日記:中村元先生の「ドイツ語」を介して
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中村が、一高でペツォルトと出会ったのは、一九三〇年のことだから、ペツォルトが仏教の個人授業を受け始めて十三年経ったころである。ペツォルトの授業は、小学校の教科書をドイツ語に翻訳するという内容だった。その授業の中で、ペツォルトはよく仏教についてドイツ語で語った。
日本では漢訳の仏教用語がそのまま用いられて、意味がすぐには読み取りにくい。ところが、ペツォルトがドイツ語で語る仏教用語は、言葉の解釈が施され、意味を理解した上で翻訳されていて分かりやすくなっていた。それによって、中村は、分かりやすい言葉で仏教を語ることの必要性を痛感したといえよう。そして、仏教用語を分かりやすい言葉で説明した『佛教語大辞典』の編纂へとも発展していった。また、仏教を思想としてとらえることも、ペツォルトとのやりとりの中で培われたものといえよう。
日本は仏教国といわれるが、公教育の場で仏教について触れることはなく、大学に入学する前に仏教の教義を聞いたのは皮肉なことにドイツ人のペツォルトからであった。書物を通して仏教を学んだことはあったが、人を介して仏教と出会ったのは、外国人のブルーノ・ペツォルトを通してであった。
--植木雅俊『仏教学者 中村元 求道のことばと思想』角川学芸出版、2014年、23-24頁。
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仕事の関係で植木雅俊さんの『仏教学者 中村元』(角川学芸出版)を読み直していますが、書評すればこれほど書き易く、これほど書き難い本はないなあと実感します。中村先生はエピソードに事欠かない。それをうまくまとめれば紹介になります。しかし本書がその点と点を結び、その現代的意義とブレイクスルーをつまびらかにする訳なので、字数制限の中で闊達に語るのは至難だなと思わざるを得ません。
( まあ、そもそも世界史的意義を秘める中村元先生の評伝自体が、はじめてのものだからエピソード中心に紹介するというのはいたしかなたないとは思うけど…それが悪いのではない訳ですけど…真の探求者かつアカデミズムの翠たる中村元先生が狭隘なアカデミなんちゃらから蛇蝎の如く忌み嫌われたのには驚く。これは、井筒俊彦先生に関しても、同じ消息かも知れません。 )
さて、戻りますが……。
植木雅俊さんの中村元伝によると、一高時代に「中村の学問骨格、姿勢」が形成されたという。影響を受けた人物の一人が、ドイツ語担当のブルーノ・ペツォルト。1912年頃から仏教に関心を抱き、星野子四郎を経て、週2回、島時大等、花山信勝の個人教授をうけたそうな。
ペツォルトは「ゲーテと大乗仏教」「天台教学の精髄」など論文を執筆し、1928年、55歳で上野の寛永寺で得度し、大僧都になったという。中村元が15歳の中学生の時である。中村の出会いは1930年。授業では小学校の教科書をドイツ語に翻訳する内容で、仏教についてドイツ語でよく語ったという。
漢訳仏教用語は、言葉の解釈という負荷の故、ストレートに理解しがたい。しかしペツォルトがドイツ語で語る仏教は「意味を理解した上で翻訳されていて分かりやすくなっていた」。中村は「分かりやすい言葉で仏教を語ることの必要性を痛感」したという。それが後に、「佛教語大辞典」へ結実すると中村元伝はその消息を伝えています。
植木雅俊曰く「書物を通して仏教を学んだことはあったが、人を介して仏教と出会ったのは、外国人ブルーノ・ペツォルトを通してであった」。
このペツォルトの出会いが、僕と中村先生の一瞬の出会いの記憶を更新させたのに我ながら驚いた。
1995年(だったと思うが)、今は神学研究ですけど、一時期、仏教研究に志さし(華厳学)、院試の為に、サンスクリット語を習い始め、東方学院に半年通ったことがあります。その時、面接してくださったのが中村元先生なのだけど、5~10分くらいお話しました。
和顔愛語さながらのひとときの出会いでしたが、中村元先生は、当時の僕が独文学科の在学者ということでたいそう喜ばれ、「サンスクリット語から仏教を学び直そうとする上で、ドイツ語を学ばれていることは大変重要です」(趣旨)という言葉をかけてくださった。
「大変重要です」という中村先生の言葉を今日まで僕はそれを東洋学の先駆としてのドイツ語アカデミズムのアドバンテージと短絡的に理解していたのですが、ペツォルトとの出会い、そしてドイツ語を系有して仏教の神髄を理解・会得した経緯が、「ドイツ語云々」の背景にあったのではないかと認識を一新した次第です。
結局、仏教研究は、まさに中村元先生が唾棄したが如きセクショナリズムと、思想無き文献解釈への惑溺、そして宗学への予定調和に辟易して辞めて、日本人がどのように、異なる文化を理解し、それを受容(文化内開花)したのかという意味で神学研究へ舵を切ったのですけど、その研鑽の日々は有益だったと思う。
基本中の基本なのだと思うけど、やっぱり古典語をきちんとやっておくことは大切ですね。
碩学からすれば初手すぎて笑われてしまうかもしれませんが、普遍的なものの端緒に触れると、「日本は古来より美しい国でございます。あ、でも外国人出ていけ」みたいな発想を見ると、この世の現象にしか過ぎないものを、永遠不滅の実在の如く錯覚してしまう馬鹿さ加減には手を焼いてしまいます。
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