覚え書:「言論空間を考える:人質事件とメディア 土井敏邦さん、森達也さん」、『朝日新聞』2015年2月11日(水)付。
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言論空間を考える:人質事件とメディア 土井敏邦さん、森達也さん
2015年2月11日
過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件は、事件を伝えたメディアにも多くの課題を残した。報道が過熱し、結果的に劇場型犯罪に手を貸したとの指摘もある。権力をチェックする本来の役割は果たせたのだろうか。
■苦しむ人の痛み、想像できるか 土井敏邦さん(フリージャーナリスト)
中東でパレスチナ・イスラエル問題の取材を30年近く続けています。フリージャーナリストの役割の一つは、組織ジャーナリストが入れない地域にも入って被害者たちの現状と痛みを伝えることだと思います。人質となり殺害されたとみられる後藤健二さんも同じ思いだったはずです。
だからこの間、テレビも新聞も日本人の生死に関する報道で埋め尽くされたことに、私は強い違和感を覚えます。過去にも紛争地で日本人が巻き込まれるたびに似た報道が繰り返されました。2004年にイラクで高遠菜穂子さんらが人質となり、07年にはビルマ(現ミャンマー)の民衆デモを取材していた長井健司さん、12年にはシリアを取材中の山本美香さんが殺され、メディアはその報道一色になりました。
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<国際感覚持って> 同じ日本人の生死に関心が集まるのは当然だとしても、報道がそれで埋め尽くされると、肝心の現地の実情が伝えられなくなります。例えば長井さんが亡くなったとき、その葬儀がトップニュースになる一方、ビルマで民主化を求めた僧侶らに激しい弾圧が行われていたことは黙殺された。ビルマ問題が「長井さん殺害問題」に変わってしまったのです。
今回も後藤さんが本当に伝えたかったであろう、内戦に巻き込まれて苦しむシリアの女性や子ども、寒さと飢えに苦しむ何十万人というシリア人避難民のことはどこかへ行ってしまった。日本人の命は、ビルマ人の、イラク人の、シリア人の何千倍も重いのでしょうか。これは日本人の国際感覚の問題だと思います。
私はジャーナリストとして、どうしたら遠いパレスチナの問題を日本人に近づけられるかとずっと悩んできました。国際感覚とは、外国のことばや文化に精通することだけではないと思います。言葉も文化も肌の色も違う遠い国の人たちと、同じ人間としての痛みを感じる感性と想像力を持つことができるかどうか。それはこのグローバル化の時代に、なおさら日本人に求められていることだと思うのです。
だから私たちは現場へ行く。「あなたと同じ人間がこういう状況に置かれている。苦しんでいる。もしそれがあなただったら」と想像してもらう素材を人々の前に差し出すためです。
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<萎縮は自殺行為> 紛争の現場に行くと、遠い日本では見えなかった、現地の視点が見えてきます。今回の事件の最中、積極的平和主義を唱える安倍晋三首相は、イスラエルの首相と握手をして「テロとの戦い」を宣言した。しかし「テロ」とは何か。私は去年夏、イスラエルが「テロの殲滅(せんめつ)」を大義名分に猛攻撃をかけたガザ地区にいました。F16戦闘機や戦車など最先端の武器が投入され、2100人のパレスチナ人が殺されました。1460人は一般住民で子供が520人、女性が260人です。現地のパレスチナ人は私に「これは国家によるテロだ」と語りました。
そのイスラエルの首相と「テロ対策」で連携する安倍首相と日本を、パレスチナ人などアラブ世界の人々はどう見るでしょうか。それは、現場の空気に触れてはじめて実感できることです。
自民党の高村正彦副総裁は、後藤さんの行動は政府の3度の警告を無視した「蛮勇」だと非難しています。しかし政府の警告に従っているばかりでは「伝えられない事実を伝える」仕事はできません。悪の権化と伝えられる「イスラム国」。その支配下にある数百万の住民はどう生きているのか、支配者をどう見ているのか。それは今後の「イスラム国」の行方を知る上で重要な鍵であり、将来の中東の政治地図を占う上で不可欠です。現在は危険で困難ですが、それを伝えられるのは現場へ行くジャーナリストです。
メディアが日本人報道一色になり、被害者を英雄や聖人にしたり、一転して誹謗(ひぼう)中傷したりという形で視聴率や部数を稼ぐような報道をくりひろげている一方で、ジャーナリズムの危機が迫っているのです。私たちフリーにとっても大手メディアにとっても、安易な自主規制や萎縮はジャーナリズムの自殺行為になりかねません。
(聞き手 編集委員・稲垣えみ子)
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どいとしくに 53年生まれ。中東のほか、原発事故で被害を受けた福島県飯舘村などを取材。主な著書に「占領と民衆――パレスチナ」「沈黙を破る」など。
