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覚え書:「書評:植木雅俊『仏教学者 中村元 求道とことばの思想』(角川学芸出版) 多角的な思想の全軌跡=前田耕作」、『週刊読書人』2014年08月22日(金)付。


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書評
植木雅俊・著
仏教学者 中村元 求道のことばと思想

前田耕作

多角的な思想の全軌跡

活動的な生涯とその開かれた視線をあますところなく活写

 1979年12月末、ブレジネフはソ連軍のアフガニスタン侵攻を許可する書類に署名した。『広辞苑』(第3版・1983年)は初版(1955年)に記載のない「ブレジネフ」の項をつけ加える。このソ連によるアフガニスタンへの軍事介入から半年後、中村元訳『ブッダ最後の旅-大パリニッパーナ経』(1980年6月)が岩波文庫として出版された。この二つの対照的な出来事、ひとつは果てしない戦禍を生み、ひとつは魂の平安をもたらす道のりの語りかけ、私の中に、二つながら互いに連接していて忘れがたい記憶としていまも残り続けている。
 中村の訳はパーリ語原典からのもので明解、しかも本文の約4分の3を占める詳細な訳注が付され、歴史的人格としてのゴータマ・ブッダの実像と「神話」・「後生の創作」部分と考えられる虚像の部分を言語に添って指摘し、少しでも史実に近づけようとする努力が識見を尽くして払われており、いかにも中村の博捜果敢な学風が窺われるものであった。『ゴータマ・ブッダ』は、この訳書より27年も前に書かれたものであったが、「第八章 最後の旅」では、当然のこととしてパーリ文を主典としてブッダの思わぬ終焉の地クシナガラまでの旅が克明に描かれている。同じ箇所を読み比べてみると、引用の訳文が後の経典訳とは少しづつ異なっている。この「修正と絶えざる増補」もまた中村元が仏教学者として終生持ち続けた姿勢、「誠実な探求」の証しであった。
 中村元が私塾「東方学院」を解説したのは、1973年のことである。学院は、学問のセクショナリズムを排し、分野を超え、アカデミズムの外で活動する在野の研究者に広く門戸を開くことを趣旨とした。本書の著者植木雅俊は、すでに『梵漢和対照・現代語訳法華経』『梵漢和対照・現代語訳維摩経』(いずれも岩波書店)によって仏教学の今日的意味に大きな一石を投じたが、この訳業の視角は、東方学院で中村の膝下で学び、じかに会得したものであった。「現代語訳」とは、語義の細部の差異を通して多様な意味の地平の交差点に立つことである。それは中村仏教学の機軸をなす姿勢で、アカデミズムがもっとも苦手とするところであった。植木の画期的な訳業を「卑小なアカデミズム」や「護教論者」がつねに「正統」という隠微な衣を羽織って誹謗の的にするのも、この中村・植木と受け継がれた思考の強靱な批判性にある。
 昨年は「東方学院」開講40周年に当る。そして今夏「仏教学者 中村元」の活動的な生涯とその開かれた視線があますところなく最適の著者をえて活写され、上梓されたことを喜びたい。
 松江に生まれ、ラフカディオ・ハーンが人力車に乗っている姿を見たという母トモの言葉に同郷の異人ハーンに親しみをもった幼年時代、病床にあってひたすら本を読みあさり、自在な思考が芽生える中学時代に始まり、後の「学問の基本姿勢」が培われた旧制高校時代の多様な学風との出会い、ついで大学における宇井伯寿の示唆のもと、仏教の源流にあるインドの思想「ヴェーダーンタ」(ヴェーダ聖典の究極)哲学の歴史をめぐる6000枚の驚くべき論考によって、「満三十歳という異例の若さで文学博士号を取得」するに至るまでの第一章から、自分の死を意識しつつ、病を押して最後の講義を行う野生の学者魂が燃え尽きる終章まで、いっきに読み走らせてくれる。著者のあまりにも深い思い入れが小さな瑕疵といえばいえなくもないが、一人の屹立した新しい仏教学の創始者を描くに、この肉薄なくしてほかにどんな筆策があるというのだろうか。「アーナンダよ、お前は行きなさい」、その言葉のまま著者の熱い想いをのせて躍動する言説の中で仏教学者中村元の多角的な思想の全軌跡がいまここに鮮やかに蘇る。(まえだ・こうさく氏=和光大学名誉教授・東洋文化研究者)
★うえき・まさとし氏は仏教思想研究家。著書に『梵漢和対照・現代語訳法華経』(上下、毎日出版文化賞受賞)、『梵漢和対照・現代語訳維摩経』(上下、パピルス賞受賞)、『仏教、本当の教え』ほか多数。一九五一年生。
    --「書評:植木雅俊『仏教学者 中村元 求道とことばの思想』(角川学芸出版) 多角的な思想の全軌跡=前田耕作」、『週刊読書人』2014年08月22日(金)付。

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