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2014年12月

日記:2014年の3冊

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自分でも驚く話ですが、有志ではじめた月の1度のコロンビア大学コアカリキュラム(※1)で紹介されている古典を読むという学習会、なんとか1年間継続できました。

テクストを読むという意義を再考させられた一年だったと思う。参加者のみなさん、ありがとうございました。

ソクラテスから始めましたが、秋口よりいったんカリキュラムから離れて参加者それぞれの「読んでみたい1冊」を回し、フーコーやサイード、リョサといった著作を読み、年末は忘年会をかねて、「読んでおきたい3冊」ないしは「2014年の3冊」を紹介しました。

氏家は、「2014年の3冊」として、次の3冊をチョイス。

1)リス・シリュルニク(林昌宏訳)『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』吉田書店、2014年。

2)木田元『わたしの哲学入門』講談社学術文庫、2014年。

3)アイリス・M・ヤング(岡野八代、池田直子訳)『正義への責任』岩波書店、2014年。
それぞれ認識を更新し、不断に現実に関わっていく上で欠かすことのない3冊ではないかと思います。
参加者それぞれからもおのおのの3冊の紹介があり、有意義な時間を紡ぎ合うことができありがとうございました。

1月からまた始めますが、みなさまどうぞ宜しくお願いします。
また大晦日になりましたが、みなさまどうもありがとうございました。新しい年も宜しくお願いします。


※1[http://www.college.columbia.edu/core/:title]


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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 福祉国家を支える教育=本田宏」、『毎日新聞』2014年12月24日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
福祉国家を支える教育
最低の投票率だった衆院選
本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 今月14日に実施された第47回衆院選の投票率は戦後最低の52・66%となった。今回の総選挙は、安倍晋三首相が掲げる経済政策「アベノミクス」だけではなく、原発再稼働や特定秘密保護法、集団的自衛権など、過去の総選挙と比較にならないほど日本の招来の進路を決定付ける多くの争点を抱えていたはずだ。しかし国民の関心は低く、与党が再び全体の3分の2を超える326議席を得た。
 昨年9月に国連が発表した世界幸福度報告書によると、富裕度や健康度などを総合評価した幸福度の国別ランキングで超福祉国家とされるデンマークが1位だったのに対し、日本は43位と低迷した。医療や福祉、介護の分野で世界をリードするデンマークの国政選挙の投票率は88%と世界のトップクラスで、未曾有の超高齢社会目前に医療や介護に問題を積み残したまま放置する日本とは比較にならない高さだ。
 先日、知人からデンマークの初等教育の話を聞いて驚いた。授業で近くの川に建設された橋を見学しながら、橋の両岸の住民が建設時に戦わせた議論の内容、建設時やその後の維持にかかる経費などを学んでいたというのだ。
 デンマークの教育はどうなっているのか。「デンマークが超福祉大国になったこれだけの理由」(合同出版)を読み、目からウロコが落ちた。デンマークでは憲法で「全ての子どもはフォルケスコーレ(公立学校)で義務教育を無料で受ける権利がある」と定める。「学校での教育や日常生活は自由な精神、平等、民主主義の上に成り立つものでなければならない」として教科書も授業方法も国から制約を受けない。
 1年生から「教育、職業、労働市場の知識」という科目が必修とされ、1年生から3年生で日常生活やクラスの体験を題材に討論する。例えば、選挙をテーマに多数決の意味や、自分の意見を伝え、相手の意見を聞いて合意を見いだすことの意義を学ぶ。4年生から7年生になると地元での神学や就職の可能性、若者が働く環境や権利などについて討論し、メディアからの情報収集の方法、メディアリテラシー教育もある。
 このように超福祉大国デンマークでは、初等教育から民主主義やメディア情報の収集の仕方を教育している。一方、検定を受けた教科書を使い、偏差値重視で全国共通試験の優劣や有名校入学者数を競い合っているのが日本の教育の現状だ。
 日本の命運を決めると言っても過言でない今回の総選挙の投票率がわずか半分程度の日本。改めて服し、社会保障充実を目指す者として、日本が最初に見直すべきなのは、教育ではないかと痛感させられた。
世界幸福度報告書 国連が2012年から公表する国別幸福度調査。1人当たりの国内総生産(GDP)や健康寿命、社会的支援などの要素を考慮して推定。13年はデンマーク、ノルウェー、スイスなど欧州各国が上位を占めた。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 福祉国家を支える教育=本田宏」、『毎日新聞』2014年12月24日(水)付。

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[http://www.huffingtonpost.jp/kenji-sekine/post_6096_b_4237432.html:title]


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日記:尊皇テロルを大河ドラマで扱うとはこれいかに

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昨日で病院もその後のGMSの夜勤も「仕事納め」でした。

例年ですと、まじめに年末年始も出るのですけど、(生臭い話ですけど)それで給料や評価があがったりするわけではないので、今年は割り切って、年末を休みにして、正月を出勤というパターンにしました※1。
※1非正規雇用ですからね、休みまくるとイコールお金にならないわけでござんす。

さて、精神科の方では、昨日が年末年始にまたがる病棟内のシーツ交換。ただし、すでに年末進行の縮小体制で回しているので、自分1人で35床分の保護室および拘束されてる方のぞく25床の交換を実施。

ひさしぶりに汗だらだらでした。

まあ、とにかく、入院されている方が、清潔なシーツで新年を迎えて頂く準備はでけたのでよしとしておきます。

で……。
病棟内のホールに共用のTVがあるのですけど、患者さんと一緒に見てましたら。来年のNHKの大河ドラマが、妹を主人公に設定はしているのですけど、吉田松陰とゆかいな仲間たちを取り上げていることにドンびきしました。

吉田松陰自体が尊皇テロリストであることはいうまでもない話ですが、吉田松陰を尊敬してやまない安倍首相が一強(凶)を強める時期も時期ですからねえ、これはないわなーと。

どんだけ権力に回収されて恬淡として恥じることのない時代なのかと驚きました。

さて……。
遅い夕方。いったん、帰宅(そのあと、また仕事へいくのですけど)。
歴史好きの子どもと話していたのですけど、
「まあ、パパは、薩長大嫌いだからなー」などと事情通の如き返答をされてしまいましたが、まあ、しかし、(その対象に瑕疵があること自体は否定しませんけど)幕末のビックやるなら、適塾-福沢諭吉(で金玉均もまぜてな)をやったほうが、どんだけましかとは思いました。

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覚え書:「デモクラシーの本質、追求 松尾尊兌さんを悼む 京都大教授・永井和」、『朝日新聞』2014年12月23日(火)付。


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デモクラシーの本質、追求 松尾尊兌さんを悼む 京都大教授・永井和
2014年12月23日

(写真キャプション)14日に85歳で死去した松尾尊兌さん=2004年、京都市
 ◇京都大教授(日本近現代史)・永井和

 12月14日午前10時30分に松尾尊兌(たかよし)先生が亡くなった。1カ月半前に85歳の誕生日を迎えたばかりである。

 戦後日本を代表する歴史家の1人であり、大正デモクラシーの研究では不朽の業績を残した。単行本だけでも著書は16冊にのぼり、質量ともに余人の追随をゆるさぬものがある。吉野作造をテーマに執筆中の岩波新書の完成をみることなく、病に斃(たお)れられたのはまことに残念である。

 以前、先生は、満州事変期の吉野がデモクラシーを護(まも)るために最後の抵抗を試みていた、と論じたことがある。公表された論説で、吉野は満州事変や日本の国際的孤立もやむをえないと述べているため、一見すると、彼が袂(たもと)をわかった娘婿の赤松克麿(かつまろ)(軍部の侵略主義を積極的に支持して国家社会主義に転じた)と大同小異に見えるが、そうではない。

 遠くから見ればごく僅(わず)かとしか見えないが、吉野と赤松にははっきりとした違いがあり、デモクラシーを研究する者は、その違いを見抜く目をもたねばならない。その違いを見ずに、吉野を赤松と同列にみて斬って捨てる議論も、吉野にかこつけて赤松を弁護する議論も、いずれも先生は否定した。

 その大正デモクラシー研究の根底には、「歴史家がデモクラシーの伝統を見いだしえずして、どうして日本においてデモクラシーが可能になりえようか」という問題意識があった。見いだされるべきデモクラシーの伝統とは、反・非帝国主義、反・非植民地主義でなければならなかった。

 かつて終戦の際、再起の日を期して軍事訓練用の小銃を油紙に包んで土中に埋めた、絵に描いたような軍国少年としての戦争体験。そこから百八十度転換した松江高校、京都大学での学生生活。その両者からして、このことは動かせない一線であったと思う。

 石橋湛山や吉野作造は、そのようにして先生によって見いだされたデモクラシーの先達であり、その伝統の上に構築されるのでなければデモクラシーは存立しえないとされたのである。
    --「デモクラシーの本質、追求 松尾尊兌さんを悼む 京都大教授・永井和」、『朝日新聞』2014年12月23日(火)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11520691.html:title]


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書評:ジャン=フランソワ・リオタール(松葉祥一訳)『なぜ哲学するのか?』法政大学出版局、2014年。


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ジャン=フランソワ・リオタール『なぜ哲学するのか?』法政大学出版局、読了。哲学することと実践の架橋に悩むリオタールが40歳の時、パリ第1大学で新入生に行った、哲学と欲望、哲学の起源、哲学の言葉、政治など4つの講義を収録する。リオタールによる最良の哲学入門。訳者の解説は秀逸な伝記。

リオタールの膝下で学んだ訳者・松葉祥一さんインタビュー:神戸映画資料館
[http://kobe-eiga.net/webspecial/bookreview/2014/03/%E3%80%8C%E3%81%AA%E3%81%9C%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F%E3%80%8D%E6%9D%BE%E8%91%89%E7%A5%A5%E4%B8%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC/:title]

“ポスト・モダンとは「小さな物語」が並立的に存在する世界だと考える。これはとてもよく理解できる指摘です。確かに、現代は「みんな違ってみんないい」を肯定する社会でもあるでしょう。その一方でリオタールは、実はその社会が同時に「大きな物語」への強いノスタルジーを持っていること”を指摘。

今の日本を振り返ると「みんな違ってみんないい」の実存が許容される訳でもないのに、そのフレーズだけを「みんな」が言い、相互に同じ言葉を述べることで何かを確認している。「大きな物語」への強いノスタルジーの、しかも「いびつ」な形の立ち上がり痛感する。もう一度リオタール読むべきかなあと。

例えば次のような報道もある。

「『永遠の0』の影響?軍歴照会の申請が急増」『読売新聞』2014年12月22日付。
[http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20141222-OYT8T50100.html?from=tw:title]

これなんかもそう。
人がルーツを辿る意義を全否定しようとは思わない。しかしこの空前の『永遠の0』という熱狂は、悪しき国民国家への回収であり、都合の良い物語に「酔い」自尊する臭いが強く、危惧する。

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覚え書:「特集ワイド:続報真相 衆院選座談会 与党圧勝に潜む危うさ 萱野稔人氏/平野啓一郎氏/西崎文子氏」、『毎日新聞』2014年12月19日(金)付。


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特集ワイド:続報真相 衆院選座談会 与党圧勝に潜む危うさ 萱野稔人氏/平野啓一郎氏/西崎文子氏
毎日新聞 2014年12月19日 東京夕刊

(写真キャプション)自民大勝に笑顔の安倍晋三首相(中央右)ら。少数意見にも耳を傾けるだろうか=東京都千代田区の同党本部で14日夜、山本晋撮影


 与党で326議席と大勝した安倍晋三首相は来週にも組閣し、第3次安倍内閣が始動する。世論調査などで予想された結果とはいえ、今の政権をここまで強く「是認」するこの国の状況って、何なのだろう。小選挙区制というシステムにも問題はないのか。芥川賞作家の平野啓一郎、津田塾大教授の萱野稔人(哲学)、東大教授の西崎文子(政治学)の3氏に語り合ってもらった。【まとめ・江畑佳明、写真・小関勉】

 ◇継続必要な金融政策を争点に批判封じ
 --衆院選の結果から何が見えてきましたか。

 西崎 戦後最低の52・66%の投票率が示す通り、有権者は非常に冷めていました。というのも、なぜ解散をするのか、安倍首相の立場としては理解できても、国民一人一人としては納得できなかったからです。与党は望んだ結果を得られ満足かもしれませんが、政治不信、ひいては民主主義制度への懐疑心を確実に広げた。憲法改正というテーマが控えていることを考えると非常に危険な状況です。盛り上がりに欠けながら戦後政治の転換点として、歴史に残る選挙かもしれません。

 萱野 アベノミクスを争点にしたのは安倍政権のうまさでした。2005年の小泉純一郎首相の「郵政解散」がそうだったように、首相が「争点はこれだ」と設定すると、そのインパクトは相当に強く、野党がそこから抜け出すのは難しいんです。「効果が出るのはこれからだ」との主張には一定の説得力があるし、野党も「格差が広がった」と批判しながら「その格差をどうやって縮めるのか」との問いにうまく答えられなかった。金融政策には継続性も必要ですから、野党といえどもアベノミクスを全否定することはできない。そこを突かれた面もあります。

 平野 「うまさ」というより「ずるさ」でしょう。政府の経済政策を選挙で議論すること自体は否定できない。しかし、そうしている間に他の論点、安倍首相が執着する憲法改正などを問う時間が全くなくなってしまった。案の定、選挙が終わった途端、安倍首相は「信任が得られた」として憲法改正についても積極的な姿勢を示し始めています。

 西崎 論戦を盛り上げる責任は野党にもありますが、民主党はこの2年間、与党への対抗軸をつくる努力をほとんどしてこなかった。アベノミクスや安全保障の面で代案を出せなかったことがそれを証明しています。政権を失ったことについて、どれほど危機意識を持っていたでしょうか。

 ◇組織や団体で1強から「個」守る行動を
 --「1強」に傾く有権者の心理をどう読み解けばいいのか。

 萱野 テレビ局関係者の話では、選挙の特集番組をつくっても視聴率が取れないというのです。政党やメディアから「あれもこれも考えて投票すべきだ」と言われても、社会構造が複雑化して選挙の争点も多岐にわたり、「とてもそこまで考えきれない。一任するから何とかしてくれ」というのが大半の有権者の本音ではないでしょうか。

 平野 法律上の明確な規定がなくとも「これ以上やってはいけない」という常識の一線を、平気で乗り越えていく人が増えています。ネット炎上の罵詈雑言(ばりぞうごん)がそうだし、最悪の例はヘイトスピーチ。社会の緩やかな合意がどんどん失われている。安倍首相の政治手法にも、そうした風潮との相似性を感じます。特定秘密保護法、憲法解釈の変更、大義なき解散、いずれも「別に禁止されたことじゃないんだからいいだろう」と。航空機の座席の肘置きって、左右どちら側の人が使うか明確なルールはないけれど、お互い様で上手に使っていますよね。でも「決まりがないなら独占してもいいだろう」とドンと置く人が出てきたら、真ん中に線を引いて、そこから出ないようにとか、細かな規則を作るしかない。

 萱野 紳士協定的に守られてきたルールが破壊されつつあるのは、欧州も同じです。例えば公の場で人種差別的発言をしない、犯罪容疑者の人種を公表しないといったルールに対して、それらを守っていても問題は解決できないという議論がすごく力を持ち始めていて、明らかに政治家も引きずられている。経済成長が行き詰まるとともに社会から寛容さが失われるという先進国共通の問題が、そこにはあります。

 --違う意見に耳を傾け熟考することを拒む「反知性主義」という言葉も聞かれます。

 西崎 反知性主義には、一部のエリートが公的な知識と権力を独占している状況に異議を唱える正当な動きという側面もあります。ただ、不満が原点ですから、ヘイトスピーチのように情動に流れたり、排他性を強めたりする危険性がある。問題は権力の側がこの性質に着目し、論理的説明を避けて感情に訴える形で一定の方向に導こうとすることです。安倍首相は集団的自衛権行使を訴える場面で、お母さんや子供を守るといったことを強調しますが、これは極めて危険です。国民に議論の多様性を気づかせないようにする意図を感じてしまいます。

 平野 反知性主義の背景には「本音」が尊ばれるインターネットの影響があるでしょう。結局、その「本音」の善悪は知的に考えるしかないのです。

 もう一つは東日本大震災や福島第1原発事故で膨らんだ「専門家への不信」があります。

 --巨大与党下という状況の中でも「個」の意見や信条が押し潰されないようにするには、何が必要でしょうか。

 西崎 メディアが権力との関係を自覚することが重要です。自民党がテレビ局に「選挙報道は公平中立に」と要望したことには、もっと強い反応があってしかるべきだった。政策に賛成であれ反対であれ、報道の自由への介入は断固拒否する姿勢を一丸となって示すことが大切なメッセージになります。

 平野 「個」で傷だらけになっても闘えというのは厳しい。権力に対抗するためには、組織や団体が個人の言説を守っていく必要がある。最近、歴史学の学術団体が、朝日新聞の検証記事をきっかけに従軍慰安婦問題での強制性を否定する主張が出てきていることを批判する声明を出しました。こうした動きは極めて重要です。

 萱野 議論の作法を磨くというのは、個人にできる一つの対処法でしょう。理想論や問題提起だけでなく、具体的にどうするのか、現実面にまで落とし込んだ議論を心がける。そうでないと「またお花畑の話をしている」と皮肉られるだけです。

 ◇対抗軸なき小選挙区制に「独裁」リスク
 --小選挙区では、自民党の得票率は5割なのに議席は4分の3を占めました。

 西崎 そもそも小選挙区比例代表並立制導入の目的は、政権交代を可能にすることでした。でも、その意図とは異なり、1強支配型の議会を形成する非常にゆがんだ制度になりつつあります。このままでは、中選挙区制だった55年体制下よりもさらに強力な自民党支配が継続する可能性が高い。

 --「独裁」を生みやすい制度になりつつある?

 西崎 きちんとした対抗軸が形成されない限り、そうなっていく恐れがあります。そして、批判にさらされない政治は必ず腐敗や硬直化を生み出します。

 平野 小選挙区制は、基本的には反対意見があっても2位以下なら反映されない仕組みです。安倍首相も「選挙に勝って信任されたんだから」と、反対意見を考慮せず、自らの信じる道を突き進んでいく。実は彼の政治観や政治手法に絶妙にマッチした選挙制度です。

 萱野 制度導入時に比べ、今は国の財政状況が格段に悪化しているという背景が大きいと思います。当初は保守とリベラルという2大勢力をイメージしたはずですが、リベラルとされる民主党が「福祉を充実させる」と公約して政権を獲得したものの、財政赤字に直面して、公約を実現できなかった。リベラル政治って、お金がかかるんですよ。これは債務危機に見舞われた欧州も同じで、どの国も財政赤字がひどくて、リベラルな主張を掲げてもやれることは限られているから、すぐ壁にぶちあたる。フランスでも左派のオランド政権が行き詰まり、支持者が不満を募らせて反政府デモをしている状況です。

 平野 小選挙区制で「政策・政党で選ぶ時代が来た」と言われた反動なのか、有権者の人物を見る眼力が落ちているのではないかという気がする。今回はあまり目につきませんが、チルドレンがどーんと増えたり、強い支持を受けているわけでもない与党が圧勝してしまったりというのも、その表れでしょう。

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 ■人物略歴

 ◇かやの・としひと
 1970年愛知県生まれ。早大卒業後、フリーターを経て渡仏。パリ第10大学大学院哲学科博士課程修了。著書に「ナショナリズムは悪なのか」「国家とはなにか」など。

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 ■人物略歴

 ◇ひらの・けいいちろう
 1975年愛知県生まれ。京大卒。在学中の98年に「日蝕」でデビューし芥川賞受賞。「決壊」「ドーン」「透明な迷宮」「『生命力』の行方」など著書多数。

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 ■人物略歴

 ◇にしざき・ふみこ
 1959年宮城県生まれ。成蹊大教授を経て2012年から現職。専門は米国政治外交史。TBS系情報番組「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演中。
    --「特集ワイド:続報真相 衆院選座談会 与党圧勝に潜む危うさ 萱野稔人氏/平野啓一郎氏/西崎文子氏」、『毎日新聞』2014年12月19日(金)付。

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[http://senkyo.mainichi.jp/news/20141219dde012010017000c.html:title]


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日記:<他人>の現前化は平和である


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 顔において、<他人>、絶対的に他なるものが現前する。けれども、顔は<自同者>を否定しないし、また、臆見、権威、摩訶不思議な超自然的事象と化して<自同者>を傷つけることもない。顔はそれを迎接する者と同じ土俵に立ちつづける。顔は現世的なものでありつづける。顔における<他人>の現前化は非暴力の典型である。なぜなら、この現前化は、私の自由を傷つける代わりに私の自由に責任を喚起せしめ、それによって私の自由を創設するからである。<他人>の現前化は非暴力であるが、にもかかわらず<自同者>と<他人>の多元性を維持する。<他人>の現前化は平和である。
    --エマニュェル・レヴィナス(合田正人訳)『全体性と無限 外部性についての試論』国文社、1989年、307-308頁。

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「解放」「自立」「脱疎外」といった観念そのもに暴力性が潜在する。

存在論の暴力性を喝破しながらも、批判で終わらず、その超克と日常生活のなかで生き続ける可能性を模索したのがレヴィナスの思想といってよいが、いち早くレヴィナスに注目されたのは、そうした暴力が顕著な仕方で現出した地域ばかりだったという。

レヴィナスの知見にリアリティとは、例えば、暴力装置としての権威とそれに対峙する批判精神といった近代の構造が「形」をとらなければ、その批判精神というのは、注目されがたいのかも知れない。

言うまでもないが、批判精神に「すら」潜在する暴力を見抜くことは、その精神の対峙する権威の問題を「見過ごす」ことと同義でははない。否、批判精神に「すら」潜在する暴力を見抜くことによってこそ、対峙する権威の問題をも超克していくのであろう。

この消息を勘違いしてしまうと、批判することに酔う、ないしは荷担していない「私」の演出としてのレヴィナスの援用という本末転倒になってしまう。現代日本においてその錯誤という軽挙妄動こそ常に相対化していくべき課題なのであろう。

そもそも権威と批判精神の対峙もなく、つねに全体に回収されていくヒエラルキーの構造のなかで、先端知を飽くなく探究する知的エッジですら、気がつけばよういに、自己の暴力性を自覚しないまま、飲み込まれてしまうのが日本という精神風土だ。

そうした精神風土であるがゆえに、レヴィナスをもう一度、読み直すことが必要であり、暗い夜を駆け抜ける同伴者の足音として、つねに低音を響かせていかなければならない。

1995年の今日(12月25日)はレヴィナス老師のご命日。その学徳を偲びつつ、その意志を継承していきたい。

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病院日記:50~60代の子どもの心配・世話をする80代以上の親のお見舞いという「忍びない」光景

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介護の話題で耳目をひくのは老々介護の話題ですけど、病院で仕事をしていると、老々介護ならぬ老老子介護とでもいえばいいでしょうか、その光景を目の当たりにするに、非常に切ないものを感じてしまいます。
※そして「切ないもの」を感じてしまう「傲慢さ」は承知しておりますが、ひとまず横に置きます。

さて、老老子介護ですけど、これは精神科だけでなく全ての病棟で見かける光景ですが、つまり、50~60代の子どもの心配・世話をする80代以上の親のお見舞いというそれです。

支援する側がまだ「若い」のなら「まだしも」ですけど、老いた親が子の心配をする光景は、非常に忍びありません。

3.11以降、「絆」よろしく、「自助」「共助」という言葉が強調されます。しかし、そのミニマムな共同体モデルとしての「戦後家族モデル」が失われつつある今、その胡散臭さに危惧を覚えます。

具体的に言えば、何かあれば「家族で面倒を見ろ」といういびつな「自助」、そして何かあれば、実際のところ戦時下の「隣組」を彷彿とさせる「相互監視システムよ、再び」という「共助」。

老いた子どもが老いた親の世話をする。老いた親が老いた子どもの世話をするという「自助」自体、現実的に限界に来ている。

その介護の「美談」の如きものを耳にして「いい話し聞いた☆」で済ませる訳にもいかず、「共助」といっても「絆」の語源の如き排他主義を隠しつつ、本来、必要なはずの共助としての公的支援・補助を「アウトソージング」といって誤魔化している訳で。

「家族で面倒を見る」ことも限界ですし、「お隣さん同士助けあう」ことにも限界がある。公的支援をばっさり切って、そこに現出するのは、「息苦しい」強者ばかりが生き残る殺伐とした光景ではありませんかねえ。

少し考え直す必要があると思います。


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覚え書:「言論空間を考える:拡散する排外主義 東島誠さん、白井聡さん」、『朝日新聞』2014年12月20日(土)付。

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言論空間を考える:拡散する排外主義 東島誠さん、白井聡さん
2014年12月20日

 ネット空間から「反日」や「売国奴」といった言葉が広がり、メディアにも登場するようになった。レッテルを貼り、排外的に攻撃する言動が拡散する背景には、何があるのだろうか。この国の歴史と言論をめぐる歩みから考えた。

 ■「江湖」の精神、取り戻そう 東島誠さん(歴史学者)

 坂本龍馬が理想を求めて土佐を脱藩したときの出港地といわれているのが、伊予国長浜(現在の愛媛県大洲市)の「江湖(えご)」の港。本来の読みは「ごうこ」、もしくは「こうこ」です。

 江湖は、唐代の禅僧たちが「江西」と「湖南」に住む2人の師匠の間を行き来しながら修行した故事に由来します。一つの場所に安住することを良しとせず、外の世界へと飛び出すフットワークの軽さを表します。国家権力にも縛られない、東アジア独自の「自由の概念」といってよいでしょう。

 幕末を駆け抜けた龍馬の遺志を継ぐかのように「江湖」の看板を掲げたのが、明治期の言論界です。「江湖」を名に冠する新聞・雑誌が多数生まれました。当時は「官」に対する「民」、「国家」に対する「市民社会」が「江湖」でした。自由民権思想のリーダーだった中江兆民は、東洋自由新聞で読者を「江湖君子」と呼んで社説を書き、晩年は兆民自身が「江湖放浪人」などと呼ばれました。

 現代では「江湖」は全くの死語となりました。ネット空間においても、私は「江湖」の精神を見つけにくいと感じています。「江湖」とは正反対の嫌韓・反中やヘイトスピーチなど、排外的な主張があふれているからです。異論を述べると激しく攻撃され、排除される。ネットは人々を開くどころか、閉じる方向へと進める役割を果たしていると思います。

     *

 <力増す「対外硬」> ところが明治期を振り返ると、そこには「江湖」の精神が息づいていました。夏目漱石をはじめとする名だたる文豪が寄稿した「江湖文学」は、無名の読者に投稿を呼びかけて参加の場を開きました。同誌の仕掛け人、田岡嶺雲(れいうん)は、窮乏していた韓国(植民地支配以前の大韓帝国)からの留学生を援助するため、幸田露伴の妹、幸(こう)らの出演するチャリティーコンサートを企画し、「江湖」に対して義援金を呼びかけてもいます。

 しかし、「江湖」の精神は、日露戦争を境に退潮していきます。かわって政府の弱腰外交をたたき、外国への強硬姿勢を掲げる「対外硬(たいがいこう)」が力を増し、「下からの運動」が台頭しました。その頂点が1905年の日比谷焼き打ち事件です。ロシアに譲歩したポーツマス条約に不満を持つ数万人の群衆が日比谷公園に詰めかけ、暴徒化して内相官邸や警察署、政府擁護の新聞社を襲撃したのです。

 社会派弁護士の花井卓蔵らと超党派的な政治結社「江湖倶楽部(くらぶ)」を立ち上げた小川平吉は、早々に「江湖」の世界を離脱し、「対外硬」を推進しました。さらには政治家として、その後の韓国の植民地化や袁世凱政府への21カ条要求、治安維持法制定にも深く関与するに至ります。

 「江湖」が退潮したもう一つの理由としては、「江湖倶楽部」と共闘して社会変革に取り組んだキリスト教思想家、内村鑑三のような良心的な知識人たちが、時代の変化とともに内省に向かい、結果として積極的な外への発言力を弱めることになった点があります。

 かくして「江湖」は「対外硬」に負け、日本は戦争の時代に突入していきました。ネットの言論空間やデモで排外主義が吹き荒れる昨今の状況は、百年前の「対外硬」を思い起こさせます。

     *

 <新聞は「荷車」に> 現代のメディアに「江湖」の精神を復活させる道はあるのでしょうか。新聞社の主筆も務めた中江兆民は「新聞は輿論(よろん)を運搬する荷車なり」と語っています。私は「荷車」での運搬に汗する肉体労働、そのアナログ感が重要だと考えています。新聞記者は現場を歩いて、取材先の話を丹念に拾うことが大切だと思うからです。

 江戸時代に活躍した行商の貸本屋も重い本を何十冊も背負い、読者を訪ね歩く大変な重労働でした。彼、彼女らは書物だけでなく、様々な情報を直接人と会うことで媒介していったのです。人々と直接顔を合わせて交流するその様子は、現代よりもはるかに開かれた社会を感じさせます。

