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2014年7月

書評:増井元『辞書の仕事』岩波新書、2013年。


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増井元『辞書の仕事』岩波新書、読了。本書は辞書編纂に30年以上係わった著者が、その内幕を丁寧につまびらかにする一冊。非常に面白かった。辞書は「引く」ものなのか「読む」ものなのか。おそらくその両方なのだろう。辞書づくりの「黒子」に徹した著者の語りは、言葉を使う意識を深化させてくれる。

辞書にクレーム?と聞けば驚くが、ずいぶん問い合わせがあるとは意外だった。定番となった商品から定義に関するまで幅広い。厳密な定義を求める人も多いというが著者は「深い信仰心を持つ方」とばっさり。著者自身、言葉に敏感だが柔軟。厳密が言葉として正しいとは限らない

「食べる」に比べると「食う」とは乱暴な言葉だ。しかし著者はあえて「食う」と使うようになったという。「食べる」とは「賜ぶ」から転じて、目上の者から飲食物を頂くとの意(柳田国男『毎日の言葉』)。私たちが「常識」とするコードにあえて反発する著者のお茶目がすごくいい。

「ことばが好きでたまらない方、国語辞典を愛される方、また辞書に一家言をお持ちの方、この本を楽しんでくだされば幸いです」。それ以外の方にも読んで欲しい。 

[https://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1310/sin_k735.html:title]


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辞書の仕事 (岩波新書)
増井 元
岩波書店
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拙文:「読書 社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト著」、『聖教新聞』2014年07月26日(土)付。


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読書
社会はなぜ左と右にわかれるのか
ジョナサン・ハイト著
高橋洋訳

まず直観に基づく道徳的判断

 道徳的判断を下す際、それは直観ではなく理性によって導かれると、普段、私たちは考えるが、実際には逆らしい。
 本書は膨大な心理実験から「まず直観、それから戦略的な思考」が立ち上がることを明らかにする一冊だ。道徳的な判断が理性的な思考にのみ基づくと考える理性偏重主義を退け、道徳における直観や常道の重要性を腑分けする。
 著者は、両者を「象使いと象」の関係にたとえる。「心は〈乗り手〉と〈象〉に分かれ、〈乗り手〉の仕事は〈象〉に仕えることだ」。乗り手は、私たちの意識的思考であり、〈象〉とは、残った99%の非意識的な心のプロセスのことだ。
 〈象〉がほとんどの行動を支配しているから、道徳に関する説明とは、常に理性の後出しジャンケンである。ただし、直観礼賛は本書の意図ではない。直観の裏付けのない理性の暴走も、理性の裏付けのない直観の暴走も極めて危険だ。
 本書は道徳の認知プロセスだけでなく、その功罪も明確に示す。いわく「道徳は人々を結びつけると同時に盲目にする」。集団内の紐帯としての道徳は、異なる人々との衝突をもたらすのだ。回避するには、道徳一元論を引っ込めるほかにない。
 政治や宗教など異なる集団間で、見解の不一致は残るとしても、互いを尊重し合う「陰と陽の関係。を築くべきだと著者は提案する。対立的な議論が先鋭化する現代、著者の実践思考の意義は大きい。(氏)
紀伊國屋書店・3024円
    --「読書 社会はなぜ左と右にわかれるのか ジョナサン・ハイト著」、『聖教新聞』2014年07月26日(土)付。

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社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
ジョナサン・ハイト
紀伊國屋書店
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覚え書:「発言 海外から:『集団的自衛権』という軍服=デビッド・パーマー」、『毎日新聞』2014年07月23日(水)付。


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発言
海外から
「集団的自衛権」という軍服
デビッド・パーマー
メルボルン大客員研究員(歴史・政治学)

 安倍晋三首相が集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした。「集団的自衛権」という言葉に力点を置くのは、平和憲法を前提とする日本独特の現象であり、米国やオーストラリアにとって意味のない用語だ。ただ、世界でもトップクラスの軍隊である自衛隊が、今よりも自由に動けるようになる。集団的自衛権という「軍服」を着て、作戦の一環として海外で誰かを殺すことになるかもしれない。
 世界は何が起きるかわからない方向に動いている。イラク北部で(イスラム過激派組織「イスラム国」の台頭で)内戦状態になり、クルド人たちが自治拡大を主張するなどなど数カ月前までは誰も考えなかった。ベトナムでは中国資本の工場が燃やされ、警察はそれを黙って見ている。北朝鮮の行動も予測不可能だ。日本が中国を攻撃することは現実的にはないだろうし、何をするか分からない北朝鮮にでさえ先制攻撃はしないだろう。ただ、日本が将来的に集団的自衛権によって法的に自衛隊を送る可能性がある地域としてはパキスタン、イラク、シリア、北朝鮮などが挙げられると思う。
 豪州は常に米国と行動を共にし、イラクやアフガニスタンにも派兵したが、それは良い決定ではなかった。いずれの地も武力紛争が続き。国家として成り立っていない。結局、米国はパンドラの箱を開けただけだった。
 フレーザー元豪首相は近著「危険な同盟国」で「オーストラリアは自治を失い、独立国ではなくなってきている」と警告している。豪州と同様、日本も米国の属国となり、米国から独立した外交政策が取れなくなる恐れがある。米国は日本の軍事力を使ってアジアを支配しようとするようになる。将来的な憲法第9条の改正にもつながるだろう。
 西太平洋を見てほしい。豪州と日本という同盟国が100%米国をバックアップしている。豪州はすでに独立していない。日本の独立もこのままでは危ういだろう。集団的自衛権の行使容認に多くの日本人が反対しているのは、賢い選択だ。現在世界で最も不安定なアジア地域にあって、将来的な戦争を防止しようとしているからだ。日本国憲法のどこにも集団的自衛権という言葉はない。憲法第9条を守ろうとしている日本人はもっと世界から賞賛されるべきだ。
【構成・平野光芳】
    --「発言 海外から:『集団的自衛権』という軍服=デビッド・パーマー」、『毎日新聞』2014年07月23日(水)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 『かかりつけ医』を一歩に」、『毎日新聞』2014年07月23日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
「かかりつけ医」を一歩に
「病院頼み」からの脱却目指し
宮武剛 目白大大学院客員教授

 かつて開業医の往診カバンには「200票入っている」と言われた。往診で地域を歩き、生活相談にも応じた町医者への信頼が集票力につながった。
 70年代に入ると、往診料の切り下げや検査機器の高度化で、開業医は診療所で患者を待ち始め、病院志向が加速加速していく。77年には病院での死亡数が自宅でのみとり数を上回った。
 その後も病院頼みは強まるばかりで、今や「病院死」は死亡総数の76・2%を占め「自宅死」はわずか12・5%(11年)。しかもグループホームやサービス付き高齢者住宅での死亡も自宅扱い。他の死亡墓所は有床診療所、各種老人ホーム等である。
 地域差はある。自宅死割合の1位は奈良県の17・2%▽2位東京都」16・1%▽3位兵庫県15・7%▽4位大阪府15・0%▽5位滋賀県14・9%--。
 ここ5、6年、大都市部での自宅死割合が急上昇した。人口密集地の病院群は収容の限界に近づいているからだろう。自宅での「孤独死」も目立つ。同時に一部の診療所や訪問看護が都市部を中心にみとりに取り組む反映でもある。
 最下位は佐賀県の8・0%、次いで大分県8・2%、北海道と宮崎県の8・7%。親族や地域のつながりが強いはずの地方で自宅死は急減しつつある。
 超高齢社会は要介護者と死亡者数の急増をもたらし、病院だけではとうてい受け止められない。いったい在宅医療をどう立て直すのか。
 近年は「在宅療養支援診療所」と名付ける「かかりつけ医」が設けられた。日常の法門診療と緊急時の往診を引き受け、24時間対応が義務付けられる。代わりに高額の報酬を得られる。
 今春の診療報酬改定でも、高血圧症、糖尿病、脂質異常症、認知症のうち二つ以上を抱える患者の主治医になると、月額1万5030円の診療・指導料が新設された(薬や高価な検査料は別料金)。もちろん条件は厳しい。(1)在宅療養支援診療所である(2)介護保険の主治医意見書の作成や相談に応じる(3)常勤医3人以上など。条件をすぐに満たせる診療所はわずかだが、在宅医療の主役を育てる狙いだ。
 自宅診療等を支える訪問看護ステーションも、看護師常勤7人以上でみとり数が多いと、報酬が大幅に引き上げられた。
 現状でも主要な先進国で人口当たりの病床数は最も多い。''世界一の病院頼み"から抜け出し、地域で支え、みとる体制を整えるほかない。
 「地域医療・介護確保法」(6月成立)は、地域包括ケア体制、つまり地域ぐるみの支え合いで超高齢化を乗り切ろうとしている。その第一歩は、より多くの人々がかかりつけの医師や看護師を持つことから始まる。
在宅療養支援診療所 06年の診療報酬改定で、高齢者が地域で療養しながら暮らすために創設された。他の診療所との連携も含め24時間往診可能、訪問看護や介護サービスとの連携、緊急入院先の確保等が要件にされる。全国の診療所の1割強のあたる1万3758診療所が届け出(12年7月時点)。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 『かかりつけ医』を一歩に」、『毎日新聞』2014年07月23日(水)付。

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書評:中澤篤史『運動部活動の戦後と現在 なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』青弓社、2014年。


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中澤篤史『運動部活動の戦後と現在 なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』青弓社、読了。レクリエーション(英国)ともプロフェッショナリズム(米国)とも違う日本の部活動。ほぼ全ての学校が運動部を設置し「7割以上の中学生と5割以上の高校生」が加入する。「なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか」(副題)その経緯を明らかにする。

レクリエーション(英国)ともプロフェッショナリズム(米国)とも違う日本の部活動。ほぼ全ての学校が運動部を設置し「7割以上の中学生と5割以上の高校生」が加入。「なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか」(副題)その経緯を明らかにする

運動部活動は明治時代にエリートのものとしてスタートするが、戦後日本では非行防止の手段としてもてはやされた増加。しかし部活動はどここまでも課外活動。運営も現場の慣習という脆弱な基盤で成立し、制度も理念も非合理なものでしかない。

本書は、日本の運動部活動の特異性をその歴史を辿ることで浮き彫りにするだけでなく、フィールドワークから活動を支える教師や保護者の声も聞き取り、スポーツ(楽しむもの)と学校教育(強制性)の緊張関係を「子供の自主性」という視点からも明らかにする。 

[http://www.seikyusha.co.jp/wp/books/isbn978-4-7872-3374-5:title]


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覚え書:「(インタビュー)民俗学からみる介護 介護施設で「聞き書き」する職員・六車由実さん」、『朝日新聞』2014年07月24日(木)付。


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(インタビュー)民俗学からみる介護 介護施設で「聞き書き」する職員・六車由実さん
2014年7月24日

(写真キャプション)「みんないつかは体が弱って介護が必要になる。自分もだ、と認識することが介護を考える第一歩です」=郭允撮影

 気鋭の民俗学者が大学を辞め、介護職員として働き始めた。それから5年。いまは静岡県沼津市のデイサービスで働く六車由実さんは、お年寄りの言葉を丁寧に「聞き書き」する独特の介護を続けている。多くの「忘れられた日本人」との出会いがあったという高齢者介護の世界。外から来た目に何が、どう映ったのか。

 ――どうしてまた、大学教員のポストをなげうって介護の仕事を始められたのですか。

 「よく聞かれるんです。こんな大変な世界によく来ましたねって。でも、その言葉には介護への偏見が混じっていませんか。社会的な評価が低すぎると思います。私はここに来て初めて、ずっと感じていた生きにくさから解放されたんですよ」

 「大学では雑務も多く、研究も学生との関係も思うようにいかなかった。若くて不器用だったのでしょう。行き詰まったんです。体調を崩し、このままでは壊れる、いったん大学を離れようと決めました。実家に戻って3カ月後、失業保険の手続きでハローワークに行ったら、ヘルパーの講習会があるよと窓口で勧められた。それがきっかけです。もう大学に戻る気はありません」

 ――なぜ聞き書きをやろうと?

