に語りかけ、寄り添う。

 3月5日には世界初の法王のファンのための週刊誌「私の法王」がイタリアで創刊され、各地のキオスク(新聞・雑誌販売所)に並んだ。創刊号は50万部。アルド・ビタリ編集長は「特別な人物なのに『庶民の生活様式』を守っているのが人気の秘密だ」と話す。

 ANSA通信によると、昨年3月の就任から昨年末までの約9カ月間にバチカンで行われたミサ、日曜の祈りの集いに参加した信者らの数は約662万人。前任のベネディクト16世(86)時代の2012年(約230万人)の約3倍に上った。

 神学者のベネディクト16世はイエス・キリストの伝記を著した学究肌。これに対して、フランシスコ法王は教会をけが人をいやすための「野戦病院」と位置づける庶民派。「理」と「情」。2人の法王には、カトリック聖職者が併せ持つ二つの顔が現れている。

 法王の「情」の顔はイエズス会の宣教師、フランシスコ・ザビエル(1506-52年)ゆずりかもしれない。上智大学文学部史学科の川村信三教授は「キリスト教としてあるべき姿勢を原則として示す。しかし、目の前の『小さな人びと』を忘れてはならない。ザビエルはむしろ後者に重きを置いたからこそ、多くの人が彼の内に『キリストの愛』を見いだせたのだろう」と指摘する。【ローマ福島良典】
    --「貧者の教会:法王就任1年/中 「情」で人心つかむ」、『毎日新聞』2014年03月21日(金)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140321ddm007030079000c.html:title]

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貧者の教会:法王就任1年/下 「被告」から「模範」へ
毎日新聞 2014年03月22日 東京朝刊

カトリック教会の聖職者が子どもに性的虐待をしていた問題を巡り、教会指導者らを提訴したバーバラ・ドリスさん(右)=米ミズーリ州で2011年11月6日、ロイター

 「カトリック教会がスキャンダルの『被告』役から、影響力のある『道徳の権威』になった」。近著「フランシスコのバチカン」(伊モンダドリ社)を出したイタリア紙コリエレ・デラ・セラのマッシモ・フランコ論説委員はフランシスコ・ローマ法王(77)就任から1年のバチカンの変化をそう総括する。

 前任のベネディクト16世(86)の在位中、バチカンは聖職者による児童への性的虐待や宗教事業協会(通称・バチカン銀行)のマネーロンダリング(資金洗浄)疑惑、法王庁の権力闘争などのスキャンダルに見舞われた。このため、昨年3月の法王選挙会議(コンクラーベ)に先立つ枢機卿会議でバチカン改革が次期法王の取り組む任務に据えられた。

 マフィアが子弟を神学校に進ませ、活動資金をバチカン銀行で蓄財、洗浄していたとのうわさもあった。「フランシスコ法王の登場までバチカン銀行は『租税回避地』で、資金洗浄や脱税などの捜査に非協力的だった」。マフィア取り締まりを統括するイタリアのフランコ・ロベルティ検事(66)が指摘する。

 法王はイタリア司法当局への協力を指示。法王庁財産管理局の元高官がバチカン銀行を舞台にした資金洗浄でイタリア当局に摘発された。一方、法王は外部の金融専門家を迎えて法王庁の財政、資産管理を統括する「経済省」を新設するなど透明性の向上に努めている。だが、性的虐待問題では取り組み不足を指摘する声もある。

 米ミズーリ州セントルイスの女性、バーバラ・ドリスさん(66)は6歳の時から7年にわたって地元の教会の神父から性的虐待を受けた。今は市民団体「司祭による虐待被害者の会」の一員として被害者支援にあたる。昨年のコンクラーベの際、地元テレビのインタビューで新法王への期待を語っていた。

 フランシスコ法王は昨年12月、性的虐待の再発を防止し、被害者を支援するための特別委員会を設立すると発表。3月5日付コリエレ・デラ・セラ紙のインタビューで「カトリック教会は透明性と責任を持って問題に取り組んでいる唯一の機関なのに批判されている」と不満を漏らした。

 だが、国連・子どもの権利委員会は2月、カトリックの聖職者が「全世界で何万人もの子どもの性的虐待に関与した」にもかかわらず、バチカンが「犯罪の広がりを自覚せず、子どもを守る必要な措置を取ってこなかった」と批判。性的虐待の疑いのある聖職者を即時に解任するよう求める報告書を発表した。

 法王就任から1年。ドリスさんは「法王は絶対君主なのでやりたいことはできるはず。性的虐待問題では何も行動が伴っていない」と手厳しい。変化への期待はあるものの、「子どもたちの安全が関わっていることだから、油断は禁物」と話す。法王は虐待の傷をいやすことができるか。世界が注目している。【ローマ福島良典】
    --「貧者の教会:法王就任1年/下 「被告」から「模範」へ」、『毎日新聞』2014年03月22日(土)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140322ddm007030127000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた』=小国綾子・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた』=小国綾子・著
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊

 (径書房・1680円)

 父親の海外赴任で米国に渡った日本人の野球少年が、現地の野球チームで苦労しながら成長していく姿を、母親の視点から書き記したノンフィクション。

 野球を通して見た日米のスポーツ観や子育て、コミュニケーションのあり方の違いなども描かれている。日米の文化比較を試みた本は山ほどあるが、少年野球がテーマというのは珍しい。ミズノスポーツライター賞(2013年優秀賞)受賞作。

 日米の少年野球の違いは、大リーグと日本プロ野球との違いより大きいのかもしれない。日本では小学校6年間、同じメンバーで仲間意識を重んじる。一方、米国の野球少年には「みんなで強くなろうぜ」というメンタリティーはない。強い選手は次々トライアウト(選抜試験)を受け、さっさと強豪チームに移籍する。一方、子どもが自信を得られるようにと、あえて弱いチームに我が子を移籍させる親も少なくない。

 著者は決して、日米のどちらが良いかという二者択一では考えない。違いを知り、そこから相手を理解しようとする。米国の少年野球事情を知る本としても、異文化子育てエッセーとしても楽しめる。(一)
    --「今週の本棚・新刊:『アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた』=小国綾子・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『変わらない空 泣きながら、笑いながら』=東日本大震災を経験した五十五人の日本人・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『変わらない空 泣きながら、笑いながら』=東日本大震災を経験した五十五人の日本人・著
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊

 (講談社・1260円)

 編者の辻本勇夫はNPO「文化交流工房」代表。東日本大震災後に新聞歌壇にあふれた震災関連の歌を集め、アメリカの日本文学研究者らの協力を得て、五十五人全九十首に英訳を付けた一冊。ニューヨーク、サンフランシスコなどでの展覧会で、大きな反響を得たという<3・11心の一行ドキュメント>。

窓辺から見ている空は福島の先週までと変わらない空 畠山理恵子

the sky I gaze at / from near my window / is the Fukushima sky / that is unchanged / from how it looked last week

地震の中で赤ちゃん産んだお母さん温かいシチュー届けてあげたい 松田わこ

to the mother who / bir-thed her baby / in the midst of the earthquake / I want to deliver / some nice hot stew

 畠山理恵子さんは福島県在住の作者。松田わこさんは富山県在住、当時は小学校三年生の作者。(ゆ) 
    --「今週の本棚・新刊:『変わらない空 泣きながら、笑いながら』=東日本大震災を経験した五十五人の日本人・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『原発メルトダウンへの道』=NHK ETV特集取材班・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『原発メルトダウンへの道』=NHK ETV特集取材班・著
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊

 (新潮社・1785円)

 福島第1原発事故に至る日本の原子力業界の内幕を、関係者の膨大な証言で構成した。NHKのドキュメンタリー番組の単行本化だ。

 ただただ、愚かしい。読み進めるうちに、それだけを思った。キーマンのメンツ、上司の指示、コスト重視、一度始めた計画は、必ず最後まで突き進む「プロジェクト不滅の法則」……。巨大な悪などは何もなく、ごく平均的な仕事熱心な人々の、ある種の凡庸さが事故をもたらしたことを、これでもかというほどに思い知らされる。他方、1970年代初頭に反原発運動が盛り上がり出し、原子力船むつの放射線もれなどが起きると、今度は原子力のPR広告が各全国紙に続々と載り始める。安全をうんぬんすること自体が「国民を不安にさせる」とタブー視され、「原子力ムラ」自体が、自らの発した安全神話にのみ込まれていく。核燃サイクルを実現させようとしてきた当事者たちが、核兵器開発と自分たちの研究は別物と信じていたとの話も、興味深い。

 原発再稼働に向けた議論が目立つ昨今である。私たちは、再び同じ道を歩もうとしている気がしてならない。(生) 
    --「今週の本棚・新刊:『原発メルトダウンへの道』=NHK ETV特集取材班・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140323ddm015070049000c.html:title]

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原発メルトダウンへの道: 原子力政策研究会100時間の証言
NHK ETV特集取材班
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『家族難民』=山田昌弘・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『家族難民』=山田昌弘・著
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊

 (朝日新聞出版・1680円)

 単身世帯が増えているであろうことは感じていたが、数字で示されると説得力が違う。1950年には、30-34歳の未婚の男性は8%に過ぎなかったが、2010年には47・3%に上昇している。今の若者の4人に1人が、生涯未婚で終わるだろうと山田氏は予測する。離別、死別も含め、「自分を必要とし大切にしてくれる存在がいない人たち」が急増している。そのような人々は、経済的・社会的・心理的にとても脆弱(ぜいじゃく)な状態に置かれている。

 日本の社会保障制度は、正社員の男性と妻、子供という標準家族を前提にしてきた。25歳の年の差カップルで、年上の男性が亡くなれば、妻は十分な遺族年金を受け取り続ける。しかし、未婚の娘が25歳年長の父親を介護していた場合、父親が死ねば即座に娘は生活に困窮するようになる。「家族」からはみ出した人々を切り捨ててきた結果、結婚の敷居が高くなり、格差は固定化し、少子化に拍車をかける状況となっている。「べき」論だけで現状を無視するのは、もはや政治とは言えない。社会保障制度を個人単位に切り替え、多様な生き方に適応できるようにしなければ、日本の未来はない。(市) 
    --「今週の本棚・新刊:『家族難民』=山田昌弘・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140323ddm015070048000c.html:title]

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「家族」難民: 生涯未婚率25%社会の衝撃
山田昌弘
朝日新聞出版 (2014-01-21)
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覚え書:「みんなの広場 いじめや差別をなくすために」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。


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みんなの広場
いじめや差別をなくすために
中学生・13(東京都文京区)

 道徳の授業でハンセン病について学習した。私はハンセン病の名前すら知らなかった。ハンセン病はらい菌に感染することで神経に障害が起こる病気だ。感染病ではあるものの感染力が非常に弱く、感染することはごくまれだった。

 しかし、昔の日本では間違った知識が広まり、感染を恐れた国は患者を療養所で暮らさせたり、子供を産めないようにしたりした。こうした対応が世間に広がり患者は厳しい差別を受けた。なんてひどいのだろう。こんなことになった原因は間違った情報が伝わったことにある。なんとなく伝わった情報をうのみにして人々を傷つけてしまった。とても悲しいことだ。

 このようなことは日常にもあるのではないか。放射能の影響を恐れて福島産の野菜や魚などを買わない人がいたり、学校である子の情報が広まっていじめに発展したりしている。

 間違った情報を信じず、自分で知ろうとすることでいじめや差別をなくすことができると思う。 
    --「みんなの広場 いじめや差別をなくすために」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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覚え書:「法王、命がけの財務改革 マフィア反発、報復の恐れも ローマ=石田博士」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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法王、命がけの財務改革 マフィア反発、報復の恐れも
ローマ=石田博士2014年3月23日11時38分

(写真・図版)ローマの教会で21日、マフィア犯罪の被害者遺族らと面会したフランシスコ法王(右端)=AP


 ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は21日、マフィア犯罪の犠牲者遺族ら約700人と面会した。今月13日に就任1年を迎えた法王は、マネーロンダリング(資金洗浄)への関与も取り沙汰されてきた教会の財務改革を本格化。ただ、改革を阻もうとするマフィアに逆に命を狙われる恐れも指摘されている。

 集いでは、マフィアに殺害された842人の名が読み上げられた。法王は遺族に「私はあなた方と共にいます。つらい話を聞かせてくださって、ありがとう」と語りかけた。マフィアには「あなた方の金や力は血塗られている。地獄に落ちぬよう悔い改め、悪行をやめなさい」と非難した。

 昨年3月に就任したフランシスコ法王は前例にとらわれない姿勢で改革に臨んでいる。バチカンの官僚組織に属してこなかった世界各地の「現場派」の枢機卿ら8人を諮問委員に任命し、改革案を作成中。最大の焦点がバチカンの財務部門の改革だ。

 法王は今年2月、これまでの財産管理局に代えて、「財務省」を新設する教令を出した。長官には、官僚組織改革の急先鋒(きゅうせんぽう)であり、8人の諮問委員の一人であるシドニーのペル枢機卿を据えた。3月8日には、財務省を監督する15人の評議会も設立。うち7人を教会外部の金融界から招いた。先々代のヨハネ・パウロ2世によって固められた教会組織を、四半世紀ぶりに大きく再編する動きだ。

 今後の焦点は、教会の資産を管理・運営してきた宗教事業協会(通称バチカン銀行)だ。資産は約60億ユーロ(約8400億円)とされる。教会の力の源泉とみられてきたが、一方でこの協会に設けられた聖職者の口座がイタリアの保守政治家やマフィアの借名口座として使われ、マネーロンダリングの温床だったとも指摘されてきた。

 フランシスコ法王は、協会事務局長ら教会の財務を長年担ってきた古参幹部の多くを退任させた。上級会計士だった司祭は資金洗浄の疑いでイタリアの捜査当局に逮捕された。1月には協会の監督役だった枢機卿5人のうち4人を代えた。

 一方、法王の急進的な改革に対して、マフィアの報復を懸念する声もある。イタリア南部カラブリア州でマフィア対策に当たっているグラテッリ検事は昨年11月、カトリック教会の金融事業の抜け穴を悪用してきたマフィアが法王の改革に対して神経をとがらせている、と地元紙に語った。

 ただ、フランシスコ法王側はひるんでいない。マフィアの反発について、バチカンの広報官は「教会は極めて平静だ」と述べ、財務改革を続ける方針を示している。(ローマ=石田博士)
    --「法王、命がけの財務改革 マフィア反発、報復の恐れも ローマ=石田博士」、『朝日新聞』2014年03月23日(日)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASG3Q43V3G3QUHBI00B.html:title]

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書評:金成隆一『ルポ MOOC革命 無料オンライン授業の衝撃』岩波書店、2013年、+ 「ムーク続々、日本の大学も 講義を無料ネット配信」、『朝日新聞』2014年03月21日(金)付。


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金成隆一『ルポ MOOC革命 無料オンライン授業の衝撃』岩波書店、2013年、読了。Massive Open Online Courseとは無料公開のオンライン講座の意。本書は、創設から利用者まで、現場取材でその現在をまとめたルポルタージュ。 

[http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN978-4-00-002230-9:title]

名門大学が次々と授業をアップロード、全世界で学ぶ受講生は700万人を突破するという。「良質な高等教育は特権ではなくなった」。本書の山は受講生に対する徹底したインタビュー。学ぶ立場に不利な人々が自ら学習に取り組み始めている!

単純に「まね」しても始まらないし、自分でもよく分かるが同じ内容でもライブは異なってくる。しかし教育の沃野をはぐくむ側面としては利用してしかるべきだろう。日本の教育機関はどのように対応するのだろうか。

次の新聞記事は関連報道。
 

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ムーク続々、日本の大学も 講義を無料ネット配信
2014年3月21日

(写真キャプション)英語で講義を収録する京都大の上杉志成教授
 日本の大学が4月以降、インターネットで授業を無料配信するサービスに続々と乗り出す。米国で2年前に始まった動きが国内でも本格化。ネットにつながれば誰もが高等教育を受けられる時代が幕を開ける。

 ■PRや社会貢献

 大規模公開オンライン講座(MOOC〈ムーク〉)と呼ばれる教育サービスの初の日本語版。講義ビデオを自分のペースで視聴し、宿題や課題に取り組み、試験にも挑戦できる。水準に達すると教授から修了証をもらえる。大学卒業の資格を得られるわけではないが、米国では修了実績を企業の採用などにつなげる動きもある。

 初のムーク配信に乗り出す大学側は、受験生や保護者らへのPRを狙って、実力派の教員を投入する。

 早稲田大学は、政治経済学術院の栗崎周平准教授を抜擢(ばってき)した。ベテラン教授を出す案もあったが「今後の活躍が期待される新進気鋭の若手教員」に決めた。講座では、日本を取り巻く安全保障環境の理解をめざし、国際政治学の主要な理論などを概観する。栗崎准教授は米国の大学で教えた経験があり、英語でも講義できるため、英語版の公開も検討中だ。

 関西大学が強調するのは「社会貢献」だ。学長補佐の青田浩幸教授は「税金も含めた予算で研究する以上、その結果を社会に公開していきたい」。学内の講義では、研究成果を高校生も含む一般社会に提供することが難しかった。ムークであれば、学外の受講生も一緒に考える講座が実現できると期待する。

 これらの講座を運営するのは、日本オープンオンライン教育推進協議会(通称JMOOC)。米国を中心に海外でムーク人気が高まる中、日本語でも受講できる学習環境を整えようと、教育・通信業界や高等教育機関などが昨秋設立した。

 協議会には20日時点で22大学が加盟し、少なくとも16大学が配信に乗り出す。協議会は、加盟大学が最初に作る3講座分の製作運営費として最大計160万円を助成する。福原美三事務局長は「加盟大学を100に増やし、300講座を公開したい」と話す。

 こうした動きは、多くの人に学びの機会を広げることから「教育のオープン化」と呼ばれる。世界の動向に詳しい京都大学の飯吉透教授は「問われるのは講座の中身。最初の2~3年間が肝心だ」と指摘する。「中身が良ければ、受講生が成長できたと実感でき、企業や官公庁などが採用や昇進に際してその学びの実績を活用するようになる。そして優れた授業を提供できる教員が評価されるという好循環が生まれる」

 一方、東京大と京都大、大阪大の3大学は、米国の機関から授業を配信する。東大は2013年に提供した2講座を含め計5講座。京大は、物質―細胞統合システム拠点の上杉志成(もとなり)教授が、生物の仕組みや機能を分子の働きから考える全13週の本格的な講座を新年度に配信する。阪大は配信講座を選定中だ。(金成隆一)

 ■東大2講座、世界から8万人超

 13年に英語でのムーク配信に乗り出した東京大。同年9~12月、村山斉教授の「ビッグバンからダークエネルギーまで」(4週)と、藤原帰一教授の「戦争と平和の条件」(同)を米企業コーセラのサイトで配信した。この2講座に、世界中から8万人以上の受講生が集まった。

 村山教授の講座には、144の国と地域から4万8406人が受講。10分前後の講義ビデオを毎週10本ほど視聴し、宿題や最終試験で水準に達して修了証を獲得したのは3754人(全体の約8%)だった。うち約半数の1918人が90点以上の成績優秀者だった。

 藤原教授の講座には、158の国と地域から3万2285人が受講。毎週約10本のビデオを視聴し、計800語のエッセーを提出するなどして、修了証を獲得したのは1629人(同5%)。アフリカの受講生が目立ち、政情が不安定なことが、平和をテーマにした講座への関心を高めた可能性があるという。

 講座終了時に大学院進学の問い合わせや寄付の申し出もあった。

 世界で配信されるムークは急増しており、計1千講座に迫る。受講生が5千人ほどの講座もある中で、計8万人が受講したことについて、ムーク配信を担う東大の山内祐平准教授は「世界に東大の魅力をPRするという目標は十分に達成できた」と話した。

 ■新年度に無料で受けられる講座 ※は英語を使用、2月末現在、敬称略

 【配信機関】

 ◆講座名

 大学名 教員 開講日

     *

 【JMOOC(ジェームーク)<日本>】

 ◆日本中世の自由と平等

 東京大 本郷和人 4/14

 ◆インターネット

 慶応大 村井純 5/19

 ◆国際安全保障論

 早稲田大 栗崎周平 6/16

 ◆オープンエデュケーションと未来の学び

 北海道大 重田勝介ら 7月予定

 ◆服飾の文化と歴史

 文化学園 植木淑子ら 未定

 ◆※The Uncommon Folk: Cultural Preservation in Japan

 国際教養大 ダレン・アシュモア 未定

 ◆歴史都市京都の文化・景観・伝統工芸

 立命館大 矢野桂司ら 未定

 ◆マンガ・アニメ・ゲーム論

 明治大 森川嘉一郎ら 未定

 ◆経営(マネジメント)入門

 グロービス経営大学院 荒木博行ら 未定

 ◆俳句 十七字の世界

 大手前大 川本皓嗣 未定

 ◆化学生命工学が作る未来

 関西大 吉田宗弘ら 未定

 ◆※にほんご にゅうもん(英語版)

 放送大 山田恒夫 4/14

 ◆コンピュータのしくみ

 放送大 岡部洋一 4/14

 【Coursera(コーセラ)<米国>】

 ◆※From the Big Bang to Dark Energy

 東京大 村山斉 未定

 ◆※Conditions of War and Peace

 東京大 藤原帰一 未定

 ◆※Interactive Computer Graphics

 東京大 五十嵐健夫 夏

 ◆※Welcome to Game Theory

 東京大 神取道宏 冬

 【edX(エデックス)<米国>】

 ◆※Visualizing Postwar Tokyo

 東京大 吉見俊哉 秋

 ◆※The Chemistry of Life

 京都大 上杉志成 4/10

 ◆未定

 大阪大 未定 未定
    --「ムーク続々、日本の大学も 講義を無料ネット配信」、『朝日新聞』2014年03月21日(金)付。

[http://www.asahi.com/articles/DA3S11040729.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『国際メディア情報戦』=高木徹・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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今週の本棚:加藤陽子・評 『国際メディア情報戦』=高木徹・著
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊

 (講談社現代新書・840円)

 ◇倫理をめぐる戦場の実態に迫る

 昨今、会長による就任記者会見や国会答弁など世間の注目をひくことの多かったNHKだが、本書の著者はそのNHKで長らくディレクターを務めてきた人物である。

 日本近代史を研究する身としては、「NHKスペシャル」等の特集番組を作成するディレクター氏の奮闘から、実に多くのものを学ばせて貰(もら)ってきたとの思いがある。いわく、二・二六事件時の決起将校の通信傍受記録を発見した中田整一、「昭和天皇独白録」作成にGHQ側で関与したフェラーズ文書を発掘した東野真等々。

 だが、著者の高木徹は、これらのディレクター氏とはいささか異なる肌合いを持つ。出世作となったNHKスペシャル「民族浄化--ユーゴ・情報戦の内幕」と、それを書籍化した『ドキュメント 戦争広告代理店』(講談社文庫)のタイトルからもわかるように、これまで高木は、新史料を用い歴史に新たな光を当てるというよりは、世界で日々繰り広げられる情報戦の実態と映像の重要性について、世の注意を喚起しようと努めてきた。

 もう二十余年も昔のこととなったが、湾岸戦争を機にCNNやBBCなどは、国際的影響力を寡占しうるテレビメディアとして急成長を遂げた。紛争の当事者にとって、これら国際メガメディアが支配する情報空間において自らの正当性を効果的にアピールしうるかどうかは、死活的に重要なこととなる。

 ユーゴスラビア解体に端を発した一九九二年からのボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。自らも手が汚れていなかったはずのないボスニア政府は、アメリカのPR会社ルーダー・フィン社の凄腕(すごうで)ジム・ハーフを雇い、セルビア共和国のミロシェビッチ大統領を稀代(きたい)の大悪人に仕立て上げることに成功する。独創的なアングルからボスニアで起きていた真実に迫った著者は、ハーフの戦争広告代理戦術についてサウンドバイト、バズワード、サダマイズの三つのキーワードから解説した。

 サウンドバイトとは、要人などの記者会見の発言から要点を、数秒から十数秒の長さに編集した断片を指すテレビ用語だ。時間内に収まる印象的な単語をいかに盛り込むかが鍵となる。バズワードとは、情報の受け手の心を一瞬で掴(つか)む単語を指す。最も有名な例は「民族浄化(エスニック・クレンジング)」だろう。本来は肯定的に用いられ、清浄を意味するクレンジングという単語が除去の意味で用いられた。この落差の感覚が前提としてあり、さらにナチスの記憶がそこに加わったとき、「ホロコーストと言わずに、ホロコーストを連想させる」、すさまじい喚起力をもった用語の誕生とあいなる。サダマイズとは、イラクの指導者であったサダム・フセインに比することで、敵対者を悪の権化として描き出す手法を意味する。

 このほか著者は、情報戦として見た場合のアメリカ大統領選挙やビンラディン殺害についても興味ぶかい分析を加えた。一九九二年の民主党のクリントン候補とのテレビ討論で共和党のブッシュ(父)大統領が犯した決定的な仕草の過ちとは何か、またビンラディンが殉教者として崇(あが)められないように採られた措置は何だったかなど、ページをめくる楽しみがあった。

 現在の日本に対し、例えば中国は「カイロ宣言やポツダム宣言に基づく国際秩序を遵守(じゅんしゅ)しない国」との批判を加える。このような批判にどう答えてゆけばよいのか。本書の終章「倫理をめぐる戦場で生き残るために」は、日本と世界が共有する価値観の多さと安定性を地道に説いてゆくしかないとし、示唆に富む。
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『国際メディア情報戦』=高木徹・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140323ddm015070031000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『3・11に生まれた君へ』=「君の椅子」プロジェクト編」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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今週の本棚:中村桂子・評 『3・11に生まれた君へ』=「君の椅子」プロジェクト編
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊

 (北海道新聞社・1680円)

 ◇誕生の喜び、再び分かち合える社会を

 「日本が息をのみ、言葉を失った『あの日』。筆舌に尽くし難い、壮絶な状況にあった東北の空の下で、産声を上げていた新しい生命(いのち)があります。」

 本書の始まりの文です。二〇一一年三月一一日にはたくさんの生命が失われ、その後避難で体調が悪化して亡くなった方も少なくありません。それを忘れまいと思い続けてきましたが、その日に生まれてきた生命を思うことの大切さには気づきませんでした。

 あの日、被災地三県(岩手・宮城・福島)の一二八市町村(二〇一一年七月現在)で、一〇四の新しい生命が誕生しました。調べたのは、「君の椅子」プロジェクトの方たちです。二〇〇六年以降、旭川大学大学院の磯田憲一教授の提案で北海道の四つの自治体では、誕生した子どもたちに独自のデザインで名前入りの椅子を贈っています。「生まれてくれてありがとう。君の居場所はここにあるからね」というメッセージを込めての贈り物です。

 被災地で生まれた子どもたちにもこのメッセージを送ろうと“希望の「君の椅子」”と名づけたプロジェクトが始まり、名前のわかった九八人に椅子が贈られました。「これまでおめでとうと言われたことのない子だった。でも今日初めておめでとうと言ってもらえたような気がする」「震災の子なんでしょ、と言われることが多かったけれど、希望の子なんだよと言ってくれて、とても楽になり救われた」。お母さんや家族の言葉です。

 その日の記憶の記録をとの願いにこたえて三十一家族から送られた手紙が本書です。生の言葉が、あの日を忘れない日とするための標(しるべ)としての意味を強く感じさせます。仙台市で午後四時四分に出産した大町さん。懐中電灯が照らす中で誕生した赤ちゃんは、血だらけのまま毛布とアルミシートに包まれて記念写真を撮りました。おむつやミルク探しに駆け回る家族、福島第一原発事故、友人が津波で亡くなったことも知ります。でも、健やかに成長している坊やは、「よく笑い、私や周囲を幸せな気分にさせてくれる」のです。

 福島県の菅野さんは、出産途中での大きな揺れ。倒れてくる機材から夫に守られ、急きょ吸引分娩(ぶんべん)に切り替えた院長の処置で午後三時七分無事出産しました。出生届を受けた職員が、「あの日、あの時間に新しい生命が誕生していたのですね」と涙を流しながら「おめでとう」を言い、聞くことも言うこともないと思っていた言葉だと付け加えたそうです。

 「君が生まれてわずか数時間で、世界はまるで変わってしまいました。多くの方が亡くなりました。その中には、君と変わらぬ歳(とし)の子もいたでしょう。ママと同じお母さんもいたでしょう……大自然の猛威が全てを奪うことを知った後、小さな命をこの手にできることの幸せと重みをママは一層強く感じました。生きていてくれてありがとう……」。お母さんたちの共通の気持でしょう。私たちの気持でもあります。

 磯田教授は、「新しい生命の誕生という奇跡のような喜びを、共に分かち合える地域社会をもう一度自分たちの足元に取り戻したい」との願いから「君の椅子」プロジェクトを始めたのです。そして、「君が産声を上げたあの日、君と同じように母なる宇宙から生まれ出ようとして叶(かな)わなかった生命があること」を想像できる人になってほしいと語りかけます。

 あれから三年。皆、元気に走りまわり、話し合っていることでしょう。この子たちが生きる未来が明るいものであるようにと願います。 
    --「今週の本棚:中村桂子・評 『3・11に生まれた君へ』=「君の椅子」プロジェクト編」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140323ddm015070025000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:張競・評 『憎しみに未来はない-中日関係新思考』=馬立誠・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。


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今週の本棚:張競・評 『憎しみに未来はない-中日関係新思考』=馬立誠・著
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊

 (岩波書店・2940円)

 ◇対日世論の推移からみた言論多様化の難しさ

 日中関係に関心のある人なら、著者の名前は一度ならず聞いたことがあるであろう。二〇〇二年末に本人が提唱した「対日関係の新思考」は日本と中国で大きな話題を呼んだ。アジア経済のより一層の緊密化を図るために、歴史問題という障碍(しょうがい)を乗り越えるべきである。日中は真に和解すれば、ともに繁栄の道を歩むことができる。これが「新思考」の主旨である。当時、日中関係は曲がり角に来ており、著者の主張もさることながら、中国共産党機関紙の評論部主任編集者(日本風にいえば『人民日報』論説委員)という肩書も人々の耳目を引いた。

 それから十年の歳月が過ぎた。残念ながら日中間の真の和解が実現できなかったばかりか、状況はますます悪くなっている。アジアの将来を憂慮した著者は新たな一書を著して、世に送り出した。

 「憎しみに未来はない」とは二〇〇四年、シラク・フランス大統領(当時)が連合軍のノルマンディー上陸六十周年を記念する式典で語った言葉である。著者は同じ言葉を引用して、日中和解の大切さを訴えている。

 本書の内容は「対日関係の新思考」をめぐる論争に沿って展開されている。著者の論文が発表された後、中国でどのような反響があったかが分析を交えながら紹介されている。

 意外なことに「対日関係の新思考」の系譜は二十世紀の末頃にさかのぼる。その代表的な人物は中国社会科学院の日本研究所を立ち上げ、初代所長に就任した何方である。彼は早くから日中関係の将来を予測し、過去を乗り越え、日中がともに繁栄する道を探るよう、呼びかけた。著者は何方のことを知らずに「対日関係の新思考」を構想したが、先駆者がいたことに驚きながらも、同じ考えを持つ先輩がいることに自信を深めた。