 希望や明るさが感じられない時代です。それでもまだ、考え、発言する自由は奪われてはいません。既存メディアは考えるための材料を汗して運搬することを、あきらめてはいけないと思います。(聞き手・古屋聡一)

     *

 ひがしじままこと 67年生まれ。聖学院大学教授。著書に「〈つながり〉の精神史」「自由にしてケシカラン人々の世紀」「公共圏の歴史的創造」。共著「日本の起源」。

 ■「大人」になり損ねた日本 白井聡さん(社会思想史家)

 「日本人は12歳の少年のようなものだ」。占領軍の総司令官だったマッカーサーは米国へ帰国後、こう言いました。では戦後69年を迎えたいまの日本人は、いったい何歳なのでしょうか。

 このところの「日本人の名誉」「日本の誇り」を声高に言い立てるヒステリックな言論状況をみていると、成長するどころか退行し、「イヤイヤ期」と呼ばれる第1次反抗期を生きているのではないかという感じを覚えます。

 中国や韓国は文句ばかりで生意気だからイヤ。米国も最近は冷たいからイヤ。批判する人はみんなイヤ。自分はなんにも悪くない――。どうしてこんなに「子ども」になってしまったのか。戦後日本が、敗戦を「なかったこと」にし続けてきたことが根本的な要因だと思います。

     *

 <欠けた敗戦感覚> 日本の戦後は、敵国から一転、庇護(ひご)者となった米国に付き従うことによって、平和と繁栄を享受する一方、アジア諸国との和解をなおざりにしてきました。多くの日本人の主観において、日本は戦争に「敗(ま)けた」のではなく、戦争は「終わった」ことになった。ただし、そうした感覚を持てたのは、冷戦構造と、近隣諸国の経済発展が遅れていたからです。

 冷戦が崩壊し、日本の戦争責任を問う声が高まると、日本は被害者意識をこじらせていきます。悪いのは日本だけじゃないのに、なぜ何度も謝らなければならないのかと。対外的な戦争責任に向き合えない根源には、対内的な責任、つまり、でたらめな国策を遂行した指導層の責任を、自分たちの手で裁かなかった事実があります。

 責任問題の「一丁目一番地」でごまかしをやったのだから、他の責任に向き合えるわけがありません。ドイツはいまも謝り続けることによって、欧州のリーダーとして認められるようになりました。それのみが失地回復の途であることを、彼らはよくわかっているのです。

 1990年代には、河野談話や村山談話のように、過去と向き合う動きもありました。ところがいまの自民党の中には、来年、戦後70年の首相談話を出すことで、河野談話を骨抜きにしようという向きもあるようです。

 河野談話の核心は、慰安婦制度が国家・軍の組織的な関与によって女性の尊厳を踏みにじる行為であったことを認め、反省と謝罪を表明した点にあります。この核心を否定するのか。ここまで来たら、やってみたらいかがですか。「内輪の論理」がどこまで通用するのか、試してみたらいい。

 国際社会は保育園ではありません。敗戦の意味を引き受けられず、自己正当化ばかりしていると、軽蔑されるだけです。

     *

 <「内輪」脱すべき> 「子ども」を成熟に導くには本来、メディアの役割が重要です。しかし残念ながらいま大方が「子ども」相手の商売に精を出している。「嫌中・嫌韓」本が多く出版され、テレビは「日本人はすごい」をアピールする番組を山ほどつくっています。

 メディアの非力さは、権力との関係でも露呈しています。新聞社やテレビ局の幹部が、首相とたびたび会食しているのはおかしい。民主制にとって決定的に重要なのは公開性です。そのような常識を、日本の政治家は欠いているのではないか。だから記者は政治家と個人的関係を築いて情報を得ようとし、「内輪」のサークルが出来あがる。

 衆院選投開票日の報道番組で、安倍首相がキャスターの質問に色をなして反論し、イヤホンを外すという一幕がありました。一国の最高権力者が、これほど批判への耐性が弱いことに驚きますが、裏を返せば、それだけメディアが首相を甘やかしてきたということでしょう。日本の政治にとってもジャーナリズムにとっても害悪でしかない、いびつな「内輪」文化を変えるべきです。

 日本は、戦後を通して「大人」になり損ねてしまった。先進近代国家になったつもりだったけれど、社会の内実はゆがんでいたという苦い事実をまずは正視するしかありません。それができないのなら、もう一度「敗戦」するしかないでしょう。(聞き手 論説委員・高橋純子)

     *

 しらいさとし 77年生まれ。文化学園大学助教。専門は社会思想・政治学。著書に「永続敗戦論」「『物質』の蜂起をめざして」、共著に「日本劣化論」。 
    --「言論空間を考える:拡散する排外主義 東島誠さん、白井聡さん」、『朝日新聞』2014年12月20日(土)付。

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覚え書:「特集ワイド:菅原文太さんの『遺言』 失われたら、命は取り戻せない 有機農業、反戦、脱原発 根っこは同じ」、『毎日新聞』2014年12月17日(水)付夕刊。


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特集ワイド:菅原文太さんの「遺言」 失われたら、命は取り戻せない 有機農業、反戦、脱原発 根っこは同じ
毎日新聞 2014年12月17日 東京夕刊


(写真キャプション)沖縄県知事選での応援演説が、菅原さんが公式な場に姿を現した最後となった=11月1日、佐藤敬一撮影


 「仁義なき戦い」では一本気なアウトロー、「トラック野郎」では人間味あふれる純情者……。そんな銀幕のスターが先月末、81歳で逝った。晩年、菅原文太さんが私たちに伝えようとした「遺言」とは何だったのか。【小国綾子】

 「選挙中とはいえまるで言論統制だ」。同じ東北出身で親交のあった評論家、佐高信さんは切り出した。菅原さんの訃報が伝えられたのは衆院選公示の直前。多くのメディアは集団的自衛権行使容認や原発再稼働を進める安倍政権に配慮し、菅原さんが反戦や脱原発を訴えてきた事実を十分に報じなかったのではないか、と言うのだ。

 確かにテレビの追悼番組では晩年の政治的な発言に触れず、映画スターとしての功績だけを追うものが目立った。無農薬有機農業を広めることと、再び戦争をしないよう声を上げることの二つの「種」を世にまいた、とつづった妻文子さんのコメントを、肝心の農業や不戦に触れた部分を削除して報じたテレビもあった。ネット上では「菅原さんの反戦の思いを封殺した」と批判の声が上がった。

 佐高さんには忘れられない思い出がある。菅原さんに「文化勲章をもらうことになったらどうする」と冗談交じりに尋ねたら、菅原さんは「きっと『非国民』栄誉賞だな」と笑った。「彼には『非国民』と呼ばれようと、この国の未来のためには一歩も引かない覚悟があった。政治色がついたら俳優もタレントも干されるこの国で、そこを突破した最初の大スターではないか」

 菅原さんが大切にしていた仕事に月刊「本の窓」(小学館)の対談連載がある。2010年に始まり、全部で43回。対談相手の35人はすべて自分で選んだ。俳人の金子兜太さん、元沖縄県知事の大田昌秀さん、著書「タネが危ない」で知られる種苗店経営者、野口勲さん、第五福竜丸元乗組員の大石又七さん。顔ぶれに菅原さんの大事にした憲法9条や沖縄、脱原発、農業などのテーマが見て取れる。

 編集長の岡靖司さんが「出版社の地味で小さなPR誌ですが……」と恐縮しつつ連載を依頼した時、菅原さんは逆に「とても気の利いたいい話だ」と喜んだ。目立つことがすきではなかったうえ、週刊誌のような大きなメディアでは言いたいことが言えないこともあるだろう、と。

 実際、菅原さんの連載は率直で、時に政権も批判した。

 <拳を振り上げ、憲法改正を煽(あお)りたてる人たちは、いざとなったとき戦場には行かない人たちじゃないですか。(略)出て行くのは無辜(むこ)の民衆だけ>(13年6月号)

 <安倍(晋三)首相が「日本人は中国で何も悪いことをしていない」というようなことを言ってるんだから。(中略)上がそうだから、若い連中まで「虐殺はなかった」なんて言っている>(13年7月号)

 連載を書籍「ほとんど人力」(編・菅原文太と免許皆伝の達人たち)にまとめた岡さんは語る。「菅原さんはこの対談を、在野の精神を持ち続けるアウトサイダーたちの語り合う場にしたいと考えていた。日本社会は『はみ出し者』を排除し『無菌状態』を作ろうとしていると強い危機感を抱いていたから」

 東日本大震災後、進まぬ復興や原発問題に憤った菅原さんは「役者引退」を宣言し、12年暮れ、身近な仲間と「いのちの党」を結成した。被災地沿岸に計画されていたコンクリートの防潮堤に対し、宮脇昭・横浜国立大名誉教授が提唱する「緑の防潮堤」を応援する講演会を開いたり、ミツバチの大量死とネオニコチノイド系農薬の関係についての勉強会を開いたりした。

 菅原さんを「おやじ」と慕う同党メンバー、「夜回り先生」こと作家、水谷修さんは「おやじにとって無農薬有機農業も反戦平和も脱原発も根っこは同じ。『ひとたび命が失われたら取り戻せない』という思い。だから『いのちの党』と名付けたんです」。

 銀幕のスターから社会派へいつ、なぜ転身したのか。30年来の知人、NPO法人「ふるさと回帰支援センター」代表理事、高橋公さんはしかし、「転身ではない」と否定する。「彼は昔から社会問題に深い関心を持っていた。読書家で、俳優時代には父親がしっかりしようと『雷おやじの会』も結成した」

 当時、NHKの大河ドラマ「獅子の時代」(1980年)で会津藩下級武士で自由民権運動の闘士を演じた菅原さん。高橋さんが自治労に勤めていた縁で、自治労の自治研究集会で自由民権運動について講演したことも。「ノーギャラでやってくれた。自由民権運動への関心は、それを演じた一役者という立場を超えるほどに深いものでした」と高橋さんは振り返る。

 菅原さんの父親は宮城県の元河北新報記者。自身も仙台一高の出版部(新聞部)に所属し、当時、部の後輩には作家の井上ひさしさんがいた。実は元々、社会派なのだ。

 ただ、菅原さんの人生観を大きく変えた出来事はあった。01年、長男薫さん(享年31)が踏切事故で夭折(ようせつ)したのだ。高橋さんは「菅原さんと知り合ったきっかけは30年前、合気道などを教える私たちの道場に『ぜんそく気味の息子の体を鍛えたい』と訪ねてきてくれたこと。菅原さんは本当に息子さんをかわいがっていたから、息子さんの死は大きかったろう」と口ごもる。

 菅原さんは我が子の死から2年後、女性誌に「その後の心境はひと様に話すことはできない」「『大事なことで、男はモノを言うな』と、自分に言い聞かせている」と述べている。岡さんは「本の窓」連載の打ち合わせで、菅原さんが「俺は教育については語れない。息子のこともあるし」と漏らしたのを覚えている。菅原さんが岡さんに息子の話をしたのは後にも先にもこの時だけだ。

 「菅原さんは『政治の言葉』ではない言葉で政治を語れる、けうな人だった」と佐高さんは言う。11月1日の沖縄県知事選の翁長雄志氏(現知事)の決起集会での応援演説がそうだ。1万数千人の聴衆を前に菅原さんはマイクを握り、力強く言った。

 「映画(「仁義なき戦い」)の最後で、裏切り者に『山守さん、弾はまだ一発残っとるがよ』というセリフをぶつけた。その伝でいくと『(対立候補の)仲井真(弘多)さん、弾はまだ一発残っとるがよ』とぶつけてやりたい」と。

 しかしあの日、菅原さんの体は既に悲鳴を上げていたのだろう。スタッフに支えられながら壇上に立った。

 「アメリカにも良心あつい人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国が違えど、同じ人間だ。みな手を結び合おうよ。今日来ている皆さんもそのことを肝に銘じて実行してください」。演説をこう締めくくると、最後は明るく「はなはだ短いけど、終わり!」。

 スクリーンの中でも現実でも、菅原さんは一本気に信念を貫き、行動を止めなかった。数々の「遺言」を残して。
    --「特集ワイド:菅原文太さんの『遺言』 失われたら、命は取り戻せない 有機農業、反戦、脱原発 根っこは同じ」、『毎日新聞』2014年12月17日(水)付夕刊。

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日記:自らの言説を飾り立てるために死者を都合良く利用する有象無象たち


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選挙期間中に、中山なりあき氏(次世代の党・落選)が次のようなツイートを投下していてぶったまげた。曰わく

遊説中、高倉健さんの出身地中間市を通った。菅原文太さんも亡くなった。どちらも男臭さを売り物にしていたが、考え方は全く違った。健さんは文化勲章受賞の時、日本人に生まれて良かったと述懐した。文太さんは言わないだろう。水間政憲さんや小名木善行さんの本を読んでほしいと思う芸能人は多い。
( https://twitter.com/nakayamanariaki/status/541713977521078272 )

高倉健さんをあたかも国士の如く持ち上げ、菅原文太さんをdisっていたご様子。死者を都合よく利用するその心根、どんだけ下衆いんやろう。水間政憲なんか、健さんが読むわけないでしょうに。ほんま、たいがいやなと思いましたので、有名なエピソードですけど、『朝日新聞』のコラムを貼っておきます。


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風 北京から:高倉健さん死去 日中を結びつけた存在感 古谷浩一

 それは1978年の冬のことだった。

 中国・四川省の小さな街の講堂は、高倉健さん主演の映画「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」を見に来た1千人を超える人々の熱気にむせ返っていた。両親に連れられ、その場にいた小学5年生の少女だった北京師範大学副教授の林濤さん(46)は、そのときの「衝撃」を鮮明に覚えている。

 「とっても興奮しました。音楽も画面も、それまでの映画とは違って、すごく新鮮だったんです」

 健さんが演じる検察官が、殺人などの無実の罪を着せられ、逃亡するなかで恋や冒険をし、最後は権力者の陰謀に打ち勝つという痛快なアクション劇である。

 文化大革命時代、政治に翻弄(ほんろう)され、冤罪(えんざい)に苦しんだ中国の多くの人々は、自らのつらい経験を重ねて健さんを見た。その姿は、大声で政治スローガンが叫ばれるプロパガンダ映画の主人公とは全く違った。寡黙に正義を貫く男、健さんは、中国各地で熱狂的に受け入れられた。

 それはまた、多くの中国人にとって、初めて目にする日本でもあった。10年にわたって続いた文化大革命の時代、西側の外国映画が上映されることはなかったからだ。

 中国はまだ、とても貧しかった。映画のなかの日本の繁栄は、驚きとしか言いようがなかったそうだ。

 日本と中国が平和友好条約を締結したのも同じ年である。今とは比べものにならないくらい良好な両国関係のなか、林さんは、北京の大学の日本語学科に進んだ。

 「当時は日本語を学ぶことを、とても誇りに思いました。実家で家族に日本語を話してみせると、みんな意味も分からないのに大喜びでした」。林さんはそう懐かしそうに話した。

 健さんと交友のあった北京映画学院の張会軍校長は、日中関係に及ぼした前向きな影響について、「彼が映画文化人として果たした役割は、在中国日本大使館よりも大きいかも。軍の数個兵団分に匹敵するものじゃないかな」と笑みを浮かべて私に話した。

 中国共産党の高官のなかにも、健さんのファンは少なくない。ある高官は毎年、健さんから手書きの手紙をもらい、喜んでいたそうだ。また、中国を代表する著名な学者が、ひそかに銀座で健さんと食事をするような仲だったとの話も聞いた。

 健さん自身も、中国の友人たちとの関係を大切にしていたようだ。何度も訪中し、映画も撮影している。

 死去が報じられた後、北京では追悼上映会が開かれた。会場は工事中の商業施設の一角にある喫茶店。映画を見終わった後、40歳の男性会社員が立ち上がり、その場の若者たちに向かって言った。

 「この映画は、日本ではたくさんある高倉健の映画の一つだ。でも、中国人には特別な意味があったんだ」

 多くの中国人にとって、健さんは単なる映画スターではなかった。暗い時代から改革開放へと向かう中国社会の変化の興奮を、記憶にくっきりと刻むシンボルのような存在だったのだ、と私は思う。

 「中国人が健さんを失った喪失感は、日本人よりも大きいのではないか」。中国で上映された日本映画を研究してきた早稲田大非常勤講師の劉文兵さんは言う。

 中国の人々にそこまで深く愛された健さんに、改めて敬意を表したい。

 (中国総局長)
    --「高倉健さん死去 日中を結びつけた存在感」『朝日新聞』2014年12月14日(日)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11506335.html:title]


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覚え書:「2014衆院選:子育て支援の死角 石川結貴さん、川上未映子さん、西川正さん」、『朝日新聞』2014年12月13日(土)付。


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2014衆院選:子育て支援の死角 石川結貴さん、川上未映子さん、西川正さん
2014年12月13日

 衆院選の公約で、ほとんどの党が「待機児童解消」などの子育て支援策を掲げている。根っこから考え直してみよう。打ち出されている支援策で十分か。死角はないだろうか。

 

 ■親も子も見守る仕組みを 石川結貴さん(ジャーナリスト)

 先月20日、3歳の長女を衰弱死させたとして、大阪府に住む両親が逮捕されました。長女は食べ物を与えられず、タマネギの皮や蝋(ろう)まで口にしていた。親を責める声は多かったのですが、もっと注意を向けるべきなのは「19歳」という母親の年齢ではないか。彼女は15歳の時に未婚で長女を産んだ後、長女の父親とは別の男性と結婚し、すでに1歳の長男もいる。

 経済的にも精神的にも未熟な若い親が安定した家庭を築くのは困難でしょう。周囲の人々や行政が、より積極的にこの家庭に関わるべきではなかったか。虐待や育児放棄が後を絶たないのは、従来の対応が対症療法にとどまり、根本的な対策が講じられていないからではないか。

 2008年には改正児童虐待防止法が施行され、虐待が疑われる家庭を児童相談所が強制的に立ち入り調査できるようになりました。でも、実際に行われた強制調査は6年間で計7件。大きな理由は、法的手続きに手間と時間がかかり、緊急を要する場合にはかえって手遅れになりかねないからです。

 安倍政権は来年度から「子ども・子育て支援新制度」をスタートさせ、認可保育所に入れない2万人以上の待機児童を解消する、としています。待機児童問題の深刻さは言うまでもありませんが、同時に忘れてはいけないのは、児童手当などの既存の子育て支援さえ、どうやって受ければいいのか分からない、あるいはその存在さえ知らない親が少なからずいることです。

 こうした親の多くは生活水準や社会適応力が低く、なかなか選挙に行かない。格差の拡大を象徴するような存在ですが、政治からは無視されがちです。だけどその背後には、選挙権もなければ「助けて」と訴えることもできない子どもたちが、たくさんいるのです。

 支援に結びつかない親子にどう手を差し伸べるのか。私が提案したいのは、生まれてくるすべての子に、介護保険のケアマネジャーに相当するような「子育てマネジャー」をつけ、継続的に見守ることです。

 乳幼児健診を受診しているか、児童手当の申請や就学・進学の手続きを進めているかなどを確認し、その手伝いをしたり、子育ての相談に乗ったりする。ふだんから関係をつくっておけば、虐待などの兆候も察知しやすいはずです。

 実際には、こうしたサポートが不要な家庭も多いでしょう。その分の労力を、本当に支援が必要な家庭に振り向ければいい。税金はかかりますが、問題を抱えた親子を放置する限り、虐待はなくならない。家庭や学校で十分な教育を受けられなかった子どもたちが将来、就労できず生活困窮に陥る可能性も否定できません。未来のために必要な投資ではないでしょうか。

 (聞き手・太田啓之)

    *

 いしかわゆうき 61年生まれ。自身の子育て経験をもとに、90年から家族や子育て、児童虐待問題について取材。著書「ルポ・子どもの無縁社会」「心の強い子どもを育てる」など多数。

 

 ■母親苦しめる責任の意識 川上未映子さん(作家)

 2歳半の息子が生後3カ月のころ、育児も家事も仕事も完璧にしなければと、気負っていました。2時間ごとの授乳で眠る間もないのに同業の夫のおかずを5品作る。産休も育休もとらず、ひたすら執筆しました。

 その間、息子はシッターさんに預けて。作家デビューから6年目、死にもの狂いでやってきた自分へのプライドと、妙な強迫観念に突き動かされていたように記憶しています。

 まもなく、心身に不調をきたしました。やたらと涙がこぼれるし、被害妄想気味になるし。産後クライシスって本当にあるんだ、人間はホルモンの奴隷だと実感しました。産む前は、子供がいても合理的にやっていけると思っていたのですが、甘かった。息子がかわいくて仕方なかった至福の日々と隣り合わせに、葛藤と模索が続きました。

 それでも私たち夫婦はともに在宅で融通がききます。息子も生後11カ月から都の認証保育所に入ることができた。様々な点で恵まれているわけです。出産後、SNSなどを通じてしみじみわかったのは、この国のワーキングマザーのしんどさです。

 待機児童数を減らす政策ばかりが報じられ、もちろんそれも重要ですが、母親たちを苦しめている根っこは、家事と育児は女性の責任という意識では? 社会的にも、そして厄介なことに、女性自身にもその意識が染み込んでいる。私もそのひとりです。

 構造的問題も大きいでしょう。長時間労働が当然の企業風土。シッターや掃除などの外注サービスの利用が可能なのは一握りで、多くの女性労働者は非正規職。安く使い倒されている。くじけそうになる人たちが増えても不思議はありません。

 今回の選挙、政党がどこも、子育て支援や女性政策をうたっていること自体は歓迎です。ただ具体的にどんな形で進めるのかが見えない。子供を産まないことを問題視する大臣の発言も飛び出したばかり。この世の中に子供を誕生させることの現実的な不安が、本当にわかってないとあきれます。

 野党にしても、政権を担ったときに政策実現できるノウハウはあるのか、支持するための確信がもてない。社会を変えたい気持ちはあるけど、「入れる政党がない」と、あきらめ顔の子育て世代がとても多いです。

 子供の育つ環境を考えるとき、私自身の関心は憲法や原発や次の東京五輪後のことにまで広がっていきます。生活の変化でいうと、子供が保育園から帰宅した平日夜と週末は仕事をするのをやめました。家事、育児、仕事を、今までどおり並立してやるのは無理だとはっきりわかったからです。世の中のしくみや意識を本気で変え、子供の未来を見つめる意思があるのか。じっくり問いたいと思います。

 (聞き手・藤生京子)

    * 

 かわかみみえこ 76年生まれ。08年、「乳と卵」で芥川賞。他に「愛の夢とか」(谷崎潤一郎賞)など。作家・阿部和重氏との間に男児を出産、エッセー「きみは赤ちゃん」が今年話題に。

 

 ■「遊び」生む政策が必要だ 西川正さん(NPO法人理事)

 「おとうさんのヤキイモタイム」というキャンペーンを、所属するNPOで2005年から行っています。たき火で緊張をほぐし、甘いお芋を食べて子育て中の父親たちを地域でつなごう、という趣旨で埼玉県の各地で開催し、これまで延べ5万人以上が参加しました。

 続けていてうれしいのは、卒園式などで自分の子以外の子の晴れ姿を見て泣くお父さんがいることです。子供たちと一緒にお芋を食べ、遊ぶことを重ねる中で、父親たちもまた「地域の子供」の成長を一緒に見守り喜べる「地域の大人」になっているのだと思います。

 長女の子育て中、赤ん坊もずっと向き合っていると、だんだんうとましく感じるものだと気づきました。仕事よりもずっと大変でした。そして、行き詰まったとき一緒に見てくれる人がいると、ずいぶん楽になることも知りました。

 しかし、地域では人と人とのつながりが弱まる一方です。たき火をすると「煙が来る」「危険だ」という苦情を役所に通報する人が増え、顔を合わせて、折り合っていこうという気風はどんどん薄れてきました。その結果、多くの公園には禁止の立て看板があふれています。

 子供は本来、迷惑をかけながら、成長していきます。しかし現代は苦情に満ちた社会。大人も子供もみな自分が責められたくないと緊張し、小さなケガやケンカすら許容できません。

 多くの人がかかわる共同の営みだった子育てや教育もお金で買おうとする傾向が強まりました。「お金を払っているのだからサービスの要求は当然」という「消費者化」した親のふるまいが保育者や教師の気持ちを萎縮させています。こうした親たちの「お客さん」としての姿勢が孤立と隣り合わせなのです。

 子供は毎日ろくなことをしません。昔も今も同じです。問題は、大人にそれがどう見えるかだと思います。車のハンドルに遊び(余裕)があるように、人々の気持ちに少しの遊びがあれば、そんな子供たちのふるまいがおかしく見えてきます。

 安倍政権は「地方創生」を掲げてもっと経済を、といいますが、それだけでは子育てが楽しいと感じる親は増えません。気持ちに遊びをつくるには、雇用を安定させ、時間を確保することです。「ワーク・ライフ・バランス」を確立する政策を進めることが急務です。「会社にもっと女性を」というなら、「家庭、地域にもっと男性を」といいたい。働き方を改め、男女がともにかかわれる条件をつくるべきです。仕事以外は女性の問題としてきた結果が、今日の少子化なのではないでしょうか。

 近所の人とたき火を囲んで、ゆっくりおしゃべりができる。そんな時間を取り戻したいのです。

 (聞き手・古屋聡一)

    *

 にしかわただし 67年生まれ。市民参加型の街づくりを提唱する認定NPO法人「ハンズオン埼玉」常務理事。地域での子育てを呼びかけるさいたま市発行の「父子手帖」を企画編集。
    --「2014衆院選:子育て支援の死角 石川結貴さん、川上未映子さん、西川正さん」、『朝日新聞』2014年12月13日(土)付。

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病院日記:「生活の時間が止まる」ということ


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まとまっていないから躊躇してましたが、twitterのまとめで恐縮ですが、これが8ヶ月仕事をした体験でもありますので、病院日記としての記録を残しておこうと思います。

看護助手として4月に神経内科から精神科(閉鎖病棟)に移動して、そのゆっくりずむには驚きました。ただゆっくりとはいえ、やるべき仕事はきちんとあるわけですけど、看護師が忙しい人数も多くないので、その中継的に、仕事の途中に患者さんの話に耳を傾けることが多くなりました。

「これ頼んでよ!」というものから人生談までーー。

で、驚くことばかり。

広告代理店の用意した都合のよい「物語」に回収されない、生活者のナラティヴを奪ってきたのが現在日本の20年の歴史と僕は考えているのですが、いわゆる10年、20年と閉鎖病棟に入院している方と話をすると、都合の良い「物語」から排除されたひとびとの肉声に驚いてしまう。
※で、現実に、病院へ「島送り」して隔離することが世界の潮流(脱施設化)と逆行していることは承知ですけど、中にいると、そこがある意味では、「生きることが苦しい」日本社会の現在からの「避難場所」になっていること、は否定し得ない事実なので、前否定論はここではいったん、横に置きますけどね。

さて……。
精神科閉鎖病棟へ閉じこめられた10年選手、20年選手と話していて、「え」と思って「ちぐはぐ」することがよくあるなあと最近気づきましたんですよ。そしてその「ちぐはぐ」を生むのが、隔離されるということ。

想像してみてくださいな。10年、20年間、数百平米の病棟から「出入り」できないということを。

で、その「ちぐはぐ」の違和感とは何かといえば、10年閉じこめられた患者さんでも、入院してからの10年、例えば、日本の首相がどう替わっていったかということは「知識」として頭のなかに入っている。テレビもあれば新聞もありますから。

しかし「生活の時間」は止まっている。

「生活の時間」が止まっている、とは何か。

その患者さんは、閉鎖空間に10年も20年も閉じこめられているが故に、自分の目で見て体験したふつーの生活世界は10年前、20年前の「光景」で止まっているということ。例えば具体的に言えば、JR新宿駅の話をしても、入院するまえの「JR新宿駅」で「止まっている」。いくら新聞やテレビで「知識」をアップデートしたとしても「止まっている」。

その「時」が止まっていることが、やりとりを交わすなかでの「ちぐはぐ」を生んでいる。

異質なものは「囲い込め」、文明国としてふさわしくない人品は「隠蔽」せよーー。
その封じ込めによって獲得されたのが、「ぼくらの国には問題は何もないっすよ」式の欺瞞に満ちた「先進国」という勲章という寸法。

「文化的生活の享受」云々は日本国憲法でも明言されているにも関わらず、隔離されることで、人間は「生きている時間」を止められてしまう。

ここに戦慄しなくてはならない。

異質なものを包摂し得ない、生-権力による人間の値打ちのレベル論の欺瞞をうち、社会包摂という意味での脱施設化こそ「人間が人間として人間らしく生きていく」ためには必要不可欠ということを実感する。しかし、その前に済ませて置かなければならないことがある。それは端的に言えば、自らの眼差しに根深く内在する「あいつら、きもい」みたいな眼差しを自覚して更新しながら、「避難所」を維持しつつ、社会をも変えていく必要性を感じている。

「あそこにあったお肉やさんのコロッケが美味しいかったのよ、食べたことある?」ってふられて、ええと、脳内でいったん、「ええと、あそこにあったお肉さん、パチンコ屋になりましたがな」と反芻してから、投げ返す言葉にあぐねている。

精神科に移動したあとに、神経内科の看護師にも、「ウジケさん、あそこって、まじ、大丈夫な世界っすかw」みたいな反応されて「え!!!」と我ながら引いたことがありましたけれども、中にいると、精神科ほど、言葉をきちんとつかわなければならない世界はない。
※事実、曖昧な応答はできないんですよ。

ほんと、思うのは、言葉を大切にしない人間は人間をも大切にしないのだなあ、と。


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覚え書:「ひと:志村ふくみさん 京都賞を受けた染織の人間国宝」、『朝日新聞』2014年12月13日(土)付。

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ひと:志村ふくみさん 京都賞を受けた染織の人間国宝
2014年12月13日

 植物の幹や根や実を煮出して絹糸を染め、紬(つむぎ)を織る。90歳のいまも機(はた)に向かい、自宅がある京都・嵯峨野を歩いて草木を採る。

 京都賞の授賞理由に「自然との共生という根源的な価値観を思索し続ける芸術家」とある。草木染と紬織。民衆の手仕事を芸術の域に高めたとも言われるひとだが、語るのは自然への感謝。「植物は人間より位が高いんです。無償で命を提供してくれるんですから」

 染織をはじめたのは31歳。離婚で主婦生活が一転し、2人の子との生計を立てる必要に迫られた。日用の工芸品に美を見いだす柳宗悦(やなぎむねよし)の民芸運動への共鳴もあった。

 創作は直観から。たとえばホロホロチョウの羽根を見ながら、色合いと模様を再現する。グレーはシラカシとサルスベリ、紫は紫根(しこん)。柔らかい色合いがモダンだ。

 エッセイストでもある。大佛(おさらぎ)次郎賞を受けた「一色一生(いっしょくいっしょう)」の一節。「色はただの色ではなく、木の精なのです。色の背後に、一すじの道がかよっていて、そこから何かが匂い立ってくるのです」

 昨年、京都に染織の学校「アルスシムラ」を開いた。アルスはラテン語で技術・芸術のこと。着物が高価で一部の人しか着られない現状を変えたいという。「着物が特別なものではなく、でも本質的に美しくて、皆に愛されるものになること。本当の民芸はここから始まると思ってるんです」

 (文・安部美香子 写真・戸村登)

     *

 しむらふくみ(90歳) 
    --「ひと:志村ふくみさん 京都賞を受けた染織の人間国宝」、『朝日新聞』2014年12月13日(土)付。

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覚え書:「マララさんのノーベル平和賞受賞演説<要旨>」、『朝日新聞』2014年12月11日(木)付。


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マララさんのノーベル平和賞受賞演説<要旨>
2014年12月11日
(写真キャプション)ノルウェー・オスロで10日、ノーベル平和賞のメダルを掲げるマララ・ユスフザイさん=AP

 今年のノーベル平和賞に選ばれたパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17)は10日、オスロでの受賞演説で、世界中の子どもたちが質の高い教育を平等に受けられるよう、行動を起こすときだと訴えた。演説の要旨は次の通り。

 Bismillah ir rahman ir rahim. In the name of God, the most merciful, the most beneficent.