 「デイサービスには在宅で暮らすお年寄りが日帰りで通ってこられます。朝9時から夕方まで、体操、入浴、食事、娯楽と予定がびっしり。いくつもの仕事を覚え、人並みにこなすので精いっぱいでした」

 「ある日、隣に座った大正生まれの女性が関東大震災のときに竹林に逃げた体験を語り始めたんです。すると向かいの人も『私も』と切り出した。びっくりしました。民俗学の調査では出会えなかった大正一桁(ひとけた)、明治生まれの人から鮮明な体験談を聞けたわけですから。えっ、ここはどこなんだと。しかも民俗学と違って偶然の展開に任せるため、想像を超えたお話が聞けるのです」

 ――たとえば、どんな話ですか。

 「無口で気むずかしい要介護度5の男性がいました。出身が宮崎県と知り、話の糸口にと思って、『私も宮崎の椎葉(しいば)村に行ったことがあるんですよ』と話しかけたんです。かつて柳田国男が訪れた、民俗学発祥の地ともいわれる山奥の村です。そしたら『俺も行った』と話し始めた。電線を引くお仕事でした。高度経済成長期、電線の技術をもった人が集団で家族も連れて村々を渡り歩き、奥さんたちが炊事をして共同生活していたというんです。現代にも漂泊の民がいたのかと驚きました。お話をまとめてご自宅のかたにも渡したら、こんな話ができるなんて、と喜んでくださった」

 「蚕の『鑑別嬢』の話も初耳でした。雄と雌、日本種と中国種を分ける仕事で、かつて大勢の若い女性が地方に派遣されていたというんです。列島をくまなく歩き、人々の暮らしを記録した宮本常一の言葉を借りれば、介護の現場はまさにこうした日本の近代化を舞台裏から支えてきた人々、『忘れられた日本人』に出会える場だ、民俗学にとって宝庫なんだと気付いたのです」

 ――でも、聞き書きは介護の役には立たないのではありませんか。

 「前の施設で、同僚から『それは介護じゃない』と批判されました。介護とは食事、排泄(はいせつ)、入浴の3大介護の技術を効率よく提供するサービスだ、という前提に立てばその通りでしょう。実際、多くの現場ではそう割り切っている。でないと効率が上がりませんから。でも数をこなすだけの現場は、やがて疲弊します。夢を持って働き始めた人ほど幻滅して辞めていく」

 「介護はケアをする側、される側という関係にあります。する側のほうが優位に立っている。ところが聞き書きを持ち込むと、聞く側、話す側という新しい関係が生まれます。関係は時に対等になり、逆転もする。人と人との信頼関係が築かれていく実感があるのです。それが結果的にケアもよくしていく。そこに意味があると思っています」

   ■     ■

 ――認知症の場合も可能ですか。

 「会話が成り立たないと思われがちですが、根気強く言葉をつないでいけば、その人なりの文脈が見えてきます。その土地の忘れられた歴史が浮かび上がり、不可解だった行動が理解できることもある。たとえば女性が部屋の隅で立ったまま排尿するのは、かつては畑で女性も普通に立ちしょんをしていた、という過去の記憶からだとか」

 ――人は老いると自分の人生について語りたくなるものでしょうか。

 「体力や気力が衰えると社会や家族との関係も希薄になる。『ひとの世話になるだけで生き地獄だ』と絶望の言葉を吐くかたもおられます。でも、聞き書きを始めると表情が生き生きしてくる。いまを生きるために心のよりどころにしておられるのは、自分が一番輝いていた時代の記憶なんです。生きていたという実感のある時代に常に意識が戻っていく。そこを思い、語ることで何とか前を向いて生きていける」

 「私が本当に面白がって、驚いて聞いているせいもあるはずです。じゃあ、もっと話そうかと思うのが人間でしょう。聞き書きが面白いのは、そうやって相手の人生の深いところまで触れられることです。人生の厚みを知り、その人が立体的に見えてくることで、より敬意をもって関われるようになるのです」

 ――それには聞き書きの技が必要ですね。ないと難しいのでは。

 「関心さえ持てば方法はいくらでもあります。ビデオ映像に残したり、話を録音したり、耳を傾けるだけでもいい。要は人として正面から向き合うということですから。それも介護の一つだと受け止める、施設のマネジメントが大事です」

 「できれば記憶は何か形に残してほしい。私は伺ったお話を可能な限り『思い出の記』にまとめ、家族にも渡して読んでもらいます。雑誌に書くこともある。それは民俗学でいう記憶の継承とも重なります。近代化が進み、地域で伝承されてきた文化が失われていく危機感から始まったのが民俗学でした。どんな作物を、どう調理して食べてきたのか。人々の暮らしのすべてを記録し、文化の喪失を何とか食い止めて次の世代に引き継いできた。形にすれば、その人が生きた証しを家族や社会に残すことができます。私はこれを介護民俗学と名付けています」

   ■     ■

 ――外の世界から飛び込んで、介護の世界はどう見えましたか。

 「ケアの現場では、相手の表情や態度、身ぶりから気持ちを察することが大事だとよく言われます。でも私は、相手の言葉そのものにもっと耳を傾け、理解するほうが大事だと思うんです。コミュニケーションは本来そうであるはずなのに、ケアになった途端になぜか違ってしまう。言葉より気持ち、表情だと。それは結局、相手の力を軽視しているからではありませんか」

 「介護の世界には、昔の話を聞くことで記憶を呼び起こしてもらう回想法という技法がありました。でもテーマや話の進行があらかじめ決められ、聞き手が場を仕切る。自由に話してもらう私たちの聞き書きとは違います。そもそも私は効果を目的にして話を聞くことに違和感がある。私たちは相手を理解するために話を聞きたいのです」

 「仲間の利用者が亡くなられても、あえて周りに伝えない対応にも疑問を感じました。『動揺させてしまう』というのが理由です。でも皆さん、長い人生で数多くの別れを経験してこられたんですよ。死の受け止めは私たちより達者です。むしろ、その力を信じるべきです。そう思って先日、初めて偲(しの)ぶ会を開きました。ビデオや写真を見ながら、亡くなられた仲間の思い出をみんなで語った。いい会になりました」

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 ――ただ現実には、介護職員の質の低さや営利優先の姿勢が問題になっている施設も多くあります。

 「いま、小規模のデイや有料老人ホームはものすごい勢いで増えています。競争にさらされ、料金もどんどん安くなって、千円足らずで泊まりをするところまである。安ければいいのか。人生の最後に、どんな介護を受けたいのか。利用者もご家族も考えるべき時期を迎えています。選択肢が生まれているわけですから。その結果、劣悪な事業所は淘汰(とうた)されていく。そういう競争こそ必要だと思います」

 「介護の世界はすごく閉じられているようにも感じます。多くの目にさらされない世界では虐待も起こり得る。外に開いていくこと、いろんな経験をへた人に関心をもって入って来てもらうことが大事です。民俗学を学ぶ後輩にも来てほしい。そうすれば介護の現場は、もっと豊かな世界になっていくはずです」

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 むぐるまゆみ 70年生まれ。東北芸術工科大学准教授をへて09年から介護職員。「すまいるほーむ」管理者。民俗学研究者。著書に「驚きの介護民俗学」。

 ■取材を終えて

 六車さんが働く通所施設は泊まりはしていない。だが私が訪ねた日、要介護度5から要支援までの女性5人は話が盛り上がり、「今度みんなで泊まりをしたいね」とうなずきあっていた。支え合いながら、残された日々を共に楽しく過ごしたい。そんな生活の場が、地域や家庭では失われた関係を回復する場にもなっているように思えた。

 (萩一晶)
    --「(インタビュー)民俗学からみる介護 介護施設で「聞き書き」する職員・六車由実さん」、『朝日新聞』2014年07月24日(木)付。

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[http://digital.asahi.com/articles/DA3S11261260.html-_requesturl=articles%2FDA3S11261260.htmlamp;iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11261260:title]


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書評:ボリス・シリュルニク(林昌宏訳)『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』吉田書店、2014年。

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ボリス・シリュルニク(林昌宏訳)『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』吉田書店、読了。6歳の時、占領下のフランスでナチに逮捕されたが、逃亡し、後に苦労して精神科医となった著者が自らの人生から導き出した教訓が本書の邦題だ。これはいい本だ。 

ボルドーに生まれた著者にフランス人の意識はあってもユダヤ人の意識はなかった。ある日突然「ユダヤ人」とラベルされ、戦時下は処罰の対象となり戦後もユダヤ人という謂いで差別されるが、ユダヤ人とは「現実から切り離された表象」でしかない。隷属を考えよ。

隷属とは対象に関して考えることを拒否することだ。著者はその圧力のなか、単純な答えを退けながら、ゆっくりと時間をかけて自らを取り戻すだけでなく、他者をも回復する。さながら優れたルポルタージュでありながら同時に小説の如き。現代の「告白」とってもよい。

本書は、一九四四年一月に私が逮捕された時点から出発し、パポンが断罪された二〇世紀最後の一〇年までを扱う。大物政治家の対独協力は世を震撼させたが、復興第一の戦後フランスが封印を強要した「沈黙」が全ての人を覆い尽くしたのだ。

思えば、パリ解放後、禿髪された売春婦だけが「対独協力者」なのか。日当稼ぎの商売と、アイヒマン的官僚主義を比べたくもないが、加害者にも被害者にも沈黙を強い、体験は「心の中の礼拝堂」の中だけで語られた。物語よりも神話の優位である。

著者は戦中よりも戦後に苦労している。それは生きる中で、過去を練り直し続け、生きる時間としての物語を再構築していく営みだからだ。神話が政治的虚構とすれば、人々の物語とは虚構ではない。それを立ち上げるのが「レジリエンス」なのだ。

レジリエンスとは、心の傷についての深い理解とトラウマをはねのける「へこたれない精神」のこと。記憶が事実の断片であるとすれば、思い出はそれを組み合わせて意味を付与したものだ。だとすれば、思考停止を退けることが肝要になる。

考えるとは理解することだ。その知的な努力によって「事実の断片」に対する見方を変えていくから、憎むことは「過去の囚人であり続ける」思考の停止に等しい。加害者がのうのうと論評できる告白ではない「凍った言葉をとかす」一冊だ。

本書はフランスでベストセラーになったというが日本では殆ど知られていないだろう。訳者解題で出てくるが、訳者と出版人が“「語り継ぐことの重要性」を天命と感じ、この本の出版に賭けた”という。一読者としてその労苦に感謝したい。

[http://www.yoshidapublishing.com/booksdetail/pg645.html:title]


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覚え書:「集団的自衛権:閣議決定 全国紙の論調二分、大半の地方紙は批判」、『毎日新聞』2014年07月21日(月)付。


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集団的自衛権:閣議決定 全国紙の論調二分、大半の地方紙は批判
毎日新聞 2014年07月21日 東京朝刊

 従来の政府見解を転換して、安倍晋三政権が今月1日、集団的自衛権が使えるように憲法解釈を変更する閣議決定をしたことを受けて、全国の新聞は翌日紙面の社説・論説で、一斉にこの問題を取り上げた。全国紙は論調が二分した一方で、ブロック紙・地方紙の大半の38紙は批判的内容だった。【青島顕】

 ◇国会論戦も評価分かれる

 2日朝刊で1面に社説を掲げた毎日新聞は「閣議決定で行使を容認したのは、国民の権利としての集団的自衛権であって、政治家や官僚の権利ではない。歯止めをかけるのも、国民だ。私たちの民主主義が試されるのはこれからである」と主権者の自覚を促した。朝日新聞は「戦後日本が70年近くかけて築いてきた民主主義が、こうもあっさり踏みにじられるものか」と書き出し、閣議決定を「暴挙」と厳しく非難した。

 一方、読売新聞は「米国など国際社会との連携を強化し、日本の平和と安全をより確かなものにするうえで、歴史的な意義があろう」と歓迎。産経新聞は「行使容認を政権の重要課題と位置付け、大きく前進させた手腕を高く評価したい」と安倍首相の決断を支持した。

 日本経済新聞は「他国と助け合い、平和を支える道を歩むときだ。そのためにも、集団的自衛権を使えるようにしておく必要がある」と述べた。そのうえで「閣議決定を、ここまで急ぐべきだったのか疑問だ」と政権の強引なやり方にくぎを刺した。

