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2015年2月

覚え書:「特集ワイド:見過ごせない!安倍首相のヤジ」。『毎日新聞』2015年02月26日(木)付夕刊。


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特集ワイド:見過ごせない!安倍首相のヤジ

毎日新聞 2015年02月26日 東京夕刊
(写真キャプション)衆院予算委で質問を聞く安倍首相。この日午前、安倍首相はヤジや答弁内容を訂正した=2015年2月23日、藤井太郎撮影


 国民のリーダーたる首相が国会論戦で「日教組!」などとヤジを飛ばし、しかも事実誤認で、後日訂正と謝罪--。安倍晋三首相のヤジ問題は西川公也前農相の献金疑惑と辞任騒動の陰に隠れてしまったかのようだが、実は重大かつ深刻な問題なのではないか。識者たちに聞いた。

 ◇国会に「ネトウヨ」的言論--安田浩一さん(ジャーナリスト)

 安倍首相が「日教組、日教組!」と連呼するのを見て、「ネット右翼(ネトウヨ)」と呼ばれる人たちが好んで使う罵倒の言葉を思わず連想しました。

 ネトウヨの人たちやヘイトスピーチに参加する人たちの世界では、特定の相手を敵と認定し、皆で攻撃するための負のキーワードが存在します。それが「反日」「売国奴」「在日」などです。「日教組」もそんなキーワードの一つです。私自身、彼らから関係もないのに「日教組」と言われたことがあります。そう口にするだけで相手の言論を封じ込め、問答無用でおとしめ、自らが優位に立てると、彼らは信じているのです。

 安倍首相は西川前農相の献金問題を追及する民主党議員に対し、唐突に「日教組!」とヤジを放った。それで相手をたじろがすことができると考えたのなら、ネトウヨ的発想に近いものを感じます。

 ある選挙中、首相が秋葉原で演説するのを見たことがあります。日の丸の小旗を持った支持者たちが最も熱狂したのは、首相が日教組とマスコミを批判した時でした。「日教組」と言えば多くの人の共感を得られると思っているのかもしれません。

 今、社会では、相手を敵か味方かに分け、敵と認定すれば皆で寄ってたかってたたく風潮が広まっています。「反日」「売国奴」など、何の議論も対話も成立しないような根拠のない罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせかける風潮もあります。

 今回はそれがとうとう、国会の議論の場にまで持ち込まれてしまった。まして一国の首相の手によって。そのことが最大の問題ではないでしょうか。【聞き手・小国綾子】

 ◇マスコミよ、もっと怒れ--吉永みち子さん(作家)

 ちょっと失礼ですが、言わせていただきますよ。あのやりとり、大人じゃない。安倍さん、野党の批判は批判として粛々と受け止めればいいのに、なぜそれができないのでしょうか。批判があってこそ議論が生まれ、物事がより良くなっていくはずなのですが。

 歯がゆいのは「首相の品格」の問題に矮小(わいしょう)化されてしまったこと。本当なら、政治とカネの問題をとことん突き詰めるべき場面だったのに。これは民主党もだらしないよ。安倍さんがヤジった時点で「総理、それはどういう意味ですか」と、逆に民主党側の土俵に引きずりこむ好機だったのに、ストレートに怒っちゃった。やり方が稚拙です。

 この問題を大きく報じているのは一部の新聞です。安倍政権の広報紙みたいな新聞は当然として、テレビもあまり取り上げない。私が心配するのはそんな今の日本の空気感です。

 このヤジ騒動、ニュース番組やワイドショーのおいしいネタのはずですよ。民主党政権時代、原発事故を巡る閣僚の失言がありましたが、どこも特集組んで放送していたじゃない。イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)の事件でも、政府対応が正しかったのか検証が必要なのに、それを言うと、なぜか「テロに屈する」などと言い出す。議論のすり替えなのに、みんな黙っている。安倍政権からクレームがくるのが怖いのでしょうか。

 なぜ戦前の日本人は政府・軍部の愚かな暴走を許したのか、不思議でしょうがなかったんです。でも今の日本を見ていて「ああ、そういうことだったのか」と得心します。杞憂(きゆう)に終わればよいのですが。【聞き手・吉井理記】

 ◇昔なら内閣が吹っ飛んだ--森田実さん(政治評論家)

 安倍首相の言動に、1953年2月の衆院予算委員会を思い浮かべた。右派社会党の議員の質問に当時の吉田茂首相が小声でつぶやいた「バカヤロー」という言葉を偶然マイクが拾った。懲罰動議が可決され、さらに内閣不信任案の可決に発展、いわゆる「バカヤロー解散」の引き金となった。

 首相の発言はそれほど重いということだが、今回は面と向かって、しかも事実誤認であり、より悪質だ。本来は内閣が倒れるような問題なのに、直後に起きた西川前農相の辞任問題に世間の視線は向いてしまった。

 首相がヤジで言及した日教組の組織率は既に2割台だ。そんな組織への敵がい心に凝り固まっているとすれば、あまりに古い思考と言わざるを得ない。国会で政府を点検するという正当な行為を首相自らが妨害するのを許せば、行き着く先は弾圧だ。

 感情を抑制できず表に出してしまったことも問題だ。むきになる姿勢は国内政治に限らず外交的にもマイナス。それでなくても関係良好とは言えない中国や韓国が、敵がい心が強く感情的な首相の言動を信用するだろうか。

 一方、民主党の対応は残念だ。次の質問者が直ちに取り上げるといった臨機応変さが必要だった。首相への懲罰動議も提出すべきだ。国民と政治を結ぶという議会人としての自覚がもっと欲しい。

 「高慢は常に破滅の一歩手前にあらわれる。高慢になる人はもう勝負に負けている」とはスイスの思想家ヒルティの言葉だ。民主党議員を見下した首相の姿勢が目に付く。だが、それは自ら終えんに近づいているということだ。【聞き手・庄司哲也】

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 <安倍首相ヤジ問題の経緯>

 19日の衆院予算委員会で民主党議員が西川氏の献金問題を取り上げた際、安倍首相が「日教組(日本教職員組合)はやっているよ。日教組どうするの」と閣僚席からヤジを飛ばした。首相は20日の同委でも「日教組は(国から)補助金をもらい、(日教組関連団体の日本)教育会館から献金をもらっている民主党議員がいる」と主張。だが、日教組が国から補助金を受けた事実はなく、民主党議員が日本教育会館から献金を受けたこともなかった。首相は23日、同委で「私の記憶違い」「遺憾で、訂正する」と発言を撤回、陳謝した。ただ同日も民主党議員の名を挙げ「日教組からダイレクトに献金をもらっていた」などと批判を続けた。

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 ■人物略歴
 ◇やすだ・こういち

 1964年生まれ。「ネットと愛国 在特会の『闇』を追いかけて」で講談社ノンフィクション賞。

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 ■人物略歴
 ◇よしなが・みちこ

 1950年生まれ。競馬新聞記者を経て85年、「気がつけば騎手の女房」で大宅壮一ノンフィクション賞。

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 ■人物略歴
 ◇もりた・みのる

 1932年生まれ。日本評論社出版部長などを経て独立。近著に「森田実の一期一縁」(第三文明社)。
    --「特集ワイド:見過ごせない!安倍首相のヤジ」。『毎日新聞』2015年02月26日(木)付夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/m20150226dde012010002000c.html:title]


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日記:如何なる境遇に在りても、天に事へ人に仕へる機会は潤澤に恵まれている」

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誕生日でしたので多くの方からお祝いを頂戴しました。ありがとうございます。

みなさま、各個の返礼が遅くなりましてもうしわけございません。

そんなに長く生きていても、あんまり意味のないイキモノであることを承知ですが、バースデイメッセージありがとうございます。

ちょといろいろありまして、……詳細はそのうち決まってから言及しますが……、これから2年ぐらいかけて、方向転換をしていくなかで、残りの余生を定める準備をしていこうと考えております。

どのようなかたちに着地することになろうとも、真理を探究する、生活者として人間世界のなかで格闘していく。プラス……これが大事なのでしょうが……家族を大切にするということを、これから丁寧に拵えていこうと思います。

さて、と、お約束ですが、1924年6月、憧憬する吉野作造が最も人生の危機にあったとき、“それでもなお”次のようにしたためております。

曰わく……

「人生に逆境はない。如何なる境遇に在りても、天に事へ人に仕へる機会は潤澤に恵まれている」。

この気概で、適当に生きていこうと思います。

ともあれ、祝福を頂戴しました皆様ありがとうございます。

写真は、近所の梅林の情景。2015年2月27日、筆主写す。

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日記:三谷太一郎「吉野作造記念館開館20周年によせて」


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吉野作造記念館様から『吉野作造記念館20年のあゆみ』(大崎市教育委員会)を頂戴しました。

ありがとうございます。

「吉野作造記念館開館20周年によせて」を三谷太一郎先生が寄せています。短い文章ですが吉野作造の吉野作造である所以をズバリ言及されておりますので、ちょいとご紹介します。

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 吉野作造記念館開館20周年によせて

 吉野作造は、既に日本政治史および日本政治思想史に確固たる永続的な地位を占めている。そのことについては、政治的立場の違いをこえて、何人も異論がないであろう。一世紀近く前に吉野が唱えた「民本主義」は日本的デモクラシーの本質を明らかにしたものであり、具体的妥当性をもつとともに、それは少数説であったが、今や日本の政治体制の理念的基礎をなしている。おそらく吉野作造は、明治期において福沢諭吉が果たしたオピニオン・リーダーとしての歴史的役割を大正・昭和期において継承したというべきであろう。
 それだけではない。吉野の思想的影響は今や国際的に広がっている。日韓および日中両国の歴史認識をめぐる深刻な対立を生み出している昨今の状況においても、ほとんど一世紀を遡る吉野の植民地統治批判や対中外交批判が対立している双方の側で顧みられ、その先見性が再認識されるとともに、双方の対話の出発点となっている。
 「民本主義」は決して過去の遺物ではなく、今日を導く指針である。しかもそれは日本一国に特有なものではなく、国際的な通有性をもっている。吉野作造記念館の20年の事業は、そのことを明らかにしている。

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覚え書:「コトバはどこへ行くのか 井筒俊彦を『読みなおす』意義 寄稿・若松英輔」、『毎日新聞』2015年02月16日(月)付夕刊。


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コトバはどこへ行くのか
井筒俊彦を「読みなおす」意義
寄稿 若松英輔(批評家)

 昨年は井筒俊彦の生誕百年、一昨年は没後二十年にあった。それらを機に全集の刊行が始まった。今、井筒俊彦を再評価する機運が高まっている。これまで井筒はイスラーム学の大家だと思われてきた節がある。だが、彼はイスラーム学者であると自称したことはない。むしろ、そう名乗ることに彼は、きわめて慎重だった。
 自らの専門にふれ井筒は、「哲学的意味論」だと述べたことがある。言語哲学者と称したこともあった。だが、こうした発言を前にしたとき、私たちは井筒にとっての「言語」が通常、言語学の対象となる意志疎通の機能を大きく超えていたことを忘れてはならない。


 主著となる『意識と本質』を雑誌に掲載しているときだった。井筒は突如、言葉という表記とは別にカタカナで「コトバ」と書き、独自の意味を持たせた。彼にとってコトバは、意味の塊を指す。
 それは必ずしも言語の姿をとって表されるとは限らない。作家が言語をもって意味を表現するように、音楽家は旋律を用いる。画家は色と線、彫刻家は形がコトバとなる。高次の対話が行われるとき、沈黙が、もっとも雄弁なコトバになることすらある。むしろ言語は、無数にあるコトバの一つの働きに過ぎない。
 コトバとは何であるか。コトバはどこから来て、どこへ行くのか。それが井筒の根本問題だった。イスラーム哲学、古代ギリシア哲学をはじめ、仏教、古代中国思想、インド哲学、キリスト教神秘哲学、さらにはロシア文学、フランス文学、日本古典文学までも射程にした研究もコトバの形而上学に収斂していったのだった。


 多様なコトバの働きを実感していた井筒にとって、「読む」ということも通常とは異なる営みとしいて認識されていた。「読む」とは、「書く」ことに勝るとも劣らない、創造的な営為である、それが哲学者井筒俊彦の確信だった。最後の著作となった『意識の形而上学--「大乗起信論」の哲学』で井筒は、仏教哲学の古典「大乗起信論」を今日的に「読む」ことにふれ、独白するかのようにこう語った。
 「要は、古いテクストを新しく読むということだ。『読む』、新しく読む、読みなおす。古いテクストを古いテクストとしてではなく……」。千年以上前に著されたこの書物を、歴史に裏打ちされた言説としてだけでなく、時空を超えて現代に現れた、今のコトバとして「読む」ことこそが、哲学にもとめられている、というのである。さらに井筒は先の一節に次のように続ける。
 「貴重な文化的遺産として我々に伝えられてきた伝統的思想テクストを、いたずらに過去のものとして神棚の上にかざったままにしておかないで、積極的にそれらを現代的視座から、全く新しく読みなおすこと。切実な現代思想の要請に応じつつ、古典的テクストの示唆する哲学的思惟の可能性を、創造的、かつ未来志向的、に読み解き展開させていくこと」


 見た目には古い言葉を「読む」ことを通じて、今のコトバとしてよみがえらせること、その経験を「書く」ことによって世界に刻むこと、それが哲学者の使命であると井筒は信じた。こうした哲学的態度は、晩年になるほど先鋭化されていったのだが、その萌芽は若き日の代表作『神秘哲学』にもはっきりと認められる。
 古典を、井筒が新しいコトバとして「読んだ」ように、私たちも井筒俊彦の哲学を、過去の軌跡としてではなく、今のコトバとして「読み」、その叡知を現代に生かすことが求められているのではないだろうか。(わかまつ・えいすけ)
    --「コトバはどこへ行くのか 井筒俊彦を『読みなおす』意義 寄稿・若松英輔」、『毎日新聞』2015年02月16日(月)付夕刊。

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日記:学問として全く根拠のない疑似科学の如き「人種(主義)」で人間を区分することの錯誤がちっとも認識できていないのが曽野綾子さん

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外電を駆けめぐった『産経新聞』連載の曽野綾子大先生のアパルトヘイト容認のコラム問題、ようやく『毎日新聞』が「まとめ」報道しました。

曽野綾子さんは、『毎日新聞』に弁明のコメントを寄せておりますが、基本的に「区別」は「差別」ではないという認識のご様子。

しかし、合衆国の黒人「差別」も「区別」という認識で遂行された訳でして、その虚偽がもう何十年も前から指摘されていることを踏まえるならば、公共媒体に「垂れ流し」て「個人的に思っている」ってことで不問に付すのはいかがなものかと思いますよ。

曰わく「南米には、日系人たちが集まって住んでいるコロニア(移住地)が、あちこちにありました。日本にも、自然発生的にできたブラジル人の多い町があると聞いています」だそうですけど、同質社会からの脱却こそ必要な視座であり、囲い込み式の収斂を「文化」と錯覚してしまうところはどうなんだという時代錯誤に他ならず、日系ブラジル社会の現在を語るなら、藤巻秀樹さんの『「移民列島」ニッポン』(藤原書店)ぐらい目を通してからぬけぬけと言えよという感ですわ。

『毎日新聞』の報道で、アイルランド出身で英エコノミスト誌東京特派員のデビッド・マクニールさん(49)は「曽野さんは人種で人を分けて考え、個性を否定している。私の息子は私と日本人の妻の間に生まれたが、どの人種に属することになるのか」とコメントしましたが、曽野綾子さんはどう応えるのだろうか。

「そもそも論」で恐縮ですけど、この現代において、いわば学問として全く根拠のない疑似科学の如き「人種(主義)」で人間を区分することの錯誤がちっとも認識できていないのが曽野綾子さんやその取り巻きなんだろう、「私は聞いた」という実感信仰といううすっぺらい反知性主義。

何かを「識者」然として語るのであれば、自身の「不明」を認識してから発言すべきだろう。

どうもおかしいのは、こうした差別主義者の歪んだ言説が、さもありがたいご高説と受け止められてしまう日本社会。これは異常以外の何者でもないですよ。


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曽野さんコラム:反発相次ぐ 「人種住み分け憎悪生む」
毎日新聞 2015年02月21日 東京朝刊


 作家の曽野綾子氏が人種による住み分けを提唱するコラムを書いたことが波紋を広げている。1948年から91年までアパルトヘイト(人種隔離)政策を推進した南アフリカ共和国の駐日大使は、掲載した産経新聞に「アパルトヘイトを許容するもの」と抗議し、日本に住む外国の人々からは「憎しみの感情を生み出す」などと反発の声が出ている。【青島顕、斎川瞳】

 きっかけは、産経11日朝刊の「労働力不足と移民」と題したコラム。曽野氏は今後の日本には労働移民が必要だと説いた上で、居住区について「白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」などと書いた。これに対し、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使は「アパルトヘイトを許容し、美化した」と反応。産経に抗議したNPO法人・アフリカ日本協議会は「アパルトヘイトは、一部の集団が、権利を剥奪された他の集団を必要なぶんだけ労働力として利用しつつ、居住区は別に指定して自分たちの生活空間から排除する(中略)システム」と指摘した。

 南太平洋ソロモン諸島出身で東京の大学院に学ぶティモシー・カレさん(31)は褐色の肌に長身。住み分けについて「交流がなくなり、憎しみの感情を生み出す恐れがある」。3年間暮らす大学寮では、外国人と日本人が共に生活しており「互いのよさが分かり、友人もできた。異文化を取り入れることができる」。コラムの内容は知っており、「反対だ」と語った。

 アイルランド出身で英エコノミスト誌東京特派員のデビッド・マクニールさん(49)は「曽野さんは人種で人を分けて考え、個性を否定している。私の息子は私と日本人の妻の間に生まれたが、どの人種に属することになるのか」とコメントした。

 曽野氏は15日の産経朝刊で、「アパルトヘイト政策を日本で行うよう提唱してなどいません」と表明し、毎日新聞に対し、次のような手記(要旨)を寄せた。

      ◇

 南米には、日系人たちが集まって住んでいるコロニア(移住地)が、あちこちにありました。日本にも、自然発生的にできたブラジル人の多い町があると聞いています。しかしいずれも完全に隔離などされていません。そこにいたい人が住み、外国人も自由にその町に出入りして、食物や文化の特殊性を楽しませてもらうわけです。私はそういう形の開放された「自由な別居」があってもいい、と個人的に思っています。

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 ◇曽野綾子氏

 1931年東京都生まれ。夫は作家、三浦朱門氏。95-2005年日本財団会長。03年文化功労者、12年菊池寛賞。小説に「神の汚れた手」「天上の青」など。保守派の論客としても知られる。
    --「曽野さんコラム:反発相次ぐ 『人種住み分け憎悪生む』」、『毎日新聞』2015年02月21日(土)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150221ddm041040130000c.html:title]

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覚え書:「インタビュー:分断される世界 仏人類学・歴史学者のエマニュエル・トッドさん」、『朝日新聞』2015年02月19日(木)付。


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インタビュー:分断される世界 仏人類学・歴史学者のエマニュエル・トッドさん
2015年2月19日

(写真キャプション)「そのうち心の難民として日本にお世話になるかもしれないよ」=パリの自宅で、イザベル・コントレーラス撮影


 パリやコペンハーゲンの連続テロ、過激派組織「イスラム国」の暴虐と、人間の価値や文明を否定する愚行が続く。フランスを代表する知性はしかし、母国で370万人が参加した追悼と抗議の大行進をも冷ややかに眺めていた。そして「9・11」以降、何かにつかれたように好戦的になるオクシダン(欧米や日本などの西側世界)を憂える。

 ――フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」襲撃事件では、表現の自由と宗教批判、信者への配慮などが内外で論議を呼びました。

 「表現の自由は絶対でなければいけません。風刺の自由も絶対です。つまり、シャルリーにはムハンマドの風刺画を載せる権利があります。そして、フランス政府にはそれを守る義務がある。だから治安を担う内務相の責任は大きい。常駐の警官が1人ではなく3人だったら、あれほどの惨事は防げたでしょう」

 「一方で私にも誰にでも、無論イスラム教徒にも、シャルリーを批判する権利がある。イスラム嫌いのくだらん新聞だと、事件の後も軽蔑し続ける権利が完全にあるのです」

 ――でもそれを口にしにくい状況でした。国中が「私はシャルリー」一色になりましたから。

 「事件後の私たちは、酔っ払いが馬鹿を言っただけで捕まり、8歳か9歳の子が(学校での「テロ称賛」発言の疑いで)警察に呼ばれる国に暮らしています。国内メディアから20件ほど取材依頼がありますが、すべて断りました。何の得にもならない、心置きなく話せる環境ではないと感じるからです。本来は大統領さえののしれる国ですし、私もそうしてきましたので、この現実は耐えがたい。人々の感情が高ぶっていては安心して自由に話せません」

 ――何か脅しのようなものが?

