覚え書:「書評:死者の声、生者の言葉 小森 陽一 著」、『東京新聞』2014年04月06日(日)付。
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死者の声、生者の言葉 小森 陽一 著
2014年4月6日
◆原発の責任追及する文学
[評者]横尾和博=文芸評論家
災厄に立ち向かう言葉をどのように生み出すか。光る表現に出会わなければならない、と著者は熱く述べる。詩、小説、評論など、文学は3・11以降、多様な作品を生みだした。多数の被災者のうえに成立した文学、それを私たちは肝に銘じなければならない。
本書は、現在の震災文学論のなかでひとつの極北である。なぜなら、副題「文学で問う原発の日本」が示すように、原発の責任を明確に追及する視点に貫かれているからだ。
著者は若松丈太郎と和合亮一の詩を紹介し、川上弘美や大江健三郎の小説をひく。特に若松は福島原発の近くに居住し、稼働当初よりその危険性を詩と評論で予見していた。その言葉は「論理性と倫理性に美的感覚を充填(じゅうてん)する」と著者は指摘する。「私たちが消えるべき先はどこか」、一九九四年に若松がチェルノブイリに入り、帰国後に書いた詩の一節で、事故のみごとな予見である。
また3・11以降もっとも早い対応となった川上弘美『神様2011』について、「いま現実に発生している事態をどのように認識するのか、言語を操る生きものとしての人間は、まず過去の自分が言葉で認識していたことと対応させるしかない」と作家としての覚悟を賞賛。そして、大江健三郎『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』のラストの詩「私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる」を引用し、3・11の後、同書を書き直した意味を考察する。そのほか興味深いのは宮沢賢治「科学と宗教」、夏目漱石「文明論的考察」を視野に入れているところだ。
私は本書から死者との対話、呼びかけ、声に耳を傾けることの意味を理解した。文学の役割である。ただ論理と倫理の対極にある直感や悪徳もまた文学であることについて、ひと言述べてほしかった。私たちは人の心の深い闇にまで届く、光る言葉を模索し続けなければならない。震災文学が花開いた樹下には犠牲者が眠っているのだ。
(新日本出版社・1728円)
こもり・よういち 1953年生まれ。東京大教授。著書『漱石論』など。
◆もう1冊
佐伯一麦著『震災と言葉』(岩波ブックレット)。仙台在住の私小説作家が震災後の喪失感のなかで、言葉とともに生きる意味を語る。
--「書評:死者の声、生者の言葉 小森 陽一 著」、『東京新聞』2014年04月06日(日)付。
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