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覚え書:「書評:なぜ哲学するのか? ジャン=フランソワ・リオタール 著」、『東京新聞』2014年05月04日(日)付。


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なぜ哲学するのか? ジャン=フランソワ・リオタール 著

2014年5月4日


◆この世界生きる実践
[評者]雑賀恵子=評論家
 「哲学とは何か?」ではなく、「なぜ哲学するのか?」である。哲学(フィロソフィー)は、知(ソフィア)を愛すること(フィレイン)だ。愛すること、愛していること、つまりは欲望すること。そこから、問いは始まる。欠如があるから不在のそれへと向かう運動が欲望であり、哲学するというのは不在に対する運動だ。またソフィアは味わうと同じ意味であり、不在の対象に距離をとると同時に、運動の中にいて理解することである。
 いま生きて在るこの世界にないもの、生のなかに死があること、疎外や喪失、そして未(いま)だ獲得していない私たちの力。そうした不在に向ける欲望や愛が哲学であるなら、哲学するとはこの世界を生きる実践であり、平穏を装う世界に不在を指し示す政治的闘いでもある。ポストモダンの旗手とされたリオタールが、世界的な反体制運動の高まる直前の一九六四年、理系文系を問わず大学一年生を前に語りかけた四回の講義録が本書だ。
 社会全体を統合し人々が寄りかかれる近代の「大きな物語」が崩壊し、局所に分散したたくさんの「小さな物語」群が抗争するとき、「大きな物語」の再臨を待ち望むのか。それとも調停するのか。どういうふうに? 価値観の喪失から復権へと排他的ナショナリズムが声高に叫ばれる今、叫ぶ声に欠如しているものを聴きわけ、考え抜くこと。本書はその足場を固める舗石の一つである。
 (松葉祥一訳、法政大学出版局・2160円)
 Jean-Francois Lyotard 1924年生まれ。フランスの思想家。
◆もう1冊 
 G・ドゥルーズ&F・ガタリ著『哲学とは何か』(財津理訳、河出文庫)。混沌に向き合うための哲学の戦略・概説書。
    --「書評:なぜ哲学するのか? ジャン=フランソワ・リオタール 著」、『東京新聞』2014年05月04日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014050402000164.html:title]

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