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2015年1月

日記:降雪の東京。

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2015年の正月。東京では粉雪が舞いましたが、積雪には至らず。

昨日1月30日。2015年初の降雪。自宅の周りでも10センチ弱はつもりましたでしょうか。ただ昨年のような豪雪とまではいかず、お昼近くからの雨でだいぶ溶けました。

夕刻より、知己の学生と静岡おでんで一献。寒い一日でしたが、種々懇談。若き学徒の新しい出発を祝うとともに、お互いに刺激となる一日でした。

こちらもしっかり仕事をしないといけませんねえ。


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覚え書:「特集ワイド:筑波大名誉教授・白川英樹さんの憂い ノーベル賞の裏で科学研究の危機が」、『毎日新聞』2015年01月23日(金)付夕刊。

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特集ワイド:筑波大名誉教授・白川英樹さんの憂い ノーベル賞の裏で科学研究の危機が
毎日新聞 2015年01月23日 東京夕刊

(写真キャプション)「理系の就職が好調と聞きました。うれしいですね」=横浜市青葉区で、小関勉撮影


(写真キャプション)白川さん自身、ノーベル化学賞を受賞した際には「フィーバー」に巻き込まれたが、今はその過熱ぶりに疑問を抱く=2000年10月11日

 昨年、青色発光ダイオード(LED)の発明に貢献した日本の3人がノーベル物理学賞を受賞し、国内は「日本の科学技術の底力」に沸いた。受賞した3人に対しては、業績はもとより人柄や日常生活にも関心が集まり、その一言一句が注目された。だが、喜んでばかりでいいのか。2000年にノーベル化学賞を受賞した白川英樹さん(78)は憂いを深めている。その懸念の核心とは--。

 ◇成果至上主義が独創性を阻害 「偶然による発見」生む環境を

 「ノーベル賞ばかりが、なぜこれほど騒がれるのか。これは本当に疑問でしてね」。横浜市郊外のホテルのラウンジで会った白川さんは、そう言ってノートパソコンを開いた。見せてくれたのは、自身が受賞した00年から3年間のノーベル賞関連の新聞記事のリストだ。

 「白川英樹さんが母校で講演」「授賞式へ出発、野依良治教授」「田中耕一さんが富山へ帰郷」……。日本人が受賞する度に見かける新聞記事の見出しが並ぶ。その数は軽く100本を超える。世間のフィーバーぶりがよく伝わるが、白川さんは「研究内容についての報道は最初だけで、その後はほとんどないんですよ」と苦笑する。

 「今回の青色LEDの開発は『世界の人の役に立った研究をたたえる』というノーベル賞の趣旨にふさわしいものだったと思います。しかし、ノーベル賞以外にも素晴らしい賞はたくさんある。国内では明治時代に始まった日本学士院賞をはじめ、日本国際賞、京都賞。海外なら数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞、科学技術が対象のベンジャミン・フランクリンメダル、イスラエルのウルフ賞。これらは日本人も多数受賞しています。新聞では小さく報じられるだけですが、ノーベル賞と同格に扱ってほしいくらいです」

 以前から、ノーベル賞だけを特別扱いする風潮に疑問を投げかけてきた。01年、国の科学技術基本計画で「今後50年間で受賞者30人」という数値目標が示されると、他の受賞者とともに異論を唱えた。その主張の根底には、ノーベル賞の華やかさに目を奪われている間に、科学から独創性が失われる現状を見過ごしてしまうのではないか--という危機感がある。

 今、若手の科学者を取り巻く環境は厳しくなっている。特に国立大学では04年の法人化以降、研究費のあり方が激変した影響が大きい。

 法人化以前は、国から各大学の規模に応じて平等に配分される「積算校費」があり、これが基礎研究の財源となってきた。ところが法人化後、平等に配分する資金は減り続けている。その代わりに、優れた研究テーマを選んで配分する「競争的資金」の割合が高まっている。

 考え方だけをみれば、やる気のある研究者や成果の見込まれる分野を伸ばし、研究が活性化するようにも見える。だが、白川さんは「巨額を要する大きなプロジェクトに割り当てられる比重が大きく、基礎研究に取り組む若手研究者には十分行き渡っていません。また、各大学が自由に使途を決められる運営費交付金は法人化以降の10年間で10%以上も削減され、若手の教員ポストは3-5年の任期制が増えています」と指摘する。

 任期制で採用された教員は限られた期間に研究を仕上げて論文を作り、成果を出さなければならなくなった。「そうしないと『次』がないのです。だから成果の出やすいテーマを選択せざるを得ない。でも、本来は自分の研究室を軌道に乗せるのに1、2年はかかるものです。それから実験を始めて、論文を書くと、それだけで3年。規定の年限内に成果が上がらないことなんて、いくらでもある。結果を出すまで研究者が何十年も、場合によっては一生涯をかける場合だってある。『成果、成果』と追い立てる成果至上主義が、研究者の興味に基づいた独創的な研究を阻害しているのです」

 国が支出する競争的資金の総額自体は増えている。特にバブル崩壊後の1995年、科学技術で日本の産業を支えようと「科学技術基本法」が制定されてからは顕著だ。例えば、競争的資金のうち約半分を占める科学研究費補助金(科研費)は94年に約800億円だったが、10年以降は年間2000億円を超える。

 しかし、白川さんは「お金をつぎ込めば独創的な研究が増えるというものではありません。ましてやノーベル賞をとれると考えるのは間違っています」と言い切る。湯川秀樹さん以来、自然科学系の日本のノーベル賞受賞者の多くは、80年代以前の研究実績を評価された。その当時の科研費の年間総額は数十億-数百億円程度だった。

 「優れた研究をするためには、条件があるんです」。それは落ち着いてじっくり取り組める環境と、自由に使える資金だ。「特に若手の場合、億単位の額はいらない。数百万円でいいから、好きなことをやれる資金が必要です」。白川さんは「電気を通すプラスチックの開発」という業績でノーベル賞を受賞したが、発見のきっかけは、プラスチックの合成中に薬品の量を間違えたミスだった。その時できた物質に金属のような光沢があったことから「電気を通すのではないか」と直感し、その後実験を繰り返して偉大な成果を手にした。

 「研究費は税金ですから、効率よく無駄のないように使うべきであるのは当然です。ただ、役に立たない研究だから無駄遣いとは決めつけないでほしい。一見成果なく終わったように見える研究が、いつ役に立つか分からないからです。そういう“知的財産”の積み重ねが科学の発展につながる」

 自身の研究について語る時に「セレンディピティー」という言葉を使う。英語で「偶然による発見」との意味だ。「『研究資金を得ている以上、それに見合う成果を出さない研究はバツだ』との考え方からは、セレンディピティーは生まれない。ムシのいい話であることは承知していますが、そこは国民の皆さんにも分かってほしいんです」

 成果が見込まれるプロジェクト研究ばかりが重視される現在の日本。昨年のSTAP細胞をめぐる研究不正の問題も、そのような環境に一因がなかったか。「もちろん無縁ではないと思います。ただ再発防止には大学院教育の充実も必要でしょう。実験のやり方やモラルなども含め、カリキュラムを見直すこと、そして、幅広い見識を持つ研究者を育てることを考えなくてはいけないでしょう」

 独創性のある優れた科学者を育てるには、大学だけではなく、初等、中等教育も重要だ。「回り道に思えるかもしれませんが、小学校の学級の人数を減らしてほしいと言い続けてきました。児童の興味を把握し、好奇心を伸ばすには20人くらいにしてもいい。それなのに財務省は現在の小学1年生の35人学級を『効果がない』として40人に戻す案を打ち出した」。15年度予算での削減は見送られたが、こうした議論が出たことを白川さんは残念がる。

 理科を教えることに自信がないという小学校教師が半数を超える、との調査もある。「教員養成系大学は師範学校の伝統を受け継いでいるため文系に位置づけられていますが、将来は文系理系にとらわれないコースを設けるべきでしょう。過渡的には理科の専任教師を増やしてもいい」

 日本の科学の前途は険しそうだが、白川さんは「悲観はしていない」と言う。「よくアジアの研究者から尋ねられます。『アジア諸国の中で日本人ノーベル賞受賞者が際立って多いのはなぜか』と」。アジアの優秀な研究者は欧米などの留学先で成果を上げるが、日本人は日本国内で教育を受け、研究をしていながら受賞に結びつくケースが多い。「欧州は自然を克服、支配するとの視点で科学を発展させてきましたが、日本人はそれを受け入れる以前から、自然と共存しつつ自然を見つめ、利用するとの視点から、独自の科学を積み上げてきた。欧州にも負けないバックグラウンドがあるのです」

 さらに続ける。「欧米の優れた科学教科書の多くは先達の努力で日本語に翻訳されています。母国語で科学を深く学べるのは、大きな強みなのです。欧州生まれの自然科学を英語で学んでも、私たちにはその表層しか捉えられない危険がありますから」

 白川さんは筑波大退官後、全国の学校での科学教室や、日本科学未来館(東京)での定期的な実験教室の開催など、未来の研究者を育てる活動を続けている。革新的な科学技術の発見に必要なのは、目先の結果よりも、育てる熱意--行動で、そう示している。【小林祥晃】

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 ■人物略歴

 ◇しらかわ・ひでき

 筑波大名誉教授。1936年東京都生まれ。岐阜県高山市で育つ。東京工業大大学院博士課程修了。2000年に「導電性高分子の発見と開発」でノーベル化学賞。01-03年、内閣府の総合科学技術会議議員。
    --「特集ワイド:筑波大名誉教授・白川英樹さんの憂い ノーベル賞の裏で科学研究の危機が」、『毎日新聞』2015年01月23日(金)付夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150123dde012040004000c.html:title]


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日記:「ピケティのメッセージは、格差を放置せず、平等へ向けた格差縮小の力を創出すること」なのに「格差はあって当然」とすり替えていく連中

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 そうしたピケティの主張に励まされつつも、一方で、日本社会では、この主張は「格差拡大は自然の理なのだから、あって当たり前」という歪んだ論理に捻じ曲げられ、現状の放置に逆用されかねない、という不安が募ってきました。
 日本では、格差の極端な拡大が社会や経済に及ぼす深刻なマイナス面について、十分に理解が共有されていません。「格差の何が悪い」「人間に格差はつきもの」という言葉が横行し、06年の国会答弁で小泉純一郎首相が「貧困層を少なくするという対策とともに、成功者をねたむ風潮、能力のある者の足を引っ張る風潮も厳に慎んでいかなければいけない」と述べるなど、政権のトップまでもが格差批判と「そねみ」を混同してしまうのが現状です。
 しかも、日本社会では弱い立場の人たちの力になるはずの考え方が外からやってくると、その過程で異なる定義にすり替えられ、強者に有利なものに逆用されることがしばしば起きています。たとえば「ワークシェアリング」は、発祥の地、欧州では「働き手が仕事を分け合って失業を防ぐ」という意味でした。それが2000年前後、経営者団体の主導で日本に流布されたときは、「会社が賃下げして雇用を確保する」にすり替えられてしまいました。そこでは「仕事を分けるため」として、同じような仕事でも賃金が正社員の半分程度というパート労働者を増やすことが奨励されました。その結果、「仕事を分け合う」という働き手の連帯を指す言葉は、ただの賃下げに置きかえられてしまったのでした。
 ピケティ・ブームでもその恐れはあります。ピケティのメッセージは、格差を放置せず、平等へ向けた格差縮小の力を創出することこそが人類の智恵の発揮のしどころ、というものです。それが、「格差あって当然」にすり替えられていくことはないでしょうか。
    --竹信三恵子『ピケティ入門 「21世紀の資本」の読み方』金曜日、2014年、5-6頁。

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ちょうど竹信三恵子『ピケティ入門 「21世紀の資本」の読み方』(金曜日)を読み終えた著者は、労働・貧困問題を記者として30年以上担当してきた経験から「『21世紀の資本』の読み方」をえぐりだすというもの。著者の「読み方」はピケティの主張を正確に受容するものであり、誤った受容を慎重に退けていかなければいけないという筋を通すものでもある。

すなわち慎重に退けなければならないのは「この主張は『格差拡大は自然の理なのだから、あって当たり前』という歪んだ論理」にねじ曲げられる受容の日本的歪曲ということ。

ピケティは「格差は放置すれば広がる」と主張しましたが、これは「現状を変えたくない人」が「『格差は自然に縮小する』という都合のいい理屈」に落ち着くものでもありませんし、否、「数字による実証で対抗しようとした試み」と竹信さんは評価する。

そのために必要なことは何か。「目くらましを見抜く」ことだと竹信さんは何度も説く。しかもこのことは、不平等だけに限定されない話であり、いわば権力によって「都合よく動員」されることを不断に排していかなければなりません。

しかし、早速来ましたねえ。

『読売新聞』さん、社説にて「ピケティ現象 格差拡大は資本主義の宿命」と題して、ピケティが格差拡大を放置してはいけないというその主張を早速、換骨奪胎!!!


「成長の恩恵を受ける富裕層と、取り残される低・中間所得層という単純な図式を掲げ、バラマキ策を唱えるのは無責任だ。教育や職業訓練の充実など、努力すれば所得を向上できる機会を広げる政策にこそ、力を注ぐべきである」と社説を結びますが、まさに権力馴致の優等生の模範解答となっております。

要するに、努力しても報われない社会なのに「努力すれば何とかなる」って喧伝して「一に我慢、二に我慢、……」っていうのが今の日本社会なんでしょうねえ。

ぐぬぬ。


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ピケティ現象 格差拡大は資本主義の宿命か
2015年01月26日

 資本主義経済の下では貧富の格差が拡大を続ける宿命にあるのか。

 フランスの経済学者、トマ・ピケティ氏が著書「21世紀の資本」で提唱した理論を巡り、世界で活発な論議が巻き起こっている。

 「ピケティ現象」とも言われるブームに火が付いたのは、一握りの経営者の巨額報酬など格差問題が深刻化した米国だ。分厚い学術書にもかかわらず、世界で100万部のベストセラーとなった。

 欧米を中心に200年以上の税務統計を分析したところ、株式や不動産などの資産から得られる利益の伸びが、賃金上昇率を上回っていたことが分かったという。

 ピケティ氏はこうしたデータを根拠に、将来にわたって資産家への富の集中が続き、貧富の差は拡大していくと結論付けた。

 確かに、著書に掲載された多くの図表からは、不平等が広がっていく傾向が見て取れる。

 経済発展とともに格差は解消するという、経済学で主流の説を覆す内容が、学界をはじめ各方面に一石を投じた意義は大きい。

 一方で、自説を裏付けるために都合のいいデータを選んでいる、といった指摘もされている。

 資本主義国で格差が際限なく広がるメカニズムの論理的な説明はできるのか。他の指標を用いても同じ結論が得られるのか。

 企業や個人の自由な行動と公正な競争を重んじる資本主義経済の在り方に関わる問題提起だけに、多角的な検証が求められよう。

 ピケティ氏の主張で疑問なのは、格差解消の処方箋として、富裕層に対する世界的な資産課税強化を提唱していることである。

 税負担の軽い国や地域に資産が逃避するのを防ぐ狙いだろうが、各国が一斉に増税で歩調を合わせることは、政治的にも実務的にも、ほとんど不可能だ。

 そもそも、報酬が従業員の数百倍の経営者も珍しくない米国より日本の格差は小さいなど、国によって状況は大きく異なる。税制を同列に論じるのは無理がある。

 富裕層に重税を課すことは、働く意欲をそぎ、成長を鈍化させる要因になりかねない。

 ピケティ説に乗じ、過剰な所得再分配を求める声が、日本でも強まってきたのは気がかりだ。

 成長の恩恵を受ける富裕層と、取り残される低・中間所得層という単純な図式を掲げ、バラマキ策を唱えるのは無責任だ。教育や職業訓練の充実など、努力すれば所得を向上できる機会を広げる政策にこそ、力を注ぐべきである。
    --「社説:ピケティ現象 格差拡大は資本主義の宿命か」、『讀賣新聞』2015年01月26日(月)付。

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[http://www.yomiuri.co.jp/editorial/20150125-OYT1T50131.html?utm_content=buffera6092&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer&from=tw:title]


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覚え書:「特集ワイド:NHKの番組で反戦の訴えを遮られた、宝田明さん 『人間として言うべきこと』」、『毎日新聞』2015年01月21日(水)付夕刊。


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特集ワイド:NHKの番組で反戦の訴えを遮られた、宝田明さん 「人間として言うべきこと」
毎日新聞 2015年01月21日 東京夕刊

「あと10年もすれば戦争を体験した人たちはほとんどいなくなる。今やっておかねばならないことが、いろいろあるんじゃないか」と話す宝田明さん=東京都北区で、梅村直承撮影


 お笑いコンビ「爆笑問題」のNHKでの政治家ネタの却下、昨年末の紅白歌合戦でのサザンオールスターズの演出……テレビと政治を巡る問題の議論がかまびすしい。実は昨年の衆院選のさなかにも、NHKの姿勢を疑わせる「事件」が起きていた。ベテラン俳優、宝田明さん(80)が「あの時は、俳優である以前に人間として感じていることを申し上げたのですが……」と振り返った。【庄司哲也】