 Your Majesties, Your Royal Highnesses, distinguished members of the Norwegian Nobel Committee, dear sisters and brothers, today is a day of great happiness for me. I am humbled that the Nobel Committee has selected me for this precious award.

 Thank you to everyone for your continued support and love. Thank you for the letters and cards that I still receive from all around the world. Your kind and encouraging words strengthen and inspire me.

 I am very proud to be the first Pashtun, the first Pakistani, and the youngest person to receive this award. I am pretty certain that I am also the first recipient of the Nobel Peace Prize who still fights with her younger brothers. I want there to be peace everywhere, but my brothers and I are still working on that.

 I am also honored to receive this award together with Kailash Satyarthi, who has been a champion for children’s rights for a long time. Twice as long, in fact, than I have been alive. I am proud that we can work together and show the world that an Indian and a Pakistani――they can work together and achieve their goals of children’s rights.

 This award is not just for me. It is for those forgotten children who want education. It is for those frightened children who want peace. It is for those voiceless children who want change.

 I am here to stand up for their rights, to raise their voice... it is not time to pity them. It is time to take action so it becomes the last time that we see a child deprived of education.

 I have found that people describe me in many different ways.

 Some people call me the girl who was shot by the Taliban.

 And some, the girl who fought for her rights.

 Some people call me a “Nobel Laureate” now.

 As far as I know, I am just a committed and even stubborn person who wants to see every child getting quality education, who wants to see women having equal rights, and who wants peace in every corner of the world.

 When I was in Swat, which was a place of tourism and beauty, suddenly changed into a place of terrorism. I was just 10. More than 400 schools were destroyed. Women were flogged. People were killed. And ourbeautiful dreams turned into nightmares.

 Education went from being a right to being a crime. Girls were stopped from going to school.

 When my world suddenly changed, my priorities changed too.

 I had two options, one was to remain silent and wait to be killed. And the second was to speak up and then be killed. I chose the second one. I decided to speak up.

 The terrorists tried to stop us and attacked me and my friends who are here today, on our school bus, in 2012. But neither their ideas nor bullets could win.

 We survived. And since that day, our voices have grown louder and louder.

 I tell my story, not because it is unique, but because it is not.

 It is the story of many girls.

 Today, I tell their stories too. I have brought with me some of my sisters, from Pakistan, Nigeria and from Syria, who share this story. My brave sisters, Shazia and Kainat who were also shot that day in our school bus, but they have not stopped learning; and my brave sister, Kainat Somro, who went through severe abuse and extreme violence. Even her brother was killed, but she did not succumb.

 Also, my sisters here, whom I have met during my Malala Fund campaign,my 16-year-old courageous sister, Mezon, From Syria, who now lives in Jordan as a refugee, and she goes from tent to tent encouraging girls and boys to learn.

 And my sister Amina, from the north of Nigeria, where Boko Haram threatens and stalks girls and even kidnaps girls, just for wanting to go to school.

 Many children in Africa do not have access to education because of poverty. And, as I said, we still see girls who have no freedom to go to school, in the north of Nigeria.

 Many children in countries like Pakistan and India, as Kailash Satyarthi mentioned, many children, especially in India and Pakistan, are deprived of their right to education because of social taboos, or they have been forced into child marriage or into child labor.

 One of my very good school friends, the same age as me, who has always been a bold and confident girl, dreamed of becoming a doctor. But her dream remained a dream. At the age of 12, she was forced to get married and then soon she had a son, she had a child, when she herself was a child, only 14. I know that she could have been a very good doctor, but she couldn’t, because she was a girl.

 Her story is why I dedicate the Nobel Peace Prize money to the Malala Fund, to help give girls quality education everywhere, anywhere, in the world, and to raise their voices. The first place this funding will go to is where my heart is, to build schools in Pakistan, especially in my home of Swat and Shangla.

 In my own village there is still no secondary school for girls. And it is my wish and my commitment, and now my challenge, to build one, so that my friends and my sisters can go there to school and get quality education and they get this opportunity to fulfill their dreams.

 It is not time to tell the world leaders to realize how important education is――they already know it! Their own children are in good schools. Now it is time to call them to take action, for the rest of the world’s children. We ask the world leaders to unite and make education their top priority.

 Dear sisters and brothers, the so-called world of adults may understand it, but we children don’t. Why is it that countries which we call “strong” are so powerful in creating wars but are so weak in bringing peace? Why is it that giving guns is so easy but giving books is so hard? Why is it that making tanks is so easy, but building schools is so hard?

 We are living in the modern age, and we believe that nothing is impossible.We have reached the Moon, 45years ago, and maybe we will soon land on Mars. Then, in the 21st century, we must be able to give every child quality education.

 Dear sisters and brothers, dear fellow children, we must work... and not wait. Not just the politicians and the world leaders, we all need to contribute. Me, you, we, it is our duty.

 Let us become the first generation to decide to be the last that see empty classrooms, lost childhoods, wasted potentials.

 Let this be the last time that a girl or a boy spends their childhood in a factory.

 Let this be the last time that a girl is forced into early child marriage.

 Let this be the last time that a child loses their life in war.

 Let this be the last time that we see a child out of school.

 Let this end with us.

 Let’s begin this ending.

 Together, today, right here, right now, let’s begin this ending now.

 Thank you so much. Thank you.

     ◇

 慈悲あまねく慈愛深きアラーの御名において。

 国王、王妃両陛下、皇太子、皇太子妃両殿下並びにノルウェー・ノーベル賞委員会の皆様、親愛なる姉妹、兄弟たち、今日は私にとって素晴らしく幸せな日です。恐れ多いことに、ノーベル賞委員会は私をこの重要な賞に選んでくださいました。

 みなさんの絶え間ない支援と愛に感謝しています。今でも世界中から手紙やカードを届けてくださることに、お礼を申し上げます。みなさんの優しい励ましの言葉に、私は元気づけられ、刺激を受けています。

 最初のパシュトゥン人、パキスタン人として、そして最年少でこの賞をいただくことをとても誇りに思います。年下の弟たちといまだにけんかをしているノーベル平和賞の受賞者も、私が初めてだと確信しています。世界中が平和になってほしいのですが、私と弟たちに平和が訪れるのはまだ先になりそうです。

 また、長年、子どもの権利を守り続けてきたカイラシュ・サティヤルティさんとともに受賞できることを光栄に思います。実際、私が生きてきた期間の2倍もの時間を、この問題に注いでこられたのです。私たちがともに活動し、インド人とパキスタン人がともに子どもの権利という目標を達成することができると世界に示せることを誇りに思います。

 今回の賞は私だけのものではありません。教育を望みながら忘れ去られたままの子どもたち、平和を望みながら脅かされている子どもたち、変化を求めながら声を上げられない子どもたちへの賞なのです。

 私は彼らの権利を守るため、彼らの声を届けるために、ここに来ました。今は、彼らを哀れむときではありません。教育の機会を奪われた子どもたちを目にしなくなるよう、行動を起こすときです。

 人々は私をいろんなふうに呼ぶのだと知りました。

 ある人は、タリバーンに撃たれた少女と。

 ある人は、自分の権利のために闘う少女と。

 今は、「ノーベル賞受賞者」とも呼ばれます。

 私が知る限り、私は、全ての子どもたちが質の高い教育を受けられることを望み、女性が平等な権利を持つことを望み、そして世界の隅々までが平和であることを願う、熱心で頑固な人間でしかありません。

 観光と美の地だったスワートは突然、テロリズムの地に変わってしまいました。400以上の学校が破壊されました。女性たちはむちで打たれました。人々が殺されました。そして、私たちのすてきな夢は悪夢へと変わったのです。

 教育は「権利」から「犯罪」になりました。女の子たちは学校に行くのを阻まれました。

 ですが、私をとりまく世界が突然変わったとき、私の中の優先順位も変わりました。

 私には二つの選択肢がありました。一つは何も言わずに、殺されるのを待つこと。二つ目は声を上げ、そして殺されること。私は二つ目を選びました。声を上げようと決めたのです。

 2012年、テロリストたちは私たちを止めようとし、バスの中で私と今ここにいる友人を襲いました。しかし、彼らの考えや銃弾が勝利をおさめることはできませんでした。私たちは生き残り、その日から私たちの声は大きくなるばかりです。

 私が自分の身に起こったことをお伝えするのは、珍しい話だからではありません。どこにでもある話だからです。

 これは、多くの女の子たちの物語なのです。

 今日は彼女たちの話もしましょう。私は、パキスタンやナイジェリア、シリアからこの物語を共有する仲間たちを連れてきました。あの日、スワートで一緒に撃たれ、学ぶことをやめずにいる勇敢なシャジアとカイナートも一緒です。さらに、カイナート・ソムロは激しい暴力と虐待を受け、兄弟を殺されましたが、屈することはありませんでした。

 マララ基金の活動を通じて出会い、今では姉妹のような少女たちも一緒にいます。勇敢な16歳のメゾンはシリア出身です。今はヨルダンの難民キャンプで暮らし、少年少女たちの勉強を手助けしながらテントを行き来しています。そして、アミナの出身地であるナイジェリア北部では、(イスラム過激派の)「ボコ・ハラム」が、少女たちが学校に行きたいと望んだというだけで、彼女らにつきまとい、脅し、誘拐しています。

 アフリカの多くの子どもたちは、貧しさのために学校へ行くことができません。申し上げたように、ナイジェリア北部には今も、学校に行く自由がない女の子たちがいます。

 インドやパキスタンのような多くの国で、カイラシュ・サティヤルティさんが言われるように、社会的なタブーのために多くの子どもたちが教育を受ける権利を奪われています。児童労働や女児の児童婚が強制されています。

 私と同い年で、とても仲がいい級友の一人は、いつも勇敢で自信に満ちた女の子で、医者になることを夢見ていました。でも、夢は夢のままです。12歳で結婚を強いられ、すぐに男の子を産みました。たった14歳、まだ彼女自身が子どもでした。彼女なら、とてもいいお医者さんになれたでしょう。でも、なれませんでした。女の子だったからです。

 彼女の話があったから、私はノーベル賞の賞金をマララ基金にささげるのです。マララ基金は、女の子たちがあらゆる場所で質の高い教育を受けられるよう援助し、声をあげるのを助けるものです。基金の最初の使い道は、私が心を残してきた場所パキスタンに、特に故郷のスワートとシャングラに、学校を建てることです。

 私の村には、今も女子のための中学校がありません。私の友だちや姉妹たちが教育を受けることができ、ひいては夢を実現する機会を手に入れることができるように、中学校を建てたい。これが私の願いであり、義務であり、今の挑戦です。

 今は、指導者たちにいかに教育が大切か、わかってもらおうと話すときではありません。彼らはすでにわかっています。彼らの子どもは良い学校に通っているのです。今は彼らに行動を求めるときなのです、世界中の子どもたちのために。

 世界の指導者たちには、団結し、教育を全てに優先するようお願いします。

 親愛なる兄弟、姉妹の皆さん。いわゆる大人の世界の人たちは理解しているのかもしれませんが、私たち子どもにはわかりません。どうして「強い」といわれる国々は戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすにはとても非力なの? なぜ銃を与えるのはとても簡単なのに、本を与えるのはとても難しいの? 戦車を造るのはとても簡単で、学校を建てるのがとても難しいのはなぜ?

 21世紀の現代に暮らす中で、私たちは皆、不可能なことはないと信じています。45年前に人類は月に到達し、まもなく火星に着陸するでしょう。それならば、この21世紀に、すべての子どもに質の高い教育を与えられなければなりません。

 親愛なる姉妹、兄弟の皆さん、仲間である子供たちのみなさん。私たちは取り組むべきです。待っていてはいけない。政治家や世界の指導者だけでなく、私たち皆が貢献しなくてはなりません。私も、あなたたちも、私たちも。それが私たちの務めなのです。

 私たちは取り組むべきです。待っていてはいけない。

 私の仲間である子どもたちに、世界中で立ち上がってほしい。

 親愛なる姉妹、兄弟の皆さん。「最後」になることを決めた最初の世代になりましょう。

 空っぽの教室、失われた子ども時代、無駄にされた可能性を目にすることを「最後」にすることを決めた、最初の世代になりましょう。

 男の子も女の子も、子ども時代を工場で過ごすのは終わりにしよう。

 少女が児童婚を強いられるのは終わりにしよう。

 罪のない子どもたちが戦争で命を失うのは終わりにしよう。

 教室が空っぽのままなんて終わりにしよう。

 こうしたことは、私たちで最後にしよう。

 この「終わり」を始めましょう。

 そして今すぐにここから、ともに「終わり」を始めましょう。

 ありがとうございました。
    --「マララさんのノーベル平和賞受賞演説<要旨>」、『朝日新聞』2014年12月11日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11500710.html:title]

 


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わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女
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覚え書:「くらしナビ・学ぶ:@大学 ウチの教授 東海大・乾淑子さん」、『毎日新聞』2014年12月09日(火)付。


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くらしナビ・学ぶ:@大学 ウチの教授 東海大・乾淑子さん
毎日新聞 2014年12月09日 東京朝刊


 ◇着物の戦争柄に見る歴史

 旭日旗(きょくじつき)に偵察機、戦況を伝える新聞記事--。戦争をモチーフにした柄が描かれた着物の研究を始めて14年。私財を投じて買い集めた着物は500枚を超える。「ネットオークションで初めて見つけたときは『こんなものがあったのか』と驚きました」。調べてみると、本格的な収集家も研究家も見当たらない。「何とか保存しなければ」という一心で骨董(こっとう)市を巡り始めた。

 戦争柄最盛期の日露戦争(1904~05年)時には、戦争モチーフにアールヌーボー調の縁取りがよく組み合わされている。「今で言うと、話題のスポットの絵に人気キャラクターをあしらうような感覚だったのでしょう。戦争柄は戦意発揚とは無縁で、売れる柄として作り手が選んだに過ぎないのです」

 国際文化学部(札幌キャンパス)での講義で近代日本の戦争イメージを着物柄から読み解くとともに、各地で講演会、展覧会を開く。現在は、新聞などのメディアと戦争柄との関係を研究する一方で、所蔵品の寄贈を検討中だ。意向を聞きつけた米国の美術館がすぐに駆けつけたが「国外への散逸は避けたい」と断ったという。「庶民が戦争をどう受け止めていたかをもの語る着物の収集、研究を後世に受け継いでほしい」と願っている。【上杉恵子】

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 ■人物略歴

 ◇いぬい・よしこ

 1987年お茶の水女子大学博士課程修了。専門は民族芸術、近代服飾史。著書に「図説 着物柄にみる戦争」(インパクト出版会)など。
    --「くらしナビ・学ぶ:@大学 ウチの教授 東海大・乾淑子さん」、『毎日新聞』2014年12月09日(火)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20141209ddm013100017000c.html:title]

関連記事
[http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20121106/p2:title]

 

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書評:ミシェル・ワルシャウスキー(脇浜義明訳)『国境にて イスラエル/パレスチナの共生を求めて』つげ書房新社、2014年。


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ミシェル・ワルシャウスキー(脇浜義明訳)『国境にて イスラエル/パレスチナの共生を求めて』つげ書房新社、読了。「越えてはならない国境もあれば、むしろ破るべき国境もある」。本書はマツペンを経てAICで反シオニズム闘争を続ける「国境をアイデンティティとする革命家」の半生記。

シオニズムを知らずアラブを脅威としか感じないナイーヴかつ敬虔なユダヤ教青年が、イスラエルに渡り、同地の最左翼ともいうべき反シオニズム闘争を続ける原点は、故郷ストラスブールのユダヤ人コミュニティでの体験に由来する。

ホロコーストの追悼行事の折り、ニガーという差別用語を何気なく使って大人から強打された。そこから「貧しい人々、弱い人々、身分の低い人々に自分を一体化させるのは、私のユダヤ人アイデンティティの一部となっていた」という。

著者はイスラエル本国のホロコースト・アイデンティティの限界をユダヤ人中心主義に見て取る。人道に対する罪の認識がないから、ナチと同じような残虐行為をパレスチナ人には平然と行い、批判者を「ナチ」と罵倒するのがイスラエル・アイデンティティ

「他者である非ユダヤ人も被害者になり得ることを認めることが、シオニズム言説と袂を分かつ重要な一歩である」。アンチ・テーゼ関係にある価値観の間には通行不可能な国境があるが、人や文化の交流や共存を禁じる国境は否定すべきである。

著者の常人ならざる歩みは、まさに「過激」といってよい。しかし「過激」にならなければ、“常識のドクサ”が秘めるより重大な暴力性を暴くことは不可能であろう。柔軟かつしなやかに現世の重力を撃つ、今読むべき1冊。


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覚え書:「特定秘密保護法に今こそ!言いたい:識者の話」、『毎日新聞』2014年12月10日(水)付。


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特定秘密保護法に今こそ!言いたい:識者の話
毎日新聞 2014年12月10日 東京朝刊

 毎日新聞は、特定秘密保護法の国会審議中の昨年11月から同法に懸念を持つ学識経験者、作家、政治家、法曹関係者ら約70人の意見を「特定秘密保護法に言いたい」で紹介してきた。主な意見を再掲するとともに、このうち5人の方から「今こそ言いたい」ことをあらためて聞いた。【聞き手・青島顕、日下部聡、斎川瞳】

 ◇「軍機保護法」と類似 荻野富士夫・小樽商科大教授(61)

 昨年12月、特定秘密保護法が強行採決の末に成立したのを受けた記者会見で、安倍晋三首相は「私自身がもっと丁寧に時間をとって説明すべきだったと反省もしている」と述べた。しかしその後、首相から国民に向けて丁寧な説明が発信された記憶がない。

 日本近現代史を専攻する私には、戦前の「軍機保護法」との類似性が気になる。ともに「共謀罪」や、自首した者の刑を減免する規定が盛り込まれている。これらはスパイ防止制度の特徴だ。取り調べ過程で取引を持ちかけることも考えられる。

 1937年の軍機保護法改正の際、衆院は拡大解釈しないように求める付帯決議をした。しかし41年には、偶然耳にした海軍の飛行場のことを米国人に話した学生が身柄を拘束された。その後、政府は防諜(ぼうちょう)意識を植え付けて相互監視と密告を奨励し、施策に従順な国民づくりに進んでいった。そうした歴史を知る戦争体験者たちは、秘密保護法に不安を覚えるのだ。

 ◇大切なのはこれからだ 杉田敦・法政大教授(55)

 政府は特定秘密保護法のマニュアルにあたる運用基準を作ったが、不十分な内容だ。肝心の監視機関は官僚組織の内部に設けられ、第三者機関とは呼べず、実効的でない。

 本来、行政の監視は国会の役割だが、政治家自身も何が秘密かを知ることができない。司法も同様だ。秘密指定の妥当性をチェックする情報公開訴訟を市民が起こしても、裁判官は秘密の中身に触れることができない。国会、司法のチェック機能低下は行政の腐敗を招くだろう。

 特定秘密が官僚に都合よく使われ、省内で独自に指定する秘密も含めて、秘密主義が強まる恐れもある。そうなるとメディアの取材に支障が生じ、国民の「知る権利」は損なわれる。政府は「一般人には関係がない法律だ」と強調するが、全くの暴論だ。

 法律を懸念する国民の声があったからこそ、政府は不十分ながらも運用基準を作った。施行されたら終わりではない。大切なのはこれからだ。

 ◇権力の網が空からじりじり 石丸次郎・アジアプレス共同代表(51)

 ある民放の友人から「特定秘密保護法施行後は取材に注意しよう」という注意喚起が局内であったという話を聞いた。当たり前のようにしてきた取材が法に触れるかどうか気にしなければならない時代になるのだ、とショックを受けた。

 過激派組織「イスラム国」の戦闘員になるためシリアに渡ろうとしたとして大学生が私戦予備及び陰謀容疑で家宅捜索された事件で、フリージャーナリストの常岡浩介氏も捜索を受けた。自民党はNHKと在京民放に、衆院選報道の公平中立などを求める要望書を渡した。権力の大きな網が、空からじりじり下りてきているような感じがする。

 法が施行されれば、捜査当局は少なくとも、違反者の有無を調べるだろう。私たち独立系ジャーナリスト、調査活動をしている市民団体などが最初に標的になるのではないかと懸念している。だからといって遠慮するつもりはない。今後も同じように仕事を続けていこうと心に誓っている。

 ◇「適性評価」の選別は非現実的 富田三樹生・日本精神神経学会法委員長(71)

 特定秘密を扱う人を政府が選別する「適性評価」の調査項目に「精神疾患」がある。精神科医に照会がかかる場合、医師には守秘義務がある。私たちは今年夏のパブリックコメント(意見公募)で「患者への偏見・差別を助長する」と反対意見を述べたが受け入れられなかった。

 内閣情報調査室は意見への回答で「対象者の是非弁別能力の有無を判断するため」と説明した。要するに、対象者に刑事責任能力と同様の能力があるのかを判別するようだ。

 大いに疑問だ。裁判官が刑事責任能力を判定する場合、精神科医の鑑定書を基にする。しかし適性評価で鑑定書に相当するものを、対象者のかかりつけの医師が用意するなど非現実的だ。しかも刑事責任能力が疑われる患者なら、適性評価以前に通常の業務をこなすのも困難だろう。

 適性評価は、患者がやむを得ず同意したとしても、許されることではない。公務員らの個人情報収集が目的かと疑ってしまう。

 ◇毎月6日、反対を「ヒョウ明」 谷口真由美・全日本おばちゃん党代表代行(39)

 全日本おばちゃん党のメンバーは今も、(法が成立した昨年12月6日にちなんで)毎月6日、特定秘密保護法への反対を「ヒョウ明」するためにヒョウ柄の服を着ている。周囲の人たちとこの法律の話をするきっかけにしたいから。いわば「静かなデモ」だ。

 この法律が拡大解釈され、恣意的に使われたらどんなに恐ろしいか。特に集団的自衛権や原発に関係する情報とは「混ぜたら危険」だ。私たちの命にかかわる可能性がある。一方で積極的に賛成する声もほとんど聞かない。憲法改正などと違って国民を二分するテーマでもないのだ。

 この法律は国会で成立した。だから反対の国会議員を増やせば廃止させることもできる。そこに希望がある。問題点を分かっている人は、周囲の人たちに伝え続ける努力が必要だ。よく分からない人は「難しいから」と逃げてはいけない。将来の世代に「何であの時、抵抗しなかったのか」と言われないよう、今が踏ん張り時だ。

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 ◇「特定秘密保護法に言いたい」で紹介された主な意見

 ※敬称略

   氏名・肩書        意見の骨子

半藤一利 ・作家        危険はらむ「公益」の思想

原田宏二 ・元北海道警幹部   監視の先の改憲に危機感

石丸次郎 ・ジャーナリスト   「報道」の線引きに疑問

鎌田慧  ・ルポライター    取材記者萎縮、民主主義の危機

新原昭治 ・国際問題研究者   「国民のあきらめ」が怖い

M・ファクラー・米紙東京支局長 米国と同じ失敗するな

L・レペタ・明治大特任教授   米国は491万人で管理

新海聡  ・弁護士       情報公開、締め付けの恐れ

青井未帆 ・学習院大教授    自衛隊の性格、ゆがむ危険性

大石泰彦 ・青山学院大教授   取材の配慮、捜査機関の判断次第

栗田禎子 ・千葉大教授     イスラム交流、スパイ視懸念

柳沢協二 ・元官房副長官補   今までも情報得られていた

落合洋司 ・元東京地検検事   周辺情報も「秘密」扱いに

香山リカ ・精神科医      最も怖い「沈黙のらせん」

中村梧郎 ・ジャーナリスト   強化される国民監視

上田誠也 ・地球物理学者    秘密で研究成り立たず学問が退化

大沢悠里 ・アナウンサー    戦争体験者の嘆きに耳を傾けよ

原寿雄  ・ジャーナリスト   権力監視が犯罪にされかねない

保阪正康 ・作家        「市民権の保障」が揺らぐ

室井佑月 ・作家        国民は声を上げ、報道も継続を

安藤正人 ・学習院大教授    秘密解除文書の即時、完全公開を

想田和弘 ・映画監督      国民一人一人が自ら積極関与を

白川勝彦 ・元国家公安委員長  外国との情報共有は現行法で可能

岡崎哲二 ・東京大教授     情報欠落が国家的判断の誤り招く

杉田敦  ・法政大教授     制度化や運用、監視が必要だ

土山秀夫 ・元長崎大学長    「スパイ」にされた兄思い出す

我部政明 ・琉球大教授     萎縮せず基地監視を続けよ

わかぎゑふ・作家、演出家    日常的に政治語れる社会を

西牟田靖 ・作家        国家間の本質、描写困難に

色川大吉 ・歴史家       超党派の機関で拡大解釈防げ

村上達也 ・前東海村長     原子力立地の安全は情報で守れ

山本健慈 ・和歌山大学長    意欲的な人材の育成阻害

上田清司 ・埼玉県知事     有事に自治体へ情報届くか懸念

柳田邦男 ・作家        官僚の負の文化変えねば

篠崎正人 ・米軍監視団体員   国民の不安と無知招く

岡田尚  ・弁護士       罰を恐れた自主規制が怖い

加藤陽子 ・東京大教授     公文書管理の統一ルールを

白石孝  ・市民団体事務局   廃止を求める市民の熱は続く

むのたけじ・ジャーナリスト   報道の自主規制が怖い

山本孝治 ・元新聞記者     「不都合な事実」隠されないか危惧

加藤聖文 ・近現代史学者    歴史の検証が阻害される恐れ

崎浜盛三 ・精神科医      情報源の秘匿がより重要になる

青木理  ・ジャーナリスト   情報機関の権限が強まる恐れ

武藤糾明 ・弁護士       情報隠しが一層進むだろう

池宮城紀夫・弁護士       解釈次第で反対運動弾圧される

井戸謙一 ・元裁判官      原発に関する情報の隠蔽を危惧

渡辺鋼  ・元防衛産業社員   危険担わされる民間人を守れ

今川正美 ・元衆院議員     真実が隠され、闇を広げる恐れ

周防正行 ・映画監督      内部告発者が守られる社会に

吉岡斉  ・九州大教授     原子力情報の秘匿を危惧

荻野富士夫・小樽商科大教授   新聞は権力監視の自覚を

与謝野馨 ・元官房長官     国会もコントロール不能になる

富田三樹生・精神科医      患者情報の提供義務に反対

竹内修司 ・元編集者      公文書管理ルール確立が先だ

中田整一 ・作家        法の拡大強化の恐れ、歴史が示す

高見勝利 ・上智大教授     監視機関、内部告発者保護が重要

藤森克美 ・弁護士       「弁護権」の侵害は許されない

増田善信 ・元気象研究所    台風、津波の危険伝えられぬ恐れ

谷口真由美・大阪国際大准教授  「スパイ天国」って証拠あるの?

