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日記:意識の高い、有意味な言説というドクサ

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たまこさんのお世話ちう。

土曜日に細君が子供を連れて実家に帰ってしまったので(とほほ、猫のたまこさんと二人ぐらしです。とはいってもほとんど家にいないので少しの時間ですし、今日はぐったりと寝ていたので、少々余裕をもって接していますがものすげえ甘えてきますね。

しかし振り返ってみれば、帰宅してからは、たまこさんと「たまー」、「たまこ、かわいいね」とかそういう発話しか、していないことに改めて驚きます。そりゃあ、話す相手がたまこさんしかないわけですからね。

まあ日当稼ぎで殆ど家にいないし、家にいても書き物しているし、妻子が家にいても別段、「有意味」な会話ばかりしている訳でもなく(所謂「意識の高い」話をすると煙たがられるし)、短絡的な経済的判断を下すと「おはよう」というような「無意義」な会話の方が多いと思う。たまことの会話も同じかw

無意義な会話はダメで、所謂「意識の高い」会話だけが素晴らしいというのもゾッとするし、その対極として、社会なんてどうでもいいという無意義な会話だけでいいのよ、というのにも違和感はありますが、こういうのはたぶん、対立的にとらえるとよくないのかもですね。

名匠・小津安二郎の作品に『お早よう』(1959・松竹)というのがあります。
郊外に住む林家の親子をめぐるコメディで、TVを買ってくれと子供はねだるけど拒絶され、大人は「お早よう、天気はどうですか」といった無意味な会話ばかりだから、言葉を発しないストライキを子供たちが実行します。

ぐろーばる人材だの、コミュ力でしたっけ、そういうテンプレ的言辞をうまく使いこなすことだけに、言語の有用性を見出すことは、言語使用の当体としての人間理解を極めて細めてしまうことになると思う(社会性からの撤退も同じだけど)。

価値があるのかないの、誰かに決めてもらうことの愚かさですよね。結局の所、グローバルだの、コミュ力だの、意識が高いといった「有用性」「有意味性」なんて、権力がこしらえる訳ですから(だからテンプレになるわけで)

まじめに考えること、そして、生活者としてそれは無意識のうちに発せられる社交儀礼のごとき言辞、そういうのを対立的に捉えるのではなく、それがあっての人間というところからはじめて、「さしあたり」有用である(=お金になる・出世できる)というところを相対化させたいなあと思ったりです。

あ、そういや、たまことしか会話していないし、僕はほとんど、独り言を発話しない系の人間なんだけど、そういや、「おっす、おら、悟空」をなんどか発話していたなあ(つらい

あ、それから安倍晋三さんのコピペは、儀礼的言辞の枠内を凌駕する暴挙だとは思う。工夫もできないぐらい頭がわるい。結局、言葉と人間の存在に対する冒涜でしょう。

だけど、逆に、「すべてのことがらをお前の言葉で語れ」と脅迫されてしまうとこれも困ってしまう。人間は神ではないのだから無から創造することができない。だけど、「まねる」としての「学び」がきちんとできれば、それはコピペとはちがう自己内受容としての言葉にはなると思う。

いつものおとしどころかもしれんけど、完膚無きまでの古典を読むこと、そして外国語を学ぶことしかねえわな。 


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