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覚え書:「戦後70年 『戦』の『後』であり続けるために:岩波書店(広告)」、『朝日新聞』2015年01月01日(木)付(5面)。


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「戦」の「後」であり続けるために

「戦後」という言葉は、不思議な言葉です。
第二次大戦後も、世界で戦火の絶えたことはないからです。
しかし、私たちにとって、「戦後」は他の何ものにも代えがたい言葉です。
民主主義と自由、平和と豊かさに結びついているからです。
「戦争」への深い反省をもとに、「戦後」は始まり、70年という年月が過ぎました。
「戦後」をつくるために、多くの人たちが懸命に努力し、世代をつなぎました。
私たちもまた、「戦後」の精神を、次の世代につないでいきたいと思います。
               岩波書店


戦後70年

渡辺一夫の声が聞こえる
大江健三郎 小説家

 漱石は『こころ』の主人公の暗い生の終りに、自分の時代の精神は「明治の精神」だといわせて、次の世代の読者たちに、ひとつ明るい信号を送っている。そう私は思います。
 十歳で敗戦、二年たっての新憲法に、九条はもとより十三条もきみたちには明るいのだと、私は森の中の新制中学で教わりました。「すべて国民は、個人として尊重される」。それに励まされて、生活の苦しさは知っていながら私は母親に進学したいと頼んだのです。
 入学できた高校の町の書店に、発刊されたばかりの岩波新書は十数冊平積みされている。立読みした私は、渡辺一夫『フランスルネサンス斷章』を買い、その語りかけの声に引きつけられました。私は同じ著者の声『狂氣についてなど』も古本屋で見つけ、もっと個人的な強い声のとりこになりました。いまも持っている本から写します。
 《「狂氣」なしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々も居られます。せはうそであります。「狂氣」によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は、「狂氣」に捕えられやすい人間であることを人一倍自覚した人間によって、誠実に執拗に執拗に地道になされるものです。》
五年たって本郷の教室で待ち受けている私らの前に現われ、外套はを床に置いて抗議を始められた先生は穏やかでユーモアのある方でしたが、その声はずっと私が先生の本に聞きとっていた通りの声でした……
 ここにさきの文章を書き写した後、その続きが、疲れて仮眠する老人に声となって伝わりました。それは古いテキストに久しぶりで接したからというのではなく、次つぎの文章がきわめてリアルに、私の今いる、かつてなかった苛酷さの現状に呼応するからです。先生の声が「狂気」という時、それは「三・一一」の悲惨さをもたらした構造についてであり、さらにあの日起こった国民的な反省を押しつぶしている強権についてです。
 「狂気」は避けねばならないし、他人を「狂気」に導いてもならない。冷静が、その行動の準則とならねばならない。《そして、冷静とは非行動と同一ではありませぬ。最も人間的な行動の原因となるものです。但し、錯誤せぬとは限りません。しかし、常に「病患」を己れの自然の姿と考えて、進むでありましょう。》
 私はこの声を新世代に贈ります。


平和と正義という目標を見失うことなく
ジョン・W・ダワー 歴史家

 第二次世界大戦集結から七十年のこの年の、なんという矛盾をつきつけられていることか!
 あの戦争はまるで古代史の出来事だったかのようです。この七十年をじっさいに生きてきた私のような者にさえもそう感じられます。その反面、たった今の状況、とくに日本、中国、南北朝鮮をめぐってくり広げられている激しい論争と対立は、そもそも第二次大戦に端を発したものなのです。
 歴史、「記憶」、ナショナリズム、政治が不可分になっています。東アジアだけでなく、アメリカでも、世界中どこでも。
 このような対立の時代に戦争終結を記念する年は、あの戦争とその後の二つの厳粛な側面について、一歩退いて考えるいい機会でしょう。ひとつは自分たちだけではなく他者の苦難と犠牲。もうひとつは、日本で今もしっかり根付いている理想主義、戦争から生まれた平和とよりよい世界への大いなる希望と夢。
 四五年八月の時点での死と破壊を世界的規模で把握することはほぼ不可能です。例えばアジア太平洋地域での死者数。記録が混乱していた中国では、戦争関連の死者数は千三百万、あるいはそれより何百万多かったとも推計されています。オランダ領東インド(インドネシア)では三百万から四百万が、フランス領インドシナ(ベトナム、カンボジア、ラオス)で百万から二百万が死亡し、フィリピンでは五十万から百万のあいだ、日本統治下の朝鮮人の死者は八万人からそれより何万人も多かったと幅があります。このどこでも、戦闘員より民間人のほうが多く亡くなりました。
 もちろん、日本の被害も甚大でした。しかし、七十より上の人たちを別にすれば、繁栄をきわめ活気にあふれた今日、一九四五年のこの国の荒廃ぶりを思い描ける日本人がいるでしょうか。広島と長崎への原爆投下前に、すでに六十四の都市が空襲で破壊されていました。陸海兵士二百十万人が死に、空襲、凄絶な沖縄戦、満州など大陸からの引き揚げ等で、民間人の死者数も百万近くに及んだはずです。
 アメリカだけが(真珠湾を別にして)直接攻撃をうけずに第二次大戦から抜けだし、経済的にも好調でした。戦死者はわずかな民間人を含め、およそ四十一万人。そのうち四分の一は対日戦線で戦った兵士でした。
 うちひしがれた日本は、このような凄まじい状況のなかで再出発の難業に立向かい、新憲法に具体化された「平和とデモクラシー」の理想に、社会のあらゆる層の人びとが奮いたったのでした。政治やイデオロギーの衝突は戦後日本にいくつもありました。しかし、じつに多くの日本人が豊かで平和を愛する社会を懸命に創りあげた、その草の根の回復力、規律、反戦の理想は、どれほど称賛してもしつくせるものではありません。
 この危うい時代に新年を迎えるにあたって、真摯で責任ある批判的学問の伝統が、平和と正義という目標を見失うことなく、理想主義の必要性と実際性への信念も失うことなく、世界中で栄えていきますようにと、心から願います。(田代泰子訳)
    --「「戦後70年 『戦』の『後』であり続けるために:岩波書店(広告)」、『朝日新聞』2015年01月01日(木)付(5面)。

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