覚え書:「インタビュー:イスラムと西洋の岐路 アクバル・アフメドさん」、『朝日新聞』2015年01月28日(水)付。
-----
インタビュー:イスラムと西洋の岐路 アクバル・アフメドさん
2015年01月28日
(写真キャプション)「日本は長い歴史と豊かな文化を持った国です。世界で大きな役割を果たせるはずです」=米ワシントン、ランハム裕子撮影
フランスで起きた連続テロ事件に対し、「西洋文明への宣戦布告だ」といった声が欧米で上がり始めた。「イスラム国」に人質をとられた日本にとっても無縁ではいられない。私たちは「文明の衝突」のさなかにいるのか。「欧米とイスラム」をテーマに、欧州や米国におけるイスラム社会の調査を続ける研究者に聞いた。
――フランスの連続テロ事件は、ショックだったが驚きではなかったそうですね。
「事件の直前まで、『欧州におけるイスラム』をテーマにした長期研究プロジェクトの一環で、フランスのマルセイユを訪れていました。滞在中、イスラム教徒が他のフランス人を襲う事件が3件起きました。荒れ果て、警察も治安を守ることを放棄した危険な一帯があります」
「マルセイユでは全人口に占めるイスラム教徒の割合が3割に達しています。移民は3世代目。にもかかわらず、地域のイスラム社会の中心となるモスクすら、いまだに存在しません。コミュニティーはバラバラで、中心となる宗教指導者もいません。一方で、フランス社会にも統合されていません。この現状は、フランスの政府当局、イスラム社会双方が失敗した結果です」
――現状を改善するどんな対策が考えられますか。
「フランス当局とイスラム教の宗教指導者が緊密に協力することが急務です。二つ目は、フランス語を話し、フランス文化を理解するイマーム(指導者)を養成するプログラムを大学などに設けることです。欧州とイスラム社会の橋渡しができる人材を育てる必要があります」
「もう一つ重要なのが、他者をどうとらえるかという『教育』の問題です。学校のことではありません。テレビや映画では、イスラム教徒をあざける場面がたくさん流れています。民主主義ですから、当局が規制することはできません。しかし、メディアがもっとイスラム教徒の声を取り上げるとか、違った視点から光を当てる取り組みをすべきです」
――「シャルリー・エブド」が預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことについては、どう考えますか。
「2005年にデンマークの新聞が預言者の風刺画を掲載して問題になったのを覚えていますか。私は昨年、欧州での調査の一環として、この新聞の編集長と会いました。私自身、パキスタン出身のイスラム教徒で西洋に住む人間として、表現の自由、報道の自由の重要性を理解し、支持しています。しかし、欧州では問題なくても、他国ではこうした行為が冒涜(ぼうとく)の罪となり、死につながることもあるということも知って欲しかったのです。風刺画を出せば、表現の自由は貫いたことになります。しかし、何度も繰り返すのは、ほとんど挑発に等しいことです。ローマ法王も、他者の信仰に関しては、表現の自由にも限度があると言っています」
■ ■
――欧州とイスラム世界は歴史的にどう関わってきたのでしょうか。
「イスラム教徒が欧州にやってきたのは、三つの時代に大別できます。まずイスラム勢力が初めてスペインを支配した8世紀です。当時はアラブ人の支配下で、イスラム教徒とユダヤ教徒やキリスト教徒が共存していたと言われています。第2段階は13世紀から20世紀のオスマン帝国の時代で、侵略軍として欧州にやって来て、欧州が反撃した衝突の時代です。欧州は、イスラムは脅威だが、基本的には対等な力とみなしていました。オスマン帝国と欧州という二つの力の間で、ある程度バランスが取れていたのです」
「第3段階が第2次世界大戦後です。労働力が不足した欧州諸国は旧植民地から移民を受け入れました。フランスはアルジェリアから、イギリスはパキスタンやバングラデシュ、インドから。ドイツは旧植民地ではありませんがトルコから『ゲストワーカー』という名目で移民を受け入れました。ただ、当時は各国とも一定期間働いた後は国に戻るという前提でした。私は1960年代に大学で学ぶためイギリスにいましたが、当時のパキスタン人は皆、金を稼いでいずれ戻ると言っていました。しかし、実際にはそうならず、多くは欧州に定住しました」
「現在彼らは3世代目。欧州にとってはもはや外国人ではなく、自国民となったのです。フランスの事件を起こしたクアシ兄弟はアルジェリア人ではなく、フランスで生まれ育ったフランス人です。しかし彼らは、フランス人として扱われていたでしょうか? よい教育を受ける機会も、よい仕事につく機会もなく、スラムで希望がないまま暮らしている人々がいます。彼らのアイデンティティーの唯一のよりどころが、イスラムという信仰なのです。欧州で生まれ育った彼らは、パキスタンやエジプトに行っても、自分たちがその国の国民という実感が持てません。彼らは二つの国、二つの文化のはざまで中ぶらりんになっているのです。これは危険な状態です」
――米国の状況は欧州と違いますか。
「米国では元々、イスラム教徒への見方はそれほど悪くありませんでしたが、01年の米同時多発テロで否定的なものに変わりました。それでも米国は移民国家で、多元的な世界観を持っています。欧州は本質的には一枚岩の文化で、外国人が社会に溶け込むのは容易ではありません」
■ ■
――なぜ、「イスラム国」のような過激派組織に加わる欧米諸国の若者が後を絶たないのでしょうか。
