哲学・倫理学(現代)

日記:郷土やその伝統と文化を大切にしたり学ぶというよりも、stateに従順で反論しない人間育成としての道徳科「愛国」教育という中身

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木曜日(2月12日)の『朝日新聞』の声の欄に「道徳を愛国心に絡めないで」という意見が掲載されていました。

サミュェル・ジョンソンの有名な言葉「愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」を引かれながら「道徳と愛国心は全く無関係であり、幼い子に教室で愛国心を押し付けるのはいかがなものかと思います」と明快に喝破しております。

そもそも論とこの国の受容の歪曲を考えると、「道徳」は教え込まれて受容されるものではありませんし、道徳をもって生きると言うことは、特定の伝統やコードを受容してそのデッドコピーとして生きることではありません。

ですから、そもそも「道徳」教科化自体がちゃんちゃらおかしい話ですけど、まあ、それは横に置きまして、形而上的な規範とイコールされるものではなく、「~にすぎない」というこの世の相対的な規範の一つに過ぎないものという意義で……ものすげえ譲った議論ですが……道徳を捉えたとしても、「道徳と愛国心」は全く無関係であり、幼い子どもに愛国心を押し付けるものはいかがなものかとなってしまいます。

さて……。
くだんの文科省の学習指導要領をひもとくと、つぎのようにあります。
[http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/dou.htm:title]

いわく「郷土や我が国の伝統と文化を大切にし,先人の努力を知り,郷土や国を愛する心をもつ」ことを目指すそうな。

しかし、その郷土や国を愛する心というベクトルの現在がどうかと誰何すれば、そこに違和感をおぼえる議論や異なる方向性を前に、「売国奴」「非国民」「ブサヨ」といった言葉の脊髄反射ばかりじゃありませんか。

言葉としては、郷土やその伝統と文化を大切にしたり学ぶという「フレコミ」でしょうが、その実は、stateに従順で反論しないというのが「愛国」の中身なんだよと思わざるを得ませんし、「統治する側」の眼差し……すなわちそれは文部行政という「権力」の眼差しでありますが……からすれば、それほど統治に便利な人間育成は他にはありえないというお話でございます。

加えて我が国の歴史や文化は、個人を尊重しようという思想とは相容れないだとか、立憲主義は古くさい、男女平等は西洋の思想云々という喧噪が民間だけでなく一国の指導者や為政者からつぎつぎにまことしやかにささやかれるのが今の日本ですよ。

彼らの言う「内」へ求心力は「西洋はいかんぞゴルァ」というISILとどれだけ違うのかしらんと思ったりします。

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声:道徳を愛国心に絡めないで
2015年2月12日

 翻訳者 東京都 50

 文部科学省が発表した「道徳科」の指導内容を見ました。小学1、2年生の授業について「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つこと」とあります。冒頭の「我が国」が気になりました。過剰で排他的な愛国心教育につながるのではないかと思ったのです。

 愛国心という概念のもとで人々は昔から戦争や対立に陥ってきました。18世紀の英国の文学者サミュエル・ジョンソンは「愛国心は、ならず者の最後の避難場所である」と名言を残しています。道徳と愛国心は全く無関係であり、幼い子に教室で愛国心を押し付けるのはいかがなものかと思います。

 私は20年以上前から日本に住んでおり、日本と日本人が大好きで、故郷の英国に帰る気はありません。でも、私が英国を捨てたことで私は道徳に背いているとは思わないし、そう言われたら困ります。

 愛国心は、あくまでも個人の自由な考えに基づくべきものだと考えます。道徳を日常生活に取り入れていけば、誰に言われなくても、日本人は誰もが自分の国を愛するように自然となっていくでしょう。
    --「声:道徳を愛国心に絡めないで」、『朝日新聞』2015年2月12日(木)付。

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[http://www.asahi.com/articles/DA3S11597505.html:title]


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日記:「本人」は「本人」以外の他者や機関によってはじめて「本人」が「本人」であると担保づけられる

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久しぶりに蔦屋に行ったら会員の有効期限が切れていましたので、更新しました。