 「ありませんが、例えば仲間内のおしゃべりで私がシャルリーを批判する権利に触れたとします。社会的弱者が頼る宗教を風刺するのは品がないぜと。すると相手は『君は表現の自由に賛成じゃないのか、本当のフランス人じゃないな』と決めつけるわけです。上流の知識層でリベラルな人々が、あの大行進に参加した人々がです。『私はシャルリー』が『私はフランス人』と同義になっている。私はシャルリーじゃない、つまり宗教上の少数派を保護し、尊重しなければと言ったとたん、本物のフランス人ではないと……」

 「今日の社会で表現の自由を妨げるのは、昔ながらの検閲ではありません。今風のやり方は、山ほどの言説によって真実や反対意見、隅っこで語られていることを押しつぶし、世論の主導権を握ることです」

 ――フランスの空気が変に?

 「連続テロ以来、メディアも政治家も神話の中に生きている。私たちは米国人や日本人と同様、長所も短所もある普通の国民です。なのに、我々はテロに屈せず約400万人が行進した勇敢ですばらしい国民だ、1・11(大行進)の精神だと。まるでその精神が国内問題を一気に片づけてくれるかの期待さえある。でも(移民が多い)郊外の問題は解決できないし、イスラム嫌いは広がっている。経済危機も雇用難もそのままです。神話を終わらせるのは、私の異見ではなく現実でしょう」

 ――移民を同化させる政策が失敗した結果とも解釈できます。

 「イスラム嫌いは(同化政策を採らない)英独でも広がっている。フランスの不思議は、欧州で極右が一番強いのに、異人種、異教間の結婚が多い点です。移民の子孫も家族レベルでは社会に定着しています。テロ容疑者だけがムスリムではなく、成功して家を買う人も多い」

    ■     ■

 ――イスラムを名乗る過激主義の横行は、かつてあなたが否定された「文明の衝突」にも見えます。

 「この世界では二つの危機が重なり合っています。まずは米欧、日韓など発展の先頭を行く国々の危機です。消費社会の先に目標を定める必要があるが、うまくいっていない。消費社会はむしろ退化し、日本を含む西側諸国では若者にしわ寄せが及んでいます。それはまず、出生率の低下に表れる。ドイツや日本は人口の減少に直面し、先行きがますます不確実、不透明になっている」

 「もう一つの危機は、移行期にある途上国のものです。皆が読み書きできるようになり、人口増のペースが鈍り始めた社会。イスラム圏が典型ですが、かつてのフランスや日本が経験したように、そこには迷いと混乱、暴力がつきものです。例えば教育水準でも、地球上の社会すべてが同じ時代にあるわけではない。米欧日やロシアでは若者の30~50%が高等教育を受け、自由競争が彼らの生活水準を押し下げています。他方イスラム圏の教育水準は、先進国の1900年ごろにあたります」

 ――発展段階が違う社会が共存しているということですね。

 「この二つの世界(西側とイスラム圏)はまるで違う時代に生きているのに、グローバル化により人が盛んに行き来するようになりました。両者の間には常に、おかしな衝突や相互作用が起きます。中でもアラブ系住民が多いフランスでの混乱は著しい。この国のムスリムは、近代化に伴う問題と同時に、現代社会の危機、例えば学歴や若者の失業など、先進国特有の問題にも直面しています。彼らの苦境と中東の混乱を結合させて語るのはまるで幻想ですが、典型的な『衝突』の事例です」

    ■     ■

 ――過激派組織「イスラム国(IS)」が日本人を殺害したことについては何を思いましたか。

 「恐ろしい話だが、パリの連続テロに比べると、より偶発的だと考えます。国内でテロが起きない保証はないけれど、日本は原油確保のためアラブ世界には気をつかってきました。パニックに陥ることはない」

 ――このような過激勢力を台頭させた責任は欧米にもあります。

 「はい。中東に近い欧州はイスラム社会とのしがらみが強い。(旧オスマントルコ分割時の)英仏の秘密協定や植民地支配にまでさかのぼれます。しかし、ISを生んだのは米国のイラク侵攻です。『欧米』ではなく米国の責任。米国が中東の政治的均衡を壊したのです」

 「先ほど先進国と途上国の歴史のズレに触れましたが、西側世界の中でも時差がある。9・11後の米国は異常であり、欧州は分別ある古い世界として、それを戒める役回りを自覚していました。仏独ロの首脳が、平和主義者として共同で会見したんです。米国よ、正気に戻れと」

 「ところがここ2年ほど、かつて米国が感染した好戦的なウイルスに欧州もやられた感があります。印象的なのは『ロシア嫌い』です。欧州はイラク戦争時の共同歩調を解いたうえ、ロシアにいら立つようになった。米国の姿勢に近づきました」

 ――まるで冷戦期ですね。

 「驚いたことに、賢明で分別があると思われたカナダや豪州までが好戦的になった。スウェーデンもプーチンに厳しい。みんなロシアやアラブ世界にいら立っています。西側の熱病はまずリーダーの米国を襲い、欧州を巻き込み、好戦的な、いわば狂気が世界に広がりつつある」

 「70年代に米知識人の著書で見た『西側ナルシシズム』の言葉を思います。米国人の基本的な個性は、自分の中に閉じこもることだという分析です。自分にしか関心のない個人が集まれば、自己偏愛的な社会ができあがる。地政学的には、自分たちこそ世界の真ん中だと考える国になる、というわけです。そんな傾向が先進国に拡散しているのです」

 「こちらのメディアは『国際社会が非難している』という表現を使いますが、それは米国+同盟国だけだったりする。中国やインドが抜けたら人類の半分以下かもしれない。西側世界は熱狂しやすく、自己偏愛や不寛容が膨らみ、世界全体が見えていない。大いに心配しています」

    ■     ■

 ――日本は大丈夫でしょうか。

 「居心地は悪いでしょう。西側世界の一員なのに、米欧のように世界の中心だなんて思えないからです。日本は安全保障的に西側であり続ける必要があるが、こと中東対応では最低限の連帯を口頭で示しておけばよい。戦略的課題はまず中国です。米国、中国、ロシアとどう付き合うか。巨大な中国は不安定ですから、対米の次に重視すべきは対ロ外交だと思われます。その正しい方向性がウクライナ危機でぼやけたのは、日本にとっては痛恨事ですね」

    *

 Emmanuel Todd 1951年生まれ。英ケンブリッジ大学博士。家族制度や人口による社会分析で知られ、70年代にソ連崩壊を予言した。

 ■取材を終えて

 お宅での取材は2回目。いつにもましてくつろいだ様子で、はき慣れたジーンズから青いシャツがはみ出している。髪をかき上げながら、機知に富んだいつものトッド節だ。ただ今回は、ある種の覚悟を感じた。国内メディアに口をつぐみ、外国の新聞に語り続ける境遇を、ナチス占領下の国民に英BBCから抗戦を呼びかけた先人になぞらえる。国を代表する知識人にそうまで思わせるフランスは、やはり正気を失いかけているのだろうか。あの大行進に参加した一人として考え込んだ。個人主義の権化のような国にして、これである。社会が一色になりそうな時こそ、もろもろの自由や理性は大丈夫か、覚めた目を光らせたい。

 (特別編集委員・冨永格)
    --「インタビュー:分断される世界 仏人類学・歴史学者のエマニュエル・トッドさん」、『朝日新聞』2015年02月19日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11608952.html:title]


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覚え書:「旅活:曽野綾子さんの別荘」、『毎日新聞』2015年02月14日(土)~16日(月)付。


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旅活:曽野綾子さんの別荘/上 「甘い生活」じゃない 三浦半島の緩い崖 /東京
毎日新聞 2015年02月14日 地方版

 寂しい気分が抜けない1月のある日、曽野綾子さん(83)に会いに行こうと思った。なぜって、曽野さんの江戸弁、鉄砲玉のようなおしゃべりは元気が出る。東京の自宅に用件を伝えると、ほどなく本人から「じゃあ、三浦半島においでになりません?」と電話があり、電車を乗り継ぎ、夕刻前、別荘を訪ねた。【藤原章生】

 半島の小さな丘、というより緩い崖に建つ一軒家。文壇関係や友人がわいわいいるログキャビンを想像していたが、1970年代風のシンプルな平屋で、曽野さんが1人待っていた。時折、近所の夫妻が家事を手伝う。

 「ご夫妻、お孫さんもいるんでお邪魔だから、正月は来ないようにしてて、昨日久しぶりに来てね。ご夫妻とこの辺で取れた物で料理して3人で食べるのが私の楽しみなんです。ミカンの木が30本くらいあるんですよ。農家の方が出荷できないからって言って、曲がった大根も時々くださる。そこの花瓶の水仙も、この辺りに咲いているのを取ってきてね」

 真っ赤なカーディガン、大きめのネックレスでおしゃれをしている。ソファのほか飾り物のないシンプルな居間からは、相模湾が一望できる。「晴れてれば今ごろ、夕日がきれいなんですよ。月も沈むし」。露骨に羨ましそうな顔をすると、「でも、わたくし、ここで遊んでませんよ。仕事ばかりなんです」と付け足した。いや別に「遊んでていいな」なんて言ってはいないんですが。

 「34年前に建てた時、(夜ごと派手なパーティーが繰り広げられるイタリア映画)『甘い生活』をしていると村の方は思ってたんです。で、あるとき、近くの奥さんが手伝いに来て本当にたまげて、『小説家って忙しいんだね』って。ここはオフィスと同じですよ。でも嫌じゃない。書くのが道楽ですから」

 何となく話題はテレビに流れた。「日本のテレビは見られない。浮かれ過ぎなんですよ。笑いで時間潰してるでしょ。食べ物と旅行とアチャラカでしょ」「アチャラカ?」「わーわー言うこと。お笑いの人をバカにしてるんじゃないんですけど、大人じゃない、ひどく幼稚化しましたよ」

 じゃあ、テレビは見ないのか。「見ますよ。この前好きな番組を聞かれて、『NCIS ネイビー犯罪捜査班』(2003年から放送された米国のドラマ)って言ったの。会話が大人で、わめかない。上役の悪口なんかも全部知的です。イスラエル人の細部まで正確でね」

 かちっとしたドラマが好きなのか。「ばかばかしいのも好きですよ。『セックス・アンド・ザ・シティ』(1998-04年放送の米国の連続ドラマ)は、4人の女性のキャラクターがいいんですよ、それぞれに。ファッションもきれいじゃないですか」。4人のキャリア女性の性意識を小気味よい会話で描いたコメディータッチのドラマだ。

 「どの人が好きでした?」と聞くと、「どれとも共感しなかったけど、どれも面白かったですね。作家として見るとよくできてるんです」。ちょっと優等生的な答えだ。

 「僕は年増の金髪、サマンサですね、一番奔放な」と言うとパッと笑顔になった。「あ、でっかくて荒っぽいの? あれ好きよ。あの人、すごくあけすけで。隣の旦那がセックスやってるの丸見えなのじっと見てたりね。主人公はかえってまともすぎるのよ。保守的な2人もあまり面白くないでしょ。あたし、あの荒っぽいのがいいわ」

 米国のドラマが好きなため、CS放送と契約している。「泣く泣く高いお金払って見てるんです」「旦那さんと並んで?」「うちはベッドとテレビは別々、一緒になんて見ませんよ。(夫で作家の)三浦朱門さんは警察24時間とかしか見ないの。けちだから、CSなんて見ないんです」

 でも同じ家だから料金は同じはずでは……。「とにかく全体に日本の番組は幼稚化なんです。(高齢化で)子どももいないのに、どの局もそう。あのキャラクターが出てくるでしょ、『ふなっしー』とか」。実は結構、見ているようだ。

 「ああいうの(ゆるキャラ)が出てくるとあたし、すぐチャンネルを切り替えます。ああいうのに頼りすぎですよ。全国にたくさんいるんでしょ。何千もいるって話じゃないですか。警察署にまで。気味悪いですよ。私たち、もう大人ですからね」

 乗ってきたのか、曽野さんの主語が「わたくし」から「あたし」に変わってきた。

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     --「旅活:曽野綾子さんの別荘/上 『甘い生活』じゃない 三浦半島の緩い崖 /東京」、『毎日新聞』2015年02月14日(土)付。

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[http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20150214ddlk13100002000c.html:title]


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旅活:曽野綾子さんの別荘/中 人並みな暮らしがいい 窓外に暗礁のあかり /東京
毎日新聞 2015年02月15日 地方版

(写真キャプション)「去年は体調今ひとつだったですけど、クルーズやベルリンフィル聴きに行ったり、海外に3回旅に出ました」と話す曾野綾子さん=三浦半島の別荘で

 曽野綾子さんというと、政治家に囲まれているイメージがあるが、思い込みのようだ。「政治家ってほとんどだめ。一人も親しくない。存じ上げている方は何人もあるけど親友じゃない」

 好き嫌いが激しい。「このごろは3分以内でわかりますよ、その人と付き合えるか。書いた物でも分かる」。ひと目では分からないようだ。「うん、ちょっとね。例えばどこかの事務室に行って、ぱっと見回して、どの方にお願いすればうまく取材できるか、すぐ分かる。権力、権威主義者だけ、だめなんです。そういう人は私だめ。10分以内に匂ってくる。政治家は権威主義者じゃなきゃ当選できないですからね、それと人間に対するへつらいがないと」

 曽野さんには諮問委員会のうるさ型、なんて雰囲気もある。「教育再生実行会議も10カ月くらいで辞任したんです。総理官邸見ると一種の拒否反応? ユーウツになってきたので……」。さすがに「胸くそが悪い」とは言わない。

 「いじめを制度でなくそうとなんて、そんなことで人間が変わるわけない。先生が見張れと言いますが、先生には見張りきれません。終始一貫、大学まで『俺の良い面を見つけた教師がいなかった』でいいじゃないですか。恨みを土台に伸びればいいんですよ。そういう発想が全然ないんです。金なし、チャンスなし、引きがなくても、やるのが本物でしょ。文部科学省は耐えさせないの、子どもに。勇気も教えない」

 勇気? とっさに、妙に勇ましい体育教員、往復ビンタが得意な男の顔を思い出した。「勇気、ですか?」

 「昔は親分みたいのがいてね。いじめをしちゃいかん、俺がかばってやるとか、勇気があったんです。爆弾三勇士もいけません、広瀬中佐もいけませんってなって、勇気を誰も教えなくなったんですよ」「爆弾?」「爆弾三勇士!」「はあ」「(日露戦争の英雄)広瀬中佐もいたでしょ」「広瀬?」「広瀬中佐が杉野曹長をかばった有名な歌がある。勇気と言えば、あれしか思い出さないみたいね」「はあ」

 「そうそう、吉行淳之介さんがね、あれ、広瀬中佐と杉野曹長が男色だった。だから、愛する杉野を置いてけなかったから、杉野はいずこ、杉野はいずや、って探しまわって死んだんだって。おかしいでしょ。文壇て、そこまで自由だったんですよ」「なんか、面白いっすね」「吉行さんって総じて本当に才気がおありでしたね」

  気がつくと、外はまっ暗。窓の外は海。遠くに銀の光がまたたいている。

 「あれね、暗礁の警報のあかりなんですよ。きれいでしょ。そろそろ、ビールでもどうですか」。手伝いの女性と曽野さんが盛りつけを始めた。酢をまぶした野菜にエビとホタテが乗ったカルパッチョだ。「海の幸以外は、近所でとれた物なんですよ」

 なんとなく旅の話に。「私ね、イタリア、大好きで、本(自伝『この世に恋して』)でも書いてるんです」

  Come  stata  ricca   la   mia  vita(コーメ・スタータ・リッカ・ラ・ミア・ビータ)。「直訳すれば、私の人生、なんて豊かだったのという意味だそうですね」。庶民が自然に口にするセリフだ。「すごくいい言葉。リッカ(豊か)には家や自動車とかのぜいたくじゃなくて、人並みな暮らし、本当の人生が手に入ればいいってことなんですってね」

 人生はうまくいかない。だからきれいな人を見たとか、下らない笑い話に派手に喜ぶところがラテン世界にはある、と応じると「それ、才能ですよ、ちょっとしたことに幸せを求められるのがね。これ、カサゴの空揚げ、おいしいのよ」。

 イタリア北部、アバノの温泉で療養した時も、いい言葉を聞いた。「体に泥を塗ってくれるおばさん、14歳からずっとやってるんですって。最後の日に『1週間楽しく過ごせたわ』ってお礼を言ったら、『コメディア・テルミナータ(喜劇はおしまい)』って言うの。面白かったってことでしょうけど、健康や美容とか私が過剰に期待するのも全ておかしくかわいくバカで、それが人間なのよって意味なのかしらって。だからおばさんの一言がとっても良かったの」【藤原章生】

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    --「旅活:曽野綾子さんの別荘/中 人並みな暮らしがいい 窓外に暗礁のあかり /東京」、『毎日新聞』2015年02月15日(日)付。

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旅活:曽野綾子さんの別荘/下 デタラメへの恋心今も 南へのまなざし /東京
毎日新聞 2015年02月16日 地方版

 旅と読書と執筆。曽野綾子さんはそれを3等分にした生活が理想だと言う。「一つだと私はちょっと生きが悪くなる。そう言えば最近、大佛次郎の『帰郷』を手に入れたんです」。1948年、毎日新聞に連載された、戦時中のマレー半島で始まる小説だ。「私、そのころ16で、心震わせて読んだんです。シンガポールが昭南だった時代、日本を捨てた男と、ダイヤをひそかに祖国に送る女。あり得た話だと思う」

 東南アジア、アフリカ。南へのまなざしは10代からのようだ。「南方が胸震わせるほど好きなのは、(作家)サマセット・モームの追っ払われていくような、打ちひしがれたっていうのもあるけど、『型にはまった社会にいるものか』って気持ちもありますね。南にはデタラメと可能性と明るさがあって、それに対する恋心、今もあるんです」

 南には牧歌的な面だけでなく、人種、階級差別など、負の面もある。

 「シンガポールのプールで、9歳くらいの子がインド人のメイドさんをぶん殴ったのを孫が見たことがあって。あんなふうになってはいけない、と言いましたし、植民地の面影って嫌ですけど、人間が起こすことを私、拒否しないんです。どんな可能性も受け入れるんです」

 そもそも人間が立派だとは思っていない。

 「人間って弱いもの。弱者はひどい、恥ずかしいこともします。私、踏み絵を踏まなければ殺すと言われたら、すぐに踏むと思ってますよ」。信仰に限らず、自分を守るため、平気でうそをつくといった意味合いだ。