「私はプッシュ(押し出す)とプル(引き寄せる)と呼んでいます。あなたの名前が、パキスタン系のカーンだとしましょう。あなたはアメリカで生まれ育ちましたが、カーンという名前を聞いた人たちからは『おまえはテロリストか』『ビンラディンは親戚か』と言われます。あなたは『私はこの社会に受け入れられていない』と感じるようになるでしょう。仕事が見つからないとき、能力の問題だったとしても『自分がイスラム教徒だからだ』と考えます。社会が彼を押し出すのです」
「一方で中東からは引き寄せる力が働きます。『イスラム国』は『我々はイスラム教徒の国をつくる。イスラム教のために戦っている。我々に加わろう』と呼びかけます。これが引き寄せる『プル』です」
――「イスラム国」が短期間に勢力を拡大したのはなぜですか。
「現在の中東の国々は、第1次世界大戦末期にイギリス人のサイクスとフランス人のピコが引いた人工的な国境線に基づいています。シリアの東部はスンニ派、イラクの西部もスンニ派の地域ですが、国境線が引かれています。両方の国で、スンニ派が抑圧されている中で『イスラム国』が生まれました。何もない所から突然出てきたのではありません。部族社会も政府の統治も、何もかもが混沌(こんとん)とした中で、暴力的な集団が生まれたのです。人々を殺したり、女性を拉致したり、強盗をしたりするような行為はイスラム教で禁じられています。イスラム教とは無関係です。『イスラム国』は、米同時多発テロ以降の混沌とした地域情勢の中から生まれてきたものとも言えます」
――西洋とイスラム世界の関係はどこに向かいつつあるのでしょう。
「私たちはいま、岐路に立っています。一つの方向は、対話と調和へ向かう道です。もし宗教間の対話を重視するローマ法王が正しければ、この道に向かうでしょう。もう一方では、『これは野蛮人の文明への攻撃だ』というサルコジ元大統領のような人々がいます。彼らが言わんとするのは『文明の衝突』です。彼らが正しいとすれば、衝突に向かうでしょう。フランスの事件を起こしたのは卑劣な犯罪者です。これはイスラム世界が欧州を攻撃したわけではないのです。しかし、このような状況の中で、『イスラムが我々を攻撃している』と訴える人がいます。岐路に立っているというのはそういう意味です」
――「イスラム国」は日本人も人質に取って日本を脅しています。
「日本はいま、人質事件で『イスラム国』の要求を無視すべきかどうか、ジレンマを抱えているでしょう。相手は残虐な殺人者で、これまでも人質を殺害しています。救出のため、あらゆる手段を尽くすべきです。取り得る方策の一つは、他国との外交的つながりを通じて『イスラム国』の指導部に、『日本はサイクス・ピコ協定のような形で中東に関わったことはない。我々が中東に関わるのは、人々を助けるためだ』と訴えることです」
*
Akbar Ahmed アメリカン大学教授 43年生まれ。パキスタン出身。駐英大使などを経て01年から現職。著書に「イスラムへの旅」「アメリカへの旅」など。
■取材を終えて
イスラム教徒であると同時に、欧州で学び米国で教鞭(きょうべん)を取る知識人というバックグラウンドが、言葉に説得力を与えていた。欧米諸国の指導者はいま、「これはイスラムとの戦いではない」と訴えることで、「文明の衝突」を避けようとしている。ただ、「一部の過激主義者の問題だ」と位置づけることで、宗教間の対話や共存の模索といった本質的なテーマに踏み込まない空気も生み出している。しかし、アフメド氏が言うように、「文明の衝突」を避けるためにも、この問題に正面から向かい合わなければならない。
(大島隆)
ーー「インタビュー:イスラムと西洋の岐路 アクバル・アフメドさん」、『朝日新聞』2015年01月28日(水)付。
-----
[http://www.asahi.com/articles/DA3S11573057.html:title]
| 固定リンク
« 拙文:「読書 『棲み分け』の世界史 下田淳 著」、『聖教新聞』2015年01月31日(土)付。 | トップページ | 日記:確かに「テロリストたちを絶対に許さない」し、「人道支援」は「テロに屈すること」ではないけど、「その罪を償わせるために、国際社会と連携してまいります」っていうのはどうなんだろうか »
「覚え書」カテゴリの記事
- 覚え書:「あの人に迫る:六車由実 介護民俗学者 人生の豊かさを聞き書きで知る」、『東京新聞』2015年03月22日(日)付。(2015.04.03)
- 覚え書:「野坂昭如の『七転び八起き』 第200回『思考停止』70年 命の危機 敗戦から学べ」、『毎日新聞』2015年03月24日(火)付。(2015.04.01)
- 覚え書:「特集ワイド:続報真相 戦意発揚スローガン『八紘一宇』国会発言 問題視されない怖さ」、『毎日新聞』2015年03月27日(金)付夕刊。(2015.03.30)
- 覚え書:「松尾貴史のちょっと違和感 『八紘一宇』持ち上げる与党銀 言葉のチョイスは生命線では」、『毎日新聞』2015年03月22日(日)付日曜版(日曜くらぶ)。(2015.03.28)
- 覚え書:「こちら特報部 侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問」、『東京新聞』2015年03月19日(土)付。(2015.03.22)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント