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2014年5月

覚え書:「吉野作造とキリスト教 企画展始まりオープニング講演会」、『大崎タイムス』2014年05月28日(水)付。


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吉野作造とキリスト教
企画展始まりオープニング講演会

大崎市古川吉野作造記念館 8月3日まで企画展

民本主義の根底にあった教え
「全ての人は神の子」大切に
講師の氏家氏が「関わり」語る

 大崎市古川の吉野作造記念館の20周年記念企画展「吉野作造とキリスト教」が25日から始まり、同日、オープニング講演会が行われ、東洋哲学研究所の委嘱研究員、氏家(うじけ)法雄さんが「吉野作造のキリスト教思想」と題し、吉野作造とキリスト教の関わりについて講演した。
 氏家さんは、大日本帝国憲法が発布され、信教の自由が認められた後の近代日本におけるキリスト教の特色として、「産業革命期で急成長していた都市部の学生に受け入れられた」と説明。
 「精神の修養としてキリスト教に入信する学生が多かった」とし、吉野が所属していた本郷教会でも「会員の約半数が学生を含む19~28歳の若者だった」と話した。
 さらに、吉野とキリスト教の関係については「吉野の思想や行動を語る上で、キリスト教は切り離せない存在。生涯キリスト教徒として信仰を大事にしてきた」と紹介。「吉野は『全ての人は神の子である』という教えを大切にしてきた。吉野が主張した民本主義の根底にはそうしたキリスト教の教えがあったのでは」と語った。
 この日は、一般市民など約30人が聴講。受講者は真剣な表情を浮かべ、時折メモを取りながら話に耳を傾けていた。
 同企画展は8月3日まで。入館料は一般500円、高校生300円、小中学生200円。入館時間は午前9時から午後5時まで。月曜(月曜祝日の場合は火曜)休館。
    --「吉野作造とキリスト教 企画展始まりオープニング講演会」、『大崎タイムス』2014年05月28日(水)付。

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覚え書:「世界の見方の転換 [著]山本義隆 [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。


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世界の見方の転換 [著]山本義隆
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2014年05月25日   [ジャンル]科学・生物 

■近代科学が開いた「無限成長」への道

 経済学を専門とする評者が、なぜ近代科学の道を開いたコペルニクスやケプラーらを扱った本書を取り上げるのか。2001年の9・11(米国同時多発テロ)や11年の3・11による東京電力福島第一原発事故に象徴されるように、21世紀は近代システム自体が綻(ほころ)びを見せていると評者は考え、近代成立の原点を理解しない限り、将来を思索できないと思ったからである。
 F・ブローデルの提唱した「長い16世紀」(1450-1640年)には、ルネサンス、宗教改革、大航海、17世紀科学革命など、数々の歴史的大事件が起こっている。しかし、近代の幕開けに際して、これらの関連づけが評者にはいま一つ不明だったが、本書を読んでそれらの関連性が明確に理解できた。
 キリスト教とアリストテレス自然学で強固に武装された中世の観念を打破するには、近代科学の誕生が不可欠だった。「ルネサンスのパラドックスのひとつは、それが科学的な運動ではなかった」ことだと本書はいう。「究極的には時代遅れになるところの古代の理論の再発見であった」。またルターの主張は「人文主義に通ずるところがあった」ものの、「まぎれもなく中世思想の継承者だった」。すなわち、ルネサンスと宗教改革は近代の立役者ではない。
 そうした認識のもとに著者は「15世紀中期から30年戦争にいたるまでの、北方人文主義と宗教改革を背景として中部ヨーロッパを舞台に展開された(略)総じて世界認識全般、の復活と転換」を語る。人文主義はイタリアからドイツに輸入されて宗教改革への道を準備する。宗教改革はメランヒトンらの大学改革を引き起こし、後に独天文学隆盛の礎を築くこととなる。
 15世紀ポーランド生まれのコペルニクスが「科学革命の最初の主導人物」となったのは「太陽中心説VS.地球中心説」の対立を導いたからではない。不動だと信じられていた地球を惑星の仲間入りさせ、「高貴なる天体と同一に扱ったことにより、天上から地上へと連なる貴賤(きせん)のヒエラルキーを破壊した」ためである。その結果、彼はキリスト教世界の「階層的秩序を解体」させ、「世界の均質化」をもたらし、「近代の真のはじまり」の栄誉に浴した。
 16世紀に独ルター派の貧しい家庭に生まれたケプラーは教育改革のおかげでティコ・ブラーエの膨大な天文観測データの利用機会に恵まれ、「天文学の物理学化」に成功し、「近代力学の思想の原型を生みだした」。
 資本主義の生成と限界を考えるうえでも本書は「広大無辺」のアイデアを与えてくれる。
 コペルニクスは「世界の無限」の概念をもたらし、ケプラーは宇宙に散らばる天体には常に「遠隔力が働く」という新しい見方を提唱した。これにフランシス・ベーコンが近代に持ち込んだ「進歩」という「イデオロギー」(前著『一六世紀文化革命』の終章)を考え併せることで、17世紀初めに誕生したオランダ東インド会社がそれまでの一度限りの事業清算型合資会社ではなく永久資本の株式会社として設立されたのもうなずける。無限に延びる時間と空間が会社に永遠の命を与え、近代は「成長」の時代となったのだ。
 だが、「長い16世紀」は一方で自然への「畏怖(いふ)の念」を抱え持っていた。純粋実験室の小世界で成り立つことを「生産の大規模化」に適用しようとする近代人の驕(おご)りが今の閉塞(へいそく)感を招いている。原発事故を「想定外」という軽々しい一言で済ませるのはその証左だ。本書あとがきの最後の1行にはしびれた。
    ◇
 みすず書房・1巻と2巻は3672円、3巻のみ4104円/やまもと・よしたか 41年生まれ。『知性の叛乱(はんらん)』『熱学思想の史的展開』など著書多数。本書は、大佛次郎賞を受けた『磁力と重力の発見』全3巻、『一六世紀文化革命』全2巻に続く3部作の完結編。
    --「世界の見方の転換 [著]山本義隆 [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「評伝 バルテュス [著]クロード・ロワ [評者]横尾忠則(美術家)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。


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評伝 バルテュス [著]クロード・ロワ
[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2014年05月25日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

■秘められた鏡の向こうに…

 画家はその作品において自ら伝記作家になり得る場合がある。バルテュスも作品を通して人生を記録し続けた。一般的に彼は作品の神秘と謎によって人生の秘境を制する孤高の画家と思われているが果たしてそうだろうか。
 もし彼の絵画を覚醒した網膜に映し出すなら、隠蔽(いんぺい)した秘密など何ひとつ存在しないことがわかるはずだ。絵画はその作者以上に正直である。絵画は画家の心の秘密さえ暴く魔力をその本質に有している。従って伝記作家は画家の生い立ちに関与した環境や事実や人物を歴訪する以前に徹頭徹尾、作品の凝視から怠惰であってはならない。作品はすでにその本性を裸出しているからである。
 さて、本書の多くはバルテュスの少年期に言及されている。特に芸術家は少年期にその人格が形成され、その時期の非言語的で不透明な感覚がその後の作品の源泉になるとすれば、彼が執拗(しつよう)に主題にする複数の変奏バージョンこそ彼の内なるアンファンテリスム(幼児性)であろう。児童文学の挿絵や絵本のスタイルの引用、または意図的に素朴で稚拙な表現、そして非西洋的な中国の風景、東方からやってきた奥方、画家の早過ぎる成熟期を彩る性的な戯れを暗示する少女王国の世界!
 この秘められた鏡の向こうの夢幻的、演劇的日常の「スキャンダル性を含みもつ」作品の作家は「快楽の画家」としての世間的「レッテルを定着させる」。だがこのような評価は女性を性的欲望の対象として見る男の視線である。
 むしろ少年期に「アリス」を愛(め)でた少年バルテュスの私的な体験による未知なる女性への憧憬(しょうけい)が、鏡や猫(バルテュス本人)と共にあの灰色の画面の中で永遠の未完を呼吸し続けることだろう。
 四年に一度しかやってこない日を誕生日とするバルテュスをリルケは、クラック(隙間)に入る者は時間の外に出ることに成功すると言った。
    ◇
 與謝野文子訳、河出書房新社・2592円/Claude Roy 1915-97。フランスの文学者。戦後の代表的知識人。
    --「評伝 バルテュス [著]クロード・ロワ [評者]横尾忠則(美術家)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「ブルーシート [著]飴屋法水 [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。


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ブルーシート [著]飴屋法水
[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)  [掲載]2014年05月25日   [ジャンル]文芸 ノンフィクション・評伝 

■その場、その時 代替不能な核心

 80年代の短い期間、東京グランギニョルという劇団を率いた飴屋法水は、解散後に現代美術の前衛として刺激的なインスタレーションを数多く提示。しかし、“動物商”となって発表をやめてしまう。
 私が実際の姿を見たのは10年ほど前、光の入らない白い箱の中に必要最小限の水と食料をもって24日間こもるという“展示”で再び現れた飴屋(とはいえ姿は見えない)が、箱から出てきた最終日のことだったと思う。過激なことをするけれど、他人の話によく耳を傾ける優しげな人物で、ますます興味がわいた。
 パフォーマンスや演劇に再び関わり始めた飴屋は、制作過程そのもの、舞台そのものの仕組みを根底から変えていく。例えば「わたしのすがた」では観客が1人ずつ地図を持ち、巣鴨の廃屋や廃ビルを回り、そこに実際にいた人物に思いをはせ、自己に照らした。
 今回岸田戯曲賞を受賞した『ブルーシート』でもそれは変わらない。いわきの高校生と作った公演には、そこで生きのびた高校生の身体と、震災で亡くなった人の遺体の記憶が渾然(こんぜん)となる。いわきの学校のグラウンドで上演されたことも代替不能な核心だ。
 賞の審査員たちの選評がパンフとなって挟まれていて、そこには“未来の上演を前提とするのが戯曲ではないか”“これは演劇ではあるが、芝居だろうか”といった、誠実で根源的な疑義が載っている。その場でこそよりよく成立する仕組みを飴屋は自然に選んでいくのだから、疑いは当然だ。
 併載された戯曲『教室』も実際の自分のパートナーと当時6歳の子供の3人で“家族”を演じる児童劇で、交わされる会話や行為の肌触りは、確かに別の座組で上演して再現出来るかどうかわからない。
 その場、その時、その関係を捨象せず、眠っている小鳥を持つような手つきで差し出す飴屋はしかし、確実に我々に経験をもたらす。読むことでもそれは心の底で起きる。
    ◇
 白水社・2160円/あめや・のりみず 61年生まれ。演出家、劇作家。『キミは珍獣(ケダモノ)と暮らせるか?』など。
    --「ブルーシート [著]飴屋法水 [評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 年金“多段階保険料”に」、『毎日新聞』2014年05月28日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
年金“多段階保険料”に
支払い能力に対応 滞納防止
宮武剛 目白大大学院客員教授

 もう20年余り「年金をもらうな」キャンペーンを一人で続けている。正確には「年金を『もらう』と言うのはやめよう」運動である。保険料を納め、その見返りに年金を受け取る仕組みなのに、なぜ誰もが「もらえる」「もらえない」と語るのか。
 典型は専業主婦(第3号被保険者、主夫も含む)だ。自分で保険料を払う必要がなく、夫を含む被保険者(第2号)全体の負担で基礎年金が支給される。「もらう」思いも無理はない。
 国民年金では「自営業者の所得把握が難しい」として、保険料は創設以来一律定額(現在は月1・5万円)。支払い能力は無視され、老齢基礎年金の半額(2008年度までは3分の1)が国庫負担だ。応能負担の原則に反する設計や高率の補助が負担と給付の緊張関係をゆがめ「もらう」意識の温床になる。
 厚生年金も、保険料は給与天引きで税金同様になり給付時は「もらう」気になりがちだ。
 専業主婦の負担を肩代わりする第2号には共働きや独身も含まれ、不満や批判は収まらない。
 受給者の「もらう」気が支給側を「あげる」気にさせる。旧社会保険庁の年金記録問題は、コツコツ納めた権利を粗末に扱った「あげる」意識の許しがたい結末だった。
 社会保険方式の年金の創始国ドイツでは制度ごとに被保険者が代表を選び、自治組織として運営される。政府が負担や給付を定めるので自治の裁量権はわずかだが、「もらう」意識は生じるわけがない。
 今年は5年ごとの「財政検証」にあたり、制度の持続可能性を点検しながら改革案が議論される。その際「あげる年金」から「受け取る年金」へ、理念も仕組みも改めて問い直すべきだ。
 最難関は滞納者が相次ぐ国民年金である。共通番号制度の導入などで所得把握を高めながら、支配能力に応じた保険料率への切り替えを模索したい。
 当面は全額、4分の3、半額、4分の1の「多段階免除」をもっと活用すべきだ。極端な例だが、家計が苦しく40年間ずっと半額納付でも老齢基礎年金の満額(月額6・4万円)の半分は国庫負担で、残り約3・2万円の半分も半額納付の見返りに支給される(計4・8万円)。
 この救済策はPR不足で、全額免除(申請)者は約240万人だが、4分の3は26万人、半額は15万人、4分の1は7万人にすぎない(12年度末)。
 「免除」と言うより「払うのが難しい時は保険料は4分の1、半額、4分の3になりますよ」と説明する方がはるかに理解を得やすい。滞納を防ぐためにも、支払い能力に応じた“多段階保険料”へ実質的に切り替えてはどうか。

国民年金と基礎年金 自営業者、零細な個人事業所従業員、非正規労働者らは国民年金に加入し、一定条件の下で基礎年金を受け取れる(老齢、生涯、遺族の各基礎年金)。保険料の納付率は59%(12年度、2年間の追納可能)。会社員らの厚生年金、公務員らの共済年金に加入すると自動的に国民年金にも入ることになる。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 年金“多段階保険料”に」、『毎日新聞』2014年05月28日(水)付。

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覚え書:「白夜の忌 三浦哲郎と私 竹岡 準之助 著」、『東京新聞』2014年05月25日(日)付。


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白夜の忌 三浦哲郎と私 竹岡 準之助 著

2014年5月25日


◆友が垣間見た文学観
[評者]出久根達郎=作家
 三浦哲郎氏は平成二十二年に亡くなられた。命日を白夜忌と名づけたのは著者で、おおやけの忌日名ではない。三浦の代表作『白夜を旅する人々』から取った、著者だけの名称である。
 こう詠んだ。「みちのくの寺で営む白夜の忌泉下の友としばし語りき」。語りあった事柄の一端をまとめたのが、本書である。
 三浦と早稲田大学仏文の同期で、同人雑誌の仲間である。著者は編集者志望であったが、三浦に、君も作家をめざすのだろうと問われて、とっさに、そうだと答えてしまう。三浦との友情を失いたくない一心の嘘(うそ)であったが、以来、二人の親密な交流が続く。
 三浦哲郎文学の本格的な評論と研究は、これからだろう。本書は若き日の三浦の言行を語って貴重である。照れ性の三浦は、まともに文学観を開陳しない。しかし、親友には何気(なにげ)なく散文のコツをもらした。「影を描くんだ。そうすればその物が浮かび上がってくる」
 著者は三浦からもらった手紙を大事に保存した。芥川賞受賞までの信書が百二十通余ある。ほんの一部が紹介されているが、手紙を含めて著者には更(さら)に思い出を語っていただきたい。どんな些末(さまつ)な事柄でもよい。三浦文学研究のためである。これは親友の義務である。著者には良き語り部の美質があるゆえに切望する。
(幻戯書房・2376円)
 たけおか・じゅんのすけ 1934年生まれ。出版社経営、文筆家。
◆もう1冊
 三浦哲郎著『白夜を旅する人々』(新潮文庫)。きょうだいから自殺者や失踪者が出た青森の一家を描く長篇小説。
   --「白夜の忌 三浦哲郎と私 竹岡 準之助 著」、『東京新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「川の光2 タミーを救え! 松浦 寿輝 著」、『東京新聞』2014年05月25日(日)付。

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川の光2 タミーを救え! 松浦 寿輝 著

2014年5月25日


◆東京を横断、成長の旅
[評者]井口時男=文芸評論家
 移住するクマネズミ一家の冒険を描いて著者の意外な新生面を開いた傑作『川の光』の続篇。とはいえ前作を読んでいなくても堪能できる。
 前作でも活躍したゴールデン・レトリーバーが稀少(きしょう)動物を売買する兄弟に誘拐された。心優しい彼女を救出すべく七匹の動物がチームを組む。頭脳明晰(めいせき)な小型雑種犬をリーダーに、わがままでおっちょこちょいなジャーマン・シェパード、前作の主人公だった小さなクマネズミ兄弟、誇り高い若きクマタカ、おきゃんなスズメ、そして酔いどれのドブネズミ。大小さまざま、ちぐはぐでちょっと頼りないこのチームが、東京横断の大遠征に出発するのだ。
 動物たちには大都会は危険がいっぱい。協力し合って困難を乗り越えながら、お互いの信頼が出来ていく。東京の地理や環境をきちんと踏まえているし、動物たちそれぞれの個性がくっきりと造形されているので、彼らの心理の動きにもリアリティーがある。読者ははらはらしながら、時々くすりとしたり、ほろりとしたりする。児童向けの設定だが、大人も十分楽しめる作品に仕上がっている。
 冒険の旅は成長の旅でもある。彼らは冒険を通じて、自由や責任、愛や友情といった人生の重要な徳目を学ぶのだ。なかでもジャーマン・シェパードの成長ぶりは読者の心を打つはずだ。
(中央公論新社・2052円)
 まつうら・ひさき 1954年生まれ。小説家・詩人・批評家。著書『半島』など。
◆もう1冊
 キャスリン・ラスキー著『ガフールの勇者たち』(1)~(15)(食野雅子訳・メディアファクトリー)。フクロウ王国の物語。
    --「川の光2 タミーを救え! 松浦 寿輝 著」、『東京新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「【書く人】現代との格闘見つめ 『宮崎駿論 神々と子どもたちの物語』 批評家・介護労働者 杉田 俊介さん(39)」、『東京新聞』2014年05月25日(日)付。


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【書く人】

現代との格闘見つめ 『宮崎駿論 神々と子どもたちの物語』 批評家・介護労働者 杉田 俊介さん(39)

2014年5月25日


 子どものころからスタジオジブリの宮崎駿監督アニメを「血とし、肉としてきた」という「純粋ジブリ世代」の著者が、宮崎アニメの全体像を論じた一冊だ。
 「書こうと思った直接的なきっかけは、東日本大震災と原発公害事故の衝撃です。大地震や津波、放射性物質に汚染された大地などが繰り返し描かれてきた宮崎さんの世界が、現実と重なって見え始めた。今思えば、ひたすら現代と格闘している宮崎さんの苦しみ方が、ずっと気になっていたのだと思います」
 自身の子育ても関係している。四歳の長男は宮崎アニメの大ファン。この二年間ほど、「となりのトトロ」などを一緒に何十回も見た。「主人公に感情移入した少年時代と違い、大人の登場人物の目線も含めて作品を見るようになった。宮崎アニメにきちんと向き合いたいと思いました」
 本では宮崎さんの伝記的記述をはじめ、「風の谷のナウシカ」以降の各作品について論考を重ね、宮崎アニメに込められた思想とその軌跡を浮き彫りにした。
 例えば「トトロ」で描かれる美しい自然と、「ナウシカ」に出てくる有毒ガスに満ちた「腐海(ふかい)」。「この二つが宮崎さんの中では地続きになっている」と気付いたという。「自然は人間が共感できるようなものではない。汚染された大地も自然です。それを受け入れた上で、宮崎さんは人間に何ができるのかを考えた」
 破局に向かう世界を描きながらも、宮崎さんは絶望しない。そこでは「子ども」が大きな意味を持つ。「子どもたちから大人が学ぶという基本感覚がある。自然の中を走り回る子どもという存在に立ち返る。そこから考えれば間違いないというメッセージがある」
 文学や労働問題の批評を書く傍ら、十年以上前から障害者のヘルパーとして働いてきた。「自分自身の生き方」と重ねて作品を論じた。「ナウシカは人間がほかの生き物よりも優れているとは考えない。私も介護の仕事を始めて、弱者を支援するつもりが、逆に自分が助けられていることが分かりました」
 宮崎さんは引退を表明したが「ぜひまた大作を」と願う。「『風立ちぬ』がゴールだとは思えない。創作意欲が消えたわけではないと思うので、すべてを注ぎ込んだ巨大な作品をつくってほしいですね」
 NHKブックス・一六二〇円。 (石井敬)
    --「【書く人】現代との格闘見つめ 『宮崎駿論 神々と子どもたちの物語』 批評家・介護労働者 杉田 俊介さん(39)」、『東京新聞』2014年05月25日(日)付。

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書評:徳永恂『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』岩波新書、2009年。


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徳永恂『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』岩波新書、読了。「断層は時に地殻を揺るがして、不動と見えた既成秩序を崩壊させ、新しい地層の断面を露出させる。そして差異のうちに共通性を、共通性の内に差異を見出す」。本書は20世紀思想を貫く断層をその内部から描き出そうとする試み。

「神の力」から解放された20世紀は戦争と物質文明に翻弄された「神なき時代」。思想家たちはどのように格闘したのか。本書はウェーバー、フロイト、ベンヤミン、アドルノの4人をとりあげ、ハイデガーを対称軸にその思想を読み解く。

一元的価値観が崩壊した時代を「多価値」という分裂に対峙する「責任の倫理」を使命としたウェーバー。3つの一神教を相対化させるフロイト。「救済無き啓示」を希求するベンヤミン。救済なき哲学を徹底的に否定するアドルノ。

「われわれが生きているのは『アウシュヴィッツ以後』の社会であって『ソクラテス以前』のギリシャの自然ではない。しかし前者が現実で後者が夢だというわけではない。両者のはりつめた緊張関係こそ現実」。断層を読む著者の遺言の如き一冊。

(なお蛇足)新書という大変に圧縮された紙幅で、思想家を読むという妙技を見せてもらった感。さすがというほかない。

 

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 思想史というものを、当今の実証主義的認識理想や事実信仰にもとづく視野狭窄から解き放って、本来の「大きな物語」という広野に帰すためには、むろんさまざまな方法論的反省が必要であり、既成の哲学的前提を、自明のことのように前提するわけにはいかない。そのためには、まず過去から未来へ単線的に流れる時間という「時間概念」と、その流れに沿って通時的に叙述するのを自明とする「歴史記述」のコンセプトを解体しておく必要があるだろう。過去から未来への飴のように延びた時間に沿って、しかしその流れの外、流れの傍に立って、そこでの出来事を順を追って記述するのが歴史だと思うのは錯覚であろう。
 歴史を見る・読む・書くという言語行為の主体は、流れる時間のただ中にあって、共に流れつつ、自らが切り開き、せき止める断面を通して流れを透視し、その重ね合わせられた断面を透して歴史を言語化し、視覚的な図像へと構成する。そのように物語ることに伴う視座制約性への反省は、正しい歴史認識の条件であるとともに、また錯誤の源泉をも意識させる。プラトンの「洞窟の比喩」における囚人たちと同じように、壁面に映る幻影の惑わしを、歴史を見る者も避けるわけにはいかない。
    --徳永恂『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』岩波新書、2009年、234-235頁。

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覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『寄生虫なき病』=モイセズ・ベラスケス=マノフ著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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今週の本棚:養老孟司・評 『寄生虫なき病』=モイセズ・ベラスケス=マノフ著
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊


 ◇『寄生虫なき病(やまい)』

 (文藝春秋・2376円)

 ◇ヒトの生物多様性、どう回復していくか

 ちょっと意味がとりにくい表題か。寄生虫がいないことが病気だ。そういい換えれば、わかりやすいかもしれない。

 じつは寄生虫に限らない。常在細菌、つまりわれわれの腸の中に住んでいる細菌も、ここに含まれる。こういう生きものたちは、本来ヒトという動物と数百万年一緒に暮らしてきた。近代的な、衛生的な環境に住むことで、それが不在になると妙な病気が起こる。それがこの本の主題である。

 著者はアメリカの科学ジャーナリストで、円形脱毛症から始まって、完全に頭が禿(は)げてしまっている。これはじつは自己免疫疾患で、つまり自分に対する一種のアレルギーが原因である。さらにアトピー性皮膚炎も、花粉症もある。そういう病気を抱えているため、著者は免疫に強い関心を持つ。その結果がこの本になった。

 そうした調査の結果、著者は自分自身に対しても実験を行う。自分自身を鉤虫(こうちゅう)に感染させたのである。アレルギーに効く可能性があるというので、アメリカでは鉤虫の供給がいわばアンダーグラウンドで行われている。著者はその面もきちんと調査、報告している。その結果は読んでのお楽しみだが、むろん完全な治癒ではない。

 こうした紹介をすると、「花粉症には寄生虫が効く」といった、インチキな宣伝本かと思う人もあるかもしれない。それはまったく違う。著者がふつうの医師と違うところは、自分自身が患者だということである。だから寄生虫感染の効果にしても、まさに体験的に説明される。自分ではなく自分の娘相手なら、こうした治療は施したくないとも書く。

 本書を読んでいると、面倒になって放り出したくなるかもしれない。ある意味ではそれがまともな現代人の反応であろう。なぜなら免疫系の機能は複雑で、寄生虫を飲んだら花粉症が治った、というような、原因と結果が一対一で対応するような単純な事象ではないからである。とくに自己免疫疾患は面倒で、それには多発性硬化症や自閉症といった、近年おそらく増え続けている厄介な病気も含まれている可能性が高い。

 こうした病はしばしば免疫系の過剰な反応で生じる。その反応を制御するシステムがあるが、それはたとえば幼少期に適当な刺激に触れて、いわば「教育される」必要がある。衛生的な環境はそれを与えない可能性が高い。欧米の場合、家畜小屋に出入りする人たちのアレルギーの発症率は明らかに低い。子どもの場合も同じである。

 著者は人体を超個体と呼ぶ。そこには細菌や寄生虫を含めて、多数の生きものが共存してきた。そうした「生態系」が現在壊れつつあり、あるいは壊れてしまっている。ヒトという超個体における生物多様性をどう回復していくか、それが著者の最終的な結論となると考えていい。

 最近『「ストーカー」は何を考えているか』(新潮新書)を読んだ。一つ、印象に残った文章がある。「自然相手の職業(農業者など)に就いているストーカーは不思議といない」。よりよい世界を作ろうとして、善意で災厄を招くのは、ヒトが繰り返して行ってきたことである。そうした世界を正すのは、じつは面倒で、ややこしいことである。この本はそれを丁寧に教えてくれる。一言にして尽くされる真理、そういうものを信じてはいけない世界になっていると私は思う。

 読むのに手間のかかる本だが、実際の世界はじつはこういうものである。病気を理解するにも辛抱が大切、というしかあるまい。(赤根洋子訳)
    --「今週の本棚:養老孟司・評 『寄生虫なき病』=モイセズ・ベラスケス=マノフ著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:ガルシア=マルケス=小野正嗣・選」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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今週の本棚・この3冊:ガルシア=マルケス=小野正嗣・選
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊

 <1>族長の秋(ガルシア=マルケス著、鼓直訳/集英社文庫/864円)

 <2>コレラの時代の愛(ガルシア=マルケス著、木村榮一訳/新潮社/3240円)

 <3>百年の孤独(ガルシア=マルケス著、鼓直訳/新潮社/3024円)

 破格の作家である。書いた長編小説のすべてが傑作で、どれも文体と手法が異なる。しかもそれら傑作群を通して、<文学>の長く複雑な歴史を生き直した。そんなことができたのはガルシア=マルケスだけだ。

 カリブ海の架空の小国の独裁者の死を描いた『族長の秋』は実験的な小説だ。物語を追っているうちに、頁(ページ)から立ち昇るいつ果てるとも知れない過剰な生の熱気と死の腐臭に圧倒され、目まいを覚える。百年近く国家に君臨したとされる年齢不詳の大統領の遺体の描写から、その死に至るまでの途方もない生涯が、「われわれ」民衆の視点から語り出されるのだが、そこに大統領自身も含むさまざまな個人の意識や言葉が変幻自在に編み込まれる。散文詩でも呪文のようでもある音楽的な文章は、小説における二十世紀的な方法意識の一大到達点であろう。

 『コレラの時代の愛』は一転、小説の黄金時代とも言える十九世紀的な長編小説であり、究極の恋愛小説でもある。なにせ愛する女と一緒になるのを五十一年九ケ月と四日(!)待ち続けた男の物語なのだ。半世紀も待つなんてありえない? ところが言葉の魔術師ガルシア=マルケスは、舞台となる十九世紀から二十世紀初頭のコロンビアのカリブ海沿岸(彼の出身地でもある)の風俗や街並みを、そこを満たす人々の声、物音、匂い、空気の肌触りまで伝わってくるほど徹底的に描き込むことで、現実を超えるリアリティーを出来(しゅつらい)させる。彫琢(ちょうたく)された表現が石のように積み上げられ、壮麗な大伽藍(だいがらん)になっていく。読後、その崇高さの前に立ち尽くす我々の耳に、永遠を告げる鐘の音さながら主人公の最後の台詞(せりふ)の余韻がいつまでも残る。

 そしてもちろん『百年の孤独』。マコンドという町を創建したブエンディア一族という「百年の孤独を運命づけられた」家族の栄華と滅亡を語るこの小説で、ガルシア=マルケスは、世界中、とくに植民地化や近代化を強いられた非西洋地域の作家たちに深い衝撃、進むべき指針と励ましを与えた。錬金術さながら、ギリシア悲劇、中世の騎士道物語、ラブレーやセルバンテス的伝統、民話やお伽噺(とぎばなし)を、近代西洋の発明した小説という器に溶かし込み、辺境の土地に息づく豊穣(ほうじょう)な<語り=騙(かた)り>の炎で煮立て、誰も目にしたことのない<不滅の宝>を取り出した。その製法をこの小説に残して、我らが愛する魔法使いは永遠に旅立った。心から黙祷(もくとう)。
    --「今週の本棚・この3冊:ガルシア=マルケス=小野正嗣・選」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「書評:博物誌 世界を写すイメージの歴史 S・ピーター・ダンス 著」、『東京新聞』2014年5月25日(日)付。

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【書評】

博物誌 世界を写すイメージの歴史 S・ピーター・ダンス 著

2014年5月25日


◆人は命をどう見てきたか
[評者]高山宏=大妻女子大教授
 十九世紀に生物学という言葉ができ、やっと二十世紀になってダーウィンのような研究者がサイエンティストと呼ばれるようになる以前、動物や植物を扱う分野はナチュラル・ヒストリーと呼ばれ、担う人たちはナチュラル・ヒストリアンと呼ばれていた。
 一九八○年代前半、『図鑑の博物誌』ほかで傑物荒俣宏が組織的紹介を試みて以来、日本語で「博物学」と訳されるのが普通のナチュラル・ヒストリーは一種ブームとなり、澁澤龍彦から中沢新一にいたる画期的な批評の文体そのものが「博物学的文体」と言われて一定のファンを獲得してきたはずなのだが、肝心の生物学が分子生物学の大流行以来、極度に専門化してしまい、「生命の学」としての成立の歴史など、ゆっくり勉強できる場がないのが現実である。地球温暖化や「3・11以後」など、一生物としての人間とその環境世界との関係をゼロから考え直すべき今、ナチュラル・ヒストリー全体を基本から整理し、最大級の射程の史的展望を与えてくれる古典の邦訳は貴重。
 一九九○年代初め、博物学展望の究極の一冊を訳そうとした評者、悩みに悩んで逸話に妙のあるリン・バーバーの『博物学の黄金時代』を選びながら、ダンスの本書にずっと未練を残してきた。名作二作の邦訳は感激だ。
 古代からルネサンス、そして当然ながら啓蒙(けいもう)時代、ヴィクトリア朝へ、濃密の度を増しながらの博物図鑑史の展望は過不足なく、ほとんど達芸。原書はこの邦訳の四倍の大きさの高価本だったはずだが、縮刷判型、縮刷図版でも彩色無彩とり混ぜて約四百点という図版が圧倒的魅力である。
 コストのかさむ博物図譜は予約出版だったそうである。予約してくれる良い客には大きな彩色図版を提供し、普及版の方の図版には色がつかないというような出版戦略のコツの話など実に面白い。小さくはするが安く提供というこの邦訳本自体、そうした博物図譜の大衆化の歴史そのもので、笑える。
(奥本大三郎訳、東洋書林・4860円)
 S.Peter Dance 作家・博物史家。共著『世界海産貝類大図鑑』など。
◆もう1冊
 ロバート・ハクスリー著『西洋博物学者列伝』(植松靖夫訳・悠書館)。古代ギリシャから十九世紀までの博物学者の人と仕事を紹介。
    --「書評:博物誌 世界を写すイメージの歴史 S・ピーター・ダンス 著」、『東京新聞』2014年5月25日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014052502000174.html:title]

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日記:丸山眞男の吉野作造観


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 もともと政治学の非力性は今日にはじまった事ではなかった。他の法律学なり経済学なりにおいては、嘗て一定の歴史的段階に適応していた概念構成乃至方法論が今日の激動期に対してそのままで通用しなくなったというところに問題があるのであるが、これに反して、政治学の場合には、少なくとも我国に関する限り、そもそも「政治学」と現実の政治とが相交渉しつつ発展したというようなためしがないのである。*1
 みずからの地盤と環境とから問題を汲みとって来るかわりに、ヨーロッパの学界でのときどきの主題や方法を絶えず追いかけているのが、わが学界一般の通有する傾向であり、そこに学問の観念論的有利も胚胎するわけであるが、このわが国の学問のもついわば宿命的な弱さを集中的に表現しているのが政治学である。学問とその現実的対象との分裂はここでは救いがたいまでに深刻である。
*1 我国の過去の政治学者で、その学説を以て元も大きな影響を時代に与えたのは、いまでもなく吉野作造博士である。大正デモクラシー運動は吉野博士の名を離れて考えることは出来ない。しかし吉野博士の民本主義に関する諸論文は理論的というよりむしろ多分に啓蒙的なものであり、博士の学問的業績としては政治史とくに日本政治史の方が重要である。ともあれ、博士は上の点でユニークな存在であることは否定できない。
丸山眞男「科学としての政治学 その回顧と展望」、丸山眞男(松本礼二編注)『政治の世界 他十篇』岩波文庫、2014年、14-15頁。

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丸山眞男『政治の世界 他十篇』岩波文庫、読了。1947年から60年までの丸山眞男の代表的論文を収録する一冊。政治と政治学、権力の政治学、政治学入門、市民のための政治学のテーマで、専門科学としての政治学の特質と方法、基礎概念について詳論。政治をどう考えるのか。丸山の思索は宝の山だ。

編注と解説は松本礼二氏。解説は優れた丸山論。「丸山眞男の政治学において、高度に専門的な理論的探究と市民の政治的実践、それを支える政治教育とが、使い分けでも切り離しでもなく、有機的につながり合い保管し合っていることを見失ってはなるまい」。

概要はさておき、吉野作造への言及があるのでチト紹介しておきます。

冒頭に収録されているのが「科学としての政治学 その回顧と展望」(1947)。この論説で丸山は、敗戦によって再出発を迫られた日本の政治学の過去を厳しく反省し、欧米の学説の祖述・解説を超え、日本の政治的現実そのものと取り組むべしと課題を提示した。いわば、戦後日本の政治学の出発点となる論考といえよう

丸山はこの論文で、吉野作造の業績にひとことコメンタリーを加えておりますが、現実の戦前・戦中の日本の政治学の歩みは「非力性」として特色づけられるけれども、吉野作造の歩みはユニークと評価しています。

いわく、「我国の過去の政治学者で、その学説を以て最も大きな影響を時代に与えたのは、いうまでもなく吉野作造博士である。大正時代のデモクラシー運動は吉野博士の名を離れて考えることは出来ない。しかし吉野博士の民本主義に関する諸論文は理論的というよりむしろ多分に啓蒙的なものであり、博士の学問的業績としては政治史とくに日本政治史の法が重要である」。

脚注では「少なくとも我国に関する限り、そもそも『政治学』と現実の政治とが相交渉しつつ発展したというようなためしがないのである」と付け加えておりますが、「『政治学』と現実の政治とが相交渉しつつ発展したというようなためしがない」意味では、まさに吉野作造の歩みはユニークなそれになる訳ですが、この吉野に対する評価というのは、敗戦を境に戦前(戦中)と戦後の文脈がまったく切り離されて論じられる戦後日本の学術界のスタイルに照らし合わせてみると、……民主主義の議論もそうですが……、戦前日本の中に、その助走を見出す丸山はさすがといいますか。

水脈を否定しない丸山眞男には瞠目してしまいます。

 

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『郡山物語』=菊池信太郎、柳田国男、渡辺久子、鴇田夏子・編」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『郡山物語』=菊池信太郎、柳田国男、渡辺久子、鴇田夏子・編
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊

 (福村出版・1620円)

 震災と原発事故の被害に直面した福島県郡山市で子どもたちのケアに奮闘した人々の記録。小児科医の小さなつながりが核となり、運動の輪が広がっていく物語が描かれる。

 震災直後、都内の病院に勤める鴇田(ときた)が慶応大小児科学教室で同期生の菊池にかけた電話が発端だった。菊池の「子どもたち、まずいよ」という沈痛な声に背中を押された鴇田は、二人の恩師である渡辺とともに郡山を訪れる。まもなく絵本の読み聞かせで渡辺と交流がある柳田も加わった。この4人が本書の編者だ。

 最初は外遊びもままならない子どもたちのPTSD(心的外傷後ストレス障害)予防が主眼だったが、そのうち「体を思い切り使える遊び場」を作ろうと考える。貸し会場で遊びのイベントを行ったところ、それを知った地元スーパーの社長が建物を提供してくれた。大規模な屋内遊び場「ペップキッズこおりやま」がわずか3カ月で完成、クリスマスに間に合った。社長は少年時代に見た黒澤明監督の映画「生きる」の主人公のように、地域のために役立つことをしなければと考えたそうだ。

 参加した人それぞれの思いが、生の声で響いてくる本である。(冠)
    --「今週の本棚・新刊:『郡山物語』=菊池信太郎、柳田国男、渡辺久子、鴇田夏子・編」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:白石隆・評 『伝説のFRB議長 ボルカー』=W・シルバー著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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今週の本棚:白石隆・評 『伝説のFRB議長 ボルカー』=W・シルバー著
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊


 (ダイヤモンド社・3780円)

 ◇米国のマクロ経済運営とその政治過程を知る

 1979-87年にアメリカの連邦準備制度理事会(FRB)議長を務めたポール・ボルカーの評伝。

 一般に、ボルカーについては、三つの功績が挙げられる。その一つは、ニクソン大統領の財務省通貨担当事務次官として、1971年の金ドル兌換(だかん)停止の決定、これをきっかけとするブレトン・ウッズ体制の崩壊、変動為替制への移行に大きな役割を果たしたことである。もう一つは、FRB議長として「大インフレ」を抑え込み、財政赤字の「マネタイゼーション」を拒否して、「健全な通貨」「責任ある財政」の実現に貢献したことである。そしてもう一つは、2010年成立の金融規制改革法の中心をなす「銀行の市場取引規制ルール」、いわゆる「ボルカー・ルール」策定における貢献である。しかし、本書の焦点は、そのタイトルの示唆する通り、あくまでFRB議長としてのボルカーの役割にある。

 アメリカでは1970年代は大インフレの時代だった。1955-64年の物価上昇率は年平均2%未満、これが1965-74年には5%超にはねあがり、1979年には13%に達した。ボルカーは、1979年にFRB議長に任命されると、インフレ抑えこみのために、FRBの「市場操作手法」を変更した。その要点は、短期金融市場における金利の乱高下拡大のリスクをとっても、マネタリーベース、つまり、「通貨および関連する貨幣集計量」をコントロールしてインフレを抑えこもうとすることにあった。そこでの考え方は、インフレを抑えこむには人々の「インフレ期待」を変えるしかない。しかし、そうした期待は口約束や政府発表で変えることはできない。「制度の変更--それも何十年に一度という決定的な、多くの人に信頼される、議論の余地のない、不可逆の制度の変更」によってはじめて、変えることができる。ボルカーはこれを市場操作手法の変更で行った。

 これはうまくいった。物価上昇率は1981年末までには4%以下に下がった。しかし、それでも、長期金利は下がらなかった。10年物国債の利回りは1981年に12%から14%に上昇した。政府(大統領)と議会が財政赤字の責任を押し付け合って、連邦政府予算の構造的赤字が持続したためである。