 「戦前、赤狩りがあったでしょ、共産党員の。軍部の手前、『思想を捨てた』と言えばいいって人は全部だめになったって。踏み絵はやはり人間をだめにするそうです」。曽野さんにルワンダ大虐殺を描いた作品「哀歌」がある。追われる民族ツチをかくまう修道院が、敵対するフツに引き渡しを迫られる場面は、まさに「踏み絵」だ。

 「私が修道院長で、『ツチのシスターを出さなかったら、修道院に火をつけるぞ』と言われたら、どうするかって問題です。私いまだに答え、出ない」

 殉教についてよく考える。「語源は『証(あかし)する』って意味のギリシャ語から来ているそうです。人間は恐怖を前に心が弱まるけど、突然の神の力で耐え抜いたのが殉教者なんですって」。神がいると証明したという意味のようだ。「そういう神の力が私には分からないから、踏むのは当たり前ですとも言えない。そういう感じですね、今のところ」

 筆を曲げない人だ。差別的な表現の修正を求められ、新聞、雑誌の掲載を取りやめたことが何度かある。「産経以外の新聞に断られてますから。ちょっと前までは宗教団体や中国の悪口を言ったらだめだったんです。で、第三のウエーブが、差別語でしょ。私は人間の悪を書きたいから、悪い言葉も残しときたい」

 性格が偏っていると、自分でも言う。

 「偏ってなかったら小説なんか書けませんよ。偏りが嫌ならお役人に全部書かせりゃいい。偏っても生かしていただけるという証しが私の任務。生かしてもらえない社会もありますものね」

 証し。殉教の語源でもある。職人を自任するが、筆の力は年々上がるのか。「同じですね。でも書くことがあるうちは書く。書かなくなった時、天下晴れて『怠け者』になります」

 そんな気もないくせに、という顔で見返したら、目で笑い返した。【藤原章生】=来週は走活です。

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    --「旅活:曽野綾子さんの別荘/下 デタラメへの恋心今も 南へのまなざし /東京」、『毎日新聞』2015年02月16日(月)付。

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[http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20150216ddlk13100002000c.html:title]

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日記:アメリカの大学に万歳アタックをかける外務省官僚とは……


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[http://www.smh.com.au/world/shinzo-abes-government-plays-down-historians-concerns-over-south-koreas-comfort-women--in-wwii-20150210-13adis.html:title]

Shinzo Abe's government plays down historians' concerns over South Korea's 'comfort women' in WWII


政治家やそこに収斂していく自称知識人がバカであるケースはなきにしもあらずで、これは日本に限られた現象ではないとは思うのですけど、まあ、一国の最高学府を卒業してその実務をこなす官僚たちが、まあ、思想としての「まがい物」に何の反省もなく「飛びつく」というのはこれ、どうなんだろう。

べつに外務省の高級官僚のほとんどが、靖国神社へ参って積極的に手を合わせているなどとは想像できない訳ですよ。

官僚が政治家を支配しているなどとよく言われますが、安倍さんの思想へ影響を与えているとも思えない。しかし、この、歪み? 劣化? というは理解に苦しむ。

消極的反抗とかないのかと。

勉強ができるということが、必ずしも「聡明」ではない訳ですけども、それでもひどいものがあるのだなあと戦慄する次第です。

まあ、人間をゆがめるのが現代というシステムですから、アイヒマン化してそれも業務なんだろうとぐったり。

しかし、余所の国の教科書の内容にイチャモンつけるなどとは、ネットで「保守」だの「国士」だの言われる界隈がよく口にする「内政干渉」だろうに。

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覚え書:「曽野氏コラム、共生願う心に波紋 『国際社会で通じぬ』」、『朝日新聞』2015年02月17日(火)付。


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曽野氏コラム、共生願う心に波紋 「国際社会で通じぬ」
牛尾梓、清水大輔、山本孝興、斉藤佑介2015年2月17日

(写真キャプション)産経新聞に掲載された曽野綾子氏の文章の一部=時津剛撮影

 外国人と居住区だけは別にした方がいい――。11日の産経新聞紙上に掲載された作家・曽野綾子氏のコラムが波紋を呼んでいる。ともに住めば摩擦もある。でも、互いに歩み寄れば解決できると、多文化共生を進めてきた街の住民たちは語る。(牛尾梓、清水大輔、山本孝興、斉藤佑介)

曽野綾子さん「アパルトヘイト称揚してない」
 「居住を分けることはまさにアパルトヘイト。看過できない」。産経新聞社と曽野氏に抗議文を出したNPO法人アフリカ日本協議会の斉藤龍一郎事務局長は言う。

 南山大(名古屋市)などで講師をする南アフリカ出身の歌手プリスカ・モロツィさんは曽野氏の主張について「どうしてそんなことが言えるのか。アパルトヘイトでたくさんの黒人が死んだのに」と憤った。

 11日の掲載後、ロイター通信など海外メディアは「首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを称賛」などと報じた。ネット上で問題視する声が広がり、プリスカさんも日本に住む英国の友人からフェイスブックで教えられ、同郷の友人らともネット上で議論した。

 両親はザンビアに亡命。南アの祖母宅を訪れた際には、白人の警察官に「ニガー(黒人の蔑称)」と呼ばれた。バスもトイレもすべて白人とは別。母の実家は土地を奪われ、反アパルトヘイトを唱えた親戚は殺された。プリスカさんは「日本人はほかのアジア人より上だと思っているの? 私たち人間に上も下もない」。

 東京・大久保に15年前から住む40代の韓国人男性は「ばかげている。国際社会では全く理解されない主張ではないか」。

 来日当初は、部屋探しで不動産業者から「外国人お断り」と言われることが多かったが、最近では中国や中東の人たちも普通に暮らす。半面、ヘイトスピーチがきっかけで商店の客足は激減。「居住は別という考えもヘイトスピーチも、異なる相手を一方的に拒絶する点で同じでは」

 南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使らからの抗議を受けて、産経新聞は15日朝刊で小林毅・東京編集局長が「(コラムは)曽野氏ご本人の意見として掲載した。産経新聞は、一貫してアパルトヘイトはもとより、人種差別などあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」とコメント。同社広報部は16日、朝日新聞の取材に「15日に掲載した記事以上にお話しすることはありません」とした。(牛尾梓、清水大輔)

 群馬県大泉町では1990年の入管法改正後、企業城下町として日系人労働者が集中し、ピーク時の08年には町の人口約4万2千人のうち日系ブラジル人が5140人(12・2%)を占めた。

 町多文化共生コミュニティセンターによると、当初は、ゴミ分別の習慣がないことや、週末のバーベキューパーティーの騒音などで、地元住民との摩擦も少なくなかったという。

 日系3世の平野勇パウロさん(36)は「自分たちのコミュニティーで完結して交流を持つ必要もなかった」。だが互いを理解しようとする姿勢が生まれ共生が進んだ。町は月1回、ポルトガル語の広報紙を配布。平野さんも日本人向けにブラジル人コミュニティーを紹介する季刊紙を発行した。

 東京・池袋。地元の豊島区観光協会の斉木勝好会長(76)は中国人店主らにこう繰り返したという。「私たちも中国の文化を理解する。だから、あなたたちも日本人の作法を理解して」

 90年代ごろから、家賃の安いアパートに中国出身の留学生らが集まり、次第に中国系商店も立ち並びだした。通りに勝手に物を置く。商店街の会費も払わない。そんな姿勢だった店主らも少しずつ日本の文化になじんできた。中国系2世の店主らが商店街の役員にもなった。

 斉木さんは「他国の文化を受け入れるには時間がかかる。それでも、少しずつ歩み寄り、理解することで共生出来る。それを拒めば、対立しか生まれない」と話した。(山本孝興、斉藤佑介)

■メディア間で検証を

〈山田健太・専修大教授(言論法)の話〉 日本では人種差別表現を直接規制する法はない。メディアが表現の限界を自主的に検討するかたちで社会的合意が作られてきた。人権への配慮は報道機関の倫理であり、編集権を担う者は、記事でも外部筆者のコラムでも、人種隔離を肯定する言論を載せるべきではない。ただ、部落差別問題と同じで、差別用語の使用自体が問題なのではなく、文脈での内容の批評が必要。今回の表現が、批判されているような「アパルトヘイトの美化」なのかどうか、メディア同士で検証、批判し合うべきだ。

■国際問題になりうる

〈日本の南米系移民や排外主義に詳しい樋口直人・徳島大准教授(社会学)の話〉 国際的に「人道に対する罪」と確定しているアパルトヘイトを肯定するような内容で、国際問題になりかねない。ホロコーストにも良い点があったという発言に近い発言であることを認識する必要がある。アパルトヘイトは提唱していないと言うが、居住を区切るには法制が必要で、コラムは人種隔離体制で外国人労働力を受け入れよと言っているに等しい。居住を分ける根拠として、生活習慣の違いを指摘しているが、例えば日本で外国人がゴミ出しを守らない例があるとして、それは民族の問題でない。派遣労働や夜勤など生活サイクルの問題だ。

在日外国人にとっては、社会的な排斥と受け取れる内容が、影響力を持つ人の意見として全国紙に載り、社会に浸透していく恐怖感を持つだろう。政治的立場、人権感覚の問題以前に、国際問題となるようなものは、芽を摘んでいく必要がある。

     ◇

■産経新聞に掲載された曽野氏のコラムの要旨

 他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい。

 日本は労働移民を認めねばならない立場に追い込まれている。そのためのバリアは取り除かねばならない。同時に移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。それは非人道的ではない。

 南アフリカ共和国の実情を知って以来、居住区だけは白人、アジア人、黒人と分けて住む方がいいと思うようになった。白人だけが住んでいた集合住宅に、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。彼らは大家族主義で、1区画に20~30人が住みだした。マンションは水の出ない建物になり、白人は逃げ出し、住み続けるのは黒人だけになった。研究も運動も一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい。

     ◇

〈アパルトヘイト〉 かつて南アフリカ共和国で行われていた人種隔離政策。約2割の白人支配層が非白人を差別し、居住地区を定めたり、異人種間の結婚を禁じたりした。参政権も認めなかった。多くの黒人は都市へ出稼ぎに行き、安い労働力の供給源となった。1960年代から反対闘争が激化。国際社会の批判も高まり、91年にはアパルトヘイト関連法が廃止された。初の全人種参加となった94年の総選挙で故ネルソン・マンデラ氏が同国初の黒人大統領に就任した。
    --「曽野氏コラム、共生願う心に波紋 『国際社会で通じぬ』」、『朝日新聞』2015年02月17日(火)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASH2J5SYDH2JUTIL04H.html:title]


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曽野綾子氏「アパルトヘイト称揚してない」
2015年2月17日

 11日の産経新聞紙上に掲載されたコラムが「アパルトヘイトを許容している」との抗議を受けたことについて見解を求めたところ、作家・曽野綾子氏は朝日新聞に次のコメントを文書で寄せた。

曽野氏コラム、共生願う心に波紋 「国際社会で通じぬ」
     ◇

 私はブログやツイッターなどと関係のない世界で生きて来て、今回、まちがった情報に基づいて興奮している人々を知りました。

 私が安倍総理のアドヴァイザーであったことなど一度もありません。そのような記事を配信した新聞は、日本のであろうと、外国のであろうと、その根拠を示す責任があります。もし示せない時には記事の訂正をされるのがマスコミの良心というものでしょう。

 私は、アパルトヘイトを称揚したことなどありませんが、「チャイナ・タウン」や「リトル・東京」の存在はいいものでしょう。

     ◇

 〈その・あやこ〉 1931年生まれ。堕胎を扱った「神の汚れた手」など著書多数。2003年、夫の三浦朱門氏に続き文化功労者。13年1月に安倍政権の教育再生実行会議委員(同年10月辞任)。保守派の論客として知られ、同年8月には週刊誌で「女性は赤ちゃんが生まれたら、いったん退職してもらう」「職場でパワハラだセクハラだと騒ぎ立てる女性も、幼稚」などと発言し、論争になった。エッセー集「人間にとって成熟とは何か」は13年のベストセラー。
    --「曽野綾子氏『アパルトヘイト称揚してない』」、『朝日新聞』2015年02月17日(火)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASH2J5TWDH2JUTIL04N.html:title]


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TOPICS/隔離、それでいいの? 曽野氏の産経コラム「居住は人種別に」
2015年2月17日

(写真キャプション)Part of the column written by Ayako Sono that appeared in the Feb. 11 edition of The Sankei Shimbun. (Takeshi Tokitsu)◇産経新聞に掲載された曽野綾子氏の文章の一部=時津剛撮影


■Author Sono denies praising apartheid as criticism, bewilderment continue:

Prisca Molotsi thought she had moved well beyond her past life of being taunted by police, seeing her family’s property confiscated and hearing about people, including a relative, being killed for opposing a racist policy.

But those unpleasant memories were rekindled after she heard about novelist Ayako Sono’s column calling for racial segregation in Japan.

“Do the Japanese think they are better than other Asians-” asked Molotsi, a singer who was born in South Africa and now serves as a lecturer at Nanzan University in Nagoya. “There is no difference among humans.”

Anger and bewilderment continue over Sono’s weekly column that appeared in the Feb. 11 edition of The Sankei Shimbun. The 83-year-old author, pointing to what she learned about post-apartheid South Africa, wrote that although Japan needs foreign workers to make up shortages in the labor force, they should live in separate residential areas for different races.

Amid the ensuing uproar, Sono said she still likes the idea of separate communities based on race but insisted she never praised apartheid. She also accused the media of passing on misinformation.

But some say the damage to Japan’s image has already been done.

“Separating residential areas is nothing other than apartheid,” said Ryuichiro Saito, secretary-general of the Africa Japan Forum, a nonprofit organization that submitted a letter of protest to Sankei and Sono regarding the column. “We cannot ignore her comment.”

After her column was published, Reuters transmitted an article that said in part that a former adviser to Prime Minister Shinzo Abe had praised apartheid. Internet postings lambasted Sono.

In response to a request from The Asahi Shimbun, Sono, who served as a member of a government panel on education under the Abe administration, submitted a written statement.

“I have lived in a world unrelated to blogs and Twitter, but I have learned that there are people who have become agitated based on mistaken information,” she wrote.

“I have never been an adviser to Prime Minister Abe. Any newspaper that transmits such an article, whether it be Japanese or foreign, has the responsibility to clarify the basis for the article. If they cannot present that evidence, the conscience of a media organization behooves it to revise the original article.

“I have never commended apartheid, but I do think that the existence of a ‘Chinatown’ or ‘Little Tokyo’ is a good thing.”

A South Korean man in his 40s who has lived in Tokyo’s Okubo district for 15 years described Sono’s column as “totally incomprehensible in the international community.”

The man recalls first arriving in Japan and having difficulty renting a room because real estate agents refused foreigners. Now, however, it is common to see people from China and the Middle East leading normal lives in Japan, he said.

However, hate speech rallies directed at Koreans have led to a sharp decrease in customers to the many stores operated by ethnic Koreans in Okubo, home to Tokyo’s Koreatown.

“Both the argument to separate residential areas and hate speech have a common point of unilaterally rejecting anyone who is different,” the man said.

Naoto Higuchi, an associate professor of sociology at Tokushima University, said Sono’s original comment could escalate into an international issue.

“While she says she is not proposing a return to apartheid, the gist of her column is a call for allowing foreign workers under a system of racial separation,” he said. “For foreigners living in Japan, a column that suggests social ostracism written by an influential individual and published in a national daily newspaper could lead them to hold a sense of fear that the contents of that column could spread throughout society.”

South African Ambassador Mohau Pheko wrote a protest letter to Sankei, which led to the publication in the newspaper’s Feb. 15 edition of a statement under the name of Takeshi Kobayashi, managing editor of Sankei’s Tokyo Office.

The statement said Sono was expressing personal opinions in her regular column.

It added, “We have consistently maintained a stance that all forms of discrimination should not be tolerated.”

(Azusa Ushio and Daisuke Shimizu contributed to this article.)

     ◇

 外国人と居住区だけは別にした方がいい――。11日の産経新聞紙上に掲載された作家・曽野綾子氏のコラムが波紋を呼んでいる。ともに住めば摩擦もある。でも、互いに歩み寄れば解決できると、多文化共生を進めてきた街の住民たちは語る。

■「国際社会で理解されぬ」

 「居住を分けることはまさにアパルトヘイト。看過できない」。産経新聞社と曽野氏に抗議文を出したNPO法人アフリカ日本協議会の斉藤龍一郎事務局長は言う。

 南山大(名古屋市)などで講師をする南アフリカ出身の歌手プリスカ・モロツィさんは「どうしてそんなことが言えるのか。アパルトヘイトでたくさんの黒人が死んだのに」と憤った。

 11日の掲載後、ロイター通信などは「首相の元アドバイザーがアパルトヘイトを称賛」などと報じた。ネット上で問題視する声が広がり、プリスカさんも日本に住む英国の友人からフェイスブックで教えられた。

 両親はザンビアに亡命。南アの祖母宅を訪れた際には、白人の警察官に「ニガー(黒人の蔑称)」と呼ばれた。バスもトイレもすべて白人とは別。母の実家は土地を奪われ、反アパルトヘイトを唱えた親戚は殺された。プリスカさんは「日本人はほかのアジア人より上だと思っているの? 私たち人間に上も下もない」。

 東京・大久保に15年前から住む40代の韓国人男性は「国際社会では全く理解されない主張ではないか」。

 来日当初は、部屋探しで不動産業者から「外国人お断り」と言われることが多かったが、最近では中国や中東の人たちも普通に暮らす。半面、ヘイトスピーチがきっかけで商店の客足は激減。「居住は別という考えもヘイトスピーチも、異なる相手を一方的に拒絶する点で同じでは」

 南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使らからの抗議を受けて、産経新聞は15日朝刊で小林毅・東京編集局長が「(コラムは)曽野氏ご本人の意見として掲載した。産経新聞は、一貫してあらゆる差別は許されるものではないとの考えです」とコメントした。(牛尾梓、清水大輔)

■<考論>国際問題になりうる

 樋口直人・徳島大准教授(社会学)の話 国際的に「人道に対する罪」と確定しているアパルトヘイトを肯定するような内容で、国際問題になりかねない。アパルトヘイトは提唱していないと言うが、コラムは人種隔離体制で外国人労働力を受け入れよと言っているに等しい。在日外国人にとっては、社会的な排斥と受け取れる内容が、影響力を持つ人の意見として全国紙に載り、社会に浸透していく恐怖感を持つだろう。
    --「TOPICS/隔離、それでいいの? 曽野氏の産経コラム『居住は人種別に』」、『朝日新聞』2015年02月17日(火)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASH2K5V56H2KUEHF010.html:title]

日本アフリカ協議会の抗議文
[http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/archives/sonoayako-sankei20150211.html:title]


BLOGOSのまとめ

[http://blogos.com/article/105733/:title]

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曽野綾子の透明な歳月の光
629 労働力不足と移民

 最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。
 特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。
 どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。孫には衛生上の専門的な知識もない。しかし優しければそれでいいのだ。
 「おばあちゃん、これ食べるか?」
 という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。
 しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。
 ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。
 もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
 南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の撤廃以来、黒人も住むようになった。ところがこの共同生活は間もなく破綻した。
 黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
 住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、1戸あたり常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
 間もなくそのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
 爾来、私は言っている。
 「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」
    --「曽野綾子の透明な歳月の光 629 労働力不足と移民」、『産経新聞』2015年02月11日(水)付。

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産経新聞掲載曽野綾子コラムの画像イメージ↓
[http://pbs.twimg.com/media/B9hkP4DIAAAGKYa.jpg:large-.jpgpdf:title]


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日記:「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」

*p1*[日記]日記:「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」

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~ 戦後、国民はナチスの残虐行為に対して沈黙。70年代に「過去の克服」が動き出す。政治・経済的に「世界に信頼されるパートナーになれた」という自負が芽生えると、「過去に終止符を打ちたい」という国民感情も。ワイツゼッカー氏が演説で、後の世代も責任を負う覚悟を示したのは、そんな時だ。

