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2014年6月

書評:尾佐竹猛『大津事件 ロシア皇太子大津遭難』岩波文庫、2014年。


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尾佐竹猛『大津事件 ロシア皇太子大津遭難』岩波文庫、読了。明治24年、来遊中のロシア皇太子が警備の巡査津田三蔵に襲撃された大津事件。皇族扱いの審理をせよと強要から司法権の独立を守る歴史的事件へと展開するが、本書はその全貌を豊富な資料を駆使し、明治国家の権力構造を鮮やかに描く一冊。

児島をはじめ大審院はいかにして「司法権の独立」を守り得たのか。自ら大審院判事である著者はその非藩閥的性格に由来すると指摘。死刑を主張した伊藤博文を「この人が在朝第一の聡明なる政治家であったとは、日本の国情も情なきものであった」と手厳しい。

本書は、津田三蔵、逮捕に協力した車夫、謝罪のため自害した房州の烈女畑山勇子の生涯を著したエッセイを「余篇」として付記。国家の権臣だけでなく、事件に翻弄された臣民にも光を当てている。関東大震災の翌年からの連載だが、当時の拝外主義への抵抗の意義も認められる。

校注・解説は三谷太一郎先生。「宮沢が大津事件を通して提起したような問題は、たとえば国家利益と法的正義との関係の問題としてなお今日の問題である。…『大津事件』は国家のレベルだけでなく、社会のさまざまなレベルで、さまざまの形で今日もなお生じている」。

敗戦後、現行憲法成立後、大津事件は護憲の立場から幾度も参照され、1951年には岩波新書に収録された。たとえば、憲法に反する事柄を閣議決定でなしえようとする現在、「護憲の神」の軌跡を負う本書を学ぶ意義は、いやまして大きい。 

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覚え書:「本屋さんのダイアナ [著]柚木麻子」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。


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本屋さんのダイアナ [著]柚木麻子
[掲載]2014年06月22日   [ジャンル]文芸 

 「大穴」と書いてダイアナ。この名前のせいでいつも肩身の狭い思いでいるダイアナは、母と二人暮らしで本が大好き。優等生の彩子はどこか孤独なダイアナにひかれ、二人は無二の親友になる。しかし、中学生になる前にささいなことがきっかけで深い溝ができる。中、高と別の道を歩むが、ダイアナの父親捜しを軸に、離れていた道が再び交差して……。人は、周囲の押しつけや思い込みに縛られ、自分を解き放つことがなかなかできないもの。少女たちは、自分にかかっているそんな“呪い”を自分自身で解いていく。静かだがドラマチックな展開に心奪われる。『赤毛のアン』ほか物語に登場する少女小説も魅力的で、もう一度読みたくなる。
    ◇
 (新潮社・1404円)
    --「本屋さんのダイアナ [著]柚木麻子」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トウォ [著]福岡まどか [写真]古屋均 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。


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性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トウォ [著]福岡まどか [写真]古屋均
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年06月22日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

■迫害の歴史とジャンルも超え

 ガムランや影絵芝居など、インドネシアの伝統芸能は日本でもよく知られている。しかし現代のパフォーマーの活躍となるとどうだろう。
 DVD付きの本書はディディ・ニニ・トウォという極めて稀有(けう)な才能を持つ女形のダンサーの軌跡と全容を伝える。
 ジャワ島出身の五十九歳。拠点はジョグジャカルタ。華人の父とジャワ人の母を持つ。かつてジャワ島にあった女形の伝統を復活させようと、島をまたいで複数の女性舞踊家に教えを受け、さらに能楽や中国舞踊、西洋の要素も取り入れ、独自の舞踊を作り上げる。厳しい身体鍛錬が必要な芸術性の高い踊りで世界から評価される一方、トランスジェンダーを笑いにするコメディーでインドネシア中の人々を笑わせる。
 インタビューでは、イスラム色の強い国で女形であることよりも、華人系として受けた迫害に強くストレスを感じてきた様子が胸を打つ。現代インドネシアを知るための書としても大変面白く読めた。
     ◇
 めこん・4320円 
    --「性を超えるダンサー ディディ・ニニ・トウォ [著]福岡まどか [写真]古屋均 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「うわさとは何か [著]松田美佐」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。


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うわさとは何か [著]松田美佐
[掲載]2014年06月22日   [ジャンル]新書 

 「古くて新しいメディア--うわさ」を関東大震災時の「朝鮮人来襲」説から東日本大震災時の買いだめ騒動など、事例に即して解剖していく。さらには、「口裂け女」などの都市伝説にまで分析は及ぶが、着目したいのは副題にあるとおり「ネットで変容する『最も古いメディア』」だ。
 著者は、拡散も速いが内容が文章として残ることで批判的に検討できるので短命化しやすいのではないかと指摘する。一方、記録は長く保存されるのでいったん否定されたうわさが、それを知らない人によって新たな火種になる可能性もあるという。うわさがもたらす人のつながりにも焦点を当て、うわさは「事実性を超えた物語」との視点が新鮮だ。
    ◇
 (中公新書・907円) 
    --「うわさとは何か [著]松田美佐」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014062200007.html:title]

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うわさとは何か - ネットで変容する「最も古いメディア」 (中公新書)
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覚え書:「小学4年生の世界平和 [著]ジョン・ハンター [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。


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小学4年生の世界平和 [著]ジョン・ハンター
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2014年06月22日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 
■ゲームが育む、勇気、独創、貢献

 一人のアフリカ系アメリカ人の男性が、人種差別の1950-60年代に少年時代を過ごし、あえて白人教区の教会に粘り強く通った両親の静かな勇気を見、ヴェトナム戦争に徴兵される危機を肌身で感じ、諸国を放浪して禅などに影響を受け、帰属するコミュニティーに帰った。彼は教師となって、小学4年生を教えるのにひとつのゲームを着想・開発した。名を「ワールド・ピース・ゲーム」。そこには私たちが「アメリカ型」と思いがちな力まかせの正義はない。しかし「勝利」はある。
 何が勝利なのか? --問題が解決され、すべての国の資産が前より上がること。
 そんなことが、可能なのか? --可能であると、35年間のゲーム結果は言っている。それも、「問題」が起こり、状況が最も危機的に見えるときにこそ、個人の勇気が、独創が発揮され、全体が生命体のように動き出すという。大切なのは、何もない(エンプティ)スペースから創造性が現れるのを待つこと。
 「問題」とは、原発メルトダウン、ハリケーン発生、あるいは一首相が撃った大陸間弾道弾による環境破壊、などなど。「問題」の影響は一国にとどまらない。参加する誰もが、どこかの時点で、全体に貢献しない限りは「勝利」はないと気づく。不思議なことに、全体への貢献を考えた時、人は最も独創的となり、本人さえ思いもかけない素晴らしい資質を開花させる。
 私生活で仲間はずれにされるリスクを負いながらも、驚くべき方法で大国の膨張を止めた少女、自ら武器の商いをやめた武器商人役たち。勝っても暴力の連鎖に巻き込まれると気づいた少年……。戦争の最高指揮官は、戦死した兵士の親たちに、心からの手紙を書かなければならない。それを読む時、すべての参加者が敗者となる……。
 子供にも大人にも、わが国の首相と閣僚たちにもぜひ、やってもらいたい。
     ◇
 伊藤真訳、KADOKAWA・1728円/John Hunter 教師、教育コンサルタント。
    --「小学4年生の世界平和 [著]ジョン・ハンター [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「スクリプターはストリッパーではありません [著]白鳥あかね [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。


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スクリプターはストリッパーではありません [著]白鳥あかね
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2014年06月22日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

■映画愛に溢れた記録係の一代記

 スクリプターという職業をご存知(ぞんじ)だろうか? 語感が似ていてもストリッパーとは全く違う。映画の撮影現場で監督につきっきりとなり、ワンカットごとの記録を採るのが仕事である。だが実際には単なる記録係に留まらず、監督の相談役、「女房役」ともいうべき重要な役割を担っている。本書は、日本映画を代表する名スクリプターの、聞き書きによる自伝である。
 戦前のリベラルな家庭に育ち、大学では仏文学を専攻、新藤兼人監督の現場に参加したのをきっかけに映画にめざめ、日活に入社、斎藤武市監督の〈渡り鳥シリーズ〉や『愛と死をみつめて』等、日本映画黄金期を彩る大ヒット作、名作の数々でスクリプターを務め、日活がロマンポルノに転じてからも神代辰巳、根岸吉太郎、池田敏春など才気溢(あふ)れる監督の現場で活躍した。日活退社後もフリーランスのスクリプターとして手塚眞や岩井俊二など気鋭の新人監督の作品に参加、現役を引退してからはスクリプター協会の設立や、市民参加型の映画祭の運営に尽力している。
 白鳥氏は現在八十一歳。あとがきには「映画人生をスタートさせた新藤兼人監督の『狼(おおかみ)』から今年はおよそ六十年目になります」とある。だが、ここには「失われたもの」へのノスタルジーは感じられない。確かに映画製作の苦楽を共にした監督たちの何人かは既に亡く、映画界も映画環境も大きく様変わりした。しかし数々の映画のエピソードを語る言葉は、あくまでも快活でユーモラスで、友愛に満ち(それゆえに時に辛辣(しんらつ)で)、とにかくシャキッとしている。スクリプターのみならず、シナリオライターや出演までこなした白鳥氏のユニークなキャラクターと破格のヴァイタリティが、一言一言から響いてくる。全編、映画愛のみならず、人生を力強く肯定するエネルギーに溢れている。無類に面白く、そして感動的な一代記である。
     ◇
 国書刊行会・3024円/しらとり・あかね 32年生まれ。元スクリプター。第37回日本アカデミー賞協会特別賞。
    --「スクリプターはストリッパーではありません [著]白鳥あかね [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「加工食品には秘密がある [著]メラニー・ウォーナー [評者]島田雅彦(作家・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。


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加工食品には秘密がある [著]メラニー・ウォーナー
[評者]島田雅彦(作家・法政大学教授)  [掲載]2014年06月22日   [ジャンル]経済 

■意外な原料・添加物、無意識に

 資本主義の原理に忠実たろうとすれば、安価に大量生産でき、保存が利き、均一の味と香りが保てる食品が最も有利である。その結果、食は自然から離れ、完全な工業製品になった。その流れを決定づけたのは十九世紀末以降のいくつかの発明、たとえば、コカ・コーラのような飲料、プロセスチーズ、シリアルなどである。
 身体によい幻想を与えるビタミンのほとんどは中国製で、しかもビタミンDの原料は羊毛についている獣脂であるとか、冷凍食品の肉の中には文字通り「水増し」されているものもあるとか、食品業界の知られざるハイテクを知るにつけ、自分がこれまでに無意識に取り込んできた添加物の多さに唖然(あぜん)とした。
 加工食品は滅多(めった)なことでは腐らない。私たちは日々の食生活を通じ、保存料や防腐剤をふんだんに取り込んでいるので、死んでも腐らない……というのが冗談にならないほど、加工食品は謎の物質で調整されている。
     ◇
 楡井浩一訳、草思社・1998円
    --「加工食品には秘密がある [著]メラニー・ウォーナー [評者]島田雅彦(作家・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 急務は『集団的育児権』だ=宮武剛」、『毎日新聞』2014年06月25日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
急務は「集団的育児権」だ
公的年金制度を維持するには

宮武剛 目白大大学院客員教授

 100年先は「神のみぞ知る世界」だが、年金制度は、その未来の展望を義務付けられる。ただし、5年ごとに「財政検証」を繰り返しながら制度の持続可能性を探る。
 今月公表された財政検証では、先行きの給付水準が焦点になった。既に負担(保険料)の上限が定められ、老齢基礎年金の国庫負担も限度いっぱいの2分の1に引き上げられたからだ。
 大幅な収入の伸びはなくなり、支出を切り詰めるほかない。このため「マクロ経済スライド」と呼ぶ手法で給付水準の伸びを抑えていく。給付水準は「所得代替率」で示される。現役世代の平均手取り額と比べ年金額はどの程度の割合になるか。
 今回は人口変動、経済成長、労働力率などの条件で8通りが試算された。そのうち、いわば標準的なケースで、厚生年金のモデル年金は将来も現役男性の平均手取り額(賞与込み)の50%強の支給が可能とされた(夫は平均的収入で40年加入、妻は専業主婦、現在は62・7%)。
 この給付水準に関心が集中するのは無理もない。だが、100年先を眺める視野もほしい。
 標準的なケースで、年金の被保険者は現在の約6640万人から2060年度で3900万人、2110年度で1880万人へ激減する見通し。財政は縮小均衡で持続しても、社会自体が成り立つのか。
 国家、地方公務員の共済組合は来秋には厚生年金へ統合されるが、加入者の推移は内訳で分かる。両組合で約380万人から60年度260万人、2110年度で140万人に落ち込む。
 総人口に占める現在の公務員の人数割合を機械的に当てはめた推移だが、自衛隊も警察も学校も消滅しそうな未来である。
 しかも、この標準的なケースでさえ、女性や高齢者の「労働市場参加が進む」想定である。
 30歳代の女性では働く意欲はあっても出産・育児のため労働力率は70パーセントを割り込むが、30年度には85%へ引き上げる。男性も60歳代前半で91%、60歳代後半も67パーセントを目指す。
 何よりも「子どもを産みたい」「子育ては楽しい」と思える環境・条件を整えるほかない。
 保育や学童保育の飛躍的な拡充から教育費の軽減や公営住宅の確保、若い世代の賃金増や長時間労働の是正、特に非正規労働者の待遇改善が不可欠だ。
 検証結果は、老後の所得保障だけでなく、子や孫が生きる時代を切り開く「国家100年の計」の基礎データである。
 自衛隊員の確保も難しい未来を横目に、「集団的自衛権」の論議を聞くのはむなしい。急ぐべきは社会全体で子育てを支える、いわば“集団的育児権”の確立ではないか。

マクロ経済スライド 少子化による支え手の減少と長命化に伴う受給期間の伸びへの対処策。従来は賃金、物価の上昇分を年金額に上乗せしたが、1・1%分を差し引く(前回検証では0・9%分)。例えば物価が2%上がっても、今の受給者の年金額は0・9%分しか増額されない。ただし、デフレ経済下で一度も実施されていない。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 急務は『集団的育児権』だ=宮武剛」、『毎日新聞』2014年06月25日(水)付。

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覚え書:「ペンギンが教えてくれた物理のはなし [著]渡辺佑基 [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。


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ペンギンが教えてくれた物理のはなし [著]渡辺佑基
[評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)  [掲載]2014年06月22日   [ジャンル]科学・生物 

■動物に発信器つけ、生活の実態さぐる

 バイオロギングを知っていますか? 動物に小型の発信器を装着し、その行動を記録する研究分野だ。渡り鳥の長距離移動や魚の潜水など、今までデータが取りにくかった行動について、正確で詳細な実態が明らかになりつつある。特に近年、発信装置が格段に進歩したため、ワクワクするような結果が続々と明らかになってきた。たとえば、ハイイロミズナギドリの渡り移動は6万5千キロに及び、クロマグロは8千キロ泳いで太平洋を横断し、アカウミガメは10時間も水に潜っている!
 このようなワクワクをぎゅーっと凝縮し、あふれんばかりに詰め込んだのが、この本だ。表紙から裏表紙に至るまで、科学のおもしろさに満ち満ちて、あふれている。
 著者はバイオロギングの専門家。あるときはウ(鵜)の飛行の研究でインド洋の真ん中の孤島に、あるときはペンギンの生態を調べに極寒の南極に、またあるときは常夏のバハマでサメの調査と、動物の生活実態を知るために、地球上どこにでも出掛けていく。
 フィールドでの苦労も並大抵ではない。高価な測定器の回収に失敗したり、自分の話せないフランス語ばかりしゃべるチームの中で4カ月間の孤独に耐えたり。
 だけど、それらを通して得られた成果の、おもしろいことったりゃ、ありゃしない。マンボウとペンギンの泳ぐメカニズムは基本、同じであるなんて、こういう調査をしなければ分かりっこない。
 書き手が、心の底から研究を楽しんでいる。それが読み手のぼくたちにもガンガン伝わってくるので、こっちまでうれしくなってしまう。勇猛果敢ですがすがしい科学精神の発露。
 とはいえ、単に好奇心のおもむくままに突き進むだけではない。冷静で沈着な計算もきちんと働いている。とくに素晴らしいのは、自分の研究を先人たちの業績との関係の中に明確に位置づけていることだ。研究分野全体における自分の立ち位置が、はっきりと認識できている。学問領域の全体像が分かるから、この本はおもしろい。
 著者は英文の原著論文を一流の専門誌に多数発表している優秀な研究者だが、その彼が、このような一般向けの本を書いてくれたことに、一読者として感謝したい。
 研究者は、多忙だ。一般向けの著作は後回しになりがちである。だけど、科学の喜びは、専門家にこだわらずできるだけ多くの人と分かち合い、楽しむものだとぼくは思う。そうしないともったいない。この本が体現しているのは、まさにそういった喜びである。
 口絵には珍しい動物の写真が載っているが、ちょっと小さい。この著者の、写真を中心にした読み物なども読んでみたいものだ。
    ◇
 河出ブックス・1512円/わたなべ・ゆうき 78年生まれ。国立極地研究所生物圏研究グループ助教。2007年、東京大学総長賞。10年、南極観測隊に参加し、ペンギン目線のビデオ撮影に成功。11年、学術分野で優れた実績を上げた研究者に贈られる山崎賞を受賞。
    --「ペンギンが教えてくれた物理のはなし [著]渡辺佑基 [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「東京自叙伝 [著]奥泉光 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。


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東京自叙伝 [著]奥泉光
[評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)  [掲載]2014年06月22日   [ジャンル]文芸 

■「地霊」が語る都市の根本原理

 通常、私たちは東京に住んでいるという言い方をする。多くの人間が集まることで東京という都市ができているのであり、都市は人工的に構成されていると考える。小説でも、東京に住んでいる個別具体的な人間が主人公となる場合が多いだろう。
 しかしこの小説は違う。太田道灌が江戸城を築く前から東京には地霊が住んでいて、その地霊が人間以外の生物に乗り移っていたと考える。そして幕末からは人間にも乗り移り、現代に至るまで世代の異なる6人の身体を通して、地霊そのものが東京で起こるさまざまな出来事について語り尽くす。一応、6人には固有の氏名がついているものの、主人公はあくまでも「私」という一人称で語られる東京の地霊なのだ。
 なんとも破天荒な試みと言ってよいだろう。だが、著者があえて実験的な小説を書かなければならなかった背景には、とりわけ3・11以降の東京を中心とした日本に対する強い危機感があったのではなかろうか。
 その危機感は、最終章によく表れている。「私」に言わせれば、メルトダウンを起こした福島第1原発もまた東京の飛び地にほかならない。あの廃虚と化した光景は、東京の将来の陰画でもあるのだ。にもかかわらず、「私」は早くもそのことを忘れ、再びオリンピックに浮かれようとしている。その根底には、「なるようにしかならぬ」を金科玉条とする、この都市の根本原理がある。
 本書を読みながら頭をかすめたのは、政治学者・丸山眞男の著作であった。具体的にいえば、イデオロギー的に限定されない「国体」の魔力を分析した『日本の思想』や、日本人の思考様式を「つぎつぎになりゆくいきほひ」という言葉で表した論文「歴史意識の『古層』」などだ。本書は、こうした学説を小説に昇華させようとする、果敢な試みともいえるのである。
    ◇
 集英社・1944円/おくいずみ・ひかる 56年生まれ。作家。『石の来歴』『シューマンの指』『虫樹音楽集』など。 
    --「東京自叙伝 [著]奥泉光 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「日本は戦争をするのか―集団的自衛権と自衛隊 [著]半田滋 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。


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日本は戦争をするのか―集団的自衛権と自衛隊 [著]半田滋
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年06月22日   [ジャンル]政治 社会 

■「首相によるクーデター」と警告

 今、戦後民主主義体制下のシステム、理念、法体系が音を立てて崩れている。本書を一読しての率直な感想である。単に一内閣が政治改革を目ざしているのではない。
 「歴代の自民党政権の憲法解釈を否定し、独自のトンデモ解釈を閣議決定する行為は立憲主義の否定であり、法治国家の放棄宣言に等しい。『首相によるクーデター』と呼ぶほかない」との著者の指摘は、まさに歴史的警告といっていいであろう。
 本書は安倍晋三首相の言動を丹念に追いかけながら、その不安定さ、不気味さ、そして錯誤を挙証していく。もっとも象徴的だったのは2014年2月12日の衆院予算委員会での発言である。解釈変更だけで集団的自衛権の容認ができるのかと野党が内閣法制局次長に問うたのに、「最高の責任者は私」であり、選挙で審判を受けるのは内閣法制局長官ではないと答えた。
 それを著者は「国会で憲法解釈を示すのは法制局長官ではなく、首相である私だ。自民党が選挙で勝てば、その憲法解釈は受け入れられたことになる」との発想だと理解する。まさにルイ14世の「朕(ちん)は国家なり」を彷彿(ほうふつ)させると見る。この種の現実をとり違えた発言がいかに多いか、69年の戦後史に対する真っ向からの挑戦である。
 安倍首相は集団的自衛権の行使によって、日米の軍事上の「血の同盟」を画策しているのだが、しかしオバマ大統領を始めアメリカ首脳は、安倍首相自身がつくりだしている政治・軍事上の危機についてどこまで同調するかはわからない。著者の分析のようにオバマ大統領にも冷遇されている状態で、この首相は、この国を軍事主導体制にと企図しているのかもしれない。
 自衛隊幹部が著者に語った「勇ましいことをいう政治家やマスコミは、シビリアンコントロールの自覚をしっかり持ってもらいたい」との言に、この国の歪(ひず)みを見る。
     ◇
 岩波新書・799円/はんだ・しげる 55年生まれ。東京新聞編集委員兼論説委員。『「戦地」派遣 変わる自衛隊』など。 
    --「日本は戦争をするのか―集団的自衛権と自衛隊 [著]半田滋 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年06月22日(日)付。

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日記:すべて個別的自衛権で対応できる話 → 「座長試案 武力行使の要件を厳格化」、『公明新聞』2014年06月25日(水)付。


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これ6月25日の公明新聞一面(「座長試案 武力行使の要件を厳格化」2014/6/25付)ですが、集団的自衛権の発動要件を「明白な危険」「国民を守るため」「自衛の措置……」として「さらに客観性が高まる」といっているけど、これって全て「個別的自衛権」で済む話ですよね。

おかしなことをするのであれば「平和の党」という看板は下げるべきだし、加えてもうひとつ、集団的自衛権をめぐる議論に対する正反はあると思うし、僕自身は反対だけど、憲法の根幹に関わることを、憲法の下位に序列される「閣議決定」で決めてしまうというような先例をつくるってしまうと、集団的自衛権にかかわらず、何ンでもありになってしまう。公明党の議員諸氏は弁護士出身者が多いと聞きますが、立憲主義を理解しているのでしょうか。

集団的自衛権を何が何ンでも認めたいのであれば、閣議決定云々ではなく、憲法の改正という土俵で議論すべきだと思います。法治を法規して、人治という「前近代」でやりたいというのであればいたしかたありませんけれどもね。


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座長試案 武力行使の要件を厳格化

公明新聞:2014年6月25日(水)付

(写真キャプション)与党協議会に臨む北側副代表、井上幹事長ら=24日 衆院第2議員会館
(写真キャプション)与党協議会に臨む北側副代表(左から2人目)、井上幹事長(左隣)ら=24日 衆院第2議員会館

北側副代表 「さらに客観性が高まる」
自民、公明の与党両党は24日午後、衆院第2議員会館で、「安全保障法制整備に関する協議会」の第9回会合を開催した。自民党から高村正彦副総裁(座長)、石破茂幹事長ら、公明党から北側一雄副代表(座長代理)、井上義久幹事長らが出席した。

席上、高村座長は13日の協議会で示した、自衛権発動の「新3要件」(高村私案)を修正した座長試案【別掲=太字が修正箇所】を提示。さらに、閣議決定案の概要にある、「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」に関する部分の座長試案も示した。公明党は、これらの案を持ち帰った。

「新3要件」に関する修正案は、自衛権発動の要件のうち、私案では「他国」としていた箇所が、「我が国と密接な関係にある他国」と修正。さらに、「おそれ」としていた部分についても、「明白な危険」とされた。さらに、3要件に該当する場合の「武力の行使」であっても「自衛の措置としての『武力の行使』に限られる」と変更された。

協議会の席上、公明党の上田勇衆院議員は、閣議決定案に「現行法制や個別的自衛権、警察権で対応できることが多くあるという要素を盛り込めないか」と主張。高村座長は検討する考えを示した。

一方、公明党の西田実仁参院議員は、閣議決定案の概要に関する座長試案を取り上げ、憲法第9条の下で許容される武力の行使に関しては1972年の政府見解に基本的な論理が示されており、「この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない」と記されている点について、「憲法第9条の規範性は保たれているか」と質問。高村座長は、「その通りだ」と答えた。

さらに公明党側は閣議決定案に、安全保障環境の変化に対応するための外交努力についての記述なども盛り込むよう求めた。

協議会終了後、北側副代表は、「新3要件」の座長試案で「他国」や「おそれ」といった表現が修正された点について、党内議論を受け、与党協議で提案した内容が反映されたと評価。「厳格化し、客観性が高まっている」と指摘した。

一方、閣議決定案の概要に関する座長試案に「憲法上は、あくまでも我が国を防衛し、国民を守るためのやむを得ない自衛の措置としてはじめて許容される」とある点について、「要するに自国防衛だ。自国防衛のための自衛の措置というのが憲法第9条の規範性として非常に重い」と語った。

座長試案の全文

憲法第9条の下において認められる「武力の行使」については、
(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合の自衛の措置としての「武力の行使」に限られると解する。
    --「座長試案 武力行使の要件を厳格化」、『公明新聞』2014年06月25日(水)付。

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覚え書:「書評:太陽の棘とげ 原田 マハ 著」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。


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太陽の棘とげ 原田 マハ 著

2014年6月22日


◆対立を解く美術の力
[評者]嶋岡晨=詩人
 山本周五郎賞受賞作『楽園のカンヴァス』もそうだったが、著者のキュレーター体験、美術的造詣は本作でも充分(じゅうぶん)に生かされ、物語の奥行きを深めている。
 話は終戦直後、沖縄駐留米軍の精神科従軍医ウィルソンの回想として展開され、芸術家村の画家たち(タイラほか)との親交を通し、勝者と敗者(日本人)の間に真の友情はあり得るかを問い、両者を繋(つな)ぐ絵画の重い役割が表現される。
 反抗的な画家ヒガ、横暴な米軍将校、タイラの美しい妻メグミら脇役のからみも効果的だが、「出会う者みな兄弟」との沖縄的人情、画家を支援するウィルソンの善意などのかもすヒューマンな温(ぬく)もり、すなわち美術を介し共有する感動が、勝・敗、優・劣の意識を超えて、作品全体からぬくぬくと伝わる。
 小説の主題はつまり、人間相互の対立を溶かす<太陽>的なものの働き、理解交流をめざす願望にある。そうした問題の解決法は、甘いといえば甘いだろう。が、この一つの人間的な理想のけんめいな提示、文学的主張を、軽々しく否定しさる資格など誰にあろうか。人生への暗い解釈、絶望感を、深刻ぶって強調するだけが、文学ではあるまい。
 巻末の「謝辞」によれば、作者は現存する精神科医から直接取材したようで、さすがに文章に実感がこもっている。今日貴重な<善意>の文学に拍手したい。
 (文芸春秋・1512円)
 はらだ・まは 1962年生まれ。作家。著書『本日は、お日柄もよく』など。
◆もう1冊 
 原田マハ著『楽園のカンヴァス』(新潮社)。スイスの大富豪が所有する絵の真贋判定をめぐるアートミステリー。
    --「書評:太陽の棘とげ 原田 マハ 著」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「書評:それでも猫は出かけていく ハルノ 宵子 著」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。


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それでも猫は出かけていく ハルノ 宵子 著

2014年6月22日


◆死に際まで自由求め
[評者]稲葉真弓=小説家
 著者は、父が詩人で思想家の吉本隆明、妹が作家のよしもとばなな。まず本書に登場する猫たちを図解した「吉本家の猫相関図」に呆然(ぼうぜん)としてしまう。キャラクターの描き分け描写も見事だが、五十匹を超える猫の絵を眺めていると、彼らに費やされた膨大な人間力のすごさに頭が下がる。どれも半端な猫じゃないのだ。障害のある猫がいるかと思えば、エイズを抱えた猫も少なくない。思想家の愛猫のフランシス子はカラスにずたずたにされて大手術をうけ、生き延びた強者。みんな満身創痍(まんしんそうい)の超個性的猫ばかりだ。
 そもそも本書の執筆は、アクアマリンのようなブルーアイ、目頭に朱のラインの入った美猫中の美猫、シロミを拾ったことがきっかけだったという。たぶん事故だろう。尾の付け根の脊髄を損傷、おしっこもウンチも垂れ流しのまま捨てられていたのを拾い、以後は壮絶な介護生活。本書はこのシロミとの日々を主軸とした吉本家の八年間の記録だ。短命のまま死んでいく猫たちを保護し、看取(みと)ろうとする著者は、さながら野戦病院の看護師のよう。切迫感は隅々に漂っているが、死の間際まで自由であろうとする猫たちの姿は、崇高としかいいようがない。
 読後、野にある無数の命に対する畏怖がこみあげてきた。生き延びることの尊さ。それを助けることの難しさ。本書の猫たちよ、どうか生き延びてほしい!
  (幻冬舎・1620円)
 はるの・よいこ 1957年生まれ。漫画家。著書『虹の王国』『開店休業』など。
◆もう1冊 
 『猫は神さまの贈り物』小説編・エッセイ編(実業之日本社)。森茉莉、柳田国男らの猫に関する小説や文章の選集。 
    --「書評:それでも猫は出かけていく ハルノ 宵子 著」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「人を支える一滴一滴 『水のなまえ』 詩人 高橋 順子さん(69)」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。


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人を支える一滴一滴 『水のなまえ』 詩人 高橋 順子さん(69)

2014年6月22日


 水の星・地球の中でも日本は最も水に恵まれた地域の一つだ。本書は、その水の国の人びとが水とどのように関わって暮らしてきたのかを、伝承・古典から現代の詩歌まで幅広く作品を紹介しながら考察したエッセイ集である。
 著者の高橋順子さんには『雨の名前』『風の名前』など、写真家の佐藤秀明さんとの共著のシリーズが四冊ある。今回は写真がなく、詩人ひとりの感性で「もう一滴も出ない」というまで水に心を集中させて書き上げた。「このテーマを書きたいと思うと、気の済むまで考えることができた。ひとりの人間がこの年まで水とつき合ってきて分かったことの集大成ですね」と満足そうに話す。
 季節の水、水のオノマトペ、水の神、などに続いて「末期の水」という項がある。広島で被爆した原民喜の詩「水ヲ下サイ」や、<その老婆は/生まれた家の水を欲しがった/およめさんが汽車にのって/一しょうびんをさげて汲(く)んできた>で始まる寺門仁の詩「唇」を読むと、人は産湯から死に水まで、水に支えられて生きるのだとあらためて気づかされる。
 短詩型では、「へうへうとして水を味ふ」「濁れる水の流れつつ澄む」など山頭火の句が印象的。利根川のみなかみ(源流)をたずねた若山牧水については、<「みなかみ」とは何だろう。それはとてつもないエネルギーを秘めて、喜ばしげに地上に誕生する水の現場である。牧水はゆえ知らぬ寂しさを吹き飛ばしてくれる、いのちの歓(よろこ)びにめぐり会ったのだった>と歌人の思いに同化したような筆致で書いている。
 「水が流れるように放浪した山頭火は、まさに水の人だと思う。牧水も旅の人で、旅の人には水がついてくるのでしょうか」
 千葉県飯岡町(現旭市)の海辺で生まれ育った高橋さんも水の人だ。第一詩集の名は『海まで』、一九九七年には『時の雨』で読売文学賞を受賞している。しかし故郷の町は東日本大震災で津波に襲われ、生家も一階が水に浸(つか)った。現在九十七歳と九十二歳の両親は避難所にいて無事だったが、その後詩の書けない時期が続いたという。
 「海への憧れと恐怖に引き裂かれていたのです。それが三年たって、ようやく海と向き合うことができるようになりました」。七月に五年ぶりの新詩集『海へ』を刊行する。
 白水社・二〇五二円。 (後藤喜一) 
    --「人を支える一滴一滴 『水のなまえ』 詩人 高橋 順子さん(69)」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。

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書評:N・アジミ、M・ワッセルマン(小泉直子訳)『ベアテ・シロタと日本国憲法 父と娘の物語』岩波ブックレット、2014年。


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N・アジミ、M・ワッセルマン(小泉直子訳)『ベアテ・シロタと日本国憲法 父と娘の物語』岩波ブックレット、読了。日本国憲法に男女平等の原理を書き込んだベアテの父は日本に西洋音楽を伝えた世界的なピアニスト。知られざる父レオの生涯へ光を当てることで、父娘の理想主義と人間への信頼の人生を生き生きと描く。

第I部で、日本の音楽家を育てた父、男女平等を憲法に盛り込む娘の姿を描き、アメリカへの帰国後のベアテの軌跡(アジア文化の紹介者)を紹介。II部ではベアテへのインタビュー、ベアテの娘ニコルの追悼スピーチを掲載。図版多数。

「ベアテは何度も私に『平和への道は互いに理解しあうこと』と言っていました。文化が違いを乗り越える橋となること、そして芸術が持つ変革の力、つまり芸術には理解を育み深め、より高潔な資質を伸ばす力があることを彼女はよくわかっていました。その意味で彼女は父の娘であり、私や何百万人もの女性の手本です」とアジミ。

戦時下、ベアテの良心は東京から軽井沢に強制疎開。憲兵の監視下におかれた。「彼は日本のピアノ教育の礎をつくるために全力を注いできた。国際的なキャリアを棒にふり、寒さと飢えと恐怖にさらされ」た仕打ちで日本は応えた。

GHQの一員として戦後日本の再建に携わるベアテ。新憲法が日本のものかどうか議論が続くが、「日本側のインプットも無視できない」。制定過程における喧々囂々の交渉・討議、そして日本リベラルの水脈は単純否定できない。

「憲法の条文は必ずしも『アメリカの条文』というわけではなく、一九世紀や二十世紀のさまざまな憲法から、多くの示唆と影響を受けている」。悲惨な体験を経験した日本の人々が渇望したのは根幹たる基本的人権と民主主義の原則。

70頁足らずの小著ですが、憲法の実質的改悪、そして女性の人権が毀損されても屁とも思わない人々が次から次へとわき出す現代。手に取りたい一冊です。 

 

[https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/2708890/top.html:title]


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ベアテ・シロタと日本国憲法――父と娘の物語 (岩波ブックレット)
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覚え書:「今週の本棚:角田光代・評 『文芸誌編集実記』=寺田博・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。


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今週の本棚:角田光代・評 『文芸誌編集実記』=寺田博・著
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 (河出書房新社・2160円)

 ◇文学と対峙し、時代を創った名物編集者

 まず著者である寺田博氏について説明したい。一九六一年に河出書房新社に入社。倒産によって一時休刊していた雑誌『文藝』の復刊第一号から、編集部に所属する。『文藝』編集長を務めたあと退社、数年後、福武書店に入社し『海燕』という文芸誌をたち上げた。私はこの雑誌で新人賞をいただいてデビューした。一九九〇年、そのとき寺田博氏は文芸編集部を統括していた。そのときから、二〇一〇年、亡くなるまで親しくつきあってくださった。

 本書は、河出書房新社に入社以降、六九年までの編集記録が描かれている。高度成長期の東京を背景に、二十代から三十代になる若き編集者が、松本清張や井伏鱒二、三島由紀夫の自宅を訪ねて原稿をもらい、ときに文学論を闘わせる。坂本一亀編集長が言った「編集者は同世代の作家とともに成長するものらしい」を胸に留め、開高健、石原慎太郎、大江健三郎、江藤淳の動向をつねに気にし、自宅を何度も訪問して原稿を依頼している。

 電話ではなかなか本人と話せず、小林秀雄宅に直接向かい、作家とはじめて対面した光景が、映像が浮かぶかのようにくっきりと描かれている。その感動が、こちらにまで伝わってくる。

 作家の人となりが垣間見えるようなアンケートを掲載したり、文芸内閣を組織して閣議という名の座談会を開いたり、新年号に錚錚(そうそう)たる顔ぶれをそろえたりといった、雑誌作りの話も興味深い。

 そうして雑誌が発売されると、この編集者は新聞の文芸時評を読みまくる。自分の担当した小説がけなされていれば、わかっていないと怒り、それでも批評対象として取り上げられたことには素直に感謝する。編集長になると、彼は目を皿のようにして、自分の雑誌に掲載した小説への批評をさがし、二つも三つも引用している。文字の隙間(すきま)から、湯気が立つのが見えるような生々しい熱気を感じる。

 その作家の著作をすべて読み、あらたな方向を指し示す編集者も、それに応えてかじりつくように書く作家も、その作品を読みこんで自身の思うところを書く評論家も、みな、指の先、髪一本の先までの全身で、文学というものに本気で取り組んでいる。妥協もなく傍観もない。そうして読み手へと開かれていく。ひとつの小説というものは、作者が書いただけのものではない。まさに赤ん坊が産まれるがごとく、多くの人の力を介添えにして生まれ、生まれたらまたしてもだれかの助けを借りて、そして母体とは異なるいのちとして立って、世に出ていく。まさに、そんなようなものに思えてくるのである。

 私は以前、現代小説というのはただひとつそこに存在しているのではなくて、同時代を生きる作家たちが同時に創っているのではないかと思ったことがある。ある作品がほかの作家のインスピレーションを刺激したり、はたまた反発を抱かせたり、評論家の言葉が書き手のヒントになったり、というようななかで、私たちは小説にとどまらず何か大いなるものを--時代ととてもよく似たものを、作り上げているのではないかと、ふと思ったのである。もしかしてそれは、この編集者の姿から、私が知らぬうちに学んだことかもしれない。編集者が対面に感動した大御所作家の次世代、第三の新人と呼ばれる世代が登場し、その後、内向の世代と括(くく)られる作家たちが出てくる。現代文学史のなかでそんな括りを聞くと抵抗を覚えるが、ここで生き生きと書かれる作家たちの登場を読んでいると、みなつながり、かかわり合っているように思えてくるのである。

 作家の家を訪ね、小説論を交わし、原稿を読み、編集作業をし、社内で会議をし、作家が亡くなれば葬儀に駆り出され、表紙やカットの絵をさがし、未知の画家を見つけるために展覧会までまわっている。小説と、文学と、いや、読み手も含めその周辺で生きる人と、がっぷり四つに組んで対峙(たいじ)している編集者の姿が浮かんでくる。この人は、編集者の力というものを信じていたのだとしみじみ思う。小説を生み出し伝え、そうして時代を創っていく、その力を信じて、使い切ろうとしていた。三十代の編集者は、ただひたすらに駆けまわっていたのだろう。けれど今、はっきりとわかる。彼はたしかに文学においてある時代を創ったことが。

 きみの書くものは厭世(えんせい)的すぎると、私はデビューしたときから寺田氏に言われてきた。世のなかに残っているすべての小説は希望を書いている。希望を書きなさい。寺田氏がくり返した言葉の意味がわかったとき、ようやくある小説を書き、それで文学賞をいただいた。その祝いの席で、「きみは文学をサボらなかった」とこの老編集者は言った。引退しても、寺田氏は最期まで私にとって編集者だった。編集の力を知っている編集者がそばにいることは、なんと心強く安心なのかと思っていた。ひとりではないのだから。

 寄り添い、対話し、ともに闘ってくれるあの安心感を、読みながら思い出した。名物編集者はもういないが、そのたましいには触れることができる。この本の刊行に私は感謝する。
    --「今週の本棚:角田光代・評 『文芸誌編集実記』=寺田博・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140622ddm015070028000c.html:title]

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覚え書:「書評:柳田国男の話 室井 光広 著」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。

