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覚え書:「耕論:スルーする力って? 『もっと自由になる』方策」、『朝日新聞』2014年10月07日(火)付。


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スルーする力って? 「もっと自由になる」方策
聞き手・尾沢智史 聞き手・藤生京子 聞き手・萩一晶
2014年10月7日

 マキタスポーツ 70年生まれ。音楽だけでなく、映画・ドラマやお笑いなど多方面で活躍。著書に「一億総ツッコミ時代」(槙田雄司名義)、「すべてのJ-POPはパクリである」。

 千葉雅也 78年生まれ。専門は哲学・表象文化論。著書に「動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学」「別のしかたで ツイッター哲学」。ファッション批評も手がける。

 片田珠美 61年生まれ。京都大学非常勤講師。専門は精神医学・精神分析。著書に「他人を攻撃せずにはいられない人」。17日に「プライドが高くて迷惑な人」を出版予定。
 最近、なんだか世の中が息苦しい。何か言えば揚げ足をとられ、たたかれ、ネットで炎上する。重箱の隅をつつくような言葉はスルーして、もっと自由になれないだろうか。ミュージシャン・俳優のマキタスポーツさん、哲学者の千葉雅也さん、精神科医の片田珠美さんに聞いた。

■愛なきツッコミ見極める

〈マキタスポーツさん(ミュージシャン・俳優)〉

 今は、「一億総ツッコミ時代」だと考えています。ちょっと人と違うことを言うと、ネットやSNSで叩(たた)かれる。面と向かっては言えないような激しい言葉もぶつけられる。あらゆる人が上から目線で、お笑いでいう「ツッコミ」を入れる社会になってしまった。

 まったく知らない相手や問題にもツッコミを入れてしまう。「イスラム国」なんか、普通の日本人はほとんど知らないけれど、つまらない正論を展開する人が一定数いるんです。ドヤ顔で語って、自分がいい気分になるだけ。「しょんべん正論」と呼んでいるんですが、かけておしまいみたいな感じですね。

 ツッコミの人はすぐ「おまえの立場はどっちなんだ」「白か黒かはっきりさせろ」という。世の中はほとんどはグレーで、白か黒かなんて決められない。でも、冷静に思考するのはめんどくさい。白か黒かの正論に逃げたほうが楽なんでしょう。

 僕が「ニコニコ生放送」とかに出ていると、ユーザーがいろいろなツッコミを入れてくる。全部相手にはできないから、スルーとボケをうまく使い分けるんです。本当にむかつくコメントや単なる罵詈雑言(ばりぞうごん)は、相手をしてもしかたがないので、スルーする。ただ、スルーばかりだとかえって拍車がかかる。

 僕がからむことで面白くなりそうだと思えるコメントがあれば、ボケで対応する。わざとやられてみたりすると、喜ぶんですね。それを繰り返していくと、いわば魂が浄化されて、悪いコメントがなくなっていく。

 ボケやスルーを身につけるには、まず「自分は大したものじゃない」と自覚することです。正論を言う人というのは、自分こそ正義だと思っているから、叩かれると逆ギレする。正論に正論で返そうとするんです。でも、自分の正しさなんて危ういとわかっていれば、ボケたりスルーしたりできる。他人を許せるようになるんですね。

 本来のツッコミというのは、ボケを許すものなんです。相手に対する愛や思いやりがないとツッコミとボケは成立しない。ただ、いまあふれているツッコミには愛がない。愛のあるツッコミならボケで返せますが、他罰的なヘイトのツッコミはスルーするしかない。

 いまは、知らなくてはいけない情報が多すぎるんじゃないですか。あらゆることをツッコミの対象にしようとするから、何でも知ってるふりをしなくてはいけない。でも、別にすべてを知らなくてもいいんじゃないか。あえて情報をスルーして、視野を狭める。知らないことを無理に語ったりせず、自分が責任を持てる、分相応のコミュニケーションをしていく。一億総ツッコミ時代を生きていくためには、必要のない情報をスルーしていく力も必要だと思います。(聞き手・尾沢智史)

■つながり過ぎない連帯を

〈千葉雅也さん(哲学者・立命館大准教授)〉

 ITで加速する情報社会は、誰かとつながるためのサービスにあふれています。僕もツイッターをやっていますが、ついアンテナを伸ばしすぎ、ささいなコミュニケーションまで情報収集に追われる。今、そうした「接続過剰からの切断」が必要だと身をもって感じています。

 「接続」も「切断」も、フランスの哲学者ドゥルーズが使った言葉です。それらを援用して問いを立てている僕の関心の核は、この社会や政治と、一体どんな距離で、どんなしかたで関わればいいのかにあります。