 ◇「間違った選択しないよう選挙で…」にアナ「各自、思うところが」 旧満州引き揚げ時、頭に銃口、腹に銃弾受ける

 「『おや? 何か止められるような発言をしたかな』。あの瞬間に浮かんだのは、そんな疑問でした」。初主演作品「ゴジラ」(1954年)の公開当時のポスターを飾った東京都内の事務所。銀幕のスターらしい落ち着いた口調で宝田さんは語り始めた。

 その問題が起きたのは昨年12月3日、NHKの情報番組「ゆうどき」(午後4時55分-6時)への生出演時。「人生ドラマチック」というコーナーで、宝田さんは自身の近況や「ゴジラ」への思いとともに、幼少期を過ごした旧満州(現中国東北部)のハルビンでソ連軍の侵攻を受け命からがら日本に引き揚げた体験を披露し、「戦争は人間の大罪」と語った。そして、女性アナウンサーから「戦争を全く経験していない世代に伝えたいことは」と問われると、こう述べた。

 「無辜(むこ)の民が無残に殺されるようなことがあってはいけませんね。国家の運命というのは、たかが一握りの人間の手によってもてあそばれている運命にあるんですよ。だから間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうではない方向の人を選ぶのか、あるいはどうなのか……」

 宝田さんが言葉を継ごうとすると、聞いていた男性アナウンサーが突然、「その辺は各自、思うところがあるでしょうから、個々の選択がありますけどね……」と、制止するかのように割って入った。さらに「戦争を知っている世代として、これからもいろんな演技を見せていただきたいです。ありがとうございます」と、コーナー終了を“宣言”してしまったのだ。

 だが、コーナーは終わらなかった。いったんは「そうですね」と応じた宝田さんが再び口を開き、きっぱりと言い切った。「声を大にして、戦争は絶対起こしちゃいけないということをメッセージし続けていきたいと思います」。ぎこちない空気の中、ようやく画面が切り替わった。

 当時の心境を宝田さんが説明する。「最後の、大きなピリオドを打つ言葉が言えずに止められたという気持ちは確かにありました。だから、これだけは言わせてもらいたいと……」。事前にNHK側から発言内容などへの注文は一切なかったという。

 <宝田さんナイス><リスペクトします>。ネット上では「制止」にもひるまず信念を語った俳優への称賛が飛び交った。宝田さんが仕事で名古屋を訪れると、年配の女性たちに囲まれ「見ましたよ。よくぞ言ってくれました」と拍手される一幕もあった。

 一方、NHKの姿勢については<必ずしも安倍政権批判とは言えないだろ。いちいち問題にするなよ><「間違った選択をしない政治家を選ぶべき」。言ってることは至極まともだよね>などの否定的なネット意見があった。

 男性アナウンサーはなぜ、発言を遮ろうとしたのか。

 問題の放送は衆院選の公示日の翌日だった。宝田さんは慎重に言葉を選びながら「反戦」を訴えたが、男性アナは話が選挙に及んだことに驚き、特定の個人名や政党名が出るのを危惧して“自主規制”した可能性はある。昨年は、安倍政権が憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をした年でもあった。

 碓井広義・上智大新聞学科教授(メディア論)は「ゆうどき」放送の2日後、ある民放系BS放送の番組で宝田さんと一緒になり、じかに戦争体験を聞いた。「宝田さんは引き揚げの際にソ連兵から頭に銃を突きつけられ、腹に銃弾も受けている。『戦争は大罪』も『無辜の民を殺してはならない』も、イデオロギーではなく体験に基づいた当たり前の主張です。そうならないように正しい選択をしようと言っているだけなのに、選挙に言及したから一律にダメというのはおかしい」と、疑問を投げかける。

 問題の背景として、籾井勝人NHK会長の「政府が右と言っているものを左と言うわけにはいかない」といった発言や、自民党がNHKや在京民放テレビ局に送った選挙報道の「公平中立」を求める要望書(昨年11月20日付)の影響を指摘する。「籾井会長は『個人的な発言』としていますが、トップの意向が作用しないわけがない。そこに自民党の要望書が心理的圧力として加わり、現場が勝手にそんたくしたのではないか。そもそも要望書は『法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない』と番組編集の自由を保障した放送法3条に抵触しかねません。NHKの過剰反応ぶりには、息苦しさを感じますね」

 宝田さんの発言への「制止」についてNHKに見解を尋ねたが「個別の内容については、お答えしていません」との回答だった。

 「これは見えざる大きな力ですね」。宝田さんの表情が曇ったのは、NHKが「爆笑問題」の政治家ネタを却下したことを伝える記事を見せた時だった。「政治家をネタにしたコントやパロディーを笑ってくれるなら、国民も、その社会も健全だと言えるんじゃないでしょうか」。そして「私にも似たことがあったんです」と打ち明けた。

 数年前、NHKのバラエティー番組内のコントで、ある国会議員役を務めた。台本にどう演じるかは書かれておらず、思案の末、アドリブで時の首相、麻生太郎氏の口調をマネして演じてみた。ところが、スタッフが飛んできた。「面白いのは分かるんですが、今は微妙な時期なので……」と小声でささやかれ、結局、別のキャラクターを演じた。

 「どんな職業でもそうかもしれませんが、(不特定多数の)皆さんがお客さまですからね。こんな発言をすると観客が減るとか、あの人に嫌われるとか、そんな短絡的な理由から、お利口さんにして口をつぐみ、八方美人的に生きてきたんです。でもね……」と俳優は続けた。「60歳を過ぎた頃から、自問するようになったんです。『おい、いつまでもノンポリでいられるのか、宝田よ』と。俳優は後から身につけた職業。だったら生身のお前の意見はどうなんだ、人間として何を言わなきゃいけないんだ、と。それからは、言うべきことは言ってきたつもりです。もちろん、先日のNHKの番組でもね」

 「物言えば唇寒し」。そんな出来事が芸能界で相次いでいる中、大俳優が自らの信念で語る言葉と、その重みに圧倒される。
    --「特集ワイド:NHKの番組で反戦の訴えを遮られた、宝田明さん 『人間として言うべきこと』」、『毎日新聞』2015年01月21日(水)付夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150121dde012040002000c.html:title]


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覚え書:「特集ワイド:NHKの番組で反戦の訴えを遮られた、宝田明さん 『人間として言うべきこと』」、『毎日新聞』2015年01月21日(水)付夕刊。


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特集ワイド:NHKの番組で反戦の訴えを遮られた、宝田明さん 「人間として言うべきこと」
毎日新聞 2015年01月21日 東京夕刊

「あと10年もすれば戦争を体験した人たちはほとんどいなくなる。今やっておかねばならないことが、いろいろあるんじゃないか」と話す宝田明さん=東京都北区で、梅村直承撮影
「あと10年もすれば戦争を体験した人たちはほとんどいなくなる。今やっておかねばならないことが、いろいろあるんじゃないか」と話す宝田明さん=東京都北区で、梅村直承撮影
拡大写真
 お笑いコンビ「爆笑問題」のNHKでの政治家ネタの却下、昨年末の紅白歌合戦でのサザンオールスターズの演出……テレビと政治を巡る問題の議論がかまびすしい。実は昨年の衆院選のさなかにも、NHKの姿勢を疑わせる「事件」が起きていた。ベテラン俳優、宝田明さん(80)が「あの時は、俳優である以前に人間として感じていることを申し上げたのですが……」と振り返った。【庄司哲也】

 ◇「間違った選択しないよう選挙で…」にアナ「各自、思うところが」 旧満州引き揚げ時、頭に銃口、腹に銃弾受ける

 「『おや? 何か止められるような発言をしたかな』。あの瞬間に浮かんだのは、そんな疑問でした」。初主演作品「ゴジラ」(1954年)の公開当時のポスターを飾った東京都内の事務所。銀幕のスターらしい落ち着いた口調で宝田さんは語り始めた。

 その問題が起きたのは昨年12月3日、NHKの情報番組「ゆうどき」(午後4時55分-6時)への生出演時。「人生ドラマチック」というコーナーで、宝田さんは自身の近況や「ゴジラ」への思いとともに、幼少期を過ごした旧満州(現中国東北部)のハルビンでソ連軍の侵攻を受け命からがら日本に引き揚げた体験を披露し、「戦争は人間の大罪」と語った。そして、女性アナウンサーから「戦争を全く経験していない世代に伝えたいことは」と問われると、こう述べた。

 「無辜(むこ)の民が無残に殺されるようなことがあってはいけませんね。国家の運命というのは、たかが一握りの人間の手によってもてあそばれている運命にあるんですよ。だから間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうではない方向の人を選ぶのか、あるいはどうなのか……」

 宝田さんが言葉を継ごうとすると、聞いていた男性アナウンサーが突然、「その辺は各自、思うところがあるでしょうから、個々の選択がありますけどね……」と、制止するかのように割って入った。さらに「戦争を知っている世代として、これからもいろんな演技を見せていただきたいです。ありがとうございます」と、コーナー終了を“宣言”してしまったのだ。

 だが、コーナーは終わらなかった。いったんは「そうですね」と応じた宝田さんが再び口を開き、きっぱりと言い切った。「声を大にして、戦争は絶対起こしちゃいけないということをメッセージし続けていきたいと思います」。ぎこちない空気の中、ようやく画面が切り替わった。

 当時の心境を宝田さんが説明する。「最後の、大きなピリオドを打つ言葉が言えずに止められたという気持ちは確かにありました。だから、これだけは言わせてもらいたいと……」。事前にNHK側から発言内容などへの注文は一切なかったという。

 <宝田さんナイス><リスペクトします>。ネット上では「制止」にもひるまず信念を語った俳優への称賛が飛び交った。宝田さんが仕事で名古屋を訪れると、年配の女性たちに囲まれ「見ましたよ。よくぞ言ってくれました」と拍手される一幕もあった。

 一方、NHKの姿勢については<必ずしも安倍政権批判とは言えないだろ。いちいち問題にするなよ><「間違った選択をしない政治家を選ぶべき」。言ってることは至極まともだよね>などの否定的なネット意見があった。

 男性アナウンサーはなぜ、発言を遮ろうとしたのか。

 問題の放送は衆院選の公示日の翌日だった。宝田さんは慎重に言葉を選びながら「反戦」を訴えたが、男性アナは話が選挙に及んだことに驚き、特定の個人名や政党名が出るのを危惧して“自主規制”した可能性はある。昨年は、安倍政権が憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定をした年でもあった。

 碓井広義・上智大新聞学科教授(メディア論)は「ゆうどき」放送の2日後、ある民放系BS放送の番組で宝田さんと一緒になり、じかに戦争体験を聞いた。「宝田さんは引き揚げの際にソ連兵から頭に銃を突きつけられ、腹に銃弾も受けている。『戦争は大罪』も『無辜の民を殺してはならない』も、イデオロギーではなく体験に基づいた当たり前の主張です。そうならないように正しい選択をしようと言っているだけなのに、選挙に言及したから一律にダメというのはおかしい」と、疑問を投げかける。

 問題の背景として、籾井勝人NHK会長の「政府が右と言っているものを左と言うわけにはいかない」といった発言や、自民党がNHKや在京民放テレビ局に送った選挙報道の「公平中立」を求める要望書(昨年11月20日付)の影響を指摘する。「籾井会長は『個人的な発言』としていますが、トップの意向が作用しないわけがない。そこに自民党の要望書が心理的圧力として加わり、現場が勝手にそんたくしたのではないか。そもそも要望書は『法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、または規律されることがない』と番組編集の自由を保障した放送法3条に抵触しかねません。NHKの過剰反応ぶりには、息苦しさを感じますね」

 宝田さんの発言への「制止」についてNHKに見解を尋ねたが「個別の内容については、お答えしていません」との回答だった。

 「これは見えざる大きな力ですね」。宝田さんの表情が曇ったのは、NHKが「爆笑問題」の政治家ネタを却下したことを伝える記事を見せた時だった。「政治家をネタにしたコントやパロディーを笑ってくれるなら、国民も、その社会も健全だと言えるんじゃないでしょうか」。そして「私にも似たことがあったんです」と打ち明けた。

 数年前、NHKのバラエティー番組内のコントで、ある国会議員役を務めた。台本にどう演じるかは書かれておらず、思案の末、アドリブで時の首相、麻生太郎氏の口調をマネして演じてみた。ところが、スタッフが飛んできた。「面白いのは分かるんですが、今は微妙な時期なので……」と小声でささやかれ、結局、別のキャラクターを演じた。

 「どんな職業でもそうかもしれませんが、(不特定多数の)皆さんがお客さまですからね。こんな発言をすると観客が減るとか、あの人に嫌われるとか、そんな短絡的な理由から、お利口さんにして口をつぐみ、八方美人的に生きてきたんです。でもね……」と俳優は続けた。「60歳を過ぎた頃から、自問するようになったんです。『おい、いつまでもノンポリでいられるのか、宝田よ』と。俳優は後から身につけた職業。だったら生身のお前の意見はどうなんだ、人間として何を言わなきゃいけないんだ、と。それからは、言うべきことは言ってきたつもりです。もちろん、先日のNHKの番組でもね」

 「物言えば唇寒し」。そんな出来事が芸能界で相次いでいる中、大俳優が自らの信念で語る言葉と、その重みに圧倒される。
    --「特集ワイド:NHKの番組で反戦の訴えを遮られた、宝田明さん 『人間として言うべきこと』」、『毎日新聞』2015年01月21日(水)付夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150121dde012040002000c.html:title]


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拙文:「読書:坂野潤治『<階級>の日本近代史』講談社 平等を無視し崩壊した民主主義 氏家法雄・評」、『公明新聞』2015年01月26日(月)付。


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<階級>の日本近代史
坂野潤治
平等を無視し崩壊した民主主義
東洋哲学研究所委嘱研究員 氏家法雄・評

 著者は近代日本に内在する民主主義の豊かな思想を丹念に掘り起こし、その透徹した実証的なリアリズムで政治史の認識を一新してきた。本書はその「自前のデモクラシー」論の総決算となっている。
 明治維新から普通選挙制の確立に至るその歩みとは、政治的平等希求の軌跡といってよい。農村地主の政治参加のうねりという明治デモクラシーは「国会」を作り、都市中間層の大正デモクラシーが「普通選挙制」を作った。ゆっくりと進む「自前のデモクラシー」は「地味」かも知れないが、それは「革命」にも匹敵する。
 さて、成年男子に限ったものだが政治参加の平等が拡大した昭和デモクラシーは格差是正を課題としたが失敗する。その実現は、戦争遂行のための均一化として総力戦体制下で奇しくも強制されてしまう。「階級」や「格差」を見過ごすことが歪(ゆが)みを招来するのであろう。その捻(ねじ)れは戦後も継承されている。即ち「平和」と「自由」の擁護に熱心なリベラル・革新勢力、「国民の生活」を結果として向上させてきた保守という構造だ。
 戦前日本の民主主義は実際に崩壊した。平等を無視したことがその最大の原因だが、空襲を経験した戦末派の著者は、平等の実現には戦争も独裁も必要ないと言う。平等の確立はどこまでも民主主義の課題であるからだ。
 必要なのは「『平和』の下で『自由』が尊ばれ、『自由』の下で『平等』が重視される」平和と自由と平等の三点セットという「攻め」の創意工夫だ。格差は放置すれば拡大すると喝破したトマ・ピケティの思索が交差する。
 雇用の四割近くが非正規雇用といわれる現代日本は不平等な階級社会と言ってよい。しかし「人間には格差はつきもの」と言われ、社会的不平等は放置されたままである。加えて平和と自由すらおぼつかないのが民主主義の現在だ。日本政治の来し方から未来を展望する本書の警鐘に真摯に耳を傾けたい。(講談社・1620円)

ばんの・じゅんじ 1937年生まれ。東京大学文学部国史学科卒業。東京大学名誉教授。専攻は日本近代政治史。
    --「読書:坂野潤治『<階級>の日本近代史』講談社 平等を無視し崩壊した民主主義 氏家法雄・評」、『公明新聞』2015年01月26日(月)付。

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覚え書:「くらしナビ・ライフスタイル:女の我慢は社会の矛盾 日本のフェミニストを映画化」、『毎日新聞』2015年01月20日(火)付。

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くらしナビ・ライフスタイル:女の我慢は社会の矛盾 日本のフェミニストを映画化
毎日新聞 2015年01月20日 東京朝刊

(写真キャプション)映画「何を怖れる」より。上野千鶴子さん(左端)、田中美津さん(左から2人目)らフェミニズムにかかわった女性たちが集った=エッセン・コミュニケーションズ提供

(写真キャプション)松井久子監督=田村佳子撮影

 1970年代初頭に始まった「ウーマンリブ」以降の女性史を、当時の映像と、運動にかかわった女性たちへのインタビューで振り返るドキュメンタリー映画「何を怖(おそ)れる フェミニズムを生きた女たち」が東京・渋谷のシネパレスで公開中だ。「自分は若い頃から彼女らとともに生きたフェミニストではなかった」と率直に語る松井久子監督(68)は、歴史を振り返りながら、いまの女性を取り巻く課題を社会に問いかける。

 ●14人の証言中心に

 映画は、現在も広く活躍する評論家の樋口恵子さんや、社会学者の上野千鶴子さん、日本のウーマンリブ運動の中心的存在だった田中美津さん、田中喜美子・グループわいふ代表ら14人へのインタビューを中心に構成する。学生運動、お茶くみ反対闘争など時代のキーワードとともに、2013年に安倍晋三首相が話した「3年間抱っこし放題」も話題に上る。