藤田早苗 ・国際人権法研究者  「知る権利は人権の要石」理解して

岸野亮哉 ・僧侶、写真家    適性評価の照会、住職は拒めるか

田中三彦 ・元原発設計者    原発情報、秘密の線引きに懸念

瀬畑源  ・近現代史学者    後の世への公開、担保に疑問残る

森絵都  ・作家        「思うこと」発言し政治変えよう

真山仁  ・作家        官の監視できてこそ民主主義機能

浅野史郎 ・前宮城県知事    情報公開の「聖域」放置せず監視を 
    --「特定秘密保護法に今こそ!言いたい:識者の話」、『毎日新聞』2014年12月10日(水)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20141210ddm010010025000c.html:title]

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覚え書:「わたしの争点:2014衆院選/9止 『在日』ありのままに誇り 日韓修復、互いを認めて」、『毎日新聞』2014年12月12日(金)付。


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わたしの争点:2014衆院選/9止 「在日」ありのままに誇り 日韓修復、互いを認めて
毎日新聞 2014年12月12日 東京朝刊

「在日の視点は大切」と語る作家の深沢潮さん=東京都渋谷区で、内藤絵美撮影


主要政党の公約で東アジア各国との関係にどう言及?

 自分は日本人か。それとも韓国人か。東京で在日韓国人として生まれ育った深沢潮(うしお)さん(48)は、幼いころから自らに問い続けてきた。最近やっと答えを見つけた。「どちらでもない。ありのままの自分でいい」。そんな境地で在日コリアンの世界を描いた小説が2年前、新潮社の「R-18文学賞」に輝いた。

 両親とも在日韓国人だ。外では通名で日本人として生活するが、家では韓国のアイデンティティーにこだわる父と、在日社会に距離を置く母がよくけんかした。学生時代「日本の男とつきあうな」と父に叱責され、「そんなに韓国が好きなら、韓国に帰れ!」と言い放ったこともある。

 在日韓国人の男性と結婚し、17年前の妊娠を機に夫婦で日本国籍を取得した。在日を巡るわずらわしさから我が子を解放したい、という思いだった。

 長男に続き長女を授かったが、9年前に離婚。子供2人を抱え精神的に追い詰められた時、周囲から思いのたけを文章で表現するよう勧められた。これが自分の生い立ちやアイデンティティーを見詰め直す機会となり、創作の道へ入った。

 子供2人を日本人として育てたが、小説発表をきっかけに、在日韓国人だったことを打ち明けた。小学生の長女は素直に受け入れたが、中学生の長男は友人の勧めで「嫌韓本」を読んで影響を受けており、ショックだったようだ。「家族の歴史が繰り返され、息子も私と同じように苦しむのか」。暗たんたる気分だったが、今は高校生で、自分なりに受け止めていると思う。

 韓流ブームが落ち着き日韓両国のあつれきが増す中、受賞で「在日作家」と注目され、意見を求められることもある。特定の民族への差別をあおるヘイトスピーチに象徴されるように、両国の政府も市民も競うように強硬な対応や言動を繰り返し、息苦しさを覚えている。「複雑な歴史を抱え、ひっそりと生きる在日たちの事情などは置き去りです」

 在日を名乗って堂々と生きてもいいが、あえて名乗らなくても恥じることはない--深沢さんは作中人物にそう言わせている。日韓を問わず同調圧力が強まり、物が言いにくくなっている。「日本、韓国のいずれでもなく、両方を外から眺められる在日の視点を大切にし、誇りを持って書き続けたい」と話す。

 日本国籍を得て31歳で初めて選挙権を行使し、以来欠かさず投票に行く。国同士の付き合いも家族と同じで、互いをありのまま認め、共通の思いを確認し合うことで関係修復が始まる。そんな思いをくむ政治に1票を託したい。【本多健】=おわり
    --「わたしの争点:2014衆院選/9止 『在日』ありのままに誇り 日韓修復、互いを認めて」、『毎日新聞』2014年12月12日(金)付。

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[http://senkyo.mainichi.jp/news/20141212ddm041010127000c.html:title]


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覚え書:「ショパン、祖国に眠る心臓 70年ぶり調査、死因に迫る」、『朝日新聞』2014年12月09日(火)付。

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ショパン、祖国に眠る心臓 70年ぶり調査、死因に迫る
ワルシャワ=玉川透2014年12月9日11時47分


(写真キャプション)ワルシャワの聖十字架教会で4月14日、礼拝堂の柱の中から取り出されたクリスタル製の壺(つぼ)。ショパンの心臓が入っている=国立ショパン協会提供

 「ピアノの詩人」と呼ばれ、数々の名曲を残した19世紀ポーランドの天才音楽家、フレデリック・ショパン。死後、心臓だけが祖国に戻され、曲折を経てワルシャワの教会の柱の中に「安置」された。それから約70年。専門家による調査が行われ、今秋、その死にまつわる謎の解明も進んだ。

 十字架を背負ったキリスト像が入り口に立つ、ワルシャワの聖十字架教会。ショパンの心臓が安置されるこの教会で、今年4月14日の晩、「極秘プロジェクト」が行われた。

 教会や文化遺産省、法医学の専門家ら約10人が礼拝堂の石柱の一つに穴を開ける。一辺約30センチの木箱が出てきた。その中にクリスタル製の壺(つぼ)が一つ。黄金色の液体の中にこぶし大の「塊」が浮かぶ。その濃いピンク色に誰かが思わずつぶやいた。「まるで昨日、体から取り出したみたい」

 病弱だったショパンは名声を得ながら、39歳の若さでパリで客死した。遺体は地元の墓地に葬られたが、心臓は遺言で祖国ポーランドの教会へ。その後、1945年10月の最後の調査以降70年近く、心臓は人目に触れていなかった。

 調査に立ち会った国立ショパン協会のボイチェフ・マルフフィツァ副会長(58)は「万が一、壺の中が空っぽだったらと内心ヒヤヒヤだった」と言う。

 壺が入っていた木箱は二重構造だった。黒い内箱にはハート形の金属プレートが付いており、「フレデリック・ショパン」の名と生年月日、亡くなった日と場所が刻まれていた。

 調査の必要性を訴えたのは科学者たちだ。ショパンの時代に保存された臓器の多くが、変質し始めていたからだ。心臓を管理する教会側は今年に入って調査を認めたが、厳しい条件をつけた。あくまで「保存状態の確認」を目的とし、①必要がなければ壺は開けない②教会外に持ち出さない③心臓の写真は公表しない――。さらに、専門家が求めた心臓のDNA検査やCTスキャンなども認めなかった。

 だが、9月に調査結果を発表したブロツワフ医大のタデウシュ・ドボシュ教授(63)は「心臓の保存状態は完璧だった。新たな発見も多くあった」と喜ぶ。

 例えば、心臓が浸された液体がコニャックの可能性が高いことが分かった。また、壺のふたの内側に塗ったワセリンが溶けて液体の上にたまり、蒸発を防いだため保存を助けた、とドボシュ氏は分析する。

 最大の謎は死因だ。当初は「結核」と診断されたが、その後の研究で「のう胞性線維症」の可能性が指摘された。当時は知られていない遺伝病で、呼吸器などに様々な症状を引き起こす。ショパン自身も結核という診断に疑問を抱き、「死後に心臓を調べてほしい」と話していたという。実際、心臓には縦に割られ、縫い合わされた跡があった。

 調査では、心臓の表面に白い斑点状の物質が確認された。ドボシュ氏は「結核患者に見られる症状で、結核説が強まった」と指摘するが、他の専門家にはなお否定的な意見もある。ただし、心臓のサイズが通常より2割程度大きいことも分かり、ドボシュ氏は「別の病気を併発していた可能性もある」と言う。

 ショパン協会は、撮影した心臓の写真を、それとは知らせずに、複数の専門医に鑑定させることを計画。調査後、ショパンの心臓は壺のふたをろうで補修し、今回の調査報告書と一緒に元の柱の中に戻した。次回の検査は、50年後の2064年を予定している。(ワルシャワ=玉川透)

■流転、ナチスが利用も

 ショパンの心臓は激動のポーランド史そのものだ。

 ショパンが生きた19世紀前半、ポーランドはロシアなどの分割統治下にあった。列強諸国は、フランスに移住したショパンが帰国するのを許さなかった。1849年、姉のルドビガがパリでショパンの最期をみとり、遺言を受けて心臓を祖国へ持ち帰った。ドレスの下に隠し、国境を越えたとされる。

 ショパン協会のグラジーナ・ミフニェビッチ研究員(56)は「ショパンも彼の心臓も、母国に帰れば人々の愛国心を高揚させる。列強諸国はそれを恐れた」。

 その後、心臓はいったん聖十字架教会の地下などに安置され、奇跡的に戦禍を免れた。だが、第2次世界大戦中の1944年、何者かに持ち去られる。ナチス・ドイツ説が有力だが、ポーランド人が運び出したという説も。経緯は不明だが、その後、教会に心臓を返したのは独軍将校だった。ミフニェビッチ氏によると、ナチスはその様子を記録映画に残し、プロパガンダに利用したという。

 ショパン協会のマルフフィツァ副会長は言う。「ショパンは人生の大半を外国で過ごしながら、帰国を夢見ていた。死後ようやく戻された彼の心臓は、祖国愛の象徴。だからこそ時に疎まれ、利用されたのです」

■体と「別葬」、風習他にも

 じつは心臓の「別葬」は、ショパンに限らない。

 「ポーランド心臓集」の著作があるクラクフ在住の作家、ミエチスワフ・チューマ氏(77)によると、15世紀ごろには欧州各地で行われ、1755年に独西部の王侯が行ったという記録もある。当時は通信事情が悪く、死後すぐの葬儀では遠方から間に合わない。王侯・貴族は葬儀前の後継者決定に時間をかけることも珍しくなかった。そこでまず心臓を取り出し近親者だけで弔い、ハーブなどで保存した遺体で2回目の葬儀をする風習が広まった。費用がかさむ二重葬は、権威の象徴でもあったという。

 チューマ氏は「特にポーランドでは、キリストの心臓を『愛の象徴』と崇拝する信仰が広まり、受け入れられやすかった」と見る。

 同氏の調査ではショパンの他にも、1918年ポーランド独立の英雄ピウスツキ(1867~1935)や、ノーベル賞作家のレイモント(1867~1925)ら200人を超える著名人や高位聖職者らが心臓の別葬をしたとされる。心臓は墓と別の場所に埋葬されたり、ショパンのように教会に安置されたりした。

 第2次大戦後は下火になったが、同国出身の法王ヨハネ・パウロ2世が2005年に死去した際には、多くのポーランド人が「法王様の心臓を故郷に」とバチカンに懇願した。

 チューマ氏は言う。「苦難の歴史を歩んできただけに我々は祖国への愛情が深い。心臓の別葬はそんな強い思いの表れなのです」

     ◇

 〈フレデリック・ショパン〉 1810年、ワルシャワ近郊でフランス人の父とポーランド人の母の間に生まれる。幼い頃から音楽の才能を発揮し、ピアニスト・作曲家としてフランスなどで活躍。49年、パリで死去。「小犬のワルツ」「別れの曲」など。
    --「ショパン、祖国に眠る心臓 70年ぶり調査、死因に迫る」、『朝日新聞』2014年12月09日(火)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASGD41PKFGD4UHBI001.html:title]
 

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書評:サラ・マレー(椰野みさと訳)『死者を弔うということ』草思社、2014年。


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サラ・マレー(椰野みさと訳)『死者を弔うということ』草思社、読了。本書は高級紙のベテラン記者の著者が父親の死を契機に、世界各地の葬送をめぐる旅に出たその記録だ(副題「世界各地に葬送のかたちを訪ねる」)。シチリア島のカタコンベ、来世への餞別準備する香港、ガーナのポップでクレイジーな棺まで著者は訪ねる。

著者が記者であるだけに本書は紀行風の葬送ルポに読むこともできる。しかしその視線は、現在生じている事柄を記録するものではない。人はいかに人を葬ってきたか。人間にとっていかに死が受け入れがたいものであるのか浮き彫りにする。

死が受け入れがたいからこそ、生と死の間に儀式や儀礼が挟まれ、その受け入れがたい感情を和らげることができるのであろう。著者の父親は死を物体の消滅としか考えていなかった父親は、死の直前、遺言で遺灰を故郷に撒くように指示する。

なぜ父は考え方を変えたのか。世界各地の儀礼を訪ねるなかで、著者は不断に父との対話を試みる。本書の山場といってよい。死に関しては必ず否定的なイメージがつきまとう。しかしながら正面から考えるべき課題でもある。本書はその一助となろう。
 


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覚え書:「読み解き経済:一票の格差 理論経済学を研究する松井彰彦さん」、『朝日新聞』2014年12月11日(木)付。


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読み解き経済:一票の格差 理論経済学を研究する松井彰彦さん
2014年12月11日

 ■まだ見ぬ将来世代に思いを

 民主主義を体現するための最大のイベント、国政選挙が数日後に迫ってきた。選挙の度に考えさせられるのは、より民意を反映できる制度はないのか、理想的な選挙制度とは何か、といった問題である。

 例えば、現実の日本の国政選挙は1回きりの投票で国民の代表を決めるが、仏大統領の選挙のように、決選投票を行う場合もある。煩雑な選挙が可能であれば、社会的な選択の全てに民意を反映できると考える向きもあるかもしれない。

 しかし、人々の意思を的確に反映する理想的な制度はあり得ない。この衝撃的な「不可能性定理」は、今から約50年前にケネス・アローによって示された(アローはその業績によってノーベル経済学賞を受賞)。

 アローは、社会選択のルールが人々の意見や好みを反映する形で決められるべきだと考え、ルールが満たすべき条件を提示した。その条件とは、(1)全会一致性、および(2)二者間の優劣の第三者からの独立性(以下、独立性)である。

 (1)の全会一致性とは、全構成員が選択肢AをBよりも望ましいと考えるならば、社会的にもAが望ましいとされなくてはならない、というものである。(2)の独立性とは、AとBを比較していたときはAが望ましかったのに、新たな選択肢(とくにAやBよりも劣る選択肢)Cが登場すると、突然BがAよりも勝ってしまう、というようなことがないという条件である。

 アローは、可能な選択肢が三つ以上あるならば、人々の意見を集約する汎用(はんよう)性のある社会的なルールのうち、(1)の全会一致性と(2)の独立性を満たすものは独裁的なルールに限られる、すなわち民主的なルールは存在しない——という定理を証明したのである。

 アローの定理は、工夫を凝らした選挙制度をあざ笑うかのようである。例えば、前々回2007年のフランスの大統領選挙を見てみよう。

 この選挙では、保守系のサルコジ氏と革新系のロワイヤル氏が争っていた。そこに割り込んだのが、中道のバイル氏である。落ち着いた語り口により、穏健派の支持を集め、選挙終盤では三(み)つ巴(どもえ)の様相を呈した。

 もし、右派のサルコジ氏と中道のバイル氏が争うならば、中道から左派の票によりバイル氏が勝利する可能性が高い。一方、左派のロワイヤル氏とバイル氏が争うならば、やはり中道から右派の票によりバイル氏が勝利するであろう。しかし、現実の選挙では、右派と左派にはさまれたバイル氏は3位に沈み、決選投票に進んだ2人のうちサルコジ氏が当選することとなったのである。

    *

 日本の選挙制度は、残念ながらアローの定理を心配する以前の水準にある。一票の格差問題がそれだ。今回の衆院選では、一票の格差は最大で2・14倍との報道がなされた。この数字は様々な問題を投げかける。例えば、社会保障問題一つ取ってみても、その改革の遅れが、将来世代に与える負担は大きい。

 ここで指摘したいのは、一票の格差ゆえに、社会保障制度改革の遅れによって不利益を被る若年世代の有権者の声が不当に小さくなっている点である。20歳以上50歳未満の有権者と50歳以上の有権者の比は、一票が最も軽い東京1区で57%対43%、一票が最も重い宮城5区で41%対59%となっている。若い世代がより多い選挙区の一票の軽さがそのまま彼らの発言力の軽さにつながっていると言ってもよい。

 しかし、本当の一票の格差は現在の若年世代と高齢世代との間にあるのではない。真の格差は未(いま)だ生まれ来ぬ子どもたちと私たち大人の間にある。当たり前のことだが、どのように選挙制度を改革しようとも(仮に今の子どもたちに選挙権を与えることができたとしても)、未だ生まれ来ぬ子どもたちに選挙権を与えることはできない。

    *

 選挙権ないし代表を送るなどの参政権のない人間に不当な負担を課せば、生じる結果は反乱や革命である。「代表なくして課税なし」という言葉に示されるように、米国の独立戦争の一つの大きな契機は、英国が代表を送っていない米国等の植民地への課税を強化しようとしたことにある。今、日本国民が手を染めつつある最大の過ちは、社会保障や税制の改革の先送りをすることによって、未だ生まれ来ぬ子どもたちに、1人当たり数百万円もの借金を生まれながらに押し付けようとしていることである。

 選挙制度はアローの定理が述べるように完全なものにすることはできない。しかし、不完全なものを少しでも大義ある制度に近づけようという努力を怠ってはならない。選挙権のある者同士の間での平等がその第一。そして、第二は、選挙権のない者への押し付けを慎むということである。これらの原則が守られなければ、私たちはいずれ、未だ生まれ来ぬ子どもたちの反乱や革命を招くことになるであろう。選挙がどのような結果に終わっても、一票の格差の解消と、将来世代を借金まみれにしない努力だけは超党派で行うことを心からお願いしたい。

 ◆朝日新聞デジタルで連載中の「読み解き経済」を随時、掲載します。

    *

 まついあきひこ 62年生まれ。東京大学大学院経済学研究科教授。専門は他にゲーム理論、障害と経済。著書に「高校生からのゲーム理論」「市場(スーク)の中の女の子」など。
    −−「読み解き経済:一票の格差 理論経済学を研究する松井彰彦さん」、『朝日新聞』2014年12月11日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11500634.html:title]

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 本物の『成長戦略』とは 赤穂浪士の考現学=宮武剛」、『毎日新聞』2014年12月10日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
本物の「成長戦略」とは
赤穂浪士の考現学
宮武剛 目白大大学院客員教授

 唐突な解散の末、総選挙の投票日は14日に迫った。ちょうど赤穂浪士討ち入りの日に重なる(元禄15年)。単なる偶然だが、あの四十七士は、年齢や経歴で現在に通じる意義がある。
 最年長の堀部弥兵衛の77歳。高田馬場でのあだ討ちで名を上げた「飲んべえ安」こと中山安兵衛にほれ込み、娘の婿にしたガンコじいさんである。
 次いで69歳の間喜兵衛ら60代は5人、50代も4人。「人生50年」の当時を考え、50歳以上線引きをすれば、高齢化率21%強の高齢集団であった。
 指導者の大石内蔵助は45歳の男盛りで40代は6人、30代16人、20代13人、10代2人。
 老年の知恵と経験、壮年・青年の意気と活力がからみ合う構成でもあった(年齢は後述の寺坂を除いて享年、大目付の仙石久尚調査書等から引用)。
 家老の大石を筆頭に奉行や足軽頭もいたが、むしろ身分や禄高の低い同志が目立つ。
 大石の息子・主税をはじめ「部屋住み」が8人もいた。現代風にいえば定職のないフリーターである。足軽の寺坂吉右衛門や5両3人扶持の神埼与五郎らの軽輩も加わった。いわば現在の非正規労働者に似ている。
 あだ討ちを奨励する気は毛頭ないが、年齢や身分を超え、平等に結束した集団から何を学ぶべきなのか。
 もう「人生80年」の時代になって久しい。
 「何歳から老後?」との問いに「70歳から」が最多の32%で「65歳から」の28・6%を上回る。特に65歳以上の回答者では「70歳から」40・4%、「75歳から」20・2%。「何歳まで働きたいか?」も65歳以上では「70歳まで」が最多の21・2%に上る(2012年高齢期における社会保障に関する意識等調査)。
 現在の堀部弥兵衛は無数にいるのだ。その一方で、若者たちはどうか。
 65歳以上のいる世帯のうち3世代同居は1986年の44・8%から13年には13・2%に落ち込んだ。ただし、65歳以上で「配偶者のいない子と同居」は同じ期間に17・6%から26・1%へ逆に増えた。"結婚しない症候群"の広がりである、
 「仕事あり」のうち20代前半では33・2%、20代後半でも17・2%は非正規労働者だ(13年国民生活基礎調査)。年収200万円未満の現代版「部屋住み」では、"結婚できない症候群"も広がる。
 男女を問わず、同じ仕事なら同じ待遇と社会保障の支えを得られる、若いカップルが働きながら子育てができる、意欲があれば年齢に関係なく働ける社会でありたい。
 その地道な社会改造こそ本物の「成長戦略」ではないか。
社会保障に関する意識等調査 老後の生活感や社会保障のあり方を問う厚生労働省の調査(回答約1・1万人)。重要なのは「老後の所得保障(年金)」「高齢者医療や介護」「医療保険・医療提供体制」の順(複数回答)。世代別では30-39歳は「子ども・子育て支援」、29歳以下は「雇用の確保や失業対策」が1位だった。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 本物の『成長戦略』とは 赤穂浪士の考現学=宮武剛」、『毎日新聞』2014年12月10日(水)付。

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覚え書:「戦後70年へ:歴史と向き合う、世界は」、『朝日新聞』2014年12月08日(月)付。


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戦後70年へ:歴史と向き合う、世界は
刀祢館正明 三浦俊章 東岡徹 都留悦史2014年12月8日

 それぞれの国民は、前の世代が経験した戦争の記憶を、どう伝えているのでしょうか。記憶を継承する手段はさまざまですが、こどもたちからお年寄りまで世代を超えて訪れる歴史・戦争博物館の役割は大きいといわれます。自国の立場の正当性を前面に出す施設もあれば、自らの加害の歴史を静かに見つめる展示もあります。各地の実例を報告します。

■ドイツ・米国 加害の反省と悲劇の伝承

 ホロコーストなどナチスの残虐な過去をめぐり、ドイツと米国に対照的な博物館がある。

 「テロのトポグラフィー(恐怖政治の地誌)」。ベルリン中心部にある博物館には、奇妙な名前が付いていた。

 遺跡の発掘跡のようだ。斜面を下ると地下牢の跡がある。ナチス時代、国家秘密警察(ゲシュタポ)の本部や親衛隊保安部などがあった場所だ。

 企画・展示を担当するクラウス・ヘッセさんは、「ここは、数百万人の犠牲者を生んだ犯罪の本部があった現場です。1500人がゲシュタポのために働いていたのです」と説明する。

 ただし、加害に手を貸したのは、ここの人たちだけではなかった。

 展示写真の中に忘れられない数枚がある。笑顔でポーズする収容所の女性看守たち、ナチスに熱狂する群衆の表情。ホロコーストの背景には、ナチスを支持したり、黙認したりした大勢の普通の人たちがいたことがわかる。

 暗黒の歴史を伝えたはずの建物は戦後に壊され、敷地は長い間がれきの捨て場だった。人々の記憶から消されかかっていた。その場所がよみがえったのは、ドイツ現代史の激流の中だ。

 まずは1960年代に、若者の造反の時代が来る。戦後世代が、父親たちの世代の責任を糾弾し始めた。この地でいったい何があったのか、という市民たちの問いが発掘につながった。

 次の波が90年のドイツ統一。ベルリンがドイツの首都になると、「ホロコースト記念碑」(写真C)など負の記憶を刻む施設が次々と出来た。トポグラフィーも2010年に完成した。

 年間120万人が訪れる。ヘッセさんは「ナチス・ドイツが犯した罪を歴史的に記憶していくことに期限はありません。忘却を阻止することが私たちドイツ人の課題です」と話す。

 ナチスはドイツ社会が内部から生み出した病理だといわれる。ベルリンの施設は、その過去に、静かに自省的に向かい合おうとしているかのようだ。

 一方、雄弁で、具体的に語り継ごうとするのが、ワシントンにある「米国ホロコースト記念博物館」(写真AとB)だ。在米ユダヤ人団体などの強い働きかけで93年に開館して以来、今日まで3700万人が訪れている。

 順路の途中に巨大な靴の山がある。数千足の黒ずんだ靴は、殺されたユダヤ人たちが実際に履いていたものだ。気づいたら、強制収容所に人々を運んだ貨車の実物大の模型の中にいた。

 ホロコーストの現場から離れた米国に、なぜ大規模な博物館が? サラ・ブルームフィールド館長は「米国は欧州から逃げてきたユダヤの人々の避難の場所であり、ナチスを倒すために戦った国だからです」と答えた。

 さらに進むと、大戦末期に収容所を軍事力で解放した米英ソなどの国々をたたえる一方、ホロコーストに手を貸したり黙認したりした勢力を厳しく批判している。虐殺を前に傍観者でいることは許されないというメッセージ。

 巨大な悲劇を経験したユダヤ人たちが、それを世界に伝え、同じようなことが二度と起きないようにと訴えている。そう思えた。(刀祢館正明)

     ◇

 〈ホロコースト〉 一般に、ヒトラー率いるナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺をさす。反ユダヤ主義のナチスが1933年に政権を握り、ユダヤ人を迫害。各地の収容所にユダヤ人を移送し、銃や毒ガスなどで殺害した。約600万人が犠牲になったとされる。

■フランス 戦勝国の暗部に踏み込む

 第2次大戦の激戦地フランス北西部のノルマンディー。有名な上陸作戦の地から近いカーン市の「平和記念館」(写真D)は、異色の戦争博物館だ。

 玄関前には、連合軍側の米英などの国旗に並んで、ドイツの国旗も翻っている。大戦の原因については、ドイツに屈辱的条件を課した1919年のベルサイユ条約について展示で解説する。説明も英仏独の3カ国語だ。

 地元政治家らの提唱で88年に開館した。特筆すべきは、ナチスによる占領の実態など歴史博物館の定番の展示だけでなく、連合軍の作戦でフランスの市民が巻き添えになっていたという、歴史の暗部に踏み込んでいることだ。

 「44年6月の上陸から8月のパリ解放まで、人々は何もなかったかのように記憶してきましたが、カーン市は連合軍の空爆で徹底的に破壊され、このあたりで約2万人の一般市民が死亡しているのです」とステファン・グリマルディ館長。

 これまでは、連合軍をヒーローとする歴史観が圧倒的だった。国民的な記憶では語られなかった空襲の史実を取り上げたのは、「第2次大戦ほど多くの市民が殺された戦争はない。市民の苦しみを通して歴史を理解することが重要だからです」という。(三浦俊章)

     ◇

 〈ノルマンディー上陸作戦〉 1944年6月6日、ナチス・ドイツが占領する仏北西部ノルマンディー地方で米英など連合軍が決行した作戦。史上最大規模の上陸作戦として知られ、8月にパリを解放。欧州戦線の流れを変え、連合軍勝利のきっかけになった。

■韓国 終わらぬ戦争、刻々と記録

 入り口に向かう通路の両側に朝鮮戦争などで犠牲になった戦死者の名を刻んだ碑が並ぶ。その数に圧倒される。

 ソウルの「戦争記念館」(写真EとF)は古代からの戦争の記録を伝え、犠牲者を悼む場として1994年に開館。日本の植民地時代の展示もあるが、朝鮮戦争が大半だ。同じ民族が戦う「最大の悲劇」である朝鮮戦争。体験者が減り、後世に伝えるのは「国家的課題」との危機意識が背景にある。

 「肉弾三勇士」の像は激戦地で戦った兵士をたたえ、戦況を逆転させた仁川上陸作戦は映像で紹介。作戦を指揮したマッカーサー司令官のサングラスもある。国連軍とともに勇敢に戦い、苦難を耐え抜いた韓国人の姿を伝える。

 ただ、戦争は終わっていない。今も北朝鮮による武力挑発は続いている。

 戦闘機や戦車が並ぶ屋外の展示で目立つのが「チャムスリ357号艇」。2002年に黄海で北朝鮮の砲撃を受けた実物を再現した。4人が死亡した北朝鮮による韓国・大延坪島(テヨンピョンド)砲撃事件から4年を迎えた11月23日、政府主催の追悼式典が開かれたのも同館だった。鄭〓原(チョンホンウォン)首相が式辞を寄せ、「国民が確固たる安保の意思で武装することこそ、武力挑発を防ぐ最善の予防策になるのです」と呼びかけた。(東岡徹)