 では、どうするか。政府と議会はFRBがマネーサプライを拡大して、財政赤字を埋め合わせることを期待した。しかし、ボルカーは財政赤字の「マネタイゼーション」を拒否した。財政赤字のために金利が高止まりすれば、いずれ社会的に批判が高まって、議会と政府は財政赤字の削減に追い込まれる可能性が大きい。ボルカーにはそれがわかっていた。こうして1984-85年の危機が到来した。10年物国債の利回りは1984年5月には14%近くまではねあがった。景気が拡大し、民間部門の借り入れが増加して、国債の利回りが上がり、政府の借り入れと民間部門の借り入れがぶつかった。そうした中、1985年にはついに「1991年までに財政赤字ゼロ」を求めるグラム・ラドマン・ホリングス法が成立した。

 このように、ボルカーFRB議長の時代に、アメリカのマクロ経済運営には大きな転換があった。本書では、「健全な通貨」、「健全な財政」、人々のもつ「期待」、そして「中銀総裁」ボルカーに対する「厚い信頼」の重要性がくりかえし指摘される。アメリカにおけるマクロ経済運営とその政治プロセスを理解する上で絶好の本である。(倉田幸信訳)
    --「今週の本棚:白石隆・評 『伝説のFRB議長 ボルカー』=W・シルバー著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140525ddm015070029000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:大竹文雄・評 『労働時間の経済分析』=山本勲・黒田祥子著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。


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今週の本棚:大竹文雄・評 『労働時間の経済分析』=山本勲・黒田祥子著
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊

 (日本経済新聞出版社・4968円)

 ◇正規雇用の労働時間、25年前とほぼ同じ

 「日本の1人当たり平均労働時間は1980年代末以降、傾向的に減少している」というのは事実だろうか。

 「そんなはずはない」、「長時間労働が続いて困っている」、「ワーク・ライフ・バランスなんて全く取れていない」という声が聞こえてきそうだ。

 実は、日本の1人当たり平均労働時間は、どのような統計を使っても傾向的に減っていることが確認できる。「それが事実だとしても残業代がつく労働時間だけで、サービス残業まで含めれば、労働時間が減っているはずがない。統計がおかしいだけだ」という反論もありそうだ。

 平均労働時間が減少しているにもかかわらず、長時間労働が問題となっているというのは、私たちの認識が間違っているということなのだろうか。もし、長時間労働が事実だったとしたら、なぜ日本人は長時間働くのだろうか。長時間労働を解消して、仕事と生活のバランスを取ることは可能なのだろうか。

 労働経済学者である著者の山本勲氏と黒田祥子氏は、こうした問題に対して、様々なデータを駆使して実証的な答えを与えてくれる。なかでも、「社会生活基本調査」という15分刻みの行動を調べたデータを使った分析は興味深い。

 1人当たり平均労働時間が減少してきているにもかかわらず、私たちは長時間労働をしていると感じているのは、なぜだろうか。著者たちの回答は、つぎのとおりだ。平均労働時間が減少したのはパートタイム雇用者の比率が上昇したことが原因で、フルタイム雇用者の平均労働時間は25年前とほとんど変化していない。しかも、フルタイム雇用者の平日の労働時間は、週休二日制の普及のため、増加している。長くなった平日の労働時間は、毎日約22分の睡眠時間の減少という形でしわ寄せが及んでいた。

 人がどのような時間に働いていたかを明らかにしてくれるのが、15分刻みの行動を記録したデータの面白さだ。本書によれば、1990年代から2000年代にかけて、平日の深夜や早朝の時間帯で働く人が、非正規労働者を中心に増えたそうだ。では、なぜ深夜や早朝に働く非正規雇用者が増えたのだろうか。著者たちは、正規雇用者の平日の労働時間の長時間化が帰宅時間を遅くし、それが深夜の財やサービス需要を増やしたことが背景にあることを、統計的な分析から明らかにする。

 裁量労働制になると、私たちの労働時間は長くなるのだろうか。本書の分析によれば、不況期にはそうなる可能性があることが示されている。転職が難しい状況が労働者の交渉力を弱めてしまうからだと、著者たちは説明する。

 国際的にみて、日本人は長時間労働だと本当に言えるのだろうか。著者たちの答えはイエスだ。通常の労働時間でみても、仕事と育児・家事を合わせた労働時間でみても、日本人は米国人よりも長時間労働をしている。残念なことに、日本の1時間当たりの生産性は経済協力開発機構(OECD)諸国の中で下位である。それに、日本人は希望する労働時間よりも長く働いている人の比率が他国よりも高い。しかも、希望する労働時間そのものも外国よりも長い。長時間労働でメンタルヘルスを悪化させている人も多い。こうした日本人の特徴は、日本人の特性というよりも日本の企業社会という環境が原因であり、ワーク・ライフ・バランスも生産性もあげる可能性があることが実証的に示されていることは、読者に希望を与えてくれる。
    --「今週の本棚:大竹文雄・評 『労働時間の経済分析』=山本勲・黒田祥子著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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日記:両極端を避けて生きるということ:吉野作造の中庸


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吉野作造記念館にて講演して、特別展示「吉野作造とキリスト教」をざざっと鑑賞しての雑感を忘れないうちに一通り。基本的に吉野のふるさと・古川では作造よりも弟の信次(戦前に商工大臣を務め戦後は運輸大臣)の方が有名というのをどこかで読んだけど、研究員の方に聴いたらやはりそうでした。

吉野作造がデモクラシーいわば「目に見えない」戦いをしたとすれば、弟の信次は、やれ橋を作ったのだとか、やれ道路を整備しただのとか、具体的に「目に見える」戦いをしたと対比できる。形而下と連動した形而上の優位を語ることに吝かではないし、目に見えるを否定しても始まらないので複雑な感慨でした。

「目に見えるもの」との断絶こそインテリゲンチャのドクサだし、橋を整備してくれてありがとうって、吉野信次だけじゃない訳でね。僕は郷土愛がナショナリズムへ収斂することの必至との経緯から、距離をおいているけど、生まれの香川県でも同じで、南原繁よりも大平元首相だから、笑えない話でもあるわけで、せめてもいなおってもはじまらない。

しかし、吉野作造記念館ができることによって、地域の人々で、吉野作造に関心をもち、記念館が一つのネットワークの拠点として機能し、関心をもった人々が、読書会(200回以上とのこと!)や勉強会をして、吉野作造に学ぼうという草奔の自発には驚くと同時に、最敬礼でもありました。

その日は、近代日本キリスト教史の特色(修養倫理的受容・ホワイトカラーの宗教)を紹介した上で、吉野作造は修養倫理としてキリスト教を受洗しましたが、内面に閉じこもる修養倫理的ホワイトカラー的受容に収まりきらなかったことをお話しました。

キーになるのは(1)吉野作造の人間観としての「神子観」、(2)(どの宗教でもそうですが、信仰に薫発されて社会運動に従事する場合で多いのが、社会活動に熱心になるあまり、それについてこない教団から「卒業」してしまうケースが多いのですが)教会に留まり続けた吉野の理由として、

(2-1)対等な人間関係としての信仰者共同体による相互訂正の必要性、

(2-2)吉野は、信仰対象と「私」の間にはいかなる介雑物もはいらないのが宗教生活の理想と見ますので、その理想から信仰共同体に限らず、人間が複数集まり、共に暮らす上においては「無強制」が理想であると考え、天皇制を相対化し、来るべき社会を「人道主義的無政府主義」と展望するのですが、それは同時に、信仰共同体の現在のていたらくをも批判する刃として機能しているが如く、いうならば、世俗外変革によって「一気」に変革するのではなく、不断の「世俗内変革」によって変えていこうという意思と実践の現れではないかというお話をしました。

ほんとは吉野の宗教寛容論と「有機的知識人論」で最後をまとめる予定でしたが、これは時間足らず(涙。

吉野作造に学ぶ意義とは、先にブログにも書きましたが、吉野作造の如く生きていくことになりますが、吉野作造の漸進主義的改革プログラム……はやりの現代思想の言説で言えば「未完のプロジェクト」への不断の挑戦でしょうが……これは、やはり、一個の人間としてどのように生きていくのか、という意味で、本当にひとつの理想像になるのではないかと思ったりしております。

直接連動するわけではありませんが「いい話きいて感動した」とか「わが信仰はすごい、これだけやっていればOKですって内向きに開き直る」のではなくして、「さて、今日はこれをしよう」「明日はここに手を打っていこう」という積み重ねをたえまなく続けることで未来を開いていく。同時に、社会派宗教者が、糸が切れた風船の如く、原点からぶっとんでしまうような安直さをさけながら、それをも変革していく。

かくありたいものでございます。

ただ、7月末までにこれを紀要用に一本まとめなければならないのですけど……(つらー

 


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覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『<働く>は、これから』『しなやかな日本列島のつくりかた』」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。


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今週の本棚:中村達也・評 『<働く>は、これから』『しなやかな日本列島のつくりかた』
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊

 ◆『<働く>は、これから』=猪木武徳・編(岩波書店・2052円)

 ◆『しなやかな日本列島のつくりかた』=藻谷浩介・著(新潮社・1296円)

 ◇コミュニティ再生に「現智の人」育成

 この五月八日に日本創成会議が発表した人口予測が衝撃を呼んでいる。二〇四〇年の時点で、全国の自治体で二〇歳-三九歳の女性の数が、どれくらい減少するかの予測が示されたからである。ほとんどの自治体で大幅の減少が見込まれ、例えば秋田県では、二〇一〇年比で半分以下になる自治体が九六%にも上るという。この年代の女性人口が減少すれば、総人口の減少はいっそう進んで、自治体の存続そのものが危ぶまれるところも出てくるかもしれない。昨年発表された国立社会保障・人口問題研究所の試算をはるかに上回る厳しい数値である。

 高齢化と過疎化で地域コミュニティが維持できない、いわゆる限界集落も話題になってきた。しかしその一方で、若者たちが地域で働くことを選択する動きが目立つようになっているという。宇野重規が興味深い事例を紹介している(「<地域>において<働く>こと」『<働く>は』第五章)。島根県隠岐諸島中ノ島の海士町(あまちょう)の試みである。近隣の自治体との合併を拒否し、あえて単独での生き残りの途を選んだ町である。人口約二四〇〇人の町に、Uターン者だけではなく、他所からやって来た三〇〇人を超えるIターン者がいる。

 町ぐるみで、およそ二年もかけてとことん話し合い、「ひとチーム」、「産業チーム」、「暮らしチーム」、「環境チーム」が共同で『海士町をつくる二四の提案』を作成した。これには「一人でできること」、「一〇人でできること」、「一〇〇人でできること」、「一〇〇〇人でできること」が具体的に示されている。こうした提案を作りあげるプロセスそのものが、実は、コミュニティを作り直すプロセスでもあったのだ。さまざまな特産品を掘り起こし、オンラインの販売網で軌道に乗せる。島の内外に開かれた情報ネットワークを作る。島の外から人を呼び込むための住宅支援、子育て支援、起業支援の仕組みを拡(ひろ)げてゆく。過疎化が進む日本の各地で学校の統廃合が進む中で、この町の島前高校には、島外からの入学者も増えて元気を取り戻している。コミュニティが生まれ変わってゆく様子が生き生きと描かれている。

 コミュニティ崩壊の危機にあるのは、限界集落や離島よりも、ひょっとして大都市郊外のニュータウンかもしれない。というのも、地域に根ざして働くことが難しい大都市では、コミュニティ再生のための主体もノウハウも乏しいかもしれないからだ。そんな中にあって、むしろ例外的にコミュニティを見事に創り出した稀有(けう)な例が千葉県佐倉市のユーカリが丘である(藻谷浩介・嶋田哲夫対談「『ユーカリが丘』の奇跡」『しなやかな』第七章)。しかも、繊維問屋から転身した民間の不動産会社がその推進役を担ったのである。

 第二次石油危機の一九七九年に街づくりをスタートさせ、八二年には新交通システムが開通。不動産会社が自力で鉄道を走らせるなどきわめて異例のことだ。ドーナツ型に敷かれた線路の内側は農地と緑地が残る里山で、外側に住宅地が拡がる。ショッピングセンター、スポーツクラブ、複合映画館(シネコン)、ホテル、カルチャーセンター、温浴施設、病院、書店と、あらゆる都市機能をそろえた。そして、最近では富山型として知られるようになった、高齢者施設と学童保育施設を一体化したものを、日本中がバブル景気に沸いていた時期にすでに実現していたのである。多くの企業が土地投機に巻き込まれて巨大な損失を抱えてしまうことになったのとは対照的に、長期をにらんだ街づくりに取り組むことができたのは、この会社が非上場であったこともその一因だろう。上場大企業の多くが株高と高配当を求める株主の意向に流されがちであったのとは対照的に、街づくりの理念をじっくりと推し進めることができたのである。

 それぞれの現場に身を置き、深く掘り下げた思考と全体を俯瞰(ふかん)する眼力に裏打ちされた智恵(ちえ)を「現智」、それを備えた人を「現智の人」と藻谷が呼んでいる。海士町にしろユーカリが丘にしろ、そうした「現智の人」をどうやって生み出し育ててゆくのかが、コミュニティの作り直しには不可欠なことである。冒頭で触れたいささか悲観的な人口予測を乗り越えて地域が元気を取り戻すためにもである。『しなやかな』には、七人の「現智の人」と藻谷との興味をそそる対談が収められている。『<働く>は』でも、NPOや共済組合などの中間組織で働くことや、高齢期に働くことなど、さまざまな形と場で働くことの意味を改めて考えさせるヒントが埋め込まれている。若者、他所者(Iターン者)、そして常識にとらわれぬ発想のできる変人(現智の人)の果たす役割を、改めて考えさせられた二冊であった。
    --「今週の本棚:中村達也・評 『<働く>は、これから』『しなやかな日本列島のつくりかた』」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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〈働く〉は、これから――成熟社会の労働を考える

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『天地雷動』 著者・伊東潤さん」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『天地雷動』 著者・伊東潤さん
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊

 (角川書店・1728円)

 ◇多視点で迫った長篠の戦場--伊東潤(いとう・じゅん)さん

 戦国時代のターニングポイント、織田、徳川連合軍に戦国最強といわれた武田軍が敗れた長篠の戦い。長篠後、武田家が滅びるまでを追った『武田家滅亡』(2007年)、武田家末期の武将たちの苦悩をつづった『戦国鬼譚(きたん) 惨』(10年)など、武田家を描いてきた作家が満を持して長篠の戦いに挑んだ。

 「なぜ武田勝頼が連吾(れんご)川を越えて設楽原(したらがはら)に出たのか。なぜあれほど不利な状況で突撃をしたか。この二つが長篠の戦いにおける大きな謎です。これを物語の柱にしました」

 羽柴秀吉、徳川家康、勝頼、そして武田軍の一員で鉄砲隊的役割を担う地侍宮下帯刀(たてわき)の4人の姿を、武田信玄の死から長篠の戦いまで刻々と追っていく。

 秀吉は、織田信長から鉄砲3000張(はり)をそろえろと命じられる。「できない」と言えば出世はこれまで。「サラリーマンの悲哀ですね。頭の底まで絞り尽くせば知恵も浮かび、ブレークスルーできる。そうしなければ秀吉は生き残れなかった」。家康は、信玄と信長の間で戦いを強いられてきた。「家康は幼少期から人質になり、長じてからは信長、秀吉らが身近にいる。凡庸な己を知ることで活路を見いだす。峠を越えるように一歩一歩上っていく。そういう人生もあることを提示したかった」

 一方で勝頼は、信玄によって取り立てられた宿老と、自らの取り巻きとの対立に手を焼いている。「2代目の悩みですね」。最後に「現場視点として」、帯刀を登場させた。「従来の歴史小説は常に司令官視点で、最前線が見えないことが読んでいてストレスだった。今回は『長篠の戦場にお連れしましょう』とキャッチフレーズ的に言っています。そのためには現場の視点が必要でした」

 先んじた織田軍の準備や鉄砲に必要な硝石の生産状況、武田家の内輪もめなどを周到に配置して、長篠の戦いに収束していく。待ち構える鉄砲隊の餌食になる宿老たちと、ひたすら戦いながら敗走する帯刀らのあわれさに、涙を禁じ得ない。

 07年に作家デビュー。当初は戦国の関東を扱った作品が多かったが、今や幅広い題材を描く堂々たる歴史小説作家。「勝負どころです」<文・内藤麻里子/写真・藤原亜希>    --「今週の本棚・本と人:『天地雷動』 著者・伊東潤さん」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『真実 新聞が警察に跪いた日』=高田昌幸・著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『真実 新聞が警察に跪いた日』=高田昌幸・著
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊

 ◇『真実 新聞が警察に跪(ひざまず)いた日』

 (角川文庫・734円)

 北海道警の裏金を暴いた調査報道で新聞協会賞を受賞した北海道新聞の元記者が会社を追われるまでを記録した単行本に加筆・修正して文庫化した。著者と取材班は道警の捜査ミスを突いた一本の記事を巡り、反撃にさらされる。道新の幹部たちは社内経理の不祥事に介入されるのを恐れ、裏交渉に応じていく。

 取材に対して裏金の存在を否定し続けた自らのうそは棚上げし、報道を攻撃する警察幹部と、理不尽を知りつつ屈服した新聞社の幹部たち。「悪人はどこにもいない」との著者の感想は、組織の論理が正当化した凡庸な悪をかえって浮き彫りにする。

 記事の真偽を巡る訴訟で著者と警察幹部たちは再び相まみえる。天下りした警察幹部と、会社に裏切られた著者との対比が切ない。

 新聞が産業として斜陽化する中、調査報道に活路を見いだそうとする新聞社は多い。だが権力の不正を暴く報道姿勢を貫き、支えることができるのか。新聞社と読者にその「覚悟」を突き付けている。それにしても、加筆した最終章で明らかになる警察の実態は信じられないほどすさまじい。権力を監視する調査報道の必要性がここにある。(日) 
    --「今週の本棚・新刊:『真実 新聞が警察に跪いた日』=高田昌幸・著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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日記:吉野作造とキリスト教:「人間は神の子にして皆同胞であるとの思想」を生きるということ


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予は時に自分の生徒の先入主なき直覚的な頭に感ずる思想に、世界的の脈拍が影響して居ることを発見して愕然として密かに自らが一個の型にはまらんとしつゝあるかを驚くことがある。此世界的脈拍の根本義は何であるか、夫れは「人を信ずる」と云ふ点であると思ふ。人間を信じ、国民を信ずる。彼も我も同じであると云ふ真理に立脚する。かう見ないから悲惨なる戦争を敢てせねばならなかつた。自分と同様のものであると思へばなかなか戦争は出来ない。此の、「あはれな境遇が悪いから弱いのであるが、適当なる境遇におけば立派になれる」と云ふやうな人生観、即ち人間は神の子にして皆同胞であるとの思想は基督教的精神である。
 現代の世界を動かしてをる思潮の根底は、此神を中心としたる人類同胞の確信である。
    --吉野作造(講演筆記文責記者)「宗教家の社会的任務」、『開拓者』開拓社、1921年10月。

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吉野作造の人間観の核にあるは「人間は神の子にして皆同胞であるとの思想」(神子観)であり、これを海老名弾正から学んだ。

民本主義を掲げ社会改造を目指した吉野作造は、右からは「天皇制国家と抵触する」と批判され、左からそのやり方が「手ぬるい」と否定された。

吉野は「思想には思想を以てせよ」と論難には応ずる。

しかし、その批判者も吉野にとっては「神の子にして皆同胞である」訳だから、思想には思想を以てしても、その「人格」そのものを否定することは無かったし、例えば、天皇親政論者の上杉慎吉とは人間としては温かい交流を続け、無政府主義者の大杉栄とも親しく交わり、第二次大戦後戦犯容疑をかけられる大川周名が東京帝国大学に博士論文を提出する際は、その取り次ぎの労を自らかってでている。

「すべての人間を尊重する」ということを「言葉」として表明することは、たやすい。しかしそれを実践することははなはだ困難がつきまとう。特に考え方が全く違い相手に対しては、頭のなかでは「すべての人間を尊重する」と思っていても、人間として扱わず単なる「敵対者」扱ってしまう事例には枚挙のいとまがない。

思えば、「イェルサレムのアイヒマン」の中に、悪の凡庸さを見いだしたハンナ・アーレントはその返す刀で、敵対者を悪魔化する、抽象化して扱う人間をも照射させてしまったが、吉野作造の足跡を丹念に追跡すると、見事にその短絡さを退けている。

5月25日は、吉野作造記念館にて、「吉野作造とキリスト教」と題し、吉野作造の信仰の軌跡について少々をお話をしてきましたが、吉野作造を学ぶ、そして吉野作造を研究することとは、自らが吉野作造として生きていくことであらなければならない--そんなことを痛感させられた一日でありました。

お話を聴きに来てくださったみなさま、そして吉野作造記念館のみなさま、短い間ではございましたが、ありがとうございました。

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覚え書:「白夜の忌―三浦哲郎と私 [著]竹岡準之助」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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白夜の忌―三浦哲郎と私 [著]竹岡準之助
[掲載]2014年05月18日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

 私(わたくし)小説をきわめた作家三浦哲郎(てつお)が逝って4年。大学で一緒に同人誌「非情」を創刊した著者は、半世紀に及ぶ交流を哀切な文章でつづる。三浦によって文学への目を開かれたといい、畏友(いゆう)を文学の鬼と呼ぶ。
 三浦が「忍ぶ川」で芥川賞を受賞するまでに著者にあてた書簡約120通の一部が紹介されている。「好きなんです、好きなんです。なんべん言っても、百万べん言っても、もう手ばなしで、わめいて、けれども、ちっとも恥(はずか)しくない」。「忍ぶ川」のヒロイン志乃(しの)のモデルとなった徳子夫人に実際に書いた恋文の一節らしいこんな文面まで、三浦は赤裸々に著者に明かした。三浦文学を読み解くうえで、貴重な手がかりとなる随筆集。
    ◇
 (幻戯書房・2376円)
    --「白夜の忌―三浦哲郎と私 [著]竹岡準之助」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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覚え書:「幻影の明治―名もなき人びとの肖像 [著]渡辺京二」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。


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幻影の明治―名もなき人びとの肖像 [著]渡辺京二
[掲載]2014年05月18日   [ジャンル]歴史 

 実在の人物と虚構の人物が絶妙に絡み合う山田風太郎の「明治もの」はなぜ面白いか。「筋立て上無用の人物がひょっこり顔を出す」などいくつか挙げた上で、著者は風太郎の「カメラのロー・アングルぶり」を指摘する。対照的に、司馬遼太郎『坂の上の雲』の、徳川期の蓄積を無視するような歴史観に疑問を呈す。人びとが一つの国家にいや応なく包摂されるようになった明治という時代を扱った文章、講演など、媒体も時期も異なる論考を集めているが、一本の筋が通るのは、著者のカメラも「ロー・アングル」だからだ。自由民権運動や士族の乱など、旧来的な学説と異なる視点から、人びとが生き生きと動くさまが見えてくるようだ。
    ◇
 (平凡社・2376円) 
    --「幻影の明治―名もなき人びとの肖像 [著]渡辺京二」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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幻影の明治: 名もなき人びとの肖像
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『三好達治 詩語り』=張籠二三枝・著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『三好達治 詩語り』=張籠二三枝・著
毎日新聞 2014年05月25日 東京朝刊

 ◇『三好達治 詩語(うたがた)り』

 (紫陽社・2376円)

 三好達治(1900~64)は戦争末期から戦後にかけての数年、福井県三国町(現・坂井市)に仮寓(かぐう)した。師と仰いだ萩原朔太郎の妹アイ(愛子)と、その地で短い愛の日々を送ったこともよく知られていよう。三国生まれの著者は地元の人々の回想を交えつつ、当時の作品に即して詩人の面影を追っている。

 達治の評伝では石原八束のものが名高い。しかし、三国に移った1944年刊行の詩集『花筺(はながたみ)』をアイに寄せた「恋愛抒情(じょじょう)詩集」と記した八束に対し、著者は詩の丁寧な鑑賞を通してきわめて説得的に、より広い多様な詩情を読み取っていく。

 生前の達治は三国について語りたがらなかった一方で、晩年の文章では「心のふるさと」とも呼んだ。本心は奈辺にあったか。本書の核心といえる問いに、この地で詩人は「限りなく自由な孤独者となった」と、哀切な美しい言葉で著者は答えをつづる。

 三国移住の背景である戦争詩の捉え方には必ずしも同意できない部分も残るが、真率な探求と清新な筆致はそれを超えて読者に迫る。今年は達治の没後50年。昭和の大詩人の再読に誘(いざな)う好著である。(壱) 
    --「今週の本棚・新刊:『三好達治 詩語り』=張籠二三枝・著」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「吉野作造:『吉野作造とキリスト教』 大正デモクラシーとの関係探る 未公開写真や日記で紹介 大崎できょうから /宮城」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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吉野作造:「吉野作造とキリスト教」 大正デモクラシーとの関係探る 未公開写真や日記で紹介 大崎できょうから /宮城
毎日新聞 2014年05月25日 地方版

 大崎市古川の吉野作造記念館で25日から企画展「吉野作造とキリスト教」が始まる。吉野がキリスト教(プロテスタント)の信仰を通じて人道、博愛の価値観を血肉とし、大正デモクラシーの理念に結びつけたことを未公開写真や日記から紹介する。

 展示では、旧制二高生だった吉野を信仰に導いた米国人宣教師、アンネ・S・ブゼル(1866~1936年)=写真・尚絅学院提供=を大きく紹介。ブゼルは仙台市の尚絅(しょうけい)女学校初代校長だった1890年代に英文の聖書講義教室を設け、吉野らに人格形成の大切さを伝えた。

 吉野が晩年、最後の弟子で、戦後に憲法案を起草した鈴木安蔵に憲法講義をしたことを伝える鈴木宛ての3枚のはがきも展示する。吉野の人類愛が、鈴木を通じて憲法に反映されたとの評価につながる史料だ。

 25日午後2時からは財団法人東洋哲学研究所の氏家法雄委嘱研究員による「吉野とキリスト教」と題した講演も開かれる。企画展は8月3日まで。有料。問い合わせは同記念館電話0229・23・7100。【小原博人】
    --「吉野作造:『吉野作造とキリスト教』 大正デモクラシーとの関係探る 未公開写真や日記で紹介 大崎できょうから /宮城」、『毎日新聞』2014年05月25日(日)付。

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拙文「書評 ハンナ・アーレント 矢野久美子・著」、『聖教新聞』2014年05月24日(土)付。

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書評
ハンナ・アーレント
矢野久美子著

自分で「考える」契機生む

 20世紀を最も真摯(しんし)にかつ激しく生き抜いた女性哲学者の代表こそハンナ・アーレントであろう。
 ユダヤ人ゆえにドイツから亡命し、人間を「無効化」する全体主義と対決した。『全体主義の起原』『イェルサレムのアイヒマン』といった労作は、思想史を大きく塗り替えたが、どこまでも難解である。その強靱(きょうじん)で根源的な思索(しさく)の軌跡(きせき)を生き生きと浮かび上がらせる本書は、アーレントを理解するうえで頼もしい水先案内となってくれる。
 20世紀は戦争と革命の世紀と呼ばれるが、ナチのユダヤ人の大量殺戮(さつりく)をはじめとする暴挙は、狂気じみた悪魔によって遂行された訳ではない。平凡な人間が自分の頭でものを考えるのをやめてしまった時、眼を覆(おお)う殺戮は命令された「業務」にすぎなくなる。アーレントの思索は、言語を使ってものを考えることの大切さを語り続けている。
 「アーレント誠実に向き合うということは、彼女の思想を教科書とするのではなく、彼女の思想に触発されて、私たちそれぞれが世界を捉え直すということだろう」と著者はいう。
 本書を介し、アーレントと対話することで「考える」きっかけをつかむことができる。(氏)
 ●中公新書・886円
    --拙文「書評 ハンナ・アーレント 矢野久美子・著」、『聖教新聞』2014年05月24日(土)付。

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覚え書:「庭師が語るヴェルサイユ [著]アラン・バラトン [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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庭師が語るヴェルサイユ [著]アラン・バラトン
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2014年05月18日   [ジャンル]歴史 


■壮大だがやわらかくて人間的

 正直いって、大きすぎ、まっすぐすぎて退屈な庭だなあと感じていた。そんな「フランス庭園の最高峰」ヴェルサイユ宮殿が、全く違った、やわらかくて人間的なものに見えてきたし、フランスという国自体も、変わって見えた。
 一番興味をひいたのは、ヴェルサイユの壮大さを作り上げた、太陽王ルイ14世と、ヴェルサイユの関係である。絶対王権の象徴、史上最高の権力者の一人といわれる彼の、意外なほどの弱さが発見できた。貴族の反乱(フロンドの乱)に疲れ果てた彼が、貴族達(たち)からエスケープするために13キロ離れたヴェルサイユに、巨大な自分の「庭」を造ったのである。
 15世の孫、16世にオーストリアから嫁いだマリー・アントワネットが、パリの貴族達になじめずに、ヴェルサイユに逃避し、閉じた自分の世界の中で浪費生活を送ったというのは有名な話だが、絶対的に「強い」と思われていたルイ14世自身が、一種の「ひきこもり」だったのだ。権力とは、意外にも「ひきこもり」の生成物かもしれない。
 ルイ14世が庭を造りながら成長する様子もおもしろい。弱い人間が、強さにあこがれて壮大な庭を造ると、今度は庭が彼を励まし、強くしてくれる。その相互作用、相互成長は現代人も反復している。
 庭が生き物であるから、そんな共振現象が起きる。ルイ14世は、もうひとつの大事な生き物「女」もたっぷりと、愛した。彼は庭とともに相互成長しただけではなく、女(愛妾〈あいしょう〉)とも相互成長をとげた。
 ヴェルサイユの庭がいかにナマな生き物であったかの、庭師の著者ならではの、専門的記述にも圧倒された。ル・ノートルのデザインによる究極の幾何学的フランス庭園、というのが従来の理解であったが、ル・ノートルと同時代のラ・カンティニが追求した、植物が作る有機体としてのヴェルサイユが描かれ、すぐに確認したくなった。
    ◇
 鳥取絹子訳、原書房・2592円/Alain Baraton 庭師・作家。ヴェルサイユの庭園で30年以上働く。
    --「庭師が語るヴェルサイユ [著]アラン・バラトン [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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覚え書:「尼のような子 [著]少年アヤ [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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尼のような子 [著]少年アヤ
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年05月18日   [ジャンル]文芸
■残酷な客観視に光る美しい隠喩

 ブログで人気を博した著者の初単行本。身体は男であるけれど、自我は男でもなく女でもなく、可愛くて綺麗(きれい)なものが大好きなのに、自分の容姿に自信がない。性体験もない。勇気を振り絞って告白したクラスメイトの男子には振られ、美大を卒業してからはニート。つまり職もない。ついでに肛門(こうもん)や睾丸(こうがん)には不幸なトラブル。
 そんなないないづくしの著者が依存したのは、俳優や韓流アイドルたち。大枚をはたいては写真を集めまくり、コンサートやファンミーティングに通い倒す。
 自己評価が低くコンプレックスにまみれ「こじらせ」る若い世代の書くあまたの文章の中で、本書が頭抜(ずぬ)けて光るのは、極端に走る熱い行動が面白いからだけでは決してない。卓越した自己分析から繰り出す残酷な客観化と滑稽化と、美しく切ない隠喩が絶妙のタイミングで交錯する、そんな華麗にして秀逸な文章そのものに心揺さぶられるからだ。
    ◇
 祥伝社・1404円
    --「尼のような子 [著]少年アヤ [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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尼のような子
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覚え書:「ロマ 生きている炎―少数民族の暮らしと言語 [著]ロナルド・リー [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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ロマ 生きている炎―少数民族の暮らしと言語 [著]ロナルド・リー
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年05月18日   [ジャンル]文芸 


■迫害を受け、生身で社会と格闘

 「現在、日本などごく少数の国を除いて、ロマは世界中の国々に実在する。われわれの音楽や文化も理解されるようになった」
 と著者はこの日本語版への「はしがき」で書く。今やロマはそれぞれの国でその「主流社会に統合されつつある」というのだ。かつてジプシーと他称され、祖国を持たない民族との偏見も残っているとはいえ、1960年代、70年代よりは状況は改善されている。
 原書の初版は71年だが、ロマの一人としてどう生きたか、著者の自伝風の読み物である。カナダ社会にあってさまざまな迫害や蔑視を受け、ロマの人々は生身で社会と格闘する。盗み、売春、暴力があり、カナダ社会の変革を求める人権闘争がある。著者はその現実の中で、ロマ固有の文化、伝統、その誇りを、さらにその言語体系を辞典にすべく使命感を持ち続ける。
 「ロマがいるところには自由がある」とのロマの格言が、現実社会を裁断する刀との感がしてくる。
    ◇
 金子マーティン訳、彩流社・3024円
    --「ロマ 生きている炎―少数民族の暮らしと言語 [著]ロナルド・リー [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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ロマ 生きている炎: 少数民族の暮らしと言語
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覚え書:「吉野作造:『フリーメーソンリーの話』直筆原稿を入手 先入観ない吉野の視点 大崎の記念館、25日から展示 /宮城」、『毎日新聞』2014年05月23日(金)付。


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吉野作造:「フリーメーソンリーの話」直筆原稿を入手 先入観ない吉野の視点 大崎の記念館、25日から展示 /宮城
毎日新聞 2014年05月23日 地方版

(写真キャプション)吉野作造が著したフリーメーソン擁護の直筆原稿=大崎市古川の吉野記念館で

 大正デモクラシーの旗手とされる吉野作造の事跡を紹介する大崎市古川の吉野記念館は、1921(大正10)年に吉野が著した「フリーメーソンリーの話」の直筆原稿を、横浜市の古書店で入手した。25日始まる企画展「吉野作造とキリスト教」で展示する。国際的に友愛団体を構成するフリーメーソンについての論稿で、吉野がアカデミズムにこもらず、さまざまな分野に関心と知見を持っていたことがうかがえる。

 原稿は200字詰め原稿用紙18枚でペン書き。編集作業の赤筆が入っている。経済学者の森本厚吉、作家の有島武郎が吉野とともに20年、東京に設立した生活・文化の啓蒙(けいもう)事業団体「文化生活研究会」発行の月刊誌「文化生活」10月号に掲載された。

 論旨は、18世紀後半に活躍したドイツの詩人で、フリーメーソンの一員だったレッシングの戯曲「賢者ナータン」を素材に、フリーメーソンリー(リーは団体の意)が掲げる宗教的寛容や博愛主義を評価する内容。キリスト教の各教派が指摘するような陰謀団体ではないと擁護している。

 当時、日本の軍部が国家主義に迎合しないフリーメーソンリーを「秘密結社」と喧伝(けんでん)したことに対し、欧州留学を経験しフリーメーソンへの知見を持つ吉野が反軍部の視点から取り上げたという。

 同記念館の小嶋翔研究員は「直筆原稿からは先入観や固定観念のない物の見方の大切さを大事にした吉野の視点が改めて伝わる」と話す。企画展は8月3日まで。観覧料500円。問い合わせは電話同記念館・0229・23・7100。【小原博人】
    --「吉野作造:『フリーメーソンリーの話』直筆原稿を入手 先入観ない吉野の視点 大崎の記念館、25日から展示 /宮城」、『毎日新聞』2014年05月23日(金)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20140523ddlk04040270000c.html:title]

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書評:国民文化研究会・新潮社編『小林秀雄 学生との対話』新潮社、2014年。


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 僕は信ずるということと、知るということについて、諸君に言いたいことがあります。信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは、万人の如く知ることです。人間にはこの二つの道があるです。知るということは、いつでも学問的に知ることです。僕は知っても、諸君は知らない、そんな知り方をしてはいけない。しかし、信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君の信ずるところとは違うのです。現代は非常に無責任な時代だといわれます。今日のインテリというのは実に無責任です。例えば、韓国の或る青年を救えという。責任をとるのですか。取りゃしない。責任など取れないようなことばかり人は言っているのです。信ずるということは、責任を取ることです。僕は間違って信ずるかも知れませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信ずることなのです。信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。だから、イデオロギーは常に匿名です。責任を取りません。責任を持たない大衆、集団の力は恐ろしいものです。集団は責任を取りませんから、自分が正しいといって、どこにでも押しかけます。そういう時の人間は恐ろしい。恐ろしいものが、集団的になった時に表に現れる。
    --小林秀雄「講義 信ずることと知ること」、国民文化研究会・新潮社編『学生との対話』新潮社、2014年、46-47頁。

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本書は評論家・小林秀雄が、昭和36年から53年にかけて5回にわたって、全国の学生と交わした講演・対話の記録。録音を文字化したやりとりは、文士・小林の「対話の達人」ぶりをあますことなく生き生きと蘇らせる。贅沢な一冊だ。

自らの手の入らぬ講演速記も録音も許さなかった文士・小林。関係者の情熱が極秘録音という形で残された(新潮社のCDで聞くことが出来る)。小林は志ん生の語りから学んだというが、学生とのやりとりはむしろ自然体で、その豊かな人柄が出ている。

「本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ」。学生とのやりとりはさながらソクラテスの対話編。講義は「文学の雑感」、「信ずることと知ること」を収録。『本居宣長』執筆中のため、秘密明かすが如き話題が多い。

講演と学生との対話を通読し、驚くのは小林の柔軟な思考態度。
対立的思考を退けながら、矛盾の同居の意義を説き明かす。ベルグソンへの言及も多く「直覚を分析」したことを評価するが、小林の本質把握には瞠目する。

生きた渾身の批評ここにあり!


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覚え書:「日本を再発明する―時間、空間、ネーション [著]テッサ・モーリス=スズキ [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。


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日本を再発明する―時間、空間、ネーション [著]テッサ・モーリス=スズキ
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2014年05月18日   [ジャンル]政治 社会 

■虚をつく「発明」、明治期の国家

 すぐれた外国人研究者による日本研究には、ひとことで、鮮やかに本質をつき、同時に、日本人の虚をつくものがある。この場合、それがすでにタイトルだったので、さらに衝撃的だった。
 なぜって? 「日本を『再発明』する」というからには、日本は一度「発明」されているからである! いつ? 明治に。明治国家の樹立は、「発明」である、という視点を、私を含めて多くの日本人はとらないし、そう歴史の授業で習いもしない。しかし実のところ、ほとんど無理に近い「発明」だ。このことが、多くのひずみを生み出して今日にも影響していると思えてならない。国家と神と政治と軍隊を一本化した、その国家がなしたことを説明するのはむずかしい。今でも外交でつまずいたりするとき、根底にはそれがないだろうか。硬直してしまった「発明」を解きほぐすヒントが、本書にある。
 ネーション(国民)とは、人種とも自然とも文化とも空間とも異なる。この定義自体、西欧の発明である。この発明も大きなひずみを生んだ。日本の場合は、海で隔絶された地理条件と、移動の自由が少なかったことから、その境界は自然のもののように見える。が、その国境線もやはり「近年の発明」であり「現在係争中のところもある」のである。
 一面で、やすやすとできたように見える国民が、その半面で支払わなければならない代価について語るのは、むずかしい。しかしむずかしいからこそ、語ってみないとさらなる混迷を生む。「日本」をかたちづくってきたことを縦横無尽にキーワードで語り、それを解きほぐそうとする。中でも出色は「ジェンダー」だろう。日本ではなぜか多くのことがジェンダーじみた論になり、天皇制なども、なぜかその本質が性別であるかのような転倒が生まれる。繰り返し現れるパターンはどこから来るのか? 現在必読の書。
    ◇
 伊藤茂訳、以文社・3024円/Tessa Morris-Suzuki 英国生まれ。豪国立大学教授。『北朝鮮へのエクソダス』
    --「日本を再発明する―時間、空間、ネーション [著]テッサ・モーリス=スズキ [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014051800007.html:title]

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覚え書:「学生との対話 [講義]小林秀雄 [編]国民文化研究会・新潮社 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。


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学生との対話 [講義]小林秀雄 [編]国民文化研究会・新潮社
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2014年05月18日   [ジャンル]人文 

■臨場感と熱気あふれる話し言葉

 生前、小林秀雄は口話の録音を許可しなかった。講演原稿も推敲(すいこう)を重ね、書き言葉へと変換してから公表した。それゆえ、本書は明らかに小林の意図に反した作品だろう。実際、もし知られたら小林の逆鱗(げきりん)に触れることを覚悟の上、こっそりとテープは回されたという。だが、いやだからこそというべきか。不思議な臨場感と熱気に溢(あふ)れた、稀有(けう)な言行記録となっている。
 「対話」との表題通り、本書の大部分を占めるのは学生との生きた対話だ。昭和36年から53年にかけ、計5回行われた講演には、全国60余の大学から集まった大学生らが300-400名集い、聴き、質問した。その様は、まさに小林自身が意識したソクラテスの対話法である。学生たちも、講義や小林の著作の内容はもとより、時に「戦後民主主義」や「現在の教育制度」といった大きな問題への問いが出るかと思えば、学生自身の不安や焦り、人生の指針を求める質問までさまざま。それらに対し、小林は安易な回答をよしとせず、問うことそれ自体の意味を、学生自身の思考力に訴え、問い直していく。
 「本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ」とは、講義「信ずることと考えること」の後で語った言葉である。「僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊(き)くことはできる」と。質問するとは答えを求める以上に自分で考えることが重要である。考えるとは、本居宣長によれば「か身交(むか)ふ」、つまり、〈自分が身をもって相手と交わる〉ことであり、人間を考えるときには、その人の身になってみるだけの想像力が要る……。この明快な言葉は、書き言葉の小林秀雄とは人格ならぬ筆格が異なるが、魂は等しく読む者に語りかけてくる。学問や知識の細分化が進む今だからこそ、ぜひ一読されたい。
    ◇
 新潮社・1404円/こばやし・ひでお 1902-83年。評論家。著書『ゴッホの手紙』『本居宣長』など。
    --「学生との対話 [講義]小林秀雄 [編]国民文化研究会・新潮社 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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覚え書:「身の丈の経済論―ガンディー思想とその系譜 [著]石井一也 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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身の丈の経済論―ガンディー思想とその系譜 [著]石井一也
[評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)  [掲載]2014年05月18日   [ジャンル]経済 


■21世紀を展望する思想的源泉

 本書は、インド独立の父ガンディーによる経済思想の解明を通じて現代文明の再考を迫る、問題提起の書である。
 ガンディーの経済思想は、近代化、工業化への根底的な批判と特徴づけられる。彼は、西欧の機械化・工業化がインド経済の独立を奪い、貧困化をもたらしたと批判する。他方で、非暴力の観点から社会主義・共産主義を否定し、インド初代首相のネルーが推進した社会主義的工業化に反対の立場を明確にする。
 こうした反近代ともいえる姿勢は、同じインドの知識人タゴールやアマルティア・センらの批判を招く。だが著者は、ガンディー思想を単なる反近代ではなく、人々が連帯しつつ、適正技術を生かして環境と共生するオルターナティブな経済システムを目指すものと積極的に評価する。
 その具体論として、「チャルカー(手紡ぎ車)運動」と「受託者制度理論」がある。前者は、当時のインド綿布市場を席巻していた機械製製品に対抗し、手織りの綿布生産による協同組合的社会の構築を通じて、貧者救済を図る運動である。これはあえて、非効率的だが簡素な生産手段を用いることで、貧者が生産に参加し、所得をえるシステムだ。
 これが生産の理論だとすれば、受託者制度理論は分配の理論であり、富者が神から信託を受け、その財産を貧者のために、自発的に用いるという考え方である。左派からは、階級闘争や財産国有化を回避する体制擁護論だとの批判を受けたが、ガンディーにとっては経済的非暴力主義こそが、譲れない根幹だったのだ。
 こうしたガンディーの経済思想は、「スモール・イズ・ビューティフル」で有名なシューマッハーに影響を与え、経済システムと生態系の共存を説く「定常経済論」にもつながっていく。その意味で彼の思想は、21世紀のオルターナティブな経済システムを展望する思想的源泉として、改めて再評価されるべきだろう。
    ◇
 法政大学出版局・4104円/いしい・かずや 64年生まれ。香川大学教授(経済学)。
    --「身の丈の経済論―ガンディー思想とその系譜 [著]石井一也 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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覚え書:「論点:対談 安倍政権と『保守』」、『毎日新聞』2014年05月16日(金)付。


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論点:対談 安倍政権と「保守」
毎日新聞 2014年05月16日 東京朝刊


(写真キャプション)対談するNHK経営委員の長谷川三千子氏(右)と明治大学教授の大沼保昭氏=東京都杉並区で2014年5月5日、宮間俊樹撮影

 安倍晋三内閣は本格政権の道を歩んでいる。しかし、「戦後レジームからの脱却」を掲げる政治路線には、国内の保守勢力からも批判が出る。安倍政権と「保守」の関係は。従軍慰安婦問題の解決を目指し設立されたアジア女性基金の呼びかけ人・理事を務めた大沼保昭・明治大特任教授と安倍首相の助言者である長谷川三千子・埼玉大名誉教授に対談してもらった。【聞き手、構成・丸山進】

 ◇公正な戦後システムを--長谷川三千子・埼玉大名誉教授

 ◇失われた「知恵」取り戻せ--大沼保昭・明治大特任教授

 --10年前、大沼先生の従軍慰安婦問題のゼミに、長谷川先生ほか「左右」の論客や政策当事者たちを招きました。立場の違う人が正対して議論することは非常に重要です。お互いの印象と、この対談の意義をどう考えますか。

 長谷川 大沼先生は、欧州に行くと名前表記を「ヤスアキ・オオヌマ」と書かれてしまうことに抗議し、「オオヌマ・ヤスアキ」と書くよう孤軍奮闘で主張していました。とても新鮮かつ理にかなった主張で、ここに日本の侍あり、と思いました。

 大沼 国民の多くは右対左という単純な図式に収まらないのに、メディアや一部の知識人がその図式で説明するのはおかしい。安倍政権に近いとされる長谷川さんと対談するとどうなるか興味があります。

 --最近の日中関係をどう分析しますか。

 大沼 保守主義の知恵がどんどん失われ、危うい状況です。日本と中国が相互に別次元で被害者意識を募らせ、相手が悪いと思い込んでいる。

 長谷川 それはちょっとナイーブ過ぎるのでは。中華人民共和国は、宣伝戦が大きな力になると知っていて、ことあるごとに「日本は戦争犯罪をした国だ」と宣伝しています。感情的な反日ではなく、日本が悪者に位置づけられていれば、多少の国際法違反をしても世界を納得させられる、という冷徹な戦略があります。

 大沼 以前の中国の宣伝は、共産主義によるレベルの低いものでした。しかし19世紀までは巨大な文明大国で、高度なソフトパワーを操る潜在的能力がある。そうした隣国の「富国強兵」路線がしばらく続くことを覚悟しなければなりません。

 長谷川 だからこそ、彼らが何を狙いどう仕掛けてくるのか専門家が分析し、布石を打つことが大切です。

 --戦前の日本も攻撃的な側面がありました。どう違いますか。

 長谷川 明治以来の日本の富国強兵は、新しいものを取り入れていく知識欲、好奇心と一緒になったものでした。このままでは植民地にされるという危機感とともに、自助努力で経済力もつけないといけないという認識が根本にありました。

 大沼 日本が勃興してくると欧米列強は警戒し、排日運動も激化しました。日本では有色人種と軽蔑されることへの憤激が生じる一方、欧米列強は日本を追い詰め、日本国内の国際協調派の立場を弱めてしまった。今日の中国に対する諸国の姿勢にも通じる歴史の教訓です。

 長谷川 20世紀終わりから一国の経済を政府がコントロールすることが難しくなっていますが、一党独裁の国では比較的簡単です。中国が経済力をつけたのは、共産主義と資本主義が結びついた、一党独裁なるが故の成功とも言えます。

 大沼 中国は、揺り戻しはあっても長期的には経済超大国化するでしょう。共産党権力と中国型資本主義とは今はうまくいってますが、長期的には豊かな生活と自由を求める民衆の力に政治体制は抗し得ない。

 --靖国参拝が中韓の反発を受けた。安倍政権の姿勢をどう見ますか。

 長谷川 一番注目しているのは第1次政権の時から掲げていた「戦後レジームからの脱却」です。私自身は、これは世界の「戦後レジーム」を問い直すことから始めるべきだと思っています。第一次大戦後も第二次大戦後も、必ず敗者が戦争責任を問われ、戦勝国は一切罪に問われない。果たしてこれが平和を実現するシステムと言えるのでしょうか。

 大沼 第二次大戦後、原爆投下やソ連の戦争犯罪行為を裁かなかったのは、正義・公平の観点から不当ではある。他方、第一次大戦後のドイツに対する戦争責任の追及があまりにも厳しかったため、ナチスが権力を握るという反動を生みました。連合国は第二次大戦後、その教訓から日独の責任を厳しく追及しなかった。日本が中国や東南アジアでやったことに比べれば、随分寛大な講和でした。

 長谷川 そう感じるのが大多数の良識的な日本人なので、いろんなところで謝っています。そうして謝ること自体が「勝てば官軍」の世界システムを補強してしまいます。

 大沼 戦勝国が責任を追及したのは一部の軍国主義的指導者であって、日本が犯罪国家とされたわけではない。日本国民の立場から見ても、彼らは310万の国民を死なせてしまった指導者です。

 長谷川 「指導者責任観」の考えですね。しかし、戦争は何人かの頭脳だけで起こるものではありません。

 大沼 だからこそ、日本国民が総体として戦ったという自覚を、日本国民は引き受けるべきです。

 長谷川 引き受けると、日本人は美しい心から、謝罪の言葉が抵抗なく出てきます。しかし、負けた国だから謝罪は当然だとされる構造そのものに目を向ける必要があります。

 大沼 戦争は法的には講和でおしまいですが、殺された側には恨みの感情が残ります。なのに日本は、1980年代までその自覚がなかった。憲法第9条は、その代わりに日本のやった戦争は誤りでした、戦後は平和を守りますというメッセージを出してきました。ところで、安倍首相の靖国参拝に米国が「失望した」と表明し、首相周辺の政治家が「失望したと言ったこと自体に失望した」と返したことをどう思いますか。

 長谷川 私だったら逆に謝りますね。靖国神社の本質について、日本は世界に伝える努力をほとんどしてこなかった。神社は清めの領域であり、A級戦犯を崇拝して戦争の誓いを立てる領域ではない。それをきちんと伝えてこなかったから「失望」という言葉が出る。そのことを大反省しています、というおわびです。

 大沼 そもそも主要戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社が過ちを認めるべきです。合祀後は分祀できないという解釈を掲げて国民全体に大きな迷惑を掛け続けています。

 --学者の果たすべき役割は。

 大沼 学者は世間の常識を揺さぶるもの。それが基本。ただ、政策に関わる場合は学問を踏まえた「知恵」が大事になってくる。

 長谷川 私もわざと違うことを言おうとしているわけではなく、理屈にかなったプロセスで考えを進め、気付くと世間の常識とは違うところに来ている、ということです。

 大沼 私は一般に「左」とされてきましたが、保守主義の知恵は一貫して高く評価してきました。社会党や進歩的文化人は、実は経済大国=軍事小国路線の自民党とともに戦後体制を支える「保守」だったのです。他方、保守主義の知恵が自民党からも保守的なメディアからも失われつつあります。これは深刻な問題です。中国との過度の対立から対米依存が深まらざるを得ない状況になっています。

 長谷川 そこは今も変わりません。しかし、とにかく自己を見失ってしまった「保守主義者」というものは、悪い冗談でしかありません。

 大沼 私は国際社会で、日本を理解してもらうため発言を続けてきました。捕鯨の問題にしても、日本は欧米中心の文化ではなく多様な文化を尊重するという観点から、発信し続けるべきでした。内弁慶外みその態度では世界に通じない。

 長谷川 本当に同感です。そのためにも、発信する気持ちと語学力が一体になった人間を育成しないといけないと痛感します。また、海外に発信する時には、意見も国籍も違う人たちに心を開き、前向きに明るく議論する心構えも大事です。

 --若い人は戦時中のことを謝れと言われ、ヘイトスピーチが不満のはけ口になっています。若い世代に歴史問題をどう伝えるべきですか。

 長谷川 まず何よりも、歴史的事実を自信を持って探求することが大切です。自信がないからヘイトスピーチが生まれます。安倍首相はヘイトスピーチ的なものの対極に位置し、韓国の人とも繁栄を分け合いたいという「和」の精神で貫かれている。首相自身の発するメッセージに若い人も耳を傾けてもらいたい。

 大沼 自分への反省でもあるのですが、日本の侵略戦争を反省すべきことだと、自明のように言っている部分を丁寧に説明しないと、若い世代には届かない。マスコミへの不信感も強く、マスコミの徹底した自己批判が特に重要だと思います。

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 ◇「戦後レジームからの脱却」

 安倍首相は06年9月に第1次政権を発足させた当時から「戦後レジームからの脱却」を掲げる。戦後に作られた体制(レジーム)のうち、時代に合わなくなったものを改革することを指し、首相は憲法改正が柱と明言。現在、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認を目指している。

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 「論点」は金曜日掲載です。opinion@mainichi.co.jp

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 ■人物略歴

 ◇はせがわ・みちこ

1946年生まれ。東京大大学院人文科学研究科修士課程修了。哲学、日本文化論専攻。NHK経営委員。著書に「からごころ」「民主主義とは何なのか」。

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 ■人物略歴

 ◇おおぬま・やすあき

1946年生まれ。国際法専攻。東京大教授を経て09年から現職。著書に「『慰安婦』問題とは何だったのか」「東京裁判・戦争責任・戦後責任」「戦後責任」。 
    --「論点:対談 安倍政権と『保守』」、『毎日新聞』2014年05月16日(金)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 外国人労働者に感謝を=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年05月21日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
外国人労働者に感謝を
必要ならばモノ扱いやめよう

湯浅誠 社会活動家

 リーマン・ショックのとき、製造業などで働いていた大量の外国人労働者が解雇の憂き目にあった。多くは、親や祖父母が日本人の日系人だった。
 再雇用のメドが立たない中、困った政府は「帰国費用として30万円あげるから戻って来ないように」という趣旨の事業を打った。渡航費用を援助する代わりに、同じ資格での再入国を当面認めないという内容だった。これを「日系人帰国支援事業」と言った。2万人超の日系ブラジル人らが、その事業で帰国した。
 あれから5年余り。今、建設業など人手不足業種で、再び外国人労働者を活用しようとする機運が高まっている。政府の国家戦略特区諮問会議も在留資格要件を緩和する方向で提言を準備中と報じられている。
 再入国を認めなかったはずの先の事業も、昨年10月に「一定の条件の下で再入国を認める」と方針転換した。
 どうも釈然としない。東京オリンピック招致活動で注目を集めた「おもてなし」は、観光で来日する外国人にも幅広く使われ、日本人の温かさを示すセールスポイントの一つとされる。それは大変結構なことだ。
 では、私たちは外国人労働者をもてなす用意があるのだろうか。日本の外国人労働者政策は長く、移民を厳しく制限するとともに、雇用の調整弁として外国人労働者を「活用」するというものだ。「労働力は欲しいが、労働者(生活者)はいらない」と言っているようなものだ。
 でも、外国人労働者は人間だ。労働力と労働者を切り離すような対応を続けることが、世界における日本の評判を高めるだろうか。帰国支援事業で帰った日系人たちは、今度ブラジルで行われるワールドカップサッカーで日本チームを応援してくれるだろうか。
 建設業でも介護でも、日本人がやりたがらない、間に合わないから、来てもらおうと話している。そして、私たちの生活を支えるインフラを整えてもらおうと言っている、急激な少子高齢化の中、一定の移民政策は今後避けられないものでもあるだろう。日本の国力を下支えしてもらうために、私たちは外国人を必要としている。
 「人手不足なので外国人労働者を」という、せっけんがなくなったから買ってこようみたいなモノ扱いを改めることによってこそ、オリンピックに向けて真に取り組むべきことではないだろうか。
 貴賓のようにもてなせとは言わない。しかし、これから来てくれる外国人労働者の方たちには、せめて「来てくれてありがとう」と、母国から遠く離れて暮らし続ける労をねぎらう言葉をかけられる国民でありたい。

在留資格要件の緩和 12日の国家戦略特区諮問会議で、外国人のうち起業家や家事労働者らを対象に在留資格要件を緩和するよう民間議員が提案した。安倍内閣の成長戦略の一つだが、景気次第で外国人労働者政策が頻繁に方針転換されれば国内外からの批判は必至だ。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 外国人労働者に感謝を=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年05月21日(水)付。

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覚え書:「書評:ダンスシューズで雪のシベリアへ サンドラ・カルニエテ 著」、『東京新聞』2014年5月18日(日)付。


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ダンスシューズで雪のシベリアへ サンドラ・カルニエテ 著

2014年5月18日

◆ラトヴィアに生きる
[評者]志摩園子=昭和女子大教授
 この家族の物語を読んで、ある情景を思い出した。一九九○年代半ば、バルト三国の一つラトヴィアの国立歴史公文書館で、受付の長い行列を不思議に思ったことがある。学芸員に何事かと尋ねると、ソ連時代の個人ファイルの確認をするために待っている、と。著者と同様、家族の記録と辛(つら)くも直面していた人々の姿が、ひしひしと伝わってくる情景だ。
 この物語は、ある家族の歩んだ歴史を通してロシア帝国からラトヴィアが独立、旧ソ連の抑圧と支配、ナチス・ドイツによる支配、再びソ連の支配と翻弄(ほんろう)された二十世紀ラトヴィアの歴史を描いている。なぜラトヴィアに侵攻したナチス・ドイツ軍が一時的に解放者として歓迎されたか、第二次世界大戦中に祖国ラトヴィアを去った人がいかに多かったか、本書でその理由がわかる。幼い日にはソ連のプロパガンダの影響を受け、スターリン批判後に漸(ようや)くラトヴィアの地を踏んだ著者は、今では欧州を舞台に活躍する。彼女が痛切に書き残したかった自身の家族の物語は、この時代を生きた多くのラトヴィア人のそれでもある。
 NATOのバルト三国、ポーランドでの軍事演習を歓迎するラトヴィア外務省の最近のニュースは、ウクライナの危機が他人事(ひとごと)ではないというメッセージともとれる。国際情勢に翻弄されながら必死に生きた人々の声は忘れてはならない。
(黒沢歩訳、新評論・3780円)
 Sandra Kalniete 1952年生まれ。ラトヴィア外相などを経て、欧州議会議員。
◆もう1冊 
 原翔著『バルト三国歴史紀行(2)ラトヴィア』(彩流社)。自由都市リーガを軸にロシアやユダヤとの関係史を描く。
    --「書評:ダンスシューズで雪のシベリアへ サンドラ・カルニエテ 著」、『東京新聞』2014年5月18日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014051802000174.html:title]

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ダンスシューズで雪のシベリアへ
サンドラ カルニエテ
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覚え書:「九月、東京の路上で [著]加藤直樹 / ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件 [著]中村一成 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。


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九月、東京の路上で [著]加藤直樹 / ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件 [著]中村一成
[評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)  [掲載]2014年05月18日   [ジャンル]歴史 政治 

■差別への「慣れ」、暴力生む下地に

 関東大震災の際、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」といった流言が拡散し、多くの朝鮮人、および朝鮮人と間違われるなどした日本人や中国人らが虐殺された。1923年の出来事だ。この出来事は、災害時の流言の危険性を呼びかけるうえでもしばしば参照される。
 だがこれは、「善良な市民が誤った流言をうのみにしてパニックを起こした」という単純な話ではない。災害という特異な環境のみが流言を拡散させたのでもなければ、流言だけが虐殺を引き起こしたのでもない。日頃から、多くの市民に差別心が根深く共有され、メディアもその空気を助長する報道を繰り返したという環境があってこそ、流言は広く受容され、暴力を生む要因の一つとなった。
 『九月、東京の路上で』は、先行研究や証言集などを整理し、この事例から何を学ぶべきかを解説した一冊だ。軍や警察の関係者も虐殺を黙認し、時には積極的に加担したこと。事件後は司法や政府も虐殺への対応が甘く、加害者への裁きも軽微に済ませがちであったこと。虐殺の参加者が裁かれることに対し、同情的な世論もあったこと。こうした当時の空気感が、立体的につづられていく。類書は数あれど、入門書としての読みやすさは群を抜いている。
 本書のポイントは、同事件と現代との連続性を強調する点だ。虐殺現場の現在の写真を多く掲載していることからも、事件を「遠き時代の惨事」ではなく「身近な前例」として想像してほしいという願いが伝わってくる。なにせ昨今では、この虐殺事件すらも歴史修正の矛先が向けられている。日本人の「加害性の値引き」を試みるその行為は、むしろ日本人への「信頼性の値引き」を加速することになるのだが。
 今、ヘイトスピーチや排外デモを分析する書籍が相次いで出版されている。中でも『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』は、「誰がどう襲われているのか」を知るうえで重要な一冊だ。2009年、「在日特権を許さない市民の会」らが朝鮮学校を訪れ、「スパイの子ども」「キムチ臭い」「たたきだせ」といった罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせ、器物損壊を行った。この事件が、児童や保護者、教師や地域に対してどのような衝撃を与えたかを、勢いのある筆致で描写している。
 多くのユーザーは、ネット上での差別的な書き込み・コピペに慣れてしまったかもしれない。だが、その言葉を向けられた者がどれだけの傷を負うかは、本書が克明に伝えている。そうした言辞への「慣れ」がさらなる暴力を生みうることは、約90年前の出来事が示している。この2冊を手に取る人が増えれば、それもまた差別へのカウンターとなるだろう。
    ◇
 『九月、東京の路上で』 ころから・1944円 かとう・なおき 67年生まれ。出版社を経てフリー。今作が初の著書。『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』 岩波書店・1944円 なかむら・いるそん 69年生まれ。ジャーナリスト。元毎日新聞記者。 
    --「九月、東京の路上で [著]加藤直樹 / ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件 [著]中村一成 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響
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覚え書:「JR上野駅公園口 [著]柳美里 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。


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JR上野駅公園口 [著]柳美里
[評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)  [掲載]2014年05月18日   [ジャンル]文芸 

 ■排除される側も巻き込む天皇制

 その男の人生に、天皇や皇后は大きな影を落としていた。そもそも生まれたのが現天皇と同じ昭和8年。妻の名は貞明皇后の名と同じ漢字の節子。息子が生まれた日は、現皇太子と同じ昭和35年2月23日だった。
 男は、常磐線の鹿島という駅に近い福島県八沢(やさわ)村(現・南相馬市)に住んでいた。昭和22年8月5日、天皇を乗せた列車が鹿島の隣の原ノ町駅に停(と)まったとき、天皇陛下万歳を叫んだ2万5千人のなかに、その男もいた。
 東京オリンピック前年の昭和38年12月27日、男は出稼ぎのため、常磐線に乗って上京した。昭和天皇が皇太子時代に狙撃された虎ノ門事件から40年目の日であった。それから息子が死に、妻が死んだ。帰郷していた男は、孫娘に面倒をかけるのが耐えられなくなり、再び上京して上野恩賜公園でホームレスになる。
 平成18年11月20日、現天皇と現皇后が上野の日本学士院を訪れるのに先立ち、「山狩り」が行われた。ホームレスの暮らす「コヤ」が立ち退きを迫られたのだ。男は、自分と同じ年齢の天皇が皇后と車に乗り、手を振っているのを見て、反射的に手を振り返す。その瞬間よみがえったのは、昭和天皇を原ノ町駅で迎えたときの光景であった。
 天皇、皇后が外出することを行幸啓という。行幸啓は、明治から敗戦までの天皇制を継承するものだ。民主主義という名目のもと、ふだんは見えない天皇制の権力が露出するとき、その権力は本書の主人公のような、排除される側の人々すらも熱狂の渦に巻き込んでゆくのだ。
 そしてあの震災が起こる。故郷は津波にのまれ、男は帰るべきところを失う。東京オリンピックの開会を宣言する昭和天皇の声が男の胸に迫る。男にとって、天皇制の呪縛から逃れるには、もはや命を絶つことしか残されていなかった。暗く重い余韻がいつまでも消えない小説である。
    ◇
 河出書房新社・1512円/ゆう・みり 68年生まれ。『魚の祭』(岸田國士戯曲賞)、『家族シネマ』(芥川賞)など。
    --「JR上野駅公園口 [著]柳美里 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年05月18日(日)付。

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日記:個人は戦争をやれない。やれるのは国家だけだ

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 貧困と病気と戦争が人類の三大敵とされて久しいが、そのどれもが過去そのままの大敵ですな。戦争は違う。個人は戦争をやれない。やれるのは国家だけだ。個人たちは動員されて、命令されて、使用されて、そして犠牲を払うだけだ。個人群の中には戦争を肯定し、賛美し、それに便乗しようとする者もいるだろうが、それは少数であろう。大多数は、戦争は無ければよいと思っているだろうから、無くせばよい。今は国民が国家の主権者だ。大部分の国民が決意して行動すれば、国家の意思をどうにでも決められる。戦争を無くして、そのために用いられてきたヒトの力とカネとモノを余さず残りの二大敵の根治につぎ込めば、貧困も病気も苦しみの八~九割は必ず解消できるだろう。
 苦悩根治のこんな素敵な方法があるのに、何うえそれを数千年前の世でも、今のこの世でもやれないのか、問うメスを各自がおのれ自身に突きつけて、そして自分の答えを自分に提示しましょう。
    --むのたけじ『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年、57-58頁。

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他の国にいって積極的に兵力を展開し、血を流すことを「積極的平和主義」と詭弁してやまないのが現在の安倍晋三首相ではないでしょうか。

積極的平和という言葉は、平和学者・ヨハン・ガルトゥングの造語で、単に戦争がないことを「消極的平和」と定義するのに対し、「積極的平和」とは、戦争がないだけではなく、構造的暴力による人々生活への圧力……例えばそれは差別であったり、貧困であったり……をも根治していこうという積極的な状態のこと。

アメリカの手下となって世界を相手にしてどこか「積極的平和」なのでしょうか。むのたけじさんが指摘する通り、「戦争は違う。個人は戦争をやれない。やれるのは国家だけだ。個人たちは動員されて、命令されて、使用されて、そして犠牲を払うだけだ」。

そんな世界はまっぴらごめんでございます。


 


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覚え書:「書評:ハンナ・アーレント 矢野 久美子 著」、『東京新聞』2014年05月18日(日)付。


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ハンナ・アーレント 矢野 久美子 著

2014年5月18日


◆世界の理解に注いだ情熱
[評者]細見和之=大阪府立大教授
 ナチズムとスターリニズムという、二つの全体主義を経験した二十世紀。そのなかを、ユダヤ系の政治哲学者として生き抜いたアーレント。彼女のラディカルな思考は、一九九〇年前後の社会主義圏の崩壊以来、未来を指し示すかけがえのない道標として、繰り返し参照されることになった。
 ハイデガー、ヤスパースという当時を代表する哲学者のもとで学びながら、ナチスの台頭とともに、彼女は反ナチの活動に身を投じ、フランスへ亡命し、さらには合衆国へと渡って、そこを終(つい)の棲家(すみか)とした。彼女の思想は生涯の履歴と不可分である。
 本書はそんなアーレントのきわめて上質な評伝だ。コンパクトとはいえ、大切な情報がきっちりと書き込まれている。ケーニヒスベルクでの生育状況から、最近アーレント研究で焦点化されつつあるシオニズムとの関係まで、一九四〇年代のアーレントのあまり知られてこなかった文章も参照しつつ、丁寧に掘り起こされている。それによって、「世界疎外」や「地球疎外」について語る、壮大な思考のバックグラウンドに読者はふれることができる。
 アーレントは公共性を作りあげる「活動」を重視する一方、孤独な思索の意味も強調していた。ユダヤ人である立場を堅持しつつ、ホロコーストの責任者のひとり、アドルフ・アイヒマンの裁判リポートでは、ほとんど全ユダヤ人を敵にまわしたとさえ言われる。
 アーレントの思想をバランスよく伝えるのは、決してたやすくはない。ときにスキャンダラスに描かれがちなハイデガーとの関係も、ハイデガーへの反発と敬愛の両方が、本書ではきちんと書かれている。総じて、世界を変革するよりも理解すること、その一点に注がれたアーレントの情熱を、本書は同志的な共感をもって描いてゆく。
 最近、その生涯が映画化され、日本でも話題になったアーレントだが、とうてい一本の映画では描かれえない側面が本書には存分に盛られている。
(中公新書・886円)
 やの・くみこ 1964年生まれ。フェリス女学院大教授、思想史。
◆もう1冊 
 ハンナ・アーレント著『全体主義の起原』(1)(2)(3)(大久保和郎ほか訳・みすず書房)。個人を圧殺する全体主義の歴史的経緯を詳述。
    --「書評:ハンナ・アーレント 矢野 久美子 著」、『東京新聞』2014年05月18日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014051802000177.html:title]

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ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書)
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覚え書:「書評:中小企業の底力 中沢 孝夫 著」、『東京新聞』2014年05月18日(日)付。

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中小企業の底力 中沢 孝夫 著

2014年5月18日


◆人が成長する現場に焦点
[評者]山岡淳一郎=ノンフィクション作家・東京富士大客員教授
 「働くこと」をめぐって極論が横行している。政府内では終身雇用、年功序列は成長の足かせであり、雇用の流動化こそ正しいとする規制改革論が喧(かまびす)しい。著者は「その多くは無意味というより実害のほうが大きい。現実に自らの人生を転換させようとしている人間は、法や制度によってではなく、自分で行動しているものである」と一蹴する。
 逆に、すでに雇用の流動化は進み、格差問題が深刻なのだから法改正をして正社員を増やせ、という声もある。これを「善意」と受けとめつつも「それは世の中の不満をかきたてることや、新たな困難を生みだすことはできても、『問題』を解決することはとても難しい」と断言する。視点が現実的だ。
 イデオロギーや感情に流されないのは、著者が千百社もの聞き取り調査を行い、「会社」の現場を熟知しているからだろう。本書は、東南アジアに進出した中小企業を中心に「よい会社の共通点」を探し出し、考えるための素材を示している。人材育成には長期雇用が望ましく、後輩が先輩を追いかけて成長するのは国内外を問わず、普遍的な姿だ。グローバル人材論は語学力、コミュニケーション能力を重んじがちだが、会社では何よりも仕事を覚えるのが先。人は、仕事を通して多様な意思疎通をし、成長していく。
 海外に出た中小企業は簡単には撤退できず、必死で現地に溶け込み、成長力を日本に還元している。産業空洞化論が陳腐に感じられる。ただし、一時的なコスト競争力に頼らず、成長を維持しようとするなら「コア」の技術を基盤にしたイノベーションが不可欠だと著者は説く。なるほど、と納得した。
 が、ひとつだけ疑問が残った。よい会社の共通点を分析した本書に求めるのは筋違いではあるが、従業員数人の町工場はどうやって生き延びればいいのだろう。海外に出られず、後継者もおらず、衰えている町工場は…。
(ちくま新書・842円)
 なかざわ・たかお 1944年生まれ。福山大教授。著書『中小企業は進化する』。
◆もう1冊 
 奥長弘三著『小さな会社だからこそできる』(旬報社)。経営者と社員との信頼関係などに着目し、中小企業の魅力と可能性を探る。 
    --「書評:中小企業の底力 中沢 孝夫 著」、『東京新聞』2014年05月18日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014051802000176.html:title]

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覚え書:「書評:無縁旅人 香納 諒一 著」、『東京新聞』2014年05月18日(日)付。


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無縁旅人 香納 諒一 著

2014年5月18日


◆端正な捜査一課もの
[評者]香山二三郎=コラムニスト
 現代の警察小説は地方の警察やSIT、SAT等の特殊捜査班もの、公安警察ものまでバラエティに富んでいる。だがジャンルの花形といえば、やはり警視庁捜査一課もの。警察小説の妙は個性豊かな捜一刑事が織りなす息詰まる捜査劇にあり、という信者は少なくないはずだ。
 長篇『贄(にえ)の夜会』から八年ぶりの続篇に当たる本書は、まさにそんな捜一ものファンに向けられた一冊である。
 西武新宿線下落合駅に程近いマンションの一室で十六歳の少女の変死体が発見されるが、彼女はその部屋の住人ではなかった。やがてインターネットのコミュニティ・サイト-SNSを通じた男女関係や援助交際、ネットカフェ難民の実態等が明らかになる。デカ長の大河内茂雄をはじめ、捜査に当たる強行班七係の面々も当初はまごつくが、被害者の義母の遺産をめぐるトラブルや被害者と元カレの因縁を手繰っていくうちに、犯罪絡みの背景が浮かび上がってくる。
 前作は猟奇殺人の捜査を軸に警察組織の闇までとらえる大作だったが、今回はヒネリ技を利かせた端正な仕上がり。現代の社会問題をえぐり出す辛口タッチ、悪事を赦(ゆる)さぬ大河内の硬派ぶり等、どれを取っても捜一ものの正統を往く。『孤独なき地』等、著者の警察活劇「K・S・P」(歌舞伎町特別分署)シリーズと読み比べてみるのも一興かと。
 (文芸春秋・1728円)
 かのう・りょういち 1963年生まれ。作家。著書『幻の女』『炎の影』など。
◆もう1冊 
 今野敏著『廉恥-警視庁強行犯係・樋口顕』(幻冬舎)。組織と家庭の間で苦悩する刑事の姿を描いたミステリー。 
    --「書評:無縁旅人 香納 諒一 著」、『東京新聞』2014年05月18日(日)付。

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覚え書:デカルトにおける倫理の意義 賢者の現存


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賢者の現存
 デカルトの倫理の意義をカントとの対比でまとめておこう。
 カントは『純粋理性批判』において、賢者の実例が現存すると考えたのでは、倫理学を構築することはできないと論じている。「徳の概念を経験から創出しようとする人、実例として不完全な解明にしか役立たないようなものを模範として認識源泉たらしめようとする人は、徳を、時代と状況にしたがって変化するもの、そして規則としては用いることのできない曖昧なものにするであろう」。だからこそ、「徳の理念」「徳の模範」を高く掲げることが重要である。「道徳的な価値や非価値に関する判断はすべて、この理念によってのみ可能だからである。道徳的完全性に接近するということの根底には、必ず理念が存する。ただ人間の自然には、何らかの生涯があって、これが我々を理念から遠ざけているのである」。
 賢者を無限の彼方の目標に仕立て上げて、それに接近することを煽り立てる道徳、そして、目標に到達しないのは生来の障害のゆえだと決めつける道徳、このような道徳は、賢者の現存を承認しないことから出発していたのである。賢者が現存していれば、徳の教師や精神の小役人の仕事がなくなってしまうからだ。
 デカルトは違う。デカルトは賢者の現存を承認した上で、なぜ人間が自然に賢者になることができるのかを探究した。いかに悲惨な状況においても喜ばしい生を送る賢者、いかに過酷な状況でも自由裁量を行使する賢者が、いかにして可能となっているかを探究した。だからカント的道学者の眼には、デカルトは倫理を一つも語らないで、意志と情念を自然科学的に分析しただけとしか映らなかったのである。
 私たちは、賢者とは何かと問うてはならない。その問いは、賢者を理念に仕立ててしまうからだ。私たちは、賢者が現存していることを見出してから、なぜ人間は賢者になるうるのかと問うて、その答えを賢者から学ばなければならない。そして、隠れた場所に、賢者が現存していることに驚くのでなければ、デカルトを読み始めることさえできないのである。
    --小泉義之『デカルト哲学』講談社学術文庫、2014年、202-203頁。

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覚え書:「今週の本棚:中島岳志・評 『宮崎駿論-神々と子どもたちの物語』=杉田俊介・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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今週の本棚:中島岳志・評 『宮崎駿論-神々と子どもたちの物語』=杉田俊介・著
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊


 (NHKブックス・1620円)

 ◇身を裂き描く、対象への過剰な期待

 渾身(こんしん)の批評がここにある。読んでからしばらく時間を置いたが、まだうろたえている。

 宮崎駿(はやお)は時折、絶望的で破壊的な言葉を口にする。『もののけ姫』のタタリ神に自らを見立てながら、穴という穴から黒いどろどろとしたものが出てくる感覚を語る。彼は一体、何に怒り、何を表現しようとしてきたのか。

 宮崎には過剰な子どもへの思い入れがある。子どもは自然の力に内包され、八百万(やおよろず)の神々の「となり」にいる。しかし、世界は凄惨(せいさん)な暴力で溢(あふ)れている。薄汚い欲望が渦巻いている。そんな世界に、子どもたちは産み落とされる。そして、神々しい力は成長とともに失われていく。

 どうすれば世界に立ち向かえる「内発的な力」を育てられるか。

 宮崎の答えは、アニメーションを作ることだった。「子どもたちに対する絶対的な加害者としての自覚が、そのまま、子どもたちに対する絶対的な愛になっていく」。しかし、それは危ない。過剰な愛は、暴力的な欲望をはらんでいる。子どもを子どものままにしておこうとする愛。残酷な世界にまみれてほしくないという先回りの愛。それは子どもに対するグロテスクな所有欲と密着している。

 『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』、そして『となりのトトロ』。この頃の宮崎アニメは見事に完成している。潜在的に存在する「となり」の自然を信じ直すこと。人間の目で自然を見ないこと。人間中心主義を相対化し、自然の中に開かれていくこと。宮崎アニメは、一つの崇高な世界観を作り上げた。

 次の『魔女の宅急便』は大人へと成長する13歳の物語だ。もう子どもではない。自然から切り離され始めている。主人公のキキは、トトロのようには飛べない。不安定で、時に転落する。孤独や挫折を味わう。

 しかし、キキは町の暮らしに溶け込み、何とか生きていく。壮大な成功がある訳でもなく、英雄になることもない。小さな親切に支えられ、時に嫌な人とも折り合いをつけていく。物語は「落ち込んだりすることもあるけれど、私は元気です」で終わる。

 宮崎アニメは着陸したように見えた。しかし、その先には豚になった中年男性の姿があった。『紅の豚』だ。自然と一体化することなど到底できないニヒルな中年男。そこには宮崎の自己嫌悪が投影されていた。

 宮崎は「折り返し点」を迎える。『もののけ姫』以降、彼は「その先」に行こうと再び苦闘し始める。ラディカルな問いは、物語から整合性を奪っていく。破綻、矛盾、迷走。ストーリーは、強引な突破を続ける。「すべてが完璧に充実しきった純粋結晶としての作品は、もう、作ることができない」。そして引退。

 杉田は宮崎に対して「やりきっていない」と言う。このままで終わっていいのか。宮崎は本当にタタリ神になってしまうのではないか。

 杉田は高次の世界を希求する。それは醜悪な世界の対岸ではない。どうしようもない欲望の先に開かれる神々しい世界である。

 杉田の批評は自己を深く切り裂きながら、前へ進もうとする。痛々しい希望と宮崎への過剰な期待を動力として言葉を紡ぐ。論理の整合性を打ち破りながら。

 言いたいことはよくわかる。私の胸も張り裂けそうだ。しかし、「宮崎なら描ける」という欲望は、本当に世界を開くのか。世界は普遍的に『魔女の宅急便』の希望に落ち着くのではないか。

 引退会見で宮崎は「ジブリ美術館の展示物を描き直したい」と語った。私はそんな<となりの宮崎駿>の絵を見たい。
    --「今週の本棚:中島岳志・評 『宮崎駿論-神々と子どもたちの物語』=杉田俊介・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140518ddm015070029000c.html:title]

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覚え書:「今週の本棚:中村桂子・評 『宇宙と人間 七つのなぞ』=湯川秀樹・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。


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今週の本棚:中村桂子・評 『宇宙と人間 七つのなぞ』=湯川秀樹・著
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊


 (河出文庫・842円)

 ◇学問とは? 知的心地よさ回復へ

 一九七四年、「ちくま少年図書館」の一冊として書かれた本の文庫化である。日本人初のノーベル賞受賞者である著者は、少年向きの本の執筆を依頼され、「自分の中学生、高校生のころをふりかえってみると、結構むつかしい本を読んでいた。半分しかわからなくても--あるいはわからなかったからこそ、かえって--おもしろいということもあった」ことを思い出し、「むつかしいとか、やさしいとかに余りこだわらずに、七つのなぞ式の本を書いてもよいのではないか」と考えたのである。

 なぞとは、「人間の抱く多種多様な疑問の中でも、解答をだすことが特に困難で、しかも相当多くの人に共通する疑問」であり、著者は、宇宙・素粒子・生命・ことば・数と図形・知覚・感情の七つを選ぶ。どれも魅力的だ。しかも、湯川先生、「宇宙・素粒子」はもちろん、すべての「なぞ」について御自身の言葉で語られるのである。フィンランドの英雄叙事詩『カレワラ』にある宇宙創造の話から天文学を語り、運動や物質から素粒子へと移る。そして再び宇宙へ。教えましょうという匂いがなく、まさに「なぞ」に向き合い考えている中に連れ込まれる気分が心地よい。最近のこの分野の進歩は急速であり、最先端の知識はない。多くの知識を得たい人は不満だろう。しかし「なぞ」に向き合うことの楽しさを知らずに知識をふやしてもしかたなかろう。

 「生命」は、DNA研究が始まった頃であり、物理学者として興味津々だ。ダーウィンやメンデルを語った後、生命現象も分子レベルでは物理的に理解できるようになったけれど、「われわれがなにかを感じている、あるいは認識をするというそのこと自体は、単なる物質現象とは質的にちがう」のでこれから考えたいとある。

 次の「ことば」が面白い。一九六九年生まれのお孫さんを観察し、先生の帽子を見て「おじいちゃん」と言っていたのが、「おじいちゃんの」と言うようになり、「○○と」や「○○も」もわかっていく過程を追う。関係を表す抽象的概念が半年ほどでわかるのは「なぞ」だ。表現・認識における言葉のもつ意味、さまざまな国のことば、ことばと文字……興味深いテーマをすべて体験をもとに語られることば(・・・)が魅力的で、思わず考えている自分に気づく。

 次が「数と図形」。学校で数学嫌いになった方に読んでほしい。自然数から虚数まで教室でこういう話が聞きたかったと思われるに違いない。十九世紀以降、数学がフィクションになっていくが、実は、実在を合理的に理解しようとする物理がこれに接近し宇宙・素粒子の世界につながるのである。これぞ研究の醍醐味(だいごみ)である。

 最後の「知覚・感情」は、まさに体験からの話で楽しい。思想はことばを媒介としなければ形にならないものであることは確かだ。しかし孫は鏡に映るおじいちゃんと本物とを見ても驚かない。自分と自分以外の世界が存在すると考える実在論の原型は、ことばを持たない幼児にもあると思わざるを得ないとある。

 読書を重ねたうえでの思考に違いないが、すべて咀嚼(そしゃく)された内からの言葉で語られている。この本を取り上げたのは、最近学問とはなにか、学者とはなにかと考え込まざるを得ない事柄が続いているからである。これぞ学問に向き合う人であり、そこから社会、とくに若い人に向けて発せられる言葉は平易でありながら深みがある。人間らしくあること、知的であることの心地よさを思い出し、それを取り戻したいと思う。
    --「今週の本棚:中村桂子・評 『宇宙と人間 七つのなぞ』=湯川秀樹・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140518ddm015070031000c.html:title]

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覚え書:「憲法本:昨年、新刊倍増 集団的自衛権、関心高まり」、『毎日新聞』2014年05月17日(土)付(東京夕刊)。


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憲法本:昨年、新刊倍増 集団的自衛権、関心高まり
毎日新聞 2014年05月17日 東京夕刊

 2013年の1年間に国内の出版社が刊行した「日本国憲法」に関する新刊書籍が、前年の70点から倍増して156点となった。特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認を巡る論議で憲法への関心が高まり、書店の店頭にも特設コーナーが設けられている。

 出版科学研究所(東京都新宿区)によると、08年以降、「憲法関連」に分類される書籍の新刊発行は毎年70-90点で推移していたが、13年に急増。一般向けの軟らかい内容が増えたことが特徴だ。代表的なものとして、条文を話し言葉にした「日本国憲法を口語訳してみたら」(幻冬舎)や、漫画家・赤塚不二夫さんのキャラクター「バカボンのパパ」が登場する「『日本国憲法』なのだ!」(草土文化)がある。

 同研究所は「安倍晋三首相が96条(憲法改正の発議要件)の改正など改憲を訴えた影響が大きい」と分析。今年も3月末までに36点が刊行され「憲法ブームは続いている」という。東京都千代田区の三省堂書店神保町本店は4月中旬から、憲法に関する約20点を集めた特設コーナーを設けている。【小山由宇、安高晋】 
    --「憲法本:昨年、新刊倍増 集団的自衛権、関心高まり」、『毎日新聞』2014年05月17日(土)付(東京夕刊)。

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書評:杉浦敏子『ハンナ・アーレント入門』藤原書店、2002年。


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杉浦敏子『ハンナ・アーレント入門』藤原書店、読了。公共性の復権、政治的なるものの再興、複数性(多様性)の擁護、労働の再考をキーワードに、アーレントの思想を現代に蘇らせる入門。思索を辿るだけでなく、彼女の思索が現代の課題にどのように応答するのかとの意識でその思想の内実を紹介する入門書。

本書は1章をフェミニズムとアーレントに関して割いている。両立しがたい両者だが、自己内部の複数性という彼女の考えに立てば、差異を固定せず、アイデンティティーの偶然性と曖昧性を認めなければならない。

同時に身体の一義性とそれに対する抵抗不可能性を、「行為」と「言葉」が乗り越えるというアーレントの戦略は、フェミニズムの思想に刺激を与えるのではないかと著者は言う。あらかじめ真理を設定せず、自らの臆見を学ぶことを通じて「知」に近くづく戦略は有効ではないかと指摘する。


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 特定の生を強要されることのない自由は、自由主義の獲得した最大の価値であり、近代が要請する自由である。こうした自由と多様性の擁護を、社会の統一性の維持のために犠牲にすれば、全体主義への道を開いてしまうだろう。こうした価値を手放さず、いかに公共性といったものを考えることが可能だろうか。個人が個別の利害を越え、公的なものへの関心を深め、公的なものに対する配慮や責任を担うことはいかに可能か。人々が政治に期待するのは、私的利益の実現と私的福祉の確保ばかりであるというなかで、「本来の政治」、「本来の公共性」をいかに復権することができるのか。
    --杉浦敏子『ハンナ・アーレント入門』藤原書店、2002年、200-201頁。

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覚え書:「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『情事の終り』=グレアム・グリーン著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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今週の本棚:鴻巣友季子・評 『情事の終り』=グレアム・グリーン著
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊

 (新潮文庫・724円)

 ◇創作行為への愛と憎しみの疑似告白録

 グレアム・グリーンの代表作の鮮明な新訳が刊行された。有名な古典作の周りには、その本を遠い昔に読んだ読者のおぼろげな記憶と、まだ読んでいない読者の漠然としたイメージが浮遊している。『情事の終り』でもなんとなく知られているのは、これがある人妻と独身の語り手の不倫関係の回想記であること、彼女の愛した「第三の存在」はこの世のものではなかったこと、ここまでではないか?

