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2015年3月

日記:2015年、東京の桜

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近所の桜が満開に近づき始めましたので、記録として。


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覚え書:「特集ワイド:続報真相 戦意発揚スローガン『八紘一宇』国会発言 問題視されない怖さ」、『毎日新聞』2015年03月27日(金)付夕刊。


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特集ワイド:続報真相 戦意発揚スローガン「八紘一宇」国会発言 問題視されない怖さ
毎日新聞 2015年03月27日 東京夕刊

 16日の参院予算委員会で、自民党の三原じゅん子議員が戦争遂行のスローガンに使われた言葉「八紘一宇(はっこういちう)」を肯定的に紹介してから10日余り。大きな問題にはなっていないが、戦後70年を迎える折も折、「良識の府」参議院で飛び出した発言を忘れ去っていいのだろうか。

 「ご紹介したいのは、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。初代神武天皇が即位の折に『八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さむ』とおっしゃったことに由来する言葉です」。三原氏は国際的な租税回避問題に関する質問の中で、この言葉を持ち出した。「現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」というのが、その理由だった。

 しかし、言うまでもなく「八紘一宇」は、日本を盟主とする世界統一の理想を表すものとして、戦意発揚に用いられた言葉だ。日本書紀の「掩八紘而為宇」という漢文から「八紘一宇」を造語したのは戦前の宗教家、田中智学(ちがく)とされる。

 一方、三原氏が事前に参院予算委員全員に配布した説明資料には、八紘一宇について<日本は一番強くなって、そして天地の万物を生じた心に合一し、弱い民族のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであろう>と記されている。出典は1938年に出版された清水芳太郎著「建国」という書物だ。

 国会図書館に出向き、デジタル保存されている同書を閲覧した。すると、三原氏の配布資料に含まれていないページにも、気になる記述があった。日本書紀の「掩八紘而為宇」の直前にある「兼六合以開都」を、こう解釈しているのだ。<六合を兼ねて以(もっ)て都を開き=とあるのは、思うにその時は大和を平定したに過ぎず、まだ奥の方に国はあるけれども、それは平定していなかった。(中略)大和が皇化されるならば、更に進んで全世界を皇化せねばならぬと仰せられたのであろう>

 「六合」とは天地と四方。田中智学は、この「兼六合以開都」からも「六合一都」(世界を一国に)を造語したとされる。戦前や戦中には「八紘一宇」とセットで用いられることも少なくなかった。

 学問的な評価はさておき、三原氏が今回の質問にあたって依拠した書物ににじむ思想は、三原氏の言う「日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」と言えるのか。首をかしげざるを得ない。

 清水とはどんな人物だったのか。鹿児島大の平井一臣教授(政治史)が2000年に著した「『地域ファシズム』の歴史像」によると、1899年、和歌山県に生まれた。早稲田大卒業後の1928年から西日本新聞の前身の一つである九州日報の主筆。のちに健康食品などを開発、販売する清水理化学研究所を設立。同研究所を母体に国家改造運動団体「創生会」を結成し、農村救済などに取り組む。41年に飛行機事故で死亡するまでジャーナリスト、発明家、活動家と目まぐるしく職業を変えた生涯だった。

 平井教授は「清水は主に九州北部で活動したため知名度は高くありませんが、『日本的ファシストの象徴』といわれた北一輝の流れをくむ国家主義者です。体系的思想よりも、時事問題を分かりやすく文章にまとめるのが得意だったようです」と語る。

 清水が注目されたのは37年7月の日中全面戦争の勃発以降だ。同年内に2回も中国戦線を視察し、九州各地で大規模な報告会を開いた。清水が率いる創生会はその後、日独同志会結成や排英運動でめざましい活動を続け、軍部からも、その大衆動員力を注目されたという。「『建国』は日中全面戦争勃発の前後に書いた文章をまとめた本です。この時期から創生会は農村救済から軍部への協力に軸足を移し、運動を変質させていった」と平井教授。本の扉には「八紘一宇 陸軍中将 武藤一彦」と大書されている。

 「満州出兵は日露戦争の権益を確保するためと説明できたが、権益を持たない中国全土を相手にした戦争は国益論では正当化できなくなった。このため軍部は、他民族に優越した日本民族を中心とした東亜新秩序の構築のためという虚構をつくり上げた。八紘一宇は、その虚構を支えるスローガンだった」。平井教授はそう指摘し、三原氏の発言については「今の時代に、国会で『八紘一宇』や清水芳太郎の名前が出るとは思わなかった」と驚きを隠さない。

 三原氏は毎日新聞の取材に文書で回答を寄せた。数多くの文献の中から「建国」を選んだ理由については、同書の一節に<現在までの国際秩序は弱肉強食である><強い国が弱い国を搾取する>などの表現があり「現在のグローバル資本主義が弱い国に対して行っているふるまいそのままだと思い引用した」と説明。「時代状況を踏まえぬ言葉の解釈だ」との批判に対しては「八紘一宇の元々の精神は、少なくとも千数百年もの間、『我が国が大切にしてきた価値観』だったわけで、戦前はその精神から外れて残念な使われ方がされたものであり、だからこそ元に戻ろうということ」としている。

 ◇象徴の塔が物語る侵略の歴史

 「今でも宮崎県に行くと、八紘一宇の塔が建っております」。租税回避問題に絡んで「八紘一宇」を持ち出した三原氏に対し、麻生太郎財務相はこう応じた。神武天皇即位からとされる「紀元2600年」を祝って1940年に建てられた高さ37メートルの塔は、今も宮崎市平和台公園にそびえる。記者は宮崎に飛んだ。

 満開の山桜。春らんまんの公園には家族連れのほか、シンガポールや台湾のツアー客が訪れ、塔に続く階段で記念撮影を楽しんでいた。

 県職員立ち会いの下で塔内部に入った。正面には秩父宮(昭和天皇の弟宮)の真筆「八紘一宇」が納められていた「奉安庫」。周囲には軍用機や戦艦が描かれた「大東亜の図」や移民船が描かれた「南米大陸の図」、神話の「天孫降臨」「紀元元年」など8枚の石こうのレリーフがかかる。

 また、塔の基礎には世界各地の石が使われている。中国本土、台湾、朝鮮半島、シンガポール、フィリピン、パラオ、ペルーなど世界中の派遣部隊や日本人会から送られたものだ。「多田部隊 萬里長城」と刻まれた石もあった。送り主が刻まれている石だけで1789個あるという。毎日新聞の前身の一つ「東京日日新聞」と刻まれた石もあった。冷たい石肌をなでながら戦意高揚に協力した戦前の新聞業界の責任を思う。宮崎県が71年、塔の前に設置した石碑には<友好諸国から寄せられた切石>とあり、<(塔には)「八紘一宇」の文字が永遠の平和を祈念して刻みこまれている>とも記されていた。

 歴代内閣は八紘一宇に否定的な見解を示してきた。中曽根康弘首相は83年1月の参院本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った。それが失敗のもとであった」と述べている。

 実は、塔の正面の「八紘一宇」と刻まれた石板は戦後の一時期、外されていた。連合国軍総司令部(GHQ)が45年12月に「八紘一宇」を公文書で使用することを禁じた。県内の財界人らが動いて「八紘一宇」の文字が復活したのは65年だ。

 この塔の話は65年のNHK連続テレビ小説「たまゆら」にも出てくる。文豪・川端康成が初めてテレビのために原作を書き下ろしたドラマだ。川端が訪れた時、まだ石板は外された状態だった。原作にこんな一節がある。<見る人によっては、それが立った時の誇りを思ひ起し、塔の名のもぎ取られた時のかなしみを思ひ出し、また、ただ奇妙な形の塔とだけ眺めるのもよいのではあるまいか。すべて、古跡とか記念の建物とかは、見る人のこころごころであらう>

 「川端先生は当時の県民感情を的確に書いてくれた」。当時、川端を案内した渡辺綱纜(つなとも)・宮崎県芸術文化協会会長はそう話す。

 「この塔は戦時中に国民を戦争に一致団結させるための精神的な支柱だった。宮崎県には、その史実を正しく伝える碑などを建立するよう求めています。三原さんの発言を聞くと、再び国民を戦争に駆り立てる支柱としてこの塔が利用されるのではないかとの懸念を拭えません」。91年から塔の史実を研究している市民団体「『八紘一宇』の塔を考える会」の税田啓一郎会長は表情を曇らせる。

 公園を管理する宮崎県都市計画課の担当者は、現在の碑文について「さまざまな意見があろうかと思いますが、現状のまま大切に保存してまいりたい」と語るのみだ。

 世界各地から石を集めて築かれた巨大な「八紘一宇」の塔。それは、アジア諸国を踏みにじり日本を破滅に導いた戦争を象徴するモニュメントだ。三原氏の発言と共に胸に刻みたい。【浦松丈二】
    --「特集ワイド:続報真相 戦意発揚スローガン『八紘一宇』国会発言 問題視されない怖さ」、『毎日新聞』2015年03月27日(金)付夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150327dde012010022000c.html:title]


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拙文:「読書 大賀祐樹『希望の思想 プラグマティズム入門』筑摩選書 連帯と共生への可能性を開く」、『聖教新聞』2015年03月28日(土)付。


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読書
希望の思想 プラグマティズム入門
大賀祐樹 著

連帯と共生への可能性を開く

 現代思想の諸潮流の中でプラグマティズムほど不当な扱いを受けたものはない。実用主義の訳語は早計すぎて“浅い”という印象をあたえる。著者はパース、ジェイムズ、デューイといった源流からクワイン、ローティといった最前線までを俯瞰し、「希望の思想」としての魅力を取り戻す。連帯と共生を探るその可能性は、閉塞した現代に風穴を開ける光明だ。
 プラグマティズムとは「相容れない『信念』をもち、対立し合う人びとが、そうした相剋を乗り越えて連帯し、一つの『大きなコミュニティ』を形成するための指針であり、共生を可能ならしめる」思想のこと。ある概念を前もって確定させることはできないが、「その概念がいかなる帰結を生むのかを考察し、実際に何が生じたかを観察することは可能である」という格率から出発し、世界を認識しようとする。
 歴史を参照すれば、哲学的概念や宗教的信念は先験的に常に正しい訳ではない。その事実を踏まえるなら、人間社会に役立つ限り「暫定的」に正しいと認め、相互承認して生きるほかない。
 さまざまな価値観をもつ人々が同じ社会で生活すれば、唯一の正しさをめぐり摩擦を生まざるを得ない。しかし正しさをあらかじめ設定できない以上、「暫定的」すり合わせが不可欠だ。
 排他的言動があふれ、憎悪の信念対決が激しさを増す現代。プラグマティズムの示す“他者と共に生きる流儀”を身につける必要がある。(氏)
●筑摩選書・1620円
    --「読書 大賀祐樹『希望の思想 プラグマティズム入門』筑摩選書 連帯と共生への可能性を開く」、『聖教新聞』2015年03月28日(土)付。

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覚え書:「松尾貴史のちょっと違和感 『八紘一宇』持ち上げる与党銀 言葉のチョイスは生命線では」、『毎日新聞』2015年03月22日(日)付日曜版(日曜くらぶ)。

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松尾貴史のちょっと違和感
「八紘一宇」持ち上げる与党議員 言葉のチョイスは生命線では

 元女優の与党議員が、予算委員会で質問をしている様をぼんやりと見ていた。先日、新幹線からホームに降り立つ彼女と出くわしたばかりだった。その時にも感じたのだが、いろんな意味で顔つきが変わってきたなあ、などと思いつつ(人の人相をとやかく言えたものではないが)聞くともなしに、しかし耳に入っては来ていた。滑舌はいい、もちろん国会議員にしては、といったレベルだが。だがそこに実感というか、現実感というものが伴っていない空々しさが常に漂っていて、あまり上図ではない役者が、2時間ドラマの法廷ものか何かで弁護士か検事の役を力んでやっている雰囲気だった。当然だが、政権に対する礼賛ばかりを並べていて、首相に語りかけるときはまるでハニーがダーリンに語りかけるように甘く呼びかけていた。
 よかったねえ、巨大与党だからこそこういう見せ場を与えられて、などと思いつつチャンネルを変えようかというときに、なぜか税制の話の中だったかと思うが、「八紘一宇」という四字熟語を持ち出した。前時代的というよりも、今時この言葉を前向きな意味合いで使う、私よりも若い女性がいるのだなあと思ったが、話の流れからこの言葉を持ち出す意図が全く読めなかった。というよりも、この熟語を使いたいのでどこかに入れられないか探してこじつけて入れたような違和感があった。
 この言葉の由来は日本書紀の「掩八紘而為宇=八紘を掩いて宇にせむこと亦可ろしからずや」という文言をもとに、思想家が大正時代に短縮した造語らしい。
 この議員は、「ご紹介したいのは、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります」と述べていた。そうすると日本の建国は大正時代ということになってしまうが、それは勘違いだとしても、彼女にこの言葉を使わせようとアドバイスなりレクチャーをした人がいるのではないかと想像してしまった。
 あの中曽根康弘首相(昭和58<1983>年当時)ですら、衆議院の本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った。それが失敗のもとだった」と、反省材料として否定的に使っているし、もちろん他の多くの政治家たちもそのようにこの語を扱っていた。
 私も、国民を間違った方向に向かわせる標語として大活躍した、どちらかといえば好ましくない言葉だという認識だった。しかし、今回は建国以来の美徳としてご紹介してくださっている。建国以来大切にしてきたのなら、彼女が首相や多くの国会議員、そして多くの国民に「紹介」する必要はないだろうが、ここで「紹介」することによって、憲法と同じくこのスローガンも既成事実として「解釈変更」をしようとしているのでは、と被害妄想的になってしまう。
 この言葉のそもそもの意味をあれこれ文句をつけるつもりはないのだけれども、この言葉をあえて紹介するならば、どういう使われ方、扱いをうけてきたかを調べなかったとは思えず、であれば、戦時中はこの標語を批判するだけで治安維持法などの戦時法制の取り締まり対象となって、非国民の扱いをうけてしまうようなセンシティブなものだったということに気がつかなかったのだとすれば、あまりにも迂闊ではないか。
 本来の意味は道徳的なものなのだとか、そういうことは関係なく、言葉というものが持つ性質か、その言葉がどう使われてきたかということが大きな問題で、放送や新聞で使われないようになったりした言葉にも、それぞれの語源ではなく、伝来、来歴でまとわりついた因縁が大きく影響している。
 政治家の仕事は語り合うことだ。その時、大切な道具としての言葉のチョイスは、生命線なのではないだろうか。(放送タレント、イラストも)
    --「松尾貴史のちょっと違和感 『八紘一宇』持ち上げる与党銀 言葉のチョイスは生命線では」、『毎日新聞』2015年03月22日(日)付日曜版(日曜くらぶ)。

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日記:現実に定義があるにもかかわらず、「定義されていない」と言葉を弄して、定義自体を変えていく。これが安倍政権のやり方。


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安倍首相の「我が軍」発言は、列記とした憲法違反。実質の「軍」であることは否定しない(……但し渡洋交戦可能ではない)けれども、管官房長官がいうように「定義されていない」というレベルの問題ではない。

憲法には閣僚の憲法遵守規定が存在するにもかかわらず、どこ吹く風でどす黒い本音がまかり通る異常さだ。

安倍首相は、先の戦争が侵略戦争だったのか問われ、ここでも「侵略」が「定義されていない」と答えている。そりゃそうだ。侵略戦争などと思っていないからだ。

現実に定義があるにもかかわらず、「定義されていない」と言葉を弄して、定義自体を変えていく。これが安倍政権のやり方。汚えよな。


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声:「我が軍」発言は追及すべきだ
無職(東京都 79)

 安倍晋三首相が20日の参院予算委員会で、自衛隊を「我が軍」と述べました。
 憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めています。また99条は、国務大臣や国会議員は憲法を尊重し用語する義務を負うと規定しています。それなのに「我が軍」とは何ごとですか。日頃からそう思い、そのことを志向しているからこそ、「我が軍」という言葉が口から出たのではないでしょうか。
 これは重大なことです。それなのに当初の野党の反応は鈍いものだったと言わざるを得ません。24日になってようやく民主党の細野豪志政調会長が「憲法の枠組みの中で積み上げた議論を全部ひっくり返すような話だ」と指摘。「この問題は時間をかけてしっかり国会でやるべきだ」と発言しました。
 また維新の党の松野頼久幹事長も「あくまで我が国は自衛隊だ。不安をあおるような言い回しは、気をつけるべきだ」と述べたそうです。
 野党は一致してこの問題を取り上げ、首相の間違いをたださなければなりません。内閣の不信任決議に値する大問題だと思います。
    --「声:『我が軍』発言は追及すべきだ」、『朝日新聞』2015年03月26日(木)付。

