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覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『ヤマメの魔法』=湯川豊・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『ヤマメの魔法』=湯川豊・著
毎日新聞 2014年06月01日 東京朝刊


 (筑摩書房・1944円)

 ◇巡礼者の静けさに包まれる渓流釣り

 釣りと園芸は神様の贈り物だと思う。どちらも小さな世界のなかで静かな時を過ごすことができるから。

 文芸評論家の湯川豊さんは釣り好きとして知られる。渓流でのフライ・フィッシング。山の奥を流れる清流でイワナやヤマメを釣る。

 春から秋まで。釣りのシーズンが来ると岩手県や山形県の川へ出かけてゆく。本流から支流へ、さらに細流へと分け入る。

 谷の精と呼ばれるイワナやヤマメは源流にすむ。それを釣るには釣り人は山の奥へ、奧へと入ってゆかなければならない。川を遡行(そこう)する。いつしか世俗と離れ、ひっそりとした自然のなかに溶けこんでゆく。

 湯川さんは釣りそのものの楽しさを語りながら、同時に、清流を上がってゆく過程の感動を語るのを忘れない。「静かな谷で、美しい渓流魚と遊びたい」。その一心で谷へと入ってゆく。

 山国の日本は幸いに谷が多い。そこに人知れず静かに川が流れている。それを見つけ出した時の釣り人の感動が、釣りを知らない読者にも柔らかく伝わってくる。

 湯川さんは東北、特に岩手県を中心に実によく谷を歩いている。人に知られていない、静かな川を探して奧へと足を踏みいれる。山の奥のどこかにいい場所がある。一種の桃源郷探し、隠れ里探索行になっている。

 もちろん魚を釣り上げた時の無邪気な喜びも語られるが、湯川さんの文章からは(名著『イワナの夏』もそうだったが)、巡礼者の静けさが感じられる。

 「目を上げると、谷は小さな階段状をなしていて、段の上にはまた同じような長い深瀬の流れがある。流れはゆるやかで、日の光がその流れと戯れていた。ずっと奧までこんな流れがつづくのだ。山の奥深くに高原のように広い空間が隠されていて、そこに流れがひそやかに生きている」

 湯川さんはいつも目の前の川の向うに、幻の、理想の川を見ている。一度行ったきり、二度と行けない川にまた出会えることを夢見ている。この遠くを見る視線が、通常の釣りエッセイにない良さになっている。大仰に言えば、釣り人は渓流のなかで神を感じている。

 湯川さんの目は川だけではなく周囲の風景にも向けられる。谷にはさまざまな花が咲く。カタクリの群落、ホオノキやトチノキの花。動物にも出あう。ウサギ、テン、ヨタカ。釣り仲間の他に周囲に人はいない。静けさが釣り人を包んでいる。

 大人なのに釣り友達を「啓ちゃん」と呼ぶ。子供時代に帰っているようだ。

 時には災難にも遭う。スズメバチに襲われる。とめていた車のなかを何者かに荒らされる。真夏の釣りでは熱中症になったこともある。それでも釣りをやめられない。ヤマメの魔法にかかってしまったから。

 「ヤマメの魔法」という言葉は、湯川さんが敬愛するアメリカのフライ・フィッシャーマン、ロバート・トレーヴァーのものだという。映画好きとしては、この名前に驚く。オットー・プレミンジャー監督の裁判劇「或(あ)る殺人」(1959年)の原作者ではないか。そういえばジェイムス・スチュワート演じる弁護士は釣りが大好きだった。

 トレーヴァーのこんな言葉が渓流で一人する釣りの醍醐味(だいごみ)をよくあらわしている。

 「フライ・フィッシングは、淋(さび)しくならずに孤独でいることができる、この世で唯一の場所だ」

 新緑の美しい季節。いまごろ湯川さんはどこの渓流を歩いているのだろう。
    --「今週の本棚:川本三郎・評 『ヤマメの魔法』=湯川豊・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140601ddm015070152000c.html:title]

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