 作家で語り手のベンドリックスは小説の取材のために政府高官に近づき、彼の妻サラと恋におちて何年か密会を続けるが、その関係はロンドン空襲のある晩、突然終わりを告げる。それから一年半後に再会があり、語り手はサラに新しい男の影を感じて探偵を雇う。同時にふたりの関係も再燃しかけるが……。

 最初に書くと、『情事の終り』はすっかり情事が終わってからがまた抜群におもしろい。もちろん、世知辛く生々しい情事の記述も、ふたりが再会した後の追跡ドラマ(探偵劇の中心人物なのにコミック・リリーフに近いドジ探偵が傑作)も、惹(ひ)きつけてやまない。しかし彼らが愛したサラの盗みだされた日記が第三部で開示され、第四部で彼女が舞台から退場した後にも、物語はまだまだスリリングに続くのだった。何が書かれるかといえば、遺(のこ)された男性たちの右往左往である。ここにテーマの核心が鏤(ちりば)められている。

 男たちとは、語り手のベンドリックスとサラの謹厳実直な夫。そして、サラが一時期、精神的に頼った合理主義で無神論者。そして、カトリックに改宗しようとしたサラの話を聞いていた神父。誰が一番サラのことを解(わか)っていたのか。彼らはサラと宗教をめぐってぶつかりあい、それぞれに信念のゆらぎを経験する。しまいに語り手とサラの夫がこんな関係になり、無神論者がこんな言葉を口にするとは、グリーン一流の痛烈な皮肉。

 本作はグリーンには珍しい自伝的小説で、語り手は作者の分身的存在とのこと。これは「憎しみの記録」だと序盤に書かれているが、いろいろな意味での告白録でもあろう。ある女性に対する愛と憎しみはもちろん、神に対する愛と憎しみ。それだけではない。作者自身の創作行為への愛と憎しみの疑似告白録としても読める点が、再読で目を引いた。所々で自分の創作流儀を明かしているようでもある。

 土砂降りの夜に公園を歩くヘンリーの姿を想起して始まる冒頭シーンは見事だ。しかし物語は作者が気まぐれに「選んだ」シーンから始まるのではなく、「イメージのほうが私を選んだのではないのか?」と語り手(グリーン)は書く。また、小説を書いていると「座り込んだかのように動こうと」しない登場人物たちがいると愚痴ったりする。そして神にしてみれば、自分たち普通の人間はこういう「詩心も自由意志もない登場人物」と同じでないかと呟(つぶや)く。創作において造り手である彼は、神の登場人物のひとりになることを恐れているのだ。しかし神を信じ愛するとは、そういうことだろう。「(神を愛すれば)僕は仕事も失うだろう。ベンドリックスではなくなるのだよ、サラ。僕はそれが怖い」。

 彼にとって「第三の存在」の露見が衝撃だったのは、恋人を奪った相手が神だったからだけでなく、それが己の創造的自我を脅かすものであったからではないか。人間という小さき創造主の、神という大きな創造主への抵抗。堂々巡りを繰り返す戦い。原題はThe End of the Affairという。情事は終わっても、神との「こと」に終わりはない。(上岡伸雄訳)
    --「今週の本棚:鴻巣友季子・評 『情事の終り』=グレアム・グリーン著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『鉄道政策 鉄道への公的関与について』=盛山正仁・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『鉄道政策 鉄道への公的関与について』=盛山正仁・著
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊

 (創英社/三省堂書店・3024円)

 何気なく利用している鉄道が、どのように生まれ、運営されているか、詳細な資料とともにひもとく。

 新橋-横浜に初めて汽笛が響いた1872年以降、鉄道は日本の人とモノの輸送の中核となった。だが、戦後のモータリゼーションの発達によって、輸送シェアは下がっていく。今や鉄道による旅客輸送量は全体の4分の1、貨物輸送量は1%に満たない。地方では存続が危ぶまれる鉄路も多く、JRでも夜行などの長距離列車が次々と姿を消している。

 高速バスの事故や、長距離トラックが排出する温室効果ガスの増大を耳にするたび、「鉄道軽視の風潮」に違和感を持っていた。だから、著者の「鉄道は社会にとって必要なサービス」との言葉には合点がいく。

 東日本大震災から3年たち、甚大な被害を受けた三陸鉄道が全線再開した際の沿線住民の笑顔は印象的だった。鉄道は地域の足であるだけではなく「顔」でもある、と気付かされた。国鉄民営化以降、「採算第一」「民間運営」が原則となった鉄道の未来に、国や自治体がどうかかわるべきか。著者は「公的負担を投入し、維持することも検討すべきだ」との一石を投じる。(悦) 
    --「今週の本棚・新刊:『鉄道政策 鉄道への公的関与について』=盛山正仁・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『天空の家 イラン女性作家選』=藤元優子・編訳」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『天空の家 イラン女性作家選』=藤元優子・編訳
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊

 (段々社・2160円)

 イランの現代女性作家7人の1980年以降の短編を収録した。近代化、経済成長、貧富の差の拡大、79年のイスラム革命、対イラク戦争。激しく揺れ動く社会の中で、女性作家たちが次々と登場し、検閲に苦しみながら、力作を発表し続けているという。確かにそんな熱い息吹に触れることができる一冊だ。

 作品すべてを読むと、女性たちが自分の居場所を求めてさまよう姿が浮き彫りにされているのがわかる。孤独のうちに、ヒロインたちは懸命に自らの生き方を探っている。

 ゴリー・タラッキーの表題作には、国外移住してバラバラになった家族の元をたらい回しにされる老いた女性の姿が描かれる。革命から戦争へと進んだ人々の受難がしみじみと伝わってくる。結婚相手によって次々に変わっていく女性を描いたダーネシュヴァルの「アニース」にはチェーホフ作品のような哀切感が漂う。主人公が叔母の死に接して遠方の葬儀に向かうヴァフィーの「見渡す限り」は多彩な人間模様を落ち着いた筆致で記して忘れがたい。

 編訳者は大阪大教授。平易な訳、わかりやすい注釈と解説で、作品群を私たちに近づけてくれた。(重) 
    --「今週の本棚・新刊:『天空の家 イラン女性作家選』=藤元優子・編訳」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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日記:吉野作造記念館開館20周年記念特別展「吉野作造とキリスト教」


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宮城県大崎市の吉野作造記念館開館20周年記念特別展「吉野作造とキリスト教」が5月25日(日)より開催されます。

25日のオープニング講演会を私が担当します。戦前日本のキリスト教史において吉野作造の信仰は希有な足跡を残しました。そのアクチュアリティをお話します。吉野作造の信仰と実践は、キリスト教だけに限定されるものではありません。

当日は展示構成の内容に沿った形でお話ししようかと思います。

ご関心のある方はぜひ、お立ち寄りいただければと思います。


 
■企画展「吉野作造とキリスト教」 詳細
期 間 平成26年5月25日(日)~8月3日(日)
内 容 吉野とキリスト教の関係、吉野を育てた
     東北宮城のキリスト教文化を紹介します。
展示構成
 Ⅰ 宮城のキリスト教の黎明
 Ⅱ 吉野作造と近代日本のキリスト教
 Ⅲ 大正デモクラシーとキリスト教
 Ⅳ キリスト教と社会貢献の精神

〔 オープニング講演会 〕
日 時 平成26年5月25日(日)14時~16時
講 師 氏 家 法 雄 氏
     (財団法人 東洋哲学研究所・委嘱研究員)

〔 創作劇 GOODNESS-ブゼル先生伝〕上映会
日程 6月8、15、22、29日
時間 14時~(上映時間2時間12分)


吉野作造記念館↓
[http://www.yoshinosakuzou.jp/:title]

「吉野作造とキリスト教」展チラシpdf↓
[http://yoshinosakuzou.jp/documents/kirisuto.PDF:title]


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覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『女のいない男たち』=村上春樹・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『女のいない男たち』=村上春樹・著
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊

 (文藝春秋・1700円)

 ◇うかがい知れない男女の心へのまなざし

 村上春樹の久々の短編集である。この前の短編集は、「都市生活者をめぐる怪異譚(たん)」を集めた『東京奇譚集』(二〇〇五年)。さらにその前の短編集は、神戸の震災と地下鉄サリン事件にはさまれた時期に焦点を合わせた『神の子どもたちはみな踊る』(一九九八年)。この二つの短編集は、かなりはっきりしたモチーフによって結びついた連作といった趣が強い。今回の短編群も、短期間に集中的に書かれ、主人公のあり方をめぐる一つのコンセプトのもとにゆるやかにつながっている。それは、表題が示している通り、「女のいない男たち」ということだ。どういうことだろうか? ここに収められた六編の作品を、具体的に見ていこう。

 まず、最初の「ドライブ・マイ・カー」は、若い女性を一時的に専属の運転手として雇った中年の俳優、家福(かふく)を主人公とした物語。数年前亡くなったやはり女優だった美しい妻との結婚生活は順調だったのに、彼女はなぜかときおり、別の男とセックスをしていた。妻はそれを隠していたが、彼はそのことを見抜いていた。しかし、どうして妻にそれが必要であったのかが分からない。家福は、妻の死後、彼女と「寝ていた」男と友だちになり、妻の気持ちを理解しようとするのだが……。

 二つ目の「イエスタデイ」は、田園調布で生まれ育ったのに関西弁を話す、木樽(きたる)という変人と学生時代に友だちになった「僕」が語り手となる(僕は村上春樹と同じ、芦屋の出身だが、逆に東京弁しかしゃべらない)。木樽とその恋人えりかは惹(ひ)かれあっているのに肉体関係を結ぶことなく、別れてしまい、「僕」は一六年後にえりかとある場所で偶然に再会し、木樽がいまだに独身のまま海外で鮨(すし)職人として生きていると知らされる。

 三番目の「独立器官」は、渡会(とかい)という美容整形外科医が主人公。彼の経験を「職業的文章家」である「僕」が追うという設定だ。渡会はすでに五〇代だが未婚。裕福な医師として独身生活を楽しみながら、あとくされのない女性たちと次々と関係を持ってきた。「紳士とは、払った税金と、寝た女性について多くを語らない人のことです」などという警句も、さらりと言ってのける。ところが、ある時、その彼が破滅的な恋に落ちてしまう。相手は一六歳年下の人妻。かなわぬ恋に彼は苦しみ、食事も喉を通らなくなり、彼女が夫とは別の若い男と駆け落ちをしてしまったことが決定的打撃となって、ついに強制収容所の囚人のように痩せ衰えて……。プレイボーイが中年にして初めて見つけた恋は、あまりに純粋で残酷だった。

 四番目の「シェエラザード」は、「ハウス」と呼ばれる住居に潜伏して外界と連絡を絶っている男をめぐって展開する。彼のもとに生活に必要な品物を届けにくる女がいて、彼女はついでにセックスの相手もつとめ、「性交」のたびに不思議な話を聞かせてくれる。性と危険がないまぜになったところに発生する、禁断の物語の「わくわく感」が魅力的だ。

 そして、集中おそらくもっとも優れた奇妙な味の作品が、五番目の「木野(きの)」である。妻の不倫のせいで退職、離婚し、いまではバーを経営している四〇代の木野という男が主人公だ。初めのうち、バーの客をめぐる現実的な描写が続くのだが、店に居ついていた猫が消え、店の近所に蛇が次々に姿を現し、カミタという坊主頭の常連客が奇妙な警告を発し、物語は超自然的な怪異の雰囲気を漂わせ、木野は呪いを避けるかのように、店をたたんで遠くに行かざるを得なくなる……。

 最後の六番目の「女のいない男たち」は、以前つきあっていた女が自殺したとの知らせを、彼女の夫から深夜に電話で受けた「僕」の思いをつづったもので、短編集の表題の説明になっている--人はどのようにして「女のいない男たち」になるのか。

 全体を通して言えるのは、若者文化のトップランナーを続けてきた村上が少し肩の力を抜いて、年齢相応のしっとりとした佳品を書いたという感じである。いずれも快く読める短編だが、奥底までうかがい知ることのできない男女の心の「秘密」へのまなざしは、研ぎ澄まされている。陳腐なまとめ方になってしまうが、これらの作品に共通しているのは、人が心の奥底で感じ、考えていることは、たとえ恋人どうしや夫婦であっても互いにうかがい知ることができないということだ。

 「独立器官」という奇妙な表現が意味するのは、人は自分の力ではどうすることもできない「独立器官」によって、嘘(うそ)をついて相手をだましもすれば、死に至る破滅的な恋もするということだ。考えてみると、これは神も宿命も見失ってしまった現代人に残された、純粋な愛の形を示すものではないだろうか。この境地にたどり着くまでに、村上春樹は、そして私たちは、どれほどのことを経験してこなければならなかっただろう。この短編集に現れているのは、まさに、いくつもの破局と惨事を経て初めて可能になった円熟である。
    --「今週の本棚:沼野充義・評 『女のいない男たち』=村上春樹・著」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『疎外と叛逆 ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話』=寺尾隆吉・訳」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『疎外と叛逆 ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話』=寺尾隆吉・訳
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊

 (水声社・1944円)

 先月死去したラテンアメリカ文学の巨星、ガルシア・マルケスが、代表作『百年の孤独』の成功直後に行った公開対談である。相手は当時すでにスター作家だったバルガス・リョサ(ジョサ)。ラテンアメリカ文学ブームを牽引(けんいん)し、のちにノーベル文学賞を受賞した二人の対話は、互いの文学観や個性のちがいが際立ち、実にスリリングだ。時は1967年9月、場所はペルー・リマ。

 <『百年の孤独』は幻想的作品と呼んでいいか。あなたは自分をリアリズム作家だと思っていますか>とストレートに尋ねるリョサに、<ラテンアメリカではすべてが起こりうるし、あらゆることがリアルだ>と答えるマルケス。論理と真面目さで迫るリョサを、マルケスは老獪(ろうかい)にかわして煙に巻く。そのやり取りに、双方の創作の秘密が見え隠れする。

 政治的スタンスだけでなく、人間的にも対照をなす二人は、その後決裂する。尊敬と友情に支えられた若き日の応酬には、世界文学の先端を走る気概と自信を感じる。他にリョサによるマルケス論、メキシコの作家、エレナ・ポニアトウスカに答えたリョサのインタビューを収録。60年代の熱を知る貴重な記録だ。(部)
    --「今週の本棚・新刊:『疎外と叛逆 ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話』=寺尾隆吉・訳」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『クラシックの核心 バッハからグールドまで』 著者・片山杜秀さん」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『クラシックの核心 バッハからグールドまで』 著者・片山杜秀さん
毎日新聞 2014年05月18日 東京朝刊

 (河出書房新社・1944円)

 ◇今だから書けた音楽家たち--片山杜秀(かたやま・もりひで)さん

 「大リーグのエースが投げてくる球を日本の辺境にいる人が打ち返せないかという気持ちで話していました」。音楽の教科書に載っているモーツァルトやバッハら大物音楽家9人を直球勝負に挑むように語り尽くす。

 9人ともムック『文藝別冊』で特集された音楽家たち。聞き手となった編集者たちの質問に答えるインタビュー形式でまとめあげ、雑誌掲載時の原稿に加筆修正し、単行本化した。神童と呼ばれるモーツァルトを<刹那(せつな)の芸術>とし、<現代が起承転結や脈絡を失い、われわれが刹那的になればなるほどモーツァルトはリアリティを持って迫ってくる>。壮大なオペラ作品を多く残したワーグナーを<異分野統合の総合芸術に挑んで成果を出している>と評価、<人間が総合という観念に惹(ひ)かれているかぎり、ワーグナーは必勝者である>と結論付ける。

 一方で各作品との個人的な出会いにも言及している。バッハは、小学生の頃に見ていた子供向けテレビ番組のBGMから知ったことを明かす。「現代の情報化社会の中で、クラシック音楽との出会い方という一つのサンプル記録集にはなったと思う」

 毎回1時間程度のインタビューとは思えないほど濃密な内容だ。事前に質問事項が与えられていたわけではなく、その日取り上げる音楽家の名前ぐらいしか知らされていなかったという。「あまりストーリーは作らないで、いつも出たとこ勝負みたいでした」。多角的な視点からの分析が次から次へと展開し、行間からは話し言葉ならではの臨場感が伝わってくる。

 音楽批評を中心に学生時代からフリーランスのライターとして活動。子供の頃から親しんできた近現代の音楽作品について執筆を求められることが多く、世間で有名な大物音楽家たちとは距離があった。「(大物音楽家に)そこまで深い思い入れはなかったけど、たくさんの球を打ち返さないと食えないという時に、少し好きなものを詳しく知る機会が仕事として訪れた」と振り返る。「来る仕事を断らずにやってきたためにおのずとネタが仕込まれていたことが、今回の本ができた理由の一つかな。若い時だと無理だったでしょうね」<文・須藤唯哉/写真・喜屋武真之介>
    --「今週の本棚・本と人:『クラシックの核心 バッハからグールドまで』 著者・片山杜秀さん」、『毎日新聞』2014年05月18日(日)付。

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書評:橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、2014年。


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橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、読了。戦争で開催中止になったことはあるが、夏季オリンピックの開催都市が自発的に大会を返上したのは第12回東京大会(1940年)以外にない。本書は招致から返上に至るその経緯を克明に描き出す。94年NHK出版刊行の文庫収録。

近代オリンピックの歴史は、対IOCだけでなく、国内問題としても、かなりの部分が政治との闘いの歴史でもある。1940年東京オリンピックも例外ではなさzい。皇紀2600年慶祝のイベントは猛反対から始まったが曲折の末、冬季大会も札幌と決まる。

日本の侵略主義が開催ボイコットに直結するが、肝心の競技施設を準備せず開催意欲だけ先行した立候補が仇になる。日中戦争の拡大で競技場建設がストップし、開催か中止かの岐路に立たされる。「たかがスポーツの大会」としか考えぬ軍人たちはプロパガンダに利用したナチス以下の頭脳とも言えよう。

「ベルリン大会が真の国際平和と親善になんら貢献しなかったように、きたるべき東京大会もオリンピック本来の目的達成に役立つことはないだろう。さらに、米国選手がベルリン大会に参加したことがナチの宣伝を助ける結果になったのと同様に」東京大会でも利用されるとNYT電。

オリンピックとは政治との闘いの歴史であり政治そのものであるが、「平和の祭典」という看板もそれ以上に「現実」である。20年に東京開催を控える現在、政治に翻弄され「平和の祭典」を理解できなかった苦い過去を振り返ることは意義がある。

幻の第12回夏季オリンピックのメイン競技場は、なかなか決まらず最終的に神宮外苑競技場を改修して利用することに開催返上の前年(1937年)に決定しますが、それから6年後に、ここで出陣学徒壮行会が挙行される訳でして。それまで“取り戻”されたらどないしようかと、、、ぐったり。

橋本一夫さんが『幻の東京オリンピック』を94年に刊行した時、「日中停戦が実現して第十二回大会が東京で開催され、大勢の外国人が来日していたら、内向き志向の日本人の考え方も変わり、日本の軍国主義化にも一定の歯止めがかかっていたのではないか」という意見が多く寄せられたという(あとがき

「五十六年ぶりの夏季大会である。東日本大震災からの本格復興、原発事故や放射能汚染水の処理など困難な問題を抱える日本が、はたしてどんなオリンピックを開催するのか。世界中の目がそそがれることになる」との表現で著者は留まる。

オリンピック開催を返上して無益な戦争を拡大し破産して半世紀以上経った。外国人はたくさん、来日している。しかし、一方では「朝鮮人を殺せ」のような声も大きくなるし、一国を指導すべき人々が先の戦争を美化してやまないのが現在であることを考えると暗澹とした気持ちになってしまう。

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覚え書:「死刑のための殺人―土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録 [著]読売新聞水戸支局取材班」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。


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死刑のための殺人―土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録 [著]読売新聞水戸支局取材班
[掲載]2014年05月11日   [ジャンル]社会 

 2008年3月、「死刑になりたい」と茨城県のJR荒川沖駅などで9人を殺傷し、13年2月に29歳で死刑執行された金川真大。小林泰明記者ら取材班は金川と37回も面会し、「誰でもよかった」「人を殺すことは蚊を殺すことと同じ」とうそぶき、共感も罪の意識をも拒絶する「見えない魂」の謎に迫ろうとする。一つの鍵は本書で「砂漠」と評された家族間の意思疎通のまずさ、情愛表現のとぼしさだ。上の妹は同居している母と筆談でしか話さない。それを不審に思わない父は公判で「死刑にすべき」と繰り返す。下の妹や弟も「迷惑だ」「関心はない」。後輩との面談に動揺し涙ぐむ金川を見た著者の「可哀想に」の思いがやるせない。
    ◇
 新潮社・1404円
    --「死刑のための殺人―土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録 [著]読売新聞水戸支局取材班」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014051100008.html:title]

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死刑のための殺人: 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録
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覚え書:「研究倫理とは何か 片瀬久美子さんが選ぶ本 [文]片瀬久美子(サイエンスライター)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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研究倫理とは何か 片瀬久美子さんが選ぶ本
[文]片瀬久美子(サイエンスライター)  [掲載]2014年05月11日


■科学者に求められるもの

 STAP細胞の論文を巡り、一般の人たちにも「研究倫理の問題」が身近な話題となっている。過去に起きた研究不正事件を知ることは、研究者に求められる倫理とはどういうものなのかを具体的に考えていく上で参考になる。入門書としてはウイリアム・ブロード&ニコラス・ウェイド著、牧野賢治訳『背信の科学者たち』(講談社ブルーバックス)がお薦めであるが、残念ながら現在品切れであり復刊が望まれる。米国では1980年代から研究不正行為の発覚が相次いで起こり、社会問題となり始めていた。原著は83年に書かれ、科学記者の著者2人が様々な事例を取材して研究不正問題を広く提起した本であり、この系統の本の中では「古典」として位置づけられているが、その内容は今でも色あせていない。

■「画期的」の裏に
 事例研究として優れているのは村松秀著『論文捏造(ねつぞう)』である。この本で取り上げられているのは、2002年に発覚した米国の名門研究所を舞台としたヘンドリック・シェーン氏による論文捏造事件である。読み返すと、この事例はSTAP細胞論文の問題との類似点が多いことに改めて気付かされる。若手研究者がその人しか再現できない「画期的」な研究成果を出し、その分野で著名な研究者にプロデュースされ、有名科学誌に論文が掲載され、「スター研究者」として華やかに登場する。この事件は、過去に起きていたジョン・ロング事件(1979年)やマーク・スペクター事件(81年)等とも共通性がある。その人しか再現できない研究成果を出すことで「凄腕(すごうで)の研究者」として賞賛されたカリスマが、実は不正を行っていたというケースは、過去の大型捏造事件に共通した典型的なパターンでもある。科学として大事な手続きである第三者による「再現性」の確認が疎(おろそ)かであったことは特記しておきたい。
 STAP細胞論文の不正問題が日本の世論を賑(にぎ)わせているが、著者たちへの批判と共に擁護論も活発に行われている。不正を疑い調査の必要を訴えた人に対し、中傷や罵倒が盛んに行われる状況にエスカレートしている。韓国では、黄禹錫(ファンウソク)氏の論文捏造発覚後に、「将来の難病治療に有望な成果を出した研究者を潰すな」「国益のためにも黄禹錫氏を守れ」との擁護論が強まったことを思い出させる。黄禹錫氏の熱心な支持者たちが起こした様々な反応は李成柱(イソンジュ)著『国家を騙(だま)した科学者』に詳しく書かれている。著者の李氏は2005年に発覚した日本での研究不正の事例を取り上げて、不正を批判した科学者たちに対して妬(ねた)みによるものだと考える人はいなかったとして日本社会の成熟度を褒めているが、今回のSTAP細胞騒動を見ると五十歩百歩ではないかと思う。

■共著者の責任は
 STAP細胞論文では、不適切なデータ使用の他に、共著者の責任についても注目されている。論文のオーサーシップの問題(誰を共著者に入れるべきか、または入れてはいけないか)は近年重要視されてきており、特に欧米諸国では厳しい目が向けられている。こうした経緯については山崎茂明著『科学者の発表倫理 不正のない論文発表を考える』で紹介されている。科学誌の編集者たちが集まって科学論文のあり方を討議してきた歴史や、論文不正に関する最近のデータが紹介されており、研究倫理問題の動向を知る上でも参考になる。
    ◇
 かたせ・くみこ サイエンスライター 64年生まれ。『もうダマされないための「科学」講義』(共著)など。 
    --「研究倫理とは何か 片瀬久美子さんが選ぶ本 [文]片瀬久美子(サイエンスライター)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「絶望の裁判所 [著]瀬木比呂志 [文]斎藤環(精神科医)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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絶望の裁判所 [著]瀬木比呂志
[文]斎藤環(精神科医)  [掲載]2014年05月11日

■「収容所群島」の住人たち

 本書がありがちな内部告発本と異なるのは、昨今の司法界を巡って人々が漠然と感じていた違和感に、「複雑明快」とでも言うべき答えを示した点だ。ハードな内容ながら広く読まれているのもうなずける。
 近年、袴田事件のような冤罪(えんざい)や有罪率の異常な高さなど、刑事司法の理不尽さが目に余る。取り調べの透明性が確保されないまま自白が偏重される日本の刑事司法は、国連でも「中世」レベルと批判された。なぜ中世のままなのか、本書を読めばその理由が“絶望的”なまで良くわかる。
 最高裁での勤務経験もある元エリート裁判官の著者は、現在の大学教員という外部の視点から司法界の内情に鋭く切り込む。
 そこには構造的な問題がある。とりわけ重要なのは、事務総局中心体制というヒエラルキーと、日本型キャリアシステムだ。私の見るところ、これは典型的な「タテ社会(中根千枝)」の病理に近い。
 排他的で閉じた中間集団(司法界)がある。内部には細分化された序列構造があり、根拠が曖昧(あいまい)なまま出世や人事が決まる(著者いわく「ラットレース」)。人々は強い閉塞(へいそく)感を感じながらも、誰もラットレースから降りられない。日本の裁判官はこうした「収容所群島」の住人だ、と著者は喝破する。
 病理に対する処方箋(せん)として、著者は英米流の「法曹一元制」を主張する。弁護士経験者から裁判官・検察官を任用する制度のことだ。資質のある医師が厚労省のキャリア官僚になるような話で、説得力がある。
 本書に対する法曹界の反応に注目したい。冷笑と無視だけなら、この業界は確かに終わっている。活発な議論の端緒とすることで、ぜひ「司法界はじまったな」と言わせて欲しい。
    ◇
講談社現代新書・821円=6刷6万5千部 
    --「絶望の裁判所 [著]瀬木比呂志 [文]斎藤環(精神科医)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:ノーム・チョムスキーの展望する、「来るべきアナーキスト社会」


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問:あなたがアナーキスト社会という言葉を口にするとき、今の多くの人たちは誤った印象を持つのではと思います……あなたの描くアナーキスト社会とは、超過激な民主主義の一形態という意味なのでしょうか?

 まず最初に申し上げておくと、「アナーキズム」の概念をほんとうに把握している人は誰もいません。アナーキズムにはきわめて広い背景があります。実際に、アナーキスト運動にはあらゆる要素が見出せるでしょう。だからアナーキスト運動とは何かという質問には、ほとんど意味はありません。さまざまな人々が、自分にはアナーキスト的傾向があると言ったとしても、実際に考えていることはそれぞれ大きくちがっています。
 しかし、アナーキストの運動家や思想家たちが考えるなかでも、特に進んだ社会のあり方があります。きわめて高度に組織化、構造化された社会でありながら、自由と自発的な参加を基盤とするような社会のことです。
 たとえば、先ほどオハイオ州の労働者およびコミュニティ所有の工場ネットワークの話をしましたが、あれがアナーキスト本来のビジョンなのです。たがいに自由な結びつきを持った参加者たちが、企業を所有するばかりか、経営までするとしたら、これは進歩への大きな一歩でしょう。国家レベルにまで広がっていく可能性もある。世界レベルにまでも。そう、たしかに、権力の基盤の上に組織化された社会の、高度に民主的な形態ともいえます。もっとも、代表者をもたないという意味ではない--代表者はいてもいいが、リコール可能で、参加者の影響下、制御下になくてはならないということです。
 こうした社会を誰が支持しているか? 名前を挙げるなら、アダム・スミスです。スミスが信じていたのは--その信念が適切だったかどうかはともかく、市場システムと個々人の選択という「見えざる手」によって、誰もが参加できる平等な社会がもたらされるということでした。実際はるか昔の時代にまで遡れる。有史以来初めて政治について本格的に書かれた書物、アリストテレスの『政治学』にも、そうした考え方は見られます。
 アリストテレスはさまざまなタイプの政治体制を評価した結果、民主制が最も欠点の少ない体制だと考えました。しかし民主制は、なるべく平等な社会になるように組み立てなければ機能しないだろうとも言っています。そしてアテネに対し、具体的な制度の尺度を提案した。これは今の言葉でなら、福祉国家の尺度といえるでしょう。
 こうした考え方の由来はたくさんあり、その多くは啓蒙主義から直接生まれたものです。しかし誰も「アナーキストの社会はこのようになる」と言えるほど権威を持ってはいないと私は思います。ごく詳細な見取り図を描くことができると考える人たちもいる。しかしその点についての私の感じ方は、本質的にマルクスと同じです。そうしたビジョンをつくりあげるのは、自由に生きて役割を果たしつつ、自分たちにどういった社会やコミュニティがふさわしいかを自ら考え出そうとする人たちの役目でなくてはなりません。
    ノーム・チョムスキー(松本剛史訳)「三〇年におよぶ階級闘争の果てに」、『アメリカを占拠せよ!』ちくま新書、2012年、85-88頁。

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覚え書:「「アイドル」の読み方―混乱する「語り」を問う [著]香月孝史 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。


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「アイドル」の読み方―混乱する「語り」を問う [著]香月孝史
[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)  [掲載]2014年05月11日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

■「饗宴の場」という新しい定義

 昨今はAKB48をはじめとするアイドル全盛の世である。だが、このアイドルという存在。論者によって、微妙に解釈がずれる。だから、畏(おそ)れ多くも菩薩(ぼさつ)に比される山口百恵、かしこくもキリストを超えたとの評がある前田敦子。どちらが真のアイドルか、という議論は白熱するが、決着を見ることがない。そこで新進気鋭の文化社会学者である著者は思い立った。アイドルとは何かを、微に入り細に入り、徹底的に考えてみよう。みんなの議論の土俵を、整えてあげようじゃないの。
 小難しく考えるなよ。所詮(しょせん)はあれだ、ちゃらちゃらかわいくて、歌って踊るヤツでしょう。いや、それではダメなのだ。今はテレビがアイドルであることを保証してくれる時代ではなくなったから。
 著者の行き着いたアイドルの新しい定義とは、「饗宴(きょうえん)の場」であること。……? 人ではなく場って何のこと? それは読んでのお楽しみ。さあ、本書で予習して、大いにアイドルを語ろう!
    ◇
 青弓社・1728円
    --「「アイドル」の読み方―混乱する「語り」を問う [著]香月孝史 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「おじさんの哲学 [著]永江朗 [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。


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おじさんの哲学 [著]永江朗
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2014年05月11日   [ジャンル]文芸 

■肩の力を抜いた言葉に説得力

 本書でいうおじさんはいわゆるオッサンではなく、父母の兄弟のおじさんのこと。おじさんは父親とちがって自由な風を運んでくれる存在だと誰かから聞いたことがあるが、本書は様々な著述家の言動や考え方を紹介し、そこからおじさん的なものを読み取る作家論、おじさん論である。
 常識にとらわれず、本流からも外れ、本業が何かすらよく分からないくせに、その言葉に妙な説得力があるのがおじさんの魅力。でもおじさんだって自分の家では常識的なお父さんとして振る舞っているはずだから、たぶん他人の家に来て、少しいい加減になっているぐらいが人間ちょうどいいのかもしれない。
 本書で紹介された著述家たちはどこか肩の力が抜けていて、声高に正論を述べることに野暮ったさを感じている雰囲気があり、そこがおじさんっぽい。そう、つまりこれはかっこいい男論でもあるのだ。読んでいてこんな大人になりたいと思う、おじさんっぽい本である。
    ◇
 原書房・1944円 
    --「おじさんの哲学 [著]永江朗 [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「徹底討議―日本のエネルギー・環境戦略 [編著]柳下正治」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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徹底討議―日本のエネルギー・環境戦略 [編著]柳下正治
[掲載]2014年05月11日   [ジャンル]医学・福祉 

 日本のエネルギー政策は、わずか3年で元に戻りつつある。2年前の夏、全国で熱い国民的議論が展開され、「2030年代原発依存度ゼロ」が決まったことなど、はるか記憶のかなただ。
 本書は、それにかかわった政府関係者や専門家の講演と討議をまとめた決定過程の検証である。討論型世論調査に参加すると他人の意見を尊重し、妥協をいとわなくなるなど興味深い発見もある。
 エネルギーや安全保障などの政策決定に国民が関わる機会が減り、一度は当事者になった国民の多くが再び観察者に戻ってしまったいまだからこそ、改めてものごとの決め方と「熟議」の大切さが身にしみる。
    ◇
 上智大学出版・3024円 
    --「徹底討議―日本のエネルギー・環境戦略 [編著]柳下正治」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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徹底討議 日本のエネルギー・環境戦略
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覚え書:「みんなの広場 海を隔てても心通うはず」、『毎日新聞』2014年05月14日(水)付。

*p5*[覚え書]覚え書:「みんなの広場 海を隔てても心通うはず」、『毎日新聞』2014年05月14日(水)付。


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みんなの広場
海を隔てても心通うはず
アルバイト・50(堺市西区)

 日韓両国の歴史認識をめぐる対立を背景に、その対立をあおるような出版物が増えているように感じる。批判にとどまらず、韓国という国の存在そのものを侮辱するようなものも。海を挟んだ隣国同士が憎悪の言葉を投げつけ合う状況はあまりにも情けない。両国の為政者の責任は重い。

 日本では多くの在日韓国人が暮らしている。長い歳月をかけて日本人との間に「縁の糸」を結んできた人たちだ。芸能、スポーツ、文学、芸術、学術などさまざまな分野で活躍し、日本の社会に貢献し、日本の国民に感動を与えてくれた人も少なくない。差別を乗り越えて歩んできた人たちの努力を損なう不毛な対立は早く収束させるべきだ。