     ◇

 〈朝鮮戦争〉 1950年、朝鮮半島の武力統一を目指す北朝鮮が北緯38度線を越えて侵攻。韓国軍と米国など国連軍、北朝鮮側に立つ中国軍が参戦した。53年に休戦協定。韓国の資料では、韓国・国連軍の死者は17万人超、北朝鮮・中国軍は61万人超。

■マレーシア 民族分断、修復へ融和重視

 クアラルンプール中央駅にほど近い「国立博物館」(写真G)は赤い屋根と白壁が印象的だ。英国から独立して間もない1963年に開館した。

 「植民地時代」のコーナーに入った。ポルトガル人が乗った帆船の巨大模型や伝来の鉄砲。英国人が胸につけた勲章や古い紙幣も展示されている。16世紀のポルトガルによるマラッカ支配に始まり、オランダ、英国、日本、再び英国。列強によるマレーシア支配は、実に400年以上も続いた。

 終戦まで3年8カ月続いた日本の占領期を紹介する一角は、他の時代と比べて展示品が少なく地味だった。古びた自転車が目を引く。41年12月、マレー半島に上陸した旧日本軍が進軍時に使ったものだ。日本刀もあった。「首斬りに使われ、地元で恐れられていた」とする一文が添えられていた。

 ヒシャム・ラーマン学芸員は「どの植民地時代にも良い面と悪い面がありました。多くのマレーシア人が日本人に殺されたことは知っていますが、植民地化で鉄道などインフラ整備や教育が進んだのも事実。我々は歴史を冷静に見つめてきました」と話した。

 日本統治時代の歴史がまとめられていると聞き、旧日本軍が上陸した半島東部コタバルの「戦争博物館」も訪ねた。銃剣や刀で住民が殺されたと説明するパネルが1枚あったが、展示は当時の戦況の解説や水筒、軍服など日本兵の所持品が中心だ。アブスタリム・ヤコブ学芸員は「植民地支配は民族分断の歴史。独立後にマレー系、中華系、インド系の融和を図るには寛容と調和の精神が大事でした。日本を悪者にしてあおることは、その精神にそぐわない」と語る。(都留悦史)

■「国民的博物館」日本は

 この特集で紹介した世界の博物館は、安全保障の意識を高めるためだったり、歴史的あるいは民族的和解のためだったり、それぞれの記憶をそれぞれのやり方で刻んでいる。ひるがえって、日本の場合はどうだろう。国民の間で幅広い合意のある総合的な歴史・戦争博物館はあるだろうか。

 よく取り上げられる靖国神社の遊就館は、戦没者を「英霊」と顕彰する歴史観に、内外から自国中心だとの批判もある。一方、大阪国際平和センター(ピースおおさか)など「加害責任」を問う施設については、見直しを求める動きもある。現在の日本では、歴史認識が激しい政治争点になっている。

 きょう8日は、太平洋戦争開戦の真珠湾攻撃から73年。来年、日本は戦後70年を迎える。だが、国民が歴史観を共有できる博物館のあり方について、いまだ答えはない。
    --「戦後70年へ:歴史と向き合う、世界は」、『朝日新聞』2014年12月08日(月)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASGD1619RGD1ULZU008.html:title]

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日記:真っ暗な闇の中を歩み通す時、助けになるものは、橋でも翼でもなく、友の足音である、2014年厳冬。


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「社説 秘密保護法施行 息苦しい社会にするな」

ウォーターゲート事件でニクソン米大統領を辞任に追い込んだ記者を支え、10月に亡くなった米ワシントン・ポスト紙の元編集主幹、ベンジャミン・ブラドリー氏は「政権と政府はうそをつくものだ」という言葉を残している。

 きょう特定秘密保護法が施行される。歴史に照らせば、政府にうそはつきものだ。この法律がそれを後押しすることを懸念する。

 自民、公明両党は2012年の前回衆院選で法の制定を公約として掲げなかった。だが、国民各層の懸念の声を振り切って昨年12月、不十分な審議で法を成立させた。衆院選の最中だからこそ、秘密法のもたらす影響について目を凝らしたい。

 ◇解除後には一律公開を

 政府は、秘密法の制定に当たり、「外国と情報共有する上で必要な法律だ」と説明してきた。だが、原案の協議過程で内閣法制局が「実際の秘密漏えいが少ない」などと立法の必要性に疑問を投げかけていた。

 私たちは、安全保障上必要な国の情報を一定期間、秘密にすることの必要性は理解する。しかし、この法律は民主主義の基盤である国民の「知る権利」を阻害するなど副作用が大きすぎる。政府内の議論も踏まえれば本来なら廃案にすべきだが、施行された以上、マイナスを最大限減らさねばならない。

 国の安全保障に著しい支障を与える恐れがあるとの理由をつければ、行政機関は意のままに特定秘密という箱に情報を放り込むことができる。そこがこの法律の本質だ。対象は防衛や外交、スパイ活動防止やテロ防止の4分野55項目に及ぶ。

 しかも、秘密指定は5年ごとの更新で30年、60年と延長でき、例外に該当すれば60年超でも秘密のままだ。箱から情報を取り出すのは容易ではない。国の情報は国民の公共財であるとの視点が欠けている。

 最大の問題は、政府の不正行為や腐敗を隠蔽(いんぺい)するために秘密指定がなされる可能性があることだ。

 1972年の沖縄返還に伴う密約を思い起こしたい。日本が米国に財政負担することを両政府が合意した密約について、日本政府は米国立公文書館で密約を裏付ける文書が見つかった後も、文書の存在を認めなかった。あるものをないとする体質がある以上、秘密法の下で文書の廃棄がされ「政権と政府のうそ」が一層巧妙に隠されるのではないか。 

 政府は審議官級の独立公文書管理監のポストを新設し、秘密指定の妥当性をチェックするという。だが、管理監から情報の開示や資料提供を求められても、各省庁は安全保障上著しい支障を及ぼすと主張すれば拒否できる。このような小さい権限ではまともな判断は期待できない。主権者である国民に正しい情報を知らせる。そうした立場で監視役が動ける仕組みに改めるべきだ。

 秘密の箱を開けたが、何も入っていなかった−−。そうした事態も起こり得る。公文書管理法の規定では、作成から30年以下で指定を解除された秘密文書は、首相の同意で廃棄できる。首相が直接目を通すわけではなく、所管庁の意向に沿って廃棄が決まるのが大半だ。

 国民に公開すべき情報が永遠の秘密にならぬよう公文書管理法を改正して法の穴を埋めるべきだ。

 ◇内部通報者を保護せよ

 秘密法は、自由な言論や健全な情報の流れが保障された民主主義社会の空気を変える恐れもある。厳罰で人を縛る法律だからだ。

 特定秘密を漏らした公務員には最高懲役10年が科せられる。秘密に迫ろうとした側も、「そそのかし」「あおりたて」「共謀」があったと当局にみなされれば、最高懲役5年だ。これは、ジャーナリストか市民かを問わない。記者の取材や議員、市民グループからの資料要求に対し、法の足かせで公務員が萎縮し、抑制的になることが当然予想される。

 政府は10月に閣議決定した運用基準で、違法な秘密指定を通報した者への配慮を盛り込んだ。だが、特定秘密そのものを通報した場合、過失漏えい罪で処罰される余地が残る。保護措置は極めて不十分だ。

 安倍晋三首相は衆院解散時、秘密法に触れて「報道が抑圧されるような例があったら(首相を)辞める」と述べた。そこまで首相が言うのならば、法の拡大解釈などによる抑圧はないと信じたい。ただし、いったん法が施行されれば、立法時の意図と無関係に動くこともある。

 戦前の軍機保護法は、国家の存亡にかかわる軍事機密を漏らした者を罰するためにできた。だが、旅先で見かけた海軍飛行場のことを友人の外国人教師に話した学生や、遠くの島に大砲が見えたことを仲間に話した漁師が実刑判決を受けた。

 「そそのかし」といったあいまいな規定がある秘密法も警戒が必要だ。逮捕・起訴しなくても、捜索だけで十分、威嚇効果はあるだろう。

 徐々に自由な言論の場が狭められていく息苦しさが社会を覆うことを恐れる。権力から独立して国民の「知る権利」を守るべき報道機関の責任と役割が一層問われる場面だと自覚したい。10年、20年後、秘密法の施行が時代の転換点になったと振り返ることがあってはならない。
    −−「社説 秘密保護法施行 息苦しい社会にするな」、『毎日新聞』2014年12月10日(水)付。

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[http://mainichi.jp/opinion/news/m20141210k0000m070141000c.html:title]


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衆院選 秘密法施行—「不特定」の危うさ
2014年12月10日(水)付

社説

 特定秘密保護法が施行された。

 何が秘密か、わからない。「特定秘密」は特定できず、行政の恣意的(しいてき)な判断の余地を残している。それを監視すること自体、難しい。危うさを抱えたままの施行である。

 衆院解散の直前、安倍首相はテレビ番組でこう語った。

 「特定秘密(保護)法は、工作員とかテロリスト、スパイを相手にしていますから、国民は全く基本的に関係ないんですよ。報道が抑圧される例があったら、私は辞めますよ」

 安倍首相がそう思ったとしても、そもそも国民が全く関係ないとは言えない。

 政府内の情報を求めて動く報道機関や市民運動などの関係者は対象となり得る。乱用を許せば、時の政権の意に染まないメディアや団体への牽制(けんせい)に使われないとも限らない。

 安倍首相が辞めるかどうかも問題ではない。問われるのは、どんな政権であっても法を乱用できないようにするための措置であり、その実効性だ。現行法のままでは、それが担保されているとも言えない。

 多くの国民の懸念や反対を押しきって施行にこぎ着けた安倍政権が言いたいのは、要するに「政権を信用してほしい」ということだろう。

 その言い分を、うのみにするわけにはいかない。

 政府内に監視機能が設けられるが、権限は強くない。衆参両院の「情報監視審査会」はまだできていないが、いずれ発足して秘密の提出を求めても政府は拒否できる。指定期間は最長60年で、例外も認める。何が秘密かわからないまま、半永久的に公開されない可能性もある。

 行政情報は本来、国民のものであり、「原則公開」と考えるべきだ。それを裏打ちする情報公開法や公文書管理法の改正は置き去りにされている。

 安全保障上、守らなければならない秘密はある。しかし、それは不断の検証と将来の公表が前提だ。制度的な保証がなければ、乱用を防ぐための歯止めにはならない。

 民主党政権下で秘密保全法制を検討した有識者会議の報告書に、こんな一節があった。

 「ひとたび運用を誤れば、国民の重要な権利利益を侵害するおそれがないとは言えない」

 懸念は払拭(ふっしょく)されていない。

 ちょうど1年前、安倍政権は数を頼みに特定秘密保護法を成立させた。そして衆院選さなかの施行となった。世論を二分したこの法律がいま、改めて問われるべきだ。
    −−「衆院選:秘密法施行—「不特定」の危うさ」、『朝日新聞』2014年12月10日(水)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASGD93CV8GD9USPT003.html:title]


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日記:マリオ・バルガス=リョサの『世界終末戦争』(新潮社)を「読む」ということ


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先週の金曜日は授業を終えてから月一の読書会へ。

毎月一回、コロンビア大学の教養教育カリキュラムの課題図書を取り上げ、「読む」という集いをしておりますが、この秋は番外編として参加者おすすめの1冊をそれぞれとりあげてきましたが、今回はマリオ・バルガス=リョサの『世界終末戦争』が課題図書。

おれたちはどこにいるのか、そして何をなすべきか、認識が常に更新される一冊だった。二項対立とフラットという欺瞞とどう決別すべきか。恐るべき一冊。

何で人間が人間を殺し合わなければいけないのか。その矛盾をついたのがトルストイの『戦争と平和』。リスペクトを込めつつ刷新したのがリョサの『世界終末戦争』なんだろう。リョサはあえてイデオロギーを語らないし、普遍的価値観をも語らない、しかし、そこには「人間の現在」を否定しない地平がある。

幾重にも差別と搾取がからめとられた南米文学は読んでいるつもりであったが、リョサはの著作は初めてであり、よみながら強烈なショックを覚えた。「ショックを覚えた」という言葉すら欺瞞に他ならないわけだけど、南米の過去・現在が私の今であるとすれば、リョサの筆致は他人事ではない。

歴史「主義」としての過去の断罪は何の値打ちもない。同時にだと言ってその瑕疵がスルーされてもよい訳ではない。そして「現実はこうですから」と訳知り顔でしかたがないと言われて始まらない。リョサは結論を書かないが、そう、そういういまから、「はじめるしかない」。深い余韻が今なお離れない。

おのれの潔白さを証明するが如き隠棲も不要で在れば、同時に、この浮き世は矛盾だと居直ることも柔軟に退けなければならない。矛盾を撃ちつつも、生-権力の享受とは決別した「しんどさ」をひきうけること。これがためされているように思う。
 
コメンテーターを務めた金型設計のおっちゃんが言う「きちんと本を読むことができる人間は、きちんとしたものを書き、発信もできる」という言葉が頭に残っている。

複雑な人間世界、時には苦渋に満ちた選択をせざるを得ないことは承知する。しかしながら、「げんき」だの「感謝」だのという、みつお式の「にんげんだもの」の如き言葉に、葛藤・逡巡・熟慮・決断といったプロセスを垣間見ることは不可能だと思う。現状認識と現状容認は似ているようで全く異なるものでしょう。

考えるということと程遠い、「幼稚化」というものがものすごいスピードで時代をまとめあげようとしていることに戦慄してほしい。そしてそのことが「苦渋の決断」とはほど遠い「自己弁解」をそれと錯覚することへ連動している訳ですよ。

リョサの作品と対峙すること、読むと言うこと。それはすなわちキャッチコピーの如きワンフレーズ「消費」とは対極にあるものだろう。こうした営為が今こそ必要だと思う。

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覚え書:「インタビュー:なぜ、宇宙へ? JAXAシニアフェロー・川口淳一郎さん」、『朝日新聞』2014年12月06日(土)付。

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インタビュー:なぜ、宇宙へ? JAXAシニアフェロー・川口淳一郎さん
2014年12月6日

(写真キャプション)「ほかがやらないことに、フットワーク良く挑む。それが日本の得意技でしょ」=東京都
 小惑星探査機「はやぶさ2」が宇宙へ旅立った。初代「はやぶさ」の奇跡の帰還は、世界を驚かせ、いまや国際的にも小惑星探査は花盛りになった。その中で、日本は宇宙探査の未来図をどう描いていけばいいのか。宇宙に挑み続ける意義はなにか。「はやぶさ」チームをまとめたJAXAシニアフェローの川口淳一郎さんに聞いた。

 《約7年間の宇宙探査の旅から「はやぶさ」が帰還したのは4年前だった。あちこち故障して「瀕死(ひんし)」の状態。それでも地球から約3億キロ離れた小惑星イトカワの微粒子を採取し、戻ってきた。「世界初」をいくつも成し遂げたその技術には、いまも世界から問い合わせが続く。》

 今回の小惑星探査機には、「はやぶさ2」という名前をつけて欲しくなかったんです。初代「はやぶさ」はあくまで新しい技術を試す実験機。でも今度は確かになった技術でめざすいわば本番の1号機。別のものなのに、プロジェクト段階から名称は「はやぶさ2」。成果を出した「はやぶさ」の後継機と位置づけても、約300億円の予算は巨額だとなかなか認められませんでした。

 アメリカは、日本の年間宇宙予算にも匹敵する約3千億円もかけたキュリオシティという火星探査車を、いきなり火星に運びました。「3千億円もかけて失敗したら」とは言わない。世界レベルの一級の挑戦というのは、他の科学でもそういう規模です。先日、彗星(すいせい)に初着陸をしたヨーロッパの探査機ロゼッタだって14億ユーロ(約2千億円)。でも、日本はリスクを先に言います。

 《川口さんらが、以前からあたためていた「はやぶさ2」のプロジェクトを提案したのは2006年。「はやぶさ」との通信が途絶え、行方不明から復旧を模索した時期だ。》

 「はやぶさ」を計画した最初から描いたシナリオは基本的に同じです。太陽系誕生当時の状態をとどめている小惑星や彗星を探査する「始原天体探査」。地球などの惑星は小さい天体が集まってできたと言われています。大きく丸くなってしまった天体では、誕生のころの痕跡は沈んでいて、地表近くのどこを探しても残っていない。地球の中身や生命の起源はわからないんです。だから小惑星をめざしました。

 「はやぶさ」がめざしたのは、地球と同じ岩石質のS型小惑星。イトカワです。太陽の熱で焼け石のようになって、水も残っていません。

 これが、もう少し太陽から離れると、水を含む鉱物や炭素、有機物も残っているC型小惑星が出てくる。それが「はやぶさ2」の向かう1999JU3です。熱に軽くあぶられているので「生命の起源」そのものの大きな分子はとどめていませんが、「生命の進化を育んだ環境」がどう作られたのかがわかります。

 次は、生命の起源そのものを氷づけで保存しているような天体、木星以遠の氷と泥がガチガチに凍ったような小惑星をめざします。さらにその次が、レアメタルなどがあるとされ、丸ごと金属かといわれるM型小惑星の探査です。個人的には、これが一番興味があります。

 《いまは木星の近くにある小惑星群「木星のトロヤ群」の探査構想に携わっている。巨大な帆を広げ、太陽電池で進む「宇宙帆船」で向かう計画だ。》

 トロヤ群は冷凍庫のような小惑星群です。木星の衛星であるエウロパやエンケラドスは、氷の下に海があって、そこに生命があるとも言われている。二つとも小惑星が集まってできた天体のはずです。ならば、近くのトロヤ群に「生命の起源」が見つかるかもしれない。高性能なイオンエンジンを太陽から遠くても駆動できるようなハイブリッド宇宙船を使おうと。宇宙探査の実験機です。

 ぼくはあえていえば、実験機のプロジェクトをやりたい。リスクはあっても新しいことに挑戦するのが実験機。どこにも作り方も何もないところから、何かを創り出すことに意味がある。宇宙探査も数学も、無から有を創るアートだと思っています。数学は頭でイメージをして思想を創っていくようなもの。宇宙探査は数学ほど抽象的ではないけれど、未知のものを探る過程でイメージを膨らませていくアートなんです。これからの時代、日本がめざす宇宙探査はアートでなきゃいけない。どんなに貧弱な探査機でも、作品を描き、挑戦し続けることはできます。

 先月出された政府の「新宇宙基本計画」の素案では、「出口戦略」という言葉が強調されています。出口、つまり結果が見えなきゃダメというんです。でも新しい望遠鏡を作る時、「この望遠鏡を作ったら見える星を言ってみなさい」と問われて、言えますか? 見えるものがわかっているなら作らなくていい。

 JAXAは宇宙航空研究開発機構です。「研究」に結果が見えているなんておかしな話はない。セレンディピティーという言葉があります。思いがけなく何かを見つけるということで、この言葉が科学と技術の本質です。「出口戦略」はこの本質と逆行する言葉なんですよ。

 《日本人宇宙飛行士の活躍の舞台となっている国際宇宙ステーション(ISS)の運用寿命は、米国の延長提案でもあと10年。そうなれば日本人が宇宙に出る機会もなくなる。一方、米航空宇宙局(NASA)は火星や月探査に主力を移す。中国は独自の宇宙ステーション建設や20年の火星着陸もめざしている。》

 宇宙開発はこれから、国際共同が避けられない時代になるでしょう。巨額の投資リスクを分散させるために。日本が下請けに回らないよう、気をつけなければいけない。

 日本はまだ新たなロケットを開発するといっています。一方、アメリカは無人機ですが、音速の6倍で飛ぶジェット機を30年に完成させるとし、去年実験に成功しました。東京とアメリカ間が日帰りです。中国も音速の10倍の実験をしました。

 何十年かのスケールで考えれば、宇宙に出ていく未来の乗り物は、翼がありジェットエンジンで飛ぶ「宇宙飛行機」になります。もし、日本がその極超音速機のエンジンを開発したら、決して侮られることはない。得意技で存在価値を示すためには未来志向の投資が必要です。

 日本の宇宙開発は昨今、「宇宙は安全保障に使いなさい」という方向に動いています。情報収集衛星など防衛分野に予算がどんどん振り分けられている。国際情勢の緊張を考えれば、安全保障分野ももちろん強化が必要です。ただ、安全保障に力を惜しまないなら、別途きちんと予算を確保すればいい。科学や宇宙の予算を切り崩してやるのはおかしい。

 安全保障に積極的というよりも、むしろ科学や研究は軽視する国と受け取られます。アメリカは、科学はNASA、軍事と安全保障は国防総省と、組織も予算も切り分け、一定の距離を保って独立しています。日本もそうすべきなんです。

 ウクライナ情勢が緊迫した時、ISSには若田光一飛行士やクリミア半島出身の飛行士もいました。それでもロシアは帰還のソユーズ宇宙船を出した。巨大な宇宙望遠鏡の共同製作、共同宇宙探査など、科学的・文化的なことでの国際協調や緊張緩和の余地は、実は大きいのです。

 ぼくが一番いいと思うのは、各国が協力した「深宇宙港」建設です。

 重力の大きい地表から直接出発するには、性能が低くても大推力のエンジンが必要です。しかし、遠い惑星との往復には高性能な全く別種のエンジンが必要になる。だから、宇宙空間に乗り換え用の港を建設する。そこまで地球脱出用の乗り物で行き、そこで遠い惑星をめざす乗り物に乗り換えて、また戻ってくるターミナルになります。宇宙空間にある物質の分析施設も併設して、宇宙飛行士の役割を広げます。

 《1969年のアポロ11号による月面着陸に魅了された世代が、いま世界の宇宙研究の現場で活躍している。同様に、「はやぶさ」に魅了された日本の子どもたちの間では、宇宙飛行士や宇宙研究へのあこがれが広がっている。》

 厳しい時代を生きる若い人には、「無から新しいものを創ることが本質だと心がけて」という言葉を贈りたい。大人たちや政府は、その芽を摘まないような環境を整える努力をしなきゃいけない。何世紀にもわたる教育・伝統の繰り返しはそう簡単には変えられませんが、「変人の中心」を作って、点在させるといいかもしれません。

 だれも考えない奇抜な発想をして、見向きもされないことを突き詰める「変人」が、躊躇(ちゅうちょ)することなく考えを発言できる機会や場を、あちこちに確保する。変人が議論の中心でも、変人同士が議論できる場でもいい。そんな環境ができあがると、宇宙や科学技術だけにとどまらず、人文社会の分野でも突拍子もないことを考える人が出てきます。

 「変な人」が語り、考えていることを、きちんと議論できる環境を作ることが大切です。こうした環境からノーベル賞を取るような研究者も出るかもしれない。「はやぶさ」のまいた芽が花開く未来を、楽しみにしています。

 (聞き手・宮坂麻子)

    *

 かわぐちじゅんいちろう 宇宙航空研究開発機構(JAXA)シニアフェロー 1955年、青森県弘前市生まれ。83年、宇宙科学研究所に着任。「はやぶさ」プロジェクトマネジャーを経て2011年から現職。著書多数。 
    --「インタビュー:なぜ、宇宙へ? JAXAシニアフェロー・川口淳一郎さん」、『朝日新聞』2014年12月06日(土)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11492363.html:title]

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覚え書:「衆院選:投票先に悩むアナタへ…『戦略的投票』のススメ」、『毎日新聞』2014年12月03日(水)付。


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衆院選:投票先に悩むアナタへ…「戦略的投票」のススメ
毎日新聞 2014年12月03日 19時54分(最終更新 12月03日 20時08分)

(写真キャプション)衆院選公示日の2日、東京・新宿駅西口で街頭演説を聞く大勢の人たち。1票を生かしたい=2日午前10時7分、本社ヘリから

 師走の衆院選がスタートした。自分が心から支持する候補者に1票を投じる……それができれば一番いい。だが「自分が望む政策と同じ公約を掲げる党がない」「与党も野党も信用できない」「小選挙区に意中の候補がいない」……そんな時、棄権するしかないのか、何かできることはないのか。専門家に聞いた。【田村彰子】

 ◇アベノミクス「判断しなくてもいい」 党首の好き嫌いでもいい

 今回、安倍晋三首相は「消費増税先送りの是非を問う」として、争点にアベノミクスの評価を掲げた。先送りには野党も賛成で、「解散の大義がない」と批判している。

 北海道大の吉田徹准教授(政治学)は「今回の総選挙は争点の設定やタイミングなどすべてが現政権が有利になるよう非常によくできている」と指摘する。「アベノミクスに反対の人は増税にも反対の人が多いので、延期は望ましい。アベノミクスに賛成の人は、安倍政権を支持する。だから賛成の人も反対の人も与党に投票しやすい。しかも小泉(純一郎)元首相の時の郵政選挙とは違い、意見が分かれないので熱狂的な選挙にはなりにくく自民党に有利です」

 野党側は集団的自衛権や原発再稼働への賛否など、意見の割れる「分断的争点」を作りだそうとしている。だが吉田さんは「各政党がばらばらに争点を言い出した時点で、実は有権者の判断は難しくなる」と話す。

 混沌(こんとん)とした状況で、自分の1票を生かすにはどうしたらいいのか。考え方を整理するためまずは、ゲーム理論に詳しい早大の船木由喜彦(ゆきひこ)教授を訪ねた。

 船木さんによると、自分が最も支持する候補者に1票を投じる、これをゲーム理論では「真実表明」と呼ぶ。そして、それ以外の投票方法を「戦略的投票」と呼ぶ。

 典型的な戦略的投票の一例はこうだ。例えば小選挙区で、AとBの候補者がいて自分はどちらも支持していない。棄権をしたくなるが、こうした場合でも、どちらがより支持できないか、どちらがより嫌いかを考える。最も嫌なのがAなら、Aを倒すためにBに入れる。

 ほかにも例えば、A、B、Cの候補者がいて、自分はAの候補者を支持しているけれどもとても当選しそうにないという場合。BとCを比較してよりAに近い考え方を持つBに投票する−−これも戦略的投票だ。船木さんは「人々は事前の支持率調査などを見て周囲の投票行動を予想しつつ、最も支持する候補者の当落を予想します。投票に行くことは、それだけで時間と労力のコストがかかるので、そのコストを勘案したうえで、自分の利益を最大にする、あるいは不利益を最小にする選択をすることがゲーム理論で言う『合理的行動』といえます」と話す。

 棄権には意味がないのか? 「自分が支持する候補者が大勝すると分かっている時は、コストを最小にするため、投票に行かないことが合理的な行動になります。しかし、人は必ずしも合理的な行動を取るとは限りません」と説明する。

 実際には私たちは、複数の物差しで、政党や候補者を選び出している。選挙制度に詳しい学習院大の平野浩教授は「有権者は主に▽政策に対する考え方が近い▽政権の評価▽党首の好き嫌い−−で選択する傾向があります」と話す。このうち最も重視されているのが「現政権の評価」だ。

 「小選挙区制度の考え方は政権につく政党を選ぶこと。その過程では小政党は不利になるが、それでいいという考え方で、有権者が死票を避けようとすれば、必然的に『戦略的投票』をするシステムになっています。一方、政党がより大勢から支持を得ようとすれば、有権者の多くが望むことを訴えようとするので、政策が似てきます。政策に大差がなくなれば、現行の政治への評価が重要な決め手になります」と解説する。

 そこで浮上するのがアベノミクスの評価だが、「アベノミクスは専門家でもまだ判断が分かれるのだから、有権者に判断を求めるのは酷だ」と吉田さんは言い切る。平野さんも「経済分野では、成功するかどうかはやらないと分からない。一般の有権者には分からないと思います」と同調する。

 ならば、どうしたら? 吉田さんは「そもそもアベノミクスは定義もはっきりしない。有権者がその是非を判断する必要はありません。むしろ、現在の政治によって自分の生活が良くなっているか、将来的な不安が解消されつつあるかなど、自分の現状を踏まえて判断することが大事です」と訴える。平野さんも「現政権の2年間、特定秘密保護法成立や集団的自衛権の行使容認、沖縄の基地問題、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)などさまざまな政治的な問題がありました。自分にとって大事な争点を選び、政権が下した決定と現状を自分なりに評価してみてください」と話す。その結果、総じて与党が及第点だと思うのなら与党へ、そうでないなら対立軸となる野党に入れる。無党派層は5割前後もおり、決して影響は小さくない。

 ところで、好き嫌いでの投票はどうなのか。平野さんは「政治心理学の視点で考えると、好きか嫌いかで選ぶのは間違いではない」と話す。人間はある人についての情報や事象に無数に接して、好き嫌いを決めている。例えば、安倍首相が集団的自衛権行使の問題でどんな発言をしたか、どんな外交をしたかなど、有権者は具体的に覚えてはいない。しかし、その都度「いい」か「悪い」かの感覚が残り、「安倍首相が好きか嫌いか」の感情が形成される、という。「特に党首が好きかどうかは、その党が政権を取った時に日本の首相になるので、大事なことと考えられます」