ワイツゼッカー元大統領が亡くなった。日本だけでなく、第二次世界大戦後の「良識」の象徴といってよい大統領の逝去が時代を反射させているように思う。

現実の現在ドイツで反イスラムデモ等々の問題があるとはいえ、それ以上のカウンターを必然している。それはトータルとして(=公共言説として、物語といってもいいかもしれない)バックラッシュを厳しくかつ柔軟に退けた歩みであったといってよいでしょう。

そうしたドイツに比べると問題は多いし、その歩みは微々たるもののが日本の「戦後」でしょうが、それでもかすかに「良識」の息吹があったことは否定できない。

しかし、それは、1995年以降壊滅状態になり、その巨悪の拡散が「今」ではないかと思う。

高校3年のとき、ベルリンの壁が崩壊してさ、世の中はよくなっていく…F・フクヤマ的なオチと同義ではなく…そのために尽力しなければいかんよなあと思って、自分では真面目に学問して発信してきたつもりですけど、気付いたら「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」のリアリティという今。絶句しますよ。


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演説の力、歴史に刻む ワイツゼッカー元大統領追悼式
2015年2月13日

(写真キャプション)独ベルリンの大聖堂で11日、ワイツゼッカー元大統領の国葬が開かれ、メルケル首相(右から3人目)らが参列した=ロイター


 「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」。歴史に残る名演説で戦争犯罪に真摯(しんし)に向き合うよう説き、先月31日に94歳で逝去したドイツのリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー元大統領。ベルリンで11日に公式追悼式が営まれ、参列者は「同国で最も敬愛された人物」(メルケル首相)との別れを惜しんだ。

 ■戦後ドイツの歩み、体現

 ベルリンの大聖堂で行われた式典には、ガウク独大統領やメルケル首相、英国のメージャー元首相、ポーランドのワレサ元大統領ら国内外から約1400人が参列した。ガウク氏は「ドイツの歴史がワイツゼッカー氏をつくりだし、彼自身がドイツの歴史に大きな足跡を残した」と功績をたたえた。

 「荒れ野の40年」と邦訳された有名な演説は、敗戦40年にあたる1985年5月8日に連邦議会で行われた。その中で、ワイツゼッカー氏は「罪があってもなくても、我々全員が過去を受け入れなくてはならない」としたうえで、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」と訴えた。

 戦後のドイツは、過去の克服なしに近隣諸国との和解、国際社会への復帰は不可能だった。演説は、40年たった後も、過去を忘れることのないよう求め、戦争を知らない世代にもナチスによるユダヤ人らの大量虐殺(ホロコースト)の残虐性と、それを許した責任を直視する重要性を説いた。

 その言葉は、ドイツの人々の良心を呼び起こし、国際社会で感銘を呼んだ。

 メルケル首相は追悼声明の中で、この演説について「ドイツ人が自分自身を理解するための重要な指針を示してくれた」と語った。

 ワイツゼッカー氏は20年、独南部シュツットガルト生まれ。第2次世界大戦に従軍し、ポーランド戦線で兄を失った。戦後は、ナチス政権で高位の外交官だった父親が戦争犯罪者として裁判で有罪判決を受けた。

 84年に旧西独大統領に就任し、統一ドイツ初の大統領として94年まで務めた。

 ドイツの戦後の歩みを象徴する波乱に満ちた生涯は「世紀の目撃者」(ガウク氏)とも評される。独大統領は儀礼的な権限しか持たないが、自らの経験に根ざした数々の名演説を残し「政治的な大統領」としても知られた。89年の大統領選では、同国史上初めて対立候補がなく再選された。

 ■戦争責任負う覚悟、内外に

 第2次大戦後のドイツはフランスなど周辺国との和解に努めてきた。今でこそ経済大国として「欧州の盟主」と呼ばれるまでになったが、道のりは決して平坦(へいたん)ではなかった。

 戦後しばらく、国民はナチスの残虐行為のすさまじさに対して沈黙した。戦犯は連合国によるニュルンベルク裁判などで裁かれたが、東西ドイツ分断もあってドイツ自身の戦争犯罪の追及は進まなかった。

 専門家によると、「過去の克服」が本格的に動き出したのは1970年代だ。旧西独のブラント首相が70年、ポーランドのワルシャワを訪れ、ユダヤ人犠牲者の記念碑前でひざまずいて献花した。その姿は、世界に「新しいドイツ人」を印象づけた。当時は「屈辱外交」との非難もあったが、その後、市民レベルでもナチスの戦争犯罪に関心が高まった。戦争を肌身で知らない若い世代も教育の中でナチスの過去を学んだ。

 他方、政治・経済的に「世界に信頼されるパートナーになれた」という自負が芽生えると、「過去に終止符を打ちたい」という国民感情も強まった。ワイツゼッカー氏が演説で、後の世代も責任を負う覚悟を示したのは、そんな時だ。独再統一や旧ソ連からの防衛などのために、西側諸国を安心させる必要もあった。

 独ベルリン自由大学のハヨ・フンケ元教授は「(過去の克服は)外からの影響もあるが、大部分は国内のせめぎ合いの中で議論し、選びとってきた。適切な道を探るための文化的な闘いともいえる」と話す。(ベルリン=玉川透)

 ■過去も現在も、冷静に直視<評伝>

 「ドイツは9カ国に囲まれている」

 私がインタビューした際にワイツゼッカー元大統領はこうよく口にした。ナチスの蛮行が欧州を血に染めた過去、さらに冷戦時代には旧ソ連圏と欧米との間に挟まれた。周辺国の人々に与えた悲惨さをきちんと心に刻み克服していかなければ、周辺国との友好関係は生まれない。ドイツを欧州の中で突出させず、仲間として位置付けること、それに生涯をかけた政治家としての強い意志を感じた。

 だからこそ、元大統領にとってドイツが降伏した1945年5月8日は、「解放の日」だった。ナチスによる暴力支配からドイツと欧州の人々が解き放たれ、新しい平和な欧州を築くスタート地点と元大統領は言った。その総仕上げがドイツ統一だった。

 キリスト教民主同盟(CDU)という保守政党に属した政治家だ。日本の8月15日を、「解放の日」と言い切る保守の政治家が日本にどれほどいるだろう。

 2000年になって元大統領は、独連邦軍の改革を目指した政府諮問委員会の委員長となり、国連の平和維持活動など海外での軍事貢献を広げる提言をまとめた。後に独連邦軍がバルカン半島やアフガニスタンに千人規模の兵力を派遣するきっかけを作った。世界の安全保障にも積極的に関与していくドイツの責任を強調する元大統領に、現実を直視する政治家の姿をみた。

 ドイツ統一10周年だったその年に会うと、元大統領は「統一が本当の意味で完成するには1世代、つまり約30年の年月が必要だ」と語った。今年は統一から25年。元大統領にとって今のドイツはどう映っていたのか。博物館や美術館が集まるベルリンの名所「博物館島」近くにある事務所で、もう一度尋ねてみたかった。

 05年に早稲田大から名誉博士号が贈られたときに再会した元大統領は、「英語のほかにもう1カ国語は操れるようになって欲しい」とグローバル時代を生きる次世代の日本の若者へのメッセージを率直に語ってくれた。

 相手の話にじっと耳を傾け、新し物好き。インタビューの時、私が持参した日本のデジタルカメラに強い関心を示し、どう操作するのか、と尋ねながら元大統領がシャッターボタンを押して写した写真が手元にある。「新聞が売れず、メディアに厳しい時代になったかもしれないが、現実をきちんと見つめて伝えていくことが大事ですよ」。別れ際に元大統領が語った言葉を心に刻みたい。(古山順一・元ベルリン支局長)

 ■<考論>国家・世代つなぐ懸け橋 グンター・ホフマン氏(独ジャーナリスト)

 ワイツゼッカー氏は、戦後のドイツが信頼を取り戻すうえで、大きな役割を果たした大統領だった。

 世界とドイツ、特に東欧諸国とのマクロな次元の信頼関係だけでなく、人間どうしというミクロな次元まで信頼関係を築くことができる人物だった。

 別の座標軸で例えるなら、国家間や国際的という横軸で懸け橋を築くとともに、古い世代と新しい世代という縦軸でも懸け橋を築き上げたといえるだろう。

 戦後40年当時のドイツは、過去の責任についての見解が国民の間でも一致しておらず、大多数のドイツ人はナチスの残虐行為を振り返ることを恐れていた。

 だがワイツゼッカー氏の1985年の演説で、「我々ドイツ人は過去に対して責任を負わなくてはならない」という意識を明確に持つようになった。

 政治家ではあったが、権力志向の人ではなかった。プロテスタントの教会で培われたであろう信条や行動原則を、政界で実現した数少ない人物だった。(聞き手・玉川透)

 ■<考論>他者への寛容呼びかけ 小野耕二氏(名古屋大大学院教授〈ドイツ政治〉)

 ワイツゼッカー氏はドイツ統一の理想を体現した、ドイツの良心といえる政治家だった。

 ドイツでは、大統領には政治的実権がなく、統一へ向けた政治的な役割はコール元首相のほうが大きかったといえる。しかし、欧州の周辺国から信頼されたワイツゼッカー氏が果たした役割は小さくない。ドイツが統一後、大きな政治的、経済的勢力になり、かつてのような脅威を与える国になるかもしれない、という周辺国の危惧を払拭(ふっしょく)できたのは、ワイツゼッカー氏の存在が大きかった。

 ワイツゼッカー氏は、他者に対して寛容な心を持つよう呼びかけた。かりに違和感や意見の違いがあったとしても、嫌悪感を増幅させずに、自分とは違うものとして受け入れる。そして相互理解を深めることで対立を和らげ、平和的な世界をつくりたいという理想を持っていた。宗教対立やイスラム過激思想が引き起こす問題に直面している現代の私たちが学ぶべきことは多い。(聞き手・益満雄一郎)
    --「演説の力、歴史に刻む ワイツゼッカー元大統領追悼式」、『朝日新聞』2015年02月13日(金)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11598807.html:title]


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覚え書:「言論空間を考える:人質事件とメディア 土井敏邦さん、森達也さん」、『朝日新聞』2015年2月11日(水)付。

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言論空間を考える:人質事件とメディア 土井敏邦さん、森達也さん
2015年2月11日

 過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件は、事件を伝えたメディアにも多くの課題を残した。報道が過熱し、結果的に劇場型犯罪に手を貸したとの指摘もある。権力をチェックする本来の役割は果たせたのだろうか。

 ■苦しむ人の痛み、想像できるか 土井敏邦さん(フリージャーナリスト)

 中東でパレスチナ・イスラエル問題の取材を30年近く続けています。フリージャーナリストの役割の一つは、組織ジャーナリストが入れない地域にも入って被害者たちの現状と痛みを伝えることだと思います。人質となり殺害されたとみられる後藤健二さんも同じ思いだったはずです。

 だからこの間、テレビも新聞も日本人の生死に関する報道で埋め尽くされたことに、私は強い違和感を覚えます。過去にも紛争地で日本人が巻き込まれるたびに似た報道が繰り返されました。2004年にイラクで高遠菜穂子さんらが人質となり、07年にはビルマ(現ミャンマー)の民衆デモを取材していた長井健司さん、12年にはシリアを取材中の山本美香さんが殺され、メディアはその報道一色になりました。

     *

 <国際感覚持って> 同じ日本人の生死に関心が集まるのは当然だとしても、報道がそれで埋め尽くされると、肝心の現地の実情が伝えられなくなります。例えば長井さんが亡くなったとき、その葬儀がトップニュースになる一方、ビルマで民主化を求めた僧侶らに激しい弾圧が行われていたことは黙殺された。ビルマ問題が「長井さん殺害問題」に変わってしまったのです。

 今回も後藤さんが本当に伝えたかったであろう、内戦に巻き込まれて苦しむシリアの女性や子ども、寒さと飢えに苦しむ何十万人というシリア人避難民のことはどこかへ行ってしまった。日本人の命は、ビルマ人の、イラク人の、シリア人の何千倍も重いのでしょうか。これは日本人の国際感覚の問題だと思います。

 私はジャーナリストとして、どうしたら遠いパレスチナの問題を日本人に近づけられるかとずっと悩んできました。国際感覚とは、外国のことばや文化に精通することだけではないと思います。言葉も文化も肌の色も違う遠い国の人たちと、同じ人間としての痛みを感じる感性と想像力を持つことができるかどうか。それはこのグローバル化の時代に、なおさら日本人に求められていることだと思うのです。

 だから私たちは現場へ行く。「あなたと同じ人間がこういう状況に置かれている。苦しんでいる。もしそれがあなただったら」と想像してもらう素材を人々の前に差し出すためです。

     *

 <萎縮は自殺行為> 紛争の現場に行くと、遠い日本では見えなかった、現地の視点が見えてきます。今回の事件の最中、積極的平和主義を唱える安倍晋三首相は、イスラエルの首相と握手をして「テロとの戦い」を宣言した。しかし「テロ」とは何か。私は去年夏、イスラエルが「テロの殲滅(せんめつ)」を大義名分に猛攻撃をかけたガザ地区にいました。F16戦闘機や戦車など最先端の武器が投入され、2100人のパレスチナ人が殺されました。1460人は一般住民で子供が520人、女性が260人です。現地のパレスチナ人は私に「これは国家によるテロだ」と語りました。

 そのイスラエルの首相と「テロ対策」で連携する安倍首相と日本を、パレスチナ人などアラブ世界の人々はどう見るでしょうか。それは、現場の空気に触れてはじめて実感できることです。

 自民党の高村正彦副総裁は、後藤さんの行動は政府の3度の警告を無視した「蛮勇」だと非難しています。しかし政府の警告に従っているばかりでは「伝えられない事実を伝える」仕事はできません。悪の権化と伝えられる「イスラム国」。その支配下にある数百万の住民はどう生きているのか、支配者をどう見ているのか。それは今後の「イスラム国」の行方を知る上で重要な鍵であり、将来の中東の政治地図を占う上で不可欠です。現在は危険で困難ですが、それを伝えられるのは現場へ行くジャーナリストです。

 メディアが日本人報道一色になり、被害者を英雄や聖人にしたり、一転して誹謗(ひぼう)中傷したりという形で視聴率や部数を稼ぐような報道をくりひろげている一方で、ジャーナリズムの危機が迫っているのです。私たちフリーにとっても大手メディアにとっても、安易な自主規制や萎縮はジャーナリズムの自殺行為になりかねません。

 (聞き手 編集委員・稲垣えみ子)

     *

 どいとしくに 53年生まれ。中東のほか、原発事故で被害を受けた福島県飯舘村などを取材。主な著書に「占領と民衆――パレスチナ」「沈黙を破る」など。

 ■集団化と暴走、押しとどめよ 森達也さん(映画監督・作家)

 渦中の報道を見聞きしながら、気になったことがあります。安倍晋三首相は事件について語るとき、まずは「卑劣な行為だ、絶対に許せない」などと言う。国会で質問に立つ野党議員も、いかにテロが卑劣か、許せないかを、枕詞(まくらことば)のように述べる。そんなことは大前提です。でも省略できない。

 この光景には既視感があります。オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きたときも、オウムについて語る際には、まずは「卑劣な殺人集団だ、許せない」などと宣言しなければ話ができない、そんな空気がありました。

 大きな事件の後には、正義と邪悪の二分化が進む。だからこそ、自分は多くの人と同じ正義の側だとの前提を担保したい。そうした気持ちが強くなります。

 今の日本の右傾化や保守化を指摘する人は多いけれど、僕から見れば少し違う。正しくは「集団化」です。集団つまり「群れ」。群れはイワシやカモを見ればわかるように、全員が同じ方向に動く。違う動きをする個体は排斥したくなる。そして共通の敵を求め始める。つまり疑似的な右傾化であり保守化です。

     *

 <転換点は95年> 転換点は1995年。1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件があった。ウィンドウズ95が発売された。巨大な天災と未経験の人災に触発された不安や恐怖感が、ネットを媒介にして拡大していく。その始まりの年でした。

 不安と恐怖を持ったとき、人は一人でいることが怖くなる。多くの人と連帯して、多数派に身を置きたいとの気持ちが強くなる。こうして集団化が加速します。

 群れの中にいると、方向や速度がわからなくなる。周囲がすべて同じ方向に同じ速度で動くから。だから暴走が始まっても気づかない。そして大きな過ちを犯す。

 ここにメディアの大きな使命があります。政治や社会が一つの方向に走りだしたとき、その動きを相対化するための視点を提示することです。でも特に今回、それがほとんど見えてこない。

 多くの人は「テロに屈しない」という。言葉自体は正しい。でも、そもそも「テロ」とは何か。交渉はテロに屈することなのか。そんな疑問を政府にぶつけるべきです。「テロに屈するな」が硬直しています。その帰結として一切の交渉をしなかったのなら、2人を見殺しにしたことと同じです。

 今回の件では、政権は判断を間違えたと僕は思います。でも批判や追及が弱い。集団化が加速しているから、多数派と違う視点を出したら、社会の異物としてたたかれる。部数や視聴率も低下する。たしかにそれは予測できます。

     *

 <たたかれていい> メディアも営利企業です。市場原理にあらがうことは難しい。でも今は、あえて火中の栗を拾ってください。たたかれてください。罵倒されながら声をあげてください。朝日だけじゃない。全メディアに言いたい。集団化と暴走を押しとどめる可能性を持つのはメディアです。それを放棄したら、かつてアジア太平洋戦争に進んだ時の状況を繰り返すことになる。

 「イスラム国」の行為に対して「人間が行うとは思えない」的な言説を口にする人がいます。人間観があまりに浅い。彼らも同じ人間です。ホロコーストにしても文化大革命にしてもルワンダの虐殺にしても、加害の主体は人間です。人間はそうした存在です。だからこそ交渉の意味はあった。そうした理性が「テロに屈するな」のフレーズに圧倒される。利敵行為だとの罵声に萎縮する。こうして選択肢を自ら狭めている。

 違う視点を提示すれば、「イスラム国」を擁護するのか、などとたたかれるでしょう。誰も擁護などしていない。でもそうした圧力に屈して自粛してしまう。それはまさしく、かつての大日本帝国の姿であり、9・11後に集団化が加速した米国の論理です。米国はイラクに侵攻してフセイン体制を崩壊させ、結果として「イスラム国」誕生につながった。このとき日本は米国を強く支持したことを忘れてはいけません。同じ連鎖が続きます。

 多数派とは異なる視点を提示すること。それはメディアの重要な役割です。

 (聞き手 編集委員・刀祢館正明)

     *

 もりたつや 56年生まれ。映像作品にオウム真理教のドキュメンタリー映画「A」など。著書に「すべての戦争は自衛意識から始まる」など。明治大学特任教授。
    --「言論空間を考える:人質事件とメディア 土井敏邦さん、森達也さん」、『朝日新聞』2015年2月11日(水)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11595620.html:title]


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日記:日本の国際的地位・名誉を毀損する曽野綾子さんと産経新聞という愉快な仲間たち


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例のごとくですが、『産経新聞』掲載された曽野綾子大先生の手によるコラムですけど、福祉の現場を小馬鹿にして、労働力がたらないから外国人労働者を「アパルトヘイト」という環境で受け入れて充足させてはどうかという珍説を繰り出し、国内のみならず世界中から批判にさらされております。

[http://matome.naver.jp/odai/2142383676126851201:title]

[http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/10/sankei_n_6657606.html:title]