 全国紙の社説の論調は閣議決定後、初の国会論戦を受けた紙面でも分かれた。毎日は16日「横畠長官の答弁は重い」、朝日も同日「解釈改憲の矛盾あらわ」との見出しで政府を批判した。一方、読売は15日紙面で「国会の論議をさらに深めたい」、産経も同日「首相は堂々と意義を語れ」として、安倍首相の主張を支持した。日経は16日「集団安全保障の議論を早急に詰めよ」との見出しを掲げた。

 ◇沖縄の2紙、厳しい論調

 ブロック紙・地方紙の大半は、2日紙面で政権に厳しい論調を展開した。信濃毎日新聞(長野県)や新潟日報のように、社説を掲げたうえに、1面で論説担当者が署名入りで反対論を展開したところもあった。熊本日日新聞は社説を1面に掲載し「憲法9条は事実上、骨抜きにされるといっても過言ではない」と批判した。

 全国の米軍基地の74%を抱える沖縄県の2紙は厳しい論調で、政権を批判した。沖縄タイムスは憲法9条の全文を社説の中に掲載したうえで、閣議決定を「『憲法クーデター』というしかない」と断じた。琉球新報は、ベトナム戦争当時に、米軍の爆撃機が沖縄の基地から発進したために、沖縄がベトナムの人々から「悪魔の島」と呼ばれたことを引いて、「今後は日本中が『悪魔の島』になる」と強い表現で警告した。

 安倍首相の地元・山口県下関市に本社を置く山口新聞は「専守防衛の国是揺らぐ」との見出しで政権を批判。「安倍晋三首相は国民に丁寧に説明する必要がある」と諭した。

 徳島新聞は「戦争の恐ろしさを知っていた本県選出の三木武夫元首相や後藤田正晴元副総理が生きていたら、認めなかったのではないか」と社説の書き出しで地元出身の保守政治家の名を挙げて批判。さらに翌3日にも「主権者軽視とは何事か」の見出しの社説を掲げた。

 神戸新聞は「安倍政権は禁じられた川を渡ってしまった」と断じ「手品のように新たな理屈が持ち出される。国民の戸惑いと不安は募るばかりだ」と危機感をあらわにした。

 一方、福島民友は「歴史的な判断だ。日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している」と評価し、政府に対し「国民に理解を求める努力を最大限払う必要がある」と訴えた。北国新聞(石川県)・富山新聞は「法整備へ理解深めたい」との見出しで政権の判断を支持した。

 ◇独自の企画、各紙で

 地方紙の中には、2日以降も集団的自衛権の行使容認をめぐって独自の展開を続ける新聞が少なくない。

 沖縄タイムスは6日から企画「自衛の境界線 沖縄から『国防』を射る」を始めた。第1部として与那国島の人々の「国防」をめぐる複雑な思いと、地域に浸透しつつある自衛隊の動きをルポしている。琉球新報は2日から社会面で「非戦の価値-揺らぐ平和主義」を随時掲載し、学者、基地労働者、美術家らさまざまな人の思いを聞き書きしている。県議会各会派や識者のインタビューも随時掲載している。

 北海道新聞も社会面で「『不戦』どこへ」を随時掲載しているほか、子どもたちに安全保障問題をやさしく解説する「親子で考えるあんぽ」を12日まで5回掲載した。

 高知新聞は「高知から考える集団的自衛権」を社会面で展開するほか、編集幹部の日曜コラムでも2週連続で集団的自衛権を取り上げた。新潟日報も社会面に「平和とは 新潟から問う集団的自衛権」のワッペンを張り、若者の見方などをまとめている。神奈川新聞は「憲法といま」「集団的自衛権を考える」を展開、信濃毎日新聞も「問う安保 信州から」を掲載した。
    --「集団的自衛権:閣議決定 全国紙の論調二分、大半の地方紙は批判」、『毎日新聞』2014年07月21日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140721ddm004010049000c.html:title]


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書評:ブルース・ローレンス(池内恵訳)『コーラン』ポプラ社、2008年。


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ブルース・ローレンス(池内恵訳)『コーラン』ポプラ社。イスラームの聖典は一人のアラブ商人が受けた啓示から始まり、長い年月を経て人々に広がり、解釈され強大な信仰となった。その成り立ちと変遷を辿る本書は初学者の最初の一冊に相応しい。巻末に塩野七生と訳者の対談を収録、シリーズ名著誕生の一冊。

第七章「西洋中世とコーランの挑戦」でコーランのラテン訳が取り上げられるが非常に興味深い。「ラテン語の世界からアラビア語の世界へ移るということは、ラテン語が前提とする都市生活から、砂漠の生活に移ることを意味する」との認識から出発。

十二世紀のイギリス人・ケットンのロバートは、バルセロナでアラビア語を習得。十字軍が繰り返し派遣される中、コーランを翻訳した。ムハンマドに「偽預言者」と冠される時代、ロバートは「敬意を表する」と献字するが、これは宗教間和合の試みといってよい。

ロバートは表面的には「虚偽の書」として非難を隠さないが、ムスリムの注釈書を参照してムスリム自身が信じるコーランの教えを理解しようとしたその訳業は、「ロバートが内心ではイスラーム教と『徴の書』に共感を抱いていたことが分かる」。

「敵を崇めるというパラドクスは、翻訳という作業を行ったことがない者には容易には理解しがたいだろう。例えばある人物の思想を好まないとする。しかしそれでもその異質な人物とその観念を理解しようと試みるのがそのパラドクス」。ケットンのロバートとはまるで本書の著者のようだ。

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覚え書:「特集ワイド:集団的自衛権 五野井郁夫・高千穂大准教授と見た首相の国会答弁」、『毎日新聞』2014年07月16日(水)付、夕刊。

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特集ワイド:集団的自衛権 五野井郁夫・高千穂大准教授と見た首相の国会答弁
毎日新聞 2014年07月16日 東京夕刊

(写真キャプション)衆院予算委員会の開会を待つ五野井郁夫・高千穂大准教授。「国家の大きな方針転換をするのですから、安倍首相はその場しのぎではなく、歴史に堪えうる説明が必要です」=国会内で14日、武市公孝撮影

 なんだろう、このもやもや感は。集団的自衛権の行使容認を巡る安倍晋三首相の説明がとても分かりにくいのだ。首相の肉声を聞けば、多少なりとも解消されるのか。気鋭の国際政治学者、高千穂大准教授の五野井郁夫さん(35)と、集中審議初日、14日の衆院予算委員会に出かけた。【江畑佳明】

 ◇「命守る」連呼、不安あおり 民主の「抑止力」議論にマジ切れ

 ◇「自衛隊員の命は…」傍聴席からおえつも/福島、財政…本当の危機どこへ

 衆議院本館3階、第1委員室が予算委員会の場所だ。午前9時前、委員会を見下ろす形の記者席にはテレビカメラが並ぶ。そのすぐ後ろに設けられた一般傍聴席は立ち見を含め定員40。すでに10人ほどが着席している。答弁側には首相、麻生太郎財務相(副総理)、岸田文雄外相、小野寺五典防衛相が並ぶ。

 最初の質問者は高村正彦・自民党副総裁。「なぜ閣議決定なのか、わかりやすく説明を」と切り出した。そうだ、そこが聞きたい!という思いと、閣議決定のお膳立てをした当人が今更なんだ!との思いが交錯する。

 首相は「国民の命と平和な暮らしを守ることこそ、私の責務である」「これまでの憲法解釈のままでは国民の命と平和な暮らしを守るため十分な対応ができない恐れがある」と、これまでの記者会見と同様の言葉を繰り返す。

 この「国民の命を守る」だが、高村氏への1回の答弁で3回も発せられた。

 五野井さんは「ゲーリングと同じ手法です」と指摘する。ゲーリング? 「ナチスドイツの元国家元帥で、ニュルンベルク裁判で、人々を政治指導者の望むようにするのは簡単だ、と言っています」

 <国民に向かって我々は攻撃されかかっているとあおり、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやり方はどんな国でも有効です>(ニュルンベルク軍事裁判、原書房)

 五野井さんは「首相は国民を『生命の危険が及ぶほど厳しい環境にある』と脅しているんです。国民を不安にさせ安保政策が大事だと訴えることで、国の本当の危機を国民の視野の外へそらそうとしている。膨大な債務を抱え、破綻の可能性もある国家財政、東京電力福島第1原発もまだ収束作業の最中。こちらが本当の危機です」と解説する。

 質問の3番手は海江田万里・民主党代表だ。「集団的自衛権行使によって抑止力が増すというが、これは1940年代の議論と同じだ。日本がドイツと同盟を組むことで抑止力が高まり、米国やソ連がたやすく攻めてこなくなる、と。抑止力が高まれば平和が保たれるのか」

 腕組みしていた首相が立ち上がり「40年代の世界と現代を、日独伊三国同盟と日米同盟を同列に扱うのは間違っています。野党第1党の党首なんだから、それで本当にいいのかなと思いますよ。抑止力を認めておらず、さすが民主党だと思いましたよ」と一気にまくしたてた。議場は騒然となり、室温が上がったみたいだ。首相は「冷戦構造下で日米安保条約の改正で抑止力が高まった」と続けた。

 「逆切れでなく、マジ切れでした。大人げない」と五野井さんはため息をつく。「『冷戦時の安保改定で抑止力が高まった』なら、現在は冷戦時よりも抑止力による平和が実現されつつあるという認識になる。実際、中国とは国交回復し、ソ連はロシアになって交渉可能な状態。『安全保障環境が深刻化したから集団的自衛権の行使を』という答弁と矛盾しています」。真剣に委員会を見つめている。「抑止力を高めるために、と日米同盟を強化すればするほど、米国を敵視していたテロの矛先が日本にも向き、新たな脅威を誘発しかねない。野党にはこういう点までもっと突っ込んでほしい」

 審議の途中、遠く運動会の歓声のようなものが聞こえてくる。デモだろうか?

 4番手は民主党元代表の岡田克也氏だ。「自衛隊員のリスクが高まるはずだ」と追及するが、首相は「これまで同様、自衛隊員の安全を確保するのはいうまでもない」とかわした。記者席の後ろで「うっ」というおえつが聞こえた。振り向くと、女性が突っ伏して泣いている。一体何が?

 正午の休憩に話しかけようとしたら、衛視(係員)に「傍聴者への取材は禁止」と制止された。国会の外で改めて聞いた。女性は主婦で60代後半。戦後生まれだが、小学校の担任が長崎で被爆し、背中一面のケロイドを見せてくれた。そのショックが忘れられず、たまらずに傍聴にきたという。「自衛隊員の方の命を思うと……首相はリスクについてきちんと答弁されない。ついこみ上げてしまって」

 五野井さんは言う。「この思いも大切な国民の世論です。首相は耳を傾けるべきですよ。これまでPKO(国連平和維持活動)に参加した自衛隊員がどんな苦しみを味わったか、イラク派遣から帰国後に自殺者も出ています。今後そういう隊員が増える可能性があるんですよ」

 午後、結いの党の柿沢未途氏がパネルを出し「閣議決定の内容は歴代の内閣法制局長官の憲法解釈とは全く異なる」と指摘。すると首相は「歴代の長官を論評するつもりはない」とし、「私たちがやるべきことは国民の命を守り……」とまたあの答弁に。「論評」はいらないが、歴代の内閣の判断の重みをどう考えているのか、説明しろ!と声を上げたくなる。

 次世代の党の山田宏氏は「これが我が党のデビュー」と前置きして、前半は河野談話を持ち出して批判を展開。傍聴席から「なぜ、今なの」というつぶやきが聞こえた。

 審議は午後5時過ぎに終了。全体的にヤジは少なかった。「ヤジを飛ばせるほど理解が進んでいないのではないか」(五野井さん)。国会を出ると、集団的自衛権行使容認に反対する人々が集まり、「閣議決定反対」と声を上げていた。審議中に断続的に聞こえてきたのはこれだったのか。

 「『デモ』とは何か」の著書がある五野井さん、閣議決定の1日もデモに駆け付けた。「安倍さんは、集団的自衛権行使容認を選挙でも主張してきたといいますが前面に打ち出した説明はなく、国民の支持を得た政策でもない。8割近くの有権者が納得していないという世論調査結果もある。説明を怠っている側に問題があるのです。政治が国民の疑念の声を無視することは許されません。今日首相は『抽象的な問題だから国民に説明が難しい』と言った。本当にそうでしょうか」

