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覚え書:デカルトにおける倫理の意義 賢者の現存


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賢者の現存
 デカルトの倫理の意義をカントとの対比でまとめておこう。
 カントは『純粋理性批判』において、賢者の実例が現存すると考えたのでは、倫理学を構築することはできないと論じている。「徳の概念を経験から創出しようとする人、実例として不完全な解明にしか役立たないようなものを模範として認識源泉たらしめようとする人は、徳を、時代と状況にしたがって変化するもの、そして規則としては用いることのできない曖昧なものにするであろう」。だからこそ、「徳の理念」「徳の模範」を高く掲げることが重要である。「道徳的な価値や非価値に関する判断はすべて、この理念によってのみ可能だからである。道徳的完全性に接近するということの根底には、必ず理念が存する。ただ人間の自然には、何らかの生涯があって、これが我々を理念から遠ざけているのである」。
 賢者を無限の彼方の目標に仕立て上げて、それに接近することを煽り立てる道徳、そして、目標に到達しないのは生来の障害のゆえだと決めつける道徳、このような道徳は、賢者の現存を承認しないことから出発していたのである。賢者が現存していれば、徳の教師や精神の小役人の仕事がなくなってしまうからだ。
 デカルトは違う。デカルトは賢者の現存を承認した上で、なぜ人間が自然に賢者になることができるのかを探究した。いかに悲惨な状況においても喜ばしい生を送る賢者、いかに過酷な状況でも自由裁量を行使する賢者が、いかにして可能となっているかを探究した。だからカント的道学者の眼には、デカルトは倫理を一つも語らないで、意志と情念を自然科学的に分析しただけとしか映らなかったのである。
 私たちは、賢者とは何かと問うてはならない。その問いは、賢者を理念に仕立ててしまうからだ。私たちは、賢者が現存していることを見出してから、なぜ人間は賢者になるうるのかと問うて、その答えを賢者から学ばなければならない。そして、隠れた場所に、賢者が現存していることに驚くのでなければ、デカルトを読み始めることさえできないのである。
    --小泉義之『デカルト哲学』講談社学術文庫、2014年、202-203頁。

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