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学者、思想家のガウンを著けた大親分


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 もちろん、思想と生活とは不可分のものであるといふこともいへるだらう。思想だけのものがその実生活に現はれ、又、実生活だけのものが、思想に現はれると、かやうにいふことも出来るだらう。しかし、僕は考へる。先生の場合に於いては、大正五年頃から『中央公論』を始めとしてその他の新聞、雑誌に発表されたデモクラシーに関する理論が、決して先生の全生活ではなかつたのだ。先生はあの当時の日本の幼稚な社会情態に於いて発表し得られる限りのものを発表して居たので、先生に於いては、発表するといふことが一つの大きい仕事であつたのだ。先生はやはり極めて善い意味での仕事師であつた。事業家であつた。生活人であつた。
 先生のデモクラシーに関する論議が桂、大浦以来の峻刻なる思想警察によつて、完全に尅殺されて来た社会的思弁の為に、一方の血路を開くと、旧平民社系、社会主義者の中から、山川均、高畠素之あたりが先づ起つて、先生の文章に鋭い批評のメスを加え始めた。しかし、山川氏にしても、高畠氏にしても、初めから堂々と本名を署して、先生の説に批評を加えることが出来たわけではない。現に山川氏の如き、初めは『無名氏』といふ覆面の下にかくれて、纔にその論文を新聞、雑誌に発表し得る程度であつた。だから、先生の理論は、山川、高畠等の論難に遭つて殆ど完膚なきまでに撃破せられたことに間違ひはなく、現に僕の如きも、山川、高畠等の尻馬にのつて、その筆陣に喝采を送つた彌次の一人であつたことを自白するが、さてこれを今日から回顧して、公平に批評すると、先生のデモクラシーは、旧平民社一派の社会的思弁を再び世に出す為に、頭を打たれては一歩退き、一歩退いては、また、頭を出した剣術の先生のやうなものであつた。桂、大浦等の為にその手足を緊縛して生きながら地中に埋められて居た旧平民社系の社会主義者等は、『吉野作造』といふデモクラシーの先生を『お面々々』と竹刀で打ちつゞけながら、縛られて居た手足の鎖を断ち、桎梏を棄てて、地上に躍り出したのであつた。彼等が『山川均』、『高畠素之』の本名で堂々とその思想を発表し、時に或は原稿料の相場を狂はせるほどの売れつ子となることの出来た一面には、頭を打たれては一歩退き、一歩退いては又、頭を出した、瘤だらけの『吉野作造』の居たことを忘れては相済むまい。
 何とも申訳のないことだが、僕はこの生活人としての吉野作造先生を知らなかつた。キリスト教的人道主義者、アングロ・サクソン系の行儀作法で、完全に第二の天性を作られた和製自由主義者、ポリチカル・デモクラシーの大家、吉野作造先生あるを識つて、また純然たる東洋型『親分』としての吉野作造先生あるを知らなかった。
    --白柳秀湖「学者、思想家のガウンを著けた大親分」、赤松克麿編『故吉野博士を語る』中央公論社、昭和九年、248-250頁。

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「民本主義」の主張で大正デモクラシーをリードした吉野作造のその政治思想は、同時代人からも、そしてその同時代人というのも吉野作造が戦った相手というよりも、どちらかといえば仲間と呼ばれる連中から、批判が多かった。もちろん、天皇主権という絶対的権力の前で、それを不問にする吉野の策戦は「手ぬるい」し「権力批判」になってないというものだ。

現在の吉野作造評価もほとんど同じであろう。民福増進に尽力したものの、その政治思想には限界があるというそれである。

しかし、それだけで吉野作造を「理解」したつもりになったり「片づけて」しまってよいのだろうか、吉野作造の言説を読み直せば読み直すほど、その念は強くなる。

現実に「NO」と言って時代が変革するのだろうか。それが特に絶対的に圧倒的な力をもつ相手に対する「NO」であればあるほど、そこは「聡明」にならなければならない。そのことを簡単に「限界」と指摘して終わるのは、「無責任」といってもよかろう。

さて、1933年の本日3月18日は吉野作造先生のご命日。久しぶりに手を合わせるついでに、吉野先生をしのぶ論集を手に取りましたが、同時代人からも限界指摘の「早計さ」について鋭い指摘がありましたので、ご紹介しておきます。

著者の白柳秀湖は、社会主義文学の先駆者にして後年、史論家に転じた人物で、社会民衆党の結党式で面識を得たというので、1926年のこと。その後吉野が亡くなるまでその交流が続いたそうですが、白柳は、自身の吉野認識が「一面的」でしかなかったことをその追悼の一文で吐露しております。そしてその一面的な認識が、吉野の全体像として流通していることを批判しているのですが、これはまさに我が意を得たり。

これは別項にて論じますが、吉野作造のキリスト教信仰に関しても同じような「一面的」な評価がつきまといます。吉野作造はキリスト者であることを誇りに思い、その信仰を大切に深くはぐくんできますが、ひとたび公人として振る舞う場合、極力その心情を直截的に吐露はしませんし、聖書の一句も社会評論には出てきません。ゆえに、吉野の信仰は「楽天的な人生観」ではあるけれども、「信仰の深み」には達してはいないのではないかというそれがつきまといますが、これも早計の極みというところでしょう。

白柳がいうがごとく、吉野作造の全体性を回復させることから評価し直していく--これが現代の吉野作造研究者の課題になるのではないかと思います。

自身の吉野作造研究も斯くありたいと思います。

ともあれ、合掌。

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