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2014年4月

覚え書:言説としての差別放置識人

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差別放置知識人
 ヘイト・スピーチ規制の必要性が指摘される中、憲法学の多数説は「表現の自由だからヘイト・スピーチを処罰できない」としています。
 たとえば、長谷部恭男(東京大学教授)の『憲法・第五版』(新世社、2011年)は、表現の自由の優越的地位の根拠として、民主的政治過程の維持と個人の自立を検討した上で、合憲性の判断基準として過度の広汎性の法理、漠然性のゆえに無効の法理に言及した後、内容に基づく規制と内容中立規制に関連して、煽動と差別的言論について検討しています。長谷部は差別煽動について次のように述べます。
 「せん動が表現活動としての性質を持つことにかんがみると、『重大犯罪を引き起こす可能性のある』行為一般を広く処罰の対象とすることは、過度に広汎な規制となる疑いがある。……(中略)……ブランデンバーグ原則によれば、違法行為の唱導が処罰されうるのは、それがただちに違法行為を引き起こそうとするものであり、かつそのような結果が生ずる蓋然性がある場合に限られる。せん動が処罰の対象となるのは、犯罪行為を実行する決意を助長させただけではなく、せん動が行われた具体的状況において、重大な危害が生ずる差し迫った危険が存在したことを政府が立証した場合に限られるべきであろう」(同書201頁)。
 長谷部は積極的に差別を容認しているわけではなく、差別煽動を絶対処罰できないとしているわけでもありません。長谷部が述べているのは、アメリカ憲法判例理論に学んで、表現の自由と煽動処罰に関する一般理解はこうであるということだけです。そこにオリジナリティはありません。
 多くの教科書が長谷部と同様の記述をしており、この憲法学多数説を意識して、在特会は、表現の自由を呼号し、差別煽動処分規定のあいまいさを強調していることも明白な事実です。憲法学と在特会のコラボレーションが成立しているのでっす。
 憲法学だけではありません。赤木智弘(フリーライター)は「彼らの言葉はどんなに汚くても「言論」である。ヘイト・スピーチを法律で禁じようという議論もあるが、言論に法規制はなじまない。ヘイト・スピーチを「国籍や性別などの固有の属性に基づく差別」などと法で厳密に定義すれば、反対派による暴言は『定義に外れる』として許容されかねない。一方、定義をあいまいにしておけば、国家による表現の自由への際限ない介入を許す」と述べています(「毎日新聞」2013年6月19日)。
 天宮処凛(作家)は「彼らに掛ける言葉はない。右翼だったころの自分も『やめろ』と言われても行き場がなく『死ね』と言われるに等しかった。広い視野で社会を見てほしいと思う。私は左翼と憲法を討論することになって初めて日本国憲法をきちんと読んだ。反対側を見ればわかることもあるはずだ。法規制には慎重な立場だ。活動を顕在化させるだけで、根本的な解決にはつながらいのではないか」と言います(「毎日新聞」2013年6月27日)。
 さらに、山田健太(専修大学教授)は「日本は戦時中の思想・表現弾圧の歴史を経て、制裁無き表現の自由を憲法で保障している珍しい国。ナチスの歴史から人種差別思想を禁止している欧州的な感上げを突然導入にて法律を作るのは、日本に合わない。メディアの規範力によって守られてきた日本的な表現の自由の中で、差別的な表現をどう社会からなくすかを考えるべきだろう」と言います(「毎日新聞」2013年7月六日(ママ))。


日本国憲法に基づいた処罰

 ヘイト・スピーチ処罰の世界的動向を紹介してきました。それでも一部の法律家やジャーナリストは「表現の自由が大切だからヘイト・スピーチ処罰をしてはならない」と強弁します。表現の自由の意味を理解していないからです。
 第一に、日本国憲法二一条は「一切の表現の自由」を保障しているという理解です。日本国憲法第二一条一項は「集会、結社及び言論その他一切の表現の自由は、これを保障する」としています。「その他一切」とは、集会、結社及び言論、表現と並列して記されているもので、表現手段の差異を問わないという趣旨です。何でもありの無責任な表現の自由を保障する趣旨ではありません。そのような解釈は憲法第一一条と第九七条を無視するものです。
 第二に、歴史的教訓です。国際人権法や欧州の立法は、二つの歴史的経験に学んでいます。一つは、ファシズムが表現の自由を抑圧して、戦争と差別をもたらしたことことです。もう一つは、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害のように、表現の自由を濫用して戦争と差別がもたされたことです。両方を反省しているから、国際自由権規約第一九条は表現の自由を規定し、同二〇条が戦争宣伝と差別の唱道を禁止しているのです。日本では、前者ばかり強調し、後者の反省を踏まえようとしません。
 第三に、表現の自由の理論的根拠です。一般に表現の自由は、人格権と民主主義を根拠とされます。それでは新大久保に大勢で押し掛けて「朝鮮人を叩き殺せ」と叫ぶことは、誰の、いかなる人格権に由来するのでしょうか。日本国憲法第一三条は人格権の規定と理解されています。第一三条を否定するような殺人煽動を保障することが憲法第二一条の要請と考えるのは矛盾しています。第二一条よりも第一三条が優先するべきです。民主主義についても同じです。「朝鮮人を叩き出せ」と追放や迫害の主張をすることは、欧州では人道に対する罪の文脈で語られる犯罪です。これこそ民主主義に対する挑戦です。
 第四に、法の下の平等を規定する憲法一四条を無視してはなりません。「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とする第一四条は、日本国籍者だけではなく、日本社会構成員に適用される非差別の法理です。第一四条が第二一条より優先することも言うまでもありません。
 日本国憲法は、人格権、民主主義、法の下の平等、表現の自由を保障していますが、その具体的内容はそれらの合理的バランスの下に保障する趣旨です。人格権、民主主義、法の下の平等を全否定する「差別表現の自由」が保障されるはずもないのです。
    --前田朗「ヘイト・スピーチ処罰は世界の常識」、前田朗編『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか 差別、暴力、脅迫、迫害』三一書房、2013年、181-182頁。

 

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『軍隊を誘致せよ 陸海軍と都市形成』=松下孝昭・著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『軍隊を誘致せよ 陸海軍と都市形成』=松下孝昭・著
毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊

 (吉川弘文館・1944円)

 大日本帝国の時代、国民にとって軍隊は現代よりずっと身近な存在だった。大きな戦争がたくさんあり、徴兵令もあった。その時代、地域や自治体は軍隊とどうつきあったのか。本書はその関係を明らかにした。

 明治期が主な分析対象だ。陸海軍、特に陸軍は国内で拡張を続けた。軍隊を誘致できれば、そこには巨大な消費が生まれ、インフラが整備される。自治体や地域住民らにとって、地域振興の「切り札」であった。誘致合戦は過熱した。軍に土地の無償寄付や、兵舎建設費の全額負担を申し出る自治体もあった。

 著者によると、戦後長く、日本の歴史学界や自治体史の叙述で、軍隊と地域社会の関係が述べられることは少なかった。戦禍の記憶が生々しく、基地反対運動など「反戦」活動が元気だった時代、戦前に自治体や住民と軍隊が共存共栄していたことに目を向けにくかったのか。

 だが近年、荒川章二・国立歴史民俗博物館教授や著者らによって、ようやく研究が盛んになってきた。基地を誘致したことによって、結局だれが得をして、損をしたのか。現代のまちづくりにどうつながったのか。研究の進展を待ちたい。(栗)
    --「今週の本棚・新刊:『軍隊を誘致せよ 陸海軍と都市形成』=松下孝昭・著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140427ddm015070025000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『鄙の宿』=W・G・ゼーバルト著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。


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今週の本棚:若島正・評 『鄙の宿』=W・G・ゼーバルト著
毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊

 (白水社・3024円)

 ◇個人的体験に根ざした壮大な幻視

 <ゼーバルト・コレクション>全七冊の最終巻として刊行された本書『鄙(ひな)の宿』は、ゼーバルトが生涯にわたって関心を寄せつづけた作家や画家たちを論じた文章六篇を集めたものである。ゼーバルトの読者なら、彼の作品が小説というよりはただ単に散文としか呼べないことを知っているし、そしてまた、呼吸をとめて水中にもぐっているような、思考の運動がそのまま文章になった、あの息の長い独特の文体も知っている。そうしたゼーバルト読者から見れば、この『鄙の宿』も他のゼーバルト作品とそれほど差はなく、エッセイ集だからといって肩の力を抜いているわけではけっしてない。そこにはやはりゼーバルト独特の強度を持った文章があり、ゼーバルト的瞬間と呼ぶしかないものがある。

 一人の作家を描くときに、ゼーバルトはその作家が生き、そして死んだ時代も描こうとする。それはゼーバルトにとって、つねに具体的な手触りのあるものだ。そうして彼は、作家の体験をみずからも追体験しようとする。たとえばジャン=ジャック・ルソーを論じた「この湖が大西洋であってくれたら」は、ルソーがフランスを追われて逃れてきたサン・ピエール島に、ゼーバルトも渡ってみた、その体験記でもある。はるかな過去に生きた一個人を追ううちに、それが現在にも通じる大きな歴史の流れへとつながり、さらには国境を越えた問題へとつながっていく、ゼーバルトの作品世界はそのように準備される。

 その意味で、ローベルト・ヴァルザーを論じた「孤独な散歩者」は、ゼーバルト的瞬間に満ち、本書の白眉(はくび)であると断言してさしつかえない。長年にわたってヴァルザーをつまみ読みしてきたというゼーバルトは、「そうやって断続的にヴァルザーの書きものを手にするのと同じぐらいの頻度で、彼の肖像写真をしげしげと眺める」と書く。奇妙な趣味だと思ってはいけない。書いたものと同じくらいに、肖像写真はゼーバルトにとって、その人間の秘密へと至る通路なのである。ヴァルザーが散歩している写真から、ゼーバルトは子供の頃によく一緒に散歩した祖父のことを思い出す。そして、同じ年に亡くなったという事実をはじめとして、ヴァルザーと祖父に不思議な一致点がいくつかあることも。そうした小さな偶然の積み重なりが、次第に大きな必然を描き出す。そういう個人的な体験に根ざした壮大な幻視によって得られるのが、傑作『アウステルリッツ』を代表例とする、ゼーバルトの作品世界である。

 ゼーバルトが手にしているのは、「空間も時間も超えて一切がいかに繋(つな)がりあっているか」という認識だ。「ヴァルザーの散歩と私自身の遠出が、誕生の日と死去の日が、幸福と不幸が、自然の歴史と産業の歴史が、故国の歴史と亡命の歴史が」。孤独な散歩者ヴァルザーが道の先に見ていた景色は、ゼーバルトが見ている景色と重なる。そしてさらにその視線の先には、ルソーが見ていたサン・ピエール島の景色がある。こうして本書は、別々の対象を論じているように見えても、実はそれが一つのヴィジョンで貫かれていることが明白になる。卑小な人間は、卑小であるがゆえに大きな存在でもあることが明白になる。自分が過去の人物たちや物たちを見ているのではなく、彼岸から見られているような感覚。それがゼーバルト的瞬間の一つであり、その瞬間に、ゼーバルトは現代に生きていた、そして今なおわたしたちの現在に生きている、歴史の語り部になる。(鈴木仁子訳) 
    --「今週の本棚:若島正・評 『鄙の宿』=W・G・ゼーバルト著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:富山太佳夫・評 『シェイクスピアの自由』=S・グリーンブラット著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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今週の本棚:富山太佳夫・評 『シェイクスピアの自由』=S・グリーンブラット著
毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊

 (みすず書房・4752円)

 ◇現代思想を駆使、縦横無尽な批評力

 シェイクスピア? 今更?、と言いたくなるかもしれない。翻訳は何種類もあるし、舞台でも上演されるし、大学で読み方を教わるし、研究だってうんざりするほどある。それなのに、また?、と言われそうな気がしないでもない。

 この手の本は--よくぞ『シェイクスピアの自由』などというタイトルをつけたものであるが--それを構成する各章のタイトルを見るだけで、おおよそその内容が分かるので、てっとりばやくその紹介をしてみることにしよう。それから、五つの章の冒頭も(ものによっては、と言うよりも、多くの本はそれだけで大体の内容とレベルが分かるのだ。書店で本を買うときには、大抵のひとがこれをやっているはずである)。

 まず第一章のタイトルは「絶対的な限界」。その書き出しは、「作家としてのシェイクスピアは、人間の自由を体現している」。この単純な書き出しからすると、この著者は紋切り型の単純な人物であるか、その逆であるように感じられる。

 次の第二章は「シェイクスピアにとっての美の徴」。本のタイトルにこの劇作家の名前が入っているのだから、ここでまた繰り返さなくてもいいはずなのに。その書き出しは、「レオン・バッティスタ・アルベルティは、『建築論』の中の、のちに大きな影響を及ぼすことになる一節で、美とは……」というもの。この章では、『顔相学』の本も使われ、珍しい図版も出てくる。シェイクスピアの描いた顔の文化史でもある。

 第三章は「憎悪の限界」。ここは、「状況は以下の通りである。国の中に一つの見苦しいしみ、私たちが本能的にそれから目を逸(そ)らす一つの増殖体がある」と始まる。カール・シュミットの話もでてくる。そして黒人やユダヤといった「異邦人」の話がでてくる。

 第四章のタイトルは「シェイクスピアと権力の倫理」。その書き出しは、「一九九八年、友人で当時合衆国の桂冠詩人を務めていたロバート・ピンスキーが、ホワイト・ハウスでの詩の朗読会に招待してくれた。……その際に、クリントン大統領が開会の式辞を述べた……この時期は、モニカ・ルインスキーとの情事のうわさが流れ……」。唖然(あぜん)としてしまうしかない。それと同時に、エリザベス女王の時代から、それ以前の時代から、現代までをかけめぐりながらシェイクスピアを読んでいく批評力に、私は改めて感心してしまうしかない。

 第五章は、「テオドール・アドルノにつきまとった鬼火ともいうべき『芸術の自律性』という言葉は、珍しい表現を好んで用いたシェイクスピアでも、とても出会うことの出来なかった熟語だろう」と始まる。アドルノは勿論(もちろん)二〇世紀ドイツを代表するマルクス主義者。フランスのピエール・ブルデューも登場する。そうした現代の思想を活用しながら、シェイクスピアは「文字通り己れの全てを娯楽産業に……投資したのである」と解釈し、「役者と中央集権化された国家の新しい支配者たち」の間の独特のつながりに眼(め)を向けることになる。この天才的な劇作家にとって自律性とは一体何だったのだろうか。それを問う著者がこの章につけたタイトルは、「シェイクスピアにとっての自律性」。

 現代の文学理論に通じ、新歴史主義と呼ばれる方法を確立したアメリカの偉大な研究者の手になる一冊である。博識で、笑いにくいユーモアと、数多くの引用のあふれる本である。(高田茂樹訳) 
    --「今週の本棚:富山太佳夫・評 『シェイクスピアの自由』=S・グリーンブラット著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・情報:横浜で太宰治特別展」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。


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今週の本棚・情報:横浜で太宰治特別展
毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊

 特別展「生誕105年 太宰治展--語りかける言葉」が横浜市中区山手町の県立神奈川近代文学館で開かれている。太宰の旧制中学・高校時代のノートや遺品のマントなど貴重な資料を展示。5月3日には東京大教授による講座(料金800円)、同18日には作家の川上未映子さんらによるトークイベントもある(同1000円)。展示観覧料は一般700円。同25日まで。 
    --「今週の本棚・情報:横浜で太宰治特別展」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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書評:小川原正道『日本の戦争と宗教 1899-1945』講談社、2014年。

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小川原正道『日本の戦争と宗教 1899-1945』講談社、読了。本書は戦前日本の宗教政策を踏まえた上で、戦争と宗教の関わりについて俯瞰する一冊。キリスト教が公認された1899年から太平洋戦争の終結まで、宗教横断的に、宗教と政治の関わりを明らかにする。

仏教、神道がの積極的関与はよく知られているが、公認後も絶えず迫害の対象となったキリスト教においても協力事例が散見される。三教会同が近代日本の宗教の社会性を規定したが、垂直的な現世批判の論理はいずこへ。歴史に学ぶ必要性あり。

警世の反戦論に宗教の例外はほとんど無い。しかしその担い手は全て「個人」である。暴挙再来の時、「宗教者たちは、あるいは我々日本国民は『殉教』の担い手たり得るのか」。その余韻は重苦しく鳴り響き続けている。

歴史的検証と批判に躊躇する必要はない。しかし鬼の首を取るかの如きはコンテクストを理解しない軽挙妄動であるのも事実だ。宗教私学の恭順の歴史は確かに「敗北」でえある。しかし、国家に勝利するためには「場」の維持も必要だからだ。

殉教したのは僅かである。しかし「反体制的・反社会的とみなされた宗教団体の存在が、「協力的」で「安全」な宗教の動員による国民強化という国策を海だし、そこに賛同した宗教団体には非課税特権が与えられた」。「相互依存」である。
 


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覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『中高生のための「かたづけ」の本』=杉田明子・佐藤剛史著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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今週の本棚:荒川洋治・評 『中高生のための「かたづけ」の本』=杉田明子・佐藤剛史著
毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊

 (岩波ジュニア新書・907円)

 ◇意識変え、未来をつくる手順と心得

 「今、あなたの部屋はかたづいていますか?」

 ハイ、と胸を張れる人は少ないだろう。十代向けだが、大人にも有益な一冊である。「あなたの部屋は、今のあなたそのままです」とはわかっていても、整理、整頓は面倒。外からは見えないから、ちらかしてもぜんぜん平気。それで「かたづけ」は夢物語に。

 では「かたづけ」のゴールはどこか。スーパーマーケットのように、どこに何があるかがわかる状態。「あなたの部屋の中、もしくはあなたの持ちモノすべての収納場所を三秒以内で答えられる」こと。

 そうでないと、さがしもので時間をとる。身辺も、この先の自分も見えないことに。「かたづけ」をすれば、「生活の変化、意識の変化、人生の変化」が起こる。手順は、次の通り。

 「出す」(すべてのモノをいまの場所から外に出す)→「分ける」(同じモノを一カ所に集める)→「選ぶ」(捨てられないモノは「迷いのエリア」へ)→「収める」。この本は、四月一八日発売だが、ぼくは二カ月ほど前の近刊予告で、題名を知った。この本がどういう内容になるかを想像し、発売に臨んだ。実際に読んでもっとも意外だったのは「分ける」の段階。

 鉛筆なら鉛筆、クリップならクリップと分けるとき、「あ、これは、いらない」と捨てたいところだが(ぼくはいつもそう)、その場で捨てずに、ひたすら分類。そうすると「自分がどんなモノを溜(た)め込みがちなのか、どれくらいの量のいらないモノを持っていたのか」を「知る」。自分を「知る」ことはそのあとモノを買うときに役立つのだ。「捨てたい気持ちもグッとおさえて、作業を進めてください」。はい。

 昔はモノがなかった。だから捨てることは「もったいない」とされた。「しかし今では、その時代を経験してきた人でも、ひたすらモノを溜め込む一方で、使いきれなくなっている」。「使い切る速度よりも、モノが溜まる速度のほうが速い」のだ。

 「だからこそきちんと家の中のモノをすべて出して、分けて、しっかりと自分で選んで、自分の選んだモノで生活する! という体験をしてもらいたいのです。」

 この「出す→分ける→選ぶ→収める」手順は、文章を書くときの起承転結に隣りあうものだとふと思った。そうなると話はさらに深遠。

 それはともかく、早いうちから「かたづけ」の練習をすること。それをしないと、いまの自分だけではなく、あとの人生にひびくことになる。本書は「収める」の先にあるものとして「出口」を考えるべきだと説く。ひとつのモノ、ひとつのことがらが、最終的にどのようなところへ出ていくのか。最終形を思い描く想像力は「かたづけ」によって、つちかわれる。自分の部屋の問題ではない。空間認識、人間関係、仕事の効率、社会全体に及ぶ。

 その流れや道筋も、著者の体験をもとに記されている。「かたづけ」は人生の基点であり、要なのだ。「かたづけ」だけの問題と、かたづけるわけにはいかないのだろう。

 心がかげったり、落ち込んだりしたとき「かたづけ」で晴れやかになり、未来が見えてくる点にもふれる。「収める」つまり収納では、「間(ま)を取る」という指摘も。先日ぼくは書棚の一段を思い切って「空白」にしたら風景が変わり周囲がとても心地よいものになった。もしかしたらあれかなと思った。「かたづけ」には、いいこと、楽しいことがいっぱいあるのだ。
    --「今週の本棚:荒川洋治・評 『中高生のための「かたづけ」の本』=杉田明子・佐藤剛史著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:江國香織・評 『新しいおとな』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。


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今週の本棚:江國香織・評 『新しいおとな』=石井桃子・著
毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊

 (河出書房新社・1728円)

 ◇すべての大人の課題図書にしたい

 すっきりしたブルーの表紙カバー、「新しいおとな」という小気味のいいタイトル、なんて颯爽(さっそう)とした本だろう。石井桃子以前と以後で、日本の子供の本棚に雲泥の差ができたことは周知の事実だが、この本にはその事実の断片が、丁寧に、清潔に書きつけられている。

 初出のいちばん古いものは一九四一年、いちばん新しいものが二〇〇七年なので、六十六年分の断片ということになる。六十六年! 一冊のエッセイ集に流れる時間としてはかなり長いし、そのあいだには、日本人の暮らしぶりも、子供をとりまく環境も、大きく変化している。でも--。この本に登場する子供たちはいまの子供たちとちっとも変わらないように見えるし、ここにでてくる、子供たちの好きな本は、いまもちゃんと書店にならんでいる。いいものがどんどん手に入りにくくなっている、大人の本の世界とは大違いだ。

 ファンタジーとは何かをめぐる一章がすばらしい。「ファンタジーとは現実には存在しないふしぎのあらわれてくる物語だ」とした上で、子供は「すぐさま、いろいろなことをおぼえ」、そういうふしぎが現実とは違うことを知るのだが、だからといって、そういう「架空な世界」と「縁を切るわけではありません」、と石井桃子は書く。「子どものなかにはそのようなふしぎを半ば信じ、半ば望む気もち、そうであるふりを楽しむ気もちなどがいりまじって住んでいるからです」、と。

 そうであるふりを楽しむ気もち!なんていう余裕、なんていう大人っぽさ、なんていうエピキュリアンぶりだろう。大人たちも見習うべきだ。

 ここには実在の子供たちの、興味深く魅力的なエピソードが幾つもでてくるのだが、その一つに、英語で書かれた絵本を「ぼく、ほら、読めるよ」と言った男の子の話がある。一度(その場で日本語に訳してもらい)、読んでもらったその本を、彼はもちろん「読める」のであり、それは文字ではなく物語を、具体的に言えば絵を、読んでいるのだ。そうやって絵を「読む」とき、そこに言葉は発生するのであって、それは、言葉を覚えるのとは全然べつなことだ。たとえば、「おうまパカパカ」という紋切り型の一文からさえひらけ得る光景の描写--。

 この本には、子供と本をめぐる豊かで幸福なことがたくさん書かれている。けれどその一方、いま読むと不穏な予言のように思えることもまたいろいろ書かれている。大学入試に親がつきそっている写真を新聞で見た著者の、「入学試験は、いかにつらくとも、おそろしくとも、若者の一人一人が、キンチョウして、単身出かけたほうが、りっぱではありませんか。それに、それが、あたりまえのことではありませんか」という噛(か)んで含めるような言葉や、「ベストセラー」という一編にでてくる「不信の念」とか「不審」という言葉、「戦後の子どもは、えたいの知れないものに育ちあがるんじゃないだろうか」という誰かの発言について書かれた言葉、などなどを読むと、それらの書かれたのが随分前であることに驚くと同時にぞっとして、いまこそ、いまこそ、多くの人にこれを読んでほしいと、どうしたって私は思ってしまう(ついでに言うと、「本をつくる」「秘密な世界」「本をつくる人」はぜひ編集者に読んでほしいし、「著者と編集者」を読むと、書き手である私は反省せざるを得ない)。

 あー、もし私に権力があったら、この本をすべての大人の課題図書にするのになあ。
    --「今週の本棚:江國香織・評 『新しいおとな』=石井桃子・著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『セラピスト』=最相葉月・著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。


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今週の本棚:池澤夏樹・評 『セラピスト』=最相葉月・著
毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊

 (新潮社・1944円)

 ◇孤立に寄り添い、心の動きを客観視

 心の動き、心のふるまいは外部から説明できるものだろうか?

 我々は日々自分でことを決めて生きていると思っている。しかしそれは安定したものではなく、破綻することも少なくない。実際の話、人はしばしば心の病理と対面する。

 心の動きを外部から説明するとは、つまり心を客観視するということだ。破綻に対して効果のある働きかけの方法を見つけ出す。

 ぼくには心は小さな窓がいくつか開いた家のように見える。ブラック・ボックスで、中の仕掛けはわからない。入ってゆくものがあって出てくるものがあるだけ。窓から覗(のぞ)いても内部の狭い範囲しか見えない。

 人のことを言っているのではない。自分の心もそういうものとしか思えないのだ。

 これは心の中の仕掛けを解明しようとした人たちの努力の成果についての報告である。

 まず著者自身。心理療法とは何かを知りたくて、セラピストに取材し、自分でもセッションを受け、更にセラピスト養成のコースに参加する。その一方で文献を博捜して歴史を辿(たど)り、先駆者たちの足跡を追う。

 仰ぐ師は河合隼雄と中井久夫(この二人の名、母音の配列がほとんど同じだが、これにユング的な意味はないか、とぼくの「心」は惑う)。

 心を病む人は言葉を失うことが多い。どこをどう病んでいるかを知ろうにも問診という手段が使えない。そこで、砂を敷いた平たい箱の中に小さな家や木や人を並べて風景を作る箱庭療法や、心の促しに沿って風景を描く絵画療法が用いられる。

 著者自身が中井久夫の絵画療法を受けた話が「逐語録」としてまず出てくる。読んでいると自分のことのような臨場感がある。これと並行して、療法に効果があった実例が紹介される。箱庭療法で、「注意力が散漫で学校でけんかばかりする小学生の男の子は、始めのうちは怪獣や動物が入り乱れる激しい戦闘場面ばかり作っていたが、回を重ねるうちに穏やかになり、土地を耕す風景を作ってカウンセラーのもとを去っていった」という。

 あるいは三十六歳で視力を失った女性。河合隼雄の講演を聞いて河合の弟子にあたるカウンセラーのもとへ赴く。実年齢の本来の人格と失明を機に生まれた幼いわがままな人格が心の中で対立する。これをなんとかしなければというのが動機。

 手探りで砂にさわり、人形や模型を選んで箱庭を作った。五年に亘(わた)る十五回のセッションで、幼いわがままな人格は小学生になり、思春期を経て、大人になった(この比喩はとてもわかりやすい)。その間、「箱庭は杖であり、道標であり、暗い道を照らす灯(あか)りだった」という。

 だからといって、箱庭療法や絵画療法は「効く」という単純な結論には至らない。この失明した女性のケースを著者は二十二ページを費やしてていねいに紹介する。その間ずっと、心とは何かという根源的な問いが並走している。

 この人の手法の基本は科学である。事例を集め、検証し、その積み重ねの中から仮説を立てて真理を見出(みいだ)す。注意深く偽物を排除する。そのためにセラピスト養成コースに参加し、中井久夫の絵画療法を受ける。最後にはカウンセラーとして中井久夫に絵画療法を施す(相互の施療は心理療法の世界では珍しいことではないらしいが)。

 河合と中井について言えるのは、二人ともビッグネームでありながら権威主義のかけらもないこと。前記の失明女性は河合の講演を聞いて「こんなにわかりやすい日本語で話す人はそうはいない、と思った。なんてあたたかくて、おもしろいおっちゃんだろうと親しみを覚えた」と言う。中井は著者によるたどたどしい絵画療法を受けた後で無防備に寝てしまった。

 しかしその前に二人は大事なことを話している。

 絵画や箱庭の治療に効果があるのはそれが物語を紡ぐことだからか、という問いに中井はそこには無理があると答えて、「言語は因果関係からなかなか抜けないのですね」と言う。

 描かれた絵を心の物語の挿絵にしてしまってはいけない。村上春樹は河合隼雄と親しかった。彼の物語はあちこちに謎が残る。ひょっとして彼は物語を書きながら因果関係を抜けだそうとしたのではないか。『ねじまき鳥クロニクル』を大がかりな箱庭療法・絵画療法の成果と考えるとつじつまが合うのだが。

 現実に戻れば、心の病が時代と共に変わっていっているという話は深刻だ。今の学生は自我が確立していないから悩むこともできない。煩悶(はんもん)の前にいきなり自傷。その一方で発達障害が多くなった。対人恐怖がなくなって代わりに引きこもりが増えた。社会相の変化が新しい病を生む。

 読み終わって、ぼくの「心」イメージは変わった。小さな窓のあるブラック・ボックスだが、固い四角いものではなく柔らかな不定形。

 孤立に対して寄り添うことには効果がある。寄り添う人がセラピストなのだ。
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『セラピスト』=最相葉月・著」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140427ddm015070034000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『JR上野駅公園口』 著者・柳美里さん」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『JR上野駅公園口』 著者・柳美里さん
毎日新聞 2014年04月27日 東京朝刊

 (河出書房新社・1512円)

 ◇千差万別の「痛み」救えるか--柳美里(ゆう・みり)さん

 「私の場合、物語は必ず『痛み』の中から立ち上がるんです」。2006年、東京・上野公園のホームレスの人々を取材した。元は出稼ぎで、東北出身者が多いと知った。その際、一人の男性が両手で三角屋根を作ってみせ、「ある人には、ない人の気持ちは分からないよ」と言った。「家」すなわち帰る場所。「拒絶を感じて返す言葉がなかった。私自身、崩壊した家庭で育ち、家出もしたけれど……」

 彼らの痛みを心に抱えながら時間はたち、11年に東日本大震災。直後から原発周辺に通い、翌年からは福島県南相馬市の臨時災害ラジオ局の番組でパーソナリティーを務め、地元の人の話に耳を傾けてきた。津波や原発事故で避難を余儀なくされた人と、上野公園のホームレス--。両者の痛みをつなぐ小説の着想を得た。それは、死者も生者も混然一体の世界になった。

 主人公の男は1933年、現在の南相馬市生まれ。63年、出稼ぎのため上野駅に降り立つ。<東京オリンピックで使う競技場の建設工事の土方として働いた。オリンピックの競技は何一つ見なかった……>。60年生まれの息子は21歳で先立ってしまう。男はやがて上野公園でホームレスになる。男は現在、既に死んでいるようだが、しきりに公園をさまよい、来し方を思う。男の生年は天皇陛下、息子のそれは皇太子殿下と同じだ。物語に流れる2本の川の断絶はあまりに深い。

 息子に親、妻、仲間たちの死に満ちた物語は、聞こえの良い言葉も、安直な救いも徹底的に拒絶する。むしろ、「3・11」「故郷の喪失」などと、かぎ括弧でくくってしまう言説が暴力だと教えてくれる。痛みに苦しむのは千差万別の個人なのだと。「『一人』を救い出すのが、作家と小説の仕事だと思うのです」。読む者はそっと背中を押されると同時に、傍観者ではいられなくなるだろう。

 物語は、津波のシーンまでしか描かれていない。だが私たちは、直後に原発事故が起こり、次の東京五輪開催が決まったと知っている。また使い捨てられる人を生むのでは? 「私は、たった一人でも仮設住宅で観戦する人がいたとしたら、オリンピックは失敗だと思います」<文と写真・鶴谷真>
    --「今週の本棚・本と人:『JR上野駅公園口』 著者・柳美里さん」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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書評:宮崎幸江編『日本に住む多文化の子どもと教育 ことばと文化のはざまで生きる』上智大学出版、2013年。


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宮崎幸江編『日本に住む多文化の子どもと教育 ことばと文化のはざまで生きる』上智大学出版、読了。本書は、日本で育つ多文化の子どもたちの持つ「ことばの力」と「多文化アイデンティティ」の形成をどう支えていくのか、読者と共に考える論集。海外に行かなくても「文化的多様性」は身近に存在する。

第1部で多文化の子どもの母語とアイデンティティの問題に焦点を、第2部では多文化共生と教育の関係について論じる最後に執筆者との対談を掲載し、多文化の子どものもつハイブリッドなアイデンティティを社会で活かす方途を辿る。

「多文化を持つ人たちと接するということが自分の枠を外すことにつながる」(宮崎)。編者もこの研究を通して考え方やものの見方が変わったという。学びは学校の外にあるだけでなく、このことは日本の子どもにとっても大切なことである。 


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覚え書:「わが恋せし女優たち [著]逢坂剛・川本三郎」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。


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わが恋せし女優たち [著]逢坂剛・川本三郎
[評者]エンタメ  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

 サスペンス映画や西部劇に関する共著もある2人が、ごひいきの映画女優について語り合う。総勢276人。逢坂氏所蔵のブロマイドやスチール写真で紹介されるのは、彫りが深くて目元ぱっちりの美女、美女、美女。ヤマザキマリ氏言うところの我ら「平たい顔族」と遠く隔たった容姿に息をのむ。
 とはいえ、とりわけ愛情をもって語られるのは、オードリーはオードリーでもヘプバーンではなく「拳銃の町」のロングだったり「罠(わな)」のトッターだったり。知名度は低くても美しい残像を刻んだ女優たちに寄せられた「私にも少し付き合えそう」「品のいい、そのくせちょっと色っぽい」といった寸評から、女性読者も男心のツボが学べる、かも。(七つ森書館・1944円)
    --「わが恋せし女優たち [著]逢坂剛・川本三郎」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「図説 人体イメージの変遷 西洋と日本 古代ギリシャから現代まで [著]坂井建雄 [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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図説 人体イメージの変遷 西洋と日本 古代ギリシャから現代まで [著]坂井建雄
[評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]科学・生物 ノンフィクション・評伝 


■自らの内側をどう描いてきたか

 人はみずからの〈内側〉を、どのように描いてきたのか? 著者が収集した古今東西大量の人体解剖図の特徴を、編年的に総覧したのがこの本だ。百数十点の図版を眺めているだけでも、描き手が何を考えながら人体図を描いていたのか、精細で壮観な図に込めた彼らの思いが気になってくる。
 前半ではヴェサリウスやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ビドローなど、ヨーロッパの素材を中心に、CTを使った現代までの解剖図/写真が集められており、技術の進歩とともに図版が精密になっていく様がよくわかる。一方でそれは〈人体〉が喪失されていく過程でもあるようだ。
 最後の第4部は日本の解剖図について。西洋と比べると解剖場面を描かないとか、遺体を遺族に返却するとか、いろいろな違いが指摘されていて興味深い。
 淡々と素材が並べられているという趣の本なので、読者が人体や死についてのイメージを描く材料として役立つだろう。
    ◇
 岩波現代全書・2268円
    --「図説 人体イメージの変遷 西洋と日本 古代ギリシャから現代まで [著]坂井建雄 [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「田原詩集 [著]田原」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。


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田原詩集 [著]田原
[掲載]2014年04月20日   [ジャンル]文芸 


 愛称はでんげんさん。中国河南省生まれの詩人田原(ティエンユアン)は、谷川俊太郎の詩を通して日本語に目ざめ、日本語で詩作をつづける。十数年にわたる詩業が205冊目の現代詩文庫にまとまった。最もよく知られる作品は、中国の四川大地震の後に書かれた「堰(せ)き止め湖」だろう。大地が千年に一度の大暴れをした後、突然現れた反逆者=堰き止め湖に、万感の思いをこめ、「お前は天と高さを競おうというのか」と語りかける。
 H氏賞詩集『石の記憶』に、「中国語は硬の中に軟がある。……日本語は柔の中に剛がある」と記す。漢字やひらがな、カタカナ、ローマ字を自在に使いわける日本語に開放感を見いだし、母語の閉鎖性が解放される気がしたという。(思潮社・1404円)
    --「田原詩集 [著]田原」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く マイケル・スウェイン、米カーネギー国際平和財団上級研究員」、『毎日新聞』2014年04月24日(木)付。


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どう動く:集団的自衛権・識者に聞く マイケル・スウェイン、米カーネギー国際平和財団上級研究員
毎日新聞 2014年04月24日 東京朝刊

(写真キャプション)米首都ワシントンでインタビューに答えるカーネギー国際平和財団のマイケル・スウェイン上席研究員=4月16日、西田進一郎撮影

 ◇利点と限界、理解を

 「中国が台湾に軍事行動をとる『台湾有事』というシナリオがある。その場合、米国にとって中国と衝突、対決するのは最悪のケースだ。在日米軍との関連で、日本が米国を支援することが不可欠だ。米国の司令官や指導者が、そうした状況で日本が確かな行動をとると想定できれば、中国に抑止のメッセージを送ることにもなる。

 中国は、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈変更は日本の軍事拡張の始まりであり、最終的には平和憲法を捨てるのではないかと考えている。これはゆがんだ見方であり、日本の政治、経済両面から考えて、可能性は極めて低い。ただ、中国がなぜ懸念しているのかは分かる。台湾有事が優先順位の第1位だからだ。(沖縄県の)尖閣諸島を巡る有事よりも台湾有事だ」

 中国は台湾を「核心的利益」と位置付ける。米海軍の西太平洋への接近を阻止し、領域への介入を拒否する戦略(A2AD戦略)のもとで軍事力を拡大している。安倍晋三首相は2月10日の衆院予算委員会で「北朝鮮が米国を攻撃したとして、北朝鮮に武器・弾薬が運ばれるのを阻止できるのに、阻止しなくていいのか」と答弁。集団的自衛権の行使が必要な例として北朝鮮を挙げたが、台湾有事にはこれまで言及していない。

 「集団的自衛権は非常に大きな領域だ。日本の安全保障に影響を与える有事への日米共同対処の際に、日本はより自由で柔軟な作戦運用が可能になる。あくまで一定の限られた条件の下で、日本が集団的自衛権を行使できるようになるのはいいことだろう。特に『国際的な支持』が基本線だ。

 米軍と自衛隊による共同パトロールといったことは、日本の政治的文脈上、不可能だ。現在の中国や西太平洋の状況を考えると、日米双方にとって有益とも思わない。それによって解決されること以上に、大きな問題を生む」

 集団的自衛権の行使容認について、米海軍制服組トップのグリナート作戦部長は昨年5月の講演で、「日米合同の空母機動部隊を作ることもできる」と語った。西太平洋からインド洋に展開する米軍最大の「第7艦隊」の空母機動部隊に、海上自衛隊の護衛艦が加わる構想だ。しかし、日本国内では、集団的自衛権に基づく海上交通路(シーレーン)防衛には慎重論も根強い。

 「集団的自衛権の行使容認にあたっては、日米双方がその利点と限界を明確に理解し、高い透明性がなければならない。また、さまざまな不測の事態への対応計画において、憲法解釈変更が現実に何を意味するのかをかなり協議しなければならない。

 解釈変更を待たずに話し合えるものもある。例えば、尖閣を含む特定の不測の事態にどう対応するかを議論することだ。それは、互いにより大きな理解を得るうえで非常に有用だ」

 ヘーゲル米国防長官は今月上旬に日本や中国を訪問した際、尖閣諸島が対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用範囲であり、米国が防衛義務を果たすことを強調した。首相とオバマ大統領の24日の会談でも、尖閣問題や集団的自衛権は主要な議題の一つになる。【構成・西田進一郎】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇Michael D.Swaine

 1951年生まれ。ハーバード大で博士号を取得。中国の国防・外交政策や米中関係が専門。昨年、西太平洋の安全保障環境を分析した「2030年の中国の軍事力と日米同盟」の研究成果を発表した。 
    --「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く マイケル・スウェイン、米カーネギー国際平和財団上級研究員」、『毎日新聞』2014年04月24日(木)付。

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書評:伊藤真『現代語訳 日本国憲法』ちくま新書、2014年。


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伊藤真『現代語訳 日本国憲法』ちくま新書、読了。本書は長らく法曹教育に携わってきた著者による日本国憲法と大日本帝国憲法の現代語訳。近現代日本の性格を規定した二つの憲法を読み返すことで、この国の過去、現在、未来が浮かび上がる。条文ごとに解説付き。憲法の基礎的知識習得の上で必携の一冊。

例えば11条~「国民は誰でも、すべての人権をもっている。このような人権は、公権力によって侵されてはならいものであるし、人間として生まれた人、またこれから生まれてくる将来のすべての人に与えられる永久のものである」(基本的人権の性質)。

巻末訳者解説では近代国家と立憲主義について言及。立憲主義は「当たり前」過ぎるから改めて解説されることが少ない。要は「憲法の価値は個人の尊重(尊厳)にあり、憲法は国家を縛るための道具」。個人を束縛する法律と国家を束縛する憲法は矢印の向きが逆。

民主主義国家は、国民の多数意思に従って政治的な決定が下される。しかし多数派が常に正しいとは限らないから、人間の弱さに着目する必要がある。いわばあらかじめ歯止めを掛ける仕組みが必要であり、それが憲法。国家権力の制限こそ民主的正当性を確立する。

憲法は国家の基本法だから、文化や道徳を盛り込むべきだとの声も多いが、憲法の役割は「自由のために権力を縛る道具」に過ぎないから、「国の形を書けばそのとおりに実現される魔法の杖」ではない。倫理的な価値は押しつけるものではなく内発性が重要になる。

自分たちの生まれ故郷を縛るのはおかしいとの立憲主義批判がある。しかし、立憲主義的拘束対象の「国」とは、カントリーではなくステートとかガバメント。人為的に作った権力主体と郷土を錯覚することなく、機能としての国家理解から始める必要がある。

立憲主義は「人間が間違いを犯す生き物である」という真理に対する謙虚さの現れであり、その内実としての平和主義も「人類の英知の結晶」。決して西洋の借り物でなく、日本の伝統にも根ざすもの。易きに流れず原点にたち戻させてくれる一冊。 


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現代語訳 日本国憲法 (ちくま新書)

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覚え書:「歳月 [著]鄭智我 [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。


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歳月 [著]鄭智我
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]文芸 社会 


■老いに焦点、人間の必然描く

 重力の強い文体と描写、人間の愚かさ純粋さへの透徹したまなざし、あるいは哀れみや共感によって、読む者を足元の土へと引きつけ続ける韓国女性作家の短編群である。
 解説によれば鄭智我は1990年両親を描いた『パルチザンの娘』を発表するが、国家保安法により発禁。自身逃亡生活をせざるを得ず、実際のデビューは6年後だという。
 この短編集にも麗水(ヨス)14連隊に所属して反乱を起こす男や、韓国が単独政府を樹立することへの反対闘争に身を投じた男女、つまり作家の両親に似た人間が出てくるが、しかし決して政治が前景にある小説にはならない。
 人が老いていくこと。8編はすべてそこにぴたりと焦点を合わせる。記憶のない母と2人だけで山に暮らす寡黙な男、ボケていく父を見つめる初老の男と母、あるいは出会った女の若さに心地よく翻弄(ほんろう)される中年女とさらに年を取った女からの視点など、自分と他人の老いをそれぞれの微妙な関係の中でがっちりと描きながら、悔恨と諦めとあきれ笑いで包み込むのだ。
 作家から日本の読者へのメッセージも末尾についていて、彼女に限らず多くの韓国人読者が日本作家の作品を受容していることがわかるが、反対のことも彼女を通して起きなければならないだろう。
 「限りなく軽快になっている今の時代に似合わない小説かもしれません」とも鄭智我は言葉を寄せている。確かにそこには日本で書きにくくなった近代小説の骨頂がある。書きにくさはどうやら韓国でも同様なのかもしれない。
 だが、この世に生まれてきてしまった者が、食べなければ命を保てず、どうあろうが育ち、働かざるを得ず、心は時に傷つき、やがて親や兄弟が老い、自分もまた年月に吹きさらされていくのは世界中のあらゆる人間の必然である。
 書かれなくなりつつある必然から目をそらさないこの作家の小説が我々には必要だ。
    ◇
 橋本智保訳、新幹社・1944円/チョン・ジア 65年生まれ。作家。著書『幸福』『春の光』など。
    --「歳月 [著]鄭智我 [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「最後の恋人 [著]残雪 [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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最後の恋人 [著]残雪
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]文芸 

