日記:カトリック信仰者の靖国神社への収斂とはこれいかに。

歴史的仮名遣の『神社新報』まとめて読んでいたら、わりとうけまくってしまい、つらい。
( ※特定のイデオロギーの紐帯としての神社信仰には唾棄を覚えるけれども、熊楠のような対峙と同化と臆面もなく錯覚するのとは同義ではない包摂には憧憬を覚えますがね。 )
[http://www.jinja.co.jp/:title]
たとえばこれ。
「杜に想ふ 秋の夜長=八代司」『神社新報』平成26年09月15日付。
[http://www.jinja.co.jp/news/news_007649.html:title]
いわく「本欄にも折々に執筆される山谷えり子氏と有村治子氏とがそれぞれ初入閣。その活躍ぶりは早速に表はされ」って記述がありますが、確かにネオナチ団体といちゃこらして「しらんがな」では済まないわけで、まあ、って確かに世界を驚かせるような活躍しとるわな。
さて、「杜に想ふ」にたびたび登場され、戦前日本への回帰を切に願う山谷えり子代議士の信仰がローマ・カトリックと耳にして驚ゐている。
カトリックだからといって『神社新報』に寄稿するなとは言わないし、政治的立場は様々在るとはおもうけれども、「教会は野戦病院であれ」と語る現フランシスコ教皇との隔たりは大きいなあ。
いったいどういう経緯で靖国と合体したりすんやろう? まじで興味津々です。まあ曽野綾子などといった民間人の噴飯モノもおるのやけれども。
日本キリスト教思想史を研究する中でどうしても注目してしまうのは、「日本教」とでもいうべきメンタリティとの「対峙」。消極的迎合の批判の先行研究は多いけれども、しかし、山谷えり子さんに代表されるような「積極的迎合」のメンタリティつうのも、きちんと腑分けしないといかんなあ、と。
文化内受肉としてその地域としての展開というのは、それを積極的ないしは消極的に評価しようともやむを得ないし、ざっくりですが韓国やフィリピンのキリスト教と欧州のそれに「温度差」はある。しかし山谷えり子さん的な「国家」を「神」のように捉える視座つうのはちゃうやろうと思ったりです。
しかし、まあ、これはカトリックだけでなくて、無教会主義の系譜のトンデモ展開として幕屋もあるわけなので、近現代日本のキリスト教主義から派生するウルトラナショナルはスルーできないですね。誰か一緒にやります??? とかふってみたり。
( ただ、これはキリスト教に限定される話ではないけれども、マモンに過ぎない領域制国民国家を神聖化したり、あるいはそれと対峙しようとしたりする系譜というのは「僅かな数」であり、まあ、どうでもええわ、というのが一番多いのやろうとは思いますが )

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