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日記:何が、「スーパーグローバル大学」ですか! もうさ、国家に褒められて嬉しいとか、やめにして欲しいと切に思いますよ


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過日、文科省が「スーパーグローバル大学」採択校を発表しましたが、その構想に準じたカリキュラムが、実際のところ、グローバルでも何ンでもないシロモノだから、「スーパーで買うことができるのですか?」ってフイタところ、「大学の運営方針しだいで大学を評価することがどうして『学問の自由』の侵害になっているのか、さっぱりわかりません」という脊髄反射を頂き、内田樹さんやその他、きちんとした批判を紹介したのですが、「国家が大学を格付け式に評価するのがなんで問題なのや!」といわれてしまい、ぐぬぬとなった訳ですが……ふかいため息ですよ。

ということで……再掲ですが、


「大学の運営方針しだいで大学を評価することがどうして『学問の自由』の侵害になっているのか、さっぱりわかりません」とのことですが、端的に言えば(そもそも論で言えば、教育行政機関は「学問の自由」を保証する機関であって、教育機関のランク付け機関ではありませんがそれは横におきますが)それは「基準に不合理な点」があるからですよ。

「スーパーグローバル」と銘打つものの、その中身は、グローバルとはほど遠い、国家の財界の意向に準拠した、すなわち国家と財界の役に立つ「人間作り」を目指すカリキュラムですよ。スーパーグローバルどころではありません。

文部科学省が各教育機関を、ここはスーパーグローバルと格付けしたり、しなかったりすることの問題ですが、これは交付金と連動していますから、個々の教員の意向はともかく、大学を運営する側からすれば、そりゃ、交付金の出る「カリキュラム」にしたほうが、いいわけですよね。宣伝にもなる訳ですから。「国家と財界の役にたつ」だけの人間づくり「だけ」を目指すようになっていけば、それは同時に「国家と財界の役にたたない」部門を割愛することになりますよね。これは一例ですし、その他もろもろありますが、これだけでももう立派な「学問の自由」の侵害ですよ。

明治時代、日本各地にミッションスクール(今の立教大学や青山学院大学など)が設立されますが、キリスト教を警戒する明治政府は、キリスト教主義の学校に制約を加えます。1899(明治32)年の官公私立を問わず宗教教育を禁止を明記した「訓令第12号」がそれですよ。宗教教育を行う学校は学校と認めない(大学進学資格の特典喪失、徴兵猶予停止)という狙いうちです。多くの学校は、私立であるという意義(信仰の立場)を優先し、「各種学校」であることを選択しました。

日本の文教政策は、国家のための人材作りが基本です。旧教育基本法改悪以降、スーパーグローバル大学構想へ修練していく現下の状況は、その猛烈な嵐といってよいでしょう。訓令第12号を振り返るならば、「国家のために役にたつ」スーパーグローバル大学化しない大学は(文科省には許認可権がありますから)、「では、専門学校でよろしいか」とならなくはないわけですよ。

そもそも、大学は国家や権力による干渉や統制から学問の自由を守るために大学の自治を確立してきたのがその歩みです。

今般の安倍耳垢(じこう)政権の大学へのグローバル戦略の要求とは、グローバルとはほど遠い「お国」のための人材育成戦略ですよ。半世紀前の言葉でいえば、「お国のために死ね」という教育原理に基礎付けられた実践学習(=学習ですよ、学問ではなく)をすることと同じ。僕は、それに対して無邪気に賛同することには危機感を覚えます。

最後にこれもそもそも論ですが、そもそもネトウヨまがいの極右安倍政権から「おぬしらは、われわれの政策の模範である」とほめられて嬉しいとしたら、それは脇が甘過ぎますよ。


で……結局の所、「国家」は先験的な悪と規定して「済んだ」と理解したり、最初期のアナキストの如くぶっこわせば方はつくというラッダイトには抵抗はあるけれども、認識の問題として「国家」を常に「相対化」させる眼差しというものが喪失したら終わりだということが、人類の歴史ではなかったかと思います。

蠱毒という呪術がありますやろう。動物を使った呪術で「器の中に多数の虫を入れて互いに食い合わせ、最後に生き残った最も生命力の強い一匹を用いて呪いをする」というもの。グローバルなんちやらキャリアうぇーい教育つうのもこれですよ。

さて、スーパーで売っている毒蠱教育プログラム批判を締めますが、結局の所、お国からよしよしされてニンマリすること自体が「グローバル」でも何ンでもないやろうというお話でございます。

もうさ、国家に褒められて嬉しいとか、やめにして欲しいと切に思いますよ。
グローバル市民社会という今は、そういう時代か???
しかもほめてくれる「国家」様は極右政権でございますよ。
「大勝利」「大勝利」って連呼してたら、気がついたら頭も心のなかもすっからかんになってしまった


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