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覚え書:「異議あり:松陰の『行動』への賛美、実は危うい 儒教思想を研究する小島毅さん」、『朝日新聞』2015年03月19日(木)付。

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異議あり:松陰の「行動」への賛美、実は危うい 儒教思想を研究する小島毅さん
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(写真キャプション)小島毅さん=東京都文京区、西田裕樹撮影
 今年の大河ドラマ「花燃ゆ」は、吉田松陰の松下村塾が舞台。安倍晋三首相も、地元・長州が生んだ松陰が大好きだ。「新しい日本の礎を築いた人」という松陰像に、中国思想史を研究する小島毅さんは異論を唱える。松陰の掲げた「正義」や「行動」は、実は危うさをはらんでいたのではないか、と。その理由を聞いてみた。

 ■通じない相手を敵とみなし、テロにつながる。相手の正義も想像しよう

 ――安倍首相は2月の施政方針演説で、吉田松陰の「知と行は二つにして一つ」を引用し、「この国会に求められていることは、単なる批判の応酬ではありません。『行動』です」と述べました。

 「松陰の称揚は明治時代に遡(さかのぼ)ります。維新という『革命』を正当化するために明治政府は『行動を起こしたことは正しい』と刷り込みを行った。行動の人として西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通の『維新三傑』を顕彰し、後から松陰と坂本竜馬が加えられたのです。『考えるだけではだめ、行動こそ重要』という考えが広まりました」

 ――松陰たちの「行動」が明治政府をつくったと。

 「ただ、そこには矛盾があります。行動によって体制の打倒に成功すると、今度は自分たちの新しい体制を守るために、ときには『行動の人』を敵と見なさざるをえなくなる。ひとたび行動が反体制に向かえば、容易にテロリズムにつながるからです」

 ――松陰は幕府の老中、間部詮勝(まなべあきかつ)を暗殺しようとして死刑となりました。弟子の高杉晋作や久坂玄瑞は英国公使館を焼き打ちしました。

 「そう、松陰は、自分の愛(まな)弟子の伊藤博文をハルビンで暗殺した朝鮮人の安重根と似た立場の人だったんです。明治政府は、いわばテロを企てた人を顕彰したことになる」

 ――明治政府が行動を重視し、松陰を顕彰したなら、それが第2次大戦後まで受け継がれたのはなぜでしょう。

 「戦後、松陰の評価が巧みに書き換えられたからです。松陰の行動の根幹は尊王思想です。天皇にふたたび政治の実権をとってもらうことが大事で、『日本の夜明け』は二次的なものでしかなかった。戦後は尊王思想の部分が隠されて、『行動』だけがクローズアップされました」

    *

 ――安倍首相が引用した「知行合一(ちこうごういつ)」は、儒教の陽明学の思想ですね。

 「松陰が陽明学者と見なされるようになったのも明治以降です。そもそも江戸時代、陽明学はほとんど力を持ちませんでした。陽明学を有名にしたのは、幕府への反乱を起こした大塩平八郎で、彼のせいでむしろ危険思想と見なされていたのです。陽明学の『知行合一』が重んじられるのは明治維新後のことです」

 ――なぜ日本人はそこまで行動を重視したのですか。

 「行動の重視は日本人だけの特性ではありません。ISこと『イスラム国』も行動を重視しているでしょう。ただ、日本における思想の根付き方として、体系的な理論よりも、何をすべきなのかわかりやすいものを求めがちです。陽明学もそうしたかたちで受け入れられた。理想を実現するために、地道な言論によって人々を感化するのではなく、直接行動するという考え方が強くありました」

 ――その理想とは何だったのでしょうか。

 「一言でいえば『日本国の存続』です。天皇を中心とした挙国一致体制をつくり、西欧勢力の進出に対抗する。日本を一等国にするという目標のために、『日本のすばらしさ』が強調される。それが昭和20年の決定的敗戦でも終わらなかったところに、今に続く問題があると思います」

 「バブル崩壊後、ジャパン・アズ・ナンバーワンとおだてられていた時期に戻りたいと多くの国民が思った。しかし現実には、中国に経済力で追い越されました。その状況に耐えられず、『日本のすばらしさ』を顕彰しようというムードが再燃したのでしょう。『すばらしさ』の象徴として松陰が称揚され、ことあるごとに松陰を引き合いに出す安倍首相が支持される」

 ――松陰的なリーダーを求める空気があると。

 「近代の日本にも、大久保利通や伊藤博文など、松陰的ではないリーダーはいました。ただ、彼らも表面上は松陰的に振る舞わないと支持を得られない。本来、政治はだまし合いの世界であるはずなのに、策を弄(ろう)する政治家は嫌われ、誠心誠意の人をリーダーにしようとする。危ういことだと思いますね」

    *

 ――『行動』の理由が善意や正義でなくてはいけない。

 「中国に対する侵略戦争にしても、当事者たちは欧米列強や蒋介石の国民政府からの解放、あるいは赤化の防御と主張したわけです。善意でやっていることが恐ろしい。自分が正しいと思うことを他者もそう思うとは限らないという認識が欠けていた。海外の思想を、細かい論理のあやをすっ飛ばして受容してきたツケかもしれません」

 ――安倍政権が唱える「テロとの戦い」も、正義と善意が前面に出ています。

 「松陰的な思考だと、自分の善意が相手に通じないとき、相手を攻撃するだけになる。『他者』の存在を認め、その『痛み』を理解すれば、テロリストたちがなぜ残虐なことをするのかも想像することができる。決して共感する必要はないのですが、彼らには彼らの正義があり、松陰の『やむにやまれぬ大和魂』ならぬ『やむにやまれぬムスリム魂』で行動しているのかもしれない。それを最初から全否定すれば、つぶすかつぶされるかしかない」

 ――彼らの中にも「吉田松陰」がいて「松下村塾」があるのかもしれない。

 「そうです。それを理解する想像力が大切です」

    ◇

 こじまつよし 52歳 62年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門は儒教思想。東アジア海域文化という視座から、日本史の新たな読み直しも行っている。主な著書に「近代日本の陽明学」「増補 靖国史観」「父が子に語る日本史」など。

 ■吉田松陰と陽明学

 吉田松陰は1830年、長州(山口県)生まれ。通称は寅次郎。家学である山鹿流兵学を修めたが、後に洋学者・佐久間象山に師事。54年、外国への密航を企て、下田に停泊中の米国ペリー艦隊の軍艦へ乗り込もうとするが失敗。長州・萩の牢獄に入る。

 出獄後、萩郊外の私塾・松下村塾で、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋らを教える。幕府の老中・間部詮勝の暗殺を企てた罪により、59年、江戸で刑死した。

 松陰はもともと軍学者・洋学者だったが、中国・明代の儒学者・政治家だった王陽明(1472~1528)の思想である「陽明学」の影響を強く受けたとされ、「知行合一」を重視した。

 ■取材を終えて

 今、「2015年の松下村塾」があったらどうだろう。松陰のような理想を掲げる指導者のもと、「意識高い系」の若者たちが天下国家を論じる姿を想像すると、なんだかちょっとイヤじゃないですか。今回、小島さんが「松陰の立場はテロリストと同じ」と断じるのを聞いて、松下村塾がやたらもてはやされることへの違和感の理由がわかったような気がする。松陰の「正義」と「善意」は、けっこう迷惑なのだ。(尾沢智史)
    --「異議あり:松陰の『行動』への賛美、実は危うい 儒教思想を研究する小島毅さん」、『朝日新聞』2015年03月19日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11657442.html:title]


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日記:積極的平和主義を「後方支援」するのみならず歴史修正主義に積極的に荷担する公明党

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私自身、戦後社会の現実政治における公明党の歴史的役割は全否定するつもりは毛頭無い。むしろ、大企業に属さない、労働組合にも守られない無名の庶民の権利を守り、穴を穿つような挑戦には拍手を送りたいし、日中国交回復の先鞭を付けたその歩みは高く顕彰されてしかるべきであると考える。

その公明党の三本柱は「教育」「福祉」「平和」だ。

しかし、教育は教育基本法の改悪によって後退し、福祉に関しても生活保護を巡る自民党のバッシングの尻馬に乗り、平和に関しても「集団的自衛権」を「閣議決定」で「容認」してしまうという立憲主義の基本を既存するという現状。

三つの看板はもはや客寄せパンダとしても機能不可能なほど、その結党の精神から逸脱している。

しかしである。もっとも大切にしなければならないのは、やはり「平和」の根幹となるその歴史認識であろう。

富山県議会がいわゆる「慰安婦問題に関する適切な対応を求める意見書」を自民党と一緒になって公明党が強行採決をしたというニュースは、「平和」の根幹となる歴史認識を覆すことであり、ニュースを目にして驚きを隠せなかった。

法律や行政のテクニカルなアプローチにおいて自民党同調すること自体は否定しない。連立を組む以上唯々諾々というのはありえるからだ。

しかし、同調できない一線こそ平和主義の根幹となる先の大戦の経験とその認識であろう。

公明党の平和主義の淵源は、戦前の創価教育学会に由来する。創価教育学会の歴史とは天皇制軍国主義に弾圧された血なまぐさい歩みそのものである。初代会長・牧口常三郎、二代目(戦後)は共に治安維持法違反で検挙で、牧口は獄死している。

いわば、公明党の原点となるその先達者は、従軍慰安婦の方々と同じく日本の軍国主義の「犠牲」にあっている。

このことをどう考えるのだろう。

めんどくさいの一言だけ言及しておくと、「適切な対応を求める意見書」は、いわゆる『朝日新聞』の吉田証言誤報を軸に「従軍慰安婦そのものがなかった」と歴史修正主義を図る日本会議式歴史認識だ。しかし河野談話にせよ度重なる国連の勧告にせよ、吉田証言に「強制制」を根拠にはしていない。まとまな歴史学者も「吉田証言」をそもそも相手にしていない。『朝日新聞』の謝罪のタイミングは悪かったことは否定できない。しかし、その尻馬に乗り歴史認識を歪めてしまうことに連動するとはこれいかに……という話だ。

自民党の武田慎一議員は日本会議系という。右派宗教団体のロンダリング組織・日本会議が目指すのは戦前回帰だ。戦前に弾圧された創価学会-公明党がこうしたネトウヨメンタリティーと同調することに戦慄しなければならない。

しかし、しかし、だ。

日蓮没後、日蓮の高弟の主流派は、弾圧を恐れ、日蓮門下と名乗るのをやめ、「天台沙門」と自称したそうな。過去を顧みない連立ボケの果てに、福祉も教育も、そして平和主義も積極的に放擲していく……これが公明党の積極的平和主義??

アホか。

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県議会:慰安婦問題、意見書可決 自民、公明、無所属が賛成 /富山
毎日新聞 2015年03月17日 地方版

 県議会は16日開いた2月定例会本会議で、「慰安婦問題に関する適切な対応を求める意見書案」を賛成多数で可決した。自民の他、公明と無所属の議員が賛成。民主、社民、共産の3会派は反対した。

 提案理由の説明で、武田慎一県議(自民)は慰安婦問題を巡り朝日新聞が報道したいわゆる吉田証言により、「日本は国益を失っている」と主張。事実の周知のための広報や国際社会への積極的な発信を▽教科書が史実に基づき記述されるよう対応を▽戦後70年談話は未来志向で--などと求めた。

 反対討論で火爪弘子県議(共産)は、県内の9市民団体から各会派などに意見書案の否決を求める申し入れがあった点に触れた後、「吉田証言は(慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた)河野談話の根拠とされておらず、意見書案は筋違い。こそくな表現で歴史的事実を葬り去ろうとし、強い怒りを感じる」と批判した。

 2月定例会はこの他、2015年度一般会計予算案や、ヘイトスピーチへの対策強化を求める意見書案など計93件を可決、閉会した。【成田有佳】
    --「県議会:慰安婦問題、意見書可決 自民、公明、無所属が賛成 /富山」、『毎日新聞』2015年03月17日(火)付。

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[http://mainichi.jp/area/toyama/news/20150317ddlk16010346000c.html:title]


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覚え書:「こちら特報部 侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問」、『東京新聞』2015年03月19日(土)付。


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こちら特報部
侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問

 戦後七十年の国会で、こうした言葉が飛び出すとは思いもしなかった。「八紘一宇」だ。自民党の三原じゅん子参院議員(五〇)が十六日、参院予算委員会で「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」と紹介した。この言葉は戦前・戦中の日本のアジア侵略を正当化する標語として使われた。発言後、自民党内、国会でも大きな騒ぎにはなっていない。その静けさが問題の根深さを示唆している。(篠ケ瀬祐司、林啓太)

(写真キャプション)参院予算委で「八紘一宇」を紹介しつつ、質問する自民党の三原じゅん子議員=16日、国会で。

*国会での主なやりとり
三原じゅん子議員 今日紹介したいのが、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇だ。(略)八紘一宇という根本原理の中に現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている(後略)
麻生太郎副総理兼財務相 戦前の歌の中でも「往け八紘を宇となし」とかいろいろある。(略)こういった考え方をお持ちの方が三原先生みたいな世代におられるのに、ちょっと正直驚いたのが実感だ。
三原議員 八紘一宇の理念の下に(略)、そんな経済および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍首相がイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思う。


「世界を一つの家と見立て天皇が統治
「満州」支配で理念復活

 まず、「八紘一宇」の意味と歴史を確認したい。
 この言葉の水面のとは八世紀の歴史書「日本書紀」の記述だ。初代天皇とされる神武天皇が即位直前に「八紘を掩いて宇にせん」と抱負を述べたとある。
 八紘とは発砲の地の果て、つまり世界のこと。宇は家のことだ。天皇が世界を一つの家と見立てて統治しようとの理念が示された。
 ただ、これは日本書紀の編纂者による創作というのが通例だ。それ以前にあった「文選」など中国の書籍に類似した表現がある。
 専修大の荒木敏夫教授(日本古代史)は「導入されたばかりの律令制の下で、天皇の支配原理や正統性を証明するための理念として持ち出した。国を家にたとえるのは徳のある君主として人民を慈しまなければ、王朝が滅びるという思想に基づく。近代の平等で民主主義的な家族観とは異質の考えだ」と解説する。
 律令国家のイデオロギーの「亡霊」が復活するのは近代になってから。日本書紀を基に「八紘一宇」を造語したのは日蓮宗系の宗教家、田中智学(一八六一~一九三九年)とされる。一九一三年、自身が主宰する信仰団体の機関紙に記した。
 千葉大大学院の長谷川亮一特別研究員(日本近現代史)は「田中は日蓮宗の教義を独自解釈し、日露戦争前から天皇が世界統一の使命を負っていると主張していた」と説明する。
 ただ、田中の思想は一部軍人らに影響を与え、三〇年代前半から軍部が八紘一宇を使い始めた。陸軍省のパンフレットや二・二六事件の青年将校の「蹶起趣意書」にも引用された。
 背景にあるのが、三一年の満州事変と翌三二年の満州国の建国だ。長谷川氏は「満州は朝鮮や台湾のように併合できなかった。第一次大戦後、民族自決の風潮が国際的に浸透していたためだ。そこで、日本が満州国に対して支配的な地位に立つことを正当化する狙いで、天皇の威光が世界を覆うという八紘一宇の理念を主張した」と語る。つまり、アジア侵略を正当化する理念だったといえる。
 政府は三七年、戦意発揚のために「八紘一宇の精神」と題する冊子を発行し、四〇年にはこの言葉を含む「基本国策要綱」を閣議決定した。宮崎市に「八紘一宇の塔(現・平和の塔」が建てられるなど、草の根にも浸透していった。
 文部省が学校に配布した「大東亜戦争とわれら」(四二年)という冊子も「戦争完遂の大目的」が「万邦が各々その所を得て、あひともに栄えゆくやうにすること」で「八紘為宇」の精神に基づくと説いた。
 やがて、敗戦。連合国軍総司令部(GHQ)は四五年、八紘一宇を「軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノ」として公文書での使用を禁じた。
 