ご自身は珍説を取り下げないご様子ですが、自分の認識や立ち位置に無自覚な特権階級の歪んだ世界理解と鼻で笑ってクローズさせてはいかんでしょうねえ。

1995年以降、こうしたトンデモやインチキが勢いをつけてきてる現状をみると、もはや「鼻で笑って」看過するではすまされないというのが現代日本ですから。

道徳の教材でも「誠実」を代表する偉人として取り上げられ、安倍内閣の教育関係の審議会の委員もつとめているということ。こうした、人種というそもそも学問的にも世俗的にもインチキな概念を根拠に人間の値打ちをはかって恬淡と恥じることのない人間が、国政中枢と親密で、次代の教育をデザインしている。

この「さかまさ」な状態をきちんと受け止めることからはじめるほかありません。
彼女の差別思想は異常なものであり、人類が長年かけて手に入れてきた良識に対する言わばテロリズムであるという認識を広く共有することが必要だと思います。その意味で、今回の批判が契機となり、なんらかの責任をとってもらうと同時に、ああいう手合を放置してきた日本という社会の異常さを自覚するためにも、放置してはいけませんね。

そいやあ、その『産経新聞』ですけど、今度は、南京大虐殺「そのもの」がなかったというキャンペーンをはじめたご様子。

日本の国際的地位・名誉を毀損することになった云々というキーワードが罵声の如く連呼されてますけど、アパルトヘイトを礼賛しながら未だに差別を区別とシラを切る曽野綾子や、そのコラムを載せ、南京大虐殺「そのもの」が無かったと捏造する産経新聞こそが地位や名誉を毀損してるのじゃあございませんかねえ。


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覚え書:「野坂昭如の『七転び八起き』 第197回 対テロ策 首相の言葉 軍部に似て」、『毎日新聞』2015年02月10日(火)付。

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野坂昭如の「七転び八起き」
第197回 対テロ策 首相の言葉 軍部に似て

 先日、東京にも雪が降り、底冷えの日が続く。2月に入りこのあたりまでが1年で一番寒い。近頃は凍るような寒空を歩くこともなくなったが、昔でいえば明日は紀元節。寒さの厳しい身体のどこかで覚えている。
 ぼくにとって、2月11日は建国記念の日というより、紀元節の方がなじみ深い。ぼくが子供の頃、紀元節の日にはよそ行きのちょっといい服を着せられた。国民全員で祝う祝日である。ぼくらは校庭に集まり、校長先生の祝辞をうけたまわった。この時、生徒は直立不動、手はズボンの横にピンと伸ばさなければいけない。だが寒くてどうしても手がかじかんでしまう。伸ばすのに苦労した。
 昭和20年の2月、ぼくは中学2年。その頃は授業にかわって、壕の整備、家屋疎開など勤労奉仕の日々。疎開した家をぼくらが解体する。まだ使えそうなものは大八車に載せ、学校へ運ぶ。建物疎開は抜き打ちの格好で行われていた。準備する時間もなくたいていは荷物もそこそこに逃げ出したような有りさま。まだ家のあちこちに、つい昨日までの暮らしぶりが残っている。そんな家を引き倒すのは嫌な作業だった。疎開は防空上の見地、延焼を防止するため、また、交通の便宜のために行われ、新聞には「明日とは言わず、直ちに移転の覚悟」と掲載されていた。
 昭和19年の2月11日、戦争のただ中、今も記憶に残る新聞記事、「神州必勝の雄叫び、紀元の佳節に決意あらた」。これは紀元節の日に、宮城に集う国民の姿をあらわした見出しである。その1年後、昭和20年のこのあたりになると、東京は銀座周辺の都市部が空襲にやられていた。ぼくの住んでいた神戸は、2月4、5、6、8日と、次々と空襲を受けた。それまで空襲といえば、港湾施設、航空機工場など軍需産業が目標だった。
 昭和20年2月6日の爆弾投下は軍需工場とは関係のない神戸の中心街だった。夜中のことで元町の喫茶店に爆弾が落ち、多くが死んだ。続いて2月8日、この日神戸にしては珍しい大雪が降った。またもや神戸に爆弾が投下された。ぼくは、わざわざ雪の日に爆弾は落とされないと思っていた。養父にそう伝えると、B29に装備されているレーダーは雪だろうと、正確にねらいをつける。いよいよ神戸にいては危険かもしれないと真面目に言った。
 空襲における被害について、大本営発表は極めて小さく報告、厳重な報道管制によって、情報は規制されていた。当時、新聞ラジオが情報の源。それはすべてお上が左右していた。国民はただ信用するしかなかった。一方、空襲は全国にわたり、その被害状況を目のあたりにした人々から、その様子が口伝えに伝わる。子供のぼくも耳にした。川西航空機明石工場もやられ、明石にある機体工場には、学徒動員によって集められた女学生もいたらしい。逃げおくれた彼女たちは、生き埋めになって焼け死んだとも、逃げる途中に爆撃に遭い、五体バラバラに吹き飛ばされたとも噂が飛び交った。
 この頃すでに日本は出口のない敗け戦に追い込まれていた。それでも勇ましい大本営発表は続いていた。ぼくの住む神戸の町内、東京が焼かれ、神戸も被害に遭っていたものの、まだどこかのんびりした雰囲気が残っていた。ぼくはこの頃から、夜寝る時もゲートルを巻いていた。いざとなった時、防空消化活動にすぐさま駆けつけるため。一方、町内の高い屋根には、監視哨が作られていた。後退で見張り役が決まっていて、敵機を見つけ次第、大声で知らせるというのがその役割だった。敵は精巧なレーダー付きの機体、こっちは人の声。到底かなうわけはない。
 国内窮乏、四面楚歌となりながら、敗戦に突き進む中、お上の大本営発表は雄々しい勝ちっぷりを伝え続けていた。もし、実態の片鱗を国民に伝えていたらどうなっていたか。今は、あらゆる情報にあふれ、それを自由に扱える世の中、だが報道管制は行われている。まだ、マスコミは各自、自主規制をしている。
 「テロには屈しない」と繰り返しアメリカの言う、「テロとの戦い」を正当化。70年戦争をしてこなかった国の首相が、宣戦布告のごとき言い回しを好む。今のお上のもの言いは、かつて横暴を極めた軍部そっくり。日本は一足飛びに戦争に突き進んでいる。(企画・構成/信原彰夫)
    --「野坂昭如の『七転び八起き』 第197回 対テロ策 首相の言葉 軍部に似て」、『毎日新聞』2015年02月10日(火)付。

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日記:良識(bon sens)はこの世のものでもっとも公平に配分されている


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 しかし、闇の中をただひとり歩く人のように、そろそろ行こう、そうしてあらゆることに周到な注意を払おうと私は決心したので、まことにわずかしか進まなかったとしても、少なくともつまずき倒れることだけは幸いにまぬかれたようである。のみならず、いつとはなく私の信念のうちに、理性に導かれずに滑りこんだらしい意見などを、根こそぎ抜きすてることから始めようとはしなかった。それを始めたのは、企てつつあった仕事の腹案を練ろうとして、また私の知力の果たしうるかぎり、あらゆる事の確認に達するための真の方法を求めようとして、私が存分の時をあらかじめ費やしたのちのことである。
    --デカルト(落合太郎訳)『方法序説』岩波文庫、1967年、28頁。

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金曜日は、月に1度の勉強会(コロンビア大学のコア・カリキュラムで読むべきとする哲学的古典を読む)で、今月はデカルトの『方法序説』が課題図書でした。

100頁に満たない短著ですが、ひさしぶりに通読しますと、まさに私たちはデカルトを『誤読』してはいなかったかと、気付かされます。

今でこそ、悪しき近代主義や二元論の元凶、という通評でデカルトを「理解」し、すでに「超克」されているという錯覚を覚えてしまいますが、デカルトを「読む」と、ちょっと待てよ! と思わざるを得ません。

デカルトは本書の冒頭を「良識(bon sens)はこの世のものでもっとも公平に配分されている」という文章から始めますが、その根拠はどこにあるのかといえば、それは「神」に置かれております。そういう認識が疑うべきもないスタンダードという認識ですから、近代の「端緒」ではなく、むしろ「スコラ学」の完成者といった方が正確ではないか、そいう感慨すら抱くばかりです。

さて……。
「良識(bon sens)はこの世のものでもっとも公平に配分されている」。
根拠をデカルトの如く「神」に置く必要はありませんが、考え方が全く異なる人間が話し合いをしようとテーブルについたとき、在る意味ではなんらかの共通理解、前提、ルールといったものが必要になります。それを「建前」といってもよいでしょうが、この良識という前提もその良質な「建前」の一つであることは言うまでもありません。

しかし昨今は、良質な建前よりもどす黒い本音を語ることの方が、何か真実を語っていることと錯覚される風潮が非常に強いように感じられます。

良質な建前など、何の役にも立たない、本音こそ真実だ!と。

確かにそれは字義通りそうなのでしょうが、しかし、どす黒い本音ばかりで公共空間が満たされた場合、人間は異なる人間と向かいあったり、話し合ったりすることは不可能になってしまいますよね。

そのことを踏まえておく必要があるように思われます。

哲学史上においても、例えば、デカルトの「良識(bon sens)はこの世のものでもっとも公平に配分されている」といった議論は、現実には、良識は公平に配分されていないじゃないかと、現代思想あたりからの反駁は非常に多くあり、まあ、たしかにそのことを否定しようとは思いません。しかし、別にデカルトは「良識は公平に配分されていない」ことを否定するために、そのテーゼを掲げた訳ではないですよね。

だとすれば、ちょと思想に触れた中学生があらゆるものを相対的に眼差すことをもってして、何かを「知る」ことの如く錯覚するような在り方というのは、柔軟に退けていく必要があるでしょう。それこそが「批判」(クリティーク)という精神ですし。

風前の灯火の如く萎縮する「建前」の復権こそ、厨二病の如き「否定」精神より優先すべきなのではないか……などと思ったりです。

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日記:郷土やその伝統と文化を大切にしたり学ぶというよりも、stateに従順で反論しない人間育成としての道徳科「愛国」教育という中身

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木曜日(2月12日)の『朝日新聞』の声の欄に「道徳を愛国心に絡めないで」という意見が掲載されていました。

サミュェル・ジョンソンの有名な言葉「愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」を引かれながら「道徳と愛国心は全く無関係であり、幼い子に教室で愛国心を押し付けるのはいかがなものかと思います」と明快に喝破しております。

そもそも論とこの国の受容の歪曲を考えると、「道徳」は教え込まれて受容されるものではありませんし、道徳をもって生きると言うことは、特定の伝統やコードを受容してそのデッドコピーとして生きることではありません。

ですから、そもそも「道徳」教科化自体がちゃんちゃらおかしい話ですけど、まあ、それは横に置きまして、形而上的な規範とイコールされるものではなく、「~にすぎない」というこの世の相対的な規範の一つに過ぎないものという意義で……ものすげえ譲った議論ですが……道徳を捉えたとしても、「道徳と愛国心」は全く無関係であり、幼い子どもに愛国心を押し付けるものはいかがなものかとなってしまいます。

さて……。
くだんの文科省の学習指導要領をひもとくと、つぎのようにあります。
[http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/dou.htm:title]

いわく「郷土や我が国の伝統と文化を大切にし,先人の努力を知り,郷土や国を愛する心をもつ」ことを目指すそうな。

しかし、その郷土や国を愛する心というベクトルの現在がどうかと誰何すれば、そこに違和感をおぼえる議論や異なる方向性を前に、「売国奴」「非国民」「ブサヨ」といった言葉の脊髄反射ばかりじゃありませんか。

言葉としては、郷土やその伝統と文化を大切にしたり学ぶという「フレコミ」でしょうが、その実は、stateに従順で反論しないというのが「愛国」の中身なんだよと思わざるを得ませんし、「統治する側」の眼差し……すなわちそれは文部行政という「権力」の眼差しでありますが……からすれば、それほど統治に便利な人間育成は他にはありえないというお話でございます。

加えて我が国の歴史や文化は、個人を尊重しようという思想とは相容れないだとか、立憲主義は古くさい、男女平等は西洋の思想云々という喧噪が民間だけでなく一国の指導者や為政者からつぎつぎにまことしやかにささやかれるのが今の日本ですよ。

彼らの言う「内」へ求心力は「西洋はいかんぞゴルァ」というISILとどれだけ違うのかしらんと思ったりします。

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声:道徳を愛国心に絡めないで
2015年2月12日

 翻訳者 東京都 50

 文部科学省が発表した「道徳科」の指導内容を見ました。小学1、2年生の授業について「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つこと」とあります。冒頭の「我が国」が気になりました。過剰で排他的な愛国心教育につながるのではないかと思ったのです。

 愛国心という概念のもとで人々は昔から戦争や対立に陥ってきました。18世紀の英国の文学者サミュエル・ジョンソンは「愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」と名言を残しています。道徳と愛国心は全く無関係であり、幼い子に教室で愛国心を押し付けるのはいかがなものかと思います。

 私は20年以上前から日本に住んでおり、日本と日本人が大好きで、故郷の英国に帰る気はありません。でも、私が英国を捨てたことで私は道徳に背いているとは思わないし、そう言われたら困ります。

 愛国心は、あくまでも個人の自由な考えに基づくべきものだと考えます。道徳を日常生活に取り入れていけば、誰に言われなくても、日本人は誰もが自分の国を愛するように自然となっていくでしょう。
    --「声:道徳を愛国心に絡めないで」、『朝日新聞』2015年2月12日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11597505.html:title]


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覚え書:「インタビュー:暴力、鎮めるために レイン・ミュルレルソンさん、横田洋三さん」、『朝日新聞』2015年02月05日(木)付。


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インタビュー:暴力、鎮めるために レイン・ミュルレルソンさん、横田洋三さん
2015年2月5日

(写真キャプション)「約140年の歴史を持つ私たちの学会の会長職を日本の元外務事務次官、小和田恒さんから引き継ぎました」=大野正美撮影


 中東では過激派組織「イスラム国」が暴力をむき出しにする。1年近く前、ロシアがクリミア半島併合に動いたウクライナでは東部での戦闘がまた激化している。「力」が横行する世界の現状をどう見るか。国際社会はどう対応すべきか。世界の秩序を律する役割を期待されるのが国際法だ。内外の代表的な研究者の意見を聞いた。

 ■万国国際法学会会長、レイン・ミュルレルソンさん

 《主権国家を基本にする国際社会の秩序を律して、紛争解決の枠組みとなる――。国際関係で国際法はそうした役割を求められている。旧ソ連生まれのミュルレルソン氏はゴルバチョフ元大統領の国際法顧問として、西側諸国との相互依存や協調に基づく「新思考外交」を支えた。》

 ――世界各地で深刻な紛争や事件が続き、国際法がその役割を十分に果たせないでいる現状を、専門家としてどう見ますか。まず「イスラム国」については。

 「中東のテロリストにより日本人も殺害されたことはすべての良心ある者、人類にとっての悲劇です。犠牲となられた方々に、私は深く哀悼の意を表します」

 「国際法との絡みで答えるならば、『内政不干渉』や『武力不行使』などの国際法の原則を無視し、自由とか民主主義をアフガニスタンやイラクにまでも武力で広げようとした米国の試みが、『イスラム国』のようなテロ組織を生んだ大きな要因だったといえるでしょう。自分たちとは別の世界に属するといえるこれらの国々に自分たちの価値観を植えつけることができる。そんな米国の単純素朴さが、中東全体に混乱をもたらしてしまったのです」

 ――世界の多くの地域の人々に、自由や民主主義への志向や期待があることは事実ではないですか。

 「確かに世界には、民主主義を拡大する余地、その民主的な達成を深化させる余地はあるでしょう。けれど、歴史は民主主義や市場経済の勝利に不可避的に向かうのだから、これを後押しするべきだという考え方には、大きな問題があります」

 「これまでの人類史を見る限り、いかなる社会、経済、政治システムも長期間そのままの姿を保ったものはない。民主主義が例外であるとは言えないと私は考えています」

 ――そうはいっても、独裁体制による人権抑圧や大量破壊兵器開発などの脅威に、国際社会は何らかの形で対応せざるをえません。

 「2011年に米英仏中心の多国籍軍の介入によってカダフィ体制が崩壊したリビアでは、その後過激派が台頭し、安定とはほど遠い。リビアでもフセイン体制崩壊後のイラクでも、これらの国の体制転換を唱えた人々がめざした状態は訪れていません。民主主義を急いで進展させようとする試みは、深刻な紛争や内戦などの大変動をつくり出しました」

 「米国という超大国が国際法を自分なりに解釈して行動する一極的世界の下では、国際法はよく機能できないということです。事態の改善のためには、米国とその伝統的な同盟国だけでなく、幅広い国際社会の合意形成が必要です。しかし、今の米国はまだ、こうした目的のために、どこの国であろうと平等な立場で合意をしたくはありません」

    ■     ■

 《ソ連が崩壊した1991年、ミュルレルソン氏は父祖の地であるエストニアに戻り、第1外務次官として、欧米とロシアが勢力を競うバルト海沿岸で、独立して間もない国の外交の舵(かじ)取りに当たった。その地政学的条件はウクライナと似ている。》

 ――ロシアは昨年3月にクリミア半島を併合しました。「国際法に違反して、ウクライナとの国境の現状を力で変えた」と国際的にきびしく批判されています。

 「ロシアは確かに国際法を破りました。プーチン大統領自身、クリミア併合を国際法違反であると間接的に認めたと受け取れる発言をしています。これまでプーチン氏は、コソボのセルビアからの独立について、『力による現状の変更で国際法違反』と主張してきました」

 ――北大西洋条約機構(NATO)による99年のセルビア空爆で米欧がコソボ紛争に「力」で介入し、独立へと導いたというわけですね。

 「そうです。それが今回、クリミア併合を語る際に『コソボでもそうだったように』と、併合を正当化する前例として使いました。米欧にできることならロシアにも同じことができるはずだという理屈です」

 「プーチン氏がこれほど攻撃的なのは、昨年2月にヤヌコビッチ政権の崩壊に至ったウクライナの政変の背景に、安全保障や経済の点でロシアに極めて重要な隣国の体制を転換しようとする米欧の狙いをみたからです。米国の上院議員や国務省高官たちが政権崩壊前、ウクライナの首都キエフで反政府派勢力を公然と後押ししました。これもまた国際法の『内政不干渉』の原則に抵触しかねない、大変に危険な傾向でした」

 「ありていに言ってしまえば米国にとってもロシアにとっても、重要なのは国際法の順守ではない。大国として、自分たちに有利な世界秩序を形成する争いにいかに勝つかが、何よりも重要なのです。ロシアにも米国にも自分の利益があり、その二つの利益がウクライナをめぐって衝突した。それがウクライナ危機の本質なのです」

 ――大国が事実上国際法を侵犯して様々な紛争が起きている。そんな状況を少しでも変えていくためにはどうするべきでしょうか。

 「米国とソ連が激しく争っていた冷戦時代、国際法は大変によく働いていたとはいえませんが、それでも米ソのお互いの牽制(けんせい)によって、いまよりも機能していました。既に述べたように、冷戦後に米国という超大国の行動へのチェック役がいなくなったことが国際法の機能を弱めました。注意すべきなのは、現在が、米国一極支配が次の段階に至る移行期であるという点です」

 「米国が、自らの求めるものを得るために世界で自由に力を行使することは次第にできなくなってきました。経済では中国が数年後には追いつくことができるでしょう。中国やロシアなどの新興大国の利益や立場を国際秩序に、もっと反映させていくことが必要だと思います」

 「米ドルが依然基軸通貨であるため、米国は他国にしわ寄せする形で有利な環境をつくれます。そこが中国などには不満なのです。国際社会をより安定させて国家間の不信や紛争の原因を減らすには、米国、欧州連合(EU)、中国、ロシア、日本、インド、ブラジルなど、世界の『極』になるべき国々が協力し合う体制をつくらねばなりません」