 同世代にも賛同者が多くいた。中国人民大学の時殷弘教授や中国社会科学院日本研究所の馮昭奎・元副所長が代表的な人物。いずれも外交問題の専門家で、対外政策について当局に進言できる人たちである。

 一方、反対論者も少なくない。とりわけ、インターネットでは強烈な反対論が大半を占めている。

 あぶりだされたのはネット世論という問題である。日本にも「ネトウヨ」があるのと同じように、匿名性を悪用した、無責任な言論が中国のネット空間で氾濫している。言論の自由が制限されることもあって、インターネットは唯一のはけ口となり、問題をより複雑にした。もともとサイバー空間には選別や校閲といったチェック機能がないため、低劣な言論は取り除かれない。利用者のリテラシーの問題もあって、熱狂的な群集心理には不当に煽(あお)られる危険性がつねに潜んでおり、憎しみや敵意がサイバー空間で増幅されやすい。情報化技術の発達は思わぬ形で、日中の感情対立を助長したのかもしれない。

 ただ、根本的な問題はやはり人々の心にあると著者は考えている。そのため、本書はたんに日中関係の改善に対し、時宜にかなった提言をしたのにとどまらず、問題の根源にある社会的病弊にも批判が向けられている。詳細は本書を読んでほしいが、「葛紅兵事件」に代表されるように、ネット世論が暴走する背後には社会の不寛容、人格尊重の意識の欠如といった問題が横たわっている。真の大国になるには寛容な人間性、公共道徳心の育成、国民の素養の向上は不可欠である。対日感情は国際問題であると同時に、心の近代化という国内の大きな課題でもある。記憶の公共性をどう確保するか。今後、言論の一層の多様化を期待したい。(及川淳子訳) 
    --「今週の本棚:張競・評 『憎しみに未来はない-中日関係新思考』=馬立誠・著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140323ddm015070036000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:内田麻理香・評 『パンダが来た道-人と歩んだ150年』=ヘンリー・ニコルズ著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。


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今週の本棚:内田麻理香・評 『パンダが来た道-人と歩んだ150年』=ヘンリー・ニコルズ著
毎日新聞 2014年03月23日 東京朝刊

 (白水社・2520円)

 ◇類い希なアイドルが社会に投げかけたもの

 アイドル動物、ジャイアントパンダに翻弄(ほんろう)されてきた人間の歴史である。確かに、ジャイアントパンダ(以下、パンダと書く)は動物園の中でも人気で、パンダの出産が報道されるくらい特別視されている。そして、その愛くるしさで人々を魅了してきただけではない。政治・経済などとの結びつきにより、人間社会に大きな影響を及ぼしてきた。

 パンダと人間の歴史は意外と短く、一五〇年程度しかない。パンダは宣教師かつ博物学者であるダヴィドによって、一八六九年に中国四川省の山奥で「発見」された。この「類い希(まれ)な」動物が発見されたことで、今に至るパンダをめぐる騒動が始まった。これだけ珍しい動物が一九世紀後半までほとんど知られていなかったのだ。

 発見されたパンダは苦難の道を歩む。欧米諸国の博物館が標本を目的として、民間の収集家たちの標的として狩猟の対象になったのだ。その後狩猟目的であったパンダが、生きたまま捕獲する対象へと移行し、動物園の人気動物となっていく。

 狩猟の対象であった頃、中華民国では蒋介石の独裁体制が生まれたが、この時期に新政権を支援したアメリカとドイツがパンダ狩猟で優位に立っていたことは、政治状況と関係があるかもしれないと著者は指摘する。この頃から、中国側はパンダを外交のカードとして有効と見なしていたのだろう。その後、中国では不安定な情勢が続くが、その間も中国はパンダを友好の記念として他国にプレゼントしたり、その後はレンタルの引き換えに多額の資金を受けとるなど「商品」として利用するようになった。中国で一九八〇年代末に制定された「野生動物保護法」は、パンダを殺したり、毛皮を密売した場合は、終身刑や死刑を科すという徹底した法律であり、中国がどれだけパンダを重要視しているかわかる。

 愛くるしいパンダを、動物保護に利用した団体がWWF(旧・世界野生生物基金、現・世界自然保護基金)だ。野生動物保護の意識が高まる一方で、いくつもの組織が資金繰り等で失敗してきた。WWFの初期メンバーは、他の諸条件も徹底的に検討したが、その団体のロゴマークをパンダにしたことは成功の大きな要因となる。パンダは野生動物保護運動のシンボルになった。野生動物の保護には資金がかかる。WWFはこのパンダ人気を寄付金集めに使い、それは成功をおさめた。希少で可愛いパンダがシンボルになり、人々の野生動物保護への共感を生み、協力したいという気持ちを引き出す。

 動物園でパンダが飼育されるようになって生まれた問題は、繁殖であった。パンダのお見合い問題はメディアの格好の標的になった。英国のパンダをソ連のパンダとお見合いさせた最初の例では、繁殖は失敗に終わる。そのときの新聞等の見出しはさながら、現在の有名人のスキャンダルなどを取り上げるメディアの報道と変わりがない。他のお見合いのケースでも、大げさに擬人化した風刺漫画が、時代を経て極端になっていった。「英語圏の多くでパンダが愛されると同時にばかにされている背景には、こうした風刺の影響があるのではないか」と著者は考える。これは日本も同じだろう。パンダは人気動物であると同時に、「人寄せパンダ」などの皮肉にも使われる。

 本書は、パンダの愛らしさに振り回された人間を描く一方で、その人間の思惑に同じく翻弄されたパンダの受難の歴史もさらしている。アイドル動物を追うことで、パンダに限らず、動物と人間の望ましい関係を突きつけていると言えよう。(池村千秋訳) 
    --「今週の本棚:内田麻理香・評 『パンダが来た道-人と歩んだ150年』=ヘンリー・ニコルズ著」、『毎日新聞』2014年03月23日(日)付。

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書評:片桐庸夫『民間交流のパイオニア 渋沢栄一の国民外交』藤原書店、2013年。

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片桐庸夫『民間交流のパイオニア 渋沢栄一の国民外交』藤原書店、読了。近代日本における資本主義興隆の父・渋沢栄一は、晩年を民間外交に捧げ、「対米・中・韓関係の改善に尽力」(帯)した生涯だったという。本書はその全体像を明らかにする試み。

通商関係の強化こそ平和の礎との渋沢の信念は、日本の侵略主義とは一戦を画し、米・中・韓との関係改善に四半世紀費やした。文化交流から経済支援まで--その多彩な活動は、ノーベル平和賞の候補として取り上げられる等、本調査には驚く。

「論語と算盤」を旨とした渋沢の「国民外交」を明らかにする本書は、同時にその限界をも明らかにする。それは中国・朝鮮半島での民族主義を正確に理解してなかったことだ。国際派といってよい渋沢ですら近代日本の驕りから自由でなかったことだ。
※このあたりが吉野作造とは対照的であり、いわば自民族中心主義……特に近代日本は、アジアで最初に資本主義興隆に成功したという歴史を「自負」ととらえてしまうと、足下をすくわれてしまう訳で、この頸木をどのように理解するかで、その言説が真性か否か、分かるというものでもある。
※ただし、上記の真性論でもってして、全否定するのも問題があるのはいうまでもない。

渋沢が尽力した「対米・中・韓関係の改善」は戦前だけでなく、目下の喫緊の課題でもある。戦前日本のように孤立に突き進むリアリティが増す今日、「政経分離」の建前には限界があるとしても、「民間外交」で切り開く翠点が無いわけではない。アプローチの無謬さをしりぞけながら、よりよき相互理解を目指すうえで、本労作に学ぶべきことは多い。
 

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覚え書:「パンダが来た道-人と歩んだ150年 [著]ヘンリー・ニコルズ [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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パンダが来た道-人と歩んだ150年 [著]ヘンリー・ニコルズ
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2014年03月16日   [ジャンル]科学・生物 

■稀少動物と人間の関係を面白く

 上野動物園のパンダが発情したらしい。果たして交配がうまくいくかどうか。ファンはかたずを呑(の)んで朗報を待っている。こんなことも、いまだ研究途上なのである。ようやく、幼い時の母との関わりの多少が、何かと影響することがわかってきた。オスの繁殖行動は、母親と一緒に生活した期間が長いほど活発と推測されている。
 パンダたちは声によって、互いの性や年齢や体格などを識別しているらしい事実もわかってきた。また、一部の色を視認することや、顔の模様を覚えているらしいことも判明してきた。
 パンダの生態の謎が解明されると、パンダはしあわせになれるのだろうか? 本書はパンダが発見されてから、人々がこの稀少(きしょう)動物をどのように扱ってきたか、を要領よく面白くまとめている。「政治的動物」という言葉が重い。
 題字といい造本といい、花ぎれ、ページに至るまでパンダ模様(白黒)、パンダファンは随喜だろう。
    ◇
 池村千秋訳、白水社・2520円
    --「パンダが来た道-人と歩んだ150年 [著]ヘンリー・ニコルズ [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「手のひらの音符 [著]藤岡陽子」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。


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手のひらの音符 [著]藤岡陽子
[掲載]2014年03月16日   [ジャンル]文芸 

 全力疾走であがくのは格好悪く見えるかもしれない。それでも、ひたむきに生きていこう、と呼びかける真っすぐな長編。
 服飾デザイナーの水樹は45歳、独身。順調に見えたキャリアは突然頓挫する。二十数年ぶりに高校の同級生から連絡が入った。服飾の道へ背中を押してくれた恩師が入院していると聞き、彼女は故郷に帰る。
 故郷は過去とつながっている。あの頃、大切な存在だった男の子。その家族を悲劇が襲い、彼は心を閉ざしていく。
 幼い兄弟が、勇気がなくなったときに口ずさむ、おかしな歌詞の「ドレミの歌」が愛らしく、心に残る。あの人がどこかで頑張っている、その確信が前を向く力になる。
    ◇
 新潮社・1470円
    --「手のひらの音符 [著]藤岡陽子」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「教誨師 [著]堀川惠子」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。


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教誨師 [著]堀川惠子
[掲載]2014年03月16日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 

 教誨(きょうかい)とは受刑者をさとし善導すること。死刑囚の教誨師は死にゆく人と交流し、死刑執行に立ち会う過酷な任務を担う。中の事象を語ることは禁じられ、近年その発言は世に出ていない。永山則夫裁判を追ってきた著者は、浄土真宗の僧侶でもある老教誨師の信頼を得、「自分の死後に出版」という条件で聞き取りを進めた。本書に登場する死刑囚たちは皆、生々しい存在感を放つ。母への思いを最期まで叫ぶ者、教誨師の一言に深く傷つく者……。「ホテル日本閣事件」の女性死刑囚小林カウは、執行時に「もう2、3日、待って」と訴えた。老師が一時期酒に溺れたとの告白は、死刑という制度の割り切れなさ、罪と罰の実相の捉え難さに触れている。
    ◇
 講談社・1785円
    --「教誨師 [著]堀川惠子」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「くらしナビ・ライフスタイル:こだわりの本、小豆島から 神奈川から移住して出版社、浅野卓夫さん」、『毎日新聞』2014年03月20日(木)付。

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くらしナビ・ライフスタイル:こだわりの本、小豆島から 神奈川から移住して出版社、浅野卓夫さん
毎日新聞 2014年03月20日 東京朝刊

(写真キャプション)小豆島で出版社を始めた淺野卓夫さん=香川県土庄町甲のサウダージ・ブックスで

 瀬戸内海の小豆島で昨年秋、神奈川県から移ってきた浅野卓夫さん(39)が、出版社「サウダージ・ブックス」を起こした。東京一極集中が著しい出版界。大阪や名古屋などの大都市でも経営は難しいが、浅野さんは「島には暮らしに根差したものづくりの伝統がある。本づくりには格好の環境です」と意に介さない。

 本州から小豆島へは岡山市からフェリーで70分かかる。瀬戸内の入り江や島々がのどかな海に点在する景観の中を行く。小豆島は香川県に属するが、高松市からは高速艇で30分の距離で、同様に瀬戸内海国立公園の海を渡る。海上からは岬や島の斜面に作られた耕作地が一望でき、地道に積み重ねられてきたひとの営みにも思いをはせずにはいられない。

 ●海と畑が着想の源

 小豆島北部の土庄町中心部にサウダージ・ブックスの事務所がある。浅野さんは「いい景色だったでしょう。その中でゆっくりと、どんな本を作るかを考えられます。付き合いの飲み会もほとんどないですから」と笑って言った。出版物は全国に流通させたいと考えており、1カ月に10日間は関東や関西の書店回りをしている。営業を考えた場合の地の利は極めて悪いが……。

 設立直後の昨年10月に「瀬戸内海のスケッチ 黒島伝治作品集」を出版した。黒島(1898?1943)は小豆島出身でプロレタリア文学の旗手として活躍したが、そのイメージだけで語られがちで、今はろくに読まれていない。浅野さんは「優しさのこもった作品が多く、ここに来てますます好きになりました。その視点から作品集を作り、もう一度読まれるきっかけを作りたいと思いました」と語る。作品選びは、エッセイストで、京都で古書店を営む山本善行さんに依頼した。

 出版後すぐ、新聞や雑誌の書評で取り上げられた。特に現代詩作家の荒川洋治さんは毎日新聞紙上で「今年の3冊」の一つに挙げ、「文章と構成の素晴らしさ。文学を知ることは、黒島伝治を知ることだ」と絶賛した。島での着想がいち早く実を結んだのだった。

 ●手仕事に学ぶ

 島で日常的に顔を合わせるのは畑を作ったり、特産品のオリーブ油やしょうゆ、そうめんづくりの手仕事に携わっている人が多い。その姿勢に学ぶことが多いともいう。

 「昔ながらの仕事というのは、とても細かい部分にまでこだわるのです。そこに自分の仕事に対する誇りもある。文字組み、表紙づくりなど、本の半分は手仕事のようなもの。電子書籍が増えてきた時代に、なぜ紙の本を作るのかという自分自身の疑問に対する答えになっています」

 「瀬戸内海のスケッチ」の表紙の絵は、絵本作家のnakabanさんに依頼して、たそがれ時の瀬戸内を描いてもらった。表紙を外して裏面を広げると、全面に表紙の絵が印刷してあり、絵だけを楽しめる。「こだわってみました。費用も手間もかかり、いつもできるわけではありませんが、なかなかいいでしょう」と得意げな顔をした。

 ●「多様な文化」実践

 文化人類学を志していた浅野さんは、ブラジルに留学して日系移民を研究した。当時よく通った農場で、ある男性と出会う。日本で初めて生活協同組合を設立した社会運動家・賀川豊彦を支え、さらに小豆島と隣り合う豊島で農民福音学校を開いた藤崎盛一から教えを受けたという。浅野さんはこの男性に「日本へ戻ったら豊島へ行き、高齢の自分の代わりに墓へ参ってほしい」と頼まれた。

 帰国後、文化人類学者の山口昌男氏の付き人となり、その紹介で編集の仕事を始めた。フリーに転じた後の2010年、ようやく豊島での墓参りを果たした。島を訪れるうちに、自然や人々への愛着が高まり、移住した。サウダージ・ブックスの事務所は小豆島に置き、高速船で海上15分の通勤をしている。

 小豆島での挑戦には「学んできた中に『文化の多様性の大切さ』がある。出版界の東京中心というサーキットから外れてみたいとも思ったのです」と語った。

 ●アイデア全国発信

 昨年末からは、料理など実用書シリーズの刊行も始めた。ブックカフェなど、島でのイベント開催にも力を入れる。将来的には、作家が島へ作品を書きに来て滞在する「ライタブルレジデンス」を作りたいとも構想する。

 浅野さんは「都会にいたら思いつかないアイデアが、次から次へと湧いてきます。経営を確立して島の雇用にも貢献したい」と意欲満々だ。

 同社の本は、30都道府県の約150店で取り扱い、全国の書店で注文できる。詳しくはhttp://saudadebooks.jimdo.com/へ。問い合わせは電話0879・62・9889。【戸田栄】
    --「くらしナビ・ライフスタイル:こだわりの本、小豆島から 神奈川から移住して出版社、浅野卓夫さん」、『毎日新聞』2014年03月20日(木)付。

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[http://saudadebooks.jimdo.com/:title]

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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:告発者が守られる社会に--映画監督・周防正行さん」、『毎日新聞』2014年03月20日(木)付、+α


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特定秘密保護法に言いたい:告発者が守られる社会に--映画監督・周防正行さん
毎日新聞 2014年03月20日 東京朝刊

(写真キャプション)インタビューに答える映画監督の周防正行さん=丸山博撮影

 ◇周防正行さん(57)

 「気持ちが悪い法律だな」。昨年秋、特定秘密保護法案の内容を知った時、まずそう感じた。

 既に監視カメラが街のあちこちに置かれ、法務当局は盗聴捜査のできる範囲の拡大を検討している。市民の情報が丸裸にされている中で、この法律により、時の国家権力は都合の悪い情報を隠すことができる。

 権力者に悪意がなくても権力は誤ることがある。にもかかわらず、権力の及ぶ範囲が肥大しつつある。ぼくらは民主主義を手放す道を歩んでいるのではないか。怖い。その怖さを感じている人がどれだけいるだろうか。

 刑事裁判の問題点を描いた映画「それでもボクはやってない」を撮った後、法相の諮問機関「法制審議会」の特別部会の委員になり、今の刑事訴訟法だって解釈により運用が変わることを知った。「秘密保護法は解釈によってどうなるのか」という議論があまりに少なかった。どう運用される可能性があるのか、検証しておくべきだ。

 秘密保護法施行までにしなければならないのは、一人一人が声を上げることだ。とても勇気のいることだと思う。日本の社会は人と違ったことをすると、それだけで排除されることがある。内部告発者にも冷たい社会だ。世の中の利益のために告発したことで、排除されたりする。告発者が守られるようにしなければならない。

 また、情報公開をさらに進め、権力者の行いを後の世代が検証できるようにすべきだ。【聞き手・青島顕、写真・丸山博】=随時掲載、ニュースサイトに詳報

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 ■人物略歴

 ◇すお・まさゆき

 1956年生まれ。代表作に「シコふんじゃった。」「Shall we ダンス?」。今秋「舞妓はレディ」の公開を控える。
    --「特定秘密保護法に言いたい:告発者が守られる社会に--映画監督・周防正行さん」、『毎日新聞』2014年03月20日(木)付。

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以下が「ニュースサイトに詳報」

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特定秘密保護法:映画監督・周防さん「内容に気持ち悪さ」
毎日新聞 2014年03月19日 21時27分(最終更新 03月19日 22時21分)


インタビューに答える映画監督の周防正行さん=東京都渋谷区で、丸山博撮影

 ◇「反対する映画人の会」に賛同

 昨年12月に成立した「特定秘密保護法」は、国の安全保障にかかわる情報を漏らした公務員らに厳罰を科す。年内にも施行される同法に関する映画監督、周防正行さん(57)へのインタビューの要旨は次の通り。

--昨年末、「特定秘密保護法案に反対する映画人の会」に賛同した。政治的なメッセージを出すのをいやがる人もいる中で、なぜ賛同したのか?

 「娯楽映画」の作家だから政治的発言を控えようと思ったことはない。もともと社会的問題に関心がある人間だ。だから映画、演劇を見てきたし、それを見て青春時代に「どう生きるか」と考えてきた。司法制度改革につなげたいと、(刑事裁判の問題点を描いた)「それでもボクはやってない」(2007年)を撮ったし、(法相の諮問機関である)法制審議会の特別部会で委員になって発言している。

--この法律を知ったのはいつか?

 昨年秋ぐらいにマスコミがにわかに取り上げるようになってからだ。内容を知って気持ち悪さを感じた。

--「気持ち悪さ」とは?

 いま、法務当局が通信傍受法の対象になる犯罪の範囲を広げることを検討しているし、街を歩けば住民が自己防衛のために監視カメラを設置している。市民の情報は丸裸にされているのに、(この法律によって)国家権力はよろいで秘密を固め、自分たちに都合の悪いものは隠せるようになる。権力は道を誤ることがあるのに、権力の及ぶ範囲が肥大しようとしている。ぼくらは民主主義を手放す道を歩んでいるのではないか。怖い。怖いと感じない(人がいる)なら、(その人は)民主主義、個人の権利が肌身で分かっていないのではないか。

--法律の問題として、他に感じるところは。

 秘密にされた情報が60年とか、場合によっては永遠に隠される恐れがあること。その時の権力者の行いを後の世代が検証できないのはよくない。国家の主権は一人一人の市民にあるのだから。(秘密を扱う人たちの身辺を調査する)適性評価も問題がある。

--法制審の部会で感じたことは?

 「新しい司法制度改革」を話し合っているが、現在の刑事訴訟法だってそんなに悪いものではない。だが、いろんな解釈があって、たとえば被疑者(容疑者)が取り調べを受ける義務があるかどうかについても、学者によって意見が異なる。法律は解釈の仕方で運用が違ってくる。にもかかわらず、秘密保護法では解釈の仕方によってどうなるのか、あまりにも議論がされていない。作った側に悪意がなくても、一度できた法律は解釈、読み方によってどうにでも運用される。可能性を(事前に)きちんと検証しておかないといけないのに、なされていない。国会の議論だけではなく、学者による議論がもっと必要だ。

--(12月とされる)施行までに市民のやるべきことは何だと思うか。

 反対のネットワークを作ることだ。すごく勇気がいることだと思う。日本は声を上げると排除されることがある国だ。内部告発者にも冷たい。公的な利益のために告発した人がかえって「身内を裏切った」として排除される。その結果、危ないことに近づかないでおこうとする。抑圧の強い社会、監視社会になるのが怖い。

--「映画人の会」に加わった時に、情報公開について言及した。

 情報公開が日本ではきちんとできあがっていない。裁判員裁判で市民が死刑判決にまで携わるが、死刑囚は拘置所でどのように過ごしているのかも隠されている。オウム真理教の裁判では、拘置所から死刑囚を出廷させることに(検察側は)当初否定的だった。もし拒否するなら、彼らがどう過ごしているかを明らかにしたうえで、「だから出廷させるとこんな不都合が起きるのだ」と説明すべきだ。

 「お上(かみ)」(政府・行政)が「悪いようにしない」と言ってやっている。でも歴史を振り返ると、お上だって悪いことをすることがある。だからチェック機構をきちんと(整備)しなければならない。その第一歩が情報公開。その情報公開に真っ向から対峙(たいじ)する秘密保護法はよくないと思っている。廃止を求めます。

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病院日記:自分の外に出るというのは、他なるものを配慮するということ


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レヴィナス 私の本(引用者注--『実存から実存者へ』のこと)が言おうとしたのは、存在は重苦しい、ということです。
ポワリエ それは無に対する不安ではないのですか。
レヴィナス それは無に対する不安ではありません。実在の《在る》に対する恐怖なのです。それは死ぬことへのおそれではなく、おのれ自身の「過剰」なのです。事実、ハイデガー以来、あるいはカント以来といってもいいかも知れませんが、不安は、存在しないこと(ne-pas-être)の情動性として、無を前にしたときの心細さとして分析されてきました。それと違って、《在る》に対する恐怖は自己に対する嫌悪感、自分が自分であることのやりきれなさ、というのに近いのです。
ポワリエ であるこそ、自分から外に出ることが重要なのでしょうが、いったいどうやって自分の外に出ることが出来るのでしょう?
レヴィナス そこです。そこで私たちは根本的な主題にゆきつくのです。自分の外に出るというのは、他なるものを配慮するということです。他なるものの苦しみと死を気遣うより先に気遣うということです。
 それが心の喜びから出来るというふうに言っているわけではまったくありません。またそれはたやすいことだと言っているのでもありません。ましてやそれが存在することへの恐怖とか存在することの倦怠とかに対する治癒であるとか、存在する努力に対する治癒であるとか言うのではさらにありません。それは自分から気をそらす方法ではまったくないのです。
 私が言いたいのは、それは私たちの人間性の根源の発見である、ということです。それはまた他者との出会いにおける善なるものそのものの発見なのです。私は「善」という言葉を用いることをおそれません。他者のために、他者の身代わりになる有責性は善であるからです。それは快適なことではありません。それは善いことなのです。
    --エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ(内田樹訳)「ポワリエとの対話」、エマニュエル・レヴィナス、フランソワ・ポワリエ(内田樹訳)『暴力と聖性』国文社、1991年、117-118頁。

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先週の火曜日、看護助手の仕事での入浴介助の最終担当日になりました。4月からは神経内科と異なる部署へ異動するので、最後になりましたが、ちょと考えることが多かったので「病院日記」として残しておきます。

基本的に身体を自ら動かすことに難儀のある入院されている方が多いのですが、今回は、入浴のお世話をさせていただいた、(どうやら若い頃は教員の方のようでしたが)おじいさんが興味深いことをいっておりました。曰く……、

「ここにくると、人間とは平等なんだなということを実感するね」。

その憶断を批判するつもりもないけど、そうおじいさんが言う言葉が字義通りにそうなんだなあと思った次第です。

何かといえば、人間が平等であると実感する「時」というのは、自らの存在が、自らの意志を離れ、文字通り、他者の手に委ねられる瞬間にそれが立ちがあるのではないか、という話しです。

誰でも人間は平等であるという認識を建前としては持ち合わせている(確率が高い)。しかし、生活の中では「そんなん、お花畑」と居直ってしまうのが現実で、僕もその例外ではない。しかしそうした臆見が木っ端みじんになり、人間の平等性を実感する瞬間がある。そしてそれは自発的に自分がそう思うというよりも、その人間が外堀を埋められて最後に辿りつくところに現出するする……そう、いわば、逆説的ながら、自分の命が他者の手に完全に委ねられた瞬間に「平等」の観念を体得するのでしょう。

人間とは他の動物に比べると実にその成育に手間暇のかかる存在である。例えば、牛の赤ちゃんは生まれ落ちて自分の足で大地に立ち乳を飲むことができる(できなければそれは死を意味する。しかし、牛の赤ちゃんと違って人間の赤ちゃんにはそれができない。

常にその生育に他者の介在が不可欠となる。

オレは自分一人で勝って来たみたいな傲慢さと訣別する必要があるよなあと思ったりです。

単純な他者に対するビジネス論的な信頼論ではないけど、全的に異なる他者に我が存在をなげうつことで、いきているのが人間なんだよなあ、と思ったり。「ここにくると、人間とは平等なんだなということを実感するね」という気づきは、「病を得れば、エライ人もフツーの人も皆同じ」という軽率な傲慢というよりも、むしろ、どちらかといえば、自身へもう一度戻る大切な手続きなのではないかのかね、と。

そこで人間観が更新されることによって、世界認識や人間理解の更新がもたらされる。


 


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覚え書:「昭和の子供だ君たちも [著]坪内祐三 [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。


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昭和の子供だ君たちも [著]坪内祐三
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2014年03月16日   [ジャンル]社会 

■時代の断層に傷ついた者たち

 「世代」をちゃんと定義した世代論を初めて読んだ気がする。物心つく六歳くらいから成人前後にその目に何を映し、どんな空気を吸ったか。それが世代感覚をつくる。
 最初の昭和生まれは、終戦の年に18歳前後。「昭和の子供たち」は、まず「戦争との距離」で世代をはかられることになる。そして、戦争の空位を埋めた「政治(共産主義)」との距離で。その指標が「趣味」「サブカル」に移り、平成へと至る。
 時代精神をあぶり出すにあたって、坪内祐三がおそらく本能的にとったアプローチは、「時代の断層に反応すること」だっただろう。たとえ1歳違いでも、あるいは同年の早生まれと遅生まれというだけでも、見える風景が全くちがってしまう切り口が、どんな時代にも存在する。そこを、当人たちの目や声を借りながらあぶり出す。「断層」をさぐり当てる様は、さながらミステリーのようなスリリングさである。
 「断層」には時に、最も傷ついた者たちがいる。時代に、信じたものに、裏切られた者たち。そしてなんの補償もされなかった者たち。たとえば予科練帰りは、同世代の中でも心情を共有できる者が極端に少ない。あるいは、はぐれ者たちの絆たる任侠(にんきょう)仁義にも裏切られた者たち。共産党の方針転換に最も傷つけられた者たち。彼らの絶望。自ら生命を絶った者もいるだろう。しかし、彼らの中にこそ、最も心を打たれる表現があったことに、私は不思議な救いを感じた。
 印象的な著者の叫びがある。“戦後システム”に代わる「新たなシステムを作りあげて行くことが私たち昭和生まれの使命だ(年金問題をはじめとする老後の心配などしている場合ではない)」
 『昭和の子供だ君たちも』は、安易な連帯感のタイトルではない。「君たちも『昭和の子供』なら、責任がある」。そう私は受け取った。
    ◇
 新潮社・1890円/つぼうち・ゆうぞう 58年生まれ。「東京人」編集部を経て執筆活動に。『靖国』など。
    --「昭和の子供だ君たちも [著]坪内祐三 [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「ブラックホールに近づいたらどうなるか? [著]二間瀬敏史 [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。


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ブラックホールに近づいたらどうなるか? [著]二間瀬敏史
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2014年03月16日   [ジャンル]科学・生物 

■二度と戻れぬツアー、疑似体験

 今年の春(つまり今この瞬間にも)、我々の天の川銀河の中心「いて座Aスター」にある巨大ブラックホールに、地球の3倍の質量を持ったガス雲の一部が落ち、爆発的に輝くと予想されている。見た目に華やかな天体ショーになるかはともかく、専門家の観測レベルでは、間違いなく、謎にみちたブラックホールに迫る好機だ。関連ニュースを目にすることも多くなるだろう。
 本書は肩の力を抜いて読めるブラックホール入門書。理論的な発見と存在証明の章を経て「ご近所のブラックホールを訪問」したり、様々な種類のブラックホールの「ツアー」に出かけたりする。
 「ご近所」では、やはり天の川銀河の「いて座Aスター」が興味深い。まさに銀河の中心であり、我々の太陽系の付近よりもずっと星々が密だ。向かう途中の景観自体素晴らしいだろう。そして、高速で回転する3本のガスの腕の中心に太陽の400万倍の質量を持つブラックホールがある、というのも凄(すご)いイメージだ!
 タイプ別ツアーは、理論的には一番単純なシュワルツシルト・ブラックホールという種類から始める。危険を伴う半径の3倍以内の軌道へ進入。漆黒が視界の大部分を占め「深い井戸の中から外を見上げたように、円形に圧縮された全宇宙が猛烈な明るさで輝いている」のを仰ぎ見、操船ミスでブラックホールに落ち込んで「中」も体験する。宇宙船も乗員も二度と戻れないまさに「ブラック」なツアーだが、読む分には楽しい……。
 なお、ブラックホールは、極端な天体だけに、宇宙の起源や成り立ちに迫る示唆を与える。本書の後半で、ヒッグス粒子との関連や、私たちが認識している3次元空間はある種の幻で、「無限の遠方にある2次元面の境界」に書きこまれた情報から現れる映像のようなものとするホログラフィック原理も紹介されている。興味を持ったら、さらに専門的な書籍に進むとよい。
    ◇
 さくら舎・1575円/ふたませ・としふみ 53年生まれ。東北大学教授(宇宙論)。『日本人と宇宙』など。 
    --「ブラックホールに近づいたらどうなるか? [著]二間瀬敏史 [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014031600007.html:title]

