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日記:なぜ国家は、生の意味づけをしたがるか


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なぜ国家は、生の意味づけをしたがるか
 この章では、民主主義で追求すべき最も重要な価値や理念について、考えてみたい。
 政治で追求、確保すべき最大の価値は生命である。東日本大震災で多くの人命が失われたとき、生命こそ何にもまさる価値であることを、多くの人は実感したはずである。政治は、人間の生命と尊厳を守るために、できる限りのことをしなければならないというのは、当然の公理である。しかし生命が絶対的価値だといっても、人間の生命が政治において常に至上の価値とされるとは限らない。
 人間の生き方は様々である。信念や信仰のために命を投げ出した殉教者の生き方は、崇高に見える。あるいは、大震災のとき、地域に津波の襲来を知らせるうちに自らは津波に飲まれた消防団員や自治体職員のように、危機的状況において他者のために自らを犠牲にした生き方は崇高である。そのような生き方を見て、人は自分の手本にしたいと考えることもある。
 しかし、それはあくまでそれぞれの個人の中で考えるべき問題である。政治の世界で崇高な生き方をせよと人々に要求することには大きな弊害がともなう。崇高な生き方について考察するのは、宗教や哲学の仕事である。それが政治と結びつけば、祭政一致の政体が生まれる。政治はしばしば、宗教的権威と結びつき、人々に崇高な生を押し付けようとする誘惑に駆られる。国家の行為としての戦争の中で、政治権力は多くの人間に不本意な死を押し付けてきたからである。非業の死を遂げた人々、あるいはその家族に対して、国家はその死が何のためだったのか、意味づけを与える必要に迫られる。祖国を神聖な損合いにして、そのために死んだ者を神聖化するという論理が一般的である。祭祀や勲章などがそのための道具となる。宗教的権威を否定したはずの社会主義諸国においても、指導者の神格化や国家の神聖化という手法は同じである。共同体のために本来の意味で犠牲となった人々を追悼することは、人間にとって自然な感情であろう。しかし、国家の神秘化、神聖化を簡単に受け入れることは、自由や自立性の放棄につながることに注意する必要がある。
    --山口二郎『いまを生きるための政治学』岩波書店、2013年、112-113頁。

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集団的自衛権行使容認の閣議決定は、現在の日本をとりまく状況から勘案するに「緊急度」が高いという話で、いけいけどんどんで決まってしまいましたが、その関連法案の整備に関しては1年ぐらいの日程をかけてという話になりましたので、そもそも「緊急度」の高い案件だったのかと誰何するに、そんなこともないよなあ、と思わざるを得ないのが現実で、うまくはめられたと言わずに何を言えばいいのでしょうか。

そして、その流れといっしょになって、震災以降、「永遠の(思考停止)0」よろしく「国家による生の意味づけ」が論調が強くなりはじめており、おそらく、崇高な死(国家のために死ぬこと)を今後も声高に叫ぶ連中が多くなってくるのでしょう。

しかし、そもそも、国家が人間の生(そして死を含む)ことの「値打ち」をきめることこそちゃんちゃらおかしい話は無いわけでして、いけいけどんどんでどこへ進むのかといえば、それは「戦前日本を」“取り戻す”という話なのでしょう。

そういえば、憲法でその地域の地域性や文化を規定することのおかしさが何度も指摘されているわけですが、そういうところに関しても積極的に関与しようとしているのが自民党憲法案ですし、どんどんどんどん、国家が関わらなくていいことにかかわり、関わらなければならないこと放擲するという現状。

異常と思った方がようござんす。

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