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日記:自明こそ疑え


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昨日の金曜日、後期2回目の「哲学」授業で、いよいよ本格的な導入の授業をすることができました。哲学を学ぶということは、「哲学をする」ことを学ぶ訳ですが、そこで大事になることは、あくまでも先ず「自分で考える」ということ。

そして次に、その自分で考えた事柄が独りよがりなものでないのかどうか自分自身で検討をしたうえで、他者と相互吟味する。そしてその過程で、強い考え方を導き出していく(=それを普遍性への志向といってよいでしょう)ことになりますが、なかなか「どうやれば、自分で考えることができるのですか?」と聞かれることが多い

そこで、敢えて、「自明のこと」「考えるまでもないこと」に改めて注意を払うように促すのですが、その省察を経験してみると、実は「自明のこと」「考えるまでもない」と思っていた、そのことについて実はなあんーにも分かっちゃいないことに気がつきます。

今日のお題は「鉛筆とは何か」。

そんなこと聞かれるまでもないでしょうと思う勿れ。改めて考えるとなかなか難しいものです。まさに「自明こそ疑え」で、それが「自分で考えてみる」ひとつの出発点、その練習になったのではないかと思います。

そういうドクサを引きはがしていくことが「哲学をする」ということなのでしょう。

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