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覚え書:「戦後70年へ:歴史と向き合う、世界は」、『朝日新聞』2014年12月08日(月)付。


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戦後70年へ:歴史と向き合う、世界は
刀祢館正明 三浦俊章 東岡徹 都留悦史2014年12月8日

 それぞれの国民は、前の世代が経験した戦争の記憶を、どう伝えているのでしょうか。記憶を継承する手段はさまざまですが、こどもたちからお年寄りまで世代を超えて訪れる歴史・戦争博物館の役割は大きいといわれます。自国の立場の正当性を前面に出す施設もあれば、自らの加害の歴史を静かに見つめる展示もあります。各地の実例を報告します。

■ドイツ・米国 加害の反省と悲劇の伝承

 ホロコーストなどナチスの残虐な過去をめぐり、ドイツと米国に対照的な博物館がある。

 「テロのトポグラフィー(恐怖政治の地誌)」。ベルリン中心部にある博物館には、奇妙な名前が付いていた。

 遺跡の発掘跡のようだ。斜面を下ると地下牢の跡がある。ナチス時代、国家秘密警察(ゲシュタポ)の本部や親衛隊保安部などがあった場所だ。

 企画・展示を担当するクラウス・ヘッセさんは、「ここは、数百万人の犠牲者を生んだ犯罪の本部があった現場です。1500人がゲシュタポのために働いていたのです」と説明する。

 ただし、加害に手を貸したのは、ここの人たちだけではなかった。

 展示写真の中に忘れられない数枚がある。笑顔でポーズする収容所の女性看守たち、ナチスに熱狂する群衆の表情。ホロコーストの背景には、ナチスを支持したり、黙認したりした大勢の普通の人たちがいたことがわかる。

 暗黒の歴史を伝えたはずの建物は戦後に壊され、敷地は長い間がれきの捨て場だった。人々の記憶から消されかかっていた。その場所がよみがえったのは、ドイツ現代史の激流の中だ。

 まずは1960年代に、若者の造反の時代が来る。戦後世代が、父親たちの世代の責任を糾弾し始めた。この地でいったい何があったのか、という市民たちの問いが発掘につながった。

 次の波が90年のドイツ統一。ベルリンがドイツの首都になると、「ホロコースト記念碑」(写真C)など負の記憶を刻む施設が次々と出来た。トポグラフィーも2010年に完成した。

 年間120万人が訪れる。ヘッセさんは「ナチス・ドイツが犯した罪を歴史的に記憶していくことに期限はありません。忘却を阻止することが私たちドイツ人の課題です」と話す。

 ナチスはドイツ社会が内部から生み出した病理だといわれる。ベルリンの施設は、その過去に、静かに自省的に向かい合おうとしているかのようだ。

 一方、雄弁で、具体的に語り継ごうとするのが、ワシントンにある「米国ホロコースト記念博物館」(写真AとB)だ。在米ユダヤ人団体などの強い働きかけで93年に開館して以来、今日まで3700万人が訪れている。

 順路の途中に巨大な靴の山がある。数千足の黒ずんだ靴は、殺されたユダヤ人たちが実際に履いていたものだ。気づいたら、強制収容所に人々を運んだ貨車の実物大の模型の中にいた。

 ホロコーストの現場から離れた米国に、なぜ大規模な博物館が? サラ・ブルームフィールド館長は「米国は欧州から逃げてきたユダヤの人々の避難の場所であり、ナチスを倒すために戦った国だからです」と答えた。

 さらに進むと、大戦末期に収容所を軍事力で解放した米英ソなどの国々をたたえる一方、ホロコーストに手を貸したり黙認したりした勢力を厳しく批判している。虐殺を前に傍観者でいることは許されないというメッセージ。

 巨大な悲劇を経験したユダヤ人たちが、それを世界に伝え、同じようなことが二度と起きないようにと訴えている。そう思えた。(刀祢館正明)

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 〈ホロコースト〉 一般に、ヒトラー率いるナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺をさす。反ユダヤ主義のナチスが1933年に政権を握り、ユダヤ人を迫害。各地の収容所にユダヤ人を移送し、銃や毒ガスなどで殺害した。約600万人が犠牲になったとされる。

■フランス 戦勝国の暗部に踏み込む

 第2次大戦の激戦地フランス北西部のノルマンディー。有名な上陸作戦の地から近いカーン市の「平和記念館」(写真D)は、異色の戦争博物館だ。

 玄関前には、連合軍側の米英などの国旗に並んで、ドイツの国旗も翻っている。大戦の原因については、ドイツに屈辱的条件を課した1919年のベルサイユ条約について展示で解説する。説明も英仏独の3カ国語だ。

 地元政治家らの提唱で88年に開館した。特筆すべきは、ナチスによる占領の実態など歴史博物館の定番の展示だけでなく、連合軍の作戦でフランスの市民が巻き添えになっていたという、歴史の暗部に踏み込んでいることだ。

 「44年6月の上陸から8月のパリ解放まで、人々は何もなかったかのように記憶してきましたが、カーン市は連合軍の空爆で徹底的に破壊され、このあたりで約2万人の一般市民が死亡しているのです」とステファン・グリマルディ館長。