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柳田国男の話 室井 光広 著

2014年6月22日

◆災厄への予感にも鷹揚と
[評者]神山睦美=文芸評論家
 東日本大震災以後、柳田国男にふれた文章を目にすることが多くなった。柳田を民俗学の枠に収まらない普遍的な思想家とみなし、その文業をたどった本書もまた、3・11についての特別な思いから書かれた評論集といえる。
 『遠野物語』に、明治二十九年の三陸津波で被災した夫婦の不幸を語る哀切な民俗譚(たん)がある。柳田は災厄がもたらす不条理の念を死者と生者との三角関係の話として語りかけた。それは、男女の三角関係を災厄への予感と切り離すことのできないものとして描いた夏目漱石の思いにも通ずる。
 著者はこのような漱石の思いを、大逆事件に際して「時代閉塞(へいそく)の現状」を書いた石川啄木や、「私はいま、なんだか、おそろしい速度の列車に乗せられているようだ」と小説の登場人物に語らせた太宰治の中にも見いだす。さらには、宮沢賢治の童話作品の中に隠されている思いもこれに通ずるのではと語り、柳田の民俗学には、彼ら「東北原詩人」の血が流れていると述べる。
 しかし一方で、柳田は彼らのように不安や恐怖に駆り立てられるのではなく、ゆったりとした態度と、どこか鷹揚(おうよう)な歩みで、日本列島の山野河海を縦横に走り抜けたとも言う。それは、急な斜面をジグザグに上って行くスイッチバック走行によってだった。
 そういう柳田の民俗学を「平人の平語」で語られた「神聖平人喜劇」と名づける著者は、同じ民俗学でも「忘れられた日本人」をたずね歩いた宮本常一とも異なると言う。それは、柳田の感性の奥に刻み込まれた「おぐらきもの」への鋭敏な感受に由来する。
 著者はその「おぐらきもの」を近代以前の薄闇の中に探っていく一方、プルースト、カフカ、ボルヘス、ベンヤミンといった世紀末の作家の思想をたどることで、未来からやってくる禍々(まがまが)しい災厄への予感として語る。柳田のスイッチバック走行を印象づける遊歩人のようなその歩みと印象的な語りは、読者を魅了してやまない。
 (東海教育研究所発行、東海大学出版部発売・2970円)
 むろい・みつひろ 1955年生まれ。作家・評論家。著書『おどるでく』など。
◆もう1冊 
 『文芸の本棚 柳田国男』(河出書房新社)。柳田のエッセイや全集未収録の文章のほか、橋川文三や柄谷行人らの論考を収めるムック。 
    --「書評:柳田国男の話 室井 光広 著」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「書評:法然の思想 親鸞の実践 佐々木 正 著」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。

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法然の思想 親鸞の実践 佐々木 正 著  

2014年6月22日


◆「人間解放」でつながる師弟
[評者]武田鏡村=作家
 法然と親鸞の師弟関係と念仏信仰は、それぞれを開祖と仰ぐ浄土宗と浄土真宗の各教団によって、これまで分断されてあまり顧みられることはなかった。ようやく最近になって、二人のつながりを検証する機運が起こっている。本書は、その一冊となる。
 法然の念仏信仰の教えは、日本仏教で革命的なものであった。それまで貴族や僧侶など一部の特権的な人にのみ開かれていた仏教が、一般の人びとに解放されたからである。それは貧者や女性、病者、職業上で差別されていた人、これらを含めた「愚人・悪人」といわれる人に対しても、念仏を唱えれば、仏は誰一人差別することなく平等に救ってくれるという徹底した「信仰の解放」であった。
 法然の弟子となった親鸞は、生涯をかけて真摯(しんし)に法然の教えを継承して、「悪人こそが救いの対象である」と言明する。
 二人に共通するのは、人間に対する悲しみを持った優しさである。この優しい眼差(まなざ)しこそが、二人を結びつけ、不屈な信仰の道を歩ませたのである。
 当然ながら既成仏教からの弾圧を受けるのであるが、二人はそれさえもバネにして、あくまでも人間が平等に救われる信仰を追究する。その意味で二人の信仰は「人間解放」という思想的な意義がある。
 本書で気になることは、後世に書かれた各種の伝記の史料的な批判がないことである。たとえば親鸞が元摂政関白の九条兼実(かねざね)の娘と結婚したのは、法然が唱えたものの実行しなかった「肉食妻帯」を命じられて実践したものである、という伝説をそのまま受け入れていることである。
 こうした伝記を踏まえながら二人の教説を補強するのは、いささか難点があるように思われるのだが、主体的な信仰を求め続けた法然と親鸞が格闘しながら真正面から念仏信仰に取り組んだ姿勢を、本書が丹念に追っているところは注目に値するであろう。
 (青土社・2592円)
 ささき・ただし 1945年生まれ。長野県・萬福寺住職。著書『親鸞再考』など。 
    --「書評:法然の思想 親鸞の実践 佐々木 正 著」、『東京新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「引用句辞典 トレンド編 匿名性の原理が阻む “きずな”の構築」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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引用句辞典
トレンド編
匿名性の原則が阻む
“きずな”の構築
鹿島茂

[ぼっち席]
 「君はまだぼくには、ほかの十万人の子どもとまるで違いがない子どもさ。だから、ぼくは君がいてもいなくても気にしない。君のほうでも、君はぼくがいてもいなくても気にしないのだろ。ぼくは君には、十万匹のキツネと同じような一匹のキツネさ。だけど、君がぼくのなじみになってくれたら、君とぼくとはお互いになくてはならない者同士になる。君はぼくにとって、この世でたった一人の子どもになるし、ぼくは君にとってこの世でたった一匹のキツネになるのさ……」
(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『星の王子さま』稲垣直樹訳、平凡社)

 新校舎に移転し、毎週、大学の食堂で食事をとるようになった。驚いたのは「ぼっち席」と呼ばれる一人用の席がかなりの面積を占めていること。「ぼっち席」とは、大きなテーブルの真ん中に視線を遮る衝立が置かれていて、一人ぼっちの人間でも落ち着いて食事できるよう工夫された席のことである。私はこの「ぼっち席」に座ってカレーライスを食べているうちに、ゆくりなくも『星の王子さま』の有名な一節を思い出した。
 地球にやってきた王子がキツネを見つけて一緒に遊ぼうよと誘うと、キツネは「ぼくは君とは遊べない」「なじみになってもらっていないからね」と理由を述べる。「なじみになる」と訳されている言語はapprivoiser。野生動物を飼い馴らすという意味の特殊な動詞である。王子は突然そんな言葉は聞いたことがないから、意味を尋ねると、キツネは『きずなを結ぶこと』だと言い換え、「十万人の子ども」と「十万匹のキツネ」の関係性を説明し始めるのである。
 これは私流に解釈すれば「匿名性の原則」が支配する現代の社会においては、同一空間に一定時間一緒にいて積極的に相手の警戒心を解こうと努めない限り、「十万人の子どものうちの一人」が「たった一人の子ども」になることはありえず、友情も愛情も決して芽生えないという「関係性構築の困難さ」について語っているのだ。コンビニで毎日、同じ時間に同じモノを注文する客がいたとしても、従業員は「いつも同じ時間に同じモノを買っていきますね」などと話しかけてはならず、あくまで知らない者同士がモノと貨幣を瞬間的に交換するという貨幣経済の匿名形式を踏まなければならない。コンビニの「いらっしゃいませ」は「おれ(わたし)とあんたは赤の他人だからね」という匿名性原理の確認なのである。
 では、なにゆえにこうした匿名性の原則が支配する社会になってしまったのか?
 そのほうが面倒くさくないからである。全員が顔見知りでプライバシーが存在しない下町の長屋のような社会は鬱陶しいし、面倒くさいから、「お互いに赤の他人という約束にしよう」ということになったのだ。お互いが「たった一人の人間」になるよりも、全員が他人であるほうが面倒くさくないのである。そして、その面倒さ回避のためにありとあらゆる代行業が誕生したのである。これが日本社会の現状なのである。
 かくて、現代日本という星に舞い降りた「星の王子さま」は、匿名性の原則に阻まれていつまでたってもキツネを飼い馴らすことができず、理の当然として「きずなを結ぶ」こともかなわず、ひとり寂しく大学食堂の「ぼっち席」に座り続けることになるのである。
(かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句辞典 トレンド編 匿名性の原理が阻む “きずな”の構築」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:ペリー=保谷徹・選」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。


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今週の本棚・この3冊:ペリー=保谷徹・選
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 <1>ペルリ提督 日本遠征記 全4巻(ペルリ著、土屋喬雄、玉城肇訳/岩波文庫/品切れ)

 <2>幕末外交と開国(加藤祐三著/講談社学術文庫/994円)

 <3>黒船が見た幕末日本--徳川慶喜とペリーの時代(ピーター・ブース・ワイリー著、興梠一郎訳/阪急コミュニケーションズ/品切れ)

 一八五四年三月三一日、日米和親条約が締結されて今年で一六〇年である。この立役者は米国東インド艦隊司令長官ペリーであった。『ペルリ提督 日本遠征記』(ホークス編)は、米国議会上院版(全三巻)の遠征記本編にあたる第一巻の全訳である。ペリーは来日前から記録の編纂(へんさん)を企図し、遠征隊員に日記や覚書の提出を求めた。日本開国の使命を帯びたペリーの活躍ぶりを描いたこの公式報告書は、一九四八年に岩波文庫におさめられた。近年では全三巻の完訳版、遠征記本編の新訳版も出されている。

 ペリー来航と日本の開国を論じたものとしては石井孝や三谷博が知られ、加藤祐三『幕末外交と開国』も著者の長年の主張を要領よくまとめていて読みやすい。「発砲厳禁の大統領命令」をうけたペリーと「避戦主義」の幕府が、外交交渉にもとづく「交渉条約」を結ぶ。列強との戦争に敗北してより不平等性の強い「敗戦条約」を結んだ中国と比べ、平和的交渉による国際関係を樹立し得た幕府が決して「無能無策」ではなかったことが強調された。確かに決定的な戦争を避けたことは重要なポイントだが、攘夷(じょうい)論者徳川斉昭(なりあき)(水戸)を政権につなぎとめるため、武力に訴えても通商を拒絶するという無謀な方針が再三唱えられたことを直視する最近の研究もある(麓慎一『開国と条約締結』吉川弘文館)。攘夷主義との対決はもう少し長い目で見るべきなのかもしれない。

 ワイリーの『黒船が見た幕末日本』は辛辣(しんらつ)で明快だ。ペリー一族の歴史は「海軍への奉仕の歴史そのもの」だった。ペリーは、蒸気海軍の建設に力を注ぎ、米墨戦争で本国艦隊を指揮した。テキサスを併合した米国が太平洋岸カリフォルニアを獲得し、広大な領土を手に入れた戦争である。拡張主義者ペリーはさらに、「イギリスを打ち負か」し、「太平洋汽船航路のための港を確保する目的」で日本を目指し、威圧的な艦隊を準備した。蒸気軍艦に石炭補給は欠かせない。琉球や日本、小笠原での寄港地の確保は、新興国アメリカが北太平洋を手中にするワンステップであった。ベトナム反戦活動家だったワイリーは、かかる米国の「ペリー以来の独善的な干渉主義」を批判しつつ、「良き敗者」となった戦後日本まで見通して描いている。しかし、「良き敗者」としての「柔和な役割」が大きく変化しようとしている今、ワイリーはどのような歴史の教訓を示そうとするのだろうか。
    --「今週の本棚・この3冊:ペリー=保谷徹・選」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:加藤陽子・評 『海外戦没者の戦後史-遺骨帰還と慰霊』=浜井和史・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。


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今週の本棚:加藤陽子・評 『海外戦没者の戦後史-遺骨帰還と慰霊』=浜井和史・著
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 (吉川弘文館・1944円)

 ◇戦争責任めぐる真の議論の土台

 先の大戦の戦没者を、国家はいかに追悼すべきなのか。この問題について昨年、日本とアメリカの当局者間で演じられた政治劇を読者はご記憶だろうか。

 安倍首相は昨年、国会答弁やインタビューで次のように語ることが多かった。靖国神社とアーリントン墓地は戦没者追悼という点で同じようなものなのではないか、と。対するアメリカは、昨年10月、国務長官と国防長官二人を千鳥ヶ淵戦没者墓苑で献花させ、千鳥ヶ淵墓苑こそがアーリントン墓地に最も近い存在だとの認識を行動で示した。だが、12月26日、首相は靖国神社参拝の挙に出、対するアメリカは「近隣諸国との緊張を悪化させる参拝に失望」との声明を迅速に発表して応酬した。

 日米の攻防を見るにつけ、「戦後」は終わっていないと実感した次第である。そう感じていた矢先、戦後の日本が海外戦没者の遺骨帰還をいかに進めたのかにつき、アメリカの方針、フィリピンなど相手国側の対応、遺族の心情等を交えて豊かに描いた本書が現れた。

 巻末で著者は、「戦後」がいつまでも終わらないと嘆く必要はなく、「終わらないことの意味を問い続けること、それが許されている時代の方がずっと幸福なのだということを、われわれは銘記すべきであろう」と述べる。静謐(せいひつ)さをたたえるこの一文で巻を結んだ著者の本だからこそ、本書は信頼にあたいし、何度も読み返すべき著作となった。

 日中戦争開始以降の戦没者は約310万人であり、このうち日本本土以外(沖縄も含む)では約240万人が亡くなっている。だが、昨年の時点で日本に帰還しえた遺骨は約127万柱で、海外戦没者のほぼ半数に過ぎない。1952年における未帰還の遺骨数を示す史料によれば、最も高い未帰還率8割を超える戦場はフィリピンであって、硫黄島がそれに続くという。本書はこのような基本的な事実関係を外務省や旧厚生省作成の記録から丁寧におさえている。

 ついで著者は、遺骨に対する国家としての方針の変転を跡づけた。戦前の戦没者は火葬にふされた上で遺骨が内地還送される決まりであった。日露戦争や満州事変後の遺骨をめぐる公的儀礼は丁重を極めたものだったが、43年のガダルカナル撤退以降ともなると内地還送方針は放棄され、政府も軍も、遺骨箱の中身が何であれそれを英霊と見なすフィクションを遺族に強いていった。

 独立を回復した日本は、53年からアメリカ・イギリス・オーストラリア管轄下の島々やビルマ・フィリピン等へ遺骨収集団を送り、なしうる範囲で「代表的な遺骨」(象徴遺骨)を持ち帰った。アジア諸国が蒙(こうむ)った惨禍を考えれば、諸国が日本の遺骨収集団に示した反発の強さもうなずける。50年代の日本が、象徴遺骨の収容のみをもって、海外における全戦没者の遺骨帰還を完了したとみなしたのも無理からぬことだった。だが、国家が措定したそのようなフィクションは、遺骨が戻らない限り戦争は終わらないと考える遺族にとって認めがたいものだったに違いない。

 戦前戦後を通じ、遺族は国家の方針に翻弄(ほんろう)され続けてきた。還送された遺骨のうち、引き取り手のない遺骨を収容する場所として、国は59年、千鳥ヶ淵墓苑を創建する。だが遺族会は、靖国神社に代わりうる施設として同墓苑を是認しようとはしなかった。遺族会が示した躊躇(ちゅうちょ)の重さを想起すること一つから、日本の戦争責任をめぐる真の議論が始まるのではないか。本書はその重要な土台を築いてくれた。 
    --「今週の本棚:加藤陽子・評 『海外戦没者の戦後史-遺骨帰還と慰霊』=浜井和史・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『草のつるぎ--野呂邦暢小説集成3』=野呂邦暢・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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今週の本棚:高樹のぶ子・評 『草のつるぎ--野呂邦暢小説集成3』=野呂邦暢・著
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 (文遊社・3240円)

 ◇五感に訴えることで残る強烈な読後感

 当時野呂邦暢(くにのぶ)は九州でたった一人の芥川賞作家だった。諫早に住み、自然の息吹を体内で言語化して、瑞々(みずみず)しい作品を発表していた。その人が四二才で亡くなる数日前、彼の声を聞いたのは私ではなく夫だった。弁護士をしている夫に電話で相談があったのだ。自宅にかかってきたその電話をどうして私が取らなかったのか、今も無念が残る。彼の声を聞き損なった。

 野呂邦暢が没した昭和五五(一九八〇)年、私はデビュー作となった『その細き道』を書き、一二月号の文芸誌に発表した。芥川賞候補になり、そこからすべてが始まった。彼と私は、あの年すれ違い、入れ違いに作家生活に入ったのだ。

 『草のつるぎ』を読み返すとき多くの思いが溢(あふ)れ、本作の主人公同様に胸苦しく、けれど清々(すがすが)しく潔い心地になる。まずは全集刊行を喜びたい。

 次ぎにこの十余年芥川賞選考に関わり候補作を読んできた目に、この作品が強く新鮮に映るのは「なぜか」を考えないではいられない。

 陸上自衛隊の訓練で匍匐(ほふく)前進するとき、目の前に立ち塞がる切っ先鋭い草が、つるぎに見える。作者の自衛隊体験を元に書かれた。

 「膝と肘で体を支えてのたくる。草がぼくの皮膚を刺す。厚い木綿地の作業衣を通して肌をいためつける。研ぎたての刃さながら鋭い葉身が顔に襲いかかり、目を刺そうとし、むきだしの腕を切る。熱い地面から突き出たひややかな草」

 鋭い草は、まだ何者でもない青年が自衛隊に入り苦しい訓練に明け暮れるとき、彼の行く手に立ち塞がる人生の、未来への、試練や障壁を意味していると読んでしまうのは、モノや現象をメタファーして読むのが文学的習慣となっている私にとって、あるいは多くの文学者にとって、ごく自然なことではある。けれどそうした読み方が正しいのだろうかと、不意打ちをくらわせるのが、この『草のつるぎ』だ。

 鋭い草は表現されたとおり、主人公の肉体を苦しめる。その痛みは直接読者に迫る。けれどそれ以上のことを伝えているのだろうか。実感だけが鋭く存在する。だからこそこの草は、あおく猛々(たけだけ)しく魅力的なのではないか。

 在るのは身体の感覚だけ、それ以上でもそれ以下でもない。メタファーを意識する余裕もなく、必要もなく、ただ青年の身体と感性が在り、それが伝わってくる。

 そう気付いて見渡せば、野呂邦暢の文学は、意図してメタファーを潜ませることで文学性を深める小賢(こざか)しさなど無く、ただモノや現象がもたらす実感を、ひたすら真っ正面から伝えてくる。

 つまり、顔を刺す草が痛いのである。主人公が舐(な)める岩塩は苦く、泥は臭うのだ。

 意識や思考に働きかけるのではなく、五感を刺激する。頭脳でなく身体に訴えてくる。

 このような小説は、文学の深みを知れば知るほど書きにくくなる。とりわけ頭脳明晰(めいせき)な男性作家には無理だ。新人作家も同様で、実体験で得た五感の記憶が希薄なせいか、リアリズムで小説を書かない。鋭い草を描写しても、そこに何らかの小説上の意味を付与する。結果、生の実感を削(そ)いでしまう。

 野呂邦暢は、そのような小説創りをあえて忌避したのか、もともと関心のすべてが身体的実感にあったのかは解(わか)らない。

 けれど小説は、五感に訴えることで強烈な読後感を残す、という単純だが明快な真理が、彼の作品にはある。 
    --「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『草のつるぎ--野呂邦暢小説集成3』=野呂邦暢・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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書評:松田美佐『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア』中公新書、2014年。


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松田美佐『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア』中公新書、読了。「根も葉もない」とも「火のないところに煙は立たぬ」と両義性をもって扱われるのがうわさ。対極の受容ながらどこか今ひとつわかりにくい。本書は古典的研究を踏まえた上で「ネットで変容する『最も古いメディア』」(副題)の特質を明らかにする。

石油ショック下でのトイレットペーパー騒動や口裂け女といった都市伝説、東日本大震災下におけるチェーンメールやSNSでの不確か情報拡散など、具体的事象を本書は精緻に検証する。事実性を超えた物語は以外にも人々のつながり(関係性)を取り結ぶことには驚く。

「もっとも古いメディアであるうわさは、太古の昔から現在も、そしてこれからも、情報を伝えるだけでなく、人と人との“つながり”=関係性を結ぶ。さまざまな新しいメディアによってうわさも人と人との“つながり”=関係性も変容する」。

うわさと聞けば、強烈な反発と「もしかして」という二者択一で議論されがちだが、冷静にその本質を腑分けする本書の議論は、その本質を把握したうえで、どのように「付き合っていけばよいのか」読み手に示唆する。現代を理解する上での非常に秀逸な一冊。 


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うわさとは何か - ネットで変容する「最も古いメディア」 (中公新書)
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覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『太陽の棘』=原田マハ・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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今週の本棚:湯川豊・評 『太陽の棘』=原田マハ・著
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 ◇太陽の棘(とげ)

 (文藝春秋・1512円)

 ◇作家の決意が生きて、清潔で力強い作品に

 この小説では、骨太で直線的な物語が、力強い文体で進められる。その文体には、この物語をどうしても書きたいという思いがこもっているかのようだ。

 米国サンフランシスコで診療所をもつ、エドワード・ウィルソンという八十四歳の精神科医が、「私」という一人称で語るのだが、語り口は若々しい。六十年前の沖縄体験がいまも生きているからだ。

 スタンフォード大学医科大学院(精神科)を卒業したばかり、二十四歳のエドは、米国陸軍の従軍医に任命され、一九四八年、沖縄に赴任する。陸軍病院の精神科はチーフのウィルが二十九歳、エドが加わって全五名のスタッフで、診療所は那覇基地の仮兵舎のなかである。

 エドが、実家から送られてきた赤いポンティアックのオープンカーを遠慮がちに走らせて近くを見てまわるうち、首里の坂の上にあるニシムイ(北の森)・アート・ヴィレッジを発見する。沖縄のプロの絵描きたちが掘っ立て小屋のような家をたてて住んでいる一角で、そこでエドは、五、六人の画家たちに会った。

 その中心人物はセイキチ・タイラといい、英語が話せた。太平洋戦争前にサンフランシスコに留学し、二年間、絵を学んだ。メグミという沖縄出身の二世と結婚して帰国。戦前の東京美術学校に入り直し、卒業後は帝国陸軍の従軍画家だったというキャリアがある。戦後は沖縄に戻って、仲間を集めてニシムイ芸術村をつくった。

 たまたまそこに行きついたエドは、少年時代に絵描きになりたいと思ったほど絵画が好き。だからこれは宿命の出会いともいうべきことだった。タイラの仕事場で、最初に絵を見たときの場面。

 《青い海へと続く、白い一本の道。湧き上がる雲をたたえた陽光が満ち溢(あふ)れる空。うっそうと木々の繁(しげ)る森。……》

 女性の人物像も数点ある。「すばやいタッチ、鮮やかな色彩、おおらかな色面」のそれらの絵は、フランスの近代画家の影響がうかがわれるが、それでいて誰にも似ていない、きわめて個性的、と語られている。

 エドは何点かの絵を買い取るばかりではない。実家から油絵の具やカンバスを送ってもらい、タイラたちに分ける。そして休日には、沖縄の画家たちと一緒になって、絵を描きはじめる。敗戦後三年の沖縄で生まれた、地元画家とアメリカ軍医の奇蹟(きせき)みたいな交友である。沖縄戦の戦禍はなまなましく、生活は食うや食わず。その状況は背景としてしか書かれていないから、時代が映されていないという批判があるだろう。しかしだからこそ、この出会いは輝かしいともいえる。

 だが、米軍占領下の沖縄で、苛酷なドラマは起こるべくして起こる。

 タイラの妻メグミが米軍専用バー(Aサインバーか)にひそかにつとめていたが、エドに見つかってやめ、壺(つぼ)屋の焼き物づくりの窯でアルバイトをする。それに、タイラの仲間の画家、天才的だがアルコール依存症のヒガがからんで事件が起きる。結局は、エドがヒルという米軍少佐を殴り倒し、本国送還になる。エドとタイラたちの別れの場面は、意外性もあり、溜(た)め息が出るほど美しい。

 巻末の謝辞から察するに、サンフランシスコ在住の精神科医が語った実話がもとになっているようだ。物語にいかにも小説ふうという部分がないのは、よけいなことを書くまいとする、作家の決意による、と思われる。決意はみごとに生きて、清潔で力強い作品となった。
    --「今週の本棚:湯川豊・評 『太陽の棘』=原田マハ・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:内田麻理香・評 『好奇心の赴くままに ドーキンス自伝1』=リチャード・ドーキンス著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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今週の本棚:内田麻理香・評 『好奇心の赴くままに ドーキンス自伝1』=リチャード・ドーキンス著
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 (早川書房・3024円)

 ◇世を揺るがす科学者の飾り気のない自叙伝

 「生物個体は単なる一時的な遺伝子のヴィークル(乗り物)である」と説いた『利己的な遺伝子』で鮮烈なデビューを飾り、その後『神は妄想である』で徹底的な無神論の立場を表明し、世界中を震撼(しんかん)させたリチャード・ドーキンス。本書は科学者であり……いや、むしろ科学啓蒙(けいもう)家、思想家と呼ぶに相応(ふさわ)しい彼の自伝の前半である。彼の提唱する説は賛否両論を巻き起こすが、現在、科学界以外にも影響力を与える伝道師としては、世界でも屈指だろう。

 本書はまずドーキンス家一族の写真の口絵から始まる。アッパークラスが登場する古き時代の英国映画を見ているようだ。それに続いて登場するのが貴族に連なる十八世紀からの家系図。そう、ドーキンスは自ら認めるとおり、英国の特権階級であり、パブリック・スクール(英国では裕福な子弟が入学する私立学校)を経て、オックスフォード大学に入る。階級社会の英国での、典型的なエリートコースを歩んでいる。

 本文は、彼の十八番である遺伝子の話と絡め、先祖の話からスタートする。家系図と首っ引きで、ドーキンス一族の成功譚(たん)を読むのは、正直胸焼けがしなかったわけでもない。しかし、ドーキンス本人の誕生の話から物語が動き始める。彼の父が植民地省の官僚だったため、彼はアフリカで産まれ、幼年時代をアフリカで過ごした。彼が母の胎内にいるところから、幼年時代に至るまでの記録は、母の手記を元にしている。以下、読み進めるにつれて、本人の記憶の鮮やかさにも驚かされるが、彼の母のように日記などを綴(つづ)っていたのかもしれない。

 多彩な方面で能力を発揮するドーキンスであるが、どんな子ども時代を送ったのであろうか。これが、最初から完璧なのである。率直に過去を振り返っているが、自分で指摘する短所でさえも長所に見えてしまう完璧さなのだ。これは明らかに、凡人である私の僻(ひが)みであろう。しかし、読み進めていくうちに、感情をふんだんに交えた素直な回顧により、彼の性質の魅力に取り込まれていく。

 興味深いのが、現在はダーウィンを信奉し、さらに強烈な無神論者である彼であるが、少年時代は敬虔(けいけん)なキリスト教信者であり、神が生物をデザインしたという「創造論」に傾倒していた過去である。いずれにせよ、今の彼は創造論と対立するダーウィンの進化論を引き継いでいるし、『神は妄想である』を著す徹底した無宗教家となった。父方の先祖が七代も続く教区牧師だったことは皮肉だ。

 圧巻は、本書のクライマックスとなる『利己的な遺伝子』を出版するに至った背景を書いた章だろう。彼の人生の転機となったこの本に取り組んだ時の興奮が、圧倒的な熱量を持って伝わってくる。

 それにしても、ドーキンスの「伝記」ではなく、自身が「自伝」を記してくれたことは、私たちにとって幸運だろう。彼が読ませる文章の名手であることはもちろん、彼自身が当時と今の感情を細やかに、素直に描写している。プレップ・スクール(パブリック・スクールの予備校にあたる寄宿学校)で同級生のいじめを止められなかったこと、就職後の米国のカリフォルニア大学バークレー校で無意味なデモに参加し、同僚の先生に圧力をかけてしまったことを振り返り、悔いている。

 このような飾り気のないドーキンスの自伝は、彼のファンも心動かされるだろうし、彼に興味のなかった人にも彼の著作を手にとらせる力があるはずだ。(垂水雄二訳) 
    --「今週の本棚:内田麻理香・評 『好奇心の赴くままに ドーキンス自伝1』=リチャード・ドーキンス著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『自由への容易な道はない マンデラ初期政治論集』=ネルソン・マンデラ著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『自由への容易な道はない マンデラ初期政治論集』=ネルソン・マンデラ著
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 (青土社・2592円)

 昨年死去したネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領が、1953~64年に記した文章を集めた。マンデラには、欧米の喜ぶ穏やかな「人権派」イメージが強い気もする。しかし実は、単なる「平和主義者」でも逆に「暴力主義者」でもなかった。広範な政治勢力の結集に努めるが無原則な妥協はせず、組織の規律を重視し、武装闘争も辞さなかった。

 当時のマンデラは30代?40代。指導するアフリカ民族会議(ANC)の運動が高揚の果てに非合法化され、自身も62年から投獄された(90年釈放)。マンデラは、理想主義者でもあった。白人ではなく白人至上主義を、差別者ではなく差別を憎み、すべての住民=「アフリカ人」の国を創造しようとした。

 今の同国は、格差や貧困に苦しむ。マンデラの夢はすべて実現したわけではない。それでも、優れた政治家・活動家の蓄積と対話し、私たちが「政治的」なあり方を点検する大切さを改めて感じた。そこにこそ、マンデラによる未完の「革命」が、受け継がれる道もあるはずだ。解説は、反アパルトヘイト運動史の入門としても分かりやすい。=峯陽一監訳、鈴木隆洋訳(生)
    --「今週の本棚・新刊:『自由への容易な道はない マンデラ初期政治論集』=ネルソン・マンデラ著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 NPO弱体化の懸念=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年06月18日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
NPO弱体化の懸念
法人減税で租税特別措置見直し

湯浅誠 社会活動家

 世は決算期だ。私の関わってる一般社団法人は年間で十数万円の黒字を出し、法人税を納めそうだ。メンバー全員がボランティアということもあり、わずかな利益から納税することに釈然としないという声もあったが、国家財政難の折、わずかでも貢献できるのは喜ばしいことではないか、と私は意見した。
 さて、国の借金が1000兆円を突破する一方で、法人税の減税がほぼ決まりだと言う。法人税は1%下げると4700億円の税金がなくなる。減税して企業活動が活発化し、雇用が増え、全体の納税額が減税分を上回るなら結構な話だ。同時に、景気悪化時に税収の急激な落ち込みを防ぐためには、恒久的な代替財源が必要だ。そこで、特別に免除したり、税率を低く抑えてたりしていた部分に課税しようという動きが出てきた。しばしば取りざたされたのが、特定業種を過度に優遇していると批判の強かった租税特別措置だった。
 租税特別措置の仕組みは複雑で、財務省の資料を見ても、私のような素人にはわからないことが多い。私は漫然と、法人税減税で恩恵を受ける分野から調達するんだろうと思っていた。
 例えば、製造業は、法人税のシェア26%で約2・5兆円。法人税が1%下がると業種全体で1000億円超の利益増となる。他方、租税特別措置による控除額は約2000億円(いずれも2011年度)。法人税を2%下げる代わりに租税特別措置を廃止すると、業界全体としては「トントン」になる計算だ。
 実際は、租税特別措置は中小企業支援もあれば投資控除もあり、業種別で設定されているわけではない。ただ方向性としては、そうなるものだろうと思っていた。
 しかしここにきて、びっくりする話を聞いた。認定NPO法人のみなし寄付金や寄付金の損金算入特例が見直しの対象に挙がっているという。金額は両方合わせて約18億円。
 財政が厳しい中、小さいものでもかき集めてなんとか税収減を抑制したいという財務省の気持ちは、よくわかる。しかし、税制の構造改革を通じてゆがみを是正するというのならば、大きな恩恵を受けるところで調整するのが筋ではないだろうか。
 行政機能の縮小が避けられない中、認定NPO法人は行政の手の届かない福祉分野を新しい発想と行動力でカバーしてきたところが少なくない。法人税減税の返す刀でダメージを与えるべき相手ではないように思う。
 もし、業界団体の圧力の強弱によってある特別措置が温存されたり切り捨てられたりするのであれば、あまりにも露骨な利益誘導で「正義はいずこ」と言わざるを得ない。賢明な政治判断を期待したい。

法人税の引き下げ 法人の税負担を軽減して国際競争力を強化したい政府・与党が、来年度に実施する方針を固めた。国税と地方税を合わせた実効税率(東京都では35・64%)を中国(25%)や韓国(24・2%)並みにする構えだが、代替財源の確保など課題も多い。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 NPO弱体化の懸念=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年06月18日(水)付。

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Yuasa
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覚え書:「貘の檻 [編]道尾秀介」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。


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貘の檻 [編]道尾秀介
[掲載]2014年06月15日   [ジャンル]人文 

 嫌な夢を見た時、夢で良かったと思う。しかしそれは本当に夢だったのだろうか。作品ごとに作風を変えてきた作家の、8年ぶりの書き下ろし長編。幻想と仕掛けで楽しませるミステリー。
 主人公の男は失職し、離婚している。月に1度だけ会える息子を見送った後、目の前で女が電車にはねられた。死の直前、女はこちらを見ていた。彼女の名前は、主人公に古い事件を思い出させる。
 32年前の真相を知るため、少年時代を過ごした信州の村へ。山にめぐらされた水路、一枚の写真。美しさとまがまがしさが作品を覆う。夢と現実は少しずつ重なり合うが、そうして浮かんできた真実が、また違う顔を見せる。
    ◇
 (新潮社・1944円)
    --「貘の檻 [編]道尾秀介」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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覚え書:「文芸誌編集実記 [編]寺田博」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。


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文芸誌編集実記 [編]寺田博
[掲載]2014年06月15日   [ジャンル]文芸 

 1961年秋、河出書房新社に入った著者は坂本一亀編集長の下で復刊された雑誌「文藝」で、文芸誌編集者を始める。初めは編集長の指示で、やがて自身で企画を立て、執筆者に会い、原稿を依頼し、受け取る。誰のどんな作品が、どういう評価を受けたか、「実記」らしく淡々と、しかし当時の熱を思い出すようにつづられる。高度経済成長が始まるころ、「文学と政治」「純文学とは」などの問題軸の地盤が変わろうとしていた。高橋和巳が登場し、正宗白鳥が他界した62年から7年ほどの記録。正面から取り組んだ著者に、文学と文芸誌と編集者の有機的な結びつきが体現される。戦後の代表的な文芸編集者の原点、助走期間でもあろうか。
    ◇
 (河出書房新社・2160円) 
    --「文芸誌編集実記 [編]寺田博」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014061500006.html:title]

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覚え書:「記者の目:元ハンセン病患者、2人の死=塩田彩(前橋支局)」、『毎日新聞』2014年06月19日(日)付。


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記者の目:元ハンセン病患者、2人の死=塩田彩(前橋支局)
毎日新聞 2014年06月19日 東京朝刊

(写真キャプション)再現された重監房。正面の扉の左奥に独房がある=群馬県草津町の国立療養所「栗生楽泉園で、塩田彩撮影


 ◇「負の歴史」国が保存を

 ハンセン病患者に対するかつての国の強制隔離政策を糾弾し、人権を取り戻すために闘い続けた元患者2人の訃報が5月に相次いだ。元患者たちの高齢化が進み、彼らが自ら体験を語れなくなる日は遠くない。ハンセン病問題の負の歴史を未来に伝え、同じ過ちを繰り返さないため、全国すべてのハンセン病療養所の保存と活用を早急に進めなければならないと思う。

 ハンセン病は感染力が弱いにもかかわらず、国は1907(明治40)年から患者と元患者を山奥や離島の療養所に強制隔離し、90年近くも差別し続けた。患者らの姿が欧米人の目に触れることを「国辱」と考えたのだ。この隔離政策を違憲と断じた熊本地裁判決が2001年に確定し、国は元患者に謝罪し名誉回復や社会復帰支援を約束した。だが、根強い偏見や差別から、今も親族と絶縁したままや実名を名乗れないままといった元患者が多くいる。

 ◇平均年齢83歳、時間との闘い

 群馬県草津町で5月9-11日に開かれたハンセン病市民学会総会・交流集会を取材した。10日の集会は、前日に急逝した全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)会長、神美知宏(こうみちひろ)さん(80)への黙とうで始まった。翌11日朝、今度はハンセン病国賠訴訟全国原告団協議会(全原協)会長、谺雄二(こだまゆうじ)さん(82)の訃報が駆け巡った。2人は国を相手に元患者の権利交渉の最前線に立ち続けてきた。「二つの大きな星を失った。断腸の思いだ」。谺さんが亡くなった朝、国立療養所「栗生楽泉園(くりうらくせんえん)」(草津町)の入所者自治会長、藤田三四郎さん(88)が言った。元患者や支援者の気持ちを代弁する言葉だ。

 ハンセン病への差別と偏見の歴史について、生き証人として体験を語り、あるいは詩や句歌で表現してきた元患者たちがここ数年、次々と他界している。全療協によると、全国13の国立療養所に入所する元患者1840人(5月1日現在)の平均年齢は83・6歳。毎年約150人が亡くなっているという。

 ◇再現「重監房」で人権侵害を知る

 2人が亡くなる10日ほど前の4月30日、かつて全国のハンセン病患者を懲罰のために監禁した「重監房」を再現する資料館が栗生楽泉園に完成した。4畳半ほどの独房に入る。房は高さ4・5メートルの塀に囲まれ光がほとんど届かない。氷点下15度近くになる冬も暖房器具はなく、食事も少量だったという。38-47年に延べ93人が監禁された。期間は最長で549日に及んだ。収監中や出所直後に23人が死亡したと言われる。

 収監された青年がカラスの鳴きまねをしたり、食事用の木箱に大便を入れたりする様子を目撃した元患者が「彼は気が狂ってしまったようだった」と証言したことを暗闇の中で思い出し、心細い気持ちになった。重監房跡から出土した卵の殻や牛の骨も展示されていた。収監者への差し入れとみられる。極限状態で生き延びようとした患者らの強い意志と、彼らを支えようとした人々の思いも感じた。

 全療協や全原協は「療養所は強制隔離の現場であり、アウシュビッツにも比すべき国の負の遺産である」として、全国すべての療養所とそこにある納骨堂を国の責任で永久保存することを求めている。実現すれば、重監房資料館のように、患者たちが受けた人権侵害を追体験し、その中でも生き抜こうとした人間の力強さを感じ取ることができるはずだ。しかし、厚生労働省から明確な回答はない。13の国立療養所内にある一部の建造物や跡地の保存について検討を進めるのみだ。

 重監房の再現は簡単ではなかった。国立ハンセン病資料館の黒尾和久学芸課長は「歴史の闇に葬り去られる直前に食い止めた」と話す。国の施設なのに公式資料がほとんど残っておらず、当時を知る元患者のほとんどが他界していたからだ。全国の療養所の保存も時間との闘いである。谺さんは生前、「人間の尊厳のすべてを奪われた私たちが100年にわたるたたかいによって人間回復を遂げた各園それぞれの存在こそ、わが国の『人権のふるさと』だ」と、すべての療養所の保存を求めた。国は今こそ、この訴えに真剣に向き合うべきだ。

 谺さんの遺作となった詩文集「死ぬふりだけでやめとけや」(みすず書房)を編集した作家、姜信子(きょうのぶこ)さんは神さんと谺さんを悼み、次のように語った。「当事者が亡くなった後、詩を受け渡された私たちがどうやって命について考え、表現し、行動し、伝えていくのか。私たち自身が始まりの場所に立たされている」。ハンセン病問題を語り継ぎ、平穏に生きる権利を奪われない社会を実現するため、「二つの巨星」の遺志を受け継ぐスタートを切りたい。 
    --「記者の目:元ハンセン病患者、2人の死=塩田彩(前橋支局)」、『毎日新聞』2014年06月19日(日)付。

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覚え書:「(集団的自衛権)敵兵殺す覚悟、できなかった 石田雄・東大名誉教授」、『朝日新聞』2014年06月17日(火)付(夕刊)。

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(集団的自衛権)敵兵殺す覚悟、できなかった 石田雄・東大名誉教授
2014年6月17日