 資本主義は、過剰に向かって際限なく駆動するシステムです。でも資源・環境問題をみれば、有限であることは明らか。どこかで、成長神話にストップをかけなければならない。

 その点で、資本主義の論理と関わる原発の存立の見直しを求めたデモなど、政治的抗議の声を上げる最近の動きに、共感を覚えます。ただ、闘い方には疑問もある。社会には多くの難問があってそれらは関連していますが、一挙に批判を並べ立ててしまうと、「批判ばかりする人たち」という悪印象を与えることになりかねないでしょう。

 僕としては、あくまで個人に立脚して社会に問いを投げかけたいと思っています。一人が行動できる範囲は限られているのだから、動き過ぎてはいけない。他の人との連携も大切でしょう。でも、そこでつながり過ぎてもいけない。権力批判するあなたを認めるけど100%合流はしないよ、僕はたまにしか声を上げないから――そんなふうに互いの違いを認め、部分的にスルーできるくらいの関係の多元性が必要だと思います。

 一方で気になっているのは、一人ひとり無限の可能性があるかのような教育で夢をふりまきながら、実は苛烈(かれつ)な競争が強まる日本社会の生きづらさです。ちょうど大学で、様々な障害をもった人たちと接しています。工夫してやりとりをしても、互いの気にする点がずれていることもある。でも、互いにそれぞれのこだわりがあるわけです。

 そういう個性だからねと、ポジティブに認めようと思えば、むしろやりとりの細部にまで反応していなくていい場合もある。協調するがゆえに、ささいなことはそっとしておくという無関心の工夫もある。これもまた、つながり過ぎない連帯のあり方と思うんですね。

 つながり過ぎを切断しようという問題提起は、ある意味、せつない。バブル崩壊後に大学入学した僕ら30代から下にとっては、特に腑(ふ)に落ちる気がします。「人生は、あきらめからあきらめの旅」。最近、僕はそう書いたのですが、ネガティブな意味だけでは必ずしもないんですね。別のやりかたで多様な解答がある。それを見つけるのが幸せという直感があるのです。(聞き手・藤生京子)

■攻撃かわす逃げ場作れる

〈片田珠美さん(精神科医)〉

 言葉の攻撃に疲れ果て、心身に不調をきたす患者さんが増えています。診察していて感じるのは、ここまで激しく他人を攻撃し、破壊しようとする人が世の中にはこんなにいるのかということです。患者さんの側の弱さでは片付けられない。社会の異様な風潮を感じますね。

 攻撃的な人には五つのタイプがあります。たとえば、会社の会議で同僚の提案に徹底的に難癖をつけ、あらゆる屁(へ)理屈を持ち出して否定し、人間の尊厳までも傷つけるような人。これは「自己愛型」です。己に対する過大評価があり、とにかく自分のほうが上だ、優秀なんだと感じていたい。それを周囲にも見せつけたい。「利得型」の要素もあるかもしれません。同僚を蹴落とせば、その地位を奪い取れるという計算がある。

 ネットの世界で多いのは「羨望(せんぼう)型」です。成功して幸福そうな人が我慢ならない。だから芸能人や政治家に不祥事が発覚した途端、池に落ちた犬はたたけとばかりに徹底的にたたく。

 お店で店員を怒鳴るのは「置き換え型」です。本当は上司や妻に叱られて反論したいんだけれど、できないために八つ当たりする。「否認型」は自分にも非があるのがわかっていて、それを否定してみせるために他人を強く責めたてる。

 攻撃的な人の背景は様々ですが、一つには核家族化があります。親が満たされなかった自己愛を子どもに投影し、自己実現しようとする家庭です。大家族の時代は、祖父母もいて様々な価値観で修正されたのが、核家族では親の欲望を全部取り込んで期待を背負う。過剰な自己愛を持つ人が育っていく。

 先行きの暗い経済状況も一因です。将来に希望が持てず、貧困の足音もひたひたと聞こえる。不安や閉塞(へいそく)感が広がり、勝ち組への妬(ねた)みはものすごい。そこに、匿名で攻撃できるネットという手段が出現した。

 学歴社会信仰もあります。「いい大学に入れば、いい会社に行けて幸せになれる」という社会的上昇の夢は、いまや幻想に過ぎません。階層は固定化し、上昇は難しくなった。それなのに昔の夢がまだ残っているから不満がたまるのです。

 本質的には子どものいじめと同じですが、逃げ場のない子どもと違って大人は逃げ場を作ることができる。相手にせず、スルーすればいいのです。

 いけないのは攻撃を真に受けてしまうこと。相手は巧妙ですから、「お前のためなんだ」といって罪悪感まで抱かせる。自殺に追い込まれかねません。

 まずはよく観察する。自己愛か、羨望か、利得か。相手を見極めたうえで、できる限り接触を避ける。それでも攻撃が続くようなら反撃する。できればユーモアの力も借りて、黙らせるのです。(聞き手・萩一晶) 
    --「耕論:スルーする力って? 『もっと自由になる』方策」、『朝日新聞』2014年10月07日(火)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASG9Q5QP9G9QUPQJ00B.html:title]


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