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ブラックホールに近づいたらどうなるか?
二間瀬 敏史
さくら舎
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覚え書:「第五の権力―Googleには見えている未来 [著]エリック・シュミット、ジャレッド・コーエン [評者]原真人(本社編集委員)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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第五の権力―Googleには見えている未来 [著]エリック・シュミット、ジャレッド・コーエン
[評者]原真人(本社編集委員)  [掲載]2014年03月16日   [ジャンル]社会 

■ネット先導者が示す明と暗

 インターネット社会の未来を描く本はあまたあるが、本書はそんじょそこらの解説書ではない。なにしろ高度情報社会の最強企業、グーグルのエリック・シュミット会長がみずから書いた本なのだ。
 シュミットらはネット空間を「とてつもない善を生み出すとともに、おぞましい悪をもはらんでいる」存在だとみなす。夢をふりまいてきた先導者が暗部についてもふれたのはやや意外だったが、現実世界では証明ずみのことではある。ネットは「アラブの春」で独裁国家をひっくり返す力になったが、米国が他国や個人から情報を集め監視する道具にもなっている。
 とはいえ本書は基本的にその未来を楽観している。テロリストがより多くのテロ手段を手にしたとしても、ネット社会の監視の目をくぐり抜けて潜伏するのはずっと難しくなる。サイバー戦争が増え、攻撃や防御の方法はより複雑になるが、仮想戦線が現実の戦争を抑止する可能性もある。そう正当化するのだ。
 グーグル首脳が政治社会や安全保障への影響をここまで丹念に予測し分析していたことには正直、薄気味悪さも感じる。同社の軍事ロボット企業の買収やメガネ型端末の開発も行き当たりばったりの判断でなく、確信にもとづく投資だったのだ。未来技術を生みだしていく者たちの動機をうかがい知るのに、本書は貴重な資料になると思う。
 ただし、ここで語られていないこともある。膨大な個人情報を集めるグーグル自身によるプライバシー保護はどうなのか。ビッグデータ独占の弊害は考えられないか。米政府の個人情報収集に協力したのではないか。そういう疑問や疑惑に対する説明がない。
 もし巨大情報産業が陰謀を巡らしたら、ネット社会はどうなるのだろう。邦題「第五の権力」は将来ネットとつながる80億人の市民を意味するが、まるでグーグルのことを暗示しているようでもある。
    ◇
 櫻井祐子訳、ダイヤモンド社・1890円/コーエンは81年生まれ、グーグルのシンクタンク創設者兼ディレクター。 
    --「第五の権力―Googleには見えている未来 [著]エリック・シュミット、ジャレッド・コーエン [評者]原真人(本社編集委員)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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第五の権力---Googleには見えている未来
エリック・シュミット ジャレッド・コーエン
ダイヤモンド社
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覚え書:「戦乱の中の情報伝達―使者がつなぐ中世京都と在地 [著]酒井紀美 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。


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戦乱の中の情報伝達―使者がつなぐ中世京都と在地 [著]酒井紀美
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年03月16日   [ジャンル]歴史 社会 

■意識高い農民の姿うかがえる

 備中国の新見庄と京都の東寺は、荘園と領主の関係にあった。寛正2(1461)年に新見庄の使者が東寺を訪ねて、これまでの細川勝元の請負代官を追い払ったので、改めて代官を直接に送ってほしいとの書状を届ける。これからの10年間、両者の間で交わされた往復書状を分析、その情報伝達の内容を吟味したのが本書である。
 ここには「支配」と「被支配」の枠組みより、農民たちの意識がかなり高いことが窺(うかが)える。たとえば「京上夫」(荘園から京都に上る使者)の人数をめぐる対立では、「夫役負担が増大するのは、末代までの大儀」と農民は抵抗を続ける。この「末代まで」という意識が抵抗の核になっていて、自分たちの労苦を子孫代々にまでは味わわせまいと考えていたのである。
 京都の世情が悪化して応仁の乱に至るが、書状の往復は少なくなっても村々を結ぶネットワークで都の権力関係は地方にも正確に知られていたというから驚きだ。
    ◇
 吉川弘文館・1890円 
    --「戦乱の中の情報伝達―使者がつなぐ中世京都と在地 [著]酒井紀美 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「ブックウオッチング:街の本屋さん 番外編 シンポジウム『街の本屋と図書館の連携を考える』」、『毎日新聞』2014年03月19日(水)付。


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ブックウオッチング:街の本屋さん 番外編 シンポジウム「街の本屋と図書館の連携を考える」
毎日新聞 2014年03月19日 東京朝刊

 ◇互いの強み生かし相乗効果

 NPO法人「本の学校」が主催するシンポジウム「街の本屋と図書館の連携を考える-地域社会での豊かな読書環境構築に向けて」が3月5日、東京都千代田区で開かれた。両者の関係は「発注者」と「納入業者」である。だが、人々の読書環境を充実させるため、書店と図書館が連携して何かできることはないだろうか。その模様の一部を「街の本屋さん」番外編で届ける。【須藤晃】

 ◇地域の「必需品」

 阿刀田 50年前、唯一の勤め人経験が図書館員だった。相当な年月だが、大切なことは変わっていない。総論として申せば紙の本や新聞、つまり印刷というのは人類に極めて大切な事業だ。活字媒体は、電子化という一つの曲がり角にきている。しかし、新刊が電子化されようと過去の本からは逃れられない。紙の本であるがゆえに尊い。なぜなら50年も前に書かれた本が古本屋にある。本は「このページには何字入れるか」を考えて作られた美術品だ。これを後世に残したい。

 片山 公共図書館、学校図書館、地元の書店は地域の「必需品」だ。司書、書店の経営者、NPOなどがこれを支える。こうして地域の知的環境や読書環境が整えられていると思う。目に見えない知的環境整備に政治家は頓着しない。図書館と書店は「図書館栄えて、書店滅びる」の関係だろうか? お互いが連携をすることで切磋琢磨(せっさたくま)し合うのが本来の姿だ。鳥取県は県立図書館と地元の書店が連携し、共同で選書している。司書は選書のプロで、書店も分野ごとに得手、不得手がある。書店の経営者も負けるのは不本意なので勉強する。こうして両者の相乗効果が生まれる。

 花井 テレビのドキュメンタリー映画を作ってきた私が小布施町に移り住んだ。図書館を新設することになり、運営や経営を議論する約50人の検討委員会を作った。議論を踏まえ、設計者や館の名称を決めた。人は居心地の良い空間に集まってくる。「図書館では静かにしなくて良い」と決めた。おしゃべり、飲食、子どものスキップもOKにした。「桃太郎」は私たちにとっては古典だが、初めて出会う子どもにとっては新刊。だが、あまり目立たない棚にある館が多い。そこで私は桃太郎を探しては目立つところに表紙を見せて置いてくる。これが私のやっている「桃太郎を探せ」だ。今は全国を回ってコミュニティー図書館づくりを支援している。

 ◇共同でイベント

 高須 豊川堂は昔からの書店だ。連携の仕方を鳥取県米子市の「本の学校」で学んだ。一昨年から愛知県田原市の図書館と連携し、読書文化を根付かせたいとイベントを始めた。子どもの本の展示会「本っていいじゃん!」を開催し、地域の子どもたちに本との出会いを与えている。

 宮川 私の店は甲府駅から徒歩10分の距離にある。山梨県立図書館長に阿刀田さんが就任し、開催した古事記の講座の中で「地元の書店で本は買いましょう」と言ってくれた。これで知的財産である専門書を売っていくことに自信が持てた。今日のテーマは本屋と図書館の連携だが、それぞれの得意分野があるはずだ。

 司会 図書館ができると街の書店の売り上げに影響は出るか?

 阿刀田 私のところでは一冊しか買わない。村上春樹さんの新刊を仮に20冊買ったら、順番待ちは減るが、ほかに買うべき19冊が買えない。急いで読みたい人は書店で買う。待てるなら図書館で予約すれば良い。

 宮川 こぢんまりした店なので影響はない。周りからは「ちょっと下がった」と聞く。民間のサービスレベルまで公立図書館がやると苦しいが、コミュニケーションを取ることで住み分けられる。

 片山 成毛真さんの岩波新書「もっと面白い本」。ここで紹介している本を全部買った人がいて、56万円になるという(笑い)。まねする人がいて良い。図書館のビジネスモデルは「無料貸本屋」ではない。放課後学童クラブを図書館でやれば良い。館を拠点にマタニティー教室を開く。医師や保健師が指導をし、司書が関連書籍を紹介し、縦割りの行政のなかでバラバラにやってきたことを図書館でやると効率的だと思う。

 司会 図書館は書籍をどこで買うのが理想的か。

 片山 例えば公共事業は地元優先でやっている。企業の育成という面もあるが批判があるのも事実。特定の本屋からだけ買うのはできないが、鳥取は県内主力書店から輪番制で購入している。

 阿刀田 図書館に頻繁に来てもらい書店の話を聞けば納入業者はおのずと決まるものだ。=敬称略

==============

 <パネリスト>

阿刀田(あとうだ)高さん(79)

 小説家・山梨県立図書館長

片山善博さん(62)

 慶応大教授・前鳥取県知事・元総務相

花井裕一郎さん(51)

 演出家・元長野県小布施町立図書館まちとしょテラソ館長

宮川大輔さん(39)

 春光堂書店(甲府市)専務取締役

高須大輔さん(33)

 豊川堂(愛知県豊橋市)専務取締役

司会は文化通信編集長・本の学校副理事長、星野渉さん

============== 
    --「ブックウオッチング:街の本屋さん 番外編 シンポジウム『街の本屋と図書館の連携を考える』」、『毎日新聞』2014年03月19日(水)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140319ddm015040003000c.html:title]

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日記:2013年度卒業式:最小限の変革共同体としての学友関係


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 「では、つぎにわれわれが探求して示さなければならないのは、思うに、現在もろもろの国において、われわれが述べたような統治のあり方を妨げている欠陥はそもそも何であるか、そして、ある国がそのような国制のあり方へと移行することを可能ならしめるような、最小限の変革は何かということだ。この変革は、できればただ一つの変革であることが望ましく、それがだめなら二つ、それも不可能なら、とにかく数においてできるだけ少なく、力の規模においてできるだけ小範囲にとどまるものであることが望ましい」
 「ええ、まったくおっしゃるとおりです」と彼。
 「そこで」とぼくは言った、「ある一つのことを変えるならば、それによって国全体のそのような変革が可能であるということを、われわれは示すことができるように思える。その一つのこととは、決して小さなことではなく、容易なことでもないが、しかし可能なことではあるのだ」
    --プラトン(藤沢令夫訳)『国家 上』岩波文庫、1979年、404頁。

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昨日は、卒業式にて、終了後、卒業された方や仲間たちと祝宴にてずっぽりと呑んでしまいました。

しかし、つらつら思うに、この学問を軸とした人間の関わり合いこそ、自由で平等で水平な対等関係が空間であり、様々なレベルの人間共同体の基礎になるのではないかと思ったりです。


みなさま、貴重な時間をありがとうございました。


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覚え書:「書評:江戸の化物 草双紙の人気者たち アダム・カバット 著」、『東京新聞』2014年03月16日(日)付。


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江戸の化物 草双紙の人気者たち アダム・カバット 著

2014年3月16日

◆遊び心くすぐる妖怪
[評者]横山泰子=法政大教授
 「草双紙(くさぞうし)」と聞いて瞬時にその意味を理解できる日本人は、今日どれくらいいるだろうか。草双紙とは江戸時代の絵入りの読み物のことである。子ども向けから大人向けまでさまざまあるが、絵と文章の融合によって成立していて、遊び感覚で読まれた。文章はほとんどひらがな表記(くずし字)なので当時は読みやすかったはずだが、現代の日本人には外国語以上に難しく、存在すらあまり知られていない。
 そんな草双紙に魅了されたのが、ニューヨーク出身のアダム・カバット氏である。日本の正統派近代文学を研究してきた氏は草双紙に描かれた化物(ばけもの)に心惹(ひ)かれ、「美」の世界から「醜」、もとい「怪」の道に入られた。草双紙全体の歴史の上で化物像の変遷を跡づけた点が本書の特色で、彼の化物愛につられて読めば江戸期の妖怪文化の面白さがよくわかる。私たちが水木しげるの妖怪マンガなどで慣れ親しんできた、豆腐小僧や河童(かっぱ)などの先祖は草双紙の中で躍動していたのだ!
 妖怪や江戸文化に関心を持つ人には、発見の多い一冊となるだろう。草双紙はマンガに似ているといわれるが、今や世界的に注目されている日本のマンガ文化やキャラクター文化の根を探るうえでも、一読に値する。そして、草双紙を知らなかった方は、この書で「未知との遭遇」ができるはずだ。
 (岩波書店・2520円)
 Adam Kabat 1954年生まれ。武蔵大教授・近世文学。著書『妖怪草紙』など。
◆もう1冊 
 水木しげる著『決定版 日本妖怪大全』(講談社文庫)。伝承される日本の妖怪やお化けを網羅したイラスト事典。
    --「書評:江戸の化物 草双紙の人気者たち アダム・カバット 著」、『東京新聞』2014年03月16日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014031602000177.html:title]

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覚え書:「【書く人】必要な人に言葉を運ぶ 批評家 若松 英輔さん(45)」、『東京新聞』2014年03月16日(日)付。


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【書く人】

必要な人に言葉を運ぶ 批評家 若松 英輔さん(45)

2014年3月16日

◆『君の悲しみが美しいから 僕は手紙を書いた』
 「僕は常々、本を書く人間は言葉を運ぶ人間だと思っています。僕の中に言葉があるのではなくて、どこからかやってくる言葉を、どこかで必要としている人の所に運ぶ仕事です。それを一番素直な形で表せるのが手紙という形式だと、今回分かりました」
 十一通の手紙で編んだ一冊だ。被災地で大切な人を喪(うしな)った若い世代をはじめ、悲しみを抱える人に向け、語りかける文章が並ぶ。実際に出した手紙ではないが、特定の相手を想定した文章がほとんどという。
 「詩人のリルケには多くの作品がありますが、最も長く残るのは、彼の書簡だと思う。特定の人に向けて最大限の力を使って真摯(しんし)に書かれた言葉は、多くの他者にも届くのだと思います」
 本の中で繰り返し語られているのが「悲しむこと」の大切さだ。「『悲しみは悲惨で、癒やされなくてはならない』ということに、いつの間にかなってしまった。でも、それは違う。本当に悲しみを背負って生きている人は、悲しみがあるから生きられるんです」
 震災の前年、乳がんで妻を亡くした。震災後、自らの実感をもとに、「死者とともに今を生きる」という「死者論」を唱え、大きな支持を受けてきた。
 手紙を書くのは「不可視な他者」を認識する機会にもなるという。「目の前にいない他者を大事にしなければいけないと、死者は我々に教えてくれている。たとえそれが敵であってもです。敵であっても僕たちはその人たちに支えられている。世の中はそうやって複雑に成り立っている。僕が死者論を語るのは、それを伝えたいからなんです」
 鎌倉時代の僧が、自分が住んだ島に手紙を書いて弟子に届けさせた、という話を本の中で紹介した。
 「被災地の方も同じことをすればいいと思います。喪われた場所や喪われた人に向けて、手紙を書けばいい。自分の中で今も生きていると信じている人は、手紙の受け取り手になりうる。それは一番お伝えしたいことです」。これは被災者に限った話ではない。「仮に小さいころにお母さんを亡くした方がいれば、お母さんに手紙を書けばいい。手紙を書くことは、自分の意識の奥深くを呼び覚ましてくれる。自分を本当に驚かせる、魂を震わせる言葉は、そこから出てくるのだと思います」
 河出書房新社・一五七五円。 (石井敬)
    --「【書く人】必要な人に言葉を運ぶ 批評家 若松 英輔さん(45)」、『東京新聞』2014年03月16日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/kakuhito/list/CK2014031602000181.html:title]

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覚え書:「0葬--あっさり死ぬ [著]島田裕巳 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。


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0葬--あっさり死ぬ [著]島田裕巳
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年03月16日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 

■究極の葬送法で軽やかな気分に

 我々は生命維持に必要であるよりもずっと大量の生物を犠牲にし、摂取し生きている。飽食の果ての最期くらいは、適(かな)うならば山野で人知れず鳥獣に食い荒らされ虫に喰(く)われ腐敗し土に還(かえ)りたい。
 ほぼ妄想、実現の可能性は限りなくゼロに近い死に方である。
 それでも夢見てしまうのは、飽食のツケを払拭(ふっしょく)したい気分の他に、闘病および葬儀で縁者にかけてしまうであろう多大なる負担を極力避けたい気持ちが強く渦巻いているからだ。
 ひとは独りで生きることもできないが、現代では独りで病み死ぬことも、なかなか難しい。親は別として自分の葬儀なんて、簡略どころかなくていいのに。仏教には敬意を抱くも、形骸化した仏教式葬儀習慣に興味はない。
 常々そう考えてきたため、宗教学者である著者が、葬儀/戒名/墓と、不要および低コスト化を説く本を次々と上梓(じょうし)し、仏教界を騒然とさせても、当然の流れと思い、驚かなかった。
 しかしいくらこれらを回避簡略化しても、火葬が義務付けられている以上、遺骨は残る。そこで驚愕(きょうがく)の本書がついに登場。
 遺骨処理で真っ先に思い浮かぶのは、墓地に山海に骨を撒(ま)くなどの自然葬だろう。法的にも認められるようになったが、縁者に強いる負担が難点。やはり基本的には墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)に従い墓所に骨を入れるしかないのか。
 ところが戦後の社会は変化し、都市化によって、墓を持たない家が急増。家墓はもちろん、納骨堂を新たに確保するにも費用がかかる。年間の管理費も必要。高齢化が進み、年金以外の収入が絶えて以降の人生が長くなる分、この費用を捻出できない人が出てきてもおかしくない。
 かくして現在、墓を持てないために骨壺(こつつぼ)に入った遺骨を自宅に置いたままの家が急増、およそ百万柱の遺骨が自宅にあると言われているとか。衝撃の数字である。
 著者は簡潔に日本に於(お)ける仏教式葬儀の歴史を振り返り、ぼったくりビジネス化した葬送の現状が仏教の教えに則していないことを指摘したうえで、究極の遺骨処理方法を提案する。合法でありつつ、これ以上の低コスト化は無理!というその具体的手順は本書を読んでいただきたい。
 遺骨への執着を完全に捨て去るこの方法、受け入れ難い人も多いかもしれない。しかし筆者はこの葬送方法を知ることでとても軽やかな気分になれた。実は大変仏教的な方法なのでは、と思えてならない。自分の遺骨は、自分の中で最後の「捨てられない」と決め込んでいるものだったのかもしれない。
    ◇
 集英社・1260円/しまだ・ひろみ 53年生まれ。宗教学者、葬送の自由をすすめる会会長。東京大大学院人文科学研究科博士課程修了(宗教学)。日本女子大教授などを経て、東京女子大非常勤講師。著書に『葬式は、要らない』『島田裕巳の日本仏教史』など。
    --「0葬--あっさり死ぬ [著]島田裕巳 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「ヴィクラム・ラルの狭間の世界 [著]M・G・ヴァッサンジ [評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。


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ヴィクラム・ラルの狭間の世界 [著]M・G・ヴァッサンジ
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)  [掲載]2014年03月16日   [ジャンル]文芸 人文 

■いびつな社会生きる「よそ者」

 最初は戸惑うかもしれない。主人公はヴィクラム・ラルという、国家的な汚職事件に関わって逃亡中のインド系の男。そして彼の追憶が向かうのは、まだ大英帝国の植民地であった1950年代のケニアの地方都市なのだから。
 支配者のイギリス人、鉄道建設の労働者として来たインド系住人、マサイやキクユやルオなどの現地人から成るケニアの複雑でいびつな植民地社会。しかし人種や階級の分断線を子供は越える。ヴィクラム少年が、妹のディーパ、ケニア人の親友ンジョロゲ、イギリス人の兄妹ビルとアニーと夢中で遊ぶ姿を追っていくうちに、我々はぐいぐい小説世界に引き込まれている。
 しかしイギリス人兄妹の死をきっかけに、美しい幼年時代は終わる。ケニアは独立を遂げるが、ヴィクラムらインド系住民は、たとえケニア国籍であろうが、〈よそ者〉として差別される。だがインドに帰ってもアフリカ育ちの彼らは〈よそ者〉である。
 アフリカとインドの〈狭間〉で生きるのを余儀なくされるヴィクラム。商人として成功するが、それは彼の意志ではなく、限られた選択肢しかない〈狭間〉で、ケニア人支配権力の顔色を窺(うかが)いながら振る舞った結果でしかない。
 どこまでも受動的なヴィクラムとは対照的に、妹のディーパと親友ンジョロゲは、主体的に運命をつかもうとする。幼年期の淡い思いが、燃える本物の恋に変わる。だが愛し合う二人の前に、アフリカ移住後も故郷の宗教と伝統に固陋(ころう)するインド系コミュニティーが立ちはだかる。そして独裁化していく政権に対して批判を強めるンジョロゲの身にも危険が迫る……。
 ヴィクラムは何をしたのか? イギリス人兄妹の死の背後には何が? 忘れえぬ魅力的な人物たちと、息をつかせぬ、だが我々に思考を促す深みのある物語。政治小説、歴史小説、教養小説、恋愛小説のすべてがここにはある。
    ◇
 小沢自然訳、岩波書店・3360円/M.G.Vassanji 50年ケニア生まれ。カナダ在住。本書が初の邦訳。
    --「ヴィクラム・ラルの狭間の世界 [著]M・G・ヴァッサンジ [評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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「みんなの広場 ことばの怖さ『他山の石』に」、『毎日新聞』2014年03月18日(火)付。

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みんなの広場:ことばの怖さ「他山の石」に
高校生・17(熊本市西区)

 「ことばを言った、矢を放った、手紙を書いた、罠(わな)に落ちた」。これは2月21日の「余録」で知った言葉の一つだ。タタール人のことわざでことばは元に戻せぬことのたとえだそうだ。

 NHK会長が就任会見で「個人的見解」を言って大きな問題となった。会長は「ちょっと、このぐらい」のつもりだったのだろうか。しかし、発言について国会の予算委員会で質問ぜめにあっている。会長は苦しい立場にある。NHKは公共放送だ。就任会見は「個人的見解」を言うために開かれたのではない。そこをわきまえなかったのだろうか。

 スウェーデンには「ことばには羽がある」ということわざがあるそうだ。また日本でも「綸言(りんげん)汗のごとし」「覆水盆に返らず」ということばがある。災いとなる「ことば」というのは怖いと再度認識した。このことから普段の生活でも発言する際は十分注意しなければならない。今回の会長のことばは、私にとってまさしく「他山の石」といえる出来事であった。
    --「みんなの広場 ことばの怖さ『他山の石』に」、『毎日新聞』2014年03月18日(火)付。

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書評:山田晶『アウグスティヌス講話』講談社学術文庫、1995年。


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山田晶『アウグスティヌス講話』講談社学術文庫、1995年、読了。筆者が北白川教会でアウグスティヌスについて「打解けた気分」で縦横に語った六話をまとめた一冊。1、アウグスティヌスと女性、2、煉獄と地獄、3、ペルソナとペルソナ性、4、創造と悪、5、終末と希望、6、神の憩い。定評を一新する好著。

賢母モニカとカルタゴ時代の同棲女性を扱う冒頭講話「アウグスティヌスと女性」が名高いが、2話「煉獄と地獄」、5話「終末と希望」に瞠目した。地獄に行く魂に希望はない。しかし、煉獄にゆく魂は清められるからその試練は「希望の苦しみ」である。

終末に対してどのように向き合うべきか。往々にして、真剣さゆえその準備の為に日常生活を放擲し過激な運動へ飛び込むか(全体主義的アプローチ)、ないしはとにかく自分の刹那的欲望を満たすか(個人主義的アプローチ)と極端になる。

前者は忘我的で宗教的にみえるが、そうではないし、後者は、計算的合理性から「醒めて」みえるがそうではない。聖霊は人を酔わすものでないし、単なるエゴイズムとは無縁であるのが信仰であり、終末を勝手に断定している所は共通する。

必要なことは、キリストの救いを信じ終末を「待つ」という態度だ。終末を待つことにより、信仰は浄化される。アウグスティヌスは蛮族蹂躙の中で『神の国』を著し、キリスト教的時間論を確立したが、その現実的認識に刮目させられる。

エセ宗教的忘我論、そして単純な利己主義を退けながら現実に関わっていくというアウグスティヌスの立場は、現代の我々の批判精神の早急さと、現状に対する諦めを厳しく批判するものだ。道元とのすりあわせもあり、スリリングな一冊である。


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アウグスティヌス講話 (講談社学術文庫)
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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『写字室の旅』=ポール・オースター著」『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『写字室の旅』=ポール・オースター著
毎日新聞 2014年03月16日 東京朝刊

 (新潮社・1890円)

 ◇言語がもたらす「私」という空白

 「老人は狭いベッドの縁に座って、両の手のひらを広げて膝に載せ、うつむいて、床を見つめている。真上の天井にカメラが据えられていることを、老人は知らない。シャッターは一秒ごとに音もなく作動し、地球が一回転するごとに八六四〇〇枚のスチール写真を生み出す。かりに監視されていることを老人が知っていたとしても、何も変わりはしないだろう。彼の心はここになく、頭の中にあるさまざまな絵空事のただなかに迷い込んでいるからだ。自分にとり憑(つ)いて離れない問いへの答えを、老人は探している。」

 小説の冒頭である。さらに次のようにつづく。

 「老人は何者か? ここで何をしているのか? いつやって来て、いつまでここにいるのか? うまく行けば、時がすべてを明かしてくれるだろう。ひとまず、私たちの唯一の務めは、できるかぎり注意深く写真を観察し、早まった結論を避けることである。」

 素晴らしい書き出しだ。

 老人は何者か? もちろん「私」であり、「あなた」である。小説家と言ってもいい。「あなた」も「私」も、物語るものであるかぎりにおいて小説家なのだ。問いはしたがって次のように書きかえられる。

 「私は何者か? ここで何をしているのか? いつやって来て、いつまでここにいるのか?」

 人はつねに自分が何者であるか自分自身に語りつづける存在である。昨日のことから、十年前、いや誕生から現在にいたるまでを、自分自身に物語りつづける存在だ。真偽はただその物語を他人も認めるか否かにかかっている。アイデンティティである。犬も猫もアイデンティティを問わない。自足しているからだ。人間は違う。「私」がたんなる生命現象ではなく言語現象でもあるからだ。

 言語現象とは、手っ取り早く言えば、私とあなたが入れ替わり得ること。人は、彼にも彼女にも、山にも海にも、また会社にも国家にも入れ替わることができる。これがなければ言語現象は成立しない。入れ替わるためには俯瞰(ふかん)する、つまり自分から離れて浮遊することができなければならない。魂という語が必要とされた理由だが、作者はそれを「真上の天井にカメラが据えられていること」という言葉で示している。臨死体験のときに自分を眺める視点だが、現実には人は四六時中その視点から眺めているのであり、そこから自分に乗り移っているのだ。つまり「私」とは、俯瞰するカメラすなわち言語がもたらした空白なのだ。

 老人はミスター・ブランクすなわち「空白さん」と名づけられる。重要なのは、その前に作者がぬかりなく、ブランクが「消しがたい罪悪感」と、自分は「犠牲者なのではないか」という疑いをもっていると書いていること。罪悪感も犠牲者感も言語現象そのものに起因している。

 一九八〇年代、作者は処女作『孤独の発明』からニューヨーク三部作(『ガラスの街』、『幽霊たち』、『鍵のかかった部屋』)へと鮮やかな飛躍を示して多くの読者を魅了したが、そのいっさいがこの小説に圧縮されている。

 ブランクの部屋を多くの人々が訪れる。グラックの『シルトの岸辺』を思わせるような小説の草稿。小説の小説へと収斂(しゅうれん)してゆく、感嘆するほかない構成。最後の一節において作者は、ブランクが小説家の隠喩にほかならないことを示唆するが、この一種の余裕は、ブランクが小説家の隠喩どころではない、人間の隠喩であり、小説の全体が人間的世界の隠喩たり得ていると実感されたからだろう。

 小説の現在の最先端と言っていい。(柴田元幸訳)
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『写字室の旅』=ポール・オースター著」『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『椰子の血』=司凍季・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。


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今週の本棚:松原隆一郎・評 『椰子の血』=司凍季・著
毎日新聞 2014年03月16日 東京朝刊

 ◆『椰子(やし)の血』=司凍季(つかさ・とき)著

 (原書房・2100円)

 ◇戦争に切り裂かれたダバオ移民の悲劇

 大正6年、評者の祖父は19歳で独り長崎から出航、フィリピンはミンダナオ島のダバオに向かった。「自由契約移民」としてバナナ農園で働くためにである。ダバオは軍用ロープの材料となるマニラ麻の名産地で、日本人街が出来るほど邦人が渡り住み、地元経済を牛耳っていた。ただし小柄な祖父には木に登りバナナをもぐ作業はきつく、翌年には這々(ほうほう)の体(てい)で日本に舞い戻っている。

 その後、私の祖父は戦争景気で事業を成功させたが、太平洋戦争の戦況が悪化すると財産は灰燼(かいじん)に帰した。「その後のダバオ」に居残って成功したならばどんな人生を送ることになったのか、つい想像したくなる。

 著者の祖父「清吉」は我が祖父の3歳歳下(としした)で大正8年にダバオに渡航、現地で開墾事業に成功して財をなしたという。偶然の一致に驚き、購入した。ミステリーの書き手である著者だけに小説仕立てだが、祖父夫婦とその子供たちについては事実のみ書かれているらしい。筋書きも多くは実話を踏まえている。しかしその結末は私の想像を粉微塵(みじん)に打ち砕き、衝撃的であった。

 前半では達意の文章が軽快に流れ、サスペンスにも富む。農民たる祖父母たち入植者たちの血のにじむ努力と成功譚(たん)は、パール・バックの『大地』をも連想させよう。筆が暗転するのは日米が開戦した昭和16年12月以降。本書の残り3分の1でミンダナオに居留した邦人たちを待ち受けた運命は、ページを繰るのも躊躇(ためら)われるほど陰惨だ。近年になり伯父が著者に語ったエピソードに至っては、目を疑ってしまう。私の祖父がそのまま現地に残ったなら私はまずこの世に生まれなかっただろうと、予想外の読後感に悪寒を覚えた。

 恐慌の続く大正期にあって、多くの日本人が海を越えた。「国際化」は近年に始まったのではない。10代の少年たちが2週間の船旅にも臆さず、ミンダナオのジャングル開拓に向かったのだ。当時は長子相続制が支配的であったから、次男以下には継ぐべき十分な家督がない。国内には夢を持てなかったのだ。幸い、ダバオでは明治末から日本人が開墾の礎を築いていた。若者たち単身者は、夫婦者しか渡航が認められなかったブラジルではなく、フィリピン諸島の南端に位置する「南国の楽園・ダバオ」を目指した。

