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覚え書:「(あのとき・それから)大正7年 米騒動 漁村からデモクラシーのうねり」、『朝日新聞』2014年05月31日(土)付(夕刊)。

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(あのとき・それから)大正7年 米騒動 漁村からデモクラシーのうねり
2014年5月31日

(写真・図版)1988年の「米騒動発祥の地」標柱の除幕式の様子。中央の男性は騒動の目撃者、板沢金治郎さん=中田尚さん提供

 子どもらにひもじい思いをさせまいと、1918(大正7)年夏、富山県の漁民の妻らが立ち上がった。のちに米騒動と呼ばれる事件の実態を広く知らせるフォーラムが、今年3月、地元魚津市の公民館であった。7年前に始まり、今回で24回目。漁師の生活やフェミニズムの研究者、記者らが講演した。

 主催のNPO法人「米蔵の会」理事の大成勝代さん(69)は「地元では、世間を騒がせた出来事とタブー視されていたが、生きるために必死だった庶民の姿がやっと理解されてきた」と語る。

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 魚津の米騒動は7月23日午前8時ごろ、蒸気船の伊吹丸(いぶきまる)に米を積み込むのを見た漁民の妻約60人が荷の担ぎ人や俵につかまり、積み出しをやめさせようとしたのが発端だ。

 前年にロシア革命が起き、日本がシベリア出兵を決めたことで、投機的な米の買い占めや売り惜しみが起きた。魚津では、米1升の小売価格が半年で24銭5厘から33銭へと、1・3倍に上がった。女性たちは、米の積み出しが価格の高騰を招いていると考えたのだった。

 この日の騒動は2度あり、警官が来たり担ぎ人たちと押し問答したりしたが、結局、女性たちの代表と運送店の番頭が話し合い、積み出しは取りやめになった。同じ時期、県内の東水橋町や西水橋町(いずれも現富山市)などでも、主婦らが米穀商に押しかけたり船積みの中止を求めたりした。これを地元紙が伝え、8月上旬には富山県内のあちこちに飛び火した。

 朝日新聞などの全国紙も「女房一揆」と報じ、岡山や広島、京都、大阪など全国に広がるにつれ、暴徒化していった。地方史研究家紙谷信雄さん(80)によると、全国で約500カ所、70万~100万人が参加したという。軍隊が出動し、死傷者も生じた。

 紙谷さんは「生活の危機を乗り越えるための漁民の妻や労働者、商人らの広範な生存権の要求が、救済や社会福祉を求める民衆運動となった」とみる。

 思想家吉野作造は、米騒動の原因が、民衆の要求に耳を傾けていない政府の姿勢にあることを指摘。「選挙権の拡張……まで至らなければ……根本的に解決できない」と言い切った。吉野が生まれた宮城県大崎市の市民グループ「吉野作造を学ぶ会」の会長横山寛勝(ひろよし)さん(78)は「民衆の利益や幸福、考えを尊重する『民本主義』の典型的な考え方だ」と話す。

 藩閥を基盤にした寺内正毅(まさたけ)内閣は緊急輸入米や白米の安売りで騒動の沈静化を図ったが、世論の激しい非難のなか退陣。代わって衆議院で最大政党の立憲政友会総裁の原敬(はらたかし)を首相とする政党内閣が誕生した。原内閣は結核予防や小作対策など、民衆の要求を受け入れる姿勢を示した。

 米騒動は「大正デモクラシー」の頂点だった。

 一方、民本主義だけでなく、同時期に、社会主義運動や、ナショナリズムに基づく右派の社会改革運動も起こった。

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 米騒動から7年後の25年、25歳以上の男子に選挙権を与える普通選挙法が成立するが、治安維持法もあわせての制定だった。国体の変革と私有財産制の否定を目的とした結社の取り締まりが始まる。

 日本女子大学の成田龍一教授(62)は「民衆に『国民』として選挙権を与え、従わない者は治安維持法で排除する仕組みができあがった」という。民衆が政治に参加するデモクラシーと戦争へと向かう統制が準備され、戦時動員の時代に進む。

 「ファシズムはデモクラシー『にもかかわらず』ではなく、『ゆえに』登場したとも言える」と成田さんはいう。

 デモクラシーは常に試されている。(平出義明)

 ■明治時代に救済策作る 「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」会長・中田尚(ひさし)さん(69歳)

 私立高教諭から共産党市議に転身した1972年に魚津の米騒動の目撃者、板沢金治郎さんに会いました。旧制中学1年だった板沢さんは、祖父の水産加工会社を手伝っていて、主婦たちの訴えを聞いたのです。生きる権利を求めた人たちの姿を知って欲しいと、目撃証言を書いてもらいました。

 米騒動70周年の88年には地元の歴史を調べる「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」をつくり、米騒動発祥の地を示す顕彰標柱を建てました。米が運び出された旧十二銀行の米倉庫の保存運動もしました。

 30年以上、米騒動を研究してきて、意外なことを知りました。魚津では明治時代から米の高騰で民衆が魚津町役場や米屋に押しかける騒動が起きていて、地域の有力者らが寄付をするなどの救済策がおこなわれていたのです。

 魚津町は1889(明治22)年と翌年、今の条例にあたる貧民救助規定と貧民救助方法を設けました。全国でも珍しい施策で、税金を納められない人に食料や米を給付する生活保護法の先駆けです。農作物が不作のときは、適用を求めて窮状を訴えていました。

 その行動が1918年にもあり、「米騒動」となったのでした。そのことを昨年、魚津市立図書館長らとともに論文に書きました。米騒動に新しい視点を提供できたと考えています。

     ◆

1904年 日露戦争勃発

  05年 日露講和条約に反対する民衆の暴動が起きた日比谷焼き打ち事件

  12年 藩閥中心の官僚政治に反対して政党政治の確立を目指す第1次護憲運動。これによって第3次桂太郎内閣が総辞職

  16年 吉野作造が民本主義の論文を発表

  18年 シベリア出兵、米騒動

  24年 第2次護憲運動開始。貴族院中心の清浦奎吾内閣が成立すると、憲政会・政友会・革新倶楽部の3派が護憲運動を展開、総選挙で大勝

  25年 普通選挙法、治安維持法が成立

  31年 満州事変

 ◇次回は「四畳半フォーク」です。

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 朝日新聞創刊135周年を記念し、「重大ニュース縮刷版」を作りました。抽選で135人に贈ります。はがきに住所・氏名・年齢・電話番号・本欄の感想を書いて、〒104・8011 朝日新聞社夕刊フィーチャー「あのとき」係へ。6月2日締め切り(必着)。
    --「(あのとき・それから)大正7年 米騒動 漁村からデモクラシーのうねり」、『朝日新聞』2014年05月31日(土)付(夕刊)。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11166358.html:title]


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