■夢や幻が交錯する言葉の奔流

 残雪と書いてツァン・シュエと読む。彼女は現代中国文学を代表する作家であり、日本にも熱烈なファンがいる。私もその一人。少し前にも短編集『かつて描かれたことのない境地』が出たが、本書は十五年以上も昔に訳された『突囲表演』以来、日本語では二冊目の長編小説である。
 残雪の小説はとてつもなく変だ。文章も物語も人物も、とにかく普通ではない。なにしろ作者自身がこう書いている。「一般の読者にとってこれは奇妙な小説であるかもしれない。常軌を無視し勝手気ままでなにものにも縛られない、またとらえどころのなさすぎる小説」。まったくその通りなのだが、にもかかわらず本書は、摩訶不思議(まかふしぎ)な魅力と、えたいの知れない情熱に満ちている。
 舞台は「西方」にあるA国のB市。度を超した本狂いの「古麗」服装会社の営業部長ジョーは、いつも仕事中に隠れて本を読んでいるが、社長ヴィンセントからの信頼は厚い。或(あ)る日、彼は顧客である「南方」の農場主リーガンからクレームを受ける。ジョーの会社の服のせいで、ゴム農園の入り江で労働者二人が溺死(できし)したと。リーガンは、東南アジアから来たアイダという娘に惹(ひ)かれている。ジョーはヴィンセントの妻リサに、社長の不埒(ふらち)な秘密を聞かされるが、おかしいのはむしろリサのようにも思える。「北方」の牧場主キムが登場する。残忍な顔つきをしたキムはジョーを謎めいた体験に誘う。ジョーの妻マリア、息子ダニエルも、物語に絡めとられていき……なんとか粗筋を記そうとしてみたが、到底不可能だ。この小説では、登場人物たちの夢と妄想と幻想が互いに複雑に絡み合い、さながら迷宮と化している。その中で、全員が熱に浮かされたように欲望をたぎらせ、混乱の極みへと突進してゆく。理解しようとしてはならない。ただ、奔流のごとき言葉に身を任せることだ。
    ◇
 近藤直子訳、平凡社・3132円/Can Xue 53年中国生まれ。作家。カフカやボルヘスなどの批評も手がける。
    --「最後の恋人 [著]残雪 [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト [著]松原隆一郎・堀部安嗣 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト [著]松原隆一郎・堀部安嗣
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝 


■守り継ぐ、先祖が生きた証しも

 狭い空間をいかにうまく使って大量の蔵書を収め、使い勝手の良い書斎を作るか。タイトルと副題から、そういった工夫を開陳する内容なのだと思っていた。
 冒頭から良い意味で裏切られた。施主であり著者の一人である松原隆一郎は、まず自分の家の歴史を丹念に綴(つづ)る。
 戦前に裸一貫から造船などの事業を次々と興し財を成した祖父から父親に継がれた生家は、阪神淡路大震災で全壊し、新築される。しかし父親の死によって、その家土地も相続問題で分断を余儀なくされる。
 祖父をはじめとする先祖が生きた証しが消えゆくなか、せめて仏壇だけは守り継ぎたい。先祖あっての施主と家屋と、その集合体である町並み。この三つの連なりを生かし、仏壇を擁した書庫づくりプロジェクトは始まるのだ。
 後半に繰り広げられる建築家堀部安嗣の手腕に舌を巻きつつ、すべての家屋それぞれに宿る、暮らしの軌跡に改めて思いを馳(は)せた。
    ◇
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    --「書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト [著]松原隆一郎・堀部安嗣 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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書庫を建てる: 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト
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覚え書:「みんなの広場 非人間的すぎる国民総特攻」、『毎日新聞』2014年04月24日(木)付。


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みんなの広場
非人間的すぎる国民総特攻
無職・87(島根県太田市)

 本紙4月12日の「保阪正康の昭和史のかたち」を読み、当時海軍航空隊第3期飛行予備生徒の基礎教程を終え、海軍陸戦隊茅ケ崎派遣隊に転属していた私はその目的を知り暗然とした。

 それによると大本営はアメリカ軍の本土上陸作戦を想定して「一億総特攻」を呼号し、敵が上陸してくると予想された九十九里浜や相模湾で各種特攻兵器に乗って体当たりの訓練が行われていたとある。

 私はその相模湾で訓練を受けていた。焼けた砂の上で棒地雷を抱いて戦車の下に飛び込んだり、戦車の窓に手投げ弾を投げる訓練、タコつぼでの戦闘訓練などを受けていた。

 紙面によれば特攻作戦の推進者であった当時の軍令部次長・大西滝治郎は「国民の四分の一が特攻作戦で死に、血染めになったこの国の様子を見てアメリカはもうやめようと言い出すだろう、その時が講和のときだ」と語っていたとある。

 あまりにも非人間的な発想に深い悲しみと憤りを感じる。
    --「みんなの広場 非人間的すぎる国民総特攻」、『毎日新聞』2014年04月24日(木)付。

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書評:宮島喬『多文化であることとは 新しい市民社会の条件』岩波書店、2014年。

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宮島喬『多文化であることとは 新しい市民社会の条件』岩波書店、読了。グローバル化と人口減少社会の到来は、異なる人々との共存を必然する。違いを認め対等な関係を構築し、相手の立場で考えることが必要になる。本書は欧州の移民問題を研究する社会学者の手による「多文化共存社会」実現の処方箋。

「差異」とは、自分の差異が人から商人されていて、違ったままでいても処罰や排除の不安がないこと(Z・バウマン)。内向きなナショナリズムが強まり、同化を共生と勘違いする文化をスライドさせる上で本書は非常に有益な一冊。

終章で在日外国人への差別煽動に言及。国家間に緊張があっても、身近に生きる異文化の人とはそれとは全く関係がない。そこから連帯可能性を感じることが必要であろう。「その可能性には、筆者は悲観的ではない」。背中をおされる。
 


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問われる歴史の教育、アジア理解
 ここで社会学的な考察を挟むと、日本人のマジョリティがこのような認識にくみしているとはとうてい思えないが、判断する文脈から過去の事実が排除され、切り離され、現在だけの視点から物事がみられるとき、短絡的な判断がみちびかれる。たとえば、在日コリアンの「特権」云々の議論も、過去の歴史を知らない、教えられない世代にはもっともらしく聞こえる恐れなしとしない。今日、主にネットとテレビメディアを通して知識を獲得する世代は、歴史的認識を通して現在起こっている事実の意味を読み解くという構造化された知識を身に着けているだろうか。そうした知識は、書物、新聞、そして継続的教育を通してこそ獲得されるものだろう。
 今、改めて感じるのは、アジアを中心として歴史についての日本の教育の貧困である。「風化」という曖昧な言葉を使いたくない。むしろ、「風化」という言葉は不適当で、もともと戦後の日本の教育のなかでは、“これだけは知らなければならない”として、真に、アジアへの植民地化や侵略の歴史が教えられなかったのではないか、と思うからである。国際環境の変化のインパクト、および政治による対韓国・朝鮮、対中国の緊張の造出に対し、今日の日本の、特に若者たちの意識が抵抗できないという点に大きな問題があろう。学校の歴史教育がそれだけのきちんとした情報とメッセージを送っていないことも問題だが、メディアの文化紹介にも、アジアを市場としかみていない経済人の功利的発言にも、過去のアジアへの植民地支配と侵略に反省と謝罪を表明した「村山(首相)談話」さえきちんと継承しようとしない政治家の姿勢にも、問題があろう。
 しかし一社会学徒として筆者が強調したいことは、外なる国家間関係とは別に、内なるアジア、あるいは内なる多文化に目を向けることである。仮に国と国のあいだに緊張はあっても、今、日本の地域、職場、学校のなかに生きているコリアンや中国人やその他の外国人は、それとは関係ない人々である。この区別に立って、滞在の年月を重ね、日本社会とつながりをもつ、またそうでなくともこれから社会に参加しようとしている外国人や「つながる人々」を、同じ住民、さらに連帯可能な市民と感じることこそがもとめられる。その可能性に、筆者は悲観的ではない。
    --宮島喬『多文化であることとは 新しい市民社会の条件』岩波書店、2014年、267-268頁。

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多文化であることとは――新しい市民社会の条件 (岩波現代全書)
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覚え書:「犬が私たちをパートナーに選んだわけ [著]ジョン・ホーマンズ [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。


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犬が私たちをパートナーに選んだわけ [著]ジョン・ホーマンズ
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 


■自然からの使者、関係が一変

 この冬、一匹の若い犬を連れて一緒に橇(そり)をひきながらグリーンランド北西部を旅していた。白熊が来た時に吠(ほ)えてもらうための番犬だ。賢いのかどうかはよくわからなかったが、でも複雑な感情を有する大事なパートナーであることにまちがいはなかった。
 考えてみると不思議な動物だ。人間と共存することを選択し、人間から友と呼ばれるまでの信頼を勝ち取った唯一の存在。もともと私は「猫派」だが、先史時代に人間と犬がいかに協力して生き抜いてきたのかには興味はあった。しかし本書には犬の起源の他にも、人間と犬を取り巻くそれ以上のことが報告されていて考えさせられた。
 なるほどと唸(うな)ったのは犬が人間にとって自然との橋渡しをする存在だという指摘だ。先史時代の遺跡には人間と犬が一緒に埋葬されていた例もあるらしく、オオカミから進化した犬は文字通り自然からの使者だったという。ところが現代においてその関係は一変した。犬を愛玩犬として飼うしかなくなった人類は自分の好みに合わせて様々な犬種を造りだし、気がつくと周りは障害をもつほど奇形化した犬種ばかり。さらにペットとして不要と判断すれば見えないところで大量に殺す。
 こうしたことを私たちは知ってはいたが、気づかないふりをしていた。あるいはどうでもいいことだと考えていた。だがそこには自然から切り離された人間が自然からの使者を持て余し、扱いきれなくなった異様な姿が映し出されている。もはや人間には犬を飼う資格はないのではないかと思わずにはいられない。
 翻って、今度の旅での自分と犬との関係を振り返った。氷点下40度の寒さの中で殴ってでも橇を引かせることは、人間と犬の本来的な関係であれたといえるのか。過剰な動物愛護には辟易(へきえき)だ。でも原始人の時からの友の将来に思いをはせることは我々の責務なのかも……とも思う。
    ◇
 仲達志訳、阪急コミュニケーションズ・2700円/John Homans 米国のジャーナリスト。
    --「犬が私たちをパートナーに選んだわけ [著]ジョン・ホーマンズ [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014042000003.html:title]

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犬が私たちをパートナーに選んだわけ 最新の犬研究からわかる、人間の「最良の友」の起源
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覚え書:「へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす [著]芦原伸 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。


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へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす [著]芦原伸
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■百年余前の風景を「歩く評伝」

 パトリック・ラフカディオ・ハーン(日本での英語教師契約書にヘルンとあった)は、1904年に54歳の一期を東京・西大久保の自宅で終えた。夕食時には子供たちと雑談を交わしていたのに、その後体調不良を訴え、寝床に横になったが、「間もなく、もうこの世の人でありませんでした」(妻節子の『想ひ出の記』)という。
 1850年にギリシャのレフカダ島で生まれ、父の奔放な生活の犠牲で孤児同然で育ったためか、ハーンの生涯の「アングロサクソン嫌い、キリスト教嫌い、は自分を捨てた父親への反感」からという。青年期からロンドン、ニューヨーク、シンシナティ、フィラデルフィアなどに居を定めながら新聞記者、作家活動に精をだすが、しかしその生活態度が常に体制の枠組みから外れるのも彼自身の「西洋合理主義」への苛立(いらだ)ちに起因していた。
 ただ人間的には憎めないところがあり、困窮、孤立の状態になると必ず支えになる人物があらわれる。40歳の年に、ある雑誌の依頼で日本探訪の記事を書くために来日する(1890年)。「放浪者、夢想家、独善家」の語があてはまるこの人物は、日本社会の伝承に関心を持ち、日本人の妻を求め、晩年には日本に帰化して幾多の作品(怪談が多い)を残す。著者は、「ハーンは出雲に来て変わった。(略)日本文化の神髄を知るに至り、日本定住を決意した」といった表現でその心情を明かしている。
 本書は、ハーンが移り住んだ北米各地、松江、熊本、神戸など日本の各地を著者が丹念に歩き、ハーンの姿がどう刻まれているかを、今と百年余も前の風景を想起、対比させながら書き進める。その意味で本書は、「歩く評伝」というべきで、新しいジャンル確立を感じさせる。著者の祖父とハーンのふたりの像の中に、著者がこだわる近代の国家像が垣間見える。
    ◇
 集英社インターナショナル・1836円/あしはら・しん 46年生まれ。「旅と鉄道」編集長。『鉄道おくのほそ道紀行』
    --「へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす [著]芦原伸 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014042000004.html:title]

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へるん先生の汽車旅行
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覚え書:「サリン事件 科学者の目でテロの真相に迫る [著]Anthony T.Tu [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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サリン事件 科学者の目でテロの真相に迫る [著]Anthony T.Tu
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 

■真に誠実な科学的態度とは

 著者は、アメリカでヘビ毒を研究する毒物学者だ。日本の科学雑誌に神経毒に関する解説記事を書いたことがきっかけで、「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」に深くかかわるようになった。
 具体的には、事件で使われた毒物がなんなのかを突き止めるため、日本の警察からの問い合わせに対し、さまざまなアドバイスと協力を行ったのである。原因物質を特定できなければ、被害に遭ったひとに適切な治療を施すことも不可能だ。
 一連のオウム事件が起きるまで、大半のひとは「サリン」という単語を聞いたこともなかった。そんなものを作って犯罪に使うひとがいるとは、ほとんど想定されていなかったわけで、一刻を争う状況のなか、著者をはじめとする科学者がいかに動き、原因物質特定に努めたか、専門的な視点で、しかし素人にもわかりやすく書かれている。
 著者はその後も、サリン製造に関与した中川智正死刑囚と複数回面会している。科学的な見地から事件の真相に迫りたい、という科学者としての誠実さが感じられる。中川が、深い化学知識を有した優秀な人物であること、明るく理性的で「感じのいい」ひとであることが、面会記録から伝わってくる。そういうひとが、なぜ罪を犯すに至ったのか。他人事(ひとごと)にせず、さまざまな資料に基づいて、私たちそれぞれが考えていかねばならないことだろう。
 サリンの製造過程についても、科学警察研究所の論文と教団関係者の供述に食い違いがあり、「若干の疑問点」が残っているそうで、このあたりの解明も望まれる(解明の義務は、もちろん著者ではなく日本の警察にあるはずだ)。
 DNA鑑定などで、科学捜査の信頼性が揺らぐ事態が頻発している。真に専門的で公正かつ誠実な科学的態度とはなんなのかを考えるうえでも、本書はとても貴重な記録だ。
    ◇
 東京化学同人・1944円/アンソニー・トゥー(杜祖健〈とそけん〉) 30年台湾生まれ。米コロラド州立大学名誉教授(毒性学)。
    --「サリン事件 科学者の目でテロの真相に迫る [著]Anthony T.Tu [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。
 
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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014042000005.html:title]

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サリン事件: 科学者の目でテロの真相に迫る
Anthony T. Tu
東京化学同人
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覚え書:「オバマ米大統領:きょう来日 中韓と積極的対話を--ハーバード大名誉教授、エズラ・ボーゲル氏」、『毎日新聞』2014年04月23日(水)付。

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オバマ米大統領:きょう来日 中韓と積極的対話を--ハーバード大名誉教授、エズラ・ボーゲル氏
毎日新聞 2014年04月23日 東京朝刊

(写真キャプション)エズラ・ボーゲル氏=西田進一郎撮影

 オバマ米大統領が23日から日本を訪問する。約3年半ぶりの訪日は、安倍晋三首相の靖国神社参拝などできしんだ日米関係を深化の軌道に戻す重要な機会となる。また、台頭する中国を念頭に、東アジアの安定に向けて日米両国が安全保障、経済両面でどのような役割を果たすのかが大きなテーマだ。日中両国の研究で世界的に知られるハーバード大のエズラ・ボーゲル名誉教授に聞いた。【ワシントン西田進一郎】

 東アジアの安定を図るためには、日中、日韓関係が非常に大事だ。しかし、安倍首相は靖国神社参拝という「挑発的な行為」をした。(従軍慰安婦の管理などに旧日本軍の関与を認めた)河野談話(1993年)も「支持する」ともう少し早く言えば良かった。中国の友人は集団的自衛権よりも歴史認識の問題が大きいと言っている。

 米政府は「失望」という言葉を使ったが、それ以上のことを感じている人もいる。中国の力は大きくなり、尖閣諸島、(中国名)釣魚島の問題もあり、小泉純一郎首相(当時)が靖国神社を参拝した時より周辺環境はずっと厳しい。友人だからこそ「危ない」と正直に言う必要があった。

 日中関係の改善は重要だ。尖閣諸島、釣魚島について日本は「全く問題がない」と言うが、異論を唱える国があるのだから問題を認めて「平和的に解決すべきだ」と言うべきだ。一方、中国は周辺への船や航空機の派遣を少しずつ減らし、日本も同様に減らしていく。協定は特に必要なく、自然にそのような形をとれないだろうか。

 中国が強くなりさまざまな問題が出てきたので、米国も中国と話し合う必要が多くなった。その意味で、昨年の大統領と習近平国家主席の会談は重要だった。軍同士の交流は活発化している。信頼関係はそんなに早くできないが、理解し合うことで危険性は少なくなる。ヘーゲル米国防長官が日本とフィリピンの防衛義務を果たすと明確に言ったのも、中国への警告で危険性を減らす意図だろう。

 秋の北京でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議は日中、日韓関係改善の良い機会だ。日中戦争の記念館訪問など中国側が歓迎することを日本側が実行すれば非常に良い機会になる。韓国についても、3月に安倍首相が朴槿恵(パククネ)大統領と会ったのは進歩だ。それに続くように、従軍慰安婦問題でもう一度積極的に取り組むことが必要だ。

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 ■人物略歴

 1930年生まれ。67年からハーバード大教授。日本、中国研究の世界的な権威として知られる。93年から約2年間、米国家情報会議で東アジア担当の国家情報官を務めた。79年出版の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」はベストセラーに。2000年に教職を退き、11年にはトウ小平の研究をまとめた「トウ小平」を出版した。 
    --「オバマ米大統領:きょう来日 中韓と積極的対話を--ハーバード大名誉教授、エズラ・ボーゲル氏」、『毎日新聞』2014年04月23日(水)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140423ddm007030092000c.html:title]

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 守るべき『岩盤』あり=宮武剛」、『毎日新聞』2014年04月23日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障論
守るべき「岩盤」あり
規制緩和と皆保険体制
宮武剛 目白大大学院客員教授

 「国民皆保険」は1961年度から始まり半世紀を迎えた。
 日本人の大半は物心ついた頃から保険証を持つが、もし健康保険制度がなければどうなるのか。病気やケガに備え治療費を用意しておくほかない。
 いったいいくら必要か。
 私たちが生涯に使う医療費は平均約2500万円(2011年度、厚生労働省推計)。人生80年とすれば1歳ごとに30万円の予算。ただし、総額の半分は70歳以降に使う。若い頃の保険料納付はつらいが、年を重ねるごとにありがたさは深まる。
 年齢に関係なく大病・難病になることもある。日本で最高額の医療費はいくらか。
 血友病の青年の治療に月額1億5423万円かかった例がある(12年度)。出血が止まらない難病のため、血液を固める1アンプル40~50万円もの注射を打ち続けるほかないからだ。
 総額の1~3割の自己負担はどうなるか。長期かつ高額な血友病、腎不全の人工透析などは特殊で自己負担は原則月額1万円で済む。一般的には「高額医療費制度」で、例えば医療費月額100万円でも3割負担(一般)ではなく9万円弱で済む。
 皆保険体制とは、誰もが保険証を持つだけではない。健康と命を守るために保険給付に上限はない。自己負担も何とか払える程度にとどめる。
 そんな「岩盤」を長年かけて固めた。「混合診療の禁止」もそのひとつである。
 一連の医療行為で「保険診療」と「保険外診療(全額自己負担)」を組み合わせて提供はできない。なぜか。
 まず、手術や薬品は公的に有効性と安全性を確認したうえ保険対象にされる。そうしないと、知識の乏しい患者は効果の低い治療や副作用の激しい薬にさらされる。
 また保険給付は現金ではなくサービス(現物)で提供され、保険診療と保険外診療の厳密な線引きは不可能に近い。例えば外科医が胆のうを全摘出した後で「バイパス造営は新手法で全額自己負担ですが、どうします?」と聞くような事態に陥る。
 さらに、未承認の薬や手術は一般に高額で、利用できる人は限定される。難病患者団体の多くが混合診療の解禁に反対するのは、その心配からだ。
 しかも混合診療は全面禁止ではない。「保険外併用療養費」制度で、公認が見込まれる有望な薬や手術は例外的に保険診療との組み合わせを認める。
 それでもなお「岩盤規制」打破に取り組む政府の規制改革会議は、患者が医師と合意のうえ保険外診療を個別に選べる「選択療養制度」(仮称)を提案する、という。
 砕くべき「岩盤」と守るべき「岩盤」を見極めないと大事な皆保険体制に亀裂が走る。

みやたけ・たけし 1943年京都市生まれ。毎日新聞論説副委員長、埼玉県立大教授、目白大教授を経て現職。専門は社会保障論。社会保障制度改革国民会議の委員などを歴任。著書に「介護保険の再出発」など。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 守るべき『岩盤』あり=宮武剛」、『毎日新聞』2014年04月23日(水)付。

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覚え書:「書評:へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす 芦原 伸 著」、『東京新聞』2014年04月20日(日)付。


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へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす 芦原 伸 著

2014年4月20日

◆無鉄砲な素顔を発見
[評者]原口隆行=文筆家
 本書は、「へるん先生」と呼ばれたラフカディオ・ハーン、後の小泉八雲の軌跡を追って、<鉄道の時代>に列車を乗り継ぎながらのひとり旅をつづった、紛れもない紀行文である。なのに、いつもハーンが著者に寄り添っているような、さらにいえばその怪談世界ではないが、憑依(ひょうい)したような、そんな感懐にとらわれる。それだけ、著者のハーンに寄せる思い入れが深いということなのだろう。
 その行跡は、海外はアメリカからカナダ、日本では和歌山県の湯浅、横浜、松江、熊本、神戸、東京と広範囲に及ぶ。そして、ハーン自身の著作やかかわりのあった人たちの思い出話、評論などを彩り豊かに引用しながら、その行動や事績、人となりを浮き彫りにしてゆく。だから、本書は単なる鉄道紀行ではなく、優れた評伝であり、文芸評論でもある。
 日本でのハーンといえば、著述活動のかたわら松江中学や熊本第五高等学校や東京大学で教え教育畑を歩んだからか、謹厳実直な学者、古き良き日本を愛した作家といった印象が強い。だが、本書を読むとアメリカ時代のハーンはジャーナリストとして第一線で活動しながらも、明日の糧を考えないほど無軌道で無鉄砲、しかも放浪癖の強い性格の持ち主だったようだ。こうした、いかにも人間臭い一面を紹介したことも妙味の一つに挙げられよう。労作である。
(集英社・1836円)
 あしはら・しん 1946年生まれ。「旅と鉄道」などの編集を経て作家に。
◆もう1冊
 ラフカディオ・ハーン著『新編 日本の面影』(池田雅之訳・角川ソフィア文庫)。日本の風物や旅を描いた文集。
    --「書評:へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす 芦原 伸 著」、『東京新聞』2014年04月20日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014042002000168.html:title]

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覚え書:「書評:鐘の渡り 古井 由吉 著」、『東京新聞』2014年04月20日(日)付。


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鐘の渡り 古井 由吉 著 

2014年4月20日

◆日常の切れ目に覗く永劫
[評者]佐藤美奈子=フリー編集者
 古井由吉は、小説が可能にする表現の領域を深めつつ、私たちの「いま」を照らし続けている作家である。
 古井作品の言葉が確かにしているのは、日常のなかに覗(のぞ)く危機や窮地の局面を、意識もせず行き過ぎることを余儀なくされた在り方こそ、私たちの「いま」だという感触である。
 最新の連作八篇を収めた本書でも、私たちの意識や知覚の外にある危機や窮地、狂気に至る寸前の感覚が文章自体の運動によって呼び出されている。
 『地蔵丸』では、ありったけの子供の泣き声が日常に切れ目を入れ、永劫(えいごう)の面相をひろげる。それにつれ、窮地であった空襲時の「私」の記憶が呼び覚まされ、「気が振れる」人の姿や自身にはぐれた自己像が鮮明になる。
 表題作『鐘の渡り』は、三十路(みそじ)男の篠原が、友人朝倉に誘われ、晩秋の山に旅に出る。一緒に暮らした女を亡くしたばかりの朝倉と泊まった宿で、夜半に聴いた鐘の音が、篠原の耳を離れない。山を降り、女の部屋を訪れた篠原は、熱を出して寝込むことになる。死とエロスの両方と隣り合い、危うい境に接した篠原が聴く鐘の音は、古今のあまたの男女が通り過ぎてきた光景を現出させ、個を超えた因縁の世界の在りかを告げるかのようだ。
 現に居ながら不在と感じる自身よりも、死者である友人のほうに存在感があることを描く『明日の空』も、「自身の奥底に遺(のこ)る幼少の頃の嗅覚」に依拠しないと「生きていても死んでいるようなもの」だとする『窓の内』も、実は私たちがそこに立つもう一つの現実の所在を明らかにしている。
 過去の古井作品が蔵した時空間とも響き合い、それらを内に幾重にもたたみ込んだ文章のうねりは、随想と物語を混然一体とさせた形となって、言葉が遺す痕跡を一層独自にしている。本書が描く静かで、しかも切迫した瞬間に触れることで、日常の底が比類もなく豊かで恐ろしい永劫と通じているさまを、読者は体験するのである。
(新潮社・1728円)
 ふるい・よしきち 1937年生まれ。小説家。著書『栖』『白髪の唄』など。
◆もう1冊
 古井由吉・佐伯一麦著『往復書簡 言葉の兆し』(朝日新聞出版)。存在の揺らぎを探る二人の作家が大震災を機に言葉の再生を語る。 
    --「書評:鐘の渡り 古井 由吉 著」、『東京新聞』2014年04月20日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014042002000171.html:title]

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覚え書:「市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか [著]進藤久美子 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか [著]進藤久美子
[評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]歴史 社会 

■過去をあとづけ、「可能性」に注目

 1962年生まれの私にとって、市川房枝といえば参院選の政見放送で見た、眼鏡をかけた白髪の女性が浮かんでくる。市川は、全国区から出馬した74年の選挙で2位、死去する前年に当たる80年の選挙でトップ当選を果たした。当時の私には、なぜ無所属の女性がこれほど大量の票を集めるのかが不思議でならなかった。
 その後、市川が大正期から女性の政治参加を求める息の長い活動をしてきたことを知った。自民党の金権腐敗体質が明らかになればなるほど、クリーンな政治を理想として掲げる市川に票が集まったこともわかった。
 しかし本書は、戦中期の市川が満州事変当時は明確に掲げていた反戦平和の主張を貫けず、国策に協力して戦争を肯定してゆく過程を、多くの一次史料を駆使しながら丁寧にあとづけている。そればかりか、市川は晩年になってもなお、満州事変を起こした石原莞爾を評価していたように、自らの態度の矛盾に気づいていなかったことも明らかにされる。
 著者は、こうした市川の過去を告発しようとしているわけでは決してない。むしろ、石原が唱えた東亜連盟に共感し、日中戦争期にも中国の女性との連携を探り続けたことに、ナショナリズムを超えるフェミニズムの可能性を見いだそうとしている。このような、戦争の長期化により摘み取られてしまった可能性のなかに注目すべきものがあるというのだ。
 太平洋戦争の最中にあっても、市川は首相の東条英機と鋭く対立した。女性の徴用は家族制度を破壊するという東条を封建制度から一歩も出ていないと批判し、女性の勤労の必要性を力説した。その批判はやがて、兵役すら女性に負わせるべきだとする主張に行き着くことになる。
 だが、本書を通読して最も心に残ったのは、市川房枝の過去それ自体ではなかった。市川という一人の女性を通してあぶり出された、この国の変わらない男性的な政治のあり方こそを、著者は問題にしたかったのではないか。
 かつて政見放送で見た市川の姿には、岩盤のような日本政治の壁に穴を開けようと孤軍奮闘する生涯が反映していたのだ。いまでも日本の女性国会議員の比率は、先進国中最低水準である。「婦人の事といへば面白可笑(おもしろおか)しく、誇大に報道し、直に有名婦人をつくつてしまふ」。本書で引用された、39年3月5日の「婦女新聞」に市川が書いたこの言葉は、依然として少しも色あせてはいない。
 最後に苦言をひとつ。本書は誤植が目につく。人名や地名はもとより、簡単な熟語や句読点の誤りまで散見される。力作であるだけに残念だと思う。
    ◇
 法政大学出版局・1万260円/しんどう・くみこ 45年生まれ。東洋英和女学院大特任教授(アメリカ史、ジェンダー・スタディーズ)。80年、立教大大学院文学研究科博士課程満期退学。著書に『ジェンダーで読む日本政治』『ジェンダー・ポリティックス』など。 
    --「市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか [著]進藤久美子 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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市川房枝と「大東亜戦争」: フェミニストは戦争をどう生きたか
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覚え書:「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く シーラ・スミス、米外交問題評議会上級研究員」、『毎日新聞』2014年04月22日(火)付。

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どう動く:集団的自衛権・識者に聞く シーラ・スミス、米外交問題評議会上級研究員
毎日新聞 2014年04月22日 東京朝刊

(写真キャプション)インタビューに答える有「外交問題評議会」のシーラ・スミス上級研究員=ワシントンで、西田進一郎撮影

 ◇国内外へ説明重要

 「米政府は、米軍と自衛隊がどうすればより効果的に作戦行動できるかの議論に関心がある。双方に優先順位が高い弾道ミサイル防衛や海洋安全保障などだ。真剣で明確な対話が非常に重要だ。

 日本には憲法や自衛隊について議論してきたこれまでの経緯があり、継続性は重要だ。憲法の解釈を見直すか、憲法を改正するのかはまさに日本人の問題だ。しかし、日本は危機管理についても考えなければならない。ここ10年あまりで周辺国はかなりの種類の武器を入手し、日本の領域の極めて近くで作戦行動をとってきた。事故や誤算があるかもしれず、不測の事態に備えて準備すべきだ」

 中国の国防予算は公表されているものだけでも1989年以降、2010年を除いて毎年2ケタの高い伸びを示し、10年で約4倍に増えた。レーダーでとらえにくいステルス無人攻撃機や、ミサイル防衛システムを突破する極超音速ミサイルなどの開発を進めている。安倍晋三首相は集団的自衛権の行使が必要な理由として、東アジアの安全保障環境の悪化を繰り返し強調する。

 「日本が追求する弾道ミサイル防衛や島しょ防衛、海洋安全保障などの戦略的な必要性は完全に理解できる。韓国を含む近隣諸国が国防費を相当に増やす中、日本は防衛費を減らし続けた。ここ数年増やしたといってもわずかであり、理性的な尺度でみれば、日本に『軍国主義』の心配はないだろう。防衛の必要性に非常にかなったものだ。

 ただ、首相は、歴史に関わるさまざまな見解が国外の懸念を不必要に高めていることを理解する必要がある」

 昨年12月26日の首相の靖国神社参拝に対し、米政府は「失望している」との声明を発表。マイケル・グリーン元国家安全保障会議アジア上級部長やスミス氏ら知日派の多くは声明を支持した。これに対し、安倍政権では衛藤晟一首相補佐官が2月に動画サイトで「(声明は)中国への言い訳だ」と反論するなど、日米関係は一時ぎくしゃくした。

 「前回、ガイドライン(日米防衛協力の指針)を見直した90年代、日本政府はソウルや北京に出向いて政策の意図を積極的に説明した。しかし今日、韓国、中国はともに日本と政治的対話を望んでおらず、音信不通だ。(集団的自衛権に関する)国内外への明快な説明と透明性は、かつてと同様、今も日本にとって重要なポイントだ。

 防衛政策の必要性を率直に話す義務は、日本だけでなくアジア地域の軍事的な大国すべてが負っている。中国がテーブルに着き、軍備拡張で日本やフィリピン、マレーシアの安全を損なう意図がないことを説明すれば、各国は安心できる。韓国もより正直に日本と対話すべきだ」

 日米両政府は年末までにガイドラインを再改定する方針。米国防総省高官は、日本の集団的自衛権の行使容認を反映させることに期待感を示している。首相は就任後、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国をすべて訪問し、集団的自衛権の行使を含む「積極的平和主義」の外交方針に理解を求めてきたが、肝心の中国とは首脳会談開催の見通しが立っていない。一方、韓国とは先月ようやく、米国を交えた3カ国首脳会談がオランダで開かれた。【構成・西田進一郎】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇Sheila Smith

 米外交問題評議会上級研究員。コロンビア大で博士号(政治学)を取得し、東西センターなどを経て現職。専門は日本の政治、外交政策。国際問題研究所や東京大などで客員研究員も経験。民主党のオバマ政権に近い。 
    --「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く シーラ・スミス、米外交問題評議会上級研究員」、『毎日新聞』2014年04月22日(火)付。

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書評:師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書、2013年。


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師岡康子『ヘイト・スピーチとは何か』岩波新書、読了。民主主義社会を根柢から覆す差別煽動としてのヘイト・クライムの蔓延する現代日本。本書は日本の現状と背景を概観した上で、諸外国の人種差別撤廃政策を参照し、現代日本が取り組むべき対策について具体的な提案を試みる。

字の如く「ヘイト・スピーチ」の「スピーチ」に注目するとそれは「表現」の一種と見まがうが、それ自体が言葉の暴力であるだけでなく、物理的暴力を誘引する点で表現を凌駕する暴挙である。勿論、世界各地でヘイト・スピーチは散見されるが、公人によるヘイト・スピーチが撒き散らされ続けるのは日本だけだ。その代表が石原慎太郎前東京都都知事であり、著者は「差別の見本市」という。

ヘイト・スピーチの話者は「差別の意図はない」というし、石原発言に関しても日本政府は人種差別を助長する意図はないから人種差別撤廃条約の対象にはならないという。しかし、差別の意図の有無は「その文言の内容や文脈などから客観的に判断すべきである」。

良質の対抗言論がヘイト・スピーチを「駆逐」するという意見もある。しかし「ナチズムが『表現の自由』を行使してヘイト・スピーチを行い、反対勢力を「駆逐して」権力をとり、多くの人々をユダヤ人虐殺の加害者とさせた歴史的事実に照らしたとき、どの程度説得力があるだろう」。

著者は慎重論も丁寧にすくい上げながらも、「日本社会が真に問われているのは、法規制か『表現の自由』かの選択ではなく、マイノリティに対する差別を今のまま合法として是認し、その苦しみを放置しつづけるのか、それともこれまでの差別を反省し、差別のない社会を作るのかということではないだろうか」。

日本社会の現状を冷静に報告し国際社会の経験と制度を紹介し、他者と共に生きる社会の方途を探る本書は、若い人に手にとってほしい一冊である。 


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ヘイト・スピーチとは何か (岩波新書)
師岡 康子
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『音樂は愉し 黎明期音盤収集家随想』=野村あらえびす・著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『音樂は愉し 黎明期音盤収集家随想』=野村あらえびす・著
毎日新聞 2014年04月20日 東京朝刊

 (音楽之友社・2160円)

 「銭形平次捕物控」で知られる野村胡堂。この時代小説の大家は、もう一つの顔を持っていた。レコード評論家野村あらえびすだ。本書は60年以上前、音楽之友社から「音樂文庫」第70巻として出版された後、絶版となっていた随想集を復刻した。

 小学生の時に初期の蓄音機「蝋管(ろうかん)」を聞いた体験談から、第二次世界大戦中、自宅でこっそり青年たちとストラヴィンスキーを楽しんだことまで、筆は尽きることを知らない。多岐にわたる記述は、黎明(れいめい)期における日本のレコード音楽史そのものといえる。

 心を揺り動かされるのが、「K子と野薔薇(ばら)」だ。シューベルトの歌曲「野バラ」のレコードが好きだったあらえびすの次女。しかし、なぜか嫁入りの時、このレコードを実家に置いていく。嫁ぎ先に届けることができない間に、彼女は病気で早世する。久方ぶりに「野バラ」を聴くあらえびす。「耳から来る連想の鮮明さ」に我慢できず、途中で蓄音機のスイッチを切る。

 一枚一枚のレコードには旋律とともに、聴く者の思い出も深く刻まれている。そのことをあらえびすは私たちに教えてくれる。(広)
    --「今週の本棚・新刊:『音樂は愉し 黎明期音盤収集家随想』=野村あらえびす・著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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音樂は愉し: 黎明期音盤収集家随想
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覚え書:「書評:ヘイトスピーチ エリック・ブライシュ 著」、『東京新聞』2014年04月20日(日)付。

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ヘイトスピーチ エリック・ブライシュ 著

2014年4月20日

◆どこまで許す?各国の苦慮
[評者]五野井郁夫=政治学者
 日本は敗戦と講和を経て、現在まで自由民主主義の社会であり続けている。では、この社会で差別を煽動(せんどう)し人を傷つける言葉は、表現の自由の名のもとにどこまで認められるだろうか。本書は欧米の事例を広く渉猟することで、自由民主主義の社会における自由の擁護と差別の是正の間の緊張関係にせまる。本書の原題は「人種差別主義者になる自由?」だ。当たり前だが、他者を傷つけなければ成立しない自由など誰も持ち得ない。
 だが、近年この「当たり前」が危ぶまれている。東京都内では外国人観光客の多い銀座や浅草を狙った排外主義デモが頻発しているのだ。「ヘイトスピーチ(差別言論)」という術語が、排外主義の蔓延(まんえん)に警鐘を鳴らす意味で日本でも人口に膾炙(かいしゃ)するようになったのには、こうした背景がある。
 ヘイトスピーチの射程は、人種や民族に対する差別に留(とど)まらない。国籍や性別、宗教など、人が生まれ落ちたその瞬間、本人が選び取ることのできない先天的な事柄がすべて含まれる。自分の努力では変更不可能なことがらを理由に「殺せ」「出て行け」と罵声を浴びせられるのは不公正だからだ。
 どうすれば歯止めを掛けられるか。本書には各国の解決事例が網羅されている。イギリスのように一律に厳格な法規制で臨む国もあれば、米国のように州レベルで対応が異なる国もある。
 他方、日本では法整備が遅れている。それでも二〇〇九年に差別団体の在特会(在日特権を許さない市民の会)が京都の朝鮮学校に授業妨害を行った事件の民事判決では、京都地裁が在特会側に約千二百万円の支払いを命じた。また、排外主義デモがあるたびに、参加者の数倍もの良識ある市民らが毎回自発的に集まり排外主義と対峙(たいじ)する機運が、社会として生まれつつある。
 表現の自由をめぐる理論的背景から立法過程、市民運動まで網羅している本書は、差別と戦うすべての人々にとって強力な武器となるだろう。
(明戸隆浩ほか訳、明石書店・3024円)
 Erik Bleich 米ミドルベリー大教授。専門は政治と人種の問題。
◆もう1冊
 前田朗編『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか』(三一書房)。現在日本で起きているヘイト・スピーチ現象を整理し、対策を示す。 
    --「書評:ヘイトスピーチ エリック・ブライシュ 著」、『東京新聞』2014年04月20日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014042002000170.html:title]

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ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか
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覚え書:「書評:銀座Hanako物語 椎根 和 著」、『東京新聞』2014年04月20日(日)付。


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銀座Hanako物語 椎根 和 著

2014年4月20日


◆雑誌片手に歩く読者
[評者]森彰英=ジャーナリスト
 一九八八年にマガジンハウスから創刊された週刊誌「Hanako」は、首都圏在住で「週一回レストランで食事し、月一回コンサートに行き、年一回海外旅行する」二十七歳女性を読者に想定した。キャッチフレーズは「キャリアとケッコンだけじゃ、いや」。創刊の翌年、昭和天皇の大喪の礼に世界各国から集まったVIP夫人の服、持ち物、靴を著者がビデオでチェックすると五割以上がシャネル製品。街に出ると日常的風景の中に同じブランドを身につけている若い女性が多数見られたという。時代と見事に添い寝した雑誌の象徴的エピソードである。
 海外ブランド品の特集をすれば百貨店の売り場に行列ができ、「B1の女」の惹句(じゃっく)からデパ地下の高級食材に人が集まる。特集で渋谷や横浜などをガイドすると発売日の夕方から雑誌片手の読者が路地裏を歩いた。ボジョレー・ヌーボーもティラミスも月島のもんじゃ焼きも海外の買い物ブームもみんなこの雑誌から起こり「Hanako現象」と呼ばれた。
 創刊から五年半にわたり編集長を務めた著者は雑誌に関わった多数の人物を登場させ、自らを狂熱的な創造集団の中の一人として客観視しながら、破天荒な時代の記録を綴(つづ)った。信じられないような世の中と人の動きを描いた「栄華物語」であるが、二十数年後の今では無常を感じさせる「平家物語」の味わいもある。
(紀伊國屋書店・2052円)
 しいね・やまと 1942年生まれ。ほかに「週刊平凡」などの編集長を務める。
◆もう1冊
 酒井順子著『ユーミンの罪』(講談社現代新書)。一九七三年の「ひこうき雲」以来、女性の意識に与えた影響を検証。 
    --「書評:銀座Hanako物語 椎根 和 著」、『東京新聞』2014年04月20日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014042002000169.html:title]

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銀座Hanako物語――バブルを駆けた雑誌の2000日
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覚え書:「発信箱:4月、四国の遍路道で=落合博」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。


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発信箱:4月、四国の遍路道で=落合博
毎日新聞 2014年04月17日 00時45分(最終更新 04月17日 00時45分)

 四国八十八カ所の霊場を巡るお遍路道の休憩所などで先週、朝鮮人排斥を訴える貼り紙が相次いで見つかった。「最近、礼儀しらずな朝鮮人達が気持ち悪いシールを四国中に貼り回っています。見つけ次第、はがしましょう」という内容で、韓国人の女性がハングルで書いた道案内のシールが標的とみられる。

 フリーライターの加藤直樹さん(46)は東京・新大久保のヘイトスピーチ(憎悪表現)のデモで「不逞(ふてい)朝鮮人」と書かれたプラカードを目にして、1923(大正12)年9月1日の関東大震災時の朝鮮人虐殺を思い出したという。

 90年前の東京には「不逞鮮人来襲」などと書かれたビラが貼られていた。加藤さんは虐殺の現場を歩き、当時の証言や記録をまとめた著書「九月、東京の路上で」の中で、関東大震災は過去の話ではなく、虐殺の「残響」は街にも人の心の中にも響いている、と書いている。

 日本が韓国を植民地にした10年の「日韓併合」、植民地支配に抵抗した19年の「3・1独立運動」などを経て国内には朝鮮人に対する蔑視と恐怖が入り交じった感情が醸成されていた。当時の新聞記事には「不逞」「不穏」の見出しが度々登場する。敵対ではなく、共生的な関係であったならば惨劇は起こり得ただろうか。

 最近、排他的な動きが各地で顕在化している。書店には「嫌韓」や「嫌中」を見出しにした本や雑誌が並び、埼玉のスタジアムには「JAPANESE ONLY」の横断幕が掲げられた。お遍路道の貼り紙もその一つだろう。

 対立をあおり、未来の扉を閉ざすような動きを見過ごすことはできない。 
    --「発信箱:4月、四国の遍路道で=落合博」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。

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[http://mainichi.jp/opinion/news/20140417k0000m070135000c.html:title]

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日記:「憲法の価値は個人の尊重(尊厳)にあり、憲法は国家を縛るための道具だ」

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 憲法学者も、立憲主義の重要さは当たり前すぎるからなのか、改めて説明されることは少なかったように思います。私は、30年以上前に法曹養成に携わりはじめた当初から、「憲法の価値は個人の尊重(尊厳)にあり、憲法は国家を縛るための道具だ」と言い続けてきました。15年ぐらい前からは、立憲主義のポイントを誰でも理解できるように「法律と憲法では矢印の向きが逆だ」と説明してきました。法律は国民の権利を制限したり、義務を課するものです。これに対して、憲法は、国民が国に守らせるためのものです。国が国民に命令するのが法律であるのに対して、国民が国に命令するのが憲法なので、その関係を「矢印の向きが逆だ」と言ってきたのです。誰に向けられた法か、つまり法の名宛人がまったく違うという本質を理解してもらいたかったのです。
    --伊藤真『現代語訳 日本国憲法』ちくま新書、2014年、285頁。

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当たり前すぎるから当たり前すぎることに関して言及することが少なくなってしまうのは、憲法(学)に関する議論にだけ限定される問題ではなく、私自身、教養教育に従事するなかでもおなじことを繰り返してしまいますが、過度に言及しなかったために、その当たり前すぎることが、当たり前であることのはしごをどかされてしまうことがあるかもしれませんので、そのことに警戒的であるべきなのかも知れません。

昨今、憲法に関する議論において、所謂law-makerと称される国会議員諸氏においても、その当たり前に関することの理解に著しく問題のある御仁が多々散見されるのですが、これも当たり前に関する健忘症のごとき事例なのでしょう。

憲法とは、国家や国家に従事する人間を「縛る」もの。しかし、なぜか自身の言説からも「自由」であることを自由主義者と錯覚するが如く、憲法に関しても「当たり前」の前提を理解せず、法治を遂行しているつもりの人治というのは、近代以前の封建主義の時代なのかと頭を抱えてしまうのですが……

ああ、そうか。

この國の為政者というのは、民草に奉仕するという存在ではなくして、民草よ、権力者に奉仕せよという伝統ですから、さもありなん……か。

……では、よくない訳ですけれども。


むむむ。


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現代語訳 日本国憲法 (ちくま新書)

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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『人類5万年 文明の興亡 上・下-なぜ西洋が世界を支配しているのか』=イアン・モリス著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。