 反対集会があったのは真夏の太陽の下、気温30度はあったろう。翻って国会内は時に寒いほど冷房が利いていた。ギャップはあまりに大きい。 
    --「特集ワイド:集団的自衛権 五野井郁夫・高千穂大准教授と見た首相の国会答弁」、『毎日新聞』2014年07月16日(水)付、夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140716dde012010011000c.html:title]


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日記:なぜ国家は、生の意味づけをしたがるか


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なぜ国家は、生の意味づけをしたがるか
 この章では、民主主義で追求すべき最も重要な価値や理念について、考えてみたい。
 政治で追求、確保すべき最大の価値は生命である。東日本大震災で多くの人命が失われたとき、生命こそ何にもまさる価値であることを、多くの人は実感したはずである。政治は、人間の生命と尊厳を守るために、できる限りのことをしなければならないというのは、当然の公理である。しかし生命が絶対的価値だといっても、人間の生命が政治において常に至上の価値とされるとは限らない。
 人間の生き方は様々である。信念や信仰のために命を投げ出した殉教者の生き方は、崇高に見える。あるいは、大震災のとき、地域に津波の襲来を知らせるうちに自らは津波に飲まれた消防団員や自治体職員のように、危機的状況において他者のために自らを犠牲にした生き方は崇高である。そのような生き方を見て、人は自分の手本にしたいと考えることもある。
 しかし、それはあくまでそれぞれの個人の中で考えるべき問題である。政治の世界で崇高な生き方をせよと人々に要求することには大きな弊害がともなう。崇高な生き方について考察するのは、宗教や哲学の仕事である。それが政治と結びつけば、祭政一致の政体が生まれる。政治はしばしば、宗教的権威と結びつき、人々に崇高な生を押し付けようとする誘惑に駆られる。国家の行為としての戦争の中で、政治権力は多くの人間に不本意な死を押し付けてきたからである。非業の死を遂げた人々、あるいはその家族に対して、国家はその死が何のためだったのか、意味づけを与える必要に迫られる。祖国を神聖な損合いにして、そのために死んだ者を神聖化するという論理が一般的である。祭祀や勲章などがそのための道具となる。宗教的権威を否定したはずの社会主義諸国においても、指導者の神格化や国家の神聖化という手法は同じである。共同体のために本来の意味で犠牲となった人々を追悼することは、人間にとって自然な感情であろう。しかし、国家の神秘化、神聖化を簡単に受け入れることは、自由や自立性の放棄につながることに注意する必要がある。
    --山口二郎『いまを生きるための政治学』岩波書店、2013年、112-113頁。

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集団的自衛権行使容認の閣議決定は、現在の日本をとりまく状況から勘案するに「緊急度」が高いという話で、いけいけどんどんで決まってしまいましたが、その関連法案の整備に関しては1年ぐらいの日程をかけてという話になりましたので、そもそも「緊急度」の高い案件だったのかと誰何するに、そんなこともないよなあ、と思わざるを得ないのが現実で、うまくはめられたと言わずに何を言えばいいのでしょうか。

そして、その流れといっしょになって、震災以降、「永遠の(思考停止)0」よろしく「国家による生の意味づけ」が論調が強くなりはじめており、おそらく、崇高な死(国家のために死ぬこと)を今後も声高に叫ぶ連中が多くなってくるのでしょう。

しかし、そもそも、国家が人間の生(そして死を含む)ことの「値打ち」をきめることこそちゃんちゃらおかしい話は無いわけでして、いけいけどんどんでどこへ進むのかといえば、それは「戦前日本を」“取り戻す”という話なのでしょう。

そういえば、憲法でその地域の地域性や文化を規定することのおかしさが何度も指摘されているわけですが、そういうところに関しても積極的に関与しようとしているのが自民党憲法案ですし、どんどんどんどん、国家が関わらなくていいことにかかわり、関わらなければならないこと放擲するという現状。

異常と思った方がようござんす。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 『ホンネ』使い間違えた? 釈然としない都議会ヤジ謝罪=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年07月16日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障論
「ホンネ」使い間違えた?
釈然としない都議会ヤジ謝罪
湯浅誠 社会活動家

 「個人の幸せは、それ自体が目的として尊重されるべきであり、別の目的の手段として位置づけられるべきではない」
 これは正論だ。正論だから表立って反論されない。ただ、大まじめに言ったことのある人なら経験があるのではないかと思うが、ちょっと場がしらける。正論を正論として述べることは、借りてきた言葉をダウンロードしているように見られる。
 「個人の幸せは確かに目的だが、それを追求したほうが経済成長にも資するし、少子化対策にもなるから、追求したほうがいい」
 これは事実上、個人の幸福追求を経済成長とか少子化対策といった目的の手段に「格下げ」している言い方だ。「たしかに目的」と前置きしているものの、実際には後者に力点がある。個人的な会話では、こっちのほうが力強くうなずかれる。言った方も聞いた方も中身のあることが言われたような気がする。
 前者をタテマエと言い、後者をホンネと言う。場に応じて、うまく両者を使い分けられるかどうかであり、タテマエがタテマエであること、ホンネがホンネであることの是非は真剣には問われない。
 女性都議に対して「早く結婚したほうがいいんじゃないのか」とヤジを飛ばした鈴木章浩都議が、6月23日の謝罪会見で繰り返し使ったのは「配慮」「初心」「正常化」という言葉だった(各11回、6回、7回)。配慮を欠いた発言で議会を混乱させてしまった、初心に返って議会の正常化に努めたい、という趣旨だった。
 私はこの謝罪の仕方に、釈然としないものを感じた。
 議会での質問(タテマエ)に対してヤジ(ホンネ)を飛ばした。ところが大事になって私的に使うべきホンネが公になってしまい、議会が混乱した。自分もふだんはちゃんと使い分けているが、今回は結果としてうまく使い分けられなかった。申し訳ない。--げすの勘ぐりだろうが、どうにもそう聞こえてしまった。
 もし「初心に帰る」ではなく「心(ホンネ)を入れ替える」という言葉があれば、こんな勘ぐりもしなくて済んだだろうが、その言葉は一度も出てこなかった。残念だった。
都議会セクハラヤジ 6月18日の東京都議会本会議で、みんなの党の塩村文夏(あやか)議員(36)が晩婚化対策などについて質問中、議員席から「早く結婚したほうがいいんじゃないか」と、女性蔑視のヤジが飛んだ。鈴木都議(51)がヤジを自分の発言と認めて塩村都議に謝罪、所属先の自民会派を離脱した。他にもセクハラと取れるヤジが複数あったため、都議会の議員運営委員長がヤジをとばした議員の再調査を各会派に要請することを決めた。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 『ホンネ』使い間違えた? 釈然としない都議会ヤジ謝罪=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年07月16日(水)付。

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日記:しっかりとものを考えた思想家の本をはじめから終わりまで読み通し、その文体に慣れ、その思考を追思考すること


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思考の訓練
 普通の人間にとってものを考えるということは、そう容易なことではない。目をつむって、さて何かを考えようと思っても浮かぶのは妄想のたぐいであろう。ものを考えるには特殊な訓練が必要である。その訓練として私に考えられるのは、しっかりとものを考えた思想家の本をはじめから終わりまで読み通し、その文体に慣れ、その思考を追思考することである。いろいろ考えてみたが、私にはいまのところそれ意外の方法は思い浮かばない。原語で読むに越したことはないであろうが、翻訳でも仕方があるまい。(もっとも、しっかりした翻訳でなければならない。) そうした本を毎日続けて読んでいると、次第にその文体に慣れ、そこで言われていることがよく分かるようになってくる。おそらくこれが追思考するということなのであろう。そうした訓練を重ねることによってはじめて、ものを考えることができるようになるのである。
 私は大学院の指導学生には、徹底してテキストを正確に読む訓練をする。それ以外に哲学の大学院で教師としてできることはないと思うようになった。はじめは翻訳のあるテキストを使うが、それが読めるようになると、次には翻訳のないテキストを読ませる。何年もかかる訓練だが、こうして本がキチンと読めるようになると、不思議に書く論文も筋の通ったよいものになる。もうサワリ集のような論文は書けなくなるのである。おそらくこれは、本を正確に読むことによって追思考し、ものを考える訓練をするからだろうと思う。哲学的思考に習熟する最良の方法は、まず自分の体質に合った思想家を探し、その思想家がもっとも力を入れて書いたテキストを一定期間毎日つづけて読み、はじめの一頁から最後の一ページまで読み通すことであろう。
 もう一つ付け加えると、学生たちが好んで口にする言葉に「問題意識」というのがある。つまり、テキストを正確に読むだなんてことよりも問題意識が大事だ。問題意識がなければ、いくら語学的に正確に本を読んだって仕方がない、というわけである。これは、たしかにそのとおりである。むろん一冊の本を選んで、半年なり一年なり毎日読み続けるということは、その本に対するよほど強い興味なり関心なりがなければできるものではない。しかし、興味といい関心といっても、当の本をまだ読んではいないのであるから、解説書なり紹介書なりを通じて得た知識にもとづくまだ漠然とした見当、共感にとどまる。問題意識というのは、どうやらそうした見当や共感のことを言うらしい。そうした意味での共感は、たしかに重要である。それがなければ、なにごともはじまらない。しかし、そうした「問題意識」なるものは、自分でテキストを読み通すことによって練りなおし鍛えなおす必要がある。そうしてはじめてそれは真の問題意識になるのであり、それをしなければ、それはただの受け売り、ただの見当に終わってしまう。
    --木田元『わたしの哲学入門』講談社学術文庫、2014年、70-72頁。

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18日の金曜日で、勤務先のひとつの短大での「哲学入門」が無事終了。最終講義は、映画『ハンナ・アーレント』のラストシーンの講義を彷彿とさせるものでありました(嘘w

ともあれ、15回の講座に出席してくださりました履修生のみなさま、まずはありがとうございました。

さて……。
授業のなかで、何度も言及したのが、

1)自分で考えるということ
2)自分で考えるだけでなく、対話という回路を使って他者と相互吟味すること
3)本をきちんと読むこと。

ヤミ屋からハイデッガー研究者になった木田元先生もご指摘しておりますが、「目をつむって、さて何かを考えようと思っても浮かぶのは妄想のたぐい」ぐらいですから、まずは、考えるためにも、いい本を読んで欲しいと思います。

ネットで次々に情報が更新される時代だからこそ、そういうものに振り回されるだけでなく、古典とよばれるものと向き合いながら、自分で考え、他者とすりあわせていって欲しいと思います。

ともあれ、みなさまありがとうございました。


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覚え書:「特集ワイド:集団的自衛権行使容認の閣議決定 ワイマール空文化、ナチスと同じ手口 三島憲一・大阪大名誉教授に聞く」、『毎日新聞』2014年07月14日(月)付(夕刊)。


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 集団的自衛権の行使容認が閣議決定されて以来、気になって仕方がないことがある。かつて世界で最も民主的とされたドイツのワイマール憲法がナチスによって骨抜きにされた歴史だ。そこから何を学ぶべきか。ドイツの政治思想史に詳しい三島憲一・大阪大名誉教授を訪ねた。【浦松丈二】

 「今から思えば、『静かにやろう』と麻生(太郎)氏が言ったのは閣議決定のことだったのでしょう。憲法改正はあきらめたが、実質は同じ。結局、狙い通りになっている」。開口一番、三島さんは麻生財務相のナチス発言に切り込んだ。

 昨夏、安倍晋三首相らが憲法改正を容易にする96条改正を目指し、改憲派からも「筋違い」と批判されていたころ、麻生氏は講演でこう語った。<静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたらワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。だれも気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね>

 三島さんは「そもそも『ナチス憲法』というものは存在しない」と前置きをしたうえで、指摘する。「ヒトラー内閣は1933年3月に全権委任法を成立させ、ワイマール憲法を骨抜きにしたが、憲法自体は廃止されなかった。ナチスは憲法を空文化することで独裁体制を築いたのです」