 東日本大震災時には韓国から温かい励ましが寄せられた。このたびの韓国の客船沈没事故には多くの日本人も胸を痛めている。海を隔てても人の心は通い合うはずである。 
    --「みんなの広場 海を隔てても心通うはず」、『毎日新聞』2014年05月14日(水)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 さらなる費用抑制狙う=本田宏」、『毎日新聞』2014年05月14日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
さらなる費用抑制狙う
審議中の医療・介護総合法案
本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 オバマ米大統領が来日中の4月24日、「輝け!いのち ヒューマンチェーン国会大包囲」が開催され、約5500人もの全国から集まった障がい者や患者、医療介護従事者らが国会を取り囲んだ。
 花の谷クリニック院長の伊藤真美氏、日本赤十字看護大学客員教授の川島みどり氏、「認知症の人と家族の会」副代表の勝田登志子氏、それに私の4人が呼びかけ人として参加した。昨年12月に成立した、社会保障制度改革の実施時期を定めたプログラム法に基づき、現在国会で審議中の「医療・介護総合法案」に「黙っていられない」との強い危機感を持ったからだ。
 この法案には、医療法や介護保険法など、国民生活に直結する十数本に及ぶ法改正が盛り込まれるが、5月中旬までに一括で制定する計画で、一つ一つについての丁寧な議論は予定されていない。内容は▽訪問介護の市町村への丸投げ▽特別養護老人ホームの入所対象を要介護3以上の限定▽特養利用料の自己負担を2割に引き上げ▽入院でなく在宅患者を増やすために病院のベッドを大幅削減--など、「持続可能」を錦の御旗に掲げ、安上がりな医療・介護提供体制をつくることが狙いだ。
 我々は「社会保障を改悪するな。憲法に基づいていのちと健康を守れ」をスローガンに、事前に議員会館で記者会見をしたが、新聞やテレビなどがこれを紹介することはほとんどなかった。米国のキング牧師は「世界最大の悲劇は、善意の人の沈黙と無関心」と言ったが、メディアの報道姿勢もあってか、生命に直結する社会保障制度改革への国民の関心は低いままだ。
 東京五輪の5年後となる2025年には、団塊の世代が75歳以上となって、人口の5人に1人が75歳以上、3人に1人が65歳以上となる。その日本で、先進国最低に抑制してきた医療や介護を、さらに改悪する「医療・介護総合法案」が審議されているのだ。
 社会保障が充実している国の投票率は、スウェーデンが85%、アイスランドが83%、デンマークが82%といずれも高い。日本は12年の衆院選が59%、13年の参院選が53%、今年の東京都知事選が46%と低調だ。
 もちろん政治風土や文化の違いはあるが、日本でも社会保障の改悪を阻止し、憲法に基づいたいのちと健康を守る政治を実現するには、一人でも多くの国民がこの問題を正確に認識し、石にかじりついてでも投票して、国民第一の政治家を増やすしかない。
 国民生活に直結する重要情報を、この紙面に加えて、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などを駆使し、自ら発信する努力も合わせて必要だと認識させられた。

プログラム法 社会保障制度改革の工程を定めた法律。国の社会保障制度改革国民会議が昨夏にまとめた報告書に基づき、子育て、医療、介護、年金の社会保障4分野の改革項目や個別法案の提出時期を規定している。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 さらなる費用抑制狙う=本田宏」、『毎日新聞』2014年05月14日(水)付。

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覚え書:「山下清と昭和の美術―「裸の大将」の神話を超えて [編]服部正、藤原貞朗 [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。


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山下清と昭和の美術―「裸の大将」の神話を超えて [編]服部正、藤原貞朗
[評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)  [掲載]2014年05月11日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

■美術と福祉のはざまにある偶像

 山下清の作品を初めてじっくり見たのは、3年前、長野県茅野市の《放浪美術館》を別用のついでに訪問したときだ。その緻密(ちみつ)、繊細、艶(つや)やかな作品群は、ぼくが漠然と抱いていた無骨で素朴という山下清のイメージを根こそぎくつがえした。さらに驚いたのは、山下清の作品や生涯を俯瞰(ふかん)した手頃な研究書が、美術館の売店でほとんど見当たらなかったことだ。
 なぜ、ぼくは、それまで山下清の作品は素朴だと勝手に決めてかかっていたのか? なぜ、見通しのよい山下清論が書かれていなかったのか? この二つの謎が、以来、喉(のど)にささった魚の骨のようにずっと気になっていたのだが、ようやくこの本によって、それらについての明快な回答が得られた。読み終わって、ぼくはとても満足している。
 山下清は美術界からは「精薄の特異作家」としてまともに相手にされず、福祉の世界では「健常者と対等に渡り合える例外的存在」としてやはり特別視された。美術と福祉、両者のはざまにぽとりと落ちてしまった存在は、両方の世界を俯瞰しなければ定位できず、それはとてつもなくも困難な作業だったのである。
 著者二人はこの難事を、膨大な資料を収集し、丁寧に論述を積み上げていくことでなしとげた。社会に定着した山下清の偶像を洗い直していくその手際は、見事である。
 山下清は鏡のような存在だ。あるときは天才的な狂人としてゴッホになぞらえられ、またあるときは自由に放浪する特異画家、あるいは社会的タブーについても歯に衣(きぬ)着せず発言する《裸の大将》となる。これらのイメージには、語る者たちが障害者を思う姿こそが反映されている。
 本書は、その《鏡》に映る自分の姿を改めて見つめ直す契機にもなる。二〇二〇年にはパラリンピックが東京で開かれる。今から心の準備をしておいても、早すぎることは決してないだろう。
    ◇
 名古屋大学出版会・6048円/はっとり・ただし 甲南大学准教授(文学)、ふじはら・さだお 茨城大学教授(文学)
    --「山下清と昭和の美術―「裸の大将」の神話を超えて [編]服部正、藤原貞朗 [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「哲学入門 [著]戸田山和久 [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。


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哲学入門 [著]戸田山和久
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2014年05月11日   [ジャンル]人文 

■「文学」に背向け「科学」と歩む

 何のヒネリもない直球の題名に思えるが、読み始めてすぐ、この「哲学」と「入門」の二語の合体には、きわめて野心的かつ挑発的な意味が込められていることを知らされる。
 著者は本書には「歴史上有名な哲学者」がほとんど出てこないと述べ、ミリカン、ドレツキ、ペレブームといった、耳慣れない哲学者の名前を挙げる。そして、この本が、「科学の成果を正面から受け止め、科学的世界像のただなかで人間とは何かを考える哲学」の「入門」であると宣言する。「科学的世界像」とは別の言葉で言えば「物理主義/自然主義/唯物論」だが、著者はこれを「モノだけ世界観」と言い換え、右の意味での「哲学(者)」にとっては「存在もどきをモノだけ世界観に描き込む」ことが課題であると言う。では「存在もどき」とは何か。それは「ありそでなさそでやっぱりあるもの」、たとえば「意味」「機能」「情報」「表象」「目的」「自由」「道徳」、そして「人生の意味」である。いずれも「哲学」が問題にしてきた概念と言っていいだろう。
 先ほどの課題を逆に言えば、「モノだけ世界観」によって「存在もどき」を説明することが、本書のミッションである。「哲学」や「現代思想」について何となく共有されている、高尚で抽象的なテーマを特殊な言葉遣いを駆使して延々と云々(うんぬん)する、といったイメージに挑戦している。従来の「哲学」はともすれば「文学」に接近するが、そちらの方向には敢然と背を向け、日進月歩の「科学」の達成と歩を同じくしようとする「哲学」。そして著者は、これこそが本物の「哲学」だと言うのである。
 分析哲学、認知科学、進化論などの先端的な知見を武器に、著者は「存在もどき」に次々と挑んでゆく。必ずしも読み易(やす)くはないし、個々の論証の成功の度合いにかんしては意見が分かれるかもしれない。だが、まずはこのすこぶるユニークな『哲学入門』の登場を言祝(ことほ)ぎたい。
    ◇
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    --「哲学入門 [著]戸田山和久 [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「〈働く〉は、これから―成熟社会の労働を考える [編]猪木武徳 [評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。


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〈働く〉は、これから―成熟社会の労働を考える [編]猪木武徳
[評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学)  [掲載]2014年05月11日   [ジャンル]経済 社会 

■魔法の解決策はないからこそ

 日本の社会で、働くということがここまで盛んに論じられるようになった時代もめずらしいかもしれない。拡大する非正規雇用やリストラの問題、ブラック企業の内実、女性の就業や高齢者の雇用など、そのテーマも多岐にわたる。それだけ、労働をとりまく社会環境が大きく変化しているということだろう。バブルの時代には日本経済の強さの秘密としてあれほどもてはやされた終身雇用や年功序列賃金といった慣行も、いまでは日本経済の長期停滞の元凶として槍玉(やりだま)にあげられるようになった。
 働くことをめぐって数多くの書籍が出版されるなか、本書の特徴は、論集のかたちをとりながら働くことの意味をできるだけ広い視野のもとで位置づけようとしているところにある。就労の形態も仕事の内容もますます多様化し、ライフコースの「標準」といったものがもはやなりたたなくなった時代状況において、働くことの価値をどのように考え、労働の現状をどのように改善していくべきか。こうした問いが本書を貫いている。といっても、けっしてそこでは抽象論が展開されているわけではない。統計的なデータを重視し、現場への訪問調査をいとわない姿勢が随所ににじみでている。
 本書のなかでも私がとくに関心を惹(ひ)かれたのは、ありうべき雇用改革を論じた清家篤の論考だ。雇用制度の改革というと、終身雇用をやめれば日本経済は再生するといったような、これまでのやり方を百八十度転換すれば問題は一気に解決するかのごとき勇ましい議論ばかりが目立つ。これに対し清家の論考は、広い視野にたてばそのような魔法の解決策は存在しえないこと、地道な努力だけが真の改革を進めることができることをていねいに説く。勇ましい議論になびきたくなる閉塞(へいそく)した時代だからこそ、謙虚に受けとめるべき貴重な提言である。
    ◇
 岩波書店・2052円/執筆者は猪木武徳、杉村芳美、清家篤、岩井八郎、藤村博之、宇野重規の各氏。 
    --「〈働く〉は、これから―成熟社会の労働を考える [編]猪木武徳 [評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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〈働く〉は、これから――成熟社会の労働を考える

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書評:岡田温司『黙示録 イメージの源泉』岩波新書、2014年。


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岡田温司『黙示録 イメージの源泉』岩波新書、読了。禍々しいイメージがつきまとう黙示録だが、本来の意味は「秘密のヴェールが剥がれること」。一体、どのような書物なのか。そしてその思想やイメージはどう育まれてきたのか。本書はテクストに忠実に寄り添い、人間の想像力に与えてきた影響の本質に迫る。

著者はまず黙示録そのものに焦点を合わせ、その全体像を浮かび上がらせ、新約・旧約に通底する黙示録思想を検討する。その上で、西洋史においていかに解釈されてきたのが俯瞰する。後半部分では、図象から映画まで黙示録の具体的イメージを読み解いていく。

宗教画から「地獄の黙示録」まで。黙示録の思想は救済と希望と勇気の源泉だが、一方で不寛容と暴力の源でもある。著者はその両存に注目する。日本で黙示録と聞けば「ムー」的オカルト的理解が大勢だからこそ、終末思想を正しく理解することは促す本書を読む意味がある。

「手を替え品を替えて繰り出されてくる黙示録や終末論のレトリックに、踊らされる必要は毛頭ないが、だからといって無視することもできない。いたずらに振り回されないためにも、その源泉や変遷を知っておくのも無駄ではないだろう」。

因みに現代の思想家で最も「黙示的」なのは、アガンベンと著者は言う。

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 現代の哲学者のなかで、いちばん黙示録的なのは誰かと尋ねられたら、わたしは迷わずジョルジョ・アガンベン(一九四二生)と答えるだろう。このイタリアの哲学者は暴く、生きるに値する生とそうでない生の選択を否応なく迫ってくるような政治外交や医療の現実のなかで、わたしたちはかつてなかったほど「剥き出しの生」の現実にさらされている、と。内戦や宗教的対立によってもたらされるおびただしい数の難民、さらに高度の出生前診断や終末期医療にみるように、生を守るべき政治が、死を招くような政治へと不可避的に転倒してしまう時代を、わたしたちは生きているのだ(『ホモ・サケル』)。こうした状況を踏まえて、アガンベンは近年ますます、「所有」から「使用」へ、「豊かさ」から「貧しさ」への発想の転換を志向するようになっている(『いとも気高き貧困』)。それ自体、フランシスコ修道会的な理想でもある。
 すでに何度も述べたことをくりかえすなら、黙示録の発想にはつねに二面性がある。警告は威嚇へ、激励は煽動へと容易にひっくり返る危険性があるのだ。それゆえ、いたずらに振り回される必要はないが、だからといって、知らないままでいたり、知らない振りをしたりすることはできない。しかも、一九八〇年代からの遺伝子工学や情報科学の著しい発達は、期待と不安、リスクとセキュリティの関係を、さらに複雑なものにしている。というのも、科学技術によるリスクからの解放とセキュリティの担保という謳い文句のもと、さらに想像を絶するような新たなリスクがもたらされるという状況が、いたるところで出現しているからである。いたずらに終末や黙示録を振りかざすのでも、あるいは逆に、黙示録的なメタ物語を拒絶したり無視したりするのでもない、第三の道。それがわたしたちに求められているように思われる。
    --岡田温司『黙示録 イメージの源泉』岩波新書、2014年、135-136頁。

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覚え書:「地球温暖化論争―標的にされたホッケースティック曲線 [著]マイケル・E・マン [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。


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地球温暖化論争―標的にされたホッケースティック曲線 [著]マイケル・E・マン
[評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)  [掲載]2014年05月11日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 科学・生物 

■産業界との「戦争」、科学者の告発の書

 本書は、「クライメートゲート事件」に巻き込まれた気候学者により、憤りをもって書かれた告発の書である。著者は、ペンシルベニア州立大学気象学教授で、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書の科学的知見に大きな貢献を行ってきた。
 著者の専門は、古気候学である。樹木の年輪、氷床コア、サンゴなど、自然界に刻まれた過去数世紀の気候の痕跡を示す代替データを取り出し、主成分分析という統計手法を用いて、過去の気候変動パターンを再現する。20世紀に入ると測温データが豊富に入手できるので、それで統計モデルの信頼性をテストし、その精緻(せいち)化を図ることで説明力を高める。
 この方法で著者は、過去千年間の北半球の気候を再現することに成功した。結果、1990年代が、過去千年間で最も温暖な10年だったことが明らかになった。これを図示すると、20世紀以降に気温トレンドが急上昇するため、その形状から「ホッケースティック曲線」と名づけられた。
 人為的要因による温暖化という結果は、温暖化否定論者をいたく刺激し、批判の標的となった。それが最高潮に達したのが、コペンハーゲン気候変動枠組み条約締約国会議直前の2009年11月に起きたクライメートゲート事件だ。気候研究の世界的拠点である英国イーストアングリア大学気候研究所のサーバーから1千通以上のメールが盗み出され、公開された。
 否定論者は、ジョーンズ所長が著者らに宛てたメールの中に「(気温の)下降を隠す」、「トリック」という言葉があるのを発見、彼らによる陰謀の証拠だと喧伝(けんでん)した。主要メディアはこれに乗って温暖化懐疑論を一挙に広め、IPCCの権威を貶(おとし)め、著者自身も身の危険を感じるほどの脅迫を受けた。
 だが著者はすぐに、これは「戦争」だと気づく。背後では化石燃料産業など産業界の資金提供を受けた財団が暗躍、シンクタンク、メディアと連携しつつ組織的に中傷キャンペーンを張って、科学に打撃を与えようとしていた。その最終目標は、オバマ政権による排出量取引制度導入の阻止だった。
 ところが結局、本件に関する全ての公的な調査結果で、関係者に不正はなく、イーストアングリア大の分析結果も正しかったことが判明した。対照的に、著者を攻撃したウェグマン報告書は盗用、剽窃(ひょうせつ)、統計の恣意(しい)的操作が明るみに出て自壊、潮目は変わった。
 本書は、暴風雨を潜(くぐ)り抜けた著者による、新たな闘いへの決意表明で結ばれる。来年にかけて、重要な気候変動政策決定上の節目を控えるいま、再び世界は前進を始める時だという本書の強いメッセージを、正面から受け止めたい。
    ◇
 藤倉良、桂井太郎訳・化学同人・4860円/Michael E.Mann ペンシルベニア州立大学教授(気象学)。IPCC第3次評価報告書の「観測される気候の変動と変化」の章の代表執筆者。
    --「地球温暖化論争―標的にされたホッケースティック曲線 [著]マイケル・E・マン [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「女のいない男たち [著]村上春樹 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。


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女のいない男たち [著]村上春樹
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2014年05月11日   [ジャンル]文芸 

■祟りのように拡散、喪失の物語

 独断と偏見だが、本書は祟(たた)る。一見そんなおどろおどろしさはなく、むしろ珍しくのし紙をきちんと巻いたような「まえがき」つき。だが紐解(ひもと)くと不定型なパズルである。読み終えると、このように評者までが修辞法なしに文章が書けなくなる呪いを帯びる点が恐ろしい。だが、それは本書の恐ろしさの序章にすぎない。個人的に呪うのではない。類として、読者に祟るのである。
 いずれも女との「適切な」関係を結ぶことに失敗し、相手を永久ないしは半永久的に失った男たちの物語だ。たとえば、妻に不倫された上に先立たれてしまう(「ドライブ・マイ・カー」)、独身主義者が珍しく本気で人妻に恋をするが、彼女が別の不倫相手と去っていく(「独立器官」)、妻の不倫現場を目撃したことをきっかけにすべてを失っていく(「木野」)、といった風に。
 これらの喪失を祟りのように拡散させ、読者に感染させていくのが、最終話「女のいない男たち」だ。「ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅(わず)かな予告もヒントも与えられず」と書き出されるこの一節は、個としてあったはずの自己が、あっけなく類へと回収されていく過程を端的に示している。それは、他の物語に綴(つづ)られたさまざまな暗喩--アウシュヴィッツへ送られた内科医や、芦屋生まれで標準語を話す主人公と田園調布生まれで完璧な関西弁を話す友人との交錯した友情など--を経てなお収斂(しゅうれん)しない。「木野」の主人公が蛇に追われ、「レコード・コレクション」や「青山の落ち着いたバー」などの記号を脱ぎ捨て、あたかも村上春樹が村上春樹を脱皮するかのように逃亡する場面もまた、不定型な一ピースだ。パズルは完成せず、物語は完了せず、ただ読後は一切が共振する。「シェエラザード」が暗喩する千夜一夜物語のように。「悪魔払い」だと、筆者はまえがきで語った。字句通り、その通りである。
    ◇
 文芸春秋・1700円/むらかみ・はるき 49年生まれ。作家。カフカ賞やエルサレム賞など海外の文学賞も多く受賞。
    --「女のいない男たち [著]村上春樹 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「運動部活動の戦後と現在―なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか [著]中澤篤史 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。


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運動部活動の戦後と現在―なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか [著]中澤篤史
[評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)  [掲載]2014年05月11日   [ジャンル]教育 人文 

■部活嫌い生む犯人見たり!

 「7割以上の中学生と5割以上の高校生が運動部活動に加入し、ほぼすべての学校が運動部活動を設置しており、半分以上の教師が運動部活動の顧問に就いている」。本書の序章に登場するフレーズだ。運動部活動がこれほどまでに根付いているとは。で、その実態は?
 ページをめくるたびに見えてくるのは、日本の運動部の特殊性だ。国際比較によれば、一部有志の競技力向上を目指す米、一般生徒のレクリエーションを志向する英と異なり、日本では一般生徒の人間形成・教育指導が重視されてきた。種目数や試合数などは多いが、技術や経験がない教師も顧問役に就かされがちで、勤務時間増に不満の声も。生徒は生徒で自由時間削減に愚痴をこぼす。それでもあくまで「全生徒の自主参加」が建前として掲げられる。
 一部エリートのものとして明治時代に始まった運動部活動。戦後は、運動部への加入者が右肩上がりに増えていった。管理主義が強まった1980年代には「非行防止」の手段として強調されたが、今は学校スリム化の流れを受け、部活動の地域化をめぐる議論が再燃している。ただし、あくまで課外活動という位置づけであるため、政策的影響は少ない。そもそも部活動は制度的な基盤が脆弱(ぜいじゃく)で、現場の慣習によって成り立ってきたものだという。あいまいかつ非合理な理由で継続し、空気を読みながらの参加を促される部活動。うう、いかにもという感じだ。
 堅い論文調ではあるが、論旨はシンプル。平易な新書になるとうれしいが、並ぶデータを眺めるだけでも認識が変わる。部活嫌いだった者はきっと「犯人見たり!」という思いで本書を読み終えるだろう。東京オリンピックを控える一方で、いまだ残る体罰やハラスメントが問題視される今こそ、スポーツの在り方を問い直すための一助として活用されてほしい。
    ◇
 青弓社・4968円/なかざわ・あつし 79年生まれ。一橋大大学院専任講師。身体教育学・社会福祉学専攻。
    --「運動部活動の戦後と現在―なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか [著]中澤篤史 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「そこが聞きたい:秘密保護法と向き合う モートン・ハルペリン氏」、『毎日新聞』2014年05月14日(水)付。

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そこが聞きたい:秘密保護法と向き合う モートン・ハルペリン氏
毎日新聞 2014年05月14日 東京朝刊

モートン・ハルペリン氏=内藤絵美撮影

 ◇国際原則への適合を--元米国家安全保障会議(NSC)高官、モートン・ハルペリン氏

 米国防総省と国家安全保障会議(NSC)で高官を務めたモートン・ハルペリン氏(75)が、日本の特定秘密保護法=1=を「21世紀に民主的な政府が検討した中で最悪の部類だ」と批判している。今年12月までに施行されるこの法律とどう向き合うべきなのか。【聞き手・青島顕、写真・内藤絵美】

--日本政府は秘密保護法によって米国などと情報共有が可能になると説明しています。法律ができたことで、日米関係は今後変化すると思いますか。

 全く変わらないと思います。米国政府は以前から日本と秘密裏に協議することがありました。核政策でさえ、日本の秘密法制が弱いからといって、情報を共有するうえでの支障は何もありませんでした。確かに米政府内には日本に強力な秘密法制の制定を望む人はいたでしょうが、要求リストの上位ではなかったはずです。貿易問題、日本のナショナリズムの復活、中国や韓国との領土問題などに比べれば、米国にとって秘密保護法はささいな問題なのです。

--日本政府は秘密保護法は国際的な常識だとさえ言います。

 正しくありません。日本の既存の法律の方が、国際的な常識に見合っています。施行までに取るべき最善の策は、秘密保護法の改正です。市民に対する刑事罰をなくすこと、公益のための政府関係者や公務員による内部通報の保護を明確にすることが大切です。改正できないなら、行政手続きで法の一部の施行を制限し、より国際原則に見合ったものにすべきです。

--日本政府は、秘密保護法は「一般の人には関係がない」と強調し、「秘密の多くは衛星写真や暗号だ」と説明しています。「法の中で秘密の対象を列挙しているので、秘密の数が増えることはない」とも言っています。

 一般市民に直接関係があります。政府が何をしているかについて、国民が新聞、ラジオ、インターネットで得る情報の内容に影響するからです。暗号などを守りたいなら、個別の法律で公務員の漏えいを防げばよいのです。

 秘密の数が増えることはもちろん想定されます。彼らは増えないと考えているかもしれないが、間違っています。法律で守ることになれば秘密が増えることは避けられません。

--法律の問題点の一つは秘密の範囲が広い点だとされます。

 その通りです。幅広く、包括的な秘密を対象とせず、種類を絞って、限定的にすべきです。米国自由人権協会(ACLU)にいた時、中央情報局(CIA)職員の身元を明らかにしたら処罰するという法案が出てきましたが、我々は賛成しました。工作員の身元を明かすことに公益はなく、機密のままで問題ありません。このように一つ一つ絞るなら問題はないのです。例えば安全保障上の作戦の細かい、具体的な情報が漏れる心配があるのなら、そういう種別の情報に限って対策を取る法律を作ればいい。しかし、全省庁にかかわるほど広範囲で、さまざまな種別にわたる秘密を対象にするのは問題です。

--ハルペリンさんは国家安全保障と国民の「知る権利」とのバランスを取る国際基準「ツワネ原則」=2=策定に関わりました。情報公開重視の姿勢に「理想主義」「リベラル」と批判する意見もあります。

 ツワネ原則はさまざまな国の慣行を踏まえて、最善の手法を示しました。国民が政府のしていることを知っていれば、社会の力は強くなり、安全保障に関する国家の能力も高まります。両者は相反する価値だと思われがちですが、両方必要なのです。民主主義にとって、知る権利の重視は理想主義ではありません。

--米国政府の仕事をされてきましたが、当時から同じ考えをもっていたのですか。

 1960年代と今とでは違います。きっかけはベトナム戦争に関する米国防総省の機密文書を巡る71年の「ペンタゴン・ペーパーズ事件」でした。執筆者の一人のダニエル・エルズバーグ氏が文書を新聞に公表することを政府が妨害しようとしていたと知り、当時の政府の行為は間違いだと考えるようになりました。

--日本では国会による秘密指定の監視機関の設置が議論されています。

 米国で行政が議会の指摘を素直に受け止めることはありません。しかし、理論上、議会には「秘密解除すべきだ」と勧告する権限はあり、それが行政府にとっての歯止めになっています。情報は行政府のものだというのは古い考え方で、この10-20年で革命が起きています。情報は国民のものだと考えれば、議会に(監視の)権利が与えられても、三権分立には反しません。

 ◇聞いて一言

 米国の最高機密に触れ、日米の機微に触れる交渉の当事者でもあったハルペリン氏の発言は極めて重い。日本の政府や自民党は「一般の方には関係がない」「秘密の数は増えない」と言うばかりで、主権者である国民の疑問に誠実に答えていない。情報は国民のものだという基本的な認識に立てば、包括的な秘密法制には問題が多すぎる。最低でも行政の裁量で制定できる政令に基づいて運用することをやめ、第三者が秘密指定の是非を監督する仕組みを設けるべきだ。

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 ■ことば

 ◇1 特定秘密保護法

 国の安全保障にかかわる情報を、行政機関の長が「特定秘密」として指定し、漏らした人に最高懲役10年を科す。秘密の範囲を行政の都合で決める余地がある▽指定期間が一部は60年まで延長可能▽民間人も含めて身辺調査(適性評価)を受ける--などの問題点が指摘されている。

 ◇2 ツワネ原則

 70カ国を超す500人以上の専門家が昨年6月にまとめた「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」。(1)国際人権・人道法に反する情報は秘密にしてはならない(2)秘密指定の期限や公開請求手続きを定める(3)全ての情報にアクセスできる独立監視機関を置く(4)情報開示による公益が秘密保持による公益を上回る場合には内部告発者は保護される(5)報道機関など非公務員は処罰の対象外とする--など50項目を盛り込む。

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 ■人物略歴

 ◇Morton H.Halperin

 米国の核戦略専門家。ニクソン政権ではキッシンジャー大統領補佐官の下で沖縄返還交渉にあたった。現在、民間のオープン・ソサエティー財団上級顧問。 
    --「そこが聞きたい:秘密保護法と向き合う モートン・ハルペリン氏」、『毎日新聞』2014年05月14日(水)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140514ddm004070007000c.html:title]

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書評:長谷川修一『旧約聖書の謎 隠されたメッセージ』中公新書、2014年。


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長谷川修一『旧約聖書の謎 隠されたメッセージ』中公新書、読了。旧約聖書に記された物語は神話として扱われるものもあれば、史実のそれも混在する。本書は7つの物語を取り上げ、その史実性を学問的に検証する。語られるメッセージを読み解き、聖書の豊かな世界を案内する好著。

本書が取り上げるのは、ノアの方舟と洪水伝説、出エジプト、エリコの征服、ダビデとゴリアテの一騎打ち、シシャクの遠征、アフェクの戦い、ヨナ書と大魚。

例えば、古代イスラエル史研究の知見によれば「出エジプトは聖書の描写そのままの事件ではなかっただろう」となってしまう。ただし日本の高校世界史の教科書を見てみるとどうだろうか。出エジプトは史実として記載されている。

ユダヤ・キリスト教徒の多い国の教科書であればさもありなんだが、日本の場合、研究動向が教科書執筆者に十分知られてないだけでなく、その研究が日本の歴史学界から遊離もしているのだろう、と著者は指摘する。

本書は、史実性の検証によって物語のメッセージを読みとること、正典化される前の複数の存在とその一本化への経緯を理解することこそ、霊感的充実主義でも科学主義を装い突き放すことでもない、人間理解になるのではと示唆する。

これは旧約聖書だけに限定される問題ではないだろう。学問としてテクストを読むということが、真性な人間理解につながるということは、どの分野においてもはずすことの出来ない観点ではないだろうか。

『聖書考古学』(中公新書)に続く待望の続編。


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覚え書:「書評:後期20世紀 女性文学論 与那覇 恵子 著」、『東京新聞』2014年05月11日(日)付。


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後期20世紀 女性文学論 与那覇 恵子 著 

2014年5月11日


◆男性優位変容の潮目読む
[評者]千石英世=文芸評論家
 現在の日本文学は女性作家ぬきでは語れない。ここ十年ばかりの芥川賞を調べてみると、二〇〇三年下期の金原ひとみ、綿矢りさのダブル受賞以降一三年下期の小山田浩子まで、受賞者総数二十二人。うち女性作家は十三人。女性優位だ。一方、それ以前の二十二人を調べてみると、女性五人(この数字には藤野千夜を含めている)に対し、男性が十七人。男性優位である。
 芥川賞ばかりが文運隆盛の指標であるわけではないが、この二十年でわが国における文運は、ジェンダー配置が逆転したとはいえそうだ。加えて、現在、「群像」や「新潮」といった文芸誌の編集長は大半が女性。いったい日本文学に何がおきているのか、いや、日本社会に何がおきているのか、おきたのか。社会全体が女性化した? それとも現代日本文学が平安女流文学の水脈に接続した? 
 本書はこうした問いを立てているわけではないが、文運の潮目が一九六〇年代前後にあらわれたとして、それを「後期20世紀女性文学」と呼ぶ。鮮やかな呼称だ。本書は潮目の先駆を岡本かの子(一九三七年「母子抒情」の作者、岡本太郎の母)に見いだし、その本格化を大庭みな子(六八年の芥川賞受賞作「三匹の蟹(かに)」の作者)と三枝和子(八三年の泉鏡花文学賞受賞作『鬼どもの夜は深い』の作者)に見る。
 潮目を導いたのは、戦後日本におけるジェンダーの変容である。敗戦後の日本社会においては男性優位思想の水圧に変化が生じた。そして変化を加速させたのは、上記女性作家たちの果敢なる文学である。精確にいえば、女性とは何かを追究する思想的営為としての文学である。本書は、現代日本における女性文学を思想として解明している。情熱的に。これは思想書の労作なのだ。女性性、エロティシズム、セクシュアリティー、身体性、フェミニズム。しかし、文学は思想に還元されるのかどうか。別の機会に、著者の作品鑑賞を味わいたいところだ。
(晶文社・2160円)
 よなは・けいこ 東洋英和女学院大教授。著書『現代女性文学を読む』など。
◆もう1冊 
 田中弥生著『スリリングな女たち』(講談社)。鹿島田真希、本谷有希子ら、活躍が目覚ましい若手女性作家六人の作品を読み解く。
    --「書評:後期20世紀 女性文学論 与那覇 恵子 著」、『東京新聞』2014年05月11日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014051102000192.html:title]

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覚え書:「書評:北京の胡同 ピーター・ヘスラー 著」、『東京新聞』2014年05月11日(日)付。


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北京の胡同 ピーター・ヘスラー 著 

2014年5月11日


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◆変わる社会と庶民を観察
[評者]春名徹=ノンフィクション作家
 前作『疾走中国』(白水社)で、きれい事ではない中国の現実を描く才能を発揮したヘスラーの新作。同じタッチで中国を描いた十四編を収める。広東省でネズミ料理を専門にしているレストランの話、ふってわいた自動車ブームで突然ハンドルを握るようになった人々の恐るべきマナー感覚。
 また、浙江省のある地方都市は、芸術家優待の特区を作り上げた。そこはたちまち名画をコピーした安物油絵を生産する大基地と化す。まったく絵に情熱を感じないでそれを生産する「画家」は、落ちこぼれの画学生あがり。
 歴史的な事件を対象にしたものは三つだけ、三峡ダム建設で静かに水に沈んでいく村、オリンピック開会当日のある北京近郊の農村の様子、江沢民が権力を手放すことを決めた避暑地・北載河(ペイタイホ)の共産党の重大会議。偶然、居合わせたヘスラーは外国人ゆえに公安警察につきまとわれる。しかし表題作「北京の胡同」が代表するように、どの短編にも変化しつつある中国の<いま>の庶民のあり様や社会状況がまぎれもなく刻みこまれている。
 日本の下町の長屋に似た伝統的な町屋を北京では胡同と呼ぶのだが、著者が暮らしていた胡同ではオリンピックに備えて政府が建てた公衆トイレのまえを集会場にしてしまう。いずれ胡同は都市計画の進行で取り壊される運命にあるが、ひとびとは恐るべき順応性を発揮して、その日までの生活を楽しむのである。しかしその順応性が、理不尽な取り壊しにたいする抵抗を生まないことになる、と著者は鋭く指摘してもいる。
 著者はミズーリ大学の医療社会学者だった父親からインタヴュー能力や人を観察する方法を学んだという。一九九六年に平和部隊に加わり、重慶市の小さな大学で英語教師として二年間を過ごした。読み終えて、日本ではこういう中国認識はまず生まれないだろうことの意味を改めて考えてしまった。
(栗原泉訳、白水社・2376円)
 Peter Hessler 1969年生まれ。米国のジャーナリスト。現在、エジプト在住。
◆もう1冊 
 徐勇著『胡同』(平凡社ライブラリー)。開発前の北京の街区のいたる所にあった路地の写真集。北京のもう一つの魅力を伝える。 
    --「書評:北京の胡同 ピーター・ヘスラー 著」、『東京新聞』2014年05月11日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014051102000191.html:title]

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覚え書:「書評:女のいない男たち 村上 春樹 著」、『東京新聞』2014年05月11日(日)付。


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女のいない男たち 村上 春樹 著

2014年5月11日


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◆喪失味わうレッスン
[評者]伊藤氏貴=文芸評論家
 女のいない男たちになるのはとても簡単なことだ。一人の女性を深く愛し、それから彼女がどこかに去ってしまえばいいのだ-とあるとおり、これは最近はやりの草食男子の話ではない。六つの短篇の主人公は、初めから女に興味を持たないのではなく、かといって女なら誰でもいいというのでもなく、ある一人の女をひどく愛したことのある男たちだ。そして彼らは皆、その女に去られた大いなる喪失感といかに向き合うかに腐心する。
 いや、一人だけ例外がいた。「木野」と題する一篇だけは、タイトルロールを演じる男が、同僚と妻との浮気の現場を目撃した直後、ただ静かに身を引く。どこまでも寛容なのか、それとも一種の不感症なのか。いずれにせよしかし、多くの悲劇のタイトルが主人公の名前を冠されているように、木野だけが自分の思惑を超えた手ひどい不幸に見舞われる。なぜ被害者たる彼がさらなる悲惨を経験しなければならないのか。それは彼が自分の痛みから目を逸(そ)らしてきたからだ。
 喪失感は、言うまでもなくハルキ文学の重要なテーマだが、この短篇集の全体を通じて、十分に喪失を味わうべきことが強調されている。恋愛はそのための重要なレッスン室なのだろう。だから、ここでの教訓は、主に草食男子たちに対するものだ。「恋せよ青年」、そして「青年よ、大いなる喪失感を抱け」と。
 (文芸春秋・1700円)
 むらかみ・はるき 1949年生まれ。作家。著書『海辺のカフカ』『1Q84』など。
◆もう1冊 
 村上春樹著『神の子どもたちはみな踊る』(新潮文庫)。一九九五年の神戸の震災をモチーフにした六篇の作品集。 
    --「書評:女のいない男たち 村上 春樹 著」、『東京新聞』2014年05月11日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014051102000190.html:title]

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女のいない男たち
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覚え書:「『ハンナ・アーレント』 矢野久美子著 宇野重規(政治学者・東京大教授)・評」、『読売新聞』2014年05月04日(日)付。

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・宇野重規(政治学者・東京大教授)
『ハンナ・アーレント』 矢野久美子著

誠実な政治哲学者の生涯


 ハンナ・アーレントというと、全体主義やら革命を論じた、ちょっと怖そうな政治哲学者というイメージがあるかもしれない。ところが、日本でも話題になった映画「ハンナ・アーレント」がよく描いていたように、彼女は亡命先のニューヨークでの友人たちとの交わりを大切にした、繊細で心優しき人であった。

 ドイツでのナチス体験、過酷な逃亡生活、ようやくたどり着いたアメリカでの生活の苦難とマッカーシズムの不寛容。しかしながら、彼女はこれらの経験を個人、あるいは民族の災難ではなく、二〇世紀における人間の置かれた条件として考察し続けた。このことが彼女をまさに二〇世紀を代表する思想家にしたのだが、それを支えたのは彼女を囲む家族や友との親密な関係であった。

 映画はとてもよくできていたが、かなりの情報量が圧縮されていたため、消化不良になった人もいるだろう。そんな人にお薦めなのが本書である。アーレントの思想を、彼女の生涯にそって説明していくこの本は、これまで彼女の著作に親しんできた読者にとっても、得るところが大きい一冊だ。

 ポイントとなるのは『全体主義の起原』と『イェルサレムのアイヒマン』の二冊である。前者が、ドイツのユダヤ人家庭に生まれ、ヨーロッパ哲学の精髄を学びながら、そのヨーロッパ世界の自己崩壊を体験したアーレントの前半生の総決算の書であるとすれば、後者はナチの戦犯の裁判傍聴記であり、同胞であるはずのユダヤ人から激しい批判を受けることになった問題の書である。

 多くのユダヤ人をガス室に送り込んだのは、悪魔ではなく、上からの命令を粛々と実行した小心な人物に過ぎない。問題なのは、思考を停止し、自分の頭で判断する勇気を持たないことではないのか。巨悪の断罪をのぞんだ人々に、「あなただって、それに加担する可能性がある」と問いかけたアーレントの勇気と知的誠実さが、強く印象に残る。

 ◇やの・くみこ=1964年生まれ。フェリス女学院大教授(思想史専攻)。共訳書に『アーレント政治思想集成』。

 中公新書 820円
    --「『ハンナ・アーレント』 矢野久美子著 宇野重規(政治学者・東京大教授)・評」、『読売新聞』2014年05月04日(日)付。

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[http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20140507-OYT8T50183.html:title]


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ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書)
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覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『新訳 紅楼夢 全七冊』=曹雪芹・作」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。


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今週の本棚:三浦雅士・評 『新訳 紅楼夢 全七冊』=曹雪芹・作
毎日新聞 2014年05月11日 東京朝刊


 (岩波書店・3456-4752円)

 ◇詩歌の楽しみ、語り尽くす名訳

 中国文学の傑作『紅楼夢』の新訳。一気に読んで深い感銘を受けた。以前、『水滸伝』『金瓶梅』を読んでその中国的過剰とでもいうべきものに辟易(へきえき)した。そんなこともあって『紅楼夢』は冒頭数回で放棄していた。今回通読できたのは文章が読みやすく注が適切だったからだが、それ以上に詩歌の扱い方が従来の翻訳とは違っていたからである。『紅楼夢』は漢字すなわち表意文字の富、表意文字による詩歌の富を語って余すところがない。その美点が読者にまっすぐに伝わってくる。

 小説としての『紅楼夢』がいかにすぐれているかは、たとえば井波律子『中国の五大小説』(岩波新書)が簡潔に語っている。政治経済から料理衣裳(いしょう)にいたるまで、十八世紀を描くことでは同時代の西洋文学をはるかに抜いている。ここで、宝玉と黛玉(たいぎょく)、宝釵(ほうさ)といった主人公たちが繰り広げる物語を紹介するまでもないだろう。要は、受験勉強に徹底的に反抗し、ひたすら芸術的感受性に従おうとする宝玉なる少年が、事情があって大観園なる広大な宮殿に美少女十数人とともに住まうということなのだが、そこでの遊びはただひたすら文学に、すなわち詩歌を詠むことにあったのである。

 漢文、唐詩、宋詞という。『紅楼夢』は、なかでも、詩と詞の遊び方、楽しみ方を語って、あますところがない。日本でいえば、王朝ならば歌合せ、中世ならば連歌、近世ならば連句ということになるが、そういう遊戯としての文学、社交としての詩歌の、実際的な楽しみ方を十数人の少女たちを通して教えてくれるのである。事物に寄せて詠み、景色に寄せて詠む。謎を与え、謎を解く。さらに連詩を巻く。詞は小唄とも歌謡曲とも訳されるが、今様と言ってもいい。したがって宝玉は、日本でいえばさしずめ『梁塵秘抄』の後白河法皇と『新古今和歌集』の後鳥羽上皇を合わせて少年にしたようなものだ。

 この『紅楼夢』の美点を、訳者は、原詩を掲げ、読み下しの文語訳を掲げ、さらに噛(か)み砕いた口語訳を掲げるという工夫で、見事に表している。一例を挙げる。「寄言衆児女/何必覓閑愁」、「言を衆児女に寄す/何ぞ必ず閑愁を覓(もと)めん」、「少年少女の皆さんへ/つまらぬ悩みは無用です」。ちなみに従来の翻訳では口語訳のみ。とりわけ第七十八回の、晴〓(せいぶん)の死を悼む宝玉の長詩「芙蓉女児誄」が素晴らしい。