 仮に自分が望む政策がまるでないなら、やはり棄権するしかないのか。吉田さんは「本来、政策はお上が示すものではなく、自分たちで作るもの。不満や問題点を、仲間と共に声を上げて直していくのが『政策』になる」と強調する。

 日本人は、政治の話をあまり好まないと言われる。選挙以外にデモや集会に参加する「政治参加率」は、フランス43%、アメリカ36%に対して日本は14%。吉田さんは「決して個人が政策を合理的に判断し、投票するだけが理想ではありません」。例えば、仲間で考え方の近い候補者を探し「100票を集めて入れるので、この政策を公約に」と求めれば候補者は動く。

 「民主主義は手間がかかる。でも、それを惜しむほど自分たちの理想と離れていき、不満と不信が降り積もります」

 家族や友人と「誰に入れたいか」を話し合うことからはじめるしかない。
    −−「衆院選:投票先に悩むアナタへ…『戦略的投票』のススメ」、『毎日新聞』2014年12月03日(水)付。

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[http://mainichi.jp/select/news/20141204k0000m010044000c.html:title]


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覚え書:「2014衆院選:中小都市から考える 木下斉さん、宮川克己さん、林口砂里さん」、『朝日新聞』2014年12月05日(金)付。

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2014衆院選:中小都市から考える 木下斉さん、宮川克己さん、林口砂里さん
2014年12月5日

 衆院解散の直前、地方創生の関連法が駆け込みで成立した。だが法律だけで地方が復活できるほど現状は甘くない。大都市でも小さな町村でもない、中小都市から地方の将来を考えた。

 ■「いかに稼ぐか」発想転換 木下斉さん(エリア・イノベーション・アライアンス代表理事)

 安倍政権が地方創生を掲げています。「地方」というと限界集落が想像されがちですが、今後、問題が深刻になるのは、地方で中心的役割を果たしてきた人口10万〜30万人程度の「中小都市」です。

 中小都市が縮小する一因は、交通網や情報網の高度化です。かつては地域の中心でしたが、新幹線や高速道路、高速ネットが通ると、1地域がカバーする範囲が拡大して、より大きな都市に集約されてしまう。東北でいえば、かつては各県の県庁所在地に支店があった企業が、仙台や東京に機能を集約し、個々の県は出張で済ませるようになる。ネットの発達で、業務や会議も遠隔で可能になり、出張の必要性すら減っています。

 交通や通信の高度化が進む以上、中小都市は新たなあり方を模索しなくてはなりません。単に「若い人を地方に移住させる」だけでは若者が割を食うだけです。必要なのは、人口縮小社会に合わせて中小都市を「経営」していくことです。

 にもかかわらず、多くの中小都市はいまだに再開発事業などによって一発逆転を目指しています。人口10万〜30万の規模があれば、初期投資は国からの支援と組み合わせて捻出できる。しかし、開発費の5倍ともいわれる巨額の維持費用は負担できません。人が減って自治体が消滅する以前に、赤字事業で財政破綻(はたん)する可能性が高いです。

 国から中小都市への支援政策を根本から改めなくてはいけません。地方創生の基本は、地味でもしっかり黒字になる事業に注力し、縮小する人口に対して過剰な行政をスリム化することです。

 小規模でも、従来とは異なるやり方で収支が成り立つ事業は可能です。岩手県紫波町の複合施設「オガールプラザ」は好例で、公共施設の図書館と、民間による産直市場、カフェや居酒屋を合築しました。補助金に依存せず、民間が投資して、テナント料で黒字経営しています。

 行政が、従来の公共事業のやり方から脱却し、「稼ぐ」という発想に切り替えるカギは、首長の経営マインドです。計画をコンサルタントに任せるのではなく、行政職員が自分の手で作ることです。これまでの行政改革は「ムダを削る」という総務部的な発想ばかりでしたが、これからは「いかに稼ぐか」という営業部的な発想が必要です。

 人口10万〜30万の中小都市は、経営しだいで持続できる可能性がある。他地域の成功事例の模倣ではなく、他にない「稼げるメカニズム」を生み出す努力が大切です。稼げる地域には雇用が生まれ、人も集まり、財政も改善します。

 国も自治体がみずから稼ぐことに注力するように、交付金や補助金ではなく、投資や融資に支援策を転換すべきです。

 (聞き手・尾沢智史)

     *

 きのしたひとし 82年生まれ。高校時代に商店街活性化の会社を起業。全国の地方都市でまちづくり事業立ち上げや地域連携に携わる。著書に「まちづくりの『経営力』養成講座」など。

 ■市民巻き込み、創る居場所 宮川克己さん(青森県弘前市のタウン誌編集代表)

 地方創生の関連法で何ができるか? 現場ではいまひとつピンと来ません。政府の応援はありがたいが、地域の「創り方」はそれぞれの土地で異なる。人口は減るけれど、知恵を出すしかないとハラを決めています。

 青森県弘前市のJR弘前駅前から弘前城へ向かって延びる土手町商店街は、10年前と比べて空き店舗がなくなり、ずいぶんにぎやかになりました。市が5年ほど前に郊外開発をやめ、中心市街地にシフトする方向に舵(かじ)を切った。それだけじゃない。街を変えようとする動きに参加する人が増えてきたことが、さらに人を寄せ付けています。

 弘前にはもともと夏の花火大会がなかったのですが、今年で9回目となる「花火の集い」は、ぼくら青年団体が創ったイベントです。運営スタッフ200人はボランティア。市民からも200円の参加費をいただきます。企業からのカネに頼るのではなく、できるだけ多くの人を巻き込んで面白くやろうと。しかも長続きするよう「身の丈」の規模を心がけています。

 今月には、城近くの市民会館のホールに300人が集まって津軽三味線の大合奏をします。催しをみんなで創るという手法は、12年前に地元出身の美術家が倉庫で開いた展覧会がきっかけでした。美術館がなくてもできるという提案に若い人が集い、終わってみれば5万人超を集めた。自分たちで創るだいご味、手応えを実感したのです。

 最近はどこの自治体でも、大きなイベントはコンサルタント会社に丸投げ、が当たり前です。担当者は安心だし、失敗した時の責任もとらなくていい。でも、それじゃあいつまでたっても役人目線。他人事です。

 まちづくりには、女性の視点も欠かせません。私が創刊したタウン誌は年1回、約8千部を発行していますが、すべて20代から40代の女性ボランティア15人が取材しています。しかも出産や育児などで毎年、その半数が入れ替わるので、関係者はどんどん増えている。

 弘前にはカフェや美容院のような専門店が多い。だからチーズケーキの特集を組むときは、弘前にあるお店ごとにケーキの写真を40個並べる。みんな同じ形のようだけれど、微妙に異なる店の顔が見える。

 私たちもカフェで議論します。そこでの雑談から生まれたアイデアが、花火大会の仕掛けや雑誌の特集に結びつく。小さなコミュニティーの雑談が街づくりのアイデアに具体化する。大都市ではできない技(わざ)です。

 学校を卒業して、みんないったんは弘前を出ていい。外から地元を眺めるチャンスになるからです。ポイントはその後、戻ってこられる魅力があるか。自分の居場所を見つけることができるか。中小都市の未来を占う岐路はそこにあると思います。

 (聞き手・菅沼栄一郎)

     *

 みやかわかつみ 64年生まれ。商店街事務局長を務める傍ら、街歩き情報誌「TEKUTEKU」編集代表。昨年、地域づくりを実践する初代「弘前リードマン」に選ばれた。

 ■街固有の価値、認識して 林口砂里さん(東京と富山県高岡市を往復するアート・プロデューサー)

 「田舎には何もない」。当時、音楽やアートが好きだった私は早く田舎を出たくて、高校卒業後、富山県高岡市から上京しました。そんな私の転機は東日本大震災。いつ、どこで何が起きるかわからない。「いつかやろう」と何となく先延ばしにしていたことを、今すぐにやらなければと思い直しました。週末だけ実家に帰って、父が近くの里山でやっている畑作の手伝いをするようになりました。

 久しぶりに見た高岡の街は、かつてにぎわった商店街がシャッター通りに変わっており、約400年も続く伝統工芸の高岡銅器や高岡漆器までも後継者不足で衰退気味だと聞きました。

 自分にも何かできないかと考えました。そこで知り合いに声をかけ、地元の大学教授らと共に、高岡の魅力を発信する一般社団法人を立ち上げました。

 米国映画や大河ドラマのタイトル映像で知られる映像作家の菱川勢一さんとは、かつて仕事でつきあいがあり、「高岡のよさをPRするビデオを作ってくれないか」とお願いしました。菱川さんは「そんなものを作っても誰も見てくれないよ。どうせなら高岡を舞台にした映画を撮ろう」と言ってくれた。

 それが「すず」という題名の短編映画になり、昨年11月からネットで公開しています。無料で貸し出すことで、東京、大阪、名古屋で50回以上の上映会が開かれ、今年はイタリアのフィレンツェ日本映画祭にも招待され、話題となりました。

 いまは高岡に住居も移しましたが、1カ月の3分の1は東京で仕事をしています。映画づくりのように、地方の中小都市・高岡の仕事をするためには、東京の仕事で得られる人脈や情報が有効と感じているからです。

 来春には北陸新幹線が開通するので、東京と行き来する私には便利になるかもしれません。しかし、高岡の活性化にはあまりメリットがない。観光客は、金沢を目指すでしょう。だからこそ、高岡らしい戦略を真剣に考えないと。地方の中小都市は、便利になることで、古くからあった伝統や文化を捨てて、どこも同じようなまち並みになっていく危惧を感じます。

 重要なのは、自分の街固有の価値とは何かを認識することです。高岡の場合は、伝統工芸や空襲に遭わずに残った古いまち並み。伝統工芸の技術に魅力を感じた若い金属工芸のクリエーターが少しずつ高岡に集まり始めていることに着目したい。

 行政に委ね過ぎるまちづくりも問題です。これからは、民間と行政がお互いに補い合い、協力し合って進めていくことが必要です。地方創生関連法が成立しましたが、今はただの理念にすぎません。地域で必死に取り組む団体に支援が届く仕組みを考えなければならないと思います。

 (聞き手・山口栄二)

     *

 はやしぐちさり 68年生まれ。美術館職員などを経て、展覧会やコンサートの企画・実行や画家、写真家、映像作家などのアーティストのマネジメントの仕事をしている。

 ◆キーワード

 <中小都市の人口減少> 国土交通省の推計で、2005年から50年の市区町村の人口減少率は全国平均で約25.5%。規模が小さいほど減少率は大きく、10万〜30万人の中小都市が平均値に近い。

 安倍政権は行政サービスの質と量を確保するため、人口20万人以上を地方中枢拠点都市として周辺市町村との広域連携を打ち出すが、民間の試算で40年までに若年女性が半減し、行政機能維持が難しい消滅可能性都市とされた中小都市も少なくない。
    −−「2014衆院選:中小都市から考える 木下斉さん、宮川克己さん、林口砂里さん」、『朝日新聞』2014年12月05日(金)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11490584.html:title]

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書評:小島毅『増補 靖国史観』ちくま学芸文庫、2014年。


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小島毅『増補 靖国史観』ちくま学芸文庫、読了。天皇中心の日本国家を前提し、内戦の勝者・薩長の立場から近代を捉えるご都合主義の「靖国史観」、これまで外在的批判は多数あったが、本書は「日本思想史を読みなおす」(副題)ことで、思想史的に内在的に批判する。有象無象の議論をこてんぱんにくさす一冊。

靖国神社の思想的根拠は神道ではなく、水戸学派の儒教にある。靖国は「英霊」を祀るというが、英霊という言葉すらそれは大和言葉ではない。「中国や韓国にとやかく言われる以前に、そもそも、この神社創建の由来は偏った日本史の認識にも基づいているのだ」。

。英霊「観」は藤田東湖の死生観に由来する。そしてそれは朱子学の理気二元論に由来する。藤田は天皇のために戦死した人間の「気」を「英霊」と捉えるが、尊皇の賊軍を参照すれば、ここには幾重もの「ねじれ」がはらまれている。天皇が参拝しないのも道理だ。

「国体」観念も神道ではなく水戸学に由来する。万世一系の天皇による祭政一致国家の理想も水戸学に由来するのだ。「モダンな人」たちがいかに笑い飛ばそうと、多くの人の心を捉える靖国。その虚構のねじれた内面を本書はあきらかにする。

“「国体」「英霊」「維新」、そして二〇一四年の文庫化に際して増補された「大義」という、ことばの来歴の方をたどる”本書は、“言葉の使い手ではなくかかれたもの自体の方を主体として哲学を構成しなおしてみせたデリダ的な営為”(与那覇潤・解説)。 


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増補 靖国史観: 日本思想を読みなおす (ちくま学芸文庫)
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覚え書:「時流・底流:国を考える選書第2弾 多様な本で未来見て」、『毎日新聞』2014年12月01日(月)付。


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時流・底流:国を考える選書第2弾 多様な本で未来見て
毎日新聞 2014年12月01日 東京朝刊

 韓国や中国を攻撃する出版物が売れている中、問題提起する選書フェアを5月に企画した河出書房新社(東京都渋谷区)の若手社員たちが12月、2回目のフェアをする。「一過性で終わらせてはいけない」と作家や評論家たちの協力を得て14冊を紹介する。今回参加する全国の書店は150店を超えているという。

 「今、この国を考える」と題したフェアは、前回は副題が「『嫌』でもなく『呆』でもなく」で、「嫌韓」や「呆中」の本以外にも、多様な本があるというメッセージを込めた。今回の副題は「『嫌』でもなく『秘』でもない未来をつくる」。編集者たちは「この半年、隣国との関係も改善せず、不寛容な社会が進行している。フェアを継続するとともに、10日に施行される特定秘密保護法にも黙っていられないこと、さらに本の可能性や未来を見据えた。想像力をかきたてる作品をそろえた」と話す。

 今回紹介するのは、評論、小説から翻訳本まで多様な作品だ。自社の6冊に加え、8人の作家、評論家らがそれぞれ「今、読むべき本」を推薦している。

 協力した芥川賞作家の中村文則さんは「他国を悪く言うことで盛り上がるのは、政治的に右か左かという次元を越えて、品性の問題。現在の流れに抵抗する出版人に深く共感し、企画に協力することにしました」とコメントした。【青島顕】

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 ◇「今、この国を考える」第2弾の書籍(敬称略)

【河出書房新社の本】

想田和弘「熱狂なきファシズム」

石牟礼道子「蘇生した魂をのせて」

北原みのり・朴順梨「奥さまは愛国」

磯部涼編著「踊ってはいけない国で、踊り続けるために」

スタンレー・ミルグラム「服従の心理」

赤坂真理「東京プリズン」

【識者推薦】( )内は推薦者

辺見庸「記憶と沈黙」(あさのあつこ)

ウィレム・ユーケス「よい旅を」(朝吹真理子)

田中宏「在日外国人」(荻上チキ)

林健太郎「ワイマル共和国」(国分功一郎)

速水健朗「フード左翼とフード右翼」(鈴木涼美)

フィリップ・ロス「プロット・アゲンスト・アメリカ」(豊崎由美)

パク・ソンウォン「都市は何によってできているのか」(中村文則)

森達也「誰が誰に何を言っているの」(森絵都)
    --「時流・底流:国を考える選書第2弾 多様な本で未来見て」、『毎日新聞』2014年12月01日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20141201ddm004070065000c.html:title]

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 選挙に必要なバランス=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年12月03日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論

選挙に必要なバランス
アベノミクスとアベイズム
湯浅誠 社会活動家

 選挙が始まった。
 安倍晋三首相は、今回の解散を「アベノミクス解散」と名づけ、アベノミクスの是非を争点に掲げている。急な解散で慌てた野党は、争点を絞り込めていないようだ。
 世論調査を見ると、多くの人が、安倍首相の靖国神社参拝に象徴される国家主義の側面に戸惑っている。それを「アベノミクス」に倣って「アベイズム」と呼んでみる。
 安倍首相は右手にアベノミクス、左手にアベイズムを握っている。盛り上がりきらない中国市場における日系企業の状況を見れば、経済をうたう右手より、さらにチカラがこもっているのは左手のアベイズムのほうなのだろう。しかし、それはアベノミクスほどには人気がなく、自民党に絶対安定多数の議席をもたらさない。
 ゆえに安倍首相は、ぎゅっと握った左手は下ろしたまま、右手のアベノミクスを高らかに掲げて言う。「この道しかない」と。
 実績ベースで言えば、行き過ぎたとはいえ円安・株高を実現し、各種の指標には改善傾向の見られるものも多い。現実を動かす力量は認めざるを得ない。野党はいろいろ言っているが、やはり実現力においてまだちょっと頼りない。--政権や政党の支持率を見るかぎり、多くの人はそう感じているように見える。
 アベノミクスは、円安・株高と引き換えに格差拡大をもたらすだろう。政府もそれがわかっているから、賃上げを要請している。10年前の小泉改革との違いだ。主要閣僚がこぞって賃上げを唱えるなど、当時は考えられなかった。
 しかし、限界があることもはっきりしている。戦前の統制経済のように国家が経済に介入することはできない。祖父、岸信介元首相の時代とは違う。ここでも、左手は辛抱を迫られる。一部で「暴走」とも言われる安倍首相だが、本人にしてみれば、我慢に我慢を重ねた2年間でもあったのではないか。
 今回の選挙で再び大勝すれば、安倍首相はその実現力でアベイズムのほうも進めるだろう。奇跡的な復活で首相に返り咲いて、次が第3次政権。まだ60歳と政治家としてはお若いが、第4次があったとしても現在ほどの好条件がそろう見込みは低い。ラストでベストのタイミングとも言える。「政治はモメンタム(勢い)」が、安倍首相の口癖でもある。
 そう想像すると少し怖くも感じる。気づいてみたら大変なことになっていたという経験を私たちは持っている。できれば、バランスは利かせておきたい。
第47回衆院選 先月21日の衆議院解散に伴う選挙。14日投開票が行われる。阿部晋三首相は自らの経済政策「アベノミクス」の是非を争点に掲げた。公明党の山口那津男代表も「デフレ脱却推進解散」とした。野党は「大義なき解散」(民主党の枝野幸男幹事長)、「経済失政解散」(維新の党の江田憲司共同代表)などと批判している。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 選挙に必要なバランス=湯浅誠」、『毎日新聞』2014年12月03日(水)付。

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覚え書:「ローマ法王:『広島、長崎の歴史から何も学んでいない』 核政策を憂慮」、『毎日新聞』2014年12月01日(月)付。


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 ローマ法王:「広島、長崎の歴史から何も学んでいない」 核政策を憂慮
毎日新聞 2014年12月01日 東京夕刊

(写真キャプション)フランシスコ・ローマ法王=AP

 【ローマ福島良典】フランシスコ・ローマ法王は11月30日、来年が第二次世界大戦の終結から70年を迎えることに関連し、世界に多数の核兵器が残っている現状について「人類はヒロシマ、ナガサキ(の被爆)から何も学んでいない」と述べた。トルコ訪問からの帰路、特別機中で同行記者団の質問に答えた。

 法王は「原子力エネルギーは多くのことに役立つが、人間は森羅万象と人類を破壊するために使った」と核兵器の開発・使用を批判。広島、長崎への原爆投下後、「人類は核問題について基本的な事柄も定められないでいる」と語り、国際社会の核軍縮への取り組みの遅れを憂慮した。

 世界各国はそれぞれ独自の原子力政策を持っているため、バチカン(ローマ法王庁)は対応について各国のカトリック司教団に判断を委ねている。ローマ法王自らが核問題や原子力エネルギーの利用について詳細に語るのは異例だ。

 一方、宗教・地域紛争や、政治・経済的利権を巡る衝突が絶えない国際情勢について法王は「私たちは散発的な第三次世界大戦を経験している」と懸念を表明。世界に広がる武器貿易・密輸を「現在、最も強力なビジネスの一つ」と指摘した。

 また、昨年9月、アサド・シリア政権による化学兵器使用を理由に欧米が対シリア軍事攻撃の準備をした経緯に触れ、「シリアは化学兵器を製造できる段階にはなかったと思う」と述べ、外国勢力がシリアに化学兵器を提供していたとの観測を示した。
    --「ローマ法王:『広島、長崎の歴史から何も学んでいない』 核政策を憂慮」、『毎日新聞』2014年12月01日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20141201dde007030026000c.html:title]

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病院日記:奪われ続けるナラティヴ


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4月に精神科に移動して激増したのが高齢の患者さんの「たわいもない話」を聞くこと(看護師が忙しいから。

ほんと、そこには感動の大団円もなければ、ものすげえ悲惨な話もない。しかし、ひとに聞いてもらえることで「安心」する、自分が自分であることを肯定される安心感つうのはあるのだなあ、と実感する。

そういうやりとりをするなかで、この20年、そういう「たわいもない話」にきちんと「耳を傾ける」文化というのが根絶やしになったのではないかと思う。

まさに創作然とした感動話に受け、「人間だもの」みたいなのに頷く。ボードリヤールの議論ではありませんけど、人間の歴史と言葉が奪われたのではと
 
周りを見渡せば「永遠の0」、「人間だもの」、そして「水から伝言」みたいな言説ばかり。

感動が悪いとは思わないけれども(疑似科学はやばいけど)、そういう幸福と不幸の両極端にいない人間の「記録されない」声を無視してきた結果が、例えばネトウヨちっくな極端な議論の横行を招いたのではないか。

家庭を顧みない産業戦士という「昭和」、好きよ好き好きみたいな自閉的「平成」、そして「自分が生き残るためにはなりふり構ってはいられない「現在」。ずっーとひとびとのナラティブが奪われ続けているけど、その中でも、この現在つうのはひどすぎるような気がする。

大文字の政治的言説の対抗というものの有用性を否定するつもりは全くありませんけれども、声を奪われ続けること、そしてその代弁なんて不要なこと(そもそもおこがましい)、そういうところに寄り添うことから始めるしかないかな、ということを仕事をするなかで実感しています。


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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:放置なら聖域、腐敗−−前宮城県知事・浅野史郎さん」、『毎日新聞』2014年12月01日(月)付。


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特定秘密保護法に言いたい:放置なら聖域、腐敗−−前宮城県知事・浅野史郎さん
毎日新聞 2014年12月01日 東京朝刊


 ◇浅野史郎さん(66)

 宮城県知事のとき、県警が捜査協力者に謝礼を支払うために計上していた「犯罪捜査報償費」の使い道に疑問を持った。支払い相手の書かれた書類は、市民が情報公開請求しても県情報公開条例の例外規定で不開示になる。そこで、私が知事として県警本部長に「適正に執行されていない疑いがある」とまで言って書類の提示を求めた。結局書類は提出されず、2005年に予算の執行停止に踏み切った。

 情報公開には「聖域」が必要だが、守る側に任せて放っておけば、聖域は必ず腐敗する。それを身をもって経験した私は、政府の施行する特定秘密保護法の運用に懸念を持たざるを得ない。

 特定秘密にされるのは防衛、外交、スパイ活動の防止、テロ防止の4分野の情報だ。かつて、機密であることを悪用して九州・沖縄サミット関係の外交機密費を流用した職員がいた。こうしたものが秘密にされて封じ込まれる可能性がある。

 秘密保護法の運用にあたっては、法で定める以上の歯止めをかけなければならない。特定秘密の指定が妥当であるか疑念が出た場合、政府側が客観的に証明する機会を設けるべきだ。たとえば、市民が特定秘密を含む書類を情報公開請求して、裁判で争うことになったとき、裁判官に特定秘密を含む書類を密室で見せて判断させる「インカメラ審理」を導入するよう、情報公開法改正を検討してはどうだろうか。【聞き手・青島顕】

==============

 ■人物略歴

 ◇あさの・しろう

 1948年生まれ。旧厚生省障害福祉課長などを経て宮城県知事3期。退任後の2009年に成人T細胞白血病(ATL)を発症、骨髄移植を受けた。現在、神奈川大特別招聘(しょうへい)教授。 
    ーー「特定秘密保護法に言いたい:放置なら聖域、腐敗−−前宮城県知事・浅野史郎さん」、『毎日新聞』2014年12月01日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20141201ddm004010069000c.html:title]


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奪われ続けるナラティヴ

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4月に精神科に移動して激増したのが高齢の患者さんの「たわいもない話」を聞くこと(看護師が忙しいから。

ほんと、そこには感動の大団円もなければ、ものすげえ悲惨な話もない。しかし、ひとに聞いてもらえることで「安心」する、自分が自分であることを肯定される安心感つうのはあるのだなあ、と実感する。

そういうやりとりをするなかで、この20年、そういう「たわいもない話」にきちんと「耳を傾ける」文化というのが根絶やしになったのではないかと思う。

まさに創作然とした感動話に受け、「人間だもの」みたいなのに頷く。ボードリヤールの議論ではありませんけど、人間の歴史と言葉が奪われたのではと
 
周りを見渡せば「永遠の0」、「人間だもの」、そして「水から伝言」みたいな言説ばかり。

感動が悪いとは思わないけれども(疑似科学はやばいけど)、そういう幸福と不幸の両極端にいない人間の「記録されない」声を無視してきた結果が、例えばネトウヨちっくな極端な議論の横行を招いたのではないか。

家庭を顧みない産業戦士という「昭和」、好きよ好き好きみたいな自閉的「平成」、そして「自分が生き残るためにはなりふり構ってはいられない「現在」。ずっーとひとびとのナラティブが奪われ続けているけど、その中でも、この現在つうのはひどすぎるような気がする。

大文字の政治的言説の対抗というものの有用性を否定するつもりは全くありませんけれども、声を奪われ続けること、そしてその代弁なんて不要なこと(そもそもおこがましい)、そういうところに寄り添うことから始めるしかないかな、ということを仕事をするなかで実感しています。


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覚え書:「特定秘密保護法に言いたい:放置なら聖域、腐敗−−前宮城県知事・浅野史郎さん」、『毎日新聞』2014年12月01日(月)付。


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特定秘密保護法に言いたい:放置なら聖域、腐敗−−前宮城県知事・浅野史郎さん
毎日新聞 2014年12月01日 東京朝刊


 ◇浅野史郎さん(66)

 宮城県知事のとき、県警が捜査協力者に謝礼を支払うために計上していた「犯罪捜査報償費」の使い道に疑問を持った。支払い相手の書かれた書類は、市民が情報公開請求しても県情報公開条例の例外規定で不開示になる。そこで、私が知事として県警本部長に「適正に執行されていない疑いがある」とまで言って書類の提示を求めた。結局書類は提出されず、2005年に予算の執行停止に踏み切った。

 情報公開には「聖域」が必要だが、守る側に任せて放っておけば、聖域は必ず腐敗する。それを身をもって経験した私は、政府の施行する特定秘密保護法の運用に懸念を持たざるを得ない。

 特定秘密にされるのは防衛、外交、スパイ活動の防止、テロ防止の4分野の情報だ。かつて、機密であることを悪用して九州・沖縄サミット関係の外交機密費を流用した職員がいた。こうしたものが秘密にされて封じ込まれる可能性がある。

 秘密保護法の運用にあたっては、法で定める以上の歯止めをかけなければならない。特定秘密の指定が妥当であるか疑念が出た場合、政府側が客観的に証明する機会を設けるべきだ。たとえば、市民が特定秘密を含む書類を情報公開請求して、裁判で争うことになったとき、裁判官に特定秘密を含む書類を密室で見せて判断させる「インカメラ審理」を導入するよう、情報公開法改正を検討してはどうだろうか。【聞き手・青島顕】

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 ■人物略歴

 ◇あさの・しろう

 1948年生まれ。旧厚生省障害福祉課長などを経て宮城県知事3期。退任後の2009年に成人T細胞白血病(ATL)を発症、骨髄移植を受けた。現在、神奈川大特別招聘(しょうへい)教授。 
    ーー「特定秘密保護法に言いたい:放置なら聖域、腐敗−−前宮城県知事・浅野史郎さん」、『毎日新聞』2014年12月01日(月)付。

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覚え書:「2014衆院選:アベノミクスは正解か 若田部昌澄さん、浜矩子さん」、『朝日新聞』2014年12月01日(月)付。

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2014衆院選)アベノミクスは正解か 若田部昌澄さん、浜矩子さん

大胆な金融政策/機動的な財政政策/民間投資を喚起する成長戦略

 安倍晋三首相は、アベノミクスを進めていくべきか国民の判断を仰ぐという。日本経済は2四半期連続のマイナス成長だ。3本の矢で強い経済を取り戻せるのか。デフレから抜け出すため真に必要なものは何か。政治が果たすべき役割は。

 ■第4の矢を加えて再起動せよ 若田部昌澄さん(早稲田大学教授)

 いまのアベノミクスの問題点は当初の政策から変質してしまったことです。オリジナルのアベノミクスの方向性はよかった。それが、今年4月の消費税増税を決める前後からおかしくなってきた。

