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2014年9月

覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 年功序列が崩れない理由」、『毎日新聞』2014年09月24日(木)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
年功序列が崩れない理由
日本語の敬称と関係
山田昌弘 中央大教授


 日本の職場では、新卒一括採用や年功序列慣行がなかなか崩れない。その結果、学生は新卒でできるだけ条件のよい企業に就職しようと、就職活動に時間を取られる。そして、就職に失敗して正社員になれないと、なかなか取り返しがつかない。第二新卒や公務員採用といっても、せいぜい、卒業後の2、3年が限度。就職できなかったり、一旦辞めたりしてしまうと、正社員としての就職が大変難しくなる。その一つの理由が、日本語の「敬称」や「敬語」にあるかもしれないと思っている。
 講義でこの話をしたら、ある学生に、大学のサークルも同じだと指摘された。サークルに入ることができるのは新入生の時だけで、それを逃したり辞めたりすると、もうサークルには入りにくくなり、居場所がなくなると言う。説くに男性間では、敬称と敬語で「上下関係」をはっきりさせることが求められる。地位が上の者に対しては「さん」をつけ、「君」づけや呼び捨てが許されるのは同等か下の者に対してだけ。2年でサークルに入ると、1年の新加入者には「さん」づけされて親しくなれず、同学年のサークルの先輩たちの仲間にも入りにくい。
 大学のサークルの問題なら、卒業まで我慢すればよい。だが、仕事となれば一生の問題となる。特に、日本では多くの男性が、仕事と人格を切り離せない。仕事にプライドをもっていると言えば聞こえはいいが、プライドを傷つけられることに対して強い反発を感じる。仕事上の上下関係が、人格上の上下関係と考える人がまだ多い。
 全体としては崩れているかもしれないが、日本の企業や公務員の社会で、局所的に「年功序列」が守られているのはそのせいである。今まで、おれおまえで呼んでいた関係が、一方が昇進し、一方が敬語を使う関係になると、ぎくしゃくする。だから、同学歴なら年下の上司や年上の部下がなるべくいないように各職場で配置する。このため、ある程度の年齢で新入社員として入社することが難しくなり、新卒一括採用から漏れた人の行き場が狭まるのである。
 欧米などの海外では、そのような問題は起こりにくい。英語や中国語などには丁寧な表現はあっても、身分的な上下関係を表すための敬語はない。職場において、親しくなれば名前を呼び、それほどでもなければ敬称をつける。さらに、職場は職場、人格は人格と割り切る人が多いから、年齢にこだわらない採用や昇進が行われる。
 多様な人材の活用が求められている次代には、年齢による上下関係を維持する仕組みは、むしろ企業発展の障害になっているのではないだろうか。日本でも、呼び方の改革を考える必要があるかもしれない。
新卒一括採用 企業は毎年度、在学中の学生を対象に一括して求人を行い、採用する仕組み。新卒時に就職できないと、その後も正社員になるのが難しいことや、在学中の就職活動が学業に悪影響をもたらすなど負の面も指摘され、見直しを求める声も大きい。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 年功序列が崩れない理由=山田昌弘」、『毎日新聞』2014年09月24日(木)付。

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拙文:「読書 宗教とグローバル市民社会 ロバート・N・ベラー、島薗進、奥村隆編・岩波書店」、『聖教新聞』2014年09月27日(土)付。


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読書
宗教とグローバル市民社会
ロバート・N・ベラー、島薗進、奥村隆編

偏狭な国家主義への憂慮

 一昨年秋、宗教社会学の巨人ロバート・ベラーは85歳の恒例にもかかわらず来日し、立教大学などで精力的に講演した。本書は、その公園・シンポジウムの内容、招聘者の論考を収めた記録だ。
 テーマは、グローバル市民社会における市民宗教の可能性、「人類進化における宗教」に関する考察、政治思想家・丸山眞男の比較ファシズム論を通した現代日本への警鐘と幅広い。人生を振り返りつつ、未来を洞察するベラーの思索の総決算ともいうべき貴重な対話の数々である。
 弱肉強食を自明視する新自由主義が世界を席巻する中、その是正が政治的課題として取り上げられる。とすれば、それは同時に、抗う側の宗教の課題であろうとベラーは指摘する。グローバルな連帯には宗教的な動機が必要だからだ。
 注目すべきは丸山ファシズム論をめぐるベラーの評価であろう。自己中心的な関心を超え、他者へ向かう宗教的意識は民主主義につながると論ずる一方、排外主義と歴史修正主義に傾きがちな現代日本に警鐘を鳴らす。
 序文の中で「日本のナショナリズムの復活を、とくに深く憂慮する」と記した後、ベラーは急逝した。その言葉を真摯に受け止めたい。(氏)
●岩波書店・3024円
    --「読書 宗教とグローバル市民社会 ロバート・N・ベラー、島薗進、奥村隆編・岩波書店」、『聖教新聞』2014年09月27日(土)付。

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覚え書:「ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で=沼野充義」『朝日新聞』2014年09月23日(火)付。


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ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で 寄稿・沼野充義

(写真キャプション)推理作家のアクーニンさん(左)と妻エリカさん

 最近の緊迫したウクライナ情勢については、日本でもかなり報道されてきた。しかし、それと並行してロシア国内で進行しているもう一つの憂慮すべき問題については、まだほとんど知られていない。それは、ロシアの対ウクライナ強硬政策に反対の声をあげる心ある少数派が「非国民」呼ばわりされ、攻撃されているという事態である。

 ■「敵国のスパイ」と罵倒 「無知の病」と批判した作家
 プーチン大統領の支持率は80%以上という異様な高さで、民衆の間には好戦的な気分とウクライナに対する憎悪が広がっている。見逃してはならないのは、その背後に、政府の完全な統制下に置かれたロシアのマスコミによる強力な反ウクライナ宣伝があったということだ。ウクライナでの虐殺映像と偽ってチェチェンやシリアの写真が使われるなど、虚偽や歪曲(わいきょく)の例は数え切れない。人心は操作されている。
 この状況の中でプーチンを批判し、反戦と友愛を唱えるのは容易なことではない。しかし、ロシアの文化界には、少数ながらそういう勇気ある作家や音楽家がいて、対抗勢力として社会の良心を代表している。中でも際立っているのが、推理作家ボリス・アクーニンと、ロシアを代表する女性作家リュドミラ・ウリツカヤである。
 アクーニンは小説がロシア国内ですべて数十万部は売れ、世界でも30カ国語以上に翻訳されている超人気作家であり、膨大な愛読者がフォローするブログやフェイスブックで、終始冷静な社会批判を展開してきた。他方、ウリツカヤは8月にドイツの「シュピーゲル」誌に寄稿したエッセーで、「私の国は攻撃的な無知と、民族主義と、帝国主義的な熱狂という病に侵されている。私は自分の国の無能な政府が恥ずかしい」と、歯に衣(きぬ)着せぬ批判を行った。
 それに対して、国粋主義的な勢力は彼らを標的にし、インターネット上には「国民の敵」「敵のスパイ」といったおぞましい罵倒があふれ、街角にも悪意ある戯画が大々的に掲げられるまでになった。

 ■コンサート次々中止に 難民のために歌った歌手
 さらに8月半ばには国民的なスターとして高名な歌手アンドレイ・マカレヴィッチが、東部ウクライナのスヴャトゴルスクという町のチャリティーコンサートで難民の子供たちのために歌を歌ったことが「利敵行為」と見なされ、スキャンダルになった。彼を裁判にかけて「国民栄誉賞」の称号を剥奪(はくだつ)せよと息巻く国会議員まで現れたのである。
 私は9月初旬に国際翻訳者会議に招かれてモスクワに滞在し、「文化の外交」を担うべき世界中の翻訳者たちと交流し、このような事態に対する危惧を共有するとともに、アクーニン、ウリツカヤ、マカレヴィッチにも直接会って、彼らを取り巻く厳しい社会情勢を確かめてきた。
 アクーニンは「いまモスクワを歩いていると、見るもの、聞くもの、すべてにぞっとさせられる。人々は何も見ようとも、知ろうともしていない」と、今の心境を語った。一方、マカレヴィッチは、コンサートを次々にキャンセルされ、音楽活動がまともにはできなくなってしまった。それに対抗するかのように、彼は9月6日に「私の国は気がおかしくなってしまった」という強烈な歌詞を含む新曲を発表した。
 かつてのソ連時代と違って、政府を批判する知識人がいきなり逮捕されることはないが、それでも「考えを異にする者たち」を許容しない暴力的な言辞が社会に瀰漫(びまん)しているのは恐ろしい。目に見える武力を用いた戦争と並行して、目に見えない内なる戦争が進行しているのだ。
 ロシア文学を愛する者として、私は注意深く事態の推移を見守りながら、新たな「異論派」に熱い連帯の挨拶(あいさつ)を送る。
 悪い政治が国境線を引き直し、人々を分断し、憎悪を煽(あお)りたてるとしたら、優れた文学や芸術は境界を越え、人々を結びつけることができるからだ。
 (東大教授、日本ロシア・東欧研究連絡協議会代表幹事)
    --「ロシア文化人、勇気の異論 ウクライナ紛争の陰で=沼野充義」『朝日新聞』2014年09月23日(火)付。

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[http://digital.asahi.com/articles/DA3S11364371.html?_requesturl=articles%2FDA3S11364371.html&iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11364371:title]


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日記:自明こそ疑え


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昨日の金曜日、後期2回目の「哲学」授業で、いよいよ本格的な導入の授業をすることができました。哲学を学ぶということは、「哲学をする」ことを学ぶ訳ですが、そこで大事になることは、あくまでも先ず「自分で考える」ということ。

そして次に、その自分で考えた事柄が独りよがりなものでないのかどうか自分自身で検討をしたうえで、他者と相互吟味する。そしてその過程で、強い考え方を導き出していく(=それを普遍性への志向といってよいでしょう)ことになりますが、なかなか「どうやれば、自分で考えることができるのですか?」と聞かれることが多い

そこで、敢えて、「自明のこと」「考えるまでもないこと」に改めて注意を払うように促すのですが、その省察を経験してみると、実は「自明のこと」「考えるまでもない」と思っていた、そのことについて実はなあんーにも分かっちゃいないことに気がつきます。

今日のお題は「鉛筆とは何か」。

そんなこと聞かれるまでもないでしょうと思う勿れ。改めて考えるとなかなか難しいものです。まさに「自明こそ疑え」で、それが「自分で考えてみる」ひとつの出発点、その練習になったのではないかと思います。

そういうドクサを引きはがしていくことが「哲学をする」ということなのでしょう。

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覚え書:「千の証言:軍国エリート少年、キリスト教の道究める 手のぬくもり、しみた 賀川豊彦に見いだされ=大木英夫さん」『毎日新聞』2014年09月23日(火)付。


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千の証言:軍国エリート少年、キリスト教の道究める 手のぬくもり、しみた 賀川豊彦に見いだされ
毎日新聞 2014年09月23日 東京朝刊

(写真キャプション)キリスト教に出会った日々を振り返る大木さん=東京都北区の自宅で、山田大輔撮影

 東京陸軍幼年学校の正門前に軍服姿の少年が立つ。「入学直後の14歳の私です。もちろん大将になるつもりでした」。価値観がひっくり返った戦後、葛藤を抱えてさまよう若き軍国エリートはキリスト教と出会い、「一度死んで生まれ変わる転向」を遂げた。【山田大輔】

