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書評:仲正昌樹『マックス・ウェーバーを読む』講談社現代新書、2014年。

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仲正昌樹『マックス・ウェーバーを読む』講談社現代新書、読了。「知識人や学者の知的権威自体が決定的に凋落し、『教養』という言葉が空洞化している今日にあっては、そうしたウェーバーの魅力はなかなか伝わりにくくなっている」。本書は主要著作を参照しながら「古典を読む」魅力伝えるウェーバー入門。

著書が注目するのは、「自らの立脚点を常に批判的に検証し、『客観性』を追求し続けることを、学者の使命」と考えたウェーバー。「理論」と「実践」の間の緊張感を保とうと苦心し続けることは「一段高い」ところから見渡すことと同義ではない。

本書が取り上げるのは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(宗教社会学)、『職業としての学問』『官僚制』(ウェーバーの政治観)、『客観性論文』(社会科学の方法論)、『職業としての学問』(ウェーバーの学問観)。

古典を読むことでウェーバーの魅力へ誘う本書は「入門書」でありながら同時に「古典」や「教養」の重要さについて再考する骨太な試みとなっている。高等教育における学問全体がインスタント化する現在、初学者にも専門家にも紐解いてもらいたい一冊。

「『学問』は悪魔が生み出した業かもしれないが、価値の機軸がない混沌の時代にあって、悪魔や神々の属性を知るために利用できる確かな武器である。それが、ウェーバーが最終的に見出した、『学問』の存在意義である」。この強かさ継承したい。

ひさしぶりに、こういう時代だからこそ、「古典」を読まなければならないなあ、と実感。古典を読んで「そのアクチュアリティがどうの云々」ではなく、ウェーバーの価値自由ではありませんが、真摯に自己に立ち返ること促してくれるのが「古典」との「出会い」だなあ、と……ね。
 


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