 ただ、すべてが振り出しに戻ったわけではありません。アベノミクスのプラスの効果は明らかにあります。「第1の矢」の金融緩和でインフレ予想が高まり、景気拡大への期待が生じて株価が上がり、資産が増えた。失業率も改善しました。非正規かもしれませんが、雇用は増えているんです。

 本来のアベノミクスは、デフレ脱却を最優先課題として、そのもとで経済再生と財政再建を進めるものでした。それと矛盾するような動きが、消費税増税によってもたらされている。政策の優先順位が間違っているんです。

 安倍政権下での景気拡大を牽引(けんいん)してきたのは、消費の伸びです。設備投資はあまり伸びていませんが、内需が引っ張る、非常にいいかたちでの景気回復だったといえます。それなのに、消費税増税で家計の消費を直撃してしまった。

 ■消費税5%再び

 しかも消費税増税が財政再建につながっているかは疑問です。税率を上げても税収は減ってしまいかねないので、むしろ財政再建から遠ざかってしまっている。消費税を上げれば、人々が財政への不安を抱かなくなって景気が回復するという見方もありましたが、そういうことは起きていない。

 消費税増税先送りは当然だし、せざるをえなかったと思います。アベノミクスは、成長率が上がる中で財政を再建していくのが基本プランです。しかし、4〜6月の実質成長率がマイナス7・3%、7〜9月がマイナス1・6%で、これから上向いたとしても、年間の成長率が実質でマイナスになる可能性がある。増税の前提条件がもはや保たれていないんです。

 では代案はあるのか。「本来のアベノミクスに戻る」のが、その答えです。経済を成長させることで、税収を増やして財政を再建する。オリジナル・アベノミクスを再起動させればいいんです。

 衆議院の解散なしに、オリジナルのアベノミクスに戻ることができるならベストですが、現状では難しい。自民党は、2012年に民主・公明と3党合意し、消費税増税を決めました。それをひっくり返す、もしくは延期するのであれば、国民に信を問わざるをえない。こうした政治的制約のもとで、アベノミクスの原点に戻るための最適解が、今回の解散・総選挙なのだと思います。

 ただ、オリジナルのアベノミクスを再起動させるだけでなく、さらにバージョンアップしていくことが必要です。日本銀行は10月末に追加の金融緩和を決めましたが、今回の成長率マイナスには対応できても、次の増税には耐えられない。政府と日銀が一体となって、名目3%、実質2%の成長率達成にコミットすべきです。そのために、13年1月の政府と日銀の共同声明を、法律として明文化してはどうでしょう。

 大胆かもしれませんが、消費税を5%に戻すのが最善手です。消費税減税は、英国やカナダでも行われたことがある。海外で成功している政策は、日本でもうまくいく確率が高いといえます。

 ■低所得層へ配慮

 消費税には逆進性があるので、高所得者層よりも低所得者層の負担が大きい。そこをケアするために、定額給付金や給付付き税額控除、社会保険料の徴収の一時免除などを考えるべきです。減税や給付金は、「第2の矢」としても、公共事業より効果的です。

 さらに、「第4の矢」として、社会保障改革と一体になった所得再分配が必要です。いまのアベノミクスは金持ち優遇の政策のように見られがちです。所得再分配をもっと明示的に打ち出して、生活保護制度をどうするかも含めて、低所得者への対応が不可欠です。消費税増税はその逆をやってしまった。

 今回の解散・総選挙は、アベノミクスをオリジナルに戻すいい機会です。その上で足りないものを強化し、さらにバージョンアップしていく。所得再分配によって、国民を包摂するような方向に向かうべきです。

 (聞き手 尾沢智史)

     *

 わかたべまさずみ 65年生まれ。専門は経済学史、経済学。リフレ派の論客として知られる。著書に「解剖アベノミクス」「もうダマされないための経済学講義」など。

 ■強者だけ生き残る社会は滅ぶ 浜矩子さん(同志社大学教授)

 アベノミクスは崩壊しつつあると思います。金融の異次元緩和で円安、株高を導き出したけれど、輸出数量は期待したほど伸びず、輸入価格が上昇して生活と生産のコストが上がっている。家計や中小企業は圧迫されています。

 株価が上がれば、経済がよくなるという考え方は本末転倒です。本来は、実体経済がよくなって株価が上がるものです。しかも上がったといっても、日経平均は2万円に届かない。株をたくさん買っているのは外国人投資家で、彼らは売るために買うから長続きしない。円安と株高の二つの芸だけでは経済政策の限界は明らかです。

 ■まだ成長戦略?

 世論調査の結果をみても、多くの人が景気がよくなったと感じていません。何をやっても、なかなか思った通りにいかず、衆議院を解散したのではないか。下手な将棋士が将棋盤を眺めて「もう、いやっ」とひっくり返すように。

 最大の眼目が成長戦略だというのも時代錯誤です。確かに発育過程には成長が必要でしょう。でも日本経済はもう大人。成熟しているのに、まだ成長戦略ですか。お年寄りにドーピングして、100メートルを9・9秒で走れ、と言うようなものです。副作用どころの話ではない。格差が広がっているのに重点政策の視点が違っています。

 アベノミクスは強い者をより強く、弱い者はそのままにしておく政策だと言わざるを得ません。株高などの恩恵に浴した富裕層から富がしたたり落ちる「トリクルダウン」が効くのだと称して、熱い部分をどんどん熱くしている。

 その結果が人手不足です。おかげで、中小企業は人手が足りずに増産もできない。富はしたたり落ちていないのです。そんな状態では、創造力豊かな面白い発想が生まれるはずもありません。

 消費増税はいずれやらなければならなかった、というのは分かります。所得税に依存する今の税体系は、戦後のサラリーマン世帯中心の社会を想定したものです。消費税を導入した1989年当時も世界に冠たる平等社会で、「分厚い中間層」がまだ健在だった。しかも税率は3%です。

 今は非正規社員が増え、貧困の連鎖が起きている社会です。なんの激変緩和措置もなしに税率が8%になり、それが死活問題となる人々が出てきている。

 再増税の先送りはそりゃそうでしょう。でも、なぜ1年半先の2017年4月なのか。その間になんとかなると思っているのでしょうか。このままではデフレ脱却は夢のまた夢だと思います。

 やるべきことは別にあります。最大のテーマは、これまでに蓄えた富をどう分かち合うか、いかに分配するかです。それができていないから豊かさの中に貧困が存在しているのです。

 ■内部留保に課税

 所得の低い人ほど負担感が大きい消費税を引き上げていくなら、軽減税率の導入は当然です。生活必需品の税率を下げ、ぜいたく品には逆に「重増税率」を適用していい。高額所得者に対する金持ち増税、企業の内部留保への課税なんかも考える必要があります。

 そもそも成長戦略と大仰に言わずとも、ずうたいのでかい経済が1〜2%も成長すれば、すごいことです。日本経済の完成度は高く放っておいても回る。でも回転の輪の中に貧困が存在するから足腰の強い経済が実現しない。彼らがちゃんと暮らせるようにすれば、結果的には成長率アップだって、それが必要かどうかはともかく、実現する可能性はあるでしょう。

 めざすべきは、多様な人々が参画できる社会です。強い人たちだけが生き残る均一化した社会は、必ず滅びます。東京と地方の関係も同じ。東京一極集中が進んで、地方が疲弊して立ちゆかなくなると多様性が失われます。

 安倍政権は「地方創生」を掲げて、ストーリー性やテーマ性、観光資源の発掘を目指せとあおります。地方は皆、テーマパークになれということですかね。地域を再生するために本当に必要なものは何か。高齢化対策か、少子化対策か、働く場所の確保か、それぞれの地域がまず自らを分析しなければならない。分析結果に基づく取り組みを政府がアシストする。これがまともな姿でしょう。

 (聞き手 編集委員・多賀谷克彦)

     *

 はまのりこ 52年生まれ。専門はマクロ経済分析、国際経済。ユニークなたとえ話を使った経済評論で知られる。著書に「グローバル恐慌」「老楽国家論」など。

 ◆キーワード

 <アベノミクス> デフレからの脱却をねらう安倍政権の経済政策。「3本の矢」からなる。第1の矢は「大胆な金融政策」で、流通するお金の量を増やす。黒田東彦総裁率いる日本銀行が物価上昇率2%を目標に量的・質的緩和を進めている。第2の矢は「機動的な財政政策」で、政府が需要をつくりだし、景気を下支えする。第3の矢は「民間投資を喚起する成長戦略」。規制緩和や税制改革などで企業の投資を促したり、新たな市場を創出したりして持続的な経済成長を図る。
    ーー「2014衆院選:アベノミクスは正解か 若田部昌澄さん、浜矩子さん」、『朝日新聞』2014年12月01日(月)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11485036.html:title]


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覚え書:「波聞風問:『21世紀の資本』論 格差への処方箋、どうつくる 吉岡桂子」、『朝日新聞』2014年11月30日(日)付。


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波聞風問:「21世紀の資本」論 格差への処方箋、どうつくる 吉岡桂子
2014年11月30日

 波聞風問(はもんふうもん)

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席する首脳たちが北京に集まっていた11月11日。「明星(スター)」経済学者がパリから上海にやってきた。

 托馬斯・皮凱蒂。パリ経済学校教授のトマ・ピケティさん(43)だ。

 格差の変化や所得の分配と経済成長について、18世紀にまでさかのぼる詳細なデータを駆使して論じた著書「21世紀の資本」は米国から火がつき、ドイツ、韓国などで翻訳版が出て話題を呼んでいる。

 中国語版も9月に発売された。700ページ近い大著の売り上げが20万部に迫る勢いだという。中国は深刻な格差を抱えるうえ、「米国流資本主義の限界を突いた」(大学院生)内容にみえる点も、人気の背景にあるようだ。

 北京を含めた6日間の滞在中、ひっぱりだこだった。空港に着くなり、書店へかけつけサイン会や写真撮影。「講演10回、会見2回、インタビュー10回」(中国誌『南方人物週刊』)。彼の高校生の娘が中国語を学んでいるエピソードも歓迎されている。

 習近平(シーチンピン)国家主席の母校、北京の清華大での講演をのぞいた。学生ら数百人が講堂を埋めている。ノータイ姿のピケティさんは、先進国のデータを中心に自著の要約を説明し、中国の研究者と討論し、学生から質問をうけた。

 「中国はデータが不足していて、分析が難しい」。そうこぼしつつも、中国の格差縮小の処方箋(せん)として、高所得者ほど高い税率を課す累進課税の強化や、不動産や遺産など財産への課税を説いた。

 これに対して、「高い税率は働く気をなくすのではないか」と問いかける学生も。いっぽう、中国の研究者からは、格差を再生産する構造の根深さへの嘆きともとれる指摘が続いた。出稼ぎ労働者の子供の教育への差別、公務員の腐敗による政府のお金の流失やわいろ……。

 「不動産を含めて個人資産への課税は、中国には基本的にない。反対がとても強い」と白重恩・清華大教授は言う。「ビジネスを円滑に進めるにも公務員の助けがいる」とも。政府との距離が富の蓄積に直結する社会なのだ。

 「社会主義」のもと、資産階級がいない前提で財産税がないなかで、特権をてこに財産を積み上げる人がいる——。中国で格差を拡大させる「21世紀の矛盾」の解は、経済学より政治学の範疇(はんちゅう)なのかもしれない。「政治の民主は必ずや経済の民主とともにやってくる」。ピケティさんは中国語版の序文に、意味深な一文を寄せている。

 日本語版は選挙戦のさなか12月上旬に売り出される。それぞれの「不平等」を映す世界のベストセラーは、日本ではいま、どんな読まれ方をするのだろうか。(よしおかけいこ 編集委員)
    ーー「波聞風問:『21世紀の資本』論 格差への処方箋、どうつくる 吉岡桂子」、『朝日新聞』2014年11月30日(日)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11482729.html:title]

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書評:想田和弘『熱狂なきファシズム 日本の無関心を観察する』河出書房新社、2014年。


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想田和弘『熱狂なきファシズム』河出書房新社、読了。ファシズムに必然するのが狂気的熱狂だ。しかし著者は今日のファシズムを「じわじわと民主主義を壊していく」低温火傷という。「ニッポンの無関心を観察する」(副題)と、憲法改正、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認への現在が浮かび上がる。

気がついたときには手遅れになるのがファシズムの特徴だが、内向きなナショナリズムに喝采し、ヘイトスピーチが公然とまかり通り、貧困と格差が増す現在日本は、もはや「平時」ではない。反知性主義の勢いは民主主義を窒息させようとしている。

「僕は、私たちの一人ひとりが普段から目の前の現実をよく観て、よく聴くことこそが、巡り巡って『熱狂なきファシズム』への解毒剤になりうるのではないかと考えている。なぜなら虚心坦懐で能動的な『観察』は無関心を克服」するからだ。

世の中の変化のスピードが加速する現在は同時に忘却の速度が加速化している時代。だからこそ「現在」をよく観る必要があろう。著者が「観察映画」で追求してきた「能動的な存在としての観客と、互いに尊重し啓発し合う対等な関係」の構築こそ現在の課題だ。

“『永遠の0』が興行的に大成功した最大の秘密は、それが表面上「反戦映画」の体裁をとったことにある” 「あとがきのような『永遠の0』論」で締めくくられるが、こうした戦術と下支えする心情が「熱狂なきファシズム」を加速させる、警戒せよ。

 


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 「観察」という言葉に、冷たい響きを感じる人がいる。観察者と被観察者は、ガラスか何かで隔てられていて、あくまでも冷徹な分析がなされ、観察者は一切傷つかないというイメージがあるのであろう。
 しかし、前項でも述べた通り、観察という行為は、必ずといってよい程、観察する側の「物事の見方=世界観」の変容を伴う。自らも安穏としていられなくなり、結果的に自分のことも観察するはめになる。
 例えば、蝿といえば、蝿タタキで潰すべき憎き存在というのが一般に流布するイメージだが、目の前にとまっている蝿の様子を観察すると、実に繊細な前脚や後脚を持ち、身繕いをする姿は優雅で上品で美しくもある。蝿=悪と決めつけていた自分が恥ずかしくなる。
 あるいは、身体の周りをブーンと飛んでいる蚊。思わず潰そうとしてしまうけれども、よくよく観察してみると、食事をするのにも命がけであることが分かる。僕らがコンビニへおにぎりを買いに行くのとは、大違いである。そう思うと、安易に潰したり、殺虫剤を撒いたりできなくなる。
 逆に言うと、蝿や蚊は害虫であるという固定観念があるから、僕らはあまり深く考えずに殺すことができる。それは、広島や長崎に平然と原爆を落とすことができる心理と、全く一緒ではないか。
 「観察」の対義語は、「無関心」ではないかと、ある人が言った。僕は、なるほど、と同意する。
 観察は、他者に関心を持ち、その世界をよく観、よく耳を傾けることである。それはすなわち、自分自身を見直すことにもつながる。観察は究極的には、自分も含めた世界の観察(参与観察)にならざるを得ない。
 観察は、自己や他者の理解や肯定への第一歩になりうるのである。
    --想田和弘『熱狂なきファシズム 日本の無関心を観察する』河出書房新社、2014年、157-158頁。

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関連
[http://www.kanaloco.jp/article/78063/cms_id/103021:title]

[http://www.kanaloco.jp/article/78115/cms_id/103191:title]

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熱狂なきファシズム: ニッポンの無関心を観察する
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覚え書:「2014衆院選:税に思想はあるか 諸富徹さん」、『朝日新聞』2014年11月29日(土)付。


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2014衆院選:税に思想はあるか 諸富徹さん
2014年11月29日

 来年10月に予定していた消費税10%への引き上げが延期された。与野党とも増税回避そのものに異論は少ない。だが「持続可能な社会保障制度の再構築」のための財源確保を先送りして、この国に未来はあるか。少子高齢化、グローバル経済――。転換期の日本にとって、あるべき税制とは何か。世界の税の歴史に詳しい諸富徹さんに聞いた。

 ――安倍晋三首相の消費増税延期の決断をどう見ますか。理があるのでしょうか。

 「増税にあたって、景気のタイミングを計ること自体は理解できなくはありません。でも、それを計るにも限界がありますね。当初予定の1年半後に、本当に景気がよくなっているのでしょうか。税制は、目先の景気だけでなく、日本という国のあり方をどうしていくかで決まってくるものです。短期的な経済情勢だけで判断していけば、結局、いつまでたっても上げられなくなります」

 「まして安倍さんは(景気が悪ければ増税をやめることができる)景気条項を外すと言いつつ、『リーマン・ショックのような世界的な経済緊縮、天変地異では(再延期する)法律を出すことになる』と発言しています。かえって不信を呼びます」

    ■     ■

 ――税制の基本は、安定した経済社会の実現にあると思いますが、現実はアベノミクスの成功のほうに優先順位を置いているのでは。

 「安倍さんの論理からすると、財政は結局、成長の上がりで成り立っているということでしょう。国民経済が上げた利潤や所得の中からその一部を頂くのが税金であって、余剰を生み出す基盤をつくり出さないといけないという考え方です」

 「その大前提としては、安倍さんの成長戦略が余剰を生み出す正しいものでなくてはなりません。アベノミクスの現実はどうでしょう。消費税引き上げ前の駆け込み需要や、株価上昇はありましたが、地方を見渡せば、国内全体に恩恵が行き渡っているとは言えません。アベノミクスの成果を冷静に見つめる反省期に入っているのではないかと思います」

 ――それでも、消費税を上げず、法人税を下げれば、経済にプラスではありませんか。

 「20世紀とは経済構造が大きく変化したことを認識すべきです。人口減少社会では、高度成長期のような高い国内総生産(GDP)の伸び率は見込めません。日本経済の潜在成長率を、財政や金融緩和でかさ上げできても、それは一時的です。経済構造が変わったのに、旧態依然の景気刺激策を取っている。効果が表れるにしても、四半期からせいぜい半年ぐらい。すぐに効果が切れ、現実の姿が副作用を伴って表れてくる」

 ――財政再建のために増税を求められても、国民には「公共事業などで大盤振る舞いした結果だろう」という反発が根強くあります。

 「経済のグローバル化によって、お金は容易に国境を越えてしまいます。国家が個人の所得や企業の利益に税財源を求めていくことは、ますます難しくなります。その結果、国家という閉じられた空間で課税できる消費税などの間接税に、比重を移さざるを得ない。それが、いまの先進各国の潮流です」

 「しかし、国民が等しく負担する消費税には、貧しい人ほど負担の度合いが高まるという逆進性の問題がある。票を持っているたくさんの普通の人に、負担をお願いしなければいけない時代になってきたのです」

 「一方、歳出で最も大きいのは社会保障費で、その比率はさらに高まっていきます。そこで忘れてはならないのは、払ったお金の大きな部分が国民自身に戻ってくる構造が強まるということです。私が強調したいのは、消費税は単に分配や救済の財源ではなく、人に対して投資をしていく元手だということです。社会保障と聞けば、お金は使い尽くされてしまう、というのが多くの人の認識でしょう。けれども、病に倒れた人がきちんと手術を受け、能力も意欲もまだある人が命を失わずに済み、社会に復帰して働けるというのは、大切なことです。消えてしまうお金ではありません」

    ■     ■

 「社会保障以外でもそうです。幼児教育から成人の職業訓練まで、人への投資は日本の生産性を高めます。これからの経済成長は、製造業の生産拠点としての整備ではなく、いかに質の高いサービスを生み出す人を育てられるかにかかっているからです。人的資本が鍵です。人に投資せずに、経済成長はあり得ない。人への投資を重視する社会的投資国家への転換をめざすべきです。消費税の3党合意をいとも簡単に壊してしまった罪深さは、人への投資が不可避なのに、その財源の確保を棚上げしたということです。これこそ成長戦略に最も反しているのです」

 ――民主党政権が唱えた「コンクリートから人へ」のスローガンも、どこかに行ってしまいました。

 「まさに公共事業への投資ではもう成長しないから、人への投資に切り替え、日本経済の構造転換を促す戦略でした。政治家にはその大切さが分かっていなかったのでしょう」

 「人への投資に転換する政策を、世界で一番意識しているのは北欧諸国でしょう。スウェーデンは所得税も消費税も高い重税国家ですが、人的資本投資で国民に還元すると同時に、日本を上回る成長率を実現してきたのです」

    ■     ■

 ――増税先延ばしの向こうに、どういう未来が見えるでしょうか。

 「社会保障費は毎年1兆円規模で膨らみます。税金などで賄えないなら、借金をすることになります。それを日本銀行が負うなら、事実上の財政ファイナンスです。日銀は異次元緩和を継続しつつ、とにかく2%という物価上昇率の目標をめざすでしょう。しかし経済の構造を考えれば、輸出はさほど伸びず、海外からの輸入物品の価格は円安でさらに上昇する。その結果、悪性インフレが進行し、賃金は実質的に目減りしていく可能性がある。海外に生産拠点がある輸出企業はもうかっても、国内にとどまる中小企業は逆ですね」

 「経済格差が大企業と中小企業の間で広がっていく。同じことは株などの資産を持つ富裕層と、そうでない人たちの間でも進むでしょう。結局、消費増税のタイミングがなかなかつかめなくなる。そうなれば、日銀がますます国債を引き受けないと予算が組めない。日銀は国家財政と運命共同体になってしまいます。戦前、軍事費が膨張して、国債を引き受けた日銀と国の『抱合財政』という言葉がありましたが、これと同じ状態になりかねません」

 「国が返済に行き詰まれば、借金の実質的な価値を小さくしようという誘惑にかられます。その手段は、お金の価値が下がり続けるインフレです。終戦直後のハイパーインフレでは社会が激変するので、マイルドなインフレを長期に起こし、借金を実質的に目減りさせる。専門家がインフレタックスと呼ぶものです」

 「財政再建の道筋がはっきり示されなければ、そういう危ういシナリオも念頭に置かざるを得ない。もっとも、何らかのきっかけで長期金利が高騰すれば、瞬く間に国債の利払い費が急騰して日本財政は破綻(はたん)します。国債価格が暴落すれば、日銀は膨大な含み損を抱えてしまう。最悪の事態を避けなければならないことは、異次元緩和を進める日銀総裁もご承知でしょうし、自分たちの運命を自身の手で制御できる余地を確保することが、日本が国家として生き残る道だと思います」

 ――国境を越えて所得税や法人税を把握することが難しくなるなか、フランスの経済学者トマ・ピケティ氏らは、国際的な資産課税による格差是正を提案しています。

 「確かに格差拡大は問題ですが、短期間でピケティ氏のプランが実現することはないでしょう。私は二段構えでいくべきだと考えています。まずは、国内の税制を極力公平なものにする努力をし、税収はきちんと人への投資と再配分に充てる。その上で、グローバルに活動する企業や金融所得に対して、グローバルな課税の枠組みをつくっていくのです」

 「欧州連合(EU)が始めようとしている金融取引税はその一歩です。利益ではなく取引額に税を課すものですが、銀行や証券会社の取引記録を把握することから、将来、所得や利潤をつかむ第一歩になる。日本もこうした動きと無縁ではいられませんが、まずはEU加盟国並みの付加価値税率を備えた税制を組み立てることが課題です」

     *

 もろとみとおる 京都大学大学院教授 1968年生まれ。横浜国立大助教授を経て現職。専門は財政学、環境経済学。著書に「私たちはなぜ税金を納めるのか 租税の経済思想史」。

 ■取材を終えて

 諸富さんの口ぶりはとても静かだが、その内容は警句にあふれ、決断を避ける政治に怒っているようにも見えた。負担という痛みを、どうやって分かち合うかを決めるのは、その国の民主主義の熟度と比例する。結局、政治家が増税を嫌うのは、納税者もまた、嫌っていると思っているからだろう。しかし、この国の有権者が、自分たちの安息のために、子孫に法外なつけ回しをして安閑としていられるとは、とても思えない。有権者こそ税を考え、明日を考えねばならない。それが民主主義を鍛える道だと、諸富さんへのインタビューで痛感した。

 (編集委員・駒野剛) 
    --「2014衆院選:税に思想はあるか 諸富徹さん」、『朝日新聞』2014年11月29日(土)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11480602.html:title]

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覚え書:「論壇時評:孤独な本 記憶の主人になるために 作家・高橋源一郎」、『朝日新聞』2014年11月27日(木)付。


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論壇時評:孤独な本 記憶の主人になるために 作家・高橋源一郎
2014年11月27日

(写真キャプション)高橋源一郎さん=小玉重隆撮影

 去年、韓国で出版され、「元慰安婦の方たちの名誉を毀損(きそん)した」として、提訴・告訴された、朴裕河(パクユハ)の『帝国の慰安婦』の日本語版が、ようやく公刊された〈1〉。感銘を受けた、と書くのもためらわれるほど、峻厳(しゅんげん)さに満ちたこの本は、これから書かれる、すべての「慰安婦」に関することばにとって、共感するにせよ反発するにせよ、不動の恒星のように、揺れることのない基軸となるだろう、と思われた。そして、同時に、わたしは、これほどまでに孤独な本を読んだことがない、と感じた。いや、これほどまでに孤独な本を書かざるを得なかった著者の心中を思い、ことばを失う他なかった。

 「朝鮮人慰安婦」問題は、日本と韓国の間に深刻な、修復不可能と思えるほどの亀裂を生み出した。片方に、「慰安婦は、単なる売春婦に過ぎない」という人たちが、一方に、「慰安婦たちは、強制されて連れて来られた性奴隷だ」とする人たちがいて、国家の責任をめぐって激しい論争を繰り広げてきた。

 朴裕河はこういう。

 「これまで慰安婦たちは経験を淡々と話してきた。しかしそれを聞く者たちは、それぞれ聞きたいことだけを選びとってきた。それは、慰安婦問題を否定してきたひとでも、慰安婦たちを支援してきたひとたちでも、基本的には変わらない。さまざまな状況を語っていた証言の中から、それぞれ持っていた大日本帝国のイメージに合わせて、慰安婦たちの〈記憶〉を取捨選択してきたのである」

 朴がやろうとしたのは、慰安婦たちひとりひとりの、様々な、異なった声に耳をかたむけることだった。そこで、朴が聞きとった物語は、わたしたちがいままで聞いたことがないものだったのだ。

     *

 朴は、「朝鮮人慰安婦」たちを戦場に連れ出した「責任」と「罪」の主体は、帝国日本であるとしながら、同時に、実際に彼女たちを連れ出した朝鮮人同胞の業者と、そのことを許した「女子の人生を支配下に置く家父長制」(日本人の場合も同じだ)を厳しく批判する。

 「謝罪」すべきなのは、帝国日本だけではない、「韓国(および北朝鮮)の中にも慰安婦たちに『謝罪』すべき人たちはいる」のだ。だが、そのことは忘れ去られた。なぜだろうか。植民地に生きる者は、時には本国民よりも熱く、その宗主国に愛と忠誠と協力を誓った。それが仮に真意ではなかったとしても。そして、そのことは、忘れるべき「記憶」だったからだ。

 「日本人慰安婦」の代替物として戦場に送られた「朝鮮人慰安婦」にとって、日本人兵士は、時に(身体と心を蹂躙(じゅうりん)する)激しく憎むべき存在であり、時に(同じように、戦場で「もの」として扱われる)同志でもありえた。その矛盾を生きねばならなかった彼女たちの真実の声は、日本と韓国、どちらの公的な「記憶」にとっても不都合な存在だったのだ。

 「何よりも、『性奴隷』とは、性的酷使以外の経験と記憶を隠蔽(いんぺい)してしまう言葉である。慰安婦たちが総体的な被害者であることは確かでも、そのような側面のみに注目して、『被害者』としての記憶以外を隠蔽するのは、慰安婦の全人格を受け入れないことになる。それは、慰安婦たちから、自らの記憶の〈主人〉になる権利を奪うことでもある。他者が望む記憶だけを持たせれば、それはある意味、従属を強いることになる」

 かつて、自分の身体と心の「主人」であることを許されなかった慰安婦たちは、いまは自分自身の「記憶」の主人であることを拒まれている。その悲哀が、朴の本を深い孤独の色に染めている。

 木村幹の『日韓歴史認識問題とは何か』は、朴が提起した問題への、日本の側からの誠実な応答の一つであるように、思えた〈2〉。

 「日韓歴史共同研究」に参加した著者は、朝鮮半島に関わる研究者たちが巻きこまれざるをえない、歴史認識問題をめぐる争いの中で、疲れ果て、アメリカへ赴いた。そこでの「リハビリのためのトレーニング」として、この本は書かれた。

     *

 木村は考える。

 なぜ、歴史認識をめぐって、不毛とも思える激しい争いが繰り広げられるのか。あるいは、なぜ、かつては問題でなかったことが、突然、問題として浮上するのか。そして、なぜ、その問題は、いまもわたしたちを苦しめるのか。

