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覚え書:「こちら特報部 侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問」、『東京新聞』2015年03月19日(土)付。


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こちら特報部
侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問

 戦後七十年の国会で、こうした言葉が飛び出すとは思いもしなかった。「八紘一宇」だ。自民党の三原じゅん子参院議員(五〇)が十六日、参院予算委員会で「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」と紹介した。この言葉は戦前・戦中の日本のアジア侵略を正当化する標語として使われた。発言後、自民党内、国会でも大きな騒ぎにはなっていない。その静けさが問題の根深さを示唆している。(篠ケ瀬祐司、林啓太)

(写真キャプション)参院予算委で「八紘一宇」を紹介しつつ、質問する自民党の三原じゅん子議員=16日、国会で。

*国会での主なやりとり
三原じゅん子議員 今日紹介したいのが、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇だ。(略)八紘一宇という根本原理の中に現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている(後略)
麻生太郎副総理兼財務相 戦前の歌の中でも「往け八紘を宇となし」とかいろいろある。(略)こういった考え方をお持ちの方が三原先生みたいな世代におられるのに、ちょっと正直驚いたのが実感だ。
三原議員 八紘一宇の理念の下に(略)、そんな経済および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍首相がイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思う。


「世界を一つの家と見立て天皇が統治
「満州」支配で理念復活

 まず、「八紘一宇」の意味と歴史を確認したい。
 この言葉の水面のとは八世紀の歴史書「日本書紀」の記述だ。初代天皇とされる神武天皇が即位直前に「八紘を掩いて宇にせん」と抱負を述べたとある。
 八紘とは発砲の地の果て、つまり世界のこと。宇は家のことだ。天皇が世界を一つの家と見立てて統治しようとの理念が示された。
 ただ、これは日本書紀の編纂者による創作というのが通例だ。それ以前にあった「文選」など中国の書籍に類似した表現がある。
 専修大の荒木敏夫教授(日本古代史)は「導入されたばかりの律令制の下で、天皇の支配原理や正統性を証明するための理念として持ち出した。国を家にたとえるのは徳のある君主として人民を慈しまなければ、王朝が滅びるという思想に基づく。近代の平等で民主主義的な家族観とは異質の考えだ」と解説する。
 律令国家のイデオロギーの「亡霊」が復活するのは近代になってから。日本書紀を基に「八紘一宇」を造語したのは日蓮宗系の宗教家、田中智学(一八六一~一九三九年)とされる。一九一三年、自身が主宰する信仰団体の機関紙に記した。
 千葉大大学院の長谷川亮一特別研究員(日本近現代史)は「田中は日蓮宗の教義を独自解釈し、日露戦争前から天皇が世界統一の使命を負っていると主張していた」と説明する。
 ただ、田中の思想は一部軍人らに影響を与え、三〇年代前半から軍部が八紘一宇を使い始めた。陸軍省のパンフレットや二・二六事件の青年将校の「蹶起趣意書」にも引用された。
 背景にあるのが、三一年の満州事変と翌三二年の満州国の建国だ。長谷川氏は「満州は朝鮮や台湾のように併合できなかった。第一次大戦後、民族自決の風潮が国際的に浸透していたためだ。そこで、日本が満州国に対して支配的な地位に立つことを正当化する狙いで、天皇の威光が世界を覆うという八紘一宇の理念を主張した」と語る。つまり、アジア侵略を正当化する理念だったといえる。
 政府は三七年、戦意発揚のために「八紘一宇の精神」と題する冊子を発行し、四〇年にはこの言葉を含む「基本国策要綱」を閣議決定した。宮崎市に「八紘一宇の塔(現・平和の塔」が建てられるなど、草の根にも浸透していった。
 文部省が学校に配布した「大東亜戦争とわれら」(四二年)という冊子も「戦争完遂の大目的」が「万邦が各々その所を得て、あひともに栄えゆくやうにすること」で「八紘為宇」の精神に基づくと説いた。
 やがて、敗戦。連合国軍総司令部(GHQ)は四五年、八紘一宇を「軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノ」として公文書での使用を禁じた。
 