 「人殺しを命じられる身を考えて」。本紙「声」欄に10日、そう題した投稿が載った。投稿者は、太平洋戦争の軍隊経験を持つ政治学の碩学(せきがく)、石田雄(たけし)・東大名誉教授(91)。集団的自衛権の行使容認の動きに、「戦争を経験した人間として、言っておきたい」とペンをとった。投稿にこめた思いを聞いた。

 東北大在学中の1943年、学徒出陣で出征した。関東地方の重砲(大砲)兵連隊などで、終戦まで軍隊生活を送った。

 戦争は国民の命を守るため、平和のためだと美しく宣伝されていた。軍隊は国民の期待を背負っていた。自身も愛国心を抱いた軍国青年だった。

 しかし軍に入り、飢える国民を尻目に上官が接待で飲み食いするなどの腐敗に幻滅する。命令に躊躇(ちゅうちょ)したり疑問を抱いたりしても、暴力で封殺された。

 「権力は批判を受けないと、無限に腐敗する。権力を持った支配者は、安全な場所で仲間同士で都合のいいことをするようになる」

 兵士として一番苦痛だったのは、命令されれば人を殺さないといけないことだった。子どもの頃、警視総監の父が就寝中も機関銃を持った侵入者の襲撃を警戒しており、人を殺す武器への恐怖心が染みついた。実際に殺人を命じられることはなかったが、自分と同様に命令されて動いているだけの敵兵を、殺す覚悟はできなかった。

 美しい言葉で隠されていた現実を経験した立場から、いまの安倍晋三首相の言説に危うさを感じる。

 首相は集団的自衛権で対応する例として、避難する日本人を乗せた米国の艦船を自衛隊が守る例を挙げ、「子どもたちが乗る米国の船を、私たちは守ることができない」と訴えた。

 「『命を救う』などと感情に訴える言葉が、無責任な政策決定の口実に使われている。国民は一時の感情を駆り立てる言葉に乗せられず、行使の結果を論理的に予測するべきだ」

 集団的自衛権が使えるようになれば、他国を守るための武力行使が容認される。自民公明両党は限定的に行使を容認する方向で調整しているが、条件をつけたとしても、戦場で「条件をはずれるから」と途中で抜けるのは現実的には難しいとみる。

 「戦場では命令系統が一元化され、自衛隊は実質的に米軍の指揮下に入らざるをえないだろう。集団的自衛権を認めると米国との関係は有利になるかもしれないが、相手国から見れば、日本は敵になる」

 敵を増やす結果、自衛隊員の犠牲、本土への報復、在外邦人への危害など、逆に国民の生命が脅かされる危険が増す可能性を指摘する。小さな武力紛争の積み重ねで緊張が高まり、歯止めがきかなくなったのが過去の戦争の歴史だ。他国での武力行使を容認する結果が、「小競り合いで済むと思っていると、とんでもないことになる」。

 自国のための殺人さえためらうのに、日本人の命を救うことにつながるかわからない「他国にとっての敵」の殺害や、それが招く報復は、兵士や日本社会にとって「納得できないものになる」と考える。「政府は、最も大きな犠牲を払わされる人の身になって、政策を考えるべきだ。声を上げてそれを促すのが、主権者である国民の責任だ」(高重治香)

     *

 いしだ・たけし 1923年生まれ。学徒出陣後復員し、東大で故丸山真男に師事。東大社会科学研究所長、千葉大教授などを歴任。著書に『日本の政治と言葉』ほか。

 ■10日付「声」の要旨

 集団的自衛権の容認などにより、海外で「敵」とされた人を殺す任務を果たす兵士が必要になる。私は学徒出陣の時、人を殺す自信が持てなかった。しかし、命令されれば誰でも、いつでも人を殺さなくてはならないのが軍隊だ。戦争で人を殺した米兵が、心の問題で悩んでいる例は少なくない。安倍首相には、殺人を命じられる人の身になって、もう一度憲法9条の意味を考えてほしい。(東京本社版掲載)
    --「(集団的自衛権)敵兵殺す覚悟、できなかった 石田雄・東大名誉教授」、『朝日新聞』2014年06月17日(火)付(夕刊)。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11195024.html:title]


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覚え書:「テキヤはどこからやってくるのか?--露店商いの近現代を辿る [著]厚香苗 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。


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テキヤはどこからやってくるのか?--露店商いの近現代を辿る [著]厚香苗
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2014年06月15日   [ジャンル]人文 社会 


■洗練された相互扶助のシステム

 神社の縁日などで露店を連ね、綿あめやタコ焼きを売る「テキヤさん」。わくわくするようなムードを運んできてくれる、お祭りには欠かせない存在である。
 かれらはいったい、どこからお祭りにやってくるのか。映画『男はつらいよ』の主人公・寅さんもテキヤさんで、全国を旅している。そのイメージもあり、お祭りを追って旅から旅の毎日を送っているのかなと思っていたのだが、実はかれらは、基本的には近所(十二、三キロ圏内)から来ていたのだ!
 著者は実際にテキヤに同行し、関係者に取材をして、テキヤの縄張りやしきたりを調査する。また、近世・近代の文献や絵画を調べ、テキヤのあいだにどういう信仰や言い伝えがあるのかひもといていく。外部からはなかなか見えにくく、明文化されにくい、テキヤの日常や風習に見事に迫った一冊だ。
 縁日で、神社の境内のどこにどんな露店を配置するかを、だれが指示しているのか。縄張り以外の場所へ行って商売するときは、地元のテキヤにどう挨拶(あいさつ)し、どこに泊まればいいのか。非常に洗練された、テキヤ間の相互扶助的なシステムが構築されていることがわかる。西国、東国、沖縄とで、それぞれ微妙にテキヤの慣習がちがうらしいというのも、興味深い。いろんな地域の縁日に行って、ちがいを見わけられるか試みたくなってくる(素人にはむずかしそうだが)。
 露店は家族経営で、女性も一緒になって働く。テキヤ界で、女性がどういう立ち位置にあるのかに光を当てたのも、本書の非常に重要な部分だろう。著者は取材対象者との距離感が適切で、それゆえに相手から信頼され、公正で充実した研究として結実したのだと思う。
 テキヤさんの生活や伝統を知ることができ、その存在にますます魅力を感じた。今年の夏祭りが楽しみだ。
    ◇
 光文社新書・821円/あつ・かなえ 75年生まれ。文学博士。慶応大学、立教大学非常勤講師など。
    --「テキヤはどこからやってくるのか?--露店商いの近現代を辿る [著]厚香苗 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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覚え書:「アメリカの家庭と住宅の文化史--家事アドバイザーの誕生 [著]サラ・A・レヴィット [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。


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アメリカの家庭と住宅の文化史--家事アドバイザーの誕生 [著]サラ・A・レヴィット
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2014年06月15日   [ジャンル]歴史 社会 


■「家庭を作る」行為を掘り下げる

 メディアでお馴染(なじ)みの、暮らしを美しく演出する「家事アドバイザー」。この職業には、アメリカ生活文化史との深い関わりがあったのだ。本書は、1850年から1950年にかけてアメリカで家事アドバイザーが扱ってきた文化的テーマを詳解する。
 18世紀末、アメリカ人は生活の知恵を英国からの輸入頼みではなく、独自に開発し始めた。背景には、白人中産階級の人口増加と女性読者層の増大があげられる。やがて19世紀中期から後期にかけて、家事アドバイザーは女性向けの小説や料理本の系譜を発展させ、家庭生活に関するアドバイスという分野を確立させていく。この時期家事アドバイザーは、家庭・女性・キリスト教の間の理想的な関係性を強調した。日常的に繰り返される家事に信仰心や愛国心の表現を盛り込むことにより、世界各国から集められた人々は、生活感情から「アメリカ人」になっていったのだ。
 20世紀に入ると、宗教から科学へと権威の基盤は移る。合理的で衛生的な家事の理念はやがて「アメリカ化」と結びつき、移民の教化に活用されていく。家事アドバイザーたちは、家庭の行動様式を変えることにより、社会を改善することができると信じた。それは弱者への慈善や啓発活動とも結びつき、ソーシャルワークへと発展した。
 筆者は述べる。「家具やカーテン、浴室備品そのものに、倫理的な特質や特徴があるわけではない」が、家事のアドバイスこそが「これらの物質に文化的な意味と特徴とを与えるのである」と。家庭を作るという行為とその文化的理想を掘り下げることは、単に女性たちの狭く私的な世界を解明することにとどまらない。それは国家的な課題や、ときに公共性の矛盾をも浮き彫りにする。その重要性は今日でも変わらない。戦後アメリカ型家庭生活を追い求めてきた私たちにとっても、誠に示唆に富む。
    ◇
 岩野雅子・永田喬ほか訳、彩流社・4536円/Sarah A. Leavitt 米ナショナルビルディング博物館キュレーター。 
    --「アメリカの家庭と住宅の文化史--家事アドバイザーの誕生 [著]サラ・A・レヴィット [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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覚え書:「謝るなら、いつでもおいで [著]川名壮志 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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謝るなら、いつでもおいで [著]川名壮志
[評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)  [掲載]2014年06月15日   [ジャンル]社会 


■二重の立場、悩み揺れる記者

 本書の題材は、10年前に起きた「佐世保・小6同級生殺害事件」。被害者は、著者の上司である新聞社支局長の娘だった。本書は「衝撃の真実を追う」といった性格の本ではない。誰が誰を殺したかは、事件が発覚した当初からわかっている。一方で、その背景を説明しようとする言葉(例えば「心の闇」!)は、当事者たちが受けた衝撃に比して、あまりに軽い。図らずも事件に関わることになった記者たちはそこで懊悩(おうのう)する。
 通常、事件が起きると、記者たちは手さぐりで記事を書き始める。警察発表や関係者取材などの断片的な情報を頼りに、事のあらましを整理していく。そのうえで事件の「教訓」を模索し、旬を過ぎると、また次の事件を取材する。
 だが著者は、「取材する側」であると同時に「取材される側の身内」となったことで、自らの仕事の意味を問い直す。その姿を通じて、事件報道の役割とその限界があぶりだされる。
    ◇
 集英社・1620円 
    --「謝るなら、いつでもおいで [著]川名壮志 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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書評:内田樹・中島岳志・平松邦夫・イケダハヤト・小田嶋隆・高木新平・平松克美『脱グローバル論 日本の未来のつくりかた』講談社、2013年。


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内田樹・中島岳志・平松邦夫・イケダハヤト・小田嶋隆・高木新平・平松克美『脱グローバル論』講談社、読了。平松前大阪市長主催の公共政策ラボでの連続シンポジウムの記録。グローバリスト=ナショナリスト・イデオロギーにどう対抗するのか。「日本の未来のつくりかた」(副題)を多分野の識者が構想する。

世界は急速にフラット化し、国民国家の諸々の障壁が融解し、風通しがよくなると夢想されたグローバリズムだが、日本での実態とは「社会制度を『弱者ベース』から『強者ベース』に書き換える動き」がその実だったのではないだろうか。しかも、その20年の歩みにおいて、多くの国民が嬉々として同意署名したのは不思議なことだ。

グローバル人材wの要件とは何か。それは「高速機動性」。その本質は素早さだ。英語でガシガシ交渉し「自分の祖国が地上から消えても、自分の祖国の言語や宗教や食文化や生活習慣が失われても、私は別に困らない」と言い切れる人間たちが「最強」と格付けされる。

しかしグローバル人材とは「その人がいなくなると困る人がまわりに1人もいない人間」のことでもある。再弱者と格付けされるのは、「地に根付いた」最底辺の労働者・最も非活動的な消費者だが、地に根付いた人々こそミニマム社会へのスライドへの先駆となろう。

4回のシンポジウムは「グローバル社会VS国民国家のゆくえ」、「おじさんと若者たちとの対話」、「衆院選直前! 『政治』について考えよう」、「新しいジモト主義が日本を救う」。「地味でもいいから少しづつ『気付いた人』の輪を広げていきたい」(平松)。


 


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覚え書:「王朝小遊記 [著]諸田玲子 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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王朝小遊記 [著]諸田玲子
[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)  [掲載]2014年06月15日   [ジャンル]歴史 人文 


■「ホンモノの平安人」の冒険活劇

 少し前までは、テレビをつければどこかで時代劇を放映していて、舞台はほとんどが江戸時代であった。古文書、物語、歌舞伎に浮世絵。残された情報が豊富なので、江戸社会を復元するのは、比較的容易なのだ。
 かかる風潮の中で、きわめて例外的に、著者は千年も前の平安時代にチャレンジする。例えば『王朝まやかし草紙』『髭麻呂(ひげまろ)』『末世炎上』。加えて、本書である。その勇気に、先(ま)ずは拍手を送りたい。
 平安というと、一般には衣擦(きぬず)れの音麗しきお姫様の世界で、歌舞音曲に彩られた絢爛(けんらん)たる王朝絵巻が繰り広げられて……というイメージがあるらしい。そのため私も参加した「平清盛」という長編ドラマが当時の京の様子を史実重視で再現したところ、さる県知事さんから「画面が汚い」とお小言を頂戴(ちょうだい)した。
 けれども裕福な貴族は現代の議員さんより数少なくて、人口の大半を占める庶民の家にはトイレもフロもなかった。いや家のない人も大勢いて、いったん病がはやろうものなら、人はバタバタと死んでいく。こんな社会が「汚く」ならぬわけがあるまい。
 そうした苛酷(かこく)な環境にあっても、屍肉(しにく)をあさる「野犬・カラス」(この物語の裏の主人公)と格闘しながら、人は懸命に生きようとする。著者がやさしく見つめるのは、まさに「ホンモノの平安人」たちなのである。
 ときは万寿二年(1025年)、藤原道長の晩年。物売女、没落官人、主(あるじ)のない女房、貴族の不良少年、太宰府帰りの勇士。ひょんな事がきっかけで彼らは出会い、右大臣藤原実資(さねすけ)(その日記が小遊記ならぬ『小右記〈しょうゆうき〉』)の勢力下に集う。そして相互の絆だけを武器にして、都の闇に跳梁(ちょうりょう)する鬼に立ち向かっていく。果たして彼らは、恐るべき鬼の正体を暴けるのか。みごと鬼を退治できるのか。軽妙で暖かい冒険活劇を、ぜひ味わっていただきたい。
    ◇
 文芸春秋・1728円/もろた・れいこ 54年生まれ。作家。小説『其(そ)の一日』『奸婦(かんぷ)にあらず』など。
    --「王朝小遊記 [著]諸田玲子 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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覚え書:「壽屋コピーライター 開高健 [著]坪松博之 [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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壽屋コピーライター 開高健 [著]坪松博之
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2014年06月15日   [ジャンル]人文 社会 


■庶民を代弁し簡潔に時代を貫く

 やっぱり最後は開高健という本好きは少なくないと思う。釣り、酒、旅に酔った自由な生き方。そこから生まれるズドンと腹に堪(こた)える言葉の数々。同じ文筆でメシを食っている人間に自分の文章を恥ずかしいと思わせるほどの豪華な文体。男の格好よさがあれだけにじみ出た作家は確かに他にいない。
 本書はその開高健の広告人としての側面に光を当てた異色の評伝だ。開高が壽屋(現サントリー)のコピーライターだったことはよく知られているが、あの言葉の職人の原点がこの時代にあったのか、という発見があり興味深い。
 本書に描かれているのは、一企業と一人の人間との最も幸福な関係の一形態であるように思われる。あらゆる事象、その周りの空気までも焼き尽くすかのように描写しきろうとした若い作家が、宣伝コピーを手掛けることでいかに洗練されたか。同時に庶民の心を代弁し、簡潔に時代を貫く開高のコピーを得ることで、サントリーのウイスキーがいかにお茶の間に浸透したか。時代が許したのかもしれないが、その関係は幸福としか形容しようがない。
 読んでいて思い浮かんだのは有機的という言葉だ。分裂と増殖を繰り返す細胞間結合のようにお互い成長したからこそ、開高の死に佐治敬三はあれだけ悲嘆したのだろう。人間として付き合った両者の関係は、開高なくしてサントリーなし、サントリーなくして開高なしといった感があり、「なにも足さない。なにも引かない」のコピーでも知られる同社のシングルモルトウイスキー山崎のようだ。
 読後に清々(すがすが)しい風が吹き抜ける人間賛歌の好著である。同社の社史的性格も漂うが、しかしそれでもお薦めだ。ただ、気をつけて欲しいのは通販サイトでつい開高本をポチッと押したくなること。私は二冊の未読本を購入した。
 あと山崎も飲みたくなるので、これもご注意を。
    ◇
 たる出版・1944円/つぼまつ・ひろゆき 60年生まれ。開高健記念会理事。元「サントリークォータリー」編集担当。
    --「壽屋コピーライター 開高健 [著]坪松博之 [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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覚え書:「幻想のジャンヌ・ダルク--中世の想像力と社会 [著]コレット・ボーヌ [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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幻想のジャンヌ・ダルク--中世の想像力と社会 [著]コレット・ボーヌ
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2014年06月15日   [ジャンル]歴史 社会 


■中世の終わりを刻印した乙女

 1430年5月、ジャンヌ・ダルクは仏コンピエーニュ郊外でイギリス=ブルゴーニュ派の手に落ち、翌年5月、英国支配下の仏ルーアンで異端裁判を受け火刑に処された。しかし、その後も生存説が信じられ、何人かのジャンヌが再来した。本書は「ジャンヌはイエス=キリストを徹底して模倣して同一化するところまで行った」とみる。
 近代の始まりがコペルニクス革命(1543年)だとしても、それが自動的に中世の終わりを意味しない。評者には、ジャンヌに対する異端告発の無効裁判が行われた1456年こそが、最も相応(ふさわ)しい区切りと思える。
 ジャンヌは、キリスト教世界のなかで特別な存在である仏国王の聖別式を行って「王の血の権利を視覚化」した。パリ大学がジャンヌを異端のかどで裁くことを求めてきたとき、仏王シャルル7世は彼女のためになにもできなかったが、死後4年たった35年の百年戦争の和平交渉のとき、ジャンヌの「英国人はこの地を去る」という預言(よげん)は的中する。これを受けたランス大司教による「仏国での権利を放棄し、英国民をすべて英国へ」との提案は、国民国家への進展を意識させるものだ。
 だが、それはジャンヌのもう一つの使命、「キリスト教世界全体に向けられ」た聖地奪回という中世的理想の放棄につながる道筋でもあった。そして、近代へ移行する節目には、ウエストファリア条約や東インド会社の登場のみならず、中世の墓銘として、ジャンヌの「魔女」「女魔術師」「聖女」幻想の決着が求められたのである。
 61年7月のシャルル7世の死は「預言者ブーム沈静の合図」となった。「『乙女』は存在しなくなった」のであり、「民衆の声が神の声であるような必要の時代は過ぎ去っていた」。英仏百年戦争や教会大分裂の「危機の時代」が終わって、新しい「国民の時代」が芽吹き始める。
    ◇
 阿河雄二郎他訳、昭和堂・6480円/Colette Beaune 43年生まれ。パリ第10大学名誉教授(中世仏政治・思想史)。
    --「幻想のジャンヌ・ダルク--中世の想像力と社会 [著]コレット・ボーヌ [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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幻想のジャンヌ・ダルク―中世の想像力と社会
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覚え書:「どう動く:集団的自衛権 私の意見/3 「限定的」ありえない 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん(63)」、『毎日新聞』2014年06月16日(月)付。


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どう動く:集団的自衛権 私の意見/3 「限定的」ありえない 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん(63)
毎日新聞 2014年06月16日 東京朝刊

 集団的自衛権の行使の容認に、外交的なメリットは何もない。海外での戦争に巻き込まれれば、自衛隊員の死傷者が出るし、日本も敵国によるテロの対象となるだろう。そのようなリスクが伴うにもかかわらず、海外での軍事行動が米軍の作戦統制下でなされる以上、戦術について日本政府には決定権がない。

 70年間戦争をしなかった国がいきなり自国を攻撃してもいない国との戦闘行動に入るわけだから、日本を敵視する国を新たに作り出すだけでなく、第三国からの信頼を著しく損ない、米国以外に友邦を持たない孤立国家になるだろう。

 「限定容認論」も特定秘密保護法がある以上、何の意味ももたない。軍事衝突が起こればそれに関する情報はただちに特定秘密に指定され、国会もメディアもそこで何が起きているかについて知る権利を失う。軍事行動が「限定的」かどうかを行政府ひとりで判断する以上、歯止めになることは論理的にありえない。

 解釈改憲は、憲法本文には手をつけないで、9条空洞化の「実だけを取る」ために思いついた米国向けの苦し紛れの政治的曲芸以外の何ものでもない。国会答弁を見ても分かる通り、安倍晋三首相は国民には説明責任を果たす気がない。不誠実というより、説明できないのだ。条理の通った説明をしようとしたら、「国防政策について日本は米国の許諾を得ないと何も決定できない」という従属国の現実から語るしかないからである。【聞き手・一條優太】=随時掲載

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 ■人物略歴

 ◇うちだ・たつる

 東京都立大大学院博士課程中退。多田塾甲南合気会師範。専門はフランス現代思想。著書に「街場の憂国論」など。
    --「どう動く:集団的自衛権 私の意見/3 「限定的」ありえない 神戸女学院大名誉教授・内田樹さん(63)」、『毎日新聞』2014年06月16日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140616ddm041010158000c.html:title]


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街場の憂国論 (犀の教室)
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覚え書:「書評:高齢者が働くということ ケイトリン・リンチ 著」、『東京新聞』2014年06月15日(日)付。


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高齢者が働くということ ケイトリン・リンチ 著

2014年6月15日


◆生きている実感得る
[評者]中沢孝夫=福山大教授
 本書は米国ボストンの郊外にある約四十人が働く、特殊な注射針などをつくる工場(ヴァイタニードル社)の物語である。この工場の半数以上の従業員が七十四歳以上であり、最高齢者は九十九歳。元ウエートレス、元自動車工、元建築士など、前歴は多彩だ。みなパートタイムだが、共通するのは、いつまでも仕事に従事し、賃金を受け取り、いつも仕事の工夫(日本で言えば改善)をして、仲間とのコミュニケーションを大切にし、社会と関わっていることを実感していたいという意思をもっていることである。
 仕事内容は、針を削ったり、それを注射器に添付したり、製品を梱包(こんぽう)したりといろいろだが、従業員はみな仕事熱心。早朝三時半から出勤する人とか、勤務時間はバラバラだが、企業として立派に利益をあげている。一九三二年の創業で、今の社長は四代目だ。高齢社会化の中で彼らを経済的・社会的に支える試みとして同社は世界のマスコミから注目され、働くこと、老いること、人生の意味、といったことを改めて考えさせてくれる。
 本書にも記されるように、日本の高齢者の就業率はとても高い。評者の取材する中小企業でも、七十歳を超えている人が働いているのは一般的だ。また彼らの心象風景は本書の登場人物と共通している。生きる上での「働くこと」の重要性を実に見事に描いた本である。
 (平野誠一訳、ダイヤモンド社・2592円)
 Caitrin Lynch 米国オーリン大准教授、人類学。
◆もう1冊 
 徳間書店取材班著『最高齢プロフェッショナルの教え』(徳間書店)。八十歳を超えて第一線に立つ職人や達人を取材。
    --「書評:高齢者が働くということ ケイトリン・リンチ 著」、『東京新聞』2014年06月15日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014061502000183.html:title]

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高齢者が働くということ---従業員の2人に1人が74歳以上の成長企業が教える可能性
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覚え書:「【書く人】時代つくった「梁山泊」 『「現代思潮社」という閃光』 文筆家 陶山 幾朗さん (74)」、『東京新聞』2014年06月15日(日)付。


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【書く人】時代つくった「梁山泊」 『「現代思潮社」という閃光』 文筆家 陶山 幾朗さん (74)

2014年6月15日


 かつて現代思潮社(現在は新社)という出版社があった。小さいながら、一九六○~七○年代の文化の先端を拓(ひら)き、異彩を放った出版社だ。メルロ = ポンティ『ヒューマニズムとテロル』、サド『悪徳の栄え』、吉本隆明『異端と正系』、埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず』、R・バルト『神話作用』、オウエル『カタロニア讃歌』、「トロツキー選集」など、当時の社会や文化に亀裂を入れる起爆剤のような本を数多く出した。
 陶山(すやま)幾朗さんは六五~七一年、その全盛期に編集者として働いた。社主は後に道元研究で知られる石井恭二、先達には評論家となった久保覚や松田政男らがいた。本書は陶山さんの編集をめぐる経験や逸話、会社の様子を回想した記録だ。
 「一冊にまとめる意図もないまま、石井さんが作った<出版総目録>を参照し記憶を振り絞って書いた。<良俗や進歩派と逆行する悪い本を出す>が社のモットーで、澁澤龍〓・森本和夫・栗田勇さんたちが編集部に年中集まって、談論していた。話が終われば編集室はそのまま花札や麻雀(マージャン)の道場に。次から次へといろいろなことが起こり、警察のガサ入れもあった。さながら梁山泊(りょうざんぱく)でした」
 触れれば火傷(やけど)しそうな疾風怒濤(どとう)の時代だ。こんな時代は二度とこないだろう。現代思潮社の本はソ連や日本の共産党の前衛神話を打ち砕き、エロティシズムの想像力に形を与えた。知的ミーハーの群像を育て、マイナー文化やポストモダンの流れを準備した。「長老は眉をひそめ若者に人気」の出版社だったと言う。
 退社後の陶山さんは愛知県の実家に戻り、北川透さんが主宰する「あんかるわ」などに寄稿。現代思潮社時代から旧知の内村剛介さんと再会し取材を始め、それは後に「内村剛介著作集」(全七巻・恵雅堂出版)の編集として結実する。
 戦後、ソ連で十一年間の抑留監獄生活を余儀なくされた内村さんとの長い交流は、「党に抑圧管理される民衆というありがちなイメージではなく、それは上面でロシアの民衆はどっこいしぶとく生きていた」ことを教えられたと言う。
 当時とはメディアや文化のあり様も大きく異なる。現代思潮社の在りし日の姿は一瞬の「閃光(せんこう)」の記憶にすぎないのか。それとも今の出版のあり様を再考させる導火線になり得るのか。
 現代思潮新社・二五九二円。 (大日方公男)
 ※〓は彦の立が文
    --「【書く人】時代つくった「梁山泊」 『「現代思潮社」という閃光』 文筆家 陶山 幾朗さん (74)」、『東京新聞』2014年06月15日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/kakuhito/list/CK2014061502000182.html:title]

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「現代思潮社」という閃光
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覚え書:「江戸・東京の都市史--近代移行期の都市・建築・社会 [著]松山恵 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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江戸・東京の都市史--近代移行期の都市・建築・社会 [著]松山恵
[評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)  [掲載]2014年06月15日   [ジャンル]歴史 社会 

■地図や図面からあぶり出す歴史

 明治維新によって、京都にいた天皇は東京に移動し、将軍がいなくなった江戸城は東京城、そして皇城と改称され、東京遷都が実現された--私たちは、江戸から東京への変遷を、何となくこんな感じで思い描いているのではないか。だが実際には、正式に遷都を宣言したことは一度もない。東京はなし崩し的に「帝都」になっていったのだ。
 では、いかにして東京は近代国家の首都へと改造されてゆくのか。この壮大な歴史的問いに答えるには、当時の文字史料を読み込むだけでは十分でない。東京という都市を空間からとらえる視点が重要になる。本書で多く使われている地図や絵図、図面は、その端的な証左であろう。
 著者によれば、明治初年の東京の都市空間には「郭内」と「郭外」という二つの区域があった。このうち、実質的な遷都の場となったのは、武家地が新政府に収用された前者であり、その中心には皇城があった。しかし、すべての官庁を皇城に集約させることはできず、太政官と宮内省以外は郭内で移動を繰り返した。このいかにも場当たり的な過程そのものが実におもしろい。その一方で、後の宮中三殿に相当する賢所は維新直後から皇城につくられており、現在の皇居の基礎が早くから固まっていたのがわかる。
 もうひとつおもしろかったのは、1880年に落成した皇大神宮(こうたいじんぐう)遥拝殿(ようはいでん)に関する考察である。本書は、当時の絵図や図面を通して、この遥拝殿が伊勢神宮を体現しつつ、人々の天皇に対する崇敬を高めるための建築物となったことを解き明かしている。
 当時の神道界は、伊勢神宮を中心とする伊勢派と出雲大社を中心とする出雲派の間で、オオクニヌシ(大国主神)の神格をめぐる祭神論争が展開されていたが、伊勢派が勝利をおさめた背景として、こうした建築物を東京に建てることで自らを神道界の中心と認知させるイメージ戦略があったとの分析にはうならされた。
 それだけではない。著者は、遥拝殿が造営される前の地図から、当時の大蔵卿、大隈重信の名前を発見する。伊勢派の計画には、都市改造を目指す新政府が加担していたことが判明するのだ。1枚の地図や図面から歴史の裏側をあぶり出す著者の手腕は本書の随所で発揮されており、歴史研究の醍醐味(だいごみ)を堪能させてくれる。
 大学入学までずっと地方に住んでいて、東京を客観的にとらえる習慣がついていたこと、工学系の大学や大学院で学んだことが、若手によるこの稀有(けう)な歴史研究を生み出した要因ではないか。空間と政治の関係を考える上でも、見逃せない一冊だと断言できる。
    ◇
 東京大学出版会・7992円/まつやま・めぐみ 75年、長崎市生まれ。明治大学文学部専任講師。東京理科大学工学部建築学科卒。東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得退学。共著『江戸の広場』、論文「『郭内』・『郭外』の設定経緯とその意義」など。
    --「江戸・東京の都市史--近代移行期の都市・建築・社会 [著]松山恵 [評者]原武史(明治学院大学教授・政治思想史)」、『朝日新聞』2014年06月15日(日)付。

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書評:本田由紀『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ』岩波ブックレット、2014年。


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本田由紀『社会を結びなおす 教育・仕事・家族の連携へ』岩波ブックレット、読了。行き詰まり混迷を深める現代日本。その淵源をどう理解すればよいのか。本書は戦後日本に誕生した社会システムを教育・仕事・家族が一方向にリンクした「戦後日本型循環モデル」と捉え、その誕生と普及、破綻を概観する。

高度経済成長期~安定成長期の日本を縛り続ける「戦後日本型循環モデル」は偶然といってよい諸要件から誕生する。その特徴は「仕事・家族・教育という三つの異なる社会領域の間が、①きわめて太く堅牢で、②一方向的な矢印によって結合されていた」という点である。

仕事・家族・教育という三領域を繋ぐ矢印はヒト・カネ・ヨクがよじり合って成立し、ある領域から次の領域には、教育機関が学生を社会人として会社へ引き渡すがごとく、人間が送り込まれるていく。そこでの人間は性別年齢に応じた役割分業が励行されることでシステムが拡大再生産され、その組織は強い凝縮性と同調同圧の特色を備えていく。

経済の安定成長を背景に戦後日本型循環モデルは、理想的教育・仕事・家族という日本型成功物語を語るが、三領域を繋ぐ矢印の自己目的化の進行は三つの社会領域の本質的な存在理由を空洞化してしまう。何のために働くのか、学ぶのか、愛するのかが後に置かれる。

いい学校に入り、いい企業に入り、お金を稼いで家庭をもつ--こうした社会モデルは、バブル崩壊後、それを支える環境要因が失われることで「底が抜けてゆく」。これまで三領域間に成立した矢印が、ある領域からン別の領域へ資源を注ぐことができなくなってしまった。

「かつての戦後日本型循環モデルは、もう維持することは不可能ですし、それが内包していた諸問題を思えば、維持しようとすることは望ましくもありません」。これが現状。規制が機能しない所に規制緩和をもとめる如き事態をもっと悪化させるだけ対応改革ばかりである。

戦後日本型循環モデルは矢印が一方向的故にその矢印が肥大化し、循環の自己目的化で破綻した。ならば「その矢印を一方向ではなく双方向的なものに持っていく必要があるのではないか」。各領域間で相互に支え合うとともにお互いを尊重しつつ連携することを目指すべきであろう。

具体的に著者は、1)財源の問題に関しては、資源の再分配による不平等の軽減、2)今なお多大な財力や権力を握る地位にある団塊世代が関心を持つこと、3)性別役割分業規範のような従来モデルの元で生成された価値観や規範を更新すること、が必要ではないか。

個人の行動や責任ではどうにもならない構造的破綻を前に「働かざるもの食うべからず」とか「苦しいのは自業自得」といってもはじまらない。「このままではだめだ」だが、循環モデルの呪縛に囚われず脱却や変革を志向する若き人々と連携するほかない。


 


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覚え書:「書評:神と仏の再発見 長部 日出雄 著」、『東京新聞』2014年06月15日(日)付。


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神と仏の再発見 長部 日出雄 著

2014年6月15日


◆日本人の基盤に畏れる心
[評者]佐藤洋二郎=作家
 日本は不思議な国だ。蕃神(ばんしん)である仏様を敬い、なおかつ八百万(やおよろず)の神様も崇拝する。先進国でこんなに神仏を崇(あが)める民族はいるのだろうか。その上、結婚式も神前や仏前、キリスト教徒でもないのに教会で挙げたりする。憲法で信教の自由をうたっているが、それよりももっと自由に振る舞っているように見える。
 ここに書かれていることは、遠い昔より神仏に畏敬の念を抱く日本人の心を改めて提示したものだが、読んでいて、日本人の精神構造は神仏を敬うことによって、育まれていたのだなと実感させられる。そしてもし神社に文字が残っていれば、また別の歴史も見えてくるのだろうが、残念ながら神仏分離により、逆に時代の向こう側に隠されたのも事実だ。
 著者はそこのところも丹念に書いていて、北は岩木山神社から南は霧島神宮古宮址(ふるみやあと)まで、十九の寺社を訪ね歩き日本の成り立ちを探っている。おのずとわたしたちの生活や生き方も、古代からの神仏の崇敬や畏敬が無言の律法となって、日本人の精神構造を作り上げたということにも気づかされる。ものの見方も考え方も、あるいは美意識も佇(たたず)まいも、その基盤になっているのは神仏への畏れや戒めからだ。
 本書を読むと、日本人がいかに豊饒(ほうじょう)な精神の持ち主かということも見えてくる。戦争に負け、時代が変わったとしても、神仏の威徳によりその精神は簡単に消え去るものでもない。心の奥深くに水脈があるのだ。著者はそれを掘り起こし、世の中をもっと浄化させたいと願っている。わたしたちを救うのは今も昔も「カミノミクス」だと言うが、眠っている信仰心を呼び戻せば困難な時代にも新たな可能性を見いだすことができる。
 著者の主張は、古さから新しさを学ぶのだとおもっているこちらには、まったく同感だという気持ちにさせられる。各章はながくないが、文章に奥行きがあり、読み応えがあった。
  (津軽書房・2160円)
 おさべ・ひでお 1934年生まれ。作家。著書『桜桃とキリスト』など。
◆もう1冊
 安丸良夫著『神々の明治維新』(岩波新書)。明治維新時の「神仏分離」と「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」が日本人の精神をどう変えたかを克明に描く。
    --「書評:神と仏の再発見 長部 日出雄 著」、『東京新聞』2014年06月15日(日)付。

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神と仏の再発見 ーカミノミクスが地方を救う
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津軽書房
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覚え書:「書評:万葉びとの宴 上野 誠 著」、『東京新聞』2014年06月15日(日)付。


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万葉びとの宴 上野 誠 著

2014年6月15日


◆酒と歌が縮める距離
[評者]岸本葉子=エッセイスト
 私たちの遠い祖先の宴会を、万葉集の研究者が再現し考察する。なにゆえ万葉集なのか。収録されている歌のほとんどが、宴(うたげ)で披露されたものだから。「憶良らは 今は罷(まか)らむ 子泣くらむ それその母も 我(あ)を待つらむそ」。家族愛の表出と学校で習った一首も、宴を早引けするための巧みな言い訳だったとは。
 宮廷人の雅(みやび)な遊びを想像したが、実情はそうでもなさそう。ホストにとり入る戦術あり、ゲストどうしの知のバトルあり。お題を受けて一首詠むには、当時の教養、漢詩文をふまえねばならず、順番が後の方だと変化球も必要だ。外して無礼になったならば、下手するとクビが危ない。学問だけではだめ。場を読む力とコミュニケーション技術が求められる。
 著者の巧みな文章で、いにしえびとが生き生きと本の中を立ち回る。現代の私たちにも通じるエピソードや、耳の痛い金言が満載だ。芸を求められたらためらうな、自慢話と長話は禁物。接待を終えた後仲間どうしのお疲れさん会もあったなんて、彼らが身近に感じられてくる。
 宴は日本文化の原点だ。茶道も華道ももとは客をもてなす工夫。政治の原点でもある。酒食を共にし相歌い和せば、互いの距離は確実に縮まる。芸術と政治は本来別ものではないと著者。
 ネット社会で対面状況が不得手になっている今、万葉びとに学ぶことは多い。
 (講談社現代新書・864円)
 うえの・まこと 1960年生まれ。奈良大教授。著書『魂の古代学』など。
◆もう1冊
 上野誠著『万葉びとの奈良』(新潮選書)。国際都市・平城京の人々の暮らしと文化を万葉集などをもとに蘇(よみがえ)らせる。
    --「書評:万葉びとの宴 上野 誠 著」、『東京新聞』2014年06月15日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014061502000184.html:title]

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万葉びとの宴 (講談社現代新書)
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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:天気伝えぬ非人道性 元気象研究所研究室長・増田善信さん」、『毎日新聞』2014年06月16日(月)付。


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特定秘密保護法に言いたい:天気伝えぬ非人道性 元気象研究所研究室長・増田善信さん
毎日新聞 2014年06月16日 東京朝刊

(写真キャプション)増田善信さん=青島顕撮影

 ◇増田善信さん(90)

 1941年、京都の天橋立(あまのはしだて)に近い測候所に入った。気象観測とともに、全国の気象データを1日2回無線で受信した。日米開戦の12月8日夕、無線を受信すると、いつもとまったく違うデータが流れてきた。所長に報告すると、慌てる様子もなく金庫から乱数表を取り出した。

 その日から当時の秘密法制の軍機保護法、軍用資源秘密保護法に基づく気象管制が敷かれた。日ごろの天気予報だけでなく、台風や津波の危険さえ一般の人に伝えることができなくなった。

 高潮で1100人の死者・行方不明者を出した翌42年8月の台風では、山口県の周防灘直撃の直前まで予報を出せなかった。1000人を超す死者を出した44年の東南海地震の津波や45年の三河地震の被害も知らされなかった。前もって高潮や津波の危険を知らせていれば、かなりの命が救われた可能性がある。非人道的だった。

 戦争になると「空白の天気図」が生まれる。攻撃の参考になる情報を与えないためだ。最近ではアフガン戦争の時に現地の気象情報が入らなかった。天気は一般の人の命を守るものでもある。秘密にしてはならない。

 昨年末に成立した特定秘密保護法について、政府は「一般の人には関係がない」と強調する。だが特定秘密にされる防衛やテロ防止の情報は行政が政令を作って決める。将来、気象に関わる情報が対象になる恐れがある。政令作りを監視し、不幸な歴史を繰り返してはならない。【聞き手・青島顕】

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 ■人物略歴

 ◇ますだ・よしのぶ

 1923年生まれ。戦中、海軍で攻撃機のために天気予報をしたが、攻撃機の多くは戻らなかったという。著書に「異常気象学入門」など。 
    --「特定秘密保護法に言いたい:天気伝えぬ非人道性 元気象研究所研究室長・増田善信さん」、『毎日新聞』2014年06月16日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140616ddm004010047000c.html:title]


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覚え書:「今週の本棚:鹿島茂・評 『赤い橋の殺人』=シャルル・バルバラ著」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。


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今週の本棚:鹿島茂・評 『赤い橋の殺人』=シャルル・バルバラ著
毎日新聞 2014年06月15日 東京朝刊

 (光文社古典新訳文庫・994円)

 ◇忘却の淵から訳者に発掘された稀覯本

 雑誌『ふらんす』(白水社)には「さえら」と題するページがあり、その月に刊行されたフランス関連書を網羅している。毎月、これを見るたびに「フランス熱は衰えたとはいえ、それでもこれだけの翻訳と研究が出ているのだ」と感心するが、そんな中でも本書が翻訳されたことは近来の快挙と呼んでいい。

 なぜか? 本書はたんにフランスで出た本を右から左に翻訳したというのではなく、一五〇年間忘却の淵(ふち)に沈んでいた稀覯本(きこうぼん)を訳者自身が血のにじむような努力で探し出し、ニース大学に三〇年前に提出した博士論文の添付資料というかたちで再刊したものの翻訳だからである。つまり、近年、インターネットと電子本の普及でようやく日の目を見るようになったシャルル・バルバラという作家は、訳者の発掘努力がなかったならフランス本国でも再評価の光が当たらぬまま、いまも忘れられていたかもしれないのだ。

 では、シャルル・バルバラとはいかなる作家なのか? プッチーニの『ラ・ボエーム』の原作となったアンリ・ミュルジェールの小説『ラ・ボエーム生活情景』の音楽家バルブミッシュのモデルといえばわかりやすいか? つまり、バルバラは、一八二〇年前後に生まれ、飢えと引き換えにカルチエ・ラタンで自由気ままな生活を選んだボードレール、ナダール、シャンフルリー、ミュルジェールら放浪芸術家(ラ・ボエーム)に属し、その音楽的才能によりボードレールに大きな影響を与えたことが知られている。ところが実際には、その作品は誰も読んだ人はいなかったのだ。単行本未収録の作品が多かったし、単行本も一五〇年間再刊されなかったので、知りようがなかったのである。訳者はそれを論文執筆の過程で探索・読破することで、代表作の『赤い橋の殺人』は『罪と罰』のようなニヒリスト殺人を描いた探偵小説の元祖であると位置付け、同時に、バルバラが科学的知識を駆使したSF小説の元祖でもあることも明らかにしたのである。

 というわけで、今回、翻訳された『赤い橋の殺人』はどのような物語か見てみよう。

 ひとことでいえば、『ラ・ボエーム生活情景』とバルザックの『赤い宿屋』を足して二で割ったような内容ということになるだろうか?