 それは、「過去」というものが、決して終わったものではなく、その「過去」と向き合う、その時代を生きる「現在」のわたしたちにとっての問題だからだ。

 では、「過去」が「現在」の問題であるなら、わたしたちはどう立ち向かえばいいのか。

 「わたしたちの生は過去の暴力行為の上に築かれた抑圧的な制度によって今もかたちづくられ、それを変えるためにわたしたちが行動を起こさないかぎり、将来もかたちづくられつづける。過去の侵略行為を支えた偏見も現在に生きつづけており、それを排除するために積極的な行動にでないかぎり、現在の世代の心のなかにしっかりと居すわりつづける」(テッサ・モーリス=スズキ〈3〉)

 遥(はる)か昔に、植民地支配と戦争は終わった。だが、それは、ほんとうに、遠い「過去」の話だろうか。違う。戦争を招いた、偏見や頑迷さが、いまもわたしたちの中で生きているのなら、その「過去」もまた生きているのである。

     ◇

 〈1〉朴裕河『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』(今月刊=日本語版)

 〈2〉木村幹『日韓歴史認識問題とは何か』(今年10月刊)

 〈3〉テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』(文庫版が今年6月刊行。単行本は2004年刊)

     ◇

 たかはし・げんいちろう 1951年生まれ。明治学院大学教授。小説作品に『さよならクリストファー・ロビン』(谷崎潤一郎賞)、『優雅で感傷的な日本野球』(三島由紀夫賞)など。評論集『「あの戦争」から「この戦争」へ』が近日刊行予定。
     --「論壇時評:孤独な本 記憶の主人になるために 作家・高橋源一郎」、『朝日新聞』2014年11月27日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11476729.html:title]


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覚え書:「メディア時評:大学脅迫問題、問われるのは「覚悟」=北星学園大教授(ジャーナリズム倫理)・阪井宏」、『毎日新聞』2014年11月29日(土)付。


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メディア時評:大学脅迫問題、問われるのは「覚悟」=北星学園大教授(ジャーナリズム倫理)・阪井宏
毎日新聞 2014年11月29日 東京朝刊

 朝日の慰安婦報道にかかわった元記者が教壇に立つ大学が、相次いで脅迫を受けた。脅されたのは、帝塚山学院大学(大阪狭山市)と、私の勤める北星学園大学だ。両大学は今春以降、文書、電話、メールで脅迫を受けた。「辞めさせなければ、学生に痛い目に遭ってもらう」と学生への危害をほのめかす文書もあった。

 問題が表面化してから、各紙は社説でこの脅迫行為を非難した。「暴力は、許さない」(10月2日朝日)、「看過できない卑劣さ」(同3日毎日)、「言論封じを狙う卑劣な行為だ」(同3日読売)などの見出しが並んだ。

 帝塚山の元記者は自ら辞職した。北星は当初、脅しに屈しない姿勢を示した。全国から応援の声が寄せられた。市民団体「負けるな北星!の会(通称・マケルナ会)」が東京と札幌で生まれた。大学教員、ジャーナリスト、弁護士らが名を連ね、学生5000人足らずの私大がにわかに注目の的となった。しかし10月31日、学長が元記者の本年度での雇い止め方針を表明すると、空気が変わった。報道には弱腰の大学を嘆くかのようなニュアンスも漂う。

 毎日は今月8日、全国の弁護士380人が脅迫の容疑者を本人不詳のまま刑事告発するという動きを社会面準トップで取り上げた。地元紙はマケルナ会のシンポジウムを紹介し、「大学が間違った選択をしないよう応援する」との北大教授の発言を伝えた。

 ありがたい応援である。ただ、この事件は北星だけの頑張りで済む話ではない。あらゆる組織が、いつ何時、同様の脅迫によって活動を阻害されるかも分からない。ところがそんな事態の深刻さが報道からは伝わってこない。

 志ある大学教員に提案したい。自らが勤務する大学に、元記者を講師として招く授業をぜひ検討してほしい。マスコミ各社にもお願いしたい。多彩なカルチャー講座の一コマに、元記者を呼んではどうか。市民の方々にも問いたい。集会所の会議室を借り、元記者と語る手があるではないかと。

 自らのフィールドでテロと戦う。その決断は口で言うほどたやすくはない。単独ではきつい。しかし、大きなうねりとなれば話は別だ。元記者を招く動きが全国に広がれば、脅迫者は的を絞れない。

 この国の民主主義を人任せにしてはいけない。試されているのは我々一人ひとりの当事者意識と覚悟だろう。(北海道支社発行紙面を基に論評) 
    --「メディア時評:大学脅迫問題、問われるのは「覚悟」=北星学園大教授(ジャーナリズム倫理)・阪井宏」、『毎日新聞』2014年11月29日(土)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20141129ddm005070020000c.html:title]

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日記:先験的に中立や公正が実在していると素朴に考えていることの「きつさ」

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衆院選:自民、細かに「公平」要請 選挙番組構成でTV各局に
毎日新聞 2014年11月28日 東京朝刊

 自民党がNHKと在京民放テレビ局に対し、選挙報道の公平中立などを求める要望書を渡していたことが27日分かった。街頭インタビューの集め方など、番組の構成について細かに要請するのは異例。編集権への介入に当たると懸念の声もあがっている。

 要望書は、解散前日の20日付。萩生田光一・自民党筆頭副幹事長、福井照・報道局長の両衆院議員の連名。それによると、出演者の発言回数や時間▽ゲスト出演者の選定▽テーマ選び▽街頭インタビューや資料映像の使い方--の4項目について「公平中立、公正」を要望する内容になっている。街頭インタビューをめぐっては今月18日、TBSの報道番組に出演した安倍晋三首相が、アベノミクスへの市民の厳しい意見が相次いだ映像が流れた後、「これ全然、声が反映されてません」と不快感を示していた。

 また要望書では、「過去にはあるテレビ局が政権交代実現を画策して偏向報道を行い、大きな社会問題になった事例も現実にあった」とも記し、1993年の総選挙報道が国会の証人喚問に発展したテレビ朝日の「椿問題」とみられる事例をあげ、各局の報道姿勢をけん制している。

 この日の定例記者会見でテレビ東京の高橋雄一社長は「改めて気をつけろというものとは受け止めていない」と述べた。各民放は文書が届いたことを認め、公平中立な報道を心がけるとしている。

 こうした要望は、選挙のたびに各政党が行っているが公示前は珍しい。ある民放幹部は「ここまで細かい指示を受けた記憶はない」と話し、また別の民放幹部は「萎縮効果はある」と語った。

 毎日新聞の取材に対し自民党は「報道の自由を尊重するという点は何ら変わりない。当然ながら公正な報道を行っていただけるものと理解している」と文書でコメントした。【望月麻紀、須藤唯哉、青島顕】
    --「衆院選:自民、細かに『公平』要請 選挙番組構成でTV各局に」、『毎日新聞』2014年11月28日(金)付。

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[http://senkyo.mainichi.jp/news/20141128ddm041040125000c.html:title]


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衆院選:自民、細かに「公平」要請 選挙番組構成でTV各局に 服部孝章・立教大教授(メディア法)の話
毎日新聞 2014年11月28日 東京朝刊

 ◇批判への予防線
 放送法の文言をひいて「公平中立」を求めているが、実態はテレビ局への恫〓(どうかつ)だ。しかも、以前の報道を「偏向報道」と批判している。アベノミクスに批判的な識者を出演させないよう予防線を張っているともとれる。政権担当者は批判されるのが当たり前なのに、都合のよい報道を求めるのは危険だ。
    --「衆院選:自民、細かに『公平』要請 選挙番組構成でTV各局に 服部孝章・立教大教授(メディア法)の話」、『毎日新聞』2014年11月28日(金)付。

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[http://senkyo.mainichi.jp/news/20141128ddm041010126000c.html:title]

これなあ。

知人の弁護士が、公平・公正の中立報道を申し入れただけで何で言論弾圧になるんや、とぼやいていたのですが、オジサンは少し言葉を失ってしまいましたですだよ。
※政権与党の横やりはあきらかに公平でも中立でもありませんので念のため。ここではひとまずよこに措きますけれども。

そもそも論で申し訳ないのですけれども、ヴェーバーの『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』と『職業としての政治』ぐらい読みましょうと諭しましたが……とほほ。

何がきついかと言えば、先験的に中立や公正が実在していると素朴に考えていることなんですわ。

人間に可能なことは中立たらんとすることや、そのために自己の立ち位置を認識して物事に向かうことだけにすぎないはずなのに、素朴に中立や公正が実在していると思ってしまう100年ぐらい周回遅れの議論でのぉ、ツラかったわ。

そもそも弁護士記章の真ん中に意匠「秤」であるわけですよね。現実の中での是々非々をはかるわけで、それは先験的な実在論とは一線を画した人間世界の中での議論という話じゃアありませんかw

加えて、法廷ならさ、結局、どちら側にでも立つわけですやん。

もちろん、それは「仕事」なので過度の倫理的負荷は必要ないと思うけれども、そのことを思い出して反省してみるならば、先験的に中立やら公正が実在していると素朴に思いこむことは不可能でっしゃろう。

「官」の立場でなく「民」の立場であったとしても、大きな力を扱えることができる人間というのは、いつのまにか権力を代行してしまうというあれなんですかねえ。

そうすると非常に残念なエピソードだとは思いますが、勉強にはなりましたかね。

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覚え書:「2014衆院選:高齢者医療に足りぬもの 佐藤伸彦さん」、『朝日新聞』2014年11月28日(金)付。

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2014衆院選:高齢者医療に足りぬもの 佐藤伸彦さん
2014年11月28日

 たとえどんなに平凡でも、生きるとは1冊の本を編むようなもの。その最終章をどのように迎えるかに関心が高まるなか、富山県砺波(となみ)市の医師・佐藤伸彦さんは、病院でも在宅でもない終末期の場を試みている。これまでの医療に欠けていた視点とは何か。高齢化で「多死時代」を迎え、医療界は、そして国は何をすべきなのだろう。

 《日当たりの良い9畳の洋間に、80代の女性が眠っている。話しかけても額に触れても反応はない。

 チューリップの球根の生産で知られる人口約5万の砺波市。その中心部に、平屋建てに15の個室を備えた「ものがたりの郷(さと)」がある。入居しているのは重い病や老衰の高齢者。ここで人生最後の時を過ごす。

 佐藤さんが理事長を務める医療法人社団「ナラティブホーム」はそこに隣接している。医療・看護・介護のスタッフがものがたりの郷を訪問し、息を引き取るまでかかわる。》

 

 ――ものがたりの郷というのは病棟ですか。

 「いいえ。構想したのは私ですが、制度上は家賃月5万円の単なる賃貸住宅です。所有者も別。私は、病院は不動産で稼いではいけないという考えですから。『がんに限らないホスピス』だと思ってください」

 ――と、言いますと?

 「一般のホスピスは主にがんで治癒が難しくなった人が対象です。しかし、ここはもっと広く、どんな疾患の方の終末期も支援します。特に想定しているのは、医療システムからはじき出された高齢者です。病院で治療の手立てがなく退院を促された人、高度医療が必要で介護施設に入れない人、脳梗塞(こうそく)などで寝たきりだけど在宅では難しい人……。そうした方たちが安心して最期を迎えられる場がないことが問題なのです」

 「いま、国は在宅医療を促そうとしています。ただ、在宅の良さばかり強調すると、24時間ずっと一緒の家族は疲弊しますよ。ギブアップとなったら別の可能性を示してあげなければ。終末期の生活の質を決めるのは選択肢の多さだと思います。そこで、在宅でも病院でもない第三のあり方を提唱したわけです。個室だから家族が寝泊まりすることもできる。プライバシーが守られた『自宅』と同じです。そこへ訪問し、医療・看護・介護を提供する。在宅医療の一つのバリエーションです」

 

 《看護師や介護士らは、ものがたりの郷で暮らす一人ひとりの「ナラティブ(物語)ノート」をつくる。交わした言葉を書きとめ、もう話ができない人については日々の様子を記したり写真を貼ったりしている。

 ある女性の家族はミュージシャンで、演奏会を開くので聴かせたいという。その希望を受けて、何人ものスタッフが会場まで付き添った。家族はノートに「目はあけていなかったけれど、ちゃんと聞いてくれていたと思います」と記した。》

 

 「私たちは『みとる』という言葉を使いません。たかが何カ月間、支援をさせていただくだけで、みとるなんて言うのはおこがましい。あくまで本人とご家族が中心です。私たちは最後の最後までその人の生活を支え、生き切ることを援助するのが仕事です。スタッフには、さりげない第三者であれと伝えています」

 「とはいえ、ノート一つにしてもただ聞き書きをすればいいというものではありません。『人生という物語』といっても、人間ってそんなにきれいごとばかりじゃない。もっとしたたかに生きているし、光もあれば影もある。だから向き合う時は自分の姿勢や価値観、人生そのものが問われます。私は一人の人間として『それはわがままじゃないの』などと自分の意見を言うこともあります。真剣勝負です。これはもう、医療から越境したところの話です」

 ――現代医療へのアンチテーゼですか。

 「いや、医療はもちろん大事だし、私自身も最先端の医療を施したい。異議申し立てというより、いまの医療では見えていないものを加えたいということです。現代医療は生命体としての『命』ばかりを見てきた。かといって、物語を重視し過ぎると『90歳だからもう十分生きたよね』といった、安易な『みなし末期』に陥りかねません。科学的理解と物語的理解は両極にありますが、二項対立ではいけない。医療者は治療対象の『命』についてきちんと話し、家族は一人ひとりの人生の物語としての『いのち』を語る。そうやって語りが循環するなかでバランスを取り、『それなりにいい人生だったね』と腑(ふ)に落ちるところを探そう、と言いたいのです」

 ――以前、市立病院の部長まで務めましたね。なぜ辞めてまで?

 「寝たきりの人が多い療養型病院に勤めていた時、私は患者100人の主治医でした。看護師が患者さんの名を挙げて『熱が出ています』と言っても、誰のことか分からなかった。同じ入院服を着ていて、みんな同じに見えた時期もあります。病院では患者さんの『個』が消えてしまう。まして、どのような人生を送ってこられたかなんて分からない」

 「寝たきりで語ることのない人の尊さはどこにあるのだろう、と考えるようになりました。そうした方たちを前にした時に、本来の医療のあり方が抜け落ちていると感じたのです。人間として何をなすべきかが見えていないというか……。これは医療に限らず、政治だってそうでしょう? プロフェッショナルであることの大もとには『人としての生き方』があるはずですが、そこが抜け落ちている感じがします」

 ――そこまで高齢者問題と「死」に関心を持つのはなぜですか。

 「私は小学3年生の時に父を亡くしました。医者になって、今度は母も亡くなりました。その影響があるんでしょうねえ。いまも困ったことがあったら『おやじなら、どうするよ』みたいな会話をします。それと同じようなことを、寝たきりの方のご家族もしているわけですよ。肉体が目の前にあるかどうかが違うだけで、返事がなくても会話している。『そこにいるだけでいい』という尊さは、ご家族の関係性の中にこそあります。私たちは、そこをきちんと見てさしあげないといけません」

 

 《佐藤さんは「ナラティブホーム」から車で約10分の診療所でも診察している。受診に来た高齢の女性が「あたしね、道楽で日本人形をつくっとんよ」と語り出す。佐藤さんはうなずきながら、笑みを返す。砺波市は65歳以上が27%で、全国平均を上回る。佐藤さんが在宅で診ている人は常時200人。週に1人のペースで亡くなっていく。》

 

 「大体は慢性疾患です。ゆっくり話を聞いて、これからどうしたいのか相談に乗る。地域に根ざしたゲートキーパー役だと思っています。ここから介護や福祉につないだり、総合病院を紹介したりする。あるいは私が訪問医療をする。そうした地域医療があっての、ものがたりの郷。ふだんの関係性が大事です」

 ――国の施策をどう見ますか。

 「高齢者や終末期の問題は、医療者だけが頑張ってもだめなんですよ。厚生労働省だけじゃなく、地方創生の関係省庁も一緒になって地域の町づくりとして取り組む必要がある。いまは年間126万人の死亡者数が、2040年には推計約170万人になります。病院で亡くなる方が8割を占める現状のままでは、一般病床の不足は深刻化します。数十万人の『亡くなる場所』が見つからなくなるとも言われます。高齢者が『こんな良い地域で最期まで暮らし、家で死にたい』と思える社会を本気でつくらないといけません」

     *

 さとうのぶひこ 新たな終末期医療を唱える医師 1958年生まれ。市立砺波総合病院などを経て、2010年から現職。「ものがたり診療所」所長。来年2月に「ナラティブホームの物語」刊行予定。

 

 ■取材を終えて

 6年前。私の父親に治療の施しようがなくなったとき、入院先の主治医は目に涙を浮かべながら「延命治療は?」と尋ねた。それを見て、温かい最期が迎えられると確信した。

 佐藤さんが語っているのも、実は「どこで」というより「どのような関係性の中で」最期を迎えるか。家族や医療者が自然に優しくなれる仕組みの話なのだと思う。全国から視察が絶えないのには理由がある。(聞き手・磯村健太郎)

 

 ◆キーワード

 <在宅医療と在宅死> 医療関係者が自宅で暮らし続ける人を支えるのが在宅医療で、厚生労働省は整備を進めている。入院期間をできるだけ短くし、医療費抑制を図る側面もある。

 自宅で最期を迎える人は1960年ごろまで70%以上いた。しかし、その数は76年に医療機関と逆転し、昨年には約13%。一方、08年の厚労省の調査によると、最期までなるべく自宅で過ごしたいと望む人は「必要になれば医療機関などを利用」を含め63%だった。
    --「2014衆院選:高齢者医療に足りぬもの 佐藤伸彦さん」、『朝日新聞』2014年11月28日(金)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11478694.html:title]

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覚え書:「耕論:何のための英語入試改革 多田幸雄さん、益川敏英さん」、『朝日新聞』2014年11月26日(水)付。

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耕論:何のための英語入試改革 多田幸雄さん、益川敏英さん
2014年11月26日

 大学入試の英語が大きく変わりそうだ。文部科学省は「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能を測る方式にかじを切ろうとしている。この改革はいったい何のためなのか。そもそも生徒たちは、どういう英語を学ぶべきか。

 ■情報の海に飛び込む意欲育む 多田幸雄さん(双日総研社長、前経済同友会米州委員長)

 大学入試は、英語教育のゴールでも出口でもありません。生涯にわたって学習を続けていくという点から見れば一里塚であり、大学教育から見れば入り口です。

 入り口に過ぎないと思えば、TOEFLなど良質な外部の資格・検定試験を使ってもいいのでは、という思いはあります。学生にとっても大学にとっても、肝心なのは入ったあとなのですから。

 ずいぶん長い間、英語の大学入試は「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能を測るものにすべきだと言われ続けてきました。今は学習指導要領も学校の英語教育の現場も4技能重視です。にもかかわらず大学入試だけが変わらないとしたら、それはおかしいというのが常識的な感覚です。

    *

 <全て読めずとも> 最近の報道では、年間1300万人の外国人が日本を訪れるそうです。タブレットやスマートフォンなど情報通信機器も発達しました。英語に触れる機会も必要性も以前よりずっと増えています。

 私は、入試を含め、英語教育改革の目的は二つあると考えます。

 一つは、子どもたちが英語に前向きに取り組む姿勢を身につけるようにすること、英語に抵抗感を持たないようにすることです。

 英語を媒介にした情報の量は、ほかの言語に比べて圧倒的です。有用な情報を得るには、英語ができないとどうにもなりません。何かを調べようとしたら、世界中の人が英語で論じていることがわかります。学問の世界でもビジネスでも同じでしょう。しかも情報は次々に新しくなり、見直されています。歴史的な観点とか、新しい技術開発とか、新しい理論とか。

 ただし、手に入れた情報をすべて英語で読める力を身につけようとしたら、大変な時間と労力がかかります。見つけたものを英語ですらすらと読めればそれにこしたことはありませんが、今は翻訳サイトやソフトが発達しています。

 でも、もし、英語なんて見たくもない、あるいは全然わからない、という状態だったら、検索すらしようとしないでしょう。ですから学校教育では英語への抵抗感を減らし、英語の情報の海の中へ入って行こう、そこから自分に必要なものを見つけようという意志と能力を養ってほしい。

    *

 <「アナ雪」のズレ> もう一つの目的は、日本語だけでわかった気になることの危うさや、言語や文化のギャップに子どものうちに気づかせることです。

 今年世界中で大ヒットしたアニメ映画「アナと雪の女王」の原題をご存じですか。「Frozen」です。フローズン・ヨーグルトのフローズン。辞書には「凍った、氷結した」とあります。

 この映画は、不幸にも心を凍ったように閉ざし氷の宮殿をつくって住む女王が、妹によって姉妹愛に目覚め、心を溶かし春が来る、という話です。でも、日本の若い人たちは「アナ雪」と呼んでいます。雪とFrozenでは、ずいぶん距離があります。

 題名だけではありません。私はこの映画が大好きで何度も見ましたが、日本語字幕版に比べて英語版ではやや大人びた印象で、姉妹の苦悩や葛藤がじかに伝わってくるなど、印象がかなり違います。

 それで思ったのですが、英米人に限らず、世界各地で英語のわかる人たちが見た「Frozen」と、日本語版で見る「アナ雪」では、伝わるものが違うのではないか。日本語版の「アナ雪」だけでわかった気になっていたら、世界の多くの人たちと認識がズレてしまうのではないか。

 日本が直面する国際環境は今後、さらに厳しくなります。単に「英語ができる」だけではなく、アジアをはじめ世界中のライバルと「英語で戦える」「英語で交渉したり議論したりできる」若い世代が一人でも多く出てほしい。そういう思いは長年、国際社会の最前線で働いてきた私たちに共通のものです。

 同時に、日本全体で、知日派や親日派の外国人をもっと増やしていくことが大事です。単に英語力を上げるだけでなく、英語を使って世界各地の人たちとつきあい、草の根レベルで国際理解を深めてほしい。学校で英語は勉強した、でも外国の人とやり取りしたことがない、では困りますね。

 (聞き手 編集委員・刀祢館正明)

    *

 ただゆきお 52年生まれ。日商岩井(現双日)に入り海外に18年駐在。米では知日派育成を支援するNPO設立。文科省の英語教育の在り方に関する有識者会議委員。

 

 ■「読む」1技能でも研究深めた 益川敏英さん(物理学者)

 最近、国はどうしてこんなに英語、英語と熱心なのかな、と不思議に思うことがあります。たぶん国際ビジネスの現場で、英語で通用する人材が大勢ほしいんでしょうね。文句なしに英語が必要な世界でしょうから。それに我々の時代と違って、いまや英語は世界共通語。「話す」「聞く」も含めた4技能を伸ばそうというのは、間違いではないと思います。

 だけど、学問や研究の世界は、ビジネスの現場とはちょっと話が違う。たとえば国文学では、英語はそれほど重要じゃないでしょう。そういう違いを無視して入試で一律に、全員に4技能を課すのは、どうかな。

    *

 <学問は遊びから> 僕の狭い経験からも、学問で大事なのは「遊び」の心です。教科書通りに覚えることではない。自分で問題をつくり、自分で解いて、ここまでわかるんだと感動する。そんな経験がもとになって、物理や数学が本格的に好きになっていく。自分のセンス、感覚を研ぎ澄ましていくんです。そういうトレーニング、つまり何かに憧れ、情熱を燃やす時間が高校生ぐらいになったら必要なんです。

 だけど若いうちから英語に追いまくられていたら、そんな時間が持てなくなりはしませんか。それで4技能が身についたとしても、逆に専門分野の力がおろそかになったら元も子もない。英語はあくまでも他者に何かを伝えるための道具、手段なんですから。

 僕は語学が大嫌いです。学生時代もまったく勉強しませんでした。物理の本を読んでいるほうが、はるかに楽しかった。

 こんな生き方も、かつてはギリギリ許されました。大学院の入試で、僕が苦手のドイツ語を白紙で出して問題にされたときも、「語学は入ってからやればいい。後から何とでもなる」と言って通してくれた先生がいた。電子顕微鏡の世界的権威の先生でした。

 いまだったら、こんな判定はできないでしょうね。ルール通りにやらないと怒られる。僕がいま学生だったら、大学院に進むこともできなかったかもしれません。

 でも振り返ってみて、英語ができたらもっといろんな研究ができたかも、なんて思うことは一切ありません。断言できます。

    *

 <母語で学ぶ強み> ノーベル物理学賞をもらった後、招かれて旅した中国と韓国で発見がありました。彼らは「どうやったらノーベル賞が取れるか」を真剣に考えていた。国力にそう違いはないはずの日本が次々に取るのはなぜか、と。その答えが、日本語で最先端のところまで勉強できるからではないか、というのです。自国語で深く考えることができるのはすごいことだ、と。

 彼らは英語のテキストに頼らざるを得ない。なまじ英語ができるから、国を出て行く研究者も後を絶たない。日本語で十分に間に合うこの国はアジアでは珍しい存在なんだ、と知ったのです。

 ちなみにノーベル賞受賞記念のスピーチも、恒例の英語ではなく日本語で済ませました。英語の字幕つきで。英語でやれと言われたら、行く気はなかったですよ。

 こんな僕でも、実は英語は読めます。「読む」の1技能です。だって興味のある論文は、自分で読むより仕方がない。いちいち誰かに訳してはもらえませんから。

 ただし、いんちきをします。漢字がわかる日本人なら漢文が読めるのと同じです。物理の世界だったら基本的な英単語は知っていますから、あとは文法を調整すればわかる。行間まで読めます。小説だとチンプンカンプンですが。

 英語は、できるに越したことはない。でも、できなくたって生きていく道はある。つまり、英語「も」大事なんです。「も」という言葉がないといけないと僕は思う。だから仮に入試で英語が0点の学生がいたとしても、それだけで門前払いにするようなことだけはしないでほしいなあ。

 それに将来はわかりませんよ。20年もたてば、日本語で話せばすぐに翻訳してくれる器具が間違いなくできているはずですから。

 それよりも、まずは学問に本質的な興味を抱くこと。得意分野を磨くこと。その先に、やっぱり英語もできたほうがいいね、という程度の話なのではありませんか。

 (聞き手 萩一晶)

    *

 ますかわとしひで 40年生まれ。京都産業大学益川塾塾頭、京都大学名誉教授。「CP対称性の破れ」の起源の発見により、08年にノーベル物理学賞受賞。

 

 ◆キーワード

 <大学入試英語の改革> 文部科学省の英語教育の在り方に関する有識者会議は9月、グローバル化に対応した英語教育改革を提言。大学入試に関しては、「聞く」「話す」「読む」「書く」の4技能からなるコミュニケーション能力が「適切に評価されるよう促す」とした。そのために、4技能を適切に測定できるTOEFLなど外部の資格・検定試験の活用が「奨励されるべきだ」と打ち出した。文科省は近く、外部試験の活用に向けて話し合う連絡協議会を設置する予定だ。
    --「耕論:何のための英語入試改革 多田幸雄さん、益川敏英さん」、『朝日新聞』2014年11月26日(水)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11474695.html:title]


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覚え書:「写真展:『この人たちに光を』 ハンセン病療養所追ったカメラマン、故・趙根在さん 東村山で /東京」、『毎日新聞』2014年11月28日(金)付。


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写真展:「この人たちに光を」 ハンセン病療養所追ったカメラマン、故・趙根在さん 東村山で /東京
毎日新聞 2014年11月28日 地方版

(写真キャプション)趙根在さんの代表作を集めた写真展=東村山市の国立ハンセン病資料館で

 ハンセン病療養所の実態をマスコミがほとんど報じなかった1960年代から、療養所へ通い、入所者の生活を撮り続けた在日朝鮮人カメラマン、故・趙根在(チョウグンジェ)さんの代表作を集めた企画展「この人たちに光を」が、東村山市青葉町4の国立ハンセン病資料館で開かれている。

 同資料館によると、趙さんは1933年に愛知県で生まれた。実家は貧しく、生計を助けるため15歳で中学を退学し、炭鉱で働いた。24歳で上京。映画プロダクションで照明の仕事をしていた61年、初めて東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園」を訪れた。入所者の過酷な生活を知り、「自分が炭鉱労働で経験した『地底の暗闇』と同じような、出口のない闇に閉じ込められている」ことに衝撃を受けた。

 趙さんは「闇から抜けたいという入所者の願いを社会に伝えたい」と確信した。以来、全国の療養所に足を運び、入所者と寝食を共にしながら信頼関係を築き、97年に64歳で病没するまで約2万点の写真を撮影した。

 ◇あす講演会開催

 企画展には、目の不自由な入所者が病気で知覚を失った指の代わりに舌と唇で点字を読む姿や、両手が不自由なため口にペンをくわえて文章を書く姿など81点を展示した。来年5月31日まで。29日午後1時半からは同資料館で、趙さんと交流があった多磨全生園入所者の大竹章さんによる講演「趙根在の写真を語る」が開かれる。いずれも入場無料。問い合わせは同資料館(042・396・2909)。【江刺正嘉】
    --「写真展:『この人たちに光を』 ハンセン病療養所追ったカメラマン、故・趙根在さん 東村山で /東京」、『毎日新聞』2014年11月28日(金)付。

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[http://mainichi.jp/feature/news/20141128ddlk13040110000c.html:title]

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