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覚え書:「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『草のつるぎ--野呂邦暢小説集成3』=野呂邦暢・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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今週の本棚:高樹のぶ子・評 『草のつるぎ--野呂邦暢小説集成3』=野呂邦暢・著
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 (文遊社・3240円)

 ◇五感に訴えることで残る強烈な読後感

 当時野呂邦暢(くにのぶ)は九州でたった一人の芥川賞作家だった。諫早に住み、自然の息吹を体内で言語化して、瑞々(みずみず)しい作品を発表していた。その人が四二才で亡くなる数日前、彼の声を聞いたのは私ではなく夫だった。弁護士をしている夫に電話で相談があったのだ。自宅にかかってきたその電話をどうして私が取らなかったのか、今も無念が残る。彼の声を聞き損なった。

 野呂邦暢が没した昭和五五(一九八〇)年、私はデビュー作となった『その細き道』を書き、一二月号の文芸誌に発表した。芥川賞候補になり、そこからすべてが始まった。彼と私は、あの年すれ違い、入れ違いに作家生活に入ったのだ。

 『草のつるぎ』を読み返すとき多くの思いが溢(あふ)れ、本作の主人公同様に胸苦しく、けれど清々(すがすが)しく潔い心地になる。まずは全集刊行を喜びたい。

 次ぎにこの十余年芥川賞選考に関わり候補作を読んできた目に、この作品が強く新鮮に映るのは「なぜか」を考えないではいられない。

 陸上自衛隊の訓練で匍匐(ほふく)前進するとき、目の前に立ち塞がる切っ先鋭い草が、つるぎに見える。作者の自衛隊体験を元に書かれた。

 「膝と肘で体を支えてのたくる。草がぼくの皮膚を刺す。厚い木綿地の作業衣を通して肌をいためつける。研ぎたての刃さながら鋭い葉身が顔に襲いかかり、目を刺そうとし、むきだしの腕を切る。熱い地面から突き出たひややかな草」

 鋭い草は、まだ何者でもない青年が自衛隊に入り苦しい訓練に明け暮れるとき、彼の行く手に立ち塞がる人生の、未来への、試練や障壁を意味していると読んでしまうのは、モノや現象をメタファーして読むのが文学的習慣となっている私にとって、あるいは多くの文学者にとって、ごく自然なことではある。けれどそうした読み方が正しいのだろうかと、不意打ちをくらわせるのが、この『草のつるぎ』だ。

 鋭い草は表現されたとおり、主人公の肉体を苦しめる。その痛みは直接読者に迫る。けれどそれ以上のことを伝えているのだろうか。実感だけが鋭く存在する。だからこそこの草は、あおく猛々(たけだけ)しく魅力的なのではないか。

 在るのは身体の感覚だけ、それ以上でもそれ以下でもない。メタファーを意識する余裕もなく、必要もなく、ただ青年の身体と感性が在り、それが伝わってくる。

 そう気付いて見渡せば、野呂邦暢の文学は、意図してメタファーを潜ませることで文学性を深める小賢(こざか)しさなど無く、ただモノや現象がもたらす実感を、ひたすら真っ正面から伝えてくる。

 つまり、顔を刺す草が痛いのである。主人公が舐(な)める岩塩は苦く、泥は臭うのだ。

 意識や思考に働きかけるのではなく、五感を刺激する。頭脳でなく身体に訴えてくる。

 このような小説は、文学の深みを知れば知るほど書きにくくなる。とりわけ頭脳明晰(めいせき)な男性作家には無理だ。新人作家も同様で、実体験で得た五感の記憶が希薄なせいか、リアリズムで小説を書かない。鋭い草を描写しても、そこに何らかの小説上の意味を付与する。結果、生の実感を削(そ)いでしまう。

 野呂邦暢は、そのような小説創りをあえて忌避したのか、もともと関心のすべてが身体的実感にあったのかは解(わか)らない。

 けれど小説は、五感に訴えることで強烈な読後感を残す、という単純だが明快な真理が、彼の作品にはある。 
    --「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『草のつるぎ--野呂邦暢小説集成3』=野呂邦暢・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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