 むろん詩の優劣を論じ、詞の可否を判断するほどの素養がこちらにあるわけではない。しかし、詩歌の遊宴の実際がどのようなものであったか、あるべきと思われていたかは、手に取るように分かる。のみならず、根本は古今東西変わらないということも分かる。詩歌の根源に潜む愁いを中国文学はしばしば仙境に託して語るが、宝玉も少女たちもすべて仙女の化身、愁いは仙境への郷愁である。「あの青い空の波の音が聞こえるあたりに/何かとんでもないおとし物を/僕はしてきてしまったらしい」という谷川俊太郎の詩「かなしみ」の一節と違ったものではない。郷愁は言語空間にこそ潜む。

 『紅楼夢』は八十回までが曹雪芹(そうせっきん)、後の四十回は余人の補作と言われる。だが、最後の句「話がつらくなるにつれ/デタラメぶりも ますます悲し/そもそも人生は夢なのだから/お笑いめさるな みなおバカさんねと」は、『夏の夜の夢』の末尾「この狂言、まことにもって、とりとめなしの、夢にもひとしき物語、けっしてお咎(とが)めくださいますな」と見事に呼応している。補作者も凡手ではない。名訳の登場を喜ぶ。(井波陵一訳)
    --「今週の本棚:三浦雅士・評 『新訳 紅楼夢 全七冊』=曹雪芹・作」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:斎藤環・評 『ジジェク、革命を語る-不可能なことを求めよ』=スラヴォイ・ジジェク著」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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今週の本棚:斎藤環・評 『ジジェク、革命を語る-不可能なことを求めよ』=スラヴォイ・ジジェク著
毎日新聞 2014年05月11日 東京朝刊

 (青土社・2592円)

 ◇行動する哲学者の格差社会への抗議

 ラカン派にしてマルクス主義者という奇妙な肩書を持つ哲学者が、現代において可能な革命について語る。90年代からゼロ年代にかけての華々しい活躍ぶりと驚くべき多産性を誇ったジジェクは、いまや行動する哲学者だ。2011年にはニューヨークの「ウォール街を占拠せよ」と名づけられたデモ現場で演説し、多くの支持を集めた。12年6月には韓国を訪問し、大規模整理解雇後に相次いで亡くなった22人の労働者を追慕するために設置された「双龍自動車犠牲者合同焼香所」を訪ねて、労働者との連帯を表明した。

 この韓国訪問がきっかけとなったのか、ジジェクは13年から韓国の慶熙(キョンヒ)大客員教授に任用されている。本書も釜山の教育センター「インディゴ書院」のスタッフによってなされたジジェクへのインタビューという形を取っており、最近のジジェクの思考と活動を、平易かつコンパクトに理解できる内容となっている。時に煙幕的な効果をもたらすラカン理論への言及も控えめで、ジジェク入門としても申し分ない。

 論点は多岐にわたるが、基調となるのはグローバル資本主義への懐疑と格差社会への抗議である。資本主義の本質にはモラルハザードが存在する(『ポストモダンの共産主義』ちくま新書)。「トリクルダウン」理論がそうであるように、金持ちをもっと金持ちにしておくことが、真の繁栄を生み出すとされるからだ。

 ならば、修正されたコミュニズムが選択されるべきなのか。そうではない。コミュニズムと資本主義の「中道」などありえない。エコロジー幻想がそうであるように、すべての調和は不完全な調和なのだ。(「中庸」を説いた)孔子は「馬鹿(ばか)の元祖」だ。中国の「文化大革命」は、現代中国における(最も成功した)資本主義に結実したではないか。だから中立的なバランスを考えるよりも、バランスそのもの、すなわちバランスの尺度を変えるべきだ、と彼は主張する。

 中東情勢についてはファシズムの危惧が指摘される。なぜならベンヤミンが言ったように「あらゆるファシズムの勃興は、革命が失敗に終わったあかしである」ためだ。その実例はすでにある。中国やシンガポールで実現されているような「アジア的価値観をともなった資本主義」、すなわち全体主義的資本主義だ。それは効率が高く、活力さえある。中国が金融危機をもっとも無難に乗り切れたのは、民主主義的な手続きを踏まず、強権的な経済介入をおこなうことができたからだ。この成功を持って、資本主義と民主主義との幸福な結婚は終わりを迎えた。

 いまや、すべての尺度が変わりつつある。デジタル化・ネットワーク化されたポストモダン社会においては、生産手段の変化にともない、共産主義はもはや機能しなくなる。現代のプロレタリアートの問題は、あらゆるものを手に入れながら、何も所有していないという点にある。そこでは労働者の権利よりも、失業者やホームレスのような社会的排除が問題となる。

 どんな政治体制が望ましいのか。もはや単純な答えはない。だから行為せよ、とジジェクはそそのかす。「愛」と「象徴的暴力」によって、「きみは仲間だ」と呼びかける「包摂的な闘争」をせよ、と。現実主義者として、現システムにおいて不可能と思われていることをせよ、と。

 還暦を過ぎていっそう研ぎ澄まされていくジジェクの舌鋒(ぜっぽう)は刺激的だ。お前が立っている足場から疑え、とのメッセージ、私もしかと受け止めた。(中山徹訳)
    --「今週の本棚:斎藤環・評 『ジジェク、革命を語る-不可能なことを求めよ』=スラヴォイ・ジジェク著」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:川=稲泉連・選」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。


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今週の本棚・この3冊:川=稲泉連・選
毎日新聞 2014年05月11日 東京朝刊

 <1>大地の川--甦(よみがえ)れ、日本のふるさとの川(関正和著/草思社/品切れ)

 <2>川の名前(川端裕人著/ハヤカワ文庫JA/864円)

 <3>日本<汽水>紀行--「森は海の恋人」の世界を尋ねて (畠山重篤著/文藝春秋/1851円)

 川が好きだ。取材や旅でどこかの街を訪れるとき、時間があると近くの川へ自然と足が向く。生活の中で利用され、作られてきた里山の川。街中のオープンスペースである大都市の川。いずれもその土地の歴史や人々の生活の変遷が、風景そのものに込められているように感じる。川風に吹かれながらぼんやり眺めていると、何とも言えず気持ちが軽やかになる。

 旧建設省の官僚だった故・関正和さんの『大地の川』は、日本人がどのように川とともに生きてきたかを河川技術者ならではの視点で描く。簡にして要を得るとはこういうことを言うのだと思わせる本で、古代から現代にかけての国土の変化が頭に染み込んでくる。関さんは戦後の河川行政の手法を省み、川に自由を与える「多自然型川づくり」を提唱した人物だ。川づくりは国づくり。その思いを綴(つづ)ったこの本は、治水と環境をいかに両立させ、将来に残すかを真摯(しんし)に考えた行政マンの志を感じさせる。

 次に挙げたいのが川端裕人さんの小説『川の名前』。多摩川流域の架空の「桜川」を舞台に、流域に見つけたペンギンを見守る少年たちの成長を描いた作品だ。「リバーネーム」という考え方が出てくる。例えば宇宙から日本を見下ろすとき、私たちは町の名前を使わずに自分の居場所をどう指し示せばいいか。最も簡単なのが川を使うことだ、とある登場人物が語る。主人公の菊野少年であれば、多摩川の支流・野川の支流・桜川流域の菊野です、というように。

誰もがそんなふうに川の名前を持っている。足元に自らの居場所を発見した少年たちは、より広い川へ、海へと世界を見る目を広げていく。環境や文化など川をめぐる様々なテーマが溶け込んだ「カワガキ小説」の傑作だと思う。

 最後に気仙沼の牡蠣(かき)養殖業者・畠山重篤さんの『日本<汽水>紀行』は、題名通り川が海と交わる汽水域を巡り歩いた名エッセー。漁民が森に木を植える「森は海の恋人」運動のエッセンスが詰まった一冊だ。<この国はどこに行っても汽水の匂いが漂う、汽水の匂う洲(くに)だ>と書く畠山さんは、各地の海の豊穣(ほうじょう)な生き物たちの姿を描き、味覚を伝え、根源的な思考を続けていく。山と川、そして海。上流と下流の調和こそが、日本の国土の豊かさの核心であることが浮かび上がってくる。先の2冊と同様に本書が教えてくれたのは、「流域」を一つながりのものとして捉える視点の大切さだった。
    --「今週の本棚・この3冊:川=稲泉連・選」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:わたしたちは、いい人だと言われただけで安心していられない


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 SNさんがドイツに行く決心をした時、ドイツ人は日本人よりもっとひどいから行くな」と言って家族は猛反対したそうだ。隣にすわっていたドイツ人の夫が笑いながらうなずいている。「韓国では日本人の悪口をいつも聞いていたが、ドイツに来てから出会った日本人はいい人ばかりだ」と言って、SNさんは微笑んだ。
 しかし、わたしたちは、いい人だと言われただけで安心していられない。わたしはこの間観た映画『ハンナ・アーレント』の話をした。ナチス政権下のドイツ人を第二次世界大戦中の日本人に置きかえてみれば、よく分かる。悪魔でも天使でもない平凡な日本人が、兵隊にとられて、自分の頭で物を考えるのをやめてしまった時、彼は無惨な殺人を犯してしまう。他所の国へ出掛けていって、罪のない人たちを理由もなくたくさん殺し、戦争が終わると、「あれは戦争だったから仕方なかった。自分は命令に従っただけだ」と言って平然としている。悪魔のような悪人が恐ろしいのではなく、「いい人」でも国の命令で人を殺せることが恐ろしいのだ。
    --多和田葉子『言葉と歩く日記』岩波新書、2013年、202-203頁。

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覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『現代社会と紛争解決学』=安川文朗、石原明子・編」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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今週の本棚:村上陽一郎・評 『現代社会と紛争解決学』=安川文朗、石原明子・編
毎日新聞 2014年05月11日 東京朝刊


 (ナカニシヤ出版・2376円)

 ◇紛争の変容目指す第三者の介入方法

 かつて大学で「平和」を巡る研究プロジェクトに携わっていたとき、ある人から極めて直截(ちょくせつ)・簡明な、しかしある意味では痛棒(つうぼう)にも似た言葉をかけられたことがある。平和学が論じられるようになって、ずいぶん時間が経(た)つが、それで世界の隅々から、戦争が消えた、あるいは少なくとも少なくなった、という話は聞かないね。

 学問と実践、あるいは学問的成果とその社会的実装、という問題の、最も鮮明な現場が平和を巡る問題かもしれない。元々「平和」が抽象的な概念であることも背後にあるとも言えるが、その面での一つの突破口が、「平和」を裏から捉えることだろう。それが「紛争解決」という問題意識を生み出した動機の一つであろうか。

 「紛争」ということになれば、小は家庭内のいざこざから、大は民族紛争にいたるまで、様々(さまざま)なレヴェルが考えられる。日本でもADR法と略称される法律が平成十六年に制定されているが、本来は「裁判外紛争解決手続き」という名を持っている。Dは「紛争」を意味する<dispute>の頭文字であるが、本書では、「紛争」はおおむね「コンフリクト」(conflict)と呼ばれている。

 紛争と向き合う立場としては、紛争が直截に「解決」できる可能性は現実には少ないことを踏まえて、紛争の管理(つまり、紛争は完全になくなることはないから、害の少ない形で管理する)が現実的である、という形もあり得るが本書の基本姿勢は、紛争変容を目指すところにある、と考えられる。そして実際に紛争に介入する際の手段として、当事者同士の間での方法も当然あるだろうが、主として第三者による介入の場合の具体的な方法が説かれる。編者の一人石原の第一論文では、そうした内容の総説的な見取り図が描かれる。ただ、そこで提示される様々な方法(例えば「対話の仲介」、心理ケア、アドボカシー、アートを用いる方法など)が、必ずしも体系的に各論で論じられるわけではないのが、心残りと言えば言えるかもしれない。第二論文での外村晃の所論では、「解決」と「変容」の二つのモデルの比較検討が、綿密な形で行われているので、本書の核心に読者は触れることができるだろう。

 以下で、都合九人の寄稿者(編者の二人を含む)が、それぞれの観点から、立論を試みるが、第四論文のレビン小林久子は、前述のADR法を土台に、現代社会における紛争、あるいは議論が対立する課題の処理、もしくは意志決定について論じているのが目を引く。民主制の社会では、利害の当事者たちの価値観の多様性が、様々な対立の原因となる。「熟議」などの方法が日本でも取り入れられつつあるが、ここにも原理的問題と実践との間の溝がある。とくにコミュニティ・レヴェルでの実践にヒントがある。

 森大輔の第五論文では、国際司法裁判所における裁判や調停の詳細の分析が試みられる。第九章の菊池健の論文では、ADR法のある意味では最も直接的な対象でもある医療の分野が取り上げられる。いわゆるクレーマー的な患者の問題も含めて、当事者には参考になるところが多いだろう。

 いささか硬い話題で、必ずしも一般的な読者の期待できる書物ではないかもしれないが、実際には、極めて身近な問題に繋がることでもあり、紹介する価値を十分に認めた。ただ、やむを得ない性格の話題とはいえ、カタカナ語の氾濫には、いささか鼻白んだことも蛇足ながら付け加えよう。
    --「今週の本棚:村上陽一郎・評 『現代社会と紛争解決学』=安川文朗、石原明子・編」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:内田麻理香・評 『マリー・アントワネットの植物誌』=エリザベット・ド・フェドー著」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。


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今週の本棚:内田麻理香・評 『マリー・アントワネットの植物誌』=エリザベット・ド・フェドー著
毎日新聞 2014年05月11日 東京朝刊

 (原書房・4104円)

 ◇悲劇の王妃、博物学・自然科学に貢献?

 書籍であり、図鑑でもある本書は、フルカラー、そしてパステルカラーの装丁に思わず目を奪われる。ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」で登場するお菓子の監修をしたのは、マカロンで有名なフランスの老舗菓子店「ラデュレ」であるが、その映画や菓子店の色彩を思い出してしまう一冊だ。

 本書には、悲劇の王妃マリー・アントワネットが丹誠込めて造り上げた離宮プチ・トリアノン(小トリアノン)に各国から収集した植物が、植物画の巨匠、ルドゥーテらの手で描かれている。それぞれの植物への解説としてのギリシア神話、ローマ神話などと関連する話も興味深いが、そのルドゥーテの麗しい写実的かつ芸術的な絵画を眺めているだけでもうっとりしてしまう。おそらく、花や植物に対して興味がない者にも訴えかける力がある。それらの断面図も描いているが優雅さを失わない。

 しかし、調香が専門の著者によって書かれた蘊蓄(うんちく)は興味を惹(ひ)く。私たちがなぜ、かぐわしい香りに惹かれるのか。香水を愛するのか。その源も理解できる。人間は、他の動物と同じく、嗅覚に囚(とら)われた生き物だ。ただ、本書で触れられているが、各所で書かれている植物の薬効に関しては、根拠が乏しく、注意が必要である。昨今流行のアロマテラピーの効果にも関係する。

 王妃は女傑と名高いマリア・テレジアの娘であり、ハプスブルク家の自由な家風で育った。フランスの王室での窮屈な暮らしを疎んで、夫のルイ十六世により与えられた離宮プチ・トリアノンでの自由な生活に夢中になったことも理解できなくはない。王妃の故郷、ハプスブルク家の生活を再現したかったのだろう。王妃自らプチ・トリアノンの設計に夢中になった。

 しかし、各国からプチ・トリアノンに集められた植物には巨費が投じられていた。さらに「王妃の『村落』」は名ばかりであり、宮廷の窮屈さから逃れるための、王妃のお気に入りの人物だけが出入りできる自分勝手な場であった。これにも王族や貴族らから批判が集まる。王妃のプチ・トリアノンでの服装は、農婦にならった綿布で作られたもので、髪を解き放ち、麦わら帽子を被(かぶ)る。一見質素に見えるが、人工的な農婦を気取ったものでしかない。王妃は当時のファッション・リーダーであり、その服装は注目を集める。その不自然な「自然」は、プチ・トリアノンの造られた「自然」に繋(つな)がる。そして、この王妃が熱心に造り上げた庭園は、気まぐれな浪費であり、のちに民衆の反感を買うことになる。

 しかし、こう思わないでもない。以下は筆者の私見である。昨年、王妃マリー・アントワネットの故郷であるウィーンに赴いた。そこで、王妃の父であり、女傑マリア・テレジアの陰で用なしとされ不遇をかこったフランツ一世は、鉱石などの収集に勤(いそ)しんだ。そしてフランス王妃の姉であるが、病弱であり婚姻戦略(ハプスブルク家は婚姻を通じ国家を強化した)に適さないと母のマリア・テレジアから冷遇されていたマリア・アンナは父と心を通わせ、その父のコレクションを引き継いだ。彼女には科学的なセンスがあった。二人の合作によって生まれたのが、ウィーンの自然史博物館である。その自然史博物館を見学し、その物量に圧倒された。不幸で、ただし裕福な人たちが、今の博物学、そして自然科学に貢献しているのではないかと想(おも)いを馳(は)せる。マリー・アントワネットもそのひとりではないだろうか。(川口健夫訳)
    --「今週の本棚:内田麻理香・評 『マリー・アントワネットの植物誌』=エリザベット・ド・フェドー著」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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マリー・アントワネットの植物誌: ヴェルサイユ宮殿 秘密の花園
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『現代の名匠』=聞き手・鈴木博之」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『現代の名匠』=聞き手・鈴木博之
毎日新聞 2014年05月11日 東京朝刊

 (建築画報社・3564円)

 戦後の日本建築を牽引(けんいん)した21人へのインタビュー集。世界的に活躍する磯崎新や槇文彦、地域に根ざす「土佐派」の山本長水(ひさみ)、女性建築家の草分けの小川信子ら、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。菊竹清訓(きよのり)や林昌二ら、世を去った著名建築家も登場し、貴重な証言を残している。

 聞き手は今年2月死去した建築史家の鈴木博之が務め、建築専門出版社の創立50周年を記念して刊行された。生い立ちや修業時代、作品が生まれた時代背景、設計信条などについて切り込み、各人から率直な答えを引き出している。

 どのインタビューも示唆に富んでいるが、中でも組織設計事務所「日本設計」を設立した池田武邦の軌跡は波乱に満ちている。海軍軍人としてレイテ沖、マリアナ沖両海戦を戦い、戦後に建築の道へ進んだ。霞が関ビルの設計に携わり、<超高層の時代>を切り開いていくが、人工的な環境の限界に気付き、自然との調和を重視する建築の追究に転じた。

 かやぶきの家に住む池田は語る。「自然を神として、自然に対する恐れ、敬いをもつところに日本文化の原点があるという思いに至った」。名匠の知見に耳を傾けたい。(晶)    --「今週の本棚・新刊:『現代の名匠』=聞き手・鈴木博之」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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書評:豊田直巳『フォト・ルポルタージュ 福島を生きる人びと』岩波ブックレット、2014年。+α


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豊田直巳『フォト・ルポルタージュ 福島を生きる人びと』岩波ブックレット、読了。震災から3年。福島は「忘れさせられようとしている」のではないだろうか。多くの人もその意図に抗うことなく忘却に向かい、混迷の度合いは強まる。本書は、福島を生きる人々の呻吟を伝えるフォト・ルポルタージュ。深刻さは増すばかりだ。

福島第一原発で収束作業に携わるTさん。「個人的には、最初の頃はそれこそノルマンディー上陸作戦。硫黄島とか沖縄。あんな感じだった」、「今はベトナム戦争」。「前線に行っても、敵がいるのかどうかもわからないっていう。たまに地雷があったり」。

地雷とは作業現場内の線量が高いところ。「1日1万円で働いているところもあるって言っています。そんなベトナム戦争のような中で、トラブルが起きています」。ベテラン作業員の浄染作業への流出と人手不足で命がけの作業ははかどらない。

東電は変わったかと最後にTさんに聞いた。「『改めて大変だなあと、苦労してんだなあと思うけれども』と前置きをしながら、『けれども体質としては以前と同じ』と断じた。そして、東京電力について、こう言い切った。『悪の帝国』」。

私たちの現在および未来の暮らしの安定は、毎日、放射線を浴びながら働く彼らの存在抜きには考えられない。「こうした現実を直視しなければならない」。「忘却への抗いによってしか、次の事故を防ぐことも、被災者の救済もない」。


 
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ひと:豊田直巳さん=800日間の福島取材を映画化した
毎日新聞 2014年05月10日 東京朝刊


 ◇豊田直巳(とよだ・なおみ)さん(57)

 撮影した映像は250時間に及ぶ。福島第1原発事故の翌日、フォトジャーナリスト仲間の野田雅也さん(39)と福島に入った。計画的避難区域となった飯舘村に2年以上通い続け、村人たちに密着した。村の酪農家を主人公にしたドキュメンタリー映画「遺言-原発さえなければ」は3時間45分の大作だ。

 「宝の映像」。編集担当のプロデューサーがそう評するほど、カメラは住民の喜怒哀楽や緊迫の瞬間を捉えている。自殺した酪農家仲間の元に主人公が駆けつけるシーンは、取材中にたまたま訃報が入り、撮影した。

 東京で塾講師をしていた1982年、イスラエルのレバノン侵攻をテレビで見て「日本が平和ならいいのか」と考え、フリーで報道の世界に入った。取材には時間をかける。パレスチナは20年、イラクの劣化ウラン弾問題は10年追い続けた。「日々のニュースに追われるマスメディアとは違う、奥行きのある取材」が身上だ。相手とじっくり信頼関係を作り、自然な表情が出るようになったらカメラを回す。

 戦場取材を重ねたジャーナリストも、福島の取材には悩んだ。放射能が舞う中で生きていかなければならない住民のために何もできない自分。「どうしたらいいか僕もわかんなくて……」

 除染で出た放射性廃棄物の仮置き場を線量計を持った主人公が歩くシーンで映画は終わる。「原発事故から3年たっても何も解決していない。まだまだ取材を続けますよ」<文と写真・福永方人>

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 ■人物略歴

 静岡県生まれ。日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)会員。「遺言」の自主上映を募集している。
    --「ひと:豊田直巳さん=800日間の福島取材を映画化した」、『毎日新聞』2014年05月10日(土)付。

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フォト・ルポルタージュ 福島を生きる人びと (岩波ブックレット)
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覚え書:「今週の本棚・新刊:『資本主義の終焉と歴史の危機』=水野和夫・著」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『資本主義の終焉と歴史の危機』=水野和夫・著
毎日新聞 2014年05月11日 東京朝刊

 (集英社新書・799円)

 著者は、元証券会社のエコノミスト。超低金利の分析から、いわば資本主義終末論を主張するに至った。この主張、既に以前の『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』などで十分展開してきたが、本書はその入門編とでも言うべき新書だ。著者は、民主党政権時代に内閣府審議官も務めた。

 日本の10年国債利回りは、20年近く2%以下が続く。約400年前のイタリアの記録(11年間)を更新した新記録だ。この低金利では、いくら設備投資しても利潤は出ず、既存の社会システムを維持できない。

 400年前は、イタリアの都市国家やスペイン、ポルトガルなどが没落したものの、資本主義は新大陸など新たな市場を見つけ、むしろ近代化、本格化した。ところが今は、こうした新天地もなく、余った金は電子空間でバブルを繰り返す。もはや、資本主義に出口はないという。

 お先真っ暗な診断だ。多くの経済学者は一笑に付すかもしれない。だが、「ゼロ成長を受け入れるしかない」という処方は、主流の経済学者が相手にしない成長への疑問に、正面から答えてくれているようにも感じる。(生)
    --「今週の本棚・新刊:『資本主義の終焉と歴史の危機』=水野和夫・著」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『東日本大震災からの真の農業復興への挑戦 東京農業大学・相馬市編』 著者代表・門間敏幸さん」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『東日本大震災からの真の農業復興への挑戦 東京農業大学・相馬市編』 著者代表・門間敏幸さん
毎日新聞 2014年05月11日 東京朝刊

 (ぎょうせい・3780円)

 ◇農家の信頼得た実践の記録--門間敏幸(もんま・としゆき)さん

 東京農業大学が、東日本大震災の津波と放射性物質で甚大な被害を受けた福島県相馬市の農業復興の支援に取り組み始めて、今年5月で丸3年になる。震災後に被災地の調査に入った大学は多いが、同大学がユニークなのは、単なる被害報告のまとめや学術論文の発表を目的とせず、地元の相馬市と二人三脚で、農業基盤の復旧、農業の復興に包括的に取り組んだことだ。

 「消防士が火を見てまず消火するのと同じで、我々も被災現場に立ったら、復興させることを最優先すべきだと考えました。火事現場で消火の一番良い方法を議論しても無意味です」

 元々、同大学と相馬市は特段つながりはなく、震災を機に大学側が支援を申し入れたのが始まりだった。「最初は、単なる視察のご一行だろうと思われていたかもしれない」という。

 同大学教授として支援プロジェクトのリーダーに就く一方、現地入りして被災農家の実態調査に着手した。津波をかぶった水田に積もった土砂の除去には大変な費用と手間がかかり、当時被災農家が最も頭を悩ませていた。この悩みを聞いた同大学では、土砂に有害物質が含まれないことを確かめた上で、除去せず田に混ぜ込んでしまい、除塩も雨水に任せる簡便で迅速な復旧方法を提唱。再開した稲作でめざましい成果を示すなど、次々と成果を示し始めた。

 放射線量が高い地区での営農再開に当たっては、宿泊拠点となる民家を借り上げた上で学生を動員し、全農地一筆ごとに線量を調査。結果を住民に知らせる膨大な作業をこなした。「重要なのは農家が土地の状況を正しく知り、作物を作ること。最悪の選択肢は、作付けをやめてしまうことです。それは農地の荒廃だけではなく、農家の心の荒廃をもたらします」

 農家も二の足を踏む調査を率先して行い、結果を知らせ、そして営農再開を励まして歩く。その姿勢は、相馬市の立谷秀清市長が「地区の人々は私の言うことを聞いてくれなくとも、門間教授のアドバイスには従う」と記すほど、市民の間で高い信頼を獲得する原動力となった。

 活動の成果をまとめたのが本書だが、支援に期限は設けていない。「3年くらい後に、今度は復興から新たな農業をどう作れたか報告できたら、と思います」<文と写真・三島健二> 
    --「今週の本棚・本と人:『東日本大震災からの真の農業復興への挑戦 東京農業大学・相馬市編』 著者代表・門間敏幸さん」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『焼跡からのデモクラシー 上・下』=吉見義明・著」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。


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今週の本棚:加藤陽子・評 『焼跡からのデモクラシー 上・下』=吉見義明・著
毎日新聞 2014年05月11日 東京朝刊


 (岩波現代全書・各2484円)

 ◇国民が確かにつかんだ平和と民主の思想

 第二次世界大戦が日本の敗北で終わってから68年余。その間、日本および日本人は、国家による戦闘行為によって他国の人々を一人も傷つけることなく戦後を生きてきた。その戦後日本の来歴を考えるとき、どうしても避けて通れない問いがある。戦後の日本人の多くが支持してきた平和主義や民主主義の考え方は、アメリカをはじめとする占領軍によって与えられたものなのだろうか、との問いである。

 この問いに対しては、日米の碩学(せきがく)二人がすでに答えを準備してくれている。憲政史が専門の坂野潤治は、『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書)で、民主主義の確かな伝統が日本の自前の歴史の中にあったと説く。1936年から37年にかけて、平和を目指す「自由主義」(担い手は民政党など)と、社会改良を目指す「社会民主主義」(担い手は社会大衆党など)が花開いたが、これらの勢力は軍部を前に共闘できなかった。だが、敗戦で軍部が消滅したことで、自由主義と社会民主主義が復活してきたとする。

 いっぽう、『敗北を抱きしめて』(岩波書店)でピュリツァー賞に輝いた歴史家ジョン・ダワーは、占領期の日本が変貌を遂げた要因をアメリカによる上からの改革に求めるのではなく、アメリカ内部の改革派と日本の民主主義グループの合作の過程とみた。

 本書の書き手の吉見義明は、これら二つの説明に決定的に欠けていた二つのポイントがあったのではないかと問い返す。一つは、戦時中の日本人の戦争体験であり、いま一つは、修養・共助・平和などを重視する「民衆道徳の世界」であった。ならば、普通の人々の戦争体験と民衆道徳を対象として、戦前から戦後を通じた叙述にとりかかればよい。これは簡単なことではないのか。

 「戦後思想は戦争体験の正確な反映」(『戦争が遺(のこ)したもの』新曜社)と喝破したのは小熊英二だったが、これまで歴史学は、普通の人々の戦争体験を普遍化して描くという、一見すると簡単そうに見える作業に失敗してきた。その理由を、評者自身の反省をふまえてまずは考えてみたい。近代日本の学校や軍隊においては、人格形成の一助として作文や日記が奨励されたので、人々は意外にも自らの体験を熱心に記録に遺してきた。記録がないのではない。問題は、歴史家が用いようとする、普通の人々の個々の体験や記録が、その時々の国民全体の記録のビッグ・データの中でいかなる位置にあるのか判然としないところからくる。

 これは仕方のないことではあった。典型的かつ象徴的な事例と信じて歴史家は、ある人物の遺した記録や文章を引用して歴史を描く。だが、そのような引用をいくら積み重ねても、引用した事例と国民全体の記録との関係性が見えなければ、都合の良い事例を摘(つ)まみ食いしただけ、との批判から逃れられない。

 ならば、どうしたらよいのだろう。著者の見いだした解決策は、正攻法であるとともに独創的なものだった。日本国民全体の意識や記録のビッグ・データが、時期を限れば確かに存在していることに著者は気づく。日本占領にあたった連合国軍総司令部(GHQ)の民間検閲局が、1945年秋から49年11月まで日本で発行された新聞・雑誌・図書などの出版物や郵便物をプレスコード(日本出版法)に基づいてまるごと検閲していた、その資料群があるではないか、と。現在ではプランゲ文庫と呼ばれ、アメリカのメリーランド大学に所蔵されている資料群は、当時の労働組合支部の機関誌や地域の青年団報などをはじめとし、記事レコード数にして322万件に上る記録からなっている。その豊かな資料の海に著者は飛び込み、2年間にわたって格闘を続けた。

 これまで、民衆の個別の戦争体験や民衆道徳を分析するためには不可欠だと自覚されながらも、実際には無理なことと諦められてきた、国民全体の意識や記憶のビッグ・データを著者は見事に手に入れた。ミニコミ誌や俳句・短歌の同人誌にいたるまで、戦後に花開いた日本人の表現活動をまるごと検閲しようとした占領当局の権力には震撼(しんかん)させられるが、それゆえに、日本国民の戦争体験や民衆道徳の実相が綺麗(きれい)に遺されることとなったのも事実だった。

 最後に、国民の声を二つだけ引いておこう。長野県下のある女性は、47年6月20日号の青年団報の中で、「だました政府の悪(わ)るい事はもちろんですが、しかしだまされた私達国民には罪はないだらうか。其(そ)の愚かさ、それもまた一つの罪であると私は思います」と書いていた。福岡市で発行されていた『鉱山クラブ』48年9月号には、「戦に依(よ)って敗れて取ったデモクラシーなるが故に、私は尚更(なおさら)貴重なデモクラシーでなければならないと思ふ。此(こ)のデモクラシーの奥には幾百万の尊い民族の血が今尚濤々(とうとう)として流れてゐる」との感慨が綴(つづ)られていた。占領下に生きた国民は、深刻な戦争体験を通じ、平和と民主の思想を自前で確かに掴(つか)んでいたことがわかる。
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『焼跡からのデモクラシー 上・下』=吉見義明・著」、『毎日新聞』2014年05月11日(日)付。

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書評:猪谷千香『つながる図書館 コミュニティの核をめざす試み』ちくま新書、2014年。


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猪谷千香『つながる図書館 コミュニティの核をめざす試み』ちくま新書、読了。24時間貸し出し可能な図書館から米粉ベーカリーを貸し出す図書館まで。これまで公共図書館は「無料貸本屋」と批判を受けてきたが、今、図書館に変化が起こっている。私たちの暮らしをよくする全国の図書館を歩いた最新の報告。

公共図書館とは「赤ちゃんからお年寄りまで利用者の年齢を選ばす、職業や収入も選ばず、無料で使える稀有な公的施設」。「無料でベストセラーを借りられる」場所だけの理解であれば、本書の報告に驚き「あなたの人生、損してますよ」と言われれば納得してしまう。

図書館とは何か。「図書館にはその土地の歴史と記憶が保存されている。同時に本というメディアを通じた人と人との交流の場であり、人々の心のよりどころでもあるのだ」。だからこそ地域地域でその取り組みはユニークなるものとなるし「コミュニティの核」となる。

図書館に興味がある人もない人にも読んでほしいし、コミュニティ・デザインの実践事例としても本書は楽しく読むことが出来る。指定者管理制度や官製ワープアの問題にも言及あり。ひととつながることの意義を再考させてくれる一冊。

(以下、蛇足)
図書館は「知の拠点」ゆえ「知りたい」ことに答えてくれる場所でもある。コンシェルジェを置いたり暮らしの相談へ連動する図書館もある。しかし「本」にちなむ身近な疑問解消の報告が面白い。これは福井県立図書館の話。「カンサンジというテレビに出てる評論家、生姜みたいな名前の人」の本を知りたい⇒姜尚中

福井県立図書館が受けた他の珍レファレンス⇒「100万回死んだねこ」(『100万回生きたねこ』)、「衝撃の巨人」(『進撃の巨人』)、「村上春樹のオオサキさんがどうしたとか……」(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』)などw


[http://www.library-archives.pref.fukui.jp/?page_id=368:title]


まあ、これは他人事ではないのだけど 


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つながる図書館: コミュニティの核をめざす試み (ちくま新書)
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覚え書:「銀座Hanako物語 バブルを駆けた雑誌の2000日 [著]椎根和」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。


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銀座Hanako物語 バブルを駆けた雑誌の2000日 [著]椎根和
[掲載]2014年05月04日   [ジャンル]社会 

 1988年創刊で、高級ブランドやレストランの特集を次々と組み、東京で圧倒的な存在感を放った雑誌「Hanako」。創刊から5年余り編集長を務めた著者による回顧エッセー。「無謀さこそが雑誌づくりの悦楽であり、絶対に必要なものだった」と著者。新卒で配属された「驕慢(きょうまん)で傲慢(ごうまん)で優秀」な女子編集者たちの自己主張や権利意識、辣腕(らつわん)ぞろいの高級ブランドのプレスの女性たちとの交流などが、彼女たちのプライベートな面とともに赤裸々につづられ、バブル期に旺盛に働いた女性たちの人脈記としても超一級の面白さ。特に、著者が深夜、女性部下たちから責められた西麻布の飲み会の描写は爆笑もの。1~276号の主要目次つき。
    ◇
 紀伊国屋書店・2052円 
    --「銀座Hanako物語 バブルを駆けた雑誌の2000日 [著]椎根和」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014050400008.html:title]

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書評:野家啓一『科学の解釈学』講談社学術文庫、2013年。

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野家啓一『科学の解釈学』講談社学術文庫、読了。科学は果たして万能か。信仰にも似た科学へ信頼は諸学の隷属化すら招いている。本書は、その対極の反科学主義を排しながら、「科学を御神体として後生大事に抱え込む哲学的傾向に見られるこうした『俗悪さ』に対して反措定を提出」一冊。

科学的知識の現状は「究極の真理」として「聖化」され「知のヒエラルキー」と化している。「科学は人間の自己理解に奉仕すべきものであはあっても、その逆ではない」。科学の自己理解の更新を促す本書は、その権威を解体し、「科学的理性批判」を回復する試みともいえよう。

第一部では、ハンソンの「観察の理論負荷性テーゼ」とクーンの「パラダイム論」を軸に科学哲学の構造転換を論じ、「科学の解釈学」の骨格を明らかにする。第二部では、クワインの「知識の全体論」から、科学主義の逸脱としての「自然化された認識論」への批判を試みる。

第三部では、ハンソンの「観察の理論負荷性テーゼ」の源泉をウィトゲンシュタインの「アスペクト知覚論」に見いだし、その哲学的意義を明らかにする。アスペクト盲から隠喩的想像力と換喩的想像力にヒントを見いだすのは著者ならでは。

初版(新曜社、1993年)からちくま学芸文庫収録(2006年、3論文追加)を経て学術文庫化。「仙台市若林区に住む私自身が、思いがけず『罹災証明書』を交付される被災者の一人となった」と震災を記す(あとがき)。科学の専制から知の共和制へ。刺激的論考に満ちた一冊。 


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覚え書:「東北を聴く 民謡の原点を訪ねて [著]佐々木幹郎 [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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東北を聴く 民謡の原点を訪ねて [著]佐々木幹郎
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2014年05月04日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■祈りの空間に耳を傾けてみる

 「がんばろう東北」。あなたは本当はそんなことが言いたいのだろうか? 言葉が見つからないだけではないだろうか? ならば、いっそ沈黙し、耳を傾けてみてはどうだろうか。東北に。東北が何を語りかけてくるかに。
 空元気を押し付けることで、豊かな機会を失っているのは、実は東北以外の人々ではないだろうか。
 本書は、津軽三味線の名人・二代目高橋竹山に密着し、東日本大震災の直後に、被災地の村々を行脚した、稀有(けう)なドキュメントである。初代竹山はほぼ全盲の男性で、昭和8年に東北を襲った大津波から、彼を先導した人の機転と手助けで生き延びた経験を持つ。機転とは、視覚障害者は草の原には足をとられるだろうから、藪(やぶ)の斜面を掴(つか)んで登る道を選んだことである。
 手助けした当の女性の語りがテープで残されているのを、著者たちが発見するシーンは圧巻である。そしてそこから流れ出す、方言の豊穣(ほうじょう)。そのままの起こしと訳があるので、ぜひ味わってほしい。それ自体、失われた唄のようである。じじつ明治期に、各地の方言は弾圧された。
 災害などとっさの時に、古い呪文などがよみがえるのも面白い。唄や伝承は生きられている。共同体の知恵を伝えるものでもある。そしてそれは、日本をも超えた広がりを感じさせるのである。
 また、彼らはまるで、現代の琵琶法師のようだ。滅んだ魂たちを慰め、生きている人に、知恵を伝えてゆく。願わくは、魂たちが安らかであるように。すべての人がその生を全うできるように。それは、古代からの祭りのようでもある。死者と生者が一緒になって唄い踊る空間。嬉(うれ)しいでなく、悲しいでもなく、強いてひとことで言うなら「泣き」に近い、そんな祈りの空間であると思う。
 現代日本が失ってしまったもの、それは、他ならぬ日本の中にある。
    ◇
 岩波新書・799円/ささき・みきろう 47年生まれ。詩人。詩集に『蜂蜜採り』『明日』、他に『中原中也』など。
    --「東北を聴く 民謡の原点を訪ねて [著]佐々木幹郎 [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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覚え書:「人口の世界史 [著]マッシモ・リヴィ‐バッチ [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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人口の世界史 [著]マッシモ・リヴィ‐バッチ
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2014年05月04日   [ジャンル]社会 

■繁栄、安定、安全に迫る危機

 人口の増減が経済・社会に与える影響を述べた書は数多(あまた)あるが、「人間の歴史を通して、人口は繁栄、安定、安全と同義だった」と書き出す本書は、人口増減の理由を根源的に問い、人口現象の「内的メカニズム」に迫る。
 出生率と死亡率の劇的変化は社会変容の反映である。ホモ・サピエンス(現生人類)の誕生以来、「人口の世界史」の大転換期が2度あった。
 最初は1万年前。新石器時代への移行期の「生産能力の劇的な拡大」による人口増だ。これは「バイオマス(ある空間に存在する生物の量)の制約」からの解放だった。狩猟採集生活から農耕生活へ移行し、定住という安定が出生率を上昇させ人口が増加した(死亡率も上昇)。
 第2は18世紀後半から欧州で起きた「人口転換」だ。産業革命により「土地供給と限られたエネルギー量(動植物・水・風といった)」から解き放されたことで、「不経済(多産多死)から節約へ」、「無秩序(子が親より先に死ぬ)から秩序へ」と移行し、経済は繁栄を極めた。
 ホッブズが「闘争状態」を終わらせるために1651年に著した『リヴァイアサン』の社会的影響は18世紀後半になってようやく表れ、ホイジンガが『中世の秋』で述べたように「新しい時代がはじまり、生への不安は、勇気と希望とに席をゆず」ったのだ。
 だが、その後先進国では出生力の「後戻りできない低下」が始まり、貧困国は人口増加が続く。本書は転換と収斂(しゅうれん)の過程が終了する将来の人口の潜在的増加率を「±1%」とみているが、既に出生した若年層の多さに負うところが大きい。「人類史はいま新たな歴史局面に入りつつあり、(略)現在の人口増加は危険な道路を疾走する車のようなもの」と著者は警告する。
 英歴史家ホブズボームは20世紀を「極端な時代」とみた。21世紀には、さらに予想のつかない未来が待つ。
    ◇
 速水融・斎藤修訳、東洋経済新報社・3024円/Massimo Livi-Bacci 36年生まれ。伊フィレンツェ大学名誉教授。 
    --「人口の世界史 [著]マッシモ・リヴィ‐バッチ [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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覚え書:「大正ロマンの真実 [著]三好徹 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。