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今週の本棚:本村凌二・評 『人類5万年 文明の興亡 上・下-なぜ西洋が世界を支配しているのか』=イアン・モリス著
毎日新聞 2014年04月20日 東京朝刊

 (筑摩書房・各3888円)

 ◇古代、先史に目を向け、未来を語る

 読み書きなど当然のご時世だが、人間が文字を開発してから5千年しか経(た)っていない。それとともに歴史と文明が始まると言うが、本書の視野はその10倍の5万年になる。そこにはいかなる意味があるのだろうか。

 欧米のギリシャ文化愛好者のなかには、古代ギリシャが近代西洋風の生活文化の原点である、と信じて疑わない向きがある。考古学と古代史を学びだした若いころの著者もそういう信念に凝り固まっていたという。

 ところが、さまざまな出会いのなかで、多様な地域と時代にあっても類似した特徴があることに気づいてきたらしい。人類史にまで広がるグローバルな視点がなければ、真相は浮び上らない。そこに問題がひそんでいるのだ。

 アフリカにいた現生人類が移動して地球上に広がったのは6万年前。そのころ東洋も西洋も違いはなかった。たしかに、この500年ほどに目をやれば、いかにも西洋が世界を率いるように見える。だが、それ以前の過去までさかのぼれば、いずれにあっても成長や停滞、破綻などがくりかえされている。こうして、歴史と文明の全体像をつかもうとする意欲が生まれる。

 著者によれば、従来のアプローチには2通りある。一つは、太古の昔に東西は異質な世界になり、そのために西洋は産業革命に到達したという「長期固定」理論である。もう一つは、アヘン戦争直前の19世紀になってはじめて西洋は東洋をしのいだのであり、それもほとんど偶然の出来事だったという「短期偶発」理論である。これに対して、著者は「社会発展指数」なる手法を取り入れ、過去を計る作業を提案する。国連の人間開発指数に示唆された「エネルギー獲得量、組織化・都市化、戦争遂行力、情報技術」の四つを点数化したものである。

 今から数千年前に、ユーラシアの西端と東端に文明のコアが生まれたという。気候と生態系の変化のおかげで西洋は恵まれており、社会発展指数はローマ帝国の末期まで西洋が高かった。だが、その後は事情が変わり、千年間以上は東洋が優位に立つほどだった。

 これらの数値は興味深いが、古今東西のエピソードとなると人間味にあふれている。たとえば、贅沢(ぜいたく)をきわめたローマ教皇庁では、イエスが貧しかったと言うことすら禁じたという。14世紀半ばに疫病が広がったとき、急激な衰退があり、終末の訪れが感じられた。疫病は異教徒の処罰のためのものであったが、キリスト教徒には神の慈悲による殉教でもあった。

 古代のアリストテレスは自発作業機器ができないかぎり奴隷は常に必要だと考えていたが、電力を知る時代には賢人の洞察が幻想ではなかったことがわかる。

 かつて中国人は科学ですばらしい成果をあげてきたのに、17世紀に近代科学を生み出したのはなぜ西洋人なのだろうか。西欧では大西洋を越えて知が広がったために、時間、空間、金銭を厳密に測定する必要に迫られた。清朝は知識人を国務にとりこみ、革新思想を野放しにする危険に敏感であったという。

 ともすれば、考古学者や古代史家は近現代社会の歴史や文化の研究者の陰にかすんで忘れ去られがちである。だが、古代や先史時代にまで目を向けなければ、壮大な人類史の流ればかりか、未来をも語れなくなるのだ。この著者の主張には同学の評者は心から共感するものがある。(北川知子訳)
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『人類5万年 文明の興亡 上・下-なぜ西洋が世界を支配しているのか』=イアン・モリス著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:小島ゆかり・評 『桜は本当に美しいのか-欲望が生んだ文化装置』=水原紫苑・著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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今週の本棚:小島ゆかり・評 『桜は本当に美しいのか-欲望が生んだ文化装置』=水原紫苑・著
毎日新聞 2014年04月20日 東京朝刊

 (平凡社新書・929円)

 ◇斬新な仮説と、鋭い読み解き

 「桜は本当に美しいのか」と、いきなり問いかけられて眩暈(めまい)を覚える。あまりにも意外な、いや本当は心の深層にずっと佇(たたず)んでいた問いだからかもしれない。しかしこの問いに答えるのは容易ではない。古典和歌を熟知し、みずからも桜の名歌を何首も詠んでいる歌人がなぜ、この問いに挑んだのだろうか。

 きっかけは東日本大震災であったという。当日まだ咲いていなかった桜は、やがて独り、まるで猛威を振るった自然の一部のように、何事もなかったように平然と、被災地に花を咲かせた。その非情な姿を美しいと感じることができなかったと告白する。

 桜は、遠い昔には、人知れず山中に咲いていた花である。桜を人間の俗界に招き入れ、あえかなはなびらに、堪え得ぬほどの重荷を負わせたのは、私たちの罪ではないか。

 我に触るるな。

 あの春に見た桜は、そう言っていたのかも知れない。

 私たちには、桜を、長い長い人間の欲望の呪縛から、解放すべき時が来てはいないだろうか。(「まえがき」)

 本書の副題はすなわち、「欲望が生んだ文化装置」。第一章「初めに桜と呼びし人はや」の古代神話にはじまり、『万葉集』『古今集』、また『枕草子』『源氏物語』、和泉式部を経て『新古今集』、さらに西行、定家、世阿弥、芭蕉、歌舞伎、近代文学、近現代の短歌、そして第十九章「桜ソングの行方」まで。わたしたち日本人の桜にまつわる美意識と欲望は、どのように創造され演出され、どのように変遷し浸透したのか。

 桜はもともと、稲作の豊凶を占う呪的な花だった。『万葉集』には、その祈りの花が眺める花へと移行してゆく過程が見える。古代的な霊力に満ちた柿本人麻呂の歌から、近代的な繊細さをもつ大伴家持の歌へ。この間(かん)にも時代は刻まれ、そしてすでに、政治的な桜と個人的な桜が登場する。しかしまだ、花の主役は桜ではなく梅。中央集権国家への道筋は、文化においても中国に学ぶことであった。

 愛と死をうたうことは得意でも、思想性に欠ける和歌の力となったのは、言葉による呪力である。ところが、人麻呂の歌がもっていたような言葉の呪力が現実にはもう喪(うしな)われてしまったとしたらどうか。「そこで、導入されたのが、本来呪力を持つ桜ではないだろうか」と著者は言う。

 さらに、悲運の帝王歌人・後鳥羽院の執念により編まれたような『新古今集』において、不在・非在の桜が好んで詠まれ、それはつまり、王朝文化の終わりを予感させるものではなかったかとも言及する。

 圧巻は、西行と定家。歌でおのれを突き詰めて、今までに誰も詠んだことのない、「心」そのものをあらわにしてしまった西行。その西行をもっとも正しく理解したゆえに、過剰なまでの修辞を駆使して、結果的に生の根源的な不安を照らし出した藤原定家。

 「西行と定家は、実は背中合わせに同じところにいるような気がする」という指摘は、歌の歴史と本質に関わる最大のテーマに対する、見事な回答であると思う。

 また、この歌人のライフワークと言ってもよい能・歌舞伎の鑑賞や、本居宣長の桜の歌の解説も、おもしろくて注目した。

 斬新な仮説と、作品の鋭い読み解きによる独特の展開は、桜に対する新たな覚醒を促して、最後まで読者を飽きさせない。 
    --「今週の本棚:小島ゆかり・評 『桜は本当に美しいのか-欲望が生んだ文化装置』=水原紫苑・著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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桜は本当に美しいのか: 欲望が生んだ文化装置 (平凡社新書)
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覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『評伝・シェープキン-ロシア・リアリズム演劇の源流』=V・I・イワシネフ著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『評伝・シェープキン-ロシア・リアリズム演劇の源流』=V・I・イワシネフ著
毎日新聞 2014年04月20日 東京朝刊

 (而立書房・2160円)

 ◇内面心理描くリアルな演技への苦闘

 ロシアのモスクワ芸術座とスタニスラフスキーは、世界演劇史のなかで、近代リアリズムの金字塔を打ち立てた。もし彼らの仕事がなかったならば、今日の現代演劇は存在しなかったに違いない。この歴史的事実は人のよく知るところ。しかしその一つ前の時代に生きた一人の名優のことはあまり知られていない。その名をシェープキン。農奴の家に生まれ、はじめ喜劇俳優になり、ついにリアルな演技によって国民的な名優になった。この人の存在がなかったならば、スタニスラフスキーの仕事も存在しなかったばかりでなく、彼が交流したゴーゴリ、ツルゲーネフら、多くの文学者の仕事もなかったかもしれない。そのシェープキンの評伝である。

 この評伝が面白いのは、まず第一にシェープキンの生い立ったロシアの農奴の生活が生々しく描かれている点である。シェープキンは農奴解放が行われる前に、身をもって農奴の生活から脱出した。この本に描かれているのはその彼自身の体験だからこそ生々しく迫ってくる。

 第二に、十九世紀のロシアの芝居は、ほとんどフランスのコメディの輸入であった。大げさな外国人の身振(みぶ)りもの真似(まね)、観客を笑わせようとして必死になる俳優。そういうなかでシェープキン一人はごく自然な演技を求めた。この仕事がいかに困難で画期的であったことか。

 たとえばゴーゴリの「検察官」(訳者は最近の研究に従って「査察官」というがここでは読者になじみ深い「検察官」と呼ぶ)は今日でも上演されるが、あの中央政府からの検察官の査察におびえる市長の役をゴーゴリとともに作ったのはシェープキンであった。はたから見れば喜劇的な市長も、市長自身の立場に立てば必死。その必死さはリアルなものであり、そこに人間のリアルな心理描写が必要になる。著者イワシネフはそこまで踏み込んでいないが、シェープキンははじめて劇場の現場で人間の内面の心理を発見したといってもいいと私は思う。

 しかもここで重要なのは、ゴーゴリとの交流である。シェープキンはフランス喜劇ではなくロシア根生いの戯曲を求めて格闘し、作家もまた彼を深く愛して一生の友とした。このような俳優と劇作家との交流が現代の現場でもいかに大切かはいうまでもない。

 シェープキンは、決して豊かではないのに、彼の家にはつねに作家や俳優たちが十数人も同居していた。当時の作家は反体制的なために弾圧され、流罪になった人も多かったが、彼は地方への旅公演を口実に彼らを訪ね、ある時は同志からの密書を届けるという冒険さえした。

 表紙カバーにもなった画像を見ると、シェープキンは、ふくよかな顔の、少し禿(は)げ上がった小柄な男である。そこには喜劇役者にふさわしい風貌が漂っていて、農奴出身の暗い影はみじんもない。自然な演技を開発した彼は、おのれの人生の苦難も克服したのである。そればかりではない。シェープキンは、その場の笑いだけを求める観客の前で、リアルな人間像を描くために苦闘した。そしてついに観客自身を変えたのである。この徒手空拳の闘いがいかに大変であったかは想像に余りある。

 イワシネフは、普通の伝記とは違う展開によって、その名優の風貌を多角的に描いている。そのためと翻訳が生硬なところもあって、多少読みにくいところがないでもない。

 にもかかわらずこの本には今日の演劇にとっても重要な原点が含まれている。古い農奴の世界は滅びた。しかしシェープキンは生きている。(森光以(てるえ)訳) 
    --「今週の本棚:渡辺保・評 『評伝・シェープキン-ロシア・リアリズム演劇の源流』=V・I・イワシネフ著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く 小林節・慶応大名誉教授」、『毎日新聞』2014年04月19日(土)付。


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どう動く:集団的自衛権・識者に聞く 小林節・慶応大名誉教授
毎日新聞 2014年04月19日 東京朝刊

(写真キャプション)集団的自衛権についてインタビューに答える小林節・慶応大名誉教授=東京都千代田区で2014年4月14日、中村藍撮影

 ◇憲法改正し行使を

 「国連が世界を一つに束ねられたらいいが、その理想はいまだに実現していないので、価値観の一致する国が集団的自衛権を行使して国際秩序を維持するしかない。日本は世界第3位の経済大国で、国連分担金の拠出額は米国に次いで第2位。戦後、資源のない日本が豊かに再発展できたのは、米国はじめ世界の国々のおかげだ。大きな責任がある。国際平和を維持するために、日本が何もしないわけにはいかない。現実的に考えれば、限定した条件のもとで集団的自衛権を行使できるようにすべきだ」

 国連憲章は、加盟国に対する武力攻撃が発生した場合、安全保障理事会が国際平和と安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的・集団的自衛権の行使を認めている。いわば各国の自衛権は国連による集団安全保障の補完的な位置付けだが、現実の国際政治の舞台では拒否権を持つ常任理事国(P5)の思惑が絡み、正規の国連軍はこれまで一度も設立されていない。

 「しかし、憲法解釈変更で集団的自衛権の行使を認めようというのは論外だ。わが国は第二次世界大戦に負けて、現行憲法を押し付けられた。『二度と侵略者になるな』というのが9条の立法趣旨だ。9条1項で自衛のための戦争は留保したが、2項で海外派兵が前提の交戦権を否認している。したがって、海外で武力を使うことになる集団的自衛権行使は、今の憲法ではあり得ない。

 尖閣諸島(沖縄県)は米国にとっても重要だ。中国が軍事的に手を伸ばしてきたら、米国は日米安全保障条約に従って排除するだろう。また、朝鮮半島有事はすなわち日本の有事だから、個別的自衛権で対応できる。日本の集団的自衛権行使がすぐ必要になる場面はない。安倍晋三首相はまず96条の憲法改正要件を緩和しようとして失敗したので、改憲がだめなら解釈変更で、という本性が表れた。しかし、憲法の枠を越えてしまったら、それは解釈とは言えない」

 国際法上の交戦権は「戦いを交える」という狭い意味ではなく、「交戦国が国際法上持つ権利の総称」と考えられている。敵国での占領行政や、中立国の船舶の立ち入り検査(臨検)なども交戦権に含まれる。首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」は集団的自衛権に基づく臨検を認める立場だが、首相は3月4日の参院予算委員会で、「臨検は参戦につながる」という野党の追及を「憲法との関係を議論している」とかわした。

 「集団的自衛権の行使には憲法改正が必要だ。9条を(1)間違っても他国を侵略しない(2)わが国への侵略に対する自衛戦争はする(3)そのために自衛軍を持つ(4)自衛軍による国際貢献は国連決議と国会の事前承認を条件とする--という4項に改め、どんな政権ができてもいいように憲法でがっちり歯止めをかける。自民党が2012年4月に発表した憲法改正草案のように、海外派兵を法律に委ねたら、国会の過半数の賛成で変えられてしまう」

 自民党の改憲草案は9条で、自衛隊に代わる「国防軍」が「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」をできると規定。具体的な活動内容は法律で定めることとした。しかし、「当時野党だったから書けた案」と実現性を疑問視する同党議員は少なくない。【構成・念佛明奈、写真・中村藍】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇こばやし・せつ

 1949年、東京都生まれ。慶応大卒。改憲の立場だが、憲法96条改正に反対する学者らでつくる「96条の会」発起人の一人。弁護士としても活動している。「憲法守って国滅ぶ」など著書多数。 
    --「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く 小林節・慶応大名誉教授」、『毎日新聞』2014年04月19日(土)付。

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覚え書:「発言 右傾化の正体は国民の心配性=松本正生」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。


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発言
右傾化の正体は国民の心配性
松本正生 埼玉大学教授

 「日本人(わけても若者)の右傾化」論がかまびすしい。きっかけのひとつは2月の東京都知事選における田母神俊雄氏の大方の予想以上の健闘だ。若者層の支持は高く、毎日新聞の出口調査の年代別データを見ると20代で田母神氏に投票した人の比率が2位を占め、男性の20代に限れた桝添要一氏を抜いてトップだった。
 ところが、基準を政党に置き換えると、61万の田母神票の中身は自民党支持者(50%)と支持政党なし(50%)に二分される。日本維新の会の支持者中で田母神氏に投票した人の比率は桝添、細川護熙両氏に引き離された3番目に過ぎない。
 政策についても災害対策を重視する人たちの支持が高いぐらいで、顕著な特徴は見あたらない。もろもろのデータを総合すると、若者は消去法的に田母神氏を選択したのではないかという推測が成り立つ。
 右傾化のもう一つの特徴は、安倍内閣の高支持率だ。昨年暮れの靖国神社参拝以来、安倍晋三首相の前のめりの言動にはタカ派的色調が目立つ。けれども「安倍一強政治」を支える内閣支持率の高値安定に変化はない。メディアが連発する危惧も世論にはほとんど到達していないのか。
 とはいえ、高支持率の背景には、有権者の割り切りがたい胸中が存在する。「集団的自衛権行使のための憲法解釈の変更」「原子力発電所の再稼働」など、ホットイシューの評価は反対が多数を占める。
 身近で切実な経済でも「安倍内閣の経済政策を評価する」にもかかわらず「景気が良くなったという実感はない」。四分六部的な感情に依拠する支持は「それ(安倍政権)意外に選択肢はなく、期待するしかない」「これ以上世の中が悪くなってほしくない」というどん詰まりの状況の裏返しだろう。
 毎日新聞と埼玉大学社会調査研究センターの共同調査(「日本の世論2013」)の結果にも、同様の心性がうかがえる。「家族が大切」という思いに象徴されるごとく、他のアイデンティティーのよりどころがないからこそ「失いたくない」、現状に満足かどうかは別に「今、目の前にあるものを守りたい」という心配性ゆえの現実保守にほかならない。
 政治と世論の間では、政治を評価する指標、言い換えれば、政治のエネルギー源が内閣支持率に一元化されている。時の政権にとって内閣支持率に依拠する政治運営から逃れるすべは見当たらない。この先、景気動向やアベノミクスにかげりが生ずることがあれば、支持率維持のために、世論の関心を外に向ける常とう手段に腐心せざるを得ないだろう。
 その時、世論はどう反応するのか。地に足の着いた中庸が薄くなった今、現状保守に余年のない心配社会には、安全保障や領土などの直接的なナショナリズムよりも、PM2・5や黄砂など、生活レベルの不安や素朴な脱自虐志向の刺激で、相応の効果が得られるかもしれない。
 かくして日本人の右傾化を危惧する向きは、安倍政権が窮地に追い込まれて国民の「心配性」を刺激することがないよう願わざるを得ない。

まつもと・まさお 埼玉大学社会調査研究センター長。著書に「『世論調査』のゆくえ」など。
    --「発言 右傾化の正体は国民の心配性=松本正生」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『善き書店員』 著者・木村俊介さん」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『善き書店員』 著者・木村俊介さん
毎日新聞 2014年04月20日 東京朝刊

 (ミシマ社・1944円)

 ◇インタビューの潜在的な可能性--木村俊介(きむら・しゅんすけ)さん

 書店員6人へのインタビューから、「善く働く」とは何かを探った。

 ほぼ毎日、足を運ぶほどの書店好きだ。「長年見ていると、書店員の人たちがだんだん元気をなくしているようで」。出口が見えない出版不況。書店も書店員も苦しんでいる。6人のうちの1人は、10人ほどいた同期がみな辞めてしまった。「本当に好きじゃなければやめた方がいいよ、と年下の人間には言わざるをえない業界になっています」と語る大手書店の男性も。

 「労働時間に対して給料も安い。時給換算すれば、ファストフードのアルバイトより安いこともしばしばです。そんな苦しい中でも、仕事に面白さや美学を見いだしている人たちがいます。まさに『善い人』だと」

 どん底に近い経営状態を立て直し、「町の本屋の最高峰を目指す」という若き経営者。本を売るだけでなく、従業員を育てることに意欲を持つ店長。あるいは店づくり、棚づくりにそそぐ熱意から、出版文化を支える働きがいが伝わってくる。

 肩書は「インタビュアー」。東大1年生のとき、ノンフィクション作家・立花隆さんの「調べて書く」ゼミに参加した。「人に会って話を聞くのが、こんなに面白いのか」と感じた。以来、「働くこと」や「つくること」を主なテーマに、これまで約500人以上に取材し、著作として発表してきた。

 インタビューについて、「相手の内面世界を一緒に掘っていく感覚ですね」。6人の1人が「こういう切実な気持ちを人に話すのって、たぶん初めて」と話したように、聞き上手だ。相手が普段考えていないことを、潜在意識から引き上げ、言語化させる。著名人のインタビュー依頼が多いのも、うなずける。

 自分の言葉を差し挟まず、相手の話し言葉だけで作品を紡ぐことが多い。ともすると平板な内容になりそうだ。しかも今回の6人は著名人ではない。それでも、それぞれの成功や失敗談、あるいは思索の中に読者をいざない、飽きさせない。

 「インタビューの潜在的な可能性を切り開いていきたい」。37歳の若さにして、取材、執筆歴は20年近い。この先、どんなインタビューをして、どれだけ豊かな世界を見せてくれるのか、楽しみだ。<文と写真・栗原俊雄>
    --「今週の本棚・本と人:『善き書店員』 著者・木村俊介さん」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『謝るなら、いつでもおいで』=川名壮志・著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『謝るなら、いつでもおいで』=川名壮志・著
毎日新聞 2014年04月20日 東京朝刊

 (集英社・1620円)

 親しい人を不条理に奪われたとき、人は「なぜ」の思いに駆られる。だが、答えは容易に出ない。

 10年前に長崎県佐世保市の小学校で6年生の少女が同級生を殺害した。亡くなったのは12歳の女の子で、父は毎日新聞佐世保支局長だった。当時支局員だった著者は、事件が関係する人たちに何をもたらしたのか描き出そうとする。

 本書は、著者である「僕」の視点で書いた当時のルポと、女の子の次兄と父、それに加害少女の父親のインタビューの2部構成となっている。次兄の立場で、父の立場で、そして取り返しのつかないことをしてしまった子供の父親の立場で、2人のことを考える。

 次兄は当時中学3年生で、妹とも、加害少女とも「話が合った」。だからか、加害少女に対する考察にははっとさせられる箇所があり、それは書名にもつながっていく。一方、父は行きつ戻りつ思索を重ね、「なぜ起きたか」ではなく、「なぜ防げなかったか」を、自分も含め周囲の大人に問いかける。少年事件を考えることは“子供”を考えることだと改めて思う。同時に、時間をかけて考え続けた人の言葉に驚く。(咲) 
    --「今週の本棚・新刊:『謝るなら、いつでもおいで』=川名壮志・著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『不均衡という病--フランスの変容 1980-2010』=E・トッド、H・ル・ブラーズ著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。


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今週の本棚:鹿島茂・評 『不均衡という病--フランスの変容 1980-2010』=E・トッド、H・ル・ブラーズ著
毎日新聞 2014年04月20日 東京朝刊

 (藤原書店・3888円)

 ◇フランスを家族類型の人口統計で分析

 本書は家族人類学者エマニュエル・トッドと人口統計学者エルヴェ・ル・ブラーズが共同で市町村の統計に基づいた地理的・行政的なフランス地図を作成し、「現在の問題」を可視化して分析を加えた人口統計学の研究書であるが、その射程は驚くほど大きく、来るべき未来社会を占う最善の指南書となっている。

 とりあえず、家族人類学や人口統計学に疎い読者のために、前提となる議論から紹介しておこう。トッドの家族類型によれば、世界の先進国は四つの家族類型のどれかに分類される。すなわち(1)絶対核家族(核家族で兄弟不平等。イングランド、合衆国)、(2)平等主義核家族(核家族で兄弟平等。フランスのパリ盆地、スペイン・イタリアの一部)、(3)直系家族(親は権威主義的で子の一人と同居。兄弟不平等。ドイツ、スウェーデン、日本、韓国)、(4)外婚制共同体家族(親は権威主義的で息子は全員親と同居。兄弟平等。ロシア、中国)であるが、トッドの発見はこの家族類型が近代に至りイデオロギー的に外化されて(1)→自由主義、(2)→共和主義、(3)→ファシズムと社会民主主義、(4)→共産主義とそれぞれのイズムを生み出したとしたところにある。

 本書の特色は一八世紀以来のフランスの発展も、ここ三〇年の停滞も、将来的な再起も、四類型のすべてが国内に含まれるその文化的多様性から来るとしたところだろう。

 一八世紀にパリ盆地の(2)平等主義核家族地域が先頭を切って脱宗教化し、啓蒙(けいもう)主義とフランス革命を導いて「平等主義的・世俗主義的」な共和制を確立したのに対し、南仏とドイツ国境の(3)直系家族地域はカトリック支配地域として後塵(こうじん)を拝した。二〇世紀に入ると中央山塊と地中海沿岸の(4)外婚制共同体家族が一定の影響力を持ち始めて共産党の得票を伸ばし、(2)と(4)の中心部分が左派、(3)と(1)(ブルターニュ)の周辺部分が右派という地理的・政治的均衡ができあがったが、一九七〇年代後半から顕著になった脱工業化社会、教育の普及、宗教実践の低下、女性の社会進出と婚外出生の増加、移民の増大などの新しい要素により、この均衡が崩れて、フランス理念をつくった平等主義的な中心部が弱まったのに対して、直系家族的周縁部が支配者となりつつある。これが現在、フランスを停滞させている「不均衡という病」の原因である。

 では、なにゆえにこうした不均衡は生まれたのか?一つは死に絶えたはずのカトリック教が「ゾンビ・カトリック」として復活したことである。著者たちはシュンペーターの「保護層」という概念をセーフティ・ネットの意味で使って、フランスではかつてカトリックと共産主義が補完的にこの「保護層」の役割を果たしており、「『赤い教会』は、『黒い教会』と同様に」フランス人のある部分にとって「心性的安定の基本要素であった」が、まずカトリックが、ついで共産主義が衰退・死滅する。ところが、蘇生しなかった共産主義とは異なり、カトリックはゾンビ的に復活し、直系家族地域に思いがけない影響力を及ぼすことになる。教育水準の上昇に伴い、両親および祖父母が子どもの教育に熱心な直系家族地域での上昇がより鮮明に現れたが、その傾向は次にカトリック教地域全域に拡大したのだ。「カトリック教の牙城は、いずれも教育の発展の極としての姿を現わしている。これは、大革命と共和制に反対したカトリック教が、死んだ後になって、教育という土俵の上で復讐(ふくしゅう)を果たしたということに他ならない」。対するに、共和制を先導した平等主義的地域では、親子が独立的なので教育水準は停滞した。そして、教育格差は収入格差に転化するから、次の逆説が起こる。「具体的な平等は、革命の企ての平等主義的個人主義が君臨して来たフランス中央部よりも、個人を強固に統合する、フランス周縁部の社会統合主義(ホーリズム)的社会の中に、より保存されて来た」

 また、教育格差は女性においてより明白なかたちを取る。それはまず直系家族地域の女性高学歴化と出生率の低下となって現れたが、婚外出生の一般化とともに第二段階の変化が現れる。「複合家族地域は、かつては婚外出生を斥(しりぞ)けていたが、いまや核家族地域よりもはるかに大量にそれを受入れている。(中略)世代間の連帯性が、結婚によって正式化されていない結合にとっての安全保障装置として機能している」。これなど典型的な直系家族国であり、少子高齢化に悩む日本にとって良き参考になる統計ではなかろうか?

 このように共著者はフランスのあらゆる問題を統計的マッピングで可視化し、その根源的な古層を浮き彫りにし、最後は国民全体の右傾化を取り上げて国民戦線(FN)の未来を占うところまで行くが、最終的結論は「危機と懐疑の状況にあって、人類学的・宗教的基底の役割は、かえって強まっている」であり、「その深層部分において、フランスはそれほど具合が悪くはない」である。学問の重要性を否応(いやおう)なく実感させてくれる汎用(はんよう)的な研究。日本でも広く読まれることを期待したい。(石崎晴己訳)    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『不均衡という病--フランスの変容 1980-2010』=E・トッド、H・ル・ブラーズ著」、『毎日新聞』2014年04月20日(日)付。

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覚え書:「記者の目:終末期医療と患者の意思=大森治幸(阪神支局<前富山支局>)」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。

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記者の目:終末期医療と患者の意思=大森治幸(阪神支局<前富山支局>)
毎日新聞 2014年04月17日 東京朝刊

(写真キャプション)会話補助器を使って言葉を通わせる松尾さん夫婦=富山市の病院で2011年6月、大森治幸撮影

 ◇「最期の在り方」議論を

 回復の見込みがない末期状態になったら延命措置をどうするか。「人間らしい最期」を巡る葛藤が医療現場で続いている。私は2-3月、本紙富山版で一連の問題に焦点を当てた「ヒポクラテスを超えて」(13回)を連載し、終末期患者の意思を医療に反映させる仕組みが十分整っていない現状を伝えた。超党派の国会議員が法整備の議論を始めて約10年。今国会での法案提出の動きもあり、最期の在り方について国民の本格的な議論の必要性を強く感じる。

 連載では、富山市の夫婦、松尾幸郎さん(77)と妻巻子さん(70)を取り上げた。巻子さんは2006年、同市で車を運転中、中央線を越えてきた車と正面衝突。一命は取り留めたが、管で栄養を送る胃ろうや人工呼吸器、呼吸を助ける横隔膜ペースメーカーにつながれた生活を送っている。声帯も含めて全身がまひし、話すことができない。

 そこで、唯一動かせるまぶたを使って「会話」を始めた。「ゆきおさんには かんしゃしています」「せかいいちあいしています」。会話補助器を通して巻子さんが伝えた言葉だ。しかし、歳月を重ねるごとに「しにたい」などと漏らすようになった。そして13年1月、衰弱によってこうした会話すら途絶えた。

 「薬と機械に生かされているが、目も見えるし耳も聞こえる。だからこそ『死ぬほど』ではなく『死ぬより』つらいと思う。自分が同じ状況にあったら、どう考え、どんな決断をするか。それを問い続けるのが私の責務です」。11年に、終末期医療の語り部活動を始めた幸郎さんが話す。

 ◇延命措置の中止、国も基準示せず

 厚生労働省によると、終末期の症例には余命が数日から2-3カ月の末期がんや数年で死を迎える脳血管疾患の後遺症、老衰などが含まれる。栄養分を点滴するなどして死期を延ばすのが延命措置だ。対をなすのが安楽死で、大きく分けて、苦しみを長引かせないため延命措置を中止する「消極的安楽死」(尊厳死に近い)と、致死量の薬物を処方するなどして死を早める「積極的安楽死」がある。

 更に積極的安楽死には、本人の希望に沿う「自主型」と、意思が不明でも厳しい規定の下で医師と家族が相談して決める「非自主型」があり、意思に反する「反自主型」は犯罪となる。米国などは自主型を導入、オランダでは非自主型も合法だ。いずれも法的枠組みの中で実施するために「リビングウイル」(LW、生前の意思表示)を重視。欧米では30-40年前から、LWを記録する取り組みが広がっている。ただ、意思表示できる年齢は国によって違う。

 国内の状況はどうか。延命措置の取りやめを巡っては、横浜地裁が1995年の安楽死事件の判決で示した(1)耐え難い肉体の苦痛(2)死期の切迫(3)苦痛を除く手段が他にない(4)本人の明確な意思表示--という違法性阻却の4要件が今もさまざまな場面で援用されている。富山県射水市民病院で06年、患者7人の人工呼吸器を外したとして医師2人が殺人容疑で書類送検された事件(不起訴)後、厚労省が出したガイドラインも「医学的妥当性と適切性を基に慎重に判断」とあいまいな内容にとどまっている。

 ◇一人一人が意識、法制化の土台に

 法制化の議論の中心は延命措置の不開始・中止の是非だ。松尾さん夫妻の場合、巻子さんはLWを作成していない。幸郎さんは延命措置を止めたら「罪に問われるかもしれない」と考えており、法制化に賛成の立場。県内のある医師も「本人が希望するなら延命措置をしなくても犯罪にならないと法律で担保してほしい」と漏らした。一方、法律ができると社会的弱者に死を迫る無言の圧力が生まれるという懸念が各国で出ている。医療現場には「しゃくし定規に決めた法律に制約される場面が出てくるかもしれない」という危惧もある。

 ただ、これらは終末期医療に直面した当事者の声であり、外への広がりが感じられなかった。29歳の私も、連載を担当していなければ死を意識することはなかっただろう。

 その理由の一つとして、カール・ベッカー京都大教授(62)=医療倫理学=は「みとりの場が在宅から病院になり、日本人にとって死が身近なものではなくなった」と指摘。「医療技術の著しい発展に伴い、死に方の選択肢が増えている。それらを整理し明確化する法律があれば、患者が望む終わり方をサポートできるのでは」と話す。

 大事なのは、家族で話題にしたり学校教育で触れたりし、一人でも多くが「最期の在り方」に向き合うこと。それが、法制化を含め、終末期患者の権利や意思を医療に反映できる仕組みの土台になる。重いテーマだが、目を背けるわけにはいかない。 
    --「記者の目:終末期医療と患者の意思=大森治幸(阪神支局<前富山支局>)」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。

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研究ノート:普通選挙に反対した山川均


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 一九一八年九月、原は政権の座に就く。原は第一次世界大戦をはさむ前後で欧州の没落とアメリカの台頭を予測した。この国際情勢認識の的確さが政友会の地位の向上をもたらす。その結果が原内閣の成立だった。
 政友会の対欧米協調路線を対米協調に引きつけて継承した原は、国内政策の基本路線についても同様の立場だった。原敬の政治指導の古典的な研究は、原によって「方向付けられた政友会の鉄道政策=地方主義的鉄道政策」を分析する。それは要するに「港湾の改良とそれに伴なう海運の発展によって既成線を補完しつつ、地方線の増設をすべてに優先させることによって、対内的な地方的利益の要求に応えようとするものであった」。
 このように原は政友会の基本路線の政党的な継承者だった。他方で原は別の意味でも伊藤の作った政友会を継承した。原は政友会の結成時に伊藤が自分の率いる官僚閥のひとりである。外務官僚出身の原は、一方では鋭敏な国際情勢認識によって政友会の地位を高めつつ、他方では官僚主導の政治を進める。
 それだけではなかった。伊藤の政友会が山県から政権を譲り受けたように、原も政権の座に就くために、当時、最長老の元老としてもっとも大きな影響力を持っていた山県からの支持の獲得に努める。山県への原野接近は非政党勢力への依存を強めることになる。
 原は山県の信任を普選時期尚早論によって得る。第一次世界大戦後の国際的なデモクラシー化は日本の民主化運動に波及する。一九二〇年一月の全国普選期成連合会の結成、二月の野党(憲政会・国民党・普選実行会)による普選法案の議会提出と続く。議会の外では普選大示威運動が展開する。
 原は普選時期尚早論の立場から衆議院の解散・総選挙によって対決姿勢を強める。原を嫌う対象デモクラシーの理論的指導者=吉野作造は、原の意図を見抜いていた。「今日我が国において政局を巧みに操縦するには、反対の傾向に立つ二大勢力の間をたくみに跨ぎおおせる事が必要だ。一つは元老を中心とする保守的勢力であり、一つは民間に鬱勃たる進歩的勢力である」。普選時期尚早論によって、原は「政局を巧みに操縦する」。なぜならば山県を筆頭元老とする「保守的勢力」の支持を得ながらも、「進歩的勢力」に対抗できたからである。
 国際的なデモクラシー化に対応しなくてはならなくても、原にとっては国内の権力基盤の確立の方がさきだった。原は山県の支持を必要としていた。原は普選時期尚早をめぐって解散・総選挙をおこなう理由を説明する。「漸次に選挙権を拡大する事は何等異議なき処〔中略〕階級制度打破と云うが如き現在の社会組織に向て打撃を試んとする趣旨より納税資格を撤廃すと言うが如きは実に危険極るにて〔中略〕寧ろ此際議会を解散して政界の一新を計るの外なきかと思う」。
 野党の普選法案や普選促進大示威運動は、漸進的な民主化を求めていた。この主張の正当性をおとしめるために、原は普選要求運動が漸進的な民主化ではなく、急進的な民主化を求めていると誇張した。
 急進的な民主化を求めていたのは普選要求運動ではなく、社会主義運動の方だった。社会主義運動は、普選による合法的な手段よりも直接的な行動によって革命の実現をめざした。実際にたとえば当時の社会主義運動家のひとり山川均は普選に反対している。
 別の言い方をすれば、山川たち社会主義者は合法政党としての無産政党が多くの議席を獲得できると考えなかった。原はこのような急進的な民主化運動を針小棒大に見せることで普選時期尚早を正当化し、政友会の保守化を進めた。一九二〇年五月の総選挙で政友会は議席の六〇パーセントを得る。普選時期尚早論を掲げて選挙に勝った。そう判断した原によって普選の実現は遅れる。漸進的な民主化を求める運動も沈静する。
    --井上寿一『政友会と民政党 戦前の二大政党制に何を学ぶか』中公新書、2012年、14-16頁。

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覚え書:「「死」を前に書く、ということ 「生」の日ばかり [著]秋山駿」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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「死」を前に書く、ということ 「生」の日ばかり [著]秋山駿
[掲載]2014年04月13日   [ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝 


 昨年10月に亡くなった文芸評論家の著者が、その3月まで文芸誌に連載していたエッセー。「書く」ことを思索と生の駆動装置としてきた著者は、「物語り的なものをなるべく拒否」してきたのに、「伝説やお化けが、近しくなった」と面白がる。ベランダに転がっているセミを見て、「死の実験」と思いつく。時に数十年前の日記の中の自分と対話し、頭を去らない中原中也の詩の一節をはんすうしながら、「私」とは何か、そのように考える私とは何かを巡って思索し、書く。散歩に出かける近所の公園、書き物をする机の前の窓から見るいつもの風物が哲学、文学とつながっていき、生の「日ばかり(日時計)」を明晰(めいせき)な文章で刻む。
    ◇
 (講談社・2160円)
    --「「死」を前に書く、ということ 「生」の日ばかり [著]秋山駿」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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「死」を前に書く、ということ 「生」の日ばかり
秋山 駿
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覚え書:「性の悩み、セックスで解決します。 [著]シェリル・T・コーエン-グリーン他」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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性の悩み、セックスで解決します。 [著]シェリル・T・コーエン-グリーン他
[掲載]2014年04月13日   [ジャンル]社会 ノンフィクション・評伝 

 昨年末公開された米映画「セッションズ」の原作。著者は、さまざまな性不全の克服を手助けする女性性治療士で、30年以上にわたり900人を超える相談者とセックスしてきた。本書は彼女の個人的な回想録ではあるのだが、1960-70年代の性解放運動や80年代のエイズの発生が、著者だけでなく社会全体のセックス観を大きくゆさぶったことが透けて見える。性行為は今や本能や自然や個人の心身の領域にとどまらず、コミュニケーション論や人権問題、宗教・政治意識といった文脈の中に大きく入り込んでいる。セックスしようとする者はパートナーだけでなく、まとわりつく社会性とも向き合わなくてはならないのだ。
    ◇
 (柿沼瑛子訳、イースト・プレス・2376円) 
    --「性の悩み、セックスで解決します。 [著]シェリル・T・コーエン-グリーン他」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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性の悩み、セックスで解決します。 ~900人に希望を与えた性治療士の手記~
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覚え書:「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く 阪田雅裕・元内閣法制局長官」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。


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どう動く:集団的自衛権・識者に聞く 阪田雅裕・元内閣法制局長官
毎日新聞 2014年04月17日 東京朝刊

 ◇解釈変更では限界

 「そもそも憲法9条を集団的自衛権の行使が可能と読むことはできない。国民の間で、定着した読み方を変更するのではなく、条文を変えて国民に是非を問うのが当然ではないか。憲法に改正手続きの規定があり、国民投票法改正案もようやく成立する見通しになった。政治は憲法改正の努力をすべきなのに、その形跡はない。今ある法律を適宜解釈して運用すればいいというのでは、『法治』ではなく『人治』だ。日本は法治国家をやめることになる」

 憲法96条は改正手続きについて、衆参各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会が改憲案を発議し、国民投票で過半数の賛成が必要と定めている。安倍晋三首相はまず同条を改正して改憲のハードルを下げようとしたが、世論の支持は高まらなかった。一方、自民党内には「解釈変更で集団的自衛権の行使を認めれば、本来目指す改憲が遠のくのではないか」という意見も根強い。

 「集団的自衛権行使の限定容認論には無理がある。『必要最小限度の集団的自衛権』は政治的な落としどころとしては聞こえがいいが、それをだれが判断し、限界をどう定めるのか、いくら考えても分からない。これは必要だといえば何でもできるし、反対に、一緒に戦う国を少ししか手伝わないのではあまり意味がない。

 自衛隊が海外で武力行使できるようになれば、(9条で禁じている)『陸海空軍その他の戦力』との違いの説明も非常に難しいだろう。9条の縛りを全部取り払うことになる。今の行使容認論は、憲法の読み方として限界を超えている。解釈ではなく主張だ。集団的自衛権を認めた国連憲章を憲法に優先させるのは論理の逆立ち。これは護憲、改憲というレベルの問題ではない」

 政府はこれまで、必要最小限度の自衛権の行使は憲法上認められるとの立場をとってきた。首相は自民党幹事長時代の2004年、「『最小限度』は数量的な概念なので、この範囲に入る集団的自衛権の行使もあるのではないか」と国会で質問。内閣法制局は「自衛権行使の要件を満たしていないという意味であり、数量的な概念ではない」と答弁した。

 「集団的自衛権の行使容認は外務省の積年の思いだ。『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』(安保法制懇)のメンバーも同省と関わりのある人が多い。彼らは内閣法制局を目の敵にした。しかし、法制局は勝手に解釈を考え、歴代内閣に押し付けてきたわけではない。吉田茂内閣での自衛隊と憲法の関係をはじめ、歴代内閣の安保政策を前提に議論し、政権側も納得して採用してきた。法制局を批判するのではなく、戦後の政府の路線が間違っていたとはっきり言うべきだ」

 自衛隊の国際的な活動の拡大を目指す外務省は、内閣法制局と長年激しく論争してきた。イラクがクウェートを侵攻した1990年の湾岸危機の際、自衛隊が多国籍軍を後方支援する「国連平和協力法案」(廃案)をとりまとめた外務省の柳井俊二条約局長(当時)は現在、安保法制懇で座長を務める。首相は昨年8月、同省出身の小松一郎駐仏大使を法制局長官に抜てきし、「外務省シフト」が鮮明になっている。【構成・木下訓明、写真・矢頭智剛】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇さかた・まさひろ

 1943年、和歌山県生まれ。東京大卒。大蔵省(現財務省)、通産省(現経済産業省)勤務などを経て、2004-06年まで小泉内閣の内閣法制局長官を務めた。現在は弁護士。編著に「政府の憲法解釈」。 
    --「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く 阪田雅裕・元内閣法制局長官」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140417ddm002010056000c.html:title]

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覚え書:「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く 孫崎享・元駐イラン大使」、『毎日新聞』2014年04月18日(金)付。


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どう動く:集団的自衛権・識者に聞く 孫崎享・元駐イラン大使
毎日新聞 2014年04月18日 東京朝刊

 ◇報復招く軍事手段

 「日本の防衛には日米安全保障条約があり、集団的自衛権の行使を認める必要はない。『米国が一方的に日本を守るだけで、日本は自国の防衛に何ら貢献していない』という主張があるが、日本は憲法上の規定に従って共通の危険に対処すると安保条約で義務付けられている。

 ただ、安保条約には『日本国の施政の下にある領域』で『(日米)いずれか一方に対する武力攻撃』があったときという二つの縛りがかかっている。安倍政権が集団的自衛権の行使を認めようとするのは、これを超えて米国の海外戦略に自衛隊を使うためだ。日米両政府は2005年、『共通の戦略目標』で合意した。国際的な安保環境を改善するために日米で共同行動をとろうとするもので、今の議論はその延長線上にある」

 米国のブッシュ前政権は世界規模で米軍の再編を進め、その一環として、沖縄の海兵隊のグアム移転や普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設・返還で日本と合意した。日米両政府は米軍と自衛隊の役割分担を並行して協議し、日米の軍事的な結び付きが強まった。安倍晋三首相は先月、防衛大学校の卒業式で「日本近海の公海上で米国のイージス艦が攻撃を受けたときに、日本は何もできなくていいのか」と訴えた。

 「一番の問題点は日本に危険を呼び込むことだ。集団的自衛権を行使すれば、いずれかの段階で自衛隊は戦闘行為に入るだろう。相手側に死者が出れば報復を覚悟しなければならない。イラク戦争に参戦したスペインや英国ではテロで多くの市民が犠牲になった。

 仮に北朝鮮が米国に弾道ミサイルを発射した場合、日本が集団的自衛権を行使して迎撃すれば、米国にとってはプラスだ。北朝鮮は日本に報復するのでプラス、マイナスゼロ。しかし、報復攻撃される日本はマイナスにしかならない。

 中国が進出を強める南シナ海を巡って、日米が軍事行動を活発化するために集団的自衛権を利用する可能性もある。日本の集団的自衛権行使が可能になれば、中国は軍部を中心に激しく反発するだろう」