戦後中曽根氏ら否定
「アジア民衆の心を刺す」
「歴史的文脈無視は危険」

(写真キャプション)1940年、岐阜県高山市での仮装行列、ノボリに「八紘一宇」などの字が見える
(写真キャプション)宮崎市の平和台講演にある「八紘一宇」の文字が刻み込まれた平和の塔

 その後、戦後は一貫して時の閣僚たちが「八紘一宇」を否定している。
 五三年八月七日の衆院文部委員会では、大達茂雄文部相が「八紘一宇などという歴史教育のやり方を復活する考えは毛頭無い。(略)やはり偏っていた」と明快に否定した。八三年三月十六日の参院予算委でも「八紘一宇を平和主義のシンボルと考えるか」と問われた中曽根康弘首相が「(略)戦前の限定された意味が非常に強くあり、私自体はそういうものはとりません」と答えている。
 三原議員は「こちら特報部」の取材に対し、文書で回答を寄せた。「八紘一宇という言葉が、戦前に他国への侵略を正当化するスローガンや原理として使用されたという歴史的事実は承知しているし、侵略を正当化したいなどとも思っていない。良くない使い方をされた経緯を認めた上で、この言葉は、戦争や侵略を肯定するものではないことを伝えたかった」と説明。
 さらに、この言葉との出会いは「一三年二月十一日の建国記念日に、神武天皇の『建国のみことのり』をブログで紹介するにあたって勉強した」際という。
 一方、自民党の谷垣禎一幹事長は十七日の記者会見で、「必ずしも本来、否定的な意味合いばかりを持つ言葉ではないと思う」と、三原議員を擁護した。
 しかし、党内にはとまどいの声もある。ある閣僚経験者は的を交わした麻生太郎副総理兼財務大臣の答弁を「バランスがとれていて良かった」と評価。別のベテラン議員も「普通なら三原議員の世代は使わない単語。誰かに知恵をつけてもらったのか」と苦笑した。
 若手議員は党の印象悪化を心配する。「さすがに党が使うよう指示したとは思えない。仲間内では『元の意味は良くても、戦前、戦中の単語を持ち出すのは勘弁して』と話している」
 三原議員は、委員会で清水芳太郎(個人)が書いた八紘一宇に関する抜粋を配布した。清水は戦前に国家主義思想団体を主宰した人物で「一番強いものが弱いものをまもるために働いてやる制度が家」「世界で一番強い国が弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができた時に、世界は平和になる」などと記されている。
 結局「一議員の発言で、表現の自由もある」(ベテラン野党議員)などの理由で、三原議員の質問は委員会理事会などでは問題化されていない。だが、参院予算委で質問を聞いた福島瑞穂議員(社民)は「上から目線の歴史修正主義だ。次々と類似の発言が出てきたら、大変なことになる」と警鐘を鳴らしている。
 前出の荒木教授は「八紘一宇は侵略に苦しんだアジア民衆の心を刺す言葉。三原さんは政治家でありながら、他者の痛みへの想像力を欠いている」と話す。
 長谷川氏も「歴史的な文脈を無視した安易な使用が一般化するのは極めて危険だ。八紘一宇の理念の下に押し進められた侵略戦争の正当化にもつながりかねない」と危ぶんだ。
[デスクメモ]その共同体は信徒たちから「イスラムの家」とみなされ、カリフを頂点に統治される。その家では、肌の色や出自などによる差別はない。野蛮な異教徒たちの侵略から、聖戦を戦う戦士らが防衛する。以上が信奉者たちから見た「イスラム国」の姿である。いつの世もどこにでも似たような話は浮かんでくる。(牧)
    --「こちら特報部 侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問」、『東京新聞』2015年03月19日(土)付。

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覚え書:「ニュースQ3:『八紘一宇』戦時中のスローガンを国会でなぜ?」、『朝日新聞』2015年03月19日(土)付。


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ニュースQ3:「八紘一宇」戦時中のスローガンを国会でなぜ?
2015年03月19日

(写真キャプション)「八紘一宇」について触れる自民党の三原じゅん子参院議員

 「日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)」――。三原じゅん子・自民党参院議員(50)の発言は唐突だった。戦後70年の国会で、かつての戦争遂行のスローガンがなぜ?

 ■三原議員が質問中に発言

 16日の参院予算委員会。三原氏は国際的な租税回避問題についての質問で、八紘一宇とは「世界が一家族のようにむつみ合うこと」だとし、グローバル経済の中で日本がどう振る舞うべきかは「八紘一宇という根本原理の中に示されている」と語った。

 そもそもどんな意味なのか。田中卓・皇学館大元学長(日本古代史)によれば、由来は日本書紀にある。神武天皇が大和橿原に都を定めた時に「八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)に為(せ)んこと、またよからずや」と語った。地の果てまで一つの家とすることは良いことではないか、との意だ。

 ■大正時代に宗教家が造語

 ここから「八紘一宇」を造語したのが、国家主義的な宗教団体「国柱会」の創設者、田中智学だった。

 大谷栄一・佛教大准教授(近現代日本宗教史)によると、田中は1913(大正2)年、機関紙「国柱新聞」で初めて八紘一宇に言及。著書「日本国体の研究」で「悪侵略的世界統一と一つに思われないように」としたが、やがて「日本が盟主となってアジアを支配する」という文脈で使われるようになる。

 第2次近衛文麿内閣は40(昭和15)年、「基本国策要綱」を決定。「八紘を一宇とする」精神にもとづき「先(ま)づ皇国を核心とし、日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設する」とした。当時、日中戦争は泥沼化し、翌年には太平洋戦争に突入する。

 戦争推進の国民的スローガンの一つとして「八紘一宇」も使われ、当時の小学生は習字で書き、朝日新聞も「八紘一宇の大理想のもと父祖の大業を継ぎ……」などと戦争を支持した。

 こうした歴史を背景に、この言葉に複雑な思いを抱く人は少なくない。

 ■複雑な思い、昭和天皇にも

 昭和天皇は79年10月、国体開会式出席のため宮崎県を訪問。当初、県立平和台公園にある「平和の塔」で歓迎を受ける予定だったが、広場に変更された。40年に建立された塔には「八紘一宇」と刻まれていた。

 当時の侍従長による「入江相政(すけまさ)日記」の同年9月の記述には「八紘一宇の塔の前にお立ちになつて市民の奉迎にお答へになることにつき、割り切れぬお気持がおありのことが分り……」とあり、昭和天皇の意向が場所を変えた理由だったことを記している。

 中曽根康弘元首相も83年、国会で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と述べた。

 三原氏は取材に「侵略を正当化したいなどと思っていない」と文書で回答し、「『人類は皆兄弟としておたがいに手をたずさえていこう』という和の精神」を伝えたかったとした。

 前坂俊之・静岡県立大名誉教授(ジャーナリズム論)はこう指摘する。

 「八紘一宇は侵略のキーワードで、三原氏の質問は全く関係ない問題に誤用した発言だ。終戦70年の首相談話が問題となっている時期に、グローバルな政治情勢の判断を欠いている」
    --「ニュースQ3:『八紘一宇』戦時中のスローガンを国会でなぜ?」、『朝日新聞』2015年03月19日(土)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11657505.html:title]

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書評:将基面貴巳『言論抑圧 矢内原事件の構図』中公新書、2014年。


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将基面貴巳『言論抑圧 矢内原事件の構図』中公新書読了。

『中央公論』掲載の「国家の理想」が反戦的とされ辞任に追い込まれた矢内原忠雄事件は戦前日本を代表する政治弾圧の一つだ。本書は歴史を複眼的に見る「マイクロヒストリー」の手法から、言論抑圧事件に関与した人物や機関を徹底的に洗い直し、その複雑な構造を明らかにする一冊。

戦前の言論抑圧事件の構造とは、権力からのプレッシャーを軸に、右派国家主義者からの踏み込んだ攻撃と過剰なまでに遠慮する大学というもので、そのデジャブ感にくらくらしてしまう。

矢内原失脚の要因には、当局の抑圧と国家主義者からの批判だけではない。すなわち、学部内の権力闘争や大学総長のリーダーシップの欠如も大きく関わっている。著者は大学の自治能力の欠如に、権力の過剰な介入を招いたと指摘する。

矢内原事件の発端は、「国家の理想」という論考だ。キリスト者としての「永遠」の視座から現状を「撃つ」理想主義の立場から「現在」の国家を鋭く批判した。当時は日中戦争勃発直後で、大学人にも国家への貢献が強要されていた。矢内原事件は起こるべくして起こり、大学内からも「批判」をあびることとなる。

弾圧のきっかけをつくったのは言うまでもなく蓑田胸喜だ。蓑田は通常、狂信的右翼で済まされるが(蓑田研究も少ないという)、著者は蓑田のロジックも丁寧に点検する。蓑田によれば矢内原の立場とは、新約聖書より旧約聖書を重視する「エセ・クリスチャン」(そして蓑田こそが真のキリスト教認識という立場)というもので、この論旨には驚いた。

愛国という軸において矢内原も蓑田も一致する。しかし両者の違いは、蓑田が「あるがままの日本」を礼賛することであったのに対し、矢内原の場合は、現在を理想に近づけることとされた。二人の眼差しの違いは、キリスト者ならずとも、「あるがまま」を否定する度に「売国奴」連呼される現在が交差する。

矢内原事件はこれまで矢内原の立場からのみ「事件」として認識されてきた。事件は事件である。しかしその豊かな背景と思惑を腑分けする本書は、およそ80年前の事件を現在に接続する。「身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑する。諸君はそのような人間にならないように……」(矢内原忠雄の最終講義)

蛇足:矢内原事件に関連して、無教会キリスト者たちも一斉に摘発を受ける。しかしながら、矢内原の東大辞職に関しては、矢内原が伝道に専念できるとして歓迎的ムードであったというのは、ちょと「抉られる」ようであった。これこそ、「●●教は××」という通俗的認識を脱構築するものなのであろう。


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「野坂昭如の『七転び八起き』 第199回 大震災から4年 危機感を取り戻せ」、『毎日新聞』2015年03月10日(火)付。


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野坂昭如の「七転び八起き」
第199回 大震災から4年 危機感を取り戻せ

 東日本大震災から4年。福島原発事故から4年。上辺の復興がいわれながら、すべてがうやむやのまま5年目を迎えようとしている。今の上っ調子なお上、これに対し違和感を覚えている人は多いはずだ。息苦しさが世間を被いはじめている。それでもなお、立ち止まって考えようとしない。向き合わなければならぬ現実から目を逸らし、戦後豊かさに向かって1億総邁進を善しとしたあの頃と似た空気。お上は棄民政策を続けている。
 福島でいえば、いまだ避難を余儀なくされている人が大勢いる。復興という言葉の空々しさに気がついている人はいても、その原因を問うことはしない。新天地で精いっぱい生きていこうとする人がいる。一方、原発事故以来、いまだ先行きの見通しないまま、常に不安定な生活を強いられている人もいる。福島に限ったことではないが、同じ被災者という立場でも、被災者同士で溝が深まる。強制的に避難させられている人と、自主的に避難している人の間に、賠償額などで格差が生じ、地域の和が乱れ、これが復興のさまたげにもなる。上辺活気を取り戻したようにみえて、その陰に、いったい何人の自殺者がいるのか。
 4年を経た今、被災地以外に暮らす人間はといえば、まだ復興は半ばではあるものの、被災者の多くに普通の生活が成り立っていると思い込んでいる。そう思い込むことで、自分たちの日常が確立され、まともだと思えるのだ。それまでの暮らしを断ち切られ、追い出された人の多くは、いまだ絶望感から抜け出せないでいる。そこには置き去りにされたまま。被災者たちの声は届かない。かわってお上の調子のいい号令ばかりが響く。その筆頭は、福島原発はコントロールされているという嘘。これは大本営発表よりひどい。
 汚染水の問題は何も解決していない。4年も経って、処理システムもメドが立たず、そもそも原発をつくる上で、原子力のタブーについては触れないできた。わが国は資源小国、やがて油田枯渇をいい、発展するために必要と、その危険性や矛盾は考えないことにして、ギリギリの綱渡りを続け、自己は想定外だと宣う。想定外という言葉は人間の驕りである。先日も汚染水の外洋流出という事件が起きている。汚染水の濃度が低いからコントロール出来ているというが、問題は数値の高い低いではない。10カ月もの間、隠蔽を続ける東電。この体質、昨日今日にはじまったわけじゃなく、かつてよりひどくなっている。放射性物質への風評被害と戦い、ようやく明るい兆しが見えたところで、大本がこれではどうしようもない。
 東電はもはや民間企業じゃない。つまり東電の隠蔽体質はお上の体質そのものといえる。お上は五輪招致のもと、福島の問題はないものとして、不都合な事実を隠す。また原発再稼働ありき、これを前進させるため、国は原発事故によって、当たり前の生活を奪われた被災者たちを見棄て続けている。廃炉に向けての除染廃棄物の行方も決まらぬまま、国も原子力規制委員会も、原発再稼働、つまり利害関係の継続を優先、震災後には、言われていた脱原発について、その過程すら考えることをやめた。
 廃棄物の仮置き場の土地が決まっても、このシロモノの管理には、今後長期にわたって、膨大な金が要る。かつてのゴミはやがて土にかえった。自然から得たものを、自然に戻すサイクルだった。原子力のゴミは永久に生活環境の中にとどまる。日本人は震災後の今をその足元から見直すことをしていない。直視することを避けながら元通りの暮らしに戻ってしまった。上辺元通りになったことで被災地は復興し続けていると思い込み、やがてクルであろう地震にも教訓が生かされ、あんな目にはもう遭わないと信じて疑わない。誰かがどうにかするだろうと深く考えない。楽観主義ではない無責任そのもの。


 福島原発の現実が人間に問うている。いつか再び震災は起こる。人の手で制御出来ない原発が列島に点在している。このまま再稼働を許していいのかと。成長、成長というが、実はぼくらは退化しているのではないか。あれから4年、生物としての危機感を取り戻せ。(企画・構成/信原彰夫)
[訂正]2月10日の「対テロ策 首相の言葉 軍部に似て」の記事で、「川西航空機明石工場」とあるのは「川崎航空機明石工場」の誤りでした。
    --「野坂昭如の『七転び八起き』 第199回 大震災から4年 危機感を取り戻せ」、『毎日新聞』2015年03月10日(火)付。

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日記:「紹介したい大切な価値観、八紘一宇」(三原じゅん子代議士)、ええと……「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」(矢内原忠雄)


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ちょっと信じられないことが現在進行形なので、ツイッターのまとめですけど、記録として残しておきます。

国会議員の劣化幼稚化戦前回帰が凄まじい。21世紀になって侵略戦争を肯定するためのイデオロギーの標語「八紘一宇」という言葉を国会議員から聞くとは……、なんだこの残念感というのが正直なところです。

三原じゅん子代議士の八紘一宇宣揚発言で恐ろしいのは、彼女が国会でさもありがたい考え方として紹介することで、その言葉がどのように使われどのような結果を導いたこと(そしてそれについての精査反省)をスルーさせ、「まあ、そうですけど、言葉自体はええ話じゃないですか」と回収されるてしまうことですよ。現実、三原じゅん子代議士は、それを「ええことば」として使っている訳ですから。

三原じゅん子代議士は、しかも八紘一宇は「建国以来の理想」を掲げる言葉と表現しましたが、二千年以上前の造語ではなく、田中智学の創造。しかもそれに応える麻生財務大臣がその来歴を1500年前に設定するという反知性主義のお花畑的「神話」礼賛という体たらく。

ものごとには、一事が万事といいますが、安倍政権のいう「美しい国」の伝統なるものの殆どは、大日本帝國という近い過去のおぞましい創作ばかりをロンダリングして持ち上げている。

「八紘一宇の理念の下に、世界が一つの家族のように助け合えるような経済、税の仕組みを運用していくことを、安倍総理こそが世界に提案すべきだ」。三原じゅん子代議士。

この言葉に応じる麻生大臣のこの答弁みてみ。

「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メーンストリーム(主流)の考え方の一つだと思う。三原氏の世代にこういった考え方を持っている方がいるのに正直驚いた」