この手の手続きをするとき、運転免許証をもっていないので、わりとめんどくさいことになります。保険証+αという展開ですけども、そのときちょうど公的証明書類を持ち合わせていたのでなんなく更新できましたが、運転免許証の本人証明能力の全能感に、われながらしばし圧倒される次第です。

こういうことなら自動車の免許とっておけばよかったなあと思いますが、まあ、自動車を自分で運転しない分、エコロジカルということでよしとしておきます。

さて、「自白」という文化に見られるように、「本人」の「言葉」や「証言」というものが何よりも重要視されるにもかかわらず、その「本人」が「本人」であることは「本人」によっては決して証明されないというパラドクスに驚かされてしまうという話です。

「私は私だ」と「本人」がいくら叫んでも、そのことで「本人」であることが承認される訳でなく、「本人」は「本人」以外の他者や機関によってはじめて「本人」が「本人」であると担保づけられる。

トートロジーの証明不可能性といってしまえば、はやい話ですが、その対象性に一抹のむずがしさを覚える訳で、この対象性がいつから始まったのか。ひとつ考察の対象にしてみたいな、と思う次第です。

まあ、いろいろと課題が積ンどりますのでいつになるやらという話ですけども。

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日記:福沢諭吉生誕180年にして想う

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 悪友を親しむ者は悪名を免かる可らず、我は心に於てアジア東方の悪友を謝絶するものなり[福沢 一九七〇]

 以上が福沢諭吉の「脱亜論」の要旨です。彼の中国・朝鮮への失望感が如実に表れ、その落胆が「アジア東方の悪友を謝絶するものなり」という痛烈な批判に繋がっているのがよくわかります。
 諭吉は一部の改革派への期待と援助を持続させますが、一方で中国・朝鮮を見限り、憤りと諦めがないまぜになった姿勢を取り始めました。彼は一連のプロセスのなかで開化派への期待と思い入れが大きかったぶん、甲申事変のしっぱによって大きな徒労感を抱くことになりました。
 しかし、です。
 この諭吉の挫折の延長線上に、本格的なアジア主義が芽生えることになりました。金玉均・朴泳孝という開化派の日本亡命は、自由民権運動の志士たちの関心の的となり、開化派を支援しようという動きが拡大しました。
 その人脈のなかに、初期アジア主義を主導する玄洋社メンバーがいました。彼らは、金玉均の存在からアジアの「反封建運動」の連帯の重要性を察知し、その卓越した行動力でアジア主義運動を展開していくことになります。
 一八八五年。
 金玉均が日本に亡命し、活動を再開させたこの年に、日本の本格的なアジア主義は始動するのです。
    --中島岳志『アジア主義 その先の近代へ』潮出版社、2014年、100-101頁。

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1835年の今日1月10日は福沢諭吉の誕生日。

その啓蒙と近代市民社会の構想とアジア連帯の理想をどのように掬い上げていくのか。
福沢以降の近代日本の歩みとは一言で言えば、そのゆがみとねじれであるがだけに、その未完の理想を、丸山眞男宜しく引き受けながら、未来を展望することは、私たちの課題かも知れません。

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日記:なぜ、真摯な自己反省が、外界に目を向け他者と出会う真のプロセスの要因となり得ないのだろうか。