 03年3月に始まったイラク戦争で、政府は陸上自衛隊と航空自衛隊の部隊をイラクなどに派遣した。憲法との関係で「非戦闘地域」での人道復興支援などに活動を限定したが、実際には宿営地に迫撃砲を撃ち込まれる事件も起きた。小泉純一郎首相(当時)は04年11月の党首討論で「自衛隊の活動している地域が非戦闘地域」と答弁し、野党から批判された。

 「安保環境を改善するために集団的自衛権の行使を認めたら、日米安保の対象地域は、日本の施政下から全世界に拡大するだろう。集団的自衛権は、米国の軍事目的のために自衛隊を雇い兵のように使うシステムだ。しかし今日、軍事的手段では安保環境の改善は見込めない。イラク戦争もアフガン戦争も失敗した。日本は紛争の政治的解決を図る外交努力で貢献すべきだ」

 集団的自衛権の行使が可能になれば、自衛隊の活動範囲はどこまで広がるのか。「地球の裏まで行くことは普通考えられないが、日本に非常に重大な影響を与える事態なら完全に排除はしない」(自民党の石破茂幹事長)という意見がある一方、菅義偉官房長官は11日のテレビ番組で「あり得ない」と否定した。【構成・福岡静哉、写真・徳野仁子】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇まごさき・うける

 1943年、旧満州生まれ。東京大中退。外務省国際情報局長、駐ウズベキスタン大使などを歴任し、2002年から09年まで防衛大学校教授。著書に「戦後史の正体」「小説外務省 尖閣問題の正体」など。 
    --「どう動く:集団的自衛権・識者に聞く 孫崎享・元駐イラン大使」、『毎日新聞』2014年04月18日(金)付。

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書評:辻村みよ子『比較のなかの改憲論 日本国憲法の位置』岩波新書。2014年。


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日本国憲法の歴史的意義とは
 憲法史的に見れば、「押し付け」よりもむしろ、明治時代の自由民権運動が築いた民主的憲法思想が、鈴木安蔵らの「憲法研究改案」に結実して、ラウエル文書からマッカーサー草案に伝わり、新憲法のなかに取り入れられた、という日本国憲法の歴史的事実こそが重要である。
    --辻村みよ子『比較のなかの改憲論 日本国憲法の位置』岩波新書。2014年、223頁。

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辻村みよ子『比較のなかの改憲論 日本国憲法の位置』岩波新書、読了。本書は憲法学・比較憲法学の立場から日本国憲法の位置づけや憲法改正手続きの問題を検討する一冊。各国との対比は改正手続きが厳しすぎる訳でもないことを、背景となる「押しつけ憲法論」の虚偽を明らかにする。

昨今の稚拙な改憲論は「ゲームに勝つためにゲームのルールを変えよう」という国民の意識や生活とかけ離れた「政治の論理」。必要なことは喧噪に籠絡されず、人権の尊重や平和主義など日本国憲法の精神を活かすことではないだろうか。

「とくにこれからの憲法論は、個人の人権を守るために国家が存在し、戦争こそが最大の人権侵害であることを基礎として、新時代を先取りする観点から論じることが肝要」と著者はいう。自由な討議は必要不可欠だが、抜き打ち的な拙速は避けたい。

日本国憲法の中に、戦前より一貫して流れる草の根の息吹が合流するがごときものは、憲法だけでなく、デモクラシーの議論にもあるのではないかと思う。吉野作造の民本主義の主張と実践に関しても、戦前戦後で断絶しているわけではないが如くに。 


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覚え書:「驚くべき日本語 [著]ロジャー・パルバース [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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驚くべき日本語 [著]ロジャー・パルバース
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2014年04月13日   [ジャンル]人文 国際

■世界言語にもなりうる可能性

 一種の日本礼賛本かと読みはじめたら、見事に裏切られた。筆者は、日本語を礼賛するが、現在の日本、日本人に対して批判的である。日本語と日本人は別物であり、日本語は「驚くべき」であるが、日本人はもっとタフになって、自分を開き、国を開けと、筆者は提案する。
 日本語の持つ大きな可能性に対しての分析は、4カ国語を自由にあやつる筆者ならではの説得力がある。極めて限られた語彙(ごい)をベースにしながら、そこに接頭語、接尾語などを自由に付加することで、他の言語では達成できないような効率性、柔軟性を持つ日本語は、充分に英語にも匹敵する世界言語たりえるという分析である。日本語を他言語に通訳する場合、同一内容が倍の長さになるともいわれるが、日本語の本質的な効率性、機能性ゆえだったのである。オノマトペの多用も、日本語の表現力を倍化させているらしい。
 しかも日本語は曖昧(あいまい)な言語ではないと、筆者は断定する。国際的な場へ出る勇気がない臆病で怠慢な日本人が、閉鎖的な自分を守る口実として、「曖昧」といっているだけというのだ。
 言語としてみると日本語は全く曖昧ではなく、周辺の文脈によって、明確に意味が規定される。だからこそ、短いセンテンスで、多くの内容を伝えることができるそうである。
 「曖昧だ」とか、「こんな丁寧な言語はない」というのは、世界を知らない日本人の自己陶酔的な言い訳にすぎず、しばしば日本語の敬語や丁寧表現は、直訳すると、とんでもなく図々(ずうずう)しい表現に聞こえるらしい。日本人であることを自己否定して、しかも日本語のグローバルな可能性にかけろというのが筆者のアドバイスで、模範とすべきはなんと宮沢賢治である。実例も満載で、彼の国際性を再発見した。「おもてなし」に必要なのは勇気と努力である。
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 早川敦子訳、集英社インターナショナル・1080円/Roger Pulvers 44年生まれ。作家、劇作家、演出家。
    --「驚くべき日本語 [著]ロジャー・パルバース [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集 [著]田渕句美子 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集 [著]田渕句美子
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2014年04月13日   [ジャンル]歴史 人文 

■和歌で表現した魂の自由

 『百人一首』にも入っている式子内親王の和歌、「玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする」は、「内親王自身の、秘めた恋心を歌ったもの」と解釈されることが多い。しかし実際は、「忍ぶ恋に苦しむ男性になりきって歌った和歌」なのだそうだ。
 式子内親王は、後鳥羽上皇の文学サロンの一員だった。そこには和歌の才能にあふれた人々が集い、互いに切磋琢磨(せっさたくま)していた。身分や性別に関係なく、歌の実力のみによって認められる世界があった。
 「創作物の内容=作者自身の経験や感情」という平板な思いこみが、本書を読むと見事に覆される。いまよりもずっと行動範囲が制限されていた中世初期の女性たちは、異性になりきってその心を歌い、まだ見ぬ風景のなかで羽ばたいていた。歌は、彼女たちの魂に自由をもたらす表現方法だったのだ。
 歌に生きた女性たちの、誇り高く自由な精神、熱く切実な思いを現代によみがえらせた良書だ。
    ◇
 角川選書・1944円 
    --「異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集 [著]田渕句美子 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「ヴァギナ [著]ナオミ・ウルフ [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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ヴァギナ [著]ナオミ・ウルフ
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2014年04月13日   [ジャンル]人文 社会 


■創造の源、個性豊かで神秘的

 アメリカのフェミニスト、ナオミ・ウルフの日本での新刊がずばり『ヴァギナ』。大胆、かつ簡潔なタイトルだ。
 本書の中で、ウルフは自分が患った骨盤神経の圧迫から話を始める。治療の過程で、彼女は医師から驚くべき事実を知る。骨盤神経にはヴァギナの様々な場所から伝達があり、脊髄(せきずい)から脳に届く。オーガズムはそこで生まれる。
 そしてなんと「同じような骨盤神経のもち主は二人といない」というのだ! 女性一人ずつそれぞれが、別な神経のネットワークを持つ、と。
 ウルフはここで「ヴァギナ」を医学用語より幅広く使う。膣口(ちつこう)を指すだけでは一人ずつ違うオーガズムの発生系統を限定してしまうからだ。神秘を覚える女性の身体の精妙さを単純化しないように。
 快感が脳に直結している以上、女性の心を脅かすことは大きく豊かな性的経験を阻害するともウルフは言う。創造の源であるヴァギナを解放することは、個々の人間の差異を肯定することでもある。
    ◇
 桃井緑美子訳、青土社・3456円
    --「ヴァギナ [著]ナオミ・ウルフ [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 軍事大国を目指すのは誤りだ」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。


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みんなの広場
軍事大国を目指すのは誤りだ
無職・62(新潟県三条市)

 集団的自衛権行使の解釈改憲が議論されている。これは政府見解に反し憲法違反だ。特定秘密保護法同様、なぜ今変えるのか、現行法で対応でき必要性がない。

 自民党幹部は「国連や最高裁でも集団的自衛権を認めている。北朝鮮、中国の脅威に対抗する。抑止力が高まり日米同盟強化につながる。憲法改正が筋だが今は難しいので必要最小限に限定して認める」という。

 しかし国連で認められた集団的自衛権の実態は米ソのベトナム、アフガン戦争の法的根拠として主張され権利乱用の歴史でもある。最高裁判決にその事実はない。

 抑止力は核保有まで行く軍拡の論理で緊張関係を悪化させる。北朝鮮には6カ国協議、中国には東南アジア諸国連合の国々と共同の外交交渉が筋だ。68年間、戦争がなく国際社会でも平和憲法を持ち海外で戦争しない国として評価が定着している。この積み重ねをほごにし、日米軍事同盟のイコールパートナーとなり軍事大国を目指すのは誤りだ。 
    --「みんなの広場 軍事大国を目指すのは誤りだ」、『毎日新聞』2014年04月17日(木)付。

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覚え書:「発言 海外から 『南の法王』の影響力=ピエロ・スキアバッツィ」、『毎日新聞』2014年04月16日(水)付。


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発言
海外から
「南の法王」の影響力
ピエロ・スキアバッツィ
ハフィントン・ポスト・バチカン専門記者

 ローマ法王が率いるキリスト教カトリックのバチカンは世界的なソフトパワーであり、それが地政学的な力となっている。中国が経済力というハードパワーを持ちながら、ソフトパワーを持っていないのと対照的だ。
 バチカンは19世紀に広い領土(法王領)を失ったが、ヨハネ・パウロ2世によってメディアを通じて影響力を保持する「ソフトパワー」になった。当時はテレビの全盛期。ヨハネ・パウロ2世は「メディア上の領土」を27年間保持したが、ベネディクト16世により大退却を強いられた。
 今はインターネット時代だ。フランシスコ法王は就任からわずか9カ月で昨年末、米誌タイムの「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」に選ばれた。これほど短時間で「メディア上の領土」を征服したのはフランシスコ法王だけだ。今年はノーベル平和賞を受賞する可能性もある。
 ヨハネ・パウロ2世は欧州の思想を域外に輸出しようとしたが、ベネディクト16世は「内向きな欧州」だった。アジアにキリスト教を伝えたイエズス会出身のフランシスコ法王のDNAにはアジアがある。東洋と中東がフランシスコ法王の地政学的な標的だ。
 また、「貧者の教会」を掲げるフランシスコ法王は「南の法王」だ。ヨハネ・パウロ2世の地政学は「東西」を軸に繰り広げられたが、フランシスコ法王の軸は「南北」だ。世界における南北の力関係を是正することを目ざしている。
 その点でプーチン露大統領の役割を見極めるのが重要になる。プーチン大統領はフランシスコ法王をアフリカや新興国など「南」を代表する倫理的、地政学的な指導者と認める用意をしている。一方、法王はウクライナ南部クリミア半島情勢でプーチン大統領に「心配はご無用。教会はロシアの主権を損なうつもりはない」というメッセージを送っている。主権を巡る問題では中国にも同様の対応を取るだろう。
 ウクライナには東方典礼カトリック教会、中国には法王に忠誠を誓う地下教会がある。だが、法王は「忠誠は精神的なもので、政治的ではない」と露中の懸念の払拭い努めているのだ。法王は生前退位する可能性があり、頭には南米などの大統領任期「4年」がある。在位中にロシアと中国に行きたいと考えているはずだ。【構成・福島良典】
    --「発言 海外から 『南の法王』の影響力=ピエロ・スキアバッツィ」、『毎日新聞』2014年04月16日(水)付。

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覚え書:「憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜 [著]ボリス・シリュルニク [評者]吉岡桂子(本社編集委員)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜 [著]ボリス・シリュルニク
[評者]吉岡桂子(本社編集委員)  [掲載]2014年04月13日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 

■心の「戦後」を乗り越えるまで

 東アジアで国家がいま、政治の道具として語る戦争に辟易(へきえき)していたとき、この本に出会った。個人にとっての戦争には、心の傷とたたかう無数のなまなましい物語がある。
 著者はフランス生まれのユダヤ人で、精神科医。本書は、1944年、6歳半で強制収容所へ送られる直前に逃げ出してから、長く続いた心の「戦後」を乗り越えるまでをつづった自伝である。
 ポーランド出身の両親は、ドイツに協力したビシー政権下にあったフランスの警察に捕らえられ、アウシュビッツ収容所に送られて亡くなった。彼自身も、食堂の大鍋や輸送中のジャガイモの袋に隠れて非常線を突破し、終戦まで農場や学校の校舎に潜んで生きながらえた。
 だが、戦後も心は解放されないまま過ぎていく。「戦争中は命を守るために口に出せないことがある。戦争が終わっても、他人に理解してもらえそうなことしか語れない」。ドイツに抵抗した歴史でつながりあうフランス人を「加害者」とみなしかねない記憶は、心の「地下礼拝堂」にしまいこんだ。
 90年代に入り、「空気」が変わる。ビシー政権の高官の責任を問う「パポン裁判」などを通じて、タブーがほどけて歴史の暗部がえぐりだされた。立場はいろいろでも、議論が始まった。本書では触れていないが、背景には「統合」を速める欧州で、歴史が国家の中のつじつまあわせですまなくなったこともある。
 そして、著者が心の奥底に凍らせていた言葉を受け止める聞き手も現れた。語ることで「過去の囚人」から脱し、自分を取り戻していく。
 邦題は、最終段落の見出しからの引用だ。深い心の傷を抱えた著者が、「憎むのでもなく、許すのでもなく、理解する」境地にたどり着いたのは、聞く力をもつ社会があってのこと。その包容力は、戦争に限らず、暴力の連鎖を抑えるかぎに思える。
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 林昌宏訳、吉田書店・2484円/Boris Cyrulnik 37年仏ボルドー生まれ。トラウマに詳しい精神科医。
    --「憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜 [著]ボリス・シリュルニク [評者]吉岡桂子(本社編集委員)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「「家族」難民 生涯未婚率25%社会の衝撃 [著]山田昌弘 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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「家族」難民 生涯未婚率25%社会の衝撃 [著]山田昌弘
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2014年04月13日   [ジャンル]人文 社会 

■行き着く先は年間20万余の孤立死

 「パラサイト・シングル」「婚活」といった流行語を世に送り出し、家族問題を検証してきた筆者による新刊。今回のキーワードは、「難民」と穏やかではない。家族とは「自分を必要とし、大切にしてくれる存在」であり、それは経済的・心理的両面のケアをしてくれる人を意味すると筆者は述べる。それゆえ家族を持てない人や家族の支援が期待できない人の抱える困難は極めて大きい。もはや難民と呼んでいいレベル……というのは、決して誇張ではない。
 これまで日本社会は、家族を標準単位として、社会福祉等の制度を整備してきた。だが周知のように、現在「シングル(単身)」つまり配偶者のいない人が急増している。しかも、その多くが積極的に選択した結果というよりも、望んでも結婚できない人である点が問題だ。とりわけ男性は所得水準が家族関連行動に直結するため、低収入の場合は「結婚しにくい」「離婚しやすい」「再婚しにくい」の三重苦となる。この傾向は、1990年代以降顕著となってきている。
 シングル化の波は、現在広く日本社会を覆っている。この趨勢(すうせい)に沿って、社会保障制度も早急に家族ではなく個人を単位とすべきだが、その場合家族世帯を営む人からの反発も必至だ。世帯のあり方によって、社会が分断される可能性も危惧される。
 家族難民の行き着く先は孤立死だろう。未婚者と孤立死した人の多くが重なっているとすると、今の生涯未婚率(50歳時点未婚)では、25年後に年間20万人以上が孤立死すると筆者は推計する。さらに、家族や社会に包摂されない人の増加から、社会不安の高まりも予期される。離別や死別が新たな難民をもたらす可能性も示唆される。鍵は、シングルであっても難民化しない社会づくりとの指摘は、まさにその通り。家族と社会の関係性を問い直すためにも、ぜひ一読されたい。
    ◇
 朝日新聞出版・1728円/やまだ・まさひろ 57年生まれ。中央大学教授(家族社会学)。『近代家族のゆくえ』など。
    --「「家族」難民 生涯未婚率25%社会の衝撃 [著]山田昌弘 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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「家族」難民: 生涯未婚率25%社会の衝撃
山田昌弘
朝日新聞出版 (2014-01-21)
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覚え書:「戦争俳句と俳人たち [著]樽見博 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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戦争俳句と俳人たち [著]樽見博
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年04月13日   [ジャンル]歴史 人文 

■生き方の地肌があらわれる

 戦争俳句とは戦時下に詠まれた俳句だが、聖戦俳句、生活俳句、さらにはプロレタリア文学系の流れを汲(く)む俳句とその内訳は多岐にわたる。加えて俳句の本質をめぐり新興俳句と伝統俳句の論争もあり、この表現芸術に関わりをもった俳人たちの生き方はそれぞれ地肌があらわれている。
 著者によれば、戦争俳句の体系だった研究書はないという。本書はそこに斬りこんだ貴重な書である。山口誓子、中村草田男、加藤楸邨らの「巨星」を徹底解剖し、さらに有名無名の俳人28人をとりあげてその作品を紹介している。
 戦争俳句の中でもっとも有名な句集は長谷川素逝(そせい)の『砲車』(昭和14年4月刊)だという。高浜虚子の11頁(ページ)に及ぶ序文や上質紙を使っての異色の句集である。この句集を、日野草城が自らの主宰する「旗艦」で詳細に論じ、戦争における事実と戦争俳句の関係について本質的な視点を示した。そして、「わが馬をうづむと兵ら枯野(かれの)掘る」などの句は、事実を示していても文学性に乏しいと指摘した。
 その一方で、日野は、「大兵を送り来し貨車灼(や)けてならぶ」などは、実戦にふれて初めて可能なので、銃後作家には作れないと讃(たた)えた。水原秋桜子は、『砲車』の中の「寒夜くらしたたかひすみていのちありぬ」に惹(ひ)かれたとの印象批評を述べている。
 著者はこうした事実を紹介しながら、この句集は「演出された句集」、つまり素逝は戦地にあった少尉だが、国家や軍部が戦争俳句の範を示すための「官製句集」ではないかと解説する。著者は多くの資料に目を通して、俳人一人一人のその心情にも入りこんで分析を続けるので、この指摘はきわめて説得力を持っている。
 プロレタリア俳人・栗林一石路(いっせきろ)の説く「実践的俳句の提唱」が新鮮に感じられ、自由律の句、「出征の旗がくらい電線にひつかゝつたりしてゆく」が妙に心に残る。
    ◇
 トランスビュー・3456円/たるみ・ひろし 54年生まれ。「日本古書通信」編集長。著書『古本通』『古本愛』など。
    --「戦争俳句と俳人たち [著]樽見博 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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戦争俳句と俳人たち
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樽見 博
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覚え書:「著者に会いたい 地震と独身 酒井順子さん [文]大上朝美」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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著者に会いたい
地震と独身 酒井順子さん
[文]大上朝美  [掲載]2014年04月13日


■働き、守り…人生が揺れた

 酒井さんらしい端的な書名だ。東日本大震災後の報道では、「家族」に焦点が当てられがちだったが、独身だっていたはず。何をしていたのだろうか。現地を訪ね、多くの人に話を聞き、月刊連載をした。「たくさんの方に聞いたのも、近い過去のことを書くのも初めてで、ちょっとプレッシャーも」あったそうだが、そこはふだん通りの悠揚迫らぬ「ですます調」で、独身たちの未曽有の経験を受け止める。
 「まず驚いたのは、独身がすごく働いたということ」と言う。戦場のような病院をはじめ非常時の仕事の現場で、独身はよく使われた。「家族持ちが家族を守るべき時に、家族がないから他の人を守れる。独身でよかったという人もいました」
 「働いた」「つないだ」「守った」……と、章立てのさまざまな局面の中に「結婚した」も。「震災婚」という言葉ができたが、「震災離婚」もあり、ことはそう単純にはいかない。自身は「案外、地震によって結婚観は変わりません」と言う。
 Uターン、Iターン、ボランティア、放射線避難など、独身ゆえの身軽さで動いた人たちは多い。更に連載の1年間に、結婚、出産、転職、引っ越し、出家(!)と、取材した独身たちの境遇も大きく変わった。
 「『負け犬の遠吠(とおぼ)え』が都会の独身者なら、こちらは地方の独身者の話になるのかなと思っていたら、出入りが激しくて結局、地震で人生が揺れた人たちの本になりました」
 書いたことで酒井さんもまた、その揺れに連なる一人だ。取材した人はたいてい年下で、「自分がけっこう大人だったことに気づかされた」そうだ。
    ◇
新潮社・1512円
    --「著者に会いたい 地震と独身 酒井順子さん [文]大上朝美」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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地震と独身
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酒井 順子
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書評:前田朗編『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか 差別、暴力、脅迫、迫害』三一書房、2013年。


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前田朗編『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか 差別、暴力、脅迫、迫害』三一書房、読了。「憎悪言論」と訳されるように言論・表現の自由のうちで理解されがちだが、果たしてそうなのか。 

本書は最良の「ヘイト・スピーチを克服する思想を鍛えるためのガイドブック」。

1「なぜいまヘイト・スピーチなのか」、2「憎悪犯罪の被害と対応」、3「ヘイト・スピーチ規制の法と政策」の順に、問題の所在、応答、展望する構成。ヘイト・スピーチは単なる言論ではなく歴史的構造的に生成された「ヘイト・クライム」であることを明らかにする。

積極的に差別を容認しないが憲法学は「表現の自由」のうちが多数説。しかし事柄を表現の自由の問題と誤解し、被害には目を瞑り、規制反対の代換案を提示できない解説の現状は識者が「差別放置知識人」として機能しているとの指摘に瞠目する。


本書は部落、アイヌや沖縄に対するヘイト・スピーチの現状も報告。お勧めの一冊です。

エリック・ブライシュ『ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか』(明石書店)も読み始めた。「我々は自由を愛し、レイシズムを憎む。しかし、そうした価値が衝突したとき、我々はどうすればよいのだろうか」。自由と規制の軌跡を描く1冊

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日本国憲法に基づいた処罰

 ヘイト・スピーチ処罰の世界的動向を紹介してきました。それでも一部の法律家やジャーナリストは「表現の自由が大切だからヘイト・スピーチ処罰をしてはならない」と強弁します。表現の自由の意味を理解していないからです。
 第一に、日本国憲法二一条は「一切の表現の自由」を保障しているという理解です。日本国憲法第二一条一項は「集会、結社及び言論その他一切の表現の自由は、これを保障する」としています。「その他一切」とは、集会、結社及び言論、表現と並列して記されているもので、表現手段の差異を問わないという趣旨です。何でもありの無責任な表現の自由を保障する趣旨ではありません。そのような解釈は憲法第一一条と第九七条を無視するものです。
 第二に、歴史的教訓です。国際人権法や欧州の立法は、二つの歴史的経験に学んでいます。一つは、ファシズムが表現の自由を抑圧して、戦争と差別をもたらしたことことです。もう一つは、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害のように、表現の自由を濫用して戦争と差別がもたされたことです。両方を反省しているから、国際自由権規約第一九条は表現の自由を規定し、同二〇条が戦争宣伝と差別の唱道を禁止しているのです。日本では、前者ばかり強調し、後者の反省を踏まえようとしません。
 第三に、表現の自由の理論的根拠です。一般に表現の自由は、人格権と民主主義を根拠とされます。それでは新大久保に大勢で押し掛けて「朝鮮人を叩き殺せ」と叫ぶことは、誰の、いかなる人格権に由来するのでしょうか。日本国憲法第一三条は人格権の規定と理解されています。第一三条を否定するような殺人煽動を保障することが憲法第二一条の要請と考えるのは矛盾しています。第二一条よりも第一三条が優先するべきです。民主主義についても同じです。「朝鮮人を叩き出せ」と追放や迫害の主張をすることは、欧州では人道に対する罪の文脈で語られる犯罪です。これこそ民主主義に対する挑戦です。
 第四に、法の下の平等を規定する憲法一四条を無視してはなりません。「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とする第一四条は、日本国籍者だけではなく、日本社会構成員に適用される非差別の法理です。第一四条が第二一条より優先することも言うまでもありません。
 日本国憲法は、人格権、民主主義、法の下の平等、表現の自由を保障していますが、その具体的内容はそれらの合理的バランスの下に保障する趣旨です。人格権、民主主義、法の下の平等を全否定する「差別表現の自由」が保障されるはずもないのです。
前田朗「ヘイト・スピーチ処罰は世界の常識」、前田朗編『なぜ、いまヘイト・スピーチなのか 差別、暴力、脅迫、迫害』三一書房、2013年、181-182頁。

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[http://31shobo.com/2013/08/13/%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%80%81%E3%81%84%E3%81%BE%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B/:title]


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覚え書:「書評:戦国史を歩んだ道 小和田 哲男 著」、『東京新聞』2014年04月13日(日)付。


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戦国史を歩んだ道 小和田 哲男 著

2014年4月13日

◆歴史少年から学者へ
[評者]高橋千劔破(ちはや)=作家・評論家
 中世が終焉(しゅうえん)を迎え、近世の幕が開くまでの約百年間が戦国時代だ。この時代に材をとった小説や戯曲は、他の時代に比して圧倒的に多い。だが、戦国武将や城郭・合戦などに関する学術研究はきわめて少ない。これには、わけがある。
 武将たちの活躍や城塞(じょうさい)をめぐる攻防などは、軍記物など文学の分野であり、歴史学の対象にはならなかったからだ。だが著者の小和田哲男氏は、あえてその分野に挑み、学位を取得して戦国史を専門とする学者への道を歩んだ。本書は、その小和田氏の自伝である。
 小和田氏は、子供のころから歴史大好き少年だった。母親が歴史小説をよく読んでいたから、その影響が大きかったという。興味は戦国時代に向き、さらに武将や合戦・城郭に絞られていく。歴史少年にとって大きな励ましになったのが、小学校のとき先生から歴史知識を誉(ほ)められたことであった。その後一途(いちず)に歴史学者への道を歩むことになる。とはいえ、その道は決して平坦(へいたん)ではなかった。
 歴史学者としての地位を得たが、小和田氏の目は、アカデミズムの世界よりは歴史愛好家や子供たちに向く。歴史の面白さを一人でも多くの人に知ってもらいたいと、多くの啓蒙書(けいもうしょ)や児童向けの図書を書いた。自伝とはいえ、歴史好き、とくに戦国史ファンにとって、時代考証の裏話なども記されて、興味深い。
(ミネルヴァ書房 ・ 2592円)
 おわだ・てつお 1944年生まれ。静岡大名誉教授。著書『黒田如水』など。
◆もう1冊 
 小和田哲男著『戦国の城』(学研M文庫)。石垣や天守ではなく土塁や空堀などの形で全国に残る戦国の城を解説。
    --「書評:戦国史を歩んだ道 小和田 哲男 著」、『東京新聞』2014年04月13日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014041302000185.html:title]

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戦国史を歩んだ道 (シリーズ「自伝」my life my world)
小和田 哲男
ミネルヴァ書房
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覚え書:「革命と反動の図像学 一八四八年、メディアと風景 [著]小倉孝誠 [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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革命と反動の図像学 一八四八年、メディアと風景 [著]小倉孝誠
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2014年04月13日   [ジャンル]歴史 社会 

■19世紀の民衆は「英雄」か「蛮族」か

 もし、タイムマシンがあって一度だけ過去に連れ戻してくれるのなら、迷わず、1789年のフランス革命から1870年の普仏戦争までを選ぶ。本書とも重なるこの約80年間を、スイスの美術史家ヤーコプ・ブルクハルトは「歴史の危機」と名付けるが、危険を承知の上でのぞいてみたいと渇望させるだけの魅力が、この時代にはある。そして、19世紀の大動乱期を生きたフランスの代表的な知性が己の時代をどう意義付けたかが、後世に大きく響いてくる。
 ミシュレの『フランス革命史』(1847-53)は仏革命に関しての「最も価値ある記念碑的な労作のひとつ」だ。7月王政(1830-48)末期、仏革命をめぐる論議が沸騰するなかで保守派が民衆を「社会の秩序を脅かす危険な階級」とみなしたのに対して、ミシュレは「主役は民衆」だとし、中世から革命の時代への移行は「歴史を解読しようとする意志が要請した必然的な流れ」であって「解読の中心となるのは『民衆』という存在」だと確信していた。
 1848年のフロベールにとって、同年に起こった2月革命は「滑稽な出来事」でしかなかった。2月革命を仏大革命の「頽廃(たいはい)的な反復」と見なす態度は、ヴィクトル・ユゴーや自由主義者トクヴィルにもみられた。社会主義者プルードンですら、「歴史的偉大さが欠落していると嘲笑し」、マルクスも「茶番」だと断罪した。
 ミシュレとフロベールの間では民衆の定義が決定的に異なる。ミシュレにとっての民衆は「特定の社会階層を指し示すというよりも(略)理想の共同体」なのである。他方、フロベールのそれは、同様「社会の危険分子からなる無秩序な集合体」であり、「蛮族の群れ」だった。
 結局、この差はエミール・リトレの「労働者階級の社会上昇は、18世紀までのカトリック的統一性が破綻(はたん)したことによる当然の帰結」との歴史哲学的考察に賛同するか否かに帰する。民衆を歴史の英雄と見なしたミシュレは、第2帝政に敵対的であるとされ、1852年コレージュ・ド・フランスの教授職を罷免(ひめん)されるが、70年に成立した第3共和制は彼を「共和国の精神的な父」と称(たた)えた。
 最終章まで読んで急に序章が気になった。「過剰な自己満足と矜持(きょうじ)、進歩に対する無邪気なまでの信仰が、フランス人に謙虚さという伝統的な美学を忘却させた」から、19世紀は「愚かな世紀」だと保守派のレオン・ドーレが「きびしく糾弾した」とある。1世紀半を経て「失われた20年」への対処や原発再稼働と輸出が、3・11以後日本の成長に寄与するというのでは、日本の21世紀も「愚かな世紀」なのではと思わざるを得ない。
    ◇
 白水社・2592円/おぐら・こうせい 56年生まれ。パリ・ソルボンヌ大学で文学博士号取得。慶応義塾大学教授(近代フランス文学・文化史)。著書に『歴史と表象』『身体の文化史』『パリとセーヌ川』『犯罪者の自伝を読む』『愛の情景』など。
    --「革命と反動の図像学 一八四八年、メディアと風景 [著]小倉孝誠 [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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革命と反動の図像学: 一八四八年、メディアと風景
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覚え書:「教授と少女と錬金術師 [著]金城孝祐 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。


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教授と少女と錬金術師 [著]金城孝祐
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年04月13日   [ジャンル]文芸 

■ギャグか耽美かフェチか?

 実に奇妙な読書体験だった。あらすじは、ちゃんとある。主人公は、油脂の研究を志す薬学部の大学院生。親戚が薬局をしていた店舗を借りて、調剤室で食用油を精製し、こっそり小金を稼いでいる。そこに指導教授から研究課題を押し付けられる。テーマはオメガ3脂肪酸と育毛。
 しかし育毛の研究者であるはずの教授の頭部には、毛髪どころか毛根すら絶えて久しい。そして研究のヒントになるからと紹介された卒業生の先輩の頭部も、その照り輝きが悪魔的に美しく、誰もが愛さずにいられない禿頭(はげあたま)。
 毛髪の研究はそっちのけで、つるつるぴかぴかを素敵(すてき)にすれば、育毛の必要はなくなるから究極の解放、といわんばかりにツルツルピカピカの魅力が書き連ねられる。
 おや、天然油脂を素材にした化学コメディーなのかと思っていたのだが、笑うどころか、「完璧な禿の輝きの美学」を読まされるうち、洗脳され、一体どんな禿かと焦がれるように。なのに脳内で画像を結ぶことができない。質感だけは妙に具体的に、ああそのつやはアレだ!とわかるのに。
 そしてこの物語は、どこに帰着したいのか。錬金術の現代解釈? それとも化学オタク青年の恋路? ゴスロリ少女愛? 油と水? 光と色彩? ギャグか耽美(たんび)かそれともフェチか。かっこいいのか悪いのか。
 著者がこの話をどう読まれたいのか全くわからないのに、面白くて面白くて頁(ページ)をめくる手は止まらない。
 気が付くと教授は頭から髪ではない謎の物体をにょろにょろ生やして光に包まれ……。え、ファンタジー?な展開のあとに訪れる唐突なラスト。まるですべての“ジャンル”に対して拒否と同時に求愛しているかのよう。
 黒い栞(しおり)が3本ついた造本が、頼りなくも尊い残り毛に見えてきたら、ハマった証拠です。
    ◇
 集英社・1296円/かねしろ・こうすけ 85年生まれ。武蔵野美術大大学院油絵コース修了。本作で、すばる文学賞。 
    --「教授と少女と錬金術師 [著]金城孝祐 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年04月13日(日)付。

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教授と少女と錬金術師
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覚え書:「みんなの広場 父が恩を受けた一番身近な国」、『毎日新聞』2014年04月16日(水)付。


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みんなの広場
父が恩を受けた一番身近な国
元会社員・69(大阪市都島区)


 90歳で他界した父は軍隊生活で心がすさむ経験をした後、太平洋戦争末期に軍属として朝鮮半島に渡りました。冬には酷寒となる地で病に侵され、今日は生き延びられるだろうかという日々を送っていました。

 そんな様子を見ておられたのか、ある時、1人の朝鮮人女性が片言で「どうぞ食べてください」と衣服の中から温かいおにぎり2個を取り出してくださったそうです。父は驚きながらも無我夢中でいただいたといいます。そして生前、ことあるごとにその女性の優しい瞳は忘れられない、恩がある、と口にしていました。

 私の小学校のクラスメートに「キンさん」がいて、差別を受けていました。「外国に来てつらい思いをしているのだから、親切にしてあげなさい」と父母から常に言われました。彼女と親しくなると、家系のことなどを話してくれました。最近、大ファンになった韓国ドラマを見ていると、彼女を思い出します。一番身近な国と仲良くしてほしいと切に願うばかりです。 
    --「みんなの広場 父が恩を受けた一番身近な国」、『毎日新聞』2014年04月16日(水)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 進取の精神と柔軟さを=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年04月16日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
進取の精神と柔軟さを
人財開発の必須事項

湯浅誠 社会活動家

 4月から法政大学の教授に就任した。所属は現代福祉学部。
 法政大は「自由と進歩」、現代福祉学部は「Well-Being(健康で幸せな暮らし)の実現」を理念に掲げる。前例にとらわれない自由な発想から新たなアイデアが生まれ、その進歩をすべての人々の健康で幸せな暮らしの実現に落としこんでいく。これが、この大学、この学部の精神だと私は理解した。
 さっそく新1年生の初回ゼミでは、屋外に出て、大学構内のフィールドワークを行った。キャンパスを巡りながら20分おきにグループをシャッフルしていく。大学施設を知ると同時に、ゼミ生がお互いに知り合うことを目的とした。ロの字形の机に座って順番に自己紹介するという慣例が、必ずしも「そうしなければならないもの」ではないことを伝えたかったからだ。
 教室に戻った後、学生に従来型と今回の方法のメリットとデメリットを出し合ってもらった。「気軽に話せ、よく知り合えた」「退屈しなかった」「眠くならない」などのメリットを挙げる声と同時に、「疲れる」「全員の顔が見えない」などの指摘も出た。慣例が長く続くには理由がある。大事なことは「そういうものだ」と思考停止に陥らず、目的に照らして企画を検証し続けることだろう。
 2年生の初回ゼミでは、これから1年間で「すべきこと/すべきでないこと」をゼミ生自身に考えてもらった。1人で項目を挙げた後、チームで優先順位をつけ、白板に書き出す。相互に検証し、ゼミ全体のルールを自分たちで決定する。ルールは、「誰かが決定して『下りて』くるものではない」と伝えたかった。
 優先順位をつけるチーム内の話し合いでは、それぞれが自分のメモを見ながら意見を出し合ったため、協議に時間がかかった。カードに1項目づつ書いて、皆でそれを見ながらカードを優先順に並べ替えていけば、耳だけでなく目も活用できて、もっと早く、より参加感と納得感の高い結論を得られたのでないかと振り返った。これからの人生、常に時間の制約を受けながら大事なことを決めていかなければならない。合意形成には創意工夫が必要だ。
 福祉分野に就職するかどうかにかかわらず、前例を当然視しない進取の精神、多様な声を反映させて気づきを高めようとする心構え、状況に合わせて柔軟かつ適切に手法を選択できる豊富なノウハウは、身を立てる必須事項になる。どんな時代や地域でも、自らの役割を見いだし、状況を打開できる「人財(財産となるべき人)」になってもらいたい。そのお手伝いができればと思う。

大学入学 春の新入学シーズンを迎え、今年も約60万人が知の共同体と言われる大学の門をくぐった。世の中が目まぐるしく変化する時代、幸せの感じ方一つとっても前例や他人の「コピペ(コピー・アンド・ペースト)」では対応できない。生き抜く知恵を身につけるのも大学時代だ。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 進取の精神と柔軟さを=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年04月16日(水)付。

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病院日記:生産性・合理性を規準にした時間とは対極の時間の「流れ」


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今週で精神科勤務、2週間目をクリア。なんとなく仕事のペースをつかみ、やっと看護師さんや入院している方の名前も覚え、あちらさんからも「氏家さん」と呼んでもらえるようになったのだけど、ほんと、神経内科と違ってじっくり丁寧に仕事ができる。

そして時間の進行が世間の「スピード」と全く違うことが印象的です。何といえばいいのでしょうか。全ての生産性・合理性を規準にしたスケジュールが進行するというよりも、対極の時間が「流れていく」という感覚です。

正直なところ、危険手当も加算されるので、正直、移動の話しが来たとき、ひいていたのですが、イザ仕事をしてみると、みんなふつうのひとばかり。静かにゆっくりと時間が過ぎていく。

ただ今日は帰宅前に、保護室でひと騒動あって、拘束するかどうかでちょいと残業でした。拘束の意義は一面では神経内科的な点滴を抜くから拘束すると同じところもあるけど、それでもやはり違うところもあり、患者さん側の抵抗も分かるし、病院スタッフのそれもよく理解でけて(安全確保等々、正直寂しかった。

ここでも印象的だったのは、ゴルァ、バキッ!ゴキ!じゃなくて、何十分もかけて「言葉」で説得しようとした姿でした。

もう1回チャンスでクローズしましたが、やはり「切ない」ものはありました。勿論、程度にもよるのでしょうけど、パターナリズム実行に対する反省を常に持ち合わせていることには光明。

ただ、それもスタッフの数が限界となってしまう。夜勤であと1人いれば、いらいらさせてしまうことはないが如くの対応がとれて少しは違ってくると、しろうとながらに思う。外野はいろいろいうし、それはそうなのだけど、無責任な関わり方だけは避けていこうと思う。

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覚え書:「今週の本棚:中島京子・評 『あるときの物語 上・下』=ルース・オゼキ著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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今週の本棚:中島京子・評 『あるときの物語 上・下』=ルース・オゼキ著
毎日新聞 2014年04月13日 東京朝刊

 (早川書房・各1836円)

 ◇凄絶な現代社会に届く時空を越えた祈り

 ルース・オゼキは日系アメリカ人の作家で、その作品はしばしば日本を舞台にする。本作では日本の少女ナオと作家ルースの人生が、海と時間を隔てて交錯する。

 カナダの西端の離島で暮らすルースは海岸で手紙と古い時計、それに少女の手記が入ったハローキティの弁当箱を拾った。手記の書き手は東京の中学に通う帰国子女のナオ。中学で受けている陰惨ないじめと、リストラされた父親の度重なる自殺未遂、ナオ自身の自殺願望までが書きこまれる手記を読まされて、ルースはおろおろしながら、太平洋をまるごと隔てた島のパソコン一台だけを頼りに、ナオを探そうとする。生きているのかいないのかもわからないままに。

 小説はナオの一人称の語りとルースを視点人物に据えた三人称の文体を往復するが、読み進めるほどに、ナオのパートが凄絶(せいぜつ)になってくる。殴り、蹴り、カッターで刺すかと思えば、一転して無視した挙句に「お葬式」を決行、その動画をインターネットに投稿する中学生のいじめ。中央線(!)に飛び込んで失敗するも、練炭自殺を計画してネットで仲間を探すナオの父親。いじめ、自殺、壮年男性の失業とその家族の貧困、ティーン売春。現代日本を覆う社会問題がこれでもかとクローズアップされ、物語の遠景に東日本大震災と原発災害までが示されるのだから、日本人読者の胸は潰れそうだ。

 ルースが海岸で拾った残りの二つの物のうち、一つはナオの大伯父である特攻隊員の時計であり、もう一つは彼が戦時中に書き遺(のこ)した手紙だった。この古い手紙が小説にさらなる重層性を加え、ナオの現在と呼応するように、二〇世紀半ばの、国家に強要された自殺とも言える神風攻撃や、軍隊での新兵いじめの様子までが描きこまれる。

 七〇年ほどの時空を行き来するこの小説の主題は、人間の存在理由と倫理を扱う。作家が選んだのは日本という舞台と素材だが、そこに描かれるのはけっして、日本と日本人だけの物語ではない。

 こう書くと、深刻で抹香臭い話と警戒されそうだが、残酷な現実が描かれても根底に救いの感覚を持って読みつづけられるのは、小説が目指すのが告発ではなくて祈りと人間の叡智(えいち)の探求だからだろう。そして抹香臭さは、この作品のもっとも明るく楽しいパートに添えられた香りだ。

 絶望の底にいるナオと両親のもとを、「灰色のパジャマに麦わら帽子」の、百四歳の尼僧ジコウ(もちろんパジャマではなく作務衣(さむえ)だ)が訪ねてくる。ナオが曽祖母ジコウから学んでティーンの言葉で説明する禅の実践は、ユニークで笑いを誘う。東北の寺で過ごすナオの短い夏休みは、長い小説の最も美しく楽しい記述だ。

 ジコウが曹洞宗の尼僧なので、道元の引用が各所にある。タイトルにもなっている「あるとき」は「有時(うじ)」という『正法眼蔵』の中の言葉に由来する。「有時っていうのは、時間(タイム)の中で生きている人のことで、つまり、あなたも、わたしも、みんな有時」なのだそうだ。それぞれの有時が、呼応し、問いかけ、思いを伝える。悠久の時の中には重要な問答があると教えてくれる。

 そしてこの小説がなんとも不思議な読後感を与えるのは、物語に入り込んだ作家ルースの存在のおかげで、小説を書くプロセスに巻き込まれる体験をするからかもしれない。ジコウおばあちゃんならきっと、「読む、書く、同じこと」と言うに違いない。(田中文訳)
    --「今週の本棚:中島京子・評 『あるときの物語 上・下』=ルース・オゼキ著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『天皇と葬儀 日本人の死生観』=井上亮・著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『天皇と葬儀 日本人の死生観』=井上亮・著
毎日新聞 2014年04月13日 東京朝刊

 (新潮選書・1728円)

 天皇、皇后両陛下の葬儀についての要望が昨年11月、明らかになった。陵の敷地面積を小さくし、400年以上途絶えていた火葬を復活させることなどが関心を集めた。一方で著者によれば、天皇の葬儀の通史は見当たらないという。歴史ファンにとってはありがたい一冊だ。

 持統から昭和まで天皇88人のうち火葬と土葬は半数ずつという。火葬は「少数派」ではない。また歴代天皇陵のほとんどは、尊皇思想が高まった幕末から明治にかけて特定されたという。「万世一系の皇室」を国際社会での看板にしたい明治政府としては、天皇陵がどこか分からないままでは具合が悪かった。

 多くの陵墓で被葬者は学術的に実証されていない。実在しなかったであろう神武天皇らの存在を信じるか、信じるふりをして国の歴史を編んでいた、大日本帝国らしい話だ。現代でも天皇以外の墓を天皇のものとして祭祀(さいし)を行っている可能性もある。帝国の名残というべきか。

 著者は「富田メモ」の存在を報道し、新聞協会賞に輝いた日経新聞記者。入社3年目だった昭和天皇の大量吐血から「大喪の礼」に至るメディアの舞台裏も伝える。(栗) 
    --「今週の本棚・新刊:『天皇と葬儀 日本人の死生観』=井上亮・著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『ヤンキー化する日本』=斎藤環・著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『ヤンキー化する日本』=斎藤環・著
毎日新聞 2014年04月13日 東京朝刊

 (角川oneテーマ21・864円)

 「ヤンキー」は今の日本の傾向を理解するのに必須のキーワードだが、どれくらい認知されているだろう。

 定義は明快--バッドセンス、キャラとコミュニケーション、アゲアゲのノリと気合い、リアリズムとロマンティシズム、角栄的リアリズム、ポエムな美意識と“女性”性。

 このフィルターにひっかかる社会現象が世に溢(あふ)れている。安倍政権はまんまヤンキーだ。「ノリと気合い」でなんとかなると思って靖国神社に参拝し憲法を変えようとしている。