 大木英夫さん(85)が東京都内の自宅で、「人生の原点」ともいえる写真を前に、葛藤の道のりを語った。戦後、東京神学大学長や聖学院理事長を歴任し、数多くの牧師を育てたキリスト教研究の第一人者だ。
 福島県喜多方市の地主の家に生まれた。10歳のころ兄が上海で戦死し、靖国神社合祀(ごうし)の祭事に母と参列して軍人を志した。名門の会津中学で軍学校志願者の特別クラスに入り、1943年、100倍の難関をくぐって陸軍幼年学校に進んだ。
 自らを「カデット(士官候補生)」と呼ぶ強烈なエリート集団の一日は、朝の宮城遥拝(ようはい)(皇居方向への敬礼)と軍人勅諭暗唱で始まる。中国に遼東半島を返還させられた独仏露三国干渉(1895年)の屈辱を忘れぬようにと、半島をかたどる赤いV字を軍服の袖口に縫い込んでいた。
 選良意識に会津の義を重んじる精神も加わり、帰省の列車の中も直立不動を通す軍人精神の徹底ぶりだった。
 入学時、日本の勢力圏はほぼ最大で、「まさか負けるとは思っていなかった」。しかし戦況は徐々に悪化。44年夏に学校ごと八王子へ疎開した。45年3月の東京大空襲では、遠く下町で巨大な火炎が上がるのを見て戦局の異変を感じた。
 8月15日の敗戦を受け入れるのは難しかった。玉砕せよ、という教えを幼い頭に刻みつけてきた教師に「軍服を脱ぎ新しい生活を」と言われた。16歳の最上級生で谷底へ突き落とされ、「なぜ生き延びるのか」と苦しんだ。
 帰郷していた晩秋、キリスト教社会運動家・賀川豊彦(1888~1960年)の伝道集会をふらりとのぞいた。戦前から貧民救済に奔走し、戦後ノーベル文学賞候補となった賀川はこの時期、各地で集会を開いていた。もう誰も振り向かない幼年学校の軍服を着ていたのが目に留まり、前に出るよう言われた。全てを察したかのように彼は混乱する自分の頭に手をのせ、祈りを唱えた。「暗い帰り道、不思議な温かい気持ちに包まれた」と振り返る。
 翌年、賀川に身元保証人を頼み東京文理科大(のちの筑波大)に進学。家族を養うため郷里で教員になろうと考えつつ哲学書を読みあさり、教会に出入りした。幼年学校の仲間たちには、信仰を批判された。
 「ふらふらするな。全身をささげよ」。ある日、教会で師事していた神学者から一喝された。「兵隊学校出なので、一喝されるとぐずぐず言わず従う」と冗談めかして回顧するが、この時、古い自分が死に、新しく生き直す「回心」にたどり着き、初めて落ち着きどころを得たという。
 今年8月15日、自宅を訪ねた記者に大木さんは言った。「この日が来るたびに胸中は穏やかでなくなる。和魂洋才で進んできた大和魂はあの日壊滅した。それに代わる新しい魂は戦後社会にない」。近年の東アジア外交を念頭に「無条件降伏を『終戦』と言い逃れ、首相も含めた『戦争を知らない子供たち』が世界のひんしゅくを買っている」と批判した。
 未熟な少年を特別扱いした幼年学校は「誇り高く、かつ悲劇的な思い出」と語る。「軍国少年がキリスト教の何にひかれたのか」。改めて問う記者に笑みをたたえて言った。「いい質問だが、答えるには時間がかかるよ」

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 ■ことば
 ◇陸軍幼年学校
 幼少時から「将校の卵」を育てる全寮制の教育機関。欧州の制度を模範に設置され、改廃を経て敗戦時に大阪や熊本など6校があった。13~14歳で入学して3年間学び、士官学校へ進学した。特に陸軍の教育機関が集中する戸山ケ原(今の新宿区)にあった東京陸軍幼年学校は重要校で、敗戦で自決した阿南惟幾(あなみ・これちか)陸相=広島幼年学校卒=も校長を務めた。
    --「千の証言:軍国エリート少年、キリスト教の道究める 手のぬくもり、しみた 賀川豊彦に見いだされ=大木英夫さん」『毎日新聞』2014年09月23日(火)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140923ddm041040190000c.html:title]


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催しのご案内:企画展「吉野作造と賀川豊彦―貧しき者、弱き者のために」(吉野作造記念館)


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企画展「吉野作造と賀川豊彦―貧しき者、弱き者のために」

ともにキリスト教者だった吉野作造と賀川豊彦は、当時の未熟な資本主義社会の中で
困窮する人々を助けるため、様々な社会事業に取り組みました。日本のセツルメント
活動の草分け的存在となった2人の事跡から、大正デモクラシーの中に芽生えた相互
扶助の心を紹介します。

●企画展
 期間 10月12日(日)~12月28日(日)
 料金 大人・個人500円(常設展見学可能)

●オープニングシンポジウム
 日 時 10月12日(日)14時~16時
 テーマ 「吉野作造と賀川豊彦―貧しき者、弱き者のために―」
 パネリスト
 金井新二氏(賀川豊彦記念松沢資料館館長、東京大学名誉教授)
 大川真(当館 館長)
 コメンテーター・司会
 森田明彦氏(尚絅学院大学教授)
 料金 大人・個人500円(企画展・常設展見学可能)
 会場 吉野作造記念館 研修室
 申込み お電話にてお申込み下さい(電話0229-23-7100) 

百年前の日本-吉野作造を取り巻く時代背景
  東日本大震災復興支援 吉野作造記念館講演会
◎講演会
 日時 平成26年10月19日(日)午後1時30分~3時
 講師 原 武史 氏(明治学院大学教授、清泉幽茗流清泉会理事長)
 会場 吉野作造記念館 研修室
 定員 70名
 料金 無料(常設展・企画展見学は有料)

◎文人茶席 ※講演会終了後、祥雲閣にて茶席がございます。
 時間 午後3時30分~5時
 内容 清泉幽茗流(家元 古川純佳)宮城支部による文人茶席
 会場 祥雲閣
 料金 無料

主催 清泉幽茗流清泉会宮城支部
共催 吉野作造記念館指定管理者NPO法人古川学人
後援 大崎市・大崎市教育委員会・大崎市文化協会
    朝日新聞仙台総局・河北新報社・大崎タイムス社

[http://www.yoshinosakuzou.jp/:title]


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覚え書:「暮らしの明日 私の社会保障論 ドイツモデルの頑固さ=宮武剛」、『毎日新聞』2014年09月17日(水)付。


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暮らしの明日
私の社会保障論
ドイツモデルの頑固さ
介護保険・本体に公費入れず

宮武剛 目白大大学院客員教授

 この夏、ドイツの介護保険の現状を見聞きする機会を得た。
 日本の介護保険制度(2000年度施行)は、その先行例(1995年施行)を参考に出発しただけに共通の課題が目立つ。
 ドイツ型の特徴をおさらいすると、日本の健康保険組合に似た「疾病金庫」が医療と共に介護保険も運営する(日本は市町村)。被保険者に年齢制限はなく、高所得者らは民間の介護保険にも加入できる(日本は40歳以上で強制加入)。
 財源は保険料で賄い、利用者負担はない(日本は保険料と公費の折半。利用者は1割負担)。保険料は収入の2・05パーセントで被用者は労使折半、自営業者は全額負担、年金生活者は年金制度で半額負担(日本では勤め人で平均1・5%前後を労使折半、65歳以上は月額5000円)。
 興味深いのは子のない23歳以上は2・3%とやや高いこと。将来の担い手がいない場合は割高にするドイツ流の公平さだ。
 給付面では日本の要介護3程度でようやく対象になり、上限額もサービスで月約6・3万円相当、現金で同3・3万円(1ユーロ140円で換算)。個々人がどちらかを選び、現金なら大幅減額される。日本ではサービス給付のみで、要介護3は在宅約26・9万円相当だから、ドイツの給付水準は極めて低い。
 近年、ドイツ型は改良を余儀なくされている。最大の問題は認知症対策に欠けたこと。要介護認定は身体介護に必要な時間から認知症を含む介護の必要度へ切り替えられつつある。
 給付面でも再軽度の「要介護ゼロ」を設け、主に認知症に対しサービス約3・2万円、現金なら約1・7万円が給付される。要介護3以上も認知症には一定の上乗せ給付を認めた。
 きめ細かなサービス提供を量るケアマネジメントの導入、介護相談所の新設など、むしろ日本から学んだといわれる改善策も試行錯誤の最中だった。
 ケルン市などで新たな「住居共同体」を見学した。要介護者10人未満が個室に入り、食堂や居間を共有。月2・8万円が上乗せ給付され、居住者たちはホームヘルパーや看護師らを共同で頼み、費用の分担もできる。日本で整備中の「サービス付き高齢者住宅」に近い。ただし介護保険の給付水準は低く、家賃や生活費で最低月8万円前後、数十万円かかる例もあった。そのため居住者の多くは社会扶助(生活保護)で不十分を補う。
 ドイツ型は、家族らの介護を支える「部分保険」と言われる。1人暮らしや老夫婦の増加は設計変更を迫り、給付の低さに批判も絶えないが、保険料引き上げの範囲で慎重に給付を広げ、保険財政は黒字を保つ。
 制度本体への公費を投入しない「社会保険の母国」の頑固さは、やはり見識ではある。
要介護度と支給限度額 日本は要支援1(サービス給付月約5万円)から要介護5(同36万円)まで7段階。ドイツでは要介護ゼロから最重度(現金月約9・8万円、サービス同21・7万円)まで4段階。全体の約半数は現金を選ぶ(別に一部現金・一部サービスも可)。
    --「暮らしの明日 私の社会保障論 ドイツモデルの頑固さ=宮武剛」、『毎日新聞』2014年09月17日(水)付。     

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日記:「ばらばら」に「関わっていく」柔軟な対応


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毎月1度の有志と集まって勉強会をしておりますが、先週は、M・フーコーの『監獄の誕生』が教材でした。

フーコーが指摘した、規律権力の問題、そして「(内面化される知こそ権力」(まともな人間ほど権力の走狗)は、従来の二元論的権力論を一新しました。

初めて読んだ時の魂を鷲づかみにされるた強烈な印象は忘れがたいものがります。

90年代後半から2000年代にかけてでしょうか。フーコーは一種のブームの如く、「盛り上がり」ましたが、蓋を開けてみると、「消費」という感。重田園江さんも『ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む 』(ちくま新書)で少しそのことに言及されていたことを記憶しています。

流行の消費@鶴見俊輔はフーコーに限られませんが、時代を画する「知は力なり」の両義性はどこ吹く風で、「無智は力なり」という現代日本。色々理由はあるのでしょうが、フーコーの生きた世界と違って、この国には、前段階としての(超克されるべき)確固とした権力批判の系譜がなかったのもその一因ではないかと考えております。

西洋中心主義と「抗い」としてのマルキシズムの呪縛の重力から逃れることのできなかったサルトルは、そのことをレヴィ=ストロースによって裸の王様であることが白日の下にさらされましたが、フーコーもサルトルとは対極に位置します。しかし、監獄改善運動では同伴するから、そういう柔軟さも大事になってくるように思われます。

最近、思うのは、「運動」(=投票含む)「だけ」で解決するのではなくて、ばらばらにかかわっていくなかで、それが形になり、きがつけば大きく状況がかわるということがあり得るのではないかということ。

根源的には生-権力の自覚が必須でしょうが、アプローチはその都度でいいのではないかみたいな。

全てに一貫した政治的筋道をつけて、「真面目に」生きていくなんて不可能だけれども(そう生きようとすることは別にいいのだけど、先鋭化は人間毀損を必然スルから)、大枠では収斂するとこはあるから、そういう、いわば「ばらばら」に「関わっていく」柔軟な対応つうのもありだよなあ、と。

所謂「党派的運動」が無駄でやめろという二元論ではないですよ。

オプションを豊富に備えてパルチザンという話です。

勿論、党派的運動はイエスかノーの査問的分断になるので相対化する必要はあるけど(皮肉にも実現力のアドバンテージはあるけど)、それだけでない「関わり」をつくっていくことは今後の課題でしょう。

「こんな時代いやや」っていう感覚を可視化させて圧迫していけばいいという「一般意志2.0」が結局のところ、デジタルデバイド宜しく、「こんな時代いやや」とせしめる連中を大きくする方向へ機能しているから、その対抗言論含めて新しいオプションと繋がりの可能性をつぶしていきたくはない。


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覚え書:「発信箱:米倉斉加年さん=落合博(論説委員)」、『毎日新聞』2014年09月18日(木)付。

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発信箱:米倉斉加年さん=落合博(論説委員)
毎日新聞 2014年09月18日

