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日記:二本の藁束か一本一本の藁か

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イヴァン・クリーマのチャペック伝を読む。

チャペックの生涯と作品全体を取り上げ深くその内面まで踏み込む浩瀚な評伝で、チャペックがプラグマティズムに関心を寄せていたことを本書で初めて知る。

原題は「大きな時代はそれと同じ大きさの惨劇をもたらす」。

本書を読み終え、警世の預言的立場が現実とどのように交差するのか、チャペックの苦悩からいくつか示唆を得ることが多々あるが、その一つが「二本の藁束か一本一本の藁か」ということ。先験的に何かが実在しないからこそ、時間のかかるそのしんどい手作業が必要になる。


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 同年末(1924年……引用者注)に『知らないことと、知ろうとしないこと』 Ignoramus a ignorabimus という文章を発表した。チャペックは、そのなかで悲愴なまでに公式化された、人生の相対主義的信念(クレド)をあらためてくり返している。唯一の正しい真理を知っていると信じている人間の「積極的参加は、主に他の意見にたいする激怒と、一定の基本的言葉の絶え間ないくり返しによって費やされる。」これらの人間に対して、チャペックは自分の理想を提示する。


さらに最悪で、困難なのはもう一つの「無関心」の道である。世界のどちら側に善ないし悪を発見できるかを前もって知らないのだ。その比較判断に準備がない。そういう人には失望が容赦なく襲ってくる。どんな希望も他人事ではない。二つの藁束を見るのではなく、何千本の藁を一本ずつ見るがいい。それによって選択の可能性は何千倍にもなる。藁を一本ずつ観察して、人間の世界で善なるもの、役に立つものを集める。一本ずつ見ながら、痛んだものや、雑草を取り除く。いかなる蟻の王様も助けにはやってこない。自分ひとりですべての作業をしなければならない。何千人かの一塊の弾圧に抗議するのではなく、一人一人の弾圧にたいして抗議する。何千もの真理を発見していくうちには、一つの真理を否定せざるを得ないこともある。君に世界を救済することはできない。なぜなら戦う者は見ることをやめてしまうからだ……。君の確信は原理のなかにではなく、事実のなかにある。原理にたいして不決断な者は、言葉にたいして懐疑的である。自分の目で見たものだけを信じるのだ。しかし疑い深いトマスのようにではない。なぜなら君が発見した傷はそのなかに指を突っ込むためにあるのではないからだ。最終的には完全なものがないなら、端的に人々を信じるしかない(9)。〔新約ヨハネによる福音書二〇・二四-二九〕
    --イヴァン・クリーマ(田才益夫訳)『カレル・チャペック』青土社、2003年、58-59頁。

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