 小説は、ロドルフとマックスが「芸術家生活の様々な見込み違いや苦渋」について語りあっている場面から始まる。ロドルフ(モデルはミュルジェール)は芸術を第一義とする生活を棄(す)ててでも世に出たいと願う野心家だが、マックス(バルバラ自身)は「芸術作品とは、一般に困難の中から生まれ出る」と信じる禁欲的音楽家である。ロドルフはマックスが付き合っている女性が証券仲買人ティヤールの未亡人であることを知って驚く。ティヤールは義父の財産を蕩尽(とうじん)したあげく借金苦からセーヌに投身自殺したとされる話題の人物だったからだ。

 マックスは次にラ・ボエーム仲間でも評判の悪いクレマンと再会し、クレマンが行いを改めてブルジョワとして落ち着いた生活をしていることを知る。クレマンは借金を踏み倒し、愛人のロザリと悲惨な生活を送っていたが、司祭に救われたのをきっかけにロザリと正式に結婚し、更生への道を歩んだのだという。 だが、 マックスはクレマンには隠された暗い部分があることに気づき、それとは知らぬうちに探偵の役割を演じていくことになるのだった。そして、ついに『赤い宿屋』的状況で秘密があらわにされるのである。

 日本におけるフランス文学紹介の裾野の広がりを教えてくれる一冊である。(亀谷乃里訳)
    --「今週の本棚:鹿島茂・評 『赤い橋の殺人』=シャルル・バルバラ著」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『宇宙人の見る地球』=須藤靖・著」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『宇宙人の見る地球』=須藤靖・著
毎日新聞 2014年06月15日 東京朝刊

 (毎日新聞社・1620円)

 日常の些事(さじ)の本質を「宇宙人」の視点でとらえ、思考実験を通して理論構築を試みた随筆集だ。東京大で教鞭(きょうべん)をとる物理学者だけに、内容も科学的、と思いきや……。

 冒頭、提唱される「P×I=1の法則」を例にとろう。Pは「提唱された発見や主張が真実である可能性」、Iは「それが世間の常識を超えている程度(インパクト)」。両者を掛け合わせると1に近づく、という法則だが、要するに「みんなをあっと言わせるような説ほどウソっぽい」ということ。宝くじに当てはめて精密に検証した結果だそうだ。

 「対称性の自発的破れ」と題する章も、身構えて読んでみれば30年間悩まされている腰痛の原因が体の左右のアンバランスに起因しており、「これはまさに対称性の破れだ」という話だったりする。

 ちなみに著者は「役に立たない科学のどこがワルイねんオモロければエイやん協会」会長(自称)。本書もその精神に貫かれている。物理学用語がちりばめられた論理的な文章にフムフムと納得し、いささか長すぎる脚注にクスクス笑い、最後はケムに巻かれても「それでいいのだ」と許せる不思議な読後感。(有) 
    --「今週の本棚・新刊:『宇宙人の見る地球』=須藤靖・著」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『グレーの時代 3・11から1・17へ』 著者・楠見朋彦さん」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『グレーの時代 3・11から1・17へ』 著者・楠見朋彦さん
毎日新聞 2014年06月15日 東京朝刊

 (短歌研究社・2700円)

 ◇二つの震災後の状況を問う--楠見朋彦(くすみ・ともひこ)さん

 サブタイトルの二つの日付は東日本大震災と阪神大震災のものだが、発生順と逆である。「3・11は毎年巡ってきますが、状況がどう変わるか見通せません。不定の未来からの視点という意味を込めました」

 原発事故後の不安な状況を象徴する色が「グレー」だ。最近の小説でも、多様な設定や登場人物の感情を通じて、宙づりの時代を追求している。ただし、小説家としてデビューした1999年以降、文芸誌などに発表したエッセーや評論を集めたこの本の射程は、もう少し長く据えられている。

 例えば2009年春、自らの住む関西の生活圏で飲食店などの閉店が相次ぐ光景を新聞のエッセーにつづった。「灰色の波が音もなく町を浸して、町がすっかりグレー一色になってゆく」という予見的な一節がある。2年後、「そもそも目に見えない放射能の波はグレーですらない」と書くことになった。

 大学時代から塚本邦雄に師事し、短歌に取り組んだ。卒業したのは阪神大震災が起きた95年で、「目の前に破壊と混乱の様相があふれていた。それが小説の出発点になっています」。

 ジャンル横断的な創作を続けてきたのは、詩歌から小説、評論などあらゆる文芸を手がけた塚本の影響だ。この本の長短さまざまな文章にも、隅々まで繊細な言葉の選択が感じられる。

 1・17から20年の来年は、塚本の没後10年でもある。「塚本の作品は多面性があり、今読んでも胸に刺さってくる力があります」。師を悼んだ文章には、「残された作品を果敢に読みとく作業は容易ではないが、人生に対する怒りがある者には可能なはずだ」と鮮烈に記した。

 正岡子規の短歌を論じた力作評論も印象深い。「『写生』といった教科書的な見方が固定化していますが、読み直すと子規には豊富なアイデアがあったことが伝わってきます」。また、子規と塚本に共通する点として「古典を自由に読み、発想の鍵を得ていた」ことに注目する。

 3・11から3年を経て、「物事の大きな枠組みが、じりじりと動き始めている」と話す。「いい方向か悪い方向かは分かりません。自分にできるのは、表現を通して人々に問いかけることだけです」<文と写真・大井浩一> 
    --「今週の本棚・本と人:『グレーの時代 3・11から1・17へ』 著者・楠見朋彦さん」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。

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書評:本村凌二『愛欲のローマ史 変貌する社会の底流』講談社学術文庫、2014年。


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本村凌二『愛欲のローマ史 変貌する社会の底流』講談社学術文庫、読了。ローマ帝国繁栄下、過剰ともいえる欲望と淫靡な乱交が横行したが、その背景にはローマ人のどのような心性が潜んでいたのか。本書は風刺詩人のまなざしを頼りにしながら、性愛と家族をめぐる意識の変化をあぶり出す。

ローマ社会の性風俗をめぐる風刺詩人たちの声は、時と共に怒りの度合いを強めるが、背景には「『性』にまつわる言動を『汚らしい』ものとして忌み嫌う感性」の兆しが存在する。自己を見つめるストア派の生活倫理が受け入れられるのもこの土壌あってこそ。

家族意識にも際だった変化が訪れる。もともと「結婚」という形態へのこだわりがなかったが、帝政期を通じて同棲や内縁ではなく「結婚」に基づく家族という生活形態が身分や階層を問わず浸透する。「家名を尊重する家族」から「夫婦愛にもとづく家族」へ。

世相の転換の外形には「性の汚れ」の意識と「結婚にもとづく家族」の絆の在り方とが密接に関わっている。内なる世界を重んじる風潮は、結婚した夫婦間に独占される「性」を理想と見る倫理規範として具現化し、それは、キリスト教受容の助走となっていく。

「恥辱と悪徳の実態を問うとは、その根幹において、そこに生きている人々の愛欲の生態に目を注ぐことである」。ローマ人の「性」をめぐる倫理規範の変化を具体的に祖述する本書の議論は、フーコーの観点とぴったり重なってくる。『禁欲のヨーロッパ』と合わせて読みたい。

 

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覚え書:「今週の本棚:磯田道史・評 『ルポ 電王戦-人間VS.コンピュータの真実』=松本博文・著」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。

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今週の本棚:磯田道史・評 『ルポ 電王戦-人間VS.コンピュータの真実』=松本博文・著
毎日新聞 2014年06月15日 東京朝刊

 (NHK出版新書・842円)

 ◇「いい形」から「大局観」得た機械

 「電王戦」は、将棋のプロ棋士とコンピューターとの戦いである。近年、将棋ソフトが強くなって、現役のプロ棋士のほうが勝てなくなってきている。去年も今年も、電王戦はプロ棋士の惨敗。将棋ソフト5種類と、現役棋士5人と対決したが、結果は、プロ棋士側からみて去年が1勝3敗1引き分け、今年が1勝4敗であった。本書は、この人間対コンピューターの戦いを、日本将棋連盟会長・米長邦雄(当時)に提案して実現させた男、フリーの将棋観戦記者・松本博文が当事者証言から書き綴(つづ)った労作である。

 日立の大型コンピューターが、詰将棋を初めて解いたのが、1967年。この機械は11手の複雑な詰将棋を90秒で解いたが、当時の早指しの名手・加藤一二三八段(当時)は60秒で解けた。開発者も人間より強い将棋マシンの登場には懐疑的で「とうてい無理」と答えていた。1970年代、新手の独創にたけた棋士・升田幸三は、コンピューターはプロ五段までは行くが、それ以上は行かない、と予言。一方、大山康晴十五世名人は「機械に将棋をやらせたら、人間が負けるに決まっている」といった。

 その言葉が本当になってきた。チェス→将棋→囲碁の順番で、人間の砦が陥落しはじめた。1997年、チェスの世界チャンピオンが機械に負けた。2005年には、一流棋士でも、将棋ソフト相手に苦戦することがわかってきて、将棋連盟が所属棋士に無届けでソフトと対戦しないよう、いわゆる「対局禁止令」を出すに至った。こうなると、将棋連盟のプロ棋士は一〇〇○万円といった対局料なしでは、将棋ソフトと戦わなくなった。2010年、トップクラスの女流棋士がソフトに敗れ、12年には、連盟の米長会長自身が「羽生(善治)なら七億円以上、米長なら一〇〇○万円」と対局料を提示し、将棋ソフトと対戦して敗れた。その後は前述の通り、プロ棋士がソフトに連敗する事態となった。今後は羽生などの超一流のタイトル保持者とソフトとの対戦が焦点になっているが、将棋連盟側は勝てる確信がないのか、及び腰にみえる。第一、ここまで将棋ソフトが強くなれば、棋士がトイレに立った際、外部と連絡をとって、将棋ソフトに最善手を問い合わせるカンニング行為が生じないかと心配になるが、素人の勘繰りだろうか。

 将棋ソフトの発達過程をみると、逆に、コンピューターが持ち得なかった人間のすばらしさが、どこにあったか、がみえる。人間の頭脳は、一言でいえば、目先の損得勘定を超えた、大きな勝負の流れを洞察する力、いわゆる「大局観」をもっている。機械が人間に勝てた理由が、本書にははっきり書かれている。歴史経験(江戸時代以来の棋譜)を教材とし、全体として「いい形」とは何かを自動的に学習する機能をもたせ、人間がもつ大局観を機械がある程度まねられるようになったからである。もちろん、人間はミスをするが機械はしないことも関係している。感情のある人間は焦ると悪手を連発するが、機械にはそれがない、といった理由もあるが、眼目は大局観である。本当に必要なことは何かと優先順位を考えて、読まなくていい手は読まない。つまり、時間の節約も大切だった。相手がどんな指し手に出てくるか、その確率を見積もって、一番必要な部分に労力と時間を集中する。つまり、機械がまねた人間の素晴らしさは、歴史経験に学んで、大局観をもち、時間を大切にすることであった。これらは、我々の人生にも通じるのではなかろうか。学ぶことの多い本である。
    --「今週の本棚:磯田道史・評 『ルポ 電王戦-人間VS.コンピュータの真実』=松本博文・著」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『図説 江戸の「表現」-浮世絵・文学・芸能』=人間文化研究機構、国文学研究資料館・編」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『図説 江戸の「表現」-浮世絵・文学・芸能』=人間文化研究機構、国文学研究資料館・編
毎日新聞 2014年06月15日 東京朝刊

 (八木書店古書出版部・1万2960円)

 ◇判じ絵、和歌・俳句に見る文化の体系

 ここに一枚の絵がある。

 扇面に描かれた反り橋の上に傘が一本立っていて、白鷺(しらさぎ)が二羽遊んでいる。もうおわかりだろうか。「かさ(傘)さぎ(鷺)の渡せる橋におく霜の、白きを見れば夜ぞふけにける」。『百人一首』で有名な大伴家持の歌を当てさせる「判じ絵」である。

 くだらない遊びだと思えばそれまで。しかし私はここに二つの側面があると思う。一つは奈良・平安の和歌と江戸の洒落(しゃれ)を取り合わせた機智(きち)のなかに脈々とつながる文化の伝統の意識。その意識は過去の原点にふれると同時に、現代(江戸)を相対化するだろう。

 もう一つは「かささぎ」という単語を分解することによって、言葉が記号にすぎないという考え。その考えはソシュールの『一般言語学講義』に遠くこだましている。

 ここに江戸の人間の精神があり、文化の体系がある。絵を描いた人間、その絵を楽しんだ人間の精神に、「江戸」の「素顔」が見える。

 あるいは猿丸太夫(たゆう)の「おちこちのたつきも知らぬ山中に、おぼつかなくも呼子鳥(よぶこどり)かな」の和歌に、「堀川」の猿廻(まわ)し与次郎が描いてある。

 「呼子鳥」は、実は鳥ではなくて猿だという説があって、それが与次郎の猿廻しに通じている。しかしそれだけではない。「堀川」の浄瑠璃本文には京都の市中でも当時の堀川は、「田舎がまし(田舎らし)」いところだという描写があって、京都という大都会の中の田舎と本当の山奥が、猿を通して対比されているのである。この対比はただのつけ合わせではなく、大都会と山奥のなかの人間の貧しく不安定な生活、はかない人生を対比させることによって、一挙に世界を俯瞰(ふかん)させる視点をもっている。

 俳句の世界も面白い。日本の和歌には本歌取りという特異な方法があるが、それを俳句の世界に移したものを「句兄弟」という。兄句(本歌)をもとに弟句(本歌取り)をつくる。

 『句兄弟』という小冊子では、貞室(ていしつ)の「これはこれはとばかり花のよし野山」を兄句として、其角(きかく)が弟句「これはこれはとばかりちるも桜かな」を取り合わせる。この二句を合わせて読むと、目の前で、満開の吉野の桜が急に風に散り始めるのを見る気がする。吉野の桜は、風が強くアッという間に散る。しかもその桜吹雪が美しい。満開と桜吹雪。その瞬時にくずれていく美しさが目を見張らせる。それを一時に体験できるのは、句兄弟だからこそである。

 其角は芭蕉の弟子だが、其角が詠んだ「声かれて猿の歯白し岑(みね)の月」を兄句として、芭蕉が弟句「塩鯛の歯茎も寒し魚の店」をつけた。山中の猿の白い歯は、たちまち喧騒(けんそう)の都会の魚屋の店先の鯛の白い歯になる。これも一幅の絵である。

 この本は二部に分かれていて、第一部がいまふれたような資料の図版と解説で成り立っていて面白い。

 第二部は研究者たちの論文十二編。なかでは原道生の、日本文化の「芸」という概念が、能の世阿弥によって史上はじめて成立したという考証が、重要かつ興味深い。今までこういう考証はなかった。もう一つ浅野秀剛が、江戸の役者絵のなかには理想的な配役を見立てとして出版したものがあることにふれる。こういう配役の芝居が見たいという大衆の願望が、公演よりも先に役者絵で、興行主に突き付けられたのだろう。そういえば豊国の見立て絵から黙阿弥が書いた「白浪五人男」も、その一つかもしれない。

 ここから江戸の精神史が書かれたらばいいと思う。そう考えながら、私は一人江戸の夢を見た。 
    --「今週の本棚:渡辺保・評 『図説 江戸の「表現」-浮世絵・文学・芸能』=人間文化研究機構、国文学研究資料館・編」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。

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図説 江戸の「表現」―浮世絵・文学・芸能

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覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『完訳 エリア随筆1-正篇[上]』=チャールズ・ラム著」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。


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今週の本棚:池内紀・評 『完訳 エリア随筆1-正篇[上]』=チャールズ・ラム著
毎日新聞 2014年06月15日 東京朝刊

 ◆池内紀(おさむ)評

 (国書刊行会・2592円)

 ◇息の合った名訳による新しい文学世界

 正篇・続篇完訳版の1である。タイトル自体が何やらなつかしい。ずいぶん長いこと聞かないでいた名前のような気がする。正篇のみの訳書は何種類かあるが、完訳は平田禿木(とくぼく)以来だから、その初版から数えると八十五年ぶりということになる。

 むりもないだろう。バイロンやキーツの同時代人チャールズ・ラムは、そのころの散文の作法どおり、おそろしく長い文章をつづり、しかもそこには聖書や古典の引用、書き換え、地名、人名、内輪ばなしがひしめいている。禿木は「自分の翻訳について」というエッセイのなかで打ち明けている。「なかなか調子がとれず初めの原文二頁(ページ)が程のとこに一と月を要して、漸(ようや)くその見当がつきました」。言葉の変化がゆるやかであった明治・大正期でもそうなのだ。二代目完訳者のひとかたならぬ苦労がしのばれる。

 二〇〇年ちかく前の随筆集なのだ。だからといって古びているだろうか? ためしに一つ、題して「学校教師今昔」によると、昔は古典語文法に命をかけたような教師がいて、その厳しさにねをあげたものだが、清廉で純粋、生徒たちはひそかに敬愛をたやさなかった。現在の教師はコマ切れの知識だけで、へんになれなれしくやさしげだが、生徒から軽くみられている--。まさしくそのまま、「ニッポン学校教師今昔」にあてはまるではないか。

 しかし『エリア随筆』のたのしさは、語られた中身にまして、その語り方にある。右の随筆にしても、「私の読書は嘆かわしいほど散漫で、秩序がない」ことから書き出され、地理、天体、歴史どれもいわば穴だらけであることがくどくどと披露され、無能で聞こえたイングランド王や、フランドル出身の地図製作者や、紀元前十六世紀ごろの異民族や、「ハムレット」第三幕のクローディアスのセリフなどがとりざたされ、学識ある人と二人きりにされると往生することから、「つい最近も、この種の窮地に陥ったことがあった」と、ようやくに本題に入る。

 このたびの訳書には、訳者と親しい研究者、藤巻明によるくわしい註釈(ちゅうしゃく)がついている。息の合った二人三脚のおかげで、はじめて「エリア的世界」がまざまざと見える気がするのだ。ラムは雑誌に執筆するにあたり、「エリア」なる作者を創作した。職業、経歴、ロンドン市中の住所までもが語られ、今は年金で悠々自適、随筆はそんな人物の筆のすさびというつくり。ラム自身、三十数年、リチギに勤め、やがて念願の年金生活に入る予定で、色こく当人の姿を映していたが、あくまでもエリアの随筆である旨を主張した。連載がすすむにつれて、韜晦(とうかい)戦術のぼろが出て、正体がのぞき始める。注釈を追っていくと、そんなもう一つの読みのたのしみも味わえるのだ。

 「人類は、私が思いつく最善の説によれば、はっきり異なる二種族から成っている--すなわち、借りる者と貸す者である」

 英文学徒にして作家、南條竹則は息の長い禿木訳に対して、新しい『エリア随筆』を生み出した。文を短くして剴切(がいせつ)なリズムを与えるかたわら、ディケンズのようなユーモアをもった文人の語法を巧みにとらえ、それはテーマをかえても川の流れのように連続していてここちよい。ラムの随筆が一貫して与える悠然とした持続の印象の源であって、それは変える必要のないところは変えない社会が生み出した文化のあかしとみなしていいのである。そのもとにあってこの世の天地、つまりは世界の秩序がきちんと定まる。それは名文でなくてはつたえられない文学世界なのだ。(南條竹則訳、藤巻明註釈) 
    --「今週の本棚:池内紀・評 『完訳 エリア随筆1-正篇[上]』=チャールズ・ラム著」、『毎日新聞』2014年06月15日(日)付。

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日記:トマス・アクィナスをよむ意義


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月に一度、コロンビア大学コアカリキュラムの教材を取り上げ、雄志で勉強会をしているのですが、5月がアウグスティヌスで、今月がトマス・アクィナス。キリスト教思想史における二大巨人の著作を概観して思うのは、二人とも「紋切り型」のフレーズで、究極的なことを語らないということでしょうか。

信仰世界における言語運用は、それが信/不信、救済可能性/不可能性といった究極的関心事に関わるとき、非常に貧しいやりとりになりがちです。まさに「紋切り型」のとってつけたような、どこか「僕の言葉」……ただ、これも究極的には「僕の言葉」なんてない訳ですが……とは違う「借り物」のそれとして。

アウグスティヌスの場合、マニ教の提示する安直な物語から脱却する過程において、徹底した自己内省察が遂行されますが、それは、まさに、究極的な関心事に関わることにおいて、自分で考えてみる、自分の言葉でそれを照らし直してみる、そういう「他者依存」とは異なる徹底的対峙が遂行されます。

トマスの場合も同じくです。大著『神学大全』を紐解くと一目瞭然ですが、問いに対する答えは設定されますが、それと同時に、あらゆる可能性が検討され列挙されます。究極的関心事に対する問い-答えというそれは一つかもしれません。しかし、それを背景から支える言語は多様に存在する。そのことを無視しない。

「それこそ深い信仰である」or「それこそ不信である」という言葉が投下される時の無味乾燥な、どことなく自分とは存在様態がリンクしない紋切り型のフレーズを徹底的に避ける中で、事柄を「自分自身に取り戻す」。その闘いをトマス・アクィナスは敢行していたのではないかと。そう思われます。

自身の著作全てを否定するトマス・アクィナス最後の10日間に肉薄するのが矢玉俊彦『判断と存在―トマス・アクィナス論考』(晃洋書房、1998年)。トマス自身そのテクストが固定化されることを最後まで退けた。借り物ではない、自分の頭で考えることと恩寵の交差は確かに存在する。

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覚え書:「おいしそうな草 [著]蜂飼耳 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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おいしそうな草 [著]蜂飼耳
[評者]水無田気流(詩人・社会学者)  [掲載]2014年06月08日   [ジャンル]人文 


■言葉に内在する力を見つめる

 言葉は文字通り言の葉。豊かで目に鮮やかな表象が、「葉」の字を当てさせたのだろうか。だが、筆者はあえて「草」を選ぶ。その低い視線は、通常視界に入らないものを、丹念にとらえて見せてくれる。引用される言葉は、八木重吉、西脇順三郎、中原中也、高橋睦郎、石原吉郎、左川ちかなど、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)。だが、単なる解説とは一線を画す。
 圧巻は、表題となった「おいしそうな草」の一節。鈴木志郎康(しろうやす)の詩「雑草の記憶」を引き、言葉なき雑草が「私」を通して言葉になろうとする刹那(せつな)を切り取る。そのとき「私」が雑草になりかけ、言葉がそれをおしとどめる、とも。「言葉が、人間とその他のものを区分して、限られた生を言葉の灯(あか)りで生きるようにと、うながす」が、「牛や馬、羊ならば思うだろう。おいしそうな草、と」。草を掻(か)き分け食らう動物と、言葉とともに繁茂する人間との差異。言葉の表皮を削(そ)ぎ落とし、内在する生成力そのものへの注視が連ねられた文集である。
    ◇
岩波書店・1836円
    --「おいしそうな草 [著]蜂飼耳 [評者]水無田気流(詩人・社会学者)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「寄生虫なき病 [著]モイセズ・ベラスケス=マノフ [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。


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寄生虫なき病 [著]モイセズ・ベラスケス=マノフ
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年06月08日   [ジャンル]医学・福祉 

■腸内微生物、退治が招く諸症状

 寄生虫を身体に入れ、自己免疫疾患やアレルギー疾患を治す。一見突飛(とっぴ)に思える方法を入り口に、アトピーやぜんそく、膠原病(こうげんびょう)、がん、うつ病など文明病といわれる病の原因を探る。
 かつて人体は、不衛生な環境で雑多な微生物を体内に取り入れ共生したまま、進化してきた。ところが19世紀後半、感染症の原因となる細菌を発見。抗生物質を作り出し、徹底的に「病原菌(虫)」を滅亡させるべく動き出す。
 衛生対策で感染症の犠牲者は激減するが、替わって増加したのが、先にあげた文明病。これらは微生物たちが突然「不在」となって、免疫機能が誤作動して発症するという。にわかには信じ難い内容だが、膨大な実験研究結果をわかりやすく誠実に紹介しているので、驚きつつも納得。
 かつていたはずの全微生物が生息する腸に返ることが、真の健康につながる。地球環境も体内環境も、待ったなしで多様性を取り戻すべき時期に来ているのかもしれない。
    ◇
赤根洋子訳、文芸春秋・2376円
    --「寄生虫なき病 [著]モイセズ・ベラスケス=マノフ [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「生きづらさの自己表現 アートによってよみがえる「生」 [著]藤澤三佳」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。


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生きづらさの自己表現 アートによってよみがえる「生」 [著]藤澤三佳
[掲載]2014年06月08日   [ジャンル]人文 

 統合失調症、強迫神経症、親の虐待による社会不安障害……生きにくい事情を抱えた人が絵画や映像を制作することで生きる意欲を取り戻していくさまを、多くの図版とともにたどる。露頭する葛藤、傷の奥の肉質部。だが、生きるために描き始めた人は苦しみが癒えるとふっと描かなくなる。離婚後に自死した元妻を「唯一の存在」として描き続けた楠登は「死んだ命が光の粒子になる」絵を描き終えたのち、作品を燃やしてしまう。摂食障害の自分を主題にした絵で知られる木村千穂も「自分の気持ちが言えるようになり、拒食や過食がなくなると、描けなくなって」。表現とは、芸術とは何なのか。見る側もまた自らの深奥を問い、揺れ動く。
    ◇
(晃洋書房・2376円) 
    --「生きづらさの自己表現 アートによってよみがえる「生」 [著]藤澤三佳」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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生きづらさの自己表現 (アートによってよみがえる「生」)
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覚え書:「トップ記事は、月に人類発見!―十九世紀、アメリカ新聞戦争 [著]マシュー・グッドマン」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。


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トップ記事は、月に人類発見!―十九世紀、アメリカ新聞戦争 [著]マシュー・グッドマン
[掲載]2014年06月08日   [ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝 

 1833年当時、ニューヨークでも新聞の購読は上流階級のぜいたくで、最も売れる新聞の発行部数は4500部だったという。それをわずか数年でひとケタ跳ね上げたのは、超高性能の望遠鏡によって月に知的な「ヒトコウモリ」が見つかったという、サン紙の壮大な虚報だった。
 あっぱれな大ボラの主が、一方では、「ワシントンの乳母と称する160歳超の女性、実は……」と暴きもし、人種差別問題に敢然と立ち向かいもする。虚実のはざまで筆をふるい、新聞を大衆のものにした人々が繰り広げる暴走・迷走の実録ドラマを、膨大な資料から紡ぎあげた筆者の労力にも驚かされる。
    ◇
(杉田七重訳、柏書房・2916円) 
    --「トップ記事は、月に人類発見!―十九世紀、アメリカ新聞戦争 [著]マシュー・グッドマン」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「(声)人殺しを命じられる身を考えて=大学名誉教授 石田雄(東京都 91)」、『朝日新聞』2014年06月10日(火)付。


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(声)人殺しを命じられる身を考えて
2014年6月10日
 
 大学名誉教授 石田雄(東京都 91)

 積極的平和主義であれ、集団的自衛権の解釈によってであれ、海外での武器使用を認めることになれば、敵とされた人を殺す任務を果たす兵士が必要となります。旧日本軍の兵士であり、政治学を研究してきた一人として、安倍晋三首相には、こうした人のことを考えて政策決定をしてほしいと思います。

 私は、米英帝国主義からアジアを解放する正義の戦争だと思っていた軍国青年でした。しかし学徒出陣を命じられた時、どうしても人を殺す自信が持てませんでした。せめて見えないところで人が死ぬ方がいいと、海軍を志願しました。体が弱くて認められず、陸軍の要塞(ようさい)重砲兵を命じられました。目の前で人を殺さずに済むと安心しましたが、軍隊はそんな生やさしいものではありませんでした。

 命令されれば、誰でも、いつでも人を殺すという訓練をするのが軍隊でした。捕虜になった米兵を殺せという命令が出た時でも、従わないと死刑になるという問題に直面しました。

 戦争で人を殺した兵士は、ベトナムやイラクで戦った米兵を例にとっても、心の問題で悩んでいる人が少なくありません。殺人を命じられる人の身になって、もう一度、憲法9条の意味を考えてみて下さい。
    --「(声)人殺しを命じられる身を考えて=大学名誉教授 石田雄(東京都 91)」、『朝日新聞』2014年06月10日(火)付。

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覚え書:「南方熊楠の見た夢―パサージュに立つ者 [著]唐澤太輔 [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。


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南方熊楠の見た夢―パサージュに立つ者 [著]唐澤太輔
[評者]赤坂真理(作家)  [掲載]2014年06月08日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 

■「境なき男」の柔らかな肖像

 熊楠が取り組んだ領域は膨大だ。ゆえに今まで研究書等を読むと、かえってとりとめないことがあった。全部合わせるとほとんど一人の人間に思えなかったことすらある。
 いや。熊楠とは本当に、一人の人間では、ないのではないか?
 なんと。本書の根底には、こんな反転的に鮮やかな問いがある。この問いこそが、私にとっては初めて、熊楠の大きすぎる全貌(ぜんぼう)をかいま見させるものだった。まるで、熊楠へのきらびやかな形容たちは海に浮かぶブイで、熊楠は海だったのだ、というように。
 このような存在の在り方を、著者は「パサージュ(通路)に立つ者」と呼ぶ。
 そんな存在を描き出すのに著者が着目したのもまた、意外な通路だ。夢。自己と他者が、生と死が入り交じる場所。「熊楠は、しばしばこの領域に立っていた」。熊楠は粘菌を採集するように夢を採集した。著者もまた、夢を熊楠のまったき現実として扱うのである。正しいと思う。
 熊楠はもともと、そういう「境のなさ」を生きていた。そのような熊楠だからこそできたことがある一方、その在り方は、統合失調症に酷似している。残された膨大な記録、写生、夢日記、それらは彼の飽くなき好奇心の発露であると同時に、彼をこの世につなぎとめる手段であった。
 従来、強靭(きょうじん)さが強調されやすかった熊楠であるが、本書では、輪郭がもっと淡く柔らかく、奔放でありつつ悩み苦しみもする熊楠が描かれている。ことに、彼自身が恐れながらも発症を免れた統合失調症を、愛息の熊弥が発症してしまう悲しみには、胸を突かれる。不思議なことにそこには、かつてなく「等身大」の熊楠がいる。
 熊楠は矛盾を矛盾ともせず生きた。二項対立を無化した。南方熊楠の生と所業は、私たちも含め未来の人類へのギフトだったのではないか、そんなことを思わせる本だ。
    ◇
 勉誠出版・4536円/からさわ・たいすけ 78年生まれ。早稲田大学助教。専門は哲学・生命倫理学。
    --「南方熊楠の見た夢―パサージュに立つ者 [著]唐澤太輔 [評者]赤坂真理(作家)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「神と肉―日本の動物供犠 [著]原田信男 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。


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神と肉―日本の動物供犠 [著]原田信男
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2014年06月08日   [ジャンル]社会 

■米の豊作を願い捧げられた命

 肉が好きだ。しかし、日本では明治になるまで、ほぼ肉食はしなかったと聞いたことがあり、「すみません、動物をばくばく食べちゃって」と少々うしろめたく思っていた。
 だが本書によると、日本人は縄文時代からずっと、肉を食べてきたのである。「これを持っていれば、肉を食べても許される!」という、諏訪大社が発行するお札(ふだ)(「鹿食免(かじきめん)」)まで存在した。やっぱりなあ、肉はおいしいもん。抜け道を探してでも、食べたいものです。
 ではどうして、表立って肉を食べにくい風潮があったのかというと、飛鳥時代から国家が殺生と肉食を禁じてきたからだ(ただし、当初は猪〈いのしし〉や鹿などの野獣を食べるのは許されていた)。禁令が出た背景には仏教思想もあるようだが、一番の要因は、米を安定的に生産するためだった。稲は栽培が難しく、豊作を目指して、さまざまなタブーが人々に科された。「動物を殺生したから、米が不作になったのだ」という理屈で(現代人の観点からすれば「迷信」だが)、肉食は禁じられていった。
 同時に、動物を殺して神に捧げる儀式(動物供犠)は、稲作と密接に絡みながら、日本各地で行われつづけた。米を作るのに、どうして動物を捧げる必要があるんだ、と怪訝(けげん)に思う気持ちも、本書を読み終わるころには氷解するだろう。著者は、現在も残っている祭りを実地調査し、文献も詳細に読み解いて、「米と肉」「国家と民間儀礼」について明快に論じる。はじめて知ることばかりで、非常に興味深かった。
 大切な米を安定生産するために、動物の大切な命を捧げて祈る。人々がどれだけ真剣に、天候や動植物のサイクルのなかで暮らしてきたかが、動物供犠を調べることから浮かびあがってくる。今後もありがたく、肉(むろん、米も)を食べようとつくづく思った。
    ◇
 平凡社新書・929円/はらだ・のぶお 49年生まれ。国士舘大学教授(日本文化論)。『歴史のなかの米と肉』など。
    --「神と肉―日本の動物供犠 [著]原田信男 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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[http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014060800011.html:title]

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覚え書:「鄙への想い  [著]田中優子 / 鄙の宿 [著]W・G・ゼーバルト [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。


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鄙への想い  [著]田中優子 / 鄙の宿 [著]W・G・ゼーバルト
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年06月08日   [ジャンル]人文 社会 

■自然と結びつけ思念を生む場

 「鄙」といういささか意味深い語を用いた両書にふれて、知的な広がりを実感する。もともとの意味は単に田舎を指すのだが、田中書は「鄙の本当の存在理由は人を自然界に結びつけ直し、人を『まとも』に育ててゆく力」と見る。私たちは都会が進んでいるかのような錯覚で多くの過ちを犯していると説く。
 ゼーバルト書は、6人の思想家・作家・画家の創作姿勢とその心理の深底にまで入り込んで分析を試みたエッセー。ここでいう「鄙」とはドイツ語のLandhausを指すが、訳者は田舎屋敷といったところと説明する。
 田中書は、日本の過去、現在に何が欠けているか、とくに、3・11後の日本社会を丹念に歩きつつ、「鄙を自然や共同体や祭の根源として捉えられなくなっている」とえぐりだす。徳義を失った政治を嘆き、日本は未(いま)だアメリカの被占領国であり、地方が金もうけの空間に堕し、「競争に勝つことを生き甲斐(がい)とし、勝ち負けだけが価値基準」という人たちが日本社会の指導者層を構成しているのではないか、との指摘は具体的でそして納得できる。今、私たちはどこから何を学ぶべきか。それは江戸学ではないか。江戸という都市、江戸社会の自然との共生、そこから多くの知を吸収できるはずとの訴えも説得力を持つ。
 ゼーバルト書にふれながら、作家・思想家たちが自らの思念を著述するための場との出会いがどれほど大切なのかを知らされる。たとえばジャンジャック・ルソーがサン・ピエール島に逃れて「コルシカ憲法草案」を練る。詩人のエドゥアルト・メーリケは、人生の大半を故郷にとどまったが、その作品のすべてに「流浪のスイス女の影が亡霊のように」ただよう。それもまた鄙が生みだす不可避の感性だったのだ。
 鄙が培う生活規範、倫理を改めて己の信条としうるかと両書は囁(ささや)きかけてくる。
    ◇
 『想い』清流出版・1944円/たなか・ゆうこ 法政大総長。『宿』鈴木仁子訳、白水社・3024円/W.G.Sebald 作家。
    --「鄙への想い  [著]田中優子 / 鄙の宿 [著]W・G・ゼーバルト [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「(安全保障を考える)同盟の歴史に学ぶ 東大名誉教授・三谷太一郎さん」、『朝日新聞』2014年06月10日(火)付。

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(安全保障を考える)同盟の歴史に学ぶ 東大名誉教授・三谷太一郎さん
2014年6月10日

「敗戦直後、日本が負けたのは国民の努力が足りなかったからだと言った指導者を、忘れられません」=早坂元興撮影

 政治を考えるとき、歴史に学ぶことは欠かせない。近代日本は三つの同盟を結んだ。戦前・戦中の日英同盟と日独伊三国同盟。この二つはいずれも戦争の導火線となった。そして、戦後、現在に至る日米同盟といわれる日米安保。これらの歴史から、今日の集団的自衛権論議は何をくみとるべきか。日本政治外交史が専門の三谷太一郎東大名誉教授に聞いた。

 

 ――政府与党が集団的自衛権の行使に向けた議論を進めていますが、歴史の文脈の中で、この問題をどうとらえたらよいのでしょうか。

 「最初にお話ししたいのは、戦後も68年が経過して、日本人の戦争観が、敗戦直後とは大きく変化したということです。憲法9条の前提となっていた日本人の戦争観が変わってしまいました」

 ――敗戦直後の戦争観は、どのようなものだったのですか。

 「敗戦の翌年1946年に、当時の指導的国際法学者で、後に最高裁長官となる横田喜三郎東大教授が、学術雑誌(注1)に『戦争の革命』という論文を発表しました。その中で横田教授は、『こんどの戦争によって、戦争の性質は根本的に変更され、戦争そのものの革命をもたらした。それはいままで戦争が一般に適法なものとされてきたのに、いまや一般に違法なものとされ、しかも犯罪とされるに至ったからである』と論じています」

 「これは当時の国民にも広く共有された見方ではないでしょうか。日本国憲法が発布されたときに私は小学生でした。憲法の他の条文はよくわからないものもありましたが、戦争を放棄した9条は素直に受け入れられました。日本は戦争の敗者であったわけで、『敗者の戦争観』はこういうものだったのです。それがいま『普通の国』という感覚なのでしょうか、米国や中国のような『勝者の戦争観』に近づいてきました」

 ――「勝者の戦争観」ですか。武力の行使を政策手段としてみるということですか。

 「国際紛争を解決する手段としてはそれなりの有効性を持つという考えでしょうか。与党野党を問わず、戦争観が大きく変わったという実感があります」

 ――様変わりしたのは国民の同盟観も同じです。かつては、「日米同盟」ではなく、一般に「日米安保」と言っていました。

 「『日米同盟』という言葉を公式に明言したのは大平正芳首相と言われています。1979年に訪米した際に、外務省幹部の進言で『同盟』という言葉を初めて使いました。それまでは、安保を『同盟』と呼ぶことには外務省当局者の間でもためらいがありました」