 「グラバーの息子」は英国人の父と日本人の母を持ち、長崎で生まれ育った倉場富三郎(英名トーマス・アルバート・グラバー)の生涯を描いた演劇作品で、米倉斉加年(よねくら・まさかね)さんが富三郎役のほか演出も担当した。

 太平洋戦争中は軍部に監視され、スパイの疑いをかけられながら日本人として生きた富三郎は敗戦後は父の国を裏切った罪、母の国と古里を原爆で地獄に落とした罪にさいなまれた。そして、1945年8月26日、自ら命を絶った。

 米倉さんと親交があり、泣きながら舞台を見たという東京生まれの在日3世、辛淑玉(シン・スゴ)さんは「ディアスポラ(離散)の葛藤を見事に描いた作品だった」と評した。英国と日本という二つの国に引き裂かれた富三郎の姿は日本と韓国・朝鮮のはざまで生きる在日の姿とも重なり合うのだ。

 米倉さんは初めて主役を務めた木下順二作のテレビドラマ「口笛が冬の空に…」(61年、NHK)で、韓国人の少年を演じた。後年、日本経済新聞の連載「青春の道標」で「その後の韓国、朝鮮との関わりを考えると、何か不思議なめぐりあわせであった」と振り返っている。

 と言うのも、米倉さんは80年代、朝鮮の民族衣装を着てテレビCMに出演した。いじめられて帰ってきた子どもが「お父さん、うちは朝鮮人なの?」と尋ねると、米倉さんは悠然として「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?と言っておけ」と答えたという。辛さんからこのエピソードを聞いて胸を突かれた思いがした。

 否定は差別につながる。人種や民族は選べない。生まれた土地が古里なのだ。国を超えた生き方を貫いて米倉さんは亡くなった。
    --「発信箱:米倉斉加年さん=落合博(論説委員)」、『毎日新聞』2014年09月18日(木)付。

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[http://mainichi.jp/opinion/news/20140918k0000m070146000c.html:title]

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覚え書:「声:時の権力への批判を緩めるな」『朝日新聞』2014年09月14日(日)付。

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時の権力への批判を緩めるな
大学名誉教授 山田明(愛知県 65)

 やはり遅きに失した「記事取り消し謝罪」である。長年にわたる読者として残念でならないが、朝日新聞の「9・11」として、徹底した問題点の点検と検証を求めたい。とりわけ幹部社員がもっと危機意識を持つことだ。新聞社としての「リスク管理」「人事政策」の見直しが求められる。
 今いちばん心配なのは、現場の記者をはじめとして、朝日新聞が萎縮してしまうことだ。多方面から「朝日バッシング」が激しさを増す中で、事実を正確に伝え、権力を監視する新聞の原点を忘れないでもらいたい。「吉田調書」にみられる制御できない原発の恐ろしさを、「慰安婦問題」での女性の人権を踏みにじった歴史的事実を、今後もきちんと報道してほしい。朝日らなではの、鋭い記事を読者としては期待する。
 わが国は「戦争する国」に向けた危険が動きが加速している。だからこそ、朝日新聞への期待も大きいものがある。「時の権力」への批判を緩めないでもらいたい。
 もう一度だけ。「朝日新聞、しっかりしろ」と言いたい。
    --「声:時の権力への批判を緩めるな」『朝日新聞』2014年09月14日(日)付。

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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:原発情報隠し懸念--サイエンスライター・田中三彦さん」、『毎日新聞』2014年09月15日(月)付。

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特定秘密保護法に言いたい:原発情報隠し懸念--サイエンスライター・田中三彦さん
毎日新聞 2014年09月15日 東京朝刊


 ◇田中三彦さん(71)

 1990年代、東北電力女川原発の建設差し止めなど原発関係の住民訴訟に原告側証人として関わった。電力会社に資料請求してもなかなか出ず、公開されても黒塗りされることが多かった。

 今も昔も、電力会社側は非公開の主な理由として、核防護やテロ防止、知的所有権保護などを挙げる。確かに核物質を管理する上で、ある程度のことが秘密になるのはやむを得ない。しかし、訴訟に限らず安全対策についても、秘密の壁のためにまともな議論がしにくかった。電力会社が「テロ防止のため」と言えば通用したからだ。

 福島第1原発事故後の東京電力の対応もそうだった。2011年夏、衆院の特別委員会が、事故原因究明のため事故時の運転操作手順書の開示を求めたが、東電は大半を黒塗りにして開示した。

 当時の経済産業相の命令で、原子力安全・保安院がほとんど黒塗りのない手順書を公開したことで、ようやく今回実際に起こった全電源喪失事象が想定されていないなど、手順書の不備が判明した。公開されても核防護上の悪影響や知的所有権の侵害は起こらず、東電の対応が明らかに過剰だったことが分かった。国の対応にも過剰反応があったのではないか。

 特定秘密保護法は「テロの防止」に関する情報を秘密に指定できるが、その範囲にあいまいさが残る。どこまでを秘密にすべきかの線引きは難しいが、後付けの拡大解釈で原発に関する情報が特定秘密にされることを危惧している。【聞き手・奥山智己】

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 ■人物略歴

 ◇たなか・みつひこ

 1943年生まれ。「バブコック日立」に入社し、福島第1原発4号機の原子炉圧力容器設計に携わる。原発事故の国会事故調委員を務めた。
    --「特定秘密保護法に言いたい:原発情報隠し懸念--サイエンスライター・田中三彦さん」、『毎日新聞』2014年09月15日(月)付。

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特定秘密保護法:基準修正 公募意見の懸念、正面から答えず
毎日新聞 2014年09月15日 東京朝刊

(写真キャプション)政府が特定秘密保護法の統一基準案を提出した第3回の情報保全諮問会議。会議に臨んで一礼する安倍晋三首相(右手前から3人目)と渡辺恒雄座長(左同)ら=首相官邸で2014年9月10日、藤井太郎撮影

 国民の意見に基づく修正は細かい範囲にとどまった。政府は10日、特定秘密保護法の運用基準案を修正し、有識者会議「情報保全諮問会議」に提出した。政府は先月下旬まで実施した意見公募(パブリックコメント)を受けて27カ所を修正したが、(1)チェック機関(2)内部通報(3)恣意(しい)的な秘密文書廃棄の恐れ--といった主要な論点については修正がなかった。基準案は省庁間の調整を経て、10月上旬をめどに閣議決定される予定だ。【青島顕】


 ◇チェック機関


 政府は特定秘密の指定が適正か検証する「独立公文書管理監」を審議官級の官僚から任命し、事務局の「情報保全監察室」を内閣府に置く。

 きちんとチェックができるのかが制度運営上の焦点の一つになっている。

 パブコメでは、独立性を確保するために、管理監や監察室員を出向で配置するのを禁止すべきだという意見や、管理監などからの文書提出要求を拒否する権限を省庁に与えず、すべての特定秘密をチェックできるようにすべきだとする意見が寄せられた。

 しかし政府は基準案の修正をせず、「人事配置は今後の検討課題」とした。文書提出要請についても「相当な理由なく拒むことはできない」と以前からの説明を繰り返すにとどまった。

 ◇内部通報

 基準案では特定秘密保護法に明記されなかった内部通報制度の導入が明文化された。違法な特定秘密の指定や意図的な情報隠しを防ぐ効果のある制度になるかが焦点だ。

 パブコメでは、通報に際しては情報を要約するという規定を改めることを求める意見や、通報者への報復人事を防ぐ対策を定めるよう求める意見が届いた。

 しかし、政府は「要約して通報するなどし、特定秘密を漏らしてはならない」と答え、通報を積極的に機能させることよりも、秘密を漏らさないことを重視する姿勢を示した。報復防止策についても「一律に規定するのは困難」とした。

 ◇秘密指定

 秘密指定を役所が恣意的に行い、情報隠しが起きないようにすることもポイントの一つだ。パブコメでは「指定による不当な利益を禁じる規定が必要だ」とする意見が出た。政府は「そもそも『特に秘匿が必要』でなければ指定の要件を欠く」として、正面から答えることを避けた。

 また、文書が勝手に捨てられないことを制度上担保する必要性も指摘されている。基準案では秘密の指定期間が30年を超えるものについては秘密でなくなった段階ですべてを国立公文書館に移管するように規定した。

 これについてパブコメでは「30年以下の特定秘密文書も公文書館に移管すべきだ」という意見があったが、政府は「(秘密でなくなった後も保存をすべき)歴史公文書に該当しないものを廃棄するときは、首相の同意を得る」と答え、公文書管理法に基づいて、特別扱いはしないとした。

    ◇

 基準案や政令は各省庁の調整を経て10月上旬ごろ閣議決定。特定秘密保護法は12月上旬ごろ施行される。施行後は、政府が有識者会議「情報保全諮問会議」と衆参両院の「情報監視審査会」に年1回、運用状況を報告する。

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 ◇運用基準案の主な修正点

・「基本的な考え方」に、国民の知る権利の尊重について記述

・特定秘密を緊急廃棄した時は、理由を記載した書面を作って、閣僚らに報告

・適性評価の苦情処理の結果を通知する際は、判断の根拠を具体的に説明

・チェック機関の独立公文書管理監が閣僚らに特定秘密の指定について是正を求めた時は、各省の事務次官で構成する内閣保全監視委員会にも内容を通知

・運用基準は、特定秘密保護法の施行後5年を経過した場合に見直し、内容を公表
    --「特定秘密保護法:基準修正 公募意見の懸念、正面から答えず」、『毎日新聞』2014年09月15日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140915ddm004010050000c.html:title]

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病院日記:「見守り」ということ

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4月に神経内科から精神科へ移動して、多くなったのが「見守り」という仕事です。

要は患者さんが、誤って転倒したりしないように、食事中なんかも見守る訳です。パターナリズムの「悪性」は承知しておりますが、それでもそれを「巨悪」を見つけたが如くに全否定しようとは思わないけど、やはり見守る「眼差し」には、ある種の権力性…例えばそれは「警官」の眼差し…が潜在することには気がつき、驚いています。

現実に、四股不自由な方が誤って転倒することを未然に防ぐことには吝かではありません。

しかしその延長線上に「警ら」の眼差しが存在する訳ですよね。

だから全否定しろとっいていも、現実の日常生活の遂行において「どうすんの?」って話になるから「敬遠」するほかありません。

言い換えれば、パターナリズムを行使しつつも常にその自分の立ち位置への「自覚」が必要で、その翠点が喪失され、何ら反省のない「業務」になると終わりだよな、という話です。

( なので、「見守り」の時は腕組みだけは絶対にしない。 )


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覚え書:「みんなの広場 国民馴致策でないといえるか」、『毎日新聞』2014年09月15日(月)付。

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みんなの広場
国民馴致策でないといえるか
無職 46(福島県小野町)

 地元議会を傍聴して驚いた。「女性消防隊」「少年消防隊」なるものの計画があるという。自発意思の体裁を取るが、行政区ごとに人数割りがあり、実質的強制だ。
 この田舎町が単独で発案可能な施策ではない。国からの方向付け、つまりは安倍晋三首相の唱える「女性の活用」の延長線上にあるのだろう。しかし、答弁で繰り返された「女性ならではの○○」という論法は疑問だ。消防活動に必要不可欠かつ合理的な「女性ならでは」の視点や行動など果たしてあるだろうか。
 議場を見渡すと、傍聴席を含めてすべて男性。演壇の水差しを交換する事務員のみ女性であることが非常に象徴的だ。行政の長も自身がジェンダーの問題意識を欠いた答弁をしていることに自覚的ですらない。
 既存の消防団への組み入れでないところに、かつての女子挺身隊や少国民、国家総動員法を連想させられる。集団的自衛権の行使による戦時体制に向けた国民馴致策の一環でないことを願う。
    --「みんなの広場 国民馴致策でないといえるか」、『毎日新聞』2014年09月15日(月)付。

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フーコー・コレクション〈4〉権力・監禁 (ちくま学芸文庫)
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日記:集団的自衛権が公使されるということは、このオーストラリアのように、戦争に巻き込まれる「可能性」を意味する


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豪、国軍600人を派遣へ 「イスラム国」攻撃準備
スバ(フィジー首都)=郷富佐子