    ■     ■

 ――「極」として主張するプレーヤーが増えれば増えるほど、協力への合意形成は難しくなりませんか。

 「たとえば環境など、多くの国が協力しやすい具体的な問題から、解決していくための努力を共に重ねることがまず必要でしょう。こうした努力もせず、国家間の意思疎通が十分とれずに『極』同士が勢力を競い合うままでは、『武力不行使』や『内政不干渉』といった国際法の基本原則が機能することはますます難しくなり、暴力の応酬もよりエスカレートしかねません。新しい時代に対応して、そんな危機感を持つことが国際社会にはもっと求められるのではないでしょうか」

 ――「多極化に向かう新しい時代」という観点から、中東問題の解決策を提案してもらえますか。たとえばイランは『イスラム国』が敵視するシーア派の大国ですが。

 「確かに中東では、力の中心、地域の大国としてイランが存在感を一層強めつつあります。イランは安定した国家であり、アラブの君主国よりはずっと民主的です。イラン抜きに中東の様々な問題を解決するのは非常に難しい。活用しないで良いはずがありません」

 「米国とロシアの関係は全体としては悪いけれども、イランの核開発問題に関する交渉ではロシアは米欧とよい協力を続けています。ロシアがイランに対して影響力を持っていることが、その背景にあります。やはりロシアが友好関係にあるシリアの化学兵器廃棄でも、米ロは協力できました。イラクの混乱収拾に向けても、ロシアと米欧はこのように協力することができるはずだし、しなくてはいけません」

 「徐々に、たとえ小さな一歩であっても、こうした協力を世界各地で拡大していくことが大切なのです」

    *

 Rein Mullerson 1944年生まれ。エストニアのタリン大学教授。2013年から万国国際法学会会長。同学会は1904年に「国家間紛争の平和的解決への貢献」でノーベル平和賞を受賞している。

 ■時代にあった国連改革こそ 人権教育啓発推進センター理事長・横田洋三さん

 「イスラム国」は国際法上の国家ではない武装集団ですが、いまの国際法の下でも戦時国際法が適用されます。禁止された戦争犯罪を行った「イスラム国」の責任者は今後、ハーグの国際刑事裁判所(ICC)で裁かれる可能性があります。

 現状ではその責任者たちをすぐに逮捕し裁判にかけることはできないので、当面、影響力を低下させるための軍事的措置を国連の下でとる必要があります。安保理の「世界の平和への脅威」という決議の下に、有志連合や安保理が組織する平和活動による、何らかの強制行動による対応を進めるべきでしょう。

 この議論はまだありませんが、今日の国際法体系から出てくるひとつの対応策だと考えます。その際にネックとなるのは、活動の中心となるべき米国の国内世論です。安保理ではロシアや中国が拒否権を行使すれば決議は通りませんが、そのために妥協することは、米国内では「外交の失敗」と受け止められてしまう。

 イラク戦争のときもそうでした。本来は安保理決議の下で行動すべきだったのに、米国はそれを回避して一方的に軍事行動をとった。その結果大きな代償を支払うことになり、今日の中東の混乱、そして「イスラム国」の脅威というリスクを負うことになってしまったのです。

 背景にあるのは、米国の支配力は落ちてきているのに、米国の一般国民が政府ほどにはその現実を認識していないギャップです。「自由と民主主義」を掲げ、米国を基準に世界をつくれば世界は平和になり繁栄するという楽観論がまだ支配的です。任期末まで指導力を維持し、歴史に名の残る大統領になりたいオバマ氏には国民の意識を変えたいけれども変えられないジレンマがあります。

 いまの国際関係では、国連および国連を中心にした国際機構の働きを無視しては、もはや政治も経済も語れません。米国も国連秩序を前提にしないと動けなくなっています。

 その国連は、今年創設70周年を迎えますが、国際社会の変化は大きく、時代にそぐわない部分が見えてきました。その典型が世界の平和に責任を負う安保理の構成や手続きです。最近の世界情勢は、政治経済の実態や国際社会の民意をより的確に反映する国連改革を求めています。

 当面は、安保理常任理事国5大国の拒否権行使の制限や、拒否権を持たない常任理事国の枠の創設などの検討がなされるべきでしょう。

 (聞き手はいずれも機動特派員・大野正美)

    *

 よこたようぞう 1940年生まれ。専攻は国際法、国際機構論。国際基督教大学、東京大学などの教授を経て2006年から現職。
    --「インタビュー:暴力、鎮めるために レイン・ミュルレルソンさん、横田洋三さん」、『朝日新聞』2015年02月05日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11586746.html:title]


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日記:「本人」は「本人」以外の他者や機関によってはじめて「本人」が「本人」であると担保づけられる

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久しぶりに蔦屋に行ったら会員の有効期限が切れていましたので、更新しました。

この手の手続きをするとき、運転免許証をもっていないので、わりとめんどくさいことになります。保険証+αという展開ですけども、そのときちょうど公的証明書類を持ち合わせていたのでなんなく更新できましたが、運転免許証の本人証明能力の全能感に、われながらしばし圧倒される次第です。

こういうことなら自動車の免許とっておけばよかったなあと思いますが、まあ、自動車を自分で運転しない分、エコロジカルということでよしとしておきます。

さて、「自白」という文化に見られるように、「本人」の「言葉」や「証言」というものが何よりも重要視されるにもかかわらず、その「本人」が「本人」であることは「本人」によっては決して証明されないというパラドクスに驚かされてしまうという話です。

「私は私だ」と「本人」がいくら叫んでも、そのことで「本人」であることが承認される訳でなく、「本人」は「本人」以外の他者や機関によってはじめて「本人」が「本人」であると担保づけられる。

トートロジーの証明不可能性といってしまえば、はやい話ですが、その対象性に一抹のむずがしさを覚える訳で、この対象性がいつから始まったのか。ひとつ考察の対象にしてみたいな、と思う次第です。

まあ、いろいろと課題が積ンどりますのでいつになるやらという話ですけども。

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覚え書:「記憶の食:カレー、貧しさもスパイス ひと口でお姫様気分」、『朝日新聞』2015年02月06日(金)付。


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記憶の食:カレー、貧しさもスパイス ひと口でお姫様気分
2015年2月6日

(写真キャプション)淀川近くの城北公園でおにぎりを食べる金啓子さん(右端)や母(隣)たち=1958年、大阪市旭区、金さん提供

 読者の食の思い出をつづる「記憶の食」。今回はカレー特集です。戦後、カレー粉やルーの発売であっという間に子どもたちの人気メニューになったカレー。読者のおいしい記憶には、辛さと隠し味がありました。

 そのカレーライスを食べたとき、小学1年生の女の子はお姫様になった気分がした。

 1957年初夏のことだった。大阪市旭区の淀川近く。長屋に暮らしていた金啓子さん(64)は小学校に慣れてきたころ、クラスメートの女の子のうちに遊びにいった。

 れんが塀の続く鐘淵紡績の社宅で、守衛さんがいる門を入ると空き地があった。友だちとバドミントンをした。どういうわけか覚えていないが夕飯をごちそうになった。

 白く丸いお皿に盛られたカレーライス。目にも鮮やかなグリーンピースが3粒のっている。添えられたスプーンで1口、2口。ジャガイモやニンジンがたっぷり入って、甘口だった。

 「わー、おしゃれ~と思って。ただただ驚きました」

     *

 友だちの祖母が自宅まで送ってくれた。歩いて10分とかからない。駄菓子屋を通って暗くじめじめした路地へ。長屋のあたりは雨ともなればどぶ板が浮き、いつもどこかで夫婦げんかの声がする。

 金さんは一家7人で6畳と4畳半の家に住んでいた。恥ずかしい。そんな思いがこみあげた。足が重くなった。

 家に着くと、土間の流しで母が巻きずしに入れるホウレン草を湯がいていた。裸電球に照らされ、母の顔がぴかっと汗で光った。

 あっ! ごめんなさい。

 自分だけいい思いをして、母に悪いなあ。そう思った。

 金さんのうちは祖父母が20年代に韓国・済州島から日本に来た。母は16歳で結婚し、6人の子を育てた。金さんは2番目で長女。「泣き虫で、いつもおなかをすかせてた」

 カレーは母も作ってくれたけれど、自分の皿に具が一つでも多くと争奪戦のようだった。

 「貧乏でした。でも、真っ正直に生きなさいと母に教えられて育ちました」

 夫や子どもに尽くし、母は4年前に83歳で逝った。(河合真美江)

 ■肉なくてもごちそう

 肉が入っていない。水っぽい。それでもカレーは子どもたちのごちそうだった。

 愛知県尾張旭市の吉田三千代さん(65)は小学生の頃母が作ってくれた「チクワ入りカレー」が忘れられない。当時、三重県尾鷲市に住んでいた吉田さんの夕飯は魚料理が多かった。「肉は高かったのでしょう。斜め切りしたチクワだけで、ほかの具材は入ってなかったのでは……」

 カレーを作るのは、いつも煮炊きに活躍する大きなアルミ鍋。食卓にはカレーライスだけ。それでも夕方、カレーの香りが家の中に漂うと、ぜいたくなような、うれしいような気分になった。

 結婚後、吉田さんもチクワカレーを作った。「子どもたちからは“貧乏カレー”と呼ばれて不評でしたが、私にとっては思い出がいっぱい詰まった料理なんです」

 母は3年前に亡くなった。でも、母がカレーを作ってくれたぼこぼこのアルミ鍋は実家にある。鍋をみるたびに、家族で囲んで食べたチクワ入りカレーを思い出す。

     *

 「そのカレーはシャバシャバで具には油揚げとタケノコが入っていましたが肉はありませんでした」。こんなお便りをくれたのは香川県丸亀市の佐藤由佳子さん(50)。

 坂出市に住んでいた小学生のころ、夏休みなど長期休みのときは、母と妹と自転車で30分ほどのところにある母の実家によく泊まりに行った。祖父母や母の兄一家が住む古くて大きな家だった。

 カレーは夕食によく出てきたメニューだった。キュウリとジャガイモのポテトサラダつきで。自分で食べたい量をよそって、好きな場所で食べるのが楽しかった。ふだんは小食だった佐藤さんも、いとこと競い合うようにおかわりをした。そんな佐藤さんを母はうれしそうにながめていた。

 肉が苦手だった佐藤さんにとって、家より祖父母の家のカレーのほうがおいしかった。今でも食べてみたいと思う。「でも夫はタケノコ、子どもは油揚げが嫌いなので作るのはあきらめています」。そう言って苦笑するが、佐藤さんには童心に帰れる1品だ。

 (浅野真)

 ■「赤缶カレー粉」登場、一気に普及

 カレーが大衆食堂や家庭でも広く食べられるようになったのは戦後のことだ。1950年にはエスビー食品が家庭用カレー粉としていわゆる「赤缶カレー粉」を発売した。カレー粉と小麦粉を炒めてルーを作り、具材とともに煮込む。その後、即席カレー(ルー)も出回り始め、一般家庭にも普及していった。

 ただ、当時肉はまだ高級品。「具はほとんどなかった」「アサリが具でした」という投書も寄せられた。

 60年代後半には、レトルトカレーも登場し、さらに身近な食べ物になった。エスビー食品の試算によると、日本人は外食を含めて1年間に約78回カレーを食べているという。不動の国民食になったが、子どもにとっては今でも「ときめき」の料理だ。

 ■「料理と火」思い出募集

 鍋料理、ストーブや囲炉裏など「料理と火」に関する思い出を募集します。ふるさとの鍋料理、我が家のオリジナル鍋。かつてストーブや七輪も調理に活躍しました。それぞれエピソードとともにお寄せください。お名前、住所、年齢、電話番号を書いて〒104・8011(住所不要)朝日新聞文化くらし報道部「記憶の食」係。ファクスは03・5540・7354、メールはseikatsu@asahi.comへ。
    --「記憶の食:カレー、貧しさもスパイス ひと口でお姫様気分」、『朝日新聞』2015年02月06日(金)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11588644.html:title]


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日記:2015年2月の「梅」


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勤務する病院の中庭の梅が満開。
立春を過ぎてから、寒さが一番きびしくなるような気がしますが、その寒風に「挑む」かのごとく紅白の花を咲かせる、植物の生命力の「妙」に感動を覚えてしまいます。

とりあえずコンデジ(IXY3)にて撮影。テレ端のマクロが便利で、一眼レフが億劫になってしまいますね(苦笑


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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 課題解決は体で学ぶ=湯浅誠」、『毎日新聞』2015年02月04日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
課題解決は体で学ぶ
「問題抱えた子」が育てる「ふつうの子」

 小さい頃、よく草野球をやった。障害をもつ兄は、当時はまだ補装具を着ければ立てていた。だが走ることはできない。私が兄の後ろに控え、兄が打ったら私が走った。バットスイングもおぼつかなかったので、ピッチャーは3歩ほど前へ出て、下手投げで投げた。
 勝負!という張りつめた感じはなかったが、はれ物に触るという雰囲気でもなかった。その場に兄がいる現実を踏まえて、それでも楽しむためにはどうするか。ほどほどに塁に出られて、ほどほどにアウトにできる「ふつうの状態」を作るために、みんながルールを調整した。
 思えば、今はやりの「課題解決型の主体的学習(アクティブ・ラーニング)」の実践だった。
 それは、先生が答えを隠し持っていながら「さあみんなで考えてみよう!」と課題を提示するのとは違って、リアルだった。答えなどなかったし、できあがった状態が結果として答えになっていただけだった。
 大人になって、「五体不満足」が大ヒットした乙武洋匡さんからも同じ話を聞いた。ドッジボールのとき彼がボールを持つと、みんなが3メートル以内に寄っていくというルールができたそうだ。あの感じだ、と一瞬で理解できた。子どもたちは状況に応じ、最適化していく課題解決力を元々持ち合わせている。
 そして幸いなことに、小さい頃の私の周りには「子どもたちが負担させられてかわいそう」と言い出す大人がいなかった。おかげで私たちは、課題解決を学ぶことができた。誰かが兄を連れ去ってしまったら、既存のルールを疑い、現状に応じて最適化していくという体験も一緒に連れ去られてしまっただろう。私は、ルールを墨守するだけの、つまらない人間になっていたかもしれない。
 「みんなの学校」という映画の上映が始まる。舞台は大阪の市立大空小学校。そこではたくさんの「問題を抱えた子」が「ふつうの子」たちと同じクラスで学んでいる。試写会で映画を見て、私はその子たちに「よかったね」と言いたくなった。「問題を抱えた子」にではなく「ふつうの子」たちにだ。だってその子たちは、これからますます必要とされる、課題解決型の主体的学習ができている。科目ではなく学校生活のすべてを通じて、頭ではなく体で。そんな学校に通えて、ラッキーだ。
 将来、その子たちはルールにただ従うだけでなく、ルールを人に合わせられる人間本位の大人になるだろう。そんな力をどこで身につけたのかと聞かれても、本人は「あたりまえだろう」としか答えられないかもしれないが。生きた智恵を体得するとは、そういうことだから。
課題解決型学習 児童・生徒が自ら課題を見つけ、互いに意見を出し合いながら教員も交えて解決策を探る授業法。思考力や表現力、協働性の育成に効果的とされ、小中高校の次期学習指導要領では、充実策が盛り込まれる。授業法は確立されておらず、一部の学校で取り組まれているのが現状。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 課題解決は体で学ぶ=湯浅誠」、『毎日新聞』2015年02月04日(水)付。

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覚え書:「おんなのしんぶん・加藤登紀子:Tokiko’s Kiss 対談 加藤登紀子×姜尚中 9条変えるともうからない」、『毎日新聞』2015年02月02日(月)付。


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おんなのしんぶん・加藤登紀子:Tokiko’s Kiss 対談 加藤登紀子×姜尚中 9条変えるともうからない
毎日新聞 2015年02月02日 東京朝刊


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 今回の「Tokiko’sKiss」のゲストは、政治学者の姜尚中さんです。長年、国際政治やナショナリズムについて研究を続けてきた姜さん。「愛国」や「憲法9条」というキーワードを軸に国際社会における日本のあり方を考えながら、人々の生き方について、加藤さんと共に考えました。【構成・吉永磨美、写真・宮間俊樹】

加藤 2006年に出版された著書「愛国の作法」ですが、時代を先駆け、鋭い視点で書いてらっしゃいますね。

姜 当時、「愛国」という言葉に、自己肯定的な雰囲気が立ち込め始めたのを感じて書きました。僕たちの世代は国とか民族とか、ナショナリズムについて、それ自体を否定するような勢いで、今まで過ごしてきたところがありますよね。

加藤 そうですね。国や民族の違いを超えて結びついていけることを夢見てきました。それなので、第二次世界大戦当時にあった「最後の一人まで戦う」という考えや「国のために命をささげることが美徳である」といった感覚には違和感を感じますね。

姜 美徳化して神がかり的なものが流布する。それに対して、少しでも批判をすると、「反日」と言われてしまう。自愛の精神があまりにも強すぎると、人々はナルシシズム的に突っ走ってしまうんですね。第二次世界大戦で、それがもたらす巨大な犠牲が生まれたわけです。

 今も「戦前を奪還したい。敗戦を消し去りたい」と。「新・富国強兵」と言っているんですが、「平和はいいから、少し繁栄がほしい」という空気になっているのが残念ですね。愛国風の言葉を特定の人たちの「専売特許」にしてはいけないと思うのです。

加藤 戦後70年。日本という国を築いてきた生活者が、国を守る気持ちについて語らないといけないんでしょうね。私は、家族を守り、暮らしとコミュニティーを崩壊させないために努力していくことが「愛国の作法」だと思っています。

 ◇戦争しない国

加藤 今年は戦後70年でもありますが、日韓基本条約締結から50年でもあります。

姜 その両国で、「愛国」という言葉が盛んに取りざたされています。日本が「愛国」のもと、韓国や中国ともめていくのは、経済の論理からみて割に合わないと考えます。

加藤 仕事で海外へ行くと、「日本人は好かれている」と感じることが多いんです。戦後、憲法9条があって、戦争に加担しない国だという保証もありましたから。経済的にも信用を得て、国際社会の仲間入りを果たしたところもある。経済的な側面から見たら、平和ほどありがたいものはないんですね。経済界が「平和を守る」「9条を守る」というリーダーシップをもっと発揮してもいいんじゃないかと思っています。

姜 割に合わない愛国主義は、いつかは無理が出てくる。「憲法9条を変えると、もうからないよ」と経済人が言ってくれればいいんですが。

 ◇平凡のすすめ

姜 加藤さんの歌う「琵琶湖周航の歌」が好きです。聴くと、ほろりとしますね。

加藤 歌を歌う時は、聴衆の95%くらいは、心が通じ合えると思っているんです。世の中は、家族を大事にして、ちゃんと幸せに生きたいと思う人たちばかり。そんなに人と人の間に差はないですし。

姜 そんなに違いはなくて、多くは、平凡な人々です。最近、周りに「平凡のすすめ」ということを言っています。平凡な人ほど、実はたくましく生きているのではないかと思っていて。

加藤 それ、いいなあ。

姜 どうして、平凡であることを嫌う人が多いのでしょう? 久しく、世の中では「オンリーワンになれ」と言われてきましたが、「もう、いいんじゃないか」と思っています。若い人の中には、自分だけがオンリーワンになれなくて苦しむ人もいる。他とはちがう何かがあるかと探してみても、そうではなくて悩んでしまうんですね。平凡でも、自分らしく生きればいいんです。「ひきょうであっても、連綿として生きる」ということが、最も人間的な生き方かもしれない。若い人には、「生きて生きて生き延びなさい」と伝えていきたい。

