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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『ある文人学者の肖像-評伝・富士川英郎』=富士川義之・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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今週の本棚:池内紀・評 『ある文人学者の肖像-評伝・富士川英郎』=富士川義之・著
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 ◆池内紀(おさむ)評

 (新書館・3888円)

 ◇父親の変身、精神的浄化を追って

 富士川家は三代にわたり学者がつづいた。祖父・富士川游(ゆう)(一八六五-一九四〇)は日本医学史研究の道を開いた人。父・英郎(ひでお)(一九〇九-二〇〇三)は、ホフマンスタール、リルケの優れた註解(ちゅうかい)・訳業をのこしたドイツ文学者である。その子、義之(一九三八-)はナボコフ、ワイルドの名訳で知られる英米文学者。このたび三代目が四〇〇ページをこえる『評伝・富士川英郎』を著した。タイトルにある「文人学者」をはさみ、二つの「富士川」が祭壇に献じた二つの花束のように並んでいる。きわめて稀有(けう)な、美しい文学的風景というものだ。

 子が父を語る。幼いころから、もっとも身近に接してきた。だからといって書きやすいことがあろうか。誰でも身に覚えがあるだろう。血縁というのは奇妙なものだ。息子や娘にとって父や母はテレくさい存在であり、必要がなければ離れていたい。近くて遠い他人、一つ屋根の下にいても姿の見えない人なのだ。親にとっても同様で、息子や娘はいちばん身近にいるというのに、えたいが知れない。何かあると感情的になって、言わずもがなのことまで言ってしまう。

 そもそも評伝は厄介なジャンルなのだ。他人の外面をとりあげるだけでなく、内面に踏みこんで心の表情までもとらえようとする。ときには自分の寸法に合わせて他人を裁断し、ひそかに自分の身づくろいをしていたりする。他人の寸法に合わせて他人を裁ちつつ、そこに自分の個性をひそませるのは並大抵のことではない。血の通ったもの同士には、他人よりもっとわかりにくい部分があるとすると、この三代目はいかに難しい課題をわが身に引き受けたことか。四〇〇ページをこえたところにも、なお呟(つぶや)きのような言葉が見える。「ここまで長々と書いて来て、わたしにとって、父は果たして見える人間になったのだろうか」

 優れた評伝である。書き始めたのは父の死後五年のこと。死が介在してようやく書くのに必要なへだたりができた。さらに五年がかりの仕事になった。親が子を産むのは十月十日(とつきとおか)でたりるが、子が親を生むには何倍もの歳月が必要だ。

 ドイツ文学者富士川英郎は実は半身であって、五十代をこえて以後は江戸漢詩文の世界に没頭した。一身にして二つの学問に通暁し、とりわけ後半生に、この人ならではの著作をなした。みずからも学者である息子には、父親のこの大転換がうなずけない。解けぬ謎だった。転換の始まりのころだが、親子ならではのエピソードがはさまれている。大学二年生の義之が神田の古書店めぐりをしていたとき、そば屋で父親を見かけた。「戸口と向かい合う位置の座席に腰かけていたわたしは、すぐに父の姿を認めたし、父もわたしに気づいた様子だった」

 仕入れたばかりの和書をとり出し、ゆっくりページを繰っている。そんなドイツ文学者に向けて、学者の卵は思ったものだ。まだまだやることはあるだろうに、趣味に走っている。おキラクな学的道楽者--その程度の理解だった。

 ほぼ十年後のことだが、富士川英郎が雑誌に連載中の「菅茶山と頼山陽」を作家石川淳が文芸時評にとりあげて絶賛した。「……その関係を説き、生活を叙し、詩文を語って、著眼かたよらず、表現また平坦(へいたん)、論をまぜずによく意をつくしている」(『文林通信』収録)。父親はとっくに、子の視界の及ばない高みに飛んでいた。

 「肖像」には、父親を「生む」ための道筋が丁寧にたどってある。祖父と父とのかかわり、祖父と森鴎外のこと、大正モダニズムに育った英郎の修業時代、萩原朔太郎への心酔、リルケとの出会い。あるおぼろげな予感に導かれるようにして、日記や書簡、書いたもの、同時代人の証言を参照しながら追っていく。おりにつけそのときどきの自分との「関係性」に及ぶ以外は、評伝作者におなじみの作法である。富士川英郎がリルケ学者としての学識を集大成した「ドゥイノの悲歌」の翻訳と註解は、ドイツ文学界では黙殺された。書評一つ出なかった。著者はつつましく筆を省いているが、当時のドイツ文学界の大御所とされた人の著書とぶつかり、学界全体が小役人的反応を示したせいと思われる。

 「もしも父の評伝の仕事を手がけていなければ」、知らずに終わった父親がつぎつぎにあらわれる。少年のころにまでさかのぼる江戸漢詩文のルーツ。人々が奇異にとった変貌は、英郎にとって「全く内発的な行為」であったことのおどろき。やがてうつうつとして不機嫌だった人が、のどかな温和な人に変わっていく。

 抑制された報告の文体をとったのは、血縁的くさみを排除するためだろう。父親の変身は、江戸の文苑を書くなかで、精神的浄化の過程があったことを示しているが、ねばり強く父をつづった評伝自体が、ひとつの精神的浄化のあとをとどめていて清々(すがすが)しい。それはみずからも学識に加え、芸文の才をそなえた文人学者にしてはじめてできることなのだ。
    --「今週の本棚:池内紀・評 『ある文人学者の肖像-評伝・富士川英郎』=富士川義之・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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