 「フェミニズム」「フェミニスト」は国内外を問わず、必ずしも肯定的に受け止められる言葉ではない。松井監督もそうした意識を持っていたという。ウーマンリブ世代と同時代を生きながら、20代から雑誌ライター、テレビプロデューサー、映画監督と、いずれも当時女性では極めて珍しい「男の仕事」をつかんできた松井監督は、フェミニストは「男社会で、もまれた自分とは違う世界の人」と考えていた。

 だが今回、彼女らの話は「身をもって経験したことばかり」だった。「働きながらの家事育児では夫に負担をかけまいと頑張った。家庭が円満で、仕事でも男性に認められるためには、自分を殺し我慢するのが女の美徳」--。男性と肩を並べてきた自分も、そうして耐えてきた女性の一人に過ぎなかったと気づいたという。

 女性が我慢しなければならないのは、そうでなければ家庭や社会が機能しないからではなく、「社会構造に問題があるから。だとしたら私たちは『何をおそれるのだ』」。その思いを映画のタイトルに込めた。

 女性は結婚しているかどうか、子どもがいるかいないか、仕事を続けているか専業主婦かでも対立しがちだ。それも同様に社会構造による分断なのに「あの人たちとは違う、私たちは頑張っている、と女性同士で線引きしていないか」と松井監督は問いかける。

 映画は、フェミニズムにかかわる一人一人の女性がどう生きたかを点描する。「この人たちのすてきなところは、それぞれがその道一筋に、強く、おおらかに生きてきたこと。周囲から疎まれても闘い続けてきた人は美しい」。若い世代の中で、現代社会に生きづらさを感じ、「社会は変わらない」と無力感を抱える人には、映画をきっかけに「自分の人生を本当に生きているか」を振り返ってほしいという。

 ●「光」一握りだけ

 松井監督はこれまで女性を主人公にした劇映画を撮ってきた。初のドキュメンタリー映画に取り組んだのには二つの理由がある。一つは、出演者の田中喜美子さんから「フェミニストの記録を映像に残してほしい」と依頼されたこと。「時代の先端を駆けた女性」たちも、多くが既に70代、80代で老いを迎えた。「今しかない」という思いのもと、当事者が勢ぞろいして発した言葉は、女性解放の貴重な証言集となっている。

 もう一つの理由は、女性をとりまく現状への危機感だ。寓話(ぐうわ)に包んで伝えるより、女性たちの生の言葉が必要と考えた。「政治は『女性活躍社会』というが、光が当たっているのはほんの一握りの選ばれた女性だけ。これほどのうそはない。子どもを産んでも働けるシステムが十分でなく、社会も男性も意識が変わらなければ、女は産みなさい、働きなさいと社会の矛盾をすべて抱え込まされてしまいます」

    ◇

 渋谷シネパレスでの上映は2月6日ごろまでの予定。2月7-20日、横浜市のシネマリンでも上映される。いずれも一般1500円、シニア1000円。その他の地域で自主上映会を行う主催団体も募集している。

 また、渋谷シネパレスでは20、23-25日の上映後、樋口さん、井上輝子・和光大名誉教授ら出演者によるトークイベントが予定されている。各日の登壇予定者は上映館か映画の公式ウェブサイトで公開している。上映に関する問い合わせはエッセン・コミュニケーションズ(03・3523・0211)。【田村佳子】

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 ■人物略歴

 ◇まつい・ひさこ

 1946年生まれ。98年「ユキエ」で映画監督デビュー。「折り梅」「レオニー」など女性の人生を描く作品を手がけてきた
    --「くらしナビ・ライフスタイル:女の我慢は社会の矛盾 日本のフェミニストを映画化」、『毎日新聞』2015年01月20日(火)付。

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何を怖れる――フェミニズムを生きた女たち

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覚え書:「茶色の朝」は、すでに来ています。

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ファシズム的状況に抗する
 --フランスで刊行された反ファシズムの寓話『茶色の朝』日本語版の解説で、高橋さんは「だれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因」と指摘されています。

高橋 「茶色の朝」は、すでに来ています。安倍政権のもとで急激に進められている日本社会のファッショ化は、すでに深刻な状況であることを、繰り返し指摘したいと思います。
 安倍晋三氏は、平然と虚偽を述べることのできる政治家です。福島の状況が「コントロールされている」と国際社会で述べたこともそうですが、最近では、各紙が安倍側近の発言をもとに報道した「撃ち方やめ」発言に対して、「朝日新聞の捏造」だと事実を捏造しています。
 私が安倍晋三という政治家に不信感を抱いたきっかけは、女性国際戦犯法廷について、当時官房副長官だった安倍晋三氏が、関係者であれば誰もがすぐにわかるようないくつかのウソをテレビなどで公然と述べたことでした。たとえば、女性国際戦犯法廷は「謀略」であり、「拉致問題が問題化しているなかで、北朝鮮を被害者の立場にすることで、この問題の鎮静化」をはかるという「大きな工作の中の一部を担っていた」と発言しています。しかし、女性国際戦犯法廷は拉致事件が表面化する二〇〇二年の日朝首脳会談より以前の二〇〇〇年に開催されているのですから、これは明白な虚偽です。
 権力者は当然のことながらジャーナリズムの監視を受けなければなりません。それを拒めるのは独裁国家だけです。民主主義国家の為政者であれば監視や批判を当然のこととして受け入れなければならないでしょう。しかし安倍氏は批判に耐えることができない。むしろ逆ギレしてフェイスブックなども使って攻撃を繰り返しています。日本の歴代の政治指導者の中で得異な存在だと言えるでしょう。
 カール・シュミットというナチに翼賛したドイツの政治思想家は、政治の本質は友と敵を峻別することにあると述べていますが、安倍首相は友とみれば偏愛し、敵と見なしたものには攻撃をつづけます。そういう意味でもファシズムに親和的な性質を持っていると言えるでしょう。
 これに対してジャーナリズムが萎縮してしまうのでは話になりません。むしろその本質を見抜いて、覚悟をもって批判的スタンスを維持しなければなりません。
 安倍政権はメディア・コントロールへの強い欲求を露わにしています。秘密保護法の制定や、マスコミ各社の幹部との度重なる会食などはその象徴です。安倍首相が靖国神社に参拝した二〇一三年一二月二六日の夜、新聞各社の政治部長たちと会食をしていたことが翌日の首相動静で明らかになっています。メディア・コントロールに取り込まれることを拒めるのか、政権との距離を保って権力の監視という役割を貫けるのか、まさに正念場の中の正念場だと思います。
    --「インタビュー:極右化する政治 戦後七〇年という岐路を前に=高橋哲哉」、『世界』岩波書店、2015年1月、159-160頁。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 おとなしくなった若者=山田昌弘」、『毎日新聞』2015年01月21日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
おとなしくなった若者
増える「平穏無事に暮らしたい」
山田昌弘 中央大教授

 成人式が終わった。今年も親同伴での出席が多かったという。私が若い頃に比べると、若者のイメージが大きく違ってきているのではないだろうか。
 今から30年前、私が青年だった頃は、良くも悪くも親や社会に対して反抗的な若者が多かった。社会の伝統や権威に疑問を持ち、従来のしきたりに反して自由に行動することが、若者らしさといわれていた。レジャーや恋愛を楽しみ、中には、政治活動や市民運動に身を投じる者もいた。大人たちに「今の若い者は」と眉をひそめられながらも、新しいことに挑戦していった。ほとんどの若者は、ある程度の年齢になれば、就職して家庭を築き、安定した生活を営む。それでも「やりたいことをやった」という経験は、後の人生の活力になったと思う。最近、「今の若い者は」という言葉は、意味が逆転してしまったようにみえる。
 昨年、統計数理研究所から「2013年日本人の国民性調査」の結果が発表された。そこの「仕事や遊びなどで自分の可能性を試すために、できるだけ多くの経験をしたい」という回答が、この30年間で若者世代で大きく減り、中高年世代で大きく増えている。1983年には、20代で80%、50代で52%と大きく差があった。それが13年には20代が68%、50代が63%と、ほとんど差がなくなった。一方、20代で「平穏無事に暮らしたい」との答えは19%から31%へと大きく増えた。
 周囲や報道などを見ても、この傾向が強まっている。海外で若い日本人の一人旅を見かけるのが少なくなる一方、一人や夫婦で旅をしている中高年日本人に出会うことが多くなった。中高年ライダーが増加し、事故も増えているが、若い暴走族という言葉を聞くことは少なくなった。新聞や雑誌の相談コーナーでは中高年の恋愛相談が盛況だが、若者は恋愛にますます消極的になっている。あらあしいことに挑戦し、いろいろな経験をしようとしているのは、若者よりも中高年のようにみえる。
 何が若者をおとなしくさせたのだろうか。ある大学生からは「就職できるか不安で、恋愛する時間がない」という答えが帰ってきた。新しいことに挑戦するのにも余裕が必要だ。経済的にも心理的にも余裕があるのは中高年の方かもしれない。「変わったことをしたり、人と意見が違ったりすると、周りからにらまれて孤立するからやらない」という学生もいた。
 いずれにしろ、今の若者は、就職活動や周りに気を使うことに、エネルギーを使い果たしているようにみえる。若者がやりたいことをする、という機会をどうしたら実現できるのか、考えなくてはならない時代になったようだ。
日本人の国民性調査 統計数理研究所が1953年以降、5年ごとに実施。調査対象は20歳以上の男女。昨年10月に第13次調査結果が発表され、「まじめに努力していればいつかは報われる」と思うかどうかを尋ねた項目では、20代、30代の男性で「報われない」と考える人が約4割と突出した。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 おとなしくなった若者=山田昌弘」、『毎日新聞』2015年01月21日(水)付。

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日記:古典語は八十日、近代語は四週間


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 私は大学の二年目と三年目、四月から六月までの三カ月を語学月間にきめて、ギリシア語とラテン語を独習した。もっとも、一日一課といっても、けっこう時間はかかる。出てくる単語は全部単語帳に書き、最近五日分の単語を藁半紙に繰りかえし書いて覚える。次にその日の分の文法を勉強し、名詞や動詞の変化を暗誦できるようにし、練習問題を忠実にやる。できればその練習問題の例文も暗記する。これだけのことをやると七、八時間はかかるものである。一方で『純粋理性批判』(引用者注 カントの主著、ドイツ語テクスト)を読み、演習の予習をしなければならないから、かなり大変だった。その頃は酒を呑む金もなかったが、よしんばあっても、この九十日間は酒など呑んでいられない。語学学習のコツは、休まず毎日やることである。昨日のことは覚えているものだが、一昨日のことは忘れる。あまり忘れるといやになってくる。だから、うまずたゆまず毎日やるしかない。熱でも出してやむをえず休んだら、仕方ないと諦めてー、初めからやりなおすくらいの気になること、マラソンなどと同じで一種ハイな気分になってきて休めなくなる、その気分をうまく利用するのである。
 私は元来飽きっぽいタチなのだが、英語とドイツ語の独習のおかげでこの頃には変に根気づよくなっており、ギリシア語もラテン語も三カ月でうまく文法をマスターした。ギリシア語の規則動詞は四百くらい変化する。ラテン語は二百ぐらいだが、規則動詞が四種類あってややこしい。こんなものは口で暗誦できるようにするしかない。これに比べれば、最後にやったフランス語の百ぐらいの動詞の変化を覚えることなど、ひどく簡単である。古典語は八十日、近代語は四週間と言うが、本当だと思う。こうして文法を一通りやったら、あとはムリヤリ本を読むしかない。
    --木田元『わたしの哲学入門』講談社学術文庫、2014年、66-67頁。

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今日で「哲学」の後期の講座が修了。履修されたみなさま、ありがとうございました。
最後の授業でもお話をしましたが、大学で「学ぶ」ということに関して、何らかの目的に連動した「学び」というのをいっぺん、リセットして、ただ「知る」こと、「学ぶ」こと自体が「楽しい」という「学び」を意識的に経験して欲しいと思います。

その最たるものが「語学」の学習だと思います。
今更、ラテン語やギリシア語なんて「学ぶ」意義があるのかと問われれば、それは就職に有利な訳でも、何らかのスキルが身に付くわけでもありませんが、どっぷりと古典語を学んでみるというのもすてきな経験になると思います。

これから長い春休みですが、ぜひ、知ること自体を楽しむ挑戦をと切に願う次第であります。

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覚え書:「ニュースの扉:ガレッジセール・ゴリさんと訪れる沖縄 苦々しくもまぶしいアメリカ」、『朝日新聞』2015年01月19日(月)付。

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ニュースの扉:ガレッジセール・ゴリさんと訪れる沖縄 苦々しくもまぶしいアメリカ
2015年1月19日

(写真キャプション)米軍嘉手納基地の滑走路(左)と県道を挟んで住宅が立ち並ぶ=沖縄県嘉手納町

 結成から20年を迎える沖縄出身のお笑いコンビ「ガレッジセール」。ゴリさん(42)は昨年から今年にかけて沖縄と東京、大阪、名古屋で、沖縄の文化をテーマにした舞台を企画、プロデュースして回っている。東京で活躍するにつれ、もっと沖縄を知り、人々を楽しませたいと思った。基地問題や本土との経済格差についても自分なりに考え続けてきたという。

     *

 昨年12月17日、沖縄・石垣島の石垣市民会館大ホールには立ち見を含め千人以上が押し寄せた。「シーミー」という、先祖の墓の前で家族が集う沖縄の伝統行事を題材に、ガレッジセールや同じく沖縄出身のスリムクラブ、地元で活動するタレントなどオール沖縄キャストで臨んだ第1回「おきなわ新喜劇」の県内最終公演だった。

 前座のコントで米国とのハーフの地元タレントが砂遊びをする場面では、相方が「アメリカァ~が不発弾処理してる!」と叫んで会場がドッと沸く。本編では高齢女性役がウチナーグチ(沖縄の言葉)でまくしたてたシーンで拍手喝采を受けた。県内5カ所での舞台は盛況で、計5千人近くを動員した。

 「東京に住む沖縄出身の芸人として、地元への恩返しを込めて、ここで新喜劇を上演したかった」。翌日、記者とともに本島に移動したゴリさんはそう話し、嘉手納町にある「道の駅かでな」に案内してくれた。

 4階の展望場からは米軍嘉手納基地の滑走路と、隣接する県道、住宅地が一望できる。離着陸を繰り返す軍用機。轟音(ごうおん)が途切れた時、ゴリさんは「僕の祖父の代まで、自宅は現在の基地の敷地内にあったそうです」と言った。基地ができる際に立ち退き、父の代で移った那覇市でゴリさんは生まれ育った。「移住させられたことや、これまでに米軍基地に関連した事故が起きていることを考えると苦々しい思いになる。一方で、アメリカという国がなければ、僕は今の僕ではなかった」

     *

 日本大学芸術学部に入学して沖縄を離れるまで、7月4日の米国の独立記念日が待ち遠しかった。嘉手納基地が開放され、米兵たちが県民を歓待してくれた。忘れられないゲームもあった。水着のアメリカ人女性が水槽の上の板に座って「カモン!」と叫ぶ。横の的に向かってボールを投げて当たると、板のバランスが崩れて女性が水の中に落ちる。米兵が笑顔でハイタッチを求め、有頂天になった。「あんなにドキドキした経験はない。土地を奪われた側の沖縄県民である僕が喜んでいたんだから、変と言えば変ですよね」

 国道58号を車で移動すると、着陸する戦闘機がすぐ頭上を通過していった。「たしか、昔はこの辺りにあった」と話したのは、子どもの頃に通い詰めた米国人が集う那覇ローラースケートランド。ディスコミュージックがかかり、ダンスを米兵に教えてもらった。そんな経験が生き、芸人になってからブレイクダンス対決や、「ゴリエ」に扮して激しく踊るネタで脚光を浴びた。「音楽、服、スタイル、アメリカ文化の全てがまぶしく、青春そのものだった」

     *

 ゴリさんは1972年5月22日生まれ。沖縄が本土復帰した1週間後に生まれた「復帰っ子」で、徐々に米国に親しみを持つ人が増えた世代とされる。

 昨年11月の県知事選では、普天間飛行場の移設先として辺野古が現実的だと方向転換した仲井真弘多(なかいまひろかず)前知事が、国外か県外を訴えた翁長雄志(おながたけし)知事に敗れた。翌月の衆院選では、県内の4小選挙区全てで自民の前職が落選した。ゴリさんは「基地や本土との経済格差など沖縄を取り巻く問題は複雑で、単にどちらがどうだとかは言えない。全ての問題が解決するまでには、今後も長い道のりがあると感じている」と話した。(文・後藤洋平、写真・山本和生)

 ■ゴリの目 基地問題、自分の答え出ていない

 これまで沖縄の基地問題などについて公の場で口にすることはなかった。正直言って怖い。僕は政治に詳しくないし、自分の中で、どうすべきかという答えは出ていない。

 米軍基地は僕が生まれる前からあり、それが当たり前だった。一方で、普天間の立地状況や、これまでに起きた事件事故については幼い頃から教えられてきた。

 僕には小学5年の息子と3年の娘がいる。家族とともに、沖縄の米軍基地周辺に住めるだろうかと自問すると、答えに窮する。一方で、基地が無くなれば沖縄はどうなるのだろうか、とも考える。沖縄は侵略と支配を繰り返された島。経済的にも基地関連の仕事に就く友人は多いのが実情だ。