 ――なぜだったのですか。

 「1960年に全国を席巻した安保改定反対運動(注2)の衝撃があったからです。反対運動のひとつの目的は、安保の軍事同盟化の阻止にありました。安保を軍事同盟にしてはならないという主張です。あの運動は、その後の日本政治に大きな影響を与えました。あれがなければ、その後の池田勇人内閣の高度経済成長政策はおそらく出てこなかったでしょう。米政府当局者にも甚大な影響を与え、米国は、日米間の対話を再構築するため、日本専門家のハーバード大教授のライシャワー氏を駐日大使に任命しました。これは、戦前戦後を通じて異例の駐日大使人事です」

     ■     ■

 ――冷戦下の1960年とは、国際環境も様変わりしました。しかし、そもそも「同盟」とは何なのでしょう。集団的自衛権は同盟の論理と言われています。

 「どういうときに同盟が成立するのか、同盟の要件を考えてみましょう。戦前と日中戦争下の戦中に日本は二つの同盟を経験しました。三次にわたった日英同盟(注3)と、日独伊三国同盟(注4)です。二つの軍事同盟に共通する要件は、第1は共通の仮想敵国の存在です。第2は、おのおのの国が互いの勢力圏を承認し合うことです。第1回日英同盟の場合、共通の仮想敵国はロシアでした。勢力圏は、英国は主として清国、日本は朝鮮でした。第三国が参戦してきた場合には、同盟国を助ける参戦義務も規定されています」

 「日英同盟はその後、防衛同盟よりも攻守同盟の性格が強くなりました。そして日本は、第1次世界大戦でドイツに対して参戦したのです。対華二十一カ条要求などを通じて中国におけるドイツ権益を継承することを認めさせ、そのことが中国ナショナリズムの反撃を誘発しました。日英同盟は、第1次大戦を通して、日本の中国に対する侵食を加速する役割を果たしたといえます」

 ――参戦義務の話は、まさに今日でいう集団的自衛権の問題につながります。日独伊三国同盟のほうはどうだったのですか。

 「三国同盟が成立する過程で、最も深刻だったのは仮想敵国の問題です。具体的には、米国を仮想敵国とみなすべきかどうか。日独双方とも、対米戦争を回避すべきだと考えていました。すでに第2次世界大戦のただ中にあったドイツにとっては、米国の軍事的圧力はおそるべきものでした。交渉に当たっていた日本の松岡洋右外相は、現状維持では対米戦争は避けられないという状況判断でした。そこで、三国同盟を結んで日本が『毅然(きぜん)たる態度』をとること、それのみが戦争を回避する可能性を持つと、彼は考えたのです。もちろん絶対的な確信ではなく、対米戦争の公算は半々と考えていました」

 ――結果は破局でした。

 「軍事同盟は仮想敵国を想定しないと成り立ちませんが、情勢の展開の中で、仮想敵国が『現実の敵国』に転化するかもしれない、という非常に大きなリスクを常に念頭においておく必要があります。これが三国同盟からの歴史の教訓ではないでしょうか」

 「軍事同盟の論理は抑止力です。抑止力はリスクを伴います。今日といえども、それは同じだと思います。いまの日本政府当局者がどう考えているかわかりませんが、もし現在の中国を『仮想敵国』のようにみなして、それに対する抑止力として、集団的自衛権の行使を認めるべきだと考えるならば、相当のリスクを伴うと感じています」

     ■     ■

 ――抑止力を高めることが相手国との緊張を高めかねないという「安全保障のジレンマ」ですね。

 「冷戦後の世界は、多極化しました。ソ連が崩壊したあと、米国が空白を埋めて、絶対的なリーダーになるかと思われましたが、現実は予想に反しました。G8は、中国やブラジルなどを入れてG20になりましたが、覇権国家が消滅したことに着目すれば、現在の状況はG0(ゼロ)と言ってもよいかもしれません。冷戦後20年を超えた今日でも、安定的な国際秩序は未完の課題です」

 ――何が障害なのでしょうか。

 「歴史上いまほど、理念というものが不足した時代はないでしょう。現在の世界的な傾向であるナショナリズムを超える理念が存在しません。裏返せば、国益に固執した短絡的なリアリズムが世界を支配しています。覇権構造が解体してしまった現実が私たちの眼前にあります」

 「いまの日本では、外交の基軸を『日米同盟』の強化に求める傾向が強いと思います。それは、冷戦下の日米安保の軍事同盟化の延長です。覇権構造解体後の多極化した国際政治の現実に適合したものといえるでしょうか」

 ――どんな外交が必要ですか。

 「参考になるのは、今年勃発100年を迎える第1次世界大戦後の多極化した国際政治です。英国の覇権が解体し、米国主導の国際政治秩序がまだ確立しない過渡期でした。東アジアでは、米ワシントンで開かれた国際会議で海軍軍縮条約などが結ばれ、多国間条約のネットワークを基本枠組みとするワシントン体制という国際政治体制ができあがりました。多国間協調、軍縮、経済的・金融的提携関係を特色としました。これを崩壊させたのは当時の日本でした。このワシントン体制の歴史的経験や第1次世界大戦後の多国間条約の発想から学ぶべきだと思います」

 ――安全保障は、日本にとって実に難しい選択です。

 「私は、はっきり言うと、戦争によって国益は守られない、戦争に訴えること自体が、国益を甚だしく害すると考えます。日本の安全保障環境は、戦争能力の増強ではなく、非戦能力を増強することによってしか改善しないでしょう。その際、日本が最も依拠すべきものは、国際社会における独自の非戦の立場とその信用力だと思います。日本の非戦能力は決して幻想ではありません。戦後68年にわたって敗戦の経験から学んだ日本国民が営々と築いてきた現実です。この現実を無視することは、リアリズムに反します」

 「政治に万能薬はありません。必ずこれで日本の安全保障が確立するという選択肢はないのです。多くの場合、うまくいくかいかないかは、フィフティー・フィフティー。少しの差しかありません。そういうとき、理想に従うことが人間としてあるべき姿ではないでしょうか。国家本位ではなく、人間本位の考え方とは、そういうものではありませんか」

 (聞き手・三浦俊章、石田祐樹)

    *

 みたにたいちろう 36年生まれ。専門は日本政治外交史。著書に「日本政党政治の形成」「近代日本の戦争と政治」「ウォール・ストリートと極東」など。

(注1)「国家学会雑誌」(第60巻8号)

(注2)安保改定反対運動 岸信介内閣が進めた日米安保条約改定に対し、日本が米国の戦争に巻き込まれる危険が増すなどとして、反対運動が全国に広がった。条約承認の強行採決で混乱が深まり、アイゼンハワー米大統領の訪日は中止、岸内閣は退陣した。

(注3)日英同盟 1902年から1923年まで続いた軍事同盟。1905年の改定で攻守同盟の性格が強まり、締約国の一方が挑発することなく交戦した場合、他の一方の締約国はただちに援助して協同戦闘にあたることになった。

(注4)日独伊三国同盟 欧州で第2次世界大戦が勃発した翌1940年、第2次近衛文麿内閣がヒトラーのドイツ、ムソリーニのイタリアと結んだ軍事同盟。日米関係はかえって悪化し、日本軍の真珠湾攻撃で戦争が始まった。 
    --「(安全保障を考える)同盟の歴史に学ぶ 東大名誉教授・三谷太一郎さん」、『朝日新聞』2014年06月10日(火)付。

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覚え書:「スノーデンファイル [著]ルーク・ハーディング / 暴露 [著]グレン・グリーンウォルド [評者]島田雅彦(作家・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。


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スノーデンファイル [著]ルーク・ハーディング / 暴露 [著]グレン・グリーンウォルド
[評者]島田雅彦(作家・法政大学教授)  [掲載]2014年06月08日   [ジャンル]政治 社会 

■自由の国揺るがす、諜報機関の暴走

 諜報(ちょうほう)機関員のイメージは中年女たらしのジェームズ・ボンドや引退間際の英国紳士スマイリーに代表されてきたが、エージェントの主な活躍舞台がIT世界になった今日は、エドワード・スノーデンによってこそ、代表されるのかもしれない。
 その人物像は、評伝的要素が盛り込まれた『スノーデンファイル』に詳しく描かれている通り、痩せぎすで、髭(ひげ)が似合わない童顔で、ITスキルの高い、大雑把には「おたく」と分類される内気な青年である。さらにその思想的背景を追えば、小さな政府と個人主義の徹底を主張する共和党リバタリアン支持者である。日本の米軍基地にも勤務したスノーデンは国家安全保障局(NSA)の極秘情報を閲覧できるIT管理部門に籍を置き、その行き過ぎた情報の専横に違和感を覚え、逮捕されることを覚悟の上で内部告発に打って出た。
 暴露された最高機密の一部はスノーデンの最初の接触者であるジャーナリスト、グリーンウォルドの『暴露』に公開されている。
 NSAはサーバー各社、電話会社など一般企業をも傘下に置き、友好国の政治家や一般人のプライバシーをも完全に掌握することで、アメリカのみならず世界をその支配下に置こうとするまで暴走した。9・11以降のテロ対策という大義を最大限に拡大し、情報の透明性を高めることを公約に掲げたオバマの政権になってからも、さらにNSAは情報の占有を極めた。なぜそんなことをしたのかに対する前共和党大統領候補のマケインの私見が笑える。「できるからしたのだろう」
 日本でもつい先ごろ、アメリカと安全保障上対等になりたいがためか、「国家安全保障局」を中核とする国家安全保障会議が発足し、秘密保護法に基づき、情報の秘匿に本腰を入れ始めた。
 国家や企業の不正を内部告発する者が一人もいない世界……それはほとんど北朝鮮か、中国であるが、それらの国家を批判するアメリカや日本は内部告発者が正義を発揮しやすいわけでもない。逆にいえば、スノーデンや彼に協力したジャーナリストたちがいたからこそ、辛うじてアメリカにおける報道の自由、あるいは国家の専横に個人が対抗しうる自由を行使できたわけである。
 冷戦時代に旧ソ連からの亡命者を保護していた「自由の国」アメリカは、冷戦構造の終焉(しゅうえん)が宣言されてから二十年後、検閲や盗聴により、国民を監視下に置く全体主義の国に成り果てた。そのアメリカから追われる身になったスノーデンの亡命を認めたのがロシアだったというのは何という皮肉か。
 冷戦は終わっていなかった。ただ、目立たなかっただけだ。
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 『スノーデン…』三木俊哉訳、日経BP社・1944円/Luke Harding 「ガーディアン」海外特派員。
 『暴露』田口俊樹ほか訳、新潮社・1836円/Glenn Greenwald ジャーナリスト。報道サイト「インターセプト」を今年設立。
    --「スノーデンファイル [著]ルーク・ハーディング / 暴露 [著]グレン・グリーンウォルド [評者]島田雅彦(作家・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「人類5万年 文明の興亡―なぜ西洋が世界を支配しているのか [著]イアン・モリス [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。


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人類5万年 文明の興亡―なぜ西洋が世界を支配しているのか [著]イアン・モリス
[評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)  [掲載]2014年06月08日   [ジャンル]歴史 

■決め手は、時々の地理的条件

 英国の歴史学者ホブズボームは20世紀を「極端な世紀」と名付け、「8千年の歴史の終わり」と位置付けたが、本書を読むと前世紀は「狂気の世紀」だと思えるし、人類に100年後の未来はあるのかと不安が募った。
 本書は氷河期が終わった紀元前1万4千年から現在に至るまで、エネルギー獲得量や都市化度合いが示す「社会発展の鼓動」を基に著者が独自に指数化した「社会発展指数」を駆使しながら、西洋と東洋の興隆と衰退を解明する。
 従来、西洋の優位性について、「長期固定」理論と「短期偶発」理論が対立してきた。前者は西洋人は「他民族よりも文化的に優れている」と考え、後者は西洋が「アヘン戦争間際の1800年代に入ってはじめて一時的に東洋をしのいでいるのであって、それすらほとんど偶然の出来事だった」と主張する。
 著者は両説とも誤りだと断定する。「どこへ行こうと何をしようと、人間は、大きな集団として考えれば、みな同じ」。6世紀半ばから18世紀後半にかけて東洋が西洋をしのぎ、その後、西洋が東洋を圧倒したのは、いずれも当時の政治上、経済上の地理的条件の違いが決め手だった。
 産業革命が「何もかも」の時代、すなわち「貪欲(どんよく)に夢見る以上のものが得られる物質的豊かさの時代」を到来させた。21世紀には、東洋が西洋を再逆転するとみられるが、本当の問いは「私たちはどこへ向かうのか」だという。
 氷河期後から2000年までに西洋の社会発展指数は、900点上昇している。20世紀の100年だけで736点増えたこと自体驚異的だが、21世紀末には東洋の点数は、4千点以上上昇すると著者は予測する。「私たちは、歴史における最大の断絶点」に近づきつつある。「新しい存在に進化する」のか、「夜来たる」なのかは、「時代が必要とする思想」を手に入れられるかどうかにかかっている。
    ◇
 北川知子訳、筑摩書房・各3888円/Ian Morris 60年英国生まれ。米スタンフォード大学教授(歴史学)。
    --「人類5万年 文明の興亡―なぜ西洋が世界を支配しているのか [著]イアン・モリス [評者]水野和夫(日本大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「素顔の孫文―国父になった大ぼら吹き [著]横山宏章 [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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素顔の孫文―国父になった大ぼら吹き [著]横山宏章
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2014年06月08日   [ジャンル]歴史 政治 

■歴史を動かした革命家の実像

 三民主義を掲げ、辛亥革命をリードした近代中国の国父孫文。日本の歴史の教科書にも威厳のある口ひげを蓄えて登場するこの偉人が、実は大言壮語ばかりする困った人物だったらしいというのは何かで読んだことはあったが、まさかこれほど際どい人物だとは思わなかった。
 とにかく変わり身が早い。柔軟というよりむしろ無節操。状況によって提携相手を次々と変え、裏では借款との引き換えに革命後の租界割譲を密約するなど、裏切り者と言われても仕方がないことを平気でした。看板の三民主義も想像からはほど遠い。鼻につくほどの漢民族中心主義で、少数民族の自治を排し、人民を愚か者と決めつけ個人の自由を認めず、革命後の政体も軍部と行政府による独裁型を志向していたという。
 自前の軍隊を持たず蜂起と敗走を繰り返し、流れ者のように日本に亡命を繰り返した姿を読むと、実務能力に乏しく周囲が見えていなかったとしか思えない。「革命だ! 革命だ!」と叫び続ける裸の王様を思い浮かべてしまう。申し訳ないが、革命家以外の職業は無理だったろう。
 謎なのは彼がなぜ国父と呼ばれるほどの政治的権威を身につけたのかということだ。
 何しろほとんど何も成功していない。辛亥革命勃発時も実は外遊中で、慌てて文無しで帰国し、後は俺に任せろと言わんばかりに他人が作った政権の上にチョコンと乗っかっただけらしい。一体何様ですか?と思うが、逆にそれができるのが偉大なところ。それぐらいの個性がないと中国のような大国の歴史を動かす星にはなれないのだ!とでも思うよりしょうがない。
 筆者も指摘しているが孫文が志向した政治は現在の共産党政権によりかなり実現されている。歴史にイフは禁物だが、孫文がいなかったら今の中国は一体……という疑問はどうしても湧く。色々な意味で興味の尽きない傑物だ。
    ◇
 岩波書店・4104円/よこやま・ひろあき 44年生まれ。北九州市立大大学院社会システム研究科教授。
    --「素顔の孫文―国父になった大ぼら吹き [著]横山宏章 [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年06月08日(日)付。

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素顔の孫文――国父になった大ぼら吹き
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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 不十分な審議時間 地域医療・介護確保法案=本田宏」、『毎日新聞』2014年06月11日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論

不十分な審議時間
地域医療・介護確保法案

本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 先進国最低レベルに抑制してきた社会保障関連の予算を充実させるため、国は「税と社会保障の一体改革」と称して消費増税を断行した。しかし、現在検討している「地域医療・介護確保法案」は、医療費抑制ありきで医療提供体制を弱体化させるだけでなく、介護保険の要支援者への訪問・通所介護を市町村事業へ丸投げするのではないかと危惧されている。
 このため、多くの医療関係者や患者が「患者の受け皿が足りない」「介護保険制度の入り口が狭められ、制度が後退する」などと懸念や批判の意見を表明している。先月7日の衆院厚生労働委員会に、この法案の参考人として出席した。「千載一遇のチャンス。日本の医療崩壊の根底に、医療費某国論による医療費と医師養成抑制があることを精いっぱい訴えよう」と思い、力が入った。
 だが、委員会の10日前、国会の担当者から届いた法案に関する分厚い資料を見て驚いた。提案理由を記した厚労省の資料(583ページ)や、法案提出の背景と経緯などをまとめた衆院調査局厚労調査室参考資料(278ページ)、医療従事者の勤務環境改善に向けた手法を調べた厚労省研究班の報告書(387頁)の3冊で、優に計1200ページを超えていたからだ。
 現場の窮状を訴えるチャンスと考え、参考人質疑の前に資料をしっかり読み込みたかったが、10日間で法律用語を含む難解な文章を精読、吟味することは不可能だった。果たして、厚労委の国会議員はどれだけ法案の詳細を理解したうえで、審議に臨んでいるのだろうか。
 参考人質疑7日後の先月14日に、法案は衆院厚労委で強行採決され、現在は参院で審議中だ。しかし、法案が衆院厚労委で審議されたのは、5日間でわずか28時間。参考人質疑と地方公聴会の11時間を合わせても39時間にとどまる。国民の命に直結する19もの重要法案なのに、1法案当たりの審議時間は平均2時間程度に過ぎなかった。
 「審議が不十分ではないのか」という私の懸念は、24日東京都内で開かれた医療事故調査委員会のシンポジウムで確認された。医療機関が医療事故調に報告すべき対象に、「死産」がいつの間にか入っていたのだ。毎年数多く発生する死産が対象に入れば、医療事故調が機能しなくなり、医療の萎縮も進むだろう。それにもかかわらず、参加した与党議員によれば、与党の法案審査過程では、この部分の議論がすっぽり抜け落ちていたのだという。
 国民の命に直結する重要法案について、審議時間が不十分なまま担当省庁の可決を急がされる政治。憲法25条が定める生存権を順守できない構図を、肌で実感した。

参考人招致 国会で専門的な案件や事件が議論の対象となった場合、その分野の専門家らに出席を求め、意見や見解を述べてもらうこと。証人喚問と異なり、出席するかどうかは本人が決められ、うそを述べても罪に問われない。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 不十分な審議時間 地域医療・介護確保法案=本田宏」、『毎日新聞』2014年06月11日(水)付。

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覚え書:「書評:宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源 佐藤 優 著」、『東京新聞』2014年06月08日(日)付。

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宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源 佐藤 優 著

2014年6月8日


◆信仰者を介し、捉える歴史 
[評者]富岡幸一郎=文芸評論家
 二○○五年、『国家の罠(わな)』を上梓(じょうし)して佐藤優は颯爽(さっそう)と日本のジャーナリズム、ノンフィクション界に登場した。以後の旺盛な仕事は目を瞠(みは)るばかりであり、外務省で対ロシア外交の最前線で活躍したことから、政治・外交の分野での発言は常に注目され、今日に至っている。その多彩な言論活動から博覧強記の知識人の印象が強い。現に、佐藤はグローバル時代の思想家と呼ぶにふさわしいが、しかしこの知の巨人の根底にあるもの、彼の精神の背骨を形成しているものは何であるかは、意外に一般の読者に知られていない。
 本書は、まえがきで著者自身が述べているように、佐藤優という著述家の「過去と未来と現在」が「すべて盛り込まれ」ている。内容は書名のように宗教改革の時代、ルターやカルヴァンより百年前にチェコでカトリック教会と対決し、異端の烙印(らくいん)を押され火刑にされたヤン・フスの教会論を軸に展開されている。ただしフス論でもなければ、神学の書でもない。フスの言動や聖書の言葉は多く紹介されているが、核心にあるのは、副題の「近代、民族、国家」の歴史と起源を、どのように捉えるかである。
 二十一世紀のいま、眼前で生起していることは、近代以降の世界史の巨大な地殻変動である。三百年、いや五百年のスパンで見なければ、この歴史の変動と亀裂の正体はわからない。著者はその正体を、フスという信仰者を媒介としながら、宗教改革を根本的に捉え直すなかで明らかにする。
 これは専門分化した学者(特に現在のキリスト教学者)には到底できないことだ。しかも同時に、沖縄人であり日本人であるという著者の来歴が、つまりアイデンティティーという近代人のテーマが重ねられている。そのとき、著者の背骨たるキリスト者としての地上の生き方が物語られ、人間中心主義としての近代の限界(終焉(しゅうえん))に立つ「現在」が、鮮烈な構図として示されている。
(KADOKAWA・3564円)
 さとう・まさる 1960年生まれ。作家。著書『獄中記』『自壊する帝国』など。
◆もう1冊
 山内志朗著『普遍論争』(平凡社ライブラリー)。近代では排除されがちな中世の宗教哲学の水脈を「普遍」の存在をめぐって検証。
    --「書評:宗教改革の物語 近代、民族、国家の起源 佐藤 優 著」、『東京新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「書評:生き生きした過去 大森荘蔵の時間論、その批判的解読 中島 義道 著」、『東京新聞』2014年06月08日(日)付。


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生き生きした過去 大森荘蔵の時間論、その批判的解読 中島 義道 著

2014年6月8日


◆師を分析する哲学の姿勢 
[評者]南木佳士=作家・医師
 これまでに様々な本と出会ってきたが、それは縁があったからとしか言いようがない。うつ病で服薬を続けていた四十代のなかば、中島義道の『「時間」を哲学する』(講談社現代新書)を読み、未来は現在の想(おも)いに過ぎず、だれにも平等に隠されている、という意味の記述を見つけて、数年ぶりに大きな安堵(あんど)のため息が出た。
 中島義道の師が大森荘蔵と知り、その著作を読み始めていたころ、朝日新聞に彼のエッセイが載った。大森荘蔵独特の品のよい文章のなかに、「事実は、世界其(そ)のものが、既に感情的なのである。(中略)自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景に過ぎない」との、うつ病患者にとってはどんな新薬よりもよく効く一節があった。のちに、このエッセイは死に至る病床での口述だったと知る。
 大森荘蔵の死から十七年、弟子の中島義道は師の哲学的主張の変遷を克明に分析し、そのすべてを冷静に、批判的に解読する。もちろん、病床で述べられた「天地有情論」さえも。
 しかし、その批判は、師から知識よりもはるかに多く哲学する姿勢を学びとった誠実な哲学徒として精確(せいかく)な論証を希求するゆえであり、それによって、大森荘蔵がなぜ「過去が生き生きと立ち現われる」とのグロテスクな持論に固執せねばならなかったのかを浮き彫りにするためでもある。
 大森哲学の基本となる「立ち現われ一元論」の瑕疵(かし)をわかりやすく指摘した著者だが、「中島君、そうではありません」と微笑(ほほえ)みながらもきっぱり否定する先生の姿が立ち現われてくるような気もする、と素直に述懐する。
 師が永遠の不在になったからこそ、彼の論の不整合を情実抜きに批判できるのだが、その優位性には、もはや師の進化を見られず、反論を聴けない、生き遺った者としての寂しさがつきまとう。そんな心情を表に出さぬ著者の姿勢が好著を生んだ。
(河出書房新社・2700円)
 なかじま・よしみち 1946年生まれ。哲学者。著書『時間論』など。
◆もう1冊
 大森荘蔵著『時間と存在』(青土社)。「キュビズムの意味論」「色即是空の実在論」などの章で、常識を覆す新しい哲学を展開。 
    --「書評:生き生きした過去 大森荘蔵の時間論、その批判的解読 中島 義道 著」、『東京新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「書評:祈りの大地 石川 梵 著」、『東京新聞』2014年06月08日(日)付。


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祈りの大地 石川 梵 著

2014年6月8日


◆人の痛みを撮る覚悟
[評者]桜木奈央子=フォトグラファー
 本書は、世界各地の「祈り」を撮影し続ける写真家が、東日本大震災を取材し被災地と向き合った記録である。
 約三十年前、アフガニスタンで従軍取材を経験した著者は、命がけで戦う兵士たちの姿に衝撃を受けた。彼らの心の支えである信仰とは何なのか。それが「祈り」というテーマとの出会いだった。
 震災発生直後、東北地方を空から撮影しようとした著者が目にしたのは、津波で徹底的に破壊された町々だ。「いったいなぜこんな悲劇が東北を襲ったのか、私はこれまで世界各地で火山活動や地殻変動を空撮してきたが、眼下に広がる光景は受け入れがたいものだった」
 東北の大地で出会ったのは、それでも続く暮らしの中で小さな祈りを重ねて前に進む人びとの姿だ。著者も時にカメラを置き、うずたかく積まれた瓦礫(がれき)から、まだそこに眠る人びとの気配を感じた。それはまるで祈りのようにも見える。
 他者の痛みを伝えることは、伝える者が自分の人生に向き合う作業でもある。傷ついた人びとの写真を撮るということは、自分もその傷とともに生きる覚悟が必要なのかもしれない。彼らと深くつきあうほど悲しみや喪失感は大きくなる。そこにどうやって希望を見いだすのか。被災者である菅野啓祐さんと著者が、ともに新しい門出を祈って陸前高田の大漁旗を揚げるシーンが、印象に残る。
(岩波書店・2592円)
 いしかわ・ぼん 1960年生まれ。写真家・ノンフィクション作家。
◆もう1冊 
 石川梵著『THE DAYS AFTER』(飛鳥新社)。3・11の現場に立ち、震災をひとりの視点で捉えた写真集。 
    --「書評:祈りの大地 石川 梵 著」、『東京新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「惨劇 繰り返さぬように 『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 フリーライター 加藤 直樹さん(47)」、『東京新聞』2014年06月08日(日)付。

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惨劇 繰り返さぬように 『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 フリーライター 加藤 直樹さん(47)

2014年6月8日

 生まれ育った東京・新大久保の街で、男たちが「朝鮮人を殺せ!」と声を張り上げている。「在日特権を許さない市民の会(在特会)」によるヘイトスピーチ。その光景が、九十年前の惨劇と重なって見えた。
 一九二三年九月一日正午前に発生し、首都圏に甚大な被害を与えた関東大震災。その渦中で「朝鮮人が暴動を起こす」「井戸に毒を入れた」といったデマが広がり、大勢の朝鮮人が殺された。加害者の多くは、デマを信じた住民たちだった。
 「公道で『朝鮮人を殺せ』という人たちが出てきたのは、あの時以来でしょう。でも、誰も大震災とつなげていない」
 加藤直樹さんは「このままではまずい」という危機感から昨年九月、関東大震災での朝鮮人虐殺を描くブログ「9月、東京の路上で」を始めた。
 仲間と現場を訪ね、丹念に資料を調べる。地震発生時から追体験できるよう、惨劇が起きた日時に合わせて更新した。
 九月二日午前五時ごろ、消防団に捕らえられた朝鮮人の若者は、警察に連行される途中、荒川にかかる旧四ツ木橋で死体が山になっているのを目撃した。その後の数日間、付近では朝鮮人虐殺が繰り返された。三日午後四時には、隅田川にかかる永代橋付近で、陸軍兵士らが朝鮮人三十人前後を殺害した。
 各地の虐殺を体験者の証言などからたどる期間限定のブログに「九十年前の出来事とは思えない」とコメントが相次いだ。「過去というより、最悪の未来をのぞいた人が多かった」
 ブログ執筆中の昨年九月、久しぶりに新大久保を訪れた。そこで、出版社を経営する友人と再会し、書籍化が決まった。
 各章の扉の絵は、韓国の友人に頼んだ。麻布に墨汁をつけてたたきつけた作品。麻は貧しい人が葬式で着るもので、二度と狂ったことが起きないよう、思いを込めたものだという。
 本の中には、襲われる朝鮮人を守った日本人も登場する。千葉・丸山集落の農民たちは、二人の朝鮮人を守るため、鎌やくわを手に一晩、寝ずの番をして自警団の侵入を防いだ。栃木県の小山駅前では、一人の女性が群衆の前に立ち「こういうことはいけません」と訴えた。
 「守った人は、個人としての朝鮮人を守りました。殺した人は、記号としての朝鮮人を殺した。記号は殺せるんですよ」
 ころから・一九四四円。 (加古陽治)
    --「惨劇 繰り返さぬように 『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 フリーライター 加藤 直樹さん(47)」、『東京新聞』2014年06月08日(日)付。

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九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響
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日記:橋川文三の吉野作造観:橋川文三『昭和維新試論』講談社学術文庫。


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「解説」が鶴見俊輔さんの手によるものだから、橋川文三『昭和維新試論』講談社学術文庫、読み始めたが、のっけから(序)、吉野作造の「深み」示すエピソードに言及があり驚愕(鶴見さんの「解説」でも大きく紙面を割いている。

解説部分↓

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 大正一〇年(一九二一年、これは橋川文三のうまれる前の年におこった、朝日平吾による安田善次郎暗殺は、時の首相原敬の日記では、「兇漢は不良の徒にて特に安田に怨恨ありし者にはあらざるが如し」と簡単に書かれ、偶発的凶行としてかたづけられている。
 しかし、同時代に対するかんをもっていた「読売新聞」記者は、大久保利通の暗殺、森有礼の暗殺、星亨の暗殺、伊藤博文の暗殺以上に「思想的の深み」のあるものとして、朝日平吾による安田善次郎暗殺をとらえていた。
 たしかに、首相も大臣もつとめたことのない一富豪の暗殺は、暗殺者の遺書によって見る時、日露戦争終結後にはじまる新しい流れのあらわれだった。その意味を認める力を、アナキスト系の作家宮嶋資夫はおっており、宮嶋の小説『金』(大正一五年作、朝日平吾を主人公とする)の読後感を書いた政治学者吉野作造もまたもっていた。
 おだやかな改革をめざす民本主義者吉野作造が、なぜ、朝日平吾を、重く見ることができたか。その理由を橋川は次のようにのべる。
 「ともあれ、朝日の遺書全体を貫いているものをもっと簡明にいうならば、何故に本来平等に幸福を享有すべき人間(もしくは日本人)の間に歴然たる差別があるのかというナイーヴな思想である。そして、こうした思想は、あえていうならば、明治期の人間にはほとんど理解しえないような新しい観念だったはずだというのが私の考えである。朝日というのが、いわば大正デモクラシーを陰画的に表現した人間のように思われてほかならないのはそのためである。そして吉野作造は、その点をよくとらえていたように思われる。」
 朝日平吾と吉野作造を、同じ状況に根を持つ人として見る見方。さらに進んで、橋川はのべる。
 「ところで、やや性急に言うならば、私はもっとも広い意味での『昭和維新』というのは、そうした人間的幸福の探求上にあらわれた思想上の一変種であったというように考える。」
 昭和維新思想のこのとらえかたは、やがて橋川が「戦中派揚棄の志」としてのべる見方につらなる。彼にとって、日中戦争-大東亜戦争の十五年の体験の内部にたちつづけるというのとはちがう見方が、あらわれていた。
 あるべき幸福からしめだされているものの悲哀が、朝日平吾のようなナショナリストの中にあるとともに、宮崎資夫のようなアナキストの中にもあった。
 「しかし、それはまた当時、右翼へ、左翼へ、もしくはアナーキズムへ奔った青年たちの多くに共通する要素でもあった。」
    --鶴見俊輔「解説」、橋川文三『昭和維新試論』講談社学術文庫、2013年、306-308頁。

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1921年、安田財閥総帥善次郎が、テロリスト朝日平吾によって命を奪われるが、それは明治の元勲暗殺の事例とは様相が異なるということ。「前者は、むしろ自ら権力支配の資格を主張しうるものたちの義憤」に対し、「後者はむしろ被支配者の資格において、支配されるものたちの平等」を求める欲求に起因する

序で長文の吉野作造の論考が引用されるが(「宮嶋資夫君の『金』を読む=朝日平吾論、アナキスト作家宮嶋が朝日平吾を主人公とした小説への論評)、橋川は「『民本主義者』吉野作造の感受性が世のいわゆる良識派知識人のそれとかなりかけはなれた印象を与えることに興味をひかれた記憶」があるという。

吉野作造は「朝日の行動には徹頭徹尾反対」としながらも、その「古武士的精神と新時代の理想との混血児」と捉え、「何故に本来平等に幸福を共有すべき人間(もしくは日本人)の間に、歴然たる差別があるのかというナイーブな思想」として評価し、安田の罪悪は大学に講堂作って贖えるものでないという。

吉野作造に対する評価は、その政治哲学として「限界がある」「手ぬるい」といったものから、人間観として「楽天的」「性善的」という「定評」ですまされることが多いのですが、そう「単純じゃない」ということで、せんだって、吉野作造記念館の小嶋研究員と意気投合したのですが、まさにまさに。

留学生を支援するために、東京帝国大学教授の職をなげうった吉野は確かに、人間の善性を信頼する楽天性で輝いているかもしれないが、上杉慎吉から大杉栄まで対等につき合い、具体的な漸進主義で改革プログラムを提示し続けたそれは有機的知識人であり、結構、シニカルかつ強かなところもあるんですよねえ。

 


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覚え書:「今週の本棚:若島正・評 『TTT-トラのトリオのトラウマトロジー』=ギジェルモ・カブレラ・インファンテ著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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今週の本棚:若島正・評 『TTT-トラのトリオのトラウマトロジー』=ギジェルモ・カブレラ・インファンテ著
毎日新聞 2014年06月08日 東京朝刊

 (現代企画室・3888円)

 ◇全篇にあふれる声、喪失の悲しさただよう

 キューバの作家であり、カストロが政権を掌握してからは祖国を離れ、ロンドンに移住して母国語のスペイン語のみならず英語でも執筆活動を続けた、ギジェルモ・カブレラ・インファンテの代表作が遂(つい)に翻訳された。近来の快挙である。早口言葉を活(い)かした邦題もふるっていて、『TTTトラのトリオのトラウマトロジー』という。

『TTT』は何よりもまず声の本である。あふれるほどの声、声、声。革命前夜、バティスタ政権下のハバナで、歓楽街にたむろして夜ごとの乱痴気騒(らんちきさわ)ぎをくりかえす男たちの猥雑(わいざつ)な声がある。さらには、女たちの声もある。精神科医とのセッションで語り続ける女。道端で訳のわからないことをつぶやいている狂女。そして女たちのなかで最も印象的なのは、断章「彼女の歌ったボレロ」に登場する、巨漢女のラ・エストレージャだ。けたたましい鼾(いびき)をかく、グロテスクな女性でありながら、ひとたび歌を歌えば彼女はこの世のものとは思えない歌姫に変身する。「そのメロディーが胸から、巨乳から、太鼓腹から、あの巨体全体から流れ出て……真に心に迫るその流れるような柔らかい声、油の利いた体からプラズマのごとくコロイド状に流れ出るその声を前に、僕はオペラで鯨が歌ったとかいう挿話のことなど考える間もなく、体に激震が走るのを感じた」

 それでは、なぜここにはこれほどまでに声があふれているのか。それは、声として出る言葉や歌がその時その場かぎりの体験であり、キューバを離れたカブレラ・インファンテが書く、今ここには決定的に失われているものだからではないか。その意味で、カオスとしての声たちが集まって形作るのは、失われたあの時のハバナでもある。スペイン語の原書の題名は、直訳すれば「三頭の寂しい虎」であり、そこには喪失の悲しさがただよっている。あの圧倒的なラ・エストレージャですら、死んでしまうと後には「凡庸なレコード一枚」しか残らない。虎は死んだら皮を残すというが、本書でカブレラ・インファンテが再現しようと試みているのは、決して皮ではなく、虎そのものなのだ。トラ・トラ・トラ!