 ヤンキーは現実的な難関を精神の力で越えられると信じてしまう。それは「個人対個人ではありえたとしても、戦争においてはありえない」と斎藤は言う。

 前著『世界が土曜の夜の夢なら』に始まったヤンキー解析が、本書では六人の相手との対談に展開される。そのメンバーが村上隆、溝口敦、デーブ・スペクター、與那覇潤、海猫沢めろん、隈研吾。あまりに広範囲なヤンキー文化の浸透ぶりに目まいがするほど。

 ヤンキーに対抗するのはオタク。深いが狭く、細部にばかりこだわる不器用な性格。それでは、知識人とはつまり知識オタクなのか。(狄) 
    --「今週の本棚・新刊:『ヤンキー化する日本』=斎藤環・著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:患者情報、提供義務に反対--精神科医・富田三樹生さん」、『毎日新聞』2014年04月11日(金)付。

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特定秘密保護法に言いたい:患者情報、提供義務に反対--精神科医・富田三樹生さん
毎日新聞 2014年04月11日 東京朝刊

 ◇富田三樹生さん(70)

 特定秘密を扱うことのできる人は「適性評価」と呼ばれる身辺調査で政府に選ばれる。調査項目は「薬物の乱用」「精神疾患」「飲酒の節度」などで、対象者が精神科に受診していた場合、精神科医に照会がかかる。

 法案を審議していた昨年12月の参院の特別委員会で、担当官僚が「照会を受けた団体は回答する義務がある」と答弁した。私たちは驚いた。

 医師には守秘義務がある。患者情報を第三者に提供するのは、保険の請求や病気で仕事を休むことの証明など、患者の利益になる場合に限られている。適性評価で患者の情報を行政に提供するのは、その限度を超える。「義務」になるのは到底容認できない。

 全国の約1万5800人の精神科医でつくる日本精神神経学会の「法委員会」で議論し、学会として適性評価制度に反対する見解を3月に出した。患者情報の提供義務のほか、精神障害に対する偏見・差別を助長することを反対理由に挙げた。

 政府は内部文書で「精神疾患で意識の混濁が生じると秘密を漏らすおそれがある」と評価した。意識障害は「精神」疾患ではなく、「神経」疾患に関係するもので見当違いだ。精神疾患が秘密を漏らす原因になるという医学的な根拠もない。

 精神科医は患者の保険請求など限られた目的で行政に情報を提供している。秘密保護法の適用後は目的外に使われる恐れがないか。精神医療界がこの法律の監視対象にならないか心配している。【聞き手・青島顕】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇とみた・みきお

 1943年生まれ。日本精神神経学会法委員会委員長。多摩あおば病院(東京都東村山市)院長。心神喪失者医療観察法に反対した。 
    --「特定秘密保護法に言いたい:患者情報、提供義務に反対--精神科医・富田三樹生さん」、『毎日新聞』2014年04月11日(金)付。

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覚え書:「保阪正康の昭和史のかたち [戦時下にみる為政者の精神構造]本来の日本文化からの逸脱」、『毎日新聞』2014年04月12日(土)付。

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保阪正康の昭和史のかたち
[戦時下にみる為政者の精神構造]
本来の日本文化からの逸脱

 太平洋戦争が終わってから69年、来年は70年になるが、節目の年に向けてこの戦争を総括しようとの動きがそろそろ始まっている。私のもとにも来年を目ざして書き下ろしをとか、最後の回顧になるだろうから対談をといった企画が持ちこまれている。第二次世界大戦終結から70年、国際社会ではこの戦争を振り返ることになるのかもしれない。
 太平洋戦争の日本軍の内実については、いまだ語られていない史実、伏せられている視点、さらには意図的に避けられている論点がいくつかある。もっとも重要な論点と、私が考えている史実を挙げ、検証の必要性があると訴えておきたい。
 戦時下で首相・陸相を務めた東条英機は生粋の軍人で、軍事以外の知識(政治、経済、文化など)はほとんど持っていない。その東条が昭和18、19年にしばしば、「戦争というのは負けたと思ったときが負け、決して負けたと思うな」との精神論を呼びかけた。高校野球の監督が選手に説くならわからないでもないが、戦時下の最高責任者がこんな無責任な論を吐いていいのだろうか、と私は思う。
 この論理では、決して日本は負けない。どれほど痛めつけられても降伏しない、降伏したら負けたことになってしまう。私たちの国土は解体され、国民は全滅状態になっても負けたとはいわない。客観的には、日本はすべてを失っているのに、負けたと言わないのだから負けていない。
 このニヒリズムが、東条の演説には潜んでいる。私は史実を検証していて、これは東条個人の性格ゆえにこういう暴論を口にしているのだろうと考えていた。しかし戦争末期、戦争継続など無理なのに軍事指導者たちはこの種の暴論をあきれるほど口にしている。軍令部次長の大西滝治郎は、特攻作戦の推進者であったが、ある新聞記者(戦後の作家・戸川幸夫)からいつまでこんな作戦をくり返すのか、と問われたときに、「国民の四分の一が特攻作戦で死に、血染めになったこの国の様子を見てアメリカはもうやめようと言いだすだろう、その時が講和のときだ」と答えたという。
 大本営は、昭和20年11月にアメリカ軍の本土上陸作戦を想定していて、そのために「一億総特攻」を呼号していた。6月には義勇兵役法が公布されて15歳以上、60歳までの男性、17歳以上で40歳までの女性は、国民義勇戦闘隊に編入されて義勇兵として戦闘に参加することになった。これを拒否することは許されなかった。アメリカ軍が上陸してくると予想された九十九里浜や相模湾では、各種の特攻兵器に乗った義勇兵が入港してくるアメリカの艦船に体当たりする、中学生などは道路に穴を掘って待機し、戦車が上陸してくると爆弾をリュックに背負い体当たりする戦術も考えられていた。
 陸軍の正規部隊は内陸に構えていて、これらの特攻作戦により消耗しているであろうアメリカ軍と本格的な作戦に入るとされていた。こうした常識では考えられない作戦は、前述の東条や大西の言と符合していることがわかる。
 こうした精神主義、いわば日本精神なるものは本来の日本文化の退嬰的現象である。この退嬰的現象は軍事的には「霊的突撃」と言われていた(飯塚浩二「日本の軍隊」1950年12月刊)。日本軍の部隊が玉砕することによって、連合軍の兵士たちが気味わるがってその戦場から退却するという話を、日本軍の司令官はしばしば訓辞したという。
 飯塚著のなかで、将校のひとりが「軍人の中には、いわゆる陛下を奉じて戦さをやって、たとえ全滅しても、日本は負けていないんだ。そういう、ちょっといま考えると、真意的に見える観念にとりつかれていました。個々の戦場においては全滅してなお『霊的突撃』を、さらにそれが本土という規模においても行われようとしたのです」と語っている。国民のすべてが特攻作戦で死ぬことは「霊的突撃」であり、それにアメリカ軍は驚いて戦争終結の意思を持つだろう、というのは戦時指導者の精神のよりどころになっていたのだ。
 特攻作戦と玉砕という戦術は日本軍の戦略上の汚点とされているが、しかしそれは霊的な突撃と考えることで辛うじて自分たちの心のバランスを保っていたとも考えられる。これに歯止めをかけるのが昭和天皇ということになるが、昭和天皇は皇太子に宛て敗戦直後の昭和20年9月9日に書簡を送っている。
 そこには「戦争をつづければ(略)国民をも殺さなければならなくなったので 涙をのんで 国民の種をのこすべくつとめたのである」とあった。この意味を「霊的突撃」と対比させるとよくわかってくる。
ほさま・まさやす ノンフィクション作家。次回は5月10日に掲載します。
    --「保阪正康の昭和史のかたち [戦時下にみる為政者の精神構造]本来の日本文化からの逸脱」、『毎日新聞』2014年04月12日(土)付。

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覚え書:「今週の本棚:岩間陽子・評 『フランスの肖像』=ミシェル・ヴィノック著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。


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今週の本棚:岩間陽子・評 『フランスの肖像』=ミシェル・ヴィノック著
毎日新聞 2014年04月13日 東京朝刊

 (吉田書店・3456円)

 ◇「なぜ、どうして?」が解きほぐされる快感

 幼児と暮らすと、「なぜ、どうして?」の集中砲火にあい続ける。「なんでそんなことに理由が必要なんだ!」とぶち切れそうになるほどだ。それはこどもが、その社会にとってまだまだ「他者」に過ぎないからだ。外国人は、ある意味こどもに似ている。突拍子もない「なぜ、どうして?」が飛び出す。そんな時私たちはつい、「そういうもんなんだよ」と、省エネの答えをしてしまいがちだ。だが、この本を読んで深く反省した。「なぜ、どうして?」に答えてもらうのは、こんなにも気持ちいい。

 著者のミシェル・ヴィノックは、政治思想史を専門とするフランスの近現代史の歴史家だが、この本は、彼がニューヨークやサンクト・ペテルブルグで、外国の学生たちから受けた質問から生まれたという。読み進むにつれ、長い間フランスについて感じていた、「なぜ、どうして?」が、少しずつ解きほぐされていく快感に身を委ねることになる。おそらく誰もが、感嘆符付きでフランスについて抱いていた疑問の数々。

 「どうしてフランス大統領は、女性問題でみっともない姿をさらしても、政治生命を奪われないの?!」

 「どうしてフランス人は、年がら年中、デモやストばかりやっているの?!」

 「どうして自由の国で、イスラムの女の子のスカーフにあれほど目くじらを立てなければいけないの?!」

 これらの疑問に、ヴィノックは、思想史家らしい手法で答えていく。フランスの定義の仕方からして、彼は自分の専門に忠実だ。曰(いわ)く、「フランスは地理ではなく、歴史だ」、「フランスは思想である」。ありがたいことに、ほとんどの話は、フランス革命以後のことで完結する。

 フランス人である、ということは、国民意識抜きには語れないそうだ。まず、長い政治的中央集権化の成果としての国家が生まれ、次第に絶対王権が確立された。フランス革命により、国民主権と国民意識が同時に生まれた。人権宣言によって確立された個人の自立と、国民としての自立という二つの立場を明らかにすることで、共和国としてのフランスが誕生した。

 しかし、フランスは同時に伝統的なカトリック国、「教会の長女」でもある。カトリック的文化は、今でもフランスの在り方を大きく規定している。悔悛(かいしゅん)の秘跡によってものごとを深刻に捉え過ぎずにすむフランス人は、セックスの問題と過ちの観念にとらわれることなく、指導者たちの私生活を問うこともしない。プロテスタント的文化の市民に比べて、責任感も罪の意識も弱い。革命の思想はカトリックに反対することによって成立したが、残念ながら国民の無意識までは変革できなかったようだ。法律に違反しても、フランス人には罪悪感は薄い。

 カトリシズムの統一された世界観、唯一無二の思想共同体、荘厳な儀式や祭壇への憧憬(しょうけい)の念は、フランスの政治生活の様々な場面に忍びこんで生き続けている。フランス大統領が、外国人の目には、しばしば王のように映り、儀式があまりに大仰だと思えるのは偶然ではない。フランスにおける共産党の伝統的な強さも、ヴィノックはカトリック的文化から説明する。共産主義には、カトリック同様、信仰と詩情と英雄的なるものと、博愛の精神があるという。

 フランスは教会の長女であると同時に「革命の母」でもある。しかし、一七九一年以来、一五にも及ぶ憲法が起草されたのは、安定した政治体制を作ることにフランスが失敗したからに他ならない。フランス近代史は、キリスト教的君主制、非宗教的共和国、そして「クーデターと国民投票の組み合わせ」であるボナパルティズムの、三形態の間を揺れ動いてきた。

 ローマ法王とすでに決別していたプロテスタント諸国と異なり、フランス革命は、ローマとの関係を清算しなければならなかった。法王は、個人に信教の自由、宗教の自由、思想の自由を認めた人権宣言を非難した。唯一無二の真理は教会が体現しなければならず、それに疑問を呈する自由は存在しなかった。フランスでは、共和制の形を取る民主主義は、ローマの教えに敵対する形でしか定着することができなかった。ここに有名なフランスの「ライシテ」(フランス特有の国家の脱宗教性の原則)の起源がある。

 宗教的信条は私的なものであり、共和制の理念に従属する。信仰告白は、目立たないよう、控えめに行われなければならない。ある宗教への帰属を明示しないことは、あらゆる神権政治に対する自由の原則を守ることにもなる。学校におけるイスラム教徒のスカーフ問題が、他のキリスト教国と違った様相を呈するのはここに原因がある。

 後半、扱われる様々な現代フランスの問題は、意外なほど日本が抱える問題と似通っている。けれど、根っこが異なれば、解決法もまた違うだろう。今度留学生に質問を受けたときは、こういう風に日本が説明できるようになってみたい。(大嶋厚訳)
    --「今週の本棚:岩間陽子・評 『フランスの肖像』=ミシェル・ヴィノック著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『官邸危機』 著者・松本健一さん」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『官邸危機』 著者・松本健一さん
毎日新聞 2014年04月13日 東京朝刊

 (ちくま新書・950円)

 ◇リアルな政治を見た記録??松本健一(まつもと・けんいち)さん

 思想家、評論家、大学教授……さまざまな肩書を持つ著者はかつて民主党に請われて菅直人政権の“アドバイザー”に就任していた。肩書は内閣官房参与。非常勤の国家公務員である。本書はそうした「リアル・ポリティクス」に直接関わった約1年間の体験的考察である。

 冒頭部分は2011年3月11日、東日本大震災発生直後の首相官邸の混乱ぶりから書き出されている。それから3年。偶然にも私が著者から指定された面会日もその日の夕刻だった。

 「生の政治に携わった人間として記録に残しておかなければ、との気持ちから書いた。守秘義務があり、全てを書けないが、私は官僚ではない。あくまで『思想家』としての任務を果たそうとしたつもりです」

 民主党政権が最初に実行に移したのは政府と与党の一元化に脱官僚主導だった。しかしその結末は周知の通りである。

 「官僚は優秀だけど、縦割り行政を利用して出身省庁の『省益』を優先していると感じる場面が少なくなかった。『3・11』にしても丸3年たっても、いまだに責任の所在がはっきりしない。官僚独裁体制を打ち倒すことは、『第三の開国』にあたって目指すべき理念としては正しかった」と振り返る。

 「第三の開国」とは、幕末から現代までの歴史を俯瞰(ふかん)した際の国内変革を指す。「政治家は有権者の耳に届きやすい言葉に飛びつくが、もっと長い期間を見据えなければ。日本の風土や歴史を踏まえ、あるべき統治のあり方や歴史観を政権に助言した」。特に第二次大戦敗戦に至る「失敗」を生かし、アジア重視に基軸を置くべきだとの考えは今も変わらない。

 ただ、民主党は政権交代だけを目的化した議員の「乗り合いバス」に過ぎず、「国家統治はおろか、政治決断の責任を負うという政治家の自覚も未熟だった」と指摘する。国民の期待が大きい分だけ、幻滅に転じるのも早かった。

 「私も統治機構を分かっていたつもりでも、内部に属してみると、単なる理論でしかなかった。実際に現場に行ってみないと分からないことはある。どこを突けば人と金が動くかとかプラグマティックな現場を知ることは大きな財産になりました」

 根幹にあるのは徹底した現場主義である。<文と写真・中澤雄大> 
    --「今週の本棚・本と人:『官邸危機』 著者・松本健一さん」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『オオカミが日本を救う!』=丸山直樹・編著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『オオカミが日本を救う!』=丸山直樹・編著
毎日新聞 2014年04月13日 東京朝刊

 (白水社・2484円)

 刺激的な書名である。編著者は東京農工大名誉教授。明治時代に牧畜などに害があるとして駆除、絶滅したオオカミを復活させれば、日本の荒れた生態系を再生できるという。

 現在、日本ではシカやサル、イノシシが増えすぎて、全国で大きな問題を起こしている。特にシカは、世界自然遺産の知床(北海道)をはじめ各地の森林の樹皮をはがしたり、下草を食い荒らしたりして、環境破壊を招いている。農作物被害も深刻化している。そこで、解決策として、中国や極東ロシアのオオカミを連れてくるように提案している。

 オオカミをめぐっては誤解が多い。本来、臆病な野生生物にもかかわらず、「赤ずきんちゃん」などさまざまな童話に「怖い存在」として登場したことが理由と指摘する。また、「狭い日本に居場所はあるのか」「かえって生態系を悪化させるのでは」などの疑問に対し、米国での再導入の実例、DNA解析に基づくオオカミの分類を紹介しながら科学的な視点で答えた。

 種の絶滅が与える影響の大きさを、オオカミを通して痛感するとともに、人と自然の関係を深く考えさせられた。(泰) 
    --「今週の本棚・新刊:『オオカミが日本を救う!』=丸山直樹・編著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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オオカミが日本を救う!: 生態系での役割と復活の必要性
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覚え書:「ひと:井上寿一さん=学習院大学長に就任」、『毎日新聞』2014年04月11日(金)付。


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ひと:井上寿一さん=学習院大学長に就任
毎日新聞 2014年04月11日 東京朝刊

学習院大学長に就任した井上寿一さん=矢頭智剛撮影

 ◇井上寿一(いのうえ・としかず)さん(57)

 候補3人の中から12代目の学長に選ばれ、今月、就任した。教授らによる他薦制なので、候補者になったことさえ驚きだった。まず思ったのは「大変なことになった」。大学が多くの課題に直面していることが分かっていたからだ。

 知名度は「全国区」。一方、近年は「学生のほとんどが首都圏の出身者」。厳しい経済状況の下、親も子供も地元志向が強まっている。さらに少子化が追い打ちをかける。有名大学でも優秀な学生の確保は難しい。

 改革のビジョンはある。たとえば、地方会場での入試。地方出身者に返還不要の奨学金制度を導入する。2016年には「国際社会学部」の創設を目指す。約半世紀ぶりの学部新設だ。

 大学が自らのイメージを調査したところ、「国際性が乏しい」という印象が強いと分かった。「今でも海外の大学との交流は盛んです。新しい学部を先導役にしてこれを推進し、間違ったイメージを払拭(ふっしょく)したい」。すべての学生が在学中に海外留学、研修ができる環境整備を進める。

 専攻は日本政治外交史。研究成果は学術論文のみならず、一般読者向けの単行本や新書でも積極的に発表してきた。今後は学長としての仕事に追われそうだ。「学長だからこそ会える人がいて、経験できることがあるはず。研究に生かして成果を発信し続けますよ」。大学改革と研究。二(に)兎(と)を追い、二兎を得る好機にある。<文・栗原俊雄/写真・矢頭智剛>

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 ■人物略歴

 東京都出身。一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学(法学博士)。学習院大での教員生活は25年に及ぶ。 
    --「ひと:井上寿一さん=学習院大学長に就任」、『毎日新聞』2014年04月11日(金)付。

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日記:「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」こそ、空海の精神、そして仏教の精神、そしてもっといえば、宗教とは全く対極の立場

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日本仏教の現状に私は懐疑的であるし、大戦下において一部の密教僧侶のルーズベルト呪詛などというソレは確かに噴飯ものだけど、インドで誕生し、中国・朝鮮半島を経て日本へ伝来した三国仏教史としての日本的展開(文化内開花)を考えるならば、その直因は朝鮮半島にあり、空海、最澄が学んだ中国大陸に大恩がある。

精神として排外主義とは相容れない場所で差別表現はあり得ない。

蘇我物部抗争で出てくるのが仏教=「蕃神」という批判がある。しかしその蕃神論は、政治抗争におけるイデオロギー議論に過ぎず、そこに宗教の真性論を見い出すことは不可能だし、聖徳太子以降の受容経緯を考えると、大陸からの仏教輸入に力をいれてきたのが日本の歴史であり、宗教史である。
※もちろん、その負の側面が「御用」としての「鎮護」議論になるのですがここではひとまず措く。

だとすれば、朝鮮半島や中国大陸に対する報恩はあったとしても、根拠のない蔑視は日本の歩みそのものの全否定へと連動する。

私自身は、空海(お大師さん)の生まれ故郷・総本山善通寺の生まれだから、八十八カ所には幼い頃から親しんできている。観光的側面は否定しないけれども、だからこそ、特定の誰かを入れないというのは、違う訳でして……。

「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」こそ、空海の精神、そして仏教の精神、そしてもっといえば、宗教とは全く対極の立場だ。

お遍路さんの衣の背中には「南無大師遍照金剛」と記されている。「遍く照らす」ということを考えてもらいたい。

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差別貼り紙:遍路道に 外国人排斥 徳島、高松の5休憩所
毎日新聞 2014年04月10日 夕刊

 四国遍路の巡礼者が使う休憩所のうち、徳島県と高松市の計5カ所で、朝鮮人排斥を訴える紙が貼られていたことが10日、分かった。貼り紙は「日本の遍路道を守ろう会」との名で、「礼儀しらずな朝鮮人達が気持ち悪いシールを四国中に貼り回っています。見つけ次第、はがしましょう」などと印刷されていた。事態を受けて、徳島県は遍路道のある県内各市町村に確認を呼び掛け、徳島県警も軽犯罪法違反(はり札乱用)容疑を視野に情報収集している。

 徳島県内では、徳島市の観光施設「阿波おどり会館」前の休憩所で4枚▽吉野川市の休憩所で1枚▽阿波市の休憩所で2枚--の計7枚が見つかった。一番札所「霊山寺(りょうぜんじ)」(鳴門市)でも枚数は不明だが、発見された。

 高松市一宮町の休憩所では、先月28日朝、管理人の男性(71)が貼り紙1枚を発見し、その場ではがしたという。

 札所の寺院で組織する四国八十八カ所霊場会は昨年12月、外国人として初めて、遍路道の案内役や巡拝作法を手ほどきする「先達(せんだつ)」に4度目の結願(遍路終了)をした韓国人女性の崔象喜(チェサンヒ)さん(38)=ソウル市=を認定した。崔さんは、インターネットで遍路文化を紹介するサイトや、遍路宿や休憩所にハングルで書かれた自作のシールを貼るなど海外に遍路を紹介する活動を続けており、貼り紙は崔さんを中傷したものとみられる。【加藤美穂子、立野将弘、伊藤遥】
    --「差別貼り紙:遍路道に 外国人排斥 徳島、高松の5休憩所」、『毎日新聞』2014年04月10日(木)付(夕刊)。

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[http://mainichi.jp/area/news/20140410ddh041040010000c.html:title]


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差別貼り紙:遍路道に 愛媛大学「四国遍路と世界の巡礼」研究会代表の寺内浩教授の話
毎日新聞 2014年04月10日 大阪夕刊

 ◇大きな違和感--愛媛大学「四国遍路と世界の巡礼」研究会代表の寺内浩教授(日本史)の話

 大変残念だ。四国遍路は巡礼する人の悩みや苦しみを受け入れ、地域に「お接待」の文化が根付くもの。八十八カ所霊場を開いたとされる弘法大師空海は、中国に渡り、インド発祥の仏教を学んでおり仏教自体が国際的なものだ。その場に、特定の外国人差別を持ち込むことに、大きな違和感を覚える。
    --「差別貼り紙:遍路道に 愛媛大学「四国遍路と世界の巡礼」研究会代表の寺内浩教授の話」、『毎日新聞』2014年04月10日(木)付(大阪夕刊)。

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[http://mainichi.jp/area/news/20140410ddf041040021000c.html:title]

関連報道まとめ
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日記:「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」こそ、空海の精神、そして仏教の精神、そしてもっといえば、宗教とは全く対極の立場


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日本仏教の現状に私は懐疑的であるし、大戦下において一部の密教僧侶のルーズベルト呪詛などというソレは確かに噴飯ものだけど、インドで誕生し、中国・朝鮮半島を経て日本へ伝来した三国仏教史としての日本的展開(文化内開花)を考えるならば、その直因は朝鮮半島にあり、空海、最澄が学んだ中国大陸に大恩がある。

精神として排外主義とは相容れない場所で差別表現はあり得ない。

蘇我物部抗争で出てくるのが仏教=「蕃神」という批判がある。しかしその蕃神論は、政治抗争におけるイデオロギー議論に過ぎず、そこに宗教の真性論を見い出すことは不可能だし、聖徳太子以降の受容経緯を考えると、大陸からの仏教輸入に力をいれてきたのが日本の歴史であり、宗教史である。
※もちろん、その負の側面が「御用」としての「鎮護」議論になるのですがここではひとまず措く。

だとすれば、朝鮮半島や中国大陸に対する報恩はあったとしても、根拠のない蔑視は日本の歩みそのものの全否定へと連動する。

私自身は、空海(お大師さん)の生まれ故郷・総本山善通寺の生まれだから、八十八カ所には幼い頃から親しんできている。観光的側面は否定しないけれども、だからこそ、特定の誰かを入れないというのは、違う訳でして……。

「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」こそ、空海の精神、そして仏教の精神、そしてもっといえば、宗教とは全く対極の立場だ。

お遍路さんの衣の背中には「南無大師遍照金剛」と記されている。「遍く照らす」ということを考えてもらいたい。

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差別貼り紙:遍路道に 外国人排斥 徳島、高松の5休憩所
毎日新聞 2014年04月10日 夕刊

 四国遍路の巡礼者が使う休憩所のうち、徳島県と高松市の計5カ所で、朝鮮人排斥を訴える紙が貼られていたことが10日、分かった。貼り紙は「日本の遍路道を守ろう会」との名で、「礼儀しらずな朝鮮人達が気持ち悪いシールを四国中に貼り回っています。見つけ次第、はがしましょう」などと印刷されていた。事態を受けて、徳島県は遍路道のある県内各市町村に確認を呼び掛け、徳島県警も軽犯罪法違反(はり札乱用)容疑を視野に情報収集している。

 徳島県内では、徳島市の観光施設「阿波おどり会館」前の休憩所で4枚▽吉野川市の休憩所で1枚▽阿波市の休憩所で2枚--の計7枚が見つかった。一番札所「霊山寺(りょうぜんじ)」(鳴門市)でも枚数は不明だが、発見された。

 高松市一宮町の休憩所では、先月28日朝、管理人の男性(71)が貼り紙1枚を発見し、その場ではがしたという。

 札所の寺院で組織する四国八十八カ所霊場会は昨年12月、外国人として初めて、遍路道の案内役や巡拝作法を手ほどきする「先達(せんだつ)」に4度目の結願(遍路終了)をした韓国人女性の崔象喜(チェサンヒ)さん(38)=ソウル市=を認定した。崔さんは、インターネットで遍路文化を紹介するサイトや、遍路宿や休憩所にハングルで書かれた自作のシールを貼るなど海外に遍路を紹介する活動を続けており、貼り紙は崔さんを中傷したものとみられる。【加藤美穂子、立野将弘、伊藤遥】
    --「差別貼り紙:遍路道に 外国人排斥 徳島、高松の5休憩所」、『毎日新聞』2014年04月10日(木)付(夕刊)。

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差別貼り紙:遍路道に 愛媛大学「四国遍路と世界の巡礼」研究会代表の寺内浩教授の話
毎日新聞 2014年04月10日 大阪夕刊

 ◇大きな違和感--愛媛大学「四国遍路と世界の巡礼」研究会代表の寺内浩教授(日本史)の話

 大変残念だ。四国遍路は巡礼する人の悩みや苦しみを受け入れ、地域に「お接待」の文化が根付くもの。八十八カ所霊場を開いたとされる弘法大師空海は、中国に渡り、インド発祥の仏教を学んでおり仏教自体が国際的なものだ。その場に、特定の外国人差別を持ち込むことに、大きな違和感を覚える。
    --「差別貼り紙:遍路道に 愛媛大学「四国遍路と世界の巡礼」研究会代表の寺内浩教授の話」、『毎日新聞』2014年04月10日(木)付(大阪夕刊)。

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関連報道まとめ
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覚え書:「今週の本棚:大竹文雄・評 『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』=大阪大学ショセキカプロジェクト・編」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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今週の本棚:大竹文雄・評 『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』=大阪大学ショセキカプロジェクト・編
毎日新聞 2014年04月13日 東京朝刊

 (大阪大学出版会・1620円)

 ◇答えが分からない問題の解、求める

 「ドーナツを穴だけ残して食べる方法を考えてください。」あなたはこんな質問にどう答えるだろうか。

 穴はそもそもドーナツの一部ではないのだから、それを残すこと事態が無理ではないのか。いや、ドーナツの穴というのは、穴の周りのドーナツが存在して初めて穴となるのだから、穴の周りのドーナツを残して食べればそれでいいのではないか。普通なら議論はこれで終わりそうなものだ。普通ではないのが、大学教授と呼ばれる人間たちだ。こういう質問を学生たちから受けると、それぞれの学問の専門分野に応じて彼らは延々議論を始める。

 そもそもこの「ドーナツの穴問題」は、ネットで議論され始めたのだからその発生源を調べだす人(松村真宏(なおひろ)氏)がいる。その上で、そもそもインターネットでのクチコミがどのように伝播(でんぱ)していくかというご自身の研究成果への紹介につなげていく。

 穴の周りのドーナツをどれだけ薄く残せるのかということを「切る」「削る」という工学的な側面から分析する人(高田孝氏)がいる。まず、ドーナツの材料を分析し、機械加工に適していないことを示す。その上で、手、口、はさみ、ナイフという人力によってどこまで削れるかを考える。ただ、そこで終わらないのが、工学部の先生だ。ドーナツを樹脂などで固形化させてからの旋盤、フライス盤での加工ならどこまで薄くできるかを検討する。さらには、レーザーを使うことまで考える。結果的には、人力と機械にそれほど違いがない、という結論だ。さすがに、真面目な工学の先生らしい。

 大学教授らしい回答を寄せているのは、文学部の田中均氏と理学部の宮地秀樹氏だろう。美学を専門とする田中氏は、「ドーナツを食べればドーナツがなくなる」ということ自体に反論する。プラトンやハイデガーの議論をもとに、食べられるドーナツというのは本物のドーナツでない、とさんざん議論したあげく、食べられるドーナツについては「ドーナツは家である」と結論づける。

 数学者の宮地氏に至っては、4次元空間を持ち出してくる。しかも問題を「ある人がドーナツの穴に指を通してドーナツの穴を認識したまま、別の人がドーナツを食べることができるか」という問題に定義し直している。そして、4次元空間ならそれが可能だという論証をするのだ。

 ここまでは本書の一部にすぎない。精神医学、歴史学、人類学、分子化学、法律学、経済学など様々な分野の専門家が、ドーナツという言葉をもとに、各分野のアプローチを一般向けに解説する。各章末には、ブックガイドもあるので、興味をもった読者は深く調べることもできる。世界9カ国のドーナツ事情を紹介するコラムも章の間に挟まれている。

 この本は、一般の人だけではなく、高校生にも有益だろう。高校生にとっては、勉強とは質問に対する正解を覚えることだ。既存の知識をきちんと獲得することは学問をする上での基本だ。しかし、研究の最前線や現実の社会ではそれだけではだめだ。答えが分からない問題に対して解が求められている。問題を発見し定式化する能力と、それを解決する能力の両方が必要だ。そのためには、自分の専門分野を他分野の人に分かりやすく説明し、違う分野の人の意見にも触れることが大切だ。本書はそうした学問の現場を体感させてくれる。この本は、阪大の学生たちが中心になって作成したものだ。本の可能性はまだまだあると思わせてくれる。
    --「今週の本棚:大竹文雄・評 『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』=大阪大学ショセキカプロジェクト・編」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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ドーナツを穴だけ残して食べる方法 越境する学問―穴からのぞく大学講義
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覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『翻訳教育』=野崎歓・著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。


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今週の本棚:湯川豊・評 『翻訳教育』=野崎歓・著
毎日新聞 2014年04月13日 東京朝刊

 (河出書房新社・1944円)

 ◇花を蘇生させ、生命をよみがえらせる術

 家を出て松の生い茂った林を抜けると、砂浜とその向うに海がひろがっている。生活のなかでつねに海の気配を感じている少年が、最初に接した翻訳本は、ヘミングウェイの『老人と海』、さらにはカミュの『異邦人』ほかの諸作だった。新潟市に生まれ育った野崎歓氏の、翻訳書との幸福な出会いである。

 長じて野崎氏はフランス文学を学び、自ら翻訳家になった。そして翻訳とは何かを、つねに考え続ける。この本は、翻訳のはかり知れない苦心と喜びを語っているのだが、読み進むうちに、翻訳とは何かを考えるのは、とりもなおさず、日本を含む世界の文学や文化を考えることだと気づく。もちろん、野崎氏の思考が読者をそこまで連れていくのだ。

 そして私たちが、いまヨーロッパ文化のまっただなかにいると感じるのは、ネルヴァルの『火の娘たち』の翻訳を手がけているという話あたりからである。十九世紀前半に生きたこの詩人・小説家の代表作をいよいよ訳そうとしている著者の心の高ぶりがまず伝わってくる。野崎氏はたしか卒論もネルヴァルで、ネルヴァルへの愛着は早くからあった。ようやく機が熟したのである。

 そのネルヴァルは若い頃、ゲーテの『ファウスト』第一部をフランス語に翻訳した。当時の風潮だった、原本から離れてフランス語としての美文をつくることを避け、地道に『ファウスト』の内容をフランス語に移した。そしてゲーテ自身がこの翻訳を読んで高く評価した。

 野崎氏はこのエピソードを語りつつ、ゲーテの別の詩を引用していう。「翻訳とはすなわち、しおれた花を蘇生させる救いの水であり、いったんは衰えた生命を『母なる地』以外の場所によみがえらせる術(すべ)なのだ。」

 『ファウスト』のことから、話柄が二つの道筋をとる。その一つは、クラシック音楽の方向。まずは「ファウストの劫罰(ごうばつ)」のベルリオーズ。さらには、ワーグナー、マーラーへと続いてゆく。

 ワーグナーとマーラーは、『ファウスト』の「永遠に女性的なるもの」が男を非業の運命から救うというテーマを、「タンホイザー」や「交響曲第八番」に鳴り響かせた。十五、六世紀にヨーロッパに流布したファウスト伝説は、そんなふうに文学だけでなく音楽の世界にも強く浸透している。これは一種の「重ね書き」であり、重ね書きとは一つの翻訳ではないか、と野崎氏は主張する。

 そして音楽との関連でいえば、再現芸術である演奏こそ、翻訳に近い行為なのだと、サイードと音楽家・バレンボイムの対話を引用しながら示唆している。

 話の道筋のもう一つは、『ファウスト』を訳した森鴎外という方向をとる。

 鴎外にとって「永遠に女性的なるもの」とは何だったか。『渋江抽斎』の五百(いお)(抽斎の妻)ではなかったかという議論がめっぽう面白い。五百は男性的であるのが魅力だからだ。

 さらに『渋江抽斎』を論じて、これは様々な資料や聞き書きをもとにした、精巧無比の「翻訳」ではないかというあたり、この史伝の核心に迫っていて説得力十分。

 鴎外の長女・茉莉の息子が、仏文学者の山田〓(ジャク)。野崎氏は東大でジャク先生に教わった。含羞の人で、一風(いっぷう)変わったダンディでもあったジャク先生の風貌が、フローベールの翻訳のみごとさと共に語られる。

 豊富なエピソードに書き手が遊んでいるかのよう。それを追っていくと、野崎氏はいつのまにか「翻訳とは何か」を越えて、「文学とは何か」を思考している。楽しくて、しかも恐ろしい本なのである。
    --「今週の本棚:湯川豊・評 『翻訳教育』=野崎歓・著」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:アジアの文学作品=中沢けい・選」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:アジアの文学作品=中沢けい・選
毎日新聞 2014年04月13日 東京朝刊

 <1>赤い高粱(莫言著、井口晃訳/岩波現代文庫/1123円)

 <2>台湾海峡一九四九(龍應台著、天野健太郎訳/白水社/3024円)

 <3>世界の果て、彼女(キム・ヨンス著、呉永雅訳/クオン/2700円)

 現代中国文学でもっとも有名な作家と言えば、ノーベル文学賞を受賞した莫言(ばくげん)がその筆頭だろう。莫言は器用な人で、右手と左手で同時に毛筆の文字を書くところを見て、これはたいしたものだと感嘆したことがある。作家や詩人に揮毫(きごう)を求める習慣が、中国、韓国、台湾にはまだ残っている。

 莫言はマジックリアリズムの作家と紹介されることが多い。リアリスティックな語り口でいつの間にか幻想の世界に導かれる。1冊選ぶとすれば、映画にもなっている『赤い高粱(コーリャン)』だろう。ラバ1頭と引き換えに、業病(ごうびょう)のため嫁の来てがなかった造り酒屋の息子に輿入(こしい)れした女の物語。映画はチャン・イーモウの初監督作品だ。主演のコン・リーが美しかった。

 蒋介石が南京から台湾へ去ったのは1949年。朝鮮戦争勃発の前年である。龍應台『台湾海峡一九四九』は蒋介石が台北を中華民国の臨時首都と定めた49年を中心として、日本人、中国人、台湾人、英国人、ロシア人、オーストリア人、米国人、とそれぞれの国籍を持つ人々が歴史の渦に巻き込まれる様子を描く。著者は「本書は文学であって、歴史書ではない」と言う。抑制された文章から亜熱帯の花の匂いや線香の香りが立つ向こう側に国際政治の複雑さが浮かび上がってくる。台湾も米軍によって空襲されたことを、この作品で知った。

 朝鮮戦争は今も「休戦」のまま、その決着を見てはいないが、韓国は台湾とともにアジアの中で著しい経済成長をとげた。が、近年、60歳以上の男性の自殺率は急速に高まっている。経済成長の陰で、伝統的な価値観が崩壊する社会があり人々は孤独を抱え込む。キム・ヨンス『世界の果て、彼女』は他者に出会い、自分を発見する機会を描く短編集。家族や仕事からの逃避。失踪した父親を思う気持ち、失恋、ままならない夫婦関係など、現代のソウルでは、いや、東京でも、誰しもが抱え込んでいる孤独が描かれる。単に孤独を描くのではなく、そこに他者を発見するという奇跡をキム・ヨンスは忍ばせる。

 2月にソウルの江南を歩いた。ベンツ、フォルクスワーゲンなどドイツ車が人気を集め、あちこちにイタリヤ料理店が店を開き、高級ブティックが立ち並び仕立ての良い背広を着たビジネスマンが闊歩(かっぽ)するのが江南の街だ。東京の中国人留学生が「莫言よりも村上春樹を読んでいる人が多い」と教えてくれたのを思い出した。 
    --「今週の本棚・この3冊:アジアの文学作品=中沢けい・選」、『毎日新聞』2014年04月13日(日)付。

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覚え書:「発言 対話こそ道徳教育だ=河野哲也」、『毎日新聞』2014年04月10日(木)付。


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発言
対話こそ道徳教育だ
河野哲也 立教大教授

 小中学校の道徳教育を「特別の教科」に格上げしようとする動きがある。文部科学省によれば、道徳教育は、「児童生徒が道徳的価値について自ら考え、実際に行動できるようになる」ことを狙いとする。そのために必要なのは、価値の教え込みではない。道徳教育において重んじられるべきは、対話と思考である。
 学校での「話し合い」はしばしば教師に誘導され、「うそをついてはいけない」「いじめは許されない」などと結論がきまっている。
 これは対話ではない。道徳教育において世界で大勢となっているのは、子ども同士で対話させる方法である。子どもにテーマを決めさせ、結論を定めず対話する。相手の人格を尊重する限り発言は自由だが、他人の発言も最後までしっかり聞く。
 特に重要なのは、相手を理解するために互いに質問し合うことである。発言の論拠を問い、ゆっくりと考えながら対話する。1人が一方的に話したり、無理に発言させたりするような雰囲気は避け、安心して話し合える場所作りを心がける。
 こうした対話型授業は、一部の小中高校が自主的に導入を始めている。協力しているのは、大阪大学、東京大学、上智大学、立教大学などの哲学者である。
 対話型授業には二つの大きな利点がある。一つは、自分の道徳的判断や行動について反省し、その根拠と原則について考えるようになる点である。道徳性は、単純なしつけや思い込みからではなく、反省と熟慮から生み出される、第二に、他者との対話そのものが道徳的な営為であり、対話をすることによって学級の道徳性が高まる。
 たとえば、小学4年生のある学級では「未来は誰がつくるのか」がテーマに選ばれた。多くの子が「未来は自分でつくる」といった発言をしたが、「未来そのものは勝手にやってきて、自分でつくるのは夢だ」と見事に別の観点を述べた子もいた。
 さらに「政治家」「科学者」という意見もあり、大人や権力者につくられる未来に違和感を覚えるとの発言も出され「公と私」の境について自発的に語り始めていた。授業終了後には「いろいろ意見が出て楽しかった」「友だちの意外な素顔が見られた。またやりたい」などの感想が寄せられた。差異があるからこそ対話が生まれ、対話がなされるからこそ差異が理解される。
 これに対し、対話しない集団では考え方や嗜好を同調させることで、何とか集団を保とうとする。メンバーに違いを隠すことを強い、個性を押し殺すことを要求するために、自分がありのままで集団に受け入れられている感じを持つことはできない。各人はすでにできあがった集団の秩序に自分を合わせることばかりに気を使うので、積極的に集団に参加したいという意識を持てない。集団をよりよくしていこうという気持ちも湧かない。
 対話がないと集団の中に新しい意見はもたらされず、各人は成長するきっかけを失い、集団も活力をもてずに、発展は停滞する。これが今の日本の姿ではないだろうか。
こうの・てつや 哲学専攻。著書に「道徳を問いなおす リベラリズムと教育のゆくえ」など。
    --「発言 対話こそ道徳教育だ=河野哲也」、『毎日新聞』2014年04月10日(木)付。

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覚え書:「発言 海外から 『謝罪の時代』直視せよ=キャロル・グラック」、『毎日新聞』2014年04月09日(水)付。


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発言
海外から
「謝罪の時代」直視せよ
キャロル・グラック コロンビア大学教授(日本近現代史)

 歴史問題、特に20世紀に起きた問題を今も抱えるのは日本だけではない。国際社会には、国家が過去とどう向き合うかについての規範がある。第二次大戦後に発展してきたもので、私は「グローバルな記憶の文化」と呼んでいる。
 一つの例が「謝罪の政治」だ。国家指導者が過去の過ちを相手国に謝罪することは、60年前にはめったになかったが、今では一般的になった。
 また、日本にとって重要なのが、1990年代に、従軍慰安婦問題が戦時中の女性に対する性暴力の例とみなされるようになったことだ。当時はボスニア紛争(92~95年)中の(セルビア人兵士による)集団レイプなどを踏まえ、レイプを人道に対する罪とする国際法の流れがあった。慰安婦問題もこの文脈で取り上げられ、世界中に知られた。
 この二つのことは日韓関係の枠を超える。米下院が慰安婦問題で日本に謝罪を求める決議をしたり、ニュージャージーやカリフォルニア州で慰安婦の碑や像が設置されたりしたのには、こうした背景がある。韓国が世界中で日本非難キャンペーンを展開するのは主張が受け入れられやすいことを分かっているからだ。
 欧州のケースを見てみる。ナチス・ドイツによるホロコーストは第二次大戦中の大虐殺の象徴とみなされている。欧州連合(EU)が段階的に拡大する中で、新たな加盟国はホロコーストの記憶を共有することが求められた。
 ドイツは(ユダヤ人に対する)「謝罪」という言葉の代わりに「ドイツ人として過去と将来の責任を痛感する」という言い方で、謝罪を続けている。謝罪の撤回と取られかねないことはしていない。
 一方、欧州にとって問題なのはロシアだ。旧ソ連時代の東欧諸国への侵攻を認めず、現代の国際社会の規範に従っていない。東欧諸国がロシアを非難するのは、それが欧州で受け入れられると知っているからだ。対日非難をする韓国や中国と同じ論理だ。
 日本国内には、慰安婦問題で「もう十分に謝罪した」という声がある。あらゆる国家の指導者同様、安倍晋三首相が国内政治に対応する必要があるのは分かる。だが、(従軍慰安婦への旧日本軍の関与を認め謝罪した)「河野談話」(93年)の検証作業は、「謝罪の時代」において、国際的にはまったく通用しない話だ。【構成・草野和彦】
    --「発言 海外から 『謝罪の時代』直視せよ=キャロル・グラック」、『毎日新聞』2014年04月09日(水)付。

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覚え書:「私の方丈記 [著]三木卓 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。


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私の方丈記 [著]三木卓
[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)  [掲載]2014年04月06日   [ジャンル]歴史 人文 