 オーストラリアのアボット首相は14日、イラクやシリアで勢力を広げる過激派組織「イスラム国」への攻撃を準備するため、豪国軍から計600人の人員や戦闘機などをアラブ首長国連邦(UAE)へ派遣すると発表した。

 イスラム国の掃討に向けて、協力を求める米国からの要請を受けた。シリアへの空爆も準備する米国が欧州各国などと進める「有志連合」づくりで、具体的な動きが出始めた。

 アボット氏は、対象となるのはイラクでの作戦で、「現時点ではシリアは含まれない」と述べた。

 派遣する人員は空軍から400人、空軍以外から200人で「戦闘部隊の展開ではなく、人道の危機が深まるのを防止するための国際的な努力への貢献だ」とし、具体的な任務については、はっきりと説明しなかった。豪州はこれまで、イラクのクルド系住民に対する援助物資の投下などで米国に協力してきた。

 一方で、「もし、戦闘活動へ拡大した場合、何週間ではなく何カ月にも及ぶだろうと豪州国民に警告しなければならない」とも発言。今後、豪州が軍事作戦に直接参加する可能性も否定しなかった。

 アボット首相は12日、豪州国内で4段階で設定しているテロ警戒レベルを、上から2番目に高く「攻撃の可能性がある」を意味する「高」へ引き上げたと発表した。政府は豪州からイスラム国に直接参加する者は約60人、支援する者が約100人いるとみており、テロの心配が出ている。(スバ(フィジー首都)=郷富佐子)
    --「「豪、国軍600人を派遣へ 『イスラム国』攻撃準備」『朝日新聞』2014年09月15日(月)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASG9G54RKG9GUHBI013.html:title]


オーストラリアが、イスラム国制圧に向けて、「有志連合」の一員として軍隊を派遣する報道を目の前にして、くらくらしている。

アボット首相は、「戦闘部隊の展開ではなく、人道の危機が深まるのを防止するため」というが、軍事作戦参加の可能性も否定せず。

「もし、先頭活動へ拡大した場合、何週間ではなく何カ月にも及ぶだろうと豪州国民に警戒しなければならない」。

集団的自衛権が公使されるということは、このオーストラリアのように、戦争に巻き込まれる「可能性」を意味する訳ですよね。

このオーストラリアの現在を、メルボルン大客員研究員のD・パーマー氏は、オーストラリアと同様に、「日本も米国の属国となり、米国から独立した外交政策が取れなくなる恐れがある」と指摘している。
[http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20140729/p1:title]

集団的自衛権の公使に容認の立場の方や、秘密保護法に賛成の方々というのは、ことあるごとに、戦後日本の歩みをぶちこわすことで、「真の独立」「真の自主」が可能となると声高に叫びます。しかし、合衆国の手先となって軍事行動を世界で展開することのどこに「独立自主」があるのでしょうか。

雰囲気や勢いに騙されてはいけません。彼らは、戦後日本の良質な理想を守ろうとする人々のことを「臆病」と揶揄しますが、武器を手にすることで問題を解決しようとする姿こそ「臆病」でしょう。その反転を見極めなければなりませんよ。

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覚え書:「みんなの広場 政府の慰安婦対応は日本の恥」、『毎日新聞』2014年09月14日(日)付。

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みんなの広場
政府の慰安婦対応は日本の恥
無職 72(東京都小平市)

 菅義偉官房長官は、国連人権委員会が従軍慰安婦に関して謝罪と賠償を勧告した報告書に対し「国際社会で誤解が生じている。政府の立場と取り組みをこれまで以上に説明してきたい」と述べたそうだ。
 日本軍国主義の犠牲にされた被害者が現在もその痛手に苦しみ、それを訴えている事実を菅氏をはじめ政府を代表する人々はどう考えているのだろうか。
 吉田清治氏の証言が虚偽であっても、起きた事実は否定しえない。被害者は韓国だけでなく中国、フィリピン、オランダにさえいる。この事実をなぜ素直に認め、謝罪して、世界に再び同じことが起きないように努力すると言わないのか、私には全く理解できない。
 今の政府の対応は被害者にさらにむち打つものにすらなりかねないし、さらに世界に恥をさらすだけだろう。
 それだけでなく、日本政府がかつての軍国主義を正当化しようとしているという印象さえ世界に与えかねないと私は危惧する。
    --「みんなの広場 政府の慰安婦対応は日本の恥」、『毎日新聞』2014年09月14日(日)付。

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覚え書:「物語、『他者に成る』力与えてくれる アンデルセン賞・上橋さん、式典で語る」、『朝日新聞』2014年09月12日(金)付。

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物語、「他者に成る」力与えてくれる アンデルセン賞・上橋さん、式典で語る


(写真キャプション)授賞式であいさつする作家の上橋菜穂子さん=メキシコ市
 「児童文学のノーベル賞」と言われる国際アンデルセン賞の授賞式が10日、メキシコ市であり、同賞の作家賞を受けた上橋菜穂子さん(52)に、メダルと賞状が贈られた。作家賞を受賞した日本人は、1994年のまど・みちおさん以来、2人目。上橋さんは「獣の奏者」や「精霊の守り人」シリーズなどのファンタジーで知られる作家で、作品は各国で翻訳されている。

 選考では、作品に込められた自然への慈しみや、異なる価値観への包容力などが高く評価された。式典であいさつした上橋さんは「物語は『他者に成る』力を与えてくれる」とし、違う文化や環境にある主人公の人生を生きる機会を与えてくれると説明。「私たちは想像する力を持っているからこそ、この世に生きる多くの他者とともに、なんとかかんとか歩んでいく道を探せるのかもしれません」と想像力の重要性を強調した。

 最後に「他者の気持ちに寄り添って歩み、読み終えた時は読み始めた時とは少し違う場所に立っている。そういう物語を書きたいという思いを胸に、これからも書き続けていきます」と締めくくった。(メキシコ=伊藤舞虹)
    --「物語、『他者に成る』力与えてくれる アンデルセン賞・上橋さん、式典で語る」、『朝日新聞』2014年09月12日(金)付。

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[http://digital.asahi.com/articles/DA3S11346581.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11346581:title]


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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 ようやく半歩踏み出した 子供の貧困対策大綱=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年09月10日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障論
ようやく半歩踏み出した
子供の貧困対策大綱
湯浅誠 社会活動家

 「すべての子供たちが夢と希望を持って成長していける社会の実現」--いい言葉だ。
 子供たちは日本の将来を担う一番の宝だから、子供の貧困対策は、貧困の連鎖を断つだけでなく、将来を支える積極的な人材育成と位置付けられる必要がある。そのために、子供の生活や成長を権利として保障する観点から、その実態に即して、養育・保育・教育・福祉と切れ目のない支援を実施する必要がある。--まさにその通り。
 これを、大規模災害の遺児・孤児、生活保護家庭や児童養護施設の子供などを含め、一人残らずおこなう。--「すべて」とはそういうことだ。
 立派な文章だ。8月29日に閣議決定された政府の「子供の貧困対策大綱」の内容である。ただ、貧困率削減の数値目標設定は見送られた。文章は立派だが、その実行には自信を持ち切れなかったのだろう。ひとり親世帯に支給される児童扶養手当の増額度、ある程度の財源を必要とする経済的支援が見送られたことが大きい。規制改革や教育改革で「実行」を重視してきた安倍晋三首相にとって、そこまでの課題ではないということか。
 しかし、スクールソーシャルワーカー(SSW)の3倍増など、子供の貧困対策法が弾みになったと思われる施策もある。これで小中学生約1万人に1人の配置だったSSWが3人になる。ため息の出るような割合だが、ついこの前まで「貧困などない」と言っていた国の話である。現実を直視するしかない。
 また今回の大綱では、学校を「子供の貧困対策のプラットフォーム」と位置づけた。婦ラットふぉ^むと派学校を、子供に関するさまざまな支援機関が額を寄せて話し会う「場」にするという意味だろう。これまで子供の貧困問題に必ずしも積極的とは言えなかった文部科学省が一歩踏み込む覚悟を宣言したものとして歓迎したい。
 もちろん、さまざまな支援機関が出入りすれば学校教員の調整コストは増える。経済協力開発機構(OECD)加盟国で最長の教員労働時間を見直していく必要性はますます高まる。
 ようやく半歩踏み出した。率直にはそういう印象だ。今後の課題は多い。大綱は、おおむね5年ごとの見直し検討をうたう。しかし、過去最悪を記録した子供の貧困率の自戒発表は3年後だ。4Kテレビ放送など、力のこもっている案件はしばしば前倒し実施される。事は「我が国の将来を支える積極的な人材育成」(大綱)に関わる。「実行実現内閣」の実行実現力に期待したい。
子供の貧困率 平均的な年収の半分を下回る所得で暮らす18歳未満の子供の割合を指し、厚生労働省が3年に1度公表する。2012年は16・3%で、前回調査(09年)より0・6ポイント悪化した。これは、先進国が多いOECD加盟国(34カ国)で9番目に高い数字で、深刻なデフレに伴い子育て世帯の所得が減ったことが原因と見られる。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 ようやく半歩踏み出した 子供の貧困対策大綱=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年09月10日(水)付。

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子供の貧困対策に関する大綱について
[http://www8.cao.go.jp/kodomonohinkon/pdf/taikou.pdf:title]

第3節 子どもの貧困(平成25年度版 子ども・若者白書)
[http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h25honpen/b1_03_03.html:title]

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日記:高市も稲田もへたれやの。従軍慰安婦は存在しなかったとアジア諸国には居丈高に振る舞い、欧米に対しては平身低頭。ナチス好きなんなら好きやといえばよろしかろう。


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米ユダヤ系団体:高市氏ら写真、対応に不満表明
毎日新聞 2014年09月11日 東京朝刊

 【ワシントン和田浩明】高市早苗総務相ら自民党の国会議員3人がナチス・ドイツへの共鳴をうたう極右団体の男性代表と撮影した写真が、団体のホームページに掲載されていたことについて、米ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部ロサンゼルス)のエイブラハム・クーパー副所長は9日、「(写真を見て)首をかしげざるを得ない。こうしたことが起きないよう責任を持って対処する人はいないのか」と強い不満を表明した。

 団体は「国家社会主義日本労働者党」で、ホームページにナチス・ドイツの「かぎ十字」や外国人流入阻止などの主張を掲載。議員の事務所はいずれも「思想は知らなかった」などと説明している。

 だが、クーパー副所長は毎日新聞の取材に対し「(団体の思想について)明確な批判をすべきだ」と述べた。
    --「米ユダヤ系団体:高市氏ら写真、対応に不満表明」、『毎日新聞』2014年09月11日(水)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140911ddm007010106000c.html:title]


ガーディアンの報道はこれ


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Neo-Nazi photos pose headache for Shinzo Abe
Two newly promoted political allies of Japanese PM shown smiling alongside far-right figure Kazunari Yamada

The Guardian, Tuesday 9 September 2014 05.18 BST

Barely a week after Japan’s prime minister, Shinzo Abe, overhauled his administration amid flagging popularity, two of his senior colleagues have been forced to distance themselves from rightwing extremism after photographs emerged of them posing with the country’s leading neo-Nazi.

Sanae Takaichi, the internal affairs minister, was among a record-equalling five women selected by Abe as he attempts to make his cabinet more female voter-friendly and to increase women’s presence in the workplace.

Takaichi, an Abe ally on the right of the governing Liberal Democratic party (LDP), was pictured posing alongside Kazunari Yamada, the 52-year-old leader of the National Socialist Japanese Workers party, on the neo-Nazi party’s website.

A smiling Takaichi and Yamada appear together standing in front of a Japanese flag.

Yamada has voiced praise for Adolf Hitler and the September 2001 terrorist attacks on the World Trade Centre. In a YouTube video Yamada’s supporters are seen wearing swastika armbands, while he denies the Holocaust took place and criticises postwar Germany’s ban on the Nazi salute, accusing the country of being “no different from North Korea”.

Takaichi met Yamada “for talks” at her office in the summer of 2011, according to her office. Confirming the photographs were genuine, a spokesman for Takaichi claimed her office had been unaware of Yamada’s extremist views at the time.

