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覚え書:「ニュースの扉)吉田類さんと訪ねる軍国酒場 ママの戦後、終わってない」、『朝日新聞』2014年10月13日(月)付。


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ニュースの扉)吉田類さんと訪ねる軍国酒場 ママの戦後、終わってない
2014年10月13日


(写真キャプション)軍服や写真が所狭しと飾られた店内でくつろぐ吉田類さん=鹿児島市千日町

 これまでに600軒以上の大衆酒場を回った「吉田類の酒場放浪記」(BS—TBS)。案内人で詩人の吉田類さんは、酒飲みの間では超有名な「酒場の達人」だ。軍歌が響く、その名も「軍国酒場」を訪ね、戦争と平和について考えた。

 吉田さんは店に入る前からご機嫌だった。口開けに、JR鹿児島中央駅前の屋台村で生ビールを2杯飲んだからである。

 鹿児島市で一番の繁華街・天文館。裏通りのビルの4階にお目当ての店はあった。「楽しみですねえ」

 吉田さんはそうつぶやくと、登山で鍛えた脚力で階段をすたすたと上っていく。やがて真っ暗な中に入り口が見えてきた。

 「3名入隊っ!」。戸を開けると、カメラマンと私を含む一行を「大日本国防婦人会」のたすきをかけた横道陽子さん(82)が敬礼で迎えてくれた。

 軍歌を歌えるのが売り物で、かつては全国にあったという軍国酒場。今もその名を冠する店は何軒かあるが、おそらくここほど徹底した店はないだろう。

 むき出しの壁には戦争当時の写真が貼られ、軍服がかけられ、所々に三八式歩兵銃や機関銃が配されている。カウンターや小あがりには「北支方面」などと書かれたプレートが。

 くつろげるようでどこか殺伐とした雰囲気。ちょっとした異空間だ。「すごいね、これは」

 連日午後7時開店(日曜定休)。飲み物はビール、焼酎、ウーロン茶。ビールは「魚雷」、焼酎は「爆弾」と呼ばれる。

 しばらくすると、「食料配給」のかけ声とともに、隣のお客さんに乾パンや「手榴弾(しゅりゅうだん)(ゆで卵)」、「鉄砲の弾(落花生)」が出され始めた。ビールが出る時は鐘が鳴らされ、横道さんが「魚雷発射!」と叫ぶ。

     *

 半ばぼうぜんとしている私をよそに吉田さんが話を始める。「ママさん、お名前はなんて言うんですか? 陽子さん? 陽子さんにとって、戦後ってまだ終わってないんじゃないですか」

 「そうですね」と陽子さん。

 陽子さんは地元・鹿児島の出身。一時東京にいたこともあったが、故郷に帰ってきた。「たまたま私は空襲の被害は受けませんでした。でも、主人は米軍機を見たそうです」

 店を始めたのは55年前だ。最初は普通の飲み屋をやっていたが、事情があって場所を移すことになり、「次はどんな店をやりたいって聞かれて、じゃあ、『軍国酒場にしよう』って。最盛期は市内に5軒くらいあって、はやってたしね」

 だが、いま残るのは陽子さんの店だけだ。「みんなやめてしまいました。うちも子どもたちは継ぐつもりはないみたい」

 話をしている間も、店内には延々と軍歌が流れ続ける。「加藤隼(はやぶさ)戦闘隊」「ラバウル小唄」……。やがて「同期の桜」がかかると、吉田さんがグラス片手に、おもむろに歌い始めた。なかなかの美声である。

     *

 陽子さんによると、この店、最近は若いお客が増えているそうだ。「ネットを見て来るらしい。私が伝えたいのは、もう二度とあんな戦争をしてはいけないということ。平和が一番。ただ、国を、家族を守るという気持ちも忘れてはいけない」

 吉田さんが話しかける。「いい店ですねえ。こういう店はなくしちゃいけません」

 「よく言うんだけど、この世が酒飲みばかりなら戦争はなくなる。酔っぱらったら鉄砲撃ってもあたらないし。酒を媒体として人と人はつながることができるんです。だから、もっと酒飲みが増えて、みんなが友達になれるといいよね」

 (文・宮代栄一、写真・河合真人)

 ■吉田の目 戦争忘れぬための「異界」必要

 面白かったです。ぼくは平和主義者ですし、これまでに回った酒場は星の数ほどですが、こういう店は嫌いじゃない。実際、歴史的事実として、あの戦争はあったんだから。

 陽子さんに「戦後は終わってないんですね」って聞いた時、即答したでしょう。もうすぐ戦後70年ですが、戦後が生活の中に残ったままの人もいるのです。

 ぼくの世代になると、直接の戦争体験はありません。でも、広島の親戚に、来日したヒトラーユーゲントを写した写真を見せてもらったことはある。海軍の軍人さんの写真も見たけど、格好よかった。当時は彼らがスターだったことがよくわかりました。

 ぼくの句に「昭和の日 あの閃光(せんこう)の 真二(まっぷた)つ」というのがあります。「昭和の日」は俳句の季語にもなっているのですが、ぼくにとっては「昭和天皇の誕生日」である以上に「戦争」そして「終戦」をイメージさせる言葉なんです。原爆の投下によって戦争は終わった。でも同時に、昭和という時代は戦前と戦後に切り裂かれ、私たち日本人も真っ二つにされてしまった。それを詠みました。

 原爆の悲惨さを説くまでもなく、戦争はやってはいけません。忘れてもいけない。でも残念ながら昭和は遠くなりつつある。だからこそ当時に没入するための異界として陽子さんの店のような酒場は必要です。ということで、もう一軒いきましょうか。

     *

 よしだ・るい 酒場詩人。高知県生まれ。俳句愛好会「舟」主宰。野生の感性を磨くために、毎週のように山に登っている。

 ◆キーワード

 <戦争の痕跡> 第2次世界大戦をしのばせる「痕跡」は、戦後70年が経過しようとする今、次々と消滅しつつある。

 復員軍人らを主な顧客とした「軍国酒場」はかつては日本中にあったと言われるが、今では数えるほど。

 戦争の爪痕を直接伝える各地の「戦争遺跡」も、全国に3万カ所近くあるとされているが、沖縄陸軍病院南風原壕(はえばるごう)群(沖縄県)など、文化財指定がされた所を除くと保存が十分でない場所も多い。

 ◇「ニュースの扉」は毎週月曜日に掲載します。次回は「楊逸さんと見る香港デモ」の予定です。
    −−「ニュースの扉)吉田類さんと訪ねる軍国酒場 ママの戦後、終わってない」、『朝日新聞』2014年10月13日(月)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11400148.html:title]


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