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大正ロマンの真実 [著]三好徹
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年05月04日   [ジャンル]歴史 

■時代に躍った人びとの姿を活写

 大正時代は15年、その間に起こった政治、軍事、文化に関わる事件・事象を選び、そこに躍った人びとの姿が活写される。大正の空気(大正ロマンとか大正デモクラシーとか称されるが)は「人」の生き方で形づくられたとわかる。
 伯爵夫人とお抱え運転手の心中に松井須磨子の島村抱月後追い自殺、波多野秋子と有島武郎の心中が重ね合わされる。浅原健三と八幡製鉄のストライキの稿では、大杉栄周辺にも筆は延びる。シーメンス事件を論じつつ海軍内部の人脈図が浮かびあがる。原敬と政治指導者を語ると、そこに歌人下田歌子が顔をだす。朴烈と金子文子の写真の謎を解く鍵を握る立松判事の生き方など、個々の挿話が練達の筆で巧みに構成されている。
 明治期に乃木希典の信頼を得た新聞記者大庭景秋(おおばかげあき)は、大正時代には社会主義に関心を持ち、やがてその身は歴史の闇に消える。桂太郎の愛妾(あいしょう)お鯉(こい)の昭和23年まで生きての自慢話など、昭和へは多様な姿が託された。
    ◇
 原書房・2160円 
    --「大正ロマンの真実 [著]三好徹 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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書評:自由人権協会編『改憲問題Q&A』岩波ブックレット、2014年。


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自由人権協会編『改憲問題Q&A』岩波ブックレット、読了。「私はこれまでの人生で『憲法』のお世話になったことはないように思います。憲法は何のためにあるのですか?」「自衛隊を軍隊として憲法で認めることの何が問題なのでしょうか?」 本書は14の素朴な問いから、改憲問題をじっくり考える一冊。

改憲のたたき台と目される自民党改憲案の何が問題か。憲法と人権について根本的に理解が間違っていること、集団的自衛権の危険性を隠していること、現行憲法の改正手続きの硬性という嘘という4つ。改憲案は民主主義国家でいう憲法ではない。

現行憲法の理念は突如出現したのでなく「人類の人権を求める長い歴史と当時の世界が到達した英知を取り込んで、日本を滅びる瀬戸際にまで追い込んだ言論の封殺と軍部の暴走の歴史への強烈な反省をもとに、新たな主権者となった当時の国民が獲得した成果」。

改憲の「気分」のみ先行し、根本的な理解をないがしろにすることは、人権の歴史に学ぶことなく、権力者によって都合の良い装置へと改悪させることにほかならない。本書は戦後日本の繁栄の根拠となった憲法の価値を再確認できる一冊。 


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改憲問題Q&A (岩波ブックレット)

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覚え書:「自由か、さもなくば幸福か? 二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う [著]大屋雄裕 [評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付


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自由か、さもなくば幸福か? 二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う [著]大屋雄裕
[評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学)  [掲載]2014年05月04日   [ジャンル]社会 

■監視社会化を積極的に評価

 全ての人間の身体にGPS機能付きのチップが埋め込まれた社会を想定してみよう。GPSとは、人工衛星を用いてその対象が地球上のどこにいるのかを正確に測定するシステムのことだ。つまり、あらゆる人間がいつ、どこにいるのかがつねに測定され、コンピューターに記録される社会である。
 こうした社会では、犯罪が起こってもすぐに犯人は特定されるだろう。たとえ殺人犯が遺体からチップを取り除いて犯行を隠匿しようとしたとしても無駄だ。チップが取り除かれたときにそこにいた人間は特定されるからだ。生体反応によって稼働するチップならば、よこしまな人間が自分の身体からチップを取り除いた時点で、警察に取り締まられるだろう。
 究極の犯罪防止社会である。これによって私たちの治安は、完璧にとまではいえないにしても、かなりの程度保障されることになるだろう。もちろんこうした社会に対しては強い批判もあるにちがいない。究極の監視社会である、と。
 本書はしかし、そうした究極の監視社会を、正義にかなった、今後のありうべき一つの可能性として考察する。それも、自由と幸福はどこまで両立するかという19世紀以来の大問題を検討しながら、政治哲学的に考察しているのである。
 とまどう読者もいるかもしれない。なぜ究極の監視社会が正義にかなった今後の進むべき方向性になるのか、そこでは国家権力の専横によって人びとの自由は大きく損なわれるのではないか、と。当然の疑問である。
 とはいえ、監視によって犯罪が徹底的に取り締まられるとき、そこで損なわれるのは「犯罪をする自由」だけかもしれない。また、国家権力の専横といっても、究極の監視社会では権力の担い手もまた監視される。もしその担い手が記録された情報を不正に入手・利用しようとしたら、それすらGPSの位置情報とコンピューター上の記録で糺(ただ)されるだろう。
 それに、いまある全国の監視カメラのほとんどは実は政府ではなく民間によって設置されたものである。現在私たちの位置情報と行動をたえず記録している携帯電話のGPS機能、各種の交通カード、SNS、ネットショッピングのログ機能などもほぼすべて民間によって設置されたものだ。現実には私たちは政府以上に他人の行動を監視し、記録しているのである。監視社会の責を国家権力に帰すことはできない。
 こうした状況を踏まえつつ、監視の強化がもたらしうる可能性を積極的に評価しようとする本書の試みは、きわめて挑発的だ。それは同時に、監視技術がますます発達する今後の社会にとって避けて通れない問いかけでもある。
    ◇
 筑摩書房・1620円/おおや・たけひろ 74年生まれ。名古屋大学大学院法学研究科教授(法哲学)。『法解釈の言語哲学』『自由とは何か』など。
    --「自由か、さもなくば幸福か? 二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う [著]大屋雄裕 [評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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覚え書:「心の流浪 挿絵画家・樺島勝一 [著]大橋博之 [評者]横尾忠則(美術家)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。


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心の流浪 挿絵画家・樺島勝一 [著]大橋博之
[評者]横尾忠則(美術家)  [掲載]2014年05月04日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝 

■「ペン画の神様」の生涯と時代

 生前、山田風太郎氏宅を訪ねた時、応接間に『樺島勝一ペン画集』が飾られていた。風太郎さん世代から僕たち戦中、戦後世代にかけて樺島勝一は「ペン画の神様」としてその存在は熱血少年の魂の源泉であり、血湧き肉躍る野性と科学的理性の両極で時代精神を形成した。
 風太郎さんが小説家になった動機は挿絵だったという。挿絵が小説を凌駕(りょうが)することさえあった。「船の樺島」の異名に安住せず森羅万象を、その科学知と超越的技法によって海洋ロマン、密林、戦記、歴史物、マンガまで描き分けた。
 本書の著者は樺島時代を生きたわけではないが、その作風に惹(ひ)かれ、樺島の知られざる生涯と時代、行動と当時の出版状況などを追跡して評伝を執筆した。当時の僕たちは樺島の個人情報にはうとく、どうでもよかった。絵が全てを語っていたからだ。
 本書で初めて知った樺島家の貧困は、「前世の悪行の報い」と樺島が言うほどに悲惨な生活の中で、独学独歩の精神を鍛え上げた。空いた時間は全て読書に捧げ、その博覧強記によって大学卒以上の知識を得、無類の話し好きが原稿を取りに行った編集者を困らせた。一方、吃音(きつおん)のため人前を避け、友人もなく、もっぱら読書を友とした。
 樺島が台頭してくるのは日刊「アサヒグラフ」に入ってからだ。戦後は「漫画少年」「冒険少年」「少年クラブ」で活躍。死ぬまで現役だった。
 自らを職人と名乗り、純粋芸術と一線を画して応用芸術を主張。新しさに無関心で、「物を美しく観(み)」、気品を第一義とし、自らの品格の向上に努力を怠らず、気品の高さが人に感動を与えると信じた。
 また、絵が構成する力の底にあるデザイン力を無視しなかった。デザインが大衆の心理をつかみ、「芸術的良心と道徳的概念」こそ応用芸術の王道だとして、挿絵画家のプライドを守った。
    ◇
 弦書房・2376円/おおはし・ひろゆき 59年生まれ。ライター。『SF挿絵画家の時代』など。 
    --「心の流浪 挿絵画家・樺島勝一 [著]大橋博之 [評者]横尾忠則(美術家)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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心の流浪 挿絵画家・樺島勝一
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覚え書:「日記で読む文豪の部屋 [著]柏木博 [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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日記で読む文豪の部屋 [著]柏木博
[評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)  [掲載]2014年05月04日   [ジャンル]人文 

■「私」と自宅の関係を徹底分析

 名だたる文豪のユニークな自宅が題材となっているが、日本人にとって自宅とは何なのか、人間にとってそもそも家とは何なのか、が本書の真のテーマである。文豪はサンプルであり、わが家をめぐって思い悩むわれわれの分身である。
 本書の成功の鍵は、日記と自宅の相似の発見である。どちらも基本的には私的なメディアだが、他人に見られたい気持ちがないわけはない。日本人はこのねじれた感情をベースにして、世界に例のない独自な「私」文化を築いてきた。「私」を見せたい気持ちがストレートに表出される西洋人の家とは違う、世界に類のないユニークな自宅文化が生まれたことが明かされる。日記の延長に日本独特の私小説が成立した事情にも、どこか似ている。日本人は、あいまいで複雑な「私」を、文化へと転換したのである。
 複雑な「私」の産物である家は想像を超えた多様な形をとる。たとえば、夏目漱石は、家本体よりは庭、しかも植物が主役だった。庭を体験するための縁側、テラスに身を置き、室内にも庭にも属さぬ中間領域からの斜めな視線を送る。漱石ってヴェランダ文学だったのかと思い当たった。
 『断腸亭日乗』の永井荷風はさぞや家にこだわったと思いきや、東京という都市自体を自宅として暮らした。家は、殺風景でペンキ塗りだったから偏奇館と呼んだ。都市散策と小さな家の組み合わせも日本的である。
 関東大震災で半壊した家に愛着を示した北原白秋は、茶室的廃墟(はいきょ)趣味かもしれない。童謡作家と壊れた家の組み合わせも意外である。
 文豪の自宅は、それぞれにひねくれ、私と公、家と都市、生と死といった二項対立の間で、どちらともつかぬねじれた空間が創造されていた。
 日本文学の謎が少し解けた気にもなった。
    ◇
 白水社・2376円/かしわぎ・ひろし 47年生まれ。武蔵野美大教授。著書『日用品の文化誌』『探偵小説の室内』など。 
    --「日記で読む文豪の部屋 [著]柏木博 [評者]隈研吾(建築家・東京大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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日記で読む文豪の部屋
柏木 博
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覚え書:「半自叙伝 [著]古井由吉 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。


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半自叙伝 [著]古井由吉
[評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)  [掲載]2014年05月04日   [ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝 

■幼年との往復、積み重なる記憶

 人は生き続ける限り、心の奥深くにいくつもの記憶を少しずつ積み重ねる。それらの記憶は、たいてい年齢を経るごとに移ろい変容してゆく。輪郭がぼやけて忘れてしまう場合もあれば、逆に輪郭がぼやけることで、かえって生涯にわたる意味合いを帯びてくる場合もある。
 古井由吉は、本書で自らの人生における二つの時期の記憶について語っている。第1部は2012年に発表された文章を、第2部は1982年から83年にかけて発表された文章を収めている。一方は40代、他方は70代になって来し方を振り返り、記憶に残った出来事や場面を、「矛盾はなまじ整合させずに」描き出している。
 当然、両者には記憶の重なりがある。例えば、70年11月25日の三島由紀夫の自決を、著者は肺がんの母親を見舞いに訪れた実家のテレビニュースで知った。40代では三島由紀夫という文字そのものにまがまがしさを感じたのが、70代ではもう少し落ち着いた記憶になっている。ここには三島に対する心境の変化が反映しているように見えた。
 その一方、敗戦直後の45年10月に岐阜から上京してきたとき、東京駅の連絡通路で遭遇したアメリカ兵がかじりかけの林檎(りんご)を子供に渡したときの記憶は、40代よりも70代のほうが「戦後の始まり」として認識されている。
 両者に共通しているのは、記憶の根底にある空襲の体験である。45年5月の空襲で東京の自宅を焼かれ、父親の実家があった岐阜県の大垣に逃げたが、大垣もまた7月末の空襲で町全体が炎上した。
 7歳の古井由吉が、赤々と燃えさかる大垣の町を慄(ふる)えながら眺めている。この体験こそ、たとえ40代になろうが70代になろうが、幼年の自己との間を無限に往復するこの作家の人生を宿命づけたのではないか。本書で語られる著者の生涯そのものが、まるで小説のように思えてくる。
    ◇
 河出書房新社・1836円/ふるい・よしきち 37年生まれ。作家。『古井由吉自撰(じせん)作品』全8巻、近著に『鐘の渡り』。 
    --「半自叙伝 [著]古井由吉 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年05月04日(日)付。

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半自叙伝
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書評:稲葉剛『生活保護から考える』岩波新書、2014年。


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稲葉剛『生活保護から考える』岩波新書、読了。生きるための最後の砦である生活保護制度が今、重大な岐路に直面している。本書は当事者の声を紹介するとともに、何が問題なのか問い直す一冊。豊富な事例から現象の側面があきらかにされるだけでなく、その背景となる日本人の歪んだ心性にもメスを入れる。

第1章では、現在の自公政権で実施された生活保護基準の引き下げについてその問題点を検証する。最後の砦が低減されることはそのボーダー層をも巻き込んでしまうことを忘れてはいけない。第2章では福祉事務所での「水際作戦」と補足率の低さを明らかにする。第3章では、芸能人親族の生活保護バッシングから沸騰した扶養義務強化の問題を取り上げる。全ての人が家族とは「温かい」“関係”である訳でもないし、先進各国の中で扶養義務対象が広いのは日本だけ。第4章では利用当事者の声を背景から紹介する。終章(5)では、13年に提出された生活保護法改正案と生活困窮者自立支援法案の問題点を腑分けする。人権制限論に「寛容」であっていいのだろうか。問われるのは日本社会の矮小化された「自立」感覚とその更新であり、最後に生活保障法を提案する。

厚生労働省は生活保護を受けることを「受給」と呼ぶが著者は「利用」という語を用いる。主体的に制度を使うという意味を込めて「利用」する。なぜ、後ろ目がる必要があるのだろうか。利用者を追い込んでいるのは、「ふつー」の日本人の錯誤した感覚に由来する。

現政権は震災後の「絆」に便乗し、基準引き下げと扶養義務強化を高調するが、「絆原理主義」は国の責任の後退であり、それは「個人の尊厳を守るため、公私二分法からの脱却を目指してきた歴史」の歯車を逆回転させるものであり、自発的支え合いをも破壊する暴挙になろう。

当事者の声は本書の山場。ある受給者は、「友人にうち明けられない事」と自分自身が「『生活保護制度』の事を受け入れられない事」が辛いことだと告白する。一人の友人にうち明けたとき「楽してお金が貰える。というふうに思わないで」と言われたという。

生活保護は「徴兵逃れ」でも「楽してお金が貰える制度」でもない。「日本社会では人々の怒りや不満が貧困や格差を生み出している社会構造になかなか向かわない」。兵役のような労働環境や構造そのものに目を向けず、バッシングを繰り返しても詮無いことだ。

著者はこの日本社会の心性を「弱者の正義」と指摘する。これはシベリア抑留詩人・石原吉郎の言葉。「自分の生きのびる条件をいささかも変えることがないにせよ、隣人があきらかに有利な条件を手にすることを、彼はゆるせないのである」(『弱者の正義』)。

「石原はこうした状況下では嫉妬は『正義の感情に近いものに転化する」と言います。そして、この嫉妬こそ『強制収容所という人間不信の体系の根源を問う重要な感情』だと断言しています」。弱者の正義が広がる現在の日本社会は変革を仰ぎ見ない強制収容所といっても過言ではあるまい。

実際に優位にあるかなど関係ない。そう「見える」人々は正義の名のもとに攻撃されるし、在日外国人へのヘイト・スピーチとも通底する。本書はいわば「生活保護から考える」日本の現在。制度設計だけでなく、ひとりひとりのあり方と意識の更新が問われている。


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生活保護から考える (岩波新書)
稲葉 剛
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覚え書:「今週の本棚:磯田道史・評 『巨大津波 地層からの警告』=後藤和久・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。


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今週の本棚:磯田道史・評 『巨大津波 地層からの警告』=後藤和久・著
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 (日経プレミアシリーズ・918円)

 ◇津波堆積物追い、被害想定へ

 東日本大震災以後、地震津波の研究現場で異変が起きている。震災前よりも、地震や津波の規模が大きく語られるようになった。震災前は、まさか、そこまで大きな地震や津波ではなかっただろう。そんな「まさか」との甘い考えがあって、過去の地震や津波の規模も、襲来が予想される地震・津波の大きさも、控えめに推定されていた。それが震災後、一変した。それまで、6メートルの津波が来たとされていた場所は9メートルの津波が来ていたと訂正され、さらに将来は15メートルの津波が来る可能性もある、というふうに、地震学者の見解の上方修正が相次いだのである。科学的推測とはいいながら、やはり人間は経験しないものはわからないものなのである。

 もう一つ震災後、変わったのは、地震や津波の研究への地震学者以外の参入が顕著になったことである。私のような歴史学者や、地質学者、さらには生物学者・民俗学者までもが、この分野に入ってきた。本書の著者は地質学者で、もともと惑星探査研究センターで地球外天体衝突などを専攻されていたが、現在、東北大学で災害科学の研究に従事しておられる方である。

 今もっとも期待されている防災研究分野がある。巨大津波が陸上や海底に運んできた泥や砂=津波堆積(たいせき)物、津波の地質学的痕跡を追いかけ、それから過去の津波の姿を知る研究である。私は古文書から昔の津波を追っているが、正直、限界を感じる場面も多い。日本は地震津波の詳しい記録が1300年以上前の天武天皇の時代からあり、他国では過去500年がせいぜいだから、世界最長・最精密に津波を記録してきた場所だが、それでも室町時代以前は古文書が少なく記述もあいまいで、津波が一体どこまで陸地を浸水させたのか、推定するのに困ってしまう。ここで登場する助っ人が、本書のような津波が運んだ泥・砂・石の研究者である。人口密集地の地層は調査が困難で、地面から1-2メートル分は、人がかき混ぜていることが多いそうだが、池や沼の底には、しばしば過去の巨大津波が運んできた泥砂が痕跡として残っている。それを調べれば、巨大津波の被害の「物証」が得られる。堆積物のなかに含まれる海棲(かいせい)微生物をみれば、もっと過去の津波の姿がよくわかる。

 実は、東日本大震災前に、原発に津波の危険を最も適切に警告していたのは、この津波堆積物の調査者たちであった。なにしろ、仙台平野の地面を掘ると、内陸3・5キロまで、過去の津波が運んだ砂が縞状(しまじょう)に積み重なっている。内陸5キロちかく浸水させる恐ろしい巨大津波が繰り返されているから、気をつけて、といってくれていた。

 地震学者による被害想定やハザードマップの問題点は、ある前提のもとで被害を仮想計算することである。この範囲の断層・岩盤が動く可能性があり、動くと、このぐらいの地震・津波になる、とコンピューターで「シミュレーション」をする。しかし、仮想はあくまで仮想。人間が勝手においた前提の上に立つフィクションである。行政や鉄道会社は出費がかかるから、前提でいかようにもできるシミュレーションの被害想定で津波対策をしたがる。しかし、被害がきたら保険金を払わねばならない保険会社はどうか。損害保険料率算出機構のホームページをみると、津波浸水の「実績」データを大事にしていることがわかる。行政がこの前提条件を自由にし、過小な被害想定をしているところも目につく。著者がいうように物証からみた「過去の津波の浸水実績に基づく津波想定」を今後も進めていかねばならない。
    --「今週の本棚:磯田道史・評 『巨大津波 地層からの警告』=後藤和久・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140504ddm015070018000c.html:title]

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覚え書:「書評:日本の戦争と宗教1899─1945 小川原 正道 著」、『東京新聞』2014年05月04日(日)付。


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日本の戦争と宗教1899─1945 小川原 正道 著  

2014年5月4日

勢力拡大の欲望を秘めて
[評者]成田龍一=日本女子大教授
 石川達三の戦争小説に「従軍僧」が出て来る作品があり、はっと思ったことがある。戦争のなかで、宗教者が反戦・非戦の姿勢を貫いたことは、(著者も言及する)キリスト者、新興仏教青年同盟などの事例があり、知識を有していたが、従軍していた宗教者がいたことにあらためて気づかされた。戦争と宗教との関係は複雑で、まだまだ知られていないことや論点が多くありそうだと、そのときに感じた。
 著者は、この「戦争と宗教」という壮大なテーマを扱うという果敢な行動に出た。本書では二十世紀の戦争-第一次世界大戦、満州事変から日中戦争、アジア・太平洋戦争期における、仏教、キリスト教、神道の活動を論じた。これまでの宗教研究が各派ごとになされていたことからすれば「宗教横断的」であり、これまた大胆な叙述となる。さらには、宗教政策・対策と宗教自身の対応があわせ記されている。
 基本的な流れは、戦争の進展に伴い、宗教各派が戦争に即応し、兵士たちへの慰問をおこない、戦争の地で社会事業や教育活動をし、布教活動をさかんにして教勢の拡張を推進したことの紹介である。他方、軍部も宗教を利用し環境を整えようとした。アジア・太平洋戦争の時期でも趨勢(すうせい)は変わらず、ことは仏教、キリスト教などの宗派のいかんにかかわらないとする。また、植民地や「満州」、南方に日本がつくった神社への言及もなされている。
 こうして戦争と宗教をめぐる動きが俯瞰(ふかん)され、日本人のみならず、現地の統治にも宗教が利用されたことが叙述される。とくに、「道理のある戦争」を説く「戦時教学」の展開、および軍部による神社参拝をめぐって抵抗するミッション・スクールの議論とその顛末(てんまつ)を取り上げた箇所が興味深い。
 ところで、著者がとりあげている対象は、戦争に協力するなか、どこで「宗教」としての歯止めがかかっていると理解したらよいのであろうか。
(講談社選書メチエ・1836円)
 おがわら・まさみち 1976年生まれ。慶応大教授。著書『福沢諭吉』など。
◆もう1冊 
 石川明人著『戦場の宗教、軍人の信仰』(八千代出版)。宗教と軍事、国防と信仰などの視点から、人間や平和について考える論集。 
    --「書評:日本の戦争と宗教1899─1945 小川原 正道 著」、『東京新聞』2014年05月04日(日)付。

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日本の戦争と宗教 1899-1945 (講談社選書メチエ)
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覚え書:「書評:ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎 富士川 義之 著」、『東京新聞』2014年05月04日(日)付。


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ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎 富士川 義之 著

2014年5月4日


◆漢詩文が生む研究の厚み
[評者]平川佑弘=東京大名誉教授
 富士川英郎は東大に着任し、「西洋文化を、どういう風に取り入れ、どのようにこれと対決したらいいかという、明治以後の日本人ぜんたいにとっての大きな課題」が鴎外全集には示唆されていると述べた。そんな問題意識により駒場に新設された比較文学文化の大学院で、初代主任の島田謹二は文学の外に踏み出し、『ロシヤにおける広瀬武夫』という軍人の外国体験を調べることで課題に答えた。
 島田を継いだ富士川は痩せて飄々(ひょうひょう)としている。ややたよりない。学生は不安だった。主任は二コマ東西両文学を教える。富士川は一コマは専門のリルケ、もう一コマは鴎外や蘭学者をとりあげた。だが学識はおのずとものをいう。数年後、富士川の講義が江戸漢詩に及ぶや、教室は生気を帯び、世評も高まった。みずみずしい評釈に対し次々と賞が授けられる。自信もつき機嫌もよくなる。美しい装幀(そうてい)の本が出る。詩にまつわる随筆、書物の思い出、文化史的な厚みのある論文等々。
 本書は長男の手になるそんな父の評伝である。医学史家・游(ゆう)の息子英郎は朔太郎を愛読して独文科へ進んだ。詩文を愛した書斎人の生涯が著述を追って巧みに語られる。そして話柄はおのずと英郎の息子で英文学者の義之本人へ及ぶ。この富士川家の評伝には鴎外の史伝が遠くこだましている。
 戦後、中国文学関係者は日本人の漢詩文を研究から排除し、国文学者も和文のみを尊重した。そんな時に富士川英郎は漢日文化の交わる領域に踏み入り、菅茶山などの漢詩を西洋詩歌に対すると同様、のびのびとした感受性で吟味したから『江戸後期の詩人たち』は評判を呼んだのだ。少年期から漢詩文に親しむ学者の家で育ったからこそなし得た仕事であり、それだけに三代の家系を描くことには意味がある。
 英郎が美しく豊かで多産な老年を過ごすことができたのは、欧日についても漢日についても二本足の学者であったからに違いない。
(新書館・3888円)
 ふじかわ・よしゆき 1938年生まれ。英文学者。著書『英国の世紀末』など。
◆もう1冊 
 富士川英郎著『江戸後期の詩人たち』(平凡社東洋文庫)。菅茶山、市河寛斎、広瀬淡窓ら江戸後期の漢詩人の魅力を現代に伝える名著。 
    --「書評:ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎 富士川 義之 著」、『東京新聞』2014年05月04日(日)付。

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ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎
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覚え書:「書評:なぜ哲学するのか? ジャン=フランソワ・リオタール 著」、『東京新聞』2014年05月04日(日)付。


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なぜ哲学するのか? ジャン=フランソワ・リオタール 著

2014年5月4日


◆この世界生きる実践
[評者]雑賀恵子=評論家
 「哲学とは何か?」ではなく、「なぜ哲学するのか?」である。哲学(フィロソフィー)は、知(ソフィア)を愛すること(フィレイン)だ。愛すること、愛していること、つまりは欲望すること。そこから、問いは始まる。欠如があるから不在のそれへと向かう運動が欲望であり、哲学するというのは不在に対する運動だ。またソフィアは味わうと同じ意味であり、不在の対象に距離をとると同時に、運動の中にいて理解することである。
 いま生きて在るこの世界にないもの、生のなかに死があること、疎外や喪失、そして未(いま)だ獲得していない私たちの力。そうした不在に向ける欲望や愛が哲学であるなら、哲学するとはこの世界を生きる実践であり、平穏を装う世界に不在を指し示す政治的闘いでもある。ポストモダンの旗手とされたリオタールが、世界的な反体制運動の高まる直前の一九六四年、理系文系を問わず大学一年生を前に語りかけた四回の講義録が本書だ。
 社会全体を統合し人々が寄りかかれる近代の「大きな物語」が崩壊し、局所に分散したたくさんの「小さな物語」群が抗争するとき、「大きな物語」の再臨を待ち望むのか。それとも調停するのか。どういうふうに? 価値観の喪失から復権へと排他的ナショナリズムが声高に叫ばれる今、叫ぶ声に欠如しているものを聴きわけ、考え抜くこと。本書はその足場を固める舗石の一つである。
 (松葉祥一訳、法政大学出版局・2160円)
 Jean-Francois Lyotard 1924年生まれ。フランスの思想家。
◆もう1冊 
 G・ドゥルーズ&F・ガタリ著『哲学とは何か』(財津理訳、河出文庫)。混沌に向き合うための哲学の戦略・概説書。
    --「書評:なぜ哲学するのか? ジャン=フランソワ・リオタール 著」、『東京新聞』2014年05月04日(日)付。

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なぜ哲学するのか? (叢書・ウニベルシタス)
ジャン=フランソワ リオタール
法政大学出版局
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書評:渋谷秀樹『憲法への招待 新版』岩波新書、2014年。

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渋谷秀樹『憲法への招待 新版』岩波新書、読了。「憲法は私たちが守らなくてはならないものか」「『いじめ』は憲法に反する人権問題なのか」等、24の問いに答える形で、日本国憲法の思想と骨格を平易に解説する「市民のための憲法入門」。憲法を取り巻く風雲急の状況に、大幅に加筆した待望の「新版」。

日本国憲法に通底する精神とは「一人ひとりを個人として尊重することに一番価値を置くことを前提に一貫して組み立てられている」こと。憲法の本質と人類普遍の原理を知らぬまま思い込みで論じる論調が多い中、その本質を浮き彫りにする本書の意義は大きい。

特定秘密保護法の問題は、1)原則公開・例外非公開という政府情報のあり方が原則と例外を逆転させてしまう点、2)特定秘密の内容があいまいで情報が恣意的に特定秘密とされる点、3)報道機関の取材活動を萎縮、4)公務員のプライバシーの侵害、と指摘する。

特定秘密保護法は、知る権利を侵害して民主主義の基盤を掘り崩そうとするだけでなく「国民相互の監視と密告を奨励して息苦しい監視社会を築きあげ、さらに真理を追求する科学的精神を萎縮させようとする毒素を隠し持った法律」あり、時代を巻き戻すもの。

「本書を手に取ることで、憲法の理解が深まり、素人談義ではなく、熟慮に裏付けられた討議(deliberation)が真剣になされることを期待したい」(著者)。憲法に関する議論が過剰と過小に揺れ動く現在、根本原理からその具体的展開を見通す本書は学生に読んでほしい。
 

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憲法への招待 新版 (岩波新書)
渋谷 秀樹
岩波書店
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覚え書:「今週の本棚:松原隆一郎・評 『日本の企業統治と雇用制度のゆくえ』=宮本光晴・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。


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今週の本棚:松原隆一郎・評 『日本の企業統治と雇用制度のゆくえ』=宮本光晴・著
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 (ナカニシヤ出版・3024円)

 ◇長期雇用を社会貢献とする「新日本型」

 「実は凄(すご)い、日本の技術」といったテレビ番組や雑誌記事をしばしば目にする。なるほど「あまりに細くて射(さ)しても痛みを感じない注射針」等、製造元の職人的技術には驚かされるものが少なくない。だが技術力が今更ながらに見直されるのは、日本人が自信喪失していることの裏返しでもある。

 一因に、家電メーカーがアジア諸国に市場を奪われたことがある。韓国企業の進出は、脅威以外の何ものでもない。そして韓国企業が急速に進歩した理由に、日本から技術者が流出したことがある。それは我が国の「会社」制度の様変わりを背景としている。日本企業の強みは従業員の熟練技術にあったのに、それを育み慰留する長期雇用や年功賃金が瓦解(がかい)しているのだ。

 長期雇用を保証される正社員は目に見えて減り、早期退職やリストラも異例ではなくなった。国立大学にさえ、民間企業を模した短期契約の「特任教授」が溢(あふ)れている。日本の企業組織はどこに向かうのだろうか。著者はながらく企業経済の理論分析に取り組んできたが、今回は日本労働政策研究・研修機構が2004年から09年にかけて実施した企業と従業員に対する膨大なアンケート結果をデータ処理し、このうねりの向かう先を予測している。

 この予測を面倒にするのに、2007年ごろまで喧伝(けんでん)され日本企業に改革を迫った「グローバル・スタンダード」なる企業形態に、疑いの目が向けられたことがある。経営者の所得を株価に連動させ(ストックオプション)、他企業を頻繁に買収、ホワイトカラー管理職にかんする限りは成果を上げるかクビかという苛酷な市場競争に従業員を駆り立てる企業形態である。しかしリーマン・ショックで株価が急落して以来、それも無条件に善とみなされなくなった。

 著者はそうした市場志向型の企業形態をアメリカ型と呼ぶ。グローバル・スタンダードという言葉には唯一・絶対という意味が込められたが、それもアングロサクソンの社会文化に育った一個の「型」にすぎない。長期雇用とメインバンク制を特徴とする日本企業に移植されたが、日本企業の「型」は速やかにはアメリカ化しなかったという。

 著者はここに、日本の企業組織の新たな胎動を見る。成果主義は導入されたものの、長期雇用は維持されるという「新日本型」である。それがいまや流動的雇用と成果主義にもとづく「アメリカ型」と勢力を2分している。これは従業員の処遇をめぐる「雇用」の形態だが、企業には利益をいかに効率的に得て関係者に配分するかの「統治」の面もある。後者については取締役会改革により、執行役員制が導入された。

 ここにひとつ、「謎」がある。従業員には、なぜか株主価値重視の経営を支持する傾向が見られるのだ。従業員は長期雇用を望むであろうに、経営者が株価を引き上げようとするならば賃金引き下げやリストラも辞さないはずだ。この矛盾をいかに解釈するかが、本書の読みどころである。

 1990年代終盤から株式の相互持ち合いや安定株主が流動化し、敵対的企業買収の脅威が広がると、株価引き上げへの圧力が強まった。しかしそれを配当増に押しとどめ、雇用を犠牲にせずに長期雇用を社会的貢献とみなす企業が現れる。これが「新日本型」。だからこそ従業員は配当という株主価値の重視をむしろ経営者に課する監督とみなし、共鳴したというのだ。

 地味ながら、不安漂う日本経済の背景を読み解く書といえよう。
    --「今週の本棚:松原隆一郎・評 『日本の企業統治と雇用制度のゆくえ』=宮本光晴・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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日本の企業統治と雇用制度のゆくえ―ハイブリッド組織の可能性
宮本 光晴
ナカニシヤ出版
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覚え書:「今週の本棚:井波律子・評 『秘密 上・下』=ケイト・モートン著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。


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今週の本棚:井波律子・評 『秘密 上・下』=ケイト・モートン著
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 (東京創元社・各1944円)

 ◇母はなぜ男を殺したのか、半世紀経て判明

 オーストラリアの作家ケイト・モートンが著した本書『秘密』は、まことに精緻に組み立てられた、文句なしの秀作ミステリである。四年前に翻訳が刊行された『忘れられた花園』も興趣あふれる作品だったが、スリリングな展開といい、結末のドンデン返しの鮮やかさといい、本書のほうが、ミステリとしての魅力も完成度も高いように思われる。

 一九六一年夏、英国サフォークの農家(ファームハウス)に住む四人姉妹の長女である、十六歳の少女ローレルは、まだ二歳だった末の弟のジェリーとともにいた、美しい母のドロシーが、不意に訪れた未知の中年男を刺殺する現場を、かげから目撃する。事件は正当防衛として処理されるが、その後、ずっと彼女の心にしこりとなって残る。これをきっかけに、『秘密』の物語世界は、二つの時間帯を交錯させながら展開されてゆく。

 その一つは、この事件から五十年後の二〇一一年。有名な女優になったローレルは、すでに九十を超え、病んで余命いくばくもない母を見舞ううち、見知らぬ若い女性とともに写る若き日の母の写真を見つける。これを機に、彼女は、母が口を閉ざして語らない、父と結婚をする前の過去と、あの事件が関わっていることを確信し、母の過去の追跡に着手する。ローレルの協力者は、事件当時、幼児であり、今は天文学者になった聡明な弟ジェリーだった。二人の追跡によって、母ドロシーは第二次世界大戦のさなか、ロンドンの豪壮な屋敷に住む老婦人に仕えており、ともに写真に写っているのは、向かいの屋敷に住むヴィヴィアンという裕福な女性、そして彼女の夫の作家こそ、母が刺殺した男だということが、しだいに明らかになる。さらにまた、母には当時、戦争写真家のジミーという恋人があり、母、ジミー、ヴィヴィアンの三人の間には、葛藤があったらしいこともわかってくる。大いなる謎にひたひた迫る、この過程の描写はスリリングというほかない。

 もう一つの時間帯は、一九四〇年代初頭、戦時下のロンドンである。ここには、明日の命の保証のない危険な時代に、若い野心家のドロシー、誠実な恋人ジミー、深い影を背負うヴィヴィアン、および彼女に異様に執着する夫ヘンリーが、愛し憎み、あるいは必死にあるいは残酷に生きる姿が活写されている。このもつれた人間模様はある日、ドロシーの下宿を直撃した爆弾によって一瞬のうちに吹き飛ばされる。ジミーの死を告げに来たヴィヴィアンは爆死、生き残ったドロシーはロンドンから遠く離れた海辺の下宿屋にたどりつき、メイドとなる。やがて彼女は下宿屋の息子であるローレルの父と恋に落ち、幸せな結婚をして四女一男をもうけ、第二の人生を歩む。まさに波瀾(はらん)万丈のドラマである。

 しかし、これだけでは、なぜ母ドロシーがヴィヴィアンの夫を刺殺したか、根本的な謎を究明するには至らない。それもやがて意外な事実が判明し、最後にすべてが明るみに出される。ローレルが突きとめた真実を穏やかに肯定した母は、子供たちに見守られながら眠るように息を引き取る。二転三転した物語世界はこうして静かに幕を下ろすのである。

 すぐれたミステリでありながら、おりおりに登場する子供の描写が実に生き生きしているなど、登場人物が微妙に描き分けられているのも、この作品の特徴である。結末がわかった後も、仕掛けをたどり直しつつ、読み返したくなる稀有(けう)のミステリだといえよう。(青木純子訳) 
    --「今週の本棚:井波律子・評 『秘密 上・下』=ケイト・モートン著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『舞台の上の文化』=橋本裕之・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『舞台の上の文化』=橋本裕之・著
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 (追手門学院大学出版会・2700円)

 東日本大震災の被災地での民俗芸能支援などでも知られる研究者が、「まつり」、民俗芸能、博物館の現状を分析し、現場にある可能性を追い求めた論集である。

 本書は、研究者らが対象に不変で「正しい」実体を要求する姿勢を相対化する。たとえば、民俗芸能は、観光産業の要請や行政、研究者らの視線、地元の要求それぞれに応じた意味を付与され、形を変えてきた。新たに「伝統」を創造して誕生した民俗芸能もある。観光産業化や「偽物の民俗」を批判しても無意味。現代の民俗芸能は、第三者に見られて、「舞台」の上に立たされて初めて存在するのだから。他方、著者は、既存の研究者らの自己の視点のいわば特権化、あるいは偏向への無自覚さにいらだちを隠さない。

 博物館展示のイデオロギー分析への批判や、展示担当者と来館者の意識のズレについての指摘は、そのまま世の多くのマスメディア批判への反論や、マスメディアと読者・視聴者との関係を考える際も当てはまるだろう。あらゆる現場を貫徹する微細な政治をどう読み、主体としてどう振る舞うか、さまざまな人の参考になる本だと思う。(生)
    --「今週の本棚・新刊:『舞台の上の文化』=橋本裕之・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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舞台の上の文化―まつり・民俗芸能・博物館
橋本 裕之
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覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『小林秀雄 学生との対話』=国民文化研究会、新潮社・編」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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今週の本棚:堀江敏幸・評 『小林秀雄 学生との対話』=国民文化研究会、新潮社・編
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 (新潮社・1404円)

 ◇本質を衝く、さりげない殺し文句

 話の入りはなんとなくよたよたして、口跡もあまり明瞭とは言えない感じだから、大丈夫かなと心配していると、どうでもよさそうな世間話が少しずつ大きな主題に吸収され、抑揚も間の取り方もしっかりしてきて、いつのまにか背筋を伸ばして聞かざるをえない、みごとな芸になっている。 

 音声として残されている小林秀雄の講演は、落語家のように--実際、彼は志ん生の語りから多くを学んでいた--枕から下げに至るまで計算され、しかも自然体で脱力しているように見せかけたひとつの作品として楽しめるものだが、没後三十年を記念して刊行された、若い学生たちを前にしての語りと質疑応答の記録は、他では見られないほど、まっすぐで熱い言葉に満ちあふれている。

 国民文化研究会および大学教官有志協議会主催による「全国学生青年合宿教室」の講師として、小林秀雄が八月の暑い日々に九州へと赴いたのは、昭和三十六年から五十三年までの計五回。残された声も、別売りのCDで聴くことができる。

 ただし、記録という言い方は正確ではない。小林秀雄は話し言葉をそのまま活字にすることを許さなかったからだ。じつは、録音も厳禁だった。速記を起こし、書き言葉として鍛え直したものしか表に出さなかった。音声記録は、周囲の情熱がそうさせた極秘の録音に基づいているのだが、おかげで彼が生の語りを文字に起こす際、どこをどう削り落とし、なにを付け足していったかも追うことができるようになった。

 それだけではない。本書で明らかにされているのは、小林秀雄がいかに対話を大切にし、自身の肥やしにしていたかという事実である。ことに昭和四十九年になされた「信ずることと考えること」は、校閲を経た講義録では「信ずることと知ること」と改題され、五十一年にもう一度、今度は東京で講演をして、その起こしが決定稿となっている。当時話題になっていた超能力者ユリ・ゲラーからはじまり、ベルグソンを経て柳田國男に移行するアクロバティックな展開に具体例が加えられ、全体がもうひとつ高い書き言葉のレベルに引き上げられている。