 沖縄県民の多くはテレビカメラを向けられて「基地に賛成か、反対か」と問われると、反射的に「反対」と言う。そうしなければ「沖縄を売った」と言われるからだ。でも、少なくとも僕の周りの人間は普段、そんな話を友人や家族としていないと思う。

 コンビ結成直後の若い頃、相方と「全国で売れるため、仕事では沖縄色を封印して標準語で話そう」と決めていた。沖縄を深く知ろうと思ったのも、恥ずかしながら、芸人として世間で名が知られてからだった。40歳を超え、人生の折り返しを意識した今、自分にできることが、沖縄の人々に笑いを提供することだった。ここでの新喜劇を今後10年は続け、いずれは常設で開きたい。20年後には、また沖縄に戻り、住みながら仕事をしたいと思っている。

     *

 本名・照屋年之(てるやとしゆき)。那覇市出身。1995年、同郷の川田広樹とお笑いコンビ「ガレッジセール」を結成し、活動を続ける。

 ◆キーワード

 <沖縄の米軍基地> 日本にある米軍専用施設の面積のうち、沖縄県内が74%を占める。これは沖縄本島の面積の約2割にあたる。

 住宅街と隣接する普天間飛行場(宜野湾市)は、辺野古(名護市)への移設で1996年に日米が合意したが、反対の声は大きく、昨年1月の名護市長選などでも、県外や国外に移設すべきだとする陣営が勝った。

 ◇「おきなわ新喜劇」は18日に東京公演を終え、21日に名古屋アートピアホール、22日に大阪・なんばグランド花月で公演。
    --「ニュースの扉:ガレッジセール・ゴリさんと訪れる沖縄 苦々しくもまぶしいアメリカ」、『朝日新聞』2015年01月19日(月)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11558258.html:title]


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日記:「自己責任」やら「自業自得」と罵る前に

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案の定だった。内閣総理大臣安倍晋三閣下が世界へ向けて発信するご自身のfacebookのコメント欄を開いてみると、そこには、イスラム国によって殺害脅迫されている二人の日本人を「自己責任」「自業自得」式で罵るコメント嵐。

SNS界隈では、いっせいにタガがとれたが如く、9条への批判や、人権派弁護士や進歩派知識人に対する「おまえがいけ」との倒錯した書き込みがつぎつぎと現れてきている。

しかし、いわゆる自己責任だとか9条ガーと宣う界隈は、まず生きて帰ってこれるようにと祈りはささげないのだろうか。

どういう立場をかかげようとも、まあ、それは自由であるだとは思いますが、なんと言うか色々と「掛け違えている」んだよなあと思われてしまいます。結局は床屋政談宜しく「ネタ」の「消費」というやつかもしれませんが。人間の「いのち」がかかわっているにもかかわらず……

無事、解放を深く祈るばかりだ。



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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 『福祉国家』への事始め=宮武剛」、『毎日新聞』2015年01月14日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
「福祉国家」への事始め
日英の戦後70年
宮武剛 目白大大学院客員教授

 <お前のことばは大言にすぎるというのであろう。そうだ。それは私も知っている。実のところ、私は一応かくいうことによって、読者諸君の好奇心をそそりたいのである。そして諸君の批判を挑発したいのである>
 宛先は当時の吉田茂首相だが野党や労組の抗議文ではない。1950年、首相の諮問機関「社会保障制度審議会」が発した初勧告の序説である。
 <問題は、いかにして彼らに最低の生活を与えるかである。いわゆる人権の尊重も、いわゆるデモクラシーも、この前提がなくては紙の上の空語でしかない>
 新憲法はすでに公布され「国民主権」「戦争放棄」「基本的人権」を高らかに宣言していた。
 しかし、広島、長崎での被曝を含め300万人以上の犠牲者、1000万人以上の罹災者を数えた第二次世界大戦の後遺症は途方もなく重かった。
 物価は高騰し、配給制の米は滞り、法外に高いヤミ米が横行した。配給米のみで耐えた高校教員や裁判官が栄養失調で死亡する悲劇さえあった。
 <国によっては、ゆりかごより墓場まで、すべての生活部面が、この(社会保障)制度によって保障されている(中略)貧と病とは是非とも克服されねばならぬが、国民は明らかにその対策をもち得るのである>
 同審議会の会長は戦前からの言論弾圧を耐え抜いたマルクス経済学者で当時の法政大学総長、大内兵衛だった。深い危機感と烈々たる気概を込め、宰相・吉田茂を挑発したのだ。
 勧告本文は、社会保障の全体像と社会保障、生活保護、公衆衛生・医療等の制度別にあるべき姿を初めて描いた。
 そのモデルは、大戦中の42年、若き日はスラム街で貧民救済に取り組んだ経済学者ウィリアム・ベバリッジが提案した英国の福祉国家構想である。
 通称「ベバリッジ報告」は、人類を脅かす「5つの巨悪」(貧困・病気・失業・無知・不潔)に打ち勝つため「公助」(生活保護)や「共助」(社会保険)を整え、教育、都市開発の拡充を体系的に打ち出した。
 ドイツ軍の攻勢にあえぐ最中に一筋の光を与えた報告書は熱狂的な支持を得て、小説「風と共に去りぬ」に匹敵する売れ行きをみせた。
 しかし、長年にわたりベバリッジを引き立てた当時の首相ウィンストン・チャーチルも社会主義的な政策に反発し、その提案が実るのは労働党政権に代わる40年台半ば以降になる。
 敗戦国と戦勝国との落差を超えて、この社会保障制度の「事始め」が教えてくれるのは、民主主義こそ、その生みの親で、平和と豊かな社会が育ての親であることだ。
社会保障制度審議会 1949年に発足し、調査・審議のうえ首相と関係大臣に対し意見・建議・勧告の権限を持った。大内を始め大河内一男、隅谷三喜男ら著名な学者が会長を務めた。2001年の省庁再編に伴い、その機能は主に経済財政諮問会議に引き継がれた形になった。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 『福祉国家』への事始め=宮武剛」、『毎日新聞』2015年01月14日(水)付。

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日記:非政治的政治性という不断の挑戦

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帰宅して調べ物で柳宗悦の『美の法門』再読。民藝の思想的根拠ですが、柳の後半生は、いわば小文字の政治を取り戻すための闘いだったのではないかと推察。正反含め大文字の政治の怒声と、そして実は同根の無関心という対極を退ける非政治的政治性という不断の挑戦。人間が共同・協同するヒントがあるかもと思ったりです。

二者択一の決断を迫ることは分断主義を必然する。そしてどうでもいいやという無関心という撤退。この両者は一見すると別々のように見えながらも、生活と遊離した大文字の政治というコインの裏と表ではないか、と。

現実にはどちらかといえば変革への烽火にシンパシーを抱きつつも、信仰告白でことたりないから、無名の小さな生活の変革実践を大切にすることの再発見が必要になる。

(隷属した奴隷という意味ではない意義での)蟻のように人は生きている。その生活の中での違和感を大切にしつつ、保持すべきことがら、そして改めるべきことがらを見分け、丁寧に生きていくこと。そうした声ちゅうもんが、「お前は、反革命か!」ってドヤされるのではない包摂と連帯を見いだしたい。

私自身は極めて政治的な発言が多いけれども、いわゆる無関心と同義ではない、棄権はしないけど立場を明らかにしないが如き政治への関わりへの消極さを、政治それ自体に無関心であるなどと理解したくはない。そもそも対象への完全な無関心なら、その対象から距離を置くという発想すら生じないから。

いや、私自身も、原発に依存しない社会であるべきだと思いますし、現在進行形で進む辺野古の問題もいかがなものかとは思う一人ですけど、無関心ではないけど声を上げない(=それがイコール政治参画の棄権でもない)ということを責めるというのはなあ、その優柔不断さがおれのいかんところかもしれんが


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覚え書:「創作の原点:戦後70年 俳優・仲代達矢さん、作家・柴崎友香さん」、『毎日新聞』2015年01月13日(火)付夕刊。

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創作の原点:戦後70年 俳優・仲代達矢さん、作家・柴崎友香さん
毎日新聞 2015年01月13日 東京夕刊

 第二次世界大戦が終わって今年で70年。あの戦争は創作者たちにどのような影響を及ぼし、また及ぼしていくのか。世代を超えて各ジャンルで活躍する人たちを通じて探っていく。

 ◇敗戦が役者の根源--俳優・仲代達矢さん(82)

 ◇戦争は日常の狂い--作家・柴崎友香さん(41)

 --戦後70年と聞いて、何を思いますか?

 仲代さん 70年、とりあえず戦争はなかった。総理大臣はクルクル代わりましたが、私はよかったと思っているんです。一つの強い権力で国を引っ張っていこうとしたら、戦争に巻き込まれていたかもしれないから。これから先、多少きな臭いので心配はしていますが。

 柴崎さん 70年間戦争をしなかったのは、本当によかったと思います。私が自分の小説で戦争に関することを書いてみようと思ったきっかけは、10年前の戦後60年です。私は1973年生まれで、生まれたころは戦後30年もたっていなかったと気付き、何かしらの形で戦争を書けるのではないかと考えたんです。

 仲代さん ある時若い俳優20人くらいに「戦争って聞いて何を思い浮かべる?」って聞いたら、一番多かった答えは「受験戦争」です。「第二次大戦」は一人もいなかった。

 しかし、柴崎さんの本を読むと、戦争を体験していないにもかかわらず、空襲でむちゃくちゃになった東京の街の描写が非常に上手で人間に対する観察も素晴らしい。特に『わたしがいなかった街で』を読んで、かつてこの街で戦争があったんだってことと、今の平和な静かな生活が、平行線をたどるような世界を描いているのには、感動しました。

 柴崎さん ありがとうございます。大学時代に地理を勉強していたんですが、戦後すぐに撮った空中写真を見た時、自分が暮らしている街が爆弾の穴だらけで衝撃を受けました。戦争は突然非日常になるのではなく、自分たちと同じように暮らしていた人たちの、その日常自体がだんだん狂っていくんじゃないか、と感じました。

 私たちと同じように生きていた人たちを、どうにかして実感したい。その実感がなければ戦争を扱った映画も小説も遠い悲劇として消費してしまうのではないでしょうか。

 仲代さん みんながそう考えてくださるといいんですが(笑い)。一緒に仕事をした黒沢明さん(映画監督)が遺言のようにおっしゃっていました。「人類が滅亡しない限り、人間が欲望を持っている限り、戦争はなくならないんだろうな」と。この国を守るためだけとなると戦争は起きる。

 柴崎さん 戦争についてのドキュメンタリーを見たり本を読んだりして、戦争は攻撃目的でなく「守るため」と言って始まるのだな、と私も感じます。一方で、戦争を体験された方のお話がなかなか伝わってきていないとも思います。

 仲代さん つらい体験は話したくないという思いがあるのでしょう。私は1945年5月、住んでいた東京の青山南町で空襲に遭い、近所の女の子と手をつないで逃げました。すると、手が突然軽くなった。彼女が焼夷(しょうい)弾を直接受けていたのです。数センチずれていたら私に当たっていたのですが。私はその子をきちんと葬ってやれなかったことをいまだに後悔しています。ああ今日は生き残った、明日も生き残れるのだろうか……その連続でしたね。

 柴崎さん 戦争体験者のお話を直接うかがうと、本で読むのとはまた違って、そこにいた人や生活を実感します。

 --映画や舞台で演じられる際、戦争体験の影響はありますか。

 仲代さん すごくありますね。敗戦の時は12歳で、国のために死ぬのが当たり前だと思っていた。ところが大人たちは敗戦を境に1日で親米派になった。強烈な不信感を持ちました。そのときのニヒルな感じが、役者になった根源となっています。だから負の役柄、世のあしき体制に抵抗するアウトローが好きです。

 あしき大戦への抵抗という意味では、足かけ4年かけた映画「人間の條件」があります。20代の時に参加した作品です。ある意味で反戦劇で、原作は五味川純平さんのベストセラー。私は主人公の梶を演じました。侵略した日本人が最後には悲惨な目に遭遇するという話ですが、名作は時空を超えて残る。今は、作り手側がエンターテインメント、どうやって面白くみせるか、に偏っている気がします。

 柴崎さん 近年の戦争に関する映画は、物語として分かりやすくなり過ぎているんじゃないか、と。戦争体験のある人がつくった作品は、関係性や価値観がとても複雑だと感じます。「人間の條件」は、9時間半もあるのに、実際の戦闘場面は1時間程度なんですよね。軍隊の不条理や絶望的な状況が描かれ、立場が逆転したり、戦争が終わったかどうかさえも分からないままさまよったり。善悪や被害者・加害者と割り切れない描き方に引き込まれました。もう一つ、強烈だったのは、飢餓、飢えの感覚です。

 仲代さん 戦争中も大変でしたが、戦後ですよ。5年以上は続いたと思います。日本全体が貧乏で飢餓状態でした。甘い物が欲しいと思うと歯磨き粉をなめたり、夢に見るのはいつも大福だったり。バナナを食べることができるなら死んでもいいと思いました。

 柴崎さん 現代からは想像できないすさまじい状況でしょうね。仲代さんの著書『未完。』でとても印象に残ったのは「これからは平等な時代だ」と意気揚々と話している先生たちが、給仕(用務員)をしていた仲代さんにコロッケを買ってくるよう頼んだのに、その買ってきてもらったコロッケを仲代さんには分けなかった話です。平等に希望をもちながら、すぐ側(そば)にいるおなかを空(す)かせた少年に思いが及ばない。

 仲代さん 人間の複雑性ですね。定時制高校に通いながら昼間は東京の中学校で給仕をしていたときの体験です。私が空腹なのはみんな知っていたはずですが。うらみがましく思ったりしましたね。

 --エンターテインメント性が求められるなか、柴崎さんは文学を通じて何をどう問いかけようとしていますか。

 柴崎さん 先に言いたいことがあってそのために戦争を題材として使うのではありませんし、戦争を体験した人の代弁者にはなれません。現在を生きている人間として、戦争をどうとらえることができるか、自分なりにやってゆくしかないと思っています。

 基本は人間に対する興味ですね。考えも行動も複雑な人間を知りたい。分かり合うというとつい考えを同じくすることと思いがちですが、むしろ違うからこそ面白いし、分からないからこそ知ろうとする。一人一人の人間への興味を忘れずにいることが、戦争を遠ざける最初の一歩ではないでしょうか。

 仲代さん 役者も同じですよ。人間を演じるわけですから、人間に興味を持たないと。芝居でも映画でもドラマでも、悪い奴(やつ)もいるが、その中に真実があることもある。負を持っている人間から真実をつかみ出す。一つの役をやるとき、この役は自分と同じ感覚を持っているなあ、しかしこの部分は違うなあと、そこは推理力でやる。

 --読者や観客の多くが戦争を知らない世代で、記憶の継承が課題になっています。

 仲代さん それでも人間は歴史を学びますし、想像力がありますから。そのために最期に、猛烈な反戦演劇なり、反戦映画を撮りたいですね。

 柴崎さん 小説にせよ映画にせよ、さまざまな表現の方法があります。見る人も、知らないからこそ知りたいし、映画も小説も想像力があるから成り立ちます。直接戦場を知らなくても、現在を生きる者として何かしら糸口はあるはずですし、戦争を考えることができると思っています。

 仲代さん 次世代は、何はともあれ戦争だけはやらない方がいい。「通常の軍事行為が取れないと、世界に相手にされなくなる」という人もいますが、いいじゃないですか。相手にされなくても。

 柴崎さん 「空気を読む」という言い方がありますが、空気を読み過ぎると、話し合いもできないし、何か一つのところに向かってしまいそうですね。

 仲代さん それが一番怖いですよね。【まとめ・鶴谷真、濱田元子】

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 ■人物略歴

 ◇なかだい・たつや

 1932年東京生まれ。52年俳優座養成所入所。56年「火の鳥」で映画本格デビュー。小林正樹監督「人間の條件」、黒沢明監督「用心棒」など巨匠作品の多くに主演。次代の俳優育成へ、75年に妻宮崎恭子さんと創立した「無名塾」は今年40周年。新入塾生募集中。芸術選奨文部大臣賞など受賞多数。2007年文化功労者。

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 ■人物略歴

 ◇しばさき・ともか

 1973年大阪市生まれ。大阪府立大で人文地理学を専攻し、機械メーカー勤務。2000年『きょうのできごと』でデビュー。07年『その街の今は』で織田作之助賞大賞、昨年『春の庭』で芥川賞を受賞。ある土地や建物の時間の蓄積を通し、人間同士の見えない縁を描き出すのを持ち味としている。
    --「創作の原点:戦後70年 俳優・仲代達矢さん、作家・柴崎友香さん」、『毎日新聞』2015年01月13日(火)付夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150113dde018040019000c.html:title]


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覚え書:「ひと:遠藤美幸さん 『戦場体験』を聞き続ける」、『朝日新聞』2015年01月14日(水)付。