 2メートルの大蜥蜴(とかげ)が家屋に上がり込むような大自然に囲まれ、日本人の誘拐も頻発する環境で、彼らは「後がない」と一心に仕事に打ち込む。甲斐(かい)あって清吉は約百ヘクタールの農園主となる。その成功者のもとへと蕗枝(ふきえ)が嫁入りしてくる。物語は三人の子を産んだ蕗枝の視点で語られていく。

 ダバオには日比の混血児も多いが、それは日本人の土地所有が認められなかったことに起因する。フィリピン人の妻を娶(めと)り、しかし籍を入れずにフィリピン国籍を得た我が子に土地を持たせようとするためだ。多くの悲劇はここに始まる。フィリピンは19世紀末に米国の植民地となっていた。ひとたび日米が開戦すると、親子は敵どうしとなる。米国統治下でそうした複雑な親子も含む日本人農園主たちは土地を捨て捕虜となり、日本軍が上陸・進撃してくると兵士もろとも米軍に追われて、人跡未踏のジャングルを彷徨(さまよ)い歩く。自分の身体にたかるウジを食べ、我が子を手にかける地獄である。

 銃弾の豪雨と飢餓の淵(ふち)にあっても清吉は終始冷静で妻子を守りきるが、家族の誰も亡くならなかったことで戦後は罪の意識に苛(さいな)まれる。書くことも地獄であるような記録を活字に残した著者には、感謝の意を表したい。 
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『椰子の血』=司凍季・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「書評:賃上げはなぜ必要か 脇田 成 著」、『東京新聞』2014年03月16日(日)付。


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賃上げはなぜ必要か 脇田 成 著

2014年3月16日


◆低賃金を許す労組の存在
[評者]根井雅弘=京都大教授
 アベノミクスによってデフレは解消し、本当に景気は回復するのだろうか。大胆な金融緩和によって一時円安や株高になったが、たとえインフレ目標に近づいたとしても、賃金が上がらなければ購買力もなく国民の生活も改善しないのではないだろうか。
 本書は、気鋭のマクロ経済学者がこのようなホットな経済問題を考えるための理論的基礎を丁寧に解説し、日本経済の現状と診断の両方を提示した好著である。
 著者は、日本経済の現状は、基本的には有効需要の不足によって資源が十分に活用されていないという意味で「ケインズ的状況」だと診断する。しかし、財政出動のような従来型のケインズ政策はなかなか効果が出ない。
 その理由の一つとして、著者は、リーマン・ショック後の日本企業が「金融危機対策モード」(銀行への借金を返済し、自己資本比率を高めることと、日本企業の共同体的な性格ゆえに労働組合が賃金低下を許容したこと)から抜けきれず、マクロ経済が失速していることに注目する。
 人件費を節約し、企業の内部留保がたまっても、内需はしぼむばかりである。賃金増大が必要なゆえんである。
 もう一つは「少子化」である。出生率の低下は将来の消費マインドや資産価格にマイナスの影響を及ぼすが、著者は、例えば出生率の相対的に高い地方への所得再分配にもなる児童手当が世間で不評なことに驚きを隠さない。
 本書のメッセージを一言でいえば、「企業に賃上げを促し、粛々と少子化対策を打てば良い」ということだ。もちろん本書の主張とは反対に、人口と経済成長の間に直接的な関係はなく、イノベーション(技術や経営方式の革新)のほうが重要であると主張するマクロ経済学者もいることは事実だ。しかし、マクロ経済が失速している理由について、日本企業の共同体的な性格にまで踏み込んで論じている試みはユニークであり、一読を薦めたい。
 (筑摩選書・1890円)
 わきた・しげる 1961年生まれ。経済学者。著書『ナビゲート!日本経済』。
◆もう1冊 
 金子良事著『日本の賃金を歴史から考える』(旬報社)。賃金についての考え方がどのように変わってきたかを時代背景とともに解説。
    --「書評:賃上げはなぜ必要か 脇田 成 著」、『東京新聞』2014年03月16日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014031602000180.html:title]

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覚え書:「宇宙論と神 池内 了 著」、『東京新聞』2014年03月16日(日)付。


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宇宙論と神 池内 了 著

2014年3月16日


◆果てない謎を考える
[評者]金子務=科学史家
 数物系科学の基本に切り込んできた池内氏が、今度は神と宇宙の問題を、神話から現代までの流れとして、軽妙なタッチで取り上げる。宇宙論の分野はいまもっとも刺激的な学問分野の一つになった。各種望遠鏡の登場で、観測データが積み重なり、宇宙の果て、つまりその起源まで覗(のぞ)けるようになったからである。
 著者にいわせれば、「神と宇宙は相性がよい」、どちらも長いこと空想の産物とされ、物質の運動から自然を説明してきた科学の鋭鋒(えいほう)を怖(おそ)れて、「神が後退していった」先が宇宙である。
 なるほど加速宇宙の発見で、いま宇宙全体の九割以上を占めるとされるのが、暗黒物質とダーク・エネルギーという、説明不能な難物である。その砦(とりで)に神は逃げ込んで隠れているというわけだ。
 こう見ると池内氏の神は深遠なる謎、不可解なパズルに近い。謎が謎とわかるのが謎だとしたアインシュタインの「スピノザの神」とは距離がある。著者同様大方の先端科学者は神との直接対決を避け、神の所産である自然を扱うというガリレオ以来の伝統に立つ。光速度や各種物理定数が人間存在を許す値になっていることを重視する立場を「人間原理」というが、それは神なしの人間一元論になると抗議して「アメーバ原理」と揶揄(やゆ)しているのが面白い。科学から神問題を考えたい向きには手頃な解説書である。
 (集英社新書・777円)
 いけうち・さとる 1944年生まれ。宇宙物理学者。著書『物理学と神』など。
◆もう1冊 
 佐藤勝彦著『気が遠くなる未来の宇宙のはなし』(宝島社)。宇宙の終焉(しゅうえん)、こども宇宙・孫宇宙の誕生など未来を予想。 
    --「宇宙論と神 池内 了 著」、『東京新聞』2014年03月16日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014031602000178.html:title]

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覚え書:「エジプト:初の女性党首 『社会正義の実現訴える』」、『毎日新聞』2014年03月15日(土)付。


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エジプト:初の女性党首 「社会正義の実現訴える」
毎日新聞 2014年03月15日 東京朝刊

ハーラ・シュクラッラー氏
 エジプトで2月、キリスト教の一派コプト教徒のハーラ・シュクラッラー氏(59)が世俗主義の立憲党の党首に就任した。女性やコプト教徒が主要政党の党首に就くのは初めて。展望を聞いた。【聞き手・秋山信一】

 --立候補の経緯は。

 ◆昨秋ごろ、仲間から強く説得され決断した。党の意思決定の透明化、市民社会に根づいた活動の強化という方針が支持された。

 --コプト教徒の女性であることの影響は。

 ◆支持しない理由にならなかったという意味では画期的。エジプトは2011年の革命で宗教や性別を超え団結した。社会は違いにとらわれない方向に進んでいる。

 --今春の大統領選ではシシ国防相の当選が有力視される。

 ◆個人的には軍の政治介入は支持しない。シシ氏が立候補するなら国家機関と決別すべきだ。

 --国民への浸透度をどう高めるか。

 ◆(モルシ前大統領の出身組織)ムスリム同胞団は慈善活動で支持を広げたが、お金で票を買う手法は間違い。社会正義を実現しようと訴えていきたい。全国の党支部で、国民の要望を吸い上げる仕組みも強化する。

 --女性大統領の誕生は、いつでしょう。

 ◆米国でさえ、ようやく黒人大統領が誕生したところ。ただアラブ世界でも徐々に女性が政治に参画する方向に変わってきている。
    --「エジプト:初の女性党首 『社会正義の実現訴える』」、『毎日新聞』2014年03月15日(土)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140315ddm007030150000c.html:title]

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覚え書:「『ナショナリズムとの連動懸念』 集団的自衛権でナイ氏」、「(集団的自衛権 行方を問う)日本が進むべき道は 賛否や論点を聞く」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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「ナショナリズムとの連動懸念」 集団的自衛権でナイ氏
ワシントン=大島隆2014年3月16日03時12分


ジョセフ・ナイ・ハーバード大学教授
 オバマ米政権に近い米国の知日派の代表格として知られる米国のジョセフ・ナイ・ハーバード大学教授(元米国防次官補)が朝日新聞のインタビュー取材に応じた。安倍政権が進める集団的自衛権を巡る憲法解釈の見直しに向けた動きについて、安倍晋三首相の靖国神社参拝などを例示して「政策には反対しないが、ナショナリズムのパッケージで包装することに反対している」と語った。

憲法解釈の変更「正当だが」 ナイ氏に聞く
 近隣諸国の理解を得ることを一層困難にしているとして、政権の取り組み方に懸念を示したものだ。

 集団的自衛権をめぐる日本の憲法解釈について、ナイ氏は「戦後の憲法で非常に限定的に解釈してきた。これをより広く解釈することは正当なこと」と語り、解釈見直しで行使を容認することを基本的に支持する立場を示した。

 一方で、ナイ氏は首相の靖国参拝のほか、首相周辺が村山談話や河野談話の見直しに関する発言を続けてきたことを取り上げ、「日本が軍国主義に向かうのではないかと中国や韓国を不安にさせている」と指摘。「米国内でも、日本で強いナショナリズムが台頭しているのではないかとの懸念が出ている」と述べた。

 その上で、ナイ氏は「日本の集団的自衛権行使はナショナリズムで包装さえしなければ、東アジアの安定に積極的に貢献しうる」と強調。現在のやり方は近隣諸国の反発を強めることになりかねないとして「良い政策を悪い包装で包むことになる」と注文をつけた。

 国際政治学者のナイ氏は、クリントン政権時代に米国家情報会議議長や国防次官補を歴任。「ナイ・イニシアチブ」と呼ばれた日米安保の再定義を推進するなど、対日政策に深く関わってきた。(ワシントン=大島隆)
    --「『ナショナリズムとの連動懸念』 集団的自衛権でナイ氏」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASG3C6QSQG3CUTFK014.html:title]

(集団的自衛権 行方を問う)日本が進むべき道は 賛否や論点を聞く
2014年3月16日


 安倍政権はいま、憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を認める準備を進めている。その意味や論点をキーパーソンに聞いた。▼1面参照

 (この企画は随時掲載します)

 ■懸念引き起こさぬ政策が必要 ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授

 日本は戦後の憲法で、集団的自衛権の行使を非常に限定的に解釈してきた。これをより広く解釈することは正当なことだ。典型例は日本近海で北朝鮮が米艦船を攻撃し、海上自衛隊の艦船が近くにいる場合などだろう。あまりに狭い憲法解釈によってしまうと、日米が協力して対処する能力が妨げられる恐れがある。

 しかし、日本政府のいくつかの行動は、日本が軍国主義に向かうのではないかと中国や韓国を不安にさせている。例えば、安倍晋三首相の靖国神社参拝や首相周辺の村山談話や河野談話見直しに関する発言だ。

 米国内でも、日本で強いナショナリズムが台頭しているのではないかという懸念が出ている。個人的には日本の大部分の意見は穏当なもので、軍国主義的なものではないと思う。

 ただ、米政府の言葉を借りれば、自らの政策が近隣国との関係に与える影響について、安倍首相がもっと注意を払わないことには失望している。私は政策に反対しているのではない。ただ、ナショナリズムのパッケージで包装することに反対しているのだ。

 日本の集団的自衛権行使はナショナリズムで包装さえしなければ、東アジアの安定に積極的な貢献を果たしうる。しかし、首相の靖国参拝や河野談話、村山談話見直しの兆候が合わさると、良い政策を悪い包装で包むことになる。

 日本は「どうやって近隣諸国の懸念を引き起こさずに理にかなった政策変更を行うか」と自問すべきだ。日本が平和を愛する国であり、軍国主義の国ではないことを示すための一歩を踏み出すべきだろう。

 私たちは一人の政治家や一つの政党だけでなく、日本全体を見る必要がある。同盟国の指導者のやったことに失望すれば、我々は率直に失望を表明すべきだ。しかし、それが日本の人々や日本という国との同盟関係を失うことを意味するわけではない。

 平和維持活動(PKO)の拡大については、平和憲法の精神にも合致していると思う。世界は安全保障の公共財を提供できる主要国を必要としている。

 中国との関係で米国が望むのは米中、日米、日中の「良い関係のトライアングル」だ。米国は中国に冷戦時代のような「封じ込め」をやるつもりはない。ただし、中国が東シナ海や南シナ海で隣国をいじめるようなことは許さない。

 日韓関係について、我々が直面する課題に目を向けるべきだ。北朝鮮は深刻な脅威で予測不能だ。日韓が協力できず、合同訓練もできないことは3カ国すべてにとって危険なことだ。

 (聞き手・大島隆=ワシントン)

     *

 Joseph Nye 1937年生まれ。国際政治学者。クリントン政権で国防次官補として「ナイ・イニシアチブ」と呼ばれる日米安保再定義を主導した。

 ■安保環境考えれば行使容認を 北岡伸一・安保法制懇座長代理

 現在の政府見解は、集団的自衛権について「国際法上は持っているが、憲法上の制約で行使できない」としている。日本を守るための必要最小限度の自衛力を持てるが、集団的自衛権はその範囲を超えるとの解釈だが、それはおかしい。必要最小限度とはどの程度か、安全保障環境が刻々と変わる中で、あらかじめ法的概念だけで定義できるはずがないからだ。

 国連憲章51条は、どの国も個別的、集団的自衛権を持っているとする。自力で守れない局面では、集団的自衛権が必要になるからだ。日本は圧倒的な力を持つ米国の同盟国だったから、これまでは気にしなくて済んでいたのが実態だ。

 内閣法制局は、憲法の解釈変更は許されないとの立場をとってきたが、これもおかしい。吉田茂首相は戦争直後、憲法9条を「あらゆる戦力を持てない」と解釈し、自衛戦争も否定していた。だが、朝鮮戦争などの国際情勢や米国の要請を受けて、必要最小限度の自衛力は持てるという風に変わった。この時の解釈変更に比べれば、集団的自衛権の行使を認める今回の解釈変更は小さいと言える。

 中国は軍拡を進め、北朝鮮のミサイルの脅威も高まっている。この10年間で中国の軍事予算は4倍になった。政府見解に合わせ、自衛力を「必要最小限度の範囲」にとどめていれば、こうした変化に対応できないだろう。集団的自衛権の行使を認め、米国、フィリピン、ベトナム、オーストラリアといった友好国との関係を強化すれば、脅威に対する抑止力が生まれ、日本が攻撃される可能性は減る。

 安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が今春に出す予定の報告書では、集団的自衛権の行使解禁を求める。ただ行使にあたっては、密接な関係がある国が攻撃を受け、放置すれば日本の安全に大きな影響があり、攻撃された国から明らかな要請があった場合に限ると定義する。

 首相が総合的に判断して行使を決めた際には、その前後に国会承認を受けることも課す。事前承認が望ましいが、内閣による行使の判断が適切だったかどうかは、事後でも国会の場で追及することができる。

 私は憲法解釈で禁じてきた集団的自衛権の行使を認めるべきだと考えるが、実際の行使は極めて慎重であるべきだとの立場だ。仮に米国が日本に集団的自衛権の行使を要請したとしても、時の政権が国民の納得を得られないと判断すれば、やらないだろう。判断を誤れば、国民の支持は得られない。「米国の戦争に巻き込まれる」と言う人もいるが、国民の世論が最大の歯止めになる。

 (聞き手・蔵前勝久)

     *

 きたおかしんいち 48年生まれ。東京大卒。東京大教授などを経て現在は国際大学長。専門は日本政治外交史。民主党政権で日米密約の有識者委員会座長。著書に「日本政治の崩壊」など。

 ■戦争に巻き込まれる恐れ拡大 豊下楢彦・元関西学院大教授

 集団的自衛権の行使容認を訴える安倍晋三首相が挙げる具体例には、現実性がない。米艦船が攻撃されたり、米国に弾道ミサイルが撃ち込まれたりなどと、米国への攻撃を前提にしているが、どの国がいま米国を攻撃するのか。

 中国は考えにくい。中国の最優先課題は米国と「新たな大国関係」を築くことだ。北朝鮮は挑発を繰り返しているが、米国と交渉したいのが本音だ。北朝鮮が米国をミサイル攻撃するような理性を欠いた国なら、まず日本を攻撃するだろう。日本海側の原発を狙う最悪のシナリオを想定するなら、原発を守る迎撃ミサイルの配備を最優先すべきで、原発の再稼働は論外だ。

 集団的自衛権の行使では歯止めが利くかが最大の問題だ。2003年のイラク戦争では、小泉純一郎首相は特別法をつくって自衛隊を派遣したが、この時の論理は、北朝鮮が日本を攻撃した時に守ってくれるのは米国以外にない、だから日本が支援するのは当たり前というものだった。

 この理屈に立てば、集団的自衛権が認められると、米国の派遣要請に基づき、地球の裏側まで行くことも可能になる。

 安保法制懇は、集団的自衛権の行使の対象として、米国に加え東南アジアなどの諸国も挙げている。中国への抑止力になるとの考えだが、これも危ない。

 南シナ海の島々をめぐって中国がベトナムを攻撃し、ベトナムが日本に軍事支援を要請したとする。日本がベトナムに武器や弾薬を送れば、日本は中国の敵国になる。日本が直接攻撃されていなくても、集団的自衛権の行使で戦争に巻き込まれる可能性が増えるだろう。

 日本がいま直面する最大の懸案は、尖閣諸島をめぐり中国が攻めてくるかであり、これは日本の個別的自衛権の問題だ。その際、米国が日本に対して本当に集団的自衛権を行使してくれるかが焦点になっている。

 米国は、安倍政権に警戒心を強めている。1次政権で唱えた「戦後レジームからの脱却」には、吉田茂首相が敷いた「軽武装・経済優先路線」からの脱却だけでなく、「東京裁判史観」からの脱却というメッセージが組み込まれている。それは首相の靖国参拝や側近の発言からもわかる。米国が築いた戦後秩序への挑戦を意味し、論理的には反米につながるからこそ、米国も懸念を深めている。

 軍拡競争が加速している国際情勢にあって、憲法9条のもとで専守防衛に徹してきた日本の立ち位置は、むしろ重要性を増している。解釈変更で集団的自衛権を行使できるようになれば、9条は意味を失って空文化し、安倍首相がめざす憲法改正も不要になるだろう。

 (聞き手・蔵前勝久)

     *

 とよしたならひこ 45年生まれ。京都大卒。元関西学院大教授。専門は国際政治論、外交史。著書に「集団的自衛権とは何か」「『尖閣問題』とは何か」など。
    --「(集団的自衛権 行方を問う)日本が進むべき道は 賛否や論点を聞く」、『朝日新聞』2014年03月16日(日)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11032007.html:title]

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『日本の教育はまちがっている!』=戸塚悦朗・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『日本の教育はまちがっている!』=戸塚悦朗・著
毎日新聞 2014年03月16日 東京朝刊

 (アジェンダ・プロジェクト・525円)

 書店で見たら「自虐史観がうんぬん」といった、今どき売れ筋の本に間違いそうな題だが、中身は真逆である。義務教育学齢の在日外国人に多数の不就学者がいたり、日本人がインターナショナルスクールへ通いにくい現状を批判し、「国民の育成」を目的とする義務教育のあり方はグローバル化にそぐわないとする。

 昨年、文部科学省は国連委員会で、6-15歳の在日外国人数と日本の小中学校に通う外国人数を報告した。該当者の半数近い6万人以上が「不就学」とか。多くはインターナショナルスクールなど外国人学校に通うが、何の学校にも通えない子供も、万単位でいる。他方、日本人の子供が多様な価値観や語学力を身につけたくてインターナショナルスクールなどに入る場合、これらの学校は正規の小中学校ではないため、就学義務違反に問われる可能性がある。外国人にも就学義務を課しつつ、外国人学校にも日本の小中学校と同じ法的立場を与えよと、本書は訴える。

 内向きな今の社会で、本書の主張は理想的すぎるかもしれない。とはいえ、特に外国人の不就学を放置すれば、問題は拡大する。議論の要点を知る第一歩にお勧めだ。(生)
    --「今週の本棚・新刊:『日本の教育はまちがっている!』=戸塚悦朗・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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日本の教育はまちがっている!―グローバル化時代に生きるために
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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『大菩薩峠 都新聞版 第一巻』=中里介山・著、伊東祐吏・校訂」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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今週の本棚:鹿島茂・評 『大菩薩峠 都新聞版 第一巻』=中里介山・著、伊東祐吏・校訂
毎日新聞 2014年03月16日 東京朝刊

 (論創社・3360円)

 ◇人間・机龍之助を復刻する、剣と女の魔物語

 中里介山の『大菩薩峠(だいぼさつとうげ)』を全巻読み切ったという読者はいったいどれくらいいるのだろうか? 映画の影響で、剣鬼・机龍之助が「業」を背負って理不尽な殺人を繰り返し、ついには盲目となって幽明境にさまよいでる仏教的な小説と理解している人は少なくないが、実際には『大菩薩峠』は途中から脇役たちが活躍するバロック小説と化し、机龍之助の生死さえ言及されぬまま、作者の死によって未完として終わるのだ。つまり『大菩薩峠』は前半と後半でテイストの違う小説になるのだが、その前半においてもよく分からないところがある。とくに謎が多いのは机龍之助のキャラクターで、どうにも説明がつかない支離滅裂な行動が目につくが、逆説的なことに、その解釈不能性が『大菩薩峠』を世界でも類を見ないユニークな小説に仕立てている……とこれまでは思われてきた。

 ところが、本書の校訂者である伊東祐吏(ゆうじ)氏の『「大菩薩峠」を都新聞で読む』の刊行により、『大菩薩峠』の謎、とくに前半の不可解な展開は、単行本化の際に介山が自ら施した大幅カット(削除部分は全体の約三〇%)に起因している部分が多いことが明らかにされた。すなわち、連載に中里介山が加筆し、洗練された物語にされたというのが定説だが、実際の加筆は冒頭部分に限られ、後は削除、削除の連続で、都新聞の第一回連載分一五〇回において削除率は四〇%に達する。それなのに、これまで削除に気づいた評論家は一人もいなかった。では、具体的にどこが削除されて、どう変わったのか?

 本書は、問題の多い第一回連載分を都新聞から挿絵入りで復元して第一巻としたもので、単行本と比較すると驚くべき異同に満ちている。

 最たるものは、宇津木文之丞の妻・お浜が、奉納試合で対決する机龍之助に手心を加えるよう懇願したのに対して、龍之助が「武術の道は女の操と同じ」と答えてからの展開である。単行本では、龍之助が水車小屋の番人の与八に拉致を命じた後は、一転してお浜の心境が扱われ、「気がついた時は自分は縛られていた」と、なにごとかが暗示されているようなのだが、肝心な点はぼかされている。真相が明かされるのは、数年後、駆け落ちして龍之助と所帯を編んだお浜が痴話喧嘩(げんか)の果てに「水車小屋で手込(てごめ)にした悪者は誰でしょう」と食ってかかるセリフである。しかし、これはお浜の主観らしく、龍之助がその前に「罪は拙者(わし)にあるか、お前にあるか」と問うているところから見て、龍之助にその意識は希薄で、真相は不明のままである。

 ところが、復元された削除テクストには、与八によって拉致されたお浜と龍之助が水車小屋で対峙(たいじ)する場面が直接的に描かれているのだ。

 「試合の勝負と女の操、抑(そ)も何(いず)れが貴かるべき、時にとっての謎も、此(こ)の場合、何となく意味ありげで、龍之助はそれ以上には口を開かず、夜(よ)は森閑(ひっそり)として多摩川の水の音が鮮やかに響きます。『与八! 与八!』しばらく二人の間に沈黙が続いた時、水車小屋の裏で数多(あまた)の人声(ひとごえ)がします」。こうして門弟たちの到来で水をさされた龍之助はお浜の縄を解き放ち、家に送り届けたのである。常識的に見て、龍之助がお浜を手込めにする暇があったとは思えない。なんと、龍之助の言い分の方が正しいのだ!

 同じように、お浜が試合直前、与八を介して龍之助に紙を届ける場面では、単行本には「受取って見ると意外にも女文字。『お山の太鼓が鳴り渡る朝までに解け』と脅したあの謎の、これが心か」とあるだけで肝心な手紙の内容は書かれていない。ところが、削除テクストには、この手紙の内容がしっかりと書かれているのである。そして、それがまさに最初に介山が作品に込めようとした意図と深く関係しているのだ。

 そのほか、時代が「天保の末」と設定されていたのが幕末に変わっていたり、兄の仇討(あだう)ちを狙う宇津木兵馬と、龍之助に殺された老巡礼の孫のお松の恋物語が大幅に削られていたりする。駆け落ちした龍之助とお浜の貧乏所帯が妙にリアルに描かれていて、龍之助はニヒルな剣客というよりも、妻の愚痴に自尊心を傷つけられる売れない私小説家のようで非常に人間臭い。では、いったい大幅削除の目的は何だったのだろうか?

 校訂者は、介山が「ある意図をもって物語を改編している」と指摘する。それは単行本化の時期と、仇討ち小説として始まった連載が大きな転換を迎えて大乗小説へと変容していく時期が重なっていることと関係している。「介山は後者の小説の世界観にそぐわない場面を、単行本化の際に取り除くかたちで編集している。そのため、介山は『大菩薩峠』を連載時のバージョンに戻さなかったのではないだろうか」

 単行本で親しんだ読者は是非この都新聞版を手に取っていただきたい。介山が当初意図した剣と女の魔性の物語がそこにはあるからだ。龍之助は妖剣に魅入られると同時にファム・ファタルにも運命を操られている。人間・机龍之助の新たな誕生である。
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『大菩薩峠 都新聞版 第一巻』=中里介山・著、伊東祐吏・校訂」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『英子の森』 著者・松田青子さん」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『英子の森』 著者・松田青子さん
毎日新聞 2014年03月16日 東京朝刊


 (河出書房新社・1575円)

 ◇無意味な仕事を超える場所で--松田青子(まつだ・あおこ)さん

 この世の「違和感」を提示し、読者の「常識」を揺さぶる。小説に期待される働きのひとつだ。そこにたっぷりの毒とユーモアを盛り込んで読ませるのが本作。テーマは現代の労働現場の手応えのなさと、その超克か。「単なる嫌悪の叫びというよりも、『ヘン』なところに興味があるんです」。松田の大きな瞳は、表現する喜びと憂いを同時に湛(たた)えている。

 主人公の英子は英語を熱心に勉強してきた。英語は世界への扉を開く魔法のはずが……、30歳を控えた今も非正規雇用の身だ。国際学会の受け付けやクローク係など短期の仕事ばかり。「大半が私の実体験に基づいています」。高級ホテルの廊下に待機し、部屋で繰り広げられる海外投資家相手の説明会のタイムキーパー係に至っては、存在の意味自体が謎だ。

 これだけでも十分に面白いのだが、英子をはじめ登場人物たちはおのおの「森」を持っている。仕事を終えるとそこに帰っていく。何の説明もされず、所与の事実となっている。森が表象するのは多様性であり、自己回復力であり、もちろん生命力。私たちは満員電車に揺られて小さな家に帰るのだとしても、心の中には現実に「森」が茂っているはず。だから、読めば決してファンタジーとは思えない。「職場と森の接続点は意識せず、迷いなく書きました」

 行き詰まった英子は母親と2人で住む森を出ようとする。すると、森に異変が起きる。曲折を経て、英子は母親に再会する。その際、森が「べりべりばきばき」と音を立てるシーンは、しびれた。現実と空想の境界を見せる手練の技だ。さて、英子は森を出るのか否か。決断の理由やいかに。物語に光が差し始め、読む者の背を押してくれる。

 松田は今、34歳。「『個性を大切に』『自分らしく』と、私の世代は言われ続けてきました」。そんな“呪い”の滑稽(こっけい)さを活写した初の単行本『スタッキング可能』を昨年刊行し、文壇に旋風を巻き起こした。本作は第二作品集となる。

 次に何をものするのだろう。「男性優位のマッチョ思想が野放しになっている気持ち悪さ。なぜ、女性が出産と仕事を両立させないといけないのか。題材と現象は転がりまくっています」<文と写真・鶴谷真>
    --「今週の本棚・本と人:『英子の森』 著者・松田青子さん」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 女性差別をなくすために」、『毎日新聞』2014年03月14日(金)付。


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みんなの広場
女性差別をなくすために
中学生・15(山形市)
毎日新聞 2014年03月14日


 私は、社会の授業で女性差別について学習しました。多くの女性が社会に出て働いている今も、「男性は仕事」、「女性は家事と育児」という、性別による役割分担の考えが残っていることを知りました。

 私の母は、仕事をしています。全ての家事を母一人で行うことは難しいため、ご飯の後片付けや、お風呂掃除などは父と私で分担して行っています。

 このように、家族で協力して家事や育児を行えば女性が社会に出て仕事をすることも難しくないのではないかと思います。また、仕事場に女性がいることで明るい雰囲気になったり、新鮮な考えが生まれたりします。

 女性より男性の方が向いている仕事もあるかもしれません。しかし、女性にしかできないこともたくさんあります。女性は社会に出て仕事をすべきだと思います。女性が仕事をしやすい社会を目指すためには、一人一人が「女性だから」という考え方をなくしていくことが大切だと思いました。
    --「みんなの広場 女性差別をなくすために」、『毎日新聞』2014年03月14日(金)付。

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学者、思想家のガウンを著けた大親分


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 もちろん、思想と生活とは不可分のものであるといふこともいへるだらう。思想だけのものがその実生活に現はれ、又、実生活だけのものが、思想に現はれると、かやうにいふことも出来るだらう。しかし、僕は考へる。先生の場合に於いては、大正五年頃から『中央公論』を始めとしてその他の新聞、雑誌に発表されたデモクラシーに関する理論が、決して先生の全生活ではなかつたのだ。先生はあの当時の日本の幼稚な社会情態に於いて発表し得られる限りのものを発表して居たので、先生に於いては、発表するといふことが一つの大きい仕事であつたのだ。先生はやはり極めて善い意味での仕事師であつた。事業家であつた。生活人であつた。
 先生のデモクラシーに関する論議が桂、大浦以来の峻刻なる思想警察によつて、完全に尅殺されて来た社会的思弁の為に、一方の血路を開くと、旧平民社系、社会主義者の中から、山川均、高畠素之あたりが先づ起つて、先生の文章に鋭い批評のメスを加え始めた。しかし、山川氏にしても、高畠氏にしても、初めから堂々と本名を署して、先生の説に批評を加えることが出来たわけではない。現に山川氏の如き、初めは『無名氏』といふ覆面の下にかくれて、纔にその論文を新聞、雑誌に発表し得る程度であつた。だから、先生の理論は、山川、高畠等の論難に遭つて殆ど完膚なきまでに撃破せられたことに間違ひはなく、現に僕の如きも、山川、高畠等の尻馬にのつて、その筆陣に喝采を送つた彌次の一人であつたことを自白するが、さてこれを今日から回顧して、公平に批評すると、先生のデモクラシーは、旧平民社一派の社会的思弁を再び世に出す為に、頭を打たれては一歩退き、一歩退いては、また、頭を出した剣術の先生のやうなものであつた。桂、大浦等の為にその手足を緊縛して生きながら地中に埋められて居た旧平民社系の社会主義者等は、『吉野作造』といふデモクラシーの先生を『お面々々』と竹刀で打ちつゞけながら、縛られて居た手足の鎖を断ち、桎梏を棄てて、地上に躍り出したのであつた。彼等が『山川均』、『高畠素之』の本名で堂々とその思想を発表し、時に或は原稿料の相場を狂はせるほどの売れつ子となることの出来た一面には、頭を打たれては一歩退き、一歩退いては又、頭を出した、瘤だらけの『吉野作造』の居たことを忘れては相済むまい。
 何とも申訳のないことだが、僕はこの生活人としての吉野作造先生を知らなかつた。キリスト教的人道主義者、アングロ・サクソン系の行儀作法で、完全に第二の天性を作られた和製自由主義者、ポリチカル・デモクラシーの大家、吉野作造先生あるを識つて、また純然たる東洋型『親分』としての吉野作造先生あるを知らなかった。
    --白柳秀湖「学者、思想家のガウンを著けた大親分」、赤松克麿編『故吉野博士を語る』中央公論社、昭和九年、248-250頁。

