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日記:福沢諭吉生誕180年にして想う

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 悪友を親しむ者は悪名を免かる可らず、我は心に於てアジア東方の悪友を謝絶するものなり[福沢 一九七〇]

 以上が福沢諭吉の「脱亜論」の要旨です。彼の中国・朝鮮への失望感が如実に表れ、その落胆が「アジア東方の悪友を謝絶するものなり」という痛烈な批判に繋がっているのがよくわかります。
 諭吉は一部の改革派への期待と援助を持続させますが、一方で中国・朝鮮を見限り、憤りと諦めがないまぜになった姿勢を取り始めました。彼は一連のプロセスのなかで開化派への期待と思い入れが大きかったぶん、甲申事変のしっぱによって大きな徒労感を抱くことになりました。
 しかし、です。
 この諭吉の挫折の延長線上に、本格的なアジア主義が芽生えることになりました。金玉均・朴泳孝という開化派の日本亡命は、自由民権運動の志士たちの関心の的となり、開化派を支援しようという動きが拡大しました。
 その人脈のなかに、初期アジア主義を主導する玄洋社メンバーがいました。彼らは、金玉均の存在からアジアの「反封建運動」の連帯の重要性を察知し、その卓越した行動力でアジア主義運動を展開していくことになります。
 一八八五年。
 金玉均が日本に亡命し、活動を再開させたこの年に、日本の本格的なアジア主義は始動するのです。
    --中島岳志『アジア主義 その先の近代へ』潮出版社、2014年、100-101頁。

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1835年の今日1月10日は福沢諭吉の誕生日。

その啓蒙と近代市民社会の構想とアジア連帯の理想をどのように掬い上げていくのか。
福沢以降の近代日本の歩みとは一言で言えば、そのゆがみとねじれであるがだけに、その未完の理想を、丸山眞男宜しく引き受けながら、未来を展望することは、私たちの課題かも知れません。

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