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ひと:遠藤美幸さん 「戦場体験」を聞き続ける
2015年1月14日

 もともと戦争には全く興味がなかった。

 きっかけは2001年夏。日本航空の客室乗務員を経て結婚、子育てをしながら慶応大大学院で英国史を研究していた時だ。日航時代に機内で声をかけられ、親しくなった日航OBから、突然、段ボール箱が送られてきた。

 4万人の中国軍に包囲され、日本軍1300人が全滅した1944年の中国雲南省の「拉孟(らもう)戦」での日誌や写真が入っていた。OBは空中補給を担当した飛行隊長だった。「壮絶な玉砕戦があったことを後世に伝え残してほしい」という手紙に背中を押された。

 軍隊用語も階級も知らず、一から教えを請い、生き残った元将兵ら約30人を尋ね歩いた。大学の非常勤講師のかたわら、戦友会の世話人をするなどつき合いを深め、血と汚物にまみれた死体の中での戦いや、前線にあった慰安所のことなど生々しい証言を集めた。

 昨年、「『戦場体験』を受け継ぐということ」(高文研)を出版。13年かけ拉孟戦の実相を明らかにした。90歳を超えた元将兵らの「書いてくれてありがとう」という言葉が何よりもうれしい。

 今年は戦後70年。「戦争は多面的で矛盾に満ちている。すごく難しいが、戦場体験をできる限りリアルに残すことが大切だと思う。自分を消して、耳を傾け続けたい」。残された時間は少ない。

 (文・大久保真紀 写真・西田裕樹)

     *

 えんどうみゆき(51歳)
    --「ひと:遠藤美幸さん 『戦場体験』を聞き続ける」、『朝日新聞』2015年01月14日(水)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11549126.html:title]


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「戦場体験」を受け継ぐということ
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吉野作造研究:〔ご案内〕吉野作造記念館 開館20周年記念式典 基調講演「晩年の吉野作造」(=三谷太一郎先生)のご案内。

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〔ご案内〕吉野作造先生のお誕生日の1月29日、吉野作造記念館開館20周年記念式典開催(パレットおおさき、13時~)。三谷太一郎先生が、基調講演(「晩年の吉野作造 -国内および国際情勢の変化への対応-」)されます。 

講演会の参加には、電話での申し込みが必要になりますが、お近くの方はぜひ。

[http://www.yoshinosakuzou.jp/:title]


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覚え書:「ニュースの扉:佐伯一麦さんと歩く神戸・長田区 「復興」が持ち去った下町の根っこ」、『朝日新聞』2015年01月12日(月)付。


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ニュースの扉:佐伯一麦さんと歩く神戸・長田区 「復興」が持ち去った下町の根っこ
2015年1月12日

(写真キャプション)大正筋商店街を歩く佐伯一麦さん。シャッターの閉まった商店が目立つ=神戸市長田区

 阪神大震災が起きてから、20回目の1月17日を迎える。神戸の繁華街に震災の痕は見あたらなくなった。「復興」によって失われたものはないのか。東日本大震災からも間もなく5年目。被災地、仙台に住む作家の佐伯一麦(かずみ)さん(55)と、神戸市長田区を訪ねた。

     *

 神戸市中心街から電車で約10分。JR新長田駅を出ると、店と店がデッキで結ばれた商店街が現れた。高層マンションも並ぶ。佐伯さんは「都会の郊外には、どこにでもあるような街並みだよね」と街を見上げた。

 20年前、辺りは多くが木造の戦前から続く商店街だった。だが震災直後に起きた火災に包まれ、大半の店は焼け落ちた。

 そのわずか2カ月後、市は復興計画をつくった。再開発は市の念願だった。2710億円を投じる復興事業「アスタ新長田」。説明資料には《21世紀の神戸の発展の核とすべく、神戸市が全力をあげて再開発に取り組んでいます》とある。

 商店街はシャッターが下りた店が目立つ。「ご愛顧ありがとうございました」と店頭に掲げる衣料品店もある。うどん屋の男性がぼやいた。「前は年寄りが住みやすかったん。でもマンションになって人が減った。昔は店がすし詰めの路地に、人が行き来しとったのに。再開発は失敗だったんやろ。下町の根っこごと持ってかれてしもうた」

 佐伯さんは「慣れない高層マンション暮らしは、年寄りにはきつい。ここで生きてきた人の再建を妨げるよね」と漏らす。

     *

 建物には人の暮らし方が表れる。例えば昔の一軒家は、子どもの成長にあわせて建て増したり、改築したりしていた。病院などにも増築した「ジョイント」があった。「『継ぎはぎ』でやってきたのが、戦後日本の暮らしだった」。だから路地にも生活感や味わいがあった。

 だがバブル期のころから「継ぎはぎ」は「建て直して再開発」という動きに変わった。震災の起きた1995年は、パソコンの基本ソフト「ウィンドウズ95」の発売と重なる。パソコンも、スマホも、古くなると交換する。歳月が「良いもの」として流れなくなった20年――。

 「街も古いと取りかえる。見栄えはいいけど、どこにでもある街ばかりになったよね。若い人だって、こぎれいで画一的な街をそんなに求めているのかな」

 商店街を進むと、1本だけ電柱があった。脇に立つれんが混じりのビルの壁には「昭和59年」の文字。入居する店の女性は「震災の時はすぐそこまで火がきたが、焼け残った」と説明してくれた。佐伯さんはビルに目をこらす。「震災前の風景や、人の暮らしが続いていることが大事だよね。ここは新しい街と古い街の差が見える『つなぎ目』。ほっとするでしょう」

 そして、東日本大震災の津波被害に遭った沿岸部に思いを寄せた。土地のかさ上げが進み、巨大な防潮堤が築かれようとしている。「陸地と海の境にも『つなぎ目』はある。野鳥が来ているところも工事で生態系を壊して、すっぱり遮断してしまう」

     *

 ビルから5分ほど歩くと、再開発されていないアーケード街に出た。路地に「丸五市場」の看板。屋台が集まったような木造の商店街だ。「庶民はごみごみしたところに愛着を覚えるんだ」。自然と足が向く。

 ただ、そこもシャッター通り。戦後から続く履物店を閉じるという女性は「震災後に人がいなくなった」と嘆いた。

 「何でも経済優先になって、我々も『スクラップ・アンド・ビルド』の精神にやられてしまったところがある」と佐伯さんは感じる。大きなもうけが出なくても、小さな店が物を作って売るささやかな喜びもあるはずだ、と。「復興にも多様性を認めないとね。箱物をデン、と作るのは、多様性とは正反対のやり方だと思う」

 (文・高津祐典、写真・水野義則)

 ■佐伯の目 歳月の良さ、感じられる社会を

 歳月は、良いものでもある。少しずつ商いを広げ、小さいお店を改修して、増築する。そういうつなぎ目に人間の工夫があった。取り壊すと、その歳月は見えなくなるし、高層ビルは歳月による変化が見えにくいよね。

 歳月を積み重ねた充実感は人間の感じ方にもあって、それが小説の表現として厚みを与えていたこともあった。

 今は何でも、ちょっと古いものは変えてしまう。熟練のようなものを求めなくなってしまった。この20年は「失われた20年」とも重なる。かけがえのないはずの歳月をそう呼ぶことも、歳月を重んじない表れかもしれません。

 成長を前提にした1億人規模の復興より、例えば7千万人の規模に見合ったやり方もあるんじゃないかな。人間が強くあればいい、という方向に向かわずに。中国とは別のやり方で存在感を示せばいいんじゃないかな。弱くてもいいじゃない。

 商店街も駅前はチェーン店ばかり。奥に行けばいくほど味わいがあった。でも路地裏の商店街のような建物はなくなっていってしまう。高齢化や地方経済といった問題が、被災した弱いところから露骨に表れてくるしね。単なる郷愁だけでは続かないし、根本的に考え方が変わらないと駄目なんじゃないかと思う。

 日本はこういう国土だから、一生に1度くらいは災害に遭う可能性が高い。大きい災害に遭うと、ほかの被災地への想像力も生まれる。神戸に「失敗した」という声があるなら、東北の復興にもいかしてほしい。

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 さえき・かずみ 1959年仙台生まれ。著書に「鉄塔家族」(大佛次郎賞)、「ノルゲ」(野間文芸賞)、「還れぬ家」(毎日芸術賞)など。

 ◆キーワード

 <阪神大震災と神戸> 1995年1月17日早朝、マグニチュード7・3の揺れが襲った。神戸市は死者4571人、行方不明者2人を出した。全壊6万7421棟、半壊5万5145棟。火災により6965棟が全焼した。JR新長田駅のある神戸市長田区は、921人が死亡。火災による被害が大きく、市全体の被害の7割にあたる4759棟が全焼した。

 ◇ニュースの扉は毎週月曜日に掲載します。次回は「ガレッジセール・ゴリさんと訪れる沖縄」の予定です。
    --「ニュースの扉:佐伯一麦さんと歩く神戸・長田区 「復興」が持ち去った下町の根っこ」、『朝日新聞』2015年01月12日(月)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11546561.html:title]


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日記:「日本の名誉回復」には何が必要なのか


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『世界』(岩波書店)2月号掲載の「『慰安婦』問題 『日本の名誉回復』には何が必要なのか」(R・ツェルナー・ボン大学)読む。

歪んだ問題の所在と日本社会の自己認識と国際社会の理解との乖離を、わずか6頁でその要点をまとめた寄稿。安倍首相の悲願はむしろ日本の国際的イメージの低下招くと指摘しています。
※それでもだいぶ相手さんに譲った議論なんですけどね

なぜか。

1)学術の世界で「吉田証言」は歴史的価値がなく論拠として使用されていない(朝日の記事撤回で「従来の研究内容が見直されることはあり得ない」。

2)「性奴隷」と「強制」に関する国際社会の常識(例えば人身売買も含む)を理解していない。人権問題や倫理の議論からの離脱は日本の孤立を招く。

3)河野談話から(お詫びの手紙を出し続けた)小泉純一郎に至る歴代内閣の「良心的な態度」は国際社会から高く評価されてきた。その取り消しは政治家だけでなく日本国民が「人道を尊重し、信頼に足るもの人々」なのかどうかということを覆すことになろう。

それでは、日本の名誉と信頼はどのように回復可能なのか?
「良心的に史実を究明し、研究成果を素直に認め、文明人に相応しい、いたわりの心と礼儀を以て犠牲者の苦しみに心を寄せる、それこそが肝心ではないか。嘘をつかず、つまらない弁解をせず、相手に新しい傷を負わせることをしない」努力によって、それははじめて可能になる。

4)ドイツとの協働:ドイツは強制労働・絶滅収容所、ナチの略奪など戦争犯罪の問題では成功を収めたが、慰安所(占領下含む)やレーベンスボルンなど戦時下の性暴力に関する態度は曖昧。だからこそ、今こそ、日独が蓄積してきた知識と知恵を共に生かし人道的な対策を協働すべきではないか。「ただし、急いだ方がいい。もう時間はあまり残されていない」。


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覚え書:「オピニオン:食に学ぶ 辻調理師専門学校校長・辻芳樹さん」、『朝日新聞』2015年01月10日(土)付。

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オピニオン:食に学ぶ 辻調理師専門学校校長・辻芳樹さん
2015年1月10日

(写真キャプション)「料理人の発信に、食べる側はポピュリズムに陥ることなく批評する。それが食文化を支える」=伊藤菜々子撮影

 世界的に和食の存在感が高まっているという。しかし、異文化を生きる人々の味覚に和食のおいしさは本当に届いているのか。食のグローバル化が進む時代に、国境を越えて心を揺さぶる料理人を育てるには何が必要なのか。日本と世界で食のプロを育てている辻芳樹さんに、新年シリーズの締めくくりとして、「食」に学ぶ意義を聞いた。

 ――米国の著名なシェフ、デビッド・ブーレイ氏と共同でニューヨークに和食店「ブラッシュストローク」をオープンして4周年を迎えます。トマトから作られる「トマトウォーター」をだしの代わりに使っているそうですね。

 「はい。工夫しないと和食になじみのないお客様は喜んでくれませんから。例えば、現地の銀だらを西京焼きにすると、身がパサつき、しかも魚独特のにおいがきつく感じられ、嫌われます。においの元である魚の水気を抜いてトマトウォーターに漬け込み、その後みそ漬けにして低温でじっくりと焼きあげると、しっとり感とうまみが出て、多くのお客様に理解しやすくなります」

 ――反応を見ながら、様々な試行錯誤を繰り返しているんですね。

 「和食ブームと言われていますが、異文化の壁を乗り越えるのは簡単なことではありません。日本人が『これが本物の味だ』と押しつけても、外国人にその味は届かないことが多いのです。異文化で受け入れられるには『変換力』が必要です」

 ――外国人は昆布やカツオ節のだしをおいしいと思わないのですか。

 「いえ、決してそんなことはありません。ただ、味を理解してもらうには段階を踏む必要があります。最高級の昆布とカツオ節のだしを使ったお椀(わん)でも、味覚の習慣が違うために最初はなかなかおいしいとは思ってもらえない。そこでまず新鮮な野菜をペーストにして、彼らになじみのある鶏のだしでのばす『すり流し』を食べてもらう。次は鶏だしを昆布とカツオ節のだしに置き換えた野菜を使ったすり流しにする。そうやってお客様の頭の中で徐々にお椀のおいしさにアプローチしてもらい、最後はストレートに昆布とカツオ節のだしの真価に気づいてもらう。こうしたステップを踏まれた常連の方は、本格的な清汁(せいしゅう)仕立ての透明なお椀を好むようになります。和食のフレーム(枠)は壊さず、異文化の地でおいしさを伝えていくことは、非常に手間がかかるのです」

 ――和食の独自性を守るためには、むしろ、国内にとどめておいた方がいいのではありませんか。

 「守ろうとして守れる時代でしょうか。距離に関係なく、和食のレシピなど様々な情報がネットで簡単に手に入ります。グローバル化が進む料理界では、料理技術の革新も大変な速度で進んでいます。伝統を単に守るだけの姿勢では変化から取り残され、『井の中の蛙(かわず)』になって活力を失う危険性があります。むしろ、外に開かれた精神が和食の革新と進化を支えているのではないでしょうか。外部から鍛えられた伝統こそが世界に通用すると考えています」

 「明治時代に肉食、牛乳やチーズなどの食文化が日本に浸透しました。日本人は外来の食文化を換骨奪胎し、トンカツ、カレーライスといった『日本の洋食』として昇華させました。カリフォルニアロールなんて和食でないといった批判も聞きますが、現地の味覚に順応されることに、目くじらを立てる必要はないと思います。和食ブームが続く限り、地域の嗜好(しこう)に順応する流れは止まりません。そんな和食と肩を並べて、正統な和食が定着するには、きちんとした教育が必要になります」

     ■     ■

 ――日本の辻調グループで学ぶ海外留学生は、7年前の5倍の約140人に増えているそうですね。

 「ハングリー精神に感動します。ある韓国の男子学生は、料理の基本となる大根のかつらむきでトップクラスの腕前です。切った大根を新聞にのせると、その下の活字が読めるぐらい。上達の理由を聞くと、自宅で深夜まで練習しているという。日本語も流暢(りゅうちょう)です。周りの日本人学生も彼の熱意、努力を認めています」

 「海外の日本大使公邸で内外の要人をもてなす『公邸料理人』が、慢性的な人材不足に陥っています。大使公邸は、和食を発信する最前線です。辻調は1993年から教師をタイに派遣し、和食店で働くタイ人を公邸料理人として育成するプログラムを実施しています。タイ人の卒業生たちは、季節感を大切にし、だしや素材のおいしさを引き出す和食のフレームを理解しています」

 「ニューヨークに店を出したのは、こうした料理教育の国際化への対応が最大の目的です。日本料理の教師数人を派遣し、現場で外国人に技術を教え、変換力を駆使してメニューを考えてもらう。そこで得た知識や経験を授業で活用します。海外での知見が、世界で活躍する料理人を育てるたたき台になります」

     ■     ■

 ――世界で通用する一流の料理人を育てるには、どんな力を伸ばしてあげることが必要なのでしょうか。

 「自分の頭で考える力です。もちろん、プロとして必要な調理技術を習得することが大前提です。その上で大切なのが、考える力です」

 「プロの世界に飛び立ったときに、言われた通りの仕事をするだけでは単なる労働力としてしか扱われず、やみくもに苦労を重ねる恐れがあります。現場の状況変化を機敏にとらえ、解決策を考える力があれば欠かせない人材になる。一つのレシピからいくつもの料理を展開させる道筋を考える力が必要です。それは他の分野の技術者でも、企業人でも変わらないのではないですか」

 ――「考える力」を伸ばすためにどんな授業をしているのですか。

 「逆説的ですが、教えない授業です。そして、学び合う授業というコンセプトを重視しています。何から何まで教師が一方通行でたくさんの知識・情報を与えてしまうと、学生は考えなくなってしまう。2年目の『シミュレーション実習』という授業では、店を開いているのと同じ状況で料理や接客をしてもらいます。料理を提供した学生たちとは別の学生たちが客となって、『何が足りなかったか』を分析させて、『どうしたら良くなるか』を議論してもらう。現場の教師たちは、学生たちの議論が合理的に展開し、人格攻撃にならないように上手に誘導します」

