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覚え書:「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『愛と障害』/『おいしそうな草』」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。


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今週の本棚:鴻巣友季子・評 『愛と障害』/『おいしそうな草』
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 ◆『愛と障害』=アレクサンダル・ヘモン著、岩本正恵訳(白水社・2376円)

 ◆『おいしそうな草』=蜂飼耳著(岩波書店・1836円)

 ◇言語と虚構を動かす創作のメカニズム

 「話のなかにいくつ事実が入っていたら伝記になり、いくつ作り事が入っていたらフィクションになるんだい?」

 この三月、ある公開鼎談(ていだん)で、アレクサンダル・へモンは「現実と虚構の境」について尋ねられて、おどけ気味に答えた。彼の『ノーホエア・マン』は自伝的長編だそうで、最新の『The Book of My Lives』(わが人生の書)はノンフィクションと銘打たれているが、それらと同様のエピソードが短編集『愛と障害』では小説、つまり虚構の一部になっている。

 フィクションという機構は、いつ、何によって起動するのか?という問いがここにはあるだろう。

 一方、日本の詩人・蜂飼耳は『おいしそうな草』という秀逸なエッセイ集で、「言葉はどこから来るのだろう。……詩はいつどのように出てくるのか」(「待つことのかたち」)と問う。ボスニア出身のアメリカ作家と日本の詩人、ふたりには同時代の書き手である点を除いて接点はないかもしれない。しかし両者の著書を通じて、言語と虚構を動かすメカニズムに相通じるものを私は感じた。本稿では、この二冊を互いのアノテーション(注釈書)にして読むという試みをしたい。

 へモンはアメリカ滞在中にボスニア紛争が勃発し、そのまま米国に留(とど)まって、本人の弁によると「思いがけず」英語でものを書くようになった。第二言語としての彼の英語は凝縮された美しい散文詩のようだ。コンラッド、ナボコフの再来と謳(うた)われるのも頷(うなず)ける。

 『愛と障害』には、キンシャサのアパートで夜な夜なレッド・ツェッペリンの「天国への階段」のドラムを叩(たた)く男と親しくなる少年の「僕」や、二十代で「愛と障害」なんてムズ痒(かゆ)い詩を書いている詩人志望の「僕」、姿を見せない名無しの語り手の「わたし」、フィクションを「真実でない」と忌避する父をもつ「僕」、『ニューヨーカー』誌に「愛と障害」なる短編を載せたと嘯(うそぶ)く新人作家の「僕」などがいる。八編に繋(つな)がりはあるのかないのか判(わか)らない。ただ、どの語り手も作者自身に強く想起させる。そもそも本書収録の「すべて」という一編は、「愛と障害」という題名で『ニューヨーカー』に初出されたのだ。ああ、ややこしい。

 前記の父は八ミリカメラで真実のわが半生記を撮ると言って、息子に十六歳の自分の役をやらせる。息子は役になりきって微笑(ほほえ)みながら家を後にするシーンを演じ……って、この「自分」こそまったくの作りものではないか! へモンは虚構作りをめぐってアイロニカルな虚構を織りなしていく。フィクションとは非真実、または嘘(うそ)のことなのだろうか?

 それに対する応答のようなくだりが、『おいしそうな草』にある。昔、ネッシーの研究者が死に際に、実はネッシーなどいない、自分の研究は全部嘘だったと発表した。それに対して、蜂飼耳はこう言う。「自分なら、と考える。そもそも、そんな大掛かりな嘘を磨きあげることに生涯を費やす気力など、持てそうにない。<中略>とはいえ、ものを書くことは、嘘を描いているのと同じだろうか。ひとつひとつ、なにかを追求するつもりで言葉を紡ぐとしても、はるか遠くから眺めると、<中略>ネッシーの嘘と同根なのかもしれない。つまり、どれもが人間の頭をよぎって消えていく夢のかけら」(「時間を食べる」)

 『愛と障害』の「蜂 第一部」で真実に固執する父も、「天国への階段」で胡乱(うろん)な武勇伝を語るドラマーも、最後の一編「苦しみの高貴な真実」に出てくる作家たちも、己の生をどこかの壁に儚(はかな)く転写しようとしているのだろう。そうして生を描こうと足掻(あが)く人々をへモンは描く。そして、こうした人間の「限りある生」を西脇順三郎が「根本的な偉大なつまらなさ」と呼んだことを、蜂飼は引用している(「冬眠状態」)。

 転写されたものは虚像で偽物か--? そうではないと、私は思う。へモンの「僕」は「愛と障害」という詩の第一行をこう始める。「世界と僕のあいだには壁があり、/僕はそれを歩いて通り抜けねばならない」。よしんば、言葉が壁を越えて現実とふれあうことがあっても、それが真実に届くとは限らない。ふたたび蜂飼の著書に引用された石原吉郎のエッセイから。「私は多くの第一行と路上ですれちがっているはずである。私にかかわりのない第一行は、そのまますれちがうだけだが、もし重大なかかわりがある一行であれば、それはすれちがったのちふたたび引きかえしてくる。<中略>それは、かつて記憶のなかで、予感のようにめぐりあった一行かもしれないのだ」(「蛙はためらわない」)

 世界と自分の間の壁を越えて言葉が引きかえしてきたとき、その再会を通して<創る>意志が起動し、それらの言葉は詩という真実に結晶するのではないだろうか。むろん優れた小説にも詩は響いている。 
    --「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『愛と障害』/『おいしそうな草』」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140406ddm015070017000c.html:title]

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