戦後中曽根氏ら否定
「アジア民衆の心を刺す」
「歴史的文脈無視は危険」

(写真キャプション)1940年、岐阜県高山市での仮装行列、ノボリに「八紘一宇」などの字が見える
(写真キャプション)宮崎市の平和台講演にある「八紘一宇」の文字が刻み込まれた平和の塔

 その後、戦後は一貫して時の閣僚たちが「八紘一宇」を否定している。
 五三年八月七日の衆院文部委員会では、大達茂雄文部相が「八紘一宇などという歴史教育のやり方を復活する考えは毛頭無い。(略)やはり偏っていた」と明快に否定した。八三年三月十六日の参院予算委でも「八紘一宇を平和主義のシンボルと考えるか」と問われた中曽根康弘首相が「(略)戦前の限定された意味が非常に強くあり、私自体はそういうものはとりません」と答えている。
 三原議員は「こちら特報部」の取材に対し、文書で回答を寄せた。「八紘一宇という言葉が、戦前に他国への侵略を正当化するスローガンや原理として使用されたという歴史的事実は承知しているし、侵略を正当化したいなどとも思っていない。良くない使い方をされた経緯を認めた上で、この言葉は、戦争や侵略を肯定するものではないことを伝えたかった」と説明。
 さらに、この言葉との出会いは「一三年二月十一日の建国記念日に、神武天皇の『建国のみことのり』をブログで紹介するにあたって勉強した」際という。
 一方、自民党の谷垣禎一幹事長は十七日の記者会見で、「必ずしも本来、否定的な意味合いばかりを持つ言葉ではないと思う」と、三原議員を擁護した。
 しかし、党内にはとまどいの声もある。ある閣僚経験者は的を交わした麻生太郎副総理兼財務大臣の答弁を「バランスがとれていて良かった」と評価。別のベテラン議員も「普通なら三原議員の世代は使わない単語。誰かに知恵をつけてもらったのか」と苦笑した。
 若手議員は党の印象悪化を心配する。「さすがに党が使うよう指示したとは思えない。仲間内では『元の意味は良くても、戦前、戦中の単語を持ち出すのは勘弁して』と話している」
 三原議員は、委員会で清水芳太郎(個人)が書いた八紘一宇に関する抜粋を配布した。清水は戦前に国家主義思想団体を主宰した人物で「一番強いものが弱いものをまもるために働いてやる制度が家」「世界で一番強い国が弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができた時に、世界は平和になる」などと記されている。
 結局「一議員の発言で、表現の自由もある」(ベテラン野党議員)などの理由で、三原議員の質問は委員会理事会などでは問題化されていない。だが、参院予算委で質問を聞いた福島瑞穂議員(社民)は「上から目線の歴史修正主義だ。次々と類似の発言が出てきたら、大変なことになる」と警鐘を鳴らしている。
 前出の荒木教授は「八紘一宇は侵略に苦しんだアジア民衆の心を刺す言葉。三原さんは政治家でありながら、他者の痛みへの想像力を欠いている」と話す。
 長谷川氏も「歴史的な文脈を無視した安易な使用が一般化するのは極めて危険だ。八紘一宇の理念の下に押し進められた侵略戦争の正当化にもつながりかねない」と危ぶんだ。
[デスクメモ]その共同体は信徒たちから「イスラムの家」とみなされ、カリフを頂点に統治される。その家では、肌の色や出自などによる差別はない。野蛮な異教徒たちの侵略から、聖戦を戦う戦士らが防衛する。以上が信奉者たちから見た「イスラム国」の姿である。いつの世もどこにでも似たような話は浮かんでくる。(牧)
    --「こちら特報部 侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問」、『東京新聞』2015年03月19日(土)付。

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