……だそうな。
驚くのはこっちですがな。

戦前のメーンストリームという「狂気」肯定に戦慄しなければならない。

トンデモ発言の来歴を振り返ってみれば、思い出すのは今から15年前、森喜朗首相(当時)が「神の国発言」して、総スカンをくらいましたがな。で結局、神の国解散。

森首相はしかし、まあいうなれば、「神道政治連盟」という「うちわ」の会合での発言dしたけど、問題なのは、三原じゅん子代議士も麻生大臣もそれを「国会」でやっているわけだよ。今後、そうした戦前日本のイデオロギーの言葉がその反省もなにもないまま使われるようになるまで、長い時間はかからないでしょう。

その森首相の「うちわ」の発言で森首相は「問う」解散を強いられた。三原じゅん子代議士の認識も麻生大臣の認識も、辞任に追い込まれてしかるべき時代錯誤といってよい。

ただ今の時勢は、彼女彼らに反省を迫るほど良質なものではないだろうと思われるのが切ないですねえ。

報道もベタ記事と夕刊紙で若干の批判のみ。

しかし、この1カ月半を振り返ると、「政権批判はテロリスト寄り」に始まり、「日教組! 日教組!」。そんで「八紘一宇」でしょ。これがすべて国会でやりとりされているという異常さ。いわゆる戦後日本が再出発にあたり掲げた良識なるもの…それは人類が永年かけて獲得したもの…を屠る暴挙に等しいと思います。

「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」(矢内原忠雄)

という氣分でございます。


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三原じゅん子議員:「紹介したい大切な価値観、八紘一宇」
毎日新聞 2015年03月17日


 ◇参院予算委員会の質問で

 自民党の三原じゅん子参院議員は16日、参院予算委員会で「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」としたうえで、同理念のもとに経済や税の運用をしていくべきだと質問した。八紘一宇は戦前、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。

 三原氏は企業がグローバル資本主義の中で課税回避をしている問題を取り上げた。この中で「八紘一宇の理念のもと、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、首相こそがイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思う」と語った。

 答弁に立った麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メインストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と述べた。
    --「三原じゅん子議員:「紹介したい大切な価値観、八紘一宇」、『毎日新聞』2015年03月17日(火)付。

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[http://mainichi.jp/select/news/20150317k0000m010158000c.html:title]




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日記:【ご案内】吉野作造記念館 戦後70周年記念「大崎市岩出山出身写真家 岡本央が見てきた中国」


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「親切と楽天」(牧野英一)、「人道の戦士、吉野作造」(赤松克麿)、「学者、思想家のガウンを著けた大親分」……。

1933(昭和8)年の今日、吉野作造博士が逝去。その遺徳をしのびつつ、吉野作造ゆかりの催し物をご紹介します。

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催しのご案内
吉野作造記念館 戦後70周年記念
大崎市岩出山出身写真家 岡本央が見てきた中国

2015年3月29日(日)~4月26日(日)
会場:吉野作造記念館企画展示室

オープニング講演会
講師 岡本央 氏
演題 中国を撮り続けてきて
日時 3/29(日) 14時~
申込 お電話にてお申し込み下さい/定員90名
料金 無料(常設展見学は有料)/会場 研修室
Sanaka Okamoto ●科学雑誌ニュートン編集部を経てフリーとなる。「中国」「日本の農村」「国境を越えた日本人」など、“人間と風土”をテーマにした多くのフォトルポルタージュを各誌に発表。『郷童』のタイトルで、日本各地の子どもたちの撮影にも力を入れている。日本写真家協会会員、日中文化交流協会会員、東京都日中友好協会会員。

 政治学者で大正デモクラシーの旗手・吉野作造は、ジャーナリストとしても卓越した存在だった。明治39年から3年にわたり中国に滞在。中国の近代化・民主化にも強い関心を寄せ、建国の父・孫文との交流もあった。
 当記念館では戦後70周年を記念し、また膠着状態が長らく続いている現在の日中関係の在り方を考える機会提供を目的に、長年中国を撮り続けてきた写真家・岡本央(さなか)の見てきた中国を、写真と各紙誌掲載記事を通して紹介します。

問い合わせ連絡先 吉野作造記念館
[http://www.yoshinosakuzou.jp/:title]

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日記:曽野綾子化する林真理子


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「川崎リンチ殺人、被害者の母を責め立てた林真理子氏のエッセイの暴力性」武田砂鉄(2015年3月13日)を読んで驚いた。

記事→ [http://bylines.news.yahoo.co.jp/takedasatetsu/20150313-00043794/:title]


“この日本で離婚する世帯のうち、8割は母親側が子どもを引き取る。暴力をふるう男から必死に子どもを守ってきたのは母親だ。働き詰めになるしか、方法が残されていない。働き詰めのその先に…悲しい事件が起こったとしたら、それは母親が「女を優先させた結果」などではない。”(武田砂鉄)

なんなんだろう、林真理子氏のこの名誉男性的なマッチョな錯誤は。

そしてこのメディアと知をめぐる倒錯した認識。
「そういうことをするお母さんが、この『週刊文春』を読んでいるとは到底思えない」
「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」
「本ももちろん読まない、雑誌も読まない。そういうお母さんは、想像力が抜け落ちているのではなかろうか」

おいおい。

そういうことをしないお母さんも、『週刊文春』など読まないでしょう。林真理子さんの議論に乗れば、本や雑誌を読む=知と誠実に向き合うことで、自分自身がこれまで認識していたことが錯覚だったと理解する人間であるからこそ、“『週刊文春』読んでいますぜ”など恥ずかしくて言えませんよ。

「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」(林真理子)だそうな。

日本の「恵まれた層」が『週刊文春』読んで、世界を理解しているとすれば、そりゃあ戦々恐々だなあ。そりゃまあ、ご自身へお金を運んでくれる「雑誌を読む習慣を持つ人」持ち上げてんだろけれども、この歪みきった認識には驚いてしまう。

林真理子さんの作品は読んだことがないですけど、少女時代からものすごい空想家だったと伺う。空想するのは結構でございますが、文章を書くという責任だけは引き受けてもらわなあかんな。こうした批判(読むのかどうかしらんけど)にスルー決め込めたり居直れば、まさに曽野綾子化する林真理子だな。

ふぃふぃなんかもそうですけど、とにかく有名になったら、おい成功した俺見ろよ、愚民ども。おまえらなあ、みたいな感じで「しばき」たいんやろうなあ。弱い者いじめこそ原因解決から最も遠ざかるものなのに、気合いと根性でなんとかなるって、ヤンキーやないけ。なんともなりませんがな。

「飢えた子供の前で文学は無力か」。現実のゆがみをスルーする責任を挑発するサルトルの言葉。彼の如く「政治的であれ」とアクセルを踏み込みすぎるのもどうかとは思うけれども、文学をはじめとする人類の遺産と関わる人間こそ、常識として刷り込まれている虚偽に敏感でなければと思いますよ。

この国の文士というものは、覆さなければならない常識と調和し、権力と親和的というパターンが多すぎる。まあ、『週刊文春』の文藝春秋の生みの親の文壇ボス・菊池寛が、文士まとめて「ペン部隊」(内閣情報部の要請で漢口攻略戦へ派遣)結成しとるしな。結局は地上という重力に「回収」されるという拳

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覚え書:「戦争『物語化』への危惧 寄稿 笠原十九司」、『毎日新聞』2015年03月09日(月)付夕刊。


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戦争「物語化」への危惧
実態を知り本当の鎮魂を
寄稿 笠原十九司(都留文化大名誉教授・日中関係史、中国近現代史)

 「いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、尊い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりともわすれません」
 これは、2013年8月15日の全国戦没者追悼式における安倍晋三首相の式辞である。そしてこの年の12月26日、安倍首相は靖国神社へ参拝、「愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」という談話を発表した。
 中曽根康弘首相「公式参拝」に始まり、小泉純一郎首相が繰り返し、安倍首相が受け継いだ、政府指導者による靖国神社参拝の儀式は、侵略戦争に動因され、犠牲にされた兵士と遺族、そして国民に対して、天皇と軍部指導者と政府の戦争責任を棚に上げたまま、国民が将来の戦争にも犠牲になるよう、だまし続けるための、政治的セレモニーであると、私は思う。安倍首相は、戦死者が家族と故郷と国を守るために命を捧げたという「美しい日本の兵士」像を作りあげるために、戦争「物語化」の言説を折りあるごとに繰り返しながら、マスコミを操作してその浸透をはかろうとしている。それに策応する保守系メディアもあり、現在の日本のマスコミ界において、日本の侵略戦争を批判し、日本軍の加害・虐殺の事実を報道することをタブー視する傾向が強まっている。

■ ■
 3次にわたる長期の安倍政権下に、愛国心を強調した教育基本法に改正し、それにもとづいて、愛国心教育を柱とするように学習指導要領を改正し、それにそぐわない歴史教科書叙述を排除するように教科書検定基準を改定し、現在は愛国心を教える「道徳」の教科化をはかっている。
 安倍政権の戦争「物語化」への世論操作にとっては、日本軍による侵略・加害の事実、とくに残虐事件・虐殺事件の歴史事実は不都合である。とりわけ、歴史教科書に記述され、学校の歴史教育で教えられるのは、不都合きわまりない。安倍氏は、1997年に自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(後に「若手」を削除、教科書議連)を結成して事務局長となり、その時に事務局次長についた下村博文氏が、長期にわたり文科相を努め、教科書から「従軍慰安婦」問題や南京事件をはじめとする侵略・加害の記述を削除、修正させるためにさまざま教科書攻撃をおこなってきた。
 安倍首相の戦争「物語」化の言説と策動の目的は、首相が「命を懸けても」と執念をもやす、日本国憲法を改正し、憲法9条を放棄し、将来の日本の戦争に犠牲になる者とそれを指示する国民を育成することにある。

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 戦争は国家による「大量殺人」であるから、日本が15年間にわたり中国大陸でおこなった戦争において、日本軍は膨大な中国兵と民衆を殺した。日本の歴史書では約100万の中国郡民が犠牲になったと記され、中国側の公式見解で約300万の中国人が死傷したとされる。
 日本政府と国民が、外務省ホームページ(アジア・歴史問題Q&A)にあるように「多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ」、膨大な日本軍が長期にわたり中国戦場においておこなった加害の歴史を知ることが、歴史認識をめぐる日中の齟齬と対立を克服するために不可欠である。

■ ■
 殺し、殺されるのが戦争であるから、日本軍兵士の戦死者も膨大で、日中戦争・アジア太平洋戦争をふくめて日本軍人・軍属の戦没者は230万人といわれる。
 藤原彰『飢死した英霊たち』(青木書店)は、これらの戦没者の過半数が戦闘行動による戦死ではなく、食糧補給の途絶に由来する飢餓地獄の中で野垂れ死によるものだった実態を告発している。膨大な戦没者への鎮魂とは、われわれ戦後世代の国民が、若き兵士たちが餓死・病死さらに魚草津、自決など無謀な戦死を強制された戦場の実態と戦争の現実を知り、無念の気持ちに思いをはせ、そのような戦争の愚考を再び許さない国民になることである。(かさはら・とくし)
    --「戦争『物語化』への危惧 寄稿 笠原十九司」、『毎日新聞』2015年03月09日(月)付夕刊。

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研究ノート:「内閣政治」と「民本政治」の違い

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美濃部達吉といえば「天皇機関説」の問題で、ある意味では戦前日本を代表する良識といってよいですし、その憲法学の水脈は戦後日本にも受け継がれています。しかし、その「限界」というのも承知することの必要性、そして「乗り越えられた」と思われがちな「民本主義」に実は可能性があるのではないか、という指摘について少々、覚え書にしておきます。

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「内閣政治」と「民本政治」の違い

山口 ところで、憲法学というのは、戦前と戦後を貫く一貫性の方が強いのではないかという気がするのですが、どうですか。

坂野 そう、強いです。戦前の憲法学には、明治憲法をリベラルに解釈する美濃部達吉の憲法学と額面通りに解釈した穂積八束の憲法学があって、美濃部憲法学がいったんは勝った。ところが、一九三〇年代に天皇機関説事件でつぶされて、戦後は美濃部憲法学が復活したわけです。

 僕は安倍首相たちが言っていることは、穂積憲法学に戻るという話のように聞こえる。国体明徴で、天皇機関説攻撃をやって、万世一系に戻りたいというのと重なるんです。ただ、彼らは穂積八束が書いた『憲法提要』なんて読んだこともないだろうね。

山口 憲法学者と議論をしていて感じるんですが、彼らはやはり国家権力を担う官僚機構に対する信頼が強いような気がします。戦前憲法と戦後憲法は原理が違うことになっています。しかし、超然主義とまでは言いませんが、解釈・運用においては連続していて、要するに、政治の動きから遮断すべきという部分というものがあって、それこそが国家権力を動かすと捉えているように思うんです。官僚機構がそうですし、いま話題の内閣法制局もその典型です。法的安全性を確保するには、憲法解釈をあまり簡単には変えるべきではないと。そういう持続性を担保する機関を内閣の中に置いておいて、長官は職業的行政官をあてることで、政党政治の波を遮断する防壁をずっと敷いてきた。憲法学者はそれをよしとしてきたのです。それがあるから、民主主義の行きすぎを抑制できるのだという話だったわけです。

 今回安倍首相はそこに手を突っ込んで、法制局長官を党派化したわけですね。ある意味で民主化と言えなくはない。実は同じことを小沢一郎氏が民主党政権の時に、役人が憲法解釈を全部仕切るのはけしからん、これは非民主的だと言っていたのです。要するに、政党政治の波を遮断する防壁を作ることが、民主化の障害となるということは以前から議論があったんです。そこはなかなか微妙な問題です。職業的行政官が超然として憲法解釈を示しているからこそ、政党政治が成り立っている面もあるわけで。つまり、政治体制の基本問題に手をつけることなく、日常の政策課題に専念するという意味で政党政治のテーマが絞られている。

 このことは自主憲法という題目を掲げる自民党政治にとって重要な前提でした。表向き憲法改正は言うけれど、六〇年代以降は憲法問題にエネルギーを使わず、憲法の枠内で日常の政策課題に専心するのが自民党政治でした。

坂野 僕は明治憲法体制を「大権政治」と「内閣政治」と「民本政治」という三つの政治理念による憲法解釈から説明したことがあるんです(『近代日本の国家構想』第三章、岩波現代文庫)。大権政治というのは、穂積八束だけど、天皇が国家の重要な政策を自由に決定できると解釈する。内閣政治は美濃部達吉で、内閣だけで憲法解釈をやっていくというもので、議会に諮ったり国民に訴えるなんていうことは一切考えていない。民本政治は吉野作造で、議会から変えていくという。だから美濃部と吉野は仲が悪いんだ。

 内閣決定だけで憲法九条第二項の解釈を変えてしまおうとする安保法制懇は、この美濃部的な立場で、穂積憲法学の安倍首相とは立場が違う。しかし、日本国憲法は、議会と民意を最重視する吉野の「民本政治」に立っている。護憲派はこのことがわからないので、美濃部の「内閣政治」のままでいる。「内閣政治」という点では、石破幹事長と同じ立場の上で対立しているわけです。

山口 なるほど。美濃部流の内閣政治を、戦後も憲法学者は引き継いでいるのですね。これはある意味では官僚制の権力を温存するという側面がありました。政党政治が内閣政治の聖域まで入ってこようとすれば、これは絶対駄目だという形で反対する。国家中心の伝統的な憲法学に対して異議を唱えた松下圭一さんは、むしろ民本政治でした。内閣政治を突き崩して、地方分権や『国会内閣制」をやろうという議論を立てたわけです。

坂野 市民社会論だからね。

 もう一度繰り返すけれど、美濃部達吉の「政党内閣支持」は、明治憲法第五五条の「国務大臣規定」に根拠を持っているんだ。彼は「内閣論」から「政党内閣制」を支持したのであって、「議員内閣制」を主張したことはないんですよ。吉野作造の方は「民本主義」だから、普通選挙制で国民が議会を握れば、「政党内閣」は自然とできるという主張なんだ。その点では、選挙で勝てば何をやってもいいという安倍内閣の立場に、むしろ近い。議会制民主主義の国なんだから、総選挙で勝った政党内閣は、同時に議会をも掌握できる。ただ、公明党ががんばっているから、安倍内閣はまだ議会を完全には握っていない。護憲派は内閣法制局や公明党だけに頼らないで、次の選挙で勝つための努力をしなければ……。
    --坂野潤治、山口二郎『歴史を繰り返すな』岩波書店、2014年、21-24頁。

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覚え書:「松尾貴史のちょっと違和感:『知らなければ問題なし』 把握できない人から金もらっていいのか」、『毎日新聞』日曜版(日曜くらぶ)2015年03月08日付。