“[He] was an assistant to an interviewer and was taking notes and photos,” a member of Takaichi’s staff told AFP. “We had no idea who he was back then but he requested a snap shot with her. [She] wouldn’t have refused such requests.”

Media coverage prompted her office to request that the photographs be removed but by then they had already been widely circulated on social media.

“It was careless of us,” the staff member said, adding that Takaichi did not share Yamada’s views “at all … it is a nuisance”.

A second photograph shows Yamada standing alongside Tomomi Inada, another close Abe ally who was given the powerful job of LDP policy chief. Inada’s office was quick to distance the MP from Yamada, whose website celebrates the “samurai spirit” and proclaims that the “sun shall rise again”, saying it would be disappointed if the photograph led people to “misunderstand what she does”.

While there is no evidence that either politician shares Yamada’s neo-Nazi ideology their appointment has fuelled accusations that Abe is taking his administration even further to the right.

Takaichi and Inada have both visited Yasukuni shrine, which honours Japan’s war dead, including 14 class-A war criminals; last week, Takaichi said she would visit Yasukuni again, this time in her role as minister. “I’ve been visiting Yasukuni as one Japanese individual, to offer my sincere appreciation to the spirits of war dead,” she told reporters. “I intend to continue offering my sincere appreciation as an individual Japanese.”

China and South Korea view politicians’ pilgrimages to the shrine as evidence that Japan has yet to atone for atrocities committed on the Asian mainland before and during the second world war.

[http://www.theguardian.com/world/2014/sep/09/neo-nazi-photos-pose-headache-for-shinzo-abe:title]

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高市早苗総務相や稲田朋美政調会長が日本版ネオナチの人物と一緒に写真を撮影したことが全世界に拡散されてしまい、二人はその人物の「素性」を知らなかったと弁解している。しかし、議員会館に氏素性の知らない人間を通してしまったりするのであろうか?


二人の弁明は次の通り。

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極右代表と撮影、高市総務相のコメント全文「どんな人物か不明だった」
産経新聞 9月10日(水)17時13分配信
 高市早苗総務相が、極右団体代表の男性と写真撮影をしたとの報道に関し、10日に出したコメントは次の通り。

    ◇

 1、男性(※コメントでは男性の姓)とは会談どころかほとんど会話をしておりません。男性は、3年以上前だと思うが、雑誌のインタビュアーの補佐(メモを取る程度の係)として議員会館に来訪されたそうです。そのインタビューが終わった後、男性が「一緒に写真を撮りたい」とおっしゃったので、ツーショットで撮影しました。もちろんその時点では彼がそのような人物とは全く聞いておりませんでした。

 1、上記の通り、撮影時に彼がどういった人物であるか不明でした。出版社に確認したところ、彼はもともとフリーのライターをやっていたようで、たまたまインタビューの時に同行されたようです。その後、出版社と彼との契約はないようです。なお、出版社も彼がそのような思想であったことは知らなかったようです。

 1、男性との付き合いは以前も以後も全くありません。出版社がスタッフとして連れてきた方がツーショットを撮りたいとのことで、それに応じただけです。こちらとしては出版社を通じて、男性に写真の削除を依頼しております。

 2014年9月10日 高市早苗事務所
[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140910-00000553-san-pol:title]

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 自民党の稲田朋美政調会長が、極右団体代表の男性と写真撮影をしたとの報道に関し、10日に出したコメントは次の通り。

    ◇

 平成26年9月10日 各位

 衆議院議員 稲田朋美

 一部報道にあるご指摘の人物は、雑誌取材の記者同行者として、一度だけ会い、その際写真撮影の求めには応じたものだと思われます。記者の同行者という以上に、その人物の所属団体を含む素性や思想はもちろん、名前も把握しておらず、それ以後何の関係もありません。

[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140910-00000554-san-pol:title]

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毎日新聞のインタビューにて、サイモン・ウィーゼンタール・センターのクーパー副所長は9日、「(写真を見て)首をかしげざるを得ない。こうしたことが起きないよう責任を持って対処する人はいないのか」と憤りを隠せない。しかしクーパー副所長の指摘通り、日本会議内閣は、国内での言動がすべて国際社会と連動する今日において、どういう思想をもとうがそれはひとまず横に置くとしても、「脇が甘すぎ」やしないだろうか。

加えて、日本会議出身の二人の女性議員は、「知らなかった」というだけでなく、「(団体の思想について)明確な批判をすべきだ」(クーパー副所長)と言われているとおり、ナチズムに関してどういう考えをもっているかを明らかにすべきであろう。

高市総務相は、ネオナチの人物と写真を撮っただけでなく、90年代には「多彩な実践活動を通して、到達した混迷時代の選挙必勝法を、かつて第三帝国を築いたアドルフ・ヒトラーの政治・組織・宣伝論の中から考察」というふれこみの小粥義雄『ヒトラー選挙戦略』(永田書房)なる著作に「候補者と認知された瞬間から始まる誹謗、中傷、脅迫。私も家族も苦しみ抜いた。著者の指導通り勝利への道は『強い意志』。国家と故郷への愛と夢を旨に、青年よ、挑戦しようよ!」との推薦文を寄せている。こちらも国際社会で炎上が始まっているが、シラをきっている模様。

高市議員は、大臣就任後のインタビューで靖国参拝を続ける旨、答えている。(中身は横に置き設定だけ棒読みすれば)靖国神社は先の大戦への反省などなどないから“アジア解放の正義の聖戦”と位置づけるから、人類への罪や「嘘も百辺言えば真実」式のナチズムと親和したらダメやん。頭おかし過ぎる。

僕自身は靖国神社で「不戦を誓う」ことなどこれっぽちもできないとは思っているけど、

→ [http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20140326/p1:title]

百万歩譲ってみても、靖国参拝とナチス崇拝は交差し得るものではないし、不正義のナチスを礼賛することは、大義wに死した祀られた人間に対する最大の不敬になるだろう。

あたまがおかしすぎる。

そして彼女たちの欧米へこびへつらう態度と、アジアへの居丈高な態度というねじれをみよ。


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河野談話見直し「前政調会長の方針引き継ぐ」 自民・稲田氏「日本の名誉回復国民運動を」
2014.9.11 17:58 [自民党]
 自民党の稲田朋美政調会長は11日、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話をめぐり、前政調会長の高市早苗総務相が新たな官房長官談話を出すよう政府に求めていたことについて、「前政調会長の方針を引き継ぐ」と述べ、自身も河野談話の事実上の見直しを求める考えを示した。

 党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(会長・古屋圭司前国家公安委員長)の総会で語った。

 稲田氏は、朝日新聞が「慰安婦を強制連行した」との証言報道を虚偽と認めたことを踏まえ、「国民全体で地に落ちた日本の名誉を回復する国民運動をやっていきたい」とも述べた。

 また、総会では産経新聞の阿比留瑠比政治部編集委員が講演し、慰安婦に関する朝日の報道について、「日本をおとしめることができれば事実などどうでもいいという考え方があったのではないか」と指摘した。
[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140911/stt14091117580005-n1.htm:title]

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朝日新聞の吉田証言のまゆつばものは既に90年代にそのインチキさが指摘されており、「今さら」な話だし、クワラスワミ報告では、吉田証言以外に独自の聞き取り調査をやっている訳だし、サンケイの社長や中曽根大勲位の証言などをひくまでもなく、「強制」としての「性奴隷」は一昔前はで「常識」だったし、30~40年代の戦争映画でもよく出てた訳で。まさに「今さら“従軍慰安婦”はなかった」といいたいのか?

稲田議員は、見直し発言中で曰く「日本の名誉を回復」をやりたいそうだが(て首相と呼応か)、その前に自分のナチズムへの態度をはっきりせよと言いたい。

高市も稲田もへたれやの。従軍慰安婦は存在しなかったとアジア諸国には居丈高に振る舞い、欧米に対しては平身低頭。ナチス好きなんなら好きやといえばよろしかろう。信念もヘッタクレもないのだろう。

慰安婦に関する朝日の報道について、「日本をおとしめることができれば事実などどうでもいいという考え方があったのではないか」という阿比留瑠比さん、もはや日本会議内閣の「軍師」気取り。その前に自分の誤報の訂正だせや。身をただしてからよそを批判せよ。

もうこれほど、日本の知的・言論・歴史認識そのた諸々のレベルが低下していることに戦慄せよ。


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覚え書:「時代の風:大学教育の使命=京都大教授・山極寿一」、『毎日新聞』2014年09月07日(日)付。


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時代の風:大学教育の使命=京都大教授・山極寿一

 ◇世界へ学生送り出す窓--山極寿一(やまぎわ・じゅいち)

 第26代京都大学学長の候補に推挙された。10月からその任務に就くことになる。京都大学は自学自習をモットーにし、自由の学風と創造の精神を育む学問の都である。そこで何ができるか、私の抱負の一端を語らせていただきたい。

 まず、大学の主役は学生であるべきだ。将来の日本、いや世界を背負って立つ学生がいるからこそ、教員は日々の目的を全うできる。学生だけでなく、ポスドク、それに職に就いたばかりの若い研究者群を分担して育て、それぞれが活躍できる世界へと送りだすのが大学の使命である。

 そのためには、大学は閉じた世界であってはならない。大学は社会へ、そして世界へ通じる窓である。その窓を開け、学生の背中をそっと押して舞台へ上げるのが教員の役目だ。教員たちはそれぞれの分野の最先端で何が行われているかを知っているし、それを担っている人も多い。あるいはこれから世界に登場しようとしている人もいる。それらの教員の活動ぶりや考え方に直接触れて学び、彼らが用意した窓を通じて新しい世界を眺めることができるのが大学の大きな魅力である。

 小中高の教育と大学教育の違いはここにある。高校までは既存の正しい知識をいかに習得するかが課題となる。そのために、教科書は厳密に検定を受け、記載内容に不備がないかどうかを審査される。しかし、大学教育では教員自らが教科書を用意したり、参考書だけで講義をしたりすることも多い。検定制度はない。それは、個々の教員が自分の専門分野について自分の考えを述べることが許されているからであり、それぞれの専門について深い知識を持つという自負と誇りに裏付けられているからだ。

 大学で学生たちは本物の学問に出合う。それはいまだ解のない世界であり、先人たちが未知の解を求めて苦闘した歴史である。そこで学生たちは学問の面白さや可能性、世界にある問題を知り、自分の能力が何に向いているかを理解していく。それに気がつくのは自分であるが、その助けとなるのは仲間であり教員である。そのためにこそ、大学は世間の常識にとらわれない自由な発想が許される場でなければならないのだ。

 昨今の大学は、競争的な環境づくりが奨励され、学生たちがその条件に合わせて個人の能力を高めようとしている気がする。しかし、大学とは多様な能力が開花する場であり、一律的な評価基準を学生に向けてはならないと私は思う。個人の能力を高めることは奨励すべきだが、それだけでは解決できない課題が多い。ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんが常に「チームワークの勝利」と語るのは、多くの表に出ない人々の助けがあってiPS細胞(人工多能性幹細胞)の発見に行き着いたことをよく知っているからだ。それは同じ目標へ向かって、それぞれ違う能力を結集した成果である。

 たくさんの知識や技術を習得したから高い能力が育つわけではない。自分で課題を見つけ、その解決へ向けて活躍できる自分を見つけたとき、その能力は飛躍的に伸びる。その時、それまで蓄積してきた思わぬ知識が役に立つかもしれないし、仲間の常識外れの発想がブレークスルーにつながるかもしれない。

 学問に国境はない。これが将来日本を、世界を救うかもしれない。今、さまざまな学問分野で国際的なネットワークが構築され、世界が抱えている問題についてシンポジウムやワークショップが開かれている。地球規模の環境問題や、各地で起きている民族衝突、医療技術、食料生産などがそのいい例である。多くの企業はすでに国境を越えてさまざまな事業を展開している。日本の国益だけを考えていては新しい道は開かれない。学生のうちからこういった問題に接し、国際会議でどのような議論が戦わされているか、できるだけ現場で学べるようにしたいと思う。

