日記:曽野綾子化する林真理子
「川崎リンチ殺人、被害者の母を責め立てた林真理子氏のエッセイの暴力性」武田砂鉄(2015年3月13日)を読んで驚いた。
記事→ [http://bylines.news.yahoo.co.jp/takedasatetsu/20150313-00043794/:title]
“この日本で離婚する世帯のうち、8割は母親側が子どもを引き取る。暴力をふるう男から必死に子どもを守ってきたのは母親だ。働き詰めになるしか、方法が残されていない。働き詰めのその先に…悲しい事件が起こったとしたら、それは母親が「女を優先させた結果」などではない。”(武田砂鉄)
なんなんだろう、林真理子氏のこの名誉男性的なマッチョな錯誤は。
そしてこのメディアと知をめぐる倒錯した認識。
「そういうことをするお母さんが、この『週刊文春』を読んでいるとは到底思えない」
「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」
「本ももちろん読まない、雑誌も読まない。そういうお母さんは、想像力が抜け落ちているのではなかろうか」
おいおい。
そういうことをしないお母さんも、『週刊文春』など読まないでしょう。林真理子さんの議論に乗れば、本や雑誌を読む=知と誠実に向き合うことで、自分自身がこれまで認識していたことが錯覚だったと理解する人間であるからこそ、“『週刊文春』読んでいますぜ”など恥ずかしくて言えませんよ。
「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」(林真理子)だそうな。
日本の「恵まれた層」が『週刊文春』読んで、世界を理解しているとすれば、そりゃあ戦々恐々だなあ。そりゃまあ、ご自身へお金を運んでくれる「雑誌を読む習慣を持つ人」持ち上げてんだろけれども、この歪みきった認識には驚いてしまう。
林真理子さんの作品は読んだことがないですけど、少女時代からものすごい空想家だったと伺う。空想するのは結構でございますが、文章を書くという責任だけは引き受けてもらわなあかんな。こうした批判(読むのかどうかしらんけど)にスルー決め込めたり居直れば、まさに曽野綾子化する林真理子だな。
ふぃふぃなんかもそうですけど、とにかく有名になったら、おい成功した俺見ろよ、愚民ども。おまえらなあ、みたいな感じで「しばき」たいんやろうなあ。弱い者いじめこそ原因解決から最も遠ざかるものなのに、気合いと根性でなんとかなるって、ヤンキーやないけ。なんともなりませんがな。
「飢えた子供の前で文学は無力か」。現実のゆがみをスルーする責任を挑発するサルトルの言葉。彼の如く「政治的であれ」とアクセルを踏み込みすぎるのもどうかとは思うけれども、文学をはじめとする人類の遺産と関わる人間こそ、常識として刷り込まれている虚偽に敏感でなければと思いますよ。
この国の文士というものは、覆さなければならない常識と調和し、権力と親和的というパターンが多すぎる。まあ、『週刊文春』の文藝春秋の生みの親の文壇ボス・菊池寛が、文士まとめて「ペン部隊」(内閣情報部の要請で漢口攻略戦へ派遣)結成しとるしな。結局は地上という重力に「回収」されるという拳
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