 全権委任法は、憲法から逸脱する法律を公布する権限をヒトラー内閣に一括して付与した。前代未聞の法律が議会を通過したのはなぜか。直前に国会議事堂が不審火で全焼し、ナチスはこれを口実に共産党系議員を「予防拘禁」するなど反対派を徹底弾圧したからだとされる。

 「麻生氏の言うように『誰も気付かないで』変わったわけではありません。全権委任法成立は、議事運営の盲点を突いたもので、大騒ぎの中で採決されました。当時のドイツの経済状況はとてつもなくひどかった。世界恐慌(29年-)で失業者があふれていたのに、議会は小党分裂、左右対立の権力闘争に明け暮れ、機能停止状態だった。ナチスは社会の混乱に乗じ、巧みに憲法を崩していったのです」

 三島さんの専門はドイツ哲学。65年に東大を卒業した後、日独を往復して、ナチスを生み出したメンタリティーが戦後も残っていたことを長く問題視し続けたハーバーマス氏ら一群の知識人の思想を研究、紹介してきた。同氏の政治的発言集「近代--未完のプロジェクト」を訳してもいる。

 その三島さんの目に集団的自衛権の閣議決定はどう映るのか。「憲法の空文化という点ではナチスの手口と同じです。あからさまな暴力を使わないところは違いますが。ただ、国民操縦の手段はもっと巧みになっています」。厳しい口調でそう言い切った。

 戦前のワイマール憲法の空文化はナチスの独裁から第二次世界大戦、ユダヤ人の大量虐殺につながっていく。私たちはその歴史から何を学び、何を警戒すべきなのか。

 三島さんはこんな説明を始めた。「ドイツの憲法にあたる基本法は第1条が決定的です。『人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し守ることはすべての国家権力の義務である』。この格調高い第1条から第19条までに表現の自由や男女平等などの基本権を定め連邦、議会制度などが続く。国家があるから憲法があるのではなく、市民の合意で憲法が作られることで国家が成立するとの思想です」。そのどこに、戦前の教訓が生かされているのか。

 「ワイマール憲法にも人権条項はありましたが、司法当局などは宣言、努力目標と受け止めていました。どんな美しい条文も、それを支える政治文化や世論が機能しなければ空文化してしまう。だからナチス独裁も起きた。この反省から人間の尊厳を1条に掲げ、条文解釈を基本権が縛る仕組みにした。さらに独立性の高い憲法裁判所を設けて、その保障を担保した。外国人でさえ行政当局に不当な扱いをされ、他の手段が尽きた時には憲法裁判所に訴えることができる。実際に多くの違憲判決が出されています」

 「一方」と続けた。「日本では『権力を縛るもの』との憲法理解が一般的です。憲法第1条は天皇条項。構成の違いも思想の違いを反映しているのです。いわば建国文書であり、憲法裁判所に守られたドイツ基本法に比べると、日本国憲法は国民の生活に根ざしたものになりにくい」

 ドイツ基本法も歴史の波にさらされてきた。冷戦下の西ドイツは、現在の日本よりはるかに厳しい安全保障問題に直面していた。55年にはNATO(北大西洋条約機構)に加入し、再軍備した際は国論が二分された。

 「保守政権が推し進めた再軍備と徴兵制導入には反対の世論が吹き荒れ、兵隊になるのは嫌だと多くの人が国を出てカナダやニュージーランド、オーストラリアなどに移民しました。それでも、連邦軍設立は基本法改正を経たものであり、解釈で自衛隊を作った日本とは違う」

 ドイツ基本法は約60回改正されている。「国民は個々の条項に不満があっても、公共の議論を吸収してきた基本法を信頼している。国内の徹底した議論の成果でしょう」

 ◇公論で憲法を取り戻せ

 翻って日本はどうか。「日本では改正による再軍備は国民に抵抗感が強かったため、政権側は憲法改正を避け、解釈で自衛隊を拡充してきた。結果、現実と憲法の緊張関係は限界まで緩み、憲法9条の下に自衛隊が存在する虚構ができあがった」

 自衛権の行使を容認する閣議決定で、日本国憲法の空文化はまた、進んだ。

 「閣議決定という手続きで解釈改憲に踏み切った政権側だけでなく、護憲派にも責任があると私は考えています。9条を守ろうとするあまり自衛隊の議論を後回しにし、結果的に、空文化を招いた一面もある。憲法を自衛隊に合うように改正させたら、その先なにをやられるかわからないという恐怖は私も共有していましたが、改正させてそこで『戦争をしない国家』という歯止めを作るという手段もあったかもしれません」

 三島さんは今年4月、学者らでつくる市民団体「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人になった。「憲法の理念である国民主権とは、公論を通じて実現します。声を上げ、日常生活で憲法を生かし、憲法に内実を与え続けることでしか空文化は防げない。空文化を謀る勢力に論争を挑んで憲法を国民の手に取り戻さないといけません」

 黙っていたら憲法の空文化に手を貸すことになる。それがワイマール憲法の教訓だ。

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 ■人物略歴

 ◇みしま・けんいち

 1942年生まれ。ニーチェ、ベンヤミンらの研究で知られる。著書に「戦後ドイツ その知的歴史」など多数。
    --「特集ワイド:集団的自衛権行使容認の閣議決定 ワイマール空文化、ナチスと同じ手口 三島憲一・大阪大名誉教授に聞く」、『毎日新聞』2014年07月14日(月)付(夕刊)。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140714dde012010013000c.html:title]


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日記:「いわゆる民主主義は第一次世界大戦の戦勝国を正当化するために作り出された用語」というトンデモ定義とその無理筋

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参議院議員で弁護士でもある丸山和也氏が昨年(2013年5月16日)、次のようなツィートを投下していたのだけど、ひっくり返ってしまった。

曰く……

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 参議院予算委で、一年間民主主義とは何かを長谷川三千子先生を講師に勉強したことを述べたが、いわゆる民主主義は第一次世界大戦の戦勝国を正当化するために作り出された用語であることを学問的にしった。17条の憲法や五カ条のご誓文の優れて真に民主的なことについても。
https://twitter.com/maruyamakun/status/334784409012154369

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こともあろうか、法律の専門家にして民主主義の運営事務者が、根も葉もない「わが国を代表する哲学者」という「先生」のいう「いわゆる民主主義は第一次世界大戦の戦勝国を正当化するために作り出された用語」ということを、こともあろうか、法律の専門家にして民主主義の運営実務者が真に受けているではありませんか。


用語としての民主主義(dēmokratía)は、古代ギリシアの昔から存在しますし、主権国家の確立のなかでその制度は200年以上かけて生成されたきた訳ですが、これいかに。


「民主主義は第一次世界大戦の戦勝国を正当化するために作り出された用語」(長谷川三千子)とか言いながら、その一方で、五箇条のご誓文やら十七条憲法(そもそも憲法学ではそれは規範としての憲法に該当しないのが自明だけど)に、民主主義の萌芽があると言うてみたり。何がしたいのやろうか。

統治形式としての民主主義を外来だからといって批判する一方、その魂みたいなもんは、我が国体の伝統にあるというてみたり。悩乱の極みか。もしくは都合のいい権力の論理かつう話だわな。論理的矛盾こそ「東洋的不二」とか思っているんやろうか。だとしたら学者失格やろう。

馬鹿も休み休みにして欲しいし、まだ、頭山満のほうが、筋が通っている。

基本的なリテラシーの底抜けがひどすぎる。底抜けというよりも、本来の意味とは似てもにつかぬトンデモ定義のようなものが、じわりじわりと取って変わっていこうとしている。同じ言葉をつかっても、話し合うことが不可能になってしまう。

しかしそういうトンデモ定義を浸透させて、あわよくば時勢を権力にとって都合の良いようにねじ曲げていくという戦略かも……などと思ったりです。ぐったり。


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覚え書:「(あのとき・それから)大正7年 米騒動 漁村からデモクラシーのうねり」、『朝日新聞』2014年05月31日(土)付(夕刊)。

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(あのとき・それから)大正7年 米騒動 漁村からデモクラシーのうねり
2014年5月31日

(写真・図版)1988年の「米騒動発祥の地」標柱の除幕式の様子。中央の男性は騒動の目撃者、板沢金治郎さん=中田尚さん提供

 子どもらにひもじい思いをさせまいと、1918(大正7)年夏、富山県の漁民の妻らが立ち上がった。のちに米騒動と呼ばれる事件の実態を広く知らせるフォーラムが、今年3月、地元魚津市の公民館であった。7年前に始まり、今回で24回目。漁師の生活やフェミニズムの研究者、記者らが講演した。

 主催のNPO法人「米蔵の会」理事の大成勝代さん(69)は「地元では、世間を騒がせた出来事とタブー視されていたが、生きるために必死だった庶民の姿がやっと理解されてきた」と語る。

     *

 魚津の米騒動は7月23日午前8時ごろ、蒸気船の伊吹丸(いぶきまる)に米を積み込むのを見た漁民の妻約60人が荷の担ぎ人や俵につかまり、積み出しをやめさせようとしたのが発端だ。

 前年にロシア革命が起き、日本がシベリア出兵を決めたことで、投機的な米の買い占めや売り惜しみが起きた。魚津では、米1升の小売価格が半年で24銭5厘から33銭へと、1・3倍に上がった。女性たちは、米の積み出しが価格の高騰を招いていると考えたのだった。

 この日の騒動は2度あり、警官が来たり担ぎ人たちと押し問答したりしたが、結局、女性たちの代表と運送店の番頭が話し合い、積み出しは取りやめになった。同じ時期、県内の東水橋町や西水橋町(いずれも現富山市)などでも、主婦らが米穀商に押しかけたり船積みの中止を求めたりした。これを地元紙が伝え、8月上旬には富山県内のあちこちに飛び火した。

 朝日新聞などの全国紙も「女房一揆」と報じ、岡山や広島、京都、大阪など全国に広がるにつれ、暴徒化していった。地方史研究家紙谷信雄さん(80)によると、全国で約500カ所、70万~100万人が参加したという。軍隊が出動し、死傷者も生じた。

 紙谷さんは「生活の危機を乗り越えるための漁民の妻や労働者、商人らの広範な生存権の要求が、救済や社会福祉を求める民衆運動となった」とみる。

 思想家吉野作造は、米騒動の原因が、民衆の要求に耳を傾けていない政府の姿勢にあることを指摘。「選挙権の拡張……まで至らなければ……根本的に解決できない」と言い切った。吉野が生まれた宮城県大崎市の市民グループ「吉野作造を学ぶ会」の会長横山寛勝(ひろよし)さん(78)は「民衆の利益や幸福、考えを尊重する『民本主義』の典型的な考え方だ」と話す。

 藩閥を基盤にした寺内正毅(まさたけ)内閣は緊急輸入米や白米の安売りで騒動の沈静化を図ったが、世論の激しい非難のなか退陣。代わって衆議院で最大政党の立憲政友会総裁の原敬(はらたかし)を首相とする政党内閣が誕生した。原内閣は結核予防や小作対策など、民衆の要求を受け入れる姿勢を示した。

 米騒動は「大正デモクラシー」の頂点だった。

 一方、民本主義だけでなく、同時期に、社会主義運動や、ナショナリズムに基づく右派の社会改革運動も起こった。

     *

 米騒動から7年後の25年、25歳以上の男子に選挙権を与える普通選挙法が成立するが、治安維持法もあわせての制定だった。国体の変革と私有財産制の否定を目的とした結社の取り締まりが始まる。

 日本女子大学の成田龍一教授(62)は「民衆に『国民』として選挙権を与え、従わない者は治安維持法で排除する仕組みができあがった」という。民衆が政治に参加するデモクラシーと戦争へと向かう統制が準備され、戦時動員の時代に進む。

 「ファシズムはデモクラシー『にもかかわらず』ではなく、『ゆえに』登場したとも言える」と成田さんはいう。

 デモクラシーは常に試されている。(平出義明)

 ■明治時代に救済策作る 「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」会長・中田尚(ひさし)さん(69歳)

 私立高教諭から共産党市議に転身した1972年に魚津の米騒動の目撃者、板沢金治郎さんに会いました。旧制中学1年だった板沢さんは、祖父の水産加工会社を手伝っていて、主婦たちの訴えを聞いたのです。生きる権利を求めた人たちの姿を知って欲しいと、目撃証言を書いてもらいました。

