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日記:英語のネイティブスピーカーはなぜ白人だけに限定されなければならないのか。


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よく思うのだけど、どこまで白人に対する愛憎まみれた卑屈さを持ち、その鬱憤を返す刀の如き形で、アジア蔑視へと注ぎ込む。人間は相互に平等ではなかったのか(今更だけど。卑屈と蔑視であたかも中庸に位置する如き錯覚として自己を序列化する発想は卒業しなければならないのではないの?

いわゆる、英語のネイティブ教員を見れば判るけれども、画一的に「白人」ばかりでっしゃろ(殆どがメリケンでしょうが。しかし、英語話者は、「欧米」に限定される訳ではない訳でして、南米出身でも、香港でも、インドでも、フィリピンでも、黒人でもありだと思うのだけど、何故かそうならない。

雑に言えば、明治以降の近代化の眼差しをそのまま継承しているのだと思うけど、白人(という先端の西洋〔当時〕)から直接学び、アジアをリードする(=支配する)という歪んだ名誉白人の如き思い上がりが、今の日本をも潜在的に支配しているのだろうと思う。

朝日新聞の土曜版(be on Saturday、2014年11月1日付)に、フィリピンのセブ州マクタン島で、英語ビジネスを展開する元バイク便会社経営者が紹介されていた。「英語が母語でないフィリピン人は教えるツボを心得ていて」だそうな。

テレビ業界を席巻する「世界で輝く日本人」だとか「外国人があこがれる日本」だのというのは、本当にどうでもいいのだけど、例えば英語ひとつにしても、もはやそれはアメリカやイギリスの専有物ではない訳で、多様な「交差」っていうのもありだと思うのですけど、白人がしゃべらないといかんのかの。

例えばですけど、いろんな人種・国籍の英語話者が、英語教育にはいってくる。そのことによって、英語だけでない、その多種多様な背景を学ぶという有り様で、彩り豊かになるはずなんだけど、英語教科書開いても、Johnだのなんだのですからのお。


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