 これまでは、連合軍をヒーローとする歴史観が圧倒的だった。国民的な記憶では語られなかった空襲の史実を取り上げたのは、「第2次大戦ほど多くの市民が殺された戦争はない。市民の苦しみを通して歴史を理解することが重要だからです」という。(三浦俊章)

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 〈ノルマンディー上陸作戦〉 1944年6月6日、ナチス・ドイツが占領する仏北西部ノルマンディー地方で米英など連合軍が決行した作戦。史上最大規模の上陸作戦として知られ、8月にパリを解放。欧州戦線の流れを変え、連合軍勝利のきっかけになった。

■韓国 終わらぬ戦争、刻々と記録

 入り口に向かう通路の両側に朝鮮戦争などで犠牲になった戦死者の名を刻んだ碑が並ぶ。その数に圧倒される。

 ソウルの「戦争記念館」(写真EとF)は古代からの戦争の記録を伝え、犠牲者を悼む場として1994年に開館。日本の植民地時代の展示もあるが、朝鮮戦争が大半だ。同じ民族が戦う「最大の悲劇」である朝鮮戦争。体験者が減り、後世に伝えるのは「国家的課題」との危機意識が背景にある。

 「肉弾三勇士」の像は激戦地で戦った兵士をたたえ、戦況を逆転させた仁川上陸作戦は映像で紹介。作戦を指揮したマッカーサー司令官のサングラスもある。国連軍とともに勇敢に戦い、苦難を耐え抜いた韓国人の姿を伝える。

 ただ、戦争は終わっていない。今も北朝鮮による武力挑発は続いている。

 戦闘機や戦車が並ぶ屋外の展示で目立つのが「チャムスリ357号艇」。2002年に黄海で北朝鮮の砲撃を受けた実物を再現した。4人が死亡した北朝鮮による韓国・大延坪島(テヨンピョンド)砲撃事件から4年を迎えた11月23日、政府主催の追悼式典が開かれたのも同館だった。鄭〓原(チョンホンウォン)首相が式辞を寄せ、「国民が確固たる安保の意思で武装することこそ、武力挑発を防ぐ最善の予防策になるのです」と呼びかけた。(東岡徹)

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 〈朝鮮戦争〉 1950年、朝鮮半島の武力統一を目指す北朝鮮が北緯38度線を越えて侵攻。韓国軍と米国など国連軍、北朝鮮側に立つ中国軍が参戦した。53年に休戦協定。韓国の資料では、韓国・国連軍の死者は17万人超、北朝鮮・中国軍は61万人超。

■マレーシア 民族分断、修復へ融和重視

 クアラルンプール中央駅にほど近い「国立博物館」(写真G)は赤い屋根と白壁が印象的だ。英国から独立して間もない1963年に開館した。

 「植民地時代」のコーナーに入った。ポルトガル人が乗った帆船の巨大模型や伝来の鉄砲。英国人が胸につけた勲章や古い紙幣も展示されている。16世紀のポルトガルによるマラッカ支配に始まり、オランダ、英国、日本、再び英国。列強によるマレーシア支配は、実に400年以上も続いた。

 終戦まで3年8カ月続いた日本の占領期を紹介する一角は、他の時代と比べて展示品が少なく地味だった。古びた自転車が目を引く。41年12月、マレー半島に上陸した旧日本軍が進軍時に使ったものだ。日本刀もあった。「首斬りに使われ、地元で恐れられていた」とする一文が添えられていた。

 ヒシャム・ラーマン学芸員は「どの植民地時代にも良い面と悪い面がありました。多くのマレーシア人が日本人に殺されたことは知っていますが、植民地化で鉄道などインフラ整備や教育が進んだのも事実。我々は歴史を冷静に見つめてきました」と話した。

 日本統治時代の歴史がまとめられていると聞き、旧日本軍が上陸した半島東部コタバルの「戦争博物館」も訪ねた。銃剣や刀で住民が殺されたと説明するパネルが1枚あったが、展示は当時の戦況の解説や水筒、軍服など日本兵の所持品が中心だ。アブスタリム・ヤコブ学芸員は「植民地支配は民族分断の歴史。独立後にマレー系、中華系、インド系の融和を図るには寛容と調和の精神が大事でした。日本を悪者にしてあおることは、その精神にそぐわない」と語る。(都留悦史)

■「国民的博物館」日本は

 この特集で紹介した世界の博物館は、安全保障の意識を高めるためだったり、歴史的あるいは民族的和解のためだったり、それぞれの記憶をそれぞれのやり方で刻んでいる。ひるがえって、日本の場合はどうだろう。国民の間で幅広い合意のある総合的な歴史・戦争博物館はあるだろうか。

 よく取り上げられる靖国神社の遊就館は、戦没者を「英霊」と顕彰する歴史観に、内外から自国中心だとの批判もある。一方、大阪国際平和センター(ピースおおさか)など「加害責任」を問う施設については、見直しを求める動きもある。現在の日本では、歴史認識が激しい政治争点になっている。

 きょう8日は、太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃から73年。来年、日本は戦後70年を迎える。だが、国民が歴史観を共有できる博物館のあり方について、いまだ答えはない。
    --「戦後70年へ:歴史と向き合う、世界は」、『朝日新聞』2014年12月08日(月)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASGD1619RGD1ULZU008.html:title]

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