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覚え書:「発言:解釈改憲許さぬ『国民意思』を=山中光茂・三重県松阪市長」、『毎日新聞』2014年08月14日(木)付。

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発言
解釈改憲許さぬ「国民意思」を
山中光茂 三重県松阪市長

 安倍内閣は7月1日、集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈の変更を閣議決定した。日本国憲法が「国際紛争を解決する手段」としての戦争と武力の行使を放棄したことに対する明白な違反である。
 首長である私は市民団体を結成し、憲法学者や有識者らとともに集団訴訟、国家賠償請求でこの決定に立ち向かう運動を始めた。これは「右」でも「左」でもない。松阪から市民運動として全国へと広げ、問題の重要性を国民に訴えていきたい。
 私はかつて医師としてアフリカ諸国で活動してきた。そこでは「愚かな為政者」の判断で国家体制が変えられ、国民生活が破壊されることも決して珍しくない。内戦後の民族紛争の継続や人種間の格差拡大など、為政者の判断が負の連鎖を広げる現実を肌で感じてきた。
 だからこそ、国民意思で権力を抑制する憲法というシステムがある。日本国憲法は第二次世界大戦という経過を踏まえ、前文に「平和を愛する諸国民の公正と真義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」し、「平和のうちに生存する権利を有すること」とうたう。そのもとで権力が制約を受けることを確認したのである。
 だが、集団的自衛権行使はこれを覆すものだ。集団的自衛権はそもそもが「国際紛争を解決する手段」として用いられるもので、自国への急迫不正の侵害がなくとも同盟国と共同して武力行使ができる。
 本来、権力を抑制すべき憲法の本質的な要素が権力者の恣意的な解釈で変更された以上、これをただすのは司法の役割だ。ただし、日本の司法は「具体的審査制」を採用していない。個別的権利の侵害がない行政行為や法律の抽象的審査はできない。そのため、内閣による閣議決定や今後の立法行為それ事態を違憲審査するためにはどのような権利侵害があるのかを「訴えの利益」として明確にすることが求められる。
 だからこそ私は自治体の長という権力機関の一員ではなく「ピースウイング」という市民団体をつくり一原告として「訴えの利益」を国民的運動のなかで明確、具体化しようと考えた。当たり前に平和を享受するなかで当たり前に生きる「平和的生存権」を具体的権利として認めるかどうかの判断は、過去の判例においても大きく分かれる。今回の閣議決定が国民それぞれの生活に明確な危険を及ぼすことの蓋然性を主張し、国民意思として認知させる。その運動の拡大により、訴訟を入り口で「門前払い」で排除できない環境を形作っていくことが重要である。
 日本は憲法9条に基づき、平和主義を抑止力としてきた。それが、日本の誇りでもあった。
 それが変更されることは「国民意思」によってストップしなくてはならない。活動開始以来、全国から1万通を超える運動への賛同メッセージをいただいた。地方議員の賛同の輪も広がってきた。まずは「法の支配」を守る司法の場において、最終的には国民が立憲主義と平和主義を守り抜く闘いにつなげていかなくてならないと確信している。
やまなか・みつしげ 松下政経塾出身。ケニアなどで医療ボランティアに従事。09年から現職(2期目)。
    --「発言:解釈改憲許さぬ『国民意思』を=山中光茂・三重県松阪市長」、『毎日新聞』2014年08月14日(木)付。

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