 米騒動70周年の88年には地元の歴史を調べる「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」をつくり、米騒動発祥の地を示す顕彰標柱を建てました。米が運び出された旧十二銀行の米倉庫の保存運動もしました。

 30年以上、米騒動を研究してきて、意外なことを知りました。魚津では明治時代から米の高騰で民衆が魚津町役場や米屋に押しかける騒動が起きていて、地域の有力者らが寄付をするなどの救済策がおこなわれていたのです。

 魚津町は1889(明治22)年と翌年、今の条例にあたる貧民救助規定と貧民救助方法を設けました。全国でも珍しい施策で、税金を納められない人に食料や米を給付する生活保護法の先駆けです。農作物が不作のときは、適用を求めて窮状を訴えていました。

 その行動が1918年にもあり、「米騒動」となったのでした。そのことを昨年、魚津市立図書館長らとともに論文に書きました。米騒動に新しい視点を提供できたと考えています。

     ◆

1904年 日露戦争勃発

  05年 日露講和条約に反対する民衆の暴動が起きた日比谷焼き打ち事件

  12年 藩閥中心の官僚政治に反対して政党政治の確立を目指す第1次護憲運動。これによって第3次桂太郎内閣が総辞職

  16年 吉野作造が民本主義の論文を発表

  18年 シベリア出兵、米騒動

  24年 第2次護憲運動開始。貴族院中心の清浦奎吾内閣が成立すると、憲政会・政友会・革新倶楽部の3派が護憲運動を展開、総選挙で大勝

  25年 普通選挙法、治安維持法が成立

  31年 満州事変

 ◇次回は「四畳半フォーク」です。

     *

 朝日新聞創刊135周年を記念し、「重大ニュース縮刷版」を作りました。抽選で135人に贈ります。はがきに住所・氏名・年齢・電話番号・本欄の感想を書いて、〒104・8011 朝日新聞社夕刊フィーチャー「あのとき」係へ。6月2日締め切り(必着)。
    --「(あのとき・それから)大正7年 米騒動 漁村からデモクラシーのうねり」、『朝日新聞』2014年05月31日(土)付(夕刊)。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11166358.html:title]


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書評:山口二郎『いまを生きるための政治学』岩波書店、2013年。

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 政治学とは、いま存在する秩序の存在根拠を疑い、ここにはない別の世の中の姿を構想してきた学問である。政治学には、多くの学者や思想家が政治を観察した中から考え出した様々な概念や枠組みが蓄積されている。それを理解し、同時代の政治を見る際に当てはめれば、政治現象をより深く理解できる。
    --山口二郎『いまを生きるための政治学』岩波書店、2013年、24頁。

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山口二郎『いまを生きるための政治学』岩波書店、読了。社会的存在としての人間は政治を不可欠とする。諦めでも熱狂でもなく、いかに関わればよいのか。本書は「困難な時代を生き抜き、人間の尊厳を守る世の中を作り出すための指針」を具体的に検討。文明論的視座から政治学を新しく構想する。

1990年代を時代の転換点と捉えた上で、戦後日本社会の歩みと変節と現状を分析。政治(学)と民主政治の意義を考察した上で、その実践の方途探る。知ると動くの二部で本書は構成されている。

「人間は不完全な存在である」。この事実から出発し、その協同を維持・持続・発展させるのが政治といってよい。著者は人間の本性を踏まえた上で、これまでの失敗や具体的な現状を取り上げ、その営みを私たち自身の事柄へと取り戻そうと本書で果敢に試みる。

著者の提案は政党政治が理念や理想で結集するという基本に返れという極めてシンプルなもの。その遂行にあたっては先鋭的理想主義に傾くなという。何より大切なのは私たちが「声(voice)を出す」こと。虚偽を激しく撃ち、参加と熟議促す必携の一冊。 

[https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0291090/top.html:title]


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いまを生きるための政治学 (岩波現代全書)
山口 二郎
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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 高齢者、特養入居困難に=本田宏」、『毎日新聞』2014年07月09日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障論
高齢者、特養入居困難に
「地域医療・介護確保法」が成立
本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 今年2月末、東京都内で講演を始めようとした直前、従妹が電話をかけてきた。「叔父さんの様子がおかしい。救急車を呼んでいいかしら」
 88歳になる父は、母が亡くなってからも地方で1人暮らしをしていた。講演を終えて従妹に連絡すると、父は救急病院に反そうされて診察中だった。講演会場からタクシーと新幹線を乗り継ぎ、救急病院に到着したときには午後10時を回っていた。
 救急外来で、担当医から「顔面がはれて体力も低下しているため入院が必要」「落ち着いたら退院してもらう」との説明があった。私が働く病院同様、ベッドが足りないのだろう。「救急病院としての務めを果たそうとして、退院をすすめている」と推察し、納得した。
 父の診断は「帯状疱疹」だった。幸い父は徐々に回復したが、左目の視力が極端に低下し、自分で排尿することも困難で、認知症も併発していた。父の入院から1カ月過ぎたころ、病院が退院を求めてきたが、さすがに1人での生活は不可能と判断し、私が埼玉で父の面倒をみることにした。
 4月に私が働く病院に転院した父は、介護なしでは日常生活ができない「要介護度4」の判定を受けた。病院のソーシャルワーカーの協力を得て、近くの特別養護老人ホームに入居を申し込んだが、「尿道にバルーンカテーテルが入っている状態では入所は難しい」と断られた。次に申し込んだ隣町の特養ホームは、入居まで1年近くかかるとの返事だった。すぐに入居できる有料老人ホームはあったものの、500万円の入居費を支払うとその後は利用料が月約30万円、1400万年の入居費ならば月約10万円という想像もしていなかった負担額だった。
 6月に参院本会議で「地域医療・介護確保法」が成立したが、地域での効率的で効果的な医療提供体制を確保するという名目で、救急救命などを担う急性期病院のベッド数が大幅に削減される。介護では、個人の費用負担が増えると共に、特養の入居が自立歩行できない「要介護度3」以上に限られ、高齢患者の入居は一層困難になる。
 さらに、父の世話をしてくれる介護福祉士は、給与など処遇面だけでなく、深刻な人手不足の問題も抱える。2011年の経済協力開発機構(OECD)データによると、65歳以上の人口に対する介護福祉士の比率が日本は5・4%と、情報開示している加盟15カ国の平均(6・3%)を下回っている。
 治療が一段落した高齢患者が行き場に四苦八苦することは医療現場では日常茶飯事になっていたが、今回の法律で、その問題がさらに悪化する。家族の立場で日本の医療と介護の問題を、改めて痛感した。
急性期病院 急に発症したり、進行が早かったりする病気の患者に対し、手術や検査など専門医療を提供する病院。厚生労働省は、現在の看護師1人が患者7人をみる急性期病院の約36万床を、2025年には18万床(高度急性期)に減らすことを目指す。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 高齢者、特養入居困難に=本田宏」、『毎日新聞』2014年07月09日(水)付。

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書評:進藤久美子『市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか』法政大学出版局、2014年。

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進藤久美子『市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか』法政大学出版局、読了。戦後の政治家としての評価とは裏腹に戦前・戦中の軌跡を評価するのが難しい市川房枝。一次資料にあたりながら、礼賛でも弾劾でもない抑制のとれた筆致でその全体像を描き出す最新の浩瀚な評伝

。大正デモクラシーの空気を吸い、そのさらなる完成(婦人参政権)を目指す市川の大きな壁は大東亜戦争。非戦のから撤退するか、それとも権利獲得のために政府に協力するか。市川は後者を選ぶ。満州事変に反対した彼女を「転向」と捉えるべきか。

彼女の転回を戦争肯定と理解するのは早計過ぎるだろう。晩年まで石原完爾に共鳴(彼女自身のイデオロギー超越性のスタイルもあるが)したように、東亜連盟への共感や中国の女性との連帯の志向は、単にナショナリストと片づけることはできない。

戦中も女性擁護の立場から東条内閣の内政政策と鋭く対立し、その先鋭化は女性徴兵論にも赴くが、市川の軌跡そのものが、都議会ヤジに象徴されるように、この社会の男性優位の構造そのものが、今も変わらぬことを物語る。今読むべき1冊か。 


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市川房枝と「大東亜戦争」: フェミニストは戦争をどう生きたか
進藤 久美子
法政大学出版局
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覚え書:「発信箱:違う意見の人と出会おう=小国綾子(夕刊編集部)」、『毎日新聞』2014年07月08日(火)付。


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発信箱:違う意見の人と出会おう=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2014年07月08日

 6月25日夕刊に「集団的自衛権 どこか人ごと!? なぜ議論が盛り上がらないのか」という記事を書いた。この中で「徴兵制より専門性の高い軍隊に国を守ってほしい。戦闘員が足りないなら移民を」という行使容認賛成派の慶応大湘南藤沢キャンパス(SFC)の学生の声を紹介した。記事はツイッターで何千件も拡散されたが、多くはこの発言を批判する内容だった。中には「こういうやつから戦争に行け」といった暴論やSFC全体を批判する声まであった。

 記事には逆に反対派のSFC学生にも登場してもらった。あえて同じキャンパスから異なる考えの2人を紹介したのには理由がある。賛成派の学生は「僕らの世代で行使容認に反対の人はほとんどいない」と語り、反対派の学生は「周囲の友人もみな反対」と言った。同じキャンパスで互いに意見をぶつけ合うことはおろか、互いの存在すら見えていない現実を描きたかった。「大人社会も同じではないか」と問いたかった。そもそも今回の閣議決定だって、安倍晋三首相は、政権は、反対の声にきちんと耳を傾けたといえるだろうか。

 この半年間、政治学者、丸山真男さんの最後のメッセージ「横につきあってください」という言葉を胸に取材してきた。自分とは違う意見を持つ人を選んで話を聞いてきた。今回、行使容認に賛成と反対、双方の意見を拾い集めて痛感したのは、意見を異にする者同士の怖くなるほどの関係性の断絶だ。何よりそこに危機感を覚える。

 SFCの学生を批判するより、両方の立場にいる者が互いに、異なる考えの相手と出会う努力をし、論破や啓発ではなく、まず対話する地平をひらけないものか。今切実に思う。
    --「発信箱:違う意見の人と出会おう=小国綾子(夕刊編集部)」、『毎日新聞』2014年07月08日(火)付。

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皆さん、横につきあってください。
残念ながら、個人の知性がこれだけ高いにもかかわらず、少なくも私の知っている外国人、西欧人だけじゃなくて、アジアの人々と比べても、なにか日本はおかしいところがある。教育の問題とか、いろいろあると思いますが、もう一度申しますけれど、皆さん、どうか、横につきあっていただきたいと。みんなじゃなくていいです。違った職場の方。もったいないです。日本のためにはたいへんな損失です(丸山眞男)。

[http://members3.jcom.home.ne.jp/mm-techo.no_kai/:title]

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[http://mainichi.jp/opinion/news/20140708k0000m070124000c.html:title]


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書評:金山泰志『明治期日本における民衆の中国観 教科書・雑誌・地方新聞・公団・演劇に注目して』芙蓉書房出版、2014年。

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金山泰志『明治期日本における民衆の中国観』芙蓉書房出版、読了。知識人の中国観研究は数多く存在するが民衆のそれは皆無。本書はその嚆矢。「日本社会一般で漠然と共有されていた中国観=一般民衆の中国観」に着目し「教科書・雑誌・地方新聞・公団・演劇に注目して」(副題)消息を明らかにする一冊。

。各種メディアから実証的に一般民衆の中国観を明らかにする本書は非常に貴重な研究だ。例えば、修身・国語教科書は古典世界の中国偉人を積極的にとりあげる一方で、地理教材では、同時代の清国の環境や風俗に対して否定的評価を下している。

大人が子どもへ枠組みを提供する「児童雑誌」を見ると、古典世界中国の「忍耐」「立志」「忠臣」といったキーワードへの肯定的評価は、日清戦争を境にしても変わらない。対して「不忠」「怯懦」といった消極的評価は戦争を境に声高となる。

