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覚え書:「保阪正康の昭和史のかたち [戦時下にみる為政者の精神構造]本来の日本文化からの逸脱」、『毎日新聞』2014年04月12日(土)付。

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保阪正康の昭和史のかたち
[戦時下にみる為政者の精神構造]
本来の日本文化からの逸脱

 太平洋戦争が終わってから69年、来年は70年になるが、節目の年に向けてこの戦争を総括しようとの動きがそろそろ始まっている。私のもとにも来年を目ざして書き下ろしをとか、最後の回顧になるだろうから対談をといった企画が持ちこまれている。第二次世界大戦終結から70年、国際社会ではこの戦争を振り返ることになるのかもしれない。
 太平洋戦争の日本軍の内実については、いまだ語られていない史実、伏せられている視点、さらには意図的に避けられている論点がいくつかある。もっとも重要な論点と、私が考えている史実を挙げ、検証の必要性があると訴えておきたい。
 戦時下で首相・陸相を務めた東条英機は生粋の軍人で、軍事以外の知識(政治、経済、文化など)はほとんど持っていない。その東条が昭和18、19年にしばしば、「戦争というのは負けたと思ったときが負け、決して負けたと思うな」との精神論を呼びかけた。高校野球の監督が選手に説くならわからないでもないが、戦時下の最高責任者がこんな無責任な論を吐いていいのだろうか、と私は思う。
 この論理では、決して日本は負けない。どれほど痛めつけられても降伏しない、降伏したら負けたことになってしまう。私たちの国土は解体され、国民は全滅状態になっても負けたとはいわない。客観的には、日本はすべてを失っているのに、負けたと言わないのだから負けていない。
 このニヒリズムが、東条の演説には潜んでいる。私は史実を検証していて、これは東条個人の性格ゆえにこういう暴論を口にしているのだろうと考えていた。しかし戦争末期、戦争継続など無理なのに軍事指導者たちはこの種の暴論をあきれるほど口にしている。軍令部次長の大西滝治郎は、特攻作戦の推進者であったが、ある新聞記者(戦後の作家・戸川幸夫)からいつまでこんな作戦をくり返すのか、と問われたときに、「国民の四分の一が特攻作戦で死に、血染めになったこの国の様子を見てアメリカはもうやめようと言いだすだろう、その時が講和のときだ」と答えたという。
 大本営は、昭和20年11月にアメリカ軍の本土上陸作戦を想定していて、そのために「一億総特攻」を呼号していた。6月には義勇兵役法が公布されて15歳以上、60歳までの男性、17歳以上で40歳までの女性は、国民義勇戦闘隊に編入されて義勇兵として戦闘に参加することになった。これを拒否することは許されなかった。アメリカ軍が上陸してくると予想された九十九里浜や相模湾では、各種の特攻兵器に乗った義勇兵が入港してくるアメリカの艦船に体当たりする、中学生などは道路に穴を掘って待機し、戦車が上陸してくると爆弾をリュックに背負い体当たりする戦術も考えられていた。
 陸軍の正規部隊は内陸に構えていて、これらの特攻作戦により消耗しているであろうアメリカ軍と本格的な作戦に入るとされていた。こうした常識では考えられない作戦は、前述の東条や大西の言と符合していることがわかる。
 こうした精神主義、いわば日本精神なるものは本来の日本文化の退嬰的現象である。この退嬰的現象は軍事的には「霊的突撃」と言われていた(飯塚浩二「日本の軍隊」1950年12月刊)。日本軍の部隊が玉砕することによって、連合軍の兵士たちが気味わるがってその戦場から退却するという話を、日本軍の司令官はしばしば訓辞したという。
 飯塚著のなかで、将校のひとりが「軍人の中には、いわゆる陛下を奉じて戦さをやって、たとえ全滅しても、日本は負けていないんだ。そういう、ちょっといま考えると、真意的に見える観念にとりつかれていました。個々の戦場においては全滅してなお『霊的突撃』を、さらにそれが本土という規模においても行われようとしたのです」と語っている。国民のすべてが特攻作戦で死ぬことは「霊的突撃」であり、それにアメリカ軍は驚いて戦争終結の意思を持つだろう、というのは戦時指導者の精神のよりどころになっていたのだ。
 特攻作戦と玉砕という戦術は日本軍の戦略上の汚点とされているが、しかしそれは霊的な突撃と考えることで辛うじて自分たちの心のバランスを保っていたとも考えられる。これに歯止めをかけるのが昭和天皇ということになるが、昭和天皇は皇太子に宛て敗戦直後の昭和20年9月9日に書簡を送っている。
 そこには「戦争をつづければ(略)国民をも殺さなければならなくなったので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである」とあった。この意味を「霊的突撃」と対比させるとよくわかってくる。
ほさま・まさやす ノンフィクション作家。次回は5月10日に掲載します。
    --「保阪正康の昭和史のかたち [戦時下にみる為政者の精神構造]本来の日本文化からの逸脱」、『毎日新聞』2014年04月12日(土)付。

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