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「民本主義」の主張で大正デモクラシーをリードした吉野作造のその政治思想は、同時代人からも、そしてその同時代人というのも吉野作造が戦った相手というよりも、どちらかといえば仲間と呼ばれる連中から、批判が多かった。もちろん、天皇主権という絶対的権力の前で、それを不問にする吉野の策戦は「手ぬるい」し「権力批判」になってないというものだ。

現在の吉野作造評価もほとんど同じであろう。民福増進に尽力したものの、その政治思想には限界があるというそれである。

しかし、それだけで吉野作造を「理解」したつもりになったり「片づけて」しまってよいのだろうか、吉野作造の言説を読み直せば読み直すほど、その念は強くなる。

現実に「NO」と言って時代が変革するのだろうか。それが特に絶対的に圧倒的な力をもつ相手に対する「NO」であればあるほど、そこは「聡明」にならなければならない。そのことを簡単に「限界」と指摘して終わるのは、「無責任」といってもよかろう。

さて、1933年の本日3月18日は吉野作造先生のご命日。久しぶりに手を合わせるついでに、吉野先生をしのぶ論集を手に取りましたが、同時代人からも限界指摘の「早計さ」について鋭い指摘がありましたので、ご紹介しておきます。

著者の白柳秀湖は、社会主義文学の先駆者にして後年、史論家に転じた人物で、社会民衆党の結党式で面識を得たというので、1926年のこと。その後吉野が亡くなるまでその交流が続いたそうですが、白柳は、自身の吉野認識が「一面的」でしかなかったことをその追悼の一文で吐露しております。そしてその一面的な認識が、吉野の全体像として流通していることを批判しているのですが、これはまさに我が意を得たり。

これは別項にて論じますが、吉野作造のキリスト教信仰に関しても同じような「一面的」な評価がつきまといます。吉野作造はキリスト者であることを誇りに思い、その信仰を大切に深くはぐくんできますが、ひとたび公人として振る舞う場合、極力その心情を直截的に吐露はしませんし、聖書の一句も社会評論には出てきません。ゆえに、吉野の信仰は「楽天的な人生観」ではあるけれども、「信仰の深み」には達してはいないのではないかというそれがつきまといますが、これも早計の極みというところでしょう。

白柳がいうがごとく、吉野作造の全体性を回復させることから評価し直していく--これが現代の吉野作造研究者の課題になるのではないかと思います。

自身の吉野作造研究も斯くありたいと思います。

ともあれ、合掌。

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覚え書:「博物館のファントム 箕作博士のミステリ標本室 [編]伊与原新」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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博物館のファントム 箕作博士のミステリ標本室 [編]伊与原新
[掲載]2014年03月09日   [ジャンル]文芸 

 国立自然史博物館に勤め始めた池之端環は、生き物オンチでコンピューターオタクで片付け魔。大正期に建った赤れんがの収蔵庫の整理中、オペラ座ならぬ「標本収蔵室のファントム」と呼ばれる箕作類(みつくり・るい)に「どんなものでも絶対に捨ててはならない」と一喝される。箕作は自ら「博物学者」と称し、博物館に起きる事件を驚異的な博識で解決していく。宮沢賢治が詩に詠んだ鉱物が次々と消える謎、新種の植物標本が隠されていたのはなぜ?
 博物館が偽物の化石を買わされたのだろうか……変人と新人の探偵コンビによる人が死なないミステリー短編集。ストーリーに付随して披露される博物ウンチクの数々が楽しい。
    ◇
 集英社・1575円
    --「博物館のファントム 箕作博士のミステリ標本室 [編]伊与原新」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014030900007.html:title]

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覚え書:「ウクライナから愛をこめて [編]オリガ・ホメンコ」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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ウクライナから愛をこめて [編]オリガ・ホメンコ
[掲載]2014年03月09日   [ジャンル]人文 社会 

 情勢が緊迫するウクライナ。1月に刊行された本書は、当地の人々の直近の体温や暮らしぶりを伝えるエッセーだ。著者はウクライナ出身。東大で博士号を取得、現在は首都キエフの大学で日本史を教える。
 サッカーW杯後、子どもたちが口ずさむ国歌「ウクライナは滅びず」をききながら19世紀半ばにできたこの歌に込められた独立をめぐる思いをつづったり、選ぶ楽しみがなかったソ連時代のおしゃれをつづったり。チェルノブイリ事故の時、親と離れて学校ごとに避難させられた10代の体験、ソ連崩壊により独立した後は、人々は経済的な問題を解決しなければならないのが実情で事故の話をしたがらないようだという一節には、日本が重なってみえる。
    ◇
 群像社・1260円
    --「ウクライナから愛をこめて [編]オリガ・ホメンコ」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014030900008.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:磯田道史・評 『長篠合戦と武田勝頼 敗者の日本史 9』=平山優・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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今週の本棚:磯田道史・評 『長篠合戦と武田勝頼 敗者の日本史 9』=平山優・著
毎日新聞 2014年03月16日 東京朝刊

 (吉川弘文館・2730円)

 ◇戦国画期の通説をくつがえす歴史家の挑戦

 本書は、戦国末期の日本史研究について、重要な問題をいくつも提起する書物である。1575年の長篠合戦は、織田信長・徳川家康連合軍三万人が、武田勝頼軍一万五千人を破った戦いだ。織田軍は鉄砲三千挺(ちょう)を交代々々「三段撃ち」し、圧倒的火力で武田軍の騎馬隊を破った、というのが「通説」だった。

 ところが、近年、在野の研究者もまじえて、これに疑義を唱える研究が多数出て、大方、支持を得ていた。(1)織田軍の鉄砲は三千挺でなく千挺である。(2)鉄砲「三段撃ち」は、信ぴょう性が低い小瀬甫庵(おぜぼあん)(1564-1640年)の『甫庵信長記(しんちょうき)』等の記述を、明治に参謀本部編『日本戦史・長篠役』がひろめたもの。(3)武田軍に騎馬だけで編成された騎馬隊などなかった。(4)日本の在来馬は馬体が小さく騎馬突撃は無理、下馬して戦闘した--という説も出た。

 評者も数年前だったか、とある中世史の大学教授が学生に「鉄砲の三段撃ちなんて、ないんだからな」と、さも常識のように、叱り口調でいったのを目撃した。そのとき、少し悲しい気持ちになった。長篠合戦関係の史料記述からして、まだ、そんな断定的なことは言えないのではないかと思ったのだ。

 本書は、この通説否定を、さらに否定する書物である。(1)織田信長研究の基本文献・太田牛一『信長記』の近年の写本調査から織田軍の鉄砲は三千挺あった可能性が高いとし、(2)の「三段撃ち」についても長篠合戦図屏風(びょうぶ)をみても二列射撃(斉射)はあると指摘。「鉄砲三段」は鉄砲隊三列の交代斉射でなく、単に三か所に配置したことを意味するが、「三段撃ち」は完全に虚構ではない。久芳崇『東アジアの兵器革命』(2010年)など、最近の研究によれば、秀吉の朝鮮出兵の日本軍が輪番射撃をし、明(みん)軍がその技術を習得したことが明らかにされてきている。三列射撃の図は、明の『軍器図説』(1638年)にもあるという。

 さらに(3)武田に騎馬隊はなかったとするのも早計だという本書の論説は、戦国大名の軍隊編成についての最新研究をふまえたもので傾聴に値する。近年、戦国大名が領内の豪族からかき集めた兵を、武器ごとに兵種別編成した史料が注目されている。「馬之衆」などとして武田・北条の史料には騎馬隊編成がみられる。上層武士だけが騎馬武者になるのは固定観念であって、史料を精査すると、武田の騎馬武者は「馬足軽・馬上足軽」を含んだ貴賤(きせん)混合であったことがわかるという。

 (4)の問題にしても、たしかに、武田軍の騎馬突撃が脅威でないならば、織田軍は「馬防」の柵など用意する必要はない。馬防柵があることが、武田軍の騎馬の威力を逆に証明している、という本書の論法には、一理あるように思われる。

 本書の著者である平山優氏は、勇敢である。これからこの平山説が精査をうけていくことになろう。現在、東京大学史料編纂(へんさん)所でも「関連史料の収集による長篠合戦の立体的復元」という共同研究がなされ、これからその成果もさらに出てくるだろう。あとがきによれば、著者は長篠合戦についてもう一冊『検証・長篠合戦』を用意しているという。

 長篠合戦による論争は、第二幕がはじまろうとしている。歴史ファンのみならず、読書人はこれに注目せねばならぬ。

 昨今の日本史は既に評価の定まった史料の反復利用に終始する保身の安全運転が多い。固定観念を疑い、史料を博(ひろ)くみて自身で評価を下すこの著者の如(ごと)き誠実な勇敢さに拍手したい。 
    --「今週の本棚:磯田道史・評 『長篠合戦と武田勝頼 敗者の日本史 9』=平山優・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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長篠合戦と武田勝頼 (敗者の日本史)
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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『木下杢太郎を読む日』=岡井隆・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。


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今週の本棚:堀江敏幸・評 『木下杢太郎を読む日』=岡井隆・著
毎日新聞 2014年03月16日 東京朝刊

 (幻戯書房・3465円)

 ◇文人科学者の心の在処と葛藤の跡をたどって

 木下杢太郎は、明治末、自然主義とは傾向の異なる文芸美術サークル「パンの会」の立ち上げに関わった中心人物のひとりとして知られている。戯曲、小説、詩、短歌、翻訳、随想、紀行等、さまざまなジャンルで創作を試み、絵画をもたしなむ文人だったが、彼にはもうひとつ、本名である太田正雄という、皮膚科の医師としての顔があった。

 一八八五年、静岡県に生まれた杢太郎は、一九〇六年、東京帝国大学医学部に入学すると、一時与謝野鉄幹の『明星』に所属し、それを抜けて先の「パンの会」を創設した翌年には、石川啄木の『スバル』に戯曲を書いている。一一年に卒業して皮膚科の教授についたあとは、ハンセン病の研究を志した。

 彼の生涯の大きな転機になったのは、一九一六年から一九年にかけての、満州暮らしである。主任教授の命で南満医学堂の教授と奉天医院皮膚科部長を兼任していたこの時期の創作に、歌人であり自らも医師である著者は着目し、耽美(たんび)的な作風の文人科学者といった肩書きの内側に潜む葛藤の跡を、丁寧にたどっていく。

 たとえば「壺(つぼ)を埋むる人」と題された一篇の、地中に小さな壺を「そつと匿(かく)す心--暗い心」の在処(ありか)が、埋める人ではなく杢太郎自身の内にあると見て、彼が「東京にいて江戸文化になじんでいたころ」と異なる「もう少し大きくて暗いものにぶつかって詩境を拡(ひろ)げたような気がして来た」と述べ、その変化の兆しがどこにあり、原因は何なのかを想像してみる。

 あるいは、短歌雑誌『アララギ』に掲載された一九一八年の「満州通信」第十九信、斎藤茂吉に宛てた書簡体形式の文章に見られる不安の影を押さえて、「自分から何か作り出さうと云(い)ふ心ばかりが盛んで、実はその種子もなく、創造熱もないのに切歯したからである」という、創作上の行き詰まりからくる「暗い心」を照らし出す。自殺願望にも似た言葉を吐くほど弱っていた杢太郎は、しかし満州滞在のあいだにそれを少しずつ克服し、書き溜(た)められていった「瀋陽雑詩」は、やがて心の壺のなかで変容して、一九一九年、アララギ発行所から刊行された詩集『食後の唄』へとつながっていく。

 読解の鍵となるのは、オーストリアの詩人、ホフマンスタールとの関係である。十歳ほど年上になるこの早熟の詩人に杢太郎は若い頃から大きな影響を受け、翻案とも言えるような作品を書いていたにもかかわらず、詩人の訃報に接した一九二九年までそれをはっきりと表明していなかった。満州時代、とくに『食後の唄』の頃は、そのホフマンスタール的なものからの脱却を目指していた節があり、それはつよい愛の裏返しでもあったのだ。

 作品を吟味するに際し、著者は手に馴染(なじ)んでいる初版本やその復刻版の感触、そして読んでいる時間の質を大切にする。それは書き手にとっての初出の媒体とおなじくらい重要な要素なのだ。「人は発表の場所によって意識的、無意識的に微妙に<書く態度>を変えるものだ。詩を一篇一篇読んで行くとそのことが判(わか)る」

 人生と創作の境に注目し、書き手の現在位置を見失わないことが、思考の流れに任せた日々の営みの支えとなる。東京帝大の医師となって以後、杢太郎は太田正雄の方へと、心ならずも比重を移さざるをえなかった。その過程を追いながら、仕事に対する評価や「詩への共感度」の揺れを残すことによって、本書は逆に、「読む日」の反復に耐えうる強さを獲得したのである。 
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『木下杢太郎を読む日』=岡井隆・著」、『毎日新聞』2014年03月16日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 ことばのあやで政策進むのか」、『毎日新聞』2014年03月13日(木)付。

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みんなの広場
ことばのあやで政策進むのか
パーソナリティー・78(熊本市中央区)
毎日新聞 2014年03月13日 東京朝刊

 2月24日の余録は「ことばのあや」ともいうべき問題を取り上げていた。私も同感だ。最近の安倍晋三首相の国会答弁がまさにそれで、官僚の原稿をカンニングペーパーを読むがごときだ。立派な原稿だが心がこもっているとは言えない。

 それと結びつく問題として原発事故を経て政府が原発をどう位置づけるかのエネルギー基本計画に触れ、当初案は「重要なベース電源」だったのが「基盤となる重要なベース電源」になり、政府原案では「重要なベースロード電源」と再変更することになっていることを解説。その根底は「原発推進のイメージを弱める配慮らしい」と書かれていたが、国民の目、耳をそらそうという魂胆が見え見えである。

 秘密保護法が施行されていないのに、この状態。施行されたら「ことばのあや」は横行するのではないだろうか。余録が指摘するように「答えがないまま言葉をこねくり回して」いるうちに国民が理解できないまま国の政策が進行することになるのだろうか。
    --「みんなの広場 ことばのあやで政策進むのか」、『毎日新聞』2014年03月13日(木)付。

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覚え書:「発言:海外から ネットで対話から信頼へ=朴裕河」、『毎日新聞』2014年03月12日(水)付。

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発言
海外から
ネットで対話から信頼へ
朴裕河(パクユハ) 世宗大教授

 昨春、日本語のツイッターを始めた。「在日特権を許さない市民の会」(在特会)会長が「朝鮮半島有事の際は朝鮮人狩りに出る」と発言した時からだ。主に植民地支配や従軍慰安婦問題など日韓関係いついて書いている。疑問や非難も次々に押し寄せ、時に「死ね」と言われながらも、共感と応援の言葉を寄せてくれる日本人もたくさんいる。今では細いながらも確実な信頼のパイプが築けている。
 目指したのは、さまざまな情報に影響されて「嫌韓」へ傾いていく人たちに、とどまって聞いてもらい、考えてもらうことだった。無条件に日本を擁護するか、非難するかの両極端ではなく、自国の問題を見つめつつ、相手の考えや立場を理解しようとする人々の空間を広げたかった。誤解と偏見、怒りとあきらめによる対話の断絶が、不和の固着(冷戦)か武力衝突に行くのは歴史が証明しており、避けたかった。
 同じことを韓国語のフェイスブックでも試みている。慰安婦問題をめぐる「強制性」が必ずしも韓国人が信じている通りでないことや、仏中部アングレームでの国際漫画祭に出された韓国の漫画を批判すると反発者が続出したが、それ以上に支持者も多かった。日本と同様、最初は批判した人が耳を傾けるようになることも多い。
 現実には韓国人の中心的な考え方と異なる考え方は発言しにくい状況だが、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では恐れずに発言したり、公に賛同を示してくれていたりする。積極的に発言しなくても、見守る中で考え方を変える人もいるはずと考えている。自己批判もしつつ、日本について少し冷静に見つめようとする「共感共同体」のようなものが、まだまだ小さいながらできつつある。
 2012年夏以降こじれてしまった日韓関係は、ますます深刻化している。もはや両国政府に問題解決の力がないということだろう。今こそ民間の力を集めるべきではないだろうか。偏った情報や言葉に振り回されずに問題の根源を見つめ、国家を代弁するのではなく相手の立場や思いに耳を傾けることが必要だ。それぞれの場で対話可能な信頼の空間を作っていくことだけが今の状況を変えられるだろう。小さな東アジア共同体が無数につながる日を目指している。【構成・大貫智子】
    --「発言:海外から ネットで対話から信頼へ=朴裕河」、『毎日新聞』2014年03月12日(水)付。

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覚え書:「俗都市化 ありふれた景観 グローバルな場所 [著]フランセスク・ムニョス・ラミレス [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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俗都市化 ありふれた景観 グローバルな場所 [著]フランセスク・ムニョス・ラミレス
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2014年03月09日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 

■再編されゆく都市へのまなざし

 近年都市論は、グローバル化や消費社会化の影響により均質化・平板化した都市のあり方を批判的に検証したものが多い。気鋭の都市地理学者である筆者はこの流れを汲(く)んではいるが、さらに踏み込んで都市景観や人々の時間の使い方の平俗化まで省察している。異なる特性をもつ4都市、ロンドン、ベルリン、ブエノスアイレス、バルセロナそれぞれのあり方を具体的に検証した点も参考になる。
 ユニークなタイトル「俗都市化(Urbanalizacion)」は、スペイン語の「都市化(urbanizacion)」と「平俗な(banal)」を合成した造語である。この訳語を考案した訳者の技量に感嘆した。今日平俗化された大衆文化・消費は、「美味(活発・愉快)」と「光沢(柔和・清潔)」の二つの座標系をもつという。たとえばシュガーレスガムや低ニコチンタバコのように、「美味」だが「光沢」をもつ、つまり愉快だが清潔で危険のない平板な商品の普及は、そのまま都市景観の平俗化の定義に援用できるという。さらに今日の世界では、巨大都市の住人ではなくとも、都市的な景観や機能をもとに築かれた社会環境を脱することは困難だ。都市はシンボルであり、生活の基盤であり、それらの生成する過程そのものである。
 筆者は最も成功した都市モデルとされるバルセロナの研究者であり、バルセロナモデルを真摯(しんし)に再考している点も興味深い。1992年のバルセロナ・オリンピックを機に、固有のブランドイメージを打ち出すため、バルセロナの過去の要素が、いかにして理想化・神話化されていったのか。なるほど歴史も風土性も、みな現在の景観に収斂(しゅうれん)する。
 ふと6年後の東京五輪を思う。私たちは、この後どのような東京の景観と出逢(であ)うのだろうか。再編されゆく都市イメージのただ中で目をこらす筆者のまなざしは、今後私たちにこそ必要なものだろう。
    ◇
 竹中克行・笹野益生訳、昭和堂・4200円/Francesc Munoz Ramirez バルセロナ自治大学で地理学を教える。
    --「俗都市化 ありふれた景観 グローバルな場所 [著]フランセスク・ムニョス・ラミレス [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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覚え書:「睡眠のはなし 快眠のためのヒント [著]内山真 [評者]横尾忠則(美術家)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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睡眠のはなし 快眠のためのヒント [著]内山真
[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2014年03月09日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 

■眠れる、眠れぬ それが問題だ

 睡眠は生命維持にとって不可欠な生理現象である。特に現代生活にとって睡眠が抱える問題とその影響は、しばしばメディアでも関心事のトップ項目に挙げられる。
 今日の激しい環境の変化が睡眠障害を引き起こすだけでなく、複雑な人間関係や仕事のストレスによる不眠は深刻な社会問題でもあり、五人に一人が不眠症であるという。
 若い頃から不眠気味の人生を送ってきた自分には、眠ったか眠れなかったかは世界観が二分されるほどの人生の主要テーマであり、睡眠に対する必要以上の執着が、「不眠恐怖症」を無意識のうちに義務づけてしまっていた。
 本書は人間にとっての睡眠のメカニズムと意味、さらに不眠症や過眠症(うらやましい!)が如何(いか)に健康(と不健康)に深く結びついているか、臨床の現場から最新の睡眠学を一般的にわかりやすく解説する。
 睡眠にはノンレム睡眠とレム睡眠があるが、このメカニズムがわかったからといって不眠がすぐ解消されるわけではないし、例えば高照度光療法といって早朝の太陽光を目に感じることで、12時間程度心身を活動に適した状態に保ち、14時間後くらいから睡眠を誘うようにするという不眠対策もあるという。
 睡眠に関心を持つ人の大半は睡眠障害者ではないだろうか。睡眠の悩みは環境的なもの、心理的なものと個人差があるが、本人にとっては切実である。私も不眠症解消本を何冊も読み、医師にも相談したことがある。不眠がうつ病のリスクになることが、ここ20年の間にわかってきたという。うつ病には不眠が伴うことが多く、不眠がうつ病の原因なのか、結果なのか、断定にはまだデータ不足だというが、睡眠によってうつ病の予防ができるなら、朗報だ。
 睡眠を研究することで人間が如何に複雑な存在であるかに目覚め、また新たな人間への興味が生まれよう。
    ◇
 中公新書・798円/うちやま・まこと 54年生まれ。日大医学部精神医学系主任教授(精神神経学・睡眠学)。 
    --「睡眠のはなし 快眠のためのヒント [著]内山真 [評者]横尾忠則(美術家)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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覚え書:「ルポ MOOC革命 無料オンライン授業の衝撃 [著]金成隆一 [評者] 田中優子(法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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ルポ MOOC革命 無料オンライン授業の衝撃 [著]金成隆一
[評者] 田中優子(法政大学教授)  [掲載]2014年03月09日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 

■日本の大学生たちの脅威に

 MOOCとは Massive Open Online Courses の略で、無料で公開されている大規模オンライン講座のことだ。米国などの一流大学の英語による講義の場合、受講生は世界中に約百万人いる。受講者たちが自ら組織する学習会もあり、単に講義を聴くだけでなく議論も深めている。これでは大学はやっていけなくなる、という危機感も拡(ひろ)がっているが、学位をとれるわけではなく「大卒」にはならない。ただし受講生の情報を企業に公開し、採用に至れば仲介料が入るという仕組みで経営されている発信組織もあり、学位ではなく実力で企業に採用される人もいる。小学校から大学まで教育機関も取り入れ始めており、少人数教育をおこなうための予習教材としても使われている。
 本書は無料オンライン講座の現状を世界中でルポした記録だ。経済的、地理的に不利な立場に置かれている人々が自ら勉強しはじめている。その熱意こそが、日本の大学生たちの脅威だろう。
    ◇
 岩波書店・1890円 
    --「ルポ MOOC革命 無料オンライン授業の衝撃 [著]金成隆一 [評者] 田中優子(法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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ルポ MOOC革命――無料オンライン授業の衝撃
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覚え書:「無形民俗文化財が被災するということ [著]高倉浩樹・滝澤克彦 [評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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無形民俗文化財が被災するということ [著]高倉浩樹・滝澤克彦
[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)  [掲載]2014年03月09日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 

■難題に向き合う地域の民俗誌

 3・11で甚大な震災被害を被った沿岸部地域は日本でも有数の無形民俗文化財(民俗芸能や祭礼など)の宝庫である。しかし、無形ゆえに再開は難しく、それゆえに地域住民の葛藤も深い。
 本書は宮城県沿岸部の地域社会がこの難題にどう向き合ったかを描いた民俗誌であり、当事者や行政関係者による思弁の記録でもある。
 祭礼の中に敢(あ)えて震災の苦しみを閉じ込めることで、日常においては震災を忘れることができる……といった言葉のなかに〈文化〉の奥深さと重みを改めて思い知らされる。新聞やテレビが伝えきれていない、小さくも大切な言葉に満ちた一冊だ。
 毎年、世界のどこかが自然の猛威に見舞われては、地域の伝統芸能や儀礼が存亡の危機に晒(さら)されている。人間の尊厳に関わるこうした文化的次元について3・11の教訓を広く世界と共有し、叡智(えいち)を積み重ねてゆくことも「積極的平和主義」が忘れてはならない課題の一つである。
    ◇
 新泉社・2625円
    --「無形民俗文化財が被災するということ [著]高倉浩樹・滝澤克彦 [評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 『永遠の0』の作者に違和感」、『毎日新聞』2014年03月14日(金)付。


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みんなの広場
「永遠の0」の作者に違和感
無職・70(神戸市垂水区)
毎日新聞 2014年03月14日


 友人に薦められて昨年、百田尚樹氏の小説「永遠の0(ゼロ)」を読んで感動した。優秀な腕前を持つものの、無謀な戦いは避けるため臆病者と陰口をたたかれるゼロ戦のパイロット。彼はなによりも命を大切にする。国で待つ妻のもとに生きて帰ることを約束したからである。戦争の悲惨さや特攻作戦に対する疑問も描かれている。

 その百田氏が安倍晋三首相の“お友達”としてNHKの経営委員に選ばれたと報道された時、違和感を覚えた。そして、東京都知事選で特定候補を応援し品性下劣な発言を行った。批判されるとクビにしたらいいと開き直りのような姿勢。

 私の頭は混乱した。あの読後の感動は何だったのか。あのような人間が書いたとは、どうしても思えない。もう一度読み返してみようと思った。が、やめた。小説はフィクションである。生身の本人の方が真実なのだ。
    --「みんなの広場 『永遠の0』の作者に違和感」、『毎日新聞』2014年03月14日(金)付。

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日記:差別を温存する官僚主義とことなかれ主義

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浦和レッズのサポーターによる「Japanese Only」の掲示問題。すったもんだの末、ようやく結末を迎えた。

そもそも、指摘のあった時点で、厳格に対応すれば「済む」話な訳だったにもかかわらず、「差別と“うけとられる”恐れがあるかも」的なあいまいな対応を積み重ねた結果、おおいなるねじれになってしまったというのが実相か。

問題の文言は、「差別」と受け取られかねないではなくして、歴然とした差別表現。特に様々な人々が活躍するサッカーというスポーツに置いて、特定の国家や民族に準拠する排外主義は対極に位置する。

日本的精神文化とでもいえばいいのか。物事を大きくしたいくないという官僚主義が「差別」を放置し、ことを荒げてはならないことなかれ主義がその浅はかさを明らかにしたといってよい。

差別に対しては厳然と対応する。この事件から学ぶ必要があろう。

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クローズアップ2014:サッカー・J1浦和「差別横断幕」 厳罰化、世界の流れ
毎日新聞 2014年03月14日 東京朝刊

 サッカー・J1の浦和サポーターが「JAPANESE ONLY」と書かれた人種差別的な横断幕を掲出した問題で、Jリーグは13日、浦和に「無観客試合」という前代未聞の処分を下した。厳罰で早期解決を図った背景には、人種差別に厳しい世界的な潮流の中で、今回の問題はリーグ全体の存在基盤を揺るがしかねないという危機感があった。

 ◇「基盤揺るがす」 J危機感

 9日に一報を知った村井満チェアマンは10日、浦和の淵田敬三社長からの報告に「明確に差別的と位置づけた」という。浦和に再調査を指示し、今週中の報告を求める一方で、12日にはすでに無観客試合を決意。処分案を裁定委員会に諮問していたという。12日夜に浦和から報告があると、13日午前には淵田社長と面会して処分を伝えた。8日の発生から6日目での処分に、村井チェアマンは「私の判断として、意思を早く伝えたかった」と強調した。

 危機意識の背景には、欧州では人種差別行為が暴力の要因にもなるため、欧州サッカー連盟(UEFA)や各国協会では厳罰化の流れが進んでいることがある。人種差別はリーグ全体やクラブの経営基盤を揺るがしかねない問題だ。Jリーグは2008年から緩やかに観客数が減っている。村井チェアマンは就任時に年齢、性別、国籍を問わず、幅広い層の観客を獲得したいと訴えた。しかし「日本人以外お断り」と読める今回の横断幕について、浦和サポーターは外国人の観客に入ってきてほしくなかったという趣旨の説明をしている。

 また浦和は10年5月にも対戦相手の在日朝鮮人選手に対するサポーターの差別的発言などで制裁金が科されている。今月1日のガ大阪戦では、選手への侮辱にもとれる指笛が確認され、Jリーグ関係者は今季から浦和に加入した李忠成選手に対するものである可能性を指摘している。李選手は在日韓国人で、07年に日本国籍を取得。ごく一部でも、浦和サポーターに差別的な言動の「温床」はあった。これまで科されていた制裁金以上の、重い処分を下したのは、すべての人にスタジアムの安全性や快適性を示す必要があったからだ。

 さらに、Jリーグが積極的に進めるアジア戦略へのダメージも考慮された。タイやベトナムなど各国リーグと提携するほか、昨季はJ2札幌にベトナム、今季はJ1甲府にインドネシアから選手が入団。各クラブのホームタウンではそれぞれの国との交流が生まれていた。経済成長が進む東南アジアなど外国からの集客も狙っていただけに、村井チェアマンは「今回のことはマイナス。日本は差別的なことを徹底して許さない国だと示すことが大事だ」と話し、さらに「改善されなければ、(下位ディビジョンへの)降格なども視野に入ってくる」と、今後も厳しい姿勢で臨む方針を示した。【村社拓信】

 ◇欧州でも根絶遠く

 【ロンドン小倉孝保】欧州では人種差別行為が後を絶たない。サッカーと民族主義が密接に結びついてきた歴史もあり、欧州サッカー連盟(UEFA)や各国のリーグは「ノートレランス(非寛容)」方針で臨んでいるが、差別根絶は難しいのが実情だ。

 欧州では1970年代から、黒人選手に向けて観客がバナナを投げ込むなどの差別行為があった。アフリカ生まれの選手がプレーするようになったためだ。その後、黒人選手を罵倒したり、反ユダヤ的な発言・行為をしたりするケースが社会問題になってきた。繰り返される人種差別行為に、国際サッカー連盟(FIFA)やUEFA、各リーグは厳罰化で対応してきた。具体的には、クラブの勝ち点の剥奪や下部リーグへの降格▽選手の出場停止(最低10試合)▽スタジアムの部分閉鎖(初犯)、無観客試合と罰金(再犯)--などだ。