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 最後にヤングは、罪は、外界に目を向け、他者に関心を示させるのではなく、人びとを内面的にし、自分自身にのみ固執させてしまうと論じる。これもまた、おそらくそうかもしれない。しかし、なぜ、真摯な自己反省が、外界に目を向け他者と出会う真のプロセスの要因となり得ないのだろうか。わたしには、自分自身のナルシシズムや、自己中心的な熱望、他者よりも自分を称えられたいと思う欲求などをしっかりと見つめ、そしてそれを乗り越えようとするとき初めて、わたしたちは本当の意味で、他者に目を向けることができるし、自分のなかにある障害を乗り越え、なんとかそこからより自由になれるのだと思える。あるいは、このプロセスは、外部/内部といった道徳的生活のふたつの別べつの領域で生じる必要もない。ガンディーの生涯、そしてかれが起こした運動は、内面に目をやることは、たんに外部に目を向ける触媒となっているだけでなく、まさにそれと同時に起こっていることを物語っている。ガンディーと彼の信奉者たちは、自分たち自身の暴力や支配欲を批判することが、国民全体のための自分たちの自由の闘争にとって不可欠な側面であることを学んだ。わたしが考えているものは、もしわたしたちが、自分自身の内面世界を真摯に批判することなく、未熟な段階で外部に目を向けることとなれば、わたしたちの社会改革行動は、結局底の浅いものとなるか、短命に終わることになるだろう。わたしたち自身の内部にあり続ける、わたしたちをナルシシズムに駆りたてる力が、最後には、わたしたちの目を社会的な運動から逸らすことになるだろう。
    --マーサ・C・ヌスバウム(岡野八代・池田直子訳)「緒言」、アイリス・マリオン・ヤング(岡野八代・池田直子訳)『正義への責任』岩波書店、2014年、xxxiii頁。

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年頭から覚え書きで申し訳ございません。

ええと、それから新年もどうぞ宜しくお願いします。

まだ、途中まで読み進んでおりませんが、昨年の3冊のうちの1冊に選んだのがヤングの『正義への責任』です。アリストテレス研究から始めたマーサ・C・ヌスバウムが詳細な「緒言」を本書に捧げておりますが、非常に要を得た一節で抜き書きした次第です。

現状世界の問題に対してNOを上げていくことの大切さはいくら強調してもしすぎることはありません。しかし、1mmでもくるいがあると、空中分解してしまうのも事実で、その陥穽をいかに離脱していくのか。罪ではなく責任を担うことを提唱する本書は、非常に示唆に満ちた一冊です。

罪と責任を丁寧に区別しながら、未来を担うべき責任について、語り合うこと。そこから「ここ」に済む市民としての責任と展望が立ち上がるのではないかと思います。

一歩一歩の歩みをかくあるべしと念じつつ、新年最初の日記とさせていただきます。

筆主敬白。


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日記:2014年の3冊

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自分でも驚く話ですが、有志ではじめた月の1度のコロンビア大学コアカリキュラム(※1)で紹介されている古典を読むという学習会、なんとか1年間継続できました。

テクストを読むという意義を再考させられた一年だったと思う。参加者のみなさん、ありがとうございました。

ソクラテスから始めましたが、秋口よりいったんカリキュラムから離れて参加者それぞれの「読んでみたい1冊」を回し、フーコーやサイード、リョサといった著作を読み、年末は忘年会をかねて、「読んでおきたい3冊」ないしは「2014年の3冊」を紹介しました。

氏家は、「2014年の3冊」として、次の3冊をチョイス。

1)リス・シリュルニク(林昌宏訳)『憎むのでもなく、許すのでもなく ユダヤ人一斉検挙の夜』吉田書店、2014年。

2)木田元『わたしの哲学入門』講談社学術文庫、2014年。

3)アイリス・M・ヤング(岡野八代、池田直子訳)『正義への責任』岩波書店、2014年。
それぞれ認識を更新し、不断に現実に関わっていく上で欠かすことのない3冊ではないかと思います。
参加者それぞれからもおのおのの3冊の紹介があり、有意義な時間を紡ぎ合うことができありがとうございました。

1月からまた始めますが、みなさまどうぞ宜しくお願いします。
また大晦日になりましたが、みなさまどうもありがとうございました。新しい年も宜しくお願いします。


※1[http://www.college.columbia.edu/core/:title]


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日記:<他人>の現前化は平和である


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 顔において、<他人>、絶対的に他なるものが現前する。けれども、顔は<自同者>を否定しないし、また、臆見、権威、摩訶不思議な超自然的事象と化して<自同者>を傷つけることもない。顔はそれを迎接する者と同じ土俵に立ちつづける。顔は現世的なものでありつづける。顔における<他人>の現前化は非暴力の典型である。なぜなら、この現前化は、私の自由を傷つける代わりに私の自由に責任を喚起せしめ、それによって私の自由を創設するからである。<他人>の現前化は非暴力であるが、にもかかわらず<自同者>と<他人>の多元性を維持する。<他人>の現前化は平和である。
    --エマニュェル・レヴィナス(合田正人訳)『全体性と無限 外部性についての試論』国文社、1989年、307-308頁。