加藤 互いに持っているものを認めて、「わたしはこれでいいでしょ」ってわかり合えることが一番ですね。

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 ■人物略歴

 ◇カン・サンジュン

政治学者。熊本市生まれ。国際基督教大学準教授、東京大大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、2014年に聖学院大学学長に就任。著書は「愛国の作法」(朝日新聞出版)、「ナショナリズム」(岩波書店)、「心」(集英社)など多数。64歳。
    --「おんなのしんぶん・加藤登紀子:Tokiko’s Kiss 対談 加藤登紀子×姜尚中 9条変えるともうからない」、『毎日新聞』2015年02月02日(月)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150202ddm014070047000c.html:title]


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日記:人間への無関心が他者の痛みへの鈍感さへ連動するのは決して過去だけの話ではない

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火曜日の夕方、病院で入院されている方と一緒にNHK……NHKしか放送されないw……の「首都圏ネットワーク」を見てましたが(ホロコースト映画上映 向き合う若者たち)、ゼミでホロコーストを学び深く研鑽するようになった大学生が紹介されておりました。

『ショアー』を引きながら、人間への無関心が他者の痛みへの鈍感さへ連動し、いわば「加担」することになったと指摘していました(趣意。

ホロコーストに関心を寄せるその大学生は、現代日本のヘイトスピーチに、ユダヤ人大量殺戮を「容認」「協力」したメンタリティーと同根を見出し憂慮しているとのこと。

仕事が終わってから、さて番組名を思い出そうとTwitterで検索かけたら、その憂慮を「嘲笑う」あるいは「罵倒」するツイートばかりで吃驚した。もはや「憂慮」で済ますことのできぬ段階なのかと。


日曜日の『東京新聞』(2015年02月01日付)の社説に「悪魔はいなくなったか」ありましたが、曰わく「憎悪は、相手の痛みを思いやることをやめさせ、モノだからどんなひどいことをしてもいい、と考える『悪魔』を育てます」。

歴史的事実を「嘲笑う」「罵倒」する「悪魔」の増殖が現代社会をむしばんでいる。


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【社説】週のはじめに考える 悪魔はいなくなったか

2015年2月1日


 ナチス・ドイツが約百十万人を殺害したアウシュビッツ収容所の解放から七十年。この非道を引き起こした「悪魔」はいなくなったのだろうか。
 収容所があったポーランド南部オシフィエンチムで一月二十七日開かれた七十年記念式典には、ドイツのガウク、フランスのオランド両大統領はじめ世界各国の首脳ら約三百人が集まりました。アウシュビッツを忘れまいとする国際社会の強い意志の表れです。
 戦後七十年を考える作業が始まりました。
 アウシュビッツも生存者が少なくなり風化が懸念されています。博物館として保存されている現場跡をたどることで、犠牲者の苦しみと、行われたことの残虐さに思いをはせることはできます。
◆絶滅収容所
 収容されたのはユダヤ人を中心としたドイツ民族以外の人たちでした。第一収容所跡にはメガネ、かばん、髪の毛などの山が展示されています。強制労働させただけでなく、収奪できるものは金にしようとしていました。断種などの生体実験も行われました。
 見学者が多い第一収容所跡から三キロほど離れた場所に、ビルケナウ収容所跡があります。ユダヤ人らを「絶滅」するための収容所でした。ナチスが証拠隠滅のため爆破しかけた「焼却」施設が生々しく残っています。「絶滅」は、集団をシャワー室に見せ掛けたガス室に誘導してチクロンBという毒ガスを投下して殺害し、遺体を「焼却」するという、工場の流れ作業のような形で進められました。
 アウシュビッツは、ナチスという特殊な政権下でなし得た一過性の非道だったのでしょうか。アウシュビッツで猛威を振るった人間の心に巣くう「悪魔」は、いなくなったのでしょうか。
◆人として扱わない非道
 ドイツは第一次大戦敗戦後、多額の賠償金を課せられ、国民は超インフレに苦しみ、フランスなど戦勝国や、富裕層とされたユダヤ人に強い憎悪をいだきました。ナチスはユダヤへの憎悪をあおり、自国民の優越性を強調するナショナリズムで支持を拡大しました。
 ナチスは当初、ユダヤ人らを追放、続いてゲットーに押し込める隔離政策を取った後、ソ連への移送を計画しましたが、進まず、ユダヤ人の大量殺害を決めました。
 しかし、こういった経緯をたどるだけでは、アウシュビッツの非道さを説明し切れません。
 ナチスは、ユダヤ人の大量殺害について「最終解決」という言葉を使っています。無機的で事務的な響きです。同様に用いた「絶滅」という言葉も本来、人間に対して使う言葉ではありません。
 そう、ナチスはユダヤ人を憎悪するあまり、人間とは考えなくなり、モノや虫ケラ、ととらえるようになったのではないでしょうか。だから、あのような非道な扱いができたのかもしれません。ナチス指導部だけでなく、国民の多くもこの非道を知り、ユダヤ人排斥に加担していたことが、研究で指摘されています。
 ドイツの憎悪は、過激なナショナリズムとあいまって隣国への侵略を促し、第二次大戦を引き起こして多くの犠牲を出しました。
◆憎悪の行き着く先
 戦後、欧州は欧州連合(EU)による統合を進め、域内の国同士で憎しみ合いが生じることのないような仕組みをつくりました。しかし、移民として受け入れたイスラム教徒などとは十分融合することはできず、パリでのようなテロを引き起こしてしまいました。
 ナチスから逃れたユダヤ人らが建国したイスラエルは、中東に激しい憎悪をもたらしました。過激派が各地に台頭し欧米への憎悪をあおっています。日本人も人質にとったとみられる「イスラム国」は不満を鬱積(うっせき)させた若者たちを戦闘員として集め、憎悪をテロという暴力で爆発させています。
 ナチスに勝利したはずの米国でも人種差別による事件が相次ぎ、テロ憎しから収容所では拷問ともいえる扱いが横行しました。
 日本の周辺では、欧州と違い、隣国が角突き合わすとげとげしい関係すら改善できていません。日本と、中国、韓国の国民は時に憎み合い、口汚くののしるヘイトスピーチまで飛び交っています。
 激しさや度合いは違うとはいえ、異質なものへの憎悪はそこら中にはびこっています。憎悪は、相手の痛みを思いやることをやめさせ、モノだからどんなひどいことをしてもいい、と考える「悪魔」を育てます。恐らく、アウシュビッツでの非道まで、そんなに遠くはないでしょう。
 「悪魔」の養い手である憎悪。アウシュビッツは、その行き着く先を教える警告でもある、と考えたいのです。
    --「【社説】週のはじめに考える 悪魔はいなくなったか」、『東京新聞』2015年02月01日付。

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[http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015020102000156.html:title]

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覚え書:「特集ワイド:『戦後70年談話』は必要か 安倍首相が「村山」修正の構え」、『毎日新聞』2015年01月29日(木)付夕刊。

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特集ワイド:「戦後70年談話」は必要か 安倍首相が「村山」修正の構え
毎日新聞 2015年01月29日 東京夕刊


 ◇中韓だけでなく米国も注視/村山元首相「談話は国是、極端な修正できない」

 「(戦後)70年談話は70年談話として新たに出したい」--。安倍晋三首相がそれの作成に向け、従来の「村山談話」などで使われた文言の継承に否定的な考えを示し、波紋を呼んでいる。8月にも発表されるという新談話は、そもそも必要なのか。出すとしたら、何を守るべきなのか。【田村彰子】

 「キーワードは極めて大きな意味を持っている」

 公明党の山口那津男代表は25日に出演したNHK総合の「日曜討論」で、安倍首相にクギを刺した。キーワードとは、戦後50年の村山富市首相談話で使われた▽植民地支配と侵略▽アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた▽痛切な反省▽心からのおわび--などを指す。歴代の内閣が継承し、戦後60年の小泉純一郎首相談話でも使われている。しかし安倍首相は同番組で、自らが出そうとしている70年談話でも同じようにするかと問われ、「そういうことではない」と語ったのだ。

 近隣諸国は早速、懸念を表明した。一方、米国の新談話への関心はもともと高い。米国務省のサキ報道官は「こうした謝罪(村山談話や1993年の河野洋平官房長官談話)は日本が近隣諸国との関係改善に努める上で重要な一章だった」と述べ、米議会調査局の報告書も「安倍首相が戦後70年にどう向き合うか、国際社会が注視することになる」と指摘した。首相がキーワード踏襲に否定的な今、より米国の関心が高まることは必定だ。

 「米国は国防費を削減しようと、新しい国防・軍事戦略を打ち出しています。沖縄の海兵隊をグアムに移転する計画もあります。しかしそれも、東アジアの安定が大前提。朝鮮半島有事などに備える米国にとって韓国は大事な同盟国だし、中国も経済的に密な関係。日本には、事を荒立ててほしくない」。外交問題に詳しい情報誌「インサイドライン」編集長の歳川隆雄さんはそう解説する。

 安倍首相が靖国参拝をした際も、米国は異例の早さで懸念を示した。「歴史認識は中国や韓国にとって譲れるものではない。米国は、新談話で安倍首相の考えを強く打ち出すべきでないと思っていますよ」。首相は米国の反発を受けてでも、独自色にこだわるのか。

 上智大教授の中野晃一さん(国際政治学)によれば、村山談話は国際社会の中で完全な謝罪と認識されているという。「単刀直入に何が悪かったかに言及し、その上で謝罪をしている。近隣諸国はもちろんですが、米国や欧州を含むかつての連合国側でも、村山談話の中身で何か足りないと言う人はいません。戦後100年などの新たな節目だったら仕方ないかもしれませんが、今、新たに何かを言う意味は薄いと思います」

 実際、戦後30年や40年では談話は出ていない。小泉元首相が戦後60年談話を出した際には、靖国参拝などが問題化していた。「小泉談話には、村山談話を改めて踏襲してダメージを回復する意味がありました」。一方、今回は「安倍首相には70年の区切りを使って何か言いたい思いがあり、心は村山談話の踏襲にはないのが透けて見える。そこに、米国を含めて今まで以上に注目を集めてしまう理由がある」と指摘する。

 「未来志向の談話」と首相が繰り返すことにも、違和感があるという。「終戦や敗戦の区切りに何かを言うなら、過去とどう向き合うかに力点を置かざるを得ません。安倍首相のように『積極的平和主義』を掲げ、これからいろいろやりますよって話ばかりだと、普通は『過去のことは反省していないんだな』と思われますよね」と話す。

 いつも比較されるのは戦後ドイツの姿勢だ。「ドイツはポーランドやイスラエルに徹底した謝罪をしているから、国際社会で信頼を勝ち得ている。既に北大西洋条約機構(NATO)の枠組みで海外にも派兵していますが、それは謝罪し続けているから可能なこと。米国だけではなく欧州諸国も、日本が過去と向き合って今のパートナーとして信頼に足る国か、注視していますよ」。言うまでもなく中国や韓国との関係改善も前提だ、と強調する。

 「そもそも、誰よりも村山談話に助けられてきたのは安倍首相自身だったはずです。首相の歴史認識を心配している人たちでも、村山談話を引き継ぐという意味の言葉を聞いて安心していましたからね」

 東大教授の牧原出さん(政治学)は、談話のまとめ方にも疑問を抱いている。菅義偉官房長官はこれまでの記者会見で、有識者会議の設置を検討していることを明らかにしている。「有識者として会議に出席するには、使命感が必要です。その使命感とは、よほど村山談話を修正したいか、もしくは現在の国際関係に危機感を抱いているかでしょう。ですが、国際関係への危機感があるだけなら、尖閣諸島の防衛を強化するとか、具体的な対抗策を提言するのではないでしょうか」。となると、人選は村山談話を「修正」したい人に偏る恐れがある。「ただ、それでは国民的な議論にはならない」

 一方、幅広い考え方の人を集めた場合にも不安が残る。「いわゆるリベラルな人も入れないと、お仲間同士の話し合いにしか見えません。議事録の公開も、もちろん必要です。しかし、そうした人選だと意見が割れてまとまらないかもしれません」。そうなると、議事録も公開できない状況に追い込まれる恐れすらある。牧原さんは言う。「このような談話は、どこからともなく国民が納得できるものが出てくる形がよいのです。今まで通りこっそり有識者の意見を幅広く取り入れながら、官僚主体で作った方が効果的ではないでしょうか。有識者会議を国民的な議論の場にしたいとの気持ちだとしても、リスクが大きいと思います」

 忘れてならないのは「村山談話」が自民、社会、さきがけの3党連立政権下で発表されたことだ。当時の政府高官の一人は「あの談話は、自民党単独でも社会党単独でもなく、いろんな思想の人たちが集まって決定しました。自民党には歴史認識について信念のある人が多くいましたが、その彼らも最後は何も言わず、閣議通過を認めたのです。村山さんの熱意が大きかったのは確かですが、決して個人の思想などではなく、心ある政治家たちや行政の人たちの思いが一つになった内閣総理大臣談話なんですよ」と振り返る。

 その村山元首相は今、こう語る。「あの談話はその後の内閣もすべて継承してきた。ある意味で国是にもなっている。それを極端な形で修正することはできないと、僕は思っておるんじゃけど……」

 果たして安倍首相は、どれだけの事態を想定しているのだろうか。
    --「特集ワイド:『戦後70年談話』は必要か 安倍首相が「村山」修正の構え」、『毎日新聞』2015年01月29日(木)付夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150129dde012010017000c.html:title]


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拙文:「書評 伊藤貴雄『ショーペンハウアー 兵役拒否の哲学 戦争・法・国家』(晃洋書房)」、『第三文明』第三文明社、2015年3月、92頁。

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書評
『ショーペンハウアー 兵役拒否の哲学 戦争・法・国家』
伊藤貴雄著
晃洋書房 本体4,100円+税

今読むべき、国家の論理をしなやかに撃つショーペンハウアー

 近代西洋の哲学史においてショーペンハウアーほど不当な誤解を受けた哲学者は稀であろう。本書は、その思索の出発から主著へ至る道筋を丹念に辿ることで、常に付きまとうペシミズムの反動的な非合理主義者といったイメージを一新する。そこには、陰鬱な印象とは裏腹に、時代精神と真っ向から対決した青年哲学者の姿が浮かび上がる。著者は時代精神と格闘したショーペンハウアーの翠点を「兵役義務という国民国家イデオロギーとの対決」というその社会哲学に見いだす。
 ショーペンハウアーの生きた時代はポストフランス革命の混乱期であり、それは国民国家の創業時でもある。第一著作『根拠律』を刊行した一八一三年、プロイセンでは対仏解放戦争が始まり、一般兵役義務制が導入された。ドイツ観念論の雄・フィヒテは国家に個人の完成を見て「国家によって個人の権利を基礎づける」全体性優先の立場を打ち出すが、国家を絶対視する眼差しこそ人間を秩序づける危うさではないかと見抜いたショーペンハウアーは、「個人の権利によって国家を基礎づける」個体優先の立場を志向する。国家の役割は徳の実現という積極性ではなく、苦痛の軽減という消極さにしかないのだ。徴兵を呼びかける側に立つフィヒテと、強制される側のショーペンハウアーは対照的である。「私の祖国はドイツよりももっと大きい」。
 著者の論考は、全体性優位の国民主義とは異なる個体性優先の公共哲学としてのショーペンハウアーのアクチュアリティを浮き彫りにする。無関心とは同義ではないショーペンハウアーの消極的な非政治的態度がより政治的な批判として鋭く機能することには驚くほか無い。国家の自明性に疑義が呈されて久しいが、翻って現代日本に注目するとどこ吹く風で、声高に国家への忠誠を強要しようという論調がもてはやされている。全体への回収の虚偽をしなやかに撃つ本書は、その超克のヒントに満ち溢れている。仮象を撃つために超越を持ち出す必要ない。自ら考えぬくことだ。思想史刷新する名著の誕生である。
(東洋哲学研究所委嘱研究員 氏家 法雄)
    --「書評 伊藤貴雄『ショーペンハウアー 兵役拒否の哲学 戦争・法・国家』(晃洋書房)」、『第三文明』第三文明社、2015年3月、92頁。

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ショーペンハウアー 兵役拒否の哲学―戦争・法・国家
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覚え書:「「21世紀の資本」:トマ・ピケティ氏に聞く 格差拡大、日本も深刻 脱デフレ、賃上げ唯一の道」、『毎日新聞』2015年01月31日(土)付。


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「21世紀の資本」:トマ・ピケティ氏に聞く 格差拡大、日本も深刻 脱デフレ、賃上げ唯一の道
毎日新聞 2015年01月31日

(写真キャプション)著書の「21世紀の資本」などについて語るフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏=東京都渋谷区で30日、森田剛史撮影


 世界的に懸念が広がる経済格差の問題にどう対処すべきか--。著書「21世紀の資本」で格差の歴史に切り込み、各国政府に政策対応を求めているフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏に聞いた。

 ◇アベノミクス

 --日本をはじめ先進国の格差の現状をどのようにみていますか?

 ◆すべての先進国で、富の格差が大きくなっている。日本も米国ほど大きくはないが、最も高い所得層に向かう所得は急速に増え、格差が拡大している。高い成長が続けば貧しい層の所得も上がりやすいので、格差があっても受け入れやすいが、日本は1990年代以降、非常に低い成長が続いてきた。低所得者がより不利な状況に陥ることになり、影響は深刻だ。米国のように格差が大きくなるのを待つべきではない。

 --日本では、安倍政権の経済政策「アベノミクス」が、富裕層や大企業優遇で格差を拡大しているとの批判があります。

 ◆アベノミクスは日銀の金融緩和政策(量的緩和)によって、新たに大量の通貨を市場に供給することで、物価が持続的に下がり続ける「デフレ」からの脱却を目指している。経済を回復させたり、財政赤字を減らしたりするにはデフレ脱却が重要だ。ただ、量的緩和策が本当に有効に機能するかどうかは問題だ。現に日本でも昨年にいったん上昇した物価の勢いは弱まっている。量的緩和による株価上昇で富裕層が豊かになり、かえって格差が広がる恐れもある。

 --デフレ脱却の処方箋は?

 ◆現在の世界経済は、新興国を含めた激しい国際競争で物価が上がりにくくなっている。その中で、インフレを創出する唯一の方法は、賃金を上昇させることだ。また、日本では高齢者の世代が資産を持ち、比較的裕福なのに比べ、若者が所得などで不利な状況に置かれている。大きな問題だ。この状況を解消するために、低所得者層や中間層に減税を行う一方、高所得者層の資本などへの累進的な課税を強化すべきだ。

 --経済成長で高所得者が豊かになれば、低所得者層にも富がしたたり落ちていく「トリクルダウン」をアベノミクスに期待する声もあります。

 ◆私はその効果が機能するとは考えていない。1980-2000年代の米国では、上位10%の富裕層がけん引する形で経済成長が続いた。だが、残りの90%の人たちへの恩恵は小さかった。そもそも日本は(けん引力となる)成長そのものが低い水準で、したたり落ちる富も限られる。格差の拡大は単に経済的な要因だけで起きているわけではないので、経済成長は万能薬ではない。教育や労働、財政政策など多くの要因についての課題を解決しなければならない。

 ◇米の増税提案

 --格差に対する意識が世界的に高まる中、オバマ米大統領が富裕層向け増税を提案しました。

 ◆オバマ大統領の提案は非常に興味深い。富裕層からの税収と、教育の充実との関連を明確にしたからだ。具体的には、富裕層向けの増税で得たお金を地域の大学などに投資しようと考えており、まったく正しい政策だ。多くの先進国では、富裕層により多くの負担を求める税制の累進性が縮小する中、公的な教育を受ける機会が失われている。特に米国は極端だが、日本や欧州でも深刻だ。格差を固定させないためにも教育に対して富を振り向ける必要がある。

 ◇日本の針路は

 --日本が取るべき格差縮小策は?

