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覚え書:修復的正義論の観点


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 わたしは、民主主義を、じっさいには平等でも自由でもない諸個人が、それでも平等に扱われることを求めたさいに、一つひとつ制度を精査し、批判的に現状を捉え、改革していく政治システムだと考えている。その意味において、軍事的性奴隷制という人道に対する罪を放置することは、被害者の声に耳を貸さないという点で、現在もなお、かつてその尊厳を踏みにじられた人の人権をさらに傷つけるという、反民主主義的な状況である。現在いかに、わたしたちがそうした反民主主義的な政治社会を許しているかについて、小論の結論にかえて、近年多くのフェミニストが論じるようになった「修復的正義」という概念を使って説明してみたい(7)。
 正義論は、西洋政治思想史においては、つねに健常者である平等な男性成人を中心として、いかに公正な社会を作るかの原理を論じてきた。他方で、近年多くのフェミニスト思想家たちが修復的正義に着目するのは、正義を論じる際の前提に大きな違いがあるからである。
 彼女たちによれば、わたしたちが構成する社会には、強者と弱者、権力者と無力な者、社会的に烙印を押され続けた者たちが存在している。つまり社会は不平等で、不正義を許容してきたし、現在もそうである、という事実から出発する。したがって、組織的犯罪・国家的暴力は均一に人々を被害者にするのではない。そうではなく、歴史的に無視され、政治的声をもたない存在は、他の者たちに比べ、国家暴力に晒されやすい傾向にある。つまり、被害者は、平等な存在として認められてこなかったからこそ、被害にあったのだという点が強調される。
 このような文脈から、合衆国の倫理学者であるマーガレット・ウォーカーは、「被害者を、屈辱や侮蔑から解き放つことは、修復的正義に賭けられている、まさに核心である」と主張する(Walker, Margaret U. What is Reparative Justice? Marquette Universiy Press, p.16)。その意味で修復的正義は、これまで無視され続け、被害にあったことを述べようとも一人の人間の声として受け取られてこなかった者たちを、尊厳ある同等の人として扱うことから始まる。したがって、修復的正義が要請する賠償は、金銭的・物理的な賠償を超えて、対等な人間として加害者と被害者が一つの社会を構成することに向けた、変革的な意味をもった対話を伴う交流を命じるのだ(同上、pp.14-5)。
 ウォーカーによれば、甚大な人権侵害が生じた後--社会的に弱い立場に置かれていたからこそ国家暴力に晒され、さらに脆弱化した社会的地位に陥っているために、長年その被害について、正当な救済も賠償も受けられなかった被害者への--修復にとって、「善意や慈悲」からなされる行為はふさわしくない。なにが修復にふさわしいかの条件なのかは、「修復のためにとられた手段が正義によって要請された行為を意味することと密接に関連している」(同上、p.22)。そして、ウォーカーは、日本政府が「慰安婦」問題への対処として提示した「国民基金」を、むしろ「嫌悪を引き起こさせる、侮蔑的な意味を帯びる」手段として(同上、p.23)、修復的正義が挫かれた典型例であると、厳しく批判している。
 「国民基金」は、過去の甚大な人道に対する罪に謝罪として不十分だった。ウォーカーによれば、加害者の「謝罪」が意味するのは、つぎの三点である。
 第一に、「償われるべき『被害』があったこと」を認めていること、第二に「正義を為す意図があること」、そして「当然果たすべき責任がある」ことを認めることである。この三点から、謝罪が「慈善・善意・厚意から発しているのでなければならない」ということは、とりわけ強調されなければならない。
 しかしながら、安倍政権はいくども、河野談話は「善意」であったと繰り返している。つまり、日本政府が唯一負っていると主張する道徳的責任は、果たすべき義務のない「善意」であり、慈善であり、だからこそ、被害者の訴えに耳を貸さないのだ。あくまでも、被害者を同等な尊厳ある人として扱おうとしないこの態度は、日本政府が、一人ひとりの人権が尊重されるべき国際社会に属する対等な構成員として被害女性を認めず、むしろその人格を貶めていることを意味している。
 以上により、「慰安婦」問題がわたしたちに突き付けているのは、過去の歴史認識の問題であるというよりむしろ、現在の民主主義のあり方なのだ。ウォーカーを援用するならば、もっとも社会的に弱い立場にあったからこそかつて国家暴力に晒されてしまった女性たち--その多くが、植民地支配の下での朝鮮半島出身の女性--に対等な人格を認めようとせず、加害責任を問われている政府が、善意で謝罪をしていると公言しても許容される社会をわたしたちは作り出している。
 謝罪は、あくまで「相互行為」である。謝罪は、加害者が被害者を尊厳ある人として認めるなかでようやく成立する。被害の回復、正義の回復は、なによりもまず、この相互行為、つまりかつての被害者とともに国際社会を構成していこうという、民主主義的な意志のなかでのみ、実現されるであろう。
 残念ながら現在の日本は、そうした民主主義を否定しているかのようだ。ちょうど一〇年前の、イ・オンソクさんからの未来の変革に向けたメッセージに、わたしたちはどれほど応えることができるのだろうか、市民の力が今試されている。
(7) フェミニストたちによって論じられるようになった、「修復的正義」に関する詳しい議論は、岡野八代『フェミニズムの政治学 --ケアの倫理をグローバル社会へ』(みすず書房、二〇一二年)、とくに二九一-三一三頁を参照。
    --岡野八代「日本軍『慰安所』制度はなぜ、軍事的『性奴隷制』であるのか 問われる現在の民主主義」、『世界』岩波書店、2014年11月、102-104頁。


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