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「解放」「自立」「脱疎外」といった観念そのもに暴力性が潜在する。

存在論の暴力性を喝破しながらも、批判で終わらず、その超克と日常生活のなかで生き続ける可能性を模索したのがレヴィナスの思想といってよいが、いち早くレヴィナスに注目されたのは、そうした暴力が顕著な仕方で現出した地域ばかりだったという。

レヴィナスの知見にリアリティとは、例えば、暴力装置としての権威とそれに対峙する批判精神といった近代の構造が「形」をとらなければ、その批判精神というのは、注目されがたいのかも知れない。

言うまでもないが、批判精神に「すら」潜在する暴力を見抜くことは、その精神の対峙する権威の問題を「見過ごす」ことと同義でははない。否、批判精神に「すら」潜在する暴力を見抜くことによってこそ、対峙する権威の問題をも超克していくのであろう。

この消息を勘違いしてしまうと、批判することに酔う、ないしは荷担していない「私」の演出としてのレヴィナスの援用という本末転倒になってしまう。現代日本においてその錯誤という軽挙妄動こそ常に相対化していくべき課題なのであろう。

そもそも権威と批判精神の対峙もなく、つねに全体に回収されていくヒエラルキーの構造のなかで、先端知を飽くなく探究する知的エッジですら、気がつけばよういに、自己の暴力性を自覚しないまま、飲み込まれてしまうのが日本という精神風土だ。

そうした精神風土であるがゆえに、レヴィナスをもう一度、読み直すことが必要であり、暗い夜を駆け抜ける同伴者の足音として、つねに低音を響かせていかなければならない。

1995年の今日(12月25日)はレヴィナス老師のご命日。その学徳を偲びつつ、その意志を継承していきたい。

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奪われ続けるナラティヴ

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4月に精神科に移動して激増したのが高齢の患者さんの「たわいもない話」を聞くこと(看護師が忙しいから。

ほんと、そこには感動の大団円もなければ、ものすげえ悲惨な話もない。しかし、ひとに聞いてもらえることで「安心」する、自分が自分であることを肯定される安心感つうのはあるのだなあ、と実感する。

そういうやりとりをするなかで、この20年、そういう「たわいもない話」にきちんと「耳を傾ける」文化というのが根絶やしになったのではないかと思う。

まさに創作然とした感動話に受け、「人間だもの」みたいなのに頷く。ボードリヤールの議論ではありませんけど、人間の歴史と言葉が奪われたのではと
 
周りを見渡せば「永遠の0」、「人間だもの」、そして「水から伝言」みたいな言説ばかり。

感動が悪いとは思わないけれども(疑似科学はやばいけど)、そういう幸福と不幸の両極端にいない人間の「記録されない」声を無視してきた結果が、例えばネトウヨちっくな極端な議論の横行を招いたのではないか。

家庭を顧みない産業戦士という「昭和」、好きよ好き好きみたいな自閉的「平成」、そして「自分が生き残るためにはなりふり構ってはいられない「現在」。ずっーとひとびとのナラティブが奪われ続けているけど、その中でも、この現在つうのはひどすぎるような気がする。

大文字の政治的言説の対抗というものの有用性を否定するつもりは全くありませんけれども、声を奪われ続けること、そしてその代弁なんて不要なこと(そもそもおこがましい)、そういうところに寄り添うことから始めるしかないかな、ということを仕事をするなかで実感しています。


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日記:自明こそ疑え


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昨日の金曜日、後期2回目の「哲学」授業で、いよいよ本格的な導入の授業をすることができました。哲学を学ぶということは、「哲学をする」ことを学ぶ訳ですが、そこで大事になることは、あくまでも先ず「自分で考える」ということ。