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松尾貴史のちょっと違和感
「知らなければ問題なし」
把握できない人から金もらっていいのか

 政治とカネの問題がじわじわと不健康な広がりを見せてきた。
 西川農林水産大臣が不承不承辞任し、下村文部歌学大臣、望月環境大臣、そして上川法務大臣にさまざま疑惑が取りだされている。今度は安倍総理大臣側にも、補助金交付先から寄付が渡っていたことが発覚した。
 予算委員会で「カネまみれ政権」などと言われて気色ばみ、総理大臣が語調を荒げて言い返していたのは、こういうことが発覚したときの布石だったのではと勘ぐりたくもなる。挑発的な物言いをしたり、売り言葉に買い言葉のようなことを言ったり、総理席から「日教組はどうする!」などとヤジを飛ばしたり、なかなか「活発」な状態のようで、そのこと自体の危うさも少なからず感じてしまう。
 政治化が知らなかったら罪にならない、という政治資金規正法にも問題があるのではないか。条文にある「知りながら」という言葉を入れたのは、つまりはこういうときのためだったのかと気づかせていただいた。だいたい、国会議員の皆さんは、「政治化がどういう相手から金をもらっているかを把握できない」という状態が正しいとでも思っているのだろうか。把握できない相手から、把握できない組織や団体へカネが渡るという形を禁止するしかないだろう。
 「法的に問題ない」と言い逃れているが、法的に問題がなくとも構造的には問題が大きいのではないか。法的に問題がないというなら、法的に問題が見つからなかった小沢一郎議員への攻撃と社会的制裁は一体何だったのか。
 大企業や金持ちだけがさらに優遇される社会を構築しようとしている流れも異様だ。出で責められるべきではないが、なんの苦労も知らずに育った皆さんが、高見で高笑いしながらさまざまなルールをいじくっているようにしか見えない。
 国にとって一番の骨格となる、権力者に歯止めをかけている憲法すらいじろうとしている。時代に合わなくなった法律は、適正な手続きで適正な内容に変えられるなら、今の形にこだわることはないかもしれない。しかし、今の動きは、明らかに今の憲法が持っている優れた要素を改憲しようとしているようにしか思えないのは、私がぼけているからなのだろうか。
 川崎で、13歳の少年が殺害された事件の報道が大きく扱われ、関与していない少年の写真まで拡散し、事実ではない情報が垂れ流されている。一度流れ出した名誉毀損情報やデマは、もしも同じ人物が謝罪、訂正したとしても消えることがない。手軽にネットを通じて、実名や鮮明な顔写真が見られる状態で、しかし新聞記事やテレビのニュースでは「少年」であることを理由に、隔靴掻痒の状態が続いている。隔靴掻痒と書いたのは、見たい、知りたい、というわけではない。見たくなるような前提を整えられてから、そこであえて隠すという状態が気色悪いのだ。
 痛ましい事件で、何とも救いのない展開に暗澹たる思いだ。被害者の少年の母親が出したコメントを読むと、どうにもしてあげられなかった沈痛な思いがストレートに伝わってくる。
 少年たちが深夜にたむろして酒を飲んだり、だれかが虐殺したりしているのを、地域の大人たちや警察は気づいていなかったのだろうか。子供たちの社会に、暗い闇が広がっているのを、大人は「ないことだ」と思うとして見過ごしているうちに、こんな悲劇が起きてしまったのではないかとも考えさせられる。(放送タレント、イラストも)
    --「松尾貴史のちょっと違和感:『知らなければ問題なし』 把握できない人から金もらっていいのか」、『毎日新聞』日曜版(日曜くらぶ)2015年03月08日付。

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日記:果たして政権暴走の歯止めの役目を果たしているだろうか


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みんなの広場:政権内野党の覚悟はあるのか=無職・73(大阪府富田林市)

毎日新聞 2015年03月01日
 

 はっきりものを言う安倍晋三首相は今や世界の指導者の風格が漂う半面、独裁者のような恐ろしさも感じる。その“隠れみの”となっているのが公明党であるように思う。公明党が与党にいるから大丈夫とたかをくくっている国民も多いだろうが、果たして政権暴走の歯止めの役目を果たしているだろうか。

 弱者の味方のはずの公明党が、非正規労働の拡大など労働環境の低下を招く労働法制や法人減税などの企業優遇策を認めたほか、平和の党を掲げているはずなのに、集団的自衛権の行使、憲法改正(改悪)にも加担しようとしているように思える。消費税の軽減税率導入についても慎重な自民党に抗する覚悟があるのか疑問だ。

 先の衆院選で公明党支持者がどれだけ自民党候補の当選に寄与したかを考えると、公明党はもっと支援者の「真の声」を訴えるべきだと私は思う。あくまでも政権内野党としての存在価値を貫き通していただきたいと願うばかりだ。
    --「みんなの広場:政権内野党の覚悟はあるのか」、『毎日新聞』2015年03月01日(日)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150301ddm005070040000c.html:title]

現実の地方政治において、公明党市町村議会議員の「弱者の味方」として貢献してきた役割を全否定しようとは思わない。ならば投票しようとするのであれば、“支援者の「真の声」を訴えるねき”という「みんなの広場」の主張に、支持者は耳を傾けるべきだろう。

チーム燦然界隈は、その「声」の対等なやりとりを誇り、「お任せ民主主義」「消費者民主主義」を批判してきた。僕は別にその投票は否定しない。しかし、だとすれば、とにかく「勝てばいい」「チーム燦然にいれとけばいい」「それが功徳だw」みたいな外界と隔絶した内向きの論理と隔絶すべきだろう。

内向きの論理とは何か。それは、自分のみたいように現実を解釈するという物語だ。国家(ステート)を超越するところに、宗教の普遍性があるとすれば、動員されて「みたい映画」を消費するスタイルで甘んじるのではなく、自身がどれほど内在的超越に肉薄していけるか、厳しくあれ、という話。

社会大衆党が帝国陸軍統制派や革新官僚と迎合していった再現をみるのはきついものがありますよ。「国民にとってよいことはすべて国家が引き受けるという官僚的国家主義への批判の弱さ」こそ唾棄すべき話。

現在進行形はとても「よいこと」ではない訳ですけれども。

本気なら、大衆とともに死ね。

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覚え書:「メルケル独首相、講演全文」、『朝日新聞』2015年03月10日(火)付。


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メルケル独首相、講演全文

2015年03月10日

写真・図版講演するドイツのメルケル首相=9日午前11時54分、東京・築地の浜離宮朝日ホール、西畑志朗撮影

 まずは何よりも本日はこうしてお招きいただき、ご紹介いただいたことに感謝申し上げます。大変温かいお言葉をいただきました。私にとって、朝日新聞に招かれたということは大きな光栄です。朝日新聞は世界でもっとも発行部数の多い新聞の一つであるのみならず、大変伝統のある新聞社でもあります。その歴史は独日の交流の初期の頃にまでさかのぼるほどです。

 ■日独関係の歴史

 142年前のきょう、1873年3月9日、岩倉使節団がベルリンに到着しました。岩倉具視が特命全権大使として率いる使節団がヨーロッパ諸国を訪れ、政治、経済、社会など様々な分野で知見を深める旅行をしたのです。岩倉使節団は、私が考えるに、日本の世界に向けて開かれた姿勢、そして日本の知識欲を代表するものだと思います。そしてこの伝統は、この国において今でも変わらず守られています。

 そして日本人とドイツ人の間には、この間に多様なつながりが生まれています。経済や学術であれ、芸術や文化であれ、私たちはアジアのどの国ともこれほど熱心な交流はしておりません。60の姉妹都市提携があり、わが国に110を超える独日協会が存在していることも、そのよい例です。また、独日スポーツ青少年交流や、JETプログラム(外国語青年招致事業)で日本を訪れる若いドイツの学生も特別な懸け橋をなしているといえましょう。

 こうした長い活発な交流のリストの中で、一つ取り上げて紹介したいのが、ベルリン日独センターです。ベルリン日独センターは30年前に、当時の中曽根康弘首相とヘルムート・コール首相によって設立されました。今日にいたるまで、様々な会議、文化イベント、交流プログラムなどが開催されてきました。本日の講演会も朝日新聞とベルリン日独センターの共催で行われています。日独センターにおいて、日独間の対話のために尽力されている皆様に、ここで心からの感謝を申し上げます。

 ■大震災と復興

 明後日、2011年3月11日に発生した東日本大震災からちょうど4年になります。この地震は、巨大な津波、さらには原子力発電所事故、すなわち福島での大きな原発事故を引き起こしました。この地震と津波と原発事故の三重の災害による恐ろしい破壊と、人々が悲嘆にくれる姿の映像は、私の目にはっきりと焼き付いています。私たちの心は、愛する人々をこの震災で亡くした皆様の気持ちとともにあります。生き延びはしたものの今も故郷に帰ることのできない人々とともにあります。そして日本国民の皆さんが復興に立ち向かう際に示している共同体意識には大きな感銘を禁じ得ません。

 ■戦後70年とドイツ

 破壊と復興。この言葉は今年2015年には別の意味も持っています。それは70年前の第2次世界大戦の終結への思いにつながります。数週間前に亡くなったワイツゼッカー元独大統領の言葉を借りれば、ヨーロッパでの戦いが終わった日である1945年5月8日は、解放の日なのです。それは、ナチスの蛮行からの解放であり、ドイツが引き起こした第2次世界大戦の恐怖からの解放であり、そしてホロコースト(ユダヤ人大虐殺)という文明破壊からの解放でした。

 私たちドイツ人は、こうした苦しみをヨーロッパへ、世界へと広げたのが私たちの国であったにもかかわらず、私たちに対して和解の手が差しのべられたことを決して忘れません。まだ若いドイツ連邦共和国に対して多くの信頼が寄せられたことは私たちの幸運でした。こうしてのみ、ドイツは国際社会への道のりを開くことができたのです。さらにその40年後、89年から90年にかけてのベルリンの壁崩壊、東西対立の終結ののち、ドイツ統一への道を平坦(へいたん)にしたのも、やはり信頼でした。

 そして第2次世界大戦終結から70年がたった今日、冷戦の終結から25年がたった今日、私たちはドイツにおいても日本においても、振り返れば目を見張るような発展を遂げてきました。繁栄する民主主義国家として、独日両国そして両国の社会には、権力分立、法の支配、人権、そして市場経済の原則が深く浸透しています。両国の経済的な強さは改革、競争力、そして技術革新の力に根ざすものです。通商国、貿易輸出国として、両国の自由で開かれた市民社会はグローバル経済に支えられています。したがってドイツと日本は、自由で開かれた他の国々や社会とともに、自由で規範に支えられる世界秩序に対して、グローバルな責任を担うパートナー国家なのです。

 ■ウクライナとアジア情勢

 しかし、この世界秩序は当たり前のものではありません。むしろ危機にさらされていると言えましょう。国際法に反してクリミア半島を併合し、ウクライナ東部での分離主義者を支持することによって、ロシアは、94年の「ブダペスト覚書」で明確に認めた領土の一体性を守るという義務をないがしろにしました。ウクライナは、他の国々と同様、完全な主権に基づいて自らの道を決定する権利を持っているのです。私は日本政府が同じ立場を共有し、必然的な回答として経済制裁をともに科していることに感謝しています。しかし、私たちはともに外交的な解決策をも模索しています。だからこそ私はフランスのオランド大統領やヨーロッパと環大西洋のパートナーとともに、そしてもちろん日本とともに、数週間前にミンスクでまとまったウクライナ危機を乗り越えるための合意が実際に実行されることに力を注いでいるのです。ウクライナ東部での自由な地方選挙とどこにも妨げられることのない自国の国境管理は、ウクライナが領土の一体性を取り戻すのを助けるのみならず、ロシアとのパートナーシップに対しても新たなはずみを与えることになります。また、クリミア半島も、未解決のままにしておくことは許されません。

 日本とドイツは、国際法の力を守るということに関しては共通の関心があります。それはそのほかの地域の安定にも関連しています。たとえば東シナ海、南シナ海における海上通商路です。その安全は海洋領有権を巡る紛争によって脅かされていると、私たちはみています。これらの航路は、ヨーロッパとこの地域を結ぶものであります。したがってその安全は、私たちヨーロッパにもかかわってきます。しっかりとした解決策を見いだすためには、二国間の努力のほかに、東南アジア諸国連合(ASEAN)のような地域フォーラムを活用し、国際海洋法にも基づいて相違点を克服することが重要だと考えます。小国であろうが大国であろうが、多国間プロセスに加わり、可能な合意を基礎にした国際的に認められる解決が見いだされなければなりません。それが透明性と予測可能性につながります。透明性と予測可能性こそ誤解や先入観を回避し、危機が生まれることを防ぐ前提なのです。

 ■テロとの戦い

 ただし、私たちは今、そうした対話の可能性が明らかに限界に達しているという状況にも直面しています。基本的な価値と人権が極めて残酷な形でないがしろにされているからです。とりわけ、シリア、イラク、リビアとナイジェリアの幅広い地域で荒れ狂う国際テロが私たちの前に立ちはだかっています。「イスラム国」(IS)、ボコ・ハラムは、自分たちが信奉する狂気じみた支配欲を満たそうとしないあらゆる人、あらゆるものを破壊しようとしています。ISによる日本人人質2人への残虐な殺害行為、フランスの週刊新聞シャルリー・エブドの風刺画家と記者への暗殺事件、それに続くパリのユダヤ系スーパーの客たちへの襲撃事件。こうした野蛮な出来事は、自由と開かれた世界のために断固としてみんなで手を取り合って立ち向かわねばならないという信念を、かつてないほど固くさせるものです。そして、この点において、ドイツと日本は手を携えて立ち向かっており、憎しみや人間性を無視する行為に対する闘いの中で、私たちはさらに強く結びついていくのです。

 私たちは、ドイツが議長国を務める今年のG7(主要7カ国首脳会議)でも、国際テロへの資金の流れ、人の流れを一つずつ断っていくことに力を注ぎます。これには、各国の財務大臣が取り組むことになります。そして、私たちは、現地でISのテロに立ち向かうすべての人々に対し、政治的、軍事的な支援を惜しみません。とくに、イラクの新政府とクルド地域政府がその対象となります。その他にも、私たちは日本とともに、ISのテロが生み出した難民の苦しみを軽減するための支援をしていきます。これは、私たちの人道的な責務であり、私たちの安全保障上の利害とも強く結びついています。

 この二つの要素は、ドイツと日本がアフガニスタンで展開してきた積極的な活動についてもいえることです。両国で一緒にこの国の治安部隊をつくり上げ、支援してきました。教育制度と保健制度を設け、新しい道路を造りました。その結果、01年以降、アフガニスタンの人々の生活はずいぶんと改善されています。日常的な治安は必ずしも十分ではないとはいえ、この国から国際テロの脅威を発生させないという最も重要な目標は達成されています。

 ■核不拡散の努力

 日本とドイツは、核兵器による脅威を抑え込む点で協力することでも一致しています。15年は、広島と長崎に原爆が投下されて70年になります。その記憶からは、未来への責任が生まれます。このようなことは二度と起きてはなりません。日独両国は常に全力で軍縮と軍備管理に取り組んでいます。

 その一環として、イランの核武装をくい止めるという共通の目標を追求しています。平和利用に疑念が生じるような核の利用はいっさいあってはなりません。そのための協議は今、重要な段階にさしかかっています。

 私たちが目指しているのは、単に地域紛争の火種を消すことではありません。軍拡と核拡散を阻止するという、より高次の課題があるのです。その意味で、北朝鮮の名前もあげないわけにはいきません。

 ■国連安保理の改革

 こうした根本的な問題が示しているのは、国際協力と国際的な組織が持つ信頼性と解決能力がいかに重要かということです。だから、日独両国は、ブラジル、インドとともに国連の強化と安全保障理事会の改革に尽力しています。

 その歩みは非常にゆっくりとしか前には進んでいませんが、世界の平和、安定の機会を逃さないためには、世界のすべての地域が、現実にふさわしいあり方で安保理の重要な決定に参画せねばならないと確信しています。

 ■G7の重点課題

 そして、G7もまた、世界の課題に挑戦しています。G7は、共通の価値観と確信に基づいて行動しています。日本は来年、G7の議長国をドイツから引き継ぎます。だから、両国は手に手を携えて、緊密に協力していきます。

