日記:アポロ宇宙船が月へ行ったかどうかを、ディベートして決着つけようぜ! っていう態度に知的誠実さを認めることなど不可能ですよね
9月2日に批評家の荻上チキさんがつぎのようなツィートを投稿していた。
“「関東大震災をとりあげるなら、朝鮮人虐殺なかった派もよべ」はさすがに相手にできないよなぁ。アポロ月に行ってない派も呼べとか、ホロコーストなかった派も呼べとか、そのレベルよあれ。”
「関東大震災をとりあげるなら、朝鮮人虐殺なかった派もよべ」はさすがに相手にできないよなぁ。アポロ月に行ってない派も呼べとか、ホロコーストなかった派も呼べとか、そのレベルよあれ。
— 荻上チキ (@torakare) 2014, 9月 2
この、なんなのだろうなあ。
あらためて議論するまでもない事実を否定する態度という反知性主義の隆盛。もちろん、子細に詰める議論があることは否定しないけれども、そもそも議論するまでもない歴史的事実を、「フラットに考え直してみよう」という一見するとスマートな態度を装いながら、事柄自体を否定してしまう歴史修正主義の隆盛には頭をかかえてしまいます。
早い話が、改めて議論するまでもないことを正反並べてゲームのように議論しようぜっていう悪しきディベート文化のようなものが、歴史を捏造し始めていることに戦慄する。
真理の実在論を一旦、エポケーして議論してみようというディベートは、ある意味では思考実験に過ぎない。思考実験は人間がその想像力を豊かにする上で必要不可欠だとは思う。しかしながら、思考実験する前段階として、そもそも「考える」という習慣がないのが日本社会だ。権威によらず素材をもとに「自ら考える」という大切な手続き無しに、ディベートして勝ったことが、そもそも「勝利」=事実認識なのだろうか。
そういうえば、本家欧米では退潮というディベート文化を日本に熱心に誘ったのが新しい教科書を作る会の藤岡信勝と聞く。
例えば、アポロ宇宙船が月へ行ったかどうかを、ディベートして決着つけようぜ! っていう態度に知的誠実さを認めることなど不可能でしょう。ネトウヨの連呼する「論破」つうのがこれと親和してますがな。
そんなものは、フラットな態度でもないし、知的誠実さの発露でもないし、はっきり言おう、それは、生-権力に誘発された、幼稚な自己愛にまみれた「歴史修正主義」にすぎません。
なんかサ、一昔前だと「そんなこと公共空間で臆面もなく述べていると笑われますよ」で済んだ話が迫真している訳ですよ。ものすげえやばい話です。
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