■集団化と暴走、押しとどめよ 森達也さん(映画監督・作家)
渦中の報道を見聞きしながら、気になったことがあります。安倍晋三首相は事件について語るとき、まずは「卑劣な行為だ、絶対に許せない」などと言う。国会で質問に立つ野党議員も、いかにテロが卑劣か、許せないかを、枕詞(まくらことば)のように述べる。そんなことは大前提です。でも省略できない。
この光景には既視感があります。オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたときも、オウムについて語る際には、まずは「卑劣な殺人集団だ、許せない」などと宣言しなければ話ができない、そんな空気がありました。
大きな事件の後には、正義と邪悪の二分化が進む。だからこそ、自分は多くの人と同じ正義の側だとの前提を担保したい。そうした気持ちが強くなります。
今の日本の右傾化や保守化を指摘する人は多いけれど、僕から見れば少し違う。正しくは「集団化」です。集団つまり「群れ」。群れはイワシやカモを見ればわかるように、全員が同じ方向に動く。違う動きをする個体は排斥したくなる。そして共通の敵を求め始める。つまり疑似的な右傾化であり保守化です。
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<転換点は95年> 転換点は1995年。1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件があった。ウィンドウズ95が発売された。巨大な天災と未経験の人災に触発された不安や恐怖感が、ネットを媒介にして拡大していく。その始まりの年でした。
不安と恐怖を持ったとき、人は一人でいることが怖くなる。多くの人と連帯して、多数派に身を置きたいとの気持ちが強くなる。こうして集団化が加速します。
群れの中にいると、方向や速度がわからなくなる。周囲がすべて同じ方向に同じ速度で動くから。だから暴走が始まっても気づかない。そして大きな過ちを犯す。
ここにメディアの大きな使命があります。政治や社会が一つの方向に走りだしたとき、その動きを相対化するための視点を提示することです。でも特に今回、それがほとんど見えてこない。
多くの人は「テロに屈しない」という。言葉自体は正しい。でも、そもそも「テロ」とは何か。交渉はテロに屈することなのか。そんな疑問を政府にぶつけるべきです。「テロに屈するな」が硬直しています。その帰結として一切の交渉をしなかったのなら、2人を見殺しにしたことと同じです。
今回の件では、政権は判断を間違えたと僕は思います。でも批判や追及が弱い。集団化が加速しているから、多数派と違う視点を出したら、社会の異物としてたたかれる。部数や視聴率も低下する。たしかにそれは予測できます。
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<たたかれていい> メディアも営利企業です。市場原理にあらがうことは難しい。でも今は、あえて火中の栗を拾ってください。たたかれてください。罵倒されながら声をあげてください。朝日だけじゃない。全メディアに言いたい。集団化と暴走を押しとどめる可能性を持つのはメディアです。それを放棄したら、かつてアジア太平洋戦争に進んだ時の状況を繰り返すことになる。
「イスラム国」の行為に対して「人間が行うとは思えない」的な言説を口にする人がいます。人間観があまりに浅い。彼らも同じ人間です。ホロコーストにしても文化大革命にしてもルワンダの虐殺にしても、加害の主体は人間です。人間はそうした存在です。だからこそ交渉の意味はあった。そうした理性が「テロに屈するな」のフレーズに圧倒される。利敵行為だとの罵声に萎縮する。こうして選択肢を自ら狭めている。
違う視点を提示すれば、「イスラム国」を擁護するのか、などとたたかれるでしょう。誰も擁護などしていない。でもそうした圧力に屈して自粛してしまう。それはまさしく、かつての大日本帝国の姿であり、9・11後に集団化が加速した米国の論理です。米国はイラクに侵攻してフセイン体制を崩壊させ、結果として「イスラム国」誕生につながった。このとき日本は米国を強く支持したことを忘れてはいけません。同じ連鎖が続きます。
多数派とは異なる視点を提示すること。それはメディアの重要な役割です。
(聞き手 編集委員・刀祢館正明)
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もりたつや 56年生まれ。映像作品にオウム真理教のドキュメンタリー映画「A」など。著書に「すべての戦争は自衛意識から始まる」など。明治大学特任教授。
--「言論空間を考える:人質事件とメディア 土井敏邦さん、森達也さん」、『朝日新聞』2015年2月11日(水)付。
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