そして次に、その自分で考えた事柄が独りよがりなものでないのかどうか自分自身で検討をしたうえで、他者と相互吟味する。そしてその過程で、強い考え方を導き出していく(=それを普遍性への志向といってよいでしょう)ことになりますが、なかなか「どうやれば、自分で考えることができるのですか?」と聞かれることが多い

そこで、敢えて、「自明のこと」「考えるまでもないこと」に改めて注意を払うように促すのですが、その省察を経験してみると、実は「自明のこと」「考えるまでもない」と思っていた、そのことについて実はなあんーにも分かっちゃいないことに気がつきます。

今日のお題は「鉛筆とは何か」。

そんなこと聞かれるまでもないでしょうと思う勿れ。改めて考えるとなかなか難しいものです。まさに「自明こそ疑え」で、それが「自分で考えてみる」ひとつの出発点、その練習になったのではないかと思います。

そういうドクサを引きはがしていくことが「哲学をする」ということなのでしょう。

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日記:追悼、木田元先生。


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哲学者の木田元さん死去 ハイデガー研究の第一人者
2014年8月17日16時26分 『朝日新聞』電子版。

[http://www.asahi.com/articles/ASG8K4S5TG8KUCLV002.html:title]


木田元さん
 20世紀ドイツの哲学者ハイデガーの研究で知られる哲学者で中央大名誉教授の木田元(きだ・げん)さんが16日午後5時33分、肺炎のため千葉県内の病院で死去した。85歳だった。通夜は19日午後6時、葬儀は20日午前10時30分から千葉県船橋市習志野台2の12の30の古谷式典北習志野斎苑で。喪主は妻美代子さん。

トピックス:木田元さん
 「闇屋になりそこねた哲学者」という著書があるように、学者としては異色の経歴の持ち主。山形県に生まれ、旧満州(中国東北部)で育った。敗戦後、故郷で代用教員時代に米の闇屋で稼いだ資金を学資に農林専門学校に入学。そこでハイデガーの本と出合い、哲学を専門とすることを志し、東北大に進んだ。

 長く中央大学で教壇に立ち、西欧哲学、特にハイデガー研究では、日本の第一人者となった。99年の退職後も、若い研究者を相手に在任中から主宰していた私的なハイデガーの原書講読会を続け、カラオケと酒を愛する洒脱(しゃだつ)な人柄もあり、多くの後輩を育てた。

 また、東西の古典はもとより、詩歌から時代小説、推理小説までと、大変幅広い読書家としても知られ、哲学を離れても多くの著書がある。98年から02年まで朝日新聞書評委員を務めた。主な著作に「現象学」「ハイデガー『存在と時間』の構築」「哲学と反哲学」など。

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ハイデガー研究の第一人者・木田元先生が8月16日に逝去された。85歳とのこと。ハイデガーへの導きは木田先生抜きには語れない。安らかなお眠りをお祈り申し上げます。

さて、木田先生は、敗戦後の焼け野原に立ち、悪戦苦闘する中で、「ハイデガーを読みたい」という一心で哲学に導かれたという。その文章も合わせて下に抜き書きしておきます。