 しかし、昨年だけでも▽イタリア4部リーグで、観客がガーナ代表でACミランの黒人選手に猿の鳴き声をまねたやじをした(1月)▽ギリシャ代表選手が試合中にナチス式の敬礼をした(3月)▽CSKAモスクワ対マンチェスター・シティーの試合で、観客がシティーの黒人選手に人種差別的なチャント(応援のかけ声)をした(10月)▽英プレミアリーグで選手が「ケネル」と呼ばれる反ユダヤ主義のジェスチャーをした(12月)--など観客、選手から差別行為が続く。

 90年代に旧ユーゴスラビア紛争が始まったが、欧州ではサッカーの試合で各民族が自身の民族の優位を誇ったり、相手民族を罵倒したりするなどサッカーが民族主義をあおるのに利用されてきた面がある。

 また、最近は労働市場の流動化・国際化が進み、アフリカやアラブ、アジア系など多くの移民が流れ込んできたことから欧州で移民排斥の働きも強まっている。

 一方、サッカーはラグビー、ゴルフ、テニスと比べ最も早く人種や階級に開放されたスポーツだ。特に、欧州サッカーには移民選手が多く欧州の多文化主義の象徴になっている面もある。そのため、各国政府や社会はサッカー界の人種差別への厳罰化を受け入れている。

 ◇「一人一人の問題」 認識の必要性指摘

 国内での人種差別的行為を巡っては、在日コリアンの排除などを掲げる「ヘイトスピーチ」が近年急速に問題化した。取材してきたジャーナリストの安田浩一さんは「最近、インターネット上の人種差別や民族差別の醜悪な文言が、現実社会に持ち出されることが増えてきている」と指摘。今回のサポーターの行為について「やった人の意図は不明だが、排外主義が市民権を得たかのような風潮の延長線上にあるとすれば、サッカーだけの問題だけではなく、私たち一人一人の問題だと認識する必要がある」と話した。【町田徳丈】

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 ◇Jリーグの最近のサポーター不祥事

 <2008年>

5月17日 J1浦和・ガ大阪戦で試合終了後にサポーター同士の乱闘騒ぎに。浦和サポーターが出入り口をふさぎ、ガ大阪サポーターが競技場内に約3時間半足止めされる。浦和にけん責と制裁金2000万円、ガ大阪にけん責と1000万円の処分。

 <2009年>

6月13日 浦和サポーターがナビスコ杯の取材中だったフジテレビのカメラマンに暴行し、その後逮捕される。浦和にけん責と制裁金200万円の処分。

 <2010年>

5月15日 J1仙台・浦和戦後に、浦和のサポーターが仙台の選手に人種差別的な発言。浦和にけん責と制裁金500万円、仙台にけん責と制裁金200万円の処分。

 <2011年>

5月28日 J1清水・磐田戦の試合前に磐田のサポーターが「ゴトビへ 核兵器作るのやめろ」とイラン系米国人の清水・ゴトビ監督を中傷する横断幕を掲げ、両サポーターが小競り合いに。試合を主催した清水に警備の不備があったとしてけん責と制裁金200万円の処分。磐田には文書で厳重注意。

 <2013年>

8月24日 浦和サポーター4人がJ1清水・浦和戦の前に警備員への暴行容疑で逮捕される。公道では浦和サポーターが乗ったバスから、清水の選手バスに爆竹などが投げつけられる。浦和にけん責と制裁金1000万円の処分。
    --「クローズアップ2014:サッカー・J1浦和「差別横断幕」 厳罰化、世界の流れ」、『毎日新聞』2014年03月14日(金)付。

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覚え書:「〈そうだったんだ!日本語〉 じゃっで方言なおもしとか [著]木部暢子 [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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〈そうだったんだ!日本語〉 じゃっで方言なおもしとか [著]木部暢子
[評者]川端裕人(作家)  [掲載]2014年03月09日   [ジャンル]文芸 社会 

■人と人との距離感を縮める

 書名をぱっと理解できる人は日本語話者でも少数派だろう。方言を研究する著者の拠点となってきた鹿児島で「だから方言はおもしろい」の意。
 著者が鹿児島で経験した自動車免許の学科試験の話が秀逸だ。例えば「軌道敷内を通行してはいけない」という○×問題に「×」と答えてしまい(正解は○)、何度も試験に落ちる人がいる。否定の表現を含む質問に対して、標準語的には「いいえ?肯定、はい?否定」だが、鹿児島弁では、英語の「YES~肯定、NO~否定」と同じ発想で、つまり、試験問題に正答すると間違いになってしまうのだ! この種類の方言は、鹿児島だけでなく各地にあるという。
 さらに、質問文の文末を下げる方言(よその人には質問なのか分かりにくい)、「お目にかかりません」を意味する言葉が「おはようございます」になる方言、「わたしたち」と言う時に、話をしている相手が入るかどうかで違う単語を使う方言、等々、本当に方言は多様だ。「おもしろい」というのはその多様性を肯定的に捉える態度からくる。
 かつて、方言は抑圧され、学校教育でも排斥された。方言を使うと「方言札」なるものを首から提げさせられた地域もある。しかし、今、方言の価値を再評価するべきだという。「方言はその地域の人々を和ませ、人と人との距離感を縮める」からだ。その一方で、そのことが他者の排斥に繋(つな)がる可能性にも言及し、「言語を絶対視」することの危険性も説く。これまでの方言軽視が、標準語の絶対視から来ているなら、この危険性について我々は学習済みだとも。
 なお、日本語の方言のいくつかは、独立言語の国際基準を満たし、かつ「消滅危機」を危惧されている。世界中で起きている言語の消滅の問題など、昨今の方言や少数派言語をめぐる議論の背景を知ることもできる。日々、我々が使う、ことば、について考える契機となるだろう。
    ◇
 岩波書店・1785円/きべ・のぶこ 55年生まれ。国立国語研究所教授。『日本語アクセント入門』など。
    --「〈そうだったんだ!日本語〉 じゃっで方言なおもしとか [著]木部暢子 [評者]川端裕人(作家)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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覚え書:「デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語 [著]ベン・ワトソン [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語 [著]ベン・ワトソン
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2014年03月09日   [ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝 

■世界に向きあう自由のレッスン

 デレク・ベイリーは英国のギタリスト。1930年に生まれ、2005年に没した。彼はフリー・インプロヴィゼーションと呼ばれる特異な音楽の創始者のひとりとされている。著者ワトソンは、ベイリー本人と関係者への取材を基に、この大部の評伝を書き上げた。原著の刊行以来、音楽ファンの間では邦訳が待ち望まれていた。日本語にしたのはベイリーの不朽の名著『インプロヴィゼーション』の訳者でもあり、本人とも長年に及ぶ親交があった木幡和枝氏である。
 典型的な労働者階級の一家に生まれ、やがて音楽に興味を持ち、ギター奏法を独習し、プロのギタリストとして稼ぐようになったベイリーは、10年近い月日を商業的な音楽の世界で過ごした後、ジャズのアドリブとは全く異なる「即興演奏」の可能性を発見し、追究し始める。それは過去には存在していなかった決定的に新しい音楽だった。だが彼は孤独ではなかった。60年代半ばという時代の気風もあってか、彼の周囲には同志というべき音楽家が何人も居た。ベイリーはやがて商業音楽と完全に決別し、自ら「フリー・インプロヴィゼーション」と名付けた「新しい音楽」に残りの人生を捧げることになる。
 ワトソンの質問に答えるベイリーの言葉は、率直でありながら、ユーモアとウイットに富んでいる。同時に、真摯(しんし)さと厳格さに溢(あふ)れてもいる。「インプロヴィゼーション=即興」であるからといって、それは出鱈目(でたらめ)とは全く違う。ギターであれ何であれ、その楽器に徹底的に習熟した上で、それを乗り越えるようにして、ありとあらゆる「音楽」の起源に潜在する一度切りの「自由=フリー」に賭けること。「フリー・インプロヴィゼーション」とは「世界」に向き合う「自由」のレッスンでもあるのだ。つまりこれは、けっして「音楽」だけの話ではない。
    ◇
 木幡和枝訳、工作舎・5040円/Ben Watson 56年、ロンドン生まれ。音楽/文化批評家。
    --「デレク・ベイリー インプロヴィゼーションの物語 [著]ベン・ワトソン [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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デレク・ベイリー…インプロヴィゼーションの物語
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覚え書:「生命の哲学 知の巨人フェヒナーの数奇なる生涯 [著]岩渕輝 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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生命の哲学 知の巨人フェヒナーの数奇なる生涯 [著]岩渕輝
[評者]荒俣宏(作家)  [掲載]2014年03月09日   [ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝 

■「光の世界」求め唯物論と激闘

 19世紀の「知の巨人」フェヒナーは、科学、哲学、美学を「光の世界観」という概念で統合しようとした。だが、その領域が広すぎて、死後の生存から「植物の内面生活」までに及んだため、宗教やオカルトとも誤解され、真価を把握するのが困難だった。だが、その業績の全貌(ぜんぼう)を徹底的に紹介できる研究家が、ついに日本にも登場した。この仕事のためにドイツ語を一から学んだという情熱も尋常ではない。
 フェヒナーは世界を、科学的に実体を探究できる「物質面」と、探究しえない「ゼーレ面」とから構成されると考えた。ドイツ語のゼーレは心や霊という心理学的な意味もあるが、生命現象をもたらす生理学的な原理をも意味する。
 ところが彼の時代に優勢となる唯物論は、生物を死物の機械として取り扱い、色彩や音響も脳が作りだす幻であって「世界の実相は無色無音の暗黒だ」と唱えた。一方フェヒナーは色彩や光の研究で目を痛め、闇の世界で暮らした体験からも、そうした闇の世界観を受け入れ難かった。この世が生命体であり、目に見える通りの色や音に満ちた「光の世界」であることを実証すべく、彼は文字どおり近代唯物論と激闘した。
 本書最大の成果は、生命をめぐる19世紀科学思想史をフェヒナーの生涯と並行させつつ巧みに要約した点にある。ここまで書き込んだからこそ、彼の巨大さが一般読者に伝わった。本書を読んで改めて驚愕(きょうがく)したことも多い。フェヒナーは、西田幾多郎により『善の研究』の冒頭で言及されたのを始め、黒と白に塗った独楽(こま)を回すと色彩が現れる「ベンハムの独楽」の真の開発者であり、心の活動を計測的に捉える精神物理学の創始者としては、ついに美感覚までも「黄金分割」のように数値化して正統科学に貢献した。その一方、ロマン派由来の世界観はフロイトからマーラーまで多数の後進に影響を与えているのだ。
    ◇
 春秋社・4200円/いわぶち・あきら 62年生まれ。明治大学情報コミュニケーション学部准教授(生命論)。
    --「生命の哲学 知の巨人フェヒナーの数奇なる生涯 [著]岩渕輝 [評者]荒俣宏(作家)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014030900005.html:title]

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生命(ゼーレ)の哲学: 知の巨人 フェヒナーの数奇なる生涯
岩渕輝
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覚え書:「再生への提言:東日本大震災3年 再生エネ導入加速を=ベルリン自由大教授、ミランダ・シュラーズ氏」、『毎日新聞』2014年03月13日(木)付。


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再生への提言:東日本大震災3年 再生エネ導入加速を=ベルリン自由大教授、ミランダ・シュラーズ氏
毎日新聞 2014年03月13日 東京朝刊


 ◇ミランダ・シュラーズ(Miranda Schreurs)氏

 今の日本政府のエネルギー政策の方向性は、チェルノブイリ原発事故(1986年)直後の西ドイツに似ている。当時、西独政府は原発の安全性を高めた上で稼働継続を決め、再生可能エネルギー(再生エネ)も少しずつ増やしていくことにした。脱原発が法制化されたのは、緑の党も参加したシュレーダー連立政権時(2001年)だ。草の根レベルで再生エネの研究や導入が広がり、20年以上かけて「原発なしでもやれる」という共通認識ができた。

 日本では長年、「原発こそが日本の将来を支える」と信じていた人が多く、今も「脱原発」は総意ではない。だが再生エネ技術が格段に向上したことなどで、期待や信頼が高まり、福島第1原発事故後、ドイツの何倍も早く再生エネを導入できる可能性がある。今後の技術革新でコストも安くなるだろう。

 一方、原発は、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の建設費用などを考えると、経済合理性がない。原発にかけている政府予算を再生エネなど他のエネルギーなどに回し、独自の技術開発を進めなければ、日本はこの先、エネルギー分野で世界の主要プレーヤーになれないだろう。

 国民のために合理的にお金を使うという意味で、除染の進め方についても改めて議論すべきだ。私は福島県に何度も行き、専門家とも議論しているが、すべての地域で計画通りに放射線量を下げるのは不可能だと思う。除染にかかるコストは、新しい都市を建設できるぐらい莫大(ばくだい)だ。故郷に戻れない、戻りたくないと考える人も多くなってきていると思われる。帰還か否かの選択を迫るのではなく、故郷に帰る代わりに、どんな最良の選択肢を提供できるかを国全体で考えるときだ。

 避難している方々と私は何回も話をし、その苦労を目の当たりにした。仮設住宅に住む高齢者に、この生活をこれ以上続けさせていいのかと疑問に思う。東日本大震災と原発事故は危機だが、日本や福島の将来を変えるきっかけにもなる。子供たちのために良い未来を作るチャンスにしてほしい。【聞き手・大場あい】=つづく

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 ■人物略歴

 米国出身。専門は環境政策。2011年に独政府「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」委員。50歳。
    --「再生への提言:東日本大震災3年 再生エネ導入加速を=ベルリン自由大教授、ミランダ・シュラーズ氏」、『毎日新聞』2014年03月13日(木)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140313ddm003040034000c.html:title]

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 人は誰でも間違える=本田宏」、『毎日新聞』2014年03月12日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
人は誰でも間違える
目指すは安全なシステムか責任追及か
本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 2月12日、政府は医療や介護関係の制度改正を一括して実施する法案を閣議決定し、国会に提出した。持続可能な社会保障制度を確立することを目指し、効率的で室の高い医療提供体制や地域包括システムなどを構築するための関連法の整備が目的だ。その中に、要因内で発生した医療事故の原因究明と再発防止に取り組む「医療事故調査制度」の創設も含まれた。
 国の事故調案は、2012年2月から13年5月までの、厚生労働省検討部会での議論がベースだ。医療機関は予期しない患者の死亡を国に届け出て必要な調査を実施し、国が新設する医療事故調査・支援センターは、医療機関や遺族から依頼があった場合、必要な調査をする。
 建前は医療事故の再発防止だが、報告書は遺族へ開示されるため、刑事訴追や民事、行政の処分につながりかねない。結果的に責任追及が可能となり、事故防止という本来の目的が達せられなくなるというという指摘が医療関係者から上がっている。1月に開かれた自民党特命委員会と厚生労働部会の合同会議でも同じ懸念が表明され、「医療事故調査・支援センターを見直すことなどについて、法律公布後2年以内に法制上の必要な措置を講じる」という文言が加えられる異例の事態となった。
 日本医療ジャーナリスト協会が00年、米国の医療の質委員会の報告書「TO ERR IS HUMAN(原文のまま)」を翻訳した「人は誰でも間違える--より安全な医療システムを目指して」を出版した。この報告書では「患者の安全を守る基本は、毎日エラーが起こっていることを認識し、個人を攻撃して誤りを責めるのでなく、安全確保が可能なシステムに変更し、将来のエラーを減らすように専心すべきだ。エラーに焦点を当てた自発的で機密の守られる報告システムの確立が必要だ」と提言している。
 世界保健機関(WHO)が05年に作ったガイドライン草案も、医療事故を起こした医療従事者が報告しても処罰を受ける恐れを持たないように、患者や報告者、病院の個別情報を明かしてはならないと強調した。当然、医療事故の再発は防がなければならない。だからこそ、事故調査では個人の責任追及はしないというグローバルスタンダードを順守し、加えて先進国最低レベルに抑制した医療費と医師数の抜本的見直しもすべきだ。
 特定秘密保護法が強行採決され、官僚や政治家は責任の所在を隠蔽できる恐れが高まる一方、過酷な労働現場に耐える医療者の医療事故に対して責任を問おうとする日本。明治の実業家である渋沢栄一が嘆いたこの「官尊民卑」の横暴を食い止めなければ、日本の医療崩壊も止まらない。
◇ことば 医療事故 医療現場での死亡事故は年約2000件発生し、医療訴訟が年800件ほど起きている。事故の真相を知りたい患者や家族と、捜査による医療の萎縮を懸念する医療者双方から、原因究明と再発防止に向けた新しい取り組みが求められていた。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 人は誰でも間違える=本田宏」、『毎日新聞』2014年03月12日(水)付。

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人は誰でも間違える―より安全な医療システムを目指して
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覚え書:「書評:<辞書屋>列伝 田澤 耕 著」、『東京新聞』2014年03月09日(日)付。


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<辞書屋>列伝 田澤 耕 著

2014年3月9日


◆言葉集めの職人たち
[評者]武藤康史=評論家
 古今東西の辞書編纂者(へんさんしゃ)の「列伝」である。『アメリカ英語辞典』のウェブスター、『和英語林集成』のヘボン、『言海』の大槻文彦など十人ほどを取り上げるが、著者の専門であるカタルーニャ語やスペイン語の辞書をめぐる話が半分を占めている。この部分がやはり面白かった。
 カタルーニャ語はスペインの一部で使われる言語で(方言というわけではない、と著者は念を押している)、スペイン国内で公的な使用を禁じられた時期があり、辞書も翻弄(ほんろう)されたようだ。
 辞書を作る人-彼らには語彙(ごい)を集める執念があり、カードを保管する苦労があり、一日も休まず仕事をする勤勉さがあった。独学者もいた。周りから嫌われる者もいた。家族を犠牲にする者もいた。
 興味深い逸話が並んでいるけれども、辞書編纂者を「辞書屋」と呼ぶことにはどうしてもなじめない。辞書を作る人は「職人」であり「商人」でもあるから…などと「まえがき」に書いてあったが、納得できるだろうか。
 もっとも著者は『カタルーニャ語辞典』『日本語カタルーニャ語辞典』『カタルーニャ語小辞典』を独力で作った偉人とも申すべき人であり、その編纂秘話にも一章があてられている。その著者が、自分も「辞書屋」の末席を汚すことができるのは誇り…などと書いているので、余計なことは言いにくい。
 (中公新書・903円)
 たざわ・こう 1953年生まれ。法政大教授。著書『ガウディ伝』など。
◆もう1冊
 佐々木健一著『辞書になった男』(文芸春秋)。『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』を作った二人の男の物語。
    --「書評:<辞書屋>列伝 田澤 耕 著」、『東京新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014030902000175.html:title]

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〈辞書屋〉列伝 - 言葉に憑かれた人びと (中公新書)
田澤 耕
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覚え書:「書評:人間なき復興 山下 祐介・市村 高志・佐藤 彰彦 著」、『東京新聞』2014年03月09日(日)付。

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人間なき復興 山下 祐介・市村 高志・佐藤 彰彦 著

2014年3月9日


◆数値化される被災者
[評者]米田綱路=書評紙ライター
 震災から三年、国民の過半数が脱原発を望むのとは裏腹に、政府は再稼働に邁進(まいしん)する。なぜ原子力政策は転換できないのか。原因は国民全体の「不理解」にある。無理解ではなく理解したつもりで事を運ぶ恐ろしさ。本書のキーワードだ。
 福島第一原発の地元、富岡町から避難した被災者の声を、社会学者が受けとめて論理化した。書名の「人間なき復興」とは、事故後も変わらない社会システムが推進する復興政策のことを指す。
 政府は原発避難者の複雑な事情を平準化し、除染と雇用創出で帰還促進を図る。被曝(ひばく)の危険をリスクに置き換え、帰還しなければ避難者と見なさなくなる。
 「被災者はかわいそう」は「被災者は身勝手だ」との見方と紙一重だという。東電の賠償もそれを背景に、人間を一方的に数値化して経済に還元する。生まれ育ったコミュニティの崩壊、人間関係の破壊は償いの対象とはならない。
 国民の不理解は賠償金への妬(ねた)みや被曝者差別にまで至る。避難者は幾度もそれにぶち当たって人生まで否定された思いになり、耐えきれずに避難生活を「断ち切る」ところまで追い込まれている。そして彼ら自身も何が起きたのか分からないまま避難を強いられ、不理解の宙吊(ちゅうづ)り状態に置かれ続けているのだ。
 偏在する不理解を突破できるか。震災三年後の最大の課題がここにある。
 (明石書店・2310円)
 やました・ゆうすけ 首都大学東京准教授。いちむら・たかし 富岡町住民。さとう・あきひこ 福島大特任准教授。
◆もう1冊
 山本義隆著『福島の原発事故をめぐって』(みすず書房)。原子力など、大規模化した科学技術の負の遺産を指摘。
    --「書評:人間なき復興 山下 祐介・市村 高志・佐藤 彰彦 著」、『東京新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014030902000176.html:title]

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人間なき復興――原発避難と国民の「不理解」をめぐって
山下 祐介 市村 高志 佐藤 彰彦
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覚え書:「日ロ現場史 北方領土--終わらない戦後 [著]本田良一 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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日ロ現場史 北方領土--終わらない戦後 [著]本田良一
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年03月09日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 


■国の領土交渉と住民の心境描く

 本書のタイトルには二つの意味があり、「一つは北方領土を抱える根室地域、そしてその周辺の海を指す現場、もう一つは領土交渉の現場」を指すと、著者は書く。「鳥の眼(め)」と「虫の眼」で北方四島史の全体図を確かめたいということだろう。
 「虫の眼」で見る北方四島周辺の海域でくり広げられる日本人漁民とソ連・ロシアの警備隊の駆け引き、加えて日本の警備当局の動きを第1部、第2部で丹念に追いかける。レポ船・特攻船の実態は、国家を超えて生き抜く庶民のしたたかさに通じる。東西冷戦下では密漁そのものが情報活動とリンクしていくが、その様を新聞記者の筆は幾人もの証言と彼らの体験で証明していく。
 冷戦終結直後の1990年には「特攻船壊滅作戦」が始まり、日本側の思惑とからんだ「境界」漁業は終わる。かわってロシアの密漁船がカニやウニを日本に運ぶ一方で、やがてロシアマフィアが登場し、その内部抗争やロシア警備隊との癒着構造が説明されていく。第2部では貝殻島での日本人漁民のコンブ漁をめぐる動きを、高碕(たかさき)達之助らの尽力による民間協定の締結を紹介しつつ国境と人道という視点も浮上させる。
 漁業者は領土問題の進展のないのに苛立(いらだ)つが、「理屈を言っても拿捕(だほ)される」との複雑な心境はまさに「現場史」である。
 第3部のサケ、マスの北洋漁業、第4部の対ソ交渉の経緯、第5部の冷戦後の領土交渉を詳述している稿にふれると、一転して歴史の中に翻弄(ほんろう)される元島民や漁業者たちの正直な姿が語られる。驚くべき事実に唖然(あぜん)とするが、46年7月に根室に初の返還運動団体が発足して、その代表5人が四島返還を訴えるために上京し、まだ存続していた内務省を訪れる。
 「一行はがくぜんとする。事務官が示した地図に4島が記載されていなかった。(略。彼らは)あわててわら半紙と絵の具を買って、手製の地図を描いて提出した」
 終戦直後の千島列島に対して、中央ではまったく認識がないと一行は言葉を失う。戦前から用いた南千島を北方領土という名称に変更するのも、歴史に真正面から向き合わなかった日本外交の弱さがあるのかもしれない。領土問題についての流れでは、北方四島に住むロシア住民の揺れる心境も描く。客観性と冷静を尊ぶ著者の指摘に改めて私たち自身が問われていると気づく。
 四島一括返還、二島返還先行、その選択がゆきづまっている領土交渉は、日ロ双方に応分の責任があるということになろうか。歴史を「国の論理」と「共同体の生活」で見つめることの重要性を教える好著である。
    ◇
 北海道新聞社・2205円/ほんだ・りょういち 59年生まれ。古河電工、北海道庁を経て85年、北海道新聞社に入社。根室支局、本社政治部、ハバロフスク駐在などを経て、本社編集委員。著書『密漁の海で』など。本書のもとになった連載が2013年度新聞協会賞。
    --「日ロ現場史 北方領土--終わらない戦後 [著]本田良一 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014030900003.html:title]

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日ロ現場史 北方領土―終わらない戦後
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覚え書:「再生への提言:東日本大震災3年 漁業復興へ海辺整備=カキ養殖業・畠山重篤氏」、『毎日新聞』2014年03月12日(水)付。

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再生への提言:東日本大震災3年 漁業復興へ海辺整備=カキ養殖業・畠山重篤氏
毎日新聞 2014年03月12日 東京朝刊

 ◇畠山重篤(はたけやま・しげあつ)氏

 豊かな海を作るために、全国に広がった、山に木を植えて森を守る運動を続けて26年になる。私がカキ養殖を営む宮城県気仙沼市の海は、東日本大震災でいったんは海辺に生き物が全くいなくなった。「海は死んだ」と心配したが、森から海へ供給される鉄分などの養分で見事に再生し、カキやホタテの水揚げも元に戻った。海底は今、昆布やワカメなどの海藻でジャングルのようだ。震災の年も植樹祭を休まず、海と川と森を地域全体で守ってきた私たちの行動は正鵠(せいこく)を射ていたと思う。

 問題は地盤沈下だ。震災で海辺の土地は1メートルぐらい沈み、満潮になると文字通り潮が満ちてしまう。そんな地域が岩手から福島まで何百キロと続いていて、漁船を着ける岸壁や、水産物の処理や加工をする作業場などの復興が、なかなか進まない。これらが整備されれば、漁業者は自力で立ち直っていける。公共事業をするなら、こうした海との接点の土地について、かさ上げなどの対策を急いでもらいたい。

 三陸地域は津波に繰り返し襲われてきた。それは仕方がない。海が怖いとか津波を恨むという考えはない。

 どんなに巨大防潮堤を造っても、あのすさまじいエネルギーの前では残念ながら役に立たない。それよりも避難路や逃げ道を整備してほしい。とにかく高い所に逃げて、命さえ助かれば、何度でも再建できる。それが私たちの歴史だった。

 復興には時間がかかる。全部をすぐやれと言っても無理。自治体が「早く予算を使わないと引き揚げられてしまう」と考えてしまい、結果的に無駄遣いをしないように、国は10年単位ぐらいの長期的視野で復興計画を実行してほしい。そうすれば地域でお金も回るし、雇用問題も緩和される。そのうち本業も回復してくる。

 世界中から支援をいただいたので、今後は「自然をきれいにすれば飯が食える(=経済的に成り立つ)」という考え方を世界に広めて恩返しをしたい。これからも山に木を植え、森を守って海を豊かにする活動を続けていきたい。【聞き手・江口一】=つづく

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 ■人物略歴

 NPO法人「森は海の恋人」理事長。2012年、国連フォレストヒーロー(森の英雄)に選ばれた。70歳。
    --「再生への提言:東日本大震災3年 漁業復興へ海辺整備=カキ養殖業・畠山重篤氏」、『毎日新聞』2014年03月12日(水)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140312ddm003040095000c.html:title]

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書評:高倉浩樹、滝澤克彦編『無形民俗文化財が被災するということ 東日本大震災と宮城県沿岸部地域社会の民俗誌』新泉社、2014年。

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高倉浩樹、滝澤克彦編『無形民俗文化財が被災するということ 東日本大震災と宮城県沿岸部地域社会の民俗誌』新泉社、2014年、読了。本書は東日本大震災によって被害を受けた宮城県下の無形民俗文化財の被災とその復興をまとめた20人の研究者による報告。難題に向き合う民俗文化の現状を浮き彫りにする。 

「形のない文化財が被災するとは」(帯)、新しい担い手の育成や環境整備で済むものではない。震災による変化は、無形の民衆文化自体をも「変化」させている。その挑戦は、単なる復活・再開というより緊張に満ちた創造的営みである。

本書は多様な無形文化財の有り様を報告するが、それは同時に宮城県の多彩な民衆文化の奥深さと人間に対する重みを思い知らせてくれる。そしてその努力こそ、日常を取り戻す力の源泉になっている。人間の「協同」を一新する好著。


※平田オリザさんの『新しい広場をつくる―市民芸術概論綱要』(岩波書店)にて女川町の獅子舞がコミュニティ再生の原動力になっているとの報告に興味を持ち手に取りました。安倍晋三閣下は「心の復興」などと宣い「君が代」を流して「絆」でまとめようとしておりますが、こういう頸木で共同体再生ではない、選択こそ、コミュニティの新生であり、そこに「積極的平和主義」もあるのじゃないかなあと思ったり。

[http://www.shinsensha.com/detail_html/01zinbun/1320-2.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『地震と独身』=酒井順子・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『地震と独身』=酒井順子・著
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 (新潮社・1470円)

 ◇被災地をつなぎ、助けた人たちへの視線

 二〇一一年の三月十一日から三年が過ぎようとしている。

 もう一度あの日に戻ろう。なぜならばあの体験は我々にとって資産であるから。何度となく戻って採掘を進めるべき鉱脈であるから。

 そう考えていたところにこの本に出会った。

 不可解なタイトル、とまず思った。

 地震は人を区別しない。独身であろうが既婚者であろうが地面の揺れや罹災(りさい)に違いはない。

 しかし、地震は自然に属するが、その後の被害は社会に属する。そして、今の日本にはずいぶんな率で独身の人がいる。

 震災とその後の日々、人はみな家族のことを思った。無事を祈り、連絡を試み、安心したり泣いたりした。

 「メディアにおいても、多くの家族の物語があの日から語られています。平穏で平凡な家族の暮らしを突然襲った地震は、人命や建物のみならず、家族の形をも奪っていったのです」と酒井順子は言う。

 その先で彼女は疑問を抱いた。それでは独身の人たちは地震をどう受け止め、どう動いたのか? この着眼はなかなかすごい。

 これは東日本大震災についてのルポルタージュであると同時に、今の日本の社会についてのリポートでもある。独身の人たちは身軽な分だけ動きが早い。社会の動向を読み取る指標として鋭敏。だから彼女ら/彼らのふるまいに時代の雰囲気が投影される。それが「地震」を「独身」という視点から見る利点だ。

 (念のために言うが、独身は未婚ではない。未婚と未亡人という言葉には、いずれ結婚するはず・いずれ亡くなるはず、という社会の側の勝手な思い込みがある。考えてみれば実に失礼な話だ。独身も寡婦も一つの安定した状態なのだから。)

 著者は人に会って話を聞く。それを連ねて整理し、意味を見出(みいだ)す。口べたな人からも本当の気持ちを引き出す優れた聞き手である。

 ボランティア活動に参加した人たちには独身が多かった。

 被災地に住み着いた「二十四歳の枝里子さん」は大学を出て、アメリカの大学院に入るまでのつもりでアジアを旅していた。旅先のミャンマーから急ぎ戻って四月初旬に石巻に入る。それから三、四か月は津波をかぶった家屋の泥出し作業に専念。

 「今振り返ると、アドレナリンが出まくっていたのだと思います。食べ物は、お米とかパンだけ。あれだけ寝なくても、あれだけお風呂に入らなくてもあんなに働けたというのは、普通の状態ではなかった」と枝里子さんは振り返る。

 その日々は「大変なことは確かなんですけれど、他のやっかいなことは考えずに済むし、やりがいがありすぎるんです……競争社会とかお金もうけとか、そういうのが苦手な人は、普通の世界になかなか戻れなくなってしまう」というところまで行ったのは独身で自由だからだろうか。