 ――どんな哲学を持った料理人を育てたいと思っていますか。

 「料理の力は皿の上だけにとどまりません。スローフードのムーブメントを巻き起こした米国のアリス・ウォータースのように、社会や地域のあり方、価値を変えることができます。料理を通して社会を変える次世代のリーダーを育てるにはどうしたらいいのかを模索しています」

 「2016年度から辻調理師専門学校では従来より1年長い『3年制』を導入する計画です。柱となるカリキュラムを作るためのプロジェクトで、食の領域で新しい取り組みをする料理人や生産者を訪ね、その哲学と実践に触れています」

 「例えば、辻調の卒業生で福島県いわき市でフランス料理店を営むシェフの萩春朋(はるとも)さんは、東日本大震災直後に、風評被害で地元食材がなくなってしまうという強い危機感を抱くとともに、地元産物こそが宝物だと気づきました。地元の生産者を訪ね歩き、価値観を共有するために自分自身も農業を勉強しました。仲間になった生産者から仕入れる野菜で料理をつくり、話し合いながらジャムやドレッシングなどの開発も手がけるようになり、地域にとって欠かせない存在になりました。彼の料理を食べて、『方向性は間違っていない。このまま研鑽(けんさん)を続けて欲しい』とエールを送りたくなりました」

     ■     ■

 ――グループ創設者で父親の静雄氏は、日本を代表するフランス料理研究家でした。校長自身は静雄氏からどんな教えを受けましたか。

 「自分がやりたいことをとことん追求した人でした。父は作家、哲学者、音楽家など超一流の方々と親交があったせいか『僕は何もできない』と繰り返し語っていました。ここで話は終わらない。最後に『お前はもっとできない』と僕を見る。『自分の話じゃなかったのか……』とそのたびに嫌になった。母は父にもまして厳しかった。両親からほめられた記憶はほとんどありません」

 「12歳で渡英し、スコットランドの学校で寮生活を始めました。異文化の地に一人。振り返ると、『自分の限界を知れ』というのが両親の教えだったと思います。限界まで追いつめられたとき、人は自分のことをよく理解できる。どこを伸ばせばいいのかもわかる。間違ってもうぬぼれたり、調子に乗ったりするな――。それが両親の教えでした」

 「料理人は高貴な職業です。本物にこだわれば、食材は高価になり、働く時間も長くなる。そんな矛盾に悩みながらも、謙虚に本物を探求し続けるからです。だから、学生には生涯を通して学び続ける姿勢を身につけて欲しい。教師も学び続ける姿勢を示さないと見本になりえません。この高い目標を実現するため、父親の代からずっと建学の精神として『ドケンド・ディスキムス』(ラテン語で、教えることによって学ぶという意味)を掲げているのです」

 (聞き手・古屋聡一)

     *

 つじよしき 64年生まれ。93年に創立者の辻静雄氏の跡を継ぎ、辻調グループを率いる。著書に「和食の知られざる世界」「美食のテクノロジー」。
    --「オピニオン:食に学ぶ 辻調理師専門学校校長・辻芳樹さん」、『朝日新聞』2015年01月10日(土)付。

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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 引き立て役に徹しよう=湯浅誠」、『毎日新聞』2015年01月07日(日)付。

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暮らしの明日
私の社会保障論
引き立て役に徹しよう
「予防的支援」の拡大
湯浅誠 社会活動家

 サッカーでシュートを放つ選手にパスを出すことを「アシスト」と言う。よいアシストがよいシュートを引き出す。ゴールを決めたとき、その選手が最初に抱き合うのはアシストしてくれた選手だ。
 テレビ番組のメインキャスターを補佐する人を「アシスタント」と言う。「アシストする人」という意味だ。押さえるべきコメントを忘れず、進行に気を使いつつ、メインキャスターを引き立てる。
 サポートという言葉もアシストに近い。映画位の世界で助監督はアシスタントディレクターと言う。同じ「助」の字を当てられているのは、意味が近いからだろう。名脇役は、出しゃばらずに主役を引き立てながら、映画全体を引き締める。
 さて、福祉の世界では「支援」という言葉があり、支援する人のことを「支援者」とも呼ぶ。英語ではサポート、アシスタントということになるだろう。ところが「支援」「支援者」と言ったとたんに、どこか「手とり足とりお膳立てすること、あるいは人」または「できないことを指導し、教えてやること、あるいは人」というイメージがまとわりつく。また、そのように振る舞う支援者も実際にいる。
 これは困ったことだ。誰が脇役だかわからなくなってしまうし、何よりも支援されることを嗤う人を大量に生み出してしまう。
 お膳立てされる、指導されると思えば、それを受け入れる前提とは「自分が無力であること」となりかねない。それが前提となれば、抵抗感を抱くのは自然な感情だ。いきおい「他人のお世話になりたくない」「まだ自分でやれる」という反発に近い反応を引き出してしまう。
 アシストされたくないフォワードも、脇役を不要とする主演もいないのに、支援を不要とする要支援者は増えてしまう。これではいけない。
 これからは「予防的支援」という領域が増大していく。特に今年は、4月から生活困窮者自立支援法に基づく各種の施策が全国で本格実施され、また介護保険の要支援者が自治体対応に切り替わる。力のある人たち落ち込んでいかないためのサポートが重要になっていく。力のある人たちは、力があるがゆえに「支援」を嫌う。
 嫌われない支援が必要だ。そのために、今年は「支援」ではなく「アシスト」「サポート」という言葉を使おう。「支援」という言葉を聞いたら「サポートですね」と言い直そう。そんなところから立て直すことを、今年一年の計にしてみようと思う。
要支援者向けサービスの移管 昨年成立した地域医療・介護確保法に伴い、介護の必要度が最も低い「要支援1、2」の人(約150万人)を対象とした事業のうち、大半を占める家事援助、デイサービスといった訪問・通所サービスが、2015年度から3年かけ市町村の事業に移管される。自治体側の受け入れ体制の問題が指摘されている。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 引き立て役に徹しよう=湯浅誠」、『毎日新聞』2015年01月07日(日)付。

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日記:福沢諭吉生誕180年にして想う

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 悪友を親しむ者は悪名を免かる可らず、我は心に於てアジア東方の悪友を謝絶するものなり[福沢 一九七〇]

 以上が福沢諭吉の「脱亜論」の要旨です。彼の中国・朝鮮への失望感が如実に表れ、その落胆が「アジア東方の悪友を謝絶するものなり」という痛烈な批判に繋がっているのがよくわかります。
 諭吉は一部の改革派への期待と援助を持続させますが、一方で中国・朝鮮を見限り、憤りと諦めがないまぜになった姿勢を取り始めました。彼は一連のプロセスのなかで開化派への期待と思い入れが大きかったぶん、甲申事変のしっぱによって大きな徒労感を抱くことになりました。
 しかし、です。
 この諭吉の挫折の延長線上に、本格的なアジア主義が芽生えることになりました。金玉均・朴泳孝という開化派の日本亡命は、自由民権運動の志士たちの関心の的となり、開化派を支援しようという動きが拡大しました。
 その人脈のなかに、初期アジア主義を主導する玄洋社メンバーがいました。彼らは、金玉均の存在からアジアの「反封建運動」の連帯の重要性を察知し、その卓越した行動力でアジア主義運動を展開していくことになります。
 一八八五年。
 金玉均が日本に亡命し、活動を再開させたこの年に、日本の本格的なアジア主義は始動するのです。
    --中島岳志『アジア主義 その先の近代へ』潮出版社、2014年、100-101頁。

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1835年の今日1月10日は福沢諭吉の誕生日。

その啓蒙と近代市民社会の構想とアジア連帯の理想をどのように掬い上げていくのか。
福沢以降の近代日本の歩みとは一言で言えば、そのゆがみとねじれであるがだけに、その未完の理想を、丸山眞男宜しく引き受けながら、未来を展望することは、私たちの課題かも知れません。

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覚え書:「発言 海外から:ドイツの脱原発と宗教=ウルリヒ・フィッシャー 独プロテスタント教会前司教」、『毎日新聞』2015年01月06日(水)付。

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発言
海外から

ドイツの脱原発と宗教
ウルリヒ・フィッシャー 独プロテスタント教会前司教

福島第1原発事故が起きた後、ドイツは2022年までに段階的に原発を停止することをきめた。この決断から15年で4年が経過するが、ドイツの脱原発の背景には、声を上げ続けた宗教界の役割も見過ごせない要素としてある。
きっかけは1970年代だ。南部ライン川沿いお町ウィールで、原発建設計画が持ち上がり、地元農民が反対運動を始めた。当時はまだキリスト教が地域の農村に深く根付いており、教会も農民たちとしばしば行動を共にした。こうした経緯があり、ドイツでは徐々に教会もエネルギー問題に関与していった。
プロテスタント信者が守るべきものは三つある。平和、公正、そして自然や人間といった神が創造したものの保全だ。神の創造物を次世代に残す責任がある以上、その生存に影響を及ぼす原発からの脱却は需要となる。核のゴミ捨て場となる最終処分場すら決まらないのに、原子力を使い続けることも疑問だ。
「フクシマ」の後、メルケル政権は原発の是非を検討し、勧告する首相の諮問機関「倫理委員会」を設置した。政府は学者や政治家だけでなく、宗教界の意見も重視し、カトリックの代表者と共に私も17人の委員の一人に選ばれた。
原発の是非は結局、リスク評価の問題だ。私たちは原発自体のリスクに加え、脱原発を進めた際の経済へのダメージなど「原発を止めるリスク」も議論した。近代産業国家は原発なしでやっていけるのか。こうした比較が主要なテーマとなったが、今のドイツは原発事故が起きた際のリスクに耐えられる準備がとてもできていない。原発賛成派の委員のもこの点を認め、リスクをよく比較検討した結果、原発を止めるしかないとの結論を導いた。カトリック代表者も意見の違いはなかった。
むしろ同じプロテスタントでも、意見が異なるのは外国の信者だ。例えば原発大国フランスの信者には、違う考えの人が多い。もちろん外国に強制はできない。このため、欧州全体のプロテスタント教会としては、統一見解を出すのが困難になっている。
ただ、原子力利用は人類が越えてはいけない一線ではないか。アダムとイブは「善悪の知識の実」を食べることを禁じられたが、これを破り、楽園を追われた。原子力も禁断の木の実と同じではないだろうか。【構成・篠田航一】
    --「発言 海外から:ドイツの脱原発と宗教=ウルリヒ・フィッシャー 独プロテスタント教会前司教」、『毎日新聞』2015年01月06日(水)付。


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吉野作造研究:社会経済的な格差の是正のための政治的平等を目指した民本主義


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「民本主義」の党か「資本家」の党か
 一九二〇年に全国的に盛り上がった普通選挙運動が東京、大阪、京都、神戸をはじめとする都市部を中心とするものだった以上(松尾尊兊『普通選挙制度成立史の研究』一五四~一五五頁)、約三四〇万人の都市中間層の多くが普通選挙法を成立させた憲政会の支持者になったことは、容易に想像できるところである。憲政会やその後身の民政党も農村に地盤を持っていたことは確かである。しかし、同党が政友会と対等に渡り合える大政党になりえた主因は、この都市中間層の増加によるものと思われる。その意味では、本章の冒頭で紹介した、一九一四年五月の吉野作造の指摘が現実のものになったと言えよう。
 問題は、新たに政党政治の一極となった憲政会(民政党)と新たに有権者となった都市中間層とが、都市部の上層部に近づくか下層部に接近するかにあった。前者の途を採れば「資本家の時代」が到来し、後者を択べば「社会民主主義の時代」への途が拓かれる。
 実は、普通選挙の提唱者吉野作造が普通選挙法成立の九年前(一九一六年)に主張した「民本主義」とは、後者の途を示したものであった。今日では高校教科書にも名前だけは登場するこの「民本主義」のなかで、吉野は次のように論じている。

 「抑も社会主義が資本家に対して抗争する所以の根本動機は、是れ亦社会的利福を一般民衆の間に普く分配せんとするの精神に基づく。此点に於て社会主義は又民本主義と多少相通ずるところないでもない。(中略)経済上の優者劣者の階級を生じ、為めに経済的利益が一部階級の壟断に帰せんとするの趨向は、是れ亦民本主義の趣意に反するものなるが故に、近来の政治は、社会組織を根本的に改造すべきや否やの根本問題まで遡らずして、差当り此等の経済的特権階級に対しても亦相当の方法を講ずるを必要としている。所謂各種の社会的立法施設は即ち之れである」(『吉野作造著作集』第二巻、四一~四二頁。)

 「経済上に優者劣者の階級を生じ」ることが「民本主義の趣意に反する」と吉野は明言しているのである。今日の言葉で言えば「格差の是正」が、「民本主義」の目的の一つであり、観方によっては普通選挙制という「政治的平等」は、社会経済的な格差の是正の手段だったのである。
    --坂野潤治『<階級>の日本近代史 政治的平等と社会的不平等』講談社選書メチエ、2014年、93-95頁。

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吉野作造の教え子世代になる政治学者・蝋山政道の回想をして吉野作造の限界とは何かと誰何すれば、吉野が実践に惑溺するばかり、政治「理論」構築への関心を失ったことという指摘がある。

まだ同時代の社会改良の伴奏者たちは、吉野作造の民本主義は「古くさい」とし、いわゆるボルシェビキ式の革命へ激送してしまった。

しかし、果たして、政治『理論」の構築へ関心を失ったということは、吉野作造の思想と実践において、果たして瑕疵だったのかと問えば、それはイエスでもありノーでもあろう。なぜなら、現実を離れて政治理論は存在しないし、政治理論が現実と切り離されて遂行されても意味がないから関心を抱かなかったとすればそれはイエスであろう。しかし、吉野作造の著作をひもとくと、たしかに全体としての「体系」構築へ意欲は薄いが、現実の批判理論となっていることは否定できないからノーであろう。

そもそも体系としての理論と現実世界の二項対立こそ「プロクルーステースの寝台」に他ならない。

そして吉野作造の民本主義は果たして同時代史的にも「古くさい」のかと誰何すれば、それはまさに「誤読」としかいいようがない。

吉野は1916年1月の『中央公論』に「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表し、大正デモクラシーの旗手として注目を集めた。しかし、早くから主権の所在を不問にしたデモクラシー論ばかりが批判の矢面に立たされ、その「社会的利福」増進の価値はスルーされたままだ(※1。
※1 吉野は民本主義の弱点の修正として2年後に「民本主義の意義を説いて再び憲政有終の美を斉すの途を論ず」を発表、目的としての民本主義(民衆の利福増進)を絶対的目的として措定することを取り下げるが、これも単純に「撤退」と捉えるのは早計であろう。大正晩年から昭和初期にかけての吉野の無産政党への支援と実践は、「撤退」を意味していない。

戦前日本における社会改良の運動が先鋭化のあげく、地下活動そして滅亡という経緯を考えれば(その実践と思索が全く無価値ではないことは勿論いうまでもないが)、吉野の体制内での漸進主義的改良と、構造に「依存」しないデモクラシーの実践は、決して「古くさい」ものではないし、民主主義の「中身」というものが、決して西洋からの輸入といった外発的規範などではなく、「内発的」「自前」のデモクラシーの思索と実践であったとすら言える。

歴史に学ぶとは何か。現在の立ち位置から、簡単にその値打ちを決めてしまうことなどではない。


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覚え書:「戦後70年 『戦』の『後』であり続けるために:岩波書店(広告)」、『朝日新聞』2015年01月01日(木)付(5面)。


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「戦」の「後」であり続けるために

「戦後」という言葉は、不思議な言葉です。
第二次大戦後も、世界で戦火の絶えたことはないからです。
しかし、私たちにとって、「戦後」は他の何ものにも代えがたい言葉です。
民主主義と自由、平和と豊かさに結びついているからです。
「戦争」への深い反省をもとに、「戦後」は始まり、70年という年月が過ぎました。
「戦後」をつくるために、多くの人たちが懸命に努力し、世代をつなぎました。
私たちもまた、「戦後」の精神を、次の世代につないでいきたいと思います。
               岩波書店