■長明の感慨に重ねて想いつづる

 世の中はなかなか変えられない。戦争は悪だと皆が心底憎らしく感じているのに、世界の各所で争いが続き、罪なき人が犠牲になるのを止めることができない。また世の中よりもさらに畏(おそ)るべきは自然であり、3・11では地震や津波の怖さを思い知らされた。磨きあげてきた科学技術は地球のたった何時間かの変化に対応できず、原子力発電の安全神話は崩壊した。
 中世において、出家は容易であった。頭を丸めても生活は変わらない。たとえば甲斐の戦国大名、武田晴信は39歳で出家して信玄を名乗ったが、当主として働くことは旧の如(ごと)くであった。女性・酒・贅沢(ぜいたく)にも十分に親しんだ。
 では社会のありように異議を申し立て、日常と一線を画そうとする行為は何かといえば隠遁(いんとん)であり、鴨長明はその隠遁者であった。彼が生きた時期はまさに激動の世であり、地震・大火・大風・飢饉(ききん)などの災害が猛威を振るった。何年にもわたる源平の合戦があり、貴族が没落し、粗野な武士が力をもった。貴族社会の一員であった長明は、後鳥羽上皇に認められた歌人としての俗世を捨て、京都の郊外に庵(いおり)を結び、自己と対話しながら『方丈記』を著した。
 著者も栄耀栄華(えいようえいが)とは無縁の人生を歩んできた。第二次世界大戦下の満州に暮らし、父と祖母を失って身一つで日本に引き揚げてくる。貧困の中で学生生活を送り、やがて文筆活動に従事する。
 著者と長明の共通点は少なくない。大きな戦いを体験していること、知識人であること、宮仕えを辞したこと、小さな家に籠(こ)もっていること、人生のまとめの時期にあること。彼は『方丈記』を現代語訳することによって掌中に収め、長明の感慨に重ねて想(おも)いをつづっていく。折々の観察と思索が一冊の本にまとめられている。熱さを内包しながらの、静謐(せいひつ)で端正な文章が何とも魅力的である。味読すべき一冊といえる。
    ◇
 河出書房新社・821円/みき・たく 35年生まれ。詩人・作家。著書に『K』『北原白秋』『路地』など。
    --「私の方丈記 [著]三木卓 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学―一般意志・人民主権・共和国 [著]ブリュノ・ベルナルディ [評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。


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ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学―一般意志・人民主権・共和国 [著]ブリュノ・ベルナルディ
[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)  [掲載]2014年04月06日   [ジャンル]政治 社会 

■意外なほど現代的な思想家

 フランス革命の源流としてのルソー。こうした像を覆す近年の再解釈の中心人物がベルナルディであり、本書は日本での彼の連続講演に基づく。周到なテキスト読解から浮かび上がるのは、意外なほど現代的なルソーである。
 共和主義という言葉は、それ自体が多義的だが、共和国を構成する市民に「徳」を求めるのが一般的である。ところが、ルソーの『社会契約論』には徳への言及がほとんどない。それは、「人は自由であるにふさわしいから自由なのではなく、自由だからこそ尊厳ある存在になる」と彼が考えたからだとベルナルディは指摘し、移民を政策的に選別しようとした近年のフランスの動向と対比する。
 ルソーは、政治が実現すべきは全体の利益にかかわる「一般意志」であるとしたが、人間が自己利益を図る存在であるとも認めており、この間の関係をどうとらえるかは常に問題となってきた。ベルナルディによれば、後のカントらのように理性の啓蒙(けいもう)のみに期待する立場と異なり、情念をふまえ、習俗・慣習に訴えつつ、多様な回路で人びとに働きかけようとした点にルソーの特徴がある。経済や環境をめぐってリスク負担がふえる不愉快な現実を、人びとにどう受け入れてもらうかが政治的難問である現在、参考になる論点である。
 ベルナルディらが発掘したというルソーの戦争論も注目される。「一般意志」が一国の市民のものである以上、それが正当化するのは自衛戦争だけである。国家はそれ自身が拡大傾向をもつが、そのための戦争は市民の意志では正当化されないという。自衛を名目とする侵略的戦争が絶えない以上、こうしたルソーの区分の限界は明らかである。
 しかし、戦争をめぐって市民と国家の利益が相反しうるという彼の洞察は、自衛権のあり方をめぐる今日の議論にまで、光を投げかけるものといえるだろう。
    ◇
 三浦信孝編、永見文雄ほか訳、勁草書房・3780円/Bruno Bernardi 48年生まれ。仏国立科学研究センター研究員。 
    --「ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学―一般意志・人民主権・共和国 [著]ブリュノ・ベルナルディ [評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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ジャン=ジャック・ルソーの政治哲学: 一般意志・人民主権・共和国
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覚え書:「師父の遺言 [著]松井今朝子」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。


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師父の遺言 [著]松井今朝子
[掲載]2014年04月06日   [ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝 


 著者は、歌舞伎と縁の深い京都の料亭の家に育った直木賞作家。自身の起伏に富んだ来し方を振り返りつつ、波乱の振り幅がさらに大きかった師、武智鉄二の晩年を「最後の弟子」の立場からつづっている。古典芸能の神髄に通じた文化人として近年再評価が進む武智だが、「武智歌舞伎」などで評判をとった前半生と比べ、後年は、金銭も称賛も離れていった。「本人も多少不満に思うところがあったのではないか」と漏らした著者に、兄弟子格の中村扇雀(現坂田藤十郎)が、そんな「(器の)小さい人じゃなかった」と即座に否定する場面は感動的だ。演出指導のセリフが「扇雀より上手に感じられた」という著者の感想にも驚かされる。
    ◇
 (NHK出版・1728円) 
    --「師父の遺言 [著]松井今朝子」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「Listening:<そこが聞きたい>公共放送の役割 グレッグ・ダイク氏」、『毎日新聞』2014年04月09日(水)付。

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Listening:<そこが聞きたい>公共放送の役割 グレッグ・ダイク氏
2014年04月09日


拡大写真
 ◇政府の監視、最重要--元BBC社長、グレッグ・ダイク氏

 NHK会長の発言を機に、政府と公共放送の関係に関心が高まっている。イラク戦争開戦を巡る報道で、政府から強い批判を浴びながら独立した報道を貫いた当時の英国放送協会(BBC)社長、グレッグ・ダイク氏に公共放送の役割などを聞いた。【聞き手・ロンドン小倉孝保、写真も】

--政府との関係において、公共放送はどうあるべきでしょう。

 はっきりしているのは、時々の政府の意向を酌むことは公共放送の役割ではないということ。公共放送にとって重要なのは政治家を監視することだ。党派に関係なく公正、公平に全ての政治家を監視すべきだが、特に権力の大きい政府の監視はより大切だ。そのために公共放送は政府から独立していなければならない。

--国益の追求という点で、公共放送が政府への協力を期待されることもあるのでしょうか。

 政府と公共放送では目的が違う。政治家や政府の目的は権力の維持だ。権力を握った政治家は、自分たちが権力に居座ることが国益に合致すると考える。全ての政治家は、自分たちこそ国益を追求していると主張する。それを踏まえたうえで公共放送は、政治家の言うことが真の国益なのかをチェックすべきだ。民主主義社会において公共放送の役割は、権力への協力ではなく監視だ。

--2003年のイラク戦争開戦を巡り、BBCは英政府の報告書がイラクの脅威を誇張していると報じ、ブレア首相は「偏向」報道だと批判しました。

 あのとき私はブレア氏から手紙を受け取った。「BBCは反政府的姿勢に偏っている」という批判だった。私は手紙でこう応じた。「あなたは現在の状況を公正に判断する立場にない」と。首相は政策を担う主要プレーヤーだ。プレーヤー自身が政策を公正に判断することはできない。

--戦争という特殊な状況でも、公共放送の役割は変わらないのでしょうか。

 第2次中東戦争(スエズ動乱、1956年)のイーデン首相もフォークランド戦争(82年)のサッチャー首相も戦時において、政府への協力をBBCに期待した。イラク戦争でブレア氏もBBCは自分の側に付くべきだと考えた。ただ、イラク戦争では英国内で200万人が戦争反対のデモに参加した。公平な報道をするためには当然、戦争反対の声も取り上げることになる。実際、あのとき戦争を支持する人は少なく、そうした声は拾うことさえ難しかった。BBCの役割は戦時であっても政府の監視にあると思っていた。

--そうしたあなたの判断を多くが支持していると思いますか。

 イラクの大量破壊兵器疑惑について多くの英国民は今、政府が脅威を誇張したと考えている。実際、あらゆる世論調査で国民は、ブレア氏が真実を語らなかったと信じている。10年が経過した今、ブレア氏が正しく、私が間違っていたと考える人はほとんどいないはずだ。この問題で私は辞任を強いられた。放送者は政治家に立ち向かうとき、常に犠牲を覚悟しなければならない。

--BBCが比較的、公正に放送できる理由は何でしょうか。

 英国の放送局は公正であることが法律で義務付けられている。これは新聞との違いだ。実際、英国には右から左までさまざまな新聞が存在する。政府から独立し公正な放送をするためにはBBCトラスト=1=の果たす役割が大きい。トラストには公正な人が選ばれている。政府が自分たちに都合の良い人をメンバーにしようとすることはないと私は信じている。また、ライセンス制度=2=により議会で予算を通す必要がないため、それほど政治家を気にすることもない。

--さまざまな通信、放送手段が生まれる中、公共放送は必要でしょうか。

 しっかりした公共放送のない米国の例をみれば必要だとわかる。米国の放送局はイラク戦争をどう報じたか。リベラルなCNNから保守のフォックスまで全てのテレビ局は、こぞって戦争突入の旗を振った。彼らは感情的愛国主義者で、放送者のやるべき仕事をしなかった。公共放送であるBBCはそれを戒めた。私たちの仕事はイラク戦争に突き進む政府を感情的に支持するのではなく、政府を監視することだと思っていた。

--亡くなったBBC人気司会者、ジミー・サビル氏が長年、多数の少女に性的暴行を繰り返し、BBCがその疑惑追及番組の放送を取りやめていた問題などBBCにも批判があります。

 個々の番組については、良いものからひどいものまである。いつの時代もそうだった。重要なのは組織としてBBCが信頼されているかどうかだ。信頼を失ったとき、BBCの歴史は終わる。確かにサビル氏の問題でBBCのやり方は批判されるべきだ。ただ、そうした批判はあっても現時点ではまだ、国民のBBCへの信頼はおおむね高い。それは、日本国民のNHKに対する信頼と同じだろう。違うかね。

 ◇聞いて一言

 ダイク氏は紳士面しない人間として知られる。「クリケットよりもサッカー、ワインよりもビールの人」である。インタビューでは率直に公共放送の役割を語った。ただ、BBCがその役割を担えるのは、予算や人事で政府や国会から独立が担保されているためだと思った。02年には東京でNHKを訪れたこともあるという。「技術力が素晴らしかった」と印象を語っている。最後の、「NHKも信頼されているだろう」との言葉は紳士らしい世辞だが、応援メッセージと受け止めたい。

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 ■ことば

 ◇1 BBCトラスト

 NHKの経営委員会に相当する。視聴者(出資者)に代わってBBCを監督し、社長の任命も行う。トラスト委員(12人)選考は公募制で、応募者の中から文化・メディア・スポーツ省が選考し、同省の助言(指名)に基づき女王が最終的に任命する。NHK経営委員と違い国会の同意は必要ない。委員には政治家、労働組合幹部、ジャーナリスト、外交官など各界からバランスをとって選ばれるのが慣例となっている。

 ◇2 ライセンス制度

 テレビやビデオデッキなどを所有する者に対し、ライセンス料(受信料)支払いが義務付けられた制度。許可証を購入する形で受信料を納め、税方式とも呼ばれている。最近では受信料の金額は6年に1度、政府との交渉で決まるが、BBCの予算自体はBBCが決定する。政府や企業の圧力に屈せず公正な放送を行うための制度と考えられている。

………………………………………………………………………………………………………

 ■人物略歴

 ◇Greg Dyke

 1947年、英ミドルセックス州生まれ。新聞記者などを経て2000-04年までBBC社長。現在、イングランド・サッカー協会会長。 
    --「Listening:<そこが聞きたい>公共放送の役割 グレッグ・ダイク氏」、『毎日新聞』2014年04月09日(水)付。

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日記:「人生とは個性的に価値あるものと信じて疑わない」からこそ


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 アテナイの政治社会へ与えた波紋もさることながら、ソクラテスの登場は、当時の精神的状況を鑑みると、随分な驚きだったのだそうだ。今日でこそ人々は、古くさい日めくりの格言などこころの表面をかすめ去ってゆくにすぎないほどに、人生とは個性的に価値あるものと信じて疑わないが、当時の人々は、「魂」とは、死ねば肉体から消えてゆく息か煙に似たものと考えていたというから、その魂の世話をすることこそ人生の価値と言われて、面喰らったのだろう。天空の彼方に想いを馳せていたかつての哲人たちの眼を、この人生この社会へと振り向かせたその転換は、正確さを期すためとはいえ、しかし哲学史の総体を狭いところに閉じ込めはしなかったか。ソクラテスの偉大な功績、自然学から人間学へと哲学史家たちの言う、しかし彼が見出し、第一に掲げたこの人生この公共性の、宇宙を考えることの多様さ無限さに比べれば、何ほどのものやら。
    --池田晶子『口伝西洋哲学史 考える人』中公文庫、1998年、131頁。

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金曜日から「哲学」の授業が始まりました。

このご時世、グローバルだかキャリア教育だか何だか知りませんが、とにかく、可視化されたかたちでほかのひとより「トク」をする「実践的」な授業が隆盛を極めるなかで、教養をじっくりと耕すことがおざなりになるなか、沢山の学生さんたちが参加してくださり、実にありがたいものだなと思いました。

可視化される数値の背景にある人間を耕していくこと……そこに本来の大学に置ける教養教育の意義があり、競争が悪いわけではないのですけど、競争に追われて、「ほんとうはどうなのだろうか」とじっくり考える機会を失ってしまうと、人間はフト立ち止まったとき、どこから考えていけばいいのか分からなくなってしまうのが常ですが、人間を耕すことを学ぶことはそのきっかけづくりであり、リハーサルでありますので、ともにゆっくりと腰を据えて、哲人たちの言葉に耳を傾けながら、形而上学から形而下を照射していければなと考えております。

短い間ではありますが、どうぞよろしくお願いします。

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覚え書:「難病カルテ―患者たちのいま [著]蒔田備憲 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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難病カルテ―患者たちのいま [著]蒔田備憲
[評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)  [掲載]2014年04月06日   [ジャンル]医学・福祉 社会 

■当事者の人生、丹念に聞き出す

 ある日。毎日新聞佐賀県版で連載されていた記事が目に留まった。内容に圧倒され、既に掲載されていた数十回分を一気読みした。
 連載名は「難病カルテ」。著者の蒔田は、多くの難病当事者に会い、生活を描写し続けてきた。感動的な闘病記でもなく、告発的なルポルタージュでもない。当事者の「顔」を、抑制された筆致で伝え続けた。当事者らを他者化せず、隣人として想像して欲しいという願いが伝わってくる。
 難病は、現代の医学では治療が困難な病気の総称だ。原因が不明で、治療法が確立されておらず、経過は慢性的。身体的にのみならず、精神的にも経済的にも負担が大きい。医療費だけでなく介助も必要となる。制度も複雑。手続きは煩雑。理解は不足。「困ること」づくしだ。
 患者の人数は、定義次第で変わる。医療費の一部助成がなされる難病は56疾患(約81万人)だが、指定されていない病気も多く、広くは5千から7千種類とする研究もある(すごい幅だ)。「数万人に一人の難病」というフレーズはよく聞くが、「何かしらの難病にかかる可能性」は意外に高い。
 各病状の説明を欄外の短文で済ませ、本文では各人の人生に焦点を当てていく。人は「特定の当事者としての人生」のみを生きるわけではない。その人たちにとって、難病がどういう意味を持つものなのか、丹念に聞き出している。難病と一口に言っても、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と皮膚筋炎ではニーズが大きく異なる。生活に注目することで、向かうべき社会の形も浮かんでくる。
 支援者インタビュー、当事者座談会、用語解説にコラムも充実。丁寧な作りだ。難病研究だけでなく、地域生活に密着する報道のサンプルとしても金字塔となろう。潰瘍(かいよう)性大腸炎という難病を持つ当事者でもある安倍首相も読んで欲しいな。いま、難病政策も大きく動こうとしている。
    ◇
 生活書院・2376円/まきた・まさのり 82年生まれ。05年毎日新聞社入社。佐賀支局などを経て4月から水戸支局。
    --「難病カルテ―患者たちのいま [著]蒔田備憲 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「「問い」としての公害―環境社会学者・飯島伸子の思索 [著]友澤悠季 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。


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「問い」としての公害―環境社会学者・飯島伸子の思索 [著]友澤悠季
[評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)  [掲載]2014年04月06日   [ジャンル]政治 社会 

■人間の苦しみ和らげる学問

 学校教育の社会科で誰もが習う「公害」問題。戦後高度成長の裏側で激甚な公害問題が起き、多くの人々が被害で苦しんだ。しかし今やこれは「克服」され、地球環境問題の時代に移ったとされる。しかし本当に私たちは、公害を過ぎ去った歴史上の一頁(ページ)としてしまってよいのか。本書は、飯島伸子という稀有(けう)な社会学者が生涯をかけた公害研究の探求を通じて、戦後日本の経済社会、思想、学問のあり方に問い直しを迫る書である。
 飯島は、1960年に九州大学を卒業後上京、会社勤めを経て、公害問題研究のために東大大学院に入った。現代技術史研究会に飛び込んで星野芳郎や宇井純といった科学者から影響を受け、現地調査による実態把握という手法を学んだ。東京都立大学(当時)教授として日本の環境社会学の確立に尽力、初代環境社会学会会長を務めたが、2001年に63歳で逝去した。
 著者は、飯島の最大の功績が「被害構造論」にあると強調する。それがもっとも遺憾なく発揮されたのが、彼女が東大助手時代に心血を注いだ「薬害スモン事件」であった。飯島らは、神経障害に侵された患者から丹念に聞き取り調査を行った。そこからは、職を失い、社会から排除され、果ては家族にすら離別される患者の苦悩が浮かび上がってきた。「被害」とは、単に身体的、金銭的被害に留(とど)まらない。医学や経済学の観点ではみえない人間・社会関係の変容、これを捉えられるのが社会学の強みである。
 本書は、つねに被害者や生活者の視点に寄り添った飯島の人生に重ねて、学問とは何かを鋭く問いかける。それは、生きることそのものではないのか。人間の苦しみを少しでも和らげることが学問の使命だとすれば、抽象理論ではなく、人々の苦痛を言語化していく公害論こそが重要だ。「理」と「情」を学問に昇華させた若い著者の素晴らしい仕事に拍手を送りたい。
    ◇
 勁草書房・3780円/ともざわ・ゆうき 80年生まれ。立教大学社会学部プログラムコーディネーター。博士(農学)。 
    --「「問い」としての公害―環境社会学者・飯島伸子の思索 [著]友澤悠季 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「おさなごころを科学する―進化する乳幼児観 [著]森口佑介 [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。


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おさなごころを科学する―進化する乳幼児観 [著]森口佑介
[評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)  [掲載]2014年04月06日   [ジャンル]教育 人文 

■「大人とは異なる存在」として

 本書の終わりに近い第8章「仮想する乳幼児」で、〈空想の友達〉に関する著者自身の研究が紹介されている。小さな子供たちはときどき、そこに架空の生き物がいるかのようにふるまう。話しかけ、ともに遊ぶ。『となりのトトロ』の世界である。一見不気味な現象だが、さほど珍しいものではないという。
 なぜ子供はこのようなことをするのか? 著者はそこに積極的な意義が存在するはずだと追究していく。ひとりでいる寂しさをまぎらせ、楽しさを作りだし、みずからの認知能力を高める訓練にもなっているのかもしれない、と。そして、大人に見られる神の概念との共通性を考察する。とてもスリリングな知的エンタテインメントだ。
 そこに至るまでの各章では、認知科学や発達心理学による乳幼児観の変遷が、豊富な研究例の紹介とともに描かれている。かつて、何もできない受け身の無能な存在とされていた乳幼児は、20世紀後半の一連の研究により、その底知れぬ認知能力が次々と明らかにされた。生後数か月の赤ちゃんが足し算ができたり、合理的な推論をしていたり、自己認識や他者認知ができていたりするというものだ。
 これらは従来の「無能な乳幼児」観をくつがえす画期的な研究ばかりだが、著者はそこにある種の行き過ぎを見てとる。こんな小さな赤ちゃんが!というセンセーショナリズムが先に立つと、科学のあり方がよからぬ方向に進んでしまう。
 著者は、子供たちはそれぞれの年齢、それぞれの発達段階で必要とされるパフォーマンスをおこなう、大人とは異なる存在なのだと主張する。それが、彼自身のユニークな〈空想の友達〉研究の根っこにある。専門用語の頻出が気になるが、現代の発達心理学が描き出した、科学的な「〈子供〉の誕生」に拍手を送りたい。
    ◇
 新曜社・2592円/もりぐち・ゆうすけ 上越教育大准教授(発達心理学)。著書に『わたしを律するわたし』。 
    --「おさなごころを科学する―進化する乳幼児観 [著]森口佑介 [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:国会もコントロール不能--元官房長官・与謝野馨さん」、『毎日新聞』2014年04月09日(水)付。


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特定秘密保護法に言いたい:国会もコントロール不能--元官房長官・与謝野馨さん
毎日新聞 2014年04月09日 東京朝刊

 ◇与謝野馨さん(75)

 官僚に秘密保護法のような「武器」を与えると、どこまで悪用されるか分からない。国会がコントロールすることもできなくなってしまう。1941年に治安維持法が改正された。帝国議会での審議では「穏やかな法律だ」と強調されたはずなのに、実際はどうなったか。翌年の総選挙は内務省や警察による大弾圧のもとで行われ、言論で政府に立ち向かう政治家はいなくなった。

 法による統治が確立している米国でも、2001年9月11日の同時多発テロの後、「愛国者法」など自由を脅かす法律が作られ、令状を必要としない捜査の範囲が広がり、通信傍受も抑制的に使うことがなくなった。

 日本で国の安全を脅かすような事態が起きていない今、この法律は必要だろうか。私は第1次安倍改造内閣で官房長官を務めたが、当時はこういう法律の話は聞いていない。情報が漏れることを懸念するなら、国家公務員法の最高刑を懲役1年から懲役3年程度に引き上げればよいだけだ。

 1980年代に自民党が提出したスパイ防止法案を思い出す。今回の法律はその名残のような気がしてならない。

 秘密保護法をめぐっては報道の自由との関係をもっと議論すべきだった。日本は民主主義が成熟しているから即座に心配はないとは思うが、報道機関に情報を漏らした公務員、公務員から情報を得た記者が摘発される余地がある。新聞社はもっと真剣に闘うべきだったんじゃないか。【聞き手・青島顕、写真・森田剛史】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇よさの・かおる

 1938年生まれ。中曽根康弘元首相の秘書を経て衆院当選10回。政策通で財務相など重要閣僚を歴任。がん闘病を告白して話題になった。
    --「特定秘密保護法に言いたい:国会もコントロール不能--元官房長官・与謝野馨さん」、『毎日新聞』2014年04月09日(水)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 病理医不足解消が必要=本田宏」、『毎日新聞』2014年04月09日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
病理医不足解消が必要
がん治療体制の質向上
本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 「内視鏡で削る治療は可能ですか」「胃を全部取らなければならないのですか」。胃がんと診断されて、外来に紹介されてきた患者らが、必ずといって言いほど発する質問だ。私が医師になった35年前は、がん細胞を取り残さないように周囲のリンパ節に加えて、時には隣接する臓器も含め広範な摘出手術が主流だった。しかし、医学の進歩は目覚ましく、胃や大腸の早期がんは内視鏡による治療ができる時代となった。
 身体に優しい治療を可能にしたのは、内視鏡技術と、病理医による病理診断の進歩だ。内視鏡下に歳出下組織を顕微鏡で観察し、がんの性質や広がりを診断。追加切除の必要性を判定する。あるいは抗がん剤治療の根拠を提示し、乳がんなどではホルモン感受性や遺伝子情報を調べて、ホルモン療法や分子標的薬の治療効果が期待できる患者を選ぶこともできる。まさにがん治療の羅針盤を提供するのが病理医の重要な仕事となっている。
 だが、友人の病理医によると、医療保険が使える分子標的薬は現在は10種類程度だが、今後は増加が予測され、分子標的薬の効果の有無を示す病理検査が増えることが必須という。さらに病理医は10年前に比べて増えていないが、病理検体数は1・7倍程度に増えている。日本病理学会の指針によれば、日本の病理専門医は2012年現在2100人あまりで、人口当たりの病理医数は米国の約5分の1。「がん」を専門に扱う381のがん診療連携拠点病院でさえも53病院、全体の約14%で常勤病理医が不在で、東北地方などに不在病院が多い。
 一方、新しく病理専門医になる医師数は、この数年ほぼ横ばい。高齢化が進行して今後5年以内に、現在の病理専門医の約5分の1にあたる400人超が定年となり、保健医療機関の常勤医を離れる危険性がある深刻な事態となっている。
 日本医師会が08年に全国5540病院を対象に実施した調査でも、現在と比べた必要な医師数の割合は病理医が3・77倍と一番大きかった。多くの市中病院では、常勤病理医が不在のため診断まで時間がかかり、手術中に迅速診断ができない場合はがんを取り残さないために切除範囲を大きくするしかなく、患者にもデメリットが生じている。
 政府は06年にがん対策基本法を制定し、昨年は「がん登録推進法」が成立して、がん患者の情報を一元管理して治療や予防に活用する方針だ。しかし、いまだ医学部新設など抜本的な医師増員や数値目標を掲げた専門医育成の対策は取られていない。低医療費政策と医師不足問題を改善せずに、法律や統計整備だけで、がん治療体制の質を向上させることは不可能だ。
病理医 体内の臓器や組織の一部を取り出したり、解剖したりして調べ、病気の原因や状態を診断する医師。日本病理学会によると、大学病院などですら常勤病理専門医の数は平均2・31人、常勤病理専門医1人が約4割。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 病理医不足解消が必要=本田宏」、『毎日新聞』2014年04月09日(水)付。

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覚え書:「記者の目:マーシャル諸島と日本=山田奈緒(東京社会部)」、『毎日新聞』2014年04月08日(火)付。


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記者の目:マーシャル諸島と日本=山田奈緒(東京社会部)
毎日新聞 2014年04月08日 東京朝刊


(写真キャプション)マーシャルにあるスーパー「MOMOTARO」=マーシャル諸島の首都マジュロで2014年2月27日、山田奈緒撮影

 ◇「小さな悲しみ」忘れぬ

 マーシャル諸島に出張だと、31歳の私が同世代の友人に告げた時、「それ、どこの国の島?」と返されたのは1回や2回ではない。第五福竜丸が米国の水爆実験で被ばくした「ビキニ事件60年の取材」と説明し、初めてマーシャルという一つの独立国を認識した人が周りに何人もいる。日本や米国の支配を経て独立した太平洋のほぼ真ん中の小さな島。人口約5万人。関心のある人は少ない国かもしれないが、現地を歩くと日本との強い結び付きが感じられた。大国支配や核実験に翻弄(ほんろう)されてきた歴史や暮らしぶりも見えてきた。今ある私たちの日本での生活も、そういう歴史の延長線上にあると、改めて感じている。

 私がマーシャルに向かったのは2月下旬だった。グアムで飛行機を乗り継ぎ、小さな島を経由しながら行く。飛んでは降り、飛んでは降りを繰り返してたどり着いた。透き通る青い海、白い砂浜、輝く太陽。南国の楽園のようだが、大きな産業はなく財政基盤は弱い。国内の島々を結ぶ飛行機は燃料費高騰などを理由にすぐ欠航してしまい、収入源になりそうな観光業もうまくいっているようには見えない。年間観光客は約1000人にとどまる。

 仕事は少なく、失業率は高い。データだけ見れば、悲観的な要素が並ぶ。だが島の人たちはとても明るく、気さくだった。乗り合いタクシーでは人々が気軽に話しかけてくる。まさに情報の宝庫だ。「お母さんが台所でよく歌っていた」と日本の童謡「証城寺の狸(たぬき)囃子(ばやし)」を披露してくれた女性もいた。

 「アミモノ(手工芸品)」「アミダマ(あめ玉)」。マーシャル語には日本語由来の言葉が珍しくない。人名も同じ。イシワタさん、ハシグチさんらに会った。道沿いのスーパーには「MOMOTARO(モモタロウ)」の看板。マーシャルでは「モモタロウ一族」が財を成している。女性店員によると、マーシャルを訪れた日本人商人が現地の女性との間に生まれた子に「強く伝説的な名を」と考え、モモタロウと名付けたのが始まり。それが名字として、今も残っているのだという。

 ◇日本が委任統治、大戦で空襲経験

 日本とマーシャルの関わりは、第一次大戦のころから密接になる。日本はマーシャルを含むミクロネシア(南洋群島)の島々を占領し、1920年に国際連盟から「委任統治」が認められる。日本語を教え、日本語で授業する「公学校」が整備された。第二次世界大戦が始まると皇民化教育も行われたという。

 約10日間の滞在中、首都マジュロで、公学校で学んだイマキタ・ツトムさん(87)に出会った。「長いこと使っていないから忘れてしまった」。そう言いながら流ちょうな日本語も話す。君が代も覚えていた。父は商売でマーシャルを訪れて現地で結婚した日本人で、母は幼いころに病死。第二次大戦中は空襲も経験し、兄は日本軍に徴用され戦死した。戦後、米軍の捕虜となって生き別れた父とは一度も会えずじまいだった。頼る親戚もなく、幼い妹を働きながら育てた。「さびしかった」「不安だった」「日本のお父さんや家族に会いたかった」。記憶の糸をたぐりながら日本を思い、絞り出す言葉が悲しく重く心に響いた。

 孫もいるにぎやかな自宅を何度か訪ねた。イマキタさんは父と会えなかったことや兄の戦死を「小さな悲しみ」と繰り返した。ただ、空襲で大勢の島民が亡くなり、マーシャルの別の島では地上戦があった。そのことを踏まえ「もっと悲惨な歴史はある。私の言ったことは忘れていい」とも語った。だが、イマキタさんの体験が「小さな悲しみ」だとは思わない。忘れてよいとも思わない。

 ◇60年前の核実験、今も健康に不安

 多くの人の悲喜こもごもを含んだ歴史の上に今がある。当たり前のことをマーシャルで思い知った。戦争や経済成長の過程で日本ではマーシャルの存在感は薄くなっていったが、マーシャルではそうではない。そのギャップに驚いた。米国が繰り返した核実験により、今も残留放射能への不安を訴える人たちの声も衝撃だった。60年前の核実験は昔話ではない。健康不安や米国不信は生々しい今の問題だ。情報公開のあり方など、原発事故後の日本と重なって見える部分も数多くあった。

 「戦後70年」「ビキニ事件60年」など、節目で過去の出来事を記事にする時、どうしても大きな惨事ばかりを振り返りがちだ。そして、節目が過ぎると報道は減り、世の関心も薄れてしまうと自戒を込めて思う。だけど、どんな歴史も今の自分の暮らしにつながっている。そういう視点を忘れずにいたい。
    --「記者の目:マーシャル諸島と日本=山田奈緒(東京社会部)」、『毎日新聞』2014年04月08日(火)付。

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覚え書:「メディア時評 『家族』と『世帯』は違う=徳野貞雄」、『毎日新聞』04月05日(土)付。


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メディア時評
「家族」と「世帯」は違う
徳野貞雄
熊本大文学部教授(農村社会学)

 3月は「家族」について考えさせられる報道が続いた。東日本大震災を軸に、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父滋さん、母早紀江さんと、めぐみさんの娘のキム・ウンギョンさんとの面会、ベビーシッター幼児死体遺棄事件である。「家族」とは何か、家族を取り巻く社会環境の変化に思いを巡らせた。
 震災報道では毎日は1面で「勇気の法被 父の誇り」(11日朝刊)、「休もう 泣こう 生きよう」(12日朝刊)の見出しで、生き残った人たちの思いを載せた。各紙も同様の記事が多かった。失った肉親は自分の中に生き続けるという思いと、現実の生活の中での欠落感、不安の混在を描いた。朝日は11日朝刊別刷り特集で復旧の進捗状況を各種データで示し「崩れる地域の絆」と書いた。
 震災以後、メディアは「家族の絆」や「地域の絆」を多用して復興を呼びかけた。NPOやボランティア、企業組織、行政などの支援活動も報道したが、被災地にいる親兄弟を、離れて暮らす子や孫がどのように支援したのかはあまり注目しなかった。彼らは、震災当初から現在、そして将来にわたっても、被災者を黙々と支援し続けるだろう。「家族」だからだ。
 日本では「家族」と「世帯」の違いが非常に曖昧で混同されている。高齢の方に「ご家族は何人ですか」と尋ねると、多くの方が「私と妻の夫婦2人です」。「お子さんやお孫さんはいないのですか?」。重ねて聞くと「子供3人に孫が5人いますが別居しています。ですから家族は2人です」と答える。そこで「子供さんやお孫さんは家族ではないのですか?」と尋ねると、答えは「……」となる。
 「世帯」は、同居して共同生活を営んでいる集団。「家族」は、空間、時には時間を超えて生活上も精神上も機能する集団である。近代化、産業化、都市化と災害にさらされる現代社会では、住民台帳で把握されている「世帯」は、分散・極小化し、一見「家族」が解体・弱体化したようにみえる。
 横田さんご夫婦とめぐみさんやウンギョンさんは、遠く離れていても初対面でも「家族の絆」で結ばれて、一方、ベビーシッター事件の被害者は、幼児を預かってくれる人もいない都市の「解体した家族」像として報道される。
 メディアは「家族」の「絆」と「解体」を、都合のいいように使い過ぎている。「家族」と「世帯」の違いをじっくりと考えることは非常に重要である。
(西部本社発行紙面を基に論評)
    --「メディア時評 『家族』と『世帯』は違う=徳野貞雄」、『毎日新聞』04月05日(土)付。

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覚え書:「書評:ゴミ情報の海から 宝石を見つけ出す 津田 大介 著」、『東京新聞』2014年4月6日(日)付。


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ゴミ情報の海から 宝石を見つけ出す 津田 大介 著

2014年4月6日


◆頼れる目利きを持つ
[評者]土佐有明=フリーライター
 マスメディアに較(くら)べてタブーや規制が少ないインターネットには、多種多様な言説が氾濫・錯綜(さくそう)している。そこでは自分にとって必要な情報をどう取捨選択するかが切実な問題となるが、その手がかりを一問一答形式で示したのが本書だ。
 著者は、この人の言うことは信頼できる、面白いと思える「情報のメンター(助言者)」を複数作ることを推奨する。特定の分野ごとにひいきとする目利きを持て、というわけだ。メンターを見つけたらツイッターでフォローするといい。確かに、個人の日常や人となりを手軽に知るのにツイッターは便利だ。著作からは見えない意外な一面も窺(うかが)い知れる。
 ただ、ツイッターは自分と意見の近い人をフォローしがちなため、自動的に自らが多数派であるような錯覚を起こす危険がある。その点には注意を促す。こうしたバランス感覚の良さが本書の特徴で、著者が経験や普段会った人から得るリアルな情報を重視するのもそうした資質の表れだと思える。
 要するに、情報そのものよりも、情報を発信する<人>に着目すべし、というのが提案の根幹をなす。ただし、デマや誤情報に惑わされないためにも、特定のメンターを無条件に妄信するのは避けるべきだ。異なる複数の意見に触れながら、それを脳内で論争させるような作業が情報の航海には不可欠となるだろう。
(PHPビジネス新書・907円)
 つだ・だいすけ 1973年生まれ。ジャーナリスト。著書『情報の呼吸法』など。
◆もう1冊 
 橘川幸夫著『森を見る力』(晶文社)。情報が氾濫する社会で、歴史や生命などを含めて全体を見通す必要を説く。
    --「書評:ゴミ情報の海から 宝石を見つけ出す 津田 大介 著」、『東京新聞』2014年4月6日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014040602000173.html:title]

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覚え書:「人間は料理をする―(上)火と水 (下)空気と土 [著]マイケル・ポーラン [評者]島田雅彦(作家・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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人間は料理をする―(上)火と水 (下)空気と土 [著]マイケル・ポーラン
[評者]島田雅彦(作家・法政大学教授)  [掲載]2014年04月06日   [ジャンル]政治 社会 

■人類進化の鍵握る、料理の本質を考察

 本書は古代の四大元素、火、水、空気、土に絡めて、肉を焼く、煮る、パンを作る、発酵させるという料理の基本を実践的に考察している。ほかならぬファストフード発祥の地アメリカにおいて、食文化を歴史的に振り返りながら、人類の進化の鍵をも握っていた料理の本質に迫ろうとする姿勢は「スローフード運動」と同様のカウンターカルチャーと位置付けられる。著者は各料理ジャンルのエキスパートに弟子入りし、嬉々(きき)として忘れられかけた料理法の再現を試みる。食料の生産現場に立ち返り、食生活の原点回帰を目指すのは食の快楽の追求の仕方としては手間がかかるが、安価で手軽な加工食品でブロイラー化した人間が自らの努力によって地鶏に戻ろうとする試みといえるかもしれない。
 自然状態にあるものを生で食べる原始的な摂食から火を熾(おこ)して肉を焼くという料理の発明へ。これは人類史上の最初の飛躍だったわけだが、バーベキューはまさに遠い先祖の記憶を呼び起こす儀式ともなっている。神話を紐解(ひもと)けば、人類最初の料理の記録に行き着く。肉を焼く煙とニオイを神への捧げものとし、こんがり焼けた肉は人間が食べる。中国では火の不始末から家が全焼し、焼け跡から出てきた豚の丸焼きのおいしさが忘れられず、ことあるごとに家を焼いていたという仰天のエピソードが語られる。
 次に人類は土器を開発し、水で煮るというさらに高度な技術を獲得し、生では食べられないものをも食べられるようにした。さらに穀物を粉にし、水で練り、それを焼く、また発酵させて空気を取り込み、ふっくらと体積を増やすことを学び、極めて効率のよいカロリー摂取の方法を確立する。また微生物を利用し、発酵の技術を磨き上げ、独自の旨(うま)みを引きだし、飛躍的に保存性を高めた。
 人間は料理技術の洗練により、今まで食料探しに費やしていた膨大な時間を短縮し、より創造的な仕事にかまけられるようになり、文明を築いてきた。生産や分配という観点から社会や経済の発展段階を論ずる考古学的考察は、マルクスやモースが行ってきたが、料理という切り口から人類史を振り返ると、生活に身近な分、一般的な説得力が増す。「初めにコトバありき」ではなく、「初めに料理ありき」の観点に立てば、一皿のカレーライスやサンドイッチにさえも人類史や経済史の複雑な背景が透けて見えるのである。
 若干、食い足りないところがあるとすれば、刺し身のような生食の奥義や魚介発酵食品、乾物の魅力に触れられていない点だが、そこは私たちに任せてもらうとしよう。
    ◇
 野中香方子訳、NTT出版・各2808円/Michael Pollan 55年生まれ。米国のジャーナリストで、「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」常連寄稿者。邦訳書に『雑食動物のジレンマ』『ガーデニングに心満つる日』『欲望の植物誌』『フード・ルール』など。 
    --「人間は料理をする―(上)火と水 (下)空気と土 [著]マイケル・ポーラン [評者]島田雅彦(作家・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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人間は料理をする・上: 火と水
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人間は料理をする・下: 空気と土
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覚え書:「線路はつながった―三陸鉄道 復興の始発駅 [著]冨手淳 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。


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線路はつながった―三陸鉄道 復興の始発駅 [著]冨手淳
[評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)  [掲載]2014年04月06日   [ジャンル]経済 社会 

■無数の声に耳傾ける民主主義

 今日(4月6日)、三陸鉄道北リアス線の小本―田野畑間が開通する。昨日、南リアス線の吉浜―釜石間が開通したのに続いてこの区間が開通することで、三陸鉄道は完全復旧を果たした。
 東日本大震災から3年あまり。この間、被災した東北太平洋岸のJR線の復旧は遅々として進まなかった。いまなお、鉄道の復旧自体が明らかでない区間もある。なぜ三陸鉄道だけが、これほど早く完全復旧できたのか。社長とともに復旧に尽力した一人の社員が、本書でこの素朴な疑問にこたえている。
 著者は、震災から2日後、社長とともに車で被災した沿線の視察に出掛けた。予想以上の惨状を目のあたりにして、2人は言葉を失う。だが次の瞬間、社長は著者にこう言ったという。「とにかく列車を走らせよう」
 震災から5日後に一部区間の運行が再開されたのは、社長のトップダウン的な決断によるところが大きかった。確かにトップダウンは「民主主義」とは異なる。しかし、もし社員が集まるのを待って会議を開き、一人ひとりの意見を聞きながら対応を検討していたならば、運行再開が遅れるどころか、廃止に追い込まれる可能性すらあったと著者は回想する。
 著者は津波で流された島越(しまのこし)駅の跡地で、「三鉄、いつ動くんだ?」と呼びかけられ、この一人の声の背後に復旧を待ち望む無数の声があると感じた。言い換えれば、そうした声に耳を傾けることこそが、真の「民主主義」ではないかと考えたのだ。この思考の転換は感動的である。
 三陸鉄道には、都市部の鉄道と違ってICカードもなければ自動改札もない。窓口で切符を買ったり、運転士の前で運賃を支払ったりする。その一見原始的な方法が、社員と乗客の間に会話を生み、強い絆を作り出してきた。鉄道の原点とは何かを、本書は読者に鋭く問いかけてくる。
    ◇
 新潮社・1296円/とみて・あつし 61年、盛岡生まれ。三陸鉄道旅客サービス部長。車掌・運転などの現場を経て現職。
    --「線路はつながった―三陸鉄道 復興の始発駅 [著]冨手淳 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年04月06日(日)付。

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線路はつながった: 三陸鉄道 復興の始発駅
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覚え書:「おんなのしんぶん:Tokiko’s Kiss 対談 加藤登紀子×細川護熙 『これは、いかん!』 危機感じ『脱原発』」、『毎日新聞』2014年04月07日(月)付。


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おんなのしんぶん:Tokiko’s Kiss 対談 加藤登紀子×細川護熙 「これは、いかん!」 危機感じ「脱原発」
毎日新聞 2014年04月07日 東京朝刊

 今回の「Tokiko’s Kiss」のゲストは、今年2月に行われた東京都知事選に「脱原発」を掲げて立候補した細川護熙元首相です。対談は、京都の寺院に奉納するため、細川元首相が制作中のふすま絵が並ぶ東京都内のアトリエで行われました。最近の細川元首相を取り巻くテーマに沿って、今の気持ちをお聞きしました。【構成・吉永磨美、写真・矢頭智剛】

加藤 国会議員を辞められてから16年、陶芸からふすま絵の道にまい進されて、政治と関わることは、お考えにならなかったんですか。

細川 考えませんでしたね。陶芸のほか、数年前から絵を描くようになり、今、薬師寺に奉納する約60面のふすま絵を手がけています。京都の春夏秋冬を描いたふすま絵は、この4月22日から建仁寺で展示されます。

加藤 その生活から一転、今年2月、小泉純一郎元首相とともに「脱原発」の政策を掲げ、都知事選に出馬されましたね。

細川 きっかけは、東京電力福島第1原発であれだけの事故があったにもかかわらず、原発の再稼働と基幹エネルギー化が政府の方針になるというので、「これは、もういかん!」と思ったからです。

 実は、その数年前から、英国北西部のセラフィールドで起きた核燃料再処理工場の大量漏えい事故を扱ったテレビのドキュメンタリーを見て危機意識を持っていました。青森県の六ケ所村の再処理工場から送られた核のゴミも処理されていたと知り、六ケ所の工場について調べてみました。

 そうすると、放射性物質の含まれる廃液などを流す工場内の配管が60キロメートルもあり、そこには多くの継ぎ目がある。「大きな地震が来たら大変なことになるのではないか」と危機感が強まりました。

 ◇地元では「再稼働」

加藤 原発がある自治体では、稼働していないと地元経済に影響があるという声があるようです。「脱原発」「廃炉」へかじを早く切った方が、建設的な未来が開けるように思うんですが、いかがですか。

細川 そうですね。今は太陽光、風力など自然を生かした再生可能エネルギーで、小規模でも頑張っている方たちがおられます。原発に頼らなくてもすむように、そうした方たちと、それに関心のある企業を結びつけるなど、再生可能エネルギーの普及をサポートする仕組みなどもできるといいですね。来月にはそんな活動を始めたいと考えています。

加藤 小泉さんも講演で取り上げていた「新しい火の創造」(ダイヤモンド社)の著者、エイモリー・B・ロビンス氏は、1970年代から「再生可能エネルギーを使うほうが経済的である」と提唱していますしね。

細川 オーストリアなどはバイオマスを利用した発電が盛んだし、デンマークは風力が発電量の30%程度で、バイオマスを加えると40%を超えるというんだから、すごいですね。

加藤 オーストリアもエネルギー政策を転換して経済が活性化し、脱原発路線のドイツの経済もうまくいっている。東電福島原発事故以降、エネルギーに対する考え方に「革命」とも言える変化が起きたと思いますね。でも、国は、その変化に対して逆行しているように見えます。