 英訳版の題名は、やはりこれも直訳すれば、「三頭の囚(とら)われた虎」になる。「囚われの精神」がやり場のない活力をぶちまけたような、ハバナの喧噪(けんそう)がこうしてリアルに再現される一方で、ここにはその檻(おり)から脱出しようとするベクトルもはっきりと見て取れる。それは、高速道路を突っ走る男たち二人が「このまま走り続けてハバナじゃなく四次元へ辿(たど)りつこうとしている」というくだりにもうかがえる。それを実現しようとする手法が、全篇に満ち満ちている執拗(しつよう)な言葉遊び、タイポグラフィカルな仕掛け、キューバ文学のみならず世界文学にまで広がるさまざまな文体模写や文学的引用にもじり、直線的な物語ではなく断章から組み立てた作品構成だ。ポストモダン小説にも通じるこうした趣向によって、本書『TTT』はいつのどこでもない、従って現在の日本にいるわたしたち読者にもアクセス可能な、まさしくこの書物の中にしかない、カブレラ・インファンテ独自の不思議な時空間を作り上げている。それがおもしろくないはずがないではないか。

 この憑(つ)きものに取り憑かれたような書物の、あふれる声を掬(すく)い上げ、痙攣(けいれん)的に連発される駄(だ)洒落(じゃれ)も帯に謳(うた)われるように「超訳」し、カブレラ・インファンテの真剣な遊びに徹虎徹尾つきあった、訳者の虎軍奮闘ぶりは最大級の賛辞に値する。(寺尾隆吉訳)
   --「今週の本棚:若島正・評 『TTT-トラのトリオのトラウマトロジー』=ギジェルモ・カブレラ・インファンテ著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『禁欲のヨーロッパ』=佐藤彰一・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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今週の本棚:本村凌二・評 『禁欲のヨーロッパ』=佐藤彰一・著
毎日新聞 2014年06月08日 東京朝刊

 (中公新書・950円)

 ◇古代地中海世界の貴族層の不安背景に

 古代ギリシアのデルフォイの神域に「汝(なんじ)自身を知れ」と刻まれていたことはつとに名高い。それとともに「何ごとにも度を過ごすなかれ」とも記されていたという。賢人はしばしば放縦を戒め自制を説く。だが、それを実行するとなると、たやすいことではない。まして、ある社会組織の拡(ひろ)がりのなかで起こってくるのであれば、それは人類史を画する出来事だったのではないだろうか。

 4世紀のエジプトの砂漠で、奇妙な人々の一群が姿を現している。ひたすら質素きわまりない生活をおくり祈りをささげる修道士たちがいた。それほど人里と離れているわけではないが、やはり隔絶した世界であった。できるだけ物欲、食欲、性欲を断ち、男性の共同生活が営まれる。

 名誉や地位などもってのほか、水や油をたらしただけのパンといくらかの野菜で空腹を満たし、性生活とは断絶する。女性の身体はおろか女性のイメージすら思い描かないという禁欲の極みに達しなければならないのだ。

 なぜ、これほどまでに追いつめられたかのような禁欲生活が理想とされたのだろうか。それまでの人間には、美味( おい )しいものを食べたい、異性の身体にふれたい、という欲望は自然のものであった。だが、ここには、行動としての禁欲ばかりか、心に浮かぶ由無し事にまで規制がかかるのだから、半端な心構えでは臨めないことだった。

 事態は男性だけではなく、女性や子供にまでおよんでいく。子供を産むためにだけ性交が認められ、夫婦生活が節制され、結婚の解消すら取沙汰される。処女や童貞が重んじられたから、結婚の放棄と出産の拒否は古代末期の人口減少の主因だったと指摘する学者もいる。

 三一三年、コンスタンティヌス帝によってキリスト教が公認された。その後のローマ帝国にあって、エジプトの砂漠で実践された禁欲の規範は、エジプトばかりか東地中海を越え、地中海世界全域にまで広がっていく。もちろん緩和された形であったにしても、修道士たちの砂漠の規範が多くの人々の共鳴するところとなる背景にはなにがひそんでいたのだろうか。

 その根源には、古代地中海世界における人々、とりわけ貴族層の不安があったのではないか。著者の問いかけはそこにある。

 4世紀後半のガリアにいたポワティエ司教ヒラリウスの語るところでは「救済というただ一度の、そして世界を掩(おお)う業で癒やし、世のさまざまな病を、学識あるいは技術によってではなく、言葉の力によって治してくれる一人の医師が必要であった」のだ。彼に師事したマルティヌスはまさしく祈祷(きとう)と言葉の力によって「悪魔憑(つ)き」を癒やす聖人としての名声を高めた。その修道士聖人の強烈なモデルは、ガリアにおける宗教心性の土壌をなしている。

 だが、エジプトの砂漠で練り上げられた修道戒律が広く伝播(でんぱ)していくには、あらたな修道形態を創出する運動のうねりがなければならない。それには、ゲルマン人の侵入にともなって大土地所有者が避難する場所が求められた。南仏カンヌの沖合の小島にあるレランス修道院はその走りであったという。

 肉体の欲望を克服し禁欲実践に配慮する。このような精神的態度がいかにして生まれたのか。拙著を引き合いに出すのは憚(はばか)られるが、変貌する古代社会の底流を探る試みとして『愛欲のローマ史』(講談社学術文庫)がある。併読してもらえば、一千年紀のユーラシア西部における心の変容の様がご理解いただけると思うのだが。 
    --「今週の本棚:本村凌二・評 『禁欲のヨーロッパ』=佐藤彰一・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『暴露 スノーデンが私に託したファイル』=グレン・グリーンウォルド著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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今週の本棚・新刊:『暴露 スノーデンが私に託したファイル』=グレン・グリーンウォルド著
毎日新聞 2014年06月08日 東京朝刊

 (新潮社・1836円)

 2012年12月、著者宛にある人物から一通のメールが届く。やり取りの前、執拗(しつよう)に暗号化ソフトのインストールを迫った送り主は、米政府の最高機密文書を入手していたエドワード・スノーデンだった。情報提供を受けた著者は、英紙ガーディアンで米国家安全保障局(NSA)の情報収集活動の実態を報じ世界は驚愕(きょうがく)する。本書によると、NSAは全世界の電子通信を監視下に置くことを目指している。入力・閲覧情報を入手できるソフトを開発し、パソコン5万台以上に忍びこませていた。

 「大量の情報収集は国民の利益になる。ならず者を監視するために必要だ」。政府側の論理は通りがいい。だが「大量監視システム」は13年のボストンテロは防げなかったし、メタデータに「本物の計画」は埋もれ、見られているとの疑念は人の言動を統制する、と本書は指摘している。

 秘密保護法の施行、集団的自衛権の行使容認といった日本が今置かれている状況とよく響き合う。内部告発者の処遇やメディアの立ち位置、監視する権力をどう監視できるのか。そして「情報」とは一体誰のものかを考えさせられる。=田口俊樹、濱野大道、武藤陽生訳(部) 
    --「今週の本棚・新刊:『暴露 スノーデンが私に託したファイル』=グレン・グリーンウォルド著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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書評:今野真二『日本語の考古学』岩波新書、2014年。


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今野真二『日本語の考古学』岩波新書、読了。印刷書物や電子データになじむと、「源氏物語の作者は?」と問われれば「紫式部」という常識に拘束される。しかし、写し手や時代が変わればがわりと変わるから、考古学的にアプローチする他ない。僅かな痕跡から日本語の変貌を解き明かす魅惑的試み。

例えば8世紀に成立した万葉集は、歌う「うた」を初めて「文字で書かれたテクスト」。現存する最も振るいテクストは西本願寺本(鎌倉時代の写本)で漢字に仮名振りだが、原万葉集は当然全て漢字表記と想定される。またテクストによって書体も異なってくる。

「『失われた部分』への意識をつねに持ち続けること。今目の前にある日本語がすべてだと思わないこと。そうしたことが、言語の長い歴史を復元していくときに必要な態度ではないかと思う」。日本語を考古学的に考察することは自明の前提にとらわれないことが必要。

字体の再編成は、書写の段階で誤認を起こすことも。紀貫之のテクストを書写した藤原定家もその一人で、文字がオタマジャクシに見え、写生するが如く書き写した模様だ。言語にはゆれの幅が存在した。統一されるのは一九〇〇年の第一号表(著者『百年前の日本語』岩波新書、参照

本書は『源氏物語』、『土左日記』、『平家物語』といった古典だけでなく、キリシタン版の「正誤表」から「正しい表記」という考え方の誕生や、「行」はいつ頃から出来たのか等々、多様性に富み、可能性にも満ちて開かれていた言語の歴史を発掘する。

グローバル化の進展は、(そもそも複数存在した)言語の単一性を自明のものと見なし、何かテクニカルな技術と点数に言語教育を還元し、ひたすら反復練習を繰り返すが、言語を理解する、学ぶとはそう歪なものではないだろう。考え方リフレッシュさせる好著。

 


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覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『日本語とハングル』=野間秀樹・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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今週の本棚:池澤夏樹・評 『日本語とハングル』=野間秀樹・著
毎日新聞 2014年06月08日 東京朝刊

 (文春新書・832円)

 ◇言葉使い生き生き、得心いく言語論

 言葉はまず個人に属する。

 そして始まりは<話されたことば>である。

 <書かれたことば>はその後から来るし、標準的な語彙(ごい)や文法や正書法はたくさんの個人の言葉を束ねる形で成り立ち、その後に規範となって個々人の言葉を調えようとする。

 日本語についての、言語一般についての、この無類におもしろい本を読んでいてそう思った。著者がそう言っているわけではないが発想はそういうことではないか。

 言葉ならばよく知っている、と誰もが思っている。現代日本語ならば困らないと信じている。しかし日本語はそれ自体が複雑怪奇なもので、しかも生成的に変化している。その混沌(こんとん)たる情景の全体をこの本は正に快刀乱麻、見事に整理して論理づけ、明快な絵図を引いてくれる。

 その手がかりが韓国語と、それを表す文字ハングルだ。日本語と韓国語は文法がとてもよく似ているという(発音はぜんぜん似ていない)。

 だから<書かれたことば>以前の<話されたことば>を考える時、共に表音文字である仮名とハングルを併用するといろいろなことがよくわかる。例えば日本語の「切る」と「着る」は一見したところ同じ「きる」という発音だが、ハングルで記せばと、アルファベットにするとkir-uとki-ruで、語幹が違うことがわかる。

 これはほんの小さな例で、言語とは何か、日本語をいちばん合理的に説明する文法は何か、我々が今使っているのはどういう言葉か……等々、言語を巡るさまざまな話題を次から次へと繰り出して明晰(めいせき)な答えを出してゆく。その途中でしばしばハングルや韓国語を援用する。

 この人の言葉使いが派手で生き生きとしておもしろい。「先生(あいつ)」とか「先生(センコー)」のような表記まで視野に入れて、「多様な文字を自らのエクリチュールの血脈に取り込み、宿し、多彩なエクリチュールを育ててゆく日本語の<書かれたことば>の世界。日本語は文字についての考え得る、ほとんど限界に近いパフォーマンスを発揮している」と宣言する。しかし仮名とハングルは違う。「ゆえにハングルから日本語を照らすと、これはもう、知(、)湧き肉躍る、面白いことになるわけです」って、納得。

 この人には規範としての文法や正書法に個人を嵌(は)め込もうという姿勢がない。かと言って辞書の編者のように言語状況を採集・記述するだけでもない。いわば両方から攻めるのだ。その両方にまたがる方法論があるから、言葉とは何かが多面的にうまく説明でき、読む方はそれにいちいち得心する。

 <話されたことば>と「口語」はカテゴリーが違う。少しは<話されたことば>に近づけて<書かれたことば>が「口語」だ。だから本当に<話されたことば>を解析するには録音録画に依(よ)るしかない。

 ここで著者が紹介している韓国から日本に来た金珍娥(キムジナ)という人の研究が意味深い。日本語の東京ことばの話し手を四〇組八〇人、韓国語のソウル言葉も同数選んで、その会話を録画録音する。すると同じような日常会話でも驚くほど違う。

 会話文には体言止めとか文法的には完結していないものがたくさんある。それはどちらも同じなのだが、日本語の方が明らかに<発話の重なり>が多いという。相手がまだ話し終わらないうちにその内容を肯定しながら言葉を続ける。日本では発話の半分が重なるが韓国では二割。これは何か国民性と関係があるのだろうか?
    --「今週の本棚:池澤夏樹・評 『日本語とハングル』=野間秀樹・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:井波律子・評 『唐代伝奇小説論-悲しみと憧れと』=小南一郎・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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今週の本棚:井波律子・評 『唐代伝奇小説論-悲しみと憧れと』=小南一郎・著
毎日新聞 2014年06月08日 東京朝刊

 (岩波書店・7344円)

 ◇最高峰の恋愛小説、自己完結できず挫折

 「唐代伝奇(とうだいでんき)」と総称される一群の短篇小説は、八世紀中頃に始まる唐代中期から十世紀初頭の唐代後期にかけて著された。これらの作品群はすべて文言(ぶんげん)(書き言葉)で書かれ、中国小説史のなかでも突出した完成度の高さをもつ作品が多い。本書は、この唐代伝奇の誕生から下降に至る過程を、特徴的な作品をとりあげつつ、四章仕立てで具体的にたどる。

 まず序論では、唐代伝奇が士大夫(したいふ)、知識人階層の人々の「語りの場」を母胎としながら形成されたという、ユニークな見解が説得的に展開される。すなわち、士大夫階層の人々が集まり、それぞれ自分が見聞した「異(不思議)」なる事件を語り、それが文字化されるに至ったというのである。なお、唐代伝奇における「異」なる事件には怪異現象のみならず、「人間に関わる異常事態、とりわけ男女の普通ならざる恋愛事件」も含まれる。

 古い鏡の魔力をテーマとする作品「古鏡記(こきょうき)」をとりあげた第一章では、この古い鏡が、六朝(りくちょう)時代以来の名門貴族「太原(たいげん)の王氏」と密接な関係を持つことから、唐代伝奇の根源を成す「語りの場」が、さらに遡(さかのぼ)って名門貴族の一族内部の語りに由来し、それが貴族階層の衰亡とともに、外部に流出したとする興味深い見解が、種々の角度から検証される。

 ついでとりあげられる第二章の「鶯鶯伝(おうおうでん)」、第三章の「李娃伝(りあいでん)」、第四章の「霍小玉伝(かくしょうぎょくでん)」はともに「男女の普通ならざる恋愛事件」をテーマとし、いずれも唐代伝奇屈指の秀作と目される。ちなみに、「鶯鶯伝」の作者元〓(げんしん)は白楽天の親友の高名な詩人である。この作品は元〓自身の体験にもとづくとされ、科挙受験のため長安に赴いた若者張生(ちょうせい)とその恋人鶯鶯の恋の顛末(てんまつ)を描く。時の経過とともに疎遠になった二人は、それぞれ別の相手と結婚、後に再会の機会はあったものの、鶯鶯はきっぱり対面を拒絶したという結末をとる。

 一方、「李娃伝」の作者白行簡(はくこうかん)は白楽天の弟であり、唐代伝奇の秀作が白楽天、元〓を中心とする文学集団から輩出した事実を如実に裏書きする。この作品は、科挙受験のため、長安にやって来た名家の御曹司鄭生(ていせい)の転落と再生のドラマを描く。鄭生は有名な妓女(ぎじょ)の李娃に夢中になり一文無しになったあげく、李娃や実の父にまで見放され、転落を重ねて死に瀕(ひん)し、物乞いに身を落とす。どん底の鄭生と再会した李娃は彼を助け科挙に合格させて、正式に結婚、大団円となる。著者は、鄭生を再生させる李娃に生命を吹き込む神話的な「春の女神」を見る。このあたりの論旨の躍動的な展開は、まさに著者の独擅場(どくせんじょう)である。

 最後の「霍小玉伝」の作者蒋防(しょうぼう)も元〓らと親しかった人物だが、物語展開は先の二作とは異なり、陰惨な悲劇そのものだ。すなわち、科挙上級試験をひかえた若者李生(りせい)は、妓女の霍小玉と深い仲になるが、合格後、彼女をあっさり捨てて名家の娘と結婚、霍小玉は、義〓心(ぎきょうしん)に富む豪〓が枕辺(まくらべ)にむりに連れて来てくれた李生に看取(みと)られながら絶命する。彼女の怨念(おんねん)はそれでも消えず、李生は三度の結婚にすべて失敗、不幸な生涯を送る羽目になる。

 超越的な力をもつ豪〓を登場させるなど、恋愛小説として自己完結できなかったこの「霍小玉伝」をもって、著者は唐代伝奇の最高峰をなす恋愛小説のジャンルは挫折したと説く。唐代伝奇誕生の「語りの場」の探究に始まり、そのクライマックスから挫折までの曲折に富む過程をたどる本書の論考は、充実感にあふれ、読みごたえのある力作だといえよう。 
    --「今週の本棚:井波律子・評 『唐代伝奇小説論-悲しみと憧れと』=小南一郎・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・この3冊:ジャズ入門=菊地成孔・選」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。


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今週の本棚・この3冊:ジャズ入門=菊地成孔・選
毎日新聞 2014年06月08日 東京朝刊

 ◇菊地成孔(なるよし)・選

 <1>だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?--ジャズ・エピソード傑作選(ブリュノ・コストゥマル著、鈴木孝弥訳/うから/1728円)

 <2>終わりなき闇--チェット・ベイカーのすべて(ジェイムズ・ギャビン著、鈴木玲子訳/河出書房新社/4212円)

 <3>ジャズ・ミュージシャン3つの願い--ニカ夫人の撮ったジャズ・ジャイアンツ(パノニカ・ドゥ・コーニグズウォーター著、鈴木孝弥訳/スペースシャワーネットワーク/4536円)

 「ジャズに関する本を」という事でしたので、ジャズなんか1曲も聴いた事が無い、という完全ビギナーの方にも、うるさ型ジャズマニア諸氏にも、どちらにも等しく楽しめる。という基準で選んでみました。

 『だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?-ジャズ・エピソード傑作選』ですが、この書名こそが、「アマチュアにもビギナーにも」をそのまま体現していると言えるでしょう。著者のブリュノ・コストゥマルはフランスの音楽雑誌のチーフ・エディターだった人ですが、日本でのジャズ乃至(ないし)ジャズ本のパブリックイメージである、小難しく、或(ある)いは過度にセンチメンタルだったり、嫌みったらしいまでのスノビズム、といった感じは一切ありません。これぞ現代フランスのエッセイといった感じで、とても面白く、洒落(しゃれ)ていて、非常に高い教養と資料性に富んでいながらにして軽く可愛い、という素晴らしい一冊です。

 ジャズミュージシャンの伝記、というのは掃いて捨てるほどあり、そのほとんどが<悲惨な人生と、その音楽的な素晴らしさ>を因果関係のように対比させますが、ユニセクシュアルな歌声と「ジャズ界のジェームス・ディーン」と呼ばれた美貌で、ジャズファン以外にも多くの愛好家を持つチェット・ベイカーの評伝『終わりなき闇』の書名は、一見安易ですが、読み始めてすぐに、これ以外には考えられない最適な物である事が解(わか)ります。「美しいルックスと才能を持つ者が破滅的なろくでなしで、関わった者は全員、激しい愛憎しか選択肢が無かった」という現象は、ロックやクラシック等の他ジャンルを含んでもチェット・ベイカーがそのチャンピオンだという事が、とてつもなく重い読後感とともにのしかかってきます。

 『ジャズ・ミュージシャン3つの願い』は、モダンジャズ黎明(れいめい)期にパトロネージとして有名だった、ロスチャイルド家の血を引く元・男爵夫人が、自宅に招いた300人以上のジャズミュージシャンに対して、戯れのように行ったシンプルなアンケート(特別な願い事を3つ言って)結果と、彼女でないと撮影不可能であっただろう、非常に親密でリラックスしたプライヴェート・フォトで構成されている本で、驚くべき叙情性と資料性(どんな私服を着ていたか、どこのメーカーの楽器を使っていたか、等々)を両立している良書です。 
    --「今週の本棚・この3冊:ジャズ入門=菊地成孔・選」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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書評:半田滋『日本は戦争をするのか 集団的自衛権と自衛隊』岩波新書、2014年。


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半田滋『日本は戦争をするのか 集団的自衛権と自衛隊』岩波新書、読了。安倍首相が悲願と掲げる集団的自衛権。武器輸出が解禁されNSC設置、秘密保護法制定など、その勢いは留まることを知らない。本書はその虚偽を一つ一つ丁寧に論駁する待望の一冊。人命軽視と責任回避の体質は今も昔も変わらない。

我が国周辺に差し迫った脅威は存在せず、今更侵略のリスクを敢行する周辺国は存在しない。尖閣諸島も個別的自衛権で対応できる問題に過ぎないのに、意地の張り合いが緊張を高め、政治家はその尻馬に乗る。長らく防衛を取材し続けた著者の指摘はクリアカットだ。

集団的自衛権を「望む」同盟国も心配を隠せない。集団的自衛権とセットになるのは「古くて、二度と戻りたくない戦前の日本」。首相は「侵略の定義は定まっていない」というが、1974年の国連総会決議3314で具体例を挙げ定義、日本も賛成し全会一致している。

「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全もしくは政治的独立に対するまたは国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力行使であって、この定義に述べられてるものをいう」。

「こういう憲法でなければ、横田めぐみさんを守れたかもしれない」とも首相は言う。国防軍を持てれば守れるのか。70年代はテロに「負けた」時代かもしれないが、当時対テロ特殊部隊を実装する国は限られている。その反省から整備されるのが先進諸国の対応だから、憲法のせいにはならない。一事が万事この調子だ。

本書は首相の言説を批判するだけでなく、安保法制懇のトリック、積極的平和主義の罠、そして集団的自衛権の危険性を丁寧に解き明かす。為政者が法の支配を無視してやりたい放題にやる人治国家という現状は、ならず者が「俺が法律だ」と町を支配するが如しだ。

集団的自衛権行使解禁は、自衛隊員の死をもたらすだけでなく、相手を殺すことも意味する。そしてその両者は退役軍人のフォローを必然とするが、米国退役軍人省は一年の予算が9兆円。日本の防衛予算の約2倍だ。戦争を放棄した日本が抱え込めるのだろうか。

「自衛隊が暴走せず、むしろ自重しているように見えるのは、歴代の自民党政権が自衛隊の活動に憲法九条のタガをはめてきたからである。その結果、国内外の活動は『人助け』『国づくり』に限定され、高評価を積み上げてきた」。活かすも殺すも政治家次第ということになる。

シビリアンコントロールを受ける自衛隊の最高指揮官は首相であり、防衛相が統括する。彼らのその覚悟と責任はあるのか。現場の実情も何も知らず、派兵にだけ熱心である姿は、あまさに「人命軽視」と「責任回避」を特徴とする戦前日本の「後はよきにはからえ」というあり方とうりふたつだ。集団的自衛権の行使解禁で犠牲になるのは自衛官であって政治家ではない。

今、何が議論されているのか、その議論は果たしてリアルなものなのか、生じる変化は自衛隊に何をもたらすのか、30年以上自衛隊を見続けてきた著者が、徹底的にリアルに分析します。

[https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1405/sin_k766.html:title]

  おすすめです。

蛇足ながら……
安倍首相、ほんとやばい。右傾化を批判した元官僚・田中均氏をfbで批判し、機密を自ら暴露しちゃったり、尖閣問題で、保安庁の巡視船新規造船間に合わないから退役護衛艦と即応予備自衛官で充足というけど、巡視船は重油で動くディーゼル・エンジンで、護衛艦は軽油ガスタービン、予備自衛官は陸上なんですがw


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覚え書:「今週の本棚・新刊:『国家緊急権』=橋爪大三郎・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『国家緊急権』=橋爪大三郎・著
毎日新聞 2014年06月08日 東京朝刊

 (NHKブックス・1296円)

 緊急時に政府権限を軍に集中させる「戒厳令」の仕組みを持たない日本では、緊急事態に超法規的措置を行う「国家緊急権」が政府機関にあることを論理的に説明する。国家緊急権は日本国憲法制定直後から、日本政府に備わっているとされてきた。想定するのは、一刻も早い避難が必要な大規模原発事故や大規模テロ、感染症の大流行、通貨価値が急落するハイパーインフレなど、法律を作って対応する時間がない事態。憲法違反であっても、住民に退去命令を下したり、銀行預金の引き出しを制限したりすることができる権限が、明文化されていないが存在する。

 重要なのは、緊急事態が過ぎたら国会内に特別委員会などを作って首相の行動を検証し、必要があれば刑事告発などで責任を追及する手続きを提案していることだ。国民には政府の下した避難命令などに従うよう求める一方で、首相にも訴追されるリスクを背負って責任持って行動するよう求める。著者は「法的根拠がないのに大事な決定を政府に委ねられるか、という憲法の上級問題。緊急事態に備えて政府も国民も議論し、緊急権についての理解を深めておく必要がある」と訴える。(丸)
    --「今週の本棚・新刊:『国家緊急権』=橋爪大三郎・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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国家緊急権 (NHKブックス No.1214)
橋爪 大三郎
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覚え書:「今週の本棚・本と人:『教誨師』 著者・堀川惠子さん」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『教誨師』 著者・堀川惠子さん
毎日新聞 2014年06月08日 東京朝刊

 (講談社・1836円)

 ◇死刑執行の現場生々しく--堀川惠子(ほりかわ・けいこ)さん

 およそ半世紀、死刑囚たちと対話を重ね、執行の現場にも立ち会った教誨師(きょうかいし)、渡邉普相(ふそう)(2012年没)の生涯を追ったノンフィクション。死刑とはなにか、私たちとどのように関わっているかを訴えてくる。

 渡邉と死刑囚の会話が再現される。受刑者たちの生い立ちや罪を犯すまでの経緯が浮かび上がる。また渡邉の何気ない一言で、相手の不信を買い教誨の機会を失ってしまったこともある。

 渡邉の重い口を開かせただけでなく、ひそかにつけていた「日誌」の閲覧も許された。この経緯は、前著『永山則夫 封印された鑑定記録』にも通じる。死刑囚の精神鑑定書を入手した。鑑定した医師から、死刑囚との話を録音したテープも託された。驚くべき取材力だ。

 教誨師の守秘義務を、どう乗り越えたのか。「渡邉さん自身が話したかったのでは。処刑された人たちとのことを、ずっと心の中に抱えていることが苦しかったのでしょう。病気で、自身の死期を感じていたと思います。同郷(広島県)ということも、幸いしたかもしれません」

 本人はそう話すが、偶然の成果ではない。渡邉が重い口を開くまで、2年近く待った。また、フリーのドキュメンタリーディレクター、さらにはノンフィクション作家として、死刑については分厚い取材の蓄積がある。講談社ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞を受賞してもいる。渡邉に、それまでに自分が作った裁判に関係する番組や著作、論考をすべて渡したことも、奏功しただろう。

 死刑執行の現場も、生々しく記されている。物理的に執行する人たちの精神的苦痛を、読者は想像せずにいられない。教誨師の心と体へのダメージも。執行されても「幸せになった人間は、誰ひとりもいません」と、渡邉はいう。死刑制度が、そうした苦しみに支えられていることが分かる。そして死刑を含む法秩序の中に、日本の社会はある。

 「自分には関係ないと思っている人たちが、一人でも多く死刑制度に関心をもってもらえれば」。その願いは、しっかりと読者の胸に届くはずだ。<文・栗原俊雄/写真・徳野仁子> 
    --「今週の本棚・本と人:『教誨師』 著者・堀川惠子さん」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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教誨師
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覚え書:「今週の本棚:張競・評 『現代日本人の中国像』=馬場公彦・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。


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今週の本棚:張競・評 『現代日本人の中国像』=馬場公彦・著
毎日新聞 2014年06月08日 東京朝刊

 (新曜社・4536円)

 ◇転換期の中国認識に独自の解析モデル

 日中関係は悪化の一途をたどっている。意地の張り合いは目的よりも行為のみに情熱が注がれ、小学生じみたいがみ合いは無用な敵意を増幅させるばかりである。成熟した両国関係をいかに構築すべきか。そのことについて考えるとき、本書に啓発されることが多い。

 この本の扱う時期は日中国交正常化の翌1973年から天皇訪中の1992年までの20年である。4年前に刊行された『戦後日本人の中国像』は終戦直後から国交正常化までが対象であるから、本書はその続編にあたる。大部の2作によって、戦後における中国認識をおおよそ捉えることができた。

 むろん、一口に中国認識とはいっても、複数の光源からの光束が複雑に屈折して合成された鏡像だ。本書はそのもっとも重要な光源の一つであり、世論の形成に一定の影響力を持つ総合誌に焦点をしぼっている。

 分析の対象に選ばれたのは『世界』『文藝春秋』などの13誌である。論点を整理するために、四つの時期に分けて検討が行われている。日中復交から平和条約締結までの6年、中越戦争から民主化運動までの9年、天安門事件前後の3年と、天皇訪中にいたるまでの2年である。最後の5年を2分したのは、中国社会が大きく変化したのと、それに対応して中国認識にも質的な変化が起きたからである。

 20年という時間が長いのか短いのかは人によって捉え方が違う。日中関係についていえば、もっとも重要な時期であったことは言を俟(ま)たない。今日の状況は20年前に誰も予想しなかったであろう。しかし、変化は一夜のうちに起きたわけではない。その積み重ねが現状をもたらす遠因になっている。

 その間、どのような言論が発表され、主要な論点は何か、その結果、どのような中国認識が形成されたのか。丁寧な資料分析が行われた。

 前著でもその濃密な情報量に圧倒されたが、本書で検討された資料もそれにほぼ匹敵する。天安門事件やソ連の解体もあって、中国崩壊論だけでも汗牛充棟の量に上る。玉石混淆(こんこう)の一次資料のすべてに目を通し、整理・分類するだけでも気が遠くなるような作業であろう。一見、手の付けようもない情報を、見事な腕さばきで仕分けし、資料の吟味を通して全体像を明らかにした。

 全書を通読すると、まるで同時代史の総復習のようで面白い。20年のうち、3分の2の歳月を現地で過ごした評者にとって、万感こもごも到(いた)る思いがあった。

 意外な発見はいくつもある。80年代は日中関係の蜜月時代と言われたが、仔細(しさい)に点検すると、表層的な友好ムードとは裏腹に言論界では中国批判や、悲観的な展望はむしろ大多数を占めていた。現在の嫌中論の主要な観点は当時の論壇にすでにあって、違うのは30年前の少数派の意見が、いまや世論の大勢を占めるようになったという点である。

 また、天安門事件のあと、中国経済の現状を紹介し、正確に将来を予見したのはチャイナ・ウオッチャーではなく、現地で調査を行った経済アナリストであった。

 改めて気付かされたことはもう一つある。総合誌は主に評論家が活躍する場で、学者が登場する場合でも、評論家と同じように表層的な現象に目を奪われることが多い。逆に地道な学問研究の成果は必ずしも誌面に反映されていない。その結果、中国イメージは好転/悪化の反復が繰り返されている。

 中国認識の形成には多様な要素が作用した結果である以上、新聞やテレビなどのメディアについての分析も不可欠であろう。本書の功績は一つの解析モデルを独自に作り出したところにある。同じ方法を新聞などに応用し、全体を総合すれば、より正確な結像に近づくことができる。

 前著と違って、本書には戦後日本人の台湾像とモンゴル像が付け加えられている。いずれも戦前において日本と特殊な関係があっただけではなく、中国について考えるとき、メビウスの帯のように表と裏とは明確に区別できない部分があり、また、中国認識を映し出す鏡でもある。

 巻末の証言編には研究者をはじめ、5人の中国論者へのインタビューが収録されている。論文や著書で知りえないこともが巧みに引き出されて興味を引く。

 巻を掩(おお)って思うに、日中にはやはり和解の道しかない。姑息(こそく)な足の引っ張り合いは何も変えられないし、正面衝突すれば、双方とも敗者になる。50年、100年の時間で見ると、平穏な関係が歴史の主流になるのはまちがいない。本書を読んで、その思いを一層強くした。

 日中関係は米中関係の一変奏とは言い過ぎかもしれないが、アメリカこそゲームの主役であり、優れた人形劇の演出家であろう。じっさい、現在の日中対立は本質的には米中の利害衝突であり、アメリカの大戦略の中の一布石に過ぎない。そのことは30年前の日本バッシングを想起すれば明らかである。望蜀(ぼうしょく)の願いだが、アメリカという要因が中国認識および日中関係にどう作用したか。次作での挑戦を期待したい。 
    ーー「今週の本棚:張競・評 『現代日本人の中国像』=馬場公彦・著」、『毎日新聞』2014年06月08日(日)付。

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現代日本人の中国像: 日中国交正常化から天安門事件・天皇訪中まで
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書評:河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』岩波新書、2014年。


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河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』岩波新書、読了。唐物とはもと中国からの舶来品を指す言葉で、転じて広く異国からもたらされた品を指す。本書は、古代から現代まで、唐物というモノを通して日本文化の変遷を問う一冊。日本人はなぜ舶来品が好きなのか--その情景の軌跡を追う秀逸な精神史。

古代から近世まで、唐物が日本文化にどのように息づいているのか。本書は美術品や歴史資料だけでなく文学作品からも浮かび上がらせる。唐物とは権威と富の象徴でもあるから、聖武天皇から吉宗まで、その時代のキーパーソンと「モノ」との関わりにもスポットを当てる。

唐物は天皇を中心とした王権に吸収されそこから臣下へ再分配される構造で、珍奇なモノに留まらず書籍や仏典をはじめとする文物による異文化摂取として始まる。摂取の過程では、日本で模倣された唐物も生まれるから、日本文化は舶来文化吸収の歴史とも言えよう。

例えば、遣唐使廃止は国風文化を創造したと教科書は書くが、その実像はどうか。危険で負担の大きい朝貢使は廃止されたが、大陸からの文物や情報の流入が確保された故の廃止であり、富の集中した平安京は、唐物を拒絶したよりも、ブランド品としてむしろ一層欲求している。

平安の貴族はステイタスシンボルとして、武家の時代には、政治的には文化装置として定着する。南蛮貿易とその終焉は、唐物屋を生み出し、庶民と唐物をつなぐ架け橋となる。洋装全てを扱った唐物屋は明治末期に、分業して専門店化する。これが唐物屋の終焉だ。

河添房江『唐物の文化史』岩波新書。舶来品をつねに受け入れつつ形成されたのが日本文化の歴史の特徴であるとすれば、他者と隔絶された状態で純粋培養される「文化」とは神話に過ぎないかも知れない。モノを巡るスリリングな考察は私たちの認識を更新するだろう。

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 唐風の文化の受容によって和の文化が成熟すると、漢と和を対比する意識が生まれるが、その一方、和漢融合は絶え間なくおこなわれてきたのではないか。和の文化が師絵熟していけば、おのずといつの時代にも和漢並立と和漢融合は同時に起こりうるし、平安時代も珠光以降の時代もその歴史を繰り返してきたと考えられる。唐物をめぐる諸事象のドラマは、まさにそのような日本文化の歴史をも照らし返していると思われるのである。
    --河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』岩波新書、2014年、224頁。

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唐物の文化史――舶来品からみた日本 (岩波新書)
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覚え書:「日本人は、どんな肉を喰ってきたのか? [著]田中康弘 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。


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日本人は、どんな肉を喰ってきたのか? [著]田中康弘
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年06月01日   [ジャンル]社会 


■多様な狩猟、共に食べて考える

 長年秋田県のマタギの取材をしてきた写真家が、南は西表島から北は礼文島まで、各地に息づく狩猟を取材し、獲(と)れた獣肉を猟師と共に喰(く)う。
 狩猟と一口に言っても、地域の気候や地形、餌となる野生動植物や農作物で、その方法は実にさまざま。
 理屈ではわかっていたし、イノシシ・シカの狩猟取材経験もあったが、第一章の西表島のカマイ(イノシシ)猟から仰天。小舟に獲物を乗せてマングローブ林を進む写真に釘付けとなった。罠(わな)の形もかけ方も肉の調理法も、まるで違う。日本は広い。
 ハクビシンやトドにアナグマと、比較的珍しい野生獣の美味を紹介しているのも面白いが、全国で農作物被害が深刻化し、「猟」が「駆除」になりつつある問題点にも言及。今後各自治体を超えた取り組みも必要と思わされた。
 地域の結束材料の一つでもあった狩猟と共食(きょうしょく)。各地の多様さを知ることは、これからの野生獣との付き合い方を考えるヒントにもなるだろう。
    ◇
 えい出版社・1620円
    --「日本人は、どんな肉を喰ってきたのか? [著]田中康弘 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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覚え書:「日本人は、どんな肉を喰ってきたのか? [著]田中康弘 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。


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日本人は、どんな肉を喰ってきたのか? [著]田中康弘
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年06月01日   [ジャンル]社会 


■多様な狩猟、共に食べて考える

 長年秋田県のマタギの取材をしてきた写真家が、南は西表島から北は礼文島まで、各地に息づく狩猟を取材し、獲(と)れた獣肉を猟師と共に喰(く)う。
 狩猟と一口に言っても、地域の気候や地形、餌となる野生動植物や農作物で、その方法は実にさまざま。
 理屈ではわかっていたし、イノシシ・シカの狩猟取材経験もあったが、第一章の西表島のカマイ(イノシシ)猟から仰天。小舟に獲物を乗せてマングローブ林を進む写真に釘付けとなった。罠(わな)の形もかけ方も肉の調理法も、まるで違う。日本は広い。
 ハクビシンやトドにアナグマと、比較的珍しい野生獣の美味を紹介しているのも面白いが、全国で農作物被害が深刻化し、「猟」が「駆除」になりつつある問題点にも言及。今後各自治体を超えた取り組みも必要と思わされた。
 地域の結束材料の一つでもあった狩猟と共食(きょうしょく)。各地の多様さを知ることは、これからの野生獣との付き合い方を考えるヒントにもなるだろう。
    ◇
 えい出版社・1620円
    --「日本人は、どんな肉を喰ってきたのか? [著]田中康弘 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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覚え書:「家永三郎生誕100年--憲法・歴史学・教科書裁判 [編]家永三郎生誕100年記念実行委員会」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。


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家永三郎生誕100年--憲法・歴史学・教科書裁判 [編]家永三郎生誕100年記念実行委員会
[掲載]2014年06月01日   [ジャンル]歴史 


 日本史や思想史の分野で多大な業績を残し、教科書裁判を32年間闘った歴史家・家永三郎(1913-2002)。その学問・思想や行動の、今日的意義を考える文集だ。
 戦時中の家永は『日本思想史に於(お)ける否定の論理の発達』などで、「時勢」と異なる日本文化像を描き出した。それが戦後、「戦争を止める努力」をせず「傍観した」との罪の意識を生み、教科書を作ることと戦争を考えることに向かう。その使命感ゆえ「表現の自由」への国家の介入に屈服できなかったのが訴訟の原点だと、鹿野政直・早大名誉教授はみる。「かちまけは さもあらばあれ たましひの 自由をもとめ われはたたかふ」という家永の歌に思いが集約されている。
    ◇
(日本評論社・1080円)
    --「家永三郎生誕100年--憲法・歴史学・教科書裁判 [編]家永三郎生誕100年記念実行委員会」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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家永三郎生誕一〇〇年: 憲法・歴史学・教科書裁判

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覚え書:「金を払うから素手で殴らせてくれないか? [著]木下古栗」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。


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金を払うから素手で殴らせてくれないか? [著]木下古栗
[掲載]2014年06月01日   [ジャンル]人文 


 どんどん脇にそれていく本筋とあまりに飛躍した物語の着地点に、読者はあぜんとするに違いない。無責任で不条理。だが同時に、小説の自由と型破りな刺激に満ちている。3編を収録した短編集。
 表題作は「米原正和を捜しに行くぞ」と当の米原が部下の鈴木に言う場面から始まる。失踪した米原を捜すため、「他人ばかりでなく自分を騙(だま)すのが常態化」した職場を抜け出した彼らは、なぜか銭湯に寄ったりフランス料理を堪能したり。どこか狂気めいた設定に加え、語り手であるはずの「俺」の存在があいまいで、物語全体は不穏さを増す。痛烈な社会批判のような驚きの結末も、真面目に受けとめるべきか迷うほどに面白い。
    ◇
(講談社・1620円)
    --「金を払うから素手で殴らせてくれないか? [著]木下古栗」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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金を払うから素手で殴らせてくれないか?
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書評:田辺元(藤田正勝編)『田辺元哲学選I 種の論理』岩波文庫、2014年。


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田辺元(藤田正勝編)『田辺元哲学選I 種の論理』岩波文庫、読了。本選集は社会的実存の論理を提示する田辺の「社会存在の論理 哲学的社会学試論」、「種の論理と世界図式 絶対媒介の哲学への途」、「種の論理の意味を明にす」の三論文を収録。

絶対的なものを無媒介に立てる西田的立場を批判し、類、種、個の「媒介」の論理を提案するのが「種の論理」だが、日本人は、どこまで国家に隷属していることに無自覚なのかと暗澹たる気持ちになってしまう。

種の論理が現実国家の「神性」を根拠づける可能性をはらむと批判したのは南原繁(『国家と宗教』岩波書店、1942年)だが、哲学者こそ、現実には「仮象」に過ぎぬ「国家」や「民族」を絶えず相対化すべきはずなのに、籠絡されていく現実は、決して過去のものではない。

「応現」の当体としての国家が想定されるが(「絶対の応現的現成」)、これは日本思想史における日本仏教の権力への馴化の問題と連動する。

福沢諭吉が批判し、その精神を継承した丸山眞男の批判は今いずこ。フーコー以前の世界がそのままつづく現代日本なのか。

ぐったり。

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種の論理――田辺元哲学選I (岩波文庫)
田辺 元
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覚え書:「チャイナズ・スーパーバンク--中国を動かす謎の巨大銀行 [著]H・サンダースン、M・フォーサイス [評者]吉岡桂子(本社編集委員)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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チャイナズ・スーパーバンク--中国を動かす謎の巨大銀行 [著]H・サンダースン、M・フォーサイス
[評者]吉岡桂子(本社編集委員)  [掲載]2014年06月01日   [ジャンル]経済 社会 


■先兵役からみる国と金融の蜜月

 国家の腕力と、その危うさが曇りガラスの向こうで絡みあう中国経済は、どこから見るかで風景が変わる。
 本書が焦点をあてたのは、中国の国家開発銀行。国内からアフリカ、中南米まで広がる貸出残高が、日本円にして100兆円を超える「怪物」国策銀行だ。主役は、昨春まで15年間、総裁を務めた陳元。毛沢東とともに建国に携わった「八大元老」のひとり、陳雲の息子である。
 著者の米メディアの北京特派員ふたりと同様、現地で取材をしていた私は、この設定でまず、読みたくなった。共産党が率いる「中国株式会社」の姿が、経済のみならず、歴史や政治を含めて見渡せると思ったからだ。
 中国は世界第2の経済大国となったいまも、経済の命脈である金融を国家が牛耳る。マネーの勢いを外交にも存分に活用する。その実情を「国家資本主義」という言葉で丸めず、先兵役を担う中国開銀の動きを通じて描いている。
 国家の信用を背景に低い金利で調達したお金を、地方政府がつくった金融会社や中国企業に回す。道路や港、工場用地を整備し、戦略産業を育てる。赤字の太陽光メーカーにも巨額の融資枠を与え、国際競争を後押しする。担保の土地は、バブルで急騰していた。それに、国家が破綻(はたん)しない限り、お金は無限にある。
 途上国に貸したお金は、現場で事業を請け負う自国企業への支払いで還流させる。資源国なら、返済は石油や鉱物で受け取る。総裁の陳は、ベネズエラの反米だった故・チャベス大統領や、エチオピアで強権のもと成長を目指した故・メレス首相ともわたりあう。国家首脳のごとく。
 肝心なことを書いていない決算書を読みこみ、広報窓口もない同行の職員や取引先を追いかける。アフリカにも足を運んだ労作。成長が鈍り始めた中国で、権力とカネの蜜月はいつまで続くのか。第2幕の予習にも役立ちそうだ。
    ◇
 築地正登訳、原書房・3024円/2013年の原著刊行当時は著者は2人ともブルームバーグ・ニュースの記者。
    --「チャイナズ・スーパーバンク--中国を動かす謎の巨大銀行 [著]H・サンダースン、M・フォーサイス [評者]吉岡桂子(本社編集委員)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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チャイナズ・スーパーバンク: 中国を動かす謎の巨大銀行
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覚え書:「エンジニアリングの真髄--なぜ科学だけでは地球規模の危機を解決できないのか [著]ヘンリー・ペトロスキー [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。