 目次に沿って紹介すれば、あの時に独身は働き、独身はつなぎ、守り、助け、逃れ、戻り、向かい、始め、結婚した。それぞれについて著者は親身になって話を聞き、心の動きやふるまいを記録してゆく。読む者はそれに共感する。もともと人間は他者の置かれた状況に対する関心が強い。ゴシップと小説はそこから生まれる。この他者への関心によって我々は3・11を共有できる。

 むしろ共有できない場合が何かを教えてくれるのかもしれない。住む土地が被災地になってしまった、独身・女性の、地方紙の記者である「美雪さん」は、全国紙との立ち位置の違いをこう言う--

 「何人かの生徒さんが亡くなった高校の卒業式があって、うちは毎年その学校の卒業式の取材をしていたから、震災後も行く。でも大手の人は、亡くなった生徒さんが多い高校、という観点で来るわけです」、という視点を、被災地を遠く離れて全国紙を広げる人たちは想像しただろうか? この本はこういうギャップを越える回路を開いた。

 主義主張を大きな声で叫ぶ本ではない。普通に話すみんなの声を拾い上げて、思いを尽くしきれないもどかしい口調のままに伝える。花壇が水を必要とするように我々はこういう本を必要としている。

 三十歳の男性、大船渡の陽平さんは、震災直後にアメリカから来たボランティア団体と地元の橋渡しをした。もともとは音楽関係の仕事で東京と大船渡を行き来していたのだが、震災の後では地元で家を継ごうと思うようになっていた。

 しばらくの後、なんと出家したと聞いてまた会いに行く。

 きっかけは友だちに誘われたことだったが、「解決できない大きなものを震災によって抱えてしまった人達と話してい」て、「解決できないことに対する答えが、何百年、何千年と続いている宗教の中にはもしかしたらあるんじゃないかな」と思ったと陽平さんは言う。

 この本は基本的に肯定の姿勢で貫かれている。辛(つら)かったことを越えて自分たちはここまで来た、という声に対して自分を開く。そのために三年の歳月が必要だったのだろう。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『地震と独身』=酒井順子・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140309ddm015070015000c.html:title]

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覚え書:「書評:ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍 石田 昌隆 著」、『東京新聞』2014年03月09日(日)付。


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ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍 石田 昌隆 著

2014年3月9日


◆闇から生まれる魂の音楽
[評者]平井玄=音楽評論家
 「ソウル・フラワー・ユニオン」はビリっと舌を刺す凄(すご)みのある中川敬の声をベースに、パンクから始まり、ファンク、アイリッシュ、沖縄、コリアン、チンドンなどなど、地面から湧き出る音の群れをじっくり煮込んできた「闇鍋バンド」である。彼ら、彼女らを親しく撮ってきた写真家がつづる本書は、この二十年間にたどられた音の旅を記したダイアリーだ。写真家自身も鍋に放り込まれて美味(おい)しく煮上がっていくプロセスと誠実さが、そこにある。読む者を、うまい物を喰(く)った気分にさせるいい本である。
 読みながら出てくる曲のYouTube音源を漁(あさ)りまくった。阪神大震災の神戸長田での避難所ライブ、大阪釜ケ崎の越冬祭り、アイルランド音楽人との競演、東ティモールの独立祭、沖縄辺野古でのフェス、東北被災地への出前演奏の旅など、ネット上にたくさんある。人生の後半に入った自分がいかに音から遠ざかっていたかを思い知らされた。このバンドの動きを通じて、rebel(叛逆(はんぎゃく))にして腹の底からの歓(よろこ)びである「唄」の太い流れが浮かぶのである。
 ダブリンの石畳の細い道が交差するテンプルバーで、写真家は「音楽はしっとりとした深い暗闇の中から生まれてくるものではないか」と呟(つぶや)く。釜ケ崎界隈(かいわい)をめぐり歩いて、「このあたりで写真を撮るには<覚悟>か<根拠>、いずれかが必要である」と書き留める。
 体を深く遠くまで流れ行く音と、一瞬にして分厚い時間を切り出す写真。こういう言葉は、両者が手を握り合う貴重な秋(とき)があったことを思わせるに充分(じゅうぶん)である。
 人を蔑(さげすみ)み、国家にぬかずく音楽が蔓延(まんえん)しはじめた。レゲエでいう「バビロン」という言い方が日に日にふさわしくなるこの国で、人が怒号ではなく「声」そのものに飢えているのは間違いない。例えば、被曝(ひばく)労働者たちが被るマスクの内側にまで届く唄を「魂と花のユニオン」とともに歌えたら、と思う。
 (河出書房新社・2520円)
 いしだ・まさたか 1958年生まれ。音楽写真家。著書『黒いグルーヴ』など。
◆もう1冊
 佐々木敦著『シチュエーションズ』(文芸春秋)。3・11以後の社会状況に小説家、芸術家らがどう向き合って活動したかを検証。
    --「書評:ソウル・フラワー・ユニオン 解き放つ唄の轍 石田 昌隆 著」、『東京新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014030902000178.html:title]

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ソウル・フラワー・ユニオン : 解き放つ唄の轍
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覚え書:「書評:本当はひどかった昔の日本 大塚 ひかり 著」、『東京新聞』2014年03月09日(日)付。


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本当はひどかった昔の日本 大塚 ひかり 著

2014年3月9日


◆古典が伝える深い心の闇
[評者]水原紫苑=歌人
 美しかった<昔の日本>など、存在しない。これは痛快な一冊である。
 育児放棄や体罰などの児童虐待、老人を捨てる棄老(きろう)、はたまた美醜による差別、と、今の世の問題は、ほとんどすべて<昔>からもっと大がかりにあったものだと、著者は語る。
 美貌ゆえに望まれて次々に男と関係し、育児を放棄してしまった母の話は、まるで現代の週刊誌を写したようだが、よく考えてみれば逆に、児童虐待の歴史的な心性が今なお多くの人々の意識の底に沈んでいて、折々顔を出すのかも知れない。
 とはいえ、尊属を絶対的優位とする儒教的道徳のために、自分たちを捨てた母のことさえ「恨んでいる」とは言えない子どもたちの哀れさは想像を絶している。
 また、介護地獄も<昔>から存在した。今は超高齢化社会を迎えて、介護する側もされる側も追いつめられ、老いた親や病気の妻あるいは夫を殺してしまうような事件があとを絶たない。
 親は絶対である<昔>は、むしろ、親の介護のために子を犠牲にした例を著者は挙げている。その一方で、もはや働けなくなった老人を山などに捨てる、棄老伝説もさまざまな形で残っている。
 美醜の差別についても、<昔>は恐ろしいほどである。
 『源氏物語』の末摘花(すえつむはな)の醜さの描写は、あまりの残酷さに驚くほどだが、著者は、この醜女末摘花を、絶世の美男光源氏と結婚させた紫式部の独創を評価している。平安朝の貴族たちには考えられなかった結びつきであろう。
 今でも、とりわけ女が、美醜によって差別されているのは変わらない。
 <昔の日本>も今の日本も、人間の心は闇である。ただ、今はそれを隠そうとして、より深い闇の中で人々が倒れて行く。
 古典を読むことは、私たちに、闇の中で決して倒れない歩き方を教えてくれるにちがいない。
 (新潮社・1365円)
 おおつか・ひかり 1961年生まれ。古典エッセイスト。著書『ブス論』など。
◆もう1冊
 野口武彦著『「今昔物語」いまむかし』(文芸春秋)。平安末期に成立した「今昔物語」の世界から現代に通じるものを読み取る。
    --「書評:本当はひどかった昔の日本 大塚 ひかり 著」、『東京新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014030902000177.html:title]

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本当はひどかった昔の日本: 古典文学で知るしたたかな日本人
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覚え書:「(風 サラエボから)オリンピック 踏みにじられた「連帯」の記憶 梅原季哉」、『朝日新聞』2014年03月10日(月)付。

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(風 サラエボから)オリンピック 踏みにじられた「連帯」の記憶 梅原季哉


 1984年2月、冬季五輪を控えたその地は、異例の雪不足だった。開会式前夜、やっと雪が降り出した。大雪となり、街は白く染まった。

 30年前、サラエボで五輪が開かれた。当時は連邦国家ユーゴスラビアの一角、今は独立国ボスニア・ヘルツェゴビナの首都になった街だ。

 「五輪は一大開発プロジェクトでもあった」。組織委員会の事務局長だったアフメド・カラベゴビッチさん(80)は話す。サラエボは78年、国際オリンピック委員会(IOC)アテネ総会での開催地選定で、2度目の開催をめざす札幌との決選投票の末、3票差で選ばれた。

 ボスニアは、さほどウインタースポーツが盛んでなかった。そこへ五輪を誘致した背景に、ユーゴ連邦を率いた独裁者チトーの思惑があった。多民族国家ユーゴの中でも、共和国単位でみると、特定の民族が多数を占めないのはボスニアしかない。その中心であるサラエボを、連邦統合の象徴として位置づけたのだ。

 ユーゴは社会主義国だったが、ソ連圏の軍事同盟に入らず非同盟中立を掲げていた。80年のモスクワ五輪が、ソ連のアフガニスタン侵攻を非難する米国などのボイコットで国際政治に翻弄(ほんろう)された中、ユーゴが舞台なら東西対立を超越できるとの期待もあった。

 「サラエボと聞いて世界が思い浮かべるのは、第1次世界大戦の発端となったオーストリア皇太子暗殺事件。別の前向きな印象を広めたい」。地元のカラベゴビッチさんはそんな望みも抱いていた。

 温かな雰囲気の中、五輪は始まった。地元出身で女子スピードスケートの代表選手になったビビヤ・ケルラさん(54)は、開会式の朝までの大雪を、選手たちが自主的に雪かきしたのを覚えている。「みんなが家族だった」

 開会式で、鮮やかな衣装に身を包み踊った若者たちは、連邦全域から数カ月前に集められ、練習を積んだ。「連帯の雰囲気に満ちていた。民族の差はなく、みんながユーゴ人だった」。組織委の渉外接遇担当だったハイルディン・ソムンさん(76)は振り返る。「その後に起きることはだれも想像できなかった」

 だが、五輪がもたらした空気は、わずか8年で、サラエボから消え去った。旧ユーゴが崩壊していく中、ボスニアでは、セルビア人、クロアチア人、ボシュニャク(モスレム)人の3民族が、血みどろの内戦を繰り広げた。

 閉会式の舞台にもなった五輪のスケートアリーナは92年5月、セルビア人勢力の砲撃で全焼、崩壊した。「全く理解できなかった」。カラベゴビッチさんは嘆いた。アリーナはその後、再建されたが、市街地を見下ろす山の上にあったボブスレー・リュージュ会場は、戦闘で破壊され、無残な姿をさらし続けている。

 そんな状況の下、ケルラさんは、今は違う国籍になってしまった五輪の仲間たちとも交流を保っている。「スポーツと政治は、何としても区別しなければいけない」

 歴史をたどれば、1936年のベルリン五輪はナチスドイツの下で開かれ、3年後に世界は大戦に突入した。1940年の東京五輪は幻に終わった。そして、今年のソチ五輪が閉幕すると、ロシアはウクライナに軍事介入した。

 ケルラさんの言葉をかみしめてほしい。ロシアのプーチン大統領に。そして、6年後に東京で五輪を開く私たち日本人も。(ヨーロッパ総局長)

     *

 ツイッターでつぶやいています。 @tosume
    --「(風 サラエボから)オリンピック 踏みにじられた「連帯」の記憶 梅原季哉」、『朝日新聞』2014年03月10日(月)付。

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[http://digital.asahi.com/articles/DA3S11020767.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11020767:title]

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覚え書:「東日本大震災3年:姜尚中さんに聞く 犠牲者の生きた証し、言葉に」、『毎日新聞』2014年03月11日(火)付。


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東日本大震災3年:姜尚中さんに聞く 犠牲者の生きた証し、言葉に
毎日新聞 2014年03月11日 東京朝刊

(写真キャプション)カン・サンジュン 政治学者。1950年、熊本県生まれ。聖学院大全学教授(4月から学長)、東京大名誉教授。「ナショナリズム」「悩む力」など著書多数=西本勝撮影

 今年もこの日がめぐってきた。親しい人を亡くした悲しみは今も癒えることはない。3年という時間は私たちに何をもたらし、生き残った者はこの先の時間をどう紡いでいけばいいのか。5年前に亡くした一人息子と震災の犠牲者たちへの思いを込めた小説「心」(集英社)の著者で、政治学者の姜尚中さん(63)に聞いた。

 ●忘却促される不安

 --3年という時間の意味は。

 3年という節目は、当事者にとってこれまでとは違ったつらさがあります。「日常に戻りたい」と思い、実際に戻りつつある一方、亡くなった人を忘れていくのではないかと不安になるのです。

 社会的には一つの区切りのような意味を持つ「3年」という時間。でも親しい人を突然に失う悲しみを経験した人にとって、数字はほとんど意味がありません。むしろ、「もう3年なんだから」と忘れることを促されているような不安感を抱えているのではないでしょうか。

 悲しみを抱える人は喪失対象との距離感を持てません。「この悲しみは私にしか分からない」と思いつめ、他人がそこに立ち入ることに拒否反応を示します。自分のカプセルの中に死者とともに入り込んでしまうのです。

 距離感がない時期は絶対に必要です。でも距離感が生まれる時も必ず来ます。それは他人が働きかけて作れるものではありません。そして、死者と距離を置けるようになった時、初めて生と死というものが見えてくると思うのです。

 ●死者と距離置いて

 --距離感はどう作ればいいのでしょうか。

 僕は「心」を執筆したことで距離感を作れました。

 「心」の主人公「なおひろ」は僕の息子の名前です。息子は「生きとし生けるもの末永く元気で」という言葉を残して逝きました。

 当初はゲーテの「親和力」をテーマに人間と自然の関係性を描きたかったんです。そこでキーワードとなるのが「水」でした。そこに震災が起きたんです。津波が来て、僕自身が驚きました。フィクションだったはずが、現実がどっと押し寄せてきたようで、息子の死や最期の言葉も重ねて考えるととても偶然とは思えませんでした。どうすれば生者と死者の関係を構築できるか考え、大幅に書き換えました。

 死んだら終わりではありません。「その人が生きた証し」が、生き残った者と亡くなった者の双方に必要なんです。その人がかけがえのない、地球上でたった一人の存在だという証し。その人が生きた歴史や意味を見いだし、受け取れるのは生きている人間だけです。どんな短い人生でも、どんな死に方でも、僕はそこに意味はあると思います。

 だから「心」では「死とは結局、生き残った者の思いなのだ」と書きました。息子の死に、僕自身がそう感じたからです。

 最近思うのは、人間が行き着く終着地点は「言葉」だということです。人間は、満たされないものを言葉や活字に求める生き物なのです。

 「この誰とも比較できない悲しみは、死者への愛情につながっている。だからこの悲しみは自分だけのものだ。他人に立ち入ってほしくない」。そんなふうに感じる人は、本を読むのもいいでしょう。聖書や般若心経、(ユダヤ人強制収容所での体験を描いた)フランクルの「夜と霧」や、僕の「心」でもいいと思います。同じ喪失感を経験した人間が、今ここにいる。本を読むことが、死者と距離を置いて考えたり語ったりする、ある種のきっかけになれると思うのです。

 ●見切り発車の風潮

 --被災地から離れた場所にいる人間や社会は何ができるのでしょうか。

 東日本大震災を思う時、僕は18世紀にヨーロッパ中を震撼(しんかん)させたリスボン大地震(ポルトガル)を思い出します。当時、宗教界は大論争になりました。死生観など根源的な既成観念が揺り動かされたんです。

 3年前の3月11日、私たちはいろいろなものを問われたはずでした。でも被災地から離れた場所では、既に震災などなかったような空気が流れています。何かが見切り発車のまま忘れられていこうとしています。震災を対岸の火事と捉えるのではなく、3年の節目を機に社会全体でこれまでの生き方を見直すべきではないでしょうか。

 原発は本当に安全なのか、事故は本当に収束していくのか--。社会や経済の行き詰まりも決定的になりました。ところが政治は急速に元に戻ろうとしています。これは被災地にとっては大きな違和感です。「戻れない」「戻らない」と決めることが被災者へ報いることではないでしょうか。

 今、国家や社会が一つの自然災害に見舞われた人と地域をどう遇するかが問われていると感じています。大事なのは、抱えきれない悲しみや喪失を経験した被災地や被災者が他人を受け入れる距離感を持てた時、「自分は見捨てられていない」と思える関係や環境を用意できるかどうかです。【聞き手・中村かさね】

==============

 ■人物略歴

 ◇カン・サンジュン

 政治学者。1950年、熊本県生まれ。聖学院大全学教授(4月から学長)、東京大名誉教授。「ナショナリズム」「悩む力」など著書多数。
    --「東日本大震災3年:姜尚中さんに聞く 犠牲者の生きた証し、言葉に」、『毎日新聞』2014年03月11日(火)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140311ddm013040003000c.html:title]


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心
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覚え書:「今週の本棚・この3冊:復興とSF=東浩紀・選」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚・この3冊:復興とSF=東浩紀・選
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 <1>大震災’95(小松左京著/河出文庫/998円)

 <2>新生(瀬名秀明著/河出書房新社/1680円)

 <3>復興文化論--日本的創造の系譜(福嶋亮大著/青土社/2310円)

 日本を代表するSF作家、小松左京は、戦後の焼跡から出発し、高度経済成長期の未来への希望を体現した小説家である。彼は原子力情報誌の記者からキャリアを始め、多くの未来社会を描き、1970年の大阪万博にも関わった。そんな彼は95年から翌96年にかけて、阪神淡路大震災を扱ったノンフィクション、『大震災’95』を記している。膨大な資料を集め、関係者への聞き取りをもとに震災の「総合的な記録」を目指したその試みは、いま再読すると多くの発見に満ちている。しかし、厳しい現実との直面はまた著者自身の健康を蝕(むしば)み、小松は本書以降ほとんど小説を書かなくなった。戦後長いあいだ未来を描き続けてきたSF界の巨匠が新作を書けなくなる、この事実こそが当時の危機の本質を証言している。95年に日本は未来を失った。そしてその喪失からいまだに回復していない。小松は奇(く)しくも2011年夏に亡くなっているが、その喪失を徹底させたのが、同年春の東日本大震災と原発事故だった。

 とはいえ、人間は未来への希望なしには生きることができない。小松からほぼ40歳下のSF作家、瀬名秀明は、仙台在住で東日本大震災を経験している。『新生』は、そんな彼が復興の問題に正面から取り組んだ傑作短編集。とはいえ、本作は必ずしも被災地の現状を描写した小説というわけではない。物語だけみれば正統派のSFだが、むしろそこにこそ作家の企(たくら)みが潜んでいる。震災後SFは可能か、それはつまりは、現代日本で未来を想像することはいかにして可能かという問いだと瀬名は考える。その問いに答えるため、作家は本作であえて小松の『虚無回廊』と同じ舞台を使い、高度な「二次創作」を展開することで、小松的未来観を震災後にふさわしいものにアップデートしようと試みている。いま日本に必要なのは、なによりもSFの復興であり、未来の復興である--それこそが『新生』のメッセージだ。

 最後に評論から一冊。32歳の秀英、福嶋亮大の『復興文化論』は、柿本人麻呂からクールジャパンまで、日本文化の長い系譜を、さまざまな災厄からの回復の連鎖として捉える意欲的な試み。福嶋はほとんど触れていないが、戦後日本のSFの歩みもまた、敗戦の傷を治癒させるための「復興文化」だったと言える。復興とは未来への希望を回復する営みである。新たな復興のための、新たなSFが求められるのだ。
    --「今週の本棚・この3冊:復興とSF=東浩紀・選」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140309ddm015070007000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『無形民俗文化財が被災するということ』=高倉浩樹、滝澤克彦・編」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『無形民俗文化財が被災するということ』=高倉浩樹、滝澤克彦・編
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 (新泉社・2625円)

 東日本大震災による宮城県での無形民俗文化財(祭礼や民俗芸能など)の被災と復興をまとめた。県の委託で東北大などの研究者約20人が関わった調査の報告集だ。文化財の被災を語るには、当該地域の歴史や産業の解説が欠かせない。読み進めていくうちに、同じ県の同じ沿岸部と思えないほどバラエティーに富んだ地域があると知ることができる。

 無形民俗文化財の復興が地域の再出発のシンボルとなった例もある。他方、これらの文化財は、震災前から、さまざまに変化してきた。宮城県は、人口の半分弱が仙台市民という極端に一極化した県でもある。仙台から遠いと高齢化や過疎化、仙台周辺では都市化による新住民の増加など、「伝統継承」の妨げになる要素は幾重にもあった。いったんは途絶えた芸能が、同名だが完全に新しい内容で「復活」した例もある。震災は、こうした既にあった変化や矛盾を一気に表面化させたと分かる。

 形のない文化財の復興は、道具の新調や新しい担い手育成だけでは済まない。復興のあり方は、地域がどんな環境にあり、どこへ向かうかを示す。今後も追跡調査をしてほしいと強く思った。(生)
    --「今週の本棚・新刊:『無形民俗文化財が被災するということ』=高倉浩樹、滝澤克彦・編」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140309ddm015070021000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『原発の底で働いて』=高杉晋吾・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『原発の底で働いて』=高杉晋吾・著
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 (緑風出版・2100円)

 南海トラフ大地震が起きたとき、もっとも危険な原発が浜岡原発--静岡県の御前崎にある原発だといわれている。もしこれが福島のような事故を起こしたら、新幹線も東名もとまり、日本社会は重傷を受ける。菅直人首相(当時)が運転をさし止めたこの原発について、中部電力は2月半ば、再稼働の審査を申請した。その半月前、この浜岡原発についての本が出た。著者は元社会党機関紙記者。ポイントは2つである。

 第一は、東大の修士を出、日本原子力事業(東芝の子会社)に入り、この原発の設計にたずさわった人の内部告発である。岩盤の強度に対する認識の違い、核燃料集合体の固有振動数が想定地震と共振する危険性を伴うことなどが指摘されている。

 第二は、これがこの本の主題であるが、炉の直下で測定機器の取り替え修理を行っていた青年が、自分の病状も知らされず、10年後に白血病で死をむかえるまでを追った著者の筆である。こうした下うけ労働者の命に支えられている原発への告発がここにある。もちろん会社にも反論があろう。再稼働に向けて準備が進む中、これらの告発をどう受け止めるのか。反論を聞きたい。(鷺)
    --「今週の本棚・新刊:『原発の底で働いて』=高杉晋吾・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140309ddm015070020000c.html:title]

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原発の底で働いて
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覚え書:「(声)世界史学び悲劇繰り返すまい」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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(声)世界史学び悲劇繰り返すまい
高校生(東京都 17)

 必修教科である世界史Aの全範囲の授業が先日終わった。今、世界史がなぜ必修なのかが分かった気がする。

 例えば現在、尖閣諸島をめぐる問題では、一つの衝突から拡大した第1次世界大戦のように再び戦火が起きるのではないかとの危惧の声がある。

 もしそうなれば、日本はもちろん、世界中が影響を受ける。誰もが戦争がもたらす悲惨さを知っているはずだ。そうならないために世界史を学んで外国のことや日本との関係を知り、主観にとらわれずに国際問題を考えることが求められているのではないか。

 若い世代である私たちが世界史を学んで積極的に世界の問題と向き合うことが、歴史の悲劇を繰り返さず国際社会の未来を守るために重要だと思う。
    --「(声)世界史学び悲劇繰り返すまい」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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書評:岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』新潮新書、2013年。


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岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』新潮新書、読了。罪を犯せば反省が要求される。しかしそれはシステムの需要と供給。入所者更正に従事してきた著者は「反省させると犯罪者」になるという。「『反省文』と『しつけ』はなぜ『ダメ』なのか?」(帯)--経験者は「反省の技術」が上手なるからだ。 

罪を繰り返せば繰り返すほど、反省の「術」はうまくなる。罪状軽減のツールとして「反省」が受容され、受け取る側もそれでよしとする。犯罪者に反省をさせればさせるほど更生とは無縁となっていく。

「反省を求めない方法で個人面接や授業を進めるうちに、彼らの多くは反省していきます。反省させようとする方法が受刑者をさらに悪くさせ、反省させない方法が本当の反省をもたらすのです」。

反省が不要な訳ではない。しかし教師が反省文を書かせて自己満足するが如き反省や対処療法的厳罰主義では更正と連動することはない。上司が求める理想的反省文主義・反省の強要を捨て、自身と向き合う契機を共に作り出すことが必要だ。

有無をいわさず、とにかく、悪いことをしたのだから反省しろ、といわれても、人間という生き物は、「はい、そうですか」と心の底から反省することなど、多分、できないのだろう。どうして、それが問題としてクローズアップされるのか、弾劾とその報告書でOKではない取り組みが必要なのでしょうねえ。

[https://www.shinchosha.co.jp/book/610520/:title]


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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『ぼくのおかしなおかしなステッキ生活』=坂崎重盛・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚:池内紀・評 『ぼくのおかしなおかしなステッキ生活』=坂崎重盛・著
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 ◆池内紀(おさむ)評

 (求龍堂・1890円)

 ◇遊び心をなくした世に贈る“伴侶”との祝祭

 ステッキは当節、とんとはやらない。介護用の杖(つえ)はおなじみだが、オシャレとしてのステッキが姿を消して久しいのだ。そんな時代にあって、つねづねステッキをいつくしみ、海外に及んで買い求め、あまつさえステッキをめぐる本をまとめた人がいる。よほどの変わり者、あるいはヘソ曲がりといわなくてはならない。

 しかし単なる変わり者なら、写真で披露されているような、これほど趣味ゆたかな造形性に富み、物語性をそなえた名品を蒐(あつ)めたりはしないだろう。ただのヘソ曲がりなら、ステッキ文化史にわたって、こんなにたのしいウンチクを傾けるなんてできやしない。そもそも数をふやそうとして探し求めたのではなく、もともとこの人には生来、「ステッキ性」といったものがそなわっていて、それがかくもみごとなコレクションをなさしめたかのようなのだ。

 「ぼくはぼくたちの生活から“失われたステッキ”について語ろうとする。遊びでのステッキを持つことすらできない今日の生活の余裕のなさ、精神的貧しさに気づくため、ステッキを取り上げようとする」

 幼いころチャンバラごっこをしたことのある人は、棒きれを握った瞬間の奇妙な感覚を覚えているだろう。強い味方を得たようで、急に自信がついた感じ。棒一つで深い安心感につつまれる。もしかするとそれは遠い人類の記憶につながっているのかもしれない。地上にあらわれた人間は外敵から身を守るために、まずまっ先に武器、つまりは手近な棒を手に取ったにちがいない。とするとステッキは人間のもっとも古い伴侶というべきことになる。

 伴侶が文化史のなかで、さまざまに進化した。座頭市がもっていたような仕込み杖は世界各国にある。サイコロを封じ込めたステッキ、握りの部分にフラスコ状のグラスを仕込んだもの、コンパス(磁石)あるいは双眼鏡つき。イギリスで釣ざおが仕込まれたのを見つけて感動していたところ、日本で同じたぐいに出くわした。

 「いるんですねぇ、こういう道楽者が」

 自分の道楽ぶりを棚にあげて同輩をいとしむところがほほえましい。かつては『ステッキ術』といった本まで出るほど隆盛をきわめたステッキ文化が、なぜすたれてしまったのか。

 「ステッキを突いて歩く」というように、ステッキはもって歩く以上に「突く」という用途がある。これは多く歩行を促すよりも歩行をとどめる用向きに使われる。手に棒をもつと、のべつ立ちどまり、足元の何かをつついてみたり、頭上の何かをたたいてみたりしたくなるものだ。五体のうち、おそろしく長い手をもった怪人になれる。こういった気ままな変身は、規格ずくめの現代に好まれないことはたしかである。

 「ステッキに『左手用』と『右手用』があるのはご存知でしょうか」

 あちこち寄り道しながらのステッキ談義は、歯切れがよくて、ユーモアをもち、ときに落ちがまじえてある。タイトルにわざわざ「おかしなおかしな」と断ってあるのは、ステッキの先生がテレ屋だからだ。恋人のような品を、つい人に贈呈して、あとで行く末に心いためたりする。「ステッキ10得」のなかでは「ステッキは持ち主の心身を癒やす心優しい友」というのだが、このステッキ本自体がすでにそうである。これは経済と効率だけに明け暮れする世相にそっと差し出された突き棒だ。ペンによるステッキの祝祭である。さっそく自分も心あたりを探して、気のいい「友」を見つけたくなる。
    --「今週の本棚:池内紀・評 『ぼくのおかしなおかしなステッキ生活』=坂崎重盛・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140309ddm015070012000c.html:title]

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ぼくのおかしなおかしなステッキ生活
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『時のイコン 東日本大震災の記憶』=六田知弘・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『時のイコン 東日本大震災の記憶』=六田知弘・著
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 (平凡社・2625円)

 東日本が大津波に襲われた3年前、一夜明けた宮城県沿岸部を歩き、流されたモノの多さに言葉を失った。目を凝らすと、家具や食器、人形など数え切れないほどのモノが、汚泥にまみれて散乱しているのが見えた。前日まで、持ち主の生活の中にあったはずだが、その様子をうかがい知ることはできなかった。

 本書では、それら一つずつを写真に収め、「時のイコン」と名付けた。カメラマンの著者が被災地で足元に落ちているモノを見つけ、その場で撮影した。白い紙を持ち歩いて下敷きにしたのは<より鮮明にモノたちの声を聞くためである>という。それぞれの作品には、モノを発見した場所と日付が記されており、白い紙の上に散らばる砂や泥の跡も痛々しくみえる。

 震災直後からのブログの抜粋も収録した。大きな揺れの後、カメラマンとしてできることを見つけ出すまでの心境の変化がつづられている。

 岩手、宮城両県で発生した震災がれきの処理は今月末までに完了する見通しという。じっくり作品を眺めていると、モノたちが最後の声を振り絞っているようだ。その声に耳を澄ませてほしい。(唯)
    --「今週の本棚・新刊:『時のイコン 東日本大震災の記憶』=六田知弘・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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時のイコン: 東日本大震災の記憶
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覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『ドン・カズムッホ』=マシャード・ジ・アシス著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚:荒川洋治・評 『ドン・カズムッホ』=マシャード・ジ・アシス著
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 (光文社古典新訳文庫・1470円)

 ◇世界の深みを照らすブラジル文学の傑作

 ブラジルの文豪マシャード・ジ・アシス(一八三九-一九〇八)の代表作。一九〇〇年刊。特別な新しさをもつ、素晴らしい長編だ。

 著者の父は、黒人奴隷の血を引くペンキ職人。母はポルトガル・アゾレス諸島からの移民。貧しい家に生まれたマシャードは、印刷工などをして働きながら独学で文学の素養を身につけ、近代ブラジル最大の小説家となった。

 語り手の「わたし」ベンチーニョは、隣家の少女カピトゥと仲良し。二人は結婚するが、生まれた子の父親は友人ではないか。疑惑までの曲折をつづる。題「ドン・カズムッホ」は偏屈卿(きょう)、むっつり屋の意味。

 十五歳からの経過をおとなになった「わたし」が、寄り道しながら回想する。全一四八章の短章で構成。「引き波の目」「髪結い」の各章が少女カピトゥの話、次は「ぼくは男だ!」「使徒座書記官」、その少しあと「心は謎だらけ」「ああ、びっくりした!」と、まるで自由詩の展開。リズムがある。こちらもすいすい進む。こんな体験ははじめてだ。とてもこれが、こんなに長い小説だとは思えないのだ。

 夢のなかで、皇帝と話をする「皇帝」、曇りの日にしか外出しない「結婚後」、長椅子と人数の関係「長椅子」、所長代行をはずされ落胆したのに、そのうち元気が戻り代行時代を熱く語る「所長代行」と、つながりなど忘れて、各章を楽しむことに。「ときどき右肩を揺する癖があったが、あるとき神学校で仲間の一人がそれを指摘すると、癖はなくなった。人間が細かい欠点をみごとに直せるのを見た、最初の例だった」。こんな点にも目をあてる。特に印象的なのは歴史や、書物を配置する場面。病気で、読書をなぐさみとする少年マンドゥッカ。

 「書くのが好きだった彼は、まるで劇的な新薬を相手にするかのように、この論争に打ち込んだ。さびしく長い時間が、いまは短く楽しいものになった」

 マンドゥッカと「わたし」、二人の子供の論争はクリミア戦争をめぐるもの。この場面ひとつで、遠い歴史の話の輪に入るような心地になる。「ホメロスの牛」、シェイクスピアの一節などもごく自然に文章におりこむ。軽やかだ。

 二八三頁に、「当時は、デートには馬ででかけるのが習慣だった。アレンカールを読み返してほしい」。アレンカールって誰かな。注をみると、「ブラジルのロマン主義の小説家(一八二九-七七年)。ブラジルの小説の創始者の一人」とある。いまの日本では読まれない、おそらくずっと読まれないかもしれない作家なのに、その名前がきらきらと輝く。この長編全体の文章の流れがこころよいので知らないことまで透きとおるように感じられるのだ。ごってりと時代を書く必要などない。歴史のこともこのくらい。「わたし」の回想もこのくらい。それでも大切なものは伝わる。いまいろんな場所で本を書く人にもだいじなもの、宝石のようなものがこの小説にはいっぱいちりばめられているように感じた。

 思えば、第一章「題名について」の結びに、この物語の要点があったのかもしれない。「本には、それを作者しか実感できないものもあるが、それほどではないものもあるのだ」。書く人とは思えないほど柔らかい見方だ。このように、作者をものごとの中心に置くことはしないのだ。できるかぎり特殊なもの、過剰なものを遠ざけて、標準的な世界の深みを照らしていく。それがマシャード・ジ・アシスの世界だ。「文学大国」ブラジルを代表する傑作。(武田千香訳)
    --「今週の本棚:荒川洋治・評 『ドン・カズムッホ』=マシャード・ジ・アシス著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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ドン・カズムッホ (光文社古典新訳文庫)
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覚え書:「(声)知れば越えられる感情の壁」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。


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(声)知れば越えられる感情の壁
主婦(東京都 41)

 3日の朝日歌壇で見知らぬ言葉に出会った。「春窮とう過去にありたる語を知りて立春のあさ大根葉干す」という一首だ。春に窮する?