細川 原発推進を止めるには、国のトップが、その気になることがまず第一ですね。立地自治体の首長が代わるだけでも、再稼働にブレーキをかけられるかもしれない。

 ◇復興、現実的に

加藤 細川さんは被災地での「森の長城プロジェクト」(注)で、津波の減災にも生かせる森作りを進めていますね。

細川 未利用の土地でバイオ燃料の作物を作ったり、太陽光パネルを設置したりすれば、被災地が再生可能エネルギーの基地にもなり、雇用も生まれます。

加藤 森や山に若者が関わることで、地域が活性化するというプランですね。復興は複合的、現実的に考えていかないと。

細川 被災地はもともと過疎が進んでいる地域。生活もまた地域の活性化も大変難しいテーマですが、モデルとなる地域をまずつくることが早道かもしれませんね。

加藤 小さいプロジェクトでもいいから、一つ一つをみんなで応援する形を作りたいですね。細川さんが描いているふすま絵のように、「復興の光」があちこちにともっていくようになったらいいなと思います。

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 ◇森の長城プロジェクト

 東日本大震災で被災した太平洋岸に、残土とがれきなどを盛って、シイ・タブなどを植樹し、森を育んで津波を防ぐ「森の防潮堤」を作る計画。

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 ■人物略歴

 ◇ほそかわ・もりひろ

 第79代首相。旧熊本藩主細川家の第18代当主。元熊本県知事。陶芸のほか、墨書などを手がける。現在はふすま絵の制作を中心に活動。76歳。
    --「おんなのしんぶん:Tokiko’s Kiss 対談 加藤登紀子×細川護熙 『これは、いかん!』 危機感じ『脱原発』」、『毎日新聞』2014年04月07日(月)付。

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病院日記:「主婦の仕事」という観点

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 これは、産業社会で財とサーヴィスの生産を必然的に補足するものとして要求する労働である。この種の支払われない労役は生活の自立と自存に寄与するものではない。まったく逆に、それは賃労働とともに、生活の自立と自存を奪いとるものである。賃労働を補完するこの労働を、私は<シャドウ・ワーク>と呼ぶ。これには、女性が家やアパートで行う大部分の家事、買物に関係する諸活動、家で学生たちがやたらにつめこむ試験勉強、運動に費やされる骨折りなどが含まれる。押しつけられた消費のストレス、施療医へのうんざりするほど規格化された従属、官僚への盲従、強制される仕事への準備、通常「ファミリー・ライフ」と呼ばれる多くの活動も含まれる。
さまざまな伝統的文化では、<シャドウ・ワーク>は、賃労働と同じくらい周縁的で確認しがたい場合が多い。産業社会では、<シャドウ・ワーク>は、日常のきまりきった仕事とみなされている。けれども、それは遠まわしの表現をまき散らしてその陰に身をひそめるものとなっている。単一の実在物として分析することに強いタブーがはたらくのだ。産業的生活は、それの必要性、規模、形を定めている。だがそれは、産業時代のイデオロギーによって隠されている。このイデオロギーによると、人々が経済のために強いられる活動のすべては、ほんらいの社会的なものであるとの理由で、仕事としてよりもむしろニーズを満たすものとみなされる。
    --I・イリイチ(玉野井芳郎、栗原彬訳)『シャドウ・ワーク 生活のあり方を問う』岩波現代文庫、2006年、シャドウ・ワーク、207-208頁。

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看護助手(ナース・エイド)の仕事に就いてちょうど一年たったので、少しだけ書き残しておきます。

仕事のほとんどは、まさに看護師の助手といったところで、そしてその従業者のほとんどが主婦の方が多いのだけど、仕事を始めたとき、その方々から「イメージとして主婦の仕事だよ」と言われましたが、1年間仕事をしてみて、その言葉の意味を深くかみしめている。

主婦の方自体が「主婦の仕事」と形容することを、生権力に馴致されている!などと告発しませんが、オムツの廃棄からベッドメーキングに至るまで--シャドウワークというオイルがないと現実の世の中は回らないとは思った。それがいいことなのか、わるいことなのかは措くとしても。確かに看護師がやっても済むといえば済む。しかしいるといないでは、彼女・彼の本来業務がうまく遂行するかどうかといえば、支障をきたすとは言わないまでも、負担になることは間違いない。

さて「主婦の仕事」。もちろん、仕事だから当然それに対する対価が必然する。しかし職場から家を振り返ってみるならば、喩えが典型的すぎるかも知れないけれども、埼玉大学名誉教授・長谷川三千子大先生よろしく、役割分担業的に……そしてその強要恫喝する人間は安全地帯に居る訳なのだけど……これやってもらってトーゼン的な無償労働を強要して何ら恬淡として恥じらうことない精神とは訣別したいものだとは感じた。

それが伝統だ、文化だ、先例がそうなっている……とされる陰の部分に目を向けるたとき、そのいかがわしさが分かるのではないだろうか。

仕事をしながらそんなことを痛感している。

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覚え書:「書評:死者の声、生者の言葉 小森 陽一 著」、『東京新聞』2014年04月06日(日)付。


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死者の声、生者の言葉 小森 陽一 著

2014年4月6日


◆原発の責任追及する文学
[評者]横尾和博=文芸評論家
 災厄に立ち向かう言葉をどのように生み出すか。光る表現に出会わなければならない、と著者は熱く述べる。詩、小説、評論など、文学は3・11以降、多様な作品を生みだした。多数の被災者のうえに成立した文学、それを私たちは肝に銘じなければならない。
 本書は、現在の震災文学論のなかでひとつの極北である。なぜなら、副題「文学で問う原発の日本」が示すように、原発の責任を明確に追及する視点に貫かれているからだ。
 著者は若松丈太郎と和合亮一の詩を紹介し、川上弘美や大江健三郎の小説をひく。特に若松は福島原発の近くに居住し、稼働当初よりその危険性を詩と評論で予見していた。その言葉は「論理性と倫理性に美的感覚を充填(じゅうてん)する」と著者は指摘する。「私たちが消えるべき先はどこか」、一九九四年に若松がチェルノブイリに入り、帰国後に書いた詩の一節で、事故のみごとな予見である。
 また3・11以降もっとも早い対応となった川上弘美『神様2011』について、「いま現実に発生している事態をどのように認識するのか、言語を操る生きものとしての人間は、まず過去の自分が言葉で認識していたことと対応させるしかない」と作家としての覚悟を賞賛。そして、大江健三郎『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』のラストの詩「私は生き直すことができない。しかし/私らは生き直すことができる」を引用し、3・11の後、同書を書き直した意味を考察する。そのほか興味深いのは宮沢賢治「科学と宗教」、夏目漱石「文明論的考察」を視野に入れているところだ。
 私は本書から死者との対話、呼びかけ、声に耳を傾けることの意味を理解した。文学の役割である。ただ論理と倫理の対極にある直感や悪徳もまた文学であることについて、ひと言述べてほしかった。私たちは人の心の深い闇にまで届く、光る言葉を模索し続けなければならない。震災文学が花開いた樹下には犠牲者が眠っているのだ。
(新日本出版社・1728円)
 こもり・よういち 1953年生まれ。東京大教授。著書『漱石論』など。
◆もう1冊 
 佐伯一麦著『震災と言葉』(岩波ブックレット)。仙台在住の私小説作家が震災後の喪失感のなかで、言葉とともに生きる意味を語る。
    --「書評:死者の声、生者の言葉 小森 陽一 著」、『東京新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「書評:物数寄考 骨董と葛藤 松原 知生 著」、『東京新聞』2014年04月06日(日)付。


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物数寄考 骨董と葛藤 松原 知生 著

2014年4月6日

◆美に憑かれた表現者たち
[評者]梶井純=マンガ評論家
 近代以降にとりわけ顕著になるのだが、骨董(こっとう)・古美術について書かれたすぐれた文章はとても多い。わけても文学者や美術家たちによるそれらの多くは、それぞれの分野におけるかれら自身の表現の方法論ともかかわっているため、読者であるわたしたちの尽きない興味と関心の対象となってきた。
 ところが、メイン・サブともにいささか余裕のある諧謔(かいぎゃく)味も感じさせるタイトルを持ち、「学術論文」でもある本書は、まったく異質な視点で骨董・古美術を分析した、ちょっと比類のない書になっている。
 考察の対象となっているのは川端康成、小林秀雄、青柳瑞穂、安東次男、つげ義春、杉本博司の六人。いずれも骨董・古美術や古物にフェティッシュ(惑溺(わくでき))した、あえていえば、よくも悪くも「業」のような「狂気」にとり憑(つ)かれた表現者たちといっていい。
 かれらにたいする著者の関心ははっきりしている。それぞれに陰影はあるものの、かれらが骨董・古美術や古物に耽溺(たんでき)することが、すぐれた表現者としての営為(テキストとイメージ)にどのように反映されたかを考えるところに本書のテーマがある。
 その点では、中・近世イタリア美術史の研究者である著者自身が骨董・古美術の愛好者であるところから、本書も生まれたといえよう。専門分野への関心に完璧にシンクロするだけでなく、骨董・古美術が好きな者にしか視(み)えない、いってみれば一片の残欠(かけら)にさえ美を発見してしまえる知覚の燦(きら)めきを、この六人の芸術的営為のなかに著者は視たにちがいない。
 六人のすぐれた「物数寄(ものずき)」たちが骨董・古美術のなかで葛藤しつつ、生死・真贋(しんがん)・虚実の「あわい」に視たものがなんであったかについての著者の分析は、あたかも「狂気」を昇華する試みのように冷徹で、しかもあたたかい。あるいはそれらは、教養主義的なだけの趣味人にはほとんど不可解な手つきなのかもしれない。
(平凡社・4104円)
 まつばら・ともお 1971年生まれ。西南学院大教授、西洋美術史。
◆もう1冊 
 『青山二郎全文集』(上)(下)(ちくま学芸文庫)。小林秀雄や白洲正子に骨董趣味を伝授した文人の芸術論から文明批評までの文章を収録。
    --「書評:物数寄考 骨董と葛藤 松原 知生 著」、『東京新聞』2014年04月06日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014040602000175.html:title]

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松原 知生
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覚え書:「書評:棚田の歴史 通潤橋と白糸台地から 吉村 豊雄 著」、『東京新聞』2014年04月06日(日)付。


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棚田の歴史 通潤橋と白糸台地から 吉村 豊雄 著

2014年4月6日


◆流した汗が作る風景
[評者]祖田修=農業経済学者
 昨今棚田の風景は、多くの都市民にとって、父母のあるいは祖先たちが暮らした懐かしい故里(ふるさと)の原像である。また農村民にとって、今は生活の糧にはなりにくいが、何とか維持したい貴重な資産である。全国棚田百選などで知られるが、本書の舞台は多くの方がテレビ等で見たであろう熊本・通潤橋(つうじゅんきょう)の棚田地帯である。
 本書によれば、その原風景は意外に新しいものであるという。幕末までは、六~十坪程度の田が傾斜地に連なっていたが、維新前後に石垣等でくっきりとした段差がつき、一枚の田もやや広がって、今の美観があるようだ。それは水利技術の高まり、民衆の活気と絆の深まり、米への渇望と畑地の水田化等々が背景にあった。村人は、村役人の鳴らす太鼓を合図に、朝早くから開田にいそしみ、広がったといっても一枚三十坪程度の田で、這(は)いつくばるように働いたのである。
 一筆とは通常、田畑一枚のことを指すが、実はここでは数枚から数十枚のかたまりであること、“朝寝開(びらき)”という遅刻者が罰として開いた田があること等、興味深い話題を入れながら、著者は巧みに読者を棚田の歴史に引き込んでいく。
 その棚田の農業も今、競争と効率化の世の中で、困難に直面している。その活用や保全の方向は定かではないが、新たな都市・農村の連携に、かすかな希望を託すほかはなさそうだ。
 (農文協・3240円)
 よしむら・とよお 1948年生まれ。熊本大教授。著書『幕末武家の時代相』など。
◆もう1冊 
 青柳健二著『日本の棚田 百選』(小学館)。農水省が認定した「百選」を美しい写真とともに紹介する棚田のガイド。
    --「書評:棚田の歴史 通潤橋と白糸台地から 吉村 豊雄 著」、『東京新聞』2014年04月06日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014040602000174.html:title]

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吉村 豊雄
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覚え書:「Listening:特定秘密保護法 論議低調 国会監視機関、与党間にも隔たり」、『毎日新聞』2014年04月07日(月)付。

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Listening:特定秘密保護法 論議低調 国会監視機関、与党間にも隔たり
2014年04月07日

(写真キャプション)情報保全諮問会議のメンバーの1人が首相に提出した「承諾書」。「会議に参加することにより知り得た秘密は、会議が廃止された後も含めて部外者に漏らさないことを承諾します」とある。毎日新聞の情報公開請求に対して内閣官房が3日開示。メンバーの氏名は非開示だった=青島顕撮影

 今年12月に施行が予定される特定秘密保護法をめぐる国会での論議が低調だ。国会の監視機関づくりは、与党間の協議にもまだ入れず、今国会中に決めることができるのかはっきりしない。また、特定秘密の運用基準作りをするとされた「情報保全諮問会議」は、基準の決定権を持つ首相に「参考意見を述べる場」に過ぎないことが国会答弁で明らかになった。秘密指定を巡るチェック体制の在り方が問われている。【青島顕】

 ◇自民「政府に勧告なし」

 国会が秘密指定の妥当性を監視する機関について、先月下旬になって与野党の案がようやく出てきた。しかし、与党の間でも重要な論点でまだ隔たりが大きい。

 自民党案では、衆参それぞれにつくる監視組織が、外務委員会などから要請があった時だけ活動する。秘密指定が妥当かどうかの判断には踏み込まず、政府側には意見を言うだけだ。

 公明党案は衆参合同の組織が常時、秘密を監視し、秘密指定の妥当性について政府に改善勧告することを盛り込んでいる。

 両党の案を比較すると、自民党案は国会としての監視姿勢がより消極的で、秘密の漏えいが起きないことを重視している。ただ自民党のプロジェクトチーム(PT)内さえ一枚岩とは言えない。先月26日の自民党のPT会合では、座長の町村信孝元官房長官が、米国や英国のような対外情報機関の設置を求め、今後検討していくことになった。

 野党の民主党は国会内に常時監視機関を置くことを否定していないが、それとは別に、行政府内に独立性の高い第三者機関を法律に基づいて設置し、秘密保護の運用をチェックできる強い権限を持たせることが前提条件だとしている。

 国会の監視機関づくりには、国会法の改正が必要だ。同法の改正は例外を除いて全会一致が原則とされる両院の議院運営委員会で審議されるため、あらかじめ与野党間が合意にこぎつける必要がある。

 ◇諮問会議は「意見聴く場」

 「諮問会議はご意見を伺う場となっております」

 特定秘密にかかわるチェック機関のうち、唯一民間の有識者でつくる情報保全諮問会議について、森雅子・特定秘密保護法担当相が先月7日の参院予算委員会で答弁した。

 諮問会議について、政府は昨年12月、「特定秘密を指定するための運用基準案を作ること」がおもな目的だと説明した。ただ、諮問会議については権限や運営方法、役割が明確に定められていなかった。

 先月7日の参院予算委で質問に立った福山哲郎氏(民主)は「(諮問会議の)意思決定はどうやって何に定められているのか」とただした。森担当相は「合議体として意思を決定する場ではない」「運用基準について首相が定めていくために有識者の意見を聴く場だ」と答えた。

 有識者は会議で知った秘密を漏らさないことを記述した「承諾書」を提出しているが、守秘義務はない。メンバーに提示できる秘密の範囲について森担当相は「要望があれば範囲を検討する。すべてお見せするということにはつながらない」と述べた。諮問会議のメンバーは、特定秘密の具体的な内容を知らされないまま基準案を審議することになりそうだ。

 諮問会議は1月17日、7人の有識者を集めて第1回会議が首相官邸で開かれた。その後、現在まで会議は開かれていない。森担当相や内閣官房の説明によると、7人のメンバーからそれぞれ会議とは別の場で意見や質問を受け、事務局が回答するという。事務局と有識者のやりとりは「率直な意見交換を確保するため、公表、公開は予定していない」(森担当相)としている。

 そのうえで、事務局が運用基準などの素案を作成する。第2回会議では、素案に対して有識者が意見を述べる。夏ごろに国民に意見を聴くパブリックコメントが実施され、それを受けて、第3回会議の議論をする。秋ごろ、政府が運用基準を閣議決定する見通しだ。

 ◇特別管理秘密、半年で6.6%増 保護法施行後、特定秘密へ移行か

 特定秘密の前身と位置づけられ、安全保障や外交にかかわる重要情報を政府が指定している「特別管理秘密」の件数が、昨年6月末時点で44万6678件に上り、半年前から2万7691件(約6・6%)増加していたことが分かった。特別管理秘密は2009年から運用され、特定秘密保護法の施行後、その多くが特定秘密に移行するとみられる。

 特別管理秘密は第1次安倍政権が定めた安全保障にかかわる秘密管理の方針に基づいて運用されているもの。昨年6月末時点の内訳は内閣官房が33万6854件、防衛省が5万3060件などで計17省庁が保有している。件数は先月、内閣官房が赤嶺政賢衆院議員(共産)の求めに応じて明らかにした。

 今年末に施行される特定秘密に移行する件数の見通しについて、礒崎陽輔首相補佐官(自民党参院議員)は昨年11月、共同通信のインタビューに「(特定秘密の件数は)約40万件」と話した。約2週間後の毎日新聞のインタビューでは「30万件台」と述べた。特別管理秘密に近い数字だ。一方、同月の衆院特別委員会で、森雅子担当相は「絞りをかけ、現状(特別管理秘密)より数は少なくなる」と述べた。特別管理秘密から特定秘密への移行がどのように行われるかは明らかにされていない。

 特別管理秘密のうち内閣官房の特別管理秘密について、安倍晋三首相は昨年12月の記者会見で「9割は衛星情報。あとの多くは暗号」と述べた。それ以外の特別管理秘密にどのようなものが含まれているかは明らかになっていない。特別管理秘密が増加傾向にあることが、特定秘密の指定件数に影響を与えるのかどうかも不透明だ。

………………………………………………………………………………………………………

 ◇特別管理秘密の件数の推移

保有官庁  2012年12月末 2013年6月末

内閣官房    31万8886  33万6854

防衛省      4万7583   5万3060

外務省      1万8504   1万9957

公安調査庁    1万2295   1万3744

警察庁      1万2032   1万2537

海上保安庁      7516     8465

その他11省庁    2171     2061

計       41万8987  44万6678

………………………………………………………………………………………………………

 ■ことば

 ◇情報保全諮問会議

 渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆を座長に、学者や弁護士、会社経営者ら7人による首相の諮問機関。特定秘密の指定対象の細目、秘密を扱う公務員らを選別する「適性評価」などの基準を検討するほか、秘密の記録方法なども検討することになっている。法施行後の来年からは年1回、政府から特定秘密の指定件数などの報告を受ける。

 ◇特別管理秘密と特定秘密

 特別管理秘密は各省庁が保有する「国の安全、外交上の秘密その他の国の重大な利益に関する事項」。2009年4月から施行され、法律に基づかず、政府統一基準で運用されている。一方、特定秘密は外交、防衛、特定有害活動(スパイなど)とテロの防止に関して「漏えいが国の安全保障に著しい支障を与える恐れのある」情報。特定秘密保護法に基づいて年末に施行予定。 
    --「Listening:特定秘密保護法 論議低調 国会監視機関、与党間にも隔たり」、『毎日新聞』2014年04月07日(月)付。

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覚え書:「論点 リーダーの『ことば』」、『毎日新聞』2014年04月04日(金)付。


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論点 リーダーの「ことば」
政治家やNHK会長らの失言が相次ぎ、謝罪・撤回する姿が目立っている。リーダーが発信を誤ると、その組織の信頼はもちろん国益も失いかねない。新年度を機に、リーダーに求められる「ことば」を考える。

波紋呼んだリーダーの発言
 NHKの籾井勝人会長は、1月の就任記者会見で従軍慰安婦について「どこの国にもあった」などと発言、国内外から強い批判を浴びた。
 安倍晋三首相は昨年4月、参院予算委員会で、1995年の村山富一首相が日本による過去の植民地支配や侵略を謝罪した「村山談話」について、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」などと述べた。今年3月の参院予算委では「歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と修正した。
 また、衛藤晟一首相補佐官は、安倍首相の靖国参拝に対する米政府の「失望」声明に対し、「我々の方が失望だ」などと批判し、その後撤回した。

「建前」の政治的効用生かせ
井上寿一
学習院大学長

 安倍晋三首相と側近の「歴史認識問題」が国内外に影響を及ぼしている。この問題は今に始まったことではない。かつては「妄言」、失言問題と呼ばれた。ここでは当時と今を比較して、政治リーダーに求められる発信力とは何かを考えてみたい。
 失言問題としての「歴史認識問題」の典型例を挙げる。1986年、藤尾正行文相(当時)が東京裁判、靖国神社、韓国併合に関連して、今日と同様の問題発言を行った。
 近隣諸国とりわけ韓国が強く非難した。発言撤回を拒否した藤尾氏は、中曽根康弘首相(同)から罷免された。「個人的な歴史観として発言は理解できる」と述べる一方で、中曽根氏が辞任を要求した結果だった。中曽根氏は本音では藤尾氏と歴史認識を共有しながらも、政治リーダーとして、建前を貫いた。日韓関係の緊張は沈静に向かった。
 建前の政治的効用は、戦後50年の村山談話で最も高まった。国会で全会一致の不戦決議を出すべきところ、本音に引きずられて、中途半端な首相の談話に終わった。それでも近隣諸国は村山談話を肯定的に評価した。93年の河野談話と95年の村山談話は、近隣諸国関係の修復に役だった。
 今、失われつつあるのは、このような「建前」の政治的効用である。安倍内閣が村山談話と河野談話を継承する限り建前は守られる。しかし首相(建前)と側近(本音)の役割分担が、本音の側に統一されれば、安倍首相のリーダーシップは弱くなるだろう。
 中曽根氏が建前を貫いたのは、外圧とともに内圧に配慮したからである。当時と比較すれば、今日では内圧が低下している。別言すれば、野党とリベラル勢力は、安倍内閣の本音に対抗する説得力のある言葉を国民に示さないでいる。
 今も敗戦国の国民心理が残存している。「日本はアメリカに負けたのであって、中国に負けたのではない。韓国の独立は、自力で獲得したのではなく、棚ぼたである」。敗戦国の屈折した国民心理を前に、それでもなぜ日本は謝罪と補償をしなくてはならないのか。問われているのは、歴史認識をめぐる安倍首相のリーダーシップと同時に、対抗するリベラル勢力の国内外に対する発信力である。
 安倍首相の政治的リーダーシップは重要な岐路に立っている。国内の本音を抑制しながら、建前の延長線上で近隣諸国関係を修復する。さらに日朝国交正常化交渉を軌道に乗せて、日露平和条約を視野に入れる。
 このような外交によって形成される東アジア国際秩序に言葉を与えることができれば、安倍首相の国際的な発信力は強くなるに違いない。
 対抗勢力の側は、国民心理の本音の方に目を向けるべきであろう。謝罪と補償を国に押し付けて済ますのではなく、日本国民の一人一人が自ら責任を引き受ける。求められているのは、国民に覚悟を促す言葉の発信である。
 以上のような歴史認識問題をめぐる政治過程が進めば、近隣諸国関係の修復の一方で、建前と本音に分裂している国内の溝は埋まるだろう。
 そうなればこれからの日本のリーダーは、歴史認識問題をめぐる国内対立を克服しつつ、東アジアにおける成熟した先進民主主義国として、国際社会に向けて和解と協調のメッセージを発信することができるようになる。(寄稿)

いのうえ・かずとし
1959年生まれ。一橋大法学研究科博士課程単位取得退学(法学博士)。選考は日本政治外交史。学習院大教授などを経て4月1日から現職。

攻めと守りの両面重視で
斉藤孝
明治大教授

 リーダーシップとは言葉の力である。
 リーダーにとって言葉力は不可欠の資質である。リーダーの言葉力の第一条件は、現実を前に推し進める推進力だ。その言葉によってメンバーの意思が統一され、やる気が高まり、現実が動いていく。メンバーの力が、リーダーの言葉を中核として結集する。
 リーダーの気力は言葉となって放たれ、メンバーを奮い立たせる。大事な局面で緊張したり、不安になったりする者に勇気を与え、現実への前向きな構えをつくるのが、リーダーの言葉力である。典型は、1994年に長嶋茂雄監督(当時)が優勝決定を懸けた大一番直前のミーティングで放った、「俺たちは勝つ! いいか、もう一回言うぞ。俺たちは勝つ! 勝つ!」だ。漸進の気力とが力強い声となり、選手の身と心に火をつける。
 声は言葉に生命力を与える。ソクラテス、イエス、釈尊、孔子は、著作ではなく、その場にいる目の前の人間に語った言葉によって後世に大きな影響を与えた。言葉のライブ感と身体性は、意外にも時を超えて伝わる。カエサルは乗った小舟が嵐に見舞われた時、船頭にこう言ったという。「元気を出せ、恐れることはない。お前が今運んでいるのはカエサルなのだ。カエサルの運命の女神もともに乗せているのだ」。「運を見方につけている」という確信が人を動かし現実を変える。
 リーダーの言葉力の第二条件は、ビジョン(具体的な未来像)を示し、そこへの道筋をつけることだ。福沢諭吉の「学問のすすめ」はこの典型だ。リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」、キング牧師の「私には夢がある」、ガンジーの「非暴力(アヒンサー)」、マンデラの「教育は世界を変える最強の武器」との言葉は、人々にビジョンを示し、意識と行動のエネルギーに方向性を与えた。
 スローガンと戦略。この二つの要素が結びついた言葉は強い。グラミン銀行創設者のユヌス氏の「貧困とは、あらゆる人権の不在」「貧困を根絶し、博物館送りへ」とのメッセージは、貧困層への無担保少額融資システムという具体的戦略とセットで強い影響力を持つ。
 激しい言葉ばかりがリーダーの言葉力ではない。静かに、しかし確固として原理原則を示す言葉には千金の価値がある。痛みを伴って得た膨大な経験知をシンプルな言葉に凝縮させる。簡潔な言葉を「鉄則」として受け取り、技として身に着ける受け手の「被感化力」があって初めて、原理原則としての言葉は生きる。
 松下幸之助の言葉は本気で実践してこそ価値がわかる。幸之助の「ダム式経営」の講演での言葉に、稲盛和夫は雷に打たれたように衝撃を受けたという。この被感化力がリーダーの言葉を実践する鍵となる。武家や商家の家訓はまさに「金言の実践」のたすきリレーである。
 リーダーの言葉力として最後に挙げたいのは、失言しないこと、いわば言葉のディフェンス力だ。失言一つで信用が失われる。インターネットが発達した現代社会では、失言は致命傷となる。オフレコは通用しない。内部告発もある。リーダーは自らの率いる集団と世の中にマイナス影響を与えないよう、言葉の選択に配慮する必要がある。リーダーに攻めと守りの両面の言葉が高度に求められる時代、それが現代である。(寄稿)

さいとう・たかし
1960年生まれ。東京大法学部卒。教育学、コミュニケーション論専攻。「声に出して読みたい日本語」(毎日出版文化賞特別賞)、「ほめる力」など。

公私区別し影響力自覚を
小俣一平
東京都市大教授


 4月は入学式、入社式の季節である。著名大学の学長や企業のリーダーたちの、激励の言葉が新聞に紹介される。今年のNHKは、どうだったのだろうか。筆者が34年間勤めていた古巣である。その新会長・籾井勝人氏の就任会見発言とその余波が、新聞記事をにぎわせていた。
 リーダーの言葉は重い。早速「会見録」の原文を取り寄せた。読んで驚いたことは「公私」の分別の無さである。
 「会長の職はさておき」と断りながらも、十分持論を展開している。こうした手合いを「PP不感症」と名づけている。パブリック(公)とプライベート(私)の境目がないことを指す私の造語である。例えば電車のなかで、ハンバーガーをほおばったり、化粧をしたり、携帯電話をかけたりするような、自宅と公共の場を混同した人たちだ。
 今回の発言も一介のサラリーマンの「床屋談義」として聞く分には無視しておしまいだが、「個人的な」と断ったにせよ、頭の中身は一つであり、NHK会長の発言となると別だ。そこには、公共放送と公営放送を混同しているのではと思わせる認識や、自身の発言の重みとその影響力すら考慮できない、思慮の浅い人物が気ままにしゃべりまくる姿があった。私の在職中で知る限り田中角栄元首相の出所祝いに駆けつけ辞任した小野吉郎氏以外、このような浅慮な会長を見たことがない。
 NHKは、BBCと並び称される世界の放送局である。国際放送の重視を掲げた会長会見で、韓国やドイツ、フランス、オランダと具体的な国名やヨーロッパを引き合いに出しながら従軍慰安婦問題を語るのは、NHKの置かれた立場を認識していないことこの上ない。NHKは「アジア太平洋放送連合」を50年前に設立し、会長や副会長を輩出してアジア地域の放送をリードしてきた歴史もある。
 ところが今回の新会長の発言は、中国、韓国のみならず、欧米の主要メディアも大々的に批判した。こんな発言をしていては、日本の国際的威信は傷つくばかりで、国際社会は日本を信用しなくなる。
 もうひとつ気になることは、いまは就任発言問題で、殊勝に「処女のごとく」振る舞っていても、「終わりは脱兎のごとく」いやいや、トラ・獅子のように強圧を1万職員に押し付けてくるのではないかとの懸念がある。それも今度は、言質を取られぬように「無言」の形で推し進めてくるのでは。NHKは、そうした「無言の圧力」に弱い体質の組織である。かつて記者時代、政治家の取材を巡ってデスクと対立したことが何度かある。現場の取るに足らないやりとりに会長自身は、関わりはしないし。口を挟むことはないのだろうが、現場のデスクが政治家からのクレームをそんたくする。それは予算を人質に取られているNHKの悲しい運命とも言える。
 NHKは、公共放送と言いながら政権が大きく関与する構造的な問題を抱えているとはいえ、「(特定秘密保護法は)一応通っちゃったんですよね、もう言ってもしょうがないのでは」という会長の発言に、「そんたく職員」が過剰に反応しないとも限らない。
 放送は、ジャーナリズムとして日々のニュースを伝えるとともに、文化を発信するメディアである。会長には、そろそろ文化やメディアに精通した人物に登場願っても良い時期ではないだろうか。(寄稿)

おまた。いっぺい
1952年生まれ、大分県杵築市出身。早稲田大大学院博士後期課程修了(博士・公共経営)。NHK社会部記者などを経て2010年4月から現職。
    --「論点 リーダーの『ことば』」、『毎日新聞』2014年04月04日(金)付。

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覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『戦争俳句と俳人たち』=樽見博・著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。


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今週の本棚:川本三郎・評 『戦争俳句と俳人たち』=樽見博・著
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 (トランスビュー・3456円)

 ◇いま、よみがえる戦時下の「つぶやき」

 戦争と俳句。その組合わせに、一瞬、意表を突かれる。俳句は戦争のような猛々(たけだけ)しい世界とはもっとも遠くにあると思われるから。

 ところが現実には、戦争中、数多くの俳句が詠まれていた。近代の代表的俳人、水原秋桜子(しゅうおうし)は当時、こう書いた。「聖戦はじまつて以来、戦線の将士、帰還の将士及び銃後の国民によつて詠まれた俳句は非常な多数にのぼつた」(『現代俳句論』)

 俳人だけではなく普通の人々が数多く俳句を作った。戦争の時代は俳句の時代でもあった。著者は、この意外な事実を、戦時中に出版された句集や俳句論、俳句雑誌を丹念に読むことで明らかにしてゆく。あまり語られてこなかったことだけに蒙(もう)を啓(ひら)かれる。

 『日本古書通信』の編集長である著者は、会社に近い神保町の古書店で何年もかけてこれらの埋れた本を集めていったという。

 当時の俳句を、現代の視点で戦争俳句と性急に批判するのではない。著者は何よりもまず、戦時にどういう句が詠まれていたかを明らかにしてゆく。自由な言論などなかった時代に表現者はどういう句を詠んだのか。戦争、そして死に言葉でどう立ち向かったのか。

 山口誓子(せいし)、日野草城(そうじょう)、中村草田男(くさたお)、加藤楸邨(しゅうそん)らが論じられる。戦争がいや応なく著名な俳人たちに襲いかかる。避けて通ることは出来ない。楸邨は書く。「俳句が戦争を詠むのではなく、戦争が俳句を生む秋(とき)が来た」

 といっても時局におもねった戦意昂揚(こうよう)、愛国心の熱狂を詠んだ句は少ない。戦争を避けられぬ現実として受けとめた上で、どう表現者としての個を守るか。その苦闘、葛藤のなかで句が作られている。

 誓子の「入営を送り鉄路の野を帰る」「ひとり膝を抱けば秋風また秋風」には苦しい世の孤独がにじむ。空襲で家を焼かれた楸邨の「火の奥に牡丹(ぼたん)崩るるさまを見つ」は壮絶。

 さらにまた実際に兵隊に取られた俳人たちの句はいま読んでも心打たれるものが多い。

 戦争俳句として最も有名な長谷川素逝(そせい)の句集『砲軍』の「わが馬をうづむと兵ら枯野掘る」「寒夜くらしたたかひすみていのちありぬ」。

 富澤赤黄男(かきお)の「秋ふかく飯盒(はんごう)をカラカラと鳴らし喰(く)らふ」。あるいは片山桃史(とうし)の「応召の兵とその妻氷噛(か)む」「兵疲れ夢を灯しつゝ歩む」「砂丘灼(や)け長き兵列天へ入る」。

 題材の重さに寄りかかっている句かもしれないが、死に直面しながら句を詠み続ける精神の強さ、必死さには心うたれる。桃史はニューギニアで戦死している。戦争そのものは批判しえても、戦場の兵士の思いを否定することは出来ない。

 本書には、無名の兵士たちの句も紹介されている。

 「昼顔の蔓(つる)延びて咲く兵の墓」「煙草(たばこ)なくマッチなく月まろみけり」「明日はまた明日なりと兵等花蒔(ま)く」。いずれも戦前の出版社、改造社が出していた雑誌『俳句研究』の「大東亜戦争俳句集」号に載っている句。さらに別の雑誌にある「単騎深く大夕焼に乗り入るる」。

 どれも勇猛な句ではない。軍の厳しい検閲を経て投句されたのに戦意昂揚の猛々しさとはほど遠い。

 確かに抜きん出た秀句ではないかもしれない。しかし著者がいうように「自分の置かれた状況を疑うことを禁じられた兵士たちのつぶやきだけが聞こえるようだ」。

 あの時代にこういう俳句が作られていたとは驚きであり、救いでもある。忘れられた古書のなかから戦時下の「つぶやき」に光を当てた労作に敬意を表したい。
    --「今週の本棚:川本三郎・評 『戦争俳句と俳人たち』=樽見博・著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:小高賢=米川千嘉子・選」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。


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今週の本棚・この3冊:小高賢=米川千嘉子・選
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 <1>家長(小高賢著/雁書館/品切れ)

 <2>この一身は努めたり--上田三四二の生と文学(小高賢著/トランスビュー/3024円)

 <3>転形期と批評--現代短歌の挑戦(小高賢著/柊書房/2700円)

 小高賢には八冊の歌集があるが、平成に入る時代の家族像と、作者の人間への志向を象徴する意味合いにおいて、まず『家長』を選ぶ。

 <雨にうたれ戻りし居間の父という場所に座れば父になりゆく>

 <鴎外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長はわれらにとおき>

 近代の「家長」、そして現代の「父」。家や家庭という場の役割を生きる一人の男性がかみしめる孤独や憂鬱や愛。小高は、家族や職場の歌、そして時代や死を意識する人生の歌を多く詠んだが、その世界はいつも、一人の生身の人間とそれを取り巻く外側の世界や絶対的なものとの葛藤、往還の上に繰り広げられる。そこに立ち上るまっとうさと人間味の濃さこそ小高賢そのものだった。人間は外の世界や時間や死から切り離されて浮遊したり、一片の言葉にすべてを夢想するようには生きていない。人間の全体性、多面性への志向は、小高の歌人活動そのものの軸でもあったと思う。

 『この一身は努めたり』は、医師であり、歌人、評論家、小説家であった上田三四二(みよじ)の生涯と文学を見渡す。短歌を「日本語の底荷」だといった上田の短歌の世界が、多ジャンルとの関わりの上に丁寧に論じられ、終生病と闘い、まさに「努め抜いた」人間の営みの全体性と必然性の中に辿(たど)られて独特の量感をもつ。それを導いたのは小高の、人間の弱さや諦めへの着目である。

 評論集『転形期と批評』は、八〇年代から世紀をまたぐ著しい変化の時代、短歌の世界に浮上した問題をつぎつぎに取り上げた。「オトナコドモ」という新しい主体、テロや戦争を詠むいわゆる社会詠の危うさ、極限まで研ぎ澄まされてしまった現代短歌の表現など、どれも簡単な解決などありえない問題だが、小高は何度でもこれでよいのか、と疑問符を投げかける。老いの歌を含め、ここに展望された問題は近年いっそう先鋭に現実的になって話題を呼んだ。

 批評や鑑賞において議論において、小高のセンテンスは非常に短い。江戸っ子気質(かたぎ)の歌人は長い文章や晦渋(かいじゅう)の多い文章を嫌った。そこに潜む用心や逃げを嫌ったのである。短いセンテンスをリズムよく繰り出しては、自分の言葉の世界に籠もりがちな歌人たちに切り込み問いかけた。

 「米川さん、それはどうなの?」亡くなられても小高さんは聞いてくれるだろう。
    --「今週の本棚・この3冊:小高賢=米川千嘉子・選」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:持田叙子・評 『異端の皇女と女房歌人』=田渕句美子・著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。


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今週の本棚:持田叙子・評 『異端の皇女と女房歌人』=田渕句美子・著
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 ◇持田叙子(のぶこ)評

 (角川選書・1944円)

 ◇荒ぶる情念を放つ女流の素顔

 花の季節は、和歌の季節。桜の下でケータイをかざすのもいいけれど、花のはかなさを愛(め)でてきた古歌の一首も口ずさみたくなる。

 そんな季節にぴったりの本です。何しろ舞台は、後鳥羽院の築いた和歌の黄金期、新古今時代。自らも歌に命かける後鳥羽院は、定家や良経、慈円らを重用し、すばらしい清新な歌壇をつくった。前例ないほど多くの女流歌人をも、その歌の王宮に招き入れた。

 本書のヒロインは彼女たち。第一の主人公は、院が敬愛した叔母の式子(しょくし)内親王。そして宮内卿(くないきょう)や俊成卿女(しゅんぜいきょうじょ)などの歌才あふれる宮廷女房。古い習慣にこだわらぬ院は、女流に期待し、すぐれた女房歌人を探し求めた。ゆえに新古今時代は、未曽有の女流の時代でもある。

 けれど彼女たちはたおやかに心のまま詠んだのではない。和歌文化による王国の樹立をめざす後鳥羽院の愛と要求は重く、苛烈である。冒頭に著者は特記する。

後鳥羽院はすべての歌人を自ら選び、歌人たちが詠む和歌にはすべて目を通していたと思われる。(中略)後鳥羽院の宮廷と歌壇は、厳しく、そして恐ろしいものであった。

 あな恐ろし。華やかに歌詠む姫君や女房のイメージはぶっ飛ぶ。宮廷に歌人として生きることは、王の文化圧力と過緊張に耐えることであった。天才の定家すら、おびえている。まして世なれぬ女流はいかに。

 十五歳の少女歌人として出仕した宮内卿などは、「あまりに歌を深く案じて病になりて」血を吐き、二十歳ほどで死んだと伝えられる。彼女は、みずみずしい若草を詠む名歌で知られる。

薄く濃き野辺の緑の若草に跡まで見ゆる雪のむら消え

 一見すなおで優しい歌だけれど、古歌を研究し、従来の発想を転換する革命的な表現が仕かけられていると、著者は分析する。ああ、若草の宮内卿。大好きなこの緑の歌の背景が吐血にまみれるとは知らなかった!