ほんと、こう時代の変化が(悪い方へ)というスピードの早い時代だからこそ、徹底的に考え抜くという実践は、今こそ必要だと思います。


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戦後の放浪
 人がどんなふうにして哲学に近づいてゆくものか、その一例として私自身のばあいを語ってみようと思う。
 私は一九五〇年(昭和二十五年)に東北大学に入って哲学の勉強をはじめたのだが、私のばあい、中学・高校・大学とすんなり進学したわけではなく、敗戦後の五年間ずいぶん廻り道をしている。そして、そのばあいにどうしてもハイデガーの『存在と時間』を読まずにはすまされない気になり、それを読みたい一心で大学の哲学科に入ったのである。
 いったいどうしてそんな気になったのか。それを語るには、敗戦後の私の生活をふりかえることからはじめねばならない。年寄りの思い出と思って読んでいただきたい。
 敗戦のとき、私は十六歳、江田島の海軍兵学校にいた。三歳から満州(現・中国東北部)で育ち、敗戦の四ヵ月前、兵学校に入るためにはじめて日本に渡ってきたのである。したがって、戦争に負けたから家に帰ってよろしいと言われても、帰る当てがない。近い親戚はみんな満州に集まっていたのである。当面は兵学校のクラス担任であった先生の佐賀の実家に引きとってもらったが、なにしろ日本中食糧のないとき、そこにも長居できず、一月半ほどでおいとまをした。台風で山陽本線が寸断されていたので、別府から尾道まで闇船--漁船などを利用し、不当な料金をとって客を運ぶ客船--で瀬戸内海を渡り、あとは無蓋貨車を乗り継いで東京に出た。何日かかったか、よく覚えていない。繊細で焼け出された人たちに混じって上野駅の地下道で一週間も野宿したろうか。そのうち、下町を焼け出された人たちに混じって池袋の西口のマーケットに居を移していた小さなテキ屋にスカウトされた。体力と腕力だけは人並み以上だったのである。主な仕事は、川崎あたりの旧陸軍の倉庫に木炭トラック--どういうメカニズムによるのか知らないが、この頃は木炭を焚いて自動車を走らせていた--に乗って押しかけ、隠退蔵物資摘発という名目で毛布や敷布など軍需物資を略奪することだった。時どきどこからか情報が伝わってくると、そのテの組織が大挙して押しかけ、私はそうした方面にもけっこう能力があり、親分夫婦にずいぶんかわいがられたのだが、さすがにテキ屋になる気はなく、暇を見ては必死になって身寄りを探した。
 兵学校入学のとき遠縁の海軍大佐に保証人になってもらったことは覚えていた。むろん敗戦直後にも江田島で、保証人の住所氏名の記載された入学誓約書というのを本部に探しにいったのだが、焼き捨てられた直後だった。それにあれだけの戦争のあと海軍大佐がおめおめと生き残っているとは思われなかったので、探すのは諦めていたのである。しかし、遺族の住所でも分かればなにかの手がかりになると思い、その頃、雅叙園に移っていた海軍省の残務整理部をやっと探し当てていってみると、なんのことはない、死んだと思った御当人がそこにいるではないか。向こうでも多少は気にして探してくれていたらしい。ともかく幸運であった。その指示で、山形県の新庄という父の郷里の町にゆき、父の従妹の嫁ぎ先といった程度の遠縁の家に落ち着いた。満州にいる家族がどうなっているのかは見当もつかない。二、三軒の親戚をタライ廻しにされたりして、かなりの心理的抑圧も経験したが、ともかく一年近くそこで畑仕事の手伝いなどをしながら暮らした。
 敗戦の翌年、昭和二十一年の秋に、シベリアに抑留された父を残して、母と姉二人と弟と四人の家族が引き揚げてきたのを迎えて、今度は母の郷里の鶴岡という日本海岸の町に住みついたが、むしろそれからが大変だった。なにしろ働けるのが十八歳になったばかりの私一人、一家を養わねばならない。人の世話で、まず市役所の臨時雇い、次いで十一月頃から近くの温泉町の小学校の代用教員をしたが、そんな給料で一家五人が暮らせるわけはない。週末や冬休みには闇米をかついで東京まで通った。あらかじめ人に頼んで買い集めておいた一俵分の米を、背中に三十キロ背負い、両手に十五キロずつ持って、進駐軍や警察の目をくぐって満員の夜行列車で運んだのである。二回の往復で一月の給料分ぐらい稼げたから、やめるわけにいかない。
 学校で私が担当させられたのは、当時の学制で尋常科六年を卒業し、進学しないでしまった生徒たちの入る高等科一、二年の男子のクラスであった。ロクに教科書もない複式授業をし、午後は下級生の教室で焚くストーヴの薪割りといった毎日、三、四歳下の田舎の子どもたちと遊ぶのは楽しかったが、そんな状態だから、善良な教師というわけにはいかない。ふだんは宿直を買って出て学校に泊まりこんでいたが、夜になるといやでも自分の行く末を考えてしまう。父が帰ってくる保証もないし、こんな生活がいつまで続くのかと思うと暗澹とした日々だった。
    --木田元「暗い時代に ドストエフスキーとの出会い」、『わたしの哲学入門』講談社学術文庫、2014年、30-33頁。

