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書評:三枝博音『近代日本哲学史』書肆心水、2014年。

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三枝博音『近代日本哲学史』書肆心水、読了。明治から戦前昭和に至る「哲学」移植とその受容を同時代の視点から描く。初版は昭和10年刊、ナウカ社より刊行。三枝は1892(明治25)年の生まれだから、「近代日本哲学史」を描くとは、まさに自身の学識の来し方を問ういとなみでもあったと言えよう。

明治哲学の論理学への反応、戦前昭和のハイデッガー解釈と西田哲学の根本問題へのクリアカットな指摘は今なお鮮やかである。

本書は附録として「わが国では何故弁証法が発展しなかったか?」を収録する。

「弁証法は対立物の統一における法則」と捉え「権力偏重の気風」(福澤諭吉)ゆえに「相関関係をなさない」し、「平均を失うであっては秤とはならない」と見てとる。弁証法で全てが理解できるとは早計だろうが、そもそも弁証法以前の「この世」の重力が平衡や発展を妨げるのが日本社会の実情だとすれば、三枝の指摘は、今なお課題としてその重厚な余韻を失ってはいない。


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 弁証法は、科学的方法として全科学の分野においてその意義を発揮して来てい、今後一層その科学的意義を示そうとしている。弁証法は、勿論ギリシア文化の中にその発生を見出せないではない。しかし、本来の弁証法は何としても封建制度を廃して市民社会が擡頭した以後における科学の方法である。人と人の関繋(Verhaltnis)が、人間の理性にもとづく合理的契約によって成立することが、市民社会の本質である。勿論、市民的社会はその内的矛盾によって発展し、今や転化せんとするところを示しているが、しかし、市民社会は近世科学の母胎であることは否定できないし、人類の発展は市民的社会において科学を実現せしめるに至ったのである。弁証法はこの市民的社会の中においては、上下・主客の関係は決してその本来の人間と人間との関係ではない。縦の上下関係ではなくて、横の併列関係すなわち相関関係が市民的社会における人間と人間との関繋である。勿論、相関関係、釣合、平衡、こういった運動諸関係は、古代においても封建社会においても、あらゆる種類の人間と人間の関係において支配していたのである。しかしこれらの諸関係は、現代においては政治及び経済の全面に押し出されているのである。
 わが国においては、近世の科学が発展し得るような諸事情が社会の中に作りあげられたのは、明治以後である。それ故、明治以前においてわが国に弁証法が発達しなかったことは今や容易に理解し得られるのである、明治以後今日に至るまで、或る部類のインテリゲンチャを除いては、一般の学識の所有者にとって、弁証法の理解が、(その声の喧しいほどには)徹底されていないように思えるのである。それでなうとも弁証法がよく広く把握されるということは、それこそなかなか困難な事である。
 ここに今更言うまでもなく、弁証法は対立物の統一における法則である。へーゲルも弁証法的関係を明らかにするために区別、差別、反対、矛盾等の諸概念を明瞭にすることに努めたのであった。これらの諸関係は一つとして「権力偏重の気風」のもとにある上下・主客・内外の固定的区別ではないのである。或る経済学者は弁証法的関係を秤の動的静止の性質に比した。分銅と被量物との相平衡する運動中の静、ここに弁証法の成果を把えたのである。卓抜の見解でもあった。福澤諭吉はわが国の封建的社会的「交際」の特色をとらえてこう言った。「苟も爰に交際あれば〔苟も人間と人間との関係のあるところには〕其権力偏重ならざるはなし、其趣を形容して云へば日本国中に千百の天秤を掛け其天秤大となく小となく悉く皆一方に偏して平均を失うが如し。」つまり、たとえ人間と人間の関係があっても、それが相関関係をなさないのである。平均を失うのであっては秤とはならないのである。
    --三枝博音『近代日本哲学史』書肆心水、2014年、276-278頁。

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