中国観における二面性は日露戦争を経ても同じであるから、明治日本においては、明治国家を強化(教化)するイデオロギーとしての中国、否定すべき中国というダブルスタンダードは一貫していることが理解できる。これは現在も同じかも知れない。

では西洋観と中国観を対比するとどうなるのか。古典世界中国は教育的側面から積極的に評価されたが、西洋においても同じ。加えて、それは恐れの裏返しだが、国力・軍事力など当時の日本が模範とすべき価値基準として積極的に評価されている。

教科書から演芸に至るまで、総括するなら「古典世界の中国への肯定観」と「同時代の中国への否定観」という中国観の二面性の存在が明治日本の民衆で共有されていた中国観と理解できる。そこには現実の中国・中国人はどうであったかは問題ではない。

「歴史とは、現在と未来を映す鏡である。明治期日本の一般的な中国観の様相をもって、何を教訓とするのかは現在の我々の手に委ねられている。一〇〇年後の日本の中国観研究はどのような結論を導き出しているのであろうか」と著者は結ぶ。 

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覚え書:「みんなの広場 憲法をここまでおとしめるか」、『毎日新聞』2014年07月05日(土)付。

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みんなの広場
憲法をここまでおとしめるか
農業 65(徳島県阿南市)

 自民党の意向を受けて公明党執行部が集団的自衛権の行使容認に踏み切った。その弁明をテレビで「さわやかに」語るのを聞いた。そして1日、閣議決定がなされた。
 公明党幹部は、自衛権発動の新3要件の中の「国民の権利が根柢から覆されるおそれがある」の「おそれ」を「明白な危険」に変えたことなどを挙げ、「二重、三重の歯止めが利いて、拡大解釈の恐れがなくなった」とした。また「集団的自衛権の行使は憲法上、許されない」とした1972年の政府見解を全く無視し、都合のいいとこ取りで憲法解釈変更を押し切った安倍晋三首相がよく口にする「安全保障環境の変化」を指摘した。一般の法令とは全く違う憲法をここまでおとしめてしまうのか、と暗たんたる思いだ。
 前回総選挙で毎日新聞が行った候補者アンケートでは、集団的自衛権の行使を認めない憲法の解釈の見直しについて、公明党の当選者の87%が「反対」だった。この人たちは今、どういう思いでいるのだろう。
    --「みんなの広場 憲法をここまでおとしめるか」、『毎日新聞』2014年07月05日(土)付。

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書評:水上滝太郎『銀座復興 他三篇』岩波文庫、2012年。


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 ところで、勤め人として人のために仕事をし、文学者として自由に創造する、この理想を追求した人物は滝太郎いがいにいない。人格に裏打ちされた書き手であり、そのよさは、二足の草鞋にあったと思えてならない。一つは大いなる義務、一つは純粋な憧憬。私はこれを、無垢の二足の草鞋とよびたいし、うらやましく思う。滝太郎は、両方を忖度なく自らの仕事として愛し、フェアに生きた人だ。
    --坂上弘「解説 震災と水上文学」、水上滝太郎『銀座復興 他三篇』岩波文庫、2012年、226-227頁。
 
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水上滝太郎『銀座復興 他三篇』岩波文庫、読了。「復興の魁は料理にあり 滋養第一の料理ははち巻にある」。関東大震災後の焼け野原の銀座にたったトタン小屋の飲み屋。焦土東京の下町から品川の海が見えたという。ランプの下へ集う人々の自由なつながりと復興への鎚の音を生き生きと描く表題作。

水上自身その日、由比ヶ浜の別荘地で地震津波に遭遇したが、その記憶が元になる「九月一日」では、避暑地の若者たちのその日のこころを抑制のとれた筆で浮き彫りにする。

宮崎駿夫さん『風立ちぬ』の冒頭を想起した。ひょとして影響を与えているのではないかと。

新婚生活に入った若夫婦を瑞々しく「果樹」は水上の傑作と呼ばれるが、著者の人格主義に、まさにまさにと膝を打つ。町内会的な閉塞的絆の暴力性を描く「遺産」は、正義感あふれない描写が印象的だ。中立とは無縁だが、社交とは常に相対的なのだ。

久しぶりにいい小説を読んだ。三田文学ここにあり。


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覚え書:「平和国家の変質:集団的自衛権・閣議決定/4 後方任務も戦闘常態化」、『毎日新聞』2014年07月05日(土)付。

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平和国家の変質:集団的自衛権・閣議決定/4 後方任務も戦闘常態化
毎日新聞 2014年07月05日 東京朝刊

(写真キャプション)負傷したドイツ軍兵士を病院に運ぶドイツ、米国の兵士ら=アフガニスタン北部・クンドゥース州で2011年2月18日、AP

 ◇独兵、アフガンで55人死亡

 「アフガニスタンの女性を手助けすることができて、とても満足している」。安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定してから2日後、イタリア国防省の報告会で、陸軍の女性大尉、フランチェスカ・ジャルドゥッリさん(31)は自らの海外任務経験を誇らしげに語った。旧ユーゴスラビアのコソボで麻薬や武器の密輸取り締まりに従事した後、2010年9月から半年間、アフガン西部ヘラートで地元女性に職業訓練などを施した。イタリア軍で海外派兵組はエリートの証しでもある。

 独裁者ムソリーニの下、ナチス・ドイツとともに第二次大戦に突き進んだイタリアは日本と同様、憲法で「戦争放棄」をうたう一方、北大西洋条約機構(NATO)加盟国として集団的自衛権を持つ。憲法11条は「他国民の自由への攻撃、国際紛争解決の手段としての戦争は拒否する」と記すが、国際機関を通じた「国家間の平和と正義の保障」のための武力行使は例外だ。数多くの国連平和維持活動(PKO)に参加する「PKO大国」でもある。

 しかし、海外派兵による「国際貢献」では血も流れる。現在、中東やアジア、アフリカなど25カ国・地域に計5070人の将兵を派遣するイタリアだが、アフガンではこれまでに53人の兵士を失っている。

 「仲間の頭が吹き飛ばされたのを見て以降、ショックで眠れない」。03年6月、アフガンの首都カブールで自爆攻撃に遭遇したドイツ軍の元兵士は、退役軍人の支援組織が紹介する手記でこう振り返る。爆発は戦場から離れた空港付近で、他国部隊の輸送任務中に起きた。爆弾を積んだ自動車が兵士を乗せたバスに突っ込んだのだ。この事件で不眠症に陥った元兵士は、任務を遂行できずに帰国した。手記は戦闘地域以外での「日常的な死」を明らかにしている。

 01年の米同時多発テロを受け、NATOは集団的自衛権を発動。米主導のアフガン攻撃に加わった。ドイツ国内では戦闘参加への反対論が強く、シュレーダー政権は復興支援を名目に後方支援部隊の派遣を決定した。だが、比較的安全なはずの後方任務でさえ、実際に戦闘に巻き込まれるケースが常態化している。

 ドイツ連邦軍によると、01-13年にアフガンで死亡したドイツ兵は55人。うち35人は銃撃など外部からの攻撃で命を落とした。独国際政治安全保障研究所のマルクス・カイム博士は「戦闘地域と後方支援地域を区別することは不可能」と指摘した。6月の世論調査では、7割が外国への派兵に反対している。

 ドイツ基本法(憲法)は軍の役割を「防衛」に、活動範囲を事実上NATO域内にそれぞれ限定してきた。転機は1991年の湾岸戦争だった。資金援助だけで多国籍軍に参加せず、日本同様に「カネを出しただけ」と批判され、積極路線に。92年にカンボジアへ医療部隊を派遣して以来、旧ユーゴやソマリアなど域外への派兵を活発化させた。

 域外派兵は94年、憲法裁判所の判断で正当化された。専守防衛を拡大解釈し、国連やNATOなどが実施する活動で、連邦議会から承認を得ることが条件だ。

 「日本を取り巻く状況を考えれば、安全保障の強化は当然」。コソボなどで従軍経験のあるドイツ軍元兵士は、安倍政権の集団的自衛権容認を肯定した上で、「コソボは戦闘地域とそれ以外が比較的分かりやすい場所だったが、国によって状況は違う。現場の情報収集能力と的確な判断能力がなければ、派兵は非常に危険だ」とも警告する。

 ベトナム戦争に米軍に次ぐ32万人の兵員を派遣した韓国は、見返りとして米国から巨額の援助を得て経済発展の基礎を築いたが、同時に戦死者5000人余りの犠牲も払った。その後、海外派兵しても戦闘には加わらない方針を徹底。湾岸戦争以降24地域に派兵したが、戦闘には一回も参加していない。

 陸軍士官学校出身で、同期生4人がベトナムで戦死した許南〓(ホナムソン)国防大名誉教授(67)は「国が豊かになり、民主化されたことで、外国の戦争で血を流すことへの世論の反対が強くなった」と説明する。2003年のイラク戦争でも米国から参戦要請を受け、軍は前向きだったものの、就任直後だった盧武鉉(ノムヒョン)大統領の反対で実現しなかったという。

 盧大統領はその後、米韓同盟の重要性を理由にイラク派兵を決断するが、派遣したのは建設などの後方支援部隊だった。許名誉教授は「血を流した方が大きな代価を得られるのは歴史の常だが、今後も戦闘部隊の派兵は難しいだろう」と話している。=つづく 
    --「平和国家の変質:集団的自衛権・閣議決定/4 後方任務も戦闘常態化」、『毎日新聞』2014年07月05日(土)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140705ddm002010170000c.html:title]


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書評:ガート・ビースタ(上野正道、藤井佳世、中村(新井)清二訳)『民主主義を学習する 教育・生涯学習・シティズンシップ』勁草書房、2014年。


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ガート・ビースタ(上野正道、藤井佳世、中村(新井)清二訳)『民主主義を学習する 教育・生涯学習・シティズンシップ』勁草書房、読了。「民主主義の学習とは、政治における主体化である。学校や社会でいかに民主主義を学んでいくのか、理論的・歴史的・政策的に考察する」とある。欧州の公民教育を素材に「民主主義を取り戻す」方途さぐる一冊。

公教育としての「シティズンシップ教育」の現状は「社会化」を中心とする限定的な意義に留まっている点を著者は批判する。要は、社会の要求する人間に個人を収斂していくからだ。ひな形に人間を合わせることがシティズンシップと同義ではない。

社会化とは「毀損の社会的・政治的な秩序の再生産に関わる学校の教育の役割」であり「既存の秩序に対する個人の適応を強調する」ことである。今日なされているシティズンシップ教育・政策は、学習を個人の能力へ還元する歪な個人主義化に他ならい。

対して主体化とは「民主的なシティズンシップを個人が獲得する既存のアイデンティティとしてだけでなく、未来に向けて根本的に開かれた目下進行中のプロセスとして考えること」。民主主義の教育を日常生活の実践プロセスからの再構築を試みる。

現状のシティズンシップ教育を批判的に検討するなかで、「民主主義を学習する」シティズンシップ教育を、複数性と差異のなかで一人の人間が政治的な主体であることを獲得とするものとして措定し、その過程に終わり/完成はない。

自己責任を強調する市民概念、グローバル労働市場に適応するスキルに重点を置く学習を超え、子ども、若者、大人たちの日々の学習を支える条件を問い、その日常的な生活の実践プロセスのなかから人間の自立と連帯を模索する本書は今読まれたい一冊。

『民主主義を学習する』(勁草書房)の著者ガート・ビースタとは本書で初めての出会い。解説によれば、ポパーを契機にデューイを始めとするプラグマティズム研究からスタート、教育学との対話を深める。転機はデリダとの出会い、教育理論の可能性を脱構築(の実践性)にみいだす。

ハンナ・アーレント、レヴィナス、リギンズとの出会いは、教育を人間生活の全体性としての倫理=政治的方面への転回を促したという。日本ではほとんど知られていない教育哲学者かもしれないが、教育そして公の議論が特定の議論に収斂されやすい日本においてビースタの議論は刺激に満ちている。

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民主主義を学習する: 教育・生涯学習・シティズンシップ
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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 続く『希望格差社会』=山田昌弘」、『毎日新聞』2014年07月02日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
続く「希望格差社会」
若者の意識調査 7カ国中最低
山田昌弘 中央大教授

