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覚え書:「記者の目:マーシャル諸島と日本=山田奈緒(東京社会部)」、『毎日新聞』2014年04月08日(火)付。


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記者の目:マーシャル諸島と日本=山田奈緒(東京社会部)
毎日新聞 2014年04月08日 東京朝刊


(写真キャプション)マーシャルにあるスーパー「MOMOTARO」=マーシャル諸島の首都マジュロで2014年2月27日、山田奈緒撮影

 ◇「小さな悲しみ」忘れぬ

 マーシャル諸島に出張だと、31歳の私が同世代の友人に告げた時、「それ、どこの国の島?」と返されたのは1回や2回ではない。第五福竜丸が米国の水爆実験で被ばくした「ビキニ事件60年の取材」と説明し、初めてマーシャルという一つの独立国を認識した人が周りに何人もいる。日本や米国の支配を経て独立した太平洋のほぼ真ん中の小さな島。人口約5万人。関心のある人は少ない国かもしれないが、現地を歩くと日本との強い結び付きが感じられた。大国支配や核実験に翻弄(ほんろう)されてきた歴史や暮らしぶりも見えてきた。今ある私たちの日本での生活も、そういう歴史の延長線上にあると、改めて感じている。

 私がマーシャルに向かったのは2月下旬だった。グアムで飛行機を乗り継ぎ、小さな島を経由しながら行く。飛んでは降り、飛んでは降りを繰り返してたどり着いた。透き通る青い海、白い砂浜、輝く太陽。南国の楽園のようだが、大きな産業はなく財政基盤は弱い。国内の島々を結ぶ飛行機は燃料費高騰などを理由にすぐ欠航してしまい、収入源になりそうな観光業もうまくいっているようには見えない。年間観光客は約1000人にとどまる。

 仕事は少なく、失業率は高い。データだけ見れば、悲観的な要素が並ぶ。だが島の人たちはとても明るく、気さくだった。乗り合いタクシーでは人々が気軽に話しかけてくる。まさに情報の宝庫だ。「お母さんが台所でよく歌っていた」と日本の童謡「証城寺の狸(たぬき)囃子(ばやし)」を披露してくれた女性もいた。

 「アミモノ(手工芸品)」「アミダマ(あめ玉)」。マーシャル語には日本語由来の言葉が珍しくない。人名も同じ。イシワタさん、ハシグチさんらに会った。道沿いのスーパーには「MOMOTARO(モモタロウ)」の看板。マーシャルでは「モモタロウ一族」が財を成している。女性店員によると、マーシャルを訪れた日本人商人が現地の女性との間に生まれた子に「強く伝説的な名を」と考え、モモタロウと名付けたのが始まり。それが名字として、今も残っているのだという。

 ◇日本が委任統治、大戦で空襲経験

 日本とマーシャルの関わりは、第一次大戦のころから密接になる。日本はマーシャルを含むミクロネシア(南洋群島)の島々を占領し、1920年に国際連盟から「委任統治」が認められる。日本語を教え、日本語で授業する「公学校」が整備された。第二次世界大戦が始まると皇民化教育も行われたという。

 約10日間の滞在中、首都マジュロで、公学校で学んだイマキタ・ツトムさん(87)に出会った。「長いこと使っていないから忘れてしまった」。そう言いながら流ちょうな日本語も話す。君が代も覚えていた。父は商売でマーシャルを訪れて現地で結婚した日本人で、母は幼いころに病死。第二次大戦中は空襲も経験し、兄は日本軍に徴用され戦死した。戦後、米軍の捕虜となって生き別れた父とは一度も会えずじまいだった。頼る親戚もなく、幼い妹を働きながら育てた。「さびしかった」「不安だった」「日本のお父さんや家族に会いたかった」。記憶の糸をたぐりながら日本を思い、絞り出す言葉が悲しく重く心に響いた。

 孫もいるにぎやかな自宅を何度か訪ねた。イマキタさんは父と会えなかったことや兄の戦死を「小さな悲しみ」と繰り返した。ただ、空襲で大勢の島民が亡くなり、マーシャルの別の島では地上戦があった。そのことを踏まえ「もっと悲惨な歴史はある。私の言ったことは忘れていい」とも語った。だが、イマキタさんの体験が「小さな悲しみ」だとは思わない。忘れてよいとも思わない。

 ◇60年前の核実験、今も健康に不安

 多くの人の悲喜こもごもを含んだ歴史の上に今がある。当たり前のことをマーシャルで思い知った。戦争や経済成長の過程で日本ではマーシャルの存在感は薄くなっていったが、マーシャルではそうではない。そのギャップに驚いた。米国が繰り返した核実験により、今も残留放射能への不安を訴える人たちの声も衝撃だった。60年前の核実験は昔話ではない。健康不安や米国不信は生々しい今の問題だ。情報公開のあり方など、原発事故後の日本と重なって見える部分も数多くあった。

 「戦後70年」「ビキニ事件60年」など、節目で過去の出来事を記事にする時、どうしても大きな惨事ばかりを振り返りがちだ。そして、節目が過ぎると報道は減り、世の関心も薄れてしまうと自戒を込めて思う。だけど、どんな歴史も今の自分の暮らしにつながっている。そういう視点を忘れずにいたい。
    --「記者の目:マーシャル諸島と日本=山田奈緒(東京社会部)」、『毎日新聞』2014年04月08日(火)付。

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