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覚え書:「書評:親鸞 既往は咎めず 佐藤 洋二郎 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。


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親鸞 既往は咎めず 佐藤 洋二郎 著

◆悪や受難を計らいと知る
[評者]横尾和博=文芸評論家
 私は愚かである。迷い、呻吟(しんぎん)し、なんとか現実から這いあがろうと足掻(あが)く。人の妄念は時代を超えて同じなのか。八百年前に、親鸞は私たちに自力本願の空(むな)しさを教えてくれているのだが…。本書からは、私たちと同じような人間親鸞の惑い、愁いを伝えようとの作者の強い意思が読み取れる。謎多き生涯のなかの二十代から三十代にかけての親鸞に迫ろうとする意欲作だ。
 彼は九歳から二十年にわたる比叡山での修行を捨て、法然の門下に入り、既成宗派からの攻撃(法難)を受けて越後に流罪となる。流罪になる船のなかでの場面から物語は始まる。越後では土地の豪族、三善為教(ためのり)が親鸞を庇護(ひご)し娘は親鸞に嫁ぎ、人々は親鸞に帰依していく。四年後、赦免となり「非僧非俗」の考え方に立ち、関東で布教するために、妻の恵信尼や弟子たちと越後を旅立つシーンで話は閉じられている。政治家で大胆かつ細心な成り上がり者、と設定されている三善為教のキャラクターが魅力的だ。
 副題の「既往(きおう)は咎(とが)めず」は論語の言葉。本書を読めば読むほど、この言葉が身に染みてくる。「過ぎ去ったことを咎めても仕方がない」との意だが、私はドストエフスキー『罪と罰』のなかの酔漢マルメラードフの救済論を思い出す。俸給をすべて飲み代に遣い、娘のソーニャが娼婦(しょうふ)になるのも止められない父親だが、最後の審判のおりには神は必ず悪人や心弱き者を救う、との救済論だ。歎異抄の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と共通してはいないか。
 救済は自力ではなく、あくまでも阿弥陀仏(あみだぶつ)の「はからい」、他力なのだ。阿弥陀仏からの光があまねくゆきわたり、この世での悪、受難もすべて「はからい」なのである。この親鸞の深奥に、まだ私はついていけない。ゆえに私は愚かなのである。本書は私のような戯(たわ)け者に、親鸞思想の黄金のひとかけらをわかりやすく知らせてくれた。難しいテーマに挑んだ著者に脱帽。
(松柏社・1728円)
 さとう・ようじろう 1949年生まれ。作家。著書『夏至祭』『坂物語』など。
◆もう1冊 
 吉本隆明著『最後の親鸞』(ちくま学芸文庫)。非僧非俗の境涯に身を置いて善悪の起源を追究した親鸞のラディカルな思想に迫る。 
    --「書評:親鸞 既往は咎めず 佐藤 洋二郎 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。

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