 ドイツが、議長国としてとくに重点を置くのは地球温暖化防止問題です。この問題をあえてあげるのは、15年が温暖化防止への重要な年になるからです。12月にはパリで開かれる国連の会議で、野心的ともいえる防止策を20年から拘束力のある形で発効させられるかどうかが問われます。だから、G7では、低炭素社会の開発に向けて参加各国が主導的な役割を果たしていくように取り組んでいくことを考えています。なおかつ、それが豊かな暮らしを犠牲にするものではないことをはっきりと示すつもりです。豊かな暮らしは、これまでとは違う方法でもたらされねばなりませんが、放棄すべきものではありません。そのための技術革新を世界中で推し進め、とくに途上国を支援していきます。いずれにしても、私はドイツで6月に開かれるG7で、パリの温暖化防止会議で大きな成果があがるように強力な発信をしたいと思っています。

 この温暖化防止問題と緊密に関係しているのは、いかにしてできるだけ持続可能なエネルギーを確保するかという問題です。従って、私たちはG7としてのエネルギー安全保障をもっと発展させていきたいと思います。エネルギー市場の透明性と機能をできるだけ高めることが重要です。とくに、エネルギーの効率を高めることで、そのコストを下げることができます。

 G7の他のテーマには、保健に関わる問題もあります。例えば、エボラ出血熱の問題から私たちが学んだことをどうするかです。さらには、女性をめぐる問題も取り上げたいと思います。とくに途上国における女性の自立と職業教育に関わる問題です。

 ■ドイツと日本、共通の挑戦

 多国間の枠組みでのドイツと日本の協力は重要な側面を持ちますが、二国間のパートナーシップももちろん、重要な側面になります。私ども両国は同じような挑戦に直面しています。それゆえ私たちは向かい合って互いに多くの事柄を学ぶことができるのです。顕著な例としては、私たちの社会の人口統計学的な変化に対し、どんな答えを見いだすのか、ということが挙げられます。

 私たちには似通った課題があります。若い世代に過剰な要求をせずに社会保障制度をいかに安定的に維持できるのか、人口流出が著しい地方の生活条件をどう改善するのか、高齢化社会の中で活力と創造的な力をどうやって保持するか。

 私はつい先ほど、独日研究に深く関わっている研究者の方々と、このようなことを話しました。私たちの豊かさを維持するために必要な専門家の基盤をどう守っていくか、も大切です。

 ドイツでは連邦政府の人口動態に関する戦略の枠組みの中で、私たちはこうした様々な課題に取り組んでいます。

 たとえば、女性の就労の改善や仕事と家庭の両立、ライフワークを長く持つことに加え、私たちは外国からの熟練労働力にも重きを置いています。欧州域内には移動の自由があり、私たちは、欧州諸国からドイツへの労働力を手に入れることができます。欧州以外の国からの労働力についても関心は高いので、私たちは移住の条件を改善していきます。日本では、「Let Women Shine」のスローガンのもと、政府が女性の就労を推進しています。一連の法案によると、企業や行政機関で女性のクオータ(割り当て)制の導入を検討しているということですが、先週、長い討議の末に、ドイツの連邦議会でも同様の法案が可決されました。

 統計を見ると、企業の幹部の地位にある女性は、まだまだ少ない状態です。明日(10日)は日本の女性リーダーたちと意見交換する機会があり、大変楽しみです。

 ■人口減と経済・社会の課題

 人口動態の変化に直面している今、専門家の確保を促進することは、私たち両国の経済が将来的に成功するのに中心的な要素になります。それによって私たちの高い生活水準も維持できます。日本もドイツも長い間、経済的に成功しています。そういった背景からも、独日の協力は大変に意味が大きい。独日の企業はすでに、多くの協力をしていますが、同行の経済代表団は新たな協力が始まることを期待しています。

 私たちの現在の経済活動を今後も維持していくためには、非関税障壁など、貿易の障害になるようなものを取り除かなければなりません。日本と欧州連合(EU)との自由貿易協定(FTA)は、経済に価値ある貢献ができるので、可能な限り早く交渉を進め、調印する必要があります。そのことで、多くの雇用を創出することもできます。

 両国での高度な技術分野での協力は揺るがないでしょう。たとえばデジタル化の分野には多くの可能性があります。また、技術革新力と経済的な成功は、教育や科学、研究に密接に関わっています。今後、この分野での交流も深めていきたいと思います。これに関しては、今日の午前中に研究者とも意見交換することができました。

 また、日本の周りには韓国、中国、ベトナムなどのダイナミックに発展している国々があります。私たちは、この地域だけで研究、教育などの協力をするのではなくて、周りの地域にも交流を広げていく可能性があるのではないかと思います。現在、独日の交流は非常に良い状態にありますが、良いものもさらに良くすることもできます。

 特に再生可能エネルギーや海洋、地球科学、環境の研究などで今後もさらに可能性があるでしょう。ドイツは外国の学生に、留学先として人気がある国ですが、もっと日本の学生や研究者がドイツに来てくれたらうれしいし、そのような学生のために、英語で勉強できるような環境を拡充しようと思っています。そして日本の経済界の方々が、日本の学生や、仕事を始めたばかりの若い人々をドイツまたは外国にもっと送り出してくれるような、そういう態勢をつくってもらえるようにお願いしたいと思います。

 そのことによって、キャリアにプラスになるように、つまり、外国にいたからといってキャリアにマイナスにならない環境づくりが必要です。EUの中には、「エラスムス」というシステムがあって、学生に教育期間の一部を外国で過ごすよう促しています。外国で過ごした時間は無駄ではなくポジティブな時間です。

 日本の学生、研究者をドイツで心から歓迎したいと思います。1873年に岩倉使節団がドイツに来た時と同様、皆さんを歓迎したいと思います。両国は当時のように互いに、そして世界に対して、好奇心を持ち続けたいと思います。本日は皆さんにお話しできただけでなく、今から意見交換ができることを喜ばしく思います。お招きに心から感謝します。

 【質疑応答の主なやりとり】

 講演後の質疑応答の主なやりとりは次の通り。

 ■隣国との関係

 ――歴史や領土などをめぐって今も多くの課題を抱える東アジアの現状をどうみますか。

 「ドイツは幸運に恵まれました。悲惨な第2次世界大戦の経験ののち、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたという幸運です。どうして可能だったのか? 一つには、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう。そして、全体として欧州が、数世紀に及ぶ戦争から多くのことを学んだからだと思います」

 「さらに、当時の大きなプロセスの一つとして、独仏の和解があります。和解は、今では友情に発展しています。しかし、隣国フランスの寛容な振る舞いがなかったら、可能ではなかったでしょう。ドイツにもありのままを見ようという用意があったのです」

 「なぜ私たちがクリミア半島の併合の問題だとか、ロシアによるウクライナ東部の親ロシア派への支援にこんなにも厳しい立場をとっているのか。領土の一体性を受け入れることが、過去、現在とも、基本秩序だからです。これが、いわば欧州の平和秩序の根幹をなす柱だからです。数百年の欧州の状況をみると、国境はいつも動いていました。今日の国境を認めず、15~18世紀の状況を振り返る限り、決して平和をもたらすことはできない。アジア地域に存在する国境問題についても、あらゆる試みを重ねて平和的な解決策を模索しなければならない。そのためには、各方面からのあらゆる努力を続けなければならないのです」

 ■脱原発の決定

 ――日本では女性の政治家が少なく、女性の職業としての政治家は大変だという印象を持っています。今までの政治家人生で大変だったこと、とりわけ原発廃止を決定した際のことを聞かせて下さい。

 「例えば、脱原発の決定という場合には、男性か女性かという違いは関係ないと思います。私は長年、核の平和利用には賛成してきました。これに反対する男性はたくさんいました。そうした男性たちは今日では、私の決定が遅すぎたと言っています」

 「私の考えを変えたのは、やはり福島の原発事故でした。この事故が、日本という高度な技術水準を持つ国で起きたからです。そんな国でも、リスクがあり、事故は起きるのだということを如実に示しました。私たちが現実に起こりうるとは思えないと考えていたリスクがあることが分かりました。だからこそ、私は当時政権にいた多くの男性の同僚とともに脱原発の決定をくだしたのです。ドイツの最後の原発は2022年に停止し、私たちは別のエネルギー制度を築き上げるのだという決定です」

 「ですから、男性だから、女性だからという決定ではありません。あくまでも政治的な決断であり、私という一人の人間が、長らく核の平和利用をうたっていた人間が決定したことなのです」

 「私はたくさんの方に支えられてきました。一方で、最初は私への疑念もありました。最初の選挙が一番大変でしたが、一回踏み出して女性でもうまくいくと分かると、それがだんだんと当たり前のことになるのですね。やはり前例をつくることが大事。前例ができれば、それがいつか当然のことになります」

 ■格差の問題

 ――社会格差の問題が、移民と結びつき、欧州での一連のテロ事件の背景になっています。経済や教育の格差が過激派につながる懸念が広がる中で、ドイツ政府はどういう対策をとる方針でしょうか。

 「1960年代初めになり、ドイツの奇跡の経済成長で労働者が不足するようになりました。このため、一時的な安い労働力を外国から招きました。イタリアやスペイン、もっと安価なトルコから労働力を受け入れることになりました」

 「一方で、移民社会の構造的問題としては、平均的な教育水準が低く、学校の成績もどうしても上がらないということがあります。私たちはその社会的統合に尽力しました。まずドイツ語を学んでもらい、統合に努めました。かなり多くのイスラム教徒のマイノリティーもいるし、いろいろな宗教の存在が新たな課題をもたらしています」

 「大きな課題は、北アフリカやシリア、イラク、アフガニスタンなどからの難民です。昨年は20万人の難民申請があり、今年はさらに多くなるかもしれません。これが私たちの直面している一番大きな課題と言えるでしょう。ただし、ドイツ人の間では、これまでになかったような移民受け入れに肯定的な姿勢も出てきています。ドイツの労働市場は非常にいい状態で、この何十年と比べて失業率が低いこととも関連しているでしょう」

 ■言論の自由

 ――表現の自由にメルケル首相は関心を持っていると思います。言論の自由が政府にとってどのような脅威になり得るでしょうか。

 「私は言論の自由は政府にとっての脅威ではないと思います。民主主義の社会で生きていれば、言論の自由というのはそこに当然加わっているものであり、そこでは自分の意見を述べることができます。法律と憲法が与えている枠組みのなかで、自由に表現することができるということです」

 「34~35年間、私は言論の自由のない国(東ドイツ)で育ちました。その国で暮らす人々は常に不安におびえ、もしかすると逮捕されるのではないか、何か不利益を被るのではないか、家族全体に何か影響があるのではないかと心配しなければならなかったのです。そしてそれは国全体にとっても悪いことでした。人々が自由に意見を述べられないところから革新的なことは生まれないし、社会的な議論というものも生まれません。社会全体が先に進むことができなくなるのです。最終的には競争力がなくなり、人々の生活の安定を保障することができなくなります」

 「もし市民が何を考えているのかわからなかったら、それは政府にとって何もいいことはありません。私はさまざまな意見に耳を傾けなければならないと思います。それはとても大切なことです」
    --「メルケル独首相、講演全文」、『朝日新聞』2015年03月10日(火)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11641455.html:title]


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日記:<絆>の落とし穴--魔術的機能


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東日本大震災からちょうど4年経ちました。
現実に復旧したところもあれば、放置されているところもあったり、癒えた傷もあれば、直らぬ傷痕も残っています。

人それぞれに言いたいこと、言いたくないことはたくさんあるとは思いますが、ひとつだけ。

4年の「事件」は、未曾有の震災であったにも関わらず、その「事件」が、何かを悪い方向へ導いていくための材料として都合良く「利用」されていること、そして本来目をむけなければならないことに目を瞑るように「利用」されていることだけが気がかりです。

震災直後の「絆」の連呼は、今や世界の中で咲き誇れ式の「自愛」の連呼へと変貌している今、そのことだけが気がかりです。

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<絆>の落とし穴--魔術的機能
 大地震と津波は、あらためて、「無縁社会」の恐怖を実感させ、原発事故は、科学技術が国家や企業の利益優先の「安全神話」と結びつくとき、どれほど巨大な災害をもたらすかを、まざまざと思い知らせたのでした。そして、このような思いの中で、人間をささえるさまざまな人と人との絆の有り難さをあらためて痛感させられたのでした。
 けれどもこうした中で、私にはとても気になることがあるのです。それは、絆には決して優しい「ふるさと」意識や家族回帰の思いがあるのですが、それを超えて、いつの間にか過剰なナショナリズムへ国民を引きずりこんでいく恐ろしい呪術的機能があるからです。折しも、竹島問題や尖閣諸島の領有権をめぐって、はなはだ剣呑な領土問題が、のっぴきならない仕方で浮上し、ナショナリズムの火が燃えかけています。偶然とは、とても思えない。絆が「ふるさと」回帰を超えて、ナショナリズムと手を結ぶとき、そのときに何が起こるか、言うまでもなく戦争です。それが政治の魔術であることを私たちは第二次大戦のナチズムやわが国の全体主義の経験を通して、肝に刻んだはずなのです。その防壁としての憲法九条なのです。憲法九条がなかったら、過熱したナショナリズムはたちまち男たちを闘争へ誘発する。それほどに過剰なナショナリズムは、危険をはらんだ暴力的魔性の力学そのものなのです。こうした視点からすると、絆という用語には、人間と社会を暴力に向かって駆りたてる危険な政治的魔術のような機能がある。それが怖い。
 「政治化した宗教」も「宗教化した政治」も、いかに暴力的で魔術的であるか。さかのぼれば、第二次大戦中の国家神道が、まさに政治的魔術として機能したのでした。このような文脈で見ると、<絆>にはきわめて危険な「落とし穴」が隠されている。このことを注意深く見極めていくことが肝要です。とりわけ宗教者は、その危険を見極めることに敏感でなければならない。事実、憲法改正の動きが、にわかに頭をもたげている。その動きも、一部は明らかに本来の強い日本をとりもどすといった魔術的な「ふるさと」回帰のナショナリズムと結びついている。
 このように見ると、<絆>は、きわめて両義的です。<絆>には共同体を古い絆から解き放ち、人々が主体的・選択的に他者と新しい関係を取り結び、新しい人間関係をつくっていくために不可欠な靱帯としての機能がある。これは自由であり、解放であり、<救い>そのものです。しかし、一方には、国民を縛って意のままに操るナショナリズム国家権力による魔術的な暴力の意味がある。
    --山形孝夫「宗教の力 --<絆>再考」、『黒い海の記憶 いま、死者の語りを聞くこと』岩波書店、2013年、92-94頁。

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覚え書:「こちら特報部 はびこる『無知の無恥』」、『東京新聞』2015年03月07日(土)付。


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こちら特報部
はびこる「無知の無恥」

 昔から「知らないことを恥じるな」という。知ったかぶりをするより、謙虚に学ぶことが大切という意味だ。しかし、もし「謙虚に学ぶ」という暗黙の了解がなくなれば、ただの恥知らずになる。最近、そうした「無知の無恥」が目に余るように思える。それも権力の中枢、周辺で横行している。「反知性主義」という言葉が流行しているが、現実はさらにその一歩先を進んではいないか。(榊原崇仁、沢田千秋)


4つのケースで検証
補助金問題や人種隔離論争
開き直る首相や識者

●実例1
 「知らなかった」と恥じるのではなく、開き直る異様な光景が国会で続いていた。与野党に広がる補助金に絡む政治資金問題だ。
 政治資金規正法では、国から補助金をもらう企業は交付決定から一年間、政治活動に寄付できない。
 だが、複数の国会議員たちはこうした寄付を受けていた。ただ、政治家は企業への補助金の交付決定を知らなければ、罪に問われない。「法の不備」だ。
 不備である以上、違法性はなくても、倫理的には頭を下げるのが当然だ。しかし、安倍首相は先日二十七日の衆院予算委員会で「知らなければ違法行為ではないということは法律に明記されており、違法行為ではないことは明らか」と問題視しない姿勢を示した。
 政治資金に詳しい神戸学院大の上脇博之教授(憲法学)は「問題は違法性だけではない。補助金の一部が寄付されたと考えられる。補助金の元は税金だ。企業には自らに利益を誘導するため、政治家側に寄付しているのだろうが、その原資に税金が使われることが許されるのか」と憤る。
 首相は今月三日までに、三社から同様の寄付金計百八十四万円を受けていたことが判明。首相は「国からの補助金については知らなかった」と釈明した。
 だが、第一次政権当時も首相が代表を務めていた自民党支部に対し、国の補助金を受けた山口県の企業から五十万円の献金があったことが指摘されている。