戦後70年

渡辺一夫の声が聞こえる
大江健三郎 小説家

 漱石は『こころ』の主人公の暗い生の終りに、自分の時代の精神は「明治の精神」だといわせて、次の世代の読者たちに、ひとつ明るい信号を送っている。そう私は思います。
 十歳で敗戦、二年たっての新憲法に、九条はもとより十三条もきみたちには明るいのだと、私は森の中の新制中学で教わりました。「すべて国民は、個人として尊重される」。それに励まされて、生活の苦しさは知っていながら私は母親に進学したいと頼んだのです。
 入学できた高校の町の書店に、発刊されたばかりの岩波新書は十数冊平積みされている。立読みした私は、渡辺一夫『フランスルネサンス斷章』を買い、その語りかけの声に引きつけられました。私は同じ著者の声『狂氣についてなど』も古本屋で見つけ、もっと個人的な強い声のとりこになりました。いまも持っている本から写します。
 《「狂氣」なしでは偉大な事業はなしとげられない、と申す人々も居られます。せはうそであります。「狂氣」によってなされた事業は、必ず荒廃と犠牲を伴います。真に偉大な事業は、「狂氣」に捕えられやすい人間であることを人一倍自覚した人間によって、誠実に執拗に執拗に地道になされるものです。》
五年たって本郷の教室で待ち受けている私らの前に現われ、外套はを床に置いて抗議を始められた先生は穏やかでユーモアのある方でしたが、その声はずっと私が先生の本に聞きとっていた通りの声でした……
 ここにさきの文章を書き写した後、その続きが、疲れて仮眠する老人に声となって伝わりました。それは古いテキストに久しぶりで接したからというのではなく、次つぎの文章がきわめてリアルに、私の今いる、かつてなかった苛酷さの現状に呼応するからです。先生の声が「狂気」という時、それは「三・一一」の悲惨さをもたらした構造についてであり、さらにあの日起こった国民的な反省を押しつぶしている強権についてです。
 「狂気」は避けねばならないし、他人を「狂気」に導いてもならない。冷静が、その行動の準則とならねばならない。《そして、冷静とは非行動と同一ではありませぬ。最も人間的な行動の原因となるものです。但し、錯誤せぬとは限りません。しかし、常に「病患」を己れの自然の姿と考えて、進むでありましょう。》
 私はこの声を新世代に贈ります。


平和と正義という目標を見失うことなく
ジョン・W・ダワー 歴史家

 第二次世界大戦集結から七十年のこの年の、なんという矛盾をつきつけられていることか!
 あの戦争はまるで古代史の出来事だったかのようです。この七十年をじっさいに生きてきた私のような者にさえもそう感じられます。その反面、たった今の状況、とくに日本、中国、南北朝鮮をめぐってくり広げられている激しい論争と対立は、そもそも第二次大戦に端を発したものなのです。
 歴史、「記憶」、ナショナリズム、政治が不可分になっています。東アジアだけでなく、アメリカでも、世界中どこでも。
 このような対立の時代に戦争終結を記念する年は、あの戦争とその後の二つの厳粛な側面について、一歩退いて考えるいい機会でしょう。ひとつは自分たちだけではなく他者の苦難と犠牲。もうひとつは、日本で今もしっかり根付いている理想主義、戦争から生まれた平和とよりよい世界への大いなる希望と夢。
 四五年八月の時点での死と破壊を世界的規模で把握することはほぼ不可能です。例えばアジア太平洋地域での死者数。記録が混乱していた中国では、戦争関連の死者数は千三百万、あるいはそれより何百万多かったとも推計されています。オランダ領東インド(インドネシア)では三百万から四百万が、フランス領インドシナ(ベトナム、カンボジア、ラオス)で百万から二百万が死亡し、フィリピンでは五十万から百万のあいだ、日本統治下の朝鮮人の死者は八万人からそれより何万人も多かったと幅があります。このどこでも、戦闘員より民間人のほうが多く亡くなりました。
 もちろん、日本の被害も甚大でした。しかし、七十より上の人たちを別にすれば、繁栄をきわめ活気にあふれた今日、一九四五年のこの国の荒廃ぶりを思い描ける日本人がいるでしょうか。広島と長崎への原爆投下前に、すでに六十四の都市が空襲で破壊されていました。陸海兵士二百十万人が死に、空襲、凄絶な沖縄戦、満州など大陸からの引き揚げ等で、民間人の死者数も百万近くに及んだはずです。
 アメリカだけが(真珠湾を別にして)直接攻撃をうけずに第二次大戦から抜けだし、経済的にも好調でした。戦死者はわずかな民間人を含め、およそ四十一万人。そのうち四分の一は対日戦線で戦った兵士でした。
 うちひしがれた日本は、このような凄まじい状況のなかで再出発の難業に立向かい、新憲法に具体化された「平和とデモクラシー」の理想に、社会のあらゆる層の人びとが奮いたったのでした。政治やイデオロギーの衝突は戦後日本にいくつもありました。しかし、じつに多くの日本人が豊かで平和を愛する社会を懸命に創りあげた、その草の根の回復力、規律、反戦の理想は、どれほど称賛してもしつくせるものではありません。
 この危うい時代に新年を迎えるにあたって、真摯で責任ある批判的学問の伝統が、平和と正義という目標を見失うことなく、理想主義の必要性と実際性への信念も失うことなく、世界中で栄えていきますようにと、心から願います。(田代泰子訳)
    --「「戦後70年 『戦』の『後』であり続けるために:岩波書店(広告)」、『朝日新聞』2015年01月01日(木)付(5面)。

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日記:二本の藁束か一本一本の藁か

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イヴァン・クリーマのチャペック伝を読む。

チャペックの生涯と作品全体を取り上げ深くその内面まで踏み込む浩瀚な評伝で、チャペックがプラグマティズムに関心を寄せていたことを本書で初めて知る。

原題は「大きな時代はそれと同じ大きさの惨劇をもたらす」。

本書を読み終え、警世の預言的立場が現実とどのように交差するのか、チャペックの苦悩からいくつか示唆を得ることが多々あるが、その一つが「二本の藁束か一本一本の藁か」ということ。先験的に何かが実在しないからこそ、時間のかかるそのしんどい手作業が必要になる。


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 同年末(1924年……引用者注)に『知らないことと、知ろうとしないこと』 Ignoramus a ignorabimus という文章を発表した。チャペックは、そのなかで悲愴なまでに公式化された、人生の相対主義的信念(クレド)をあらためてくり返している。唯一の正しい真理を知っていると信じている人間の「積極的参加は、主に他の意見にたいする激怒と、一定の基本的言葉の絶え間ないくり返しによって費やされる。」これらの人間に対して、チャペックは自分の理想を提示する。


さらに最悪で、困難なのはもう一つの「無関心」の道である。世界のどちら側に善ないし悪を発見できるかを前もって知らないのだ。その比較判断に準備がない。そういう人には失望が容赦なく襲ってくる。どんな希望も他人事ではない。二つの藁束を見るのではなく、何千本の藁を一本ずつ見るがいい。それによって選択の可能性は何千倍にもなる。藁を一本ずつ観察して、人間の世界で善なるもの、役に立つものを集める。一本ずつ見ながら、痛んだものや、雑草を取り除く。いかなる蟻の王様も助けにはやってこない。自分ひとりですべての作業をしなければならない。何千人かの一塊の弾圧に抗議するのではなく、一人一人の弾圧にたいして抗議する。何千もの真理を発見していくうちには、一つの真理を否定せざるを得ないこともある。君に世界を救済することはできない。なぜなら戦う者は見ることをやめてしまうからだ……。君の確信は原理のなかにではなく、事実のなかにある。原理にたいして不決断な者は、言葉にたいして懐疑的である。自分の目で見たものだけを信じるのだ。しかし疑い深いトマスのようにではない。なぜなら君が発見した傷はそのなかに指を突っ込むためにあるのではないからだ。最終的には完全なものがないなら、端的に人々を信じるしかない(9)。〔新約ヨハネによる福音書二〇・二四-二九〕
    --イヴァン・クリーマ(田才益夫訳)『カレル・チャペック』青土社、2003年、58-59頁。

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覚え書:「インタビュー2015:失われた平等を求めて 経済学者、トマ・ピケティさん」、『朝日新聞』2015年01月01日(木)付。

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インタビュー2015:失われた平等を求めて 経済学者、トマ・ピケティさん
2015年1月1日

(写真キャプション)トマ・ピケティさん=パリ、川村直子撮影

 自由と平等。民主主義の理念のうち、自由がグローバル時代の空気となる一方、平等はしばらく影を潜めていた。だがその間、貧富の差や社会の亀裂は拡大し、人々の不安が高まった。そこに登場したのが大著「21世紀の資本」。不平等の構造をあざやかに描いた著者のトマ・ピケティ教授は「私は悲観していない」という。

 ■競争がすべて?バカバカしい 平等と資本主義、矛盾しない

 ――あなたは「21世紀の資本」の中で、あまりに富の集中が進んだ社会では、効果的な抑圧装置でもないかぎり革命が起きるだろう、と述べています。経済書でありながら不平等が社会にもたらす脅威、民主主義への危機感がにじんでいます。

 「その通りです。あらゆる社会は、とりわけ近代的な民主的社会は、不平等を正当化できる理由を必要としています。不平等の歴史は常に政治の歴史です。単に経済の歴史ではありません」

 「人は何らかの方法で不平等を正そう、それに影響を及ぼそうと多様な制度を導入してきました。本の冒頭で1789年の人権宣言の第1条を掲げました。美しい宣言です。すべての人間は自由で、権利のうえで平等に生まれる、と絶対の原則を記した後にこうあります。『社会的な差別は、共同の利益に基づくものでなければ設けられない』。つまり不平等が受け入れられるのは、それが社会全体に利益をもたらすときに限られるとしているのです」

 ――しかし、その共同の利益が何かについて、意見はなかなか一致しません。

 「金持ちたちはこう言います。『これは貧しい人にもよいことだ。なぜなら成長につながるから』。近代社会ではだれでも不平等は共通の利益によって制限されるべきだということは受け入れている。だが、エリートや指導層はしばしば欺瞞(ぎまん)的です。だから本では、政治論争や文学作品を紹介しながら社会が不平等をどうとらえてきたか、にも触れました」

 「結局、本で書いたのは、不平等についての経済の歴史というよりむしろ政治の歴史です。不平等の歴史は、純粋に経済的な決定論ではありません。すべてが政治と選択される制度によるのです。それこそが、不平等を増す力と減らす力のどちらが勝つかを決める」

 ――最近は、減らす力が弱まっているのでしょうか。

 「20世紀には、不平等がいったん大きく後退しました。両大戦や大恐慌があって1950、60年代にかけて先進諸国では、不平等の度合いが19世紀と比べてかなり低下しました。しかし、その後再び上昇。今は不平等が進む一方、1世紀前よりは低いレベルです」

 「先進諸国には、かなり平等な社会を保障するための税制があるという印象があります。その通りです。このモデルは今も機能しています。しかし、それは私たちが想像しているよりもろい」

 「自然の流れに任せていても、不平等の進行が止まり、一定のレベルで安定するということはありません。適切な政策、税制をもたらせる公的な仕組みが必要です」

 ――その手段として資産への累進課税と社会的国家を提案していますね。社会的国家とは福祉国家のことですか。

 「福祉国家よりももう少し広い意味です。福祉国家というと、年金、健康保険、失業手当の制度を備えた国を意味するけれど、社会的国家は、教育にも積極的にかかわる国です」

 ――教育は不平等解消のためのカギとなる仕組みのはずです。

 「教育への投資で、国と国、国内の各階層間の収斂(しゅうれん)を促し不平等を減らすことができるというのはその通り。そのためには(出自によらない)能力主義はとても大事だとだれもが口では言いますが、実際はそうなっていません」

 「米ハーバード大学で学ぶエリート学生の親の平均収入は、米国の最富裕層2%と一致します。フランスのパリ政治学院というエリート校では9%。米国だけでなく、もっと授業料の安い欧州や日本でも同じくらい不平等です」

 ――競争が本質のような資本主義と平等や民主主義は両立しにくいのでしょうか。

 「両立可能です。ただしその条件は、何でもかんでも競争だというイデオロギーから抜け出すこと。欧州統合はモノやカネの自由な流通、完全な競争があれば、すべての問題は解決するという考えに基づいていた。バカバカしい」

 「たとえばドイツの自動車メーカーでは労組が役員会で発言権を持っています。けれどもそれはよい車をつくるのを妨げてはいない。権限の民主的な共有は経済的効率にもいいかもしれない。民主主義や平等は効率とも矛盾しないのです。危険なのは資本主義が制御不能になることです」

 ■国境超え、税制上の公正を 私は楽観主義。解決信じる

 ――税制にしろ社会政策にしろ、国民国家という土台がしっかりしていてこそ機能します。国民国家が相対化されるグローバル時代にはますます難しいのでは。

 「今日、不平等を減らすために私たちが取り組むべき挑戦は、かつてより難しくなっています。グローバル化に合わせて、国境を超えたレベルで税制上の公正を達成しなければなりません。世界経済に対して各国は徐々に小さな存在になっています。いっしょに意思決定をしなければならない」

 ――しかもそれを民主的に進める必要があります。

 「たやすいことではありません。民主主義の運営は、欧州全体という大きな規模の社会よりも、デンマークのような500万人くらいの国での方が容易です。今日の大きな課題は、いかにして国境を超える規模の政治共同体を組織するかという点にあります」

 ――可能でしょうか。

 「たとえば欧州連合(EU)。仏独が戦争をやめ、28カ国の5億人が共通の制度のもとで暮らす。そしてそのうちの3億人が通貨を共有する。ユートピア的です」

 ――しかし、あまりうまくいっているようには見えません。

 「ユーロ圏でいうと、18の異なった公的債務に、18の異なった金利と18の異なった税制。国家なき通貨は危なっかしいユートピアです。だから、それらも共通化しなければなりません」

 ――しかし、グローバル化と裏腹に多くの国や社会がナショナリズムにこもる傾向が顕著です。

 「ただ、世界にはたくさんの協力体制があります。たとえば温室効果ガスの削減では、欧州諸国は20年前と比べるとかなり減らしました。たしかにまだ不十分。けれど同時に、協力の可能性も示してもいます」

 ――あなたは楽観主義者ですね。

 「こんな本を書くのは楽観主義の行為でしょう。私が試みたのは、経済的な知識の民主化。知識の共有、民主的な熟議、経済問題のコントロール、市民の民主的な主権、それらによってよりよい解決にたどり着けると考えます」

 ■民間資産への累進課税、日本こそ徹底しやすい

 ――先進国が抱える巨大な借金も再分配を難しくし、社会の不平等を進めかねません。

 「欧州でも日本でも忘れられがちなことがある。それは民間資産の巨大な蓄積です。日欧とも対国内総生産(GDP)比で増え続けている。私たちはかつてないほど裕福なのです。貧しいのは政府。解決に必要なのは仕組みです」

 「国の借金がGDPの200%だとしても、日本の場合、それはそのまま民間の富に一致します。対外債務ではないのです。また日本の民間資本、民間資産は70年代にはGDPの2、3倍だったけれど、この数十年で6、7倍に増えています」

 ――財政を健全化するための方法はあるということですね。

 「日本は欧州各国より大規模で経済的にはしっかりまとまっています。一つの税制、財政、社会、教育政策を持つことは欧州より簡単です。だから、日本はもっと公正で累進的な税制、社会政策を持とうと決めることができます。そのために世界政府ができるのを待つ必要もないし、完璧な国際協力を待つ必要もない。日本の政府は消費税を永遠に上げ続けるようにだれからも強制されていない。つまり、もっと累進的な税制にすることは可能なのです」

 ――ほかに解決方法は?

 「仏独は第2次大戦が終わったとき、GDPの200%ほどの借金を抱えていました。けれども、それが1950年にはほとんど消えた。その間に何が起きたか。当然、ちゃんと返したわけではない。債権放棄とインフレです」

 「インフレは公的債務を早く減らします。しかしそれは少しばかり野蛮なやりかたです。つつましい暮らしをしている人たちに打撃をもたらすからです」

 ――デフレに苦しむ日本はインフレを起こそうとしています。

 「グローバル経済の中でできるかどうか。円やユーロをどんどん刷って、不動産や株の値をつり上げてバブルをつくる。それはよい方向とは思えません。特定のグループを大もうけさせることにはなっても、それが必ずしもよいグループではないからです。インフレ率を上昇させる唯一のやり方は、給料とくに公務員の給料を5%上げることでしょう」

 ――それは政策としては難しそうです。

 「私は、もっとよい方法は日本でも欧州でも民間資産への累進課税だと思います。それは実際にはインフレと同じ効果を発揮しますが、いわばインフレの文明化された形なのです。負担をもっとうまく再分配できますから。たとえば、50万ユーロ(約7千万円)までの資産に対しては0・1%、50万から100万ユーロまでなら1%という具合。資産は集中していて20万ユーロ以下の人たちは大した資産を持っていない。だから、何も失うことがない。ほとんど丸ごと守られます」

 「インフレもその文明化された形である累進税制も拒むならば大してできることはありません」

     *

 Thomas Piketty 1971年フランス生まれ。パリ経済学校教授。米マサチューセッツ工科大学助教授などを経て現職。不平等の拡大を歴史データを分析して示した「21世紀の資本」(邦訳、みすず書房)は世界的な話題に。同書より前に著した論文は、金融資本主義に異議を申し立てた米ウォール街でのオキュパイ運動の支えになったともいわれる。

 ■取材を終えて 「格差」という名の「不平等」 論説主幹・大野博人

 「格差」の問題を語るとき、英語やフランス語ではたいてい「不平等」という言葉を使う。ピケティ氏もインタビューでは「inegalite(不平等)」を繰り返していた。

 同じ状態を指すにしても、「不平等」は、民主主義の基本的な理念である「平等」を否定する言葉でもある。これがはらんでいる問題の広さや深刻さを連想せずにはおれない。

 「不平等」の歴史をたどり、その正体を読み解いて見せた「21世紀の資本」が、経済書という役割にとどまらず、著者自身が述べているように政治や社会について語る書となっていったのは当然かもしれない。また、読者も自分たちの社会が直面する問題の本質をつく説明がそこにあると感じたのではないか。