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エンジニアリングの真髄--なぜ科学だけでは地球規模の危機を解決できないのか [著]ヘンリー・ペトロスキー
[評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)  [掲載]2014年06月01日   [ジャンル]科学・生物 


■科学と技術の違いを深く考察

 幼稚園のころ、レタスとキャベツの区別がつかなかった。間違えて笑われたことがある。分かっている人からしたら当然でも、そうでない人には違いがまったく分からない--。そういう存在、結構あるように思う。
 この本でテーマにしている科学と技術(エンジニアリング)も、その典型だ。実にしばしば混同され、同一視されている。しかし、両者はその根っこも中身もまったく異なるものである。
 科学は、自然の謎を解明する、「知る」活動だ。対するエンジニアリングは、何らかの問題を解決する営み。そのための便利な道具や解法を「作る」ことである。
 著者は、古今東西の興味深い事例に通じている技術史家。どちらかというと小ネタの開陳が得意な人だが、ここでは科学とエンジニアリングの違いについて、深みのある理論的な考察と分析を展開している。環境問題やエネルギー問題など、現代の難問を打破するためには、しばしば「科学的方法」が重要とされる。そうではない、大事なのは現実解を見つけるエンジニアリング的発想と方法である、と。
 しかし一方で、エンジニアが事前にすべての条件を予想できるわけではない。ある技術的成果を実装した後になって、はじめて欠点が明らかになる場合も多い。ときにはそれが、「気づいたときにはもう手がつけられないほど重大な問題を引き起こしていたりするのである」。福島原発事故を予見していたかのような一節(原著出版は二〇一〇年)。
 その他、科学は崇(あが)められ、エンジニアリングは格下と思われてばかりとか、基礎研究から応用研究と直線的に進むものではないなど、示唆に富む話題が詰まっている。
 翻訳は、正確で読みやすい。ただ、訳語として「工学」ではなく「エンジニアリング」を採用した理由は、訳者からの説明を聞きたかった。
    ◇
 安原和見訳、筑摩書房・3240円/Henry Petroski 42年生まれ。米デューク大学教授(土木工学・建築土木史)。
    --「エンジニアリングの真髄--なぜ科学だけでは地球規模の危機を解決できないのか [著]ヘンリー・ペトロスキー [評者]佐倉統(東京大学教授・科学技術社会論)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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覚え書:「アメリカ医療制度の政治史 [著]山岸敬和 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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アメリカ医療制度の政治史 [著]山岸敬和
[評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)  [掲載]2014年06月01日   [ジャンル]社会 

■なぜ公的保険制度ができないか

 オバマ政権が2010年に、米国にとって初の国民皆保険制度を創設したのは画期的だ。だがそれは、日本のような公的保険制度ではない。米国社会に深く根づいた民間保険制度を前提とし、個人にその加入を義務づけるものだ。皆保険実現のため、低・中所得者には財政支援が行われ、民間保険業者には、既往症を理由とした加入拒否が禁じられる。抜本改革を避けた穏当な改革だが、激しい政治的対立が引き起こされた。なぜ米国で公的保険制度は導入できないのか。
 本書は20世紀米国の医療制度発展史を辿(たど)ることで、この問いに回答を与える。ルーズベルト、トルーマン両政権による公的保険制度導入の挫折後、民間保険制度が浸透、政府介入を嫌う医師会がそれを支持し、米国医療制度の方向性が決定づけられたことが、丁寧に描かれている。同テーマの好著、天野拓『オバマの医療改革』(勁草書房)と併読することで、より理解が深まるだろう。
    ◇
名古屋大学出版会・4860円 
    --「アメリカ医療制度の政治史 [著]山岸敬和 [評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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アメリカ医療制度の政治史-20世紀の経験とオバマケア- (南山大学学術叢書)
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名古屋大学出版会
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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 学歴逆詐称=山田昌弘」、『毎日新聞』2014年06月04日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障論
学歴逆詐称?
大学院修了者に対する偏見

山田昌弘 中央大教授


 先日、海外で働いている女性に話を聞いた。日本に戻るため、中途採用を募集するいくつかの日本企業に応募した。しかし、書類選考で全て落ちてしまった。もしやと思い、大学院博士修了という学歴をわざと書かずに応募してみたところ、海外経験を買われ、面接に来てくれと何社からも連絡が来たという。
 また、日本で大学院を出て正社員として働いていた女性も、退職し、残業がない事務の仕事がよいと派遣会社に登録したが、仕事が回って来なかった。派遣会社のアドバイスで、学歴欄を大学卒に登録しなおしたら、派遣先がすぐ決まったという。
 考えれば不思議な話だ。就職に当たり、彼女らの仕事能力や人柄でなく、学歴が選考基準となり、それも高学歴であることが採用しない大きな理由になっているのだ。彼女らは学歴を鼻にかけているわけでもなく、収入を高くしろと言っているわけでもない。自分にできると思う仕事を探しているだけなのだ。
 大学院修了者の就職難が語られる時、「研究職でなければえり好みしている」「専門にこだわるから就職先を狭めている」と言われることがある。もちろんそういう人もいるだろう。しかし、多くの大学院修了者は、専門がいかせればせれにこしたことはないが、そうでなくてもかまわないと思っている。大学院修了者をそのような「偏見」で見ているのは、採用する企業側である。
 今、法科大学院を修了しても司法試験に受からない人がたくさん出ている。企業側も彼らに冷たく、新卒で応募してもなかなか採用されない。普通の新卒よりも努力家で、法律の知識は豊富なはずだ。しかし、ある企業の人事は「何かを目指して落ちた人はいらない。知識や経験がなくても潜在能力が高い人を採用したい」と言った。法科大学院失敗の理由は、司法試験に失敗したら身につけた式が無駄になるどころかマイナスになる現実があることなのだ。
 私の教え子がパン屋さんで修行している。就職の時、せっかく大学を出ているのにと親に反対されたが、将来自分のベーカリーを開きたいからと、毎日パンを焼いている。私は彼女のことをとても誇りに思っている。学歴が訳に立たない世界だからこそ、大学で学んだ知識や教養、勉強法などが、きっと、将来生きると思うからである。
 幅広い強要、専門的知識は、どんな仕事に就いたとしても、あった方がよいと私は思う。しかし、多くの企業は、まだ、余分な教養や知識がない方が労働者として使いやすいと思っているようだ。しかし、このグローバル化の中、会社文化に染め上た人材だけで企業はうまくいくのだろうか。日本経済はうまくいくのだろうか。

人材活用 社会の課題に
大学院の博士課程修了者の就職率は6割だが、研究職採用枠も限られており、このうち1割は雇用が不安定な非正規雇用者だ。法科大学院も、弁護士の就職難などを背景に入学者が低迷。こうした層の人材活用が社会の課題となっている。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 学歴逆詐称=山田昌弘」、『毎日新聞』2014年06月04日(水)付。

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覚え書:「海うそ [著]梨木香歩 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。


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海うそ [著]梨木香歩
[評者]三浦しをん(作家)  [掲載]2014年06月01日   [ジャンル]文芸 人文 

■魂を浄化し「永遠」へと結ぶ光

 南九州に臨む遅島は、島内の気候が変化に富み、豊かな緑であふれている。昭和初期、人文地理学を専門とする一人の青年が島を訪れた。植生や民話を調査するためだ。
 遅島の風景と人々の暮らしが、青年の目を通して鮮やかに語られる。島には古来、修験道の大寺院が存在した。だが、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって、いまは木々に覆われた遺跡になっている。青年が島の若者とともに、遺跡を目指して山中を旅するシーンは、冒険小説としてもこのうえなく楽しく切なくうつくしい。
 遅島はむろん、著者の梨木氏が文章の力のみで海上に現出せしめた架空の島だ。だが、思わず手持ちの地図を広げて探してしまったほど、リアリティーがある。濃厚な緑のにおい、夜の湖面を照らす月の光、洞窟の奥に蠢(うごめ)く深い暗闇。主人公の青年と一緒になって、私も島のあちこちを歩きまわり、呼吸した。
 一見、静かに感じられるこの小説を満たしているのは、実は逆巻く波の音のように激しいぶつかりあいだ。遅島は太古から、客人や異文化を受け入れ、ときに亀裂を生じさせながらも融合してきた。
 青年もまた、苦しみを抱え、心に走った亀裂をなんとか埋めたいと願っている。同時に、亀裂をさらにこじ開け、暗い深淵(しんえん)を覗(のぞ)き見たいという誘惑にもかられている。彼の遅島調査旅行は、さびしい魂の彷徨(ほうこう)であり巡礼の旅でもあるのだ。相棒となった島の若者に導かれ、彼は島の最奥、ひとの心の奥深くへと分け入っていく。
 隆盛を誇った寺すらも遺跡と化したように、時の流れのまえではすべてがむなしい。だが、むなしさを超える標(しるべ)となる、かそけき光はたしかに存在する。ひとを真に生かし、救い、「永遠」へと結びつけるものとはなんなのか、この小説は物語る。繰り返し打ち寄せる波のように、情熱を秘めて。魂はゆるやかに浄化される。
    ◇
 岩波書店・1620円/なしき・かほ 59年生まれ。作家。著書に『西の魔女が死んだ』『家守綺譚(いえもりきたん)』など。
    --「海うそ [著]梨木香歩 [評者]三浦しをん(作家)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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海うそ
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梨木 香歩
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覚え書:「死ぬふりだけでやめとけや--谺雄二詩文集 [著]谺雄二[編]姜信子 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。


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死ぬふりだけでやめとけや--谺雄二詩文集 [著]谺雄二[編]姜信子
[評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)  [掲載]2014年06月01日   [ジャンル]歴史 社会 

■忘却と闘争、たたき込む詩の力

 5月、全国ハンセン病療養所入所者協議会会長の神美知宏(こうみちひろ)(80)、ハンセン病国賠訴訟の原告団協議会会長の谺雄二(82)が、相次いで亡くなった。お2人とも、元ハンセン病患者の尊厳回復に尽力してきた中心的人物だ。今、療養所に入所している元患者の平均年齢は80歳を超えた。凄惨(せいさん)な歴史の語り部が少なくなっている現状を痛感する。
 国は長きにわたり、ハンセン病患者への強制隔離政策を続けてきた。子をつくらないようにと断種手術や堕胎を強制し、尊厳を奪い続けた。現在では治療法が確立され、隔離政策の根源「らい予防法」も廃止された。だが、それでハンセン病問題が終わったわけではない。幼少のころから隔離され、療養所で人生の大半を過ごしてきた元患者にとって、社会復帰や名誉回復は容易なことではなかった。
 本書には、詩人である谺の歩みが濃縮されている。詩や小説、評論だけでなく、裁判での意見陳述書や座談会の様子も時系列順に掲載されている。憤りを包み隠さず、容赦なく言葉のハンマーを振り下ろし続けるような谺の作品は、数多くある「ハンセン病文学」の中でも突出して告発的だ。「癒やしとしての文学」「闘わない詩」から批判的に距離をとり、命ある限り叫び続ける「鬼」のごとき姿。《オレたちが この世から 滅べば 汚点(しみ)が消えたと 笑うやつらが いる 笑わせて たまるか 生きてやれ》。表題作の一節だ。差別にあらがう重い言葉は、人権侵害と闘うあらゆる運動を鼓舞するだろう。
 最近では、公務員削減の流れを受けて、全国の療養所の職員が削減されかけ、当事者たちが窮状を訴えた。記憶の風化を防ぐため、証言のアーカイブ化や施設の復元なども進められている。谺の言葉は、読書体験そのものを強烈な記憶としてたたき込む力がある。差別や偏見だけでなく、忘却と闘争する詩の力がここにある。
    ◇
 みすず書房・4104円/こだま・ゆうじ 1932-2014年。『鬼の顔』『ライは長い旅だから』など。
    --「死ぬふりだけでやめとけや--谺雄二詩文集 [著]谺雄二[編]姜信子 [評者]荻上チキ(「シノドス」編集長・評論家)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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死ぬふりだけでやめとけや 谺雄二詩文集
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覚え書:「犬と、走る [著]本多有香 [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。


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犬と、走る [著]本多有香
[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)  [掲載]2014年06月01日   [ジャンル]人文 社会 

■一期一会大事に、人生を楽しむ

 なまじっか著者と面識がないわけではないので、実は読む前はこの本の書評をするつもりはあまりなかった。でも読んでみて気が変わった。これはいい本だ。多くの人に紹介されるべき本である。
 本書は単身、カナダとアラスカにわたり犬ぞり師になった著者の半生をつづったものだ。見ず知らずの土地に飛び込み、あてもなく犬ぞりの師匠を求めて彷徨(さまよ)い歩き、無数のアルバイトで窮乏生活に耐え、40代になった女性のある種の冒険譚(たん)である。
 それだけに破天荒なエピソードには事欠かない。好きなビールを飲むためホームレスと宿を共にしたり、稼ぎがいいというだけでオーストラリアのトマト畑に飛んでいったりともう滅茶苦茶(めちゃくちゃ)。その原点について厳格な父の軛(くびき)から逃れて枠にとらわれない生き方をしたかったからだと書いているが、いくらなんでも枠にとらわれなさすぎである。
 でもこの本の読ませ所はそうした破天荒な逸話より一期一会をどこまでも大事にする著者の人柄にある。20年間の苦心の末、ついに彼女は目標の犬ぞりレースを完走する。もちろん苦労を楽しめるユーモア精神と行動力があったからだが、それだけでなく出会った人の好悪も含めてすべてを受け入れ、愛情と敬意をもって接する強さと優しさがあったからこそ、異国で、しかも女性一人でこんな生き方ができたのだ。要するにこんな恥ずかしい文章をぬけぬけと評者に書かせる不思議な力が、この本にはある。
 彼女は今もカナダの山奥の電気もない小さなキャビンで26匹の犬とともに暮らしている。なぜそんなことを?と問うのは愚問だと思わない。でも読んでも答えは見つからないだろう。わかるのは彼女が誰よりも人生を楽しんでいるということだけだ。
 私は彼女のファンになった。あなたもきっとファンになるだろう。こういう生き方は、素晴らしいと思う。
    ◇
 集英社インターナショナル・1944円/ほんだ・ゆか 72年生まれ。98年、犬ぞり師になるためカナダに渡る。
    --「犬と、走る [著]本多有香 [評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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犬と、走る
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書評:瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書、2014年。


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瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書。「杓子定規で融通はきかないとしても、誠実で、筋は通す」裁判官の裁判なら「おおむね正しく、信頼できるもの」とごく普通の市民であれば考えるかもしれないが、日本の実態とはそのようなものではないと元裁判官の著者はいう。「絶望の収容所群島」がその実だ。

実態とは「内に対しては理念なき絶対的統制、外に対しては可能な範囲で迎合、さらに、情実人事によって脇を固め」た醜悪なシステムであり、旧ソ連の全体主義的共産主義体制に酷似する。良識ある少数派の善意で克服できるほど甘いものではない。

一部良識ある人々をのぞき、イヴァン・イリイチ的官僚的性格か、イリイチ「以下」の高位裁判官によって裁判官は構成され、その「収容所群島」としての裁判所は「国民、市民支配のための道具、装置」として機能する。体験に裏付けられた告発に戦慄を覚える。

勿論、前時代的な汚職の横行する暗黒世界ではないが、廉潔・公正・透明とはかけ離れ、先進国の水準から見ても後進的な世界がその実情。著者は「お上」の用意するキャリアシステムから法曹一元化への転換、奴隷根性の払拭と憲法裁判所の設置に光明を見出す。

「つまり我々の誰からも声が上がらなかったら、何も起こらず、〔人々の〕期待を裏切る結果になってしまう。特に問題なのは、権力を持った者の沈黙による『裏切り』、彼らは、何が実際起きているかを見ることさえ拒否している」(ボブ・ディラン)。

著者はボブ・ディランに言葉を紹介しながら、知りかつ考えることを訴える。本書は裁判所の現状とその問題の分析、そして変革への道筋をつける一冊だが、事は裁判所に限定され得ない射程を秘める。日本的馴化の心性更新のきっかけになる一冊だ。


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 日本の社会には、それなりに成熟した基本的に民主的な社会であるにもかかわらず、非常に息苦しい側面、雰囲気がある。その理由の一つに、「法などの明確な規範によってしてはならないこと」の内側に、「してもかまわないことにはなっているものの、本当はしないほうがよいこと」のみえないラインが引かれていることがあると思われる。デモも、市民運動も、国家や社会のあり方について考え、論じることも、第一のラインには触れないが、第二のラインには微妙に触れている、反面、その結果そのラインを超えるのは、イデオロギーによって導かれる集団、いわゆる左翼や左派、あるいはイデオロギー的な色彩の強い正義派だけということになり、普通の国民、市民は、第二のラインを超えること自体に対して、また、そのようなテーマに興味をもち、考え、論じ、行動すること自体に対して、一種のアレルギーを起こすようになってしまう。不幸な事態である。
 これは、日本の論壇におおむね右翼に近い保守派と左派しかおらず、民主社会における言論の自由を守る中核たるべき自由主義者はもちろん、本当の意味での保守主義者すら少ないということとも関係している。
 そして、日本の裁判所は、先の第二のラインによって囲まれる領域がきわめて狭く限定されている社会であり、また、第二のラインを超えた場合、あるいはそれに触れた場合の排除、懲罰、報復がきわめて過酷な社会なのである。
 ソルジェニーツィンの小説やドキュメント、ショスタコーヴィッチの音楽や自伝(S・ヴォルコフ編、水野忠夫訳『ショスタコーヴィッチの証言』中公文庫)は、裁判官を務めながらそれらに接すると、実に身につまされるものがある。日本の裁判所は、実は、「裁判所」などではなく、精神的被拘束者、制度の奴隷・囚人たちを収容する「日本列島に点々と散らばったソフトな収容所群島」にすぎないのではないだろうか?
 その構成員が精神的奴隷に近い境遇にありながら、どうして人々の権利や自由を守ることができようか? みずからの基本的人権をほとんど剥奪されている者が、どうして、国民、市民の基本的人権を守ることができようか?
 これは、笑えないパラドックスである。
    --瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社現代新書、2014年、111-113頁。

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覚え書:「書評:日記で読む文豪の部屋 柏木 博 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。


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日記で読む文豪の部屋 柏木 博 著

2014年6月1日


◆作家の心と体を映す
[評者]小倉孝誠=慶応大教授
 多くの人にとって、いちばん落ち着ける場所は自分の部屋だろう。人間活動のかなりの部分は室内で行われるから、自分の部屋がないと不便だ。室内が仕事場の作家となれば、部屋への愛着は誰にもまして強いだろう。本書は、日本の作家の日記を読みながら、作家と住居の関わりを考察した洒脱(しゃだつ)なエッセーである。
 人気作家だった漱石は、意外にもずっと借家暮らしだったが、書斎には花を活(い)け、書画骨董(こっとう)を置き、縁側から庭の草木を愛(め)でていた。自分の趣味に合わせ、精神のあり方と調和するような室内空間を楽しんだ。他方、一人暮らしが長かった荷風には、住居への執着が見られない。東京を飽くことなしに散策する遊歩者だった荷風にとって、都市の施設と機能が住居の一部だったのであろう。哀愁をそそるのは啄木の場合だ。貧困と病に苦しんだ彼は転居を繰り返し、漱石や荷風と違って安住できる部屋を持てなかった。「広き階段とバルコンと明るき書斎」がほしいという願いが、読者の胸を打つ。彼の珠玉の短歌と評論は、劣悪な条件のなかで執筆された。天才は逆境に屈しないのだ。さらに内田百〓、宮沢賢治…。
 部屋には、住む人の痕跡が残される。作家の書斎とは単なる仕事場ではない。そこには作家の精神と身体のあり方が映し出されている。日記の新しい読み方を示してくれる本である。
※〓は門構えに月
(白水社・2376円)
 かしわぎ・ひろし 1946年生まれ。武蔵野美術大教授。著書『探偵小説の室内』。
◆もう1冊 
 コロナ・ブックス編集部編『作家の住まい』(平凡社)。川端康成・北杜夫ら十二人の作家の書斎や住居を写真と文で。
    --「書評:日記で読む文豪の部屋 柏木 博 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014060102000181.html:title]

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日記で読む文豪の部屋
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覚え書:「書評:評伝 バルテュス クロード・ロワ 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。


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評伝 バルテュス クロード・ロワ 著

2014年6月1日


◆違和感漂う絵の秘密
[評者]中村隆夫=美術評論家・多摩美術大教授、西洋美術史
 膝を立てて下着を見せながら何食わぬ顔をして椅子に座る少女、市井の人々を描きながら非現実感を醸し出す街の風景など、どこか居心地の悪さや違和感を覚えさせるところにバルテュスの作品の魅力がある。
 著者はこの画家について、気高さを持ちながらも他者から距離を置く気質を持ち、時代に迎合することがない人物であると看破している。さすが文学者で評論家のクロード・ロワは慧眼(けいがん)の士である。また三十三歳年長のリルケとの関係も、書簡などが紹介されており興味深い。
 本書は、一九九七年に同社から翻訳出版された『バルテュス 生涯と作品』の翻訳を一部改訂して、テキストだけを独立させたものである。本文中で、一九二九年と三三年の《街路》、その二十年後に描かれた《コメルス・サン・タンドレ小路》のタッチ、色彩、人物の配置について詳細な比較が行われている。有名な作品であるとは言え、よほどバルテュスに通暁していないかぎり、図版なしでは理解できないだろう。しかも、作品の様式分析に関わる記述はかなり多い。
 画家の東洋への関心や気質に関する部分は理解しやすく楽しみながら読める。だが、それは全体の半分にも満たない。出版にあたって、なぜテキストだけで通用すると判断したのだろうか。
(與謝野文子訳、河出書房新社・2592円)
 Claude Roy 1915~97年。フランスの作家・詩人・評論家。
◆もう1冊 
 A・ヴィルコンドレ著『バルテュス、自身を語る』(鳥取絹子訳・河出書房新社)。日本人の妻のことから芸術論まで。
    --「書評:評伝 バルテュス クロード・ロワ 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014060102000179.html:title]

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評伝 バルテュス
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覚え書:「ハンナ・アーレント [著]矢野久美子 / 戦争と政治の間 ハンナ・アーレントの国際関係思想 [著]パトリシア・オーウェンズ [評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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ハンナ・アーレント [著]矢野久美子 / 戦争と政治の間 ハンナ・アーレントの国際関係思想 [著]パトリシア・オーウェンズ
[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)  [掲載]2014年06月01日   [ジャンル]歴史 政治 


■世界の複数性、思考し続けて

 映画でも話題になった政治思想家アーレント。ドイツ哲学に学んだ後、ナチス迫害を逃れてアメリカに亡命した彼女について、簡にして要を得た評伝が出た(『ハンナ・アーレント』)。理論中心の従来のアーレント論とは異なり、本書では、2度の結婚の相手を含む友人たちとの交流が丹念に跡づけられる。厳しい条件の中で、人びととの具体的なつながりが、彼女にとっていかに大切であったかが読む者に迫ってくる。
 ところが、悲劇的なことに、ナチスの元高官アイヒマンの裁判をきっかけに、アーレントは、大事な友人たちのほとんどを失う。アイヒマンを「怪物的な悪の権化」と見なしたいユダヤ人社会の意向に背き、彼女が彼を「思考の欠如した凡庸な男」として描き、一部のユダヤ人のナチス協力にさえふれたからである。「ユダヤ人への愛がないのか」と非難された彼女は「自分が愛するのは友人だけであって、何らかの集団を愛したことは」ないと応える。
 彼女はユダヤ人を自認し、「ユダヤ人として攻撃されるならばユダヤ人として自分を守らなければならない」とつねに強調していた。しかし、人を特定の集合的なアイデンティティーと一体化させてしまうことは、一人一人の存在の独自性、彼女の言葉で言えば「世界」の「複数性」という最も大切なものを脅かすと考えたのである。
 従来、あまり紹介されてこなかったアーレントの国際政治論・戦争論を、現代の事象と関係づけて考察する本格的な試みが翻訳された(『戦争と政治の間』)が、そこでも鍵となるのは、複数性への彼女の関心である。
 20世紀には、政治の特徴を「敵対性」に見いだし、政治と戦争とを同じようなものとするカール・シュミットなどの見方が強まった。これに対しアーレントは、人びとが自らの独自性を言葉によって表現しあう場を、政治的な空間とした。そして、そうした空間にあらわれるものを権力と呼び、他者を支配する暴力と厳密に区別する。
 こうした暴力批判は、戦争批判に直結しそうにも思える。ところが、実際には彼女は、戦争を全否定する絶対平和主義とは距離を置き続けた。反ナチスなどのパルチザン闘争に加え、イスラエル建国のユダヤ軍さえ、一時は支持したのである。それは、ある人びとを根絶し、人間の複数性を否定しようとする「民族浄化」の動きがある以上、対抗的な戦争が正当化されうると考えたからであった。
 個々の判断の妥当性はともかくとして、民族や戦争といった概念が改めてせり出しつつある今こそ、物事の両面を思考し続けたアーレントの姿勢に学ぶものは多いのではないだろうか。
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 『ハンナ・アーレント』中公新書・886円/やの・くみこ 64年生まれ。フェリス女学院大教授。著書『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所』。
 『戦争と政治の間 ハンナ・アーレントの国際関係思想』中本義彦・矢野久美子訳、岩波書店・4968円/Patricia Owens 75年生まれ。英サセックス大准教授。 
    --「ハンナ・アーレント [著]矢野久美子 / 戦争と政治の間 ハンナ・アーレントの国際関係思想 [著]パトリシア・オーウェンズ [評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年06月01日(日)付。

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日記:吉野作造や南原繁を学ぶアクチュアリティについて一言


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先日、宮城県大崎市の吉野作造記念館で講演した折り、聴講してくださった「『吉野作造通信』を発行する会」の永澤さんから、最新の『吉野作造通信』(15号)を頂き、ようやく眼を通しました。遅くなりましたがありがとうございました。

デモクラシーの旗手・吉野作造は、歴史教科書にも登場しましたが、出身の宮城県でもその名前はおろか、消息すら理解していない人が多い現状で(弟の方が有名)、吉野について調べ、学び、地域の関係を浮かび上がらせるために刊行されたのが「吉野作造通信」とのこと。昨年で28年目。

『吉野作造通信』最新号(15号、2013年12月)では、山田昭次先生の論説「朝鮮人虐殺事件に関する吉野作造の思想と行動」を筆頭に、資料として吉野の「朝鮮人の稀代の惨劇についての反省」、「金子ふみ子自叙伝」、川端純四郎「さんびかものがたり きよき岸べに」を掲載、記念行事の紹介という構成になっております。

『吉野作造通信』15号、「編集後記」に刊行の意義が書かれておりますが、曰く……。

「ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)を許さない市民運動や安倍政権の秘密保護法に反対する広汎な団体や市民の意思表示がみられた二〇一三年の暮れに、吉野作造と関東大震災の特集の続編(第八号、一九九三年十二月に続く)を発行できて感謝です」。

「本号では、朝鮮人虐殺に対し吉野作造が政府に要求して果たせなかった内容を継承し、その実現を目指して奮闘しておられる山田昭次先生の玉稿を通し、吉野作造のこと、朝鮮人虐殺事件の歴史的意味について学ぶことが出来たらと願って編集いたしました」。

「『吉野作造通信』を発行する会」とは、市民の自発的学習会になります。今年の3月には、大正デモクラシー研究で知られる元桃山学院の太田雅夫先生を招き、新島襄と海老名弾正との関係の講演も開催しております。「継続は力」といいますが、なかなかできることではありませんし、その学びは顕照を大きく凌駕しているのではないかと思います。

よく、吉野作造や南原繁を研究していると、「そんな(顕照的な)ノスタルジックなことをして意味があるの?」と揶揄されることがあります。確かに吉野作造や南原繁には「限界」がありますが、例えば「通信15号」に見られる、過去の学びから現代を照射する営みは、そうした揶揄を跳ね返す民の学びの力です。

僕は「吉野作造を学ぶことは、吉野作造として生きることだ」と言いますが、例えばヘイトスピーチに対して「表現の自由」の手前で何もできない知識人の姿をみるにつれ、その理論的根拠は弱いかもしれませんが、通信15号の如く、それはおかしいぞといい切る「学び」を侮って欲しくはありません。

( 勿論、僕自身、吉野作造や南原繁に「肩入れ」してることは承知しておりますが、一刀両断に、その学ぶ姿をあざ笑うが如きアカデミズムというのはどうかと思うし、きっかけはノスタルジックな郷土愛の如きものからの立ち上がりだとしても、同趣味の者が慰み合うが如きとらえ方はどうかと思います )

 

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覚え書:「書評:インフラの呪縛 山岡 淳一郎 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。


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インフラの呪縛 山岡 淳一郎 著

2014年6月1日

◆「命守る」出発点からの距離
[評者]松原隆一郎=東京大教授
 東北の復興に国土強靱(きょうじん)化、二○二○年東京五輪・パラリンピックと、公共事業が目白押(めじろお)しだ。民主党への政権交代時にキャッチフレーズとなった「コンクリートから人へ」の流れはすっかり逆転、いまや東北地方を中心に建設業者は人手不足の悲鳴を上げている。
 しかし公共事業叩(たた)きにも、一理はあったはずではないか。コンクリートへの「まともな投資」は、政治とカネ、財政負担、環境問題といった批判を乗り越えなければならない。それなのに七月に取り壊しが始まる国立競技場の建て替えでは、将来の利用にかかる市場調査もせず、官僚と利害関係者が密室で税金の使い道を決めてしまった。
 公共事業は今後、どうなるのだろう。それを考えるためにも、まずは歴史に学ぶ必要がある。本書は明治以降のインフラ整備の歴史を鉄道敷設からひもとき、ダムや高速道路の建設、夢の新幹線と旧国鉄の解体、そして公共事業批判を経て大震災からの復興や老朽化した橋の修復へとたどる。各界の生き字引へのインタビューや膨大な資料を踏まえ、利権への好悪だけでない、多方向からの視点を与えている。
 著者に従い、日本で無数のダムや本四架橋が建設された経緯を思い起こすと、出発点には「生命を守ること」への希求があった。戦後の十五年間、巨大地震や激甚台風、船(洞爺丸)の沈没といった死者千人レベルの事故が相次いでいる。治水が悲願とされたのだが、さらに世界に比類ないことに、高度成長の果てに地域間格差が縮んだことがある。日本海側の日本を開発したことは、田中角栄の功績であろう。
 興味深いことに、ローカル線が鉄道の財政破綻の原因というのは思い込みにすぎないらしい。むしろ東京駅のような都心の地下工事がよほど負担が大きく、運賃を上げなかった罪は大きいという。自律分散型の都市と自然生態系との調和を実現するインフラが成熟国には必要と、冷静かつ情熱的に語っている。
(ちくま新書・950円)
 やまおか・じゅんいちろう ノンフィクション作家。著書『原発と権力』など。
◆もう1冊 
 根本祐二著『朽ちるインフラ』(日本経済新聞出版社)。半世紀前の高度成長期に造られた日本のインフラ補修の課題を提言する。 
    --「書評:インフラの呪縛 山岡 淳一郎 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。

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インフラの呪縛: 公共事業はなぜ迷走するのか (ちくま新書)
山岡 淳一郎
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覚え書:「書評:親鸞 既往は咎めず 佐藤 洋二郎 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。


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親鸞 既往は咎めず 佐藤 洋二郎 著

◆悪や受難を計らいと知る
[評者]横尾和博=文芸評論家
 私は愚かである。迷い、呻吟(しんぎん)し、なんとか現実から這いあがろうと足掻(あが)く。人の妄念は時代を超えて同じなのか。八百年前に、親鸞は私たちに自力本願の空(むな)しさを教えてくれているのだが…。本書からは、私たちと同じような人間親鸞の惑い、愁いを伝えようとの作者の強い意思が読み取れる。謎多き生涯のなかの二十代から三十代にかけての親鸞に迫ろうとする意欲作だ。
 彼は九歳から二十年にわたる比叡山での修行を捨て、法然の門下に入り、既成宗派からの攻撃(法難)を受けて越後に流罪となる。流罪になる船のなかでの場面から物語は始まる。越後では土地の豪族、三善為教(ためのり)が親鸞を庇護(ひご)し娘は親鸞に嫁ぎ、人々は親鸞に帰依していく。四年後、赦免となり「非僧非俗」の考え方に立ち、関東で布教するために、妻の恵信尼や弟子たちと越後を旅立つシーンで話は閉じられている。政治家で大胆かつ細心な成り上がり者、と設定されている三善為教のキャラクターが魅力的だ。
 副題の「既往(きおう)は咎(とが)めず」は論語の言葉。本書を読めば読むほど、この言葉が身に染みてくる。「過ぎ去ったことを咎めても仕方がない」との意だが、私はドストエフスキー『罪と罰』のなかの酔漢マルメラードフの救済論を思い出す。俸給をすべて飲み代に遣い、娘のソーニャが娼婦(しょうふ)になるのも止められない父親だが、最後の審判のおりには神は必ず悪人や心弱き者を救う、との救済論だ。歎異抄の「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と共通してはいないか。
 救済は自力ではなく、あくまでも阿弥陀仏(あみだぶつ)の「はからい」、他力なのだ。阿弥陀仏からの光があまねくゆきわたり、この世での悪、受難もすべて「はからい」なのである。この親鸞の深奥に、まだ私はついていけない。ゆえに私は愚かなのである。本書は私のような戯(たわ)け者に、親鸞思想の黄金のひとかけらをわかりやすく知らせてくれた。難しいテーマに挑んだ著者に脱帽。
(松柏社・1728円)
 さとう・ようじろう 1949年生まれ。作家。著書『夏至祭』『坂物語』など。
◆もう1冊 
 吉本隆明著『最後の親鸞』(ちくま学芸文庫)。非僧非俗の境涯に身を置いて善悪の起源を追究した親鸞のラディカルな思想に迫る。 
    --「書評:親鸞 既往は咎めず 佐藤 洋二郎 著」、『東京新聞』2014年06月01日(日)付。

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親鸞 既往は咎めず
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書評:小坂国継編『大西祝選集III 倫理学篇』岩波文庫、2014年。

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小坂国継編『大西祝選集III 倫理学篇』岩波書店、読了。理想主義的進化説を正面から取り上げた東京専門学校講義録『倫理学』および3つの倫理学講演(1,古代ギリシア道徳哲学とキリスト教道徳の対比、2,ギリシア人の道徳観からキリスト教への道徳観への移行、ストア哲学と武士道の対比)を収録。

未完の大著『倫理学』で大西は倫理学が道徳的理想を樹立する学問と捉えた上で、東西の倫理学説の吟味と批評を行う。俗に「自前の学問」としての「咀嚼」は和辻哲郎の如き昭和前期を待つというが、なかなかどうして。その繊細かつ明晰な批評に驚く。

講演「古代希臘の道徳と基督教の道徳」。古代ギリシアの道徳と基督教のそれの比較・対照で、前者が調和・知識・現世主義、後者が神意的・信仰・愛を特色とし、近世欧州の道徳の底流を二つと見る。開国後の日本はどう向き合うのかと締めくくる。

講演「希臘道徳移于基督教道徳之顛末」。先の講演が相違重視に対し、本講はその移行に焦点が置かれている。理性的思索が宗教的に振れる中での継承と見るとが、ローマ時代のその接続は、転換期の当時の日本も例外ではない(混沌としているが

講演「ストアの精神と武士の気風とを比較して我が国民の気質に論じ及ぶ」。ユニテリアン教会での講演で、ストア賢者と武士の気風を比較し、同相違・長短を論じ、日本人の気質を論じている。新渡戸『武士道』出版の5年前だが、その正確さに驚く。

前世代の井上哲治郎の「受容」と「理解」が噴飯に終始したのに対し、(大西自身の天才ささもさることながら)明治20年代の西洋理解と照射される自己理解と創造の卓越さには度肝を抜かれる。平行して田辺元を読んでいるが比べるまでもない。

中公バックス世界の名著『アウグスティヌス』は山田昌先生の手によるもの。解説は自身の学生時代の思い出から始まるが、学生時代、田辺元が「即」「即」と強調していたとチラリと書いてあった。しかし、東西に普遍的に散見される「即」の原理とは、そういうお子さまじみたものぢゃあなかろうに。

大西祝の父親がユニテリアンで、本人は新島襄から受洗しているが、その信仰はどうだったのだろうか関心が強くある。同時に姉崎正治を介した関わりですが、明治中期から大正前期にかけては、やはりユニテリアンが諸宗教の「協会」「ネットワークの翠点」として機能していることにも驚く。こちらも再着手したいところだけど。

大西祝は大学院の頃から関心のあった研究の対象。目前の課題を消化するなかで、ちかいうちに手をつけたい、とぐっと思ったりです。ともあれ、岩波文庫で「選集」化(三分冊)され、その主著を手軽に紐解くことが出来ることは喜ばしいこと。日本思想史とは他者理解と自己理解の実験場だからね。

『大西祝選集III』岩波書店、解説で小坂先生が紹介してるけど、清沢満之の没後25周年追悼記念会で西田は「従来日本には哲学研究者は随分あるが、日本の哲学者といふべきは故大西祝と我清沢満之であろう」(吉田久一『清沢満之』)と語ったそうな。清沢をほめるのは当然としても、大西が出てくるw

次はこれを読んでおかないとね。 小坂国継『明治哲学の研究 西周と大西祝』岩波書店 [http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/3/0249530.html:title] … 「日本哲学の黎明期である明治の哲学の形成過程,特性を分析・解明する待望の研究書」. 