●実例2
 「知らない」で済ます姿勢は、安倍首相に近い有識者にも見られる。十三年十月まで安倍政権の教育再生実行会議の委員だった作家の曽野綾子氏もそうだ。
 同氏は移民政策に関連して、産経新聞のコラムで「二十~三十年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」と持論を展開した。
 これに対し、南アフリカの駐日大使やNPO法人「アフリカ日本協議会」(東京)などは、国際的に非難を浴びた同国のアパルトヘイト(人種隔離)を擁護する記述だと非難した。
 しかし、曽野氏は「飛躍した発想。そう考える人たちの悪意」などと反論。民放のラジオで「アパルトヘイトの問題は何か」と問われると、「全く分からない。見たこともない。私が行ったころには(アパルトヘイトは)もう崩れていた」と無知を決め込んだ。
 曽野氏が初めて南アフリカを訪れたのは「まだ人種差別が色濃く残っていた時期。人種ごとの居住区も多くあった。黒人の人びとに選挙権が与えられたのも、九四年のことだ」と再批判している。


行き着く先 国際的孤立
改憲、文民統制でも…
主張を通す方便

●実例3
 会見をめぐる動きの中でも「無知」はうごめく。
 自民党憲法改正推進本部の礒崎陽輔事務局長(参議院議員)は一二年、憲法によって権力を縛る「立憲主義」について「この言葉は学生時代の憲法講義では聴いたことがない。昔からある学説なのか」と自身のツイッターに書き込んだ。
 礒崎氏は一九八二年に東大法学部を卒業。同時期に同じ学部を卒業した護憲派の伊藤真弁護士は「授業で立憲主義に触れることはあまりなくても、それは基本的なことだったから。そもそも明治憲法制定時にもあった原則。勉強してなかったのだろう」と皮肉る。
 むしろ、伊藤弁護士は「知らないふりをして立憲主義を軽く扱おうとしているのでは」と疑う。というのも、礒崎氏の現行憲法を軽んじる姿勢は最近の言動からもうかがえるからだ。
 例えば、先月二十一日に盛岡市内であった自民党の会合。礒崎氏は「改憲を国民に一回味わったもらおう。『怖いものではない』となったら、二回目以降は難しいことをやっていこうと思う」と語っている。

●実例4
 最新の「無知」は、六日に閣議決定された「文官統制」を廃止する防衛省設置法改正案にまつわる。
 文官統制は文民統制(シビリアンコントロール)の一形態で、防衛省で大臣を支える背広組(文官)が自衛隊の制服組より優位にあることを意味する。
 中谷元防衛相は先月二十七日の会見で「文官統制の規定は軍部が暴走した戦前の反省から作られたのか」と問われ、「その辺は私、その後生まれたわけで、当時、どういう趣旨かは分からない」と発言した。
 本当なのか。中谷防衛相は五七年十月生まれの五十七歳。誕生した後も、文民統制の成立については、しばしば語られてきた。
 例えば、七〇年4月の衆院本会議で、佐藤栄作首相(当時)は「自衛隊は政治優先のシビリアンコントロールが貫かれ、その背景には戦前の苦い経験があることを忘れてはならない」と答弁。七三年十二月の衆院建設委員会では、大村襄治官房副長官(同)が「(文民統制を意味する)憲法六六条は、国の政治が武断政治に陥ることを防ぐ目的で・・・」と明言している。
 首都大学東京の木村草太准教授(憲法)は「軍国主義の反省に立ち、憲法九条ができ、軍人が閣僚にならないように六六条ができた。生年月日にかかわらない常識だ」と切り捨てた。

「何でもあり」まん延
 こうした「無知」を恥じない発言の横行について、上智大の中野晃一教授(政治学)は「古代ギリシャの哲学者プラトンは『知識がない人間の統治は不正義』と言った」と批判する。
 中野教授は今日の事態は小泉純一郎首相から始まったと指摘する。小泉氏は二〇〇三年、自衛隊のイラク派遣を非戦闘地域に限定することに絡んで、「どこが戦闘地域か、私に聞かれたって分かるわけがない」と開き直った。
 「辞任に追い込まれても全くおかしくない暴言だったのに結局、許されてしまった。小泉氏は従来、支配的だった建前の政治をバカにし、『そんなことを知らなくて何が悪い』とタブーを破るポーズで改革者を装って、大衆の支持を集めた」(中野教授)
 この手法が第三次安倍政権下の今日まで続いているという。ただ、この劇薬的な手法は副作用を伴う。
 中野教授は「事態は政治の枠にとどまらない。首相や有名人の無知や差別的発言がまかり通れば、国民にも何でもありの雰囲気がはびこる」とし、「国民は知性を守る戦いを挑まれている」と警鐘を鳴らす。
 放置すれば、待っているのは日本の国際的な孤立だという。「立憲主義への無知やアパルトヘイトの肯定は、人類が打ち立ててきた原理原則や英知に対する挑戦だ。生ぬるい態度をとっていると、日本だけが世界からどんどん外れていき、孤立するだろう」
【デスクメモ】「知らなかった」と近い言葉に「想定外」がある。それがどういう惨劇を生んだのか。私たちは四年前に学んだ。ただ、その責任は先の戦争と同様、あいまいにされた。現政権の無知はそれらの延長線上にある。「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として」。三度目には破滅が待っている。(牧) 
    --「こちら特報部 はびこる『無知の無恥』」、『東京新聞』2015年03月07日(土)付。

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簑田胸喜による矢内原忠雄批判


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昭和初期、言論抑圧で重要な役割を果たすのが民間の右翼言論人、とりわけ簑田胸喜になりますが、「狂信的」と形容するにふさわしい言論活動で、数々の良心を屠ってきましたが、まさに「狂信的」であるが故に、その実際の研究というのがほとんどされていないのが現状と聞きます。少し「覚え書」になりますが、矢内原忠雄に対する批判の「形式」を残しておきます。

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 簑田による矢内原批判において注目すべき第二の点は、矢内原がクリスチャンであることそれ自体に異を唱えているわけではないことである。簑田にとって矢内原が非難されるべき理由のひとつは、矢内原が「エセ・クリスチャン」であることであった。
 簑田によれば、矢内原がイザヤの預言に真理としての平和の理想を見るのは、ユダヤ教ないし「ユダヤ神話」を盲進する結果である。しかも、矢内原は「日本神話」を盲進することを排撃していながら、ユダヤ「神話」を盲進するのは自家撞着であると簑田は断じる。
 さらに、矢内原が旧約聖書を権威としてよりどころにすることから、ユダヤ教とキリスト教との相違をまったく無視していると簑田は推論し、このような混同を「無学」「無節操」であると痛罵している。そもそも、簑田によれば、ユダヤ教は「非人道的選民思想」であるが、そこから発生したキリスト教が「超民族的の世界宗教」へと成長しえたのは、キリストの信仰がイスラエルの神エホバを原理としたものであったが、それを「内的に深化し浄化したもの」だったからである。
 簑田にとって、キリスト者である矢内原がマルクス主義的な方法を植民政策研究で応用していることは、さらなる「思想的混乱または破綻」を示すものであった。つまり、「反宗教」すなわち「反キリスト教」的なマルクス主義に「媚態追従の態度を以て」『帝国主義下の台湾』をはじめとする学術的作品が書かれていることに、矢内原が「クリスチャン・マルキスト」「ニセ・クリスチャン」であることを看取できるというのである。
 簑田は、自分こそが真のキリスト教理解、真のイエス観を有していると自負していたようである。前述のように、矢内原による絶対平和主義的な聖書読解に対する反例を聖書の記述からいくつか取り出して批判している。そして、九州帝国大学で地質学者、教育学者として知られた河村幹雄のキリスト教信仰が、キリスト教の「全き日本化」を目指すものであり、かつて「祖国主義」者として真のイエス観を示すものとして簑田は称揚している。
 キリスト者を自認する矢内原に「エセ・クリスチャン」とレッテルを貼り、批判対象となる人物の信用失墜をはかるような言説を用いるのは、簑田が繰り返し用いた戦略であった。
    --将基面貴巳『言論抑圧 矢内原事件の構図』中公新書、2014年、91-92頁。

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覚え書:「時流・底流:表現者たちの声明 政権批判自粛に危機感」、『毎日新聞』2015年03月02日(火)付。

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時流・底流:表現者たちの声明 政権批判自粛に危機感

毎日新聞 2015年03月02日 東京朝刊
(写真キャプション)声明に賛同して記者会見した(左から)作家の中沢けいさん、元経産官僚の古賀茂明さん、劇作家の平田オリザさん、パロディー作家のマッド・アマノさん、ジャーナリストの今井一さん=東京都千代田区の日本外国特派員協会で2月25日


 イスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)による人質事件以降、政権批判を「自粛する」空気が社会に広がっているとして、ジャーナリストや作家らが2月25日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で記者会見し「自身の良心にのみ従い、批判すべきだと感じ、考えることがあれば、臆さずに書き、話し、描くことを宣言する」とした声明を読み上げた。

 記者会見は同月9日にも都内で行った。前回までに約1200人だった賛同者が約2500人に増えたという。作家の中島岳志さん、評論家の森永卓郎さんらも加わっている。呼びかけたジャーナリストの今井一さんは「テレビに出演しているジャーナリスト3人からメールや電話をもらい『署名したいが、春の番組改編の時にポストを失ってしまうのでできない』と言われた」と話した。

 記者会見では、今井さんが「大変なスピードの自粛、萎縮を食い止めたい」と訴えた。劇作家の平田オリザさんは「日本の劇作家たちには、戦前、大政翼賛に協力したという不幸な歴史や反省がある。追い込まれる前に声を上げたい」と話した。

 元経済産業官僚の古賀茂明さんは「報道が機能を失えば、民主主義の大前提である知る権利が失われ、国民は正しい判断ができなくなる」と述べた。古賀さんは安倍政権への辛口の批評でも知られるが、1月下旬にテレビ朝日の報道番組で「アイ・アム・ノット・アベ」と人質事件での政府の対応を批判したところ、ネット上で非難されたという。

 同番組には月1回のペースで出演してきたが、4月以降の出演依頼がないことにも言及した。テレビ朝日の吉田慎一社長は2月24日の記者会見で古賀さんの今後の出演について「決まっていることはない」と話している。【青島顕】
    --「時流・底流:表現者たちの声明 政権批判自粛に危機感」、『毎日新聞』2015年03月02日(火)付。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150302ddm004070056000c.html:title]


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日記:学問の本趣意は読書のみに非ずして精神の働に在り、此働を活用して実地に施すには様々の工夫なかる可らず

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金曜日は、所用があってひさしぶりに慶應義塾へ戻る。
用事をすませてしばしキャンパスを散策しつつ、学生時代のことを思い出したりしておりました。

さて、昨今、教育再生をめぐる議論で「人文より実学」だとか「グローバル云々」で「即戦力」を大学教育に求めるムキがありますが、いわば実学の元祖といってよい福沢諭吉ならば、今の状況をどのようにとらえるのか、少し考えてみました。


最近、誰もが「実学」連呼するので(「人生を豊かにする学びに加え、実学を重視した教育を提供することも必要」の如き:教育再生実行会議第6次提言)、実学の元祖といってよい福沢諭吉の『学問のすゝめ』と丸山眞男「福沢に於ける『実学』の展開」(丸山眞男『福沢諭吉の哲学』岩波文庫所収)読んでた。

「専ら勤むべきは人間普通日用の近き実学なり」(『学問のすゝめ』)。空疎にして迂遠な漢学や有閑的な歌学に対して実学を対置した福沢諭吉。「若し福沢の主張が、単に『学問の実用性』『学問と日常生活との結合』というただそれだけのことに尽きるならば、……斬新なものではない」と丸山眞男はいう。

「学問の日常的実用を提唱」「学問を支配階級の独占から解放して、之を庶民生活と結びつけた」“東洋的な「実用主義」”は山鹿素行、石田梅岩に見られるとおり、そこに福沢の独創性はないし、「内在的なものの発展はあっても、なんら本質的に他者への飛躍、過去との断絶は存しない」(丸山眞男)からだ。

福沢の実学傾注の「真の革命的転回」意義とは何か。

すなわち

「学問と生活との結合、学問の実用性の主張自体にあるのではなく、むしろ学問と生活とがいかなる仕方で結びつけられるかという点に問題の核心が存する。そうしたその結びつきかたの根本的な転回は、そこでの『学問』の本質構造の変化に起因」ものである。

「東洋社会の停滞性の秘密を数理的認識と独立精神の二者の欠如のうちに探りあてた」福沢は、学問の中心的位置を、アンシャン・レジームの学問の中核である倫理学より物理学へ移す。これは倫理や精神の軽視ではなく、「近代的自然科学を産み出す様な人間精神の在り方」を問題にした、精神の問題でもある。

「環境に対する主体性を自覚した精神がはじめて、『法則』を『規範』から分離し、『物理』を『道理』の支配から解放するのである」。

社会秩序の基礎付けを自然とのアナロジーで非合理を容認する東洋社会。個人が社会的環境と離れて直接自然と向かいあう意識を出発に起き、人間・社会の認識が初めて可能になる。

「物ありて然る後に倫あるなり、倫ありて然る後に物を生ずるに非ず。臆断を以て先ず物の倫を説き、其倫に由て物理を害する勿れ」(『文明論之概略』)。「社会秩序の先天性を払拭し去ることによって『物理』の客観的独立性を確保」(丸山)、そのことで近代精神(独立自由の精神と数学物理学の形成)が確立する。

倫理を中核とする実学は「生活態度を規定するものは、環境としての秩序への順応の原理である。自己に与えられた環境から乖離しないことがすなわち現実的な生活態度であり、『実学』とは畢竟こうした生活態度の修得以外のものではない。そこでいわれる学問の日用性とは、つきつめて行けば、客観的環境としての日常生活への学問の隷属へ帰着する」(丸山)。

では福沢の実学とは?

「如何なる俗世界の些末事に関しても学理の入る可らざる処はある可らず」(「慶應義塾学生諸氏に告ぐ」)。

日常の重力との「妥協」ではなく「克服」こそ「実学」なのであろう。

その理念から「福沢は数学と物理学を以て一切の教育の根底に置くことによって、全く新たなる人間類型、彼の所謂『無理無則』の機会主義を排してつねに原理によって行動し、日常生活を絶えず予測と計画に基いて律し、試行錯誤を通じて無限に新らしき生活を開拓してゆく奮闘的人間」(丸山)育成を志したのが福沢諭吉といってよい。

福沢諭吉は「日本のヴォルテール」(丸山)として啓蒙思想の代表といわれる。しかし単なる封建批判の文明論とは異なる独自の思惟を秘めており、それは真性のプラグマティズムといってよい。今、福沢が教育における「実用」の実際を参照するならば、どのように反応するだろうか。それは馴致への惑溺と映るだろう。

しかし、日常の重力との妥協ではなく克服こそ学問の「要」であると福沢諭吉がとらえていたとすれば、それは、規律訓練型権力への批判という射程を秘めていると捉えてよいのではないだろうかとも思ったりです。


で……蛇足ついでですけど

別に象牙の塔であれとは思いませんが、社会は常に大学に何かを要求……そしてそのほとんどが不当なものが多いとは思いますが……してくる割には、その要求を満たすための負担はしないで、ただこうしろ、ああしろ、とかき回すだけというのがその実情ですから、まあ、無責任このうえねえな、と思うのは私一人ではないでしょう。

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覚え書:「NHK籾井会長の発言『放送法に反する』 早大・上村氏」、『朝日新聞』2015年03月03日(火)付。


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NHK籾井会長の発言「放送法に反する」 早大・上村氏
聞き手・中島耕太郎2015年03月03日

(写真キャプション)「NHKの独立は、強いものに対して発揮されるべき」と語る上村達男・早大教授=麻生健撮影

 NHKの経営委員会で委員長代行を務めてきた上村(うえむら)達男・早稲田大教授(会社法・資本市場法)が3年の任期を終え、2月末で退任した。経営委は会長を任免し、監督する立場にある。籾井勝人会長の言動や資質を在職中から批判してきた上村氏に、問題点と課題を聞いた。

 ――籾井会長の発言が繰り返し問題視されています。

 放送法はNHKの独立や政治的中立を定めています。しかし、就任会見時の「政府が右と言うことに対して左とは言えない」とか、従軍慰安婦問題について「正式に政府のスタンスがまだ見えない」といった最近の籾井会長の発言は、政府の姿勢におもねるもので、放送法に反します。放送法に反する見解を持った人物が会長を務めているということです。

 会長は「それは個人的見解だ」と言って、まだ訂正もしていませんが、放送法に反する意見が個人的見解というのは、会長の資格要件に反していると思います。

 お笑い番組でも「品のないものはやめた方がいい」という趣旨の発言をしています。私も番組に一定の品性は必要だと思いますが、会長がそれを言うことには違和感があります。NHKにはそうしたことも含めて判断するシステムがありますので。

 ――籾井会長を満場一致で選んだのは、上村代行を含む12人の経営委員です。

 確かに経営委に責任があります。ただ、籾井氏の経歴を見ると、一流商社である三井物産で副社長まで務め、海外経験も豊富な人物。数人の候補者がおり、籾井氏には異論が出なかった。20~30分の面接では、信条の問題まではわからない。「放送法を守ります」と繰り返していましたし。時間をかけて以前より数段良い(会長の)選任規定を作ったと思っていますが、経営委員が誰を推薦するかは手続きでは縛れない。最終候補者を2人にして面談することも考えられるが、大企業のトップ級と比べて低い報酬(年間約3千万円)では、「面談を受けてまで引き受けたくない」ということにならないか。

 ――市民団体などには「経営委は籾井会長を罷免(ひめん)すべきだ」という声もあります。

 経営委の過半数が賛成すれば会長を罷免できます。少なくとも籾井会長を立派な会長だと思っている委員はほぼいないのではないか。ただ、就任会見直後ならともかく、今は罷免までしなくても事態を切り抜けられると考えている委員の方が多いとみています。

 私はずっと罷免すべきだと思っていた。ただ、罷免の動議をかけて、否決されると、籾井会長は「信任された」と思うでしょう。それでは逆効果になると考えました。

 ――経営委員が政権の意向を忖度(そんたく)していることはありませんか。経営委員を首相が任命する仕組みが問題では?