 殺し文句をさりげなく口にしながら、彼は本質を衝(つ)く。本居宣長の言う「やまとだましひ」が頭でっかちな「才(ざえ)」と対立する、いわば人間性の機微を理解する生きた知恵に他ならないこと、「もののあはれ」とは湿った情緒ではなく、そのような英知を持ってさかしらな言動に抗(あらが)うために必須の武器であること。「信ずるということは、責任を取ること」、「考える」とは他者と身を交えることであり、考えるためには情理を兼ね備えた強い(・・)想像力が求められること。

 学生たちは、この想像力を現場で試さなければならなかった。何でも聞いてくれと言いながら、どんな質問にも答えるわけではない、「うまく質問してください」と講師は真剣に問いかける。質問するということはじつに難しい。「本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ」。そして、答えを出すことは不可能でも、「正しく訊(き)くことはできる」のだとも彼は言う。問いの「質」を鋭く指摘しつつ、辛抱強く、やさしく対話を重ね、頭ごなしにやっつけたりはしなかった。

 もうひとつ、一連のやりとりを特徴づけるのは、「褒めること」としての批評である。「人を褒めることは、必ず創作につながる」。一方通行に終わらないこれらの講演こそ、まぎれもない創作であり、渾身(こんしん)の批評だったのである。
    --「今週の本棚:堀江敏幸・評 『小林秀雄 学生との対話』=国民文化研究会、新潮社・編」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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学生との対話
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小林 秀雄
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覚え書:言語を使ってものを考えることができるということ、それが絶望の淵にあってもわたしたちを救う(多和田葉子さんの「ハンナ・アーレント」)


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多和田葉子さんの『言葉と歩く日記』(岩波新書)を読みましたが、非常に素晴らしい一冊です。

「外国語を勉強しながら外国語の文法書を不思議がり、面白がり、笑う、という遊びを意識的に実行している人はあまりいない」--。日独二カ国語で書くエクソフォニー作家による観察日記。各地を旅しながら、旅の如く、私たちの言葉と生活の「常識」をずらしていく。

著者が移動しながら、立ち止まりながらつづる日常はまさに「言葉と歩く日記」といえば間違っていません。しかしそう「表現」してしまった時点で、「言葉と歩く日記」は手元からすりると抜け落ちてしまいます。

「紹介」することの「もどかしさ」を抱えさせられた一冊です。

さて、本書のなかではアーレント(映画)についていくつか言及があるのでそのひとつを覚え書として紹介しておきます。多和田さんが指摘するシーンは僕も非常に印象的に記憶に残っております。

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二月二十四日
 雪が曇った空からどんどん落ちてくる。ゆうべは友達と近所の映画館で『ハンナ・アーレント』を観た。小さな映画館で、横に六席、奥行きは十列しかない。大変居心地がいい。家から歩いて行ける五つの映画館のうち、これがわたしのベスト2だ。
 一昔前のニューヨーク。パーティー客が集まった広間で、談話がはずんでいる。ハンナ・アーレントが英語をまちがえて、なおされる場面がある。そのうち話が白熱してくるとみんなドイツ語を話し始め、英語しか分からない人は部屋の隅に退く。ドイツから亡命してきてアメリカで暮らしているユダヤ人のインテリたちなのだろう。大学で哲学を講義するだけの英語力があっても、日常生活の中ではほんの小さな言葉のまちがいを犯すことになる。おかげで、たった一つの言語で造られた、たった一つのイデオロギーの中に完全に吸い込まれてしまう危険性を免れる。「ナチス幹部は全員、悪魔のように残忍な人間である」と信じて疑わない大多数のアメリカ人やイスラエル人とは異なり、ハンナ・アーレントは実際の裁判の場でアイヒマンを観察し、彼が悪魔的カリスマなど持ちようのない凡人であることに気づいてしまう。そのことをアメリカの雑誌に書き、大勢のアメリカ人から批判攻撃を受ける。それに対して学生たちを前に英語で弁明する一場面は、あまりにもすばらしくて鳥肌がたった。英語のネイティヴではないことが分かるしゃべり方で、言葉に流されるのではなく、自分の言いたいことを一つ一つ積み木のように積み上げていく。たった一人になってしまっても思考することをやめない人間の勇気と孤独を感じさせられた。
 ハンナ・アーレントによれば、ナチスの一員として多くのユダヤ人を死に至らせたアイヒマンは、悪魔的で残酷な人間ではなく、ただの凡人である。上からの命令に従わなければいけないと信じている真面目で融通のきかないよくいるドイツ人である。個人的にはユダヤ人を憎んでいなかったが、上の命令に従い、自分の義務を果たさなければいけないと信じ、ユダヤ人を殺せと命令されれば殺してしまう。凡人が自分の頭でものを考えるのをやめた時、その人は人間であることをやめる。どんな凡人でも、ものを考える能力はある。考えることをやめさえしなければ。レジスタンスなどとても不可能そうに見える状態に追いつめられても、殺人機械と化した権力に荷担しないですむ道が見えてくるはずだ。言語を使ってものを考えることができるということ、それが絶望の淵にあってもわたしたちを救う。そう語るハンナ・アーレントの英語はまさにものを考えながらしゃべる人間の息遣いに貫かれ、聞いているうちに涙が出てきた。
 一方、かつての恋人だったことのあるハイデッガーは、この映画の中では、母語であるドイツ語をいじりまわして、スピード操作したり、意外なところで区切ったり、独自のアクセントをつけたりして、意味ありげに語る滑稽でケチな野郎として描かれていた。
    --多和田葉子『言葉と歩く日記』岩波新書、2013年、116-118頁。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』=中村一成・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』=中村一成・著
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 (岩波書店・1944円)

 「死ね」「帰れ」などの連呼で社会問題化しているヘイトデモやヘイトスピーチ。その原点の一つとされる事件について、被害者の肉声を丹念に集めて裁判までを追った。著者は元新聞記者のジャーナリスト。

 2009年12月4日、京都朝鮮第一初級学校に「在特会」のメンバーらが押しかけ、一方的に怒号を浴びせた。「こらチョンコ」「日本に住ましたってんねや」「このボケ!」。学校側と会話は成立しない。著者は器物損壊や威力業務妨害の現行犯を放置した警察を「共犯的な寛容さ」と繰り返し批判する。京都市は逃げに徹したとも指摘。戦前回帰志向のような中央・地方の政治家の台頭と相まって「何をやっても大丈夫」とのおぞましい風潮が生まれていく。

 保護者や教師たちはリスク覚悟で法的措置に踏み切り、子供たちの尊厳を守った。京都地裁は昨年10月、在特会の活動を人種差別と断じた。ナチスの大虐殺も皇国日本の侵略も、端緒を無名の市民が傍観(つまり許容)し、そこに為政者たちがつけ込んだ面がある。人間の尊厳を奪う暴力は、必ず我が身に返ってくる。私たちは今、まさに分岐点に立っていると教えてくれる。(鶴)
    --「今週の本棚・新刊:『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件』=中村一成・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して
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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『ある文人学者の肖像-評伝・富士川英郎』=富士川義之・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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今週の本棚:池内紀・評 『ある文人学者の肖像-評伝・富士川英郎』=富士川義之・著
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 ◆池内紀(おさむ)評

 (新書館・3888円)

 ◇父親の変身、精神的浄化を追って

 富士川家は三代にわたり学者がつづいた。祖父・富士川游(ゆう)(一八六五-一九四〇)は日本医学史研究の道を開いた人。父・英郎(ひでお)(一九〇九-二〇〇三)は、ホフマンスタール、リルケの優れた註解(ちゅうかい)・訳業をのこしたドイツ文学者である。その子、義之(一九三八-)はナボコフ、ワイルドの名訳で知られる英米文学者。このたび三代目が四〇〇ページをこえる『評伝・富士川英郎』を著した。タイトルにある「文人学者」をはさみ、二つの「富士川」が祭壇に献じた二つの花束のように並んでいる。きわめて稀有(けう)な、美しい文学的風景というものだ。

 子が父を語る。幼いころから、もっとも身近に接してきた。だからといって書きやすいことがあろうか。誰でも身に覚えがあるだろう。血縁というのは奇妙なものだ。息子や娘にとって父や母はテレくさい存在であり、必要がなければ離れていたい。近くて遠い他人、一つ屋根の下にいても姿の見えない人なのだ。親にとっても同様で、息子や娘はいちばん身近にいるというのに、えたいが知れない。何かあると感情的になって、言わずもがなのことまで言ってしまう。

 そもそも評伝は厄介なジャンルなのだ。他人の外面をとりあげるだけでなく、内面に踏みこんで心の表情までもとらえようとする。ときには自分の寸法に合わせて他人を裁断し、ひそかに自分の身づくろいをしていたりする。他人の寸法に合わせて他人を裁ちつつ、そこに自分の個性をひそませるのは並大抵のことではない。血の通ったもの同士には、他人よりもっとわかりにくい部分があるとすると、この三代目はいかに難しい課題をわが身に引き受けたことか。四〇〇ページをこえたところにも、なお呟(つぶや)きのような言葉が見える。「ここまで長々と書いて来て、わたしにとって、父は果たして見える人間になったのだろうか」

 優れた評伝である。書き始めたのは父の死後五年のこと。死が介在してようやく書くのに必要なへだたりができた。さらに五年がかりの仕事になった。親が子を産むのは十月十日(とつきとおか)でたりるが、子が親を生むには何倍もの歳月が必要だ。

 ドイツ文学者富士川英郎は実は半身であって、五十代をこえて以後は江戸漢詩文の世界に没頭した。一身にして二つの学問に通暁し、とりわけ後半生に、この人ならではの著作をなした。みずからも学者である息子には、父親のこの大転換がうなずけない。解けぬ謎だった。転換の始まりのころだが、親子ならではのエピソードがはさまれている。大学二年生の義之が神田の古書店めぐりをしていたとき、そば屋で父親を見かけた。「戸口と向かい合う位置の座席に腰かけていたわたしは、すぐに父の姿を認めたし、父もわたしに気づいた様子だった」

 仕入れたばかりの和書をとり出し、ゆっくりページを繰っている。そんなドイツ文学者に向けて、学者の卵は思ったものだ。まだまだやることはあるだろうに、趣味に走っている。おキラクな学的道楽者--その程度の理解だった。

 ほぼ十年後のことだが、富士川英郎が雑誌に連載中の「菅茶山と頼山陽」を作家石川淳が文芸時評にとりあげて絶賛した。「……その関係を説き、生活を叙し、詩文を語って、著眼かたよらず、表現また平坦(へいたん)、論をまぜずによく意をつくしている」(『文林通信』収録)。父親はとっくに、子の視界の及ばない高みに飛んでいた。

 「肖像」には、父親を「生む」ための道筋が丁寧にたどってある。祖父と父とのかかわり、祖父と森鴎外のこと、大正モダニズムに育った英郎の修業時代、萩原朔太郎への心酔、リルケとの出会い。あるおぼろげな予感に導かれるようにして、日記や書簡、書いたもの、同時代人の証言を参照しながら追っていく。おりにつけそのときどきの自分との「関係性」に及ぶ以外は、評伝作者におなじみの作法である。富士川英郎がリルケ学者としての学識を集大成した「ドゥイノの悲歌」の翻訳と註解は、ドイツ文学界では黙殺された。書評一つ出なかった。著者はつつましく筆を省いているが、当時のドイツ文学界の大御所とされた人の著書とぶつかり、学界全体が小役人的反応を示したせいと思われる。

 「もしも父の評伝の仕事を手がけていなければ」、知らずに終わった父親がつぎつぎにあらわれる。少年のころにまでさかのぼる江戸漢詩文のルーツ。人々が奇異にとった変貌は、英郎にとって「全く内発的な行為」であったことのおどろき。やがてうつうつとして不機嫌だった人が、のどかな温和な人に変わっていく。

 抑制された報告の文体をとったのは、血縁的くさみを排除するためだろう。父親の変身は、江戸の文苑を書くなかで、精神的浄化の過程があったことを示しているが、ねばり強く父をつづった評伝自体が、ひとつの精神的浄化のあとをとどめていて清々(すがすが)しい。それはみずからも学識に加え、芸文の才をそなえた文人学者にしてはじめてできることなのだ。
    --「今週の本棚:池内紀・評 『ある文人学者の肖像-評伝・富士川英郎』=富士川義之・著」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎
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覚え書:「今週の本棚・本と人:『屋根屋』 著者・村田喜代子さん」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『屋根屋』 著者・村田喜代子さん
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 (講談社・1728円)

 ◇主婦と職人の夢の道行き描く--村田喜代子(むらた・きよこ)さん

 「屋根を見るのが好きなんです。住む場所じゃないけど空間はある。あそこに布団敷いて生活したい」と笑う。「場所でない場所」を舞台に、冒険活劇から迫真のラブロマンスへ至る物語を生み出した。帯には「これぞ究極のランデ・ヴー!」。

 デートするのは、平凡な主婦と、九州なまりの武骨な屋根職人だ。真昼の情事かと思えばさにあらず、異なる場所で眠る両人が夢の中で落ち合い、飛翔(ひしょう)して世界の名建築の屋根を巡る。愉快かつ格調高い官能世界をたゆたえること請け合いだ。

 「私」は築18年の木造2階建ての家に住む主婦。雨漏りし始めたが、夫や高校生の息子の手に負えない。そこでプロの屋根屋に修繕を頼むと、永瀬という50代半ばの巨漢がやってきた。「私」の頭上でカタリ、カタリと音が響く。永瀬が瓦をはがしているらしい。<大男が屋根の上で重たいお皿を一枚、二枚と積み上げる姿を想像する。何となく賽(さい)の河原を彷彿(ほうふつ)させた>。この音が「私」を解放させ、アバンチュールへと導いていく。

 永瀬は最愛の妻を亡くした影響で、かつて強迫神経症になった。治って10年たつが、治療のため書いていた夢日記を今も続けている。前の晩に見た夢を書き留めるのだ。自在に夢の中を旅できるという永瀬からノウハウを習い、「私」は一緒に出かける。めくるめくフランスのシャルトル大聖堂や奈良の法隆寺。だが二人は子供ではない。永瀬は「私」に言い募る。<私と一緒に、ここに残りませんか。もしよかったら二人で残って、ここでずっと暮らさんですか>

 「一般的に、夫婦が互いをよく知らないことで成り立っている半面、この二人は体を触ってもいないのにラストでは同志愛を超えていく。心の深部で旅ができる人間関係のすごさを書けたら面白いと思って」。夢の道行きはしかし甘くはなく、「私」は涙を流すことになる。<神様。私の相棒がおりません。どこかへ行ってしまいました>

 二人が眺める屋根の群れは平和を表象している。「小説の時代設定は東日本大震災の前です。まだまだ平和が続くと思っていた……」。原発事故に衝撃を受け、今はもっぱら量子物理学の本を渉猟し、人間と文明を考え続けている。<文と写真・鶴谷真>
    --「今週の本棚・本と人:『屋根屋』 著者・村田喜代子さん」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・情報:児童文学の歩み振り返る」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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今週の本棚・情報:児童文学の歩み振り返る
毎日新聞 2014年05月04日 東京朝刊

 「日本の子どもの文学--国際子ども図書館所蔵資料で見る歩み」が東京都台東区上野公園の同館で開かれている。明治から現代までをたどる代表的な児童文学作品などに加え、11月30日まで絵本をテーマに貴重な作品を展示。24日午後1時半と同3時からは、担当スタッフによる約30分の見どころの紹介もある。いずれも予約不要、入場無料。月曜、こどもの日を除く祝休日、第3水曜は休館。
    --「今週の本棚・情報:児童文学の歩み振り返る」、『毎日新聞』2014年05月04日(日)付。

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書評:野田又夫『哲学の三つの伝統 他十二篇』岩波文庫、2013年。

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野田又夫『哲学の三つの伝統 他十二篇』岩波文庫、読了。枢軸時代のギリシア、インド、中国で同時に誕生したのが哲学。著者はこの3つの伝統に注目し、哲学の大胆な世界史的通覧を試みる。哲学とは「理性をもって自由に答えよう」とする「世界と人生とについての人間らしい考えに達すること」であるという。

第一部六篇で古代から現代に至る世界の哲学史を俯瞰し、第二部六篇で、明治以降の日本の代表的な思想家を論じる。二つの焦点は異なるが(政治的主張を持った東西対比は不毛だが)、哲学の原理に「東西の区別はない」し、等しく省みることで未来を展望できる。

哲学以前、人類は宗教に拠って世界と人間を理解した(神話的想像力と権威への随順)。哲学はこれに反し「想像力を超えた理性を用い、自由な思考によって、問題に答えようとする」ものである。


三つの古代哲学には多様な考えをそれぞれ含み持つが、それは混乱や対立ではなく「人間の思想の可能性の全てを表現」していたことであり「人間の思想の様々な型」がでていたことに他ならない。それに与ることで「人間らしい考えに達する」ことができた。


「もとの古代哲学のもっていた自由な思考の幅はやや狭められ」てきたのがその継承の過程。だとすれば「自由に真実を求める努力をつづけることにより、これまでよりもさらに積極的に、世界の哲学の歴史に貢献しうる」のではないか。


さすが名著『パスカル』『デカルト』『ルネサンスの思想家たち』(全て岩波新書)の著者。いずれも、明晰かつみずみずしい文章で書かれている。基礎的な知識がバラバラで思想史の全体像が見渡せない、とお嘆きの高校生から専門知に惑溺する大人まで広く手にとってほしい。

しょうじきなところ、もうこれだけ、哲学を語ることのできるひとはいないだろうねえ。 

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覚え書:「台湾ジャニーズファン研究 [著]陳怡禎」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。


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台湾ジャニーズファン研究 [著]陳怡禎
[掲載]2014年04月27日   [ジャンル]社会 国際 

 台湾のジャニーズファンについて考察した異色作。同地から東大大学院に留学中で、自らもジャニーズファンだという著者の修士論文が元になっている。いささか衒学的(げんがくてき)で生硬な部分もあるが、テーマ自体の面白さで一気に読ませる。
 日本時間に合わせてネットで出演番組を違法視聴し、「ジャニーズカフェ」でお気に入りのアイドルについて語り合う。そんな台湾ファンの日常が、生き生きと伝わってくる。とりわけ興味深いのが、「J禁」と呼ばれるジャンル。男性アイドル同士の友情から妄想を膨らませ、「ホモソーシャルな関係性」に萌(も)えを感じるのだという。
 今度はぜひ、日本のファンの生態も分析してほしい。(青弓社・1728円)
    --「台湾ジャニーズファン研究 [著]陳怡禎」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。

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覚え書:「みんなの広場 原発は恐ろしい負の遺産」、『毎日新聞』2014年05月01日(木)付。


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みんなの広場
原発は恐ろしい負の遺産
テニスコーチ・61(神奈川県葉山町)


 4月11日、政府はエネルギー基本計画を決定した。原発を重要なベースロード電源と位置づけ、規制基準に適合した原発は再稼働していくというものだ。

 3・11のような事故が起きた時に誰が、どこが責任を取るのかとの指摘もあるが、それ以前に二度と3・11のような事故を起こさないということが最も重要な国のすべき役割である。

 原発はひとたび事故が起きれば取り返しのつかない甚大な被害を多くの人々に長きにわたり与え続ける。

 原発を稼働させれば、核兵器などにも転用できるプルトニウムなどを含む多くの放射性廃棄物が生み出され、これらの最終処分方法はいまだ見いだされていない。また、原発は常にミサイルやテロの標的にされる危険性がある。

 原発の発電コストが安いとか、原発を稼働させないと電力不足になる、などの誤ったプロパガンダに踊らされることなく、このような恐ろしい負の遺産を残さないように、賢明な判断を国にも国民にも望む。 
    --「みんなの広場 原発は恐ろしい負の遺産」、『毎日新聞』2014年05月01日(木)付。

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覚え書:「寝相 [著]滝口悠生」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。


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寝相 [著]滝口悠生
[掲載]2014年04月27日   [ジャンル]文芸 

 ただ散歩したり、昔の仲間に会って話したり。一見ありふれた日常が、「私」と三人称の混在する語りや時間軸を巧みに操る著者のたくらみによって、実に新鮮に見えてくる。新潮新人賞を受賞した「楽器」ほか2編を所収したデビュー作。
 表題作は、放蕩(ほうとう)の末に余生を過ごす85歳の竹春と、孫娘なつめの同居生活を描く。竹春の波乱の半生や家族の歴史、2人の暮らしが、天井の木目の視点(!)などを交え、時系列に関係なく淡々とつづられる。
 一人の人間に確かに刻まれた時間を描写した、なつめが竹春の背中を拭く場面が印象的。過ぎ去った人々が時空を超え、竹春の前に集まる幻想的な終盤は、不思議な幸福感に満ちている。(新潮社・1944円) 
    --「寝相 [著]滝口悠生」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。

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書評:権左武志『ヘーゲルとその時代』岩波新書、2013年。

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権左武志『ヘーゲルとその時代』岩波新書、読了。保守的な国民国家思想家像からロールズのリベラリスト評に至るまで様々な顔をもつヘーゲル。本書は、影響史の視点から俗評をかき分け、ヘーゲルが生きた生活世界と時代との応答まで降り、その思想を公正に解釈し、実像を浮かび上がらせる最新の試み。

主著(『精神現象学』、『法哲学綱要』、『歴史哲学講義』)を歴史的文脈の中での応答と挑戦として読み直すと「ヨーロッパ近代を規範的に根拠づけた最初の近代の哲学者にして、カントに始まる観念論を最後に完成させた哲学者」ヘーゲルの姿が見えてくる。

権左武志『ヘーゲルとその時代』岩波新書。我々を規定する近代を規定する「最初の近代の哲学者」であるが故にその思想は現代の課題に関してアクチュアルであり、現実の世界は観念から構成されるが故に「最後に完成させた哲学者」の言説は、近現代史を大きく動かしてきた思想といえよう。

ドイツ古典哲学から継承すべき遺産とは何か。「ドイツ啓蒙が出発点とした理性の自由な使用への信頼、つまりドグマや『指導者』に依存せず、自分で考えるという知性を行使する勇気こそ、時勢に流されず、将来の歴史を作り出していく原動力」と著者は言う。

ヘーゲルの思想は最も現実的であるが故に現実的であるものを絶対化する歴史主義「いきおひ(丸山眞男)」柔軟に退け、アプリオリに真実性を設定しないがゆえに、先行する様式が現在を規定することをも退ける。ヘーゲルは現在も生きている「最新の現代の哲学者」。 


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覚え書:「剣の法 [著]前田英樹 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。

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剣の法 [著]前田英樹
[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)  [掲載]2014年04月27日   [ジャンル]人文
■「刀身一如」が開く玄妙の世界

 ○武道の高段者ってナニ?強いのは若いうちでしょ。
 ○活人(人を生かす)剣ってナニ? おためごかし?
 常々そんな風に勘ぐっていた自分の浅はかさを、この本は厳しく戒めてくれた。
 剣術諸流派は、念流、新当流、陰流の三つにたどりつく。16世紀の人、上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)は陰流を学んで新陰流をたてた。筆者は長く新陰流を学んだ人で、その刀法を実技に即して教えてくれる。
 人は前に出るとき、後ろ足で地面を後ろに押し出す。前に出るために、後ろ方向に力を入れる。これが行動するときの自然な「反発」の原理であって、この原理は日常の動作にしみこんでいる。ところが、剣をふるう「兵法」の理想である「刀身一如」の境地に達すると、身体の動きから「反発」が消えるという。
 刀を振るときを考えてみよう。刀が前に振り出されれば、身体はそれと反対方向、後方に引かれるのが普通である。だが、この「反発」から抜け出す意志をもち、腕の振りの方向に身体も移動させる。刀の重みを全身に感じて、それに引っ張られるように身体を動かす。そうやって鍛錬していくと、腕と胴体、身体と刀の「反発」は消え、人は「刀身一如」への第一歩を踏み出すことができる。
 剣を極めることが「刀身一如」を完成させることだとすれば、その鍛錬には長いながい時間が必要となる。年齢とともに段位の階梯(かいてい)を昇っていくのは、むしろ自然なことである。また、剣を以(もっ)て対峙(たいじ)する相手への「反発」から抜け出した時、単に相手を斬るのではなく、相手を活(い)かす、という概念が生まれてくる。なるほど、これが「活人剣」か。
 いや私は、本当のところは何も分かっていない。でも筆者は工夫を凝らして、本物の剣の実践を「ことば」に変えて伝えようとしている。くり返し読んでみよう。私たちの全く知らなかった玄妙の世界が、手招きをしてくれている。
    ◇
 筑摩書房・2484円/まえだ・ひでき 51年生まれ。立教大学教授。著書『日本人の信仰心』『絵画の二十世紀』など。
    --「剣の法 [著]前田英樹 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。

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剣の法 (単行本)
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覚え書:「MAKINO [編]高知新聞社 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。


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MAKINO [編]高知新聞社
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2014年04月27日   [ジャンル]科学・生物 ノンフィクション・評伝 

■植物に愛と情熱を注いだ「天才」

 牧野富太郎は、生涯で40万点の植物標本を収集し、1500種類の植物を命名した、偉大な植物学者だ。彼が監修した植物図鑑は、細密でうつくしいカラー図版が魅力で、いまも愛用されている。「うちにもその図鑑ある!」というかたも多いだろう。
 本書は、牧野氏の業績と足跡のみならず、人柄を知ることもできる、「牧野愛」にあふれた好著だ。植物への愛と情熱が強すぎる牧野氏なので、「植物採集に出かけた利尻山であわや遭難」「死後、新聞紙に挟まれた膨大な植物標本をまえに、みんな途方に暮れる」など、周囲の人々を困惑させたエピソードにも事欠かない。植物に魅入られた牧野氏の、破天荒で嫌味(いやみ)のない、愛すべきキャラクターが非常によく伝わってくる。
 著者は、牧野氏の周辺人物にも丹念に取材し、牧野氏が行った土地にも足を運んでいる。その結果、本書は、「一人の天才をめぐる群像劇」かつ「旅行記」の趣もあって、読者を飽きさせないし、牧野氏の魅力を多面的に提示することに成功している。
 遺(のこ)された標本をコツコツと整理したかたの熱意。家族から見た晩年の牧野氏の姿(やっぱり庭の植物を観察している)。少年の日、牧野氏主催の植物採集会に参加したひとが語る、輝くような思い出。牧野氏は天才だけれど、「孤高のひと」ではなかったのだと思う。植物への愛を周囲に伝播(でんぱ)させ、周囲の人々の人生によき影響を与える情熱を持った、「愛される天才」だったのだ。
 「生まれつき植物に愛を持って来た(中略)その幸福を天に感謝している」と牧野氏は書く。本書を読んで、私は牧野氏がこの世に生を受け、研究に邁進(まいしん)されたことに感謝した。そのおかげで私たちは、図鑑を片手に身近な植物を愛(め)で、興味を持って接することができる。植物に生涯をかけた牧野氏の愛と情熱は、いまも生きつづけている。
    ◇
 北隆館・2376円/12年11月から13年5月までの新聞連載をまとめた。高知新聞社の竹内一記者が主に執筆。
    --「MAKINO [編]高知新聞社 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。

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MAKINO―牧野富太郎生誕150年記念出版

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覚え書:「教育を家族だけに任せない―大学進学保障を保育の無償化から [著]大岡頼光 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。

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教育を家族だけに任せない―大学進学保障を保育の無償化から [著]大岡頼光
[評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)  [掲載]2014年04月27日   [ジャンル]教育 人文 

■興味深い奨学金めぐる論争

 知識社会化で大卒の労働者の重要性が増している。加えて少子高齢化が進む日本では、貧富に関わらず、幅広い層の若者に大学進学の機会を保障する必要がある。ところが、日本の財政支出は年金など高齢者に偏り、若者への「投資」が少ない。日本の公的教育支出の対GDP比は、主要国で最低水準だ。私的負担が重いため、所得水準で大学進学率に明確な格差がある。
 貧富の差で高等教育機会の均等化を損なわないためには、実は就学前教育が重要だというのが、本書の最大のメッセージだ。しかし興味深いのは、本人が卒業後に稼ぐ所得に連動して返済するローン給付奨学金導入をめぐるスウェーデンの論争だ。
 本人負担への転換で親からの独立を促し、低所得者対策だった奨学金に「人的資本投資」としての意味を与え、さらには親の資力調査を廃して普遍主義的な政策に転換することで、誰でも給付を受けられるようにすることが重要だとの指摘は、刮目(かつもく)に値する。
    ◇
 勁草書房・3024円
    --「教育を家族だけに任せない―大学進学保障を保育の無償化から [著]大岡頼光 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。

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教育を家族だけに任せない: 大学進学保障を保育の無償化から
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覚え書:「図説 朝食の歴史 [著]アンドリュー・ドルビー [評者]吉岡桂子(本社編集委員)」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。


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図説 朝食の歴史 [著]アンドリュー・ドルビー
[評者]吉岡桂子(本社編集委員)  [掲載]2014年04月27日   [ジャンル]歴史 

■思いがけない経験のために

 朝食は、ありふれた日常だけではない。旅先の驚きもあれば、別れの涙の味もある。そして、ときに色っぽい。
 時代や地域、家庭によって大きく異なる朝食だが、個人レベルでは毎日同じものを食べる傾向があるそうだ。本書では、こうした事実を紹介しながらも、こだわりは「朝食は思いがけない経験をするためにある」。
 商談を兼ねた朝食は、対象から外すと宣言。ジョイスの『ユリシーズ』やカフカの『変身』、ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』--。古代ギリシャから現代まで、文学作品に描かれる場面をちりばめて、愉快に語る。
 モネやロートレックの油絵、ケロッグのポスター、インドネシアのナシ・ゴレンの写真など、目にも楽しい。
 著者は、食物史に詳しいイギリスの言語学・歴史学者。日本については、旅館の献立の写真、みそ汁、納豆にも触れている。英米中心なので、日本文学に登場する朝食も読みたくなった。
    ◇
 大山晶訳、原書房・3024円
    --「図説 朝食の歴史 [著]アンドリュー・ドルビー [評者]吉岡桂子(本社編集委員)」、『朝日新聞』2014年04月27日(日)付。

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図説朝食の歴史
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覚え書:「引用句辞典 トレンド編 [同性愛とSMの増殖]=鹿島茂」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。


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引用句辞典
トレンド編
[同性愛とSMの増殖]
鹿島茂

根源的に「自己愛の連結」
個人間でも国家間でも

 Oはいつも寛大な気持ちで、ほかの女のほうが自分より美しいと考えることが多かったが、そうした他人の美しさが彼女自身の美しさを保証しているように思われた。見慣れぬ鏡をのぞき込んだときにも似て、みずからの美しさはほかの女の美しさの反映のような気がした。自分に対してほかの女たちが発揮する力は、同時に、男たちに対してOがもつ力を保証していた。女たちにOが求めるもの(Oからお返しをすることは皆無か、あってもごくわずかである)を、男たちがOに求めたくてうずうずしているのがわかると、Oは嬉しかったし、男たちの気持ちは当然だと思った。
(ポーリーヌ・レアージュ『完訳 Oの物語』高遠弘美約訳 学研)

 新学期が始まる前、一週間だけパリに行ってきた。驚いたのは、道ばたでキスを交わす男々、女々が少なからずいること。同姓婚を認める法律が可決されたとはいえ、以前は「公衆の面前で」というけーすはそれほど多くはなかった。社会が劇的に変化していることのあらわれなのであろう。
 帰国の機内では、翌日に参加することになっている若い人たちとの読書会のために、以前に『O嬢の物語』という邦題で翻訳されていたSM小説の大古典を完訳版で読み返してみた。
 すると、現代社会を理解するためのヒントがいたるところにちりばめられているのに気づいた。すなわち、現在、先進国がひとしなみに直面している男女の同性愛やSMは、その根源にある自己愛において連結しているという事実である。
 M女の典型たるOは、恋人のルネやスティーヴン卿とのSMに惑溺する前には女子寄宿学校での恋愛に夢中になっていたのだが、そのレズビアン的な恋愛の根源にあるのは、「見慣れぬ鏡をのぞき込」むときに感じるような自分の美しさの確認要求なのである。
 他人の美しさが自分の美しさの保証になるということは、自分の美しさを確証するためにキャノン(規範)としての他人の美しさを求めるということにほかならない。やはり根源にあるのは自己愛なのである。
 同じようにOのSMも自己愛から出発している。Oがスティーヴン卿に求めているのは、自分から言い出さないうちに、すべての欲求を「前もって」「無言のうちに」察知し、それを完全なるレベルで満たしてくれる(つまり、厳しく処罰してくれる)全能者である。言い方をかえれば、Oは、自分を自分の望み通りに教育(処罰)してくれる完全無欠の教育者(処罰者)を激しく求めているのであり、スティーヴン卿が少しでも自分の望むのと違った考え方(処罰の仕方)をするのは許せないのである。スティーヴン卿は全能なる神でなければならない。
 なんという我がまま、なんという自己愛!
 そして、困ったことに、こうした自己愛型の関係は、いまや個人レベルであるだけでなく、集団レベル、さらには国家レベルにまで拡大されている。そう自己愛型国際関係の猖獗(しょうけつ)である。
 自己愛増殖の原因を求めれば、現代社会の構造に行き着くが、その「原因」たる社会構造もまた自己愛増殖の「結果」であり、原因と結果はメビウスの環のように循環している。
 よって、個人間においても国家間においても、根源的な解決方法は存在しないのである。
(かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句辞典 トレンド編 [同性愛とSMの増殖]=鹿島茂」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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覚え書:「書評:原発は滅びゆく恐竜である 水戸 巌 著」、『東京新聞』2014年04月27日(日)付。


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原発は滅びゆく恐竜である 水戸 巌 著

2014年4月27日


◆原子力ムラの欺瞞を暴く
[評者]橋本克彦=ノンフィクション作家
 物理学者水戸巌は一九八六年十二月三十日前後、厳冬の北アルプス劔岳で二人の子息とともに消息を絶った。
 本書の論文と講演の記録は故水戸巌が反原発活動に身を挺(てい)した生涯を示すものである。現在、福島原発事故により水戸巌の言葉と活動の正しさは、悲しい現実によって証明された。水戸がもっとも恐れ、渾身(こんしん)の努力で避けようとした過酷事故が起きたのである。
 水戸は原発立地の人々に原発の危険性を説いて寄り添い、東海原発訴訟を牽引(けんいん)して証言し、広範囲におよぶ放射能被害を予測し、原発推進側の論理破綻、技術論的欠陥と欺瞞(ぎまん)を科学的な知見とデータ分析によって暴いた。
 彼は四十年前から正確に原発の実態を告発し続けた。冒頭の「原子力発電はどうしてダメなのか」は基礎的な解説と本質論である。福島原発事故に直接関連する指摘をあげれば、「大事故をひき起こす原因のうち最も大きな可能性があるのは大地震である」「外部電源喪失により致命的事故になる」「高温の金属と水の反応により水素ガスが発生する」。その水素ガス爆発を私たちは福島原発事故で目撃したのである。
 本書によって、原発再稼働をもくろみ、原発を基幹電力とする現政権、経産省官僚、電力会社、背後の金融界など原子力ムラの「うそ」を見抜く根拠が提起された。ぜひとも本書を座右に置いて、原発事故によって苦しむ方々と反原発運動に加わる人々の思考の根拠にしてほしい。
 水戸巌は多くの知人、友人らに敬愛された。彼の息抜きは登山だった。遭難の報に接して多くの人々が捜索と救出に取り組んだ。遺体は翌年の春に発見された。そのようすと感謝は本書編集委員のひとりとして参加した妻喜世子さんが「あとがき」でわずかに述べている。享年五十三。この傑出した人物を哀悼する人々の気持ちはいまも熱い。装丁は長女の晶子さん。本書は家族の本といえるかもしれない。
(緑風出版・3024円)
 みと・いわお 1933~86年。物理学者。人権団体「救援連絡センター」の設立者。
◆もう1冊 
 小出裕章著『原発ゼロ』(幻冬舎ルネッサンス新書)。福島原発事故から三年後の放射能汚染の実態を示し、汚染対策の不備を説く。
    --「書評:原発は滅びゆく恐竜である 水戸 巌 著」、『東京新聞』2014年04月27日(日)付。

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原発は滅びゆく恐竜である
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覚え書:「書評:市川房枝と「大東亜戦争」 進藤 久美子 著」、『東京新聞』2014年04月27日(日)付。


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市川房枝と「大東亜戦争」 進藤 久美子 著  

2014年4月27日


◆女の力信じはまったワナ
[評者]渡邉澄子=文芸評論家
 国政を担う人たちの歴史認識のお粗末さは戦争責任追及が不徹底だったことに起因していると思う。「婦選は鍵なり」「平等なくして平和なし、平和なくして平等なし」の信念から闘い抜いて、婦選(婦人参政権)を実現させた市川房枝の功績は大きい。本書は「市川房枝とその時代」「婦選運動家市川房枝の戦争協力」の〓部十二章と「序章」「終章」から成る大著である。
 「非戦論から戦争容認・協力へ」の帯の謳(うた)い文句が示しているように、本書の要諦は、十五年戦争後半期における市川の国政関与の跡を細密に糺明(きゅうめい)して検証したところにあるだろう。
 女の人権を認めぬ家父長制度下にあって平等の人権意識から婦選達成に献身した市川は、男性たちは言うも更なり、与謝野晶子や長谷川時雨その他に見られる戦争謳歌(おうか)、軍部べったりが既に常態になっていた中で、非戦論、拡大阻止を毅然(きぜん)として唱え、中国女性との連携も模索していた。その彼女が国政に関与するようになったのは、もはや已(や)むを得ぬ事態と観念したとき、上意下達認容を潔しとせず、女性の力を主体的に発揮しようとした婦選魂が陥った陥穽(かんせい)だったように思われる。時局追随の戦争協力者とは違う。
 敗戦の翌日直ちに政界トップに猛然とアタックして婦人参政権を閣議決定させたのはマッカーサー指令以前だった。公明選挙にも懸命に取り組んだ。だが現今、日本の女性国会議員の割合は約8%で、世界百八十九カ国の中で百二十七位。平等に程遠いばかりか選挙の汚さも相変わらずで、「戦後レジームからの脱却」を目指す政権は戦争のできる国へと驀進(ばくしん)している。この進路を阻止できなければ、同じ轍(てつ)を踏むことになってしまうだろう。
 関東大震災の時に惨殺された平沢計七が「平沢計」になるなどの誤植が気になったものの、本書は、市川の生涯が残した教訓から何を学び、平和を維持するために今をどう生きなければならないかを示した熱塊の書である。
(法政大学出版局・1万260円)
 しんどう・くみこ 1945年生まれ。東洋英和女学院大教授、アメリカ史。
◆もう1冊 
 渡邉澄子ほか編『女たちの戦争責任』(東京堂出版)。国防婦人会や女性作家など、十五年戦争下の女性の動向を女性自らが検証する。
    --「書評:市川房枝と「大東亜戦争」 進藤 久美子 著」、『東京新聞』2014年04月27日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014042702000179.html:title]

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市川房枝と「大東亜戦争」: フェミニストは戦争をどう生きたか
進藤 久美子
法政大学出版局
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覚え書:「書評:小さな異邦人 連城 三紀彦 著」、『東京新聞』2014年04月27日(日)付。


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小さな異邦人 連城 三紀彦 著

2014年4月27日

◆抒情と仕掛けの魅力
[評者]末國善己=文芸評論家
 昨年十月に惜しまれつつ亡くなった連城三紀彦の最後の贈り物は、まさに“珠玉”と呼ぶにふさわしい短篇集である。
 別れた妻に似た女が、街中で指輪を捨てるのを見た男を描く「指飾り」、新潟の温泉町に現れた女が、不可解な行動を取る「無人駅」、駅員が不倫相手と旅行すると、同じ行き先の切符を買う女が現れる「さい涯(は)てまで」は、一見するとミステリー的な要素がないので、ラストに明かされる仕掛けに驚かされるはずだ。
 逆に、交換殺人を題材にした「蘭が枯れるまで」、夢で殺人事件を見た女を主人公に、幻想と論理を鮮やかに接続した「冬薔薇(ふゆばら)」、悪い噂(うわさ)が多い課長に、通り魔殺人の犯人という噂が加わる「風の誤算」は、ミステリーの技法を極限まで研ぎ澄ましたどんでん返しの連続が光る。
 そして、娘がいじめられるのを心配する女が、母の浮気を疑った父が無理心中を図った過去を思い出す「白雨(はくう)」、大家族に子供を誘拐したとの脅迫電話がかかってくるも、誰も誘拐されていな