 現代の学生にとって、大学は単に知識を学ぶ場所ではない。インターネットを開けば、膨大な知識にすぐに接することができるからだ。大学とは、教員個人の考え方を通じて、世界の解釈の方法や、知識や技術を実践に移す方法を学ぶ場所である。そのために、教員は学生にとってもっと魅力的な存在になる必要がある、と私は思う。
    --「時代の風:大学教育の使命=京都大教授・山極寿一」、『毎日新聞』2014年09月07日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140907ddm002070106000c.html:title]


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日記:「ばかで何がわるい」よろしく、にたにたしながら臆面もなく権力の走狗と化す日本社会

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1990年代バブルの拝金主義に対する反省や批判から出てきたのがいまのナチュラル志向でしょう。デコレーションから素朴へという流れのカウンターとして意義は否定すべくもない。確かにピカピカには目がくらむ。

しかしながら、過剰に対する素朴というのは、イコール学識アンチの幼稚と同定されるものではない。そこのカンチガイに最近当惑している。

「素朴」ええやん。

しかし、それはな、イコール「幼稚」ではない訳では決してない。剣豪の如き研ぎ澄ましがあってこそ人間はミクロな権力からはじめて闘争できるし、素朴といったものも、他律的ではなく自律的に立ち上がる。

一面からいえば、知識で武装しても何もはじまらない。武装するのではなくして、自らの認識を更新するところに「知る」意義がある。そういう大切な手続きを自ら放擲して、「素のまんまのじぶんサイキョウー☆」が素朴かと誰何すれば、それは違いますがな。

なんどでも言おう。それはどこの学校に通ったとかそういうことではない。みずからがもつ認識を更新し得ない、すなわち「学び直す」ことのできないという意味での、「ばかにつける薬はない」。

フーコーは知の権力性を喝破したわけだけど、この國では無智こそ最強になっている。ほんま、「ばかで何がわるい」よろしく、にたにたしながら臆面もなく権力の走狗と化すのやめてくれんかの。

なんどでも言おう。
それはどこの学校に通ったとかそういうことではない。みずからがもつ認識を更新し得ない、すなわち「学び直す」ことのできないという意味での、「ばかにつける薬はない」。

そのザマが何か。

「ぼくちんの大切な日本をどうしてーわるく言うんだ、こんにゃろー」(あへしんぞう)

うえからしたまでこの体たらく。経緯を知らず「こんにゃろー」つうても詮無いことですやん。そんなら、「素でいきている“やばい人”」ってレッテル貼って、閉鎖病棟を永住化するみたいな政策とかやめろよな。ほんま。

そんな「素朴」は必要ない。

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覚え書:「書評:仏教学者 中村元 植木雅俊著=若松英輔・評」、『読売新聞』2014年09月07日(日)付。


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仏教学者 中村元 植木雅俊著
角川選書 1800円
評・若松英輔(批評家)

知の土壌を耕す

 中村元は、二十世紀の東洋思想研究を牽引した碩学である。その研究範囲は著しく広く、残された業績もじつに大きい。彼の著作集は四十巻に及ぶ。古代インド哲学から出発し、伝播の歴史を追うように研究の領域も広がって行った。ギリシャ哲学、キリスト教、仏教はもちろん、すでに歴史の古層の奥深くに入っている思想、宗教にまで及んでいる。影響は日本だけでなく、世界に及んだ。
 著者は、晩年の中村の近くに接し、業績をよく読み込んでいる。その上であえて中村を「仏教学者」と呼ぶ。ここでの「仏教」とは、狭義の意味における宗教の一宗派ではない。いかに生きるかを問いかける東洋的叡智の精髄を意味する。
 叡智はいつも、誰にとっても開かれていなくてはならない、それが中村元の信念だった。
 学問とは学問を独占する者ではなく、一人でも多くの人にそれが用いられるようにする者でなくてはならない。また、あらゆる場所に生きなくてはならないと信じていた。医学、経済、法律も例外ではない。慈悲を欠いた科学の暴走を中村は強く憂えていた。
 大学を定年になってから中村は、「東方学院」という私塾を開き、より開かれた形で叡智の伝承を試み、後進の育成に力を注いだ。彼にとって研究とは知の土壌を耕すことだった。その姿はときに大地を耕す農夫を思わせる。そこで実ったものを中村は、手ずから人々に届けようとした。
 本書には、中村元という哲学者が歴史の遺産を背負い、歩いた軌跡が綴られている。この人物が何を語ったのか、著作からだけでなく、生き方からもすくいとろうとする。
 「仏教」は、論じられる対象であるだけでなく、体現される。「仏教」の神髄は、言葉を超えたもうひとつの「言葉」によって語られる、というのだろう。
 書かれるべき本が書くべき人物によって記された。良書である。
◇うえき・まさとし=1851年、長崎県生まれ。仏教思想研究家。91年から東方学院で中村にインド思想を学んだ。『仏教、本当の教え』など著書多数。
    --「書評:仏教学者 中村元 植木雅俊著=若松英輔・評」、『読売新聞』2014年09月07日(日)付。

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日記:ベストを求めるあまり、微温的なことを言う者を排除していけば、結局最悪の政治指導者を招き寄せるという結果につながる


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政策転換の経験と今後の財産
 市民に求められるのは、程度の違いを見極める能力と、政策変化についてある程度の満足を感じる「ゆるさ」である。地上で理想を実現することが不可能であることは、すでに繰り返し述べてきたとおりである。理想を追求するあまり、漸進的な政策の改良を生ぬるいと否定していては、何の前進も起こらない。ある程度前向きの変化が起こったところで、大満足とはいかなくても、ほどほどの満足を得るべきであり、そのことを政治に対してもフィードバックする必要がある。
 理想主義、完全主義の落とし穴は、日本の脱原発運動にも見られた。二〇一二年の脱原発運動の高まりは、当時の民主党政権によるエネルギー政策の改定作業にも、大きな影響を及ぼした。野田佳彦政権が結局大飯原発の再稼働を決定したことは、運動側から見れば裏切りであろう。しかし、同じ政権がエネルギー戦略の中で、「二〇三〇年代に原子力発電を0にするためにあらゆる政策資源を投入する」というビジョンを決定したことは、大きな変化である。それまでの政府は、原発の安全性を強調し、その推進を謳ってきただけである。最終目標として原発ゼロを掲げたことは、画期的であった。
 これに対して、時期が遅すぎるとか、文言が曖昧だといった批判を投げかけて、政策転換を否定しては、むしろ脱原発という大きな政策目標に逆行するのである。二〇一二年七月九日に行われた脱原発を求める国会包囲デモの光景である。集団の中央に、「野田政権打倒」というプラカードが掲げられている。即時原発廃止という高い理想を追求する人々にとっては、大飯原発再稼働を決めた野田政権は許せないので、すぐに辞めろと言いたくなるのであろう。しかし、野田政権を倒した後にどのような政権ができて、原発に関してどのような政策を進めるか、具体的に考えていなかったからこそ、脱原発運動参加者はこのようなスローガンを唱えたのであろう。皮肉な言い方をすれば、野田政権打倒というスローガンは、同年末の総選挙で実現された。その結果、早く原発を再稼働したくて仕方がない自民党が政権に復帰し、二〇三〇年代原発ゼロという野田政権の方針もゴミ箱行きとなった。
 民主政治に参加する市民は、この一連の経験から、教訓を学ばなければならない。民主政治において、理念と理想は何よりも重要である。しかし、同時に理想になかなか近づけないまどろっこしさに耐えなければならない。大事なことは、どこまでできたか、ではなく、どこに向かって進むかという方向性である。脱原発派は、政府が時期は別として、原発ゼロという目標を設定したことを好機ととらえるべきであった。その方針を支持したうえで、次の段階において、より速く、より徹底的に目標を実現するための努力を払うべきであった。同じ方向に向かって進む者は、速度が速いか、遅いかという違いはあっても、仲間である。仲間を少しでも増やして、政策決定を有利に進めることが、民主政治の王道である。
 理想主義、完全主義に固執して、それを共有しない他者を攻撃することと、運動や市民の無力さをなげくことは、表裏一体の現象である。野田政権打倒のエピソードで説明したように、ベストを求めるあまり、微温的なことを言う者を排除していけば、結局最悪の政治指導者を招き寄せるという結果につながる。まさに、地獄への道は善意で敷き詰められている。一歩づつの前進にそれなりに手ごたえを感じつつ、継続的に政治にかかわり続けるというのが本来の現実主義である。
 厳しい現実の中で、理想を掲げて、一歩づつ歩む市民の力が、求められている。理想に関する魯迅の小説、「故郷」の最後の部分の言葉を引いて、本書の結びとしたい。
 希望とは本来あるとも言えないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に本来道はないが、歩く人が多くなると、道ができるのだ。[魯迅二〇〇九:六八-八九]
    --山口二郎『いまを生きるための政治学』岩波書店、2013年、227-230頁。

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一国の首相から民衆の一人ひとりにいたるまで、ネトウヨ思考の汚染の拡大の勢いが激しい。だからこそ、それに抗う必要はあるのだけど、その抗い方においては、コピーペーストよろしく同じ言葉しか吐くことが出来ない金太郎飴化するネトウヨ的合同でやるのではなく、多様な展開というのが必要なのではあるまいか。

もちろん、その多様さの中には、まゆつばものも存在することを否定することはできない。しかし、そのことを「スルー」というのでもなく、眉間にしわを寄せて「脚を引っ張る」というのでもなく、対峙する一点を共有し、相互に訂正しながら、軽挙妄動に向き合い「続ける」ことが必要なのではあるまいか。

それは、同時に新しい連帯の形を創造していく挑戦にもなるのではあるまいか。

そうしたねばり強さ、漸進主義が今こそ必要なんだろうと実感する。


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覚え書:「特集ワイド:組閣のウラを読む 「踊り場」「コスプレ」「応急処置」」、『毎日新聞』2014年09月04日(水)付、夕刊。


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特集ワイド:組閣のウラを読む 「踊り場」「コスプレ」「応急処置」
毎日新聞 2014年09月04日 東京夕刊

(写真キャプション)改造内閣の初閣議を終え、記念撮影に臨む安倍晋三首相と閣僚ら。女性が増え華やかな印象だが……=首相官邸で3日午後7時51分、藤井太郎撮影

 第2次安倍改造内閣が発足した。18の閣僚枠のうち12ポストが交代する大幅改造。女性閣僚は歴代最多タイの5人だ。長期安定政権を目指して閣僚待機組の「不満解消」を図っただけなのか。それとも深謀遠慮が隠されているのか。識者たちに聞いた。

 ◇石破騒動で党の安定優先に--政治ジャーナリスト・後藤謙次さん

 安倍晋三首相は、攻めの人事を狙っていたが、「石破騒動」を受けてそれができなかった。新内閣はホップ・ステップのステップを欠いた「踊り場内閣」と言える。

 2日夜、首相に話を聞いたが「石破(茂)さんの問題から党内がガタガタして人事が別の性格を帯びた」と言っていた。騒動は政権中枢に動揺と混乱をもたらし、党の安定を優先せざるを得なくなった。「守りの人事」の象徴が谷垣禎一氏の幹事長就任だ。首相は「野に下った自民党をまとめきった谷垣さんしかいない」と、谷垣氏をかき口説いたという。総務会長に二階俊博氏を据えたのも、必ず結果を出すプロ中のプロだからだ。

 その分、「安倍カラー」が犠牲になるリスクも抱えた。谷垣、二階の両氏はいわゆる近隣外交重視派。首相は2人を利用して中韓外交を転換する腹づもりかもしれないが、意見の対立が生じるかもしれない。谷垣氏は「税と社会保障の一体改革」の3党合意の当事者でもある。消費増税が先送りされれば、外交、財政という主要テーマで首相と幹事長が真っ向からぶつかる事態になりかねない。

 一つ言えるのは、小泉純一郎政権時代の人事を踏襲していることだ。女性閣僚5人もそうだし、将来のリーダーとして小渕優子氏を経済産業相に起用したのも小泉氏が安倍氏を幹事長に抜てきしたのと似ている。一方、石破氏は入閣したことで、総裁候補として担がれた「みこし」から自ら降りた格好だ。しばらくは党内の「対安倍」の結集軸になるのは難しいだろう。

