覚え書:「あの人に迫る:六車由実 介護民俗学者 人生の豊かさを聞き書きで知る」、『東京新聞』2015年03月22日(日)付。
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あの人に迫る
介護民俗学者 六車由実さん
人生の豊かさを聞き書きで知る
[あなたに伝えたい]その人の人生を知ることで、絶対にケアの仕方が変わります。互いに互いを認め合えるようになります。
民俗学者であり、デイサービス「すまいるほーむ」(静岡県沼津市)の職員でもある六車由実さん。大学職員を辞して飛び込んだ介護現場を「民俗学の宝庫」と称し、施設の利用者の人生を聞き書きする。利用者が生きてきた軌跡に目を向けることで、介護する側、される側の意識も変わると説く。(橋詰美幸)
--準教授を辞め、なぜ介護の世界に飛び込んだのですか。
大学では、常に研究をして論文を出してと、成果を出さなきゃいけなかった。競争社会で、気持ちも体もついていかなかったんですね。実家に戻って三カ月くらい静養をしていたのですが、しばらくして次に何の仕事をしようかと考えたときに、ハローワークでホームヘルパーの資格を取る講習があることを知りました。資格を取ったら現場で働いてみたいなと思って飛び込んでみました。
--実際に飛び込んでみて、感じたことは。
介護する側、される側という関係にとても違和感を持ちました。以前の職場は特別養護老人ホームで重度者が多かったせいもあってか特に強く感じました。やることがいっぱいあって、利用者の人生に耳を傾ける時間も取れなくて、「してあげる」という立場でしか関わることができずにいました。利用者の方にとっても常に介護されている状況では、生きている意味や役割がわからなくなってしまうのではないかと感じました。不自然な場所だなと。
スタッフが少ない上に、時間内に終わらせなくてはいけない仕事がありすぎて消耗してしまう。いかに安全かつ時間内に利用者に食事を取らせるかや、気持ちよく排便を処理できるかなど、介護が作業になって、人と関わっているという感覚がまひしてしまう。
--どう抜け出したのですか。
ある時、女性が突然、歌を歌い始めたんです。しかも踊りつきで。初めて聴いた歌だったので、忙しいにもかかわらず、思わず「なにそれ」「どこで覚えたの」と聞いてました。救ってくれたのは利用者さんでしたね。
◇
--「介護民俗学」を実践する中で、どんなことを感じますか。
介護を受ける人たちがこんなにも昔の記憶が確かで話ができることに驚きました。研究者時代の調査では会う機会のなかった大正一桁生まれの人もいる。
関東大震災の話を聞いたときには、知っている人がいることが衝撃で、沼津周辺もすごく揺れて大変だったという話から始まって、おばあさんたちが狩野川の方に向かって念仏を唱えていたとか。そんなことを言われたら、民俗学者としてメモを取らないわけにはいきませんよね。デイルームの片隅でメモを片手に熱心に話を聞いている姿は、他の職員には奇異に映ったみたいですが。
介護する立場で利用者の話に身を任せていると、自分が全然想定していなかった話しが飛び出してくるんです。農耕が機械化されていなくて牛馬が家畜として飼われていた時代に、牛馬の鑑定や仲買をした「馬喰(ばくろう)」という商売人がいたことや、発電所から電線を引くために定住地を持たずに村々を渡り歩いた高度経済成長期の「漂泊民」など。人の人生はこんなにも豊かなものなのだと感じます。
--聞いた話は、記録として形に残すのですか。
以前いた施設では、利用者に聞かせてもらった話を文章に起こして、「思い出の記」として本因や家族に渡していました。
ある男性から太平洋戦争中にガダルカナルで戦った体験を聞いて、思い出の記を作ったことがありました。その方のお婿さんは大学を出て役所に勤めていたのですが、男性はずっと農業をやっていて「自分は学がない」と、お婿さんに対して引け目を感じていました。でも、お婿さんが思い出の記を読んだらすごく感動してくれたらしく、「自分のことを見直してくれた」と喜んでいました。
家族でも親の若い頃の話って、実はあまり知らないんですよね。思い出の記は親の人生を受け止め、認める一つのきっかけになったのかなと思います。
◇
--話を聞くことで利用者の気持ちや体調も上向きになるのでしょうか。
聞き書きをしているときに、常に相手が気持ちよく話しているかといえば、そうではありません。語ることによって、苦い思い出も含めていろいろなことを思い出します。介護やカウンセリングの世界では、危険なことと言われかねません。ですから、話を聞くのはお互いに真剣勝負です。
私たちの日常の中で、怒ったり泣いたり不愉快に思ったりと、いろいろな感情が湧き起こるのは普通のことですよね。それが介護現場では感情の変化に乏しくなりがち。認知症に人が泣きだしたり、笑いだしたりすると「感情失禁」と言われる。そもそも感情に失禁という言葉をくっつけるな、と思うのですが。私は聞き書きをしているときに利用者さんが急に涙が出てしまったりするというのは、人と人の普通の関係の中で日常性が回復しているのだと考えています。
それに私たちよりも倍、人生を生きてきた人たちですよ。多少何があっても強いです。確かに注意しなくてはいけないことはあるかもしれませんが、真剣に話を聞くのが礼儀ではないでしょうか。
--聞き書きをする上で必要なことは。
大切なのは、知らないことを知る喜びを感じること。知らないことは武器というか、意味があることだと思います。例えば、私はあまり料理が得意でなくて、知らないことばかりなんですね。思い出の味を再現するときには、利用者の方が「そんなこともわからないの」と言いながら一生懸命教えてくれるんです。
「すまいるほーむ」には、親戚が浅草の置き屋にいて踊りをよく見ていたという女性がいて、他の利用者さんや職員に踊りを教えてくれました。常に介護されるだけでなく、あるときは教える立場になって、私たちが学ばせてもらう。常に関係が入れ替わることで、対等な関係を築くことができたのも、利用者さんの人生に目を向けて、聞き書きを続けてきた結果だと思っています。
◇
--聞き書きを通して、介護する側、される側の関係性が変わってくるのですね。
多くの介護職員は、利用者さんの日常生活で必要な動作の自立度や病歴は知っていても、どんな人生を歩んできたかは知りません。その人の人生を知ることで、絶対にケアの仕方が変わります。介護する側、される側という関係性が変化して、互いに互いを認め合えるようになります。
聞き書きをしていると、人の人生はすごく豊かなものなのだと実感します。だから、たとえ認知症になって自分で自分のことを決めることが難しくなったとしても、人は最期まで人として生きるべきだと強く思います。それがどんなに大切で、どんなに難しいかというのを、私たちは常に意識していかねばなりません。
[インタビューを終えて]取材に訪れた日。「すまいるほーむ」の皆さんが、沼津周辺では昔ながらという「なべやき」を作ってくれた。小麦粉に砂糖と重曹を混ぜて焼く素朴なおやつだ。
「あんたそれじゃ砂糖が少ないよ。もっと入れて」。利用者のおばあちゃんが遠慮のない物言いで、六車さんに指示を飛ばす。「料理が経たで、いつも怒られるんです」。笑いながら話す六車さんは楽しげだった。
介護の現場でお年寄りの人生に向き合う大切さを思う。それにはまず、職員が利用者に向き合うことができるだけの余裕がいる。そんな環境を介護現場に広げないといけない。
--「あの人に迫る:六車由実 介護民俗学者 人生の豊かさを聞き書きで知る」、『東京新聞』2015年03月22日(日)付。
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