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日記:しっかりとものを考えた思想家の本をはじめから終わりまで読み通し、その文体に慣れ、その思考を追思考すること


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思考の訓練
 普通の人間にとってものを考えるということは、そう容易なことではない。目をつむって、さて何かを考えようと思っても浮かぶのは妄想のたぐいであろう。ものを考えるには特殊な訓練が必要である。その訓練として私に考えられるのは、しっかりとものを考えた思想家の本をはじめから終わりまで読み通し、その文体に慣れ、その思考を追思考することである。いろいろ考えてみたが、私にはいまのところそれ意外の方法は思い浮かばない。原語で読むに越したことはないであろうが、翻訳でも仕方があるまい。(もっとも、しっかりした翻訳でなければならない。) そうした本を毎日続けて読んでいると、次第にその文体に慣れ、そこで言われていることがよく分かるようになってくる。おそらくこれが追思考するということなのであろう。そうした訓練を重ねることによってはじめて、ものを考えることができるようになるのである。
 私は大学院の指導学生には、徹底してテキストを正確に読む訓練をする。それ以外に哲学の大学院で教師としてできることはないと思うようになった。はじめは翻訳のあるテキストを使うが、それが読めるようになると、次には翻訳のないテキストを読ませる。何年もかかる訓練だが、こうして本がキチンと読めるようになると、不思議に書く論文も筋の通ったよいものになる。もうサワリ集のような論文は書けなくなるのである。おそらくこれは、本を正確に読むことによって追思考し、ものを考える訓練をするからだろうと思う。哲学的思考に習熟する最良の方法は、まず自分の体質に合った思想家を探し、その思想家がもっとも力を入れて書いたテキストを一定期間毎日つづけて読み、はじめの一頁から最後の一ページまで読み通すことであろう。
 もう一つ付け加えると、学生たちが好んで口にする言葉に「問題意識」というのがある。つまり、テキストを正確に読むだなんてことよりも問題意識が大事だ。問題意識がなければ、いくら語学的に正確に本を読んだって仕方がない、というわけである。これは、たしかにそのとおりである。むろん一冊の本を選んで、半年なり一年なり毎日読み続けるということは、その本に対するよほど強い興味なり関心なりがなければできるものではない。しかし、興味といい関心といっても、当の本をまだ読んではいないのであるから、解説書なり紹介書なりを通じて得た知識にもとづくまだ漠然とした見当、共感にとどまる。問題意識というのは、どうやらそうした見当や共感のことを言うらしい。そうした意味での共感は、たしかに重要である。それがなければ、なにごともはじまらない。しかし、そうした「問題意識」なるものは、自分でテキストを読み通すことによって練りなおし鍛えなおす必要がある。そうしてはじめてそれは真の問題意識になるのであり、それをしなければ、それはただの受け売り、ただの見当に終わってしまう。
    --木田元『わたしの哲学入門』講談社学術文庫、2014年、70-72頁。

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18日の金曜日で、勤務先のひとつの短大での「哲学入門」が無事終了。最終講義は、映画『ハンナ・アーレント』のラストシーンの講義を彷彿とさせるものでありました(嘘w

ともあれ、15回の講座に出席してくださりました履修生のみなさま、まずはありがとうございました。

さて……。
授業のなかで、何度も言及したのが、

1)自分で考えるということ
2)自分で考えるだけでなく、対話という回路を使って他者と相互吟味すること
3)本をきちんと読むこと。

ヤミ屋からハイデッガー研究者になった木田元先生もご指摘しておりますが、「目をつむって、さて何かを考えようと思っても浮かぶのは妄想のたぐい」ぐらいですから、まずは、考えるためにも、いい本を読んで欲しいと思います。

ネットで次々に情報が更新される時代だからこそ、そういうものに振り回されるだけでなく、古典とよばれるものと向き合いながら、自分で考え、他者とすりあわせていって欲しいと思います。

ともあれ、みなさまありがとうございました。


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