 ◆日本は所得の累進課税はあるし、配当など資本から生みだされる利益への課税もある。しかし重要なのは、やはり資本そのものへの累進的な課税だ。その際、国際的に日本が果たすべき重要な役割もある。たとえば、課税を避けるため、ほかの国に資産を移す動きが予想される。また、巨大な多国籍企業の一部は、税率の安いタックスヘイブン(租税回避地)などの利用により、少しの税金しか払っていない。海外に逃げて課税を回避するような行動を防ぐため、各国が協調して銀行が持つ企業の情報を自動的に交換できるようにするなど、金融の透明化を日本から世界に働きかけてほしい。

 --どうしてあなたの本は世界でこれほどのブームとなったのでしょうか。

 ◆私の本がやや長すぎたことはおわびするが、経済的知識がなくても読むことのできる本にしたつもりだ。そしてこの本の成功は、日本や欧米での経済的な知識を大衆のものにすることの強い欲求の表れだと考えている。これはエコノミストのための本ではない。幅広いすべての人々のための本だ。だからこの成功はうれしい。特に日本でこれほどの人に読んでもらえるのはとても印象深い。【聞き手・平地修】

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 ◇43歳、学会・社会に「挑戦」

(写真キャプション)「21世紀の資本」や関連書籍が並ぶ書店の一角=東京都千代田区の丸善・丸の内本店で

 「21世紀の資本」で「時の人」として脚光を浴びているトマ・ピケティ氏。43歳の気鋭の経済学者は20代で名門大学の教壇に立つなど若くして頭角を現した。一方、旧来のアカデミズムに異論を唱えるなど歯に衣(きぬ)着せぬ発言も注目されている。

 ピケティ氏は1971年にパリ郊外で生まれた。フランス社会科学高等研究院などで経済学の博士号を取得した直後、米マサチューセッツ工科大の助教授に就任。「22歳でアメリカンドリームを体験した」と振り返る。

 しかし、米国では、経済学者の研究姿勢について「内輪でしか興味を持たれないような、どうでもいい数学問題にばかり没頭している」などと疑問を持ったようだ。25歳で母国に戻り、所得や富の分配を巡る研究に専念。「21世紀の資本」は膨大なデータを集めただけでなく、19世紀のフランスの文豪、バルザックらの作品をふんだんに引用。当時の社会状況を踏まえて、格差の問題を掘り下げた点も特徴だ。

 欧米メディアによると、2007年の仏大統領選では、社会党の女性候補だったロワイヤル氏の経済顧問を務めた。一方、オランド大統領の現社会党政権に対しては、課税の累進性強化など公約した財政改革を怠っているなどとして批判的だ。

 仏政府は、「21世紀の資本」などの業績を踏まえ、レジオン・ドヌール勲章を授与することを決めたが、ピケティ氏は拒否。「誰が名誉ある人物かを決めるのは政府の役割ではない。政府はフランスや欧州の成長回復に注力すべきだ」というのが理由だ。【竹地広憲】

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 ◆21世紀の資本解説

 ◇世界的な累進課税を 巨額財産に最大10%

 資本主義は自動的に格差を生み出し、民主社会にとって基本となる社会正義の原理とは相いれない水準に達しかねない--。「r>g」の原理を背景に、「21世紀の資本」は格差拡大に懸念を表明し、それを解消する手段として、資本に対する世界的な累進課税を提唱している。

 課税対象は、銀行預金、株式、債券、不動産などの資産から、負債(借金)を差し引いたものなどを想定。毎年、富裕層ほど高い税金を課すのが特徴で、財産の規模が100万ユーロ(約1億3000万円)-500万ユーロなら税率1%、500万-1000万ユーロなら2%などと例示した。

 ただ、一部の国だけで導入すれば、富裕層が税金の安い国に資産を移す可能性などもあり、実現性を疑問視する声がある。「21世紀の資本」でも「世界的な資本税は空想的な発想で、各国が同意するなどなかなか想像できない」と指摘。それでも「理想的な解決策に向けて一歩ずつ動くことは十分に可能」として、まずは大陸、地域レベルでの導入を促している。

 ◇富は富裕層に集まる 所得シェア上昇

 「21世紀の資本」が大きな話題を集めた要因は膨大なデータを基に格差の存在と歴史を明らかにしたことだ。一例が、各国の上位1%の富裕層の所得が国民の総所得に占める比率(シェア)を示したデータだ。

 それによると、1980年代以降、米国や英国といった英語圏を中心に格差の拡大が目立っている。米国では21世紀に入って上位1%の所得シェアが20%近くに達し、10%未満だった70年代から急増。格差が大きかった第二次世界大戦前の水準になった。けた違いに高い報酬を得る「スーパー経営者」が増えたことが主因だ。富裕層に適用される所得税や相続税の最高税率が引き下げられたことも影響している。

 欧米や日本では、2度の世界大戦で富が破壊されたり、富裕層への課税が強化されたりしたことで、20世紀に格差が一時縮小した。ただ、21世紀にかけて、非英語圏のフランスや日本などでも上位1%の所得シェアは増加傾向にある。格差拡大の是非は今後も主要国で論議を呼びそうだ。

 ◇資本主義で格差広がる 「r>g」の不等式

 「21世紀の資本」で格差を拡大させる重要な要因として示されているのが「r>g」という不等式だ。「r」は「資本(株式、預金、不動産など)」から得られる年間収益(配当、利子、賃料など)の比率を示し、「g」は経済の成長率(所得や産出の年間増加率)を指す。

 不等式が示すように資本収益率rが経済成長率gを上回るとどうなるのか。

 まず、親からの相続などで得た資本を多く持つ人ほど収入が多くなり、富を蓄積できる。一方、相続財産がなく、自ら働いて稼ぐしかない人ほど不利になる。個人の能力とは別に、格差が拡大する構図が浮かび上がる。

 「21世紀の資本」は、歴史的に検証した結果、経済成長率gは最も高かった20世紀後半でも3.5-4%程度だったのに対し、税引き前の資本収益率rはほぼ一貫して4-5%程度で推移してきたと説明。「r>g」は「論争の余地のない歴史的な現実」と指摘し、資本主義の下では格差が広がりやすいと警告している。
    --「「21世紀の資本」:トマ・ピケティ氏に聞く 格差拡大、日本も深刻 脱デフレ、賃上げ唯一の道」、『毎日新聞』2015年01月31日(土)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150131ddm010020024000c.html:title]


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日記:確かに「テロリストたちを絶対に許さない」し、「人道支援」は「テロに屈すること」ではないけど、「その罪を償わせるために、国際社会と連携してまいります」っていうのはどうなんだろうか


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ようやく読んだけど、平成27年2月1日:内閣総理大臣声明
→ [http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150201seimei.html:title]

確かに「テロリストたちを絶対に許さない」し、「人道支援」は「テロに屈すること」ではないけど、「その罪を償わせるために、国際社会と連携してまいります」っていうのはどうなんだろうか。

ひげの隊長でしたっけ。
勇み強く「一国平和主義は通じないし、日本人だから特別はテロ集団に通じない」というのもどうなんですか。武力に武力で応じるという「普通さ」の欺瞞を撃つことこそ「人道支援」なんだろうと思います。

根源的に言及すれば、日本国憲法の平和主義とは、「諸国民」を常に前提するが故に究極的には「一国平和主義」という閉鎖的な考え方ではないし、そもそも「暴力」を「呼んだ」のは歪んだ「積極的平和主義」じゃないのかしらん。


イスラム世界から日本が「かつて」信頼されたように、それは、暴力に暴力では応じないという平和構築という地道な営み。確かに「非道、卑劣極まりないテロ行為に、強い怒りを覚えます」けど、そういう「やられたらやりかえす」という相互応答を廃棄していく=無効化していく「人道」の地平に日本の日本「らしさ」があったわけで、そのパラダイム・シフトこそ「先祖帰り」にほかなりませんよ。

丸腰でいけという意味では勿論ないですけど、人類の悲願といってよい「暴力」での問題解決(にならいのだけど)を辛抱強く退ける「理想」を嗤い、「しかるべき」という「嘯き」を相対化しないことには始まらないし、それは「戦争ボケ」よりはマシだろうと思う。

今回の悲劇がショック・ドクトリンになってはいけない。

暴力は必ず暴力を呼ぶ。そしてその否定に暴力を以てしてもはじまらない(=それは、その瑕疵の免罪ではない)という大原則を、人間たちは何千年もかけて学習できなかったからこそ、その「いま」がある。自己批判軸なき無責任な「現実を見ろよ」の欺瞞に、あえて「理想主義」を掲げたい。

( しかし、第二次世界大戦の惨禍から70年を経た今日、南原繁先生や矢内原忠雄先生の思索的葛藤が自分自身においてアクチュアルなものになろうとは思っても見ませんでしたぜ )

今日より明日へという理想主義的現実主義を嘲笑うようになっちまったら終わりっすよ。

いろいろときついな。

暴力に徹底して応じないという理想をこれまで日本人はやってきた訳だ。
そういうものが今回の悲劇を奇貨としてごっそり、暴力も「やむなし」という時計を逆さまにしてしまうことは断じてならない。暴力を許さないから「こそ」という理想主義を絶対に下げてはならない。


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覚え書:「インタビュー:イスラムと西洋の岐路 アクバル・アフメドさん」、『朝日新聞』2015年01月28日(水)付。

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インタビュー:イスラムと西洋の岐路 アクバル・アフメドさん
2015年01月28日

(写真キャプション)「日本は長い歴史と豊かな文化を持った国です。世界で大きな役割を果たせるはずです」=米ワシントン、ランハム裕子撮影
 フランスで起きた連続テロ事件に対し、「西洋文明への宣戦布告だ」といった声が欧米で上がり始めた。「イスラム国」に人質をとられた日本にとっても無縁ではいられない。私たちは「文明の衝突」のさなかにいるのか。「欧米とイスラム」をテーマに、欧州や米国におけるイスラム社会の調査を続ける研究者に聞いた。

 ――フランスの連続テロ事件は、ショックだったが驚きではなかったそうですね。

 「事件の直前まで、『欧州におけるイスラム』をテーマにした長期研究プロジェクトの一環で、フランスのマルセイユを訪れていました。滞在中、イスラム教徒が他のフランス人を襲う事件が3件起きました。荒れ果て、警察も治安を守ることを放棄した危険な一帯があります」

 「マルセイユでは全人口に占めるイスラム教徒の割合が3割に達しています。移民は3世代目。にもかかわらず、地域のイスラム社会の中心となるモスクすら、いまだに存在しません。コミュニティーはバラバラで、中心となる宗教指導者もいません。一方で、フランス社会にも統合されていません。この現状は、フランスの政府当局、イスラム社会双方が失敗した結果です」

 ――現状を改善するどんな対策が考えられますか。

 「フランス当局とイスラム教の宗教指導者が緊密に協力することが急務です。二つ目は、フランス語を話し、フランス文化を理解するイマーム(指導者)を養成するプログラムを大学などに設けることです。欧州とイスラム社会の橋渡しができる人材を育てる必要があります」

 「もう一つ重要なのが、他者をどうとらえるかという『教育』の問題です。学校のことではありません。テレビや映画では、イスラム教徒をあざける場面がたくさん流れています。民主主義ですから、当局が規制することはできません。しかし、メディアがもっとイスラム教徒の声を取り上げるとか、違った視点から光を当てる取り組みをすべきです」

 ――「シャルリー・エブド」が預言者ムハンマドの風刺画を掲載したことについては、どう考えますか。

 「2005年にデンマークの新聞が預言者の風刺画を掲載して問題になったのを覚えていますか。私は昨年、欧州での調査の一環として、この新聞の編集長と会いました。私自身、パキスタン出身のイスラム教徒で西洋に住む人間として、表現の自由、報道の自由の重要性を理解し、支持しています。しかし、欧州では問題なくても、他国ではこうした行為が冒涜(ぼうとく)の罪となり、死につながることもあるということも知って欲しかったのです。風刺画を出せば、表現の自由は貫いたことになります。しかし、何度も繰り返すのは、ほとんど挑発に等しいことです。ローマ法王も、他者の信仰に関しては、表現の自由にも限度があると言っています」

     ■     ■

 ――欧州とイスラム世界は歴史的にどう関わってきたのでしょうか。

 「イスラム教徒が欧州にやってきたのは、三つの時代に大別できます。まずイスラム勢力が初めてスペインを支配した8世紀です。当時はアラブ人の支配下で、イスラム教徒とユダヤ教徒やキリスト教徒が共存していたと言われています。第2段階は13世紀から20世紀のオスマン帝国の時代で、侵略軍として欧州にやって来て、欧州が反撃した衝突の時代です。欧州は、イスラムは脅威だが、基本的には対等な力とみなしていました。オスマン帝国と欧州という二つの力の間で、ある程度バランスが取れていたのです」

 「第3段階が第2次世界大戦後です。労働力が不足した欧州諸国は旧植民地から移民を受け入れました。フランスはアルジェリアから、イギリスはパキスタンやバングラデシュ、インドから。ドイツは旧植民地ではありませんがトルコから『ゲストワーカー』という名目で移民を受け入れました。ただ、当時は各国とも一定期間働いた後は国に戻るという前提でした。私は1960年代に大学で学ぶためイギリスにいましたが、当時のパキスタン人は皆、金を稼いでいずれ戻ると言っていました。しかし、実際にはそうならず、多くは欧州に定住しました」

 「現在彼らは3世代目。欧州にとってはもはや外国人ではなく、自国民となったのです。フランスの事件を起こしたクアシ兄弟はアルジェリア人ではなく、フランスで生まれ育ったフランス人です。しかし彼らは、フランス人として扱われていたでしょうか? よい教育を受ける機会も、よい仕事につく機会もなく、スラムで希望がないまま暮らしている人々がいます。彼らのアイデンティティーの唯一のよりどころが、イスラムという信仰なのです。欧州で生まれ育った彼らは、パキスタンやエジプトに行っても、自分たちがその国の国民という実感が持てません。彼らは二つの国、二つの文化のはざまで中ぶらりんになっているのです。これは危険な状態です」

 ――米国の状況は欧州と違いますか。

 「米国では元々、イスラム教徒への見方はそれほど悪くありませんでしたが、01年の米同時多発テロで否定的なものに変わりました。それでも米国は移民国家で、多元的な世界観を持っています。欧州は本質的には一枚岩の文化で、外国人が社会に溶け込むのは容易ではありません」

     ■     ■

 ――なぜ、「イスラム国」のような過激派組織に加わる欧米諸国の若者が後を絶たないのでしょうか。

 「私はプッシュ(押し出す)とプル(引き寄せる)と呼んでいます。あなたの名前が、パキスタン系のカーンだとしましょう。あなたはアメリカで生まれ育ちましたが、カーンという名前を聞いた人たちからは『おまえはテロリストか』『ビンラディンは親戚か』と言われます。あなたは『私はこの社会に受け入れられていない』と感じるようになるでしょう。仕事が見つからないとき、能力の問題だったとしても『自分がイスラム教徒だからだ』と考えます。社会が彼を押し出すのです」

 「一方で中東からは引き寄せる力が働きます。『イスラム国』は『我々はイスラム教徒の国をつくる。イスラム教のために戦っている。我々に加わろう』と呼びかけます。これが引き寄せる『プル』です」

 ――「イスラム国」が短期間に勢力を拡大したのはなぜですか。

 「現在の中東の国々は、第1次世界大戦末期にイギリス人のサイクスとフランス人のピコが引いた人工的な国境線に基づいています。シリアの東部はスンニ派、イラクの西部もスンニ派の地域ですが、国境線が引かれています。両方の国で、スンニ派が抑圧されている中で『イスラム国』が生まれました。何もない所から突然出てきたのではありません。部族社会も政府の統治も、何もかもが混沌(こんとん)とした中で、暴力的な集団が生まれたのです。人々を殺したり、女性を拉致したり、強盗をしたりするような行為はイスラム教で禁じられています。イスラム教とは無関係です。『イスラム国』は、米同時多発テロ以降の混沌とした地域情勢の中から生まれてきたものとも言えます」

 ――西洋とイスラム世界の関係はどこに向かいつつあるのでしょう。

 「私たちはいま、岐路に立っています。一つの方向は、対話と調和へ向かう道です。もし宗教間の対話を重視するローマ法王が正しければ、この道に向かうでしょう。もう一方では、『これは野蛮人の文明への攻撃だ』というサルコジ元大統領のような人々がいます。彼らが言わんとするのは『文明の衝突』です。彼らが正しいとすれば、衝突に向かうでしょう。フランスの事件を起こしたのは卑劣な犯罪者です。これはイスラム世界が欧州を攻撃したわけではないのです。しかし、このような状況の中で、『イスラムが我々を攻撃している』と訴える人がいます。岐路に立っているというのはそういう意味です」

 ――「イスラム国」は日本人も人質に取って日本を脅しています。

 「日本はいま、人質事件で『イスラム国』の要求を無視すべきかどうか、ジレンマを抱えているでしょう。相手は残虐な殺人者で、これまでも人質を殺害しています。救出のため、あらゆる手段を尽くすべきです。取り得る方策の一つは、他国との外交的つながりを通じて『イスラム国』の指導部に、『日本はサイクス・ピコ協定のような形で中東に関わったことはない。我々が中東に関わるのは、人々を助けるためだ』と訴えることです」

     *

 Akbar Ahmed アメリカン大学教授 43年生まれ。パキスタン出身。駐英大使などを経て01年から現職。著書に「イスラムへの旅」「アメリカへの旅」など。

 ■取材を終えて

 イスラム教徒であると同時に、欧州で学び米国で教鞭(きょうべん)を取る知識人というバックグラウンドが、言葉に説得力を与えていた。欧米諸国の指導者はいま、「これはイスラムとの戦いではない」と訴えることで、「文明の衝突」を避けようとしている。ただ、「一部の過激主義者の問題だ」と位置づけることで、宗教間の対話や共存の模索といった本質的なテーマに踏み込まない空気も生み出している。しかし、アフメド氏が言うように、「文明の衝突」を避けるためにも、この問題に正面から向かい合わなければならない。

 (大島隆)
    ーー「インタビュー:イスラムと西洋の岐路 アクバル・アフメドさん」、『朝日新聞』2015年01月28日(水)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11573057.html:title]


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Journey into Islam: The Crisis of Globalization
Brookings Institution Press (2007-08-30)


Journey into America: The Challenge of Islam
Brookings Institution Press (2010-06-15)

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拙文:「読書 『棲み分け』の世界史 下田淳 著」、『聖教新聞』2015年01月31日(土)付。


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読書
「棲み分け」の世界史
下田淳 著
西洋文明が発展した背景

 文明として後発のヨーロッパがなぜ近代以降、一人勝ちすることが可能になったのか。それはサイエンスと資本主義の論理をいち早く獲得したことによるという。本書は「棲み分け」をキーワードにその内実を明らかにするが、世界史のイメージを塗り替える。
 中国やイスラムの帝国ではあらゆる資源が一極に集中するが、ヨーロッパでは、それは現在でも偏在する。権力の集中は時として技術向上も富の流通もストップさせてしまうのに対し、分散は富と革新を生む。封建制下の棲み分けが、競争を呼び、サイエンスと資本主義をもたらしたのだ。
 第1段階は自生的に進行するが、効率化を加速させる時間と空間の棲み分けは、能動的に展開する。単著は礼拝と世俗生活の分離というスケジュール化だ。時間・空間の均一化は効率がいい。だが常に規格外の排除と連動し、熱狂的なナショナリズムと植民地支配の肯定論理へと沸騰する。
 サインエスと資本主義を両輪とする飽くなき自己増殖は圧倒的な力をもたらしたが、常に成果を要請され、勝利か敗北かで分類しがちな現在は、豊かな生活なのか。「棲み分け」思考を問い直すことも必要だ。(氏)
NHKブックス・1404円
    --「読書 『棲み分け』の世界史 下田淳 著」、『聖教新聞』2015年01月31日(土)付。

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