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書評:金山泰志『明治期日本における民衆の中国観 教科書・雑誌・地方新聞・公団・演劇に注目して』芙蓉書房出版、2014年。

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金山泰志『明治期日本における民衆の中国観』芙蓉書房出版、読了。知識人の中国観研究は数多く存在するが民衆のそれは皆無。本書はその嚆矢。「日本社会一般で漠然と共有されていた中国観=一般民衆の中国観」に着目し「教科書・雑誌・地方新聞・公団・演劇に注目して」(副題)消息を明らかにする一冊。

。各種メディアから実証的に一般民衆の中国観を明らかにする本書は非常に貴重な研究だ。例えば、修身・国語教科書は古典世界の中国偉人を積極的にとりあげる一方で、地理教材では、同時代の清国の環境や風俗に対して否定的評価を下している。

大人が子どもへ枠組みを提供する「児童雑誌」を見ると、古典世界中国の「忍耐」「立志」「忠臣」といったキーワードへの肯定的評価は、日清戦争を境にしても変わらない。対して「不忠」「怯懦」といった消極的評価は戦争を境に声高となる。

中国観における二面性は日露戦争を経ても同じであるから、明治日本においては、明治国家を強化(教化)するイデオロギーとしての中国、否定すべき中国というダブルスタンダードは一貫していることが理解できる。これは現在も同じかも知れない。

では西洋観と中国観を対比するとどうなるのか。古典世界中国は教育的側面から積極的に評価されたが、西洋においても同じ。加えて、それは恐れの裏返しだが、国力・軍事力など当時の日本が模範とすべき価値基準として積極的に評価されている。

教科書から演芸に至るまで、総括するなら「古典世界の中国への肯定観」と「同時代の中国への否定観」という中国観の二面性の存在が明治日本の民衆で共有されていた中国観と理解できる。そこには現実の中国・中国人はどうであったかは問題ではない。

「歴史とは、現在と未来を映す鏡である。明治期日本の一般的な中国観の様相をもって、何を教訓とするのかは現在の我々の手に委ねられている。一〇〇年後の日本の中国観研究はどのような結論を導き出しているのであろうか」と著者は結ぶ。 

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