« 研究ノート:普通選挙に反対した山川均 | トップページ | 覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『不均衡という病--フランスの変容 1980-2010』=E・トッド、H・ル・ブラーズ著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。 »

覚え書:「記者の目:終末期医療と患者の意思=大森治幸(阪神支局<前富山支局>)」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。

5_2


-----

記者の目:終末期医療と患者の意思=大森治幸(阪神支局<前富山支局>)
毎日新聞 2014年04月17日 東京朝刊

(写真キャプション)会話補助器を使って言葉を通わせる松尾さん夫婦=富山市の病院で2011年6月、大森治幸撮影

 ◇「最期の在り方」議論を

 回復の見込みがない末期状態になったら延命措置をどうするか。「人間らしい最期」を巡る葛藤が医療現場で続いている。私は2-3月、本紙富山版で一連の問題に焦点を当てた「ヒポクラテスを超えて」(13回)を連載し、終末期患者の意思を医療に反映させる仕組みが十分整っていない現状を伝えた。超党派の国会議員が法整備の議論を始めて約10年。今国会での法案提出の動きもあり、最期の在り方について国民の本格的な議論の必要性を強く感じる。

 連載では、富山市の夫婦、松尾幸郎さん(77)と妻巻子さん(70)を取り上げた。巻子さんは2006年、同市で車を運転中、中央線を越えてきた車と正面衝突。一命は取り留めたが、管で栄養を送る胃ろうや人工呼吸器、呼吸を助ける横隔膜ペースメーカーにつながれた生活を送っている。声帯も含めて全身がまひし、話すことができない。

 そこで、唯一動かせるまぶたを使って「会話」を始めた。「ゆきおさんには かんしゃしています」「せかいいちあいしています」。会話補助器を通して巻子さんが伝えた言葉だ。しかし、歳月を重ねるごとに「しにたい」などと漏らすようになった。そして13年1月、衰弱によってこうした会話すら途絶えた。

 「薬と機械に生かされているが、目も見えるし耳も聞こえる。だからこそ『死ぬほど』ではなく『死ぬより』つらいと思う。自分が同じ状況にあったら、どう考え、どんな決断をするか。それを問い続けるのが私の責務です」。11年に、終末期医療の語り部活動を始めた幸郎さんが話す。

 ◇延命措置の中止、国も基準示せず

 厚生労働省によると、終末期の症例には余命が数日から2-3カ月の末期がんや数年で死を迎える脳血管疾患の後遺症、老衰などが含まれる。栄養分を点滴するなどして死期を延ばすのが延命措置だ。対をなすのが安楽死で、大きく分けて、苦しみを長引かせないため延命措置を中止する「消極的安楽死」(尊厳死に近い)と、致死量の薬物を処方するなどして死を早める「積極的安楽死」がある。

 更に積極的安楽死には、本人の希望に沿う「自主型」と、意思が不明でも厳しい規定の下で医師と家族が相談して決める「非自主型」があり、意思に反する「反自主型」は犯罪となる。米国などは自主型を導入、オランダでは非自主型も合法だ。いずれも法的枠組みの中で実施するために「リビングウイル」(LW、生前の意思表示)を重視。欧米では30-40年前から、LWを記録する取り組みが広がっている。ただ、意思表示できる年齢は国によって違う。

 国内の状況はどうか。延命措置の取りやめを巡っては、横浜地裁が1995年の安楽死事件の判決で示した(1)耐え難い肉体の苦痛(2)死期の切迫(3)苦痛を除く手段が他にない(4)本人の明確な意思表示--という違法性阻却の4要件が今もさまざまな場面で援用されている。富山県射水市民病院で06年、患者7人の人工呼吸器を外したとして医師2人が殺人容疑で書類送検された事件(不起訴)後、厚労省が出したガイドラインも「医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断」とあいまいな内容にとどまっている。

 ◇一人一人が意識、法制化の土台に

 法制化の議論の中心は延命措置の不開始・中止の是非だ。松尾さん夫妻の場合、巻子さんはLWを作成していない。幸郎さんは延命措置を止めたら「罪に問われるかもしれない」と考えており、法制化に賛成の立場。県内のある医師も「本人が希望するなら延命措置をしなくても犯罪にならないと法律で担保してほしい」と漏らした。一方、法律ができると社会的弱者に死を迫る無言の圧力が生まれるという懸念が各国で出ている。医療現場には「しゃくし定規に決めた法律に制約される場面が出てくるかもしれない」という危惧もある。

 ただ、これらは終末期医療に直面した当事者の声であり、外への広がりが感じられなかった。29歳の私も、連載を担当していなければ死を意識することはなかっただろう。

 その理由の一つとして、カール・ベッカー京都大教授(62)=医療倫理学=は「みとりの場が在宅から病院になり、日本人にとって死が身近なものではなくなった」と指摘。「医療技術の著しい発展に伴い、死に方の選択肢が増えている。それらを整理し明確化する法律があれば、患者が望む終わり方をサポートできるのでは」と話す。

 大事なのは、家族で話題にしたり学校教育で触れたりし、一人でも多くが「最期の在り方」に向き合うこと。それが、法制化を含め、終末期患者の権利や意思を医療に反映できる仕組みの土台になる。重いテーマだが、目を背けるわけにはいかない。 
    --「記者の目:終末期医療と患者の意思=大森治幸(阪神支局<前富山支局>)」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。

-----

[http://mainichi.jp/shimen/news/20140417ddm005070004000c.html:title]

52_2
Resize0850

|

« 研究ノート:普通選挙に反対した山川均 | トップページ | 覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『不均衡という病--フランスの変容 1980-2010』=E・トッド、H・ル・ブラーズ著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。 »

覚え書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/55875588

この記事へのトラックバック一覧です: 覚え書:「記者の目:終末期医療と患者の意思=大森治幸(阪神支局<前富山支局>)」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。:

« 研究ノート:普通選挙に反対した山川均 | トップページ | 覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『不均衡という病--フランスの変容 1980-2010』=E・トッド、H・ル・ブラーズ著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。 »