 今回の人事は全体に地味で、次期衆院選を意識して野党にやいばを向けたものとは言えない。来年、再び改造があるのではないか。【聞き手・樋口淳也】

 ◇表向きは女性重用、本質は保守--和光大教授・竹信三恵子さん

 女性重視やハト派の扮装(ふんそう)で保守的な政策への女性の不安をまぎらす「コスプレ人事」ではないか。

 女性閣僚は歴代内閣最多と並ぶ5人。党三役を含め女性は6人になった。でも、顔ぶれを見ると、有村治子女性活躍担当相、高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、稲田朋美政調会長の4人は保守派と呼ばれる人たちだ。

 例えば、稲田氏らは女性の自己決定権を広げる選択的夫婦別姓に反対の立場だ。山谷氏や有村氏は学校などでの性教育を「過激」として批判してきた。NHKなど放送局を所管する総務相に高市氏が据えられたことも、歴史認識報道での現場の萎縮を招く恐れがある。

 これでは「女性が輝く社会」というより、女性に性別役割分担を強いたまま仕事も目いっぱい頑張らせる「女性“で”輝く社会」になってしまう。少子化という「国難」に対応するための女性の動員という点で、戦時下、軍部の支援で各地に生まれた奉仕団体「国防婦人会」と構図が似てきた。

 リベラルな印象のある小渕優子経済産業相も、原発再稼働問題の深刻さをソフトイメージでカバーする役割を担わされかねない。改造前の安倍内閣の森雅子特定秘密保護法担当相と似た役回りだ。

 ハト派と目される谷垣禎一幹事長や中国通の二階俊博総務会長の起用で、近隣諸国と対決するタカ派内閣との女性有権者の不安を拭おうとしている。だが、谷垣氏は消費増税推進論者、二階氏は国土強靱(きょうじん)化法の推進者。国民の実質賃金が目減りする中で、低所得層の負担が重い消費増税で歳入を増やし、公共工事で企業にばらまくアベノミクス路線は変わらず、生活重視へのシフトと言えるかは疑問だ。【聞き手・浦松丈二】

 ◇「矛盾」が多く方向性見えず--北海道大准教授・中島岳志さん

 安倍政権はこの2年間、国土強靱化を掲げて公共事業を増やす一方、構造改革路線も強化するなど矛盾する政策をバラバラに打ち出し、何を目指しているのか全く分からなかった。今回の改造内閣にもその無定見ぶりが表れている。

 特徴的なのは地方創生だ。これからの地方は特長を伸ばし、持続可能な新産業を生み出すことが大切だ。競争をあおる新自由主義的な振興策はなじまない。ところが自民党が掲げる「地方創生」は、国家戦略特区という新自由主義的な政策とセットになっている。

 地方創生担当相に石破茂氏が就任したが、その一方で地方政策とかかわりの深い総務相には高市早苗氏が就いた。高市氏の方向性は新自由主義に近い。石破氏は農相を経験しているが、農業分野以外の地域政策での目立った発言は記憶にない。自民党の支持基盤である農協や青年会議所などにはアベノミクスへの不満が高まっており、石破氏が新自由主義的な政策に引っ張られれば、批判の矢面に立たされるだろう。

 同じ「矛盾」は党人事にも見て取れる。総務会長の二階俊博氏は公共事業を重視する再配分型、政調会長の稲田朋美氏は新自由主義型。次の選挙を意識して財界には稲田氏的な政策、地方には二階氏的な政策を示し、両方にいい顔をしたいのかもしれない。

 しかし、我々国民にとっては何なんだという話だ。さまざまな制度疲労を抱え、国の体質をどう変えるべきかという時に「頭痛に効くのはこの薬、腰痛に効くのはこの薬」と対症療法を続けているようなものだ。「応急処置内閣」と言っていい。この内閣に「日本病」の治療を任せても症状は悪化するだけだ。【聞き手・小林祥晃】

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 ■人物略歴

 ◇ごとう・けんじ

 1949年東京都生まれ。共同通信社で政治部長、編集局長などを歴任。近著に「ドキュメント 平成政治史」。

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 ■人物略歴

 ◇たけのぶ・みえこ

 1953年東京都生まれ。朝日新聞労働担当編集委員を経て2011年から現職。著書に「家事労働ハラスメント」など。

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 ■人物略歴

 ◇なかじま・たけし

 1975年大阪府生まれ。「中村屋のボース」で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞。著書に「『リベラル保守』宣言」。
    --「特集ワイド:組閣のウラを読む 「踊り場」「コスプレ」「応急処置」」、『毎日新聞』2014年09月04日(水)付、夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20140904dde012010002000c.html:title]


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日記:松島みどり(新法務相)「私、府中刑務所を見たときに思った感想としましては、例えば、イラン人は宗教上の理由で豚肉なしのメニューをわざわざつくるですとか、あるいはパン食したかったら希望をとるとか、逆差別でずるいんじゃないかと」


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第162回国会 法務委員会(第8号:平成17年3月30日水曜日)の議事録を読み直してみましたが、

[http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000416220050330008.htm:title]

松島委員(当時)は、外国人受刑者が増加する中で、「外国人受刑者の扱いの問題」について伺いたいと切り出し、府中刑務所を見学したときに「思った感想」として「例えば、イラン人は宗教上の理由で豚肉なしのメニューをわざわざつくるですとか、あるいはパン食したかったら希望をとるとか、逆差別でずるいんじゃないかと。日本人ですと、御飯がいいか、パンがいいか、そばがいいかなんてだれも聞いてくれないのに、何でかという思いが非常にいたしました」と述べている。

21世紀ですよ。21世紀にこの「感覚」を素朴な「感想」として「本音」として言葉にしてしまうことに。

これに対して、横田政府参考人は次のように受け答えている。

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 まず、外国人受刑者の食事の点などでございますけれども、外国人の受刑者に対しましては、その宗教上の戒律及び習慣に配慮いたしまして、例えばイスラム教徒の受刑者に対しましては、豚肉を使わない食事を給与するなどしております。また、その食習慣の違いに配慮して、外国人を多く収容する一部の施設では外国人受刑者にパンを給与する場合もございます。

 一般に、外国人受刑者は言語、宗教等に起因した受刑生活上の困難がありますので、一九八五年に我が国も参加した犯罪防止及び犯罪者処遇に関する国際連合会議において採択された外国人被拘禁者の処遇に関する勧告におきましても、外国人受刑者の宗教上の戒律及び習慣は尊重されなければならないとされているところでございまして、その趣旨を踏まえ、外国人受刑者の受刑生活上の困難を緩和し、円滑に収容生活を送らせるために宗教等に配慮した処遇を実施しております。

 宗教が生活の重要な部分となっている者に対しまして宗教上の戒律等に配慮しない処遇を行うことにより生じることが予測される問題を考慮いたしますとするならば、施設の管理運営上の観点からも、宗教等に一定の配慮をした処遇が必要になってくると考えております。それから、食事など、受刑者の生活の中で重要なものにつきましても、同様に施設の管理運営上の観点から、可能な範囲で習慣の違いに一定の配慮をした処遇が必要と考えております。

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非常に常識的な配慮の行き届いた答申が松島さんの質問と対照的といってよいでしょう。


そもそも「逆差別」などということばが簡単に出てくることに戦慄しますし、その根柢には、「公人」として絶対的な感覚……それを人権感覚と呼ぶまでもないわけですが……個人を尊重する(相互承認を含むものとして)態度や生き方への蔑みをなんら恥じることのない態度にくらくらしてしまいます。

こんな他者感覚の一切欠如した人間が法務大臣になるとは世も末でしょう。

公共世界に生きるということは、私的空間の中で「本音」で生きることとストレートで結びつくわけではない。本音と建て前の二律背反は承知しておりますけれども、それでも健全な本音があってこそ、私たちは異なる他者と「共存」できるわけですよ。

それがが、こうした感覚が欠如し、「私はそう思う」式の優位の全能感の拡大が、どんどん良質な「建前」を駆逐し、気がついたら、権力者にとって都合のいい、彼らの「本音」で形成される(歪んだ)「公共」にすり替わって行くっていう、近代以前への退行が凄まじい。


[http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000416220050330008.htm:title]


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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 集団的自衛権に反対 命守るプロ 医師は立場を明確に」、『毎日新聞』2014年09月03日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論

集団的自衛権に反対
命守るプロ 医師は立場を明確に
本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 医師免許を取得して35年、外科医として数多くの患者の命と向き合ってきた。1989年から先進国で最も医師不足の日本で、人口当たりの医師が一番少ない埼玉県で勤務している。この間、外科手術が必要な救急患者だけでなく、手術後の患者の容体の変化などに遅滞なく対応すべく、若手医師を指導しながら夜間や休日も頻繁に病院を訪れた。患者はもちろん、家族にとってたった一つのかけがえのない命、365日24時間の緊張を強いられる日々だった。
 一人の命を救うことがいかに大変なことかを肌で感じる経験をしてきた立場から、今の政治の有り様が心配でならない。現政権が、戦争の放棄をうたった憲法9条をなし崩しにする「集団的自衛権」行使の限定容認を閣議決定したからだ。
 幸いなことに、集団的自衛権については、複数の自民党長老や元内閣法制局長官、憲法学者、法学者、政治学者、さらには弁護士や宗教団体、有名芸能人まで含めた多くの識者から反対や懸念の声をが上がり、全国の200を超える地方議会で反対や慎重決議を求める意見書が採択された。しかし、大変残念なことに、国民の命を守る使命のはずの医療界からは、目立った反対の声が聞こえてこない。
 2009年10月に名古屋市で開かれた「患者の権利宣言25周年記念集会」で九州大の内田博文教授(当時)が「国策に奉仕する医療は科学の名に値せず、統治のための技術でしかない」「国家からの独立制の保証なくして科学も専門家も存在し得ない」「医療や医療提供者が国策に奉仕させられることは、国民の命が国策に奉仕させられることと同じだ」と警鐘を鳴らした。02年には欧米の内科学会が合同で「新ミレニアムにおける医のプロフェッショナリズム・医療憲章」を発表、三つの原則の最初に「患者の利益追求」として、医師は患者の利益を守ることを何よりも優先し、市場や社会、管理者からの圧力に屈してはならないとうたった。
 もし、このまま日本が集団的自衛権を行使することがあれば、他国の戦争に巻き込まれ、他国民と同時に日本国民の命も失われる危険性が高まる。加えて私が懸念するのは、防衛力増強という名の下、先進国最低の医療や社会保障予算に削減の圧力が加わることだ。未曾有の超高齢社会を目前にして、先進国最低レベルに抑制されてきた日本の医療費をさらに削減すれば、医療崩壊が決定的になってしまう。
 今こそ、日本の医師は、国民の命を守るプロフェッショナル集団として、集団的自衛権には反対の立場を明確にし、医療や介護体制の整備のために社会保障予算を増額するよう政府に要求すべき時だ。
患者の権利宣言 市民や弁護士らで作る「患者の権利宣言全国起草委員会」が1984年10月に発表した。患者が自らの意思によって最善の医療を受ける基本的人権を確立するのが目的。全6項からなり、個人の尊厳や知る権利。自己決定権などを掲げている。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 集団的自衛権に反対 命守るプロ 医師は立場を明確に」、『毎日新聞』2014年09月03日(水)付。

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日記:中村元先生の「ドイツ語」を介して

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 中村が、一高でペツォルトと出会ったのは、一九三〇年のことだから、ペツォルトが仏教の個人授業を受け始めて十三年経ったころである。ペツォルトの授業は、小学校の教科書をドイツ語に翻訳するという内容だった。その授業の中で、ペツォルトはよく仏教についてドイツ語で語った。
 日本では漢訳の仏教用語がそのまま用いられて、意味がすぐには読み取りにくい。ところが、ペツォルトがドイツ語で語る仏教用語は、言葉の解釈が施され、意味を理解した上で翻訳されていて分かりやすくなっていた。それによって、中村は、分かりやすい言葉で仏教を語ることの必要性を痛感したといえよう。そして、仏教用語を分かりやすい言葉で説明した『佛教語大辞典』の編纂へとも発展していった。また、仏教を思想としてとらえることも、ペツォルトとのやりとりの中で培われたものといえよう。
 日本は仏教国といわれるが、公教育の場で仏教について触れることはなく、大学に入学する前に仏教の教義を聞いたのは皮肉なことにドイツ人のペツォルトからであった。書物を通して仏教を学んだことはあったが、人を介して仏教と出会ったのは、外国人のブルーノ・ペツォルトを通してであった。
    --植木雅俊『仏教学者 中村元 求道のことばと思想』角川学芸出版、2014年、23-24頁。