 忖度している委員がいるかどうかは臆測になるので控えますが、そうした懸念があるために、任命に国会の同意が必要になっている。政権が代わるごとに体制や運営方針が変わるのは良くない。この点に懸念が生ずる運用が定着するようだったら、国会の3分の2とか4分の3以上の賛成を要するといった制度改革も必要になると思います。私の交代に伴う人事はある程度自制的になっているようにも見えますが。少なくとも与党に近い人を推薦するのは当然という問題ではないのです。

 ――NHK会長が担う権限をどのように考えますか。

 NHKは非常に公共性が高いにもかかわらず、所管官庁が介入しない珍しい存在です。電力会社でも金融機関でも陰に陽に官庁から口を出される。しかし、総務省は報道機関であるNHKには干渉できない仕組みになっている。

 経営委は経営の重要事項の決議機関ですが、専門性に乏しい12人の集まり。審議機関の理事会と情報に格差がある。しかも、会長は理事会の審議結果に拘束されないと理解されてきました。関連団体や派遣社員を含めれば2万人にもなる大組織を率いる会長がチェックされない存在になりやすい。籾井会長には、びっくりするぐらい権力があることになっているんです。

 ――監査委員会の機能強化を意見して退任しました。

 監査委員会や事務局が調査権限を発揮して、会長や理事が何をしているのか、経営委に伝えなければならない。

 ――テレビ放送をインターネットで流すことが今後本格化し、受信料制度の見直しも議論されそうです。NHKの公共性について、さらに国民の理解が必要なのでは?

 NHKは本来、社会にとって重要な公共空間(コモンズ)なのです。例えばニューヨークのセントラルパークを散歩しない人でも、その価値は認めて、維持のための費用は負担するでしょう? 欧州の主要国では、受信料はテレビを見る対価という感覚を超え、公共財を市民社会が支えるという考え方がみられます。

 籾井会長が起こした最も大きな問題の一つは、NHKの予算案に、国会で与党だけが賛成するという状況を生み出したことです。視聴者には与党支持者も野党支持者もいるのだから、原則的に全会一致で承認されることに意味があった。NHKは時の政治状況に左右されてはならないのです。

 NHKは多様な見方を提供して、日本の民主主義が成熟していくように貢献しなければならない。NHKの独立というのは強いものに対して発揮されるべきもの。弱いものに対しては「独立」とは言わないわけですから。(聞き手・中島耕太郎)
    --「NHK籾井会長の発言『放送法に反する』 早大・上村氏」、『朝日新聞』2015年03月03日(火)付。

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[http://www.asahi.com/articles/ASH2V625NH2VUCVL019.html:title]


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覚え書:「河北春秋:当たり前に享受している投票権は、民主主義を追い求める闘いの末に勝ち取られている」『河北新報』2015年02月06日(金)付。


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 宮城県出身の政治学者吉野作造は、普通選挙実現の運動を推し進めた。腰の重い政府の尻をたたかんばかりの論文の数である。論拠は明快、選挙権は国民固有の権利と断じてぶれがない。1920(大正9)年の論文は語る

 ▼「昔は王侯が国家を領していたとしても、いまは全ての人がそれぞれ積極的な分担を負い、ともに経営している。独立人格を持つのは明白で、法律以前から国民固有の権利として在ることに一点の疑いもない」。5年後、加藤高明内閣によって普通選挙法が制定される▼高額税を納める富裕層だけから全ての男性へ。女性に広がるには平塚雷鳥や市川房枝による活動を経て、終戦まで待たなくてはならない。当たり前に享受している投票権は、民主主義を追い求める闘いの末に勝ち取られている

 ▼国民の権利たる選挙の信頼が揺らぐ。仙台市の青葉区選管に端を発した一連の不正は、過去にも宮城野区や若林区で集計ミス、保管すべき記録の廃棄など広がりを見せる▼昨年末は突然の衆院解散で準備がいまひとつ…の弁明をそのまま受け取る人はいまい。関わった職員がどれだけいるのか、上司である役職者の監督責任をどう問うのか、市民感覚からすれば曖昧(あいまい)に映る。よくある行政事務の誤りと根本から違うと心すべきである。
    --「河北春秋:当たり前に享受している投票権は、民主主義を追い求める闘いの末に勝ち取られている」『河北新報』2015年02月06日(金)付。

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[http://www.kahoku.co.jp/column/kahokusyunju/20150206_01.html:title]


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覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 本来の『積極的平和』とは=本田宏」、『毎日新聞』2015年02月25日(水)付。


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くらしの明日
私の社会保障論
本来の「積極的平和」とは
貧困、差別がない社会こそ

本田宏 埼玉県済生会栗橋病院院長補佐

 中東のイスラム過激派組織「イスラム国」(IS=Islamic State)による日本人人実殺害事件を受け、今国会で日本の安全保障政策が大きな争点となっている。そこでよく聞かれるのが「積極的平和主義」だ。
 安倍政権が安全保障政策の基本理念として掲げるこの積極的平和主義は、世界で過激派が台頭している現在、一国だけでは守れないとして、必要が在れば自衛隊を海外に派遣して他国と連携する考えだ。
 昨年7月には集団的自衛権公使の容認が閣議決定され、同12月に特定秘密保護法が施行された。加えて来年度の防衛予算は戦後最大に増やされ、武器輸出の緩和に向けての環境整備も急がれている。さらに多国籍軍の後方支援などに自衛隊を派遣する恒久法の制定までもが今国会で議論されている。
 先進国で最低レベルとなっている日本の社会保障体制を充実させようと長年活動してきた立場からすれば、防衛に多額の予算を必要としない平和な社会こそ必要最低条件と考える。
 しかし、現政権が積極的平和の必要性を訴えるに従って、社会にはその流れに抗しがたい雰囲気が漂っているように感じる。だが、それでいいのだろうか。
 その疑問は、埼玉県内で今年1月末に開催された集団的自衛権を考える勉強会で一気に氷解した。平和学における「積極的平和」とは単なる国家間の戦争や地域紛争がない状態、つまり消極的平和を指すものではなく、国内外の社会構造に起因する貧困、飢餓、抑圧、阻害、差別がない積極的平和を指す言葉ということだった。
 平和学を創設したノルウェーの社会学者、ヨハン・ガルトゥング氏の著書「構造的暴力と平和」を早速入手して確認したところ、氏の唱えた積極的平和の意味するものは、現在の日本政府が集団的自衛権も含めて用いている意味とは全く逆の概念だった。
 もちろん今回のISの人質事件は絶対に許してはならないテロ行為だ。一方、過激派が増えた背景には、アフガニスタンやイラク戦争で犠牲になった何十万というひとびとの憎悪や貧困の連鎖があると考えられる。ISによって殺害された後藤健二氏は、悲惨な紛争地の子どもの現状を世界に知らせて紛争をなくすことによって、積極的平和の構築を目指していたのではないだろうか。
 世界に冠たる平和憲法をもつ日本こそ、後藤氏の遺志を生かして、世界の貧困や差別解消に力を注ぎ、テロの根本問題の解決に努力すべきだ。積極的平和を勝ち取る努力無しに、テロ行為の根絶はもちろん、日本の社会保障体制の充実は永久に不可能といえる。
日本の社会保障体制 日本は高齢化率が世界トップとなった一方、国内総生産(GDP)に占める医療費など社会保障費支出の割合は経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均並だ。来年度は介護報酬を9年ぶりに引き下げる方針も示されている。
    --「くらしの明日 私の社会保障論 本来の『積極的平和』とは=本田宏」、『毎日新聞』2015年02月25日(水)付。

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日記:良質な学問的積み重ねをあざ笑い、ナイーブな個人の趣向がそれを書き換えていく


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ナチス・ドイツにガス室はなかったという噴飯ものの話を歴史修正主義という。その意味では、朝日誤報問題以降、ますますその勢いが強くなっていると感じる。

強制性を根拠付ける報道が誤報だから根拠が無いというロジックですが、そもそもまっとうな歴史学は、吉田証言を「根拠」に「強制性」を認めるわけでなく、新聞の誤報でその論拠が崩れるといった安易なものではない。

しかし、政治家の発言に目を向けると、「強制性」がなかったというところからもう一度ジャンプして、そもそも従軍慰安婦などいなかったという幻論という新しく変態していることに驚く。

そして2月に今度は、『産経新聞』が南京大虐殺そのものがなかったというキャンペーンを展開。これまでその数字をどこに置くのかという議論などものともせず、ご乱心に踊ろた。

しかし、驚くのはその2つの事件にとどまらない。今度は、『日本書紀』の記述は「歴史的事実」という珍説まで飛び出してきた。

この段階になってくると、もはや歴史修正主義などといった甘っちょろいものではない。修正を飛び越え、神話の歴史化が21世紀に始まってしまったことに驚愕している。

知性と感情の絶えざる劣化の末とはいえ、良質な学問的積み重ねをあざ笑い、ナイーブな個人の趣向がそれを書き換えていくことに戦慄しなければならない。


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覚え書:「引用句辞典 トレンド編 [強い返報性原理] テロ根絶に不可欠な 理由なく親切な人々=鹿島茂」、『毎日新聞』2015年02月22日(日)付。

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引用句辞典 トレンド編
[強い返報性原理]
テロ根絶に不可欠な
理由なく親切な人々
鹿島茂

「チューリッヒ大学のエルンスト・フェールらによる一連の巧妙な室内実験によって、他人から親切な待遇を受けた個人はそれらの他人と二度と再会することができなくても、そのお返しに親切な対応をすることが明らかになっている。(中略)たとえ何のメリットがなくても、個人が不親切な態度には不親切な態度で応じる系統的な傾向があることもわかった。(中略)協力の動機が他人による過去の親切だけど、不正行為に対する制裁がない場合には、当初は協力的な集団文化であっても、だんだん個人が誘惑に屈してそれが崩壊することがある。しかし不当なあつかいを受けた人々が復讐し、それが個人的には負担となっても気にしないとわかっている場合には、実験では不正の発生率が極端に減少する」(ポール・シーブライト『殺人ザルはいかにして経済に目覚めたか? ヒトの進化からみた経済学』山形浩生・森本正史訳 みすず書房)

 「シャルリーエブド」事件をきっかけにしたように世界中にテロが拡散しつつある。「イスラム国」(IS)の残虐な処刑に対し、報復の空爆が行われている。ウクライナでも停戦合意がもろくも崩れそうな勢いだ。暴力の連鎖があまりにひどいので、人類はシンポするどころか退歩して、中世に逆戻りするのではないかという悲観論の聞こえてくるほどだ。
 こんなときには「それでも人類は進歩しているのではないか?」と問うてみるのがいい。サル学の発達で、チンパンジーは非常に暴力的で集団殺戮を頻繁に起こすことが明らかになり、また人骨の考古学的分析から、原始時代の社会は平和だったというルソー的神話が誤りであったことが解明されているからだ。人が暴力で死ぬ率は、狩猟採取時代と現代を比較すると、戦争や内戦を勘定に入れても十分の一以下に低下している。つまり、人類が紛争解決で暴力に訴える率は長いスパンで見ると明らかに低くなっているのだ。
 では、この「進化」はどのようにしてもたらされたのか? これまでの説明は、近い未来において再び会う可能性のある人には悪よりも善を施した方が得という「損得計算(打算)の原理」からなされてきたが、近年の認知科学の実験により、人間はこれとは異なる「強い返報性原理」に支配されているという説が有力になっている。すなわち、親切をしてくれた人には親切で、不親切をされた人には不親切で報いるのが普通の「返報性原理」であるのに対し、「強い返報性原理」というのは、人から親切にされた人は赤の他人にも親切にするし、また人から不親切にされた人は赤の他人に対しても不親切にするというある意味「非合理的」な人間心理のことを指す。
 どうやら、人間というものは、損得を秤にかけて計算を働かせる「理性」よりも、親切・不親切によって引き起こされる「うれしい・むかつく」という「感情」に大きく支配された存在のようなのだ。
 なるほど、この「強い返報性原理」を適用すると、ただ残虐で獣のようにしか見えないテロリストの心の中が少しだけ覗けるような気がする。そう、彼らはミリエル司教に出会えなかったジャン・バルジャンのような不幸な人たち(レ・ミゼラブル)なのだ。不正と不法と暴力を絶対に許さないリゴリズムはもちろん必要だが、「理由なく親切にする人」が出現しない限りテロリストの根絶もまた不可能だというのもまた真理なのである。
(かしま・しげる=仏文学者)
    --「引用句辞典 トレンド編 [強い返報性原理] テロ根絶に不可欠な 理由なく親切な人々=鹿島茂」、『毎日新聞』2015年02月22日(日)付。

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拙文:「読書 小川仁志、萱野稔人『闘うための哲学書』講談社 思索の言葉めぐる対談集」、『聖教新聞』2015年02月28日(土)付。

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読書
闘うための哲学書
小川仁志、萱野稔人 著

思索の言葉めぐる対談集

 プラトンやデカルトといった古典的著作からフーコーやロールズなど思想史を刷新する現代の名著まで22冊の哲学書を取り上げ、気鋭の哲学者2人が、その魅力を縦横に語った対談集である。
 哲学とは何か--。それは「ものごとの本質を批判的、根源的に探究していく学問」(小川仁志)のことであり、具体的には「言葉を使って探究する」(萱野稔人)人間にとって最も身近な営みだ。哲学とはこんなにも面白いものかと驚かされる。哲学と聞けば難しそうな学問だとか、生活に関係ないと思い込む人にこそ手にとってほしい。
 本書の魅力は、2人の対談者がそれぞれ理想主義者(小川)、現実主義者(萱野)と対照することだろう。人間をめぐり、理想主義は現実の超克を展望し、現実主義は人間存在の条件に注目する。一冊のテキストに関する2人の議論は、一つの解釈に収まりきらない“英知の魅力”を召喚する。
 「哲学を学ぶことはできない、哲学することを学びうるだけである」とはカントの言葉だが、本書はその実践といってよい。思索の言葉と向き合い、自らの考え方を鍛えることで、“今、闘う”ことが可能になる。(氏)
●講談社現代新書・1080円
    --「読書 小川仁志、萱野稔人『闘うための哲学書』講談社 思索の言葉めぐる対談集」、『聖教新聞』2015年02月28日(土)付。

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