 このように著者の筆は、女性ひしめく宮廷に分け入りながら情緒に負けず、鮮やかにドライに当時の歌壇の現実をあぶり出す。その上で歌を解する。そこが秀逸。たとえば式子内親王のこの恋歌の解釈には目がさめる。

玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする

 内親王は、定家との恋もささやかれる人。この歌は、そうした悲恋の反映とされてきた。しかしこれは、「忍恋(しのぶるこひ)」という題で詠まれた虚構の歌。しかも「忍恋」とは、男性の恋歌の題。つまり内親王は自身を男になぞらえ、「男歌」として烈(はげ)しい恋の悲痛を叫んだのだ。

 和歌の世界ではこのように、歌人はおのが性別を越え、男とも女とも化して詠む。ゆえに歌を詠む営みは、演技でもある。そして式子内親王とはさまざまな男に化し、「内攻する荒ぶる情念」を放射するのを好む方だった。彼女以前に、「男歌」を詠む皇女はいない。

 悲恋に耐える嘆きの皇女という既成のイメージは崩され、式子内親王の内側より、荒ぶる烈しい<異端の皇女>の顔貌があらわれ出る。

 面白い。へたな歴史小説を読むより、うんと面白い。文章も明晰(めいせき)で華があり、緻密な調べが新鮮な驚きを生む。後鳥羽院の歌才を先駆的に絶讃(ぜっさん)した歌人の折口信夫が、それにつけても式子内親王とは、従来思われるようなしとやかな方ではない、ひどく変った御性格であると首をかしげていた。その謎にも、一つの鮮明な答を示された思い。胸がすく。
    --「今週の本棚:持田叙子・評 『異端の皇女と女房歌人』=田渕句美子・著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 『感じ悪』って……」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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みんなの広場
「感じ悪」って……
主婦・36(山口県下関市)

 娘と一緒にアイスの自動販売機を利用した時のことです。娘がアイスを取り出しその場を離れ、私が続いて買おうとお金を入れた時、後ろに並んでいた10歳くらいの女の子がボタンを押そうとした。私が「ごめんね。あと二つ買うからもう少し待ってくれる?」と言うと、「感じ悪」という予想外の言葉が返ってきて驚いた。その後も買い終えるまで「感じ悪」を連呼され、さすがに不快になった。

 夫にその事を話した後、その子が私たちの隣にあるゴミ箱にアイスのゴミを捨てつつ、また「感じ悪」と言った。「学校ではやってて、口癖になってるだけじゃない?気にするな」と夫は言ったが、他人を不快にする言葉が口癖とは、むしろその方が問題だと思った。たいした意味もなく使った一言で他人に敵意が生まれる。それが日常化するなんて恐ろしいことだ。

 どうせ口癖にするなら、他人を幸せにする言葉を口癖にしてほしい。あの子にも早くその事に気付いてほしいと切に思う。
    --「みんなの広場 『感じ悪』って……」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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書評:角田由紀子『性と法律 変わったこと、変えたいこと』岩波新書、2013年。

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角田由紀子『性と法律』岩波新書、読了。法律における女性差別の是正は筆者らの永年の努力で「1ミリ1ミリ」変わってきたが、問題は山積している。何が「変わったこと、変えたいこと」(副題)なのか。本書はその歴史と最前線を丁寧に概観する。 

男女平等を明文化した新憲法と新民法の制定から半世紀以上たつが、DV防止法制定やセクハラに対する意識の変化も同じだけの時間を要した。「泣き寝入り」を認めるのは人間の意識のみならず、個々の法律においても女性への「冷たさと蔑視」が潜在していると著者は言う。

「夫婦げんかは犬も喰わない」。しかし暴力は暴力に過ぎない。日本社会はプライベートの事象では暴力と認めなかった。そしてそれを法律がそれとなく後押しする。しかし公的世界であれ私的世界であれ暴力は暴力に過ぎない。虚偽と対峙した著者の言葉は重い。

戦前民法は明らかに女性を低い存在と規定して来たが、その意識は変わっていないし、「恥」の意識はまだまだ告発を隠蔽する。加えて、現下の不況は女性の就業・育児環境はますます悪化している。しかし変わらないはずはない。筆者の筆からは希望が伝わってくる。 

[https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1312/sin_k744.html:title]


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『新改訂 防災・減災・復旧 被災地からおくるノウハウ集』=水害サミット実行委員会・編」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『新改訂 防災・減災・復旧 被災地からおくるノウハウ集』=水害サミット実行委員会・編
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 (毎日新聞社・2700円)

 2005年にスタートした、被災地の首長が体験に基づき、防災、減災策を協議する「水害サミット」の中間報告書だ。自然災害大国の日本だが、防災策に欠かせないハザードマップが未整備、内容不備の自治体は4割にも及ぶ。本書の特長は防災、減災への実践的な手引書となっている点だ。

 「災害時にトップがなすべきこと」「災害発生時の対応」「発災後の中長期における対応」「平常時の対策」と、実践的な項目が並ぶ。自治体のトップには「『命を守る』ということを最優先し、避難勧告を躊躇(ちゅうちょ)してはならない」「判断を早く」「人は逃げないものであることを知っておく」--など、災害時での原則的な心構えを説く。

 災害後の難物、ごみ処理では「ごみを極力小さくしたので、他市町村の処理場でも受け入れ可能となった」、夏の被災地への支援物資として「タオルケット・バスタオル・フェイスタオル、Tシャツの配布が非常に役立った」など体験談も豊富だ。東日本大震災でも日ごろからの訓練が、明暗を分けたケースが少なくない。災害地のリーダーには、一読を勧めたい内容となっている。(喬)
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』=清水潔・著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』=清水潔・著
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 (新潮社・1728円)

 北関東で5人の幼女が誘拐、または殺害された。その一つ「足利事件」の容疑者として無期懲役に服していたのが菅家利和氏だ。同氏は獄中から無罪を叫び続け、DNAの再鑑定で再審に道が開かれ、2010年、19年ぶりに無罪が確定した。

 同氏が獄中で孤独な戦いをしていた時、民放テレビ局のジャーナリストである著者は、調査報道でこの事件にかかわり、同氏を犯人とすることの疑問点を多々発見する。決定的証拠と思えたDNA鑑定もずさんなものだった。著者は報道特番で報じていくが、同氏の無罪確定は著者にとって通過点にすぎなかった。

 少女たちの誘拐、殺害を同一犯による犯行とみてきた著者は、同氏の無罪でこの確信を深める。丹念な取材で集めた調査資料を捜査当局に提供し、解明を期待する。国会でも一連の事件が取り上げられ、国家公安委員長が同一犯の可能性に言及した。それでも捜査当局は動かない。

 8人が有罪判決を受け、1人が死刑になり、菅家氏が犯人に仕立てられたDNA鑑定。当局と相互依存関係にある記者クラブ制度。司法の機能……。さまざまなことを突きつけるノンフィクションである。(恵) 
    --「今週の本棚・新刊:『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』=清水潔・著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『えを かく かく かく』=エリック・カール作、アーサー・ビナード訳」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『えを かく かく かく』=エリック・カール作、アーサー・ビナード訳
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 (偕成社・1512円)

 名作『はらぺこあおむし』で有名な絵本作家エリック・カールの新刊。この本の背景には、百年以上も昔にさかのぼる感動的なドラマがある。

 青い馬や黄色い牛など、びっくりするような色彩で大好きな生き物を描いたドイツ人フランツ・マルク。第一次世界大戦で若い命を落としてしまった彼の絵が、ほぼ半世紀後に生まれたエリック・カールの目にふれる。ドイツのシュトゥットガルトの美術学校のクラウス先生が、十二歳のカール少年に、その色鮮やかな複製画をこっそり見せてくれたのだ。時代はナチス政権下。芸術の自由な表現は許されず、フランツ・マルクの作品も「堕落した美術」と呼ばれて見てはいけないことになっていたという。「この『えを かく かく かく』のふしぎな色の動物たちは、あの日からずっと、ぼくといっしょに生きてきてくれたんだ」とカールは語る。つまり、カール少年の才能を見抜いた一人の先生の英断によって生み出された本なのである。

 「ぼくは どんどん かく かく。ずいぶんと きいろい うしを。」「かく かく かく。こんどは とんでもなく くろい しろくまだ。」

 とてつもなく豊かな一冊。(ゆ) 
    --「今週の本棚・新刊:『えを かく かく かく』=エリック・カール作、アーサー・ビナード訳」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「わだつみのこえ記念館:台湾からの学徒出陣証言集めへ」、『毎日新聞』2014年04月03日(木)付(夕刊)。


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わだつみのこえ記念館:台湾からの学徒出陣証言集めへ
毎日新聞 2014年04月03日 15時00分(最終更新 04月03日 20時59分)

 来年の終戦70年を前に、戦没学生らの資料を収集する「わだつみのこえ記念館」(東京都文京区)が、太平洋戦争末期に日本統治下の台湾から学徒出陣した元学生の証言集めに乗り出した。和歌山県田辺市の西玉弘(たまひろ)さん(89)が、自作した台南師範学校の日本人同級生213人の名簿を提供したのがきっかけ。台湾からの学徒出陣に関する資料は同館になく、1人目の証言者となった西さんは「記録を後世にとどめてほしい」と語った。【木村葉子】

 ◇体験者作った名簿元に

 西さんは和歌山県内の林業学校を卒業後、仕事に就くため商船でジャワ島に向かったが、戦況の変化により船が台湾でストップ。教員養成の台南師範学校に入学し、終戦前年の1944(昭和19)年9月に学徒出陣した。

 教育隊(予備士官学校)入隊後は地上戦を想定した訓練に明け暮れた。しかし、戦闘の機会はなく、空襲を受けながら米軍の上陸が想定される海岸などを転々としているうち終戦に。

 46年3月、高雄から復員船で帰国し、田辺市内で中学校の教壇に立った。「過去のむごいことは聞かせたくない」と戦争の話はしなかったという。

 70年ごろ、盛岡市で開かれた全国校長会で偶然、同級生と再会。当時の話題になり「みんなを捜してくれないか」と持ち掛けられた。これを機に「戦友」の消息をたどりたいという思いが募った。

 数年後、台湾人の同級生を現地に訪ね、氏名や出身校を掲載した当時の名簿を入手。全国の電話帳約200冊を手繰って同級生の名を探した。都道府県の教員名簿を取り寄せたり出身校に問い合わせたりし、全国を飛び回った。

 故人の消息をつかむのに時間がかかり、全員にたどり着くまで20年近い時間と数百万円を費やした。

 名簿は交流に活用。同期会を84年から2006年まで23回開き、2回の訪台で現在は大学となった母校も訪ねた。西さんは今も名簿を年2回更新し、存命の57人に送っている。

 昨年8月、長女の麓(ふもと)真知子さん(61)が学徒出陣を語り継ぐことの大切さを訴えた毎日新聞記事を読み、西さんと共にわだつみのこえ記念館への名簿提供を申し出た。

 同館の渡辺総子(ふさこ)常務理事は「大変貴重だ。ぜひ証言集めを続けたい」と話している。

 ◇西玉弘さんの証言 最前線に「捨て身」になる訓練だけ 

 学校近くの公園であった数百人の出陣式では「祝入営」と墨で書かれた下級生手作りののぼりが立った。だが、寮生活だったため見送りはなく、「家族にも会わぬままに行くのか」とわびしい気持ちもあった。

 入隊後は上陸してくる戦車を想定し、背嚢(はいのう)に爆弾代わりの砂を40キロも詰めて飛び込む訓練を繰り返した。最前線で「捨て身」になるためのものばかり。人間が「命ある兵器」になっていると感じた。

 生きて終戦を迎えたが、徹底抗戦を訴える教育隊教官の若手将校らの主張で約500人の隊員が2週間近く訓練を続けた。抗議した同級生の一人が自殺を図り、私が野戦病院で最期をみとった。この後、部隊は解散したが、あと数日訓練が続いていたら私が教官を殺していたかもしれない。この同級生の遺族とは連絡が取れ、1991年に墓参を果たすことができた。
    --「わだつみのこえ記念館:台湾からの学徒出陣証言集めへ」、『毎日新聞』2014年04月03日(木)付。

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[http://mainichi.jp/select/news/20140403k0000e040244000c.html:title]

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覚え書:「(社説余滴)考える場を奪うむなしさ=井田香奈子」、『朝日新聞』2014年04月03日(木)付。

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(社説余滴)考える場を奪うむなしさ 井田香奈子
2014年4月3日 

 お年寄りを中心に450人がつどい、立ち見も出る盛況だった。

 先月、山梨県山梨市が開いた社会学者上野千鶴子さんの講演である。

 テーマは「ひとりでも最期まで在宅で」。担当課が昨年から準備していた。ところが2月に初当選した市長が突然、中止すると言いだした。性の問題に関する上野さんの過去の発言から、ふさわしくないと判断したのだという。

 これに市民から批判が相次いだ。各地の地方議員たちも開催を申し入れた。直前になって市長は中止を撤回した。

 特別な感慨をもってここにいる。上野さんが聴衆にそう話したのももっともだろう。

 ふだん会えない人の話を直接聞ける講演という場。自治体がはたす役割は大きい。

 今回のどたばたが、自治体関係者のなかに、無難な人選がいちばん、という空気を生みはしないかが気になる。

 これまでも男女平等や性を正面から扱おうとすると横やりが入ることがあった。

 2005年に東京都国分寺市が上野さんを招いた人権講座が中止され、08年には配偶者間の暴力にかんする別の人の講演が取りやめになった。

 いずれも、げんに深刻な問題を抱えている人がいて、目をそむけてすますわけにはいかないテーマである。

 今回の講演も実現はしたが、山梨市側は性教育のことは話さぬよう、上野さんに事前に念押ししたそうだ。

 干渉と自粛はときにさりげない。表面化する方が珍しいのだ、という指摘も聞いた。

 結局、自分とは違う考え方とどう向き合うかという問題にたどりつく。

 発言の場を奪うのではなく、相手の意見を聞いて、同意できなければ批判や反論をする。いろんな人が社会でともに暮らすなかで、培ってきた知恵のはずだ。

 講演の日。山梨市長は冒頭、混乱をわびたが、講演が始まる前に退席した。その背中に客席から「市長、聞かなきゃ」という声が飛んだ。

 聞きに来た人たちは、上野さんの考え方のすべてに同意する人ばかりではなかっただろう。会場からはいろいろな質問や意見が出て、難しさや悩みの共有があった。

 だれの話を聞きにいくか、聞いてどう感じるかは、一人ひとりが決めることだ。

 「あの人はこうだから」と分類し、考える場を取り上げようとすることがいかに無用か、痛感させられた。

 (いだかなこ 司法社説担当)
    --「(社説余滴)考える場を奪うむなしさ=井田香奈子」、『朝日新聞』2014年04月03日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11064505.html:title]

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覚え書:「発言 春から新しく働く人に=都村記久子」、『毎日新聞』2014年04月03日(木)付。


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発言
春から新しく働く人に
都村記久子 作家

 今まで生きてきて、もっとも不安だった時期というのは、最初の会社に入社した頃だったと思う。3月の終わりから4月にかけての研修期間中はずっと、これからしばらく死んだと思うことにしよう、と息をひそめながら、帰りの電車に乗っていた。これから二度と明るい日は来ないと思っていた。
 研修は、やたら厳しい顔をした会社の人事の人が「軍隊式で行う」と言いつつ、新入社員全員で近所の関連の工場を訪ねたり、なんだか小学校みたいなプログラムが続いた。倉庫みたいなところに新入社員が集められて、毎日、「会社の幸福は社員の幸福」というものすごいフレーズがある社是を読み上げさせられた。当時もたいがい、えらいことを言わせるな、と思っていたが、同期にそんなことを話せる人はいなかった。みんな社是が妙だということより、飲み会の計画や、この中で誰がいちばん人気があるのかに関心があった。
 要するに、びっくりするぐらいつまらなかったのである。それこそ学校みたいだった。その後配属された、ほとんど女子が30人ぐらいの支社も、高校を卒業してすぐに入社した人が多かったせいか、雰囲気はほとんど学校だった。支社じゃない方の、研修を受けた本社の方は倒産して、今はもうない。
 それで、それからわたしに二度と明るい日は来なかったのか? そんなことはなかったのだ。二つ目の会社に入って、根気強い年下の先輩に仕事を教えてもらい、比較的まともな人たちに囲まれて仕事をするうちに、会社員でいることも悪くないな、と思うようになった。むしろ不安的な学生の身分でいるとか、学校っぽい職場で、同期になじめないことに悩んでいるよりは、当たり前のように年齢にも職位にも上下関係があって、いちばん下のほうで言われたことをこなしているうちに時間が過ぎていくような状態は、たまにつらいことはあるものの、おおむね気楽だった。会社員に向いていないのではないかと悩んだ時期もあったのだが、そこまでひどくはなかったということに気付けたのだった。友人たちも、最初に入った会社をやめることになったりして、それぞれに転機を迎えた。そして話を聞くだに、会社もそれぞれの家族のようにいろいろなんだな、と思うようになったのである。
 だから、この春から新しく働く皆さんには、先のことはわからない、としか言いようがない。最初は一様に暗く、自由がないように思えるかもしれないけれども、働くようになって初めて得る自由もある。仕事という、人生で最大の、できればやりたくないものの中に、小さく光るものを見つけたら、それはもうこっちのものだと言える。しばらくは、手応えを感じなくて当たり前と思いながら、将来の自分を楽にするためと考え、粛々と仕事を覚えればいいと思う。その後苦しい時期も経て、ある時、その日の仕事を手放した時に思うのである。自分はうまくやった、と。それこそが光で、おそらく不意に訪れる。どうかそれを、目ざとく、つかんでいただきたい。
つむら・きくこ 小説に「ポトスライムの舟」(芥川賞)、「ワーカーズ・ダイジェスト」など。
    --「発言 春から新しく働く人に=都村記久子」、『毎日新聞』2014年04月03日(木)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『人間の尊厳 いま、この世界の片隅で』=林典子・著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『人間の尊厳 いま、この世界の片隅で』=林典子・著
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 (岩波新書・1123円)

 写真ジャーナリズムの祭典「ビザ・プール・リマージュ」で「ビザ・ドール(金賞)」に輝いた若き女性フォトジャーナリストが歩んできた全記録である。併せて掲載した数々の写真からも彼女の目覚ましい成長ぶりがうかがえる。

 彼女が追うのは権力者や著名人ではない。エイズに母子感染しているカンボジアの少年や、男から硫酸をかけられて顔を焼かれたパキスタンの女性、誘拐されて結婚するよう求められるキルギスの女性など、「世界の片隅で」理不尽な貧困や差別に苦しむ人々だ。

 報道する人間が常にぶつかる問題だが、彼女も取材対象との距離の取り方に苦悩する。結婚を嫌がる女性を救うべきか迷い、報道の立場を超えて介入を決意する。怒りや悔しさを共有する真摯(しんし)な姿勢は、「寄り添う」などという言葉では言い表せない重みがある。

 本書は東日本大震災、福島第1原発事故の被災地ルポに一章を割くが、他の章と違和感がない。「人間の尊厳」が脅かされる現実がある。ヘイトスピーチや秘密保護法など圧迫感が強まる今の日本を彼女がどう切り取るのか気になった。(日)
    --「今週の本棚・新刊:『人間の尊厳 いま、この世界の片隅で』=林典子・著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『愛と障害』/『おいしそうな草』」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。


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今週の本棚:鴻巣友季子・評 『愛と障害』/『おいしそうな草』
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 ◆『愛と障害』=アレクサンダル・ヘモン著、岩本正恵訳(白水社・2376円)

 ◆『おいしそうな草』=蜂飼耳著(岩波書店・1836円)

 ◇言語と虚構を動かす創作のメカニズム

 「話のなかにいくつ事実が入っていたら伝記になり、いくつ作り事が入っていたらフィクションになるんだい?」

 この三月、ある公開鼎談(ていだん)で、アレクサンダル・へモンは「現実と虚構の境」について尋ねられて、おどけ気味に答えた。彼の『ノーホエア・マン』は自伝的長編だそうで、最新の『The Book of My Lives』(わが人生の書)はノンフィクションと銘打たれているが、それらと同様のエピソードが短編集『愛と障害』では小説、つまり虚構の一部になっている。

 フィクションという機構は、いつ、何によって起動するのか?という問いがここにはあるだろう。

 一方、日本の詩人・蜂飼耳は『おいしそうな草』という秀逸なエッセイ集で、「言葉はどこから来るのだろう。……詩はいつどのように出てくるのか」(「待つことのかたち」)と問う。ボスニア出身のアメリカ作家と日本の詩人、ふたりには同時代の書き手である点を除いて接点はないかもしれない。しかし両者の著書を通じて、言語と虚構を動かすメカニズムに相通じるものを私は感じた。本稿では、この二冊を互いのアノテーション(注釈書)にして読むという試みをしたい。

 へモンはアメリカ滞在中にボスニア紛争が勃発し、そのまま米国に留(とど)まって、本人の弁によると「思いがけず」英語でものを書くようになった。第二言語としての彼の英語は凝縮された美しい散文詩のようだ。コンラッド、ナボコフの再来と謳(うた)われるのも頷(うなず)ける。

 『愛と障害』には、キンシャサのアパートで夜な夜なレッド・ツェッペリンの「天国への階段」のドラムを叩(たた)く男と親しくなる少年の「僕」や、二十代で「愛と障害」なんてムズ痒(かゆ)い詩を書いている詩人志望の「僕」、姿を見せない名無しの語り手の「わたし」、フィクションを「真実でない」と忌避する父をもつ「僕」、『ニューヨーカー』誌に「愛と障害」なる短編を載せたと嘯(うそぶ)く新人作家の「僕」などがいる。八編に繋(つな)がりはあるのかないのか判(わか)らない。ただ、どの語り手も作者自身に強く想起させる。そもそも本書収録の「すべて」という一編は、「愛と障害」という題名で『ニューヨーカー』に初出されたのだ。ああ、ややこしい。

 前記の父は八ミリカメラで真実のわが半生記を撮ると言って、息子に十六歳の自分の役をやらせる。息子は役になりきって微笑(ほほえ)みながら家を後にするシーンを演じ……って、この「自分」こそまったくの作りものではないか! へモンは虚構作りをめぐってアイロニカルな虚構を織りなしていく。フィクションとは非真実、または嘘(うそ)のことなのだろうか?

 それに対する応答のようなくだりが、『おいしそうな草』にある。昔、ネッシーの研究者が死に際に、実はネッシーなどいない、自分の研究は全部嘘だったと発表した。それに対して、蜂飼耳はこう言う。「自分なら、と考える。そもそも、そんな大掛かりな嘘を磨きあげることに生涯を費やす気力など、持てそうにない。<中略>とはいえ、ものを書くことは、嘘を描いているのと同じだろうか。ひとつひとつ、なにかを追求するつもりで言葉を紡ぐとしても、はるか遠くから眺めると、<中略>ネッシーの嘘と同根なのかもしれない。つまり、どれもが人間の頭をよぎって消えていく夢のかけら」(「時間を食べる」)

 『愛と障害』の「蜂 第一部」で真実に固執する父も、「天国への階段」で胡乱(うろん)な武勇伝を語るドラマーも、最後の一編「苦しみの高貴な真実」に出てくる作家たちも、己の生をどこかの壁に儚(はかな)く転写しようとしているのだろう。そうして生を描こうと足掻(あが)く人々をへモンは描く。そして、こうした人間の「限りある生」を西脇順三郎が「根本的な偉大なつまらなさ」と呼んだことを、蜂飼は引用している(「冬眠状態」)。

 転写されたものは虚像で偽物か--? そうではないと、私は思う。へモンの「僕」は「愛と障害」という詩の第一行をこう始める。「世界と僕のあいだには壁があり、/僕はそれを歩いて通り抜けねばならない」。よしんば、言葉が壁を越えて現実とふれあうことがあっても、それが真実に届くとは限らない。ふたたび蜂飼の著書に引用された石原吉郎のエッセイから。「私は多くの第一行と路上ですれちがっているはずである。私にかかわりのない第一行は、そのまますれちがうだけだが、もし重大なかかわりがある一行であれば、それはすれちがったのちふたたび引きかえしてくる。<中略>それは、かつて記憶のなかで、予感のようにめぐりあった一行かもしれないのだ」(「蛙はためらわない」)

 世界と自分の間の壁を越えて言葉が引きかえしてきたとき、その再会を通して<創る>意志が起動し、それらの言葉は詩という真実に結晶するのではないだろうか。むろん優れた小説にも詩は響いている。 
    --「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『愛と障害』/『おいしそうな草』」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『世界の果て、彼女』 著者・金衍洙さん」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『世界の果て、彼女』 著者・金衍洙さん
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 (呉永雅(オ・ヨンア)訳 クオン・2700円)

 ◇「疎通」への願い込めた短編集--金衍洙(キム・ヨンス)さん

 現代韓国文壇の中心を担う作家の短編集が刊行された。初の邦訳単行本。収録した7編に通底しているのは、人と人は理解し合えるのか、との根源的な問いだ。他者とは通じ合えないという「絶望」を踏まえて始まる、「希望」の物語である。

 「ネットを使ったたくさんのツールが出ていますが、互いを深く知るのは大変難しいですね」。現代の人間関係をこう話す。

 表題作「世界の果て、彼女」は、24歳の「僕」がある一編の詩をきっかけに、年上の女性教師と出会うところから始まる。詩の作者は、夫がいる女性を愛したまま早世。「僕」と教師は、木の根元に詩人が埋めた女性への手紙を発見する。小さな奇跡によって、手紙は届くことになる。

 著者がこだわる文学的テーマは「疎通」。韓国語では「ソトン」と読み、日本語の「疎通」とは少しニュアンスが違う。「お互いを理解して納得して受け入れる」ことまで踏み込むという。その意味で、本作は表題作を含めて「疎通」への願いが満ちた短編集であるといえる。巻末には著者の言葉として「僕たちは努力をしなければ、互いを理解することはできない。他者のために努力するという行為そのものが、人生を生きるに値するものにしてくれる」と記している。

 この作品によって、著者は韓国で読者を増やした。「前まで自分は小説だけを書けばいいと思って、読者とのつながりを気にしなかった。でもこの小説を出して読者と出会い、自分の話が伝わったことはとても新鮮でした」。読者との「疎通」に手応えを感じている。

 1970年、韓国・慶尚北道生まれ。両親は10代まで日本で育ち、今も叔母が東京に暮らしている。「小さいときに父親が日本の演歌を歌ったり、母親に日本語で数字を教えてもらったり、無意識な親しみはありました」。来日の回数も多く、「日本は個人が楽しむ文化や空間があって、安定している」と印象を語る。短編には日本人や日本の風景が登場する。

 日中韓を取り巻く緊張状態について尋ねると、「人と出会い、生きていくということは、自分の考えが間違っていたかもしれない、と気付く過程ではないかと思います」。思慮深い答えが返ってきた。<文と写真・棚部秀行> 
    --「今週の本棚・本と人:『世界の果て、彼女』 著者・金衍洙さん」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『和製英語事典』=亀田尚己、青柳由紀江、J・M・クリスチャンセン著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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今週の本棚:伊東光晴・評 『和製英語事典』=亀田尚己、青柳由紀江、J・M・クリスチャンセン著
毎日新聞 2014年04月06日 東京朝刊

 (丸善出版・4104円)

 ◇にわかに信じがたい“不思議な英語”の成り立ち

 英語と思いきや、日本人が作った和製英語で通用しない。場合によっては、とんだ誤解を招きかねない。そうしたものが、次から次へとでてきて、飽きることがない。

 とんでもないのが、誰もが食べる「シュークリーム」だろう。イギリス人ならシューは靴であり「靴クリーム」ということになる。お菓子屋さんで口にしてはならない。正しくはフランス語では「シュー・ア・ラ・クレーム」、英語では「クリーム・パフ」と言わねばならない。スポーツ用語などは共通だろうと思いきや、「バックホーム」は命令形で「家に帰れ」、「(ここから)出ていけ」という意味らしい。

 へえと思ったのは、日本での食事の形式「バイキング」である。北欧の海賊たちがこんな風に食事をしていたのかと思っていたが、発明者は帝国ホテルの支配人で、デンマークで目にしたスモーガスボード(スカンジナビア風前菜料理)をヒントに開発したのだという。なぜバイキングというかというと、たまたま隣の日比谷映画劇場で「バイキング」という映画が上映されており、映画の中で豪快な食事シーンがあったので「バイキング」と名づけたのだという。

 にわかには信じられないので調べてみたら、昭和33(1958)年帝国ホテルではじめたのがおこりだとわかった。海外で通じるはずがない。

 では英語で何というか。何のことはない。「スモーガスボードスタイル」であり、簡単な立食ならビュッフェスタイルでよい。これなら日本でも通じる。

 このように、人為的に作られた和製英語には「ハローワーク」がある。もちろん公共職業安定所の愛称であるが、1990年、労働省が公募し、採用された完全な和製英語で“こんにちは、お仕事”では何のことかわからない。イギリスでは、Public Employment Security Officeであり、アメリカではDepartment of Human Resources Officesである。

 和製英語には「後部省略型」と「後部省略型2語形成タイプ」が多いというのが著者の指摘である。

 前者にインフレ、インフラなどがある。インフレーション、インフラストラクチャー(社会基盤)の前半部分で、二つの言葉の前だけをつなげるのはエアコン(エア・コンディショナー)、セクハラ(セクシャル・ハラスメント)など多い。もちろんこれらはすべてを終わりまで言わなければ通じない。

 なぜ日本でこのような省略型の和製英語が多いのか。「短大」「携帯」とか「デパ地下」とか若者はめんどうだから省略語を使うのだろう。新聞の見出しも短くしなければ入らないし、インパクトがあるようにさかんに省略語を使う。海外での簡略語はPublic Employment Security OfficeをP・E・S・Oと表記する。同じ略語で違う内容のものがあり、日本人にはわかりにくい。

 明治期に外国人がそう言っていたので、誤って根づいたのがトランプであり、ジョン万次郎が買い求めてきたミシンなどもある。トランプは切り札の一枚のことで、全体はカードである。

 外国語と思われがちで純然たる日本語には、コンロ(焜炉(こんろ))やチャック(巾着からきた)などがあるという。

 この本はとても面白い。この延長線上で、外国語になった日本語や日本のものの表記も集めてほしい。日本式風呂はバンブウ・バス、NHKによればニューヨークで「ベントウ」が大はやりだという。 
       --「今週の本棚:伊東光晴・評 『和製英語事典』=亀田尚己、青柳由紀江、J・M・クリスチャンセン著」、『毎日新聞』2014年04月06日(日)付。

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覚え書:「(特定秘密法から考える)権力と社会、市民の力信じられますか 長谷部・杉田両教授対談」、『朝日新聞』2014年03月28日(金)付。


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(特定秘密法から考える)権力と社会、市民の力信じられますか 長谷部・杉田両教授対談
2014年3月28日05時00分


  
 NHK会長の言動で揺らぐ公共放送の信頼性。権力による介入や排外主義的な主張で社会が揺さぶられるなか、私たち市民は自信を取り戻せるのか。長谷部恭男・東京大教授(憲法)と杉田敦・法政大教授(政治理論)による連続対談は今回、NHKをめぐる一連の問題を入り口に、幅広く語り合ってもらった。

 ■長谷部「内閣の極端人事、法の想定外」 杉田「前面に出る国家、支持集める」

 杉田敦・法政大教授 会長や経営委員の人事が発端となり、NHKが揺れています。公共放送への影響力を強めようという、安倍内閣中枢の意図を隠さない露骨な人事ですが、放送法にはのっとっています。

 長谷部さんは、特定秘密保護法の条文があいまいで悪用される恐れがあるという指摘に対し、「法律とはあいまいなもので、常識に基づいて運用される」と反論されてきました。しかし今回の一件は、法律が常識ではなく非常識によって運用され、そうなるとなかなか止める手立てがないことを示していませんか。

 長谷部恭男・東京大教授 日本の法制は内閣がイデオロギー的に極端な人事を行うことを想定していません。内閣が本気になれば「独裁」に近い状態もつくれないことはない。例えば最高裁の裁判官の人事は、最高裁側が推薦した候補から内閣が指名するのが慣例で、憲法には「内閣でこれを任命する」と規定されているだけです。慣例なんか関係ない、という内閣が出てくれば止められません。

 杉田 法律による規制には限界があり、最後は慣習的なものに依拠せざるを得ないということですね。

 長谷部 そうです。そしてそうした慣習は、ある種の保守主義によって支えられてきました。「長年にわたって試練に耐えた原則の方が、試練を経たことのない新しい原則よりも尊重に値する」。これはリンカーンの言葉だとされていますが、新しいことをやろうと従来のやり方を壊したりひっかき回したりするよりも、長年使われてきたやり方を大事にする方が結局は世の中の役に立つのだと。こういう考え方は、かつての自民党には広く共有されていたと思います。

 杉田 つまり、安倍内閣は保守ではないと。

 長谷部 保守ではないと思います。何も守っていないんじゃないか。ちなみに、保守の反対概念はリベラルではありません。おっちょこちょい、とでも言うべきものです。壊れてもいないものを直したり作り替えたりしたがる。「壊れてもいないものを直そうとするな」。これが保守主義の基本です。

 杉田 しかし安倍内閣が支持されている理由のひとつは、「私たちになら直せる」と言い、直そうとしてみせているからではないか。為替をいじり、武器輸出三原則を見直す。「時代錯誤だ」という批判が出ますが、安倍内閣の支持者にしてみれば、そんなこと言っていたらグローバル化にのみ込まれていくだけじゃないか、政治は手をこまねいているつもりなのかと。

 私自身は、政治への過度の期待は危険だと思っています。企業の海外流出などに対して政治にできることは極めて限定的ですから。だがそれでは多くの人は納得しない。国家が前面に出てくれば経済も社会も良くなるはずだと考え、わらにもすがる思いで安倍内閣を支持していると感じます。

 ■杉田「NHK広報化、国にマイナス」 長谷部「表現の自由、規制より自信を」

 杉田 NHKの籾井勝人会長は就任会見で「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」と言いましたが、一般の人々の反発は弱かったと感じます。政府の方針でも自由に批判できる。これが公共性の本質で、言論の公開性とは不可分です。ところが日本では公共が、国家や政府と同一視されがちです。

 英国のBBCほどではなくても、アジア地域では、NHKの評価は高い。放送が「政府広報」と化している国が多いなか、NHKは本当のことを伝えるという信頼があるからです。安倍内閣は、公共放送に政府の方針を伝えさせることが国力を高めると考えているようですが、全く逆です。

 長谷部 放送法第4条は、意見が対立する問題の番組編集にあたっては「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と規定しています。これは民放にも当てはまる。とはいえ民放は広告主からの圧力を避けられないので、公共放送がある。政府方針をそのまま流すようではむしろ公共性に反します。

 杉田 政府権力を批判的に検証し、ブレーキをかけるのがNHKを含めマスメディアが担う公共性の根幹です。しかし日本の経済力が落ちるなか、ブレーキなんかかけている場合じゃないという焦燥感が広がり、それがメディア批判につながっている。アクセルを全開にしてようやく中国に対抗できるのに、なぜブレーキをかけるのかと。メディアが公共の利益の役に立っていることが、なかなか理解されづらい。

 長谷部 しかし人間の大部分は、みんなの利益より自分の利益の方が大事です。現代においては、マスメディアや法曹集団といった中間権力に公共的な役割を期待するしかない。彼らもまた自己の利益のために動いていますが、その活動は間接的に公共の利益に結びついている。例えば新聞が権力を検証する質の高い報道をすれば、購読者の支持を得られるでしょう。

 公共の利益の実現は、個人では担い切れません。例えば中国には、共産党幹部の汚職を糾弾したり、愛国心に駆られて日本人を罵倒したりする人たちが大勢いる。彼らはおそらく公共の利益のために行動しているつもりでしょう。だが実際には社会的不満のガス抜きに利用され、結果的に現在の政治体制の維持に加担している。同様の側面は、日本にもあると思います。

 杉田 ここで考えておきたいのは、ヘイトスピーチの問題です。秩序の破壊を主張する自由をどこまで認めるか。例えばドイツでは、ナチスを礼賛するような表現の自由を認めていない。一方、日本にはそうした原則はなく、「朝鮮人を殺せ」などと街頭で叫ぶ行為に対して、公共の利益に反するから法律で規制すべきだという考え方と、言論で対抗すべきだという考え方に分かれています。

 長谷部 表現の自由についての考え方は「欧州・大陸型」と「米国・日本型」に大別されます。欧州型はヘイトスピーチのような言論を危険思想として規制する。裁判所や警察が取り締まらないと、またナチスにやられてしまうかもと、心配でたまらないわけです。

 一方の米国型は、あらかじめ排除はしない。根底にあるのは、市民社会の力を信じようという発想です。ヘイトスピーチのような言論は、政府や裁判所に排除してもらわなくても、自分たちの力で淘汰(とうた)できると。今の日本社会にそこまでの自信を持てるかというと、違和感をもつ人もいるかもしれませんが。

 杉田 戦前の国家主義の反省を踏まえ、権力に対して異論を言う場を確保し、社会が一丸となるのを防ごうというプロジェクトが戦後民主主義でした。ところがいま、当初想定された以上に、国家主義的、排外主義的なかたちで異論が噴き出し、戦後約70年間の蓄積を揺さぶっています。我々は、この日本の市民社会に自信を持てるのか。秘密法もそうでしたが、それによって、政治に対する見方や態度は変わってくるでしょう。

 長谷部 そうですね。私は人には、日本の市民社会に自信を持っている、と言うことにしています。そう言い切る人がいないと、人々の社会に対する自信は、本当に失われてしまうと考えるからです。=敬称略

 ■多様な価値観、認めることから

 「選挙で勝てば何でもできますか?」。前回の対談で示された問いの裏側には、今回の「日本社会に自信が持てますか?」があるのではないか。

 内部昇格の慣例を破り、自らの考えに近い人物を内閣法制局長官に据える。NHKの経営委員に、思想的に近い仲間を送り込む。異なる意見を認めたり議論したりせず、人事権を使って、上から同じ意見にしようとする。安倍内閣の荒っぽさと臆面のなさには驚く。ただ、その政権を選んだのは私たち有権者であることに、まずは向き合う必要があるだろう。

 「日本社会に自信が持てますか」との問いに、すぐに答えは出ない。だが、自信を持ちたいと思う。そのためには国家の論理や市場の原理にのみ込まれることなく、自分たちの力で多様な価値観を認め合う社会を築いていくしかない。結果はともかく、そのプロセスは自信につながるはずだ。(論説委員・高橋純子)
    --「(特定秘密法から考える)権力と社会、市民の力信じられますか 長谷部・杉田両教授対談」、『朝日新聞』2014年03月28日(金)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11053210.html:title]

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書評:ワシーリー・グロスマン(齋藤紘一訳、亀山郁夫解説)『万物は流転する』みすず書房、2013年。

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ワシーリー・グロスマン(齋藤紘一訳、亀山郁夫解説)『万物は流転する』みすず書房、2013年、読了。「自由であるということは本当に恐ろしいことだ」。帝政から近代国家へ。形式は変われどもロシアの内実は変わらない。個人の徹底的な抑圧と民衆が国家と支配者の奴隷であること=非・自由こそロシアの歴史であると著者はいう。

本書の主人公イワンがラーゲリを出獄するのは、スターリンの死の翌年、「自由とは善きものである」という主張が原因だ。監獄で過ごした30年近い歳月は、狂気と暴力の支配、絶え間なく続く収奪と飢餓はロシアの歴史そのものである。

スターリンだけを特異な悪魔化で理解できるのだろうか。その父母はレーニンであり革命であり、国家の存在である。しかしこれはロシアにだけ「限定」される問題なのか。小説ながら著者の哲学的洞察は私たちの蒙を啓く。

「自由の意味を語ることができるのは、自由の恐ろしさを知る者だけである。この認識でグロスマンはドストエフスキーに近づく」(亀山郁夫・解説)。著者の『人生と運命』と合わせて読みたい。

[http://www.msz.co.jp/topics/07784/:title]


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覚え書:「下町ボブスレー--世界へ、終わりなき挑戦 [著]伴田薫」、『朝日新聞』2014年03月30日(日)付。


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下町ボブスレー--世界へ、終わりなき挑戦 [著]伴田薫
[掲載]2014年03月30日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

 氷のコースを時速120キロ以上で滑走するボブスレーは、氷上のF1と呼ばれる。摩擦抵抗と空気抵抗をできるだけ減らし、いかに減速させないかがかぎになる。不思議なことに物作りの国日本の選手は今まで外国製のそりに乗ってきた。高い技術力で知られる東京都大田区の町工場が中心となって、その国産化に挑んだ。ノンフィクションライターの著者は約80人の関係者に取材し、下町の人たちの挑戦を丹念に追う。
 下町ボブスレーは結局、ソチ五輪の日本チームに採用されなかった。しかし、その決定から1カ月後の全日本選手権大会で、優勝こそ逃したものの、滑走したそりのなかで最高速度を出した。このエピソードがすがすがしい。
    ◇
NHK出版・1575円
    --「下町ボブスレー--世界へ、終わりなき挑戦 [著]伴田薫」、『朝日新聞』2014年03月30日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014033100010.html:title]

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覚え書:「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 [著]佐々木健一 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2014年03月30日(日)付。


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辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 [著]佐々木健一
[評者]出久根達郎(作家)  [掲載]2014年03月30日   [ジャンル]文芸 社会 

■編纂者2人の訣別、語釈に現れる心理

 小説よりも面白い。評言は、この一言に尽きる。
 何が、面白いか。小説のような事実だからである。
 辞書が小説とは思わなかった。神聖な学術書、だと信じていた。何しろ私たちが日常用いる言葉の、正しい意味や、正しい用い方を教えてくれるのである。辞書を編纂(へんさん)する人たちは神さまだと思い込んでいた。
 そう、人たちである。国語辞典は大勢の学者が集まって作るのだ、その中の代表者が監修という名目で、表紙や奥付に記載されているのだ、とてっきり思っていた。そうではないことを本書で知った。そして一生を懸けた辞書編纂の仕事が、国語学界では評価されていないどころか、軽んじられている事実も。何より驚いたのは、辞書の語義がそれぞれ微妙に異なることである。それは「暮しの手帖(てちょう)」事件以来なのだ。どんな事件であったのか。辞書の内容を一変させた事件の詳細は、本書をひもといてもらうしかない。
 本書のすばらしさは、ある辞書の一語の不可解な用例に注目したこと。いや、この用例の奇妙さを指摘したのは、赤瀬川原平氏の『新解さんの謎』であった。著者は氏の「何か私小説を感じる」という直感に触発され、その何かを追求していく。謎の一語とは、「じてん」である。辞典でなく、時点。
 二人の著名な辞典編纂者が登場する。著名と言ったが、果たして一般人にどの程度知られているか。
 一人は、「ケンボー先生」こと見坊豪紀(けんぼうひでとし)。もう一人は、「山田先生」こと山田忠雄(やまだただお)。見坊が二歳上。二人は東大国文科の同級生である。仲の良い友だち同士、一冊の辞典を作りあげた。それがある「時点」で、突然、たもとを別(わか)つ。何があったのか? 誰もが戸惑った事件。謎を解く鍵は、「時点」という言葉の用例にあったのである。
 どうです、面白いでしょう? 「時点」だけではない。二人は訣別(けつべつ)したあと、それぞれの名による独自の辞典を編纂するのだが、著者は二つの辞典の語釈や用例の違いに注目。その記述の変遷から両者の心理の動きを解剖する。
 この辺りは上質の推理小説を読むような感興である。作り事でないから、尚更(なおさら)、興が募る。
 たとえば、「ば」という語の用例をケンボー先生は、こう記す。「山田といえば、このごろあわないな」。山田という個人名が使われている。一方、山田先生の辞書で、「ごたごた」の語例を引くと、「そんなことでごたごたして、結局、別れることになったんだと思います」。
 二人は辞書を用いて対話を試みているのだ。そして意外な、驚くべき真相。二人の学者の奇妙な友情。字引は小説より奇。名言なり。
    ◇
 文芸春秋・1890円/ささき・けんいち 77年生まれ。NHKエデュケーショナルのディレクター。「にっぽんの現場」「仕事ハッケン伝」を担当。本書のもとになった番組は昨年4月、NHKBSで放映され、ATP賞最優秀賞に。
    --「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 [著]佐々木健一 [評者]出久根達郎(作家)」、『朝日新聞』2014年03月30日(日)付。

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辞書になった男 ケンボー先生と山田先生
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覚え書:「みんなの広場 大津事件の資料公開の場を」、『毎日新聞』2014年04月03日(木)付。


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みんなの広場
大津事件の資料公開の場を
元公務員・65(千葉県鴨川市)

 1891年5月11日に起こった大津事件に関する裁判資料(記録原本)が大津市歴史博物館で初めて一般公開されている。

 事件は日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が滋賀県大津町(当時)で警備に当たっていた警察官に切りつけられて負傷した。事件の裁決において児島惟謙大審院長は、政府の干渉に屈することなく司法権の独立を守った護法の神として広く知られている。

 国内が騒然となる中、ロシアとの関係を憂えた20代の畠山勇子が京都府庁前で自殺した。彼女は現在の千葉県鴨川市出身で先日菩提(ぼだい)寺で供養祭が行われた。

 事件を口実にロシアに宣戦布告されたらと憂えた彼女は「憂国の烈女」と呼ばれ、地元有志により顕彰碑が建てられ、出版物もあるもののその名を知る人が少なくなっている。

 鴨川市でも公開の場を設けることができれば、事件のことや関わりをもった人物の存在をさらに知る機会になると思う。
    --「みんなの広場 大津事件の資料公開の場を」、『毎日新聞』2014年04月03日(木)付。

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覚え書:「記者の目:NHK会長の発言問題=土屋渓(東京経済部<前東京学芸部>)」、『毎日新聞』2014年04月03日(木)付。


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記者の目:NHK会長の発言問題=土屋渓(東京経済部<前東京学芸部>)
毎日新聞 2014年04月03日 東京朝刊

(写真キャプション)衆院総務委員会に参考人として出席し、質問に答える籾井勝人NHK会長

 ◇職員に歩み寄り説明を

 NHKの籾井勝人(もみいかつと)会長(71)が1月25日の就任記者会見で、「(従軍慰安婦は)戦争地域にはどこの国にもあった」などと発言した問題への視聴者の不信感は、2カ月以上たった今も払拭(ふっしょく)できていない。籾井会長は批判を受け、「個人的見解だった」と発言を取り消した。しかし、これらの発言は放送法で定められたNHKの政治的公平を揺るがしかねない。国内外の不信感を拭うには、さまざまな角度から多様な番組を放送して視聴者・職員の信頼に応え、自ら招いた事態について説明責任を果たすべきだ。

 ◇取材・営業現場、影を落とす

 籾井会長の軽はずみな発言は取材・営業現場に影を落としている。キャロライン・ケネディ駐日米大使の取材が難航し、NHK職員の労働組合は2月末に開いた緊急対話会で、中国で取材を拒否された事例を報告した。

 受信料収入にも深刻な影響が出かねない状況だ。NHKに寄せられた視聴者の批判は2万件を超えている。2004年のプロデューサー着服事件に端を発した一連の不祥事では、受信料支払率は03年度の77%から05年度の69%に急落した。8年かけて13年度は74%にまで回復したが、信頼を取り戻すには長い時間がかかることを示している。

 籾井会長の問題発言はいくつもあるが、その一つ「国際放送」を切り口に振り返ると事態の深刻さがよくわかる。

 「政府が右と言うものを左と言うわけにはいかない」。時の政権への追随を疑わせるとして不評を買ったこの発言も、国際放送に関して発せられた。籾井会長は「尖閣や竹島を諸外国の人に理解してもらうには、国際放送しかない」との持論を披露した。三井物産出身の籾井会長への期待の一つに国際感覚があり、自身も国際放送の強化を最大の目標に掲げて出発した。

 しかし、籾井会長の国際放送に関する認識がそもそも間違っている。国際放送に当たっては、国際番組基準で日本の立場を鮮明にするのと同時に、世論を正しく反映しなければならないことになっている。日本政府の立場を強調するだけでは不十分で、その問題の理解を助けるための多様な見解を伝える役割も担っているのだ。

 NHKは現在、外国人向けに約140の国と地域で24時間、英語放送を行っている。今年度からは新番組を増やし、日本の国際支援や文化を重点的に取り上げる。日本の存在感を主にアジアでアピールし、外国人観光客の呼び込みや日本製品の浸透といった産業の発展に結びつけるのが狙いだ。領土問題など国益が絡む政治課題について、日本の主張を伝えることが主眼の放送ではない。

 就任会見の前、籾井会長はこうした番組基準や放送内容の説明を受けていたが、聞き飛ばしたのか失念したのか、持論の展開に終始した。

 折しも、自民党の一部議員が昨年末、政府の主張を国際放送で戦略的に発信することを盛り込んだ要望書を安倍晋三首相に提出したところだった。首相も同じ見解を表明しており、一部の経営委員も同調する発言をしていた。

 そこに飛び出したのが、政権と軌を一にするかのような会長発言。これでは、役職員の信頼を遠ざけ、視聴者から「政権の意向に沿った考えを放送や編集に反映させるのでは」「役職員が会長の意向をそんたくするのでは」と疑いの目を向けられるのも当然ではなかったか。

 「ボルトとナットを締め直す」とも、籾井会長は就任会見で力説した。事実、その日のうちに理事10人全員から辞表を取り付け、「緊張感を持って一丸となるため」と説明した。だが、理事の一人は「信任されていないのか。会長が何を言おうと、むちゃなことなら現場には下ろさない」と不信感を募らせる。

 ◇「財界筋から吹き込まれた」

 日本ユニシスの社長時代にはそんな辞表を取っていないのに、なぜNHK会長になって強権的な行動に出たのか。複数のNHK関係者が「現政権と近い財界筋から吹き込まれている」と指摘する。

 私もこれまでの取材で「NHKはガバナンス(組織統治)が利かない」「人事のたびに怪文書が出回る」といった話を何度も耳にした。籾井会長がこうした組織風土を嫌って統治力を高め、改革を進めようとするのなら、その姿勢には一理ある。関連団体の不祥事の原因を究明する調査委員会を設置したのも、身内に甘