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仕事の関係で植木雅俊さんの『仏教学者 中村元』(角川学芸出版)を読み直していますが、書評すればこれほど書き易く、これほど書き難い本はないなあと実感します。中村先生はエピソードに事欠かない。それをうまくまとめれば紹介になります。しかし本書がその点と点を結び、その現代的意義とブレイクスルーをつまびらかにする訳なので、字数制限の中で闊達に語るのは至難だなと思わざるを得ません。

( まあ、そもそも世界史的意義を秘める中村元先生の評伝自体が、はじめてのものだからエピソード中心に紹介するというのはいたしかなたないとは思うけど…それが悪いのではない訳ですけど…真の探求者かつアカデミズムの翠たる中村元先生が狭隘なアカデミなんちゃらから蛇蝎の如く忌み嫌われたのには驚く。これは、井筒俊彦先生に関しても、同じ消息かも知れません。 )

さて、戻りますが……。

植木雅俊さんの中村元伝によると、一高時代に「中村の学問骨格、姿勢」が形成されたという。影響を受けた人物の一人が、ドイツ語担当のブルーノ・ペツォルト。1912年頃から仏教に関心を抱き、星野子四郎を経て、週2回、島時大等、花山信勝の個人教授をうけたそうな。

ペツォルトは「ゲーテと大乗仏教」「天台教学の精髄」など論文を執筆し、1928年、55歳で上野の寛永寺で得度し、大僧都になったという。中村元が15歳の中学生の時である。中村の出会いは1930年。授業では小学校の教科書をドイツ語に翻訳する内容で、仏教についてドイツ語でよく語ったという。

漢訳仏教用語は、言葉の解釈という負荷の故、ストレートに理解しがたい。しかしペツォルトがドイツ語で語る仏教は「意味を理解した上で翻訳されていて分かりやすくなっていた」。中村は「分かりやすい言葉で仏教を語ることの必要性を痛感」したという。それが後に、「佛教語大辞典」へ結実すると中村元伝はその消息を伝えています。

植木雅俊曰く「書物を通して仏教を学んだことはあったが、人を介して仏教と出会ったのは、外国人ブルーノ・ペツォルトを通してであった」。

このペツォルトの出会いが、僕と中村先生の一瞬の出会いの記憶を更新させたのに我ながら驚いた。

1995年(だったと思うが)、今は神学研究ですけど、一時期、仏教研究に志さし(華厳学)、院試の為に、サンスクリット語を習い始め、東方学院に半年通ったことがあります。その時、面接してくださったのが中村元先生なのだけど、5~10分くらいお話しました。

和顔愛語さながらのひとときの出会いでしたが、中村元先生は、当時の僕が独文学科の在学者ということでたいそう喜ばれ、「サンスクリット語から仏教を学び直そうとする上で、ドイツ語を学ばれていることは大変重要です」(趣旨)という言葉をかけてくださった。

「大変重要です」という中村先生の言葉を今日まで僕はそれを東洋学の先駆としてのドイツ語アカデミズムのアドバンテージと短絡的に理解していたのですが、ペツォルトとの出会い、そしてドイツ語を系有して仏教の神髄を理解・会得した経緯が、「ドイツ語云々」の背景にあったのではないかと認識を一新した次第です。

結局、仏教研究は、まさに中村元先生が唾棄したが如きセクショナリズムと、思想無き文献解釈への惑溺、そして宗学への予定調和に辟易して辞めて、日本人がどのように、異なる文化を理解し、それを受容(文化内開花)したのかという意味で神学研究へ舵を切ったのですけど、その研鑽の日々は有益だったと思う。

基本中の基本なのだと思うけど、やっぱり古典語をきちんとやっておくことは大切ですね。

碩学からすれば初手すぎて笑われてしまうかもしれませんが、普遍的なものの端緒に触れると、「日本は古来より美しい国でございます。あ、でも外国人出ていけ」みたいな発想を見ると、この世の現象にしか過ぎないものを、永遠不滅の実在の如く錯覚してしまう馬鹿さ加減には手を焼いてしまいます。

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覚え書:「みんなの広場 『おもてなし』が疑われる」、『毎日新聞』2014年09月03日(水)付。

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みんなの広場
「おもてなし」が疑われる
会社員 46(東京都品川区)

 不動産関係の仕事をしていますが、取引先の不動産会社を訪ねた際、耳を疑うことがありました。そこはいわゆる町の不動産屋さんで、社長と雑談していると、女性の2人連れが来店しました。
 アジア系と思われる外国人と付き添いの日本人で、店頭に広告が出ている貸家を見たいとのことです。ところが社長は「うちは日本人だけ」と断りました。お客さんが「日本に20年以上住んでいる」と滑らかな日本語で言っても、「日本で生まれた日本人じゃなきゃだめ」とけんもほろろでした。私は仰天しました。外国人という理由だけで、一律に断るのはいかがなものでしょうか。これでは、東京五輪招致の切り札となった「もてなし」が疑われてしまいます。
 監督当局や業界団体は、外国人が快適に住まいを探せるよう、不動産会社に対する研修などを充実させてほしいと思います。
    --「みんなの広場 『おもてなし』が疑われる」、『毎日新聞』2014年09月03日(水)付。

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日記:アポロ宇宙船が月へ行ったかどうかを、ディベートして決着つけようぜ! っていう態度に知的誠実さを認めることなど不可能ですよね


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9月2日に批評家の荻上チキさんがつぎのようなツィートを投稿していた。

“「関東大震災をとりあげるなら、朝鮮人虐殺なかった派もよべ」はさすがに相手にできないよなぁ。アポロ月に行ってない派も呼べとか、ホロコーストなかった派も呼べとか、そのレベルよあれ。”



この、なんなのだろうなあ。

あらためて議論するまでもない事実を否定する態度という反知性主義の隆盛。もちろん、子細に詰める議論があることは否定しないけれども、そもそも議論するまでもない歴史的事実を、「フラットに考え直してみよう」という一見するとスマートな態度を装いながら、事柄自体を否定してしまう歴史修正主義の隆盛には頭をかかえてしまいます。

早い話が、改めて議論するまでもないことを正反並べてゲームのように議論しようぜっていう悪しきディベート文化のようなものが、歴史を捏造し始めていることに戦慄する。

真理の実在論を一旦、エポケーして議論してみようというディベートは、ある意味では思考実験に過ぎない。思考実験は人間がその想像力を豊かにする上で必要不可欠だとは思う。しかしながら、思考実験する前段階として、そもそも「考える」という習慣がないのが日本社会だ。権威によらず素材をもとに「自ら考える」という大切な手続き無しに、ディベートして勝ったことが、そもそも「勝利」=事実認識なのだろうか。

そういうえば、本家欧米では退潮というディベート文化を日本に熱心に誘ったのが新しい教科書を作る会の藤岡信勝と聞く。

例えば、アポロ宇宙船が月へ行ったかどうかを、ディベートして決着つけようぜ! っていう態度に知的誠実さを認めることなど不可能でしょう。ネトウヨの連呼する「論破」つうのがこれと親和してますがな。

そんなものは、フラットな態度でもないし、知的誠実さの発露でもないし、はっきり言おう、それは、生-権力に誘発された、幼稚な自己愛にまみれた「歴史修正主義」にすぎません。

なんかサ、一昔前だと「そんなこと公共空間で臆面もなく述べていると笑われますよ」で済んだ話が迫真している訳ですよ。ものすげえやばい話です。

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覚え書:「今週の本棚 仏教学者中村元 植木雅俊著」、『毎日新聞』2014年08月31日(日)付。

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今週の本棚
仏教学者 中村元
植木雅俊著
角川選書・1944円

 高名な仏教学者・インド哲学者の一生を、晩年の門弟という視点から描いたものである。
 中村元(はじめ)は博覧強記を絵に描いたような大学者で、サンスクリット語をはじめ、パーリ語、チベット語、英語、フランス語、ドイツ語、ギリシア語に精通していた。類まれな語学の才能を生かして、仏教の経典やジャイナ教、バラモン教およびチベット語の仏典を読破し、前人未踏の偉業を成し遂げた。東京帝大に提出した博士論文は原稿用紙にして六千枚、弟に手伝ってもらってリヤカーで運び込んだという伝説がある。後に四巻本として出版され、中村元の代表作の一つになっている。
 学問研究にとどまらず、若手研究者を物心両面でサポートするために、財団法人東方研究会、東方学院を設立した。自ら教壇に立ち、会社員、主婦、税理士、大学生など幅広い受講者を対象に講義を行った。著者も一九九一年から受講し、中村元からインド思想やサンスクリット語の手解きを受けた。教室での様子や、講義で語られたことなど、著書からはうかがい知れない人柄が生き生きと再現され、最晩年の恩師に寄せる愛情が行間に溢れている。(競)
    --「今週の本棚 仏教学者中村元 植木雅俊著」、『毎日新聞』2014年08月31日(日)付。

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拙文:「書評:南原繁研究会編『南原繁と国際政治 永久平和を求めて』 南原繁に学ぶ『現実』を『理念』に近づける営み」、『第三文明』2014年10月、第三文明社、94頁。


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書評
『南原繁と国際政治 永久平和を求めて』
南原繁研究会編
EDITEX 定価2,000円+税

南原繁に学ぶ「現実」を「理念」に近づける営み

 先哲の思索に学ぶとは一体どういうことだろうか。それは無批判にありがたく御輿(みこし)を担ぐことでもなければ、限界を指摘することで「超克(ちょうこく)」したと錯覚することでもない。学び手がその理想を継承し、現実世界の中で創造的に活(い)かしていくことに要がある。その思索と実践を続ける本書の南原繁研究会は「学び」の美しき模範と言ってよいだろう。
 南原繁とは、戦後日本の「良質さ」をグランドデザインした思想家の一人だ。その「理念を持って現実に向かい、現実の中に理念を問われ」た精神に学び、未来を展望する市民と研究者の集まりが南原繁研究会だ。月に一度の読書会と毎年開催するシンポジウムは今年で一〇年になるという。本書は昨年一一月に開催された第一〇回シンポジウムの記録と研鑽(けんさん)の成果を収録したものだ。地道な努力はまさに「継続は力」という他ない。
 国際政治への学問的関心から南原繁の学問的生涯は始まる。講演「南原繁と国際政治」(三谷太一郎)はその消息を明らかにする。「国際政治学への非実証的アプローチ」で接近する南原の国際政治学とは、政治的立場と哲学的立場の不断の対話である。後年「現実的理想主義者」として活躍する南原の原点を見ることができる。パネル・ディスカッションでは、カント、フィヒテ、丸山眞男をキーワードに、南原の理想と限界を提示する。本書は秀逸な論功を数多く収録するが、石川信克氏の「国際保険医療協力の平和論的意義」が中でも印象的だ。開発途上国への健康問題への氏の取り組みの実践は、南原繁の精神を活かそうとの発露であると報告する。
 近年、「日本国憲法と旧教育基本法とに体現された戦後の理念や体制を葬(ほうむ)ろうとする」軽挙妄動(けいきょもうどう)が目に付く。戦後の日本社会はその崇高(すうこう)な理念をどこまでも活かし切れていないのが現状だから「戦後レジームからの脱却」などとは笑止千万(しょうしせんばん)だ。「戦後の理念をわれわれがどう活かし直すかを考える上で、大きな指針」になる南原に今こそ学びたい。
(東洋哲学研究所委嘱研究員・氏家法雄)
    --「書評:南原繁研究会編『南原繁と国際政治 永久平和を求めて』 南原繁に学ぶ『現実』を『理念』に近づける営み」、『第三文明』2014年10月、第三文明社、94頁。

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