 手元の百科事典を引いて愕然(がくぜん)とした。朝鮮で、封建時代や日本の統治時代の過酷な搾取制度下、農民が季節の端境期に食糧に窮し、山野の草根や木皮を食べて延命した状態をいう、などとある。言葉が生まれる時には必ず人の思いや歴史、文化的背景がある。言葉を知ることは、その背景を知るということでもある。

 現在、嫌韓、嫌中などの動きやヘイトスピーチの問題などが噴出しているが、正しい知識に基づく批判なのか不安になる時がある。日常生活の鬱憤(うっぷん)を安易に転嫁し、溜飲(りゅういん)を下げている側面はないか。知らないがゆえの誤解が生む「感情の壁」ならば、相互を正しく知ることで乗り越えられる。実りある交流は、感情のもつれの先にある。

 言葉を一つ知る、という小さなことが、文化衝突の回避という大きなことにもつながる。草の根での文化交流の大切さに、改めて気づかせてくれた一首に感謝したい。
    --「(声)知れば越えられる感情の壁」、『朝日新聞』2014年03月09日(日)付。

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覚え書:「経済観測 東北のためには、買うだけでなく感想を=御手洗瑞子」、『毎日新聞』2014年03月06日(木)付。


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経済観測
東北のためには、買うだけでなく感想を
気仙沼ニッティング代表取締役 御手洗瑞子

 東日本大震災からもうすぐ3年。宮城県気仙沼市にいて地元企業の経営者とお話をしていても、3年という節目を迎えた後の経営について話が及ぶことが多くなってきました。地元企業は心情としては「震災は風化してほしくない」という思いが強いかと思いますが、現実的には、復興需要が引いた後も経営を維持できるだけ事業を磨き自力をつけることが現状の課題ではないでしょうか。
 東北経済産業局が発表した資料によると、東北の被災企業の復興状況は決して楽観できるものではありません。被災企業の施設。設備の復旧に支払われる「グループ補助金」を受給した企業のうち、約3割は売り上げが震災前の5割未満とのこと。特に被災沿岸部に多い水産・食品加工業に限れば、売り上げが震災前の5割未満の企業は45%に上ります。「販路の確保」を経営課題に挙げる企業も多く、被災企業の課題が「工場が被災して商品がつくれない」ことから「商品を作っても売れない」ことにシフトしてきているようです。
 では、東北で被災した企業のためにいま消費者ができることは何かと考えると、一番は「商品を買った上で、その感想をきちんと伝えること」ではないでしょうか。「この佃煮はちょっと甘すぎた」「この塩辛はおいしかった」「おいしいけれど、このパッケージではおいしそうに見えない」など。消費者の正直な声は、商品向上のための貴重な材料になるでしょう。一方、「かわいそうだから買ってあげる」だけでは一時的な復興需要にとどまってしまいます。復興需要を超えてお客さんに継続的に買ってもらえるものをつくることが被災企業の今の課題でしょうし、そのためには何より、お客さんの正直な声が学びになるのだと思います。
    --「経済観測 東北のためには、買うだけでなく感想を=御手洗瑞子」、『毎日新聞』2014年03月06日(木)付。

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覚え書:「今週の本棚・情報:『気仙沼 見聞思考ガイド』」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚・情報:『気仙沼 見聞思考ガイド』
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県気仙沼市の三陸新報社が『気仙沼 見聞思考ガイドブック2』(300円)を刊行。一昨年末の『ガイドブック』に続き、10のエリア別に紹介する。

 押し寄せた津波で水没した町の光景や災害廃棄物が撤去されて広がる更地、津波で漁港から800メートル内陸側に流され、震災遺構として一時保存が検討された第18共徳丸の解体の経過など、気仙沼市周辺の被災と災後の状況が分かる写真を網羅した。巻末に付された浸水範囲の地図、被災状況のデータが被害の大きさを物語る。
    --「今週の本棚・情報:『気仙沼 見聞思考ガイド』」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『自閉症という謎に迫る』=金沢大学子どものこころの発達研究センター・監修、竹内慶至・編」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚:村上陽一郎・評 『自閉症という謎に迫る』=金沢大学子どものこころの発達研究センター・監修、竹内慶至・編
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 (小学館新書・756円)

 ◇把握しがたい“巨象”に挑んだ最前線報告

 形は新書だが、中身は濃い。もともと「自閉症」(今は「自閉症スペクトラム」というのが、一応正当な呼び方らしい)が、「症」と名付けられる意味で、一つの「病気」なのか、という問いさえあり得ると言われる。「病気」は、当の患者にとって、「異」なるものである。つまり、自己が「自己であること」のなかに、病気は入らない。しかし、と編者である竹内氏は書く。「自閉症はそうではない」と。つまり、自閉症は、本人がその人であること(普通「アイデンティティ」という言葉が使われるが)の一部である、という見方が可能なのだ。

 本書は、こうした複雑な性格の「自閉症」を、精神医学、遺伝学、脳科学、心理学、社会学という、それぞれの領域の専門家が、やっかいで、大きな「象」を撫(な)でるように、把握しようとしたユニークな試みである。

 スペクトラムという言葉に意味があるのは、「自閉」(英語では<autism>)という概念の幅がかなり広いからで、特殊な事柄に天才的な能力を発揮することで知られる「アスペルガー症候群」も、そこに加えられてきた(この点には批判もあるようだが)。何によらずだが、病気の世界では、一度「名前」が与えられ、その症状の特性が規定されると、それだけで、患者が多数存在するようになる。「自閉」というカテゴリーは、かなり広いが、執筆者たちの規定によれば、少なくとも二つの大まかな特性を指摘できる、という。その一つは、他人とのコミュニケーションに何らかの不全があることであり、もう一つは、特定の事柄に異様な「こだわり」を示すことである。

 総説に当たる部分の執筆者大井学氏は、それを安易に「文化的」特性と結びつけることには危険があることを留保しながら、発現率に、国内的にも、国際的にも地域差があることや、これまでに提案されてきた自閉のモデルのいくつかを、自説とともに紹介されている。いずれも「科学的」と言い切ることのできない点を抱えていることが明かされる。

 こうした性格上、「自閉」に治癒はあるのか、そもそも、「自閉」の治癒とは何を指すのか、ということも問題になる。不都合が明らかな場合には、その不都合が取り除かれるか、軽減されることが望ましいのは当然だが、それが、たとえば投薬のような方法で可能なのか、という点は長らく問題であった。精神医学者の棟居(むねすえ)俊夫氏は「生まれつきの病気です」と明言されてもいる。しかし、最近オキシトシンという一種のホルモンが、ある種の不都合を改善する可能性を持つのでは、と言われ始めていることが、人々の関心を集めている。棟居氏もその可能性は認めつつも、極めて慎重な姿勢に終始しているのは、「自閉」が、多角的な障害であり、一対一のような「治療」があり得ない、という面を持つからでもあろう。

 ただオキシトシンは、母親になる準備の段階から、脳内で多く合成・分泌されるものであり、母子間コミュニケーションの潤滑化に関わりがあるかもしれないのと同時に、女性にのみ限られた物質でもなく、その意味で、対人関係に影響力があることが取りざたされてもいる。まだまだ、明確な結論を出せる段階ではないことは、はっきりさせておかねばならないとしても、である。いずれにしても、本書は、「自閉」という把握しがたい対象に、学問的(科学的とは書けない)に多くの観点から迫った好著であり、当事者はもちろん、教育に関わる人々にも参考になろう。
    --「今週の本棚:村上陽一郎・評 『自閉症という謎に迫る』=金沢大学子どものこころの発達研究センター・監修、竹内慶至・編」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』=浦久俊彦・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』=浦久俊彦・著
毎日新聞 2014年03月09日 東京朝刊

 (新潮新書・756円)

 19世紀、華麗なピアノ演奏で欧州を席巻したフランツ・リスト。数多くの名曲を手がけたにもかかわらず、日本での人気や評価は同時代のショパンに遠く及ばない。

 昨年、村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が出版され、リストのピアノ曲集「巡礼の年」が注目された。しかし、その中の傑作「ダンテを読んで」が、ショパンの「英雄ポロネーズ」ほど一般から支持されているとは言い難い。関連本も多くなく、コンパクトな新書判の本書は貴重な一冊だ。

 著者は「フランツ・リストは十九世紀の文化現象そのもの」と定義。フランス革命後、主流となった「ブルジョワ的価値観」が、音楽を「もの」(=商品)にして、音楽の官能的誘惑に服従する「奴隷的聴衆」を生んだと力説する。

 ビートルズのライブのように、気を失う女性もいたリストの演奏会。人気を支えたのは、この新たな聴衆層だったという。作曲家としてリストは交響詩など、音楽の地平線を広げた。が、今でもヴィルトゥオーゾの側面から語られることが多いのは、我々が19世紀的聴衆から抜け出せていない証左なのだろう。(広)
    --「今週の本棚・新刊:『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』=浦久俊彦・著」、『毎日新聞』2014年03月09日(日)付。

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フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか (新潮新書)
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覚え書:「論点:震災復興に求められる視点」、『毎日新聞』2014年03月07日(金)付。

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論点:震災復興に求められる視点
毎日新聞 2014年03月07日 東京朝刊

 東日本大震災は3月11日に発生から3年を迎え、復興プロセスは4年目に入る。これまでの実績と課題はどう評価すべきか。そして、これからの対策に求められる視点とは。

 ◇将来像は被災者の熱意で--貝原俊民・前兵庫県知事

 東日本大震災から3年たち、これまで復興のためにしてきたことを検証し、今後の方向性を探る時期に来ているのではないかと感じている。日本は少子高齢化で人口減少が進む。地方にとっては特に深刻な問題だ。被災地が目指す新たなまちづくりは日本の今後を占う試金石だといえる。それだけに被災者がどんな地域社会を目指すのか、復興の先にあるビジョンを共有する議論が十分になされなければならない。

 生活の再建に追われる被災者にとって、ビジョンというと遠いもののように思われるかもしれないが、今のコミュニティーの移転や復興だけ考えていては、10年後、20年後もまちが存続しているかどうか分からない。その将来像をどう描き実現するかは、被災者の熱意にかかっている。そのエネルギーを国が阻害していることはないのか、復興事業のあり方が懸念される。

 私が兵庫県知事の時に起きた阪神大震災では復興庁という国の機関は設けられず、県が復興基金の運用を担った。東日本大震災でも復興基金を設けたが、国のひも付きなので画一的、形式的に制度が作られ、使い勝手が悪い。市民団体などの復興ボランティアへの財政支援をする際、国の基準に合わないという理由で支給対象から外れてしまうケースが少なくないと聞く。

 インフラ整備の復興特需のため、建設や警備保障などの業種に人手をとられ、地場産業の農業や漁業が求人を出してもなかなか応募がこない。たとえば漁業を復興するといっても、大手資本を導入して国際競争力のある漁業を育成することになれば、これまで細々とやってきた高齢の漁民たちは置いてきぼりにされてしまう。地域の復興と被災者の復興は同じではない。どうバランスを取るか、という方針が重要だ。インフラ整備は必要だが、実際に地場産業が困っている実態があるわけで、被災者の目線に立つことが基本である。

 確かに東日本大震災では津波で役所が流されたり、東京電力福島第1原発事故で住民がまるごと移転せざるを得なくなったりしたので、阪神大震災よりも自治体の機能は大きく損なわれた。ただ、だからといって国が中心になって復興を進めるべきだ、と考えるのは早計だ。

 支援の仕組みには、垂直支援と水平支援の二つの考え方がある。垂直支援は権限や財源を上にある国が持っているので、被災自治体の主体性が弱くなってしまう。他の自治体が横から応援する水平支援なら、被災自治体は主体性を保ちながら復興を進めていくことができる。この3年間を振り返ると復興庁による垂直支援が目立つ。きめ細かく被災地の実態に合わせるには、水平支援の仕組みを充実していく必要があろう。

 復興庁はようやく「『新しい東北』の創造」を掲げ、単に震災前に原状回復するのではなく、人口減少などの問題を解決し日本や世界のモデルとなる未来社会の形成を目指している。阪神大震災では、それが十分できなかった。ぜひ成功させてほしい。これまでの復興の進め方を検証すれば、被災者が将来のビジョンを改めて考える機会となる。さらに国にとっても、近い将来甚大な被害が予想される首都直下型地震や南海トラフ地震といった、新たな巨大地震への備えに役立つだろう。【聞き手・吉富裕倫】

 ◇ムラ的民主主義の危うさ--斎藤環・精神科医、筑波大教授

 東日本大震災から3年が経過し、安倍政権のもとで、震災からの復興は一定の進展を示しつつある。民主党政権の失敗から学び、高台移転やがれき処理などについての目標設定を適宜調整しつつ、復興を進める姿勢は評価できる。

 しかし、東京電力福島第1原発の事故処理についてはいまだ問題が山積している。第一に、除染や廃炉、汚染水対策が停滞しているという現実。とりわけ汚染水についてはトラブルが続いており、安倍晋三首相が五輪招致演説で述べたような「アンダーコントロール」とはほど遠い。

 もちろん原発事故については、他の政権担当者ならばきちんと処理できたとは限らない。しかし、長期的視野に立った場合に、安倍政権は少なからぬ“思想的問題”をはらんでいる。

 私が特に懸念するのは、安倍政権が一貫して“前のめり”になっている改憲論議についてである。一昨年に提示された自民党改憲案には、立憲主義の否定になりかねない危うさがある。この改憲案は、安倍首相の思い描くポエジーの反映である。

 「自立自助を基本とし、不幸にして誰かが病に倒れれば、村の人たちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです」(安倍晋三「瑞穂の国の資本主義」文芸春秋2013年1月号)

 ここで述べられる「瑞穂の国」とは、いわば理想化されたムラ社会である。改憲案の理念にも、至る所にムラ的価値観がにじんでいる。

 例えばこの改憲案は「天賦人権説」を排除する。“権利には義務が伴う”がゆえに、個人の権利は国への義務を果たすことで保障されるという思想は、戦前の大日本帝国憲法への“退行”である。

 民主主義の根幹は、個人の人権に至上の価値を置くことである。その意味で、個人の権利以上に重要なものがあると考えるこの改憲案は、民主主義に反している。

 改憲案ではしきりに「公の秩序」が強調される。福祉ではなく秩序、である。しかし、個人の活動を抑圧する「公」は「公」ではない。それは「世間」そのものだ。

 世間を構成するのは家族や地域や会社といったムラ的中間集団である。つまり改憲案では、国家や社会といった「公共」以上に、ムラ的な「世間」が重視されているのだ。

 こうしたムラ的民主主義は、短期的な地域の復興や景気浮揚においてはそれなりに効果を発揮するだろう。しかし原発の廃炉をはじめとする長期的な原子力政策、あるいは復興の中で疲弊した被災弱者へのサポートについては大いに不安が残る。

 すでに安倍政権は原発再稼働を前提としたエネルギー政策を進めつつあるが、今回の事故において問題となった人災的側面(事故直後の保安院職員の逃亡など)への反省がほとんど生かされていない。

 ムラ的価値観の問題の一つは、トラブルが起きた場合の責任の所在がうやむやにされやすい点である。さらに、先般成立した特定秘密保護法のもと、今後の政策決定の過程が不透明化し記録に残されない懸念が加わる。

 「あの日」を経てきた私たちが、今度こそ「市民」たりうるのか、依然として「ムラ人」にとどまるのか。ひとまずは改憲に対する意思表示がその試金石となるだろう。(寄稿)

 ◇命を守るための法整備を--大島理森・自民党東日本大震災復興加速化本部長

 東日本大震災から3度目となる今年の正月を仮設住宅ではなく、新しい住まいで迎えていただきたいと、1年間努力してきた。残念ながら、それは達成できなかったが、「あの高台に新しい住まいができます」「新しいコミュニティーはここですよ」と示せる段階までは来た。この4、5月には多くの被災者に新たな生活の拠点を見ていただき、生活再建への具体的イメージを持ってもらえるようになると思う。

 津波は、生きるための基盤、すなわち、住まい、仕事、コミュニティーを根こそぎ奪い去った。これらをすべて同時に復興しようとするのは不可能だった。だから、戦略的に順序付けをし、集中的、段階的に事を進め、復興への道筋を明確にすることを重要視してきた。昨年3月に「住まい」、6月に「仕事」、11月には「原発災害」と中心的な課題を明確にした提言をまとめ、政府と呼吸を合わせて復興を加速させるよう取り組んできた。

 東日本大震災は被災地域が長大で、原発災害を伴った点で、過去の大災害と著しく異なる。未知の領域である原発災害からの復旧・復興は困難の連続だ。民主党政権は、東京電力にすべての責任があることを前提に復旧策をスタートさせた。このため、当時の政府は言い訳的な対応に終始していた、と言わざるを得ない。原子力政策を推進してきた自民党には重い責任があり、野党時代からそれを痛感してきた。ただ、前政権からの急激な政策変更は混乱を招くだけだ。どのように政治の責任を果たしていくのか。被災自治体と話し合いながら模索してきた。

 福島の被災者の「全員帰還」原則を転換したのもその一つだ。福島第1原発周辺地域の自治体に尋ねると、被災者の意向は「どうしても古里に帰りたい」「帰れるのか帰れないのかはっきりさせてくれ」「答えられない」がほぼ同じ割合だった。新たな生活の拠点が定まらない現状は被災者にとって大変つらいことだ。被災者の判断ばかりにゆだね、何年も放置していいはずがない。こういう方法でどうでしょうかと提案する形で、政治が判断を示す。そのことが責任を果たすことだと考えた。

 中長期の課題についても、廃炉、汚染水については監督という国の主体的責任を明確にし、除染は東電、中間貯蔵施設は国が責任を持ってやると整理した。中間貯蔵施設は環境省で調整してもらっている。福島の現状は、復興以前の「復旧」の前半段階にとどまっている。中間貯蔵施設の問題を解決し、今年は復旧が目に見えて進む1年にしなければならない。

 日本は地震を避けて通れない宿命を背負う。幾多の大災害を英知を集めて乗り越えて来た歴史がある。原発災害からの復旧・復興も世界の知恵を借り、皆で努力することで成し遂げられるはずだ。首都直下型地震や東南海地震など未来への備えも政治の役目だ。災害への対応は現在、応急、復旧、復興、希望の4段階だが、大危機の応急時の対応については、もう一段高める必要がある。

 私権の制限という憲法上の問題も含めて、「命」を守るための法制度を勉強したいと思っている。痛ましい犠牲と、国家的な難問を我々に突きつけた東日本大震災の教訓は重く、そして深い。【聞き手・因幡健悦】

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 ◇震災を巡る安倍政権の主な動き

2012.12 第2次安倍内閣が発足

2013.1  安倍首相が復興予算の増額と復興庁の司令塔機能の強化を指示

     4  宮城県石巻市桃浦地区を水産業復興特区に全国で初認定

     6  復興推進委員会が中間とりまとめ「『新しい東北』の創造に向けて」を発表

     7  12年度復興費の約35%、3兆4271億円が手つかずと判明

     10 福島第1原発事故を受けた「子ども・被災者生活支援法」の基本方針を決定

2014.2  福島県田村市都路(みやこじ)地区の避難指示を県内11市町村の中で初めて4月に解除する方針を決定

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 「論点」は金曜日掲載です。opinion@mainichi.co.jp

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 ■人物略歴

 ◇かいはら・としたみ

 1933年生まれ。東京大法学部卒。86年から2001年まで兵庫県知事を4期務め阪神大震災の復興を指揮。現ひょうご震災記念21世紀研究機構特別顧問。

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 ■人物略歴

 ◇さいとう・たまき

 1961年岩手県生まれ。筑波大大学院医学研究科博士課程修了。同大教授。著書に「世界が土曜の夜の夢なら--ヤンキーと精神分析」(角川書店)。

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 ■人物略歴

 ◇おおしま・ただもり

 1946年青森県八戸市生まれ。慶応大法卒。83年衆院議員に初当選。当選10回。文相、農相、党副総裁を歴任。2012年末から現職。
    --「論点:震災復興に求められる視点」、『毎日新聞』2014年03月07日(金)付。

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覚え書:「特集ワイド:続報真相 田母神氏61万得票の意味」、『毎日新聞』2014年03月07日(金)付(東京夕刊)。


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特集ワイド:続報真相 田母神氏61万得票の意味
毎日新聞 2014年03月07日 東京夕刊


(写真キャプション)東京都知事選の最中、若い人たちと握手をする田母神俊雄氏。「私は実はいい人なんです」と何度も繰り返し、アピールした=東京都渋谷区のJR渋谷駅前で2014年1月23日、手塚耕一郎撮影

 東京都知事選挙で元航空幕僚長の田母神俊雄氏(65)が得た61万票が、なお話題になっている。「ネットの影響」「若者の右翼化」とかまびすしいが、何だかふに落ちない。本当はどうなのか、これからの政治に影響しうるのか。田母神氏に投票した人の声を追いながら「田母神票が意味するもの」を考えた。

 「未来が見えるかどうかがすごく気になりました。脱成長って言われても『あなたたちは確かにいい時代を見てきたから、それでいいかもしれませんけどね』としらけましたね」

 学習塾を経営する慶応大2年の今井美槻(みつき)さん(21)はそう話す。都知事選前、若者8人で誰に投票するか討論したら、4人が「田母神」だった。「僕らは自衛隊にも共産党にもアレルギーはない。何かおもしろいことをしてくれそうな期待感、現状維持ではダメだという思いが一番大きかった。政党や組織、既存の制度を守るために動く政治家が多いが、彼は違うと思った。田母神さんの思想的な部分はあまり気になりません」と説明する。

 別の男性会社員(31)は奨学金で専門学校を卒業、派遣社員を経験した。アルバイトが外国人労働者に取られている現状や、就職が決まらない友人の姿をみてきた。「政策の善しあしとは別に、リーダーが強力で支持率が高い時は景気が上向き、国が前を向くと思う。田母神さんはそうした強いリーダーシップが取れるはず」。都政と国政は別だと思いつつ、原発維持の政策にも共感した。「経済的に考えて一番無難だと思う」

 ほかに支持する政治家を2人に聞くと、「橋下徹」や「小泉純一郎」が挙がった。小泉さんの構造改革路線と、「公共事業でインフラ整備」を訴える「タモガミクス」は正反対だ。「思想ではなく、現状を打破してくれそうな改革のイメージを重要視した」(今井さん)というので、IT会社役員、家入一真氏(35)はどうかと問うと「全然。だって彼は成功者じゃないですか」と一蹴された。「支持のツボ」がどこにあるのか、まるで分からない。

 ◇「中韓への譲歩、理解できない」

 61万票は極めて大きい。2013年の参院選東京選挙区は、投票率53・51%で、5人目に当選した自民党の武見敬三さんは61万2388票だった。強固な組織票を持つとされる共産党で70万票、山口那津男・公明党代表でも80万票弱だ。とても「泡沫(ほうまつ)候補」とは呼べない。

 「日本型排外主義-在特会・外国人参政権・東アジア地政学-」の著者、樋口直人・徳島大准教授(44)は「03年の都知事選で石原慎太郎さんは300万票以上を得ました。そこから石原氏の行政経験を評価する票と、作家としての知名度による票を引いた右派的な支持者の票が田母神票と重なると考えられます。そうすると、ここ十数年の延長として右派が60万票としても驚きはない」と話す。

 樋口さんは毎日新聞の出口調査を分析し「若年層(20-30代)は田母神さんに投票した比率が高いが、投票率が低いので票数としては多くない。田母神さんは幅広い世代から票を得ているとみるべきです」と語る。支持者を若年層とそれ以外に分けると、後者は「保守の中で相対的に右の人が、田母神さんに入れたという解釈が可能」で、若年層は「既成政党によらない新鮮味を与える候補者で、リーダーシップを感じたところにひかれたのでは」とみる。

 一方、普段は選挙に行かない層を田母神さんが動かした形跡がある。「老人福祉とか子育てとか、これまで政策に全く興味がなくて選挙にはほとんど行ってません。田母神さんが出て、初めて入れてもいい人が出てきた感じだった」と一流会社に勤める男性会社員(39)は話す。別に政策にピンときたわけではない。「中国や韓国に外交上つけ込まれ何となく損をしている」という思いに、田母神さんがはっきりと応えてくれると感じた。「日本はこれまで中国や韓国に謝罪し、お金も出してきた、それでも文句を言われ続けている状況が納得できません。靖国参拝も何が問題なのか。外国にとやかく言われることではない。大手メディアは『謝罪し続けなくてはいけない』との論調ですが、ネットで情報を集めるとそれはおかしいとよく分かります」と話す。

 憲法9条改正でも田母神さんの主張に同意する。「9条というお題目を唱えれば国が守れるワケではない。冷戦下の世界情勢の中で戦争をしなくて済んできただけ。田母神さんの言うように戦争の抑止力として軍備を拡張しなければ、弱い国は侵略される。9条のせいで自分たちの生命が脅かされるのが本当に許せない」と淡々と語る。

 ◇背景に若者層の不安、危機感?

 年間1億円以上を稼ぐ男性個人コンサルタント(39)は「田母神さんの言葉で一番納得したのは『日本は自国をおとしめる発言は自由でも、自国を高める発言に自由はない』です」と話す。韓国人や中国人の友人がいるが「個人としてはいい人でも、国としてはこちらが譲歩すれば強く出てくると分かっている。なのにどうして譲歩するのか全く理解できない」と言い切る。国防軍にも賛成だ。「小学生の頃から、自衛隊って単なる軍隊でしょ、って思ってました。世界から見ればちゃんとした軍です。摩擦をおそれて、問題を避け続けてどんどん国が弱くなっていくのが一番嫌いなんです」

 樋口さんは「若い世代は、近隣諸国との関係が悪くなって政治的な問題も出てきたこの10年ぐらいの時勢に影響を受けている。天皇制が大事だとか靖国神社を参拝すべきだといった国家主義的な意識より、排外意識の方が強い傾向がある」と解説する。

 「ももクロ論」でアイドルに夢中になる現代社会の閉塞(へいそく)感を指摘した早稲田大の清家竜介助教(43)はこうみる。「個人としてではなく首相や閣僚が靖国参拝する歴史的、外交的意味に考えが及んでいない人が多い。ただ冷戦以後の世界情勢の劇的な変化の中で、9条護持を唱えるだけの平和主義では危機感を持った彼らを説得できない。平和憲法は、日米安保条約と日米地位協定という繭の中で維持されてきた。その中から平和を訴えても『きれい事だ。このろくでもない世界を作り出したのは誰だ』と思われがちだ。田母神さんの訴えは、非常にシンプルでそういう人たちに届きやすいのでは」とみる。

 さらに、若年層を中心とした「アンダークラス」化が田母神支持の増加の一因ではないかとみる。アンダークラスは、労働者階級よりさらに下の階級。結婚して子どもを持つことも難しい。非正規雇用の拡大で増えた「アンダークラス」は未来に展望が持てず、不安感からはっきりものを言ってくれる人や強い国家イメージにひかれる傾向を持つ。清家さんは、このクラスの増大に伴い、権威に追従することを欲し、排外的で攻撃的な「権威主義的パーソナリティー」を持つ人が増えているのではと指摘する。「権威主義的パーソナリティー」はナチスのファシズムを支持した大衆心理を分析して出てきた概念だ。「文脈を深く掘り下げず、敵を設定し、わかりやすく攻撃する」という権威主義的パーソナリティーの特徴は小泉氏、橋下氏、田母神氏にも共通している。

 ◇強い国になり「損を取り戻す」

 田母神氏本人を直撃した。「当選するとは期待していなかったが、日本を真剣に取り戻そうと考えている人がどれぐらいいるかは分かると思っていた。30万票取れればと思っていたが、低投票率で61万票。目的は達成できた」とにこやかに話す。「自民党の右側に柱を立てて、自民党に『ちゃんとやれ』と迫る野党が必要。その党首になりたい。とりあえずは次の国政選挙を意識しながらの政治活動になります」

 「核武装して世界で発言力を持つ国」を目指す田母神氏に「そんな国をつくって何をするのか」と聞いてみた。諭すようにこう言われた。「世界