 2014年度版「子ども・若者白書」が公表された。特集で紹介されたのが、若者の意識調査の国際比較の結果である。日本で将来に希望を持つ若者は61・6%で、調査対象7カ国の中で最低。40歳になった時に自分が幸せになっていると思う人の割合も、66・2%で最低だった。
 私が著書「希望格差社会」(ちくま文庫)の中で「今、希望を持てる若者と持てない若者に二極化している」と書いたのが、ちょうど10年前のことだ。その中で、ある米国の社会心理学者の「希望」が生まれる条件「努力が報われると思えば希望が生じ、努力が無駄になると感じれば絶望が生じる」を引用し、「日本では『努力しても報われない』状況に置かれている若者が増えている」と論じた。
 その代表的存在が「非正規雇用の若者」である。学校卒業時点で正社員になれなかったり、一度辞めてしまったりすると、努力してもなかなか安定した正社員になれない。多少時給は上がっても、必要なくなれば解雇されてしまう。彼等は夢を見ることはできても、日々の仕事に希望を持つことは難しい。
 希望に限らず、「感情」にはその人が置かれた環境が影響する。日本で若者の非正規雇用比率が4割程度であることを考えると、将来に希望を持てない若者の割合はこの数字と重なる。
 調査で取り上げられた欧米諸国や韓国は、日本以上に若者の雇用状況は良くない。新卒採用はまれで、若者失業率が日本以上に高い。収入が低く不安定な職に就く若者も多い。それでも彼らは希望を持っている。なぜなら、「今不安定でも、努力すれば安定した職に就くチャンスがある」「失敗してもやり直しがきく」と思えるからである。これらの国では、失業中でも、不本意な仕事に就いていても、将来、いくらでも就職や転職のチャンスがあるからだ。
 しかし、日本では人生の早い時期での格差が一生続く。安定した優良企業の正社員、公務員になれた若者は、人並みに努力すれば認められ、昇進し、定年まで安定した生活を送る見通しが持てる。一方、学卒後に正社員就職できなかった者、辞めた者は希望を持ちにくい。アルバイトや派遣、期間工などの非正規雇用者は、その仕事で人並みに努力しても報われる見通しは少ない。報われる仕事に就くためには、正社員以上の能力を付け超人的な努力が必要なのだ。
 日本が他の先進国と比べて希望が持てない若者が多いのは、「新卒一括採用の慣行」と「正社員と非正社員の間の大きなギャップ」があり、若い時の格差が固定化してしまうからだ。結局、この10年間、若者が置かれた「希望格差」という状況は全く変わっていない。
厳しい若者の雇用状況 「子ども・若者白書」は、特集で日本を含む7カ国の満13~129歳の若者の意識調査を実施。日本の若者の「職場満足度」は46%で調査国で最低。収入や老後の年金など、働くことに関する全項目で「不安」の回答割合が他国より高かった。厳しい若者の雇用状況が改めて示された。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 続く『希望格差社会』=山田昌弘」、『毎日新聞』2014年07月02日(水)付。

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[http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26honpen/index.html:title]


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覚え書:「発言:戦場に子供送らない」、『東京新聞』2014年07月04日(金)付。


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発言
戦場に子ども送らない
介護職 45(東京都足立区)
 
 拝啓 安倍晋三様
 私は二歳、五歳、七歳の三人の男の子の母親です。日々子育てを頑張っている母親として、あなたが進める集団的自衛権の行使容認に強い不安を持ち、いてもたってもいられず、お便りしました。
 安倍さん、質問です。集団的自衛権が認められれば、将来、私の子どもたちは銃を持ち、兵士として戦場に行くことがあるのでしょうか。異国の地で無辜の市民を殺め、銃弾に倒れてしまうようなこともあり得るのでしょうか。
 十年後、二十年後も絶対にあり得ないと、はっきり約束してください。例えば、今回、賛成した政治家の方々は、将来もし日本が戦争に参加するとき、まず最初に自分のお子さんやお孫さんを、日本の兵士として最前線に立たせると宣言されてはどうですか。その覚悟もなしに賛成と言わないでください。安全保障のため、国益のため…。そんな言葉を並べられても、私にはわが子の命の方が何千、何万倍も大事なのです。
 私たち母親はおなかに宿した小さな命を、命懸けで産み、愛情をかけて日々大切に育てます。でも、戦争とは人と人とが残虐に殺し合い、命を奪い合うこと。命を産み育む母親の営みとは真っ向から対立します。わが子を戦場に送る可能性が産まれる政治的決断は、絶対に受け入れられません。
 お願いします。誰もが安心して平和に暮らせるような日本にしてください。命が犠牲になるかもしれない集団的自衛権ではなく、不戦の誓いを立て、平和を尊ぶ思想を世界に広めてください。
 子どもたちを戦場に送りたくない、すべての母親を代表して。
    --「発言:戦場に子供送らない」、『東京新聞』2014年07月04日(金)付。

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書評:茨木のり子(谷川俊太郎編)『茨木のり子詩集』岩波文庫、2013年。

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言葉が多すぎる
というより
言葉らしきものが多すぎる
というより言葉と思えるほどのものが無い

この不毛 この荒野
賑々しきなかの亡国のきざし
さびしいなあ
うるさいなあ
顔ひんまがる
    --茨木のり子「賑々しきなかの」、谷川俊太郎編『茨木のり子詩集』岩波文庫、2013年、202頁。
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谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』岩波文庫、読了。「茨木のり子の詩を読むのに、構えはいらない。そこに差し出された作品を、素手で受け取り、素直に読んでみるに限る」(化水音たかく 解説に代えて・小池昌代)。じわじわくる。極めて個人的経験の表象がここまで普遍的に揺さぶりをかけてくるとは。魂消た。

言葉を弄ぶ者どもよ、戦慄せよ。 

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日記:集団的自衛権閣議決定という暗黒時代を生きるということ。

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集団的自衛権閣議決定で決められた「行使の条件」には「明白な危険」「我が国の存立」という言葉が出てくるが、これは、いかようにでも解釈できる。

太平洋戦争開戦の詔書には「自存自衛」のためとあった経緯を考えると(そしてあらゆる開戦の名目は「自存自衛のため」と掲げるわけだから)、やはりまずい。

加えて憲法の解釈を正規の手続きを経ずに、国家を拘束する筈の憲法が、遵守義務の対象である内閣によって反故(解釈改憲)されたことだろう。踏み込んでしまったならば、あとはなんぼでも好きなことができる。そこに戦慄しなければならない。

戦前日本の議会政治の破綻は、軍部独裁で終止符と俗に言われますが、実際の所、軍部を招いたのは政党政治家たちだし、政党が批判を交わすために、(本来的にも危険な法律ですが)治安維持法の改悪に躍起になった。とすれば、立憲主義を政党政治家たちが批判した悲劇を再演しているようにしか思えない。

大日本帝国憲法も、勿論、建前として立憲主義という構えだ。しかし、「天皇陛下」というタームの前ではすべてが無効化されてしまう。とすれば正面から天皇制を批判しても始まらないから「天皇陛下を思い煩わせないようにがんばります(キリッ」というアプローチで漸進させていくしかないとなる。

僕自身は、吉野作造の研究が重箱の隅の対象になるのだけど、学べば学ぶほど、規範の存在しない不安定な状況のなかで、いかに知恵を絞り、実質的なところでシステムと人々の意識を変えていくという脱構築していく創造的挑戦には驚くばかりだったのだけど、自分自身が同じ状況になるとは思わなんだわ。

言い方は悪いのだけど、所謂マルクス主義ちっくな歴史学は、戦前日本と断絶を強調し、戦後日本の民主主義を高潮したけれども(実際には武田清子先生も指摘している通り水脈は続くのだけど)、21世紀になって自分が吉野作造の如き、民本主義的アプローチで対峙必要が出てくるとは……とほほを通りすぎてしまう。


「闇の中を歩み通す時、助けになるものは、橋でも翼でもなく、友の足音である」(ベンヤミン)。


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みんなの広場
閣議決定賛成者は公明離党を
年金生活者 69(奈良県上牧町)

 集団的自衛権については、第一に国民の議論を深めて憲法9条改正の是非を問い、是となれば96条に基づいて国民投票を実施するのが正当と考えます。第二に与党協議優先ではなく、国会審議優先でなければいけないと思います。
 閣議決定の「自衛の措置」という文言は単純に語義から考えて個別的か集団的かということを問いません。また、「他国」という言葉には他国防衛の対象を米国以外にも広げようという怪しい気持ちがありありです。どこまで拡大しようというのでしょうか。意図的に「いいかげん」な文章にしていると考えます。
 「平和」は公明党の大黒柱です。多くの反対を押し切って、政府方針に同意を与えた党幹部や国会議員は公明党を離党してもらいたいのです。このたびの閣議決定に賛成、あるいは執行部一任という判断を下した議員と反対した議員の名前を党機関紙の上で公表することを望みます。発言機会のない一支持者としての思いです。
    --「みんなの広場 閣議決定賛成者は公明離党を」、『毎日新聞』2014年07月02日(水)付。

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書評:「読書 人間にとって善とは何か=フィリッパ・フット著 筑摩書房」、『聖教新聞』2014年06月28日(土)付。


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読書
人間にとって善とは何か
フィリッパ・フット著 高橋久一郎 監訳
河田健太郎・立花幸司・壁谷彰慶訳

全人性の理解促す思索が光る

 学問のあり方が見直された20世紀、最も批判を受けたのは哲学だ。諸学の王の特権性は反省されるべきだが、根源的な探究態度を萎縮させた知的遊戯のごとき先鋭的批判は、本末転倒だろう。倫理学も例外ではない。エッジの効いたメタ倫理学、効用性で全てを測る功利主義は新風を吹き込んだが、人間の全人性を理解することに成功したとは言い難い。
 だとすれば、善悪の問題には、真っ先に「人間とは何か」を探究する必要がある。思索を等身大の人間の事象に回復する本書は、格好の一冊だ。
 著者は、人間が「生き物」である事実から出発する。人間はミツバチやビーバーと同じ動物として共通するが、理性をもち、考えることで異なる。一方を強調する議論は多いが、全体としての人間とは「行為の理由を認識することができ、その認識能力に基づいて行為する能力を備えた生き物」だ。その生き物にとって善とは超越世界から規定する先験的な根拠ではなく、既知の事柄から導かれる分析知とも無縁だろう。
 実践に注目する著者は「善とは、人間が自然本性にかなった生き方をすること」と。本書は倫理学の重要な議論を逐次検証するが、規範を自然の中に求める点でアリストテレスの中庸のよき継承であり、理性に人間らしさを認める点でよきカント主義が交差する。
 著者は、貧困の中に生きる人々をサポートするOxfam創設時からのメンバーという。実践が思索を裏付けている。(氏)
筑摩書房・2916円
    --「読書 人間にとって善とは何か=フィリッパ・フット著 筑摩書房」、『聖教新聞』2014年06月28日(土)付。

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覚え書:「声 僕は戦場で人を殺せません」、『朝日新聞』2014年06月25日(水)付。


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僕は戦場で人を殺せません
中学生 (東京都 15)

 日本が憲法の解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認し、戦争ができる国になる可能性が日々増しています。おそらく戦場へ向かわされるであろう世代のひとりとして、気持ちを述べさせていただきます。
 僕の友人の中にも、集団的自衛権の行使が必要だと考える人はいます。しかし僕は反対です。徴兵され、戦場に送られ、人を殺したくないからです。
 人を殺すことは、通常の世界では最も重い罪です。しかし戦場では、その一番重い罪である人殺しを命令されるのです。命令に従うのがよいことで、命令に背けば罰せられます。この矛盾が僕には理解できず、受け入れられません。
 それに、人は何のために生まれてくるのでしょうか。戦いで人を殺したり、殺されたりするためではないはずです。全ての人間に与えられる人生は、たった一度です。人を殺した罪を引きずって生きたり、自分が望まない時に命が無理やり終わったりすることは、あまりにも残念で、悲しいことです。
 集団的自衛権の行使は、海外で人を殺すことを伴います。僕には、それは絶対できません。集団的自衛権行使の意味を国全体で考え直す必要があると強く思います。
    --「声 僕は戦場で人を殺せません」、『朝日新聞』2014年06月25日(水)付。

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