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大西祝選集III 倫理学篇 (岩波文庫)

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覚え書:「今週の本棚:岩間陽子・評 『「普通」の国 日本』=添谷芳秀、田所昌幸、デイヴィッド・A・ウェルチ編著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。


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今週の本棚:岩間陽子・評 『「普通」の国 日本』=添谷芳秀、田所昌幸、デイヴィッド・A・ウェルチ編著
毎日新聞 2014年06月01日 東京朝刊


 (千倉書房・3024円)

 ◇国際協調主義に収まる「見えざる手」

 「PKO法」「蟻(あり)の一穴」「牛歩」と聞いて、思わず微笑(ほほえ)んでしまう人は、ある年齢以上の世代だろう。1992年、カンボジアPKO開始を横目に、自衛隊派遣の法制を議論した当時、国会は天地がひっくり返ったような騒ぎであった。あれから二十年余。集団的自衛権の問題の議論のさなか、時宜を得た出版である。

 小沢一郎氏が『日本改造計画』で、「普通の国になれ」と説いたのは1993年。日本は湾岸戦争後のトラウマのまっただ中だった。多くの人々が、日本をすこしでも「普通」にしようと、口角泡を飛ばし、議論してきた。日本は「普通」になったのだろうか? 日本語版も出ている国際政治の教科書『国際紛争』(有斐閣)の共著者として、ジョセフ・ナイ教授と名前を並べる、カナダ、ウォータールー大学のデイヴィッド・A・ウェルチ教授に、日本の研究者二人を加えた三人が編著者となり、韓国、中国、英国、シンガポールの研究者に呼びかけて、それぞれの立場から日本にとっての「普通」を論じた産物が本書である。2011年に出された英語版の邦訳であるが、内容は全く古くなっていない。

 日本は、どう「普通でない」のか。第一は、やはり憲法第九条の存在であると三人の編著者たちは言う。第二に、国際社会での存在感に比べ、地域およびグローバルな安全保障で果たす役割が極端に小さいことである。田所昌幸氏は、この問題について揺れ動いてきた日本の軌跡をたどる。氏は、戦後日本のコンセンサスとなった吉田路線の本質は、「戦後憲法とアメリカとの同盟の両方(、、)を受け入れたことにある」という。戦勝国間の世界的な協力関係を前提とする憲法と、冷戦の産物である日米同盟は、全く異なった世界観に基づいている。この矛盾が、緊張をはらみつつも、解消されることなく生き続けた理由を田所氏は、冷戦期の日本社会にイデオロギー的、政治的な「ベルリンの壁」が存在し、コンセンサスを得ることが不可能であったためと分析する。「双方にとって何とか我慢できる暫定的な妥協の産物」が、吉田路線であった。

 しかし、冷戦が崩壊した90年代以降、この微妙な均衡を維持することが困難になっていく。ポスト冷戦期は、新たな国連平和活動をはじめとして、地域紛争、民族紛争での軍事力使用の場面が激増した。この中で、日本の「平和主義」は、孤立主義、身勝手な一国主義に見られるようになっていった。その結果日本の安全保障政策は、大変動期に入った。

 本書のどの論者も、90年代以降の変化を「右傾化」とは受け取っていない。PKO参加、日米同盟の再定義、新ガイドライン策定などの過程で、いわゆる「右」の勢力が、議論を後押しする場面がなかったわけではない。しかし、国家主義からの風に吹かれても、日本の政策変化は、結局は国際主義の範囲内に収まってきた。日本の保守政治家たちの多様な「普通の国」論を、知日家のパク・チョルヒー氏が分析している。強烈な個性の保守政治家たちの、共通点の分析が興味深い。

 この間、日本経済も大きな変動を経てきた。石原慎太郎、盛田昭夫両氏が『「NO」と言える日本』を出した当時は、日本経済がアメリカ経済を追い越して世界一になるのではないかとさえ思われていた。しかし、「停滞の90年代」を経て、様々な意味で、日本経済もまた「普通」になった。確かに80年代の経済の膨張は、日本人の自意識を混乱させた。日本の本来あるべき姿は、伝統的大国路線ではなく、「普通のミドルパワー」である、と添谷芳秀氏は持論を展開する。我々は、それでもいいのかもしれない。しかし、アジアの隣人たちは、本当に日本のことを「普通のミドルパワー」と思ってくれるのだろうか。

 ラム・ペン・アー氏は、東南アジアの大多数の国にとって、やはり日本は大国であり、カナダやスカンジナビア諸国と同列ではない、という。実際日本は、70年代後半以降、地域大国としての役割を果たしてきており、東南アジア諸国にも評価されている。彼にとっても、中国のワン・ジエンウェイ氏にとっても、日本がアメリカからどの程度、自律性を回復するのかが、東アジア共同体の将来にとっての鍵となる。その中でも、二つのコリアとの関係は、日本外交のいまだ「普通ではない」側面を示していると、英国のジョン・スウェンソン=ライト氏は分析する。

 編著者たちは、日本の安全保障政策には、「憲法第九条・日米安保体制」という「見えざる手」が働いており、結局は国際協調主義の枠からでることはないという。そして、地域や世界における日本の行動が「普通」になれば、それは自国と周辺国をむしろ落ち着かせるような存在になり、「その段階に達すれば、日本は時代にそぐわない憲法のくびきから自らを解放する手順に取りかかれるのではなかろうか」と予測する。これから展開される国会論争の知的準備に、ぜひ一読をお勧めしたい。
    --「今週の本棚:岩間陽子・評 『「普通」の国 日本』=添谷芳秀、田所昌幸、デイヴィッド・A・ウェルチ編著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所』=宮田親平・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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今週の本棚:海部宣男・評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所』=宮田親平・著
毎日新聞 2014年06月01日 東京朝刊


 (河出文庫・994円)

 ◇ドラマチックな日本科学創成史

 実は、いま話題の理化学研究所への関心から、本書の前身・日経ビジネス人文庫版を手に取った。ところがこれ、明治から終戦の日本近代科学創成史そのもので、STAP細胞騒ぎなどすっ飛ぶ、とんでもなく面白い本。河出文庫版が出たので、これ幸いと取り上げる次第である。

 出だしからして、ロンドンの夏目漱石だ。前半の主な役者は、漱石に「本格的学問」を考えさせた化学者池田菊苗、日本経済創設の立役者渋沢栄一、タカジアスターゼの高峰譲吉、日本初の国際的物理学者長岡半太郎、ビタミンで知られる鈴木梅太郎、鉄鋼の神様本多光太郎、随筆でも有名な寺田寅彦など。全編の主人公が、理研を興隆に導いた工学者、大河内正敏。日本科学の創成期を彩った傑物たちの逸話だけでも楽しい。

 維新から五〇年を経た一九一六年、政府が援助する財団法人・理化学研究所が発足した。渋沢栄一の強力な支援は、記憶されるべきだろう。米国やドイツで大科学研究所が次々設置されるのを見た高峰譲吉が「日本は何時(いつ)までも外国の模倣ではいけない、まず基礎研究を進める国民科学研究所を」と説いたのに、深く賛同した。当時大学の整備は進んでいたが研究は教育の従、学閥の弊も甚だしかった。理化学研究所は、応用も念頭に基礎研究をという高い理想を掲げた、日本最初の科学研究所だったのだ。だが政府の支援も民間の寄付も少なく、経営は行き詰まった。ここで大河内の登場となる。

 理研第三代所長・大河内は、人物の幅が広く精力的だった。化学部と物理部がもめていた理研に「主任研究員制度」を敷いて、一気に対立をなくしてしまう。「部」は撤廃、人員・予算を主任が裁量する研究室だけがある。研究者は対等で、何を研究してもよい、研究費は心配するなというのだから、確かに研究者の楽園だ。そしてこれが、大変な効果を発揮するのである。闊達(かったつ)な議論が交わされ、異なる研究室間でも互いに応援にゆく。その自由さに驚き感激した朝永振一郎は、義務や制限のないことが研究者の意欲を刺激し成果が生まれると書いている。この雰囲気は尊ばれて大学へも波及し、多くの人材を生んだ。

 財政難はどうなったか。大河内は会社を興し理研が生む発明で収入を得る道に突き進んで、成功を収める。有名な理研ビタミン、理研酒から、アルマイト、理研感光紙、ピストンリングなど理研が送り出した発明や工業化の数々は、社会にも大きな影響を及ぼした。大戦前夜には六三社・一二一工場を持つ、まさに「理研コンツェルン」となる。大河内はほとんどの代表で、ワンマン経営で研究所の経費を稼いだ。超人的な活動。だが当然、破綻する。それは戦争への突入による軍事研究・軍需生産拠点化、戦後のGHQによる解体という形で、終末を迎えた。まことにドラマチックな物語。

 ジャーナリストの著者は、最終章で理研が残したもの、近代日本の科学と研究を振り返る。波瀾(はらん)万丈の歴史を見てきただけに示唆含蓄に富み、出色の科学社会論である。漱石が「現代日本の開化」でつとに喝破したように、「他発性」の近代文明を消化し追いつこうと息せき切ってきた日本。一部では世界に伍(ご)しもした日本。科学の世界でも起こったその現実を、本書は理化学研究所という壮大な「実験」を通して鮮やかに活写した。

 いま理研は、成果を迫るトップダウンの巨大研究と組織の急膨張の中で疲弊しているかに見える。果たして研究の理想に立ち戻ることができるか。 
    --「今週の本棚:海部宣男・評 『「科学者の楽園」をつくった男-大河内正敏と理化学研究所』=宮田親平・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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「科学者の楽園」をつくった男:大河内正敏と理化学研究所 (河出文庫)
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覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『限界にっぽん--悲鳴をあげる雇用と経済』=朝日新聞経済部・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。


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今週の本棚:伊東光晴・評 『限界にっぽん--悲鳴をあげる雇用と経済』=朝日新聞経済部・著
毎日新聞 2014年06月01日 東京朝刊


 (岩波書店・1944円)

 ◇産業空洞化、食い止める策はあるのか

 『朝日新聞』に2012年8月から翌年の11月まで連載され、驚きをもって読まれたものが、加筆され一冊の本になった。この本から、日本の雇用市場がすさんでいることがわかる。それをもたらしているのは、経営の失敗と一段と進んだ産業の空洞化である。本書の中心はこれをあつかった第4章にある。

 本当か、と思うひとつは矢崎総業のことである。私たちには太陽温水器の大手と思われているこの会社が、世界に約440の拠点を持ち、従業員約23万人、その90%強が外国人だというのである。いったい何を作っているかといえば、自動車にとりつける電線が中心らしい。キヤノンも、乗用車も海外が中心である。

 経団連現会長が経営責任者であった住友化学は、14年前に、韓国のサムスン村に偏光フィルム、カラーフィルターの工場を建てた。愛媛工場の約5倍の規模である。ウォン安で、日本の電化製品を追い落とした「サムスン」の世界企業化に寄り添って、需要先を確保しているのである。

 低賃金でつくられる部品を集めて家電製品をつくる台湾の鴻海(ホンハイ)も、サムスンも、10兆円を超える売上げの巨大企業になり、その国際競争力の前に、パナソニックも、シャープもソニーも、追い込まれ、リーマン・ショックも重なり、大きなリストラに走った。それが海外の競争企業に人材を流出させ「電子立国」といわれた日本が崩壊しだしたのである。

 この本は、大阪で、ネットカフェにも泊れず、夜をさまよい、マクドナルドで100円のハンバーガーを口にし、夜明けを待つ「マクド難民」からはじまっている。その中に、かつてこうした大企業でチームリーダーだった人もいるところから、大企業で何がおこっているかに話を進めていく。

 かつて『ソニーは人を生かす』という本が出たが、そのソニーに「追い出し部屋」がある。パナソニックにも、リコーにも、NECにも。会社に貢献した人まで、無理に「ヤメル」と言わせるためのいやがらせの数々を見ると、人を大切にした日本の企業はいつからこんなに変わったのか、と思わざるをえない。

 こうした状態に追い込んだのが、経営の失敗と企業の海外への拠点移動である。企業は安い賃金を求め、中国からタイへ。そしてタイの3分の1のカンボジア、ベトナムへと移っている。タイ進出の日本企業約7000社、その多くが下請けの中小企業である。町工場が集まっていることで知られる東京都大田区も、タイの工業団地の中に「オオタ・テクノ・パーク」をつくり、工場を移させている。日本人は社長ともう一人。あとはタイ人。この本はこれを「根こそぎの空洞化」と書いている。

 当然、日本から工場が消えていく。大手電子部品メーカーTDKの城下町であった秋田の湯沢市からも撤退しだした。地方の市や県が工場建物を提供し、地方税を10年免除にしても来る企業がなくなった。

 まだ日本には自動車産業や素材産業があると言う人もいよう。だが、その自動車産業にしても、工場立地の中心は北九州に移り、韓国の釜山付近でトラックが部品工場を一巡し、集めた資材を乗せて翌日北九州の工場に納めているというようなことになっている。ニッサンのマーチにしても、タイ等で生産されたものが日本に入ってくるのも時間の問題である。新日鉄の明日は、今日のUSスティールである。

 日本はどうしたらよいか。アベノミクスのとなえる成長戦略のまやかしで、この本は終わっているが、策はあるのか、これが今日最大の問題である。 
    --「今週の本棚:伊東光晴・評 『限界にっぽん--悲鳴をあげる雇用と経済』=朝日新聞経済部・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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限界にっぽん――悲鳴をあげる雇用と経済

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書評:ミシェル・ヴィノック(大嶋厚訳)『フランスの肖像 歴史・政治・思想』吉田書店、2014年。

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ミシェル・ヴィノック(大嶋厚訳)『フランスの肖像 歴史・政治・思想』吉田書店、読了。「フランスについて、簡単に説明していただけますか」。本書は、フランス近現代史の大家がその疑問に答える「フランス入門」。「フランス国民はフランスの存続を望んでいるか」「忘れられた博愛」まで魅惑的な30章で叙述。

共和国フランスに幾重も流れ込む底流と風土、作られたイメージとその現実。著者は「現代の風景を見失うことなく、その家系図の枝の部分」を縦横に本書で語り、その等身大の「肖像」を明らかにする。大部の著作ながら一気に読んだ。

フランスは教会の長女であると同時に「革命の母」である。この複雑な近代史が、「ライシテ」の起源となる。その思想的経緯を日常感覚を忘れずに描き出す。カトリック国でありながら脱宗教の文化現象の紹介も本書の山場のひとつ。

「知識人は役に立つか」の章が印象的。その役割とは(未完成で改善の余地のある、しかし唯一の人間的な体制としての)「民主主義の擁護者であることだ。有機的かつ批判的に民主主義を擁護することだ」。

「知識人は民主主義を否定し、掘り崩し、打倒しようとする反対者に対抗してその原理を再確認しなければならない。栄光を求める気持ちが、知識人を本来の任務、すなわち私たちがともに生きようとする意志に意義と目的を与えることから逸脱させている。サン・ジェルマン・デ・プレを絶望させてはならない。共和国は、いつでも学者を必要としているのである」。

※初の「吉田書店」さんの本ですが、かっこよすぎますねえ、この一節にはしびれました。

[http://www.yoshidapublishing.com/booksdetail/pg647.html:title]


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フランスの肖像
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ミシェル・ヴィノック
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覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『ヤマメの魔法』=湯川豊・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『ヤマメの魔法』=湯川豊・著
毎日新聞 2014年06月01日 東京朝刊


 (筑摩書房・1944円)

 ◇巡礼者の静けさに包まれる渓流釣り

 釣りと園芸は神様の贈り物だと思う。どちらも小さな世界のなかで静かな時を過ごすことができるから。

 文芸評論家の湯川豊さんは釣り好きとして知られる。渓流でのフライ・フィッシング。山の奥を流れる清流でイワナやヤマメを釣る。

 春から秋まで。釣りのシーズンが来ると岩手県や山形県の川へ出かけてゆく。本流から支流へ、さらに細流へと分け入る。

 谷の精と呼ばれるイワナやヤマメは源流にすむ。それを釣るには釣り人は山の奥へ、奧へと入ってゆかなければならない。川を遡行(そこう)する。いつしか世俗と離れ、ひっそりとした自然のなかに溶けこんでゆく。

 湯川さんは釣りそのものの楽しさを語りながら、同時に、清流を上がってゆく過程の感動を語るのを忘れない。「静かな谷で、美しい渓流魚と遊びたい」。その一心で谷へと入ってゆく。

 山国の日本は幸いに谷が多い。そこに人知れず静かに川が流れている。それを見つけ出した時の釣り人の感動が、釣りを知らない読者にも柔らかく伝わってくる。

 湯川さんは東北、特に岩手県を中心に実によく谷を歩いている。人に知られていない、静かな川を探して奧へと足を踏みいれる。山の奥のどこかにいい場所がある。一種の桃源郷探し、隠れ里探索行になっている。

 もちろん魚を釣り上げた時の無邪気な喜びも語られるが、湯川さんの文章からは(名著『イワナの夏』もそうだったが)、巡礼者の静けさが感じられる。

 「目を上げると、谷は小さな階段状をなしていて、段の上にはまた同じような長い深瀬の流れがある。流れはゆるやかで、日の光がその流れと戯れていた。ずっと奧までこんな流れがつづくのだ。山の奥深くに高原のように広い空間が隠されていて、そこに流れがひそやかに生きている」

 湯川さんはいつも目の前の川の向うに、幻の、理想の川を見ている。一度行ったきり、二度と行けない川にまた出会えることを夢見ている。この遠くを見る視線が、通常の釣りエッセイにない良さになっている。大仰に言えば、釣り人は渓流のなかで神を感じている。

 湯川さんの目は川だけではなく周囲の風景にも向けられる。谷にはさまざまな花が咲く。カタクリの群落、ホオノキやトチノキの花。動物にも出あう。ウサギ、テン、ヨタカ。釣り仲間の他に周囲に人はいない。静けさが釣り人を包んでいる。

 大人なのに釣り友達を「啓ちゃん」と呼ぶ。子供時代に帰っているようだ。

 時には災難にも遭う。スズメバチに襲われる。とめていた車のなかを何者かに荒らされる。真夏の釣りでは熱中症になったこともある。それでも釣りをやめられない。ヤマメの魔法にかかってしまったから。

 「ヤマメの魔法」という言葉は、湯川さんが敬愛するアメリカのフライ・フィッシャーマン、ロバート・トレーヴァーのものだという。映画好きとしては、この名前に驚く。オットー・プレミンジャー監督の裁判劇「或(あ)る殺人」(1959年)の原作者ではないか。そういえばジェイムス・スチュワート演じる弁護士は釣りが大好きだった。

 トレーヴァーのこんな言葉が渓流で一人する釣りの醍醐味(だいごみ)をよくあらわしている。

 「フライ・フィッシングは、淋(さび)しくならずに孤独でいることができる、この世で唯一の場所だ」

 新緑の美しい季節。いまごろ湯川さんはどこの渓流を歩いているのだろう。
    --「今週の本棚:川本三郎・評 『ヤマメの魔法』=湯川豊・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・新刊:『天皇制の隠語(ジャーゴン)』=すが秀実・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。


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今週の本棚・新刊:『天皇制の隠語(ジャーゴン)』=〓(すが)秀実・著
毎日新聞 2014年06月01日 東京朝刊

 ◇〓(すが)秀実

 (航思社・3780円)

 久々に読めた本格的な批評だ。近年「1968年」の若者叛乱(はんらん)の思想的意味を記してきた評論家の論集。発表済みのものに加え、書き下ろしの表題作を収めた。表題作は、小林秀雄の批評が「神格化」されてきた意味を問いつつ、戦前の日本資本主義論争で知られる講座派の影響が、どう今に引き継がれてきたかを分析する。

 一般に、講座派は日本が明治維新後も「封建遺制」を残しているとして、天皇制を批判したとされる。彼らの主張は、戦後、共産党が引き継いだ。ところが本書は、講座派の発想は「日本には封建残滓(ざんし)という資本があるゆえ、逆に西欧近代を超克しうる」と飛躍できたと説く。だから、講座派は戦争協力に走れた。戦後の市民社会派も講座派の影を引きずり、資本主義以前の農村共同体などに理想の一つを求めた。他方天皇制は、こうした論理転換で、むしろカッコに入れられた。その「負」の遺産は、今の反貧困や脱原発の運動にまで引き継がれている。

 他の論文は、ベーシックインカム論から萩原健一、宮崎駿、大阪万博までをネタに、資本主義を問う。あらゆる文化事象を横断した内容は、読み応え十分である。(生) 
    --「今週の本棚・新刊:『天皇制の隠語(ジャーゴン)』=すが秀実・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚・本と人:『ゆずこの形見』 著者・伊藤たかみさん」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。


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今週の本棚・本と人:『ゆずこの形見』 著者・伊藤たかみさん
毎日新聞 2014年06月01日 東京朝刊

 (河出書房新社・1620円)

 ◇死者と誠実に向き合うこと

 中編小説二つを収めた一冊。表題作の主人公は文房具メーカーに勤める男で、保育園に通う男の子と二人で暮らしている。妻の「ゆずこ」は浮気中に北海道のホテルで急死した。「出張」と偽って、実は不倫旅行をしていたのだ。

 「ゆずこ」が作って保存していたおかずや北海道から送ってきた毛ガニが、冷蔵庫に残っている。主人公は息子とともに、おかずを少しずつ食べながら、毛ガニは不倫相手に食べさせたいと考える。

 村上春樹さんの新作短編集の題名を借りれば、この主人公も「女のいない男」だ。でも、成長を続ける息子と生活しているのが村上作品とは違う。このため、日常から不在の女をとらえ直す傾向が濃くなっている。死者が、絶えず日々の生活の場所から意識されている。

 伊藤さんは1971年生まれ。5年前に初めて子供に恵まれた。「それまでは、今日を精いっぱい生きればいいと思っていたのに、もっと長い時間軸で人生を考えるようになりました。息子が20歳の時に自分はいくつだろうと思ってしまう。あるいは、自分は彼に何を残せるのだろうか、とか」

 この物語のような場合に、妻の死から目をそむけて生きるタイプの男もいるだろう。でも、主人公はそうはしない。妻は何を考えていたのか、自分と不倫相手のどちらを愛していたのかと自問し続け、ついには相手の男にも直接に会う。それがある種の誠実さを感じさせるのだ。

 「主人公の性格だと思うのですが、子供の存在が大きいでしょう。たとえば将来、妻の死を息子に説明しないといけない。そんなことから、納得のいく妻との別れ方をしたいのだと思うのです」

 芥川賞受賞から8年たった。期待の大きい書き手だ。「妻が働いていることもあって、この間は子供の世話に打ち込んできました。育児休暇をとっていたような感じです」。執筆にエンジンがかかりそうだが、「これからも、皮膚で感じることを大切に書いていきたい」と話す。<文と写真・重里徹也> 
    --「今週の本棚・本と人:『ゆずこの形見』 著者・伊藤たかみさん」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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書評:波多野澄雄『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』中公新書、2011年。

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波多野澄雄『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』中公新書、読了。戦後日本は、先の大戦をどのように検証し、国民に説明し、負の遺産にどのように向き合ってきたのか。一億層懺悔から戦争記念館まで--。「脱帝国化」に失敗した戦後日本の歩みを概観し、未来への説明責任を展望する一冊。


帝国臣民とされた旧植民地出身者は講和により外国人と規定された。帝国においても日本人とみなす一方で対内的には戸籍をもって外地人を峻別、転籍の自由も認めなかった。国籍と戸籍は統治の便宜的技術として利用されたが、脱帝国後もていよく峻別は利用された。

旧植民地出身者に対する扱いや靖国神社の「宗教」としてのあり方は「脱帝国化」の失敗であり、「『歴史問題』は必ずしも日中戦争・太平洋戦争や植民地支配に起因するものばかりではない。問題の源をたどると国民国家としての形成時にさかのぼるものもある」。

憲法の言う平和国家論を『国是』として守り抜こうとすれば、村山談話を力強く支えるような内実を与える必要がある。その内実とは、近代日本の戦争と膨張主義の遺産についての歴史的検証可能な知的的基盤の形成。この「未来への説明責任」が最も欠如している。 

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未来への説明責任

 さて、本書が取り上げてきた「歴史問題」は必ずしも日中戦争・太平洋戦争や植民地支配に起因するものばかりではない。問題の源をたどると国民国家としての形成時にさかのぼるものもある。たとえば、国籍や戸籍という問題は、誰が国民であるかを定義する国の構成原理の問題であり、また靖国神社問題は明治国家を精神的に支える宗教のあり方という問題が根底にある。
 したがって、国籍や靖国という問題は国の基本的な統治原理を変えない限り解決が困難であるように見える。しかし、近代日本の絶え間ない対外戦争と帝国としてのあくなき膨張は、その過程で引き起こされた他の歴史問題はもとより、これらの問題までも近隣諸国の国民の尊厳を著しく傷つけ、苦しめる問題として顕在化させた原因となったのである。
 自ら痛みをともなうことはなかった帝国の解体、そして最も長く、最も大きな被害を与えた中国との戦争の記憶が遠のいていったことは、戦争や植民地支配の「リアリティ」を欠いた「平和国家論」を導く温床となり、平和国家の道を歩むことが忌わしい過去の清算につながるという、新憲法に依拠する政府の立場を支えてきた。平和国家論は単にレトリックにとどまらず、過去を反省しつつ自己改造を遂げ、平和的発展を享受できた源泉であったと評価することもできるであろう。しかし、こうした平和的発展の実績は「講和体制」に守られてこそ可能であった。講和体制とは、とりもなおさず日米間の共通の利益を優先的守るための体制であったからである。その一方、平和国家論の政府にとっての持続性は、過去の戦争の評価について公的検証や説明を避けることと表裏一体の関係にあった。
 国が過去の戦争について歴史的評価を避け続けてきたことは、公的な慰霊や顕照の対象は誰なのか、国家補償すべき真の戦争犠牲者とは誰なのか、あるいは戦争責任者とは誰なのか、といった問題に明確な答えを導き出せないまま、戦前国家の仕組みのままに公務に殉じた日本人への償いの優先を招いた。いずれにしても、平和国家論は、敗者が過去の戦争と正面から向き合い、真摯に戦争を検証するという困難な作業から生まれたものではなく、対外的理解を得られるものではなかった。
 平和国家論をいわば「国是」として守り抜こうとすれば、そこに沖縄からの批判にも耐え、村山談話を力強く支えるような内実を与える必要がある。その内実とは、近代日本の絶え間ない戦争と帝国圏の膨張の遺産について、広く歴史的検証可能な知的基盤の形成にあろう。それは、国や地方を問わず日本の行政機関に著しく掛けている「未来への説明責任」を果たすためでもある。
    --波多野澄雄『国家と歴史 戦後日本の歴史問題』中公新書、2011年、279-280頁。

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覚え書:「病から詩がうまれる―看取り医がみた幸せと悲哀 [著]大井玄 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。


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病から詩がうまれる―看取り医がみた幸せと悲哀 [著]大井玄
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年05月25日   [ジャンル]医学・福祉 

■懊悩の果てに辿りつく境地

 終末期医療に関わる著者の最新エッセー集。「看取(みと)りの医師」を自認するだけに、医療現場の現実や自らの来歴を語りつつ、自作の句や病との闘いを詠んだ先達たちの詩歌をあわせて紹介していく。終末期医療で自分が学んだことは、良寛が死に臨んで書いた書簡(「死ぬ時節には、死ぬがよく候」の一節がある)に尽きているという。
 「死」のさまざまな姿に接しているうちに、医師は哲学者、思想家、そして詩人になる。どの頁(ページ)にも人生の懊悩(おうのう)の果てに辿(たど)りつく境地が短文で語られている。「最良のかたみは、幸せそうな笑顔と笑い声」「誇りを感じさせることが終末期をよろめき歩く人への支え」「(患者は)私の中に生きているのだ」といった表現が看取りを受け持つ者が辿りつく死生観である。
 人はさまざまな糸と絡み合って生を紡ぐ。やがて「私」という糸もほどけるだろうと言い、「漠たる人生には、漠たる満足がある」との達観に読者は自らの像を重ねる。
    ◇
 朝日選書・1404円
    --「病から詩がうまれる―看取り医がみた幸せと悲哀 [著]大井玄 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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病から詩がうまれる 看取り医がみた幸せと悲哀 (朝日選書)
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覚え書:「亡国の安保政策―安倍政権と「積極的平和主義」の罠 [著]柳澤協二 [評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。


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亡国の安保政策―安倍政権と「積極的平和主義」の罠 [著]柳澤協二
[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)  [掲載]2014年05月25日   [ジャンル]政治 

■介入を正当化する集団的自衛権

 安倍政権が進める憲法の解釈変更。その問題点はどこにあるのか。元防衛官僚で、第1次安倍政権では官邸の中枢にいた著者が、専門的な安全保障論の観点から徹底的に批判を加える。
 国連PKO活動参加、9・11後の「テロ対策」、イラク戦争への対応などの政治の要請に対し、著者や内閣法制局は個別的自衛権の枠内で何とか考え続けた。それは不要な枠に縛られた、不毛な努力だったのか。そうではない。
 日本が個別的自衛権に自己限定することは、冷戦終結後の今、「戦争に巻き込まれないという消極的な意味」をもつだけではない。集団的自衛権は、実際には自衛を超え、大国の恣意(しい)的な介入を正当化し続けてきた危険な概念だからである。
 安倍首相らの前のめりの姿勢は、安全保障上の要請でなく、「敗戦の歴史のリセット」への執念から来るとする著者の洞察は鋭い。今後の国民的議論のために、必読の一冊である。
    ◇
 岩波書店・1512円 
    --「亡国の安保政策―安倍政権と「積極的平和主義」の罠 [著]柳澤協二 [評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「今週の本棚:中島京子・評 『アルグン川の右岸』=遅子建・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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今週の本棚:中島京子・評 『アルグン川の右岸』=遅子建・著
毎日新聞 2014年06月01日 東京朝刊

 ◇遅子建(チーズジェン)

 (白水社・3024円)

 ◇重層的に織りなされる遊牧民族の愛の物語

 この小説は、遊牧民族エヴェンキ族の『百年の孤独』だ。

 しかも、重層的に織りなされる愛の物語だ。サマン(シャーマン)と族長という、二人の男に争われた美しい母。左岸からやってきて二人の娘を生んだロシアの女性。婚礼の日に命を絶った新郎と、その寡婦を救った男。事故で睾丸(こうがん)を失(な)くした男が拾った美しい漢族の娘。

 いくつもの愛といくつもの生と死が、アルグン川の右岸で営まれる。澄んだ水を含んだような、豊かで清涼な読み心地と、次はどうなるのだろうという素朴な好奇心に引っ張られて、巻を擱(お)く暇もなく読み進んだ。

 アルグン川は、ロシアと中国の国境を流れている。川を隔てた左側はロシア、右側は内モンゴル自治区だ。彼らの歴史を示すのはその名前で、タチアナとかイレーナといったロシア風の名前もあれば、イフリンとかクンダなど、一族に伝わるのだろうと思われる名前も、そして時代が下ると九月(ジウユエ)といった、漢語由来の名前も登場する。当然のことながら一族には、他民族の血がまじることにもなる。

 エヴェンキ族はトナカイを飼って生活している。荷を運んでくれて、乳を出し、肉は食用にもなり、皮が寒さから守ってくれるこの素晴らしい動物は、自然に生えてくる苔(こけ)を餌にしているので、エヴェンキ族の人々はトナカイが餌を求めるのといっしょに移住する。彼らが住んでいるのは、シーレンジュと呼ばれるテント式の住居で、トナカイが動くときはこの住居をたたんで移動する。家の他に貯蔵庫のように使われているカオラオポという木の上の建物もあって、こちらは人が亡くなると、風葬の棺が置かれることもあるらしい。

 三百年前には十二あった氏族も、アルグン川の右岸に辿(たど)り着いたころには六氏族になっていた。そして、この小説は二十世紀の話になるので、悲しいかな、氏族は減り続ける。

 仲間がみんな山を下りて街に定住することを決めた朝、エヴェンキ族最後の酋長(しゅうちょう)の妻は語り始める。自分の生きてきた九十年の年月を。一族の物語を。

 語り手が生まれるのは中華民国時代だが、やがてそこには日本がやってきて満州国を打ち立てる。日本人を追い出すのはソ連軍だ。そして中華人民共和国がそこを内モンゴル自治区とし、社会主義体制のもとに定住政策を進める。エヴェンキ族はだんだんと、彼らの暮らしを失っていく。人と動物と自然が隔たりなくある生活が壊れていく。

 美しい昔話のような生活が奪われていくのは悲しい。けれど、人々の傷や病気を治し、雨乞いをし、結婚と葬儀を取り仕切るサマンが、誰かの不幸を救うたびに自分の子供を失ってしまうのを読むのはつらく、これからは医者と薬があるからもう子供は失わずにすむと言われて、サマンの女性が涙を流す場面には、特別の感慨がこみ上げる。

 この小説の魅力は、その物語であるとともにそれを語る言葉だ。全編を通じて大きな要素である男女の営みは「風を作る」と表され、経血は「青春の命の水」、病は「胸の中に隠されている秘密の花」なのだ。

 定住を勧められた一族の老人が、まるで詩のような言葉で、トナカイは家畜ではないと怒る場面がある。トナカイは「露を踏みながら道を進み、食べるときは花や蝶(ちょう)がそばで見守り、水を飲むときは泳ぐ魚を眺める」のだと。

 註(ちゅう)をほとんど入れずに読者に内容を理解させてくれる、たいへん読み易い翻訳も心に残った。(竹内良雄・土屋肇枝訳) 
    --「今週の本棚:中島京子・評 『アルグン川の右岸』=遅子建・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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書評:小森陽一『レイシズム』岩波書店、2006年。

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小森陽一『レイシズム』岩波書店、読了。21世紀に入ってより強化されているレイシズム(人種差別主義)。本書は現代におけるレイシズムを自他の「差異」「優劣」をねつ造するメカニズムと捉え、差別意識の発生に言語システムが深く関わっていることを明らかにする。現在の差別と対峙する思考導く1冊。

著者は『エンシクロペディア・ウニヴェルサリス』(アルベール・メンミ執筆項目)に採用された人種差別主義の定義を導きの糸にしながら、差異が差別に転換するメカニズムの不当性(自己正当化と思考停止、不在の優越性への欲望)を概観する。

定義は次の通り~
「人種差別とは、現実の、あるいは架空の差異に、一般的、決定的な価値づけをすることであり、この価値づけは、告発者が自分の攻撃を正当化するために、被害者を犠牲にして、自分の利益を行うものである」(エンシクロペディア・ウニヴェルサリス)。


異質なものとして「表象する」ということは「表象する」たえに使用している言語システムを共有する者たちの間で、「表象する」対象が「われわれ」とは「異」なっているということを、言語として定着する行為の実践が不可欠になる。

差別意識の発生には「言語システム」が果たす役割が不可欠。著者は言語獲得の構造から解き起こし、ジラール、赤坂憲雄の議論から暴力と排除のメカニズムの特色とその欺瞞を明らかにする。後半の永井荷風のテクスト分析はその経緯を補完する。現在手に取りたい一冊だ。

 


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覚え書:「杜甫のユーモア―ずっこけ孔子 [著]興膳宏 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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杜甫のユーモア―ずっこけ孔子 [著]興膳宏
[評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)  [掲載]2014年05月25日   [ジャンル]文芸 

■本物の学者が創り出す桃源郷

 職業を尋ねられるたび、私は慌て、赤面する。「歴史学者、ですね」「滅相(めっそう)もない。ぼくの研究対象は日本の中世だけです。だいたい、ぼくが学者なんて、おこがましい」「じゃあ何ですか?」「中世史研究者ということで」「(面倒くさいなあ)はいはい」
 本書の著者、興膳宏は中国文学の泰斗で、まさに「ザ・学者」である。京都大学に学び、吉川幸次郎・小川環樹に師事。中国文学理論、六朝文学研究の第一人者で、杜甫や荘子にも造詣(ぞうけい)が深い。
 本書は著者が折々に記したエッセイを集めたもの。中心には、自らを微笑(ほほえ)みながら見つめる杜甫と、荘子が描くところの、盗跖(とうせき)(大盗賊)にしてやられる孔子のズッコケがある。文章は平明。悠揚として迫らず、読後感が心地よい。それは一文節・一表現の裏にある教養が分厚いから。分かりやすく工夫された文章のそこここから、学問が溢(あふ)れだす。「学者」の仕事である。
 日本の知識人は、古代から一貫して漢文に親しんできた。漢学者は自在に漢詩を創作したが、その風は昭和にまで及び、本書が紹介する豹軒(ひょうけん)鈴木虎雄(吉川・小川の師)は夥(おびただ)しい量の漢詩を遺(のこ)したという。ところが近年、「英語を学べ」の大合唱のかげで、実益に直結しない漢文の習得は「はやらぬ学問」になってしまった。日本人、とくに若い層の漢文読解の能力は凋落(ちょうらく)の一途をたどっている。
 研究者はというと、以前に比べとても忙しい。大学経営の業務に追いまくられ、能力はあってもなかなか本物の学者になれない。大学は自助努力をせよ、との社会の要求は正しいが、人生を豊かにする人文系の学問を、せちがらく実利で計量するやり方は、いかがなものか。私にはこうした風潮と、漢文学の等閑(なおざり)とが、軌を一にするように思える。
 人文科学に吹く風は厳しい。でもそれだけに、本物の学者が創り出す桃源郷に憩う楽しみは、かけがえがない。
    ◇
 岩波書店・2052円/こうぜん・ひろし 中国文学者。京都大学名誉教授。『中国古典と現代』『杜甫』など。
    --「杜甫のユーモア―ずっこけ孔子 [著]興膳宏 [評者]本郷和人(東京大学教授・日本中世史)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「ドレス・アフター・ドレス―クローゼットから始まる冒険 [著]中村和恵 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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ドレス・アフター・ドレス―クローゼットから始まる冒険 [著]中村和恵
[評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)  [掲載]2014年05月25日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 

■素敵で深い「着ること」の裏側

 何を着るか。ずっと考え続けてきた。うきうき楽しく選んだり、何を着ていいのかわからなくて深刻に迷ったり。服が大好きで、憎い。
 纏(まと)うことの楽しさと不自由さはどこから来るのか。ファッション誌や服飾に関する本を渉猟しても、物足りない。流行の着こなしもスタイリング術もいいけれど、服はもっと広く、いつでもどこでも愛され、着用されてきたはず。
 そんな想(おも)いをようやく存分に共有できたエッセイが本書である。小説の描写から二十世紀初頭のヨーロッパの都市で働く若い女性の服飾事情に思いを馳(は)せたかと思うと、北方狩猟民の鮭革(さけがわ)でできた衣の素敵(すてき)な風合いに触れ、カナダのビーバー乱獲と環境保護運動の経緯から毛皮との付き合いを考察する。日本の着物も登場。古今東西南北、博物館や書物からオーダーメードショップまで、被服があるところどこでも軽々と、漂着する。かっこいい。
 もちろん単にあれが素敵これが素敵だけでは終わらせない。比較文学者でもある著者の語学力と知識が旺盛な好奇心をしっかりと支え、服の裏側に潜む歴史や心理、女性性や社会問題にまで行き着く。
 着ることは、自分が何者であるかを自分以外の他者、社会に表明することでもある。
 フランスの公立学校で問題になったムスリム女子生徒のスカーフ着用については、少女たちが現代フランスとイスラム系移民居住区との二つの文化の視線に対抗する二重戦略と読み解き、どちらに帰属するかではなく、どちらも彼女らの一部なのだと説く。
 服が規定しようとする体形も然(しか)り。巻末では身体に話が及ぶ。「痩身(そうしん)」という単一の文化的価値観を崇(あが)めるよりも、たくさんの種類のきれいやかわいいや美しいがあったほうが、いい。しかもそういう視点は練習で獲得できるものだから、やってみて、と誘いかける。同感。きっとそのほうが楽しい世界になる。
    ◇
 平凡社・1728円/なかむら・かずえ 66年生まれ、明治大教授(比較文学・比較文化など)。『地上の飯』など。
    --「ドレス・アフター・ドレス―クローゼットから始まる冒険 [著]中村和恵 [評者]内澤旬子(文筆家・イラストレーター)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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覚え書:「初音ミクはなぜ世界を変えたのか? [著]柴那典 [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。


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初音ミクはなぜ世界を変えたのか? [著]柴那典
[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)  [掲載]2014年05月25日   [ジャンル]IT・コンピューター 社会 

■「音楽」再生のための新たな革命

 音声合成ソフトウエア「ボーカロイド」の一種として生まれながら、ネット上の不特定多数のユーザー(ボカロPと呼ばれる)に育まれることで、姿かたちを与えられ、幾つもの名曲を歌い、やがてネットを飛び出して様々に活躍し始め、気付けば一種の社会現象を巻き起こしていた「初音ミク」。本書はその誕生から現在に至る歴史を、ミクの開発者や有名ボカロPたちへの取材によって繙(ひもと)きつつ、ひとつの大胆な主張を行っている。それは、ミクが登場した(発売された)二〇〇七年から起こった出来事は、史上三度目の「サマー・オブ・ラブ」だった、というものである。
 六〇年代末、アメリカ西海岸で、ヒッピーイズムを背景にして勃興した若者文化のムーブメント、それは「サマー・オブ・ラブ(愛の夏)」と呼ばれた。六九年のウッドストック・フェスティバルが、その頂点だった。それから二十年後の八〇年代末、イギリスで「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が起こる。それは大規模野外フェスを中心に、当時注目されていたテクノやハウスなどのクラブ・ミュージックと、一部の人気ロック・バンドによって形成されたブームを、かつての「愛の夏」の再来として名付けたものだった。そして本書の著者は、それから更に二十年後の「初音ミク現象」を、三度目の「愛の夏」として捉えようとしている。つまりこれは、一種の紛れもない革命なのだと。瀕死(ひんし)の「音楽」の新たなる再生、そして文化の「未来」が、ここに芽吹いているのだと。
 「初音ミクは世界を変えるか?」ではなく、既に「なぜ世界を変えたのか?」になっているところに、著者のスタンスが窺(うかが)える。むろん、賛否はあることだろう。だが、ミクが「愛の夏」のヒロインであるのかどうかは、実はどうでもいいことなのかもしれない。問題は、世界が本当に変わったのか、いや、変わるのかどうか、であるのだから。
    ◇
 太田出版・1728円/しば・とものり 76年生まれ。ライター、音楽ジャーナリスト。「ナタリー」などに執筆。
    --「初音ミクはなぜ世界を変えたのか? [著]柴那典 [評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)」、『朝日新聞』2014年05月25日(日)付。

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初音ミクはなぜ世界を変えたのか?
柴那典
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