 同氏は資本主義もグローバル化も成長も肯定する。平等についても、結果の平等を求めているわけではない。ただ、不平等が進みすぎると、公正な社会の土台を脅かす、と警告する。

 そして、平等を確保するうえで必要なのは、政治であり民主主義だと強調する。政治家や市民が意識して取り組まなければ解決しない、というわけだ。

 たとえばインタビューで、フランスが所得税の導入で他国より遅れ、不平等な社会が続いたことを例にあげ、「革命をしただけで十分」と考えて放置してきたからだ、と指摘していた。

 この考えは、財政赤字の解決策としてインフレと累進税制を比較したときにもうかがえた。インフレ期待は、いわば市場任せ。それに対して累進税制も民間の資金を取り込むという点では同じ。だが、だれがどう払うのが公正か、自分たちで議論して考えるという点で、「文明化された」インフレだという。

 つまり、自分たちの社会の行方は、市場や時代の流れではなく自分たちで決める。「文明化」とはそういうことも指すのだろう。

 「不平等」という言葉の含意をあらためて考えながら、日本語の文章での「格差」を「不平等」に置き換えてみる。「男女の格差」を「男女の不平等」に、「一票の価値の格差」を「一票の価値の不平等」に……。

 それらが民主的な社会の土台への脅威であること、そして、その解決を担うのは政治であり民主的な社会でしかないことがいっそう鮮明になる。
    --「インタビュー2015:失われた平等を求めて 経済学者、トマ・ピケティさん」、『朝日新聞』2015年01月01日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11532155.html:title]


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覚え書:「今年を読む 来年を読む 虚構の世界を『生きる』こと=上橋菜穂子さん」、『朝日新聞』2014年12月29日(月)付。


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今年を読む 来年を読む
虚構の世界を「生きる」こと
上橋菜穂子さん
(広告特集:企画・制作 朝日新聞広告局、18-19面)

 今年、「児童文学のノーベル賞」と呼ばれる国際アンデルセン賞作家賞を受賞した上橋菜穂子さん。11月24日、東京大学(文京区)で行われた受賞記念講演のなかから、想像と物語の力に対する信頼、敬愛するサトクリフ作品との出会いなど、その創作世界の魅力をひもとく言葉の数々を紹介する。

想像力を持ったとき
人は初めて市を怖れる
 先日、私の『鹿の王』という作品が刊行されたことを記念して解剖学者の養老孟司先生と対談の場を設けていただきました。詳しい内容はインターネット(*)で読むことができますので、興味のある方は一度ご覧いただきたいと思いますが、その際うかがったなかで個人的に興味深かったのが、人間の子どもとチンパンジーの比較に関するお話でした。先生によると、3歳ぐらいまではあらゆる面でチンパンジーのほうが能力的にすぐれているものの、4歳ぐらいから逆転し始めるそうです。その理由を先生は、人間はちょうどそのぐらいの年齢から、他者の立場でものを見ることができるようになるからだと教えてくださいました。一方、チンパンジーにとってはいつまで経っても「自分の方からみた世界」しか存在しない。それがヒトとの違いだというのです。
 その言葉に、私はドキッとしました。なぜなら私が初めて、「死」というものを怖いと感じたのが3、4歳、お頃だったからです。昼の日差しが照りつける真っ白な道を祖母と歩きながら、「おばあちゃん、私、死ぬのが怖い」と言った幼い自分の姿を思い出したとき、私は「死」と「想像力」とはきっと深いところでつながっているのだろうと直感しました。自分以外の誰かの死に接して、それはいずれ自分の身にも起こることだと理解する。そのヒトが感じるはずの痛みを、自分に結びつけて想像する。そうした力を持ったとき、私たちは初めて、「死が怖い」という感覚を得るのかもしれません。

祖母が教えてくれた
物語の多様な世界
 大丈夫、人は死んでも生まれ変わってくるんだよ。そう慰めてくれた祖母は、お話のとても上手な人で、地域に古くから伝わる物語をいつも大変面白く聞かせてくれる名人でした。人がキツネに化かされたり、年老いた猫が妖力を得て人を手玉にとったり、そんな物語を祖母のひざで聞くうちに、私のなかで育っていたのは「人は決してこの世の最上位にあるわけではない」という感覚です。そのため私は、石ころひとつ蹴飛ばすことのできない子どもになりました。ふと、自分が石の側になって、蹴られる感覚が心に浮かんでしまうからです。ただ私はちゃっかりしていたので、石を脇によけながら「助けてあげたんだからいつか恩返しするのよ」と念を押すことは忘れませんでしたが(笑)。
 私の「守り人」シリーズに登場するバルサという女用心棒について、戦いのシーンをどうして生々しく描けるのかと質問されることがありますが、武術に興味をもった理由の一端も祖母にあります。父方の祖母の家系は、古武術に深い関わりがあったようで、高祖父(祖父の祖父)の活躍の物語を祖母がよく聞かせてくれていたからです。すっかり年老いてからも、勝負の場面ではすっと背筋が伸び、血気盛んな若者を簡単に圧倒してしまった。そんな武勇伝を、まるでさっき見てきたように語る祖母の言葉に、私はいつも胸躍らせていました。その後私が作家として自分の物語を紡いでいくうえで、この祖母から受けた影響は非常に大きかったと思います。

有限の生
サトクリフとの出会い
 そんなやさしい祖母や両親、友達にめぐまれ、子ども時代の私は「少しは女の子らしくしろ」と父が嘆くほど元気に日々を過ごしていましたが、それでも幼いころに知った「死が怖い」という感覚はどこかに抱き続けていました。やがてそれは、思春期になると「虚しさ」と結びついたものとして、もがくように意識の表面に現れてきます。今のこの生はいずれ必ず終わる。仕合わせはとどめておくことができない。かたちあるものはやがて消え去る。だとしたら、生きていることにいったい何の意味があるのか。たくさんの本を読んでみましたが、どこにも答えは書いてありません。しかしそんな日々のなかで、私は1冊の本と運命的な出会いをしました。ローズマリ・サトクリフの『太陽の戦士』です。
 何しろ男の子っぽかった私は、きっと「戦士」という言葉に無条件に反応したのだと思います(笑)。しかし読み始めてすぐに、これは今までに読んだどんな本とも違うと気突きました。最後のページを閉じたとき、私をとらえたのは、自分は今までどこにいたんだろうという不思議な感覚です。その直前まで、私は主人公のドレムという少年その人であり、しめった土のにおいや木のにおい、はぜる火のにおいなどを確かに感じていました。見も知らぬイギリスの、はるかむの青銅器時代に、私は生きた。その本によって生きさせられた。作家の力というのはすごいものだと思いました。
 世界は決してひとつの色ではなく、さまざまな背景を持った多様な生に満ちている。想像する力があれば、私というひとりの人間が、その多様な生を生きることができる。サトクリフの作品が、まず教えてくれたのはそのことでした。

己の生を引き受けて
生きる人々の美しさ
 しかも彼女は、『第九軍団のワシ』や『ともしびをかかげて』でもそうですが、決してきれいごとだけを描きません。人はそれぞれの道を歩き、行き着くところまできたら、すべてがただ終わっていく。報われずに消えていくこともある、いくつもの命。そんな物語です。しかし私には、己の生を正面から引き受け、どうにかこうにか生きようとする人たちの姿が、とても美しく見えました。それは、私が感じていた虚しさに対する答えではありません。今でも私には、その問いに対する確かな答えがあるのかどうかさえわかりません。しかしサトクリフの物語には、私も虚しさを言い訳にせず、むしろ虚しさを見つめ、胸に抱いたまま歩いていこうと思わせてくれる力がありました。
 9月に国際アンデルセン賞の授賞式でメキシコに招かれたとき、私は初め「難解な文学論でも挑まれたどうしよう」と緊張していました(笑)。しかし、一緒にテーブルを囲んだ海外の審査員のみなさんが、口々に「君の物語の主人公が大好きだ」「あの場面は実に良かったね」と熱っぽく話す姿を目にしたとき、あらためて感じたのは、言葉や文化の壁を超えて伝わる物語の力です。これまで出会ったすべての人たち、すべての体験、すべての本が私のなかに練り上げてくれた「マグマ」のようなものを大切にしながら、これからも私は、自分の物語を紡いでいこうと思います。
※『鹿の王』発売記念対談はこちら [http://www.kadokawa.co.jp/sp/2014/shikanoou/taidan/:title]

作家 上橋菜穂子さん
うえはし・なほこ/1989年『精霊の木』で作家デビュー。代表作に『精霊の守り人』などの「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』『獣の奏者』シリーズ、『鹿の王』など。国際アンデルセン賞作家賞を受賞した日本人は、まど・みちおさん以来2人目。文化人類学者としてオーストラリアの先住民アボリジニーを研究。川村学園女子大学特任教授。
    --「今年を読む 来年を読む 虚構の世界を『生きる』こと=上橋菜穂子さん」、『朝日新聞』2014年12月29日(月)付。

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書評:内田樹『街場の憂国論』晶文社、2013年。


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内田樹『街場の憂国論』晶文社、読了。本書は国家や政治にかかわる著者のエッセイ集。未曾有の「国難」に対し、どう処するべきか。未来を「憂う」ウチダ先生の処方箋。表紙扉裏に「スッタニパータ」の一節「犀の角のようにただ独り歩め」と印刷。ノイズを退け未来を展望する著者の省察の本質がずばりだ。

政治的立場に関係なく可能なのが「憂国」だ。しかし「多くの人が自分と同じことを言っている」式の憂国談義ほど、その自分の生活を破壊するものに他ならない。正しく「憂う」には思考の作法、連帯の作法が必要なのだ。カッとなり乗せられてしまう前に紐解きたい一冊。

※書き下ろしがあとがき・まえがきになるのでちとあとがきから紹介。

著者は「『アンサング・ヒーロー』という生き方」として締めくくる(あとがき)。アンサング・ヒーローとは「歌われざる英雄」のこと。私たちの社会はアンサング・ヒーローたちの「報われることのない努力」に成立するが、減ってきたことに著者は危機を感じるというが、まさに。

歌われざる英雄とは「顕彰されることのない英雄」。具体的に言えば堤防に小さな「蟻の穴」を見つけた村人が、何気なく小石を詰め穴をふさいだ。放置すれば大雨で決壊は必至だが、「穴を塞いだ人の功績は誰にも知られることがありません。本人も自分が村を救ったことを知らない」。

“今の日本では「業績をエビデンスで示すことができて、顕彰された人」だけが貢献者であって、「業績をエビデンスで示せないし、顕彰されていない人」の功績はゼロ査定されます” 未然に無名で防ぐことで業績が特定され報奨を得る可能性がないことで「しない」でいいのかなあ?

アンサング・ヒーローとは「間尺に合わない生き方」かもしれないが、浮き足だって「改革だ」とがなり散らす「機動性」と対極にある「ローカル」な生き方だ。しかし、地に足をつけた一歩一歩からリスクを防ぎ未来の展望が可能になる。身近な蟻の穴埋めることから始めたい。

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覚え書:「引用句辞典 トレンド編 [学者・研究者の真の快楽とは] 鹿島茂」、『毎日新聞』2014年12月28日(日)付。

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引用句辞典 トレンド編
学者・研究者の真の快楽とは
鹿島茂

教育行政に求めたい
「真理追究」への導き

兎に角に当時の緒方の書生は、十中の七、八、目的なしに苦学した者であるが、その目的のなかったのが却って仕合で、江戸の書生よりも能く勉強が出来たのであろう。ソレカラ考えてみると、今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に始終我身の行く先ばかり考えているようでは、修業は出来なかろうと思う。
(福沢諭吉『新訂 福翁自伝』富田正文校訂 岩波文庫)

 『福翁自伝』、特に前半の読み所の一つは、大阪の緒方洪庵の適塾での諭吉のヤンチャな書生ぶりと猛烈な勉強ぶりだが、じつは、もう一つ読み取らねばならない勘所がある。それは、大阪を去って江戸に来たときの諭吉の驚きである。江戸はさぞかし蘭学のレベルが高かろうと半ば来たいし半ば怖れていたところ、大阪に比べてはるかにレベルが低い。大阪の蘭学者は生徒としてでなく、先生として江戸に赴くのであると常々言われていたが、それは本当だとわかったのである。そこで諭吉は、大阪と江戸の蘭学のレベルの違いはいったいどこにあるのだろうと自問して、ようやく、次のような答えを引き出す。
 すなわち、江戸には幕府をはじめとして諸大名の屋敷があるため、洋書を解することのできる蘭学者はひっぱりだこになり、すぐに就職口が見つかる。昨日までの書生が今日は大名お抱えの何百石の侍になるなんてことも珍しくない。これに対して、大阪は町人の待ちだから、緒方洪庵の塾生がいくら勉強しても武家になれるような就職口はない。では、なにゆえ、塾生たちは就職の目的もなしに難しい蘭書を読んで苦しんでいるのかといえば、それは楽しいからである。
 「一歩を進めて当時の書生の心の底を叩いてみれば、おのずから楽しみがある。(中略)西洋日進の書を読むことは日本国中の人に出来ないことだ、自分たちの仲間に限って斯様なことが出来る、貧乏をしても難渋をしても、粗衣粗食、一見看る影もない貧書生でありながら、智力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六かしければ面白い、苦中有楽、苦即楽という境遇であったと思われる」
 ここで重要なのは、学問・研究という摩訶不思議な事象について、二つのことが言われていることだ。一つは、学問・研究においては真理の追究というそのこと自体が快楽と直結しており、もうかるかとか就職に有利かなどということは学者や研究者の関心の中心ではないということ。第二は「真理の追究」が学者・研究者の自尊心(われわれの言葉でいえばドーダ心)を支えるのであり、この自尊心があるからこそ学者・研究者はより高度の真理追究を行おうと刻苦勉励するということである。つまり、学問研究のレベルを高めるのは、就職口の確保でも研究費の獲得でもなく、それ自体で自立した「目的なし」の真理追究ではあるが、しかし、真理追究によって自尊心(ドーダ心)を満足させることのできるようなシステムがどこかに働いていなければならないということだ。
 この意味で、文部科学省の打ち出す大学改革はすべての点で誤っている。学者や研究者のドーダ・ポイントをことごとく逸しているからである。
 教育行政も究極的には心理学に要約されるのである。
    −−「引用句辞典 トレンド編 [学者・研究者の真の快楽とは] 鹿島茂」、『毎日新聞』2014年12月28日(日)付。

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日記:なぜ、真摯な自己反省が、外界に目を向け他者と出会う真のプロセスの要因となり得ないのだろうか。


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 最後にヤングは、罪は、外界に目を向け、他者に関心を示させるのではなく、人びとを内面的にし、自分自身にのみ固執させてしまうと論じる。これもまた、おそらくそうかもしれない。しかし、なぜ、真摯な自己反省が、外界に目を向け他者と出会う真のプロセスの要因となり得ないのだろうか。わたしには、自分自身のナルシシズムや、自己中心的な熱望、他者よりも自分を称えられたいと思う欲求などをしっかりと見つめ、そしてそれを乗り越えようとするとき初めて、わたしたちは本当の意味で、他者に目を向けることができるし、自分のなかにある障害を乗り越え、なんとかそこからより自由になれるのだと思える。あるいは、このプロセスは、外部/内部といった道徳的生活のふたつの別べつの領域で生じる必要もない。ガンディーの生涯、そしてかれが起こした運動は、内面に目をやることは、たんに外部に目を向ける触媒となっているだけでなく、まさにそれと同時に起こっていることを物語っている。ガンディーと彼の信奉者たちは、自分たち自身の暴力や支配欲を批判することが、国民全体のための自分たちの自由の闘争にとって不可欠な側面であることを学んだ。わたしが考えているものは、もしわたしたちが、自分自身の内面世界を真摯に批判することなく、未熟な段階で外部に目を向けることとなれば、わたしたちの社会改革行動は、結局底の浅いものとなるか、短命に終わることになるだろう。わたしたち自身の内部にあり続ける、わたしたちをナルシシズムに駆りたてる力が、最後には、わたしたちの目を社会的な運動から逸らすことになるだろう。
    --マーサ・C・ヌスバウム(岡野八代・池田直子訳)「緒言」、アイリス・マリオン・ヤング(岡野八代・池田直子訳)『正義への責任』岩波書店、2014年、xxxiii頁。

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年頭から覚え書きで申し訳ございません。

ええと、それから新年もどうぞ宜しくお願いします。

まだ、途中まで読み進んでおりませんが、昨年の3冊のうちの1冊に選んだのがヤングの『正義への責任』です。アリストテレス研究から始めたマーサ・C・ヌスバウムが詳細な「緒言」を本書に捧げておりますが、非常に要を得た一節で抜き書きした次第です。

現状世界の問題に対してNOを上げていくことの大切さはいくら強調してもしすぎることはありません。しかし、1mmでもくるいがあると、空中分解してしまうのも事実で、その陥穽をいかに離脱していくのか。罪ではなく責任を担うことを提唱する本書は、非常に示唆に満ちた一冊です。

罪と責任を丁寧に区別しながら、未来を担うべき責任について、語り合うこと。そこから「ここ」に済む市民としての責任と展望が立ち上がるのではないかと思います。

一歩一歩の歩みをかくあるべしと